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地震と子供
先日淡路島震源でM6の地震があって、神戸にいる弟のとことかはかなりゆれたみたいで、兵庫の山奥の実家でも震度4だったそうで、長く揺れたといっていました。

しかし子供は寝てて地震に気がつかなかったらしく、

「よかったな」というと、

地震を体験してみたかったと残念そうでした。


横浜にいるときとか、震度2くらいの小さいのはあったとおもうけど、震度4は幸か不幸か体験したことがないので、
体験してみたいらしい。


ああないものねだりだよねー。



私の母に、せっかくある程度できるようになっててもったいないから、日本でも子供に英語と何か音楽を習わせてくれと私はいっていて、

去年の時点でECCに春に来てくれといわれたからと母はいって行かせてなかったのですが、

春になってまたわたしが言うと、聞きに行ったらすでに定員でキャンセル待ちなので入れるまで長くかかると言われたと言っていました。


実家の人たちも子供にあまりかかずらわれないので、特に外に連れて行くとか。

ECCも、子供にバスに乗って一人で行かせるように予定していたのだけど、

わたしはむしろそれがいいと思っていて、
だってもう一人でどこでも行けるはずだから。
インドでも慣れれば一人で来させるように訓練したらいいと思うし。

英語はとりあえず白紙、一人で外出訓練も白紙。



実家のあるとこは田舎なので、駅まで車とかでないと出て行けないのです。

なので、この春休みも子供は結局どこにも行かなかったらしく。
(子供を外に連れて行ける暇と能力のある人が実家にいなかったらしい)


まあ、時にはそれもいいのかもしれないけど、

どうなんかなと思って。

わたしは子供をこれでもかと連れまわすほうだから。



話は変わるけど、一番上の弟が先日奄美大島から引き上げてバリに働きに行ったらしく、

ちょうどバリの飛行機が滑走路をオーバーして海に落ちたニュースをやっていたので、
弟のことだしその中にいてもおかしくないなと思って実家に聞いたら事故の少し前に出たからたぶんセーフやなという話。


バリの仕事を始める手続きがなかなか順調でなくて停滞し、イラついていたらしいので、
弟、バリに行く前にプッタパルティに気分転換に来たらいいやん、と母に行ったらなぜか怒ってた。


ついでに1週間くらい子供つれてきてくれたらいいんだけどとはちょっと思ってたんだけど。


先日大量に送ったインドのお菓子の箱は無事届いたらしく、無事と言うか、箱は壊れて空港で白い布に包んでもらって届けられたらしいんだけど、

中身はほとんど大丈夫だったらしく、大量に送ったウエハースとか、2番目の弟とその奥さんに分けたり、

今日はワダをつくって食べたらしい。(ワダの粉とかの食材も送った)

インドの味とはちょっと一味違ってたらしいけどおいしかったと言っていました。



で、子供がわたしに源氏パイを送ろうと思いついたらしく、母に言ったら一個だけ送るのは高くつく、と却下されていたので、

わたしも、お菓子はこっちにいっぱいあるし、あんまし食べたらわたし太るからいいわ。と言ったら本気でウケて笑っていた。


なので、「はがき頂戴。はがきだったら100円くらいで送れるから。」
私も送るわ。と言ったら「ありがと」と言っていました。


子供のことは正直普段きれいに忘れてるんですが、忘れられてるとは思ってほしくないので、向こうにとっては実はありがた迷惑かもしれないけど、なるべくいろいろ働きかけるようにしています。

ありがた迷惑なくらいのほうがいいかなと思って。



子供の父親もせっかく子供と関われる立場にいるのに放棄してもったいないと思います。

環境に促されて少しいい感じで関わりかけていたんだけど。生活や勉強に関して。一緒に遊んでやったりとかも。


しかしながら自分の意志や責任感とかでは残念ながらいいかんじで関わる能力は持ち合わせてないみたいです。

そういう世界の統合の仕方が想像つかないし、よいものと認識できないのかもしれないなと思います。

人は外から変えられないし、無数の要因が絡み合って一人の人間をそこにそのように現出させていく。




子供はまだ3~4歳くらいから将来の夢はいいお父さんになることとか言っていて、
なんとまだ見ぬ自分の子供のために何か用意したりしていました。

これもないものねだりなのかな~と思いますけど、


いろんな物事の促され方や方向付けられ方があるものだと思います。



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【2013/04/14 21:25】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
おかあさんなにもの?
子供のことがなかったら日本に行く理由がないのですが、

先日実家に電話して、もうじき日本に1ヶ月くらい行こうかな、まだわからんけど。とか言ったら

それなりに子供が嬉しそうな様子だったので、行ってもいいかなという気になってきました。


タイムマシンとかあるのかとか聞かれたので、イタリアにあるみたいやで、と答えると、
「えー!?」とかいってどこかに行って、

しばらくして戻ってきて唐突に、

「おかあさんなにもの?」

とかいうので吹き出した。



いなくなってる間に、私の弟にネットで「タイムマシン」「イタリア」とかで検索させたらしいけど出てこなくて、
弟がそのように子供に言ったらしい。

「「ダマヌール」で検索したら出てくるで。タイムマシンは載ってないと思うけど。」

と言ったらまたどこかに行った。



こどもにそういう話をして、
「でも、学校の子に言わんほうがいいで。みんな知らんから、うそついてると思われるから」
と、言っておきました。



テレポーテーションもできるみたいやで、とかいう話になって、


タイムマシンで過去とか未来に行った人いるの?

とか聞かれたので、

行ってるみたいやで、と答え、



でも、ほんまは自分の中に全部の宇宙があるから、過去も未来も全部自分の中に見れるんやでとかそういう話になり、

子供は納得しているかのように聞いていた。



子供が「スギちゃんて知ってる?」とかいうので、

「知ってるよ。けがしたんやろ?」
というと、

「え~~!なんで知ってんの?」
とかいうので、

インターネットでニュースなんでも見れるもん。知ってるよ、と話し、



子供が「いじめで自殺した子がいるらしい」とかいうので、

「あんた、よ~テレビ見とんな~」
と答えると、

私がいつもあんまりテレビ見すぎるなというので、非難されたと思ったらしく、


「じいちゃんが見てたから、ちょっと見えてしまった」
と、私の父のせいにしてました。


で、
「あれはみんな劇やから大丈夫。ママ前そういっとったやん」
とか言ってました。

まあ、深い意味ではそうやろけど。

インドにいるときも、理不尽なことがたくさん起きますけど、そういうときには子供に、ホントはみんな神様やけど、いろんな劇して遊んでるんやから、あんまり本気にせんとき。

神様が劇してるだけやからな。

とかわたし言ってたような記憶が。


自分に言い聞かしたいような感じではありますけど。



あと、日本で子供がAKBとかのものすごい教育上悪そうな番組に魂を奪われて食い入るように見てたりしたので恐ろしくなって(それが現実として心象に容易に焼きつくから)

私がずっと監督できないので、
テレビはみんなうそやし劇やから、これがほんまやと思ったらあかんで。と、釘を刺してインドに行ったのでした。


いじめで自殺の件に関しては、
「でもインドの学校であんたほかの子に叩かれたりしとったから、日本の学校の子~らはみんな優しいやろ?」

とかいってみると、
「うん。。。」とか煮え切らない感じでまた消えた。


それなりにいろいろあるんでしょうけど、日本の学校は楽勝だと思います。

ただ、いじめ方がインドとは違うだろうけど。

インドでは上級生に囲まれてぼこぼこにされたりしてたみたいで、

「むかつく!」とかいってカンカンに怒って学校から帰ってきたりしてて、全然勉強どころではなかったときとかもあったり、

ノートとか消しゴムとか鉛筆も普通に取られまくりだったし。



日本だともうちょっと質が違うんでしょうね。

ばい菌扱いされたり、そんなかんじ?



インドだと色白で高級感かもしだしてるふうに思われるけど、日本だと逆に色黒でばい菌ぽく思われたりもするんでしょうね。



相対世界の妙ですね。



今朝、水星のプージャとして、ミーナクシテンプルでのプージャをしてもらいました。

物事が決められなかったり判断できないとかって、エネルギー不足とかあると思います。



今日はプージャの影響と思いますけど、すごく明晰な感じで目が覚めたようでした。

で、外に漏れてたエネルギーが体の中にはいってきたような感じがありました。



そのうちものすごく胸が苦しくなって、それが今も続いています。


また、たぶん世界の状況を感知してしまってる面があるんじゃないかと勝手に思ってるんですけど、

ものすごく胸が苦しくふさぎます。

元気は元気だし、痛いという感じではないけど、とにかく苦しい。



夜には、今住んでるとこの前に住んでた部屋の部屋代を払いにオーナーのとこに行きました。

前住んでた部屋は今は空き部屋にしてるんですが、なぜかずっとキープしてます。

4年も住んだので執着や愛着があるというのもあるでしょうし、
そこは超ラッキー部屋と思ってるので、なにかキープしといたらいいような気がしてるんだと思います。


でもその部屋の部屋代、もう、何ヶ月も払ってなかったんです。

オーナーはアシュラムに住んでて、ウエスタンキャンティーンの行き帰りの道沿いなので、いつもオーナーの部屋の明かりがついてるのを見てて、

払いに行こう行こうと思いつつ、なぜか全然いけなかった。



でも今日の朝プージャを受けたのが効いたのか、今日は足が向いて払いにいけました。


私の状態が悪くて、接触できなかったんだと思います。

遅くなったお詫びを言って、1年分まとめて支払っておきました。




このオーナーは穏やかでとてもいい人で、
アシュラムの中の建物の設計とかしてる建築家?で、アメリカとインドを行ったりきたりしてるので、家賃は抜群に安いし、ほとんど、奉仕でプッタパルティにアパート経営してるようなものだと思います。


家賃を払いに行くたびになにかパワースポットを訪れたかのようないい状態になる。


なので私も家賃を払うときは何かアシュラムに寄付してるかのような気持ちになります。


今日はオーナーは風邪を引いてましたが少し話して、家賃を払って、
おいとましましたが、お寺で祈ったときのような細胞がざあっと活性化する体感がきました。



そういう風に、接する人がよい状態になっちゃうように、私も精進して自分をまずはいい状態にしよう。


今住んでるアパートの家賃も半年分くらい前払いしておこうと思って、お金を下ろしてきました。

お手伝いさんの給料も、数か月分前払いしておこう。



お金を放出するのは好きです。



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【2012/09/06 01:32】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
もう昨日になったけど。
少し前に子供が夢に出て来てたので、電話しようしようと思いつつ、今日(というかすでに昨日だけど)電話してしゃべりました。

前回電話したときに、今、も、これからも、主名の友達や知り合いが続々とプッタパルティに来てたので、そういうことをいったら

「ふ~ん。。。。。」と、詰まらなさそうな、不満そうな反応だったんですがいつも。

やっぱり日本では全国にいろんなとこに住んでるので、こっちでしか会えないような友達というか、ここでだけ会ってる友達とかたくさんいるので。

そういう日本人の子供とか、大人でも知り合いが来たらいつも大喜びだったので。



夏休みに来れたらよかったな、とわたしがいうと、

「でも、お金が足りない。。。」とか、「夏休みの宿題がある。。。」
とか返事するので、

うわ~、なんか日本にはまってるなーってかんじがして。この、何やかんや理由をつける心理ブロック?

お金がどうのとかいうのは私の母が「あんたも、そんなしょっちゅう日本に帰ってくるとか考えずに(そんなんにお金使うぐらいなら子供の歯の矯正に使えということらしい)」とかいろいろ私に対して言うのを聞いてたり、
そういうので得た認識というか洗脳。。。なんだと思うんですが、


まあ、日本的な?価値観というか。

私とは優先順位が違うというか。



「もし来たかったら来たらいいんやで。お金は出したげるし、宿題もこっちの学校にいくんやったら別にせんでもいいやん」

とかいってみて、

でも、さすがに一人じゃこれないので、

「一人じゃ無理やな~」ってかんじで。



今日も、「もうちょっと飛行機代安かったらいいのになぁ」とか分別くさいこというので、

だ~か~ら~、

「お金は問題じゃないから、来たかったら来たらいいんやで。出したげるから。どうする?」

とかいってて、

子供は「え~、どうしよ~かな~~~」
とかいってて、本気でちょっと来たそうだったんですが。
声の感じで。こっちにはこっちの友達の子供たちもいるので。


まあでも私もそういったものの、実際今は今となってはタイミング的にちょっと無理っぽくて、夏休みにこっちに来てたら子供も楽しかっただろうにとは思うのですが。


「でも、日本のほうがまだ面白いんやろ?新しいことばっかりやし」
とかいってみると、

「う~ん。。。」
とかいってて、まあ、ヒマはヒマみたいです。

電話してもいつも大体ドラえもんのマンガ読んでる。



今日、「なんか言いたいことある?」と聞いたら、何やかんや話すんですが、
今私がどこにいるか聞いてきたので「プッタパルティやで」といったら
「え~~~!」
とかいって、(前はラーメーシュワラムから電話したからか?)


同じアパート?引っ越してない?とかいうので「同じとこやで。○○の上」と言ったら
「知ってる」と答えるんですが、ほかにも何やかんやインドの近所のことを話して、
そしたらビジュアル化して思い浮かんだらしい。

なんか、夢を見たらしいです。
アパートに行こうとするんだけど、道がわからなくて、いくら歩き回ってもたどり着けなかったらしい。

日本のムードになってるしなー、こっちの雰囲気も忘れてきてるんだろうと思いましたが、

自分のおもちゃはまだあるかと聞いてきて、(いつも聞いてくる)
ちゃんと置いてあるというと安心するんですが、


で、今日は、さらに、歯医者に中学生くらいまで通わないかん、という理由まで出てきました。

これも母がそう子供に説明してるんだろうと思いますが。
子供はとにかく信じやすいので。
それが事実と思うんですよね。

子供が、受け売りだと思いますが
「日本の歯医者さんのほうがいいから」
とかいうので、

「そうでもないで。インドの歯医者さんのほうがいいで。みんなアメリカで勉強して帰ってきてるから」
と私が言うと「え~~~!?」とかいうので、

「もしほんまにインドに来たいんやったら、日本の歯医者さんに、インドの歯医者さんに手紙を書いてもらったらインドの歯医者さんで続きしてもらえるから。問題ないで。」
と、説明しました。

実際、少し前に通ってたバンガロールの歯医者とかは平均的な日本の歯医者よりよっぽど腕も技術もいいと思います。
日本で今まで10件以上歯医者に通った私が言いますけど。


なので、母から子供の歯の矯正を歯医者で「今やるのがいちばんいい」とすすめられてると聞いたときも、
もしかしたら10月くらいにインドにまた連れて行くかもしれんから、ということで保留にしてたんですが、
インドの歯医者のほうが上手で安いかもしれんし、と、私が言って。

母は、でもどうにもこらえられんかったようで、矯正のための検査に続いて何か作りはじめたようです。
支払いは分割で、だって。
その入れ歯みたいなのが出来上がるのは2ヵ月後らしい。

で、作るといったら歯医者がすごい嬉しそうだったとよい知らせのように晴れやかな感じでいっていた。


うちの母は子供を中学卒業くらいまでは日本にいさせると最初っから心に決めてるみたいで、
まだ、どうなるかわからないと私はずっと言っていたんですが、

子供にはそう言い聞かせてるようで、子供も誰かに聞かれたら「中学生までは日本にいる」と答えるようになってたみたいで。

ほんとは去年子供を置いて私だけインドに戻ったときに、3月にはまた来るからと子供には言ってて、
子供も、それやったらいい、ってかんじで日本に残ったんですが、

私は3月には日本にいけなくて、

6月にも行くといってたんですけどやっぱり予定が変わって行けなくて、
子供は8月の夏休みにはインドに行くといってたんですがそれも来れなくて。


結局丸々8ヶ月お互いの顔も見てない状態。
私は時々スカイプ提案してるんですけど実現せず。


母としては子供に日本の生活に集中させて、適応させたい気持ちもあるんだと思いますが。

最初のうちは私としゃべるとインドへの里心がつくから?よくわからないけど、なんか電話もろくにしてませんでした。

まあそんなこんなで8ヶ月ですっかり日本にがんじがらめになった子供。

インドに来ない理由に「まだ日本語ももうちょっと。。。」とかも言っていたので、
「ああ、もうちょっと日本語しっかりやりたいんやな?」
と私が言ったら子供は「う~ん。。。」とまた煮え切らない返事だったので、
これも母の「日本にいなければいけない」という洗脳の受け売りかな。。。よーわからんけど。


私が去年日本を離れたときに比べると見事に実体の無いさまざまな心理的ブロックが主名の中にできてたので、

「お金は出したげるから問題ないし、学校はこっちのに通ったらいいし、歯医者はこっちの歯医者で続きができるし、来ることには何にも問題はないんやで。でもあんたが日本がいいんやったら日本におったらいいし、
インドに来たかったら来たらいいし、あんたがどうしたいかや。どうする?」

と聞いたら
「じゃあ。。。あと1年ぐらい日本にいようかな。新しいウルトラマンも始まるし。」

との返事。


まあ、分別のある、賢明な選択でしょうね。


それを聞いて私は正直肩の荷が下りたような気がしました。


去年わたしが子供をとりあえず3ヶ月のつもりでなすすべもなく日本においてインドに戻ったすぐあとに母と電話したらなぜか
「あんたも早めに子離れしたと思わないかんで」
とか言われて、まあ、母は日本に前から子供を居させたかったようなので、と言うのは学校とか日本語とかの心配で。

子供がインドに戻れなくなったときには母は内心、望み通りになったという感じもあったかと思うんですが、

で、インドに戻ってももう子供はインドには合わないと思うとかそんなことも言い出して。


私としては子供はすでにインド暮らしのほうが長いし、(8年中ほぼ6年インド)

合わないことも無いだろうし、日本の感覚からしたらインドでは教育が受けられないと思うみたいだけど、
そんなこともないので、まあ、日本の小学校よりそうとうシリアスな雰囲気ではあるけど。授業とか。

インドというかプッタパルティに居るときの方が子供は存在感があって輝いてる感じなので、
まずはそういう感じが私は何より大事だと思うので、

そのほかのことは自分の中で優先順位があとなので、

何はともかく、子供のためにはプッタパルティに居させるのが一番いいことだと思ってきました。



なので出来るだけのことをしてきたのですが、
そしてそのことについては迷いは無かった。


でも、その人の魂にとってどこにいて何をしてる、どういう状態で居ることが一番その人の光が透明に輝いているかというような私の見るところの優先順位の迷いのなさと、

その人の顕在意識が何に興味があってどのようなものを選んでどのような状況に自分を置きたがるか、
ということがここ何年、特に身近なとこでは一致しないことが続きました。

そうなると、いちおう止めたりとか勧めたりとかしてみるんですが、
最終的にその人がそう決めて選んだんだったら「そうですか」と言うしかないという。


悩ましいのは、たぶん私がそういう迷いのなさを持っているから、
周囲の身近な人たちというのは私と関わってるという時点でいわば私に巻き込まれたような形になっていて、

したがって彼らの決断もすっきり独立して、というのではなく、私以外のいろんな要素に巻き込まれつつ、そのようにほかに巻き込まれた結果として私から離れるという形なので、
身近な人たちの輝きと透明度がさらに上がることを望んでいた私としてはそれが残念ではありました。


でもみんな、他に自分を巻き込ませて輝きを落としてでも離れる必要があって、それぞれの犠牲をはらって離れてくれたと言えないこともないのかもしれないです。

その結果私は自由になり、

サポートし続けられなかった残念さや、充分役割を果たせなかったなどの自責の念などが解けて消えてしまうと後には
重荷のない自分が居ます。
(充分輝きが定着して、それを見届けるような役割を果たせたらどちらにしろ、やはり重荷ではなくなったと思います。私としてはこちらの重荷のはずし方を望んでいた)

そして彼らが、たとえいろんなものに自分を巻き込ませた結果だとしても、やはり彼ら自ら決断をした時点で私はそれ以上は深入り出来ない領域へと分かたれたんだと思います。


でもそのような選択をした子供や、縁のあったほかの人たちは別の現実に引き込まれたけど、
私に対しても本当はもっと巧妙に、エゴに直面しないでいられる方法で、エゴを刺激しない眠らされたままの状態で私のほうにうまく引き込んで欲しいと思う気持ちがどこかであったのかもしれません。

でもその点に関しては私は無力で、
たくさんの長さの違うロープに地上につなぎとめられた気球のように、

ほかのロープがどれほど長くても、一番長さの短いロープが気球の上がる高さを決めてしまう。


そしてプッタパルティに来るということは一時的にしろいったんすべてのロープをはずす必要があるということは、
ここにきたことがある人ならなんとなく感じるのではないかと思うのですが、


そして飛べることを知った気球は自分がその目的のために作られたことを体感して知ることができるのですが、


再びいつしかまた地上に降りたときにはまた長さの違ういくつものロープが取り付けられ、



気球は自分が作られた目的に意識を置くのではなく、
むしろ飛んでいかないようにロープを大事して依存する。


時には短すぎるロープは窮屈だとしてはずしてより長いロープにつながれていることに満足したりすることもあるけれど、

そうしてどのようにつながってバランスをとるかにすべての興味を注ぐ。




大空で風に吹かれて広がりとひとつになり、作られた目的、、、そのようにあることそれそのものを楽しむことを体現するときはいつ?



でもきっといつかそれぞれがそれぞれのタイミングで自らを解き放つのだろうと思います。



気球が気球であるためには空にあるときと地上にあるときのどちらも必要なんだけれども、

いったん大空へ浮かび上がってそれを体感したならば、大空にあるときも地上にいるときもどっちにあるときもその作られた目的は「このためだったのか!」と体感として忘れられないものになるはずだと思います。




なにが優先なのかということはそういうことだと思います。

大空とひとつであることが気球の根本的なアイデンティティであるということ。




ここは、それを体感させてくれる場所のひとつなのでした。



そしてここでの体験は決して非現実的なものではなく、ここでの意識状態も幼稚で未熟なものでもない。

地上の複雑さこそが不思議なもので、それがあることは必然だけれども、大地の上の気球が大空の中に浮かぶ気球を幼稚で低能な状態としてあざ笑い、地上との調和がなくて唐突過ぎると否定するのはおかしなこと。

何のために作られているのか、
それはもともと大空を楽しむために作られている。


それさえ覚えているならば、地上にいるときの意義や楽しみもあるというもの。



地上にいるときも私たちは大空の体感を分かち合える。


そのとき地上も空の一部となる。



わたしは、わたしたちはそのように大空をまとって地上を歩くものでありたい。



地上のすべてに空はしみこんでいて、地上のすべては大空の中にいだかれて存在しているから。





まあでも、いろんな母からの意識ブロックを一つ一つ私が無効にした後に、そういうふうに、インドに来るのなら何も問題ないのだけど、子ども自身がどうしたいのか聞いたら、子供はそういう風に、あと1年くらいは日本にいようかなと言って、

それには現時点での子供の本心を聞いた気がしたので、
了承して、

もしもっと大きくなってインドとかほかの国に行きたくなったら来たらいいやん、とかいう話をして、


子供もなんとなくホッとしたような感じがしました。



そして私も何か責務から開放されたような気がしたのでした。



私は子供に対する執着がもてないことはわかっていたので、自分でもそれが心配で、

それは自分の性質としては仕方なく、子供が赤ちゃんのときにもよく、子供が次の瞬間死ぬとかそういうシュミレーションをしてました。執着してないかチェックするために。

で、子供といてもいつもいない状態の自分を思っていました。

子供にとっては、知らないとはいえ迷惑な話だと思いますが。笑

ということは執着してたんだと思いますが。

だから執着ではない部分での本質的なとこの共鳴度を上げることをいつも心がけていて、それで、あまり他からの干渉やバイブレーションは自分と子供の間に入れないようにしていました。


子供を中心にして愛情をかける執着の形ではなく、義務や責務の形で私は子供からの縛りを感じていました。
しかしそれは私の個人性を強化するのには都合がよく、
苦しいながらもその縛りに支えられて安楽でした。


去年子供とはなれてからはその責務への私の執着が自分を苦しめていた面もあったかもしれません。

本当にその責任感を手放していいものかどうか、なかなか見極められなかった。



私は人間関係においてそういうものを自分で勝手に背負ってることがあるいは多かったのかもしれません。



元だんにしろ、ほかの人にしろ。



それは自分にとっては時には何らかの責任やサポートを依頼されて受け入れた形であったかもしれないけど、
それは変化していっていつしかとどこおりなく開放される種類のもので。



タイミングを見きわめないと、奉仕の状態であったはずのものが力関係によって執着とコントロールへと変質してしまうことは容易なので。



奉仕は相手に与えることで自分が満たされるタントラ修行ですから、いつかその関係は終わるときが来る。


そしてその後は他人の姿をした自分自身に奉仕する軽やかな、純粋な喜びのみの世界がもたらされる。




あとで母に電話が戻って、
母はなんだかんだいって、私の手から離れた孫の世話を一手に引き受けてることで、ものすごい張り切ってて生きがいというか、張り合いになってると思うのですが、

いつも主名の世話についてや彼の状態や状況について誇るのですが、
たとえばインドにいたときは栄養失調だったけど日本に来てからすご~く大きくなったとか。笑

今まではそのように私に対する負けん気みたいなものがあったように思うのですが、

子供と話して子供が当分日本にいようかなと言って、私がそれを了承して元気付ける会話をした後、

母の様子も少し変わって、



弟たち(私の)が主名の相手をしてくれたりしてるのでよかった、自分だけでは無理、とか、

主名がおじいさん(私の父)をおちょくるので笑えるとか、

シュナがガナパティプラールタナのヴェーダチャンティングを私(私の母)に教えてやるとかいうので逃げ回ってることとか、

シュナは面白いわ、ということを素直に気負いなく(私への虚勢や負けん気でなく)話していたように感じました。



私が場合によっては子供をまたインドにつれて行く気がある(というか最初からずっとそうだったのですが)ことに対する警戒心が解けたような感じでした。


そういう警戒心や反発心は母はわたしに対してずっと持っていて、

子供のころから
「あんたは私の母親や」
と、わけのわからないことを言われてたのですが、

何かしら悔しい気持ちが深いところに、おそらく過去生から連綿と続いていたんだろうと思います。



だからほかの人に対しては私はある種の誇れる看板としての子供だったのでしょうけど、
母は愛情が自分から私に一方通行だと感じていてしかも否定されないにしろ母が心の底で尊重して欲しいと思っていた人格というかありのままのすがたを私から尊重されない思いで恨みもあったかと思います。


とはいってもありのままの姿ではなく母は献身的な母親としての姿に完全に没入してたので
子供の私には提示されたそのような母親像を受け入れるしかなく。


それは私の存在に対してある意味全面的に依存して自分を失っていた母と、そのように持ち上げられ、ある種のワンダーチャイルドとしてまるでSAWAKO教の教祖のように世話されていた私のカルマであり、ひとつの2元的な執着により維持されていた関係性だったのだと思います。

(今、日本でも霊的な子供たちに依存する献身的な母親も多く、それ自体良いとか悪いとかではなくて、私の場合もそういう家庭レベルのカルトを経てきたということです。よくあることだと思う。)


母は母として私は子供として完全にその役割を演じていたかもしれないけれど、


約17年前にともにインドに来たときに、サイババというより包括する場の中ではその役割によるくびきがゆるんではずされ、

そのとき役割としての母は母としての2元に基づく奉仕修行を終え、私も子供としての私として母を守るという責務を終えました。
(多くの子供たちは世話されることで親や関係者をその意識の中で守っている)



その後は魂に刻まれたいびつさや滞りがそれぞれのペースで修正され続けてきたんだろうと思います。


母が主名の世話に執着して、主名もそれを心地いいと感じているならばそれはそこにやはりやり残されたものがあるんだろうと思います。


主名は私とずっと一緒にいることでやけに独立した子供になりましたが、
というのは何もかも自分でやらせていたので。
時にはお使いとかはもちろん、足を踏んでもらったり、私の用事もたくさんやらせていた。
その代わりといえるかどうかわからないけど、いつも一緒にいて勉強やヴェーダを仕込んだりしていた。

母は逆にすごく世話を焼く人なので、そういう風に、いかにも子供として何もかも世話を焼かれることも時には魂の安楽やバランスのためには必要なのかなと思います。

母は母で、主名のような独立した子供の世話はしたことがないはずなので、
5人の子供を育てたといえ、同じようにはいかず、

私を含め弟4人をたたいたりしたことはなかったですが、
思い通りにならない主名にはそっこーキレて手とか叩いてました。笑



ということで、主名と母の間にも解消されるのを待っていた魂の縁というか滞り、遣り残されたことがあり、今彼らはそのチャンスを得たのだろうと思います。




縁やカルマは無数にあるので、何もすべてをたどっていく必要もないとは思いますが、
カルマも人生を彩る持ち駒のようなものなので、

そのカルマは苦しみやわずらわしいことに味つけされて甘さを増した地上の楽しみなのだろうと思います。



この強い中毒性の味の現実を味わってるときには天界の軽やかな味は現実味がもてないので、
ひたすら「待ち」ですね。



そうしてわたしもどこかで待たれているのかな?

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【2012/08/15 07:22】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
電話でこどもと雑談
今日も実家に電話してみたら子供は寝るとこだったみたいで、布団の中から起きてきて延々としゃべりました。
しかしよおしゃべる子やな。

こういうのも反抗期までなのかもしれないけど。

私、自分が極端に無口な子供だったもんだから、子供にはよくしゃべらそうと思って、
小さいときから意識してしゃべりかけまくって気持ちとか引き出しまくってたら必要以上に?よくしゃべる子になってしまった。

「冷蔵庫持ってる?」
というので
「もってるよ」
というと、

「冷蔵庫に物たくさん入ってる?」
とかいうので
「入ってる」
というと、

冷蔵庫に物を入れすぎると冷蔵庫の中が熱くなるということを注意?された。8歳の男の子に。

テレビでやってたらしい。




夏休みは料理をつくることと、理科工作?と、プールにたくさん行くことを目標に?してるらしい。

自分の顔は他の子とちょっと違う。。。とか言うので何でか聞いてみたら、

みんなは白いけど自分は黒いから時々他の子に「黒っ!」とか言われると言っていました。

冬も越えてもう9ヶ月以上日本にいるのにまだ黒いんか、さすがインドの太陽。と思いましたが、

でも、日本だったらわざと日焼けしたがったりするし、特に男の子なんかは。

日本ではみんなふつう、みんな日焼けしたがるで。わざわざ日焼けしに行ったりするもん。と言ったら
「うそ~~~!?」
とか言ってましたが。


まあ、でもあんたはもとは白いから。ととりあえず事実を言っておきました。
インドの太陽は強烈やから、とも。

でも確かにたまに日本の日本人見ると白いなーーー!と思います。



インドでいつも白い顔、白い顔とうらやましがられ、黒いと言われたことなんかないから。ショックだったのかも。

で、実は主名自身、平均的なインド人よりも白いことにちょっと優越感持ってたんですよね。
(周りに白い白いと言われ続けてそういう価値観持ったらしい)

そんで、インドではもし黒くてもそんなこと誰も面と向かって言わないですもんね。わりかしシリアスな話題だから。
お見合いの条件に肌の色とかつけるお国柄だし、
しゃれにならんもん。

日本やなー、日本におるんやな~~~!と思いました。


3日連続で電話したらもうしゃべることないかと思ったけど子供はどーでもいいようなことを延々としゃべっていた。

ブラックホールの中ってどうなってるんやろう?とか。
ブラックホールの中って剣(TVヒーロー?)がいそう。とか。

もうすぐ夏休みで教科書とか持って帰るんでランドセルが重いとか、
プールが地獄みたいに寒いとか、でも先生がプールに放り投げてくれたとか、(←たのしいこと)
ラジオ体操はめんどくさらしいとか(未体験)

学校からの帰り道、太陽も空気もどっちも暑くて倒れそうになったとか、

実家の外の夜の闇の中にドラキュラが出そうとか(山の中の家)

今私がいるアパートの階段は暗くてきれいじゃないとか。(ほっとけ)


最近は私がインドの話すると子供は大体なんでも「いいな~~~」というニュアンスの反応をするのだけど、
ごめんて感じやけど、まあ、しょうがないよね。

でもそんなんだから、日本もなれて、周りが見えてきて、こっちのことも知りたくなってきて、電話も長くだらだら話すようになってきたのか。


携帯からの電話で(インドの携帯からだと今1分12ルピーくらい)毎日500円くらいかかったら結構な出費だけど、まあ、致し方ないか。



私の5年前の分厚い携帯をスマートフォンにして、ネットにつなげてスカイプから家の電話にかけたほうが安いかな。
(スカイプ同士だったらタダだけど父か弟がいないと母はパソコンさわらない)


いつまでもしゃべり続けそうだったけど
(同居してる母と一番下の弟は映画を見に行ってたらしい、ので父だけが在宅だった)



外からの山のひんやりした空気が入ってきたらしく、咳をしだしたので布団に戻って寝るように言って、切りました。



関係ないけど、こないだわたしめっちゃくちゃ眠かったとき、おきて夢うつつでバジャンかダルシャンにいって、
靴置き場に自分のサンダルを置こうとしたけどいっぱいで、

棚と棚の間の空中があいてたので、

あ、あいてると思ってそこにサンダルと傘を置いたら空中だったのでそのまままっすぐ地面に落下したのでびっくりしました。

あ、たなじゃなくて空気だった。と。


(そりゃ、あいてるはず。)

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【2012/07/17 23:27】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
”お子さん”の歯と学校事情。
吟遊詩人から贈られた歌の最後が

お子(KO)さんをこれからも大切になさってください。

だったので、実家に電話してみました。(←素直)

子供はどっかいってるのか、出なかったけど、おかーはんがでたのでしゃべってたら、

歯医者に行って子供の歯のレントゲンとったら下の歯の5番目の?永久歯がもともとなかったらしい。

(私なんか4本とも親知らずあったのに)

それ見ておかーはんはがっくりきたらしい。なんで?


なので、乳歯で持つだけ持たせて、それが抜けたらインプラントとかいう話が出たそうな。

しかも、永久歯の前歯が生えてきたんだけど下の前歯の内側に重なるようにおさまって猪木状態らしい。

で、なんかしらんけど、歯医者が言うにはそのようにこれからどんどん下あごが発達していって、このままではさらに猪木度があがるとかなんとか。

なので矯正とかなんかそういう話も出てるとか。



丸々半年以上顔も見てないけど、
みーひんうちにえらいことになっとんや~~~。とか思いました。

最初のうち、私は定期的なスカイプ提案してたんですが、一度も実現せず、おかーはんの、日本に来てからすご~~く大きくなったという得意げな話を聞くのみ。


もしかしたら、インドで矯正したほうが、安くてきれいにできるんちゃう?
と電話で言ってみたら、(バンガロールの歯医者の技術は高かった)

おかーはんは、「あの子は今インドに行ってもなじめへんと思う」と拒否感を表明。

いや~、なじめへんわけはないとは思うが~。。。。
人生8年中5年インドやし。

と思ったけど、おかーはん的にはいろいろインドだめポイントが次々浮かぶらしく。

まあ、教育のことで言えばプッタでは誰もが納得できる教育が受けれるとはとても言えない。


今朝もホテルに泊まってたほかの人たちと教育の話してたんですが、
アマチ似のインド人女性は生まれた国のアイデンティティをしっかりさせるのは大事という意見。
彼女は17でアメリカに行ったけど、アメリカのアイデンティティには決してなじまなかった!と誇り高い感じで言っていました。

インド人て、どこにいっても強烈インド人ですよねだいたい。
あ、でも幼少期によその国で育ったらその限りでもないのか。


在インド30年日本人女性は、でも、やっぱり、広いものの見方を身につけるのはいいことだと思う、と、インドでの教育に賛成な感じでした。

バンガロールだったら、すごくいい学校がたっくさんあるみたいですよね。

バンガロールだったら教育は問題ないですよね、と言ってみたら、アマチ似の彼女も日本人女性も「それはもう全然問題ない!」と、即同意。


彼女は娘はアメリカ暮らしなので、年に数ヶ月いつもアメリカで過ごしてるらしく。
なるほどそれでこの流暢な英語なのかなと思いました。

で、日本と、インドと、アメリカなどそれぞれ体験して、インドでの教育はやっぱりいいと思ったようでした。

インド人とか、他の国の人たちは日本に対してすごくいい印象を持ってるし、逆に日本での教育を子供に受けさせたいと思うくらいのものがありますが、

ある種の日本人は日本の閉鎖性には耐えられない気持ちになるんだと思います。

日本はまだそれほどいろんなのを受け入れる土壌ができてないから、日本で学校に行かせるのはちょっと。。。という、
実体験からの感想。

それはよくわかります。

そかしその点、私の子供が行ってる学校は例外的に非常によかったみたいで、
地域的にもど田舎なんだけど逆にそういうとこを好んで住んでる外国人の子供が結構いて、
子供のクラスは20人くらいなんだけど(各学年1クラス)、見た目も西洋人的なフランス人のハーフ?の男の子もクラスメイトにいるみたいで。
各クラス一人くらいはそういう外国人の子供とかハーフの子がいるみたいで。

なので、主名も半分インドアイデンティティでもそんなに問題なく楽しく通ってるみたいです。

私もちょっと教室にいさせてもらったこともあったけど、
子供が質問に答えて自分は、日本語と、英語と、ヒンズー語と、テルグ語ができる、とかいったら(ちょっと誇大。笑)
みんな「お~~~~~!」とかいってどよめいて盛り上がってました。

ヒンズー語とテルグ語がどの程度できるかなんて誰もチェックできないし。笑

給食も菜食で通させてもらってるみたいだし。

非常に恵まれた状況。



なので私も迷うとこで。



ただ、英語の授業はなまじっか少し英会話できるもんだから、みんなの楽しそうなのりに合わせられないのか、ゆいいつ?面白くないみたいで、
英語の授業のある日はぶすっとして帰ってくるといってました。


日本の学校は、面白いだろうな~、と思います。

もうじきプールも始まるし。

日本の学校は物質的にはものすごく恵まれてて夢の世界のようだと、
インドの学校を見たあとでは思います。

特にプッタパルティの学校はひどいの多いから。


最後に通わせてた、名前だけインターナショナルスクールはそれでもプッタの中ではダントツに清潔で洗練されてたんですが、

それでもおかーはんには監獄並みにしか思えないようで。
「あの荒野の中にぽつ~んと建って、、、あれは、、、、」
と、思い出したくもないという口調でした。
(去年インドに来た時に見に行ったことがあった)

まあ、子供はそれでも毎日楽しみにしてそこに通ってはいたんですけど。


あ~~~、オーロビルの素敵な学校(たぶんシュタイナー系)みたいなのがプッタにもあったら最高なのになあ~~~!!!!!

プッタの子供を持つ親(特に外国人)みんなの願い。

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【2012/06/17 02:03】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
願望成就の夢。
昨日は温泉を堪能する夢を見ました。

広々して気持ちよかった。

腕にはなぜか1歳くらいの女児がいました。



広々した風呂の感覚なんかもう忘れちゃってたなあ。

そういえば、子供(主名)はプールのことを、遊びながら体をきれいにする風呂と思ってたみたいです。

散々プールではしゃいだあとの帰り道で、プールって、体を洗うためのもの?とか言い出したので驚いた。



それもいいね!

(だめか)

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【2011/04/22 02:44】 | 主名日記 | トラックバック(1) | コメント(0) |
祈りの効用?
ばたばたしちゃって、こっちのブログはちょっとご無沙汰してました。(あっちのブログ

おととい、昨日とババはダルシャンに来てました。

今日(17日)はダルシャンはなかったです。


おとといは、また主名がキャンティーンセバをやるというので、また仕方なくわたしもやってましたが、
そろそろ人の入りも少なくなってきたし終わるかな、というころ、

ウエスタンキャンティーンのエンペラーのおばあさんのインド人の重鎮が来て、

「何でこんな子供にやらせてるんだ!」
と、キャンティーンスタッフをしかりつけました。

で、その叱られたスタッフがこっちに来て、
「ごめんなさい、彼女がああゆうのでもうセバは終わりにしてちょうだい。わたしはこの子が好きなのに。。。。。」
みたいに半泣きであやまってきたので、

「きっと、この子が私と一緒にやってるということを彼女は知らなかったのかもしれない」
と言ったのですが、
スタッフは憔悴した感じで「ごめんなさい、、、」というばかりだったので、

「わたし聞いてみますね」
と、エンペラーの所に言って、
「この子はセバしていいですか?」
みたいに言ってみたら

「こんな子供に何ができるんだっ!」
みたいに苦々しげに答えられたので、

「できますよ」

と言ったんだけど、
取り付く島なしと言う感じだったので、
まあ、もう終わる時間でもあったし、エプロンを片付けて夕食を食べました。


わたしが早く食べ終わったので先に外にでて待ってようと思って、厨房を通って外に出ようとしたら、
洗い終わって、水気を拭く必要のあるトレーや食器類が山積みだったので、
拭くのを手伝ってました。

そのうち主名も合流して手伝ってました。(やりたいやりたいと言っていた)

そしたらさっきエンペラーに怒られたキャンティーンスタッフが「あら、あなたここにいるのね」
と、ちょっと嬉しそうでした。


結局最後までやって、アシュラムを出てアパートに帰ったのが夜の10時くらいだったでしょうか。

そしたら、アパートの入り口のなんていうんでしょうか、可動式の鉄格子のフェンスみたいなのが閉められてあって、
たまたまその日はわたしはスペアキーを持っていなかったので、

そんな時いつもするみたいに

「サイラ~ム」
とかいってるうちに誰かが開けてくれるのを待ちました。

ところが誰も来なくて、
後から聞いたら私の部屋の隣の部屋のおばあちゃんも留守だったらしく、
いつもアパートの階段の踊り場で寝てるウォッチマンもこの日はいなくて、

そんなこと知らないもんだから、足でフェンスをガンガン蹴って物音を立てたり、
横のアパートの階段から飛び移れないかなとか行ってみたり、
横のアパートの階段から自分のアパートの踊り場のウォッチマンの寝てるあたりに声をかけて呼んでみたりしたけどムダだったので、

まあいいわと思って、ホテルに泊まりました。

たまには日常を離れてホテルに泊まって気分転換したかったので、これ幸い、という感じでもあったのですが、
まるっきり手ぶらだったので、
(ダルシャンでもらったプラサードしか持ってなかった)

閉まりかけの薬局に駆け込んで、歯ブラシやら石鹸やら、ついでにビタミンCのタブレットやら、
こまごましたものと飲み物を買ってホテルSAI MAA に行きました。

最初ヴェリーコンフォータブルラグジュアリールームだから1泊1000ルピーと言われたので、
エアコンなしでそりゃ高いよ、と思ったので
「他をあたります」
と言って出て行こうとしたら
「いくらならいい」
と言われたので
「700」と言ったら750になったので泊まりました。

まあ、新しいホテルなのできれいで、やたらでかい壁掛けテレビもありました。

リモコンが見当たらなくて音量調節が分からなかったので音もやたらでかいままでしばらく見てました。

見てた内容はテルグ語での青春ラブストーリみたいなので、
男が120パーセントストーカーでした。笑
嫌がられても嫌われても待ち伏せしまくりで、登下校する女の子の荷物を奪って強引にバイクに乗せて送り迎えしたり。
壁をよじ登って女の子の部屋の窓から中を見たり。。。

でもそのうち女の子が気持ちを許し始めて発展していきそうだったので電源を切りました。笑

主名は「あれはおとなのいじめっ子だ」とか言っていました。


で、風呂に入って(というか、お湯を浴びて)清潔な(散らかってない!)部屋の清潔なベッドで平和に心地よく眠り、

翌朝はホテルのレストラン(というか食堂)で朝食を食べ、


朝のうちにアパートの散らかった部屋に戻ったのですが、ホテルの部屋が微妙に寒かったのか??
昼間アイスのサンデーを丸ごと一個食べたのが効いてきたのか?
主名は喘息の発作かなり出てきてたので、その日学校は休ませました。

昼間2回くらい吐いたりもしてました。

わたしもなんかこの日はすごくすごく脳がパンパンで、軽いパニックみたいな感じでした。


そしてその日の晩には主名は高熱も出し、風邪を引いてることが判明。
久々に幻覚?とか見てました。
お化けがいるから電気つけたまま寝ていい?みたいな。


「ごめんね。忙しいのに」

などと殊勝なことをいうので、

「いいよ。しょうがないわ。おかあさんやし。」

と言ったら

「そうか~、ぼくも将来おとうさんになったらしょうがなくなるか~~」

と、お父さんになって、子供のためにしょうがなく何かやってる状況がイメージできたみたいです。笑



この日は夜じゅう「う~んう~ん」とうなったりして息もぜーぜーいっててかなりしんどそうでしたが、
熱は今日の朝にはほとんど下がってました。
「立てる」とか言って喜んでました。


わたしの脳も朝起きたらクールダウンしてました。
すごく落ち着いた感じになってました。

これが日本や世界の状況と連動してるかどうかは不明ですけど、なんとなく影響は受けてるような気がしました。

で、今日はすごく落ち着いて安心できる感じになってて、
よかったです。



主名はぜんそくはまだ納まりきっていませんが、だいたい元気になったので、
夜にはわたしのインド人の知人の子供(主名の友達)の誕生会バジャンに顔を出しました。

かなり盛り上がってましたけど、
脱力気味のわたしも主名もちょっと疲れたので、途中で抜けて、
ケーキを少しもらって部屋に戻りました。

で、部屋で大根ともちとうめぼし入りのおかゆ(葉っぱも)を食べて夕食としました。
あ、しろゴマも入れた。



しかし、いく先々で、
いろんな人に日本のことを聞かれ、「みんなで祈ったからね」と言ってくれます。


今回、日本でも他の国でも相当たくさんの人達が集中して祈ったと思います。

祈りがある限り、世界は大丈夫という気もしてきました。


祈りはネガティブに出ると呪いで、相手や、時には呪った本人もいろんな形で傷つけますが、

ポジティブに出るとこのように、相手に力を与え、守護し、祈った本人にも幸運と平安を与えてくれるんだなあと思います。


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【2011/03/18 03:50】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
きのぼり、けが、狂乱ダルシャン。
今日は主名は昼過ぎに木登りしてました。
はじめて木に登ったらしい。そうだった?

2メートルくらい登って、私が手を伸ばすより高い所に座って気持ちよかったらしい。

わたしも子供の頃は毎日庭の松の木に登ってたことを思い出しました。
一日一回はてっぺんまで登って、塀の向こうの道路を見てました。

柿の木もよく登りました。
柿がなる頃には木に登って柿をもいで、下で待ってる弟たちや母に落として、そしてそれらの柿は皮をむいて軒先につるして干し柿に。

思えば、日本らしいことをそれなりにやってた家だったような。
毎年年末にはおばあちゃんも含め、家族総出で石臼と杵で餅つきとかもしてたし。


川沿いの公園の2本の大きな木にもよく登りました。
それは太い木で、足や手をかけにくく、斜面に生えてて高さもけっこうあったので、いつもヒヤヒヤしながら限界の所まで登っていました。


大人になってからも登りました。

大学を卒業して八重山の西表島で働いていたとき、休み時間か何かによく、近くの滝とかに遊びにいっていたのですが、
あまり知られていない「もだまの滝」というのがあって、

その滝のあたりには巨大な豆類がなってて、そのでかい豆が「もだま」というのでその名前がついたんだろうと思いますが、

そのもだまを取るために、つたとかがいっぱい絡まった5メートルくらいの木の上まで登って取りにいって、
一緒に行ってた女の人に、もだまよりそっちに感心されたという。

あああのころは体も軽かった。



最近気分的に疲れ気味なので回想モードに入ってます。笑



主名も「きもちいいからずっとここにいていい?」
と言ってましたが、

「好きなだけおり。わたし先に帰るね」
と言って帰ろうとしたら

「もういいや」
といって降りてきました。




ちっ。



夕方ダルシャンホールに席を確保した主名が誰かに自転車の二人乗りでアパートまで送ってもらってる途中で、
サマディーロードの店の10代半ばくらいの男の子が主名の背中を叩いてふざけたらしく、
主名の足が自転車の後輪にまきこまれて、けがをして、その男の子に連れられて帰ってきました。


主名は部屋に着いたらほっとしたのかひとしきり泣いてて、
男の子はくどいくらいに謝ってきたので「OK.OK.気にしないで」と言って帰ってもらいました。

幸い靴下の上に運動靴を履いていたので外傷はほんのかすり傷ですんでました。
内出血っぽくもなってましたが、腫れもさほどでもないし、全然Okと思います。


もう一生歩けないとかいうので、消毒したあとになんかの油を塗ってやりました。

何の油かは忘れましたが、傷とかにいいらしいやつ。
スリランカで買いました。

私がこけてお尻を強打したときに打ち身で広範囲に青紫やみどりっぽいすごい色になってたのですが、この油を塗るとみるみる色が引いていきました。

まあ、主名にはなんか塗っとけば気がすむだろうと思って。

今は夜ですが、もう普通に歩いてます。


主名はちょっかいをかけやすいのか、一人で道を歩いているとかなりちょっかいをかけられます。
また主名自身もムキになって反応するしよけい面白いんだろうと思います。


しかし最近、会うたびに首を絞めてくる乞食の子がいるということで、
あるとき、主名が「今いる」というのでどの子か見に行ったら逃げていったので、
しばらく主名と追跡して、
その子もこっちをみながら建物の隙間の抜け道などを通って振り返り振り返り逃げていって、
途中で追跡ももういいやと思ってやめましたが、
念のため、そこらへんの商店の主人や、そこらへんに何するでもなく座ってる奥さんなんかに、
あの子がいつも首を絞めてきてるらしい、というのを言って知らせておきました。

商店の主人は、あのこはここらへんに住んでる子じゃないし、警察に言ったほうがいいといわれましたが、
多少びびらせて、ちょっかいをあまりかけてこなくなればそれでいいし、面倒なので言ってません。


主名がひとりで道を通ると腕を捕まえて離さない、店番をしてる青年とかもいて、
中にはけっこうたちの悪いのもいますが、

逸脱行為があるときは個人的にちょっとそういうことはやめてと言いにいきますが、
(例えば私が目を話してたときに、4~5歳くらいのときの主名をけっこう遠い自分のアパートに連れて行って他の住人に見せるとか)
あんまり気にしててもしょうがないので、普段は気にしてません。

どうせ私一人では完全に目が届くはずもないし、完全に守れるわけもないし、
そういうことが今までけっこうたくさんあったので単に慣れたというのもあります。

だから自分ができない部分はババのサポートと守りがあるからと安心してる部分もあります。

じゃないと、やっていけないので。


できるかぎりのことはやって、そこから先はババにゆだねる領域というか。
どこかで子供に関わることに対して見切りをつけてると思います。



主名は足が痛くて歩けないとグニャグニャ言ってたので、
じゃあ休んどけば?
と、部屋にいさせてましたが、
クッションはホールなので、そのうち行かせました。

私も7時過ぎにいきました。


今日もプールナチャンドラホールで関係者への限定ダルシャンがあったらしく、
その後、ババは車でサイクルワントホールにも来ました。

昨日は来なかったということもあり、
群集はうおーうおーと立ち上がり、大興奮で、わたしはげんなりしましたが、
ひとり座ってても危ないので私も立って見ました。

ホールをぐるっと回った後ババは車から降りてきて、すこしバジャンを聞いて?
すぐにアルティになりました。

ババが帰るときも群集の熱い大拍手が起こりました。

ダルシャンの希少価値が高まったかんじになってきて、群集ババに関係なく自分たちで勝手に興奮してむやみやたらと盛り上がってる気がします。

単に私が疲れてて盛り上がりムードに乗れないからそう感じるのでしょうか。


しかし、人が多すぎて、
しかもその人達はほとんどみんな興奮してるし、、、、ほんと疲れる~。


あらためて、わたしは一体なんでこんなとこにいるんだろう?とか思いました。



この狂気のおまつり騒ぎは今後どんどんエスカレートしていくんでしょうね。

くたびれる。。。

何で私はこんな中にいるんでしょう?

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【2011/02/27 01:55】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
手紙作戦実行中。
昨日もシュナはダルシャンの時に手紙を持っていってもらえたようです。

今日も、今はアシュラムの中の芝生のところなのですが、さっきシュナはベンチで手紙を書いて、4時ごろにダルシャンに行きました。

入学させてもらえるまで毎日手紙を渡すことにしたんですが、

内容は、前半は英語で入学許可願いの内容を書いて、
(外人はババの学校の入試すら受けさせてもらえないので。イーシュワランマスクールは外人は入試を受けさせてもらえるけど、プッタパルティの在住証明がないと合格させてもらえないといううわさです。)

後半はシュナは日本語でその日のノリでなんかお手紙を書いてるみたいです。


今日は、

こんどのいのちはぼくはどんないのちですか?

このいのちはたのしいです。

ヴぇーダをたくさんおぼえるようにおねがいします。

ほうせきたくさんみつけられますようによろしくおねがいします。


などと書いていました。


去年はもうはなからババの学校への入学はあきらめていましたが、
2年前の夢では今年の6月が入学のタイミングだと認めるババの夢を見たので、
集中してちょっとやってみるべきだと思い、
こんなことをしています。

私たちには他にはもう方法がないので。

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【2011/02/03 19:49】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
カンニング疑惑と甘甘ぜんざい。
今日は主名は本人いわく見てないのに、学校のテストでカンニングしたと思われて先生にたくさん腰の辺りをぶたれ、正解を書いた解答にも×をつけられ、友達みんなにもそれを笑われたそうで、
すごい鬱屈した表情で学校から帰ってきました。

まあ、実際の所はその場を見てないのでわかんないですが、
「先生いやあね」
と、一応肩を持っておきました。

で、部屋に帰ってきてからは今まで私がやったらだめと言ったことをことごとくやろうとして、
「やめろ!」とか「さわるな!」
とか言ってやめさせたら怒って横になったままあちこちけりまくって、

私はその様子を見ながらアパートの部屋の戸口に立ったまま電話で知人とプッタパルティーのダークサイドについて興奮気味にしゃべってたんですが。笑

主名はそのうち本格的に声を上げて泣き出しました。

気の毒に。
友達みんなが笑ったのが特に腹立たしくて傷ついたみたいでした。


「昼ごはんは食べない」と、横たわったまま暗い顔をしている主名。

というわけで、しょうがないので「それなら行く」という彼の希望を汲んで昼ごはんはハヌマーンヒルロックカフェへ、、、。

いちおう欲しいものをみんな食べさせたら2人でここで食事した場合の最高額900ルピーになりました。

アーモンドチョコレートのムースとか(おいしかった)も食べ、

別の、なんかやたらでっかいチョコレートのケーキだかお菓子だかも持ち帰りました。

主名はスープと、そぼろ豆腐の具のクレープみたいなのも食べたのですが、よく食べてました。
ぜったい多くて残すと思ったけど、完食してました。おなかすいてたのかな?

私はスープとサラダとかぼちゃのカレー。パンは主名と分けて食べました。


で、ねじくれた機嫌が直って「元気になった」と、主名はハヌマーンヒルロックカフェを評価してほめてました。

まあ、元気になったんだったらよかったさ。高いけど安いもんだ。


そのあと芝生に行って、主名は持ち帰りの大きなチョコのケーキをさらに食べてました。
(さすがに全部は食べずに残して部屋に持ち帰った)


で、そこらへんにいた他の子供たちと遊ばした後に芝生のベンチで宿題をさせてたのですが、
気分はよくなったみたいなんだけど、今度は甘えた気持ちが切り替わらなくて
さっさとやれば30分で済むものを1時間も2時間もかけてやったりやらなかったりしてたので、

わたしは
「今日は昼からずっとあんたのやりたいようにさせて一緒におって合わしてやったんやろ。
6時間や!もううんざりや!いつまであんたに合わせないかんねん!!」
とある時点でキレて(笑)

がーっと言ったら主名はひゃっ!と思ったのか、その後集中してやってました。

いちいちキレないと動かないのは疲れるんだけどどうすりゃいいんでしょう?


夕方になって巨大な蚊もいっぱい出てきて、
平安のアシュラムで10匹以上の巨大な(ほんとに巨大な)蚊を10匹以上昇天させました。
私の周囲には動かなくなった蚊が同心円状に広がっていました。

バジャンも聞こえてきて、
しかも音が小さくなってたので
「ババ来てるな」
と思って、さらに主名を急がせて宿題を終わらせて、ホールに行きました。

ちなみにバジャンの音が小さくなるのは音が大きいとババが他の人と会話しづらいからですよね。
婉曲に言うと。

だから音が小さくなると(ほとんど消える)ババ来てるな、、、と。


なんかもう終わりそうな雰囲気もあったので、主名のかばんをあずかって、「ねちゃう~~」という主名をホールの男性側に入らせました。

私は自分のと主名の荷物を持っていったんアパートへ戻り、荷物を置いてからまたアシュラムに行きました。

まだバジャンはやってたのですが、
女性側の階段を上がりかけたときにアルティになったのであわてて駆け上がってホールに入りました。

しかし今日もコンタクトレンズはしてなくてぼんやりしたババの姿だったのですが、
それを見たとたん間髪入れず、すぐにぐっと来るのは不思議ですがすでにパブロフの犬になってるのでしょうか?

とにかくアルティを見て、車に乗り込むババを見た後ホールの外に出ました。

階段を下りてるときに前を先に下りていたおばさん2人もなんか涙をぬぐってたので、
もしかしたら今日は特にぐっと来るようなムードのダルシャンだったんでしょうか?

昨日もババ来なかったし、
そういうあとだったらありがたみも倍増ですよね。

なんかほんと、来てくれただけでありがたや~~という感じにならざるを得ません。



時計を見ると夜7時10分でした。

まだキャンティーンが開く時間じゃなかったので、芝生に行ってマサラティーを買っていって、キャンティーンの前で主名と会いました。
(やはり寝たらしい。でも部屋で寝るよりダルシャン中に寝るほうがなんかいいような気がするんですけど気のせい?寝ながらもダルシャンを受けてるからいいんじゃない?と思うんですけど。)

そして晩御飯を食べました。
主名は
「先生、頭おかしくなってるんじゃない?」
などと言いながら食べてました。

「そうかもね。忙しくて疲れてるんかな。」
と適当に相槌を打っておきました。

そしたら主名は
「さわこみたいに頭がぐちゃぐちゃになって。。。」
と比較考察していました。

先生も大変ですよ。



それにしても食べるのがものすごく遅い子だ。
わたしも子供のときはめちゃくちゃ遅かったけど。


食後、今日は火曜日だしと思って、
ガネーシャテンプルとムルガンテンプルに念入りにお参りしときました。

主名は無駄に元気に、というかすっきり気が晴れたらしく、余分に走り回っていました。
すっかりスッキリしたらしい。


部屋に帰ってからは昼に約束してたぜんざい(缶入りのやつ)を作りました。
白玉粉もあったので団子もつくって入れました。

今日は甘やかしの甘い物づくしです。



ちなみにぜんざいは明日の朝食にも流用予定。

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【2011/01/19 06:26】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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