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ずいぶん放置していましたが。
ババが亡くなってからはだんだんここのブログを書く気も失せて、ずいぶん長い間放置していましたが、昨日、長野の落ち着き先に引っ越しをして、一晩あけた今日、なんとなくこのブログを書く気がしたので書いてます。

少なくとも半年くらいは八ヶ岳南麓の、山奥のこの場所を日本での拠点としようと思ってます。

ここは人里離れた林の中の一軒家なのでとても静かで、仕事もはかどります。

周りに人の気配が全くないので余計な想念の雑音を拾うことが少ないらしく、誰かの影響なく、自動的に自分自身でいられる感じがします。


たぶんそれが、久しぶりにここに記事を書かせたのだと思います。


ここにいると、絵とか本とかも集中して書けそうです。


何より自分自身のスペースが持てたのがうれしいです。


いろいろがんばっていける気がする。

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テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2014/05/03 08:10】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
融通の利かない私の世界
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(母へのお土産に買ってきたガネーシャ)



昨日日本に来て、今日は午後から父の出るというか総括してる邦楽&洋楽MIXのコンサートを聞きにいきました。


まあ、どうしようかなーと思ったけど、3時間くらいというので、それくらいなら行ってもいいかなと思って。


場所は実家の最寄り駅からそう遠くないところで、すごくきれいないいホールができていました。



まあ聞きながら思うとこはいろいろあったけど、それはそれで、



割愛。




買い物して家に帰って、夕食はベジタリアンの私の分と子供の分は私が作りました。


といっても単なるうどんだけど。

もやしと水菜とコーンとあげ入りのうどん。


と、塩こうじドレッシングのサラダ。

きゅうりとパプリカとセロリと豆腐(子供はプラスコーン)のサラダ。


サラダはおいしかった。


子供もえらくがっついて食べていた。


いtもそんなにがっついてるのかと思ったらおいしかったらしく、


食べ終わったあとにわたしにではなく母に「塩こうじのドレッシングでパプリカサラダしたらめっちゃおいしかった、うどんもおいしかった」と言っていました。



あとで、パプリカのサラダ、ハヌマーンヒルロックカフェみたいにおいしかった、と、言って来ました。

ま、実はそういうイメージで作ったんだけど。



食べてるときもいつもはみんなテレビを見ながら食べてるようなんだけど、

私はテレビ好きじゃないので消させて食べて、


食べ終わったあともみんな遠慮してつけなかった。


というか、本当にテレビを見たくて見てる人ってあんまりいないんだと思います。



で、子供が暇をもてあましてうろうろしてたので、


「暇なんはいいことなんやで、自分で何かを生み出そうとするやろ」

「テレビは人にものを考えさせないようにするためのものやから、見すぎると頭が偏るし自分で考えられなくなるで。ほんとに考えなあかんことを自分で考えるのが大事なんやで」


「テレビを見るなとは言わんけど、みた分、別のこともしいや。テレビばーっかりはあかんで」


とかいつものごとく言って


子供はしょうがないからスキマスイッチのCDを聞きながら絵を描きだしました。


いつもは少なくとも3時間くらいテレビを見てると思いますもしくはゲーム。。。。。休みの日はもっと。




絵は今日はいくつか私も漫画をコピーしたりして描いて見せて、

あと、装飾文字とか。


子供はそれを見て、すげーとか思ったようで、


なのでちょっとやる気が出てたようで、自分で考えたり、いろんなものをコピーしたりして上手に描いていました。



学校での図画工作の作品も見せてもらったけどいまいちで、

適度な方向付けがなされてない感じでもったいないなと思ったのでした。


本人も、「失敗」とか言ってました。

失敗ではないけど、少し意識の使い方を変えたら全然違ったもっといいものになるだろうとは思いました。


適切な方向付けは強制するという意味ではなく、エネルギーを一定方向に集めて高まった状態で物事を行うことを可能にするという意味であったほうがいいと思います。



学校での掲示物とかプリントとか見せてもらったけど、

自己紹介のとこで将来の夢とかなりたいもので、子供は「昆虫や動物を売る人」と書いていたのでちょっと笑った。


それを母に言ったら「恥ずかしかったわ」と言ったので、


いや、別に恥ずかしくはないだろう、と思って、

(母としてはもっと子供らしいことを書いてくれたほうがほかの人や先生に対して恥ずかしくなかったらしい)


子供に、

「ぜんぜん恥ずかしくないよ。それを買った人が喜ぶようにするんやろ?」と言ったら

子供はそれは考えてなかったようだったので、


「買った人が嬉しい気持ちになったらそれはお金を出す価値があるから、そういう仕事をするのが大事なんやで」


「動物を売っても。買った人が大事にしなくて、「めんどくさいし買ってそんした」とかおもうんやったらあんまり売る意味もないやろ。でも、買って、仲良くして大事にしてて楽しい気持ちになるんやったらお金を出した価値があるやん?」


「そういう仕事をするのが大事なんやで」


と一応言ってみた。



恥ずかしいというのが母の行動範囲をかなり規定してて、それは日本人の美徳のうちなのかもしれないけど、


なんだか私が思う恥ずかしさと、母が思う恥ずかしさとはだいぶずれがあるように思います。


私は実際恥ずかしいとはあまり思わないと思う。


でもこれは自分はやりたくないとか、こういう表現方法を通して存在したくないとかそういうのはあると思います。



日本に来るとやっぱりいろいろ思うとこはありますが、


自分がどのように存在したいか、もしくは、どのような形で存在するのが自分にとって一番適切か、そしてほかの人との関係は?というのは常にあたまにあって探っているように思います。


最近私が自覚してきたことは、


自分の理想と言うか自然と思う状態を共有して体現できる人はあまりいないということ。


でもそれにもかかわらず、私はほとんどテレパシックに相互理解できてるものとして思うとこがあるので、


なんでほかの人たちが私から見るとより残念な、つまりその人を最大限に生かすような流れを選択しないかというのが本当に理解しがたいところがあって、


でもそれは私のビジョンがうまく周りに共有されてないからだという面もあると思います。


でも私の場合は共有されずにほかの人が別の何かと結びついた時点で私の世界は非現実のものとしてかき消されてしまう種類のものなので、


ある意味手も足も出ない。


私の現実を自分の現実にして参加するにはみんながいろんな結びつきを放して手放しで全体である必要があるので、

いちど別の何かを取り込んでしまうともう私の現実を取り入れて自分のものとしても実現することは難しくなります。


そういう厳しさと融通の利かなさがわたしの属する世界にはあるなと思います。



そしてこれはどうしようもない感じに思います。



でもどうすればいいのかよくわからないし、私は子供を養いつつ今後も生きていかねばならないので、


試行錯誤です。

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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2013/04/30 07:56】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
耳の遠さ、天下一品
ちょっと前から日本に一時帰国していて、

箱根に2泊して「みんなでルッドラムチャンティングプログラム」に参加したあとは、

神奈川のホテルに9泊して首都圏各地に出没していました。

で、昨日の晩に兵庫の実家に戻りました。


今日の晩御飯は子供はカレーがいいというので、
なんかおとといのカレーが冷蔵してあるのを母が「ベジタリアン用」とあたため直してて、

「えー、おいしいの?」
と私が言ったら

「SAWAKOがそんなん言ったらなんかまずくなった」
と母が言い出したので、


交代して味を調えた。

まず、なすびと玉ねぎと厚揚げをごま油でいためてだししょうゆと塩で味付けしたやつを
カレーに入れた。笑

そんで、カマンベールチーズとヨーグルトと黒糖を入れ、

リンゴもすりおろして入れた。


激うま に、なりました。

ほんとですよ!




で、わたしは必殺黒にんにくをラッキョウのようにゴージャスにそえて食べました。

ゴージャスな味でおいしかったのでおかわりした。



で、食後に子供がものすごいヒマそうで、カードゲームしようとみんなに誘いかけてみんなに断られてて、
わたしもそんなのやってられないので、

トランプでピラミッドを作って見せて、子供にもやらせた。

成功。

熱中してます。


しかし耳の遠さは母もわたしも相当なもので、

母が子供にテレビを消せといったのかな?

で、子供が「うん、切る」と答えたら母は

「AKB!!??」

と、素っ頓狂な声を上げた。



どんだけ聞き違えるねん、とか思ってたら、

その後母が炊いたご飯がもうあまりないのでノンベジ用の晩御飯は○○○にしよう、といったのを聞いて

「たぬき!?」

と聞こえた私がそう聞き返したらたぬきではなく、スパゲティでした。


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まずわたしが、さっさかさー、と1回で作ってみた。おかーさんすげー、って思ってる?笑


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ぼくもできた! ささやかな様子にわたしと母はふきだした。

「ちっちゃ~~~!!!爆笑」(←おに)


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うしろで6本指の犬がぺっちゃんこ。


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ぎゃあーーーっ!!!(楽しそう)


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うーん、むつかしいな。(まだ余裕)


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あー、だめだーーー。ちなみに後ろでなんか食べてるのは弟2番目/4

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はあ~~~~~ん!くずれた~~~!(まだおどける余裕あり)


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めげずにまだやる。


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ここまでできた。


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何度も崩れてやり直してだんだん表情に余裕がなくなってきたころ。


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固い固い。余裕ゼロ。緊張して指が動かないらしい。


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風呂に入ったあとも睡眠時間を削ってまだやっている。すでに苦行の体。爆
そんな難しい顔してやるようなことじゃないだろ~。

そしてこのあとも無残にトランプピラミッドは最後の段階で崩れたのでした。


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なんかものすごい形相でにらまれたので、
「ぎゃーこわい!! かわいい私の写真でもとろ~~~!」と、撮ったけど全然かわいくなかったうえに背景めっさ汚い。

その様子を見て子供はにやりと笑ってトランプを片付けて床につきました。



実は上記の写真中、途中で子供はいっぺんキレて、自分の壊れかけのピラミッドを「きーっ!」と壊して、
どこかに行って、帰ってきたときに私が作ったやつもイラついて壊したので軽く平手打ちして

「なにすんねん、それはおかしいやろ」

と言ったら「ごめん」と言った。

わたしはしつこいのであと2回くらい文句を言ったという。


その後も子供は根気良く何度も作っては崩れてました。

子供は数時間ひとりで集中してたので、相手しなくて済んで楽だった。

私が見るに、彼の敗因は丁寧で几帳面すぎるとこだな。


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【2012/09/27 21:19】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
体感温度がずれていた。
(9月11日の夜中というか早朝?2時に兵庫の実家に到着しました)




母が、「もう少ししたらクーラーのある部屋にこもるから。」

というので、

「なんで?」

と聞いたら、

「暑くておられへんから」

というので仰天しました。


「うっそ~~!」

と聞いたんだけど、ほんとみたい。



今もすでに、私の今いる部屋には母も犬も暑くて行けないらしい。


え~~~~。


ぜんぜん暑くないや~~~~~ん。




「・・・・・・・・・・・・。」



わたし、インドは年々涼しく、過ごしやすくなるな~~~~~!!!!


と思ってたのですが、単にわたしの体感温度が変わっただけだったのかも。



え~~~。しかし、ぜんぜん暑くないし涼しいと思っていたんだけど。。。


ちなみに母タンクトップ、わたし長袖着用。




あー、ちょっとしたカルチャーショック!?

驚いた。

テーマ:美容と健康 - ジャンル:心と身体

【2012/09/12 14:06】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
渡印まえ。有馬温泉。
12月21日にインドに戻ってきたわけですが、その前日、20日に荷造りもまったくできてないながら有馬温泉に行きました。

体が冷えてたのであったまりました。

有馬温泉は実家からわりと近くにあって、気軽に行けます。


有馬温泉駅についてから、その日は火曜日だったのですが、火曜日は温泉街のあちこちが定休日だということに気がつきました。

なので閉まってる店も多く、人通りも少なかったです。

今まで何回か来たことはあったのですが、
このときは観光案内所に入ってみました。

有馬温泉は金の湯と銀の湯という2種類の温泉が有名で、どっちも入りたいなと思ったので、
どっちもそろってる旅館の外湯?で入ろうかと思ったんですが、
やっぱ火曜で、いい感じのそういうとこは定休日だったので、

結局いつも行ってる銭湯みたいな感じの一般向けの温泉に行きました。

金の湯のほうに入りたくて、銀の湯はどっちみちこの日は休みだったので金の湯に行くことにしました。

金の湯っていっても茶色っぽいお湯です。


しかし観光案内所で地図を見たら徒歩圏内に滝があったので、
滝が見たいとここしばらく思っていたので、温泉に入る前に滝のほうに歩いて行きました。

滝はとっても好きです。

ちなみにひとつお勧めするなら沖縄の八重山の西表島のピナイサーラ(ヒナイサーラ)の滝です。
これは滝の近くまでカヌーで行ってもいいし、
大潮のときに潮の引いて海底の露出したマングローブの干潟?を歩いていくのもとても楽しいです。
滝つぼで泳げるし、
滝の横から滝の上に上がっていって、滝の上から滝つぼを眺めおろすことも出来ます。

そしてさらに上流に岩を伝って上って行くとさらに小さな滝がいくつかあって、そこに至る光景はこの世のものとは思えない精霊の気に満ちていました。

すみずみまで覚醒した光と静寂の光景。
隠されていたものがすべてその姿を惜しげもなく開示し、圧倒的な迫力で見せ付けてくれました。

沖縄の人があまり入らないところでは幾度となくそのような異常に鮮烈な畏ろしいほどの数々の光景に出くわしました。 わりに容易に!

極小の単位まですみずみに満ちた光と命。

もはやそれは極小の単位ではなく全体として私の人としてのささやかな境界を瞬時に飲み込みました。


目撃することの畏ろしさ。責任。目撃することによって問いかけられているもの、求められているもの。

それは私がただただそこに存在するという種類の謙虚さと潔さ。

人が目にしていないところでどれだけ無数のこのような光景が存在するのか。
人が目にしているものはどれだけこのような目にされない無数の光景に支えられているのか。

逆に縁あって目にするそれらのうちの無にも等しい極小部分がどれだけ特別な選び抜かれたものであるのか。



。。。同じようなことをブログで何度も書いてるような気がしますが、すみません。笑




しかし西表は手ごろな大きさの島で、でもその中はバラエティに富んでいて、本当に面白かった。

西表島と波照間島は私の人生にとても豊かないろどりを与えてくれました。

思えば感受性の異常に冴えたあの時期によくぞあれだけ多くのものを与えてもらった。



果たしてあれはいったいいつのことだったんだろう。


もう80年も90年ももっともっと前のことだったような気もします。




有馬温泉の滝はそんなに大きなものではなくて、せいぜい10メートルくらいなのですが、
街からてくてく川沿いを歩いて上っていった先に公園の奥にありました。


しばらく滝を見ていなかったような気がするので、
とても懐かしい、帰ってきたような気がしました。

滝は何かわたしの原風景になってるのだろうか?


滝を見ていると、いつまでも豊かな水が流れ落ち続けるのであきれました。
馬鹿じゃないかと思った。

でもこれは、滝の、自然の性質だと思いなおし、

しょうがないんだと思いました。



滝は、流し出した水の一部を循環して返してとは言わない。

ただただ、馬鹿みたいに一方的に流し続けていました。



それが滝なんだから、自然の性質なんだから、しょうがない。




しかし天は滝に雨として水源を供給し続けて。



無心に水を流し続ける滝は無心に受け取り続けて。




少し悲しくなってその滝つぼに満たされた澄みすぎて青い水に視線を吸い込ませました。




しばらく誰もいなくてずっと私一人だったのですが、しばらくして誰かが来たのでその場を去りました。


街のほうにまたてくてく歩いて戻りました。
来た道とは違う道を歩いて、ロープウェイの駅をみたり、なんだか奇妙な幅と曲がり具合の坂道を降りていったり。


しばらくしたら金の湯に入れるところに出たので、そこで温泉に入りました。

金の湯は今まで入った温泉の中でも1~2を争う強烈さです。

この強烈さがたまらない。


↓金の湯
http://arimaspa-kingin.jp/cont01/cont01-flm.htm

肌もつるつるになって、ぽかぽかで帰りました。

名物の炭酸せんべいや漬物なんかもインドへの日本土産に買い込んで。

悲しいような満たされたような気分で。

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【2011/12/25 19:20】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
主名連れ神戸センター
今日は、いっぺんくらい主名をサイセンターに連れて行っておこうと思って、神戸センターに連れて行きました。

今回インドへは私だけが戻るので、私が戻るまでにいっぺんくらい連れていっとこうと思って。

今までサイババワールドで育ってるし、いきなりそれから完全に切り離されるのはよくないだろうと思い。

主名は地元の小学校への適応はばっちりなのですが、やっぱ徐々にいろいろ日本の生活からの干渉を受けて、みててちょっとな~と思うこともあり。すでにテレビ漬けだし。
あまりにしょうもないテレビ見てるので、やめさせて、今はテレビは減らして図書館で借りてきた本を読むようになりました。

べジだけは厳守してるみたいですが、食前マントラも学校では心の中で唱えてるらしいですが、家でわたしが声を出して唱えてたら恥ずかしいと思うのか、心の中で唱えろといったり。

で、久しぶりに主名と出かけたわけですが、
神戸センター、前もそう感じたのですが不思議と元気がない感じがしました。
不思議と、というとこがミソ。

ババが肉体を離れたことからまだ立ち直ってないかのようなそんなムードでした。
なんでかな?
人は結構多かったのに。


http://vimeo.com/33616174

↑人から教えてもらったサイトを横流し。笑

アメリカのお医者さんがババの声を心の中で聞くことについて語ってるらしい。

この人、プッタで見かけたときに、「あれ?〇〇さん????」と、じーーーーーっと見てしまった人かも。
最初に教えてくれてたヴェーダの先生によく似てたので。じろじろ見ちゃった。


右のほかの人の動画も、個人的に知り合いな人が何人かいたので笑えた。
ちょっとしばらく仲が悪かった人とか。笑
もう和解したけど。


今も聞き流してるけど内容は頭に入ってきてないです。
日本語を理解するくらい自然に英語が理解できたらいいなー。

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【2011/12/19 00:01】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
なんてことない話ですが。
夕食のすいとんと、ちらし手巻き寿司(どういうメニューだ)をおかーはんとそれぞれ作りながら(べジとノンベジ)しゃべってて、

おかーはんの習ってるリメイク(手芸)の先生は料理上手で健康にもものすごく気を使ってるんだけどなぜか血圧が高いらしく、本人もそんなに健康に気を使ってるのに、なんでかわけ分からんといっているという話をしてました。

わたしが、それってもともとの体質ちゃう?といって、
私がいっつも血圧がやたら低くて、妊娠時に助産院に行ってはかってもらったら「ご臨終ってかんじですね」とかいわれた話をしたら、(今は分からないけどその頃はいつも上が70下が30くらいでした)

母も何か思い当たったらしく、
そういえば、気功を習ってたとき、気功の先生が母の脈を取って「死んでるも同然だ。。。」「大丈夫なのか」とか言ってきたので、大丈夫やから来てるんやん。あほちゃう。こいつヤブや、と思ったり、

妊娠出産のときに病院にいって血圧や脈をはかったら看護婦さんが「動けますか?」と、
普通に歩いてきた母にまじめに言ったりしてきたという話をしてました。

そうか、極端に血圧が低い体質は母からのものだったのかと初めて知った。


それに加え私はなぜか平熱がやたら高く、わけわかんないんですが中高生くらいから最近までずっと37度2分くらいありました。
でもそれはインド暮らしをしてるうちになぜか落ち着いて、今はたぶん36度5分くらいになりました。

知人の子は日本からインドに来て暮らすうちに逆に平熱が37度くらいになったそうです。


まあそんな、体質?の話をしてたわけですが、
母の見解では、わたしや母は気が強すぎるから(性格というより、気功でいうとこの気みたいなもの)
だからそういう血圧の低さやなんかで抑えてバランスとってるんちゃうか、孫悟空のわっかみたいなもんやで、きっと。とかいってました。

血圧が低いと基本何するのもだるくて、動きもなんとなく緩慢で、あんまりがんばれないんでちょうどいいのかも。無理しない分、長生きはしそうですよね。笑


そういえば、最近サイババが近々復活すると信じてる人が多いみたいですね。
学生たちは特にそう思ってるみたい。

そういう復活を書いてる予言の葉っぱがあったりとか言うのも聞きましたが、

復活したら楽しいでしょうね~~。

何でも60歳くらいの姿で復活するんじゃないかとか。
だったら歩いてるババが見れるからなおいいですね。


ババの歩く姿はまじでこの世のものではなかったですから。

なんであんなにすべるように歩けるのか、みたいな。

ババのダルシャンで歩いてた頃はなんかふとババを見失って、そしたら思いがけないところにいきなりいて、わっと思うようなことがよくありました。

たんに注意力散漫だったとしても、
歩くババの姿はそれだけで異常なほどの美しさでした。

あの異常にものすごい集中させられる吸引力をもう一度味わいたくないといったらうそになります。

あのすさまじい吸引力は本当に尋常ではありませんでした。
だれでも我を忘れて全身全霊で見入ってしまう。
そんなつもりないのに手はいつのまにか勝手に合掌してて。爆

クリシュナは「惹きつける者」としての性質を持っていたか名前がそういう意味だったかは忘れましたが、
過去生のひとつが直接的な意味でのクリシュナだというサティアサイババも圧倒的な吸引力を持っていました。

神そのもの、が歩くとあのように美しく、
その姿を目で追う何万人という巨大な群衆のすべての意識はサイババという一点へと凝縮されて吸い込まれていました。
そのうねりはものすごいダイナミックでした。
あんなことになってるのこそとてつもない超常現象だった。

あんな尋常じゃないシチュエーション、なくなってしまうとそれがいかに尋常じゃなかったかがわかります。
あれを再現できるのはもう、サイババその人でしかありえないでしょう。


どうでもいいけど、最近サイババの夢すら見てないなあ。
夢に、たまには出てきてくれないかな。

たまには夢でしゃべりたいです。
元気ですか?とかいっちゃったりして。笑
死んでるって。一応。


復活したら楽しいだろうな~、とは、思う。

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【2011/12/15 22:18】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
久々の実家
昨日、横須賀から実家に戻りました。

昨日の朝も、朝7時くらいに中目黒の駅について、東京センターのチャンティングに行ったんですが、あ、そうだ、もうヴェーダクラスないし、7時45分?50分?からのチャンティングだったかなと思って、

じゃーなんか飲んで時間調整して行こうと思ってドトールに入って、抹茶ラテとか飲んで書き物したりして、その後7時半前くらいに店を出て、そこから徒歩15分くらいのセンターに行ってる途中に、

あ、今日は水曜だった?じゃあチャンティング7時半からだ!せっかく間に合う時間に駅についてたのにまぬけ!
と思って、
とにかく東京センターに行ったら
ほかのメンバーの人がゴミだししてたので、
あれ?今日は火曜だった。じゃーやっぱ7時45分?50分?からかー、と、2重に間抜けでした。

でもおかげでチャンティングには間にあいました。

その後川沿いのベンチで座って作った封筒を2つ郵便局で出して、そんで兵庫に帰るべく中目黒の駅から電車に乗りました。

そしたら電車が動き出してすぐに、電車の窓からきれいに富士山が見えました。
多摩川にもつかないうちに。

こんな都内からきれいに富士山が見えたことは初めてだったので、ほんとに驚きました。

今回関東に来るときもきれいな富士山を見て、関西に帰ろうとするときにも思いがけずすぐに富士山を目にすることができて、
何か富士山にまっすぐ語りかけられて、見送られているかのような気持ちになりました。


今回思いがけず長く関東に滞在しましたが、
温泉には3回行き。笑
というのは長いインド滞在で、日本食とかそういうのに対する渇望はさほどでもなかったのですが、
温泉はずっとずっと入りたかったので。
インドはずっとシャワーのみなので、ゆったりした湯船につかりたいなーと、日本人はみな思うと思います。

最初は町田に部屋を貸してくれてた知人の案内で妙園寺という寺?神社?に行き、
そこって銭洗い弁天で有名らしいんですが、敷地内に洞窟があって、その中にもいろんな神様が祀ってあって、その濃厚さはインドのそれを思い起こさせてくれました。

一番奥には大日如来もあって、ああこの大日如来ためにここに来たのかなとも思いました。


そんでその知人が鶴巻の温泉に連れて行ってくれて、
市営?の温泉でしたがきれいで広い施設で、露天風呂もあり、なかなかよかったです。
駅のすぐ近くだし、おすすめ。弘法の湯だったっけ。あやふやです。

2つ目は町田の次に横須賀の知人宅にお世話になってたのですが、
金沢文庫から歩いて10分くらいの住宅地の中にある銭湯風の赤井の湯、だったかな~~~?

450円でシャンプーなどは備え付けてないのでカウンターで購入。

なんかほうじ茶を煮出したような黒っぽいお湯でしたー。
渋いムードのマニアックな温泉。というか作りは銭湯そのもの。


3つめは馬堀海岸駅から歩いて12分という湯楽の里。
うろおぼえで適当に歩いていったのでけっこう行ったりきたり、もしかしたらたどり着くのに1時間くらいかかったかも。。。

こっちはオーシャンビューの露天風呂があるということで期待していったんですが、
宣伝の写真とは違って海との間に半透明の?目隠しがしてあったので、
立ち上がったら海が見えるが、海沿いの通りからも私が見えるというしくみ。笑
あかんや~ん。

でもきもちよかったです。レジャー施設って感じ。

岩盤浴とかいうのもあったのでそれも別料金をはらって入ってみましたが、なんかおっさん率が高かったような。。。おっさんでも誰でもおそろいの専用の服を着て入るんですが。
でも連日寝不足だったのでそこで横になってちょっと寝ました。
これは一回で充分だな。。。

岩盤浴の休憩室に漫画や本があったので、よくわからん仕組みだなと思いつつも、
日本の聖地とかいう写真集みたいなのと、ニューハーフの自伝を読んだりしてすごしました。
膣形成手術がそんなに命がけのものだったとは。。。

このときは東京センターでのチャンティングの後そのまま午前から行って、日が沈むまでいました。笑

夕食はそこのレストランで夕日が沈むのを眺めながら食べました。
昔はかなり厳格なべジにしてたので、外食はほとんどしませんでしたが、
最近は自分のリラックスのためにちょっとゆるめて、メニューにべジものがなくてやむをえない場合はかつおだしのスープと卵がまじってるくらいはOKにしています。

なのでこのときはてんぷらうどんセットを頼んで、
海老のてんぷらの代わりに野菜でしてとお願いしたら春菊とまいたけのてんぷらが代わりについてきました。
言ってみるもんだなと思った。

遠回りになるけどまた海沿いを歩いて帰って、
夜の海がうねるのを眺めながら駅に向かっていたら、横の一段高いところの手すりにもたれて海を見ていたおばさんが
「今月が昇りますよ」
というので振り返って見たら、
おそろしげな真っ赤な大きな月が海から半分顔を出していました。

あんな赤い月はじめてみた。

しかもえらくでかくて。


あんまりでかくて赤くて、見てるうちにどんどん昇っていっていたので、立ち止まってしばらく見ていました。

おばさんも先に帰りました。

月は昇るにつれてその赤い光の線を水面に伸ばしました。


変な月を見すぎたからかなんとなく悲しくなってめそめそしながら帰りました。

どんどん歩いて駅に向かったのですが、ついた駅はなぜか来た時より2つとなりの駅でした。

でもそしたら乗り換えの手間がなくなったのでよかったです。


他にも結構いろんなとこにいきました。

田園調布の知人の働いてるギャラリー、

なんだっけ、田園調布の一個横の駅だっけ?の近くの浅間神社(眺めのよいテラスがあった)、

明治神宮、1回目に行ったときは明治天皇に日本と世界を守ってくださいとお願いしました。
天皇が詠んだ句があって、国民を思う気持ちに感動しました。
ここでは天皇が神なんだなーと思ったので、
あなたが神であるように、みんなも神であることを実現できるように助けてくださいともお願いしました。
不遜だったらごめん。

そこを立ち去るとき、やさしいかぜがふわっと吹いてきました。

2回目に行ったときは昔ながらのおもちゃをごっそり購入しました。笑
自分とこの子とインドの知人の子達のぶん。けん玉とかこまとか。

ちょっと前にブームになったらしい清正の井戸?は、このときは私の前に2人組のおばさんがいただけで、1分くらいでどっかいって、私一人だけになりました。

別に井戸の写真を撮って携帯の待ち受けにするあれもないので(というか日本の携帯持ってない)
しゃがんで湧き出続ける井戸水に触ったり眺めたりしました。
寒かったのかな?
水の表面を白い蒸気のようなものが常に流れていました。

見ると自分の手からもすごく白い蒸気のようなものがザンザン流れ出ていました。

しばらくしたら誰か来たので帰りました。


単に通っただけだったけど、横浜に住んでるときにはなぜか通ったことなかった元町?だっけ?
こういうおしゃれーな通りがあるとは知らなかった。

氷川台の知人のとこに行ったときは先にトイザラスに行くというので、でも歩くにはちょっと遠いし、、、というんで、9歳の女の子のチャリに私が乗って、女の子はお母さんが自転車の後ろに乗せて。
自転車に乗ったのも久しぶりだったけど、こんなちいさい自転車に乗ったのも久しぶりでした。
知人の娘は付け爪とかメイクのセットを買ってました。女の子やな~~~。

自分とこの子には鉱石発掘キットみたいなのを購入。
インドでほんとの石を掘り起こしてたからむしろ子供だましかな?

トイザラスからの帰りは小さい自転車に乗るのが疲れてきて閉口しながらこいでました。笑

知人の家に行って焼きおにぎりを食べたらこの日も睡眠不足だったので眠くなってこたつで横になってぐーぐー寝ました。
その日は起きた後夜の東京センターのチャンティング&バジャンにも行きました。

あと、高尾山。紅葉がピークではなかったのかもしれないけどきれいで夜景も思いがけずきれいでした。
上の方の寺で護摩焚いてるなーと思ってガラス越しに炎を見てたら、そのうち終わって、
いろんな色の袈裟を着た坊さんたちが鳴り物入りで寺から出てきて退場していったので
いいもん見ちゃったなと思いました。

しかしこれはわたしはおばあなので筋肉の張りが翌日以降時間差で別の部位に順番に来ました。

あと、どこにいったっけ。
単にぶらぶら歩いたりもよくした。
街の本屋で数冊立ち読みで読破したり。笑

いろんな川も眺めた。

夜に人気のない道に迷って1時間以上街灯のないくらがりをさまよったり。

バスにもタクシーにも電車にもたくさん乗りまくりました。
船は乗らなかったな。
モノレールは乗ったっけ?
八景島の方に行く。
あれは前回かな?
八景島には行かなかったけどその手前の人口ビーチのあたりまで散歩したりしました。

移動するのって楽しいです。

今回子供は実家においていったので、久しぶりにずっと一人で行動できて、
好きなときに好きなところへ行って好きなだけ働いたりしながら滞在していたころを思い出しました。

生きてるといろいろうんと楽しいこともうんと悲しいこともあるけど、
知らない街に行って、そこを歩き回って体験していくことは、自分の性にあってるなあと思いました。

そういえば、滝、は見てないなあ。
滝、好きなので、またどこかで見れるかな。泳げるかな。

子供はわたしのこと、
「もうインドにかえったんちゃう?」とか朗らかにいってたらしいです。
あんまり実家に連絡しないんで、横須賀の知人がおかあさん、心配してるんじゃない?連絡したら?というので電話したら
案の定誰も私のことを心配していませんでした。
あまりに放置してたのでちょっとドキドキしながら子供としゃべったら
「インドに帰ったらアパートのおもちゃ送ってね!」との指示だけもらった。

心配されないことにかけては天下一の自負があります。

いや、ちょっとは誰か心配してくれても。。。と思わないこともないのですが。

インドにいるときも以前「疲れて帰りたいから旅費出して~」と親に泣きついたときも
「今回だけやで!」と約束させられたし。

親が心配して自由に動けない人たちからしたら恵まれてるとよく言われます。
結婚も結果的にわたしをインドに送り込んだ。

束縛されるような状況にははまれるはずもなく。
しかしなぜかプッタパルティにとどめ置かれるわたし。
きっと一般の場所ではそぐわなくて、調和を乱して迷惑だから、そういう人はプッタパルティに縛りつけれれて、
あんまりよそで迷惑をかけないようにされてるんだろうと思いますし、
私もその一人だろうと思います。

なんせ、帰る場所があってよかったです。
プッタパルティはいつしか実家以上に実家のようなものになりました。

兵庫の実家に帰ってしゃべってたらなんか自分のイントネーションが平坦でおかしかったので、
「なんかわたし東京弁になってへん!?」
と(「なってへん?」といってる時点で関西弁やんと思いつつ)言ったら
母は
「ちょっとね」
と答えました。

できるだけ毎日1時間くらいヴェーダを唱えるのを続けよう、と思ったので、
今日実家でも夜に1時間くらい一人で唱えました。

主名が寄って来たので主名にも唱えさせましたが、
あれだけいろいろ教えて暗誦していたにもかかわらず、ガナパティプラールタナとドゥルガースークタムくらいしかもう覚えてませんでした。
子供は覚えるのも早いけど忘れるのも早い。

でも一緒に唱えるととても気持ちよかったです。
子供の雰囲気ってやっぱ清冽でいいですね。

テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2011/12/14 22:25】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(1) |
日曜の東京センター
今朝も朝から東京センターに行っていました。

朝ヴェーダの後は目黒川?べりを歩いたり、そこらの店に入ったりして時間を過ごして、
午後のヴェーダ&バジャンの時間にまた東京センターに戻ってきました。

バジャン後にここしばらくヴェーダを教えてくれてるインド人青年のスピーチがあって、
あー、ほんとにそうだとか思いながら聞いてたんですけど、
大体忘れたかな。笑

ババはスピードを好むという話もあって、大きなプロジェクトのときは特に、ものすごいスピードで完成させて、周囲がなにが起こってるか認識できないうちに工事とかを終わらせるそうです。

というのは、周囲に知れるとありとあらゆる妨害がなされるからだそうです。


インドで何かプロジェクトにたずさわるときはそういうことをよく言われました。
これは誰にも言ってはだめだとか。

別にオープンでいいやーん?と、基本、性善説主義の私はよく思ったのですが、
プッタは何でもあからさまで、嫉妬もすごいので、(すごかった、というべきか?)
ああ、ほんとに、話を誰にでもするもんじゃないなと実感してわたしも認識が徐々に変わりました。

雑音が入るとどんどんだめになっていく感じが感じられて。


それはプッタではあからさまだけど、きっとどこでもそういうことはあるんだろうとは思います。
また、プッタが人との距離がなさすぎるからそういうのも濃いんで、
日本とかほかの場所だったら人と人との距離も離れてますもんね。

私は嫉妬とかって、ホント意味がわからなかったけど、
今はいいのか悪いのか、意味がわかりました。笑

なんできついこと言われたりするのかとか、ほかの人に「それは嫉妬されてる」とよくいわれ、

母にも「あんたは嫉妬されやすい」と子供のころからいわれ続け、
わたしの何に!?と、意味がわからなかったんですが、

今はわかりました。

ああ、こうやってこんなわたしも複雑になっていくのか。。。。笑


あ、この話、東京センターは関係ないですー。念のため。


基本、わたしはすごくぼんやりしてるので、
他人の心の機微もあんまりわからないしめんどうなのでわかろうとあまりしてないです。

興味もたぶんなさそうです。


スピーチの後にインド人青年は30分バッギャスークタムを教えてくれ、
一応全部終了しました。
明日の朝、また復習してくれるそうです。8時から。チャンティングは7時25分から。


センターの500円ヴェジ弁当を食べながら
「人生につかれた~~~」と言ったら、近くの2人に爆笑されました。

そんで、「ツルツルピカピカまるまるとよく育ったってかんじ」と、いわれました。ほめられたらしい。


しゃべってた人は、昨日月をみたらまんまるだったのに、
しばらくして見たらすごーーーくちっちゃくなっていた、、、、、!と恐ろしげに言っていたので、
昨日は月食だったんで、
わたしとほかの人も腰が痛くなるまで爆笑しました。

テレビとかネットとか見ないんで知らなかったらしいです。


きっと昔の人が月食や日食に感じる底知れぬ恐ろしさを彼女も鮮やかに体感したのでしょう!?


テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2011/12/12 01:23】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(2) |
東京センターでの数々の再会と横浜センターの新月祭
とりあえず次のマハシヴァラトリまで、中目黒のサイセンターでは毎朝7時45分から8時半まで、水曜と土曜日は7時半から8時半までヴェーダチャンティングをしてるそうです。
木曜は朝7時半から8時半までヴェーダクラスだそうです。
川崎グループで、そのことを教えてもらったので、
翌日の日曜の朝に早速東京センターに行ってみました。
といっても遅れていったので最後の10分くらいだけの参加でしたが、
その雰囲気だけでも感じれて、いいなあと思いました。
プッタパルティでよくしゃべったりしてた人も来てたので面白いなと思いました。

そのあと、ほかの人たちとしゃべっていたら、
「あ~、さわこさん~~」
と、部屋に入ってきた女性が言うので
「だれ?」
と思ったら
渡印前に横浜センターで一緒に青年部をしていた日本人ファミリーのママ友でした。

なんでも彼女は今東京センターで子供たちに霊性教育をするようなバルビカスの先生役をしてるとのことでした。
この日バルビカスがあるので来たみたいでした。

「丁度よかった。手伝ってくれる?」
とかいわれたので
「いいよ」
と言って下の階についていったら、
その日の授業で使う教材の絵を描かされました。
リンゴと、パンと、毛布と、カップに入った暖かいチャイ。

それを切り抜いて、棒をつけて、子供たちに前で見せる物語のなかで使っていました。
ほんとに始まる時間ぎりぎりで。笑
「あーよかった、たすかっちゃった。これ、私の宿題だったの」
とか彼女が言ってる間にお母さんと子供たちが集結してきて授業が始まりました。

わたしは子供つれてないんだけど参加することになって、一緒に座ってました。

授業はメインでは別の人が先生役をやってて、
その人も京都グループ?センター?にしばらく通ってたころの知人だったので、
再会して「おおー」と思いました。
その人は6年ぶりくらいになるんでしょうか。

この、別の場所での知り合い二人が東京でバルビカスの先生をやってたのでなんか面白いなと思いました。

バルビカスはその時は幼児クラスみたいなかんじで2~3歳くらいの子から6歳の子が来てました。

紙の人形劇風の神様を思う心の物語の読み聞かせと、それにまつわる問いかけがあったり、
それは神様のためにいろんなもの(授業直前に絵をかいたやつ)を用意していた男の人が、それらを困った人とかにみんなあげてしまって、神様にあげるものが何もなくなってしまうんだけど、
でも神様はそれらの人々の中にいた、それらの人々がじつは神様だった、みたいな話だったと思います。ちがってたらごめん。笑
あと、ヒーローの変身風に体を動かしながら道徳的なキャッチフレーズを言ったり、
(「常に助け、けっして傷つけない」だったっけ。)

メインの先生は体育会系なので
子供用に説明をアレンジしたヨガのポーズをしてみせたり、みんなでしてみたり。

あと、神様の絵が描いてある折って完成させるパズルがそれぞれに配られて、
白紙のところにそれぞれがババのイラストを書いて完成させ、
折って絵合わせを楽しんだり、
そういうことをしていました。
で、最後に一曲バジャンとアルティで終わりだったかな?

何組くらいの親子が来てたんだろう。
4~5組かな?
2組の親子はわりとよく知ってる人たちで、知人で、
やっぱり再会にちょっと盛り上がって、
私もそのうちの一人には今回日本に帰国してる間に連絡しようかなと思ってて、向こうも思ってたらしいので、
いやー、東京センターで会えて手間が省けちゃったなというかんじで。

ほかの親子は知らない人たちだと思ってたのですが、

バルビカスが終わった後に
そのうちの一組の親子に
「さわこさんですよね、お久しぶりです」
と言われ
「??すみません、忘れました」
と答えましたが

しゃべってるうちにそれが誰か思い出してきて、
自分の中の彼女のイメージと目の前のその人が全然違ってたのですごくびっくりしました。

その人は12年前にプッタパルティのサイババツアーでアシュラムで同じ部屋に泊まってた人で、彼女はそのときインドで出会った相手と結婚してすでに3人の子供がいました。
わたしは日本に戻ってから彼女と手紙のやり取りもして、大阪で会って一緒にご飯を食べたりもしてたんだけど、言われてもしばらく全然誰かわかりませんでした。

人ってこんなに雰囲気変わるもんなのかー、と。

当時は彼女は常に目を見開いて霊感的なかんじで彼女自体が魔よけになるような緊張感があったのですが、
12年ぶりにあったときには常に目は半分閉じたみたいになってて、柔和で突出した雰囲気を感じさせないやさしいお母さんそのものになっていました。

あまりの変わりようにびっくり。

と、彼女に言ったら
「さわこさんのほうが変わりましたよ、太りましたよね」
と言われました。笑

確かに12年前の私はなんというか、いがぐり頭に幅広のヘアバンドで頭を覆って、
変な格好をしていて、いい風に言ったら研ぎ澄まされて、逆に言ったら世界に混じれなくてひりひりしていました。

「でもいい風に仕上がってきてる」
と彼女は言いました。
そうなのかー。仕上がってきてるのか。笑

そんで、ひとしきり話して盛り上がった後、
この日は日曜だったので、午後にまたヴェーダとバジャンがあるということだったので、
それに参加してからこの日夜にある、横浜センターの新月祭に行こうかなーと思って、
東京センターで日曜に300円で食べさせてもらえるお昼を食べて、
しばらく1階で座ったりしてたんですが、

やっぱ横浜にすぐに行こうかなという気になってきたので、
東京センターの午後のヴェーダとバジャンを待たずに外に出て、
そのまま中目黒の駅から東横線だったっけ?
直通で途中からみなとみらい線になるやつに乗って横浜センターに行きました。

一本の電車でいけるし、思ったよりも早かったです。

3時くらいに横浜センターに着いたのかな?
バジャン練習をしてたのでそれに参加して、
4時からのバジャンにも参加して、
通常のバジャンは5時で終わったのですが、

この日は月に一度の新月祭で、
わたしはこの、うわさの新月祭をいっぺん見てみたかったのでこの日横浜センターに来たのでした。
なんか、踊るらしいよ?みたいな。

5年前に私がインドに移住したときにはまだこの新月祭は行われてなくて、数年前から始まったらしいのですが、
ジュレラールサイとかいう水の神様のお祭りとして祝ってるみたいでした。
最初聞いたときは なにそれ?って思ったのですが、
パキスタンのあたり?シンディ地方?のシンディの人たちが信仰する神様だそうで、
実はその人たちが昔、住む場所を追われて脱出して日本にもたくさん来てて、
日本のサイババのセンターに来てる人たちの中にもそういうシンディーの人たちが多いみたいです。
そんで、数年前にそのジュレラールサイの立派な神像が横浜センターの祭壇にも設置されたというわけ。
横浜センターはもともと神戸センターと同じように、サイババの施設と言うより、日本在住インド人のための施設として使われてたみたいで、
今もたぶんそうなんですが、
だから、来る人のインド人率が高いんですよね。
インド臭満点です。

横浜センターでは月に一度の満月祭というのもやってて、
これには私も何度か参加したことがあったのですが、ほんとにインド人のインド人のための歌と祈りと憩いのお祭りみたいなかんじで、
とてもいいかんじです。
終わった後はご飯が出てそれをみんなで食べて、みたいな。

ちなみにバジャンはもちろん、新月祭も満月祭も誰でも無料で参加できます。

そんでこの新月祭が午後6時から始まったのですが、
最初は普通のバジャンみたいに始まるかと思いきや、
あれ?言語が違う。。。

普段のバジャンはたいがいがヒンディー語のヒンディーバジャンなのですが、
この新月祭のバジャンはシンディー語で歌われていました。

ヒンディーに慣れていた耳にはすごく新鮮!
うおーと思いました
めちゃくちゃフレッシュ~。
ヒンディ普段聞いてない人にはどっちも同じようなもんかもしれないけど。

曲も、聴きなれたメロディーのシンディーバージョンもありましたが、
聞いたことのない旋律のもたくさんあって、
そのどこか哀愁をおびたようなソウルフルな歌は、プッタパルティで仲のよかったイラン人ファミリーの仲間たちが歌うモスリムの歌を耳にした時の感覚を私のなかに呼び起こしました。くううっ。

そのときあるイラン人が子供を抱いて子供に歌い聞かせていた歌だったのですが、知人のイラン人奥さんは「あれはほんとは子供に歌うような歌じゃないけどね。でも彼女は歌ってるね。」と笑ってました。
たぶん神に対して切々と歌い上げるような内容だったんじゃないかなと思います。

そんなわけで、この横浜の一角で行われている新月祭は音と、それが行われている様子の視覚的なものとともに、わたしを異次元にトリップさせてくれ、けっこうぐっときました。

横浜のこんなところでこんな異次元が展開されているとはなあという感じでした。
まあいってみればインド音楽のゆうべ、みたいなかんじですが、
ステージでお客さんに聞かせるものとちがって、祭壇に向かって直接的に神に捧げられるものであるので、その場にいる人たちの間の区別がない分、よりいっそう素晴らしいと思います。
よく知ってると思っていた顔なじみのインド人の人たちが、私が今まで聞いたことのないシンディー語で真摯にソウルフルに掛け合いながら歌い続けているのを聞いて、
今まで知らなかった、彼らのより深い根っこのところが見えるフタがあいたような気がしました。
いままでそれなりに知ってるつもりだった人たちのイメージが軽く一新されて、軽く衝撃でした。

そして、すごい太い腹まわりのインド人のおじさんが中央に出て行って華麗にステップを踏んで踊り始めました。
軽やかだ~!

この日はほかの人にいわせると歌もダンスも地味で盛り上がりに欠けたらしいのですが、
男性は単発でちょろちょろ進み出ては踊り、女性は輪になってぐるぐる回りながら踊っていました。
私は何度も誘われたけど様子をうかがって座っていました。笑

この日は一回盛り上がる山場があって終わった感じでしたが、いつもは3回くらい繰り返し山があるそうです。

ああ、ジュレラールサイ。なぞの神様よ。

もともと、川の神様みたいです。
日本で言うところの水天にあたるらしいです。

しかしこの神様、でっかい魚に乗った金持ちそうな姿。。。
どこかでみたような。。。

あ~、えべっさんだ。笑

わたしは西宮育ちで正月にはいつもえべっさん(西宮えびす)に初詣に行っていたのですが、
その、えべっさんみたいだなと思いました。

思わず懐かしい感じがしました。


終わった後はビュッフェ方式でご飯が出ました。
ヒヨコマメのカレーだったっけ。ダルになるのかな?は、どこかのレストランに注文したらしく、プロの味でおいしかったです。
そのほかのは持ち寄りみたいでしたが、サラダっぽいのとかおいしかったです。
祝い用らしい、ほのかに甘いごはんにおいしいカレーをかけて食べて、堪能しました。
なんかフルーツとかももらって帰って、ほくほくのジュレラールサイ、新月祭でした。
この日たまたま知らずに初めて横浜センターに来た日本人女性もいて、
こんなお祭りだと知らなかっただけに、すごく感動的だったようでした。

よかったよかった。

この日は朝からたくさんの人たちと再会して、ワーワー盛り上がって、
夜はこういうゴージャスなイベントを堪能して、
センターっていいとこだなーと思いました。

いろいろ面白いですよね。

本来の性質はサイセンターは奉仕団体なんで、日ごろの地道な奉仕活動(路上の人たちに食事などを配ったり、老人ホームや孤児院でのボランティアなど)が根底を堅固に支えているのですが、
こういう風にぶっとんだ楽しい異空間バイブレーションを街に放出することでもきっと世界の壁を押し広げて断裂の痛みを癒し、世界を大きくサポートしてるんじゃなかろうかと思います。

みんなで楽しむことは感動的だなとおもいます。

テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2011/12/05 17:03】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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