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ひとそれぞれ
あさって日本に帰る知人としゃべってたら

「さわちゃん、つかれてる?笑 顔が疲れてる」

といわれました。

「ずっと疲れてます(苦笑)」

と、答えておきました。



彼女とははじめてインドにわたしが来た17年前、一緒のツアーで一緒の大部屋で、滞在中も何かとずっと一緒に行動してました。

ものすごく昔、たとえば何千年何万年?笑 前からの知り合いなんだろうということは体感しました。



数年前にプッタパルティで再会して、お互い年取ったなと私は思ったんですが。笑


17年前のプッタパルティ滞在時には、プールナチャンドラホールの中でそのときプッタで開催された世界音楽祭の主催国の人たちへの特別ダルシャンがあって、

日本も主催国のひとつだったので、(湯川れい子さんとか独立する前の東儀秀樹?さんとかも来ていました
私たちもその特別ダルシャンに預かりました。

だれかが歩いてるババに折鶴を手渡して、それをババが飛行機のように飛ばしていたような記憶が。

私はその時はすでに高熱と下痢で断食状態だったんだと思いますが、まあ、活動する分には平気だったんですが、
ババが私の前に立ってるときに誰かが写真を撮ってたらしく、
あとで別々の2人からそのときのババと一緒に写ってる貴重な写真をもらいました。
(当時はデジカメじゃなかったから撮られてる写真の数がいまより全然少なくて、ホント貴重だった)

その写真では、わたしはぼけ~っ、と、口も半開きの間抜け面でババを眺めていたのですが、
近くに座ってたその知人の彼女はきちーっと座って、ぴしーっと合掌して、ちょー美しい姿で写っていました。


それを見て、ああ、レベルの違いって、こういうとこにきっちり出るんだなと思ったんですが。笑



彼女は電磁波がダメらしいので、ネットもほとんど見ないそうであまり情報を入れてないそうなんですが、
体感でいつも動くタイプで、

やはり去年の311以降放射能の影響は感じてて、
庭だかバルコニーだかの植物の様子や形状もおかしくなってると思えて、植物に
「ごめんねこんなにしちゃって」
と謝罪してたそうです。

本人は自動的にずっとガヤトリーマントラとかのマントラを唱え続けていたそうです。

わりと影響がありそうなとこに住んでる彼女だけど、
マントラとか唱えてたら免疫力も高くなるし、放射能の影響も受けにくくなると思います。

それに本人だけじゃなくて、周りの人や環境の浄化にもなってたと思います。


ある種の人があえてそういう影響の比較的きついところに住まわされるのは、その場所の環境改善のために使われてる場合もあるんだろうなと思います。

しかし少し前から引越しの時期が来たと思って山のほうに引っ越したという話でした。


彼女は2006年のプッタパルティでのアティルッドラマハヤグニャの時には家族と一緒に来てたんですが、
その1週間前にプッタパルティから日本に帰ったばかりで、

でもすごく今行かなくちゃという気がして、
家族を説得して家族を連れてインドにとんぼ返りしたそうです。


そんで来てみたらアティルッドラマハヤグニャだったそうです。



その時期は彼女にとって占星術的に見ても大きな転換のときだったらしく、
私は具体的な感覚はわからないんですが、なんでもそのとき(アティルッドラマハヤグニャ参加)を境にまるで存在形態が変わったような感じだったといってたような。。(あやふや)

ヤグニャに参加して日本に帰ってすぐに3日間高熱を出し、
最後には吐いたら体の中から猛スピードで石ころが飛び出てきたらしく、
それを境に、たぶん十年以上続いていた体の状態が一変したそうです。


なので、アティルッドラマハヤグニャなどのプージャがものすごいということは彼女は体感していて、
今日本でそういうプージャが行われたらものすごい効果があるということも全面同意で、疑う様子もありませんでした。

ちなみにプッタの占星術師には「あんたはいるだけでいい」「音楽とか興味ある?」とかいわれたらしく、
この人いんちきじゃ、、、と、怪しんだらしいです。笑



聞いた話によると彼女は以前プッタから日本に帰るとき、ダライラマと同じ飛行機で、
飛行機を降りてからダライラマに「インドではどこに行ってきたの?」とか話しかけられて、
チベットのお坊さんだ、と思いつつイミグレまで談笑しながら一緒に歩いていったそうですが、
ダライラマと別れたあとに周りの人からそれが誰だったか知らされたとかいうこともあったらしいです。


彼女も体感として地球が怒ってると感じて、毎日ほかにやりようがなくて、必死に祈るしかできなかったと言ってましたが、
だれかに私たちが日本のカルマ解消とか世界のカルマ解消とかのプージャを実行してると聞いて、
知ってる人だ、さわちゃんだ、と思って、感動して
家族と一緒に感謝の祈りを捧げてくれてたそうです。

今回プッタパルティに来るためにも1月から飛行機を予約していたのですが、
家族にはもしかしたら(日本の状態が)インドにいける状態じゃないかもしれない、と言ってたそうなんですが、
でもなぜか?来れた。と言っていました。
2月3月には日本はもうインドに行ける状態じゃなくなってるかもしれないと思ってたそうです。

なので?ありがとう、といわれました。


去年の大晦日、
私は猛烈に心配な気持ちになって、
それって、アパートの部屋の前においてあったシルディババの重たい像が胸のところで真っ二つに割れていたり、
日本にお守りなどの荷物を送ろうとしても私の順番が来たら
郵便局のプリンターが壊れて印刷できなくなって日本への発送を受け付けてもらえなかったりということもあって、

なにか日本を変なのが覆ってて、すごくやばい雰囲気。と思って、猛烈に不安になりました。


結局、元旦早々に大きな地震があって、
それによって原発も多少影響があって、ヤバイはやばかったんだけどなんとか決定打には至らず終了手前でこらえて回避されたかんじではあったんですが、

そのことを知人の彼女に言ったら、彼女も大晦日は異常に不安定になって、気分が激しくなって大晦日には年越しそばも食べられなくて、元旦に食べた。あれはなんだったんだろうと笑っていました。

あとでわたしも、元旦ヤバイ説があったのを知ったのですが、


そんなかんじで、彼女だけでなく、私の周辺の女性たちは直接体感してる人が多いし、それを抵抗なく話して分かち合えるかんじ。

男性はダメ。爆


もとだんには「なにもこのタイミングで行かなくても。数年はインドにいたほうがいい」と何度も引き止めたけど「死んでもいいよ!」と東京に少なくとも数ヶ月の予定で遊びにいきました。

すでに音信不通。

超越しすぎやろ。。。

ちょっと頼みたい用事あるんですけど。。。


くたばるなら用事済ましてからにしてくれ。



もしもとだんの周囲にいる人でこのブログ見た人がいたらもとだんにわたしに連絡取るように伝えてください。




。。。業務連絡でした。





知人女性に「プージャ(アティルッドラマハヤグニャ)するの?」と聞かれ、

「そのつもりで動いてますけど、私は何もできないんで。」

「資金調達と、日本の人に情報流すだけ」

と、答えました。


実際なぜか常に一文無しといって差し支えない状態だし、
(必要なときにはお金は充分来るんだけど)

実際のプージャの準備はインド人がするし。(まあ、日本でする場合は日本人も?)



具体的に何もする力がないというのはある意味気楽。笑



彼女に「じゃあ、またね。もう会えないかもしれないから」と言われて、

彼女はもう明後日帰るから、という意味で言ったみたいですが、
わたしはなぜか「もう今生では会えないかもしれないから」といわれたような気分で受け取ったのでした。


彼女はほんとは4月いっぱいプッタにいるつもりだったらしいのですが、
早く日本に戻って準備をしないといけないと感じて、日本帰国を早めたみたいです。

エネルギー供給が止まった状態でも、避難してきた人とかに自宅を提供できるような準備をする必要があると感じたらしいです。


「また、疲れたら来るね」

と言っていました。
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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2012/04/05 16:29】 | 人間模様 | トラックバック(0) | コメント(0) |
世界の始まりの前と世界が終わった後にあり続けるもの。
食中毒症状は治まったものの、今朝は顔がむくんでパンパンで、しかもどす黒かったので、
そうとう肝臓疲れてるな~と思って、

お昼に町に昼食を食べに行ったついでに必殺Liv52DSを薬局で買って食後に飲みました。

おととし、急性肝炎になったときに、1週間くらい動けず食べれずで、回復の兆しがなく途方にくれてたときに、
これを飲んで寝たら翌日の朝から火の通ったものでも食べれるようになってて驚嘆しました。
(それまでフルーツしか食べれなかった)

そういう私にとっての必殺(殺すわけじゃないけど)のアイテム。

気分的に最近はいつも疲れてるということもあり、心身ともエネルギー不足でいつもくたびれてるのですが、
明日はチェンナイの移動予定なのでこれでなんとか完全回復の域に達せるか?

しかしこの疲れはいい加減自分でも疲れてることに疲れてきました。


いったん部屋に戻ってから神像屋さんに行きました。

また修正依頼がはいったので作る人に電話したら修正了解したんだけど、その後連絡がつかなくなったので、
インド人の定例パターンの逃亡か?と思ったんですが、

とにかく店に行って座って待っていたらそのうち来ました。


私としても回を追うごとに言いにくくはなるんだけど、
まあでも言って修正してもらって、
全部、文句付け役の私の判断にゆだねられるので、
ここのラインをもうちょっと広くとかそういうすごく細かいことをいちいち言って、
やっぱ彫ってあるのを修正となると、
そこを一段全部削らないといけなくて、
そうすると全体の形のバランスがまた微妙に変わって来たり。

で、修正箇所の両サイドとかも合わせて修正していくわけですが、

お店の人たちも、もうあきらめの境地に入ったのか、(毎回、それは無理だと一応言われるんだけど)
気力を散らすことなく修正に取り組む姿には今までに感じなかった立派さを感じました。
(今まではとにかくお店の人みんなの声がやたら恫喝してるかのように耳障りにうるさかったので嫌だった)

で、今回のことで学習したとみえて、ほんとうに細かくいちいち私に聞いてきて(時に暴走するけど)
たぶんもう2度と修正しなくていいようにだと思うけど。笑

いわれたと~~~~りに修正しようと心がけていました。

最初のころの大音量の猛反発の時期からしたらずいぶん関係性も変わったなと思います。
やっぱなんだかんだいって人間関係なので、
プージャにおけるお坊さんたちとの関係もそうだけど、
何度も足を運んで直接関わりあって、なじみあうことでお互いへの「知ってる感じ」と許容量が広がっていくんだなと思います。

人は分れているようで常に交じり合っているから、
一緒にいる人と常に交じり合っているから、友人とかは選ぶようにといわれるんでしょうね。


インド人とそんなに混じっていいものかと思わないでもないですが、
インド人と日本人はお互いないものを持ってて、与え合える関係にもなりやすいんじゃないかと思います。

だいたいがインド人強烈なので、日本人はコントロール下に置かれやすいような気もしますが。。。笑
それにしてもそういう強烈さから学ぶところも少なくないです。

一応今日もねちこく何度も手を加えてもらった修正も終わってほっとしたかんじになって、

作る人が「どこからきたの?」とわたしに聞いたので、
今までずっと一緒にいて今それを聞くか、みたいな感じでみんな笑ってました。

子供の話やだんなの話になって、バラティさんが何を思ったか勝手に彼女のだんなは弁護士だとか言うので、
みんな感心してました。
。。。。2パーセントくらいはほんとかもしれないけど。。。

社会的地位って、人間関係を円滑にするために大事なんだなと思います。
とりあえずそれで気分的に安心する人がいるから。

仮面をかぶるのは自分のためでもあり、周りのためでもあると、わたしは引きこもり生活からでて画家を名乗りだしたときに思いました。
みんながそれで腑に落ちて安心したら私も安心するから。

そういう、方便というか、理解するための取っ掛かりを提供する何かを身につけておくというのは今の時代まだ有効なんだなと。

で、とりあえず安心してもらったらそこから交流が始まれるから。

なんてめんどくさい社会なんだと思うけど、
やっぱり人がそれぞれに分離的な意識を持つようになってからは何ものでもない部分でつながれることって哀しいかなまれになってしまった。

たとえばサイババ関係者どおしだったらそれだけで通じるものがあったりとか共通項を通じてつながれるというのもあるけど、
なんだかそういうのも考えさせられるものがいっぱいあります。

でも、どの切り口でつながっているかというのはやはりその人間関係の質を左右するなとは思います。


わたしはかつて、なにものでもない所でであった人も2~3人、いや、4~5人?くらいいたように思います。
それは夢の中であったり、意識の最奥の場所であったり、そして同時にこの現実世界でも彼らと出会った。

そういうのはこの世界では関係性としては、そのいくつかははなから言葉を交わさないでテレパシー的なだけの交流であったり、
個人として密接に関わっている時期があったとしても、当人の意思をしのぐ何かによっていつか突然暴力的に離れます。
わたしにとって世界はなにものでもないものどおしが出会うことを容認し続けるほどまだ甘くはなかった。


2回そのようなことがありましたが何か少し悲劇的な暴力的な連れ去る力が働いた。

あの彼女は今どうしているのだろうとか思うけど、誰もその行方を知りません。


この世界はまだそのような場所ではないんだな、彼女が安らげるような確立された場所ではないんだなとうら哀しく思ったことを覚えています。

ある種の人にとってはこの世界はとても生きにくかった。
生きにくい気持ちと、生きやすい状況とかが混在してて何がどうとはいえないんだけど、
世界の平均値はたとえばそういう彼女を容易にはぐくみ安らがしてはくれていなかったのは確か。

でもどこにでも私たちの多様な切り口のどこかに共鳴していつも何かがつながっている。

ほんとうはそういうややこしいのもうんざりだと思う気持ちがあります。

あらゆる種類の切り口で様々につながるんじゃなくて、
なにものでもないものとしてあらゆるものと出会い、
全体としての全存在に共通する自分を共有していることで通じ合っていたい、そんな気持ちがあります。

来ては去っていった、なにものでもなかった自分たち、
いつかすべての関係性が消滅して、
ただ存在を喜ぶ瞬間が来るんでしょう。


それまでは世界の分離の波に連れ去られた自分自身を悼み、まだこれからも出会うことになっている自分自身を愛し、
大海に溶けゆくまでを味わっていこうと思います。



P3250890[1]

世界が始まる前から存在し、世界が終了した後にもあり続ける、シヴァ。

テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2012/03/25 23:02】 | 人間模様 | トラックバック(0) | コメント(0) |
およばれ
今日は、え~と、夕方からは主名の友達のメキシコ人のお母さんの招待で、そこの家に遊びに行きました。

私たちのほかは知人のイラン人のお母さんと子供2人の3人が来てました。

私はパーティーとか相当苦手なので、主名だけ送り込もうかと思っていたのですが、メキシコ人のお母さんも行ったら喜びそうだったので、
気を取り直して私も行きました。

まあ、よく知ってる人たち、子供たちだけだったので疲れなかったです。

私らは7時前にいったのですが、途中私とイラン人のお母さんだけ抜けたりもしましたが、結局夜11時くらいまでいました。

思ったのは、やっぱりババが亡くなってからはみんないろんなことを考えてるんだなあということ。

何をかというと身の振り方です。

スウェーデンやアルゼンチン、オーストラリア、マレーシアなどのほかの国への移住の話とか、ほかの国での福祉はどうだとか、そういう話がちょくちょく出ました。

私はそういうことはまったく考えなかったので、そうなのか~、と不思議に思いました。


スウェーデンとかよさそうだけど。笑。
でも私は寒いのと服をたくさん着るのは苦手なので。住むのは難しいかな。

ほかのお母さんは
「今スワミは私たちのハートの中にいるわ。私たちがどこへ行こうとスワミは一緒よ」
とか言ってましたが、

なんで私が動く気がしないかというと、住めば都といいますが、つまりはものすごくめんどくさがりだからかなと思います。

絶対耐えられないほどのものがないし、楽しいし、快適だし、と思える。

でも人によったらここは絶対耐えられないし、汚いし、つらいと思います。


それにババが亡くなってからプッタパルティの人々の熱気は下がったので、
そういう意味ですごしやすくなって、
以前よりもここが好きになってきました。

やっぱり一人のグルの下にみんなが集まると、全員が解脱してない限りは狂信的なムードは絶対起こってくるし。

でもババの肉体を私たちが失ってからはそういう狂信的なものに力を与える要素が明らかに減ったと思います。

それは、わたしとしては以前よりも楽に感じる部分です。


4人の男の子たちはずーーーっと遊んでましたが、さすがに11時近くなると疲れてきたのか鼻血を出したり負傷が多くなってきたので帰りました。

楽しい時間でした。

主名も「ああ、楽しかった」と言っていました。



帰りは雷が鳴り出し、少し雨も降りました。

そしてとても涼しくなりました。

テーマ:海外生活 - ジャンル:海外情報

【2011/05/31 05:09】 | 人間模様 | トラックバック(0) | コメント(0) |
げらげらげら。
大体いつも、夕食はウエスタンキャンティーンで食べて、そのあとアシュラムの門限の9時ごろまで子供たちを遊ばせて、大人たちはしゃべくって、というのが最近の日課になっています。

今日も、ようしゃべりました。

具体的な内容はかけないのが残念ですが、他の人にどんなとんでもないことを言われたとか、された、とかいうのが今日のしゃべくりのテーマのうちのひとつでした。

特に女性は、誰でも彼でもそんなことばっかりしゃべってます。
大きな声で言うととばっちりがきそうですが、特に長期滞在者って強烈なエネルギーと個性と、心の落ち着きのなさが特徴で(笑)話題には事欠きません。メンバーも適度に入れ替わっていくし。


げらげらげらげら笑って、誰かが言うには、
「わたし、本かこうかなっ。『サイババ家の人々』」

ぎゃー。げらげらげら。書いてーーー!!!

こうして夜はあっというまに更けていきました。
【2010/03/30 07:47】 | 人間模様 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サッチャギータ
昨日の夕方のバジャン後に主名を芝生に遊ばせに行きました。

なかよしのRくんも日本人の同年代の友達もいっぺんにいなくなったのですが、最近は4人くらいの8歳から12歳くらいのインド人のお兄ちゃんに混じって遊んでることが多いです。

インド人の子供たちは主名はわりとよくいっしょに遊んで、向こうもかわいがってくれてるし、少し大きい子供たちなので、ほかの子供たちが悪いことをしに来たらちゃんと、そのこの保護者にきちんと言いに行ったりも出来る子供たちなので、良かったなあと思っていたのですが、
私の天敵みたいになってる西洋人の家族がいて、あまりにもそりが合わないのでここ何年かはお互いを見ないようにするくらいで、それはそれで平和な日々でした。

西洋人の子供たちはインド人とはまた違った激しさがあって、西洋では普通なのかもしれないですが、私からすると攻撃性が強く思えて、でも、同年代の子供たちだし、主名もよく一緒に遊んだり、ときには呼ばれても「あの子達(インド人の子供たち)と遊びたい」と断ったりしてました。

そのインド人の子供たちと西洋人の子供のグループが仲が悪くて、私が見てる限りでは、西洋人の子供の男の子2人がよく、遊んでるインド人の子供たちを棒などで襲撃して、それにインド人の子供たちが反撃してけんかになってることが多いと思います。

思うに、親の、一般インド人に対する態度が子供たちにも影響しているというのはあると思います。

叩き合ったりとかも、半分遊びの状態もあれば、本気のけんかになってるときもあるのでいつも様子を見てるのですが、昨日は私が売店でお茶を買ってるときに主名がぎゃぁ~~~!と泣く声がしたので行ってみたら、西洋人グループの最年少の子供に棒で耳をきつくたたかれたそうでした。

小さい、3歳くらいの子供だったので、加減も分からなかったし、何がいいか悪いかも良く分かってないんだろうと思い、いちおう、「棒でたたかないでね」と言ってみましたが無反応で、多分、その子のお母さんが何がいいか悪いかをそのこに教えてくれるだろうと思い、主名の耳の様子を見てたのですが、お母さんと、その子の兄弟とか、ほかの保護者は単に立ってたので、子供どおしのけんかでも、その子は特にまだ小さかったし、主名はまだ号泣してるし、状況的にも形だけでもあやまってもらってその場を納めるのが普通だろうと思ったので、保護者に、「あの、そのこに耳を棒でたたかれたと言ってるんですが」と気楽に言ったら、彼女はすでに激昂してて、「インド人の子供たちが先に私の娘たちを押したからこの子が棒でたたいたと、うちの子供たちは言ってるし、私は見てないから何もいえないわ!!!何も言えないわよ!!」と、きました。

だめだこりゃ無理。と思って、OK,OK,サイラムサイラムと言いながら逃げましたが、さらにどんどん悪ものにされて、別の保護者(私と最高に仲の悪い家族のだんなのほう)が来て、棒でたたいた子供の激昂してる母親に「ね、だから彼らとは分けて遊ばせなさい(彼らは悪い子供たちだから)」と言いに来て、その母親は「そうね、まったくほんとにそうだわ」みたいな反応でした。

いつも仲良く遊んでるインド人の子供たちを棒などで襲撃しに来てむちゃくちゃにするのは激昂した母親の長男と、アドバイスしに来た父親の長男と思うんですけど(ひどいときは平手打ちしたりしてます)、インド人の子供たちは年が少し上ということもあり、よく、温和に対応してると思います。
基本的に、インド人はやさしいと思います。

このとき棒でたたいた子の家族とは別に仲は悪くなくて、ついこないだまで普通だったのですが、その家族は最近私と仲の悪い家族にべったりなので、たぶんいろいろ吹き込まれて、その家族を通して私らの悪いイメージが固まってたんじゃないかと思います。

でも、これが初めてではないし、そういう風に悪いイメージを広められたのも私だけじゃないので、慣れました。耐えられずにプッタパルティを去った人もいるようです。

最初はその悪いうわさを信じてて、でも、そのうち、そのうわさを広めてる当人がおかしいんじゃないかと気づいた人に、「こんなことを言われてるよ」と教えられて初めて、根も葉もないうわさを広められてることに気がついた人もいます。

プッタパルティは苦行の宝庫、だそうですが、こういう罠みたいなしかけもいっぱい出現します。

主名の耳は数時間後も赤く、少しあざになってて痛みも続いていました。

インド人の子供たちはそんなで、帰ってしまい、悪者にされて、わたしも話し合うと余計攻撃されそうなので単にその場を離れ、悲しい気持ちで座っていました。
「かえろっか?」と、主名に言うと、主名は「まだ遊びたい~」と、新たに泣き出すし、
「誰と遊んだらいいの~?」とかいって泣くので、
「ババに、いい友達が出来ますように、って祈り。」と、祈らせました。

すると次の瞬間、サッチャギータ、でしたっけ?ババのペットの小象が向こうのほうから芝生に向かって歩いてきました。

突然の象の出現にびっくり。

小象は芝生に到着すると、芝生の周りをぐるっと回って、サウスインディアンキャンティーンに向かう道を通って帰っていきました。

私と主名も、途中まで追いかけながら帰りました。


【2009/06/10 14:34】 | 人間模様 | トラックバック(0) | コメント(2) |
ババの、、、
今日、とある人にアドバイスされて、さっき、ババのある親族の家に行ってきました。
彼なら何か助けてくれるかもしれないから、行ってみるといいよ、と。

で、どういう風に嘆願したらいいかとか教わって、夕方のバジャン後にさっそくその家に出向いてみました。

バジャン後すぐに行ったら、7時半以降じゃないと帰ってこないといわれたので、それまで近所で時間をつぶして、7時半前に門の中に入れてもらって、待合室みたいなところで待たせてもらいました。
ほかにも待ってる人がいるみたいでしたが、何せ、誰が親族で誰がガードマンで誰がお客さんで誰がドライバーで誰が下働きで、とかぜんぜんわからないんですけど、いっぱいいた若いおにいちゃんたちは優しかったです。

結局8時半くらいまで待ちました。
ボスのお帰りという感じで、何人もの人たちがきちっと並んで出迎えてたので、私らもまぬけにそこら辺に立って出迎えました。

公的な話し合いを終えて帰ってきたらしいその目当ての彼に話しかけられたので、突然の訪問をわびてから、ある人に、あなたなら私たちを助けてくれるかもしれないといわれて来たこと、そして自分と主名の状況を説明しました。
プッタパルティに3年住んで、ここに永住したいこと(そう言うようにアドバイスされたのです)、子供がババの学校に行きたいと希望しているけれど外国人はテストが受けられず、願書すら受け付けてもらえないことなど。
前日、校長先生にも会ったことなども話しました。

話を聞いてくれた彼も、少し顔をしかめて、外国人は難しい、とか言っていました。

結局、彼も何もできなくて(それは分かってたんですけど)、最後にはパーマネントレジデンシャルをとりなさい。そしたら試験が受けられるだろう、とのことでした。

パ、パーマネントレジデンシャルですか、、、と、意外な提案にびっくりしつつも、何だそうか、と思い、とりあえずできる話は終わったみたいだったので、お礼を言ってその家を去りました。

パーマネントレジデンシャルって、つまりは永住許可ということですよね。
ビザの半年延長ですら半分裏でやってもらってるようなものなので、永住許可を取ればいい、といわれて、なんだそうか、と思うのも馬鹿な話なんですけど、なんか、そう思いました。

過去に、それをとった日本人がいたそうなんですけど、それをとった後すぐに亡くなったそうです。

まー、正規の試験を受けて主名が入学できるかどうかというと、まあ、それはまた別の話になってくるんですけど、なかなか斬新なアドバイスをもらったなあと思って、なんか楽しかったです。

今日、その家で待ってるうちに、2001年の正月に、この家で、今日話をした男性のお父さんと一緒に記念写真をとったことを思い出しました。
その時はたまたまその家に来て、オープンになってたから入ったら今日の男性のお父さんがいて、ほかの人もお父さんと記念写真をとってたので、100パーセントミーハーで、そのお父さんと記念写真を撮ったんですよね。
さすがババの親族、鼻の形がそっくりだなあ、とか横目で見ながら。

なんか、思いがけずそのお父さんの息子と話をするためにまたこの家に入るとは、なんだか奇遇で、何らかの縁があるのかなあ、とか思いました。

でもたくさんの人が毎日こうやって嘆願に来るんでしょうね?
嘆願されなれてる感じで、対応に無駄がなく、かつ、きちんと話を聞いてくれました。

VVIPも大変だなあ、と思いました。
その家を後にしてからの町の人たちの気楽に見えたこと。

そういえば、今日の午後は少なくとも8番くらいまでくじがあったみたいですが、私たちの並んだ列は1番くじを引きました。
列の後ろのほうに並んでたので、ホールに入った時点で一番いいところはもういっぱいだったので、ババを間近で見送れる区画の最前列に座りました。
そこの一列目に座ったのは初めてだったので、なんだか最近は初めての経験が多いです。

そこからはスタッフ席が良く見えて、先生席もすぐ近くなので、知人の先生なんかも見えちゃったりするので、いろんな役柄を演じているけど、こうやって同じようにダルシャンを受けることの面白さを、時々思うんですけど、今日も感じました。

今日も、主名の学校に関しては何も進展はなかったかもしれないけど、いろんな経験をさせてもらって、キーマンみたいな人に、会わせてもらったり、なんだか楽しいです。
遊ばせてもらってる感じです。

主名の学校のことを口実に、いろんな経験をさせてもらってるなあと思います。
【2009/05/21 01:27】 | 人間模様 | トラックバック(0) | コメント(0) |
500ルピー
日曜の晩にウエスタンキャンティーンで500ルピーわたしは渡したと言って、会計はもらってないと言って、その場は私は引き下がったのですが、その晩9時を過ぎてから会計が共通の知人を伴ってアパートまで謝罪に来ました。
「余分な500ルピーを見つけた。ベリーソーリー。」と言って。

あのとき、私と主名の夕食は42ルピーで、「今、これしか持ってないので、すみません」と言って、500ルピーと2ルピーを会計に渡したのですが、(細かいお金を持ってないとウエスタンキャンティーンではよく怒られるので)そのとき会計は、
「今、十分なお釣りが無いからだめよ。食べ終わってから来て。」と言ったのでした。
そんな雰囲気で。時間がたつと、他の人の渡した細かいお金でおつりが出来るので、そういう風に会計が言うのは普通なのですが、
目の前の箱には十分なおつりがあるように見えました。

その前に、会計のテーブルに食事のトレーを計算のために置くときに、私はあいてるところにトレーをおいて、それは列を無視した形になっていて、それですでに会計はちょっと怒っていました。
でも、小さな子ども連れはウエスタンキャンティーンでは列の先頭にいけることになっていて、私も子供の分とふたつトレーを両手に持っていて、列に並んで重さに耐える気がしなかったので、そのままそのテーブルにトレーを置いていたらしかたないというふうに計算してくれました。

それで、42ルピーで、わたしは502ルピーを渡して、お釣りがないから後でもう一度来て、と言われたのでした。

でも、そういう風に言われるときは必ず、何ルピー後で受け取るかというのを紙に書いて渡してくれるのが普通なので、「書いてください」と言ったのですが、彼女は「私は完全に、絶対に覚えてるから」と拒否したので、
わたしは「OK」と、その場を離れたのでした。

その日はすでにすごく疲れてて、他の人と話をする気力も起きなかったので、主名とその友達が一緒にご飯を食べたがって、主名の友達のおかあさんも一緒で、主名の友達のお母さんがさらに他の家族連れを一緒に食べるように呼んでいたので、わたしはこりゃたまらんと思って、
「ちょっと、すごい疲れてて一人でいたいから」と言って、主名をそこに残して(その時点で友達と離すのは不可能なので)別の離れたところで一人で食べようと座りました。

で、ふと思って財布の中を見たら40ルピーがあったので、これを払ってさっきの500ルピーを返してもらえばいいわ、と思い、会計のところに行ったら、すでに私のことは忘れていました。「いくらだったっけ?」とかいって。しかし40ルピーを渡して、さっき渡した500ルピー札を返してと言ったら、「あなたは渡してないわ。だって、今日はたった一人だけが500ルピー札をくれただけだから。あの女性が。ほら」と、その女性とお金の箱を見せられて、「あなたの財布をチェックしなさい」と言われました。

そんなはずはないと思ったのですが、私も証拠がないし、会計が完全に言い切るので、私も疲れてるし、ぼうっとして、一度はそのまま席に帰ったのですが、
引換券みたいなのを一筆書いてと会計に頼んで断られた事実を思い出し、やっぱり言わないと、と思い直してもう一度会計のところに行きました。

で、「わたしの500ルピーは持ってないの?」と聞いて、さっき自分が紙に書いてと頼んだことを言ったら、やっぱりさっきと同じで、「今日は別の女性が一人だけ500ルピー札で支払っただけだ」「自分の財布をチェックして」と同じことを言われるだけだったので、
「わたしはチェックできないわ。だって、いっぱい持ってるから」と、財布の中の500ルピー札の束を見せました。(オーナーを見つけたらアパートの家賃を払おうと思って持ち歩いているので)
またなんかがんがん言われて、多分中東出身のアメリカ移住者の、たぶん仕事もバリバリやってきたようなかなりハードな女性なので、疲れてるし、持ってないといわれたらもうどうしようもないし、500ルピーで全存在を否定されるような場に自分を置き続けるのもあほらしいのでので、「OK,OK,わかった」と言って、引き下がりました。

でも、その会計はわたしが完全に納得していないけどとりあえず引き下がったのでは納得がいかなかったらしく、駄目押しとして、その、唯一その晩500ルピーを支払ったという女性をキャンティーンの中から探してきて、その女性を連れて私の席まで来て、「どう?わかった?今日は彼女しか払ってないのよ」「わたしは会計の席を離れてはおけないんだから(それなのに、あなたの頭をはっきりさせるために並んでる人たちを待たせておいて、わざわざこの労を取ったのよ)」と言ってきました。
「OK、OK(早くあっちに行って。疲れるから)」と私が言うと、彼女は、「しっかりしなさいよ」という感じで、私の肩をたたいて、会計の席に戻っていきました。

食事の後、キャンティーンの外でまた主名とその友達を遊ばせてる時に、様子を見てて、たぶん会計に私がどこにいるのかたずねられた主名の友達のおかあさんが、「〇〇が、500ルピーのことを言ってたけど」とか言うので、
「ああ、あれはもういいいの。わたしはすごく金持ちだから」と半分冗談で半分本気で言うと、(ちなみにそのおかあさんは金持ちっぽいムードの家族で派手で目立ちます。)
「ああ、あなたは今日すごく疲れてるのにそのうえ500ルピーまで失って。。。500ルピーは少ないお金じゃないわ」と、同情してくれました。
「でも、私がまちがえてるかもしれないし」と、そのときはあんまり会計が言い切って私が間違えてるということを叩き込まれたので、私ももしかしたら自分の勘違いの可能性もありうる、とか思ってたのでそういいました。
「でも、〇〇が間違えたのかもしれないし」
と、その主名の友達のお母さんはあくまで私の肩を持ってくれました。

そのときはもうそのことはそれで忘れて、後は別の話しをしたりしてその日はそのまま普通にその家族と途中まで一緒に帰って、私はネットカフェでメールチェックをしてからアパートに戻りました。

実は、その会計がそもそもわたしに潜在意識でか顕在意識でか反発心を持って、私の存在を否定する気持ちがあるのは知っていました。
というのは、会計は主名の友達家族と親しくて、必然的に私とその会計が接触する場も多いのですが、わたしは自然に心が開く場合以外は話さないので、その彼女とは昔は話した事もあったのですが、全く共鳴しないようになり、今はお互いにお互いの存在を見ないようにしながら同じ場にいることが多くて、
それはそれでいいのですが、
主名の友達の家族は人間関係も派手で、人の出入りがむちゃくちゃ激しいので、
その、わりに顔も広くてある程度力もあるような、ババの祝福をふんだんに受けているように見える家族と、主名はともかくとして、愛想の悪い地味で貧相で英語もろくにしゃべれないわたしが一緒にいることが多いのが納得いかなくて嫌に思って違和感を持ってる人も少なくないと思います。

わたしはいつもだいたいその主名と友達家族と離れて座ったりしていたのですが、主名の友達のお母さんが、自分の友達が私に意地悪をしたり見下したりするのに気を悪くして、私のことをよく言ったり、多少宣伝したりするようなことを言って、自分の友達に私のことを認めさせたりすることが時々ありました。で、わたしがすわってるところにその友達家族が来て座ったりするようになりました。
なので、その友達や知り合いたちもこっちに来る羽目になり、私のことをよく思わない人にとっては気分が悪いと思います。

私は、悪く思われたり意地悪されるのはむしろ嬉しいときもあり、というのは、べつに仲良くしたいと思わない人に向こうから距離を置かれるのは気持ちがいいからです。
一人にしておいてもらえるほうがいいときも多いです。

で、主名の友達のお母さんがわたしのよさをその友人知人たちに認めさせるように働きかけて、びっくりして、ほんとに見直してわたしにこころを開いてくる人もいて、そしたら主名の友達のお母さんも気分がいいみたいでした。
でも、表面的には認めていても心の中では黒い気持ちになってる場合もあり、わたしはそのお母さんの人間関係にははっきりいって関わりたくないので、この前の日曜日にはやはりその家族がうちらのところに来て座ったのですが、それに伴ってその知人たちもどんどんやってきたので、わたしは主名がわたしの手にジュースをこぼしたから手を洗ってくる、と、怒ったふりをしながらその場を離れて、
手を洗って別の人の少ない場所に行って、一人で座ってました。主名だけこっそり呼んで居場所を教えて。

日曜の会計も、そんな、わたしと関わりたくないのに関わって目障りに感じてる一人と思います。
そういう背景があって、この500ルピーのトラブルが起こったのは明らかと思います。

晩に、その、共通の派手な知人家族のお父さんを伴って、そのお父さんの案内で会計がわたしのアパートまで謝りに来たときに、わたしと主名はアパートの入り口でウォッチマンの夫婦となんか、どうでもいいことをしゃべっていました。
会計はそのときは平身低頭という感じで謝り、おとうさんも彼女を擁護するように、今日の晩はみんなクレイジーだったから、とか何か言い、わたしももうすでに自分の中ではどうでもいいことに分類していたので、「ええ、わかります。だいじょうぶです。ありがとう」みたいに言って、会計は「今度は領収書をちゃんともらってね」みたいに言って(いや、頼んだんですけど、断られたんですが)、翌日の昼にわたしがキャンティーンに500ルピーを取りに行くことを約束しました。

翌日の昼、ノースで昼食を早めに済ませた後、人が少なくなった頃にウエスタンに行って彼女の会計のテーブルに行ったら、現金ではなく、なぜか440ルピーと書いた紙をくれました。
で、あなたの昨日の夕食は36ルピーだったから、とかいわれ、いまだに彼女は混乱してるみたいでしたが、さすがに、このときは言って、500ルピー札をもらってハーブティーだけ飲んで去りました。

どうでもいい出来事ですが、何が怒っているか、起こったかを把握しておくことは必要だと思います。

今朝のババはバジャンで引っ込んだ後にまた車椅子で出てきてホールをグルッと回りました。
【2008/07/15 15:17】 | 人間模様 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイラムマー
さっき、道端で
「サイラムマー。ハッピーハッピー、なんちゃらかんちゃら、ハッピーハッピー」
と言われました。
あの人は若いけどお坊さんと思います。アシュラムの行事で前で坊さん業を遂行してるのを何度か見たので。
知り合いのような顔で話しかけてきて、ついついわたしも知り合いのように笑顔を返しましたけど、人違いでもしたのでしょうか。
それとも、子供を学校にやり、キャンティーンで昼ごはんを食べて、ミルクティーを持ってネット屋に向かう私の姿がそんなにうれしそうだったんでしょうか!?
【2007/11/27 17:29】 | 人間模様 | トラックバック(0) | コメント(0) |
アーヤッパン?アーヤッパン!
アーヤッパン信者は真っ黒な格好をしているので、白い服装の人が多いアシュラム内で最初見たときは異様に思えました。

でもアーヤッパン信者だと知ってからはたまに歩いていたりする彼らを見かけると、草むらで珍しいバッタを見つけたときのようなちょっと楽しい気分になりました。

降誕祭前には何十人もの老若男女黒ずくめのアーヤッパン信者の群れがいて、それはさすがに圧迫感を感じました。

今日は道端で初対面のアーヤッパン信者が出会って、お互いに
「アーヤッパン?」
と聞いてました。

なんかアーヤッパン信者の生態に触れるとき、どうしても珍獣を見てるときのような心持ちで観察してしまいます。
【2006/11/27 16:14】 | 人間模様 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ダライラマといっしょ。
こちらで11年ぶりに会った知人が帰ったのですが、帰りの飛行機でダライラマと一緒だったそうです。
本人からじゃなくて私の実家に電話したら母が言ってました。

そんで、ダライラマにこっちにおいでと呼ばれてどこいってきたの?とか聞かれたり一緒にしゃべったりしていっしょに日本に帰ってきたそうで、後で他の人にあの人はダライラマですよと教えられてびっくりしたとかなんとか。

きっと知人はダライラマの昔むかしの知り合いなんでしょうね?

私も以前、ダライラマが好きで、今好きじゃないわけじゃないけど、昔はもっとミーハー的に好きで、北インドのダラムサラにも2回行って、一回は会えて握手したりしたことがありました。(一瞬ですけど)
主名を出産後1ヶ月くらい目に初めて外出したのも日本で行われたダライラマの講演会でした。

初めてここに来た11年前、至近距離でサイババと写ってる写真をもらいました。
他の人たちも写ってて、知人はきちっと美しく座って両手を合わせてサイババのほうを向いてました。
隣のわたしは立てひざを抱えて、いかにもぼけっとした顔でサイババを振り返って、たまたま見てる、といった風情。もちろん口は半開きだったと思います。

知人は今回、初来印のだんなさんと来たら、たまたまアティルッドラマハヤグニャ中だったりと、間のいい人っているんですよね。

Kさんまたなんか面白い話しあったら教えてくださ~い。
【2006/09/09 16:25】 | 人間模様 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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