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4月17日
4月17日

最近、引きこもりのように部屋にいることが多かったので
(部屋で煮炊きすると出かけるのもめんどくさくなって)
今日は午後からミニツアーみたいなのに行きました。(VALLEY TOUR)
タクシーで4時間くらいで600ルピーでした。
10の観光スポットをまわりました。

1、COAKER'S WALK
2、LA SALETH CHURCH
3、500 YEARS TREE
4、PAMPAR FALLS
5、GREEN VALLEY VIEW
6、GOLF COURSE
7、PILLAR ROCKS
8、GUNA CAVE (DEVILS KITCHEN)
9、PINE TREE FOREST
10、SHANTHI VALLEY VIEW

この他にUPPER LAKE VIEW も行ったような気もしますがよくわかりません。
ここからは湖が上から眺められました。
左手にはアシュラムが見えました。

上記の10個のポイントのうちでは4番の滝から行きました。
私は滝が好きなので見えたらわーと喜んだのですが、タクシードライバーは
今は水がないからと、少し車のスピードを落としただけで通り過ぎてしまいました。
確かにちっちゃい滝だったけど降りたかったなと後で思いました。
最初だからよくわからなくて。

次に5番の、眺めのいいところに行きました。
インド人観光客がたくさん来ていました。
霧がかかっていて眺めは見えたり見えなかったり。
サルがいっぱいいて、カメラを撮られそうになった若者たちが喜んでいました。
主名は65ルピーのコカコーラのトラックのおもちゃを手に入れました。

次に4番のでっかい垂直の岩の眺めが見れるところに行きました。
ちょっとした公園というか広場みたいなのになっていて、主名は滑り台を一回滑りました。
幅が広くて怖かったのか、一回で充分だったようです。
シャボン玉も売ってたので買いました。
横には花壇が作られていて、色とりどりの花が咲いていました。

次は8番の洞窟だったか。
たくさんの人が転んですごく危険なので立ち入り禁止になったそうで、
洞窟の上から中を覗けるだけになっていました。
金網や柵で、内部には入れないようになっていました。
確かに、柵とかなかったらすっごい危なそうな裂け目でした。
インド人の若者がわざわざ危ないちょっとした崖を降りていました。
車を停めたところから洞窟まではわりと歩きました。
もちろん主名はほとんど歩かず。
抱っこして歩きながら、こんなに運動するつもりじゃなかったのになあと思いました。

次は6番のゴルフ場だったと思います。
なんでゴルフ場が観光スポットになってるのかよくわかりません。
滝では車を止めなかったドライバーが、ここでは車を止めて写真を撮ることをすすめてきたので
一応写しました。

次は9番の松林あたりですか。
松林は政府が植えたものだそうで、まっすぐな松が整然と並んでる人工的なものでした。
これもなんで観光スポットになるのかよくわかりませんでしたが、インド人観光客はおおはしゃぎでした。
奇声をあげてどんどん林の中に入っていって、「ツリー!ツリー!ツリー!!!」とか言っていました。
たくさん観光客が立ち寄っていました。

次は10番のまた眺めがいいところでした。
ここもサルの群れがいました。
ここが一番好きでした。
観光スポットだけど、なんかプライベートスペースみたいで。
車から降りて、ごつごつした足場を少し下っていくと、視界の開けた場所にでました。
しばらくそこに座っていました。
地面が消えてる先はすっごい崖らしくて、覗きはしませんでした。子供を抱っこしてるし。

コダイカナルは2000メートル以上のところにある場所なので、眺めがいいところが多いですね。
霧も多いみたいなのでスッキリと見えることは少ないのかもしれないですが。

あと、コダイカナルで有名だという教会に行って(5時半で閉まってたので中には入りませんでした)
古い木をフェンス越しに見て(観光客が木に自分の名前を書いたりして落書きするので政府が立ち入り禁止にしたそうです)
1番の、また眺めがいいところで最後でした。
ここは遊歩道みたいになっていて、景色を見ながら20分くらい歩いて別の出口から出ました。
主名はボンドみたいなのをストローで膨らまして作る風船を買いました。
どこに行っても彼は車のおもちゃを地面に走らせて遊んだり、風船を地面に落として眺めたり。

途中、コダイカナルのテレビ局か何かがあって、巨大なパラポラアンテナ?が3つくらいありました。
ゴルフ場よりそっちの景観のほうが面白かったのですがそこは撮影禁止でした。

いくつかヒンズー教の寺院もありました。
そのひとつはマーリアンマンの寺でした。
でもドライバーはイスラムっぽかったのであんまり聞きませんでした。
別の日にでもどっかの寺でプージャしたいなと思ってたのですが、
もしタクシー頼むならヒンディの人がいいだろうなと思ったり。

チベットレストランで降ろしてもらいました。
トマトスープとベジタブルチーズスプリングロールとベジタブルチョプシーにしました。
と、飲み物と。

ボンドみたいなので作る風船が割れたので、主名にせがまれて作ったらへたくそで、小さいのしかできませんでした。
店員もベリースモール、とかいって笑うし、主名は大きいのがいいと言って泣くし、(そんなんで泣くなよ)
それを見てまた店員が笑って、わざわざ他の人に主名の泣きまね入りで状況を説明して笑っていました。
でもそのうちわたしも上手に作れるようになりました。

地元の学校に通ってる日本人のハーフの女の子に声をかけられて少ししゃべりました。

その後ネットカフェに行って、ようやくマドゥライの日記をブログに貼り付けられました。
私にしては遠い道のりでした。
画像を貼り付けるのは、む、むりかな。
ここのネットカフェでやったら店内のすべてのパソコンが停止しそうです。

外を行列が練り歩いていました。
何かと聞くと、明日マーリアンマン寺のお祭りだということです。
行列はそのお祭りの一環だそうで、寺に行くところでした。
今は正月なので年一回のお祭りだそうです。

明日はプージャに行こうと思っていたので、ちょうどいいしそのお祭りに行こうと思います。
私らが行っても見れるのか、ネットカフェの人とホテルの人に確認したら大丈夫とのことでした。

夜、ホテルへの帰り道、主名は聞いてもいないのに「主名、コダイカナル好き」と言っていました。
「涼しいからな」と、答えました。
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【2007/04/19 23:53】 | マドゥライ | トラックバック(0) | コメント(0) |
マドゥライ3日目
今日コダイカナルに立つ予定だったんですけど、マドゥライの居心地がいいというのと、
レストランのメニューをもう少し試してみたいというのと、
髪の毛をしっかり洗ってからコダイに行きたいというのと(お湯に困るという話を聞いたので)、
パンジャビをさらに一枚か二枚仕立てたいというのと(気に入った)
クリーニングと自分でする洗濯をして、衣類の準備を整えてから行きたいというのと
(コダイは洗濯しても乾きにくいと聞いたので。マドゥライなら速乾)
パレス(王宮)にまだ行ってない、というのがあって、出発を一日延ばしました。

早く出発したい要素としては、主名があせもぎみでかゆがるということくらいで。
私はさっぱりしたくて一日4回くらい水を浴びてるけど主名は1回くらいしか浴びる気にならないらしくて、
そりゃ、かゆくもなります。
汗でべたべただから。

昨日仕立てたパンジャビが気に入ったので着て出かけました。
すでに日が高くて暑かったので、オートリキシャでパレスに行きました。
入場料は50ルピー。
主名はちっちゃいしいいだろうと思って自分の分だけ払って入りました。

中は普段の生活ではないような大きくて太い柱が林立している、天井の高い宮殿でした。
外から見たらのっぺりしてるのに。
いろいろな装飾もされていましたがずいぶん修復されて、色とかもちゃんと塗りなおされていました。
しかし印象としてはガイドブックに書いていたように、過去の遺産で、跡地、でした。
中央には中庭のように広いスペースが開いていて、そこは天井もありませんでした。

大きくて手の込んだ建造物は王様が権力を誇示するために作ったとかそういうのなんでしょうけど、
普段の生活にはないスケールの建造物の中にいると非常に開放されたような気持ちよさを感じました。
しかし、これがもし現役の建造物で王様がいて、そこに訪れたなら、
ここでは王様には逆らえないという、権力の存在を感じるんだろうなと思いました。
でも王様はもういないので、楽しい場所でした。

このパレスの気が抜けたような気持ちよさに比べれば、ミーナクシ寺院で起こりえる開放の感覚とは、
多分個人性を抑圧してつぶしてしまって、
そこから立ち上がってくる非個人性の気持ちよさで開放なんだろうなと思いました。
パレスの方は、他者を飲み込む個人性で、好きなように思ったままやっちゃって気分がいいという感じで。

パレスの右奥には博物館があって、昔の道具や文字や仏像などが展示されてありました。
ブーデーヴィの像とかもあって、これがヴェーダのブースークタムの女神様か~と思いました。
アガスティアの葉と同じ、やしの葉に文字が書かれたものも展示されていました。
虫食いになっていました。

デジカメを持ってくるのを忘れたので、パレス内部の写真を撮る気は最初、なかったのですが、
まあ、もう2度とこないかもしれないし思い残すことのないようにしようと思い、
使い捨てカメラで、何枚か撮りました。
で、出た後でカメラ持ち込み料を払いました。

またオートリキシャに乗って、ミーナクシ寺院の北門に行こうかと思ったら、
パレスの外に待ってたのはサイクルリキシャでした。
まあいいかと思って乗ろうとしたら、
マーリアンマン池に行ってから北門に70ルピーで行くからどうだとか言ってきました。
何回か断ったのですが、マーリアンマン池はガイドブックで見て、
パレスの方向だなー、でも遠そうかな。と思っていて、ちょっと行ってみたい気もあったので、
オッケーしました。
リキシャのおじさんはガンジー博物館も回ったら130ルピーで行くと薦めてきましたが、
お腹すいてて、さっさとご飯を食べに行きたかったし、ガンジーには興味ないので断りました。

昼間の暑いときで、リキシャーのおじさんが炎天下の中自転車をこぐのを後ろから見てると、
ちょっとすまないような複雑な気分になりました。
しかもマーリアンマン池までけっこう遠かったです。
どこまで行くのかなー、まだ着かないのかなー、と、乗ってるだけでも疲れました。
ガイドブックによると、市の東端4,5キロだそうです。
しかし、ミーナクシもマーリアンマンもともに女神で、マドゥライは女神が表に立ってる感じですね。

マーリアンマン池は暑さで干上がってて、牧場みたいになってました。
牛がのどかに草を食べて。
中央に建物があるのでそこに行こうと思い、草地になっている池を渡りました。
水がいっぱいのときはボートでわたったりするようです。
緑の草地の上は地上よりも涼しく感じました。
ぬかるんだり水溜りになってるところもたくさんあったので、あちこちうろうろしながら
歩けるところを探して中央まで行きました。
おじさんは裸足なので、ざばざばどろんこの水溜りを歩いていって、大丈夫だから
私もそこをわたれると思ったみたいでしたが、
牛の糞ぽい褐色の水溜りはちょっといやだったので、歩けるところを探しました。

中央について、階段を上がっていって、島のようになっているそこで休憩しました。
池から涼しくて気持ちいい風が吹いてきました。
地面に枯葉や枯れ枝がいっぱいあったので、主名はそれで楽しそうに遊んでいました。
 
マドゥライの男女の若者グループと一緒にあがってきたので、一緒に休憩して、
先に私たちが去りました。
階段とかはおじさんが主名をおんぶしてくれたので、主名は味をしめてしょっちゅうおんぶをせがんでいました。

池が干上がった後の草地では子供たちがクリケットをして遊んだりしていました。

何枚か写真をとったら、おじさんができた写真を送ってくれと言うので住所を聞きました。
その前に、外国人と一緒に撮った写真や手紙などをたくさん見せられていたので、
その中に加えられるんだろうな、と思いつつ。
子供が5人いるとかいうので、がんばって働いてるんだなと思ったら、
子供はもう成人してたりもするみたいでした。
でも、結婚させるのに。お金が要るとかも言ってました。
女の子は持参金がたくさん必要とかも聞きますもんね?
仕立て屋で、わたしが子供は男の子が一人だと言ったら、ラッキーだとか言われました。
そういうもんなのかなと思いましたけど、インドではそうなんでしょうね。どこでも???

のどが渇いたので小屋みたいな店でジュースなどの水分を補給しました。
おじさんにもジュースを勧めたら、おじさんはチャイと名前は知らないけど天ぷらみたいなおやつを食べました。
ジュースとかだとばてるんですかね。

あんまり一生懸命何度もすすめるし、見るのはタダだというし、数メートルわき道にそれるだけだったので、
全然興味なかったんですけど、紡績工場に行きました。
といっても小さい部屋に機械を置いて糸をつむいだり(かな?)布を織ったりしていました。
コットンの部屋ではガンジーの糸車みたいなのの大版みたいな糸車がまわっていました。
多分、こういうガンジーイメージのものは観光客の反応がいいんだろうと思います。
でもわたしはガンジー興味ないし、
こういうローカルな工場も自分が働いてたくらいだから別に見たいと思わなくて。

そんなでしたが、主名は紡績工場の機械がめまぐるしく動く様子が面白かったらしくて、
次のナイロンの部屋に行った後に自分でまたコットンの部屋に再び行っていました。

工場を出て、比較的清潔そうな、さとうきびジュース屋さんがあったので主名と分けて飲みました。
おじさんもいるかと思ってもうひとつ頼んだらいらなかったらしくて、ジュース屋さんの横にたたずんでいた
女の人二人が分けて飲みました。

ミーナクシ寺院の北門に行くまでにも、
他にどこそこに行こうとかいろいろ言ってきましたが池が遠くて疲れたので断りました。
北門に着いたら300ルピーとか言ってきました。
なのでキレたふりをして、私は最初北門にだけ行くといったけどおじさんが70ルピーでいいというので
池に行ったのになにそれ。みたいに正論を言ったら、
オッケー。ラストプライス。150ルピー。
などというので相手してられないと思って、70ルピーを渡して、主名のおんぶ代10ルピーを加えて去りました。
写真は送りません。
主名をおんぶしてる写真を他の観光客が見たら間違いなくおじさんを実際以上にいい人と思ってしまうはず。
しかし、300ルピーはけっこうおじさんも思い切って言ったみたいで、どことなく弱気だったので
対応が楽でした。

北門の仕立て屋でさらにパンジャビを2着頼みました。
2着で1100ルピー。自分でも自分の金銭感覚は理性的ではないと思います。
よく言って直感的。
パンジャビはこれまた欲望を満たすことで心残りをなくそうと思って。

その後また昨日も行ったおいしいご飯やさんに行きました。
仕立て屋の横にいたサイクルリキシャで行きました。
ところが道を知らなかったみたいでだいぶ遠回りして、
最後は一方通行でリキシャが目的地方向に行けないところに出たので歩くからといって降りました。
あんまり遠回りして気の毒になったので5ルピーだけ上乗せしたらにっこりしていました。

おいしいご飯やさん。
ところが、色んなメニューを試してみたくて今日頼んだものはどれも味が濃くて私も主名も
食べるのがつらいものでした。
ああもう、ここにも思い残すことはないと思いました。
やきそばみたいなのをスパイスを利かさないで作ってもらって持ち帰りました。

食べてるときに外はすごい雨になっていて、道は洪水になってるし、稲妻もビカビカ光っていました。
やっぱ、今日の朝、コダイカナルに移動しておけばよかったのかなあ、
マドゥライでだらけずぎたかなあと思いました。
コダイへの道は山道というし、土砂崩れとかで通れなくなってないだろうか、とか。

とにかく店の外に出て、オートリキシャを拾いました。
道路が川になってたので主名をドライバーに受け取ってもらい、わたしはサンダルを脱いでジャバジャバ渡りました。
泥のやわらかい感触が気持ち悪かったです。

いつもならホテルまで30ルピーなのですが、50ルピーと言われました。
一応、はむかってみましたが、洪水中だし、すぐひきさがりました。
ところがちょっと行った別のホテルと勘違いされてたみたいで、すぐ降ろされそうになりました。
この距離で50ルピーと言ってたのか?と思いました。
そこからだいぶ離れた自分のホテルについて、50ルピー渡して、もっとといわれるかと思いましたが
そうではありませんでした。
だって普段30ルピーですもんね。

コダイカナルに行ったらお湯が充分使えるかどうかわからないので、マドゥライにいる間に
念入りに頭を洗いました。
お湯を浴びて、クリーニングから帰ってきていた服に着替えたらもう、パンジャビの出来上がる時間だったので出ました。
出るときに、ホテルのフロントで翌日のコダイカナル行きのタクシーを頼みました。
エアコンなしで2000ルピー以下で。もし2000ルピー以上だったら自分で予約するからといって。
空港からホテルに来る時にタクシーの名刺を2枚もらっていて、
どっちもエアコンなしだと2000ルピーと言っていたのですが、
どっちのドライバーのタクシーに乗っても酔いそうな雰囲気だったので、ホテルで頼んだらいいドライバーが来るかもと思って。

もう雨はほとんど上がってましたが、道がずるずるだったのでベビーカーは持っていかずに
主名を抱いて歩いていきました。

途中で、初日に会ったおばちゃんと、次の日プージャを助けてくれたおばちゃんが仲良く歩いてくるのに会いました。
いろいろしゃべって、「今からお茶のみに行くの?」と聞かれたので
「パンジャビを取りに行く」
と言ったら、次の日会ったおばちゃんは「ああそうよ、もうできてるから!」みたいに反応して、
一方、初日に会ったおばちゃんはびっくりして、
「あら、この人(次の日会ったおばちゃん)、商売しちゃったのね」
というような表情と目線を送ってきたので
「ええ、まあ、そういうことなんです」
というような目線で答えました。
そしたら初日のおばちゃんは手に持ってた黒いビニール袋を開こうとして、
なかなか開けなかったのでしまいにはやぶって、中から商売用の売り物の小銭入れをひとつくれました。
ええっ、と思って、感動しました。

マドゥライ、今日は雨も降ったし、余分な滞在だったかな、もう全然思い残すことないわ。とか思って、
マドゥライと心理的な距離が開いてたのですが、また心が開きました。
初日のおばちゃんは「私も3歳の子がいるからね。いっしょよ。」と言っていました。
(ということはおばちゃんと思ってたけど同年代???)
このおばちゃんは私にとってすばらしいばっかりの神聖な存在の人でした。
ババか?と思ったくらい。
このおばちゃんとはそこで別れました。

次の日のおばちゃんと一緒に仕立て屋に行って、パンジャビを受け取りました。
おばちゃんは「わたしはこの子(主名)が好き。だって友達の子だから」
とか、友達を連発していました。前の日もそんなでしたが。
主名にチョコレートを買って食べさせてくれたりしていました。
最後まで、おばちゃん自身の銀細工の店に誘ってて、
足につけるやつがたったの20ルピーだけだからとか言っていましたが、
アクセサリーには残念ながら興味がないので断り続けでした。
仕立て屋のおじさんも感じがよかったです。
おばちゃんと何枚か写真を撮りました。

洪水で北門からは寺院に入れなくなっていて、最後は正門の東門から入りたく思っていたので
リキシャで東門に行きました。
ご飯やさんへの道がわからなかったあのリキシャでした。
おばちゃんがリキシャと交渉してあげる。と言って、20ルピーと値段を言ってきましたが、
北門から東門まであまりにも近いのでせいぜい10ルピーしか払うつもりなかったので、
そう言ったら、
寺院の周りの道は一方通行なのでぐるっと回って帰ってこなくちゃいけないからと言っていました。
でも、ぐるっと回ってる間に他の客を乗せれるかもしれないし。と思いました。
結局10ルピーで東門まで行きました。

東門のセキュリティチェックの婦人警官が主名の年とか聞いてきたのでちょっとしゃべって、
その人も子供がいるのかなと思って聞いてみたら、2歳半の子がいるといっていました。

今日は大雨が降ったのでもう象は帰った後みたいでした。
はすの池は昨日まで中央のプールみたいなところにしか水がありませんでしたが、
今日は全体が池になっていました。
中央の通路を歩きながら、外へ続く横の道を見るとなるほど、水浸しで歩ける状態ではありませんでした。

今日で最後なのでうろうろ歩き回りました。
途中で主名がおしっこと言ったのでいっぺん外へ行っておしっこをさせてまた寺へ帰りました。
クロージングセレモニーの時間まで、シヴァ寺院の前に座って待ちました。
今日、プージャを行ったらしいインド人夫婦が横に座ってプージャのプラサードのバナナとココナツを食べていて、
私たちやよこでやはり座って待っていたインド人おばちゃんに分けてくれたので食べながら待ちました。

時間になって、今日は観客が少なかったからか?シヴァのみこしは一度寺院の前を回ると
あっさりとミーナクシ寺院のほうに行きました。
みこしが通るときに立ちそびれて座っていたら、みこしをかついだ坊さんの一人に立つようにしぐさで指示されました。
横の夫婦も立たずに食べ続けてたけど、私らだけ言われちゃったなあと思いながらも
みこしを追いかけて、ミーナクシ寺院の前に行きました。

ミーナクシ寺院の前でみこしは止まって、そこでプージャが行われるので、みんなここぞとばかりに
みこしの周りをぐるぐる回るので、わたしらもまた回りました。
みこしを担ぐ棒に触れたがる人たちに坊さんは触らないように言っていました。
ここでも、インド人て、周りを回って気が済んだらさっさと帰るんだなあと思いました。
プージャが終わるころには見物客はほとんどいなくなっていました。

みこしがミーナクシ寺院に入っていって、すべてが終わり、寺全体も閉まる時間なので
私たちも帰りました。
途中で主名に黄色くて大きなボールを買いました。
高いだろうと思っていたら10ルピーでした。

帰り道でインド人の男の人にどのくらいマドゥライにいるか聞かれたので3日目と行ったら、
そして明日行くんでしょ?みたいにその人に言われました。
なんで知ってるんだ?と思いました。
「毎日寺に来てたの見てたよ」みたいに言われました。
日本人で子連れなので目立ったんだと思います。
最後にミーナクシ寺院の塔のタミル語のオームをデジカメで写しました。
数年前、タミル語のオームのシールをホワイトフィールドで買ったっけ。と思い出しながら。

ホテルに帰ったらホテルの人が呼んだタクシードライバーが来ていました。
紳士的な人で、私が名刺をもらった2人のタクシードライバーとはずいぶんタイプが違う感じだったので、
ホテルで頼んでよかったと思いました。
コダイカナルでのホテルの予約はまだしてないけど、どこか知ってますか?聞いたら、
ドライバーはちょっと考えて、オーケー、マム。みたいに言いました。
自分を消して職業に徹してるみたいに思いました。
日本人みたいと思いました。

マドゥライはもう2度と来なくても思い残すことはないです。
満足しました。
【2007/04/18 00:05】 | マドゥライ | トラックバック(0) | コメント(0) |
マドゥライ2日目
朝は9時くらいまでゆっくり寝て、ゆっくり準備してミーナクシテンプルに行きました。

ちなみにミーナクシテンプルはパールバティと同一視されるミーナクシ女神の寺で、
その中にシヴァ寺院やミーナクシ寺院などがあります。中に池もあります。広いです。
現役ですけど遺跡みたいな雰囲気です。それだけ古いみたいです。
なんか、アンコールワットみたいな雰囲気と思いました。
アンコールワット同様、そこを仕事など生活の場とする寺と一心同体みたいな人々がいて、
そしてみんな寺を誇りに思っていて。

今日は入り口でスペシャルプージャセットとやらを買いました。
普通のは40ルピーで、スペシャルは70ルピー。それと花輪なども買いました。
それを坊さんに渡してプージャをしてもらうと。

せっかく来たからにはプージャをしよう(してもらおう)と思ってたので。
でも、そのセットを持って道を進んでいくと、また誰かに、
外国人はシヴァのところには入れないから、あそこのナンディ(牛)の像のところで
ココナツを割ってプージャしなさいとか言われました。
へんなの。
パタールブヴァネシュワル(ヒマラヤのシヴァの地下寺院)でも
びっちり坊さんにプージャしてもらったのに。
とか思いました。

昨日のおばちゃんがいて、友達のおばちゃんみたいな人に、私のことをしゃべってました。
そしたらそのおばちゃんが「私が助けてあげる」「お金は要らないから」と言って
、一緒にシヴァ寺院の中に入りました。
そのおばちゃんが坊さんに話をするから、
何か聞かれたらムンバイから来たとか、自分はヒンディだ、とか言うんだよ、と言われました。
その通りにしました。
ムンバイに泊まったことあるし、その時点からしてみれば私はムンバイから来たなとか思いつつ。

しかし坊さんも、その場にいたインド人の男性も明らかに疑わしいと思ってて、質問されたりして、
結局奥の奥には入れてもらえませんでした。
そこにいたインド人男性が何人か、
自分たちのプージャで使ったと思われる草の葉っぱの輪っかや花輪を気の毒に思ったのか何なのか、くれました。
でも、シヴァ寺院の中にいることはできたので、
そこで自分と主名の名前を告げて、坊さんのプージャが終わるのを待ちました。
20分くらい待った感じです。

おばちゃんが、坊さんが言ったらお金を払うんだよ、みたいに言ったので、
いくらくらい払ったらいいものか聞いたら、ちょっと考えて50ルピーと言いました。
坊さんが出てきたので50ルピー札がなかったし、お盆の上に100ルピー置きました。
坊さんはまた内部へ姿を消しました。
おばちゃんは主名を抱いて内部に入りました。
さすがにそれは坊さんたちも止めませんでした。
おばちゃんは出てきて、この子はすごいラッキーだよ。中に入って見たよ。とかいいました。
そして、中に何があるか説明してくれました。
そして、私に対してもラッキーだ、今日は月曜だから。と言いました。
あ、そうか、今日は月曜、シヴァの曜日とされる日だ、と、そのとき初めて気がつきました。

坊さんが出てきて、シヴァ寺院内の通路にある仏像だったかリンガムだったかにさらにプージャを行いました。
それは私もそこで見れました。
さらにお金を払うみたいだったので、100ルピーまた払いました。
おばちゃんに50ルピーと聞いてたので、ちょっと多いかなと思ったので
私と主名の2人分。と、いいわけしました。

プージャが全部終わった後は、そこらじゅうの仏像やリンガムに、
プージャの残りのターメリックやビブーティの粉をおばちゃんの指示でかけてまわりました。
自分ひとりだったらどうしていいかわからないし、おばちゃんがいてくれてよかったと思いました。
リンガムいっぱいありました。
ガネーシャやサラスワティやラクシュミーや色んな像がありました。

プージャのプラサードのバナナを、主名は3本くらい食べてました。
予想外に時間がかかったのでお腹がすいてたはずです。

バナナとココナツを象にやろう、ということで、寺院内にいる象にやりにいったら、
もう食べすぎなのか、象の世話をしてる人にだめと言われました。
なのでお金をあげました。
10ルピー札。
小銭が見当たらなかったので。
主名と一緒に象に渡しに行ったら、象は私の首にかけていた花輪の花をむしって食べました。
鼻の先にお金を置きました。
あんな近くで鼻の先を見たのは初めてです。
鼻の一部がピコッと動いてお札をつかみました。
お礼(?)に鼻を私の頭の上において祝福してくれました。

寺院内の何箇所かで灯りをささげました。
シヴァとドゥルガーだと聞いた像の前で小声でルッドラムの一部とドゥルガースークタムを唱えてみました。
だいたい口が覚えてるのですが、周りの雰囲気に飲まれたのか、最近やってないからか、
どちらも忘れがちでした。
なので「間違えたかもしれないけどごめんなさい」の、クシャマプラールタナも唱えました。
それも危なかったですが、なんとか唱えることができました。

おばちゃんは北門の前の政府公認の土産物屋に連れて行ってくれて、
そこの店員がビルの上に案内してくれて屋上から寺院を眺めました。
地上からはよくわからなかったけど、屋上からはその配置がよくわかりました。
ついでにあれが教会で、とか、あれが座ってる象の形をした山、とか、そういう説明もありました。
屋上にも土産物屋のドアがありましたが、いらないと言ったら、気を悪くするでもなく
店員はあっさりしたものでした。

そのビルの少し横におばちゃんのお父さんだかがやってる仕立て屋があって、
そこに連れて行かれました。
まあ、お約束という感じで。
いらないと言えばいい話ですが、パンジャビ類はプッタパルティのアパートに置いてきちゃってて、
古いのを実家から持ってきてはいたのですがあんまり着たい感じのものではなかったので、
そこの仕立て屋にあった布で私と主名に上下組のやつを一着ずつ仕立ててもらうことにしました。
もちろんおばちゃんへのお礼の気持ちも多少あって。
2着で1000ルピーでした。高いか安いか?

その後、歩いて、ガイドブックに載ってたレストランを探しに行きました。
あちこちで聞いて、わかりました。

お腹がすいてたのでいっぱい頼みました。
スープが最初に来て、おいしくて体が生き返りました。
今まで死んでたみたいだったんだなと気がつきました。
春巻き、べジバーガー、べジピザ、などなど頼みました。
飲み物も主名はイチゴミルクシェイク、わたしはコーヒーとライムジュース、と、水。
おいしくて感動しました。
心の中で褒め称えながら食べました。
しかもわりに安くて。

一気に食べたら立ってるのもつらいくらい眠くなったので、オートリキシャでホテルの近くまで帰りました。
そしたらまたおばちゃんがいて、パレスとかテーラー通りとか案内してくれようとしてましたが
眠すぎたので断って、ホテルに帰って主名も私もちょっと寝ました。

ちょっと寝た後、ガイドブックを見たらパレスは5時までと書いてあって、
もう4時半くらいだったので行くなら行かなきゃなと思って起きて、
寝てる主名をベビーカーに乗せて出ました。
でも町を見ながら歩きたかったので歩いていったらやっぱりパレスはすでに閉まっていました。
なのでまた歩いて帰って、途中で電話をしたり、パンジャビなどが6時に受け渡しの約束だったので、
北門のテーラーまで歩いていこうとしました。
そしたら適当に歩きすぎて、半分牛の飼育場所みたいな雰囲気の道とかに入っていって、
どうなるんだ?と思いましたが無事着きました。

町を歩くのがとても楽しかったです。
道ばたにいる人やすれ違う人などみんなが私たちに笑いかけたりニコニコして愛情をくれてるような感覚がしました。
マドゥライでは心が痛くなることが何もなくて、(寺に入れなかったこと以外)
万事自分のためにあるような安心感というかうれしさがあります。
なんか、心の芯の部分でどの人にもすごくいたわられてるような。
人と接するときの雑音のなさは、ここと自分は深くつながっている部分があるんだなと思わせるものがあります。
今回初めて会う人ばっかりだけど、あー、初めてじゃないんだな、と。
ここで出会う人たちは魂において初めてじゃないはずなのにこの肉体で初めて会って、
今の肉体に沿ったそれぞれの役割を演じる妙、のような不思議さを感じました。

できた服をもらった後、北門からそのままミーナクシテンプルに入りました。
別にあんまりする気もなかったのですが薦められるままにプージャセットをまた購入しました。
売る人が、なんかしらん今日の午後は月曜日だし特別だから、入場料がタダだとか言ってて、
ほんとかなと思って、私みたいな外国人も中に入れるの?と聞いてみたらそうだとか言っていました。

ふーんと思って中に入って、なんとなく今回はミーナクシ女神のほうにプージャをしてもらおうと思って、
そこらへんにいた人にどうしたらいいのか聞いたら、
これまたそこらへんに座っていた比較的若い坊さんが立ち上がって、プージャセットを受け取りました。
そんで、やっぱり、外国人は寺の中には入れないから、入り口で10分くらい待っててね、
中でプージャして、プラサードとかもってまた出てくるから。とと言われました。
なので待ってました。

シヴァのときよりも短時間で坊さんが出てきて、なにやらして、お金を出すように言われました。
シヴァのときは2回、お金を渡す場面があったので、
今回細かいお札があったので10ルピー札とかで50ルピーくらい渡そうとしたら
少なかったらしくて、何人の坊さんがいて、それだけの人数みんなで分けるんだとか、
寺の内部事情を説明されました。
じゃあ、いくらくらい出すもんなのかなと、その坊さんに直接聞いてみたら、
100ルピーとか、500ルピーとか・・・。と言われたので100ルピー札を出しました。
サンキューとか言われましたが、きっとたくさん出すのを期待されてたんだろうなと思いました。
おばちゃんが言った相場の50ルピーは、多分、私が外国人だし多めに言って、それだったと思います。
プージャもシヴァより短かったし、出したお金が少ないと坊さんに言われて正直びっくりしてちょっと冷めました。

他の観光客のインド人親子との会話でも、プージャのセットを持ってる私だけど、
外国人だし寺の中には入れないと言ったらその人らは驚いてて、
なんで?入れるよ。入りなさいよ。みたいな反応でした。
でもまあ、もう、そんなに内部に入りたくてしょうがないみたいな気持ちはなかったので、
寺の中の池が見えるところで休憩したりした後、正門から帰ろうと思ってそちらに歩いていきました。

すると、目の前の通路を象が楽器の演奏を従えて横切っていったので喜んで見送りました。
そしたら横の土産物屋の人がここで待っとくようにと言って来たので、
誰か来るのかと聞いてみたらそうだと答えました。
そうか、と思って待ってたら、ど派手な電飾みこしが練り歩いてきました。
これは撮らなきゃと思って、写真を撮りました。

通り過ぎた後に、なんだったんだろう。ガネーシャ?と思って、土産物屋に聞いたら、この寺の主役のミーナクシ女神でした。
わあ、もう、プージャの御利益があった。と思いました。ミーナクシがじきじきに現れたよー。と。
毎日こんなのやってるのか聞いたら、そうじゃなかったらしく、
なんかのグループが来てるからミーナクシが出てきたとかいう説明でした。
スペシャル?と聞いたらそうだとか答えて。
よくわからんけど、よかったです。

正門のところで内部をバックに、写真を撮ってる人がいたので、
おおそうか、と思って、真似して撮ってもらってみました。

また前回のレストランに行って、夕食を食べました。
べジタブルフライドライスとトマトスープと飲み物にしました。
やはりおいしくて、もっと他のメニューも試してみたいと思いました。

後でホテルに帰ってから、デジカメの画面を見ると、ミーナクシのみこしの写真や、
正門で撮った写真には丸い白いやつが写っていました。
こういうのは霊だから、霊的な場所とかでよく写るというけど、ほんとだなあと思いました。
私もプージャした直後だったし、色んな加護を引き連れてる状態だったんだろうな、と。
突然現れたミーナクシ女神
突然現れたミーナクシ女神

プージャ後1
プージャ後

【2007/04/18 00:03】 | マドゥライ | トラックバック(0) | コメント(2) |
4月8日の日記(日本発、バンガロール泊、マドゥライ着)
なんか、疲れたーというかんじです。
多分気分的に。

7日に日本を出発して、その日のうちにインドのバンガロールに着きました。
いつものごとく、大量の荷物で、どの位大量かというと、預ける荷物が5つに、機内持ち込みが3つでした。
関空は機内持ち込みの液体は各内容物が100ccしかだめで、
しかも向こうで用意してるビニールの袋に入るだけとかいう決まりになってたので、
ごま油の小瓶と瓶入りの海苔だけ持ち込みました。
最近そうなったみたいなので、職員もお互い聞きながらという様子でした。

わたしは明らかに重量オーバーなので、おまけをしてくれるのを期待して、
主名と2人で預けるのは40キロまでのところを40数キロの重さにしておいて、
残りは機内持ち込みにできるようにしていました。
機内持ち込みも2人で14キロまでなんですけど、20数キロになってました。
でもそれは重さを量らないときもあるかなと思って。
子連れだと多少多めにみてくれるのが常なのですが(ベビーカーの重さは重量に入れないとか)
あまりにもオーバーしすぎだとさすがに超過料金を取られるので。
2年前だかは、ツアーだから大丈夫と言われて、
気を大きくしてスーツケースなどの他にダンボールの箱3つとか持っていったら、
いくらツアーでも一緒にチェックインしないとだめということで、
すっごいまけてもらって、それでも1万数千円の超過料金を払った覚えがあります。

今回は、謙虚に(?)40数キロに抑えたので問題ありませんでした。
それどころか、その、液体は機内に持ち込めないので、ということで機内持ち込みにしようとしていた
かばんのひとつをまるごと預けるように向こうから提案してもらったので助かりました。
たぶんそれだけで7キロとかはあったと思います。
液体って、ちっちゃいカップに入ったゼリーとか、レトルトのおかゆもだめでした。

いつもなんかしらん飛行機の搭乗がギリギリになるんですけど、今回も最後で、
空港職員が無線かなんかで連絡を取りながら誘導してくれました。
迷惑ですか?やっぱり?

機内での席は、前が広く開いてるところということで取ってもらったところでしたが、
スクリーンの前だったので、寝ずに映画を2本観てしまいました。
それが微妙に疲れが後まで重い原因と思います。
主名はよく寝ていました。

主名は今回、インドに行きたくないとずっと主張していて、
「コダイカナルも嫌いになった。だってインドやから。」
なんて言っていました。
家を出てからも、「明日日本に行く?」とか言っていました。
しかし、今日マドゥライに来て、夕食を食べてるときに
「主名、インド好きになった」と言っていました。
なんで?ごはんがおいしくてたくさん食べて幸せな気分になったのでしょうか。
主名は今日はミールスのバターミルクをかけたごはんを、ちょっと心配になるほど食べていました。
ホテルの部屋に戻ったら足も洗わずにベッドで昏睡しそうでした。
水浴びせて体洗って、歯を磨いたら1秒で寝ていました。

タイでは、機内で「入国カードは全員が書く必要があります」とかいうアナウンスがあったので、
トランジットでも?と思いながら書いたら結局いらなくて、ちょっと混乱しました。
あれは空耳だったんだろうか。
主名はタイの空港ではなぜか歩きたがらなくて、
今回もぐにゃぐにゃになってしまったので疲れました。
多分、空港内を移動する、ちっちゃくてかっこいい車に乗りたいとかあるんだと思います。
トランジットのエリアまで結構遠かったので、
乗せてほしいと頼んでみようかなと思ったりしましたけど、
結局カートに荷物と主名を乗せて移動しました。

トランジット(トランジットとトランスファーってどう違うんですか?)の人用の休憩するところには、
子供が遊べる場所もあったので主名はずっと遊んでいました。
ああゆうのがあると、助かります。

ネットカフェでメールチェックをしました。
バンガロール到着時のタクシーをメールで頼んでたのですが、返信もなかったし、見てなさそうで、
タイでメールチェックしたときも返信がなかったのであきらめました。
タイからインドに電話を入れる方法もよくわからなかったし、もういいやと思って。
メールで、ババのコダイカナルへの移動はまた伸びそうだという情報を教えてもらって、
バンガロールからマドゥライにいくチケットを変更して、プッタパルティに行っては?と提案されて、
なんかすでにタイについた時点で疲れてたし、変更するのもしんどいし
人間が渦巻いてて、気温も高いに決まってるプッタパルティに行くのも気が進まなかったので、
そのままマドゥライに行くことにしました。
でもホントは、マドゥライ行きの飛行機のチェックインするまで迷ってました。
しかし体が自動的にチェックインしたのでそのまま来ました。

バンガロールに着いてからも、私のあまりの荷物の多さに、
職員が荷物を持ってくれて案内してくれました。
主名も歩かなかったので一人ではとても大変で。

しかしバンガロールの荷物を受け取るベルトコンベヤーのところはせまいですね。
人がギューギューづめでベルトコンベヤーの随分はなれたところで見てるしかできなくて。
あの光景を見たら旅の疲れ6割り増しです。

やっぱりタクシーは来てなかったので、空港でホテルとタクシーを紹介してもらいました。
1000ルピー以下くらいでと言ったのですが、ダブルでは税抜きで1600ルピーが下限のようでした。
たっかいなー、と思いましたが、かなり疲れてたし、いいことにしました。
タクシーは300ルピーこれも高~と思って、ちょっと不機嫌になりましたが、
これはそれなりに相場だったみたいです。
そこで日本円をルピーにして、一万円だと3200ルピーで、
これも暴利をむさぼられてるように思いましたが
(数年前は4000ルピーくらいのときがあってそのイメージが強くって)
それも空港両替ではそこそこ相場だったようです。
マドゥライの空港でも同じレートでした。

一泊するだけでそんなにお金がかかるなら、
バンガロールで泊まらずにプッタパルティに借りっぱなしにしているアパートにタクシーを直接走らせたい衝動に駆られました。
でも、主名はよく寝て元気でしたけど、主名の体調を崩したらいかんので、
もうホテルに行きました。
実際は私が疲れてました。

ホテルは値段の割りにぼろい雰囲気で。
あー、昔は平均100ルピーの宿しか泊まらなくって、200ルピーだったら贅沢な気分だったけど、
1600ルピー(実際は税込みにするともっと)でこれかー。200ルピーの宿とかわらんやん。
と、思いました。
わたしも贅沢するようになったなー、とか。
しかしインドのホテルは雰囲気と値段がほんとまちまちですよね?

でも、ホテルの従業員が感じよかったのでいいとしました。
部屋の電話も使えなかったです。
床はまだらに変色して。
でも、ホテルの従業員が感じよかったのでいいとしました。

睡眠時間は短かったけどよく寝て、よく休まりました。

マドゥライに行く、エアーデカンにチェックインしようとしたら、
預ける荷物が2人で30キロまでのところ、45キロで
15キロオーバーしてるから超過料金を払うようにチェックインカウンターのお姉さんに言われました。
女の人はびた一文まけてくれませんね?前、男の人だったら結構まけてくれたのですが。
いや、今思えばすでにベビーカーの分を差し引いてくれていたのかもしれません。
15キロオーバーは最初からわかってたので、払うつもりでしたが、
一応なんか言ってみようと思って、主名の体重は15キロしかないとか言ってみましたが、
機内持ち込みの荷物は一人一個です。いくつですか?と返されました。2人で大きいのを4つ持ってました。
観念して、超過料金を払うカウンターに行ったらルピーをあんまり持っていないことに気づいたので、
日本円からルピーに両替したいと言ったら、そこのおじさんは困って、いくらなら払える?と聞いてきて、
その時は700ルピーくらいしか持ってなくて、見せたら、
おじさんはさっきのお姉さんのところに行ってなにやら話して、
700ルピーだけ払えばいいようにしてくれました。
1000ルピー以上払わないといけなかったので思いがけずだいぶ安くなりました。
知らなかったんですけど、国内線の出発ロビーには両替所がなかったようです。

エアーデカンは席が早いもの順なので、今回は悪いけどほかの人を押しのけて、主名も走らせました。
やっぱり主名と並んだ席じゃないと非常に不都合が多くて。
無事、並んだ席に座れましたけど、今回は急がなくても結構あいてました。

ああ、流されるままに、頭悪いかんじでマドゥライまで行ってしまうのだという気がしました。
今回、わたしもインドに来るのは荷物の多さなどを抜きにしても気が重かったです。
全然行きたいと思わなかったけど、日本にいてもあっという間に行き詰るのもわかってるし。

マドゥライはでも、コダイカナルへの通過地点だと認識する前に、
いつかは行くだろうと思っていました。
最初に見たアガスティアの葉っぱで出た過去生の舞台だったので。

マドゥライの空港について、飛行機を降りたら感無量という感じで胸がジーンとしました。
とうとう来た。と。
私も主名と同じくインドは来たくなかったけど、マドゥライとコダイカナルは来たかったんで。
それってそのまんま、過去生から蓄積された傾向ってことで、
プッタパルティに行けばいいのにこっちに来ちゃったってことかもしれません。
そんな気がします。
開放されるべきエネルギーがここにたまってて、それに引き寄せられたような。

やっぱり、主名が寝てしまって、起きたけど寝起きで歩こうとしなかったので身動き取れなかったので
また、ほかの乗客や職員の手を借りました。
子連れで荷物が多いと大変だけど、助けを借りなきゃやっていけないので逆に不安が少ないです。

マドゥライの空港は予想外に建物が小さくて、
まだ次の部屋があると思ってドアを抜けたらすぐ外でした。
バンガロールの田舎空港め!みたいに思ってたところがあったんですけど、
バンガロールのあれは都会の空港なんだなあ、と認識を新たにしました。。

やっぱりたくさんの人によってたかって助けてもらって、荷物運んでもらったり、
いったん空港の建物の外に出ちゃってから両替しようとしたので中に引き返して両替についてきてくれたり
そんなこんなでチップ払わなきゃとか思ってるうちに
タクシーのドアがバタンとしまってあれよあれよという間に発車していました。

考える間もなくて楽といえば楽だけど・・・。

宿はまだとってなくて、ガイドブックに乗ってるやつもよさそうなのがいっぱいあったので
そのうちのどこかに行こうと思ってたのですが、なんかこれも考えたり選んだりする間もなく、
タクシーの運転手に任せる形になりました。

マドゥライの空港から街中に行く景色はバンガロールよりも緑が深い感じがしました。
そして色んなものがつながりあってる空気を感じました。
ここで過去生を過ごしたって、嬉しいというか、なるほどというか、なんかそんな気分がしました。
バンガロールはいろんなものがもうちょっとばらばらで、赤土の乾燥したイメージがあります。
マドゥライは熱帯雨林みたいな印象でした。

道路ばたに普通に象がいました。
わー、道にいるよ、と思いました。
野生じゃなくて飼ってるやつですけど。

ついたホテルは思ってたよりずっと高級ホテルでした。
え~、と思って、
しかもガイドブックでは駅とミーナクシテンプルの西門の間のエリアが旅行者には便利みたいだったので、
私もそこらへんに泊まろうと思ってたのに、そのホテルは反対側の東門のところでした。
一応値段を聞いてみたらエアコンなしのダブルで650ルピー。
タクシーの運転手に300ルピーくらいって言ったのに。と文句を言ったら、
それを聞いていたホテルの人が、
じゃあエアコンなしのシングルで550ルピーの部屋を税込みで500ルピーにします。
と値段を下げてきました。
でもダブルじゃないと。
と言ったら650ルピーのエアコンなしのダブルの部屋が税込みで500ルピーになったので、
部屋もバスルームも広くてきれいだし、そこに泊まることにしました。
それと、ミーナクシテンプルは東西南北の4つの門のどこからでも入れるんですけど、
東門が正面のようだったので、寺に行くにはいい場所だなと思って。
東門に徒歩2分のところでした。

しかし、マドゥライでは英語が全然聞き取れませんでした。
マドゥライはマドゥライでマドゥライ英語になってるようで、単語の使い方とかも違うような気がします。
バンガロールやプッタパルティにいて、少しは英語が理解できるようになってきた気もしてたんですが、
たぶんあれは英語というよりテレパシーがよく通じるようになったということなのかもしれません。

ミーナクシテンプルは夜9時まであいてて、まだ8時くらいだったのでちょっと行ってみました。
塔は予想外に高層でした。
始めてみる目にはすごい迫力でした。
これは高層ビル並み。と思いました。そこに彫刻がびっしりなので、いやー、すごいなと思いました。

プッタパルティのダルシャンに行くときみたいに警官に金属探知機でチェックされました。
くつは脱いで靴置き場に置こうと思ったら、そこにいたおじさんが
「かばんに入れときゃいいよ」
みたいに言ってきて、女性警官はちょっと反論していましたがおじさんの意見が通りました。
まあ、寺を通りぬけて向こう側の繁華街でご飯を食べようと思ってたから都合がよかったわけなんですけど、
いいのかな?とちょっと思いました。

入り口付近はおもちゃ屋さんなどの店が並んでいて、楽しい気分になりました。
主名にビーチボールを一個買いました。
中に入っていくとその雰囲気はまさに深きインドのそれでした。

奥に行ったら灯りを売ってたので、
2個買って、ミーナクシ女神とシヴァらしき像にくるくる回してささげました。
自分の体を使って捧げているという全身感のようなものと、
目の前の神像にゆだねていて自分のなかに雑音がなくなったような敬虔な感覚は久しぶりだと思いました。

予言の葉っぱのカルマ解消のために寺に行ってプージャをしてもらったり色々したときの、
プログラムにのっとって行動している感覚です。
それがよみがえってきました。

ああ、ここに呼ばれて、来たんだなあと思いました。

さらに奥のシヴァ寺院に入って、そのさらに内部の有料のところにチケットを買って入ろうとしたら
インド人しかだめと決まってる、と言われました。
異教徒は参拝できないと知ってたんですけど、あんまりそういう意識がなくて。
というのは、今までカルマ解消でインドのあちこちの寺に行ったときはインド人ガイドと一緒だったので
「この人はヒンズー教徒だ」とガイドが言って、
異教徒立ち入り禁止のところでもどこでも入ってプージャしてもらったりしてたので。
なんで?というかんじで、
別の入り口のチケット売り場に言ったらまたそう言われて、
しかも、そのシヴァ寺院自体がそもそも立ち入り禁止だったようで、
あきらめて有料のところの周りを回ろうとしたらそれもだめで引き返せと言われました。
仏教徒はインド人にとったらヒンズー教徒のはずじゃなかったのかなとも思って、
「わたしはヒンズー教徒だ」と言ってみたけど、
そんな意外すぎる言葉は耳に入らなかったようで、
「そうだ、ヒンズー教徒だけだ」
と言われました。

がっくりして、来た道を引き返しました。
この寺に来て感動したけれど、しょせんよそ者だから入れてもらえないんだと思って、
疎外感いっぱいでやる気も楽しい気持ちも何もかも失って引き返していったら、
途中に座っていたおばちゃんが主名は何歳だとか話しかけてきて、
いろいろ答えてるうちに私は外国人だから中に入らないように言われたとかいう話になって、
いつものごとく泣けてきました。

そしたらおばちゃんはびっくりして、そんなわけはないよ、いろんな国の外国人がもうすぐたくさん来るよ。
毎日9時にイベントがあるから。
と、いろいろ説明してくれて、なぐさめてくれました。
9時にはシヴァがシヴァテンプルから出てきて、ミーナクシテンプルに入っていって、
寺全体が閉まるんだそうです。

そして、私が引き返してきた道をもう一度一緒に引き返して、シヴァテンプルの前に私を立たせて、
ここからこう出てきて、こっちを通って、あっちに行くからね。と、教えてくれました。
そして、私の代わりにどこかに行って外国人用のチケットを購入してきてくれました。
これがあれば大丈夫だから安心して。と。
あれ?そんなの買う必要あったの?と思って、買わなくてもいいチケットを買ったような気もしましたが。

9時になるころにはほんとに外国人がカメラを持っていっぱい来ました。
西洋人ばっかりみたいでした。

9時に中にシヴァが入ってるらしいみこしを担いだ人たちがシヴァテンプルから楽器の鳴り物入りで出てきて、
私の前を通ってぐるっと回って、横のミーナクシテンプルに行きました。
おばちゃんがあっちあっち、と言ったので、あ、ついていっていいんだ、と思って、
ついて行ったら、ミーナクシテンプルの前でみこし集団はなにやらプージャのようなことをしました。
西洋人の観光客は写真をたくさん撮っていました。
インド人も携帯で撮っていました。
インド人はプージャ中のみこしの周りをぐるぐる回ってたので、わたしもここぞとばかり回ってお参りしました。
シヴァが出てきて、こうやって周りを回れるということは、それでいいのかなと思いました。
みんな、みこしの中を覗き込もうとしていましたが、
布がたらしてあって、見えそうで見えないニクイちらちら加減でした。

みこしがミーナクシ寺院に入って行った後、
プージャの後の場所に手をついてその手を額に当てたり、
ココナツジュースや花を床から拾ったりしてる人がいたので私も真似しました。

すっかり機嫌を直したわたしはおばちゃんと一緒に途中まで行って、途中で別れて私は西門から出て
ご飯を食べに行きました。

ご飯は、歩いていったら目的地になかなか着かないことに気がついたので、
看板や店の中もアマチだらけの食堂があったのでそこに入りました。

ミールスという、南インドの定食を、食べたことがなかったのですが、食べてみることにしました。
バナナの葉っぱに乗って出てくるし楽しそうとか思って。
その日初めての米のご飯だったのでとてもおいしかったです。
ちっちゃいうつわに色んなカレーが入って出てくるのですが、さすがに辛くて、3種類くらいしか食べれませんでした。
辛いの苦手で。
主名は先に書いたように、大丈夫か?というくらい食べていました。
ひもじかったのかな。
店のおじさん、この人がアマチの帰依者なのかなという人が
ちょくちょく来てこまめにお代わりを持ってきてくれました。
ぼろいともいえる店だったけど、帰依者特有の雰囲気に満たされていて、
宗教施設にいるみたいな気になりました。

帰りはすごく遅くなって、11時くらいになりました。
プッタパルティと違って人通りがぱったりなくなるということはなかったですが、
さすがに歩いてるのは男性ばかりで、我ながら平和ボケしてるかなと思いました。
しかし無事にホテルにたどり着きました。

寝てしばらくたってから、主名は暑さでぐずぐず言ったりしていました。
そういえば、主名は暑いと感じる気温が私よりも低かったけ。と思い出しました。
そうとう扇風機を強く回して、水分補給してやるとグニャグニャ言わずに眠りました。
タイ空港で
タイ空港で

機内で遊ぶ
機内で遊ぶ

【2007/04/18 00:01】 | マドゥライ | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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