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コダイの写真
コダイの写真をはってみます。

2009年4月28日のコダイ



写真に写ってる男の子が主名で、その向かって右後ろらへんにいるめがねをかけてる白っぽい服を着てるのが私です。

参照サイト
sssbpt

リンクしたサイトからは、

2009年4月28日午後のダルシャンの項目の上から4枚目、「The Eternal Helping Hand!」とかなんとかいうコメントがついた、日本人女性がババに手紙を渡してるか何かを祝福してもらってるかしてる写真が、上に貼った写真です。

興味がある方見てみてください。

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【2009/05/07 00:54】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
コダイの写真
コダイの写真がたくさんネット上にアップされていますが、日本人や私と主名も載っていました。
28日の午後のダルシャンです。6列目くらいです。

http://www.saibabaofindia.com/march09/04%20kodai-sai-baba-280409.jpg
【2009/05/06 01:31】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
5月4日
朝6時半くらいにコダイのアシュラムに行きましたが、この日はババが移動というので、移動の際のカーダルシャンだけという話でしたが、中に入れてもらって、屋根のある場所の下にみんな座らせられました。

ババは屋上のバルコニーに出てきて、学生たちひとりひとりと記念撮影をしていました。

その後バジャンもあり、ババは建物の前のバルコニーからみんなにダルシャンを与えていました。

下までは降りてきませんでしたが、美しいダルシャンでした。

そしてババは車に乗ってコダイからプッタに去っていきました。

主名は今回は2通、手紙を受け取ってもらいましたが入学許可はおりずでした。
祈っていただいた方、ありがとうございました。

わたしたちは5日の朝に列車で移動の予定だったのでこの日はその後、コダイで遊びました。
何せ、今回は遊びがまったくなくて、昼も毎回15分だけホテルに戻ってシャワーを浴びてすぐにまた午後のダルシャンに出発というスケジュールでしたので。

知人家族と公園で子供らを遊ばせたり、ボートに乗ったりしました。

ババの乗ったヘリコプターが空を飛んでいきました。
【2009/05/06 01:26】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
5月2日
ババは4日にプッタに移動で確定だそうです。

今朝はババは出てきませんでした。

私たちは横のほうに座ってたので見えませんでしたが、聞いたところによると椅子だけ!出てきたそうです。

今日も明日も人が多いことは確実です。

主名のプッタでの一番の友達のRくんはどうもババの学校に入学がほぼ確定したようです。
私たちに残されたコダイでのダルシャンは実質あと3回です。
主名は来てすぐに、自分と友達のRくんをババの学校に入学させてくださいと書いた手紙を受け取ってもらいましたが、その後、具体的な指示は受けられないままです。
(そのときはまだRくんが入学がほぼ確定したとは知らなかったので、そういう風に書いたのでした)
ババからの具体的な指示が受けられるまではいくら手紙を渡してもだめなのです。

しかし、なるようにしかならないなあと思ってます。
なんせ私が渡す手紙は受け取ってもらえなさそうですし。

よかったら主名のためにババに祈ってやってください。
【2009/05/02 16:11】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
5月1日の日記
前日、自分の名前で主名の学校入学の手紙を書いてみようと思い、書いたのを持参しました。

この日は祝日なので人が多かったです。
私たちは屋根のないところに座りました。

お皿に辛いご飯と甘いご飯のプラサードが配られました。

主名にスロープを降りてくるババに手紙を渡させようとしましたが「まてまて」というしぐさで制されました。

ババはしたの広場のほうに行ってから男性側から上に戻ってきました。

どさくさにまぎれて最前列に座ったので、また手紙を渡そうとしましたが、反応なしで通り過ぎていきました。

この手紙はだめだな、と思い、午後は主名に自分の名前で書かせた手紙を持たせました。

この日はほかの人が主名を預かっててくれて、私はバジャンホールの中に入れてもらえました。

学生のスピーチが4時半から始まる予定でしたがババは5時20分にバジャンホールの中に入ってきました。

イギリスから来たというたぶんインド人の話の後に学生が2人話をしました。
最初の学生はババの意思なしにはささいなことも何事も動かないというようなことを話してたように思います。

次の学生は、学生時代に体験したババマザーサイとのかかわりを話したりしていました。

話の後に話をした2人を含む学生たちは「ハムコトゥムセー」の歌を歌いました。

学生たちに囲まれたババの顔がくしゃくしゃになったので、どうしたかと思ったら泣いていました。
そんなにくしゃくしゃになって泣くババを見たのは初めてだったので少し驚きました。
この歌でババは泣くとは聞いていましたがこれほどまでとは。。。
顔をくしゃくしゃにして涙を流して嗚咽してるようでした。

学生も泣いて、ホールの中の人たちももらい泣きをしてて、私ももらい泣きをしました。

最後、ババが「アルティ」と言って、アルティの指示を出したのも聞こえました。
初めて生身のババがいるときにバジャンホールの中に入りましたが、すばらしかったです。

主名は手紙は渡せなかったそうですが、付き添ってくれた人はババにビブーティーを祝福してもらい、手に触れてもらったそうです。
長時間預かってもらってありがたかったです。

私の悪かった体調は回復しました。
【2009/05/02 16:02】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月29日の日記
日本人グループが7時半に集合というのでそれくらいに行きました。
トークンラインに敷物だけ置いて外でパンとか食べました。

中に入ってからは屋根のないところに座りました。

ババは10時くらいに出てきたでしょうか。
ババはベランダの上から主名の手紙を見たように思いました。
その後ババが下に下りてきたときに主名は昨日書いた手紙を渡しました。

ババはベランダ上の正面にしばらくいてくれたのでとてもよく表情が見えました。
日本人グループの中のひとは泣き崩れてる人もいました。

今日の午後はディスコースがあるそうです。

私は今日はほかの人が主名を見といてくれるそうなので、バジャンホールの中に入っていいよといわれてるのですが、ババは今日は外に出っ放しかもしれませんね。

でも入ってみようかな、と思ってます。

もうじきまた午後のダルシャンの集合時間です。
朝も午後もちゃんと出ようと思うとほんと時間がないですね。
でも今回はコダイは短いと思うので、できるだけ全部出ようと思います。

5日の朝、コインバトール発、プラシャンティニラヤムに夕方着の列車を旅行会社に頼みました。
列車が体力的に楽なので。安くもあるし。

ババが動いても動かなくても、わたしたちはその日にいっぺんプッタパルティに戻ると思います。

その後、午後は結局中に入るチャンスはなかったみたいで外に座りましたが、横に来たインド人家族が猛烈で、しばらくは抗戦してたのですが、そのうちホルモンバランスの関係もあり、極度に悲しくなって、あらゆるネガティブなものがでてきて、座ったままさめざめと泣き通しでした。

ババのディスコースは、肉体的なつながりによる関係と神との関係との違いについての話だったと思います。
誰もが神といえるけど、だれでもを自分の妻とはいえますか?いいえ、言えません。とかいうことをいってて、みんな笑ってました。

私は心身ともに極度に疲れて、飲んでないけど酔ってるみたいでした。

星がきれいな夜でした。
流れ星は見ませんでした。
【2009/04/29 17:31】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月28日(コダイ)
コインバトールまで飛行機で飛び、コダイカナルには28日の夕方につきました。

シャワーを浴びた後、バジャンだけ行こうと思って5時過ぎにアシュラム行きましたがまだ静かで、6時半くらいでしょうか、ババが出てきて下まで来てぐるっと回ってバジャンが始まったのは。

私たちは後から行ったので5列目くらいでしたが、それでもさすがに近くでした。

日本人がいっぱいきてて、30人以上でグループを作ってます。

私たちは幸い保井部屋があったので00ルピーのとこに泊まってます。
(この時期のコダイでは最安値くらい)

ババは4日の朝までコダイでダルシャンをするというちまたのうわさです。
【2009/04/29 17:18】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
5月3日 ババが若返る夢
5月3日 ババが若返る夢

今朝の夢は、ダルシャンで、ババが車から降りてきたら妙に体がまっすぐになっていて贅肉もなく、完全に若返っていました。

みんなは感動して大きくどよめいていました。
ババの肉体が病む期間が終わったようで、ババは自らを治癒したのでした。

多くの群集が綺麗に区画に分けられたブロックごとにぎっちり座っていて、若返ったババはその区画の間を若返った勢いのまま、自由自在に軽やかに舞っていました。
ババの若返った奇蹟の高揚したムードと群集の感動の渦に誘われて、私と、私の仲間のような人たち10人くらいも人々の区画の間の空間に出てババと一緒に同じように高揚して好きなように舞って踊りました。

みんなのルールを無視して、ブロックの外に出ると、他の人たちも真似して収拾がつかなくなるかも?と、ちらっと思いましたが、他の人たちはそのまま区画ごとの決められた席にきっちり座ったままでそこから出てきませんでした。

どさくさにまぎれて舞いながらババと抱き合ったりもしていました。

その後、夢の中での翌日に、バジャンかなにかのような集まりがあって、
リーダーの男の人は、昨日の奇蹟を思い出して、感動のあまり涙ぐんでそのまま何もいえなくなっていました。

そういう夢でした。

起きてから思ったのは、次の次の目的地では知人は先にホワイトフィールドに行って、
うちらはもうしばらくそこに残ってからホワイトフィールドに移動する予定なのですが、
たぶんその選択でよかったんだろうなとか、そういうことや他のことも思いました。

ひとまかせとか誰かの傘の下に入るのは楽なのですが、折りあるごとに「自分ひとりで」「好きなように」するように、夢だとか直感だとか何らかのメッセージで言われ続けてきているので、なにをしても後悔せずに自分が思ったようにやることが、自分の場合は神の摂理と一致した行動ということらしくって。

今日の夢も、今の自分の日常よりもだいぶバイブレーションが高かったらしくて、目が覚めて現実世界に意識の焦点を合わせるとすぐに消えてしまってつかめなくなるようなそんな夢でした。
【2008/05/03 19:31】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(1) |
5月2日 ババの小言
5月2日 ババの小言

まるく円になって座っている知り合いたちにスーリョウパニシャッドを教える夢を見ました。
スーリョウパニシャッドのシャンティ部分はなんだったかわすれましたけど、
夢ではサハナーヴァヴァトゥ、というやつを教えていました。
みんな、全然ついてこれていませんでした。
なので、もうちょっと細切れに、丁寧にやったほうがいいなとか、ガナパティプラールタナからはじめたほうがいいかもとか思いました。

その後ババの夢を見ました。
知り合いの男性が、ヴェーダをちゃんと習う機会を与えられるために、ババの車の中に後ろから迎え入れられていました。

私もそこに近づいていって、
「私が今後、ちゃんとヴェーダを習うことはあるんですか?」
とババに聞きました。
ババは「ない」と答えました。

特に深い感情が起こるわけでもありませんでしたが、
「あぁ、そうか」となんともいえない納得感がありました。

それからババは、具体的にどういう言葉で話したかは忘れましたが、
私がだらだらしすぎだと、注意というか、小言を言いました。
遅く起きたりしてるとか。のんきにしすぎてるとか。そういうニュアンスでした。
私に対して言ってるんですけど、こっちをみてじゃなくて、半分自分に言い聞かせているかのように自閉的に話してそれをこちらに聞かせていました。

そして、インドの子供を引き合いに出して、
インドの子供はなんとかかんとか、と、インドの子供の清貧さとつつましい性格、従順さなどの美徳を言いました。

起きてから思ったのは、だらだらしすぎということに関してはそんなこと言われてもしょうがない、ということです。
キチキチしようにもそうしようという意志が与えられてないんですもん。
無理できない性質になってるし。

しかし、前日の夜、タミルナドゥのガイドブックを見ていたら次の目的地からそれほど遠くないところにクットララムの滝を発見して、滝は好きなので、ひとつじゃなくていっぱい滝がある場所らしいし、そこが開いてるシーズンは7~9月らしいのですが、
そこへ行くことや他のところに行くことをあれこれ考えて楽しんでいたので、
そこまでは羽を伸ばし過ぎないようにとババは釘を刺しに来たのかもしれません。
わかりました、次の目的地からはまっすぐホワイトフィールドに向かえるようにやってみます。
次の目的地(正確に言うと次の次)に行って滞在するのはたぶん問題ないと思います。

ヴェーダに関しては、なんか、わたしのヴェーダに関するいいカルマが終わって、ヴェーダを習うのはいちおう続けてはいるんですけど、なんか、すでに離れたような気がしていました。
興味も急速に失って。

今後、もしかしてどこかの学校に行ったりしてきっちりヴェーダを習う機会が来るのかもなあと思ったこともあったのですが、
わたしはヴェーダからも離れたのかもしれません。
何にも持つものがなくなってしまいます。
何もやりたくもないし。

今日は、昨日コダイカナルに来た別の日本人が偶然隣の建物に滞在していて、午前に彼女の訪問があったので一緒に街まで行って、前からいた知人のところに遊びに行こうと思ったのですが、知人の携帯につながったけれど音が届かなくて、
直接行ってみたらすれ違いで留守でした。
(知人は海外でも使える携帯を日本から持ってきていて、電波が一度日本を経由するので
コダイの中からコダイの中にかけても地球の裏側にかけているように声が届くまでギャップがあります。コダイ→日本→コダイと、電波が日印間を往復してるみたいです。)

なのでその近くのコーカーズウォークという眺めのいいところで持参のピザを食べました。

その後彼女と別れて私と主名は自転車でまた湖を一周しました。
主名が自転車に乗りなれてきて、徒歩で追うのがしんどいので今日はわたしも自転車を借りて併走しました。
前回は3時間かかりましたが今日は1時間半でいけました。
主名はさすがに後半は疲れが出て「1分休憩」といいながら、後半はちょくちょく自転車から降りて、
ほんとに30秒くらいだけ座って、そしてまたサイクリングというか自転車訓練を続けていました。

今日はバジャンに遅れたなと思いつつアシュラムにタクシーで行ったら今日は休みでした。
もう、日曜と木曜だけにするみたいでした。

ちょうど他の日本人2人も歩いてきたので、来たタクシーに一緒に乗って、そのまま町に引き返しました。

やっぱり他の大人がいると私も楽ですけど主名も自分を受け入れて話を聞いてくれる人ができて嬉しいらしく、部屋に帰ってから、「ずーっと、一緒にいたいの」とかいっていました。

昨日来た人は明日の飛行機でホワイトフィールドに行く予定です。
私と知人と主名もあさってには山を降りる予定です。
主名はもっとここにいたいとか言っていますけれど。

来年は2ヶ月くらいコダイに滞在する?(無理)

(しかし、一週間くらい一人だけで過ごす休暇がほしいです。)
【2008/05/03 19:30】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
5月1日
5月1日

今日から5月です。
よね?

最近1日消滅したりしてるので自信がないです。

昨日買ったドゥルガーのDVDというか、CDロムを今朝、主名に見せずに見ました。
(泣くから)

ドゥルガーって、私も昔そう思ってたんですけど、怖くてえぐいイメージがあるかと思います。血まみれであかんべーをしたカーリーとおなじような。

で、ドゥルガーという名前をした子や女性に会うと、親はすごい名前をつけたものだ、とか思っていました。

しかし、ラーマクリシュナの本を読んだりするうちにドゥルガーへのイメージが徐々に変わりました。
全ての母としてのドゥルガーだったり、ヤグニャをつかさどる女神だったり、ラーマクリシュナの本では女神は最高存在とされていますから。

今日見たCDロムでは、女性にしか殺すことができない、世界を征服しようとしている悪魔を殺すために、
シバとビシュヌとブランマーが力を合わせた光からドゥルガーが誕生していました。
悪魔の親分も結婚したがる、本当に美しい存在として。

最後にはパールバティやラクシュミーやカーリーなど、悪魔に対する戦闘に女神がみんな出てきたんですけれど、最後の最後にはそれらの様々な姿の女神たちは全部ドゥルガーに吸収されて、ドゥルガーは悪魔を殺し、シバとビシュヌとブランマーや神々が祝福の花か何かを降らせていました。

ドゥルガーには全てが含まれているんだなあ、と、思いました。
【2008/05/03 19:29】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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