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baba,putta e
kesa,6;30kurai ni baba wa putta ni idou sareta youdesu.
putta toutyaku wa 1;00p.m~3;00p.m kurai tono kotodesu.

watasi tati wa 1;00p.m.no bus de idou simasu.
yu-gata niwa putta ni tuku yotei desu.
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【2008/06/08 14:43】 | ホワイトフィールド | トラックバック(0) | コメント(0) |
5月11日ホワイトフィールド
5月11日ホワイトフィールド
今朝もキャンティーンに朝食を食べに行きました。
一番最後になったので急いで主名に食べさせていたらセバダルのおじさんが来たので
もっと急ごうと思ったら「ゆっくりゆっくり」と言われました。
プッタパルティのキャンティーンで急かされるのに慣れていたので意外な対応で、ホッとしました。

その後、キャンティーンの裏のガネーシャの寺やハヌマーンの寺などに散歩がてら行きました。
ガネーシャの寺は入り口は狭かったけど中はちょっとしたホールになっていて、
色んな神様が祀られていました。

そこらへんの店で雑貨を買って、ココナツを飲んで、歩いてアシュラムまで行きました。
すると本屋が開いていたので入って、ババの写真とカードのカレンダーと
子供用の小話のCDロムを買いました。

本屋を出たら売店も開いていたので、入って、ジュースなどを買いました。
冷えてるやつがいいと思って、冷蔵庫の中のグァバジュースを買ったら
半年間の賞味期限がすでに一年目でした。
でも腐ってなさそうだったので飲みました。

主名はフェンスの中の芝生のところに入って葉っぱなどを集めて遊んでいました。
ババが来て、人がいっぱいになったら「サイラムサイラム」と言ってセバダルに怒られると思いますが、
今は人目も少ないので平気です。

プッタパルティとホワイトフィールドに子供のための公園を作ってくださいと書いて
わたしたちがコダイカナルを発つ日に渡したので、
子供を怒られずに遊ばすことのできる場所ができるといいなと思います。

その後、一瞬ホールに座ってアシュラムの外に出て、向かいのネットやさんで電話をかけました。
昨日日本にかけたときは200ルピー以上かかったけど、今日のところでは50ルピーくらいでした。
場所によってすごく安くでかけられるところがあって、ここがそうだったので、
今度からここで日本にはかけようと思います。
ここはネットも聞くと一時間25ルピーと、今までインドで聞いた中では最安値でした。

そしてそのビルの2階の奥の歯医者に行ってみました。
治療用のイスと機械が一組あるだけの歯医者で、患者もなくぼうっとしていた歯医者は
突然入ってきた私たちを見てガバッとイスから起き上がりました。
にこにこして感じのいい歯医者さんでした。
主名が、時々痛がるので、と言うと、年齢を聞かれたので3歳と言いました。
そしたら治療するにはまだ早すぎると思うと言われて、
主名も「診てもらわない」というので、診療時間などを書いたカードだけをもらって出ました。

その後、クリシュナテンプルにも行きました。
今までこの寺の裏は回ったことなかったのですが、
建物が閉まっていたのでぐるりと周囲を回ってみました。
9つの惑星の神様やよくわからないのも祀られていました。
プージャをしていた女の人にバジャンの時間を聞いたら7時で、木曜日だけと言われました。
今日は木曜と思っていたのでバジャンの時間を聞いたのですが、
私の勘違いで今日は金曜日でした。

その後、わりと大きいお菓子屋さんでイスと机があったのでアイスを食べ、
べジのハンバーガーとロールケーキを買って、
チャイやジュースをその場で飲んでサモサを食べて休憩しました。
店の人がサモサを3つに切ってくれて、結構辛くて、全部私が食べるのかなと思っていたら
身なりの貧しい母子がいて、子供が手を出してきたのでサモサの一切れを渡したら
受け取って食べたので、主名も辛くて食べないし、
そのこが食べてくれて自分が食べる分が減ってよかったと思ったけど、
後でその子はおかあさんにぶたれていました。
物乞いかどうか分からない母子だったけど違ったみたいで、
微妙なラインだっただけに母親の怒りに触れたなら悪いことしたなと思いました。
これがいかにも裕福な母子だったなら逆に問題なかったんだろうと思います。

しかしホワイトフィールドの物乞いは今のところほとんど現金しか受け付けません。
そのとき持ってる物をあげようとしてもたいがい断られます。

主名が線路のところに行きたいと言うので、アシュラムの横の踏み切りに行きました。
踏み切りマニアなので。
そしたら踏み切りを渡りたいと言うので向こう側に渡ってまた戻ってきました。
たくさん線路を横切ってご満悦でした。
しかし大きなトラックがすぐそばを何台も通るので危険でした。

踏切からは駅のホームも見えて、ホームに行く人は踏切から線路伝いに直接歩いて行っていたので、
わたしも主名を抱えてベビーカーをかついで、砂利道の上をホームへ歩いていきました。
ずっと止まっている電車や通り過ぎる列車を4,5台(と言うんでしょうか?)ほど見たでしょうか。
貨物列車も通っていきました。

ホームは広々しているし、大きな木の木陰がいくつもあって涼しいし、
道路の排気ガスもここまでは来ないので座ってぼうっとするにはなかなかいい場所でした。
列車に乗る人もホワイトフィールドではそんなに多くないし。
チッコーという果物が売っていたので一袋買いました。10ルピーでした。

電車好きな主名はずっとここにいると言って帰りたがらなかったのですが、
私はさすがに疲れてきたので「上から貨物列車を見よう」とか何とか言って
ホームの連絡通路の歩道橋みたいな上に登ってそのまま駅の外に下りました。

駅に飲み水はあったけど飲み物は売っていなかったので、
外の店でビニールパックの水とマンゴーミルクシェークを飲みました。
シェークを作ってる様子を見るとちょっとやばそうでしたがお腹は壊しませんでした。

部屋に帰ると主名の甘え炸裂でなんでやねん休ませてくれと思いましたが、
そのうち私も主名も疲れて寝ました。
いつものことですが泣きまくりなのでここのアパートのほかの部屋の人たちも
何事と思っているかもしれません。
さっさと引き上げたほうがいいかも!
【2007/05/13 20:12】 | ホワイトフィールド | トラックバック(0) | コメント(0) |
5月10日ホワイトフィールド
5月10日

今はホワイトフィールドのアシュラムの近くのアパートからです。
知人のアパートに住まわしてもらっています。
その知人はまだ今はコダイカナルにいるはずです。

前回の日記は確か4月24日だったと思います。
その後、26日にババがコダイカナルに来て、日記を書く隙がなくなって今に至ります。
ババはホワイトフィールドにはまだ来てなくて、今もコダイカナルにいるはずなので、
私らはここでのんびりすごしています。
私らは8日の1時半にコダイカナルを出て、その日の夜にここに着きました。

ババのコダイカナルからの移動は12日だとか16日だとかいう話を聞きます。
私らは予算がギリギリだったのと、
(知人の知人の知人の別荘は6泊で出てその後一泊700ルピーの宿に泊まっていました)
ババの移動が確定してからだと飛行機の席をとるのが難しそうだったので
早めに移動しました。

帰りは一番安かった、コインバトールからバンガロールへと空路を使いました。
コダイカナルからコインバトールまでは一時間くらい余計に時間はかかりますが、
タクシー代は同じでした。
航空運賃は一人1200ルピー弱でした。
エアーデカンは子供運賃はないので二人で2300ルピーくらいでした。
20キロくらいの荷物の超過料金、1333ルピーを払いました。
ほんとはもっと機内持ち込みで持ち込むつもりだったのですがうっかり預ける荷物にしてしまって。
スーツケースはやたら重く感じたし、
タクシーまで運んでくれた宿の人も50キロ以上あるとか言ってたけど
実際測ったら35キロだったので、
スーツケースだけだったら二人で30キロの荷物制限なので大目に見てくれたんじゃないかなあと思いますが。

でもおかげで今回は他の人の手を借りずに自分で荷物を飛行機に運べました。
それでも機内持ち込みの荷物は4つか5つあって、いつもながら引越しかというような状態でした。

コダイカナルからの一時間半くらいの山道の間は主名は見事に熟睡していて
私が少し吐いたくらいでした。

しかし、ホワイトフィールドの知人のアパート探しで地図はもらっていたけど
住所も連絡先もアパートの名前も知らずに、初めてのところに行って、
しかも空港からプリペイドタクシーで行ったのでドライバーもアシュラム周辺に詳しいわけでもなく、
かなりぐるぐる回って探し回りました。
そして懸念していた山道で全く吐かなかった主名はここで吐きました!これは予想外でした。
もういいからホテルに行くと言っても一度探し始めたドライバーは途中でやめる気にならず
ホテルに向かわなかったので。

やっぱり飛行機を使ったといっても移動は疲れるので、主名は昨日は喘息が出て一日しんどそうでしたが
今日は喘息はほぼ治まりました。
今日は歯が痛いとか鼻が痛いとか言ってますが甘えも何割か入ってる感じです。
でも歯医者はバンガロールで行っておこうと思いました。
保険なしは高いそうですけど。
歯1本の治療終えるまでに8000ルピーかかったとかいう話も聞いたり。

たまたま、同じ8日に日本からホワイトフィールドに戻って来た別の年配の知人にここでばったり会ったので、
昨日はその人のアパートに遊びに行き、今日は塩を分けて欲しいといわれたので
こちらに来てもらいました。
なんか縁があるんだなあと思います。
話を聞くと同じように男兄弟の中の女一人長女で、わりあい似たところのあるもの同士のようでした。

ホワイトフィールドも家賃がすごく上がっているそうで、敷金も家賃の10か月分必要だったりするそうです。
プッタパルティで私が借りてるアパートなんか一日80ルピーの日払いでも貸してくれるという安易さですが
ホワイトフィールドはバンガロール式で、都会っぽいみたいです。
今回ホワイトフィールドに来るときにも2年前にはなかったすごいビル群が建ってたりしました。
タクシードライバーが言うには海外のソフトウェアの会社のビルだそうです。
バンガロールのサイババの病院もはじめて見ました。
こちらもすごい規模だなと思いました。きれいでした。

そういえば、コダイカナルからコインバトールに行く途中にパラーニというムルガンのお寺を見ました。
これは改めていつか行ってみたいなと思いました。
ガイドブックでは詳しく載ってなかったので気にとめてなかったのですが、
実際見ると寺までロープウェイで登るようになっていてなかなか面白そうでした。

コダイカナルはサイババが来てなくても観光地なので、むしろサイババが来てない方が混んでなくて滞在しやすかったですが、
ホワイトフィールドはサイババがいないと店がほんと少なくて、レストランもほとんどやってないので
ゴークラムのサウスインディアンキャンティーンに食べに行くほかはほぼ自炊しています。
コダイカナルでそろえた自炊セットは重いけどこっちに持ってきてそのまま役立っています。

肝心のババが来てからのコダイカナルでの日記はすっぽり抜けてますけど、
気が向くままにそのうち書こうと思います。たぶん。

久しぶりにパソコンで日記を書いたらちょっと吐き気がしました。
何も書かずにぼうっとしていたい気持ちがあるんだと思います。

近所の店で20リットルの飲料水を調達できたので安心しました。
水は必要です。
【2007/05/13 20:10】 | ホワイトフィールド | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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