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田口ランディ「パピヨン」~死と看取りへの旅~
今朝、朝食のコーヒーが来るまでに田口ランディの「パピヨン」を読み始めました。


北インドの「レー」を舞台に始まる内容。


レーは私は一回だけ行った事があって、ものすごくよかった。

当時、4ヶ月くらいでアジア10カ国ほど旅行したのですが(タイや香港からの日帰り含む)その中でもレーは自分にとって特別な別世界でした。


4ヶ月、きついことも多かったのだけど、レーにいた時はずっと笑っていた。


田口ランディはレーについてすぐに激しい高山病になって2日ほど苦しむのだけど、その後自然に訪れた瞑想体験の描写もよかった。


最初の10数ページでひどく感動してしまった。



レーに、日本のお坊さんが寺を建ててて、そのこととか、エリザベス・キューブラー・ロスのこととかもでてきて、このあとロスの話を中心に本の内容が展開していくのかな?


ロスの著書で有名なのは「死ぬ瞬間 死とその過程について」「人生は回る輪のように」など。


この2冊は私も以前読んだ記憶があります。


期待したものとは少し違ったような気がしたけど、

私の人生の中のある時期に数時間を彼女の著作を読むことに費やした事実があるのは確か。



ロスはマザー・テレサを生涯を通して尊敬していたそうです。


そしてこう語っていたそうです。


「自分のなかにヒトラーを認識し、マイナスの部分、やり残した仕事を認識して、

そして子供のように正直になり、自分のなかのヒトラーを追いだしてしまうことができたならば、

マザー・テレサのように成り得るのだと思う。

そう思って二十五年間やってきた」





PC099584_convert_20121209160847.jpg



今朝、少しだけ読んですでに胸いっぱいになった本「パピヨン」田口ランディ






レーはいつかまた必ず行こうと思ってる場所です。


あの、高くて透明な大空は、私の胸の中にもいつもある。

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【2012/12/09 16:50】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイババメルマガを読んで
今日も早めに目が覚めたけど、キャンティーンに朝セバに行くほど早起きではなかったので記事でも書きます。



SSOJからメールマガジンが届いてて、■ ある無神論者の体験談 その①「やっと来たか」 ■ 
という体験談が載ってました。

現象としてはささやかといえばささやかだけど、その人の人生にとってはすごく印象深い瞬間だったんだろうなと思いました。

そしてそれがサイババによる一番大きな奇跡で、サイババにとって一番難しい奇跡なんだろうと思います。

人は自由意志があって、神はそれに干渉することができないので。


http://www.sathyasai.or.jp/mmg_cnt/201205/experience.html


あとは、アドワイタとは、あらゆるもの、あらゆる場所の内に存在する神に、完全に気づいていることだというシャンカラについてのババの講話とか、


先日来日したインド人、ナレンドラ・レッディー博士の話、「帰依者として、また役員として守るべき4つの原則」


1. “Hear All , Say Nothing”(あらゆることを聞いて、何も言わない)
 私たちは、何かを聞かされるとすぐに反応して、何かを言おうとします。しかし、人の話を聞いて、聞いて、聞いて、何も言わずにいることが第一の原則です。沈黙は金です。

 
2. “Give All, Take Nothing”(すべてを与えて、何も受け取らない) 
 私たちの時間、エネルギー、お金など、与えることができるすべてのものを奉仕のために与え、何も受け取ってはいけません。

 
3. “Bear All, Do Nothing”(あらゆることに耐えて、何もしない) 
 霊的求道者にとって、忍耐、寛容こそは最大の美徳です。自分のことを批判されたり、傷つけられたりしても、弁解したり、仕返ししたりなどせずに黙って耐えなさい。
 
 
4. “ Serve All, Be Nothing” (すべての人に奉仕して、何者にもならない) 
 何かをしても、その見返りを期待せずに、ゼロのままでいなさい。


とかいうことが書いてありました。
これはカリユガ世界の中で身を守ったり神の働きをするのに必要な耐え忍ぶ態度なんだろうなとおもいました。
たぶん、新秩序というか、プレマサイの時代には人間の平均値がずっといい状態になってるだろうから、
守るものも失われるものも無く、もっとリラックスして創造的な生き生きしたものになるんだろうと思いました。

だって、もし全員がこうなったら世界が動かないような気がするので。
世界は呼気と吸気であらわされるようなエネルギーの循環だもの。

でもいまの状況では世界の要石や天と地を貫く光の柱としての帰依者や役員としての質を保つためにはある臨界点までは天と地をつなぐ役目として定点に置かれている人にはこういう忍耐と安定感、静寂が必要になってくるんだろうなと思いました。

そしてそういう人たちの存在のおかげで世界の状態は高く保たれているんだろうと思います。

早くすべての人がリラックスしてもぐらつかない、よってたかって引き落とされたりしないレベルの世界がこの世界に現れたらいいなと思います。



あと、今後の予定でセバのワークショップやセミナーの案内を見たら、

東京、北陸ともに実践的セヴァとして、避難訓練・救命救急についてなど防災、災害時のセバについてやるみたいでした。

少し前に知人に聞いた話では、

ババはある西洋人に、災害時に効率よく働けるためのセバのチームを組織するように言ってやらせて、
その西洋人はそれについてものすごいたくさん調べて、モデルとなるチームを組織し、
それのモデルを世界中の各国に提案してそれぞれの国でもそのような、災害時の緊急救助のチームをつくっていってるらしいです。

ババのやることにはすべて意味があって無駄ではないということで、
そのような緊急救助のチームを準備することで、備えあれば憂いなしということで、逆にそれらが活躍しないですむように世界が安寧であればいいんですが。


でも何事にも準備するのは大切ですよね。憂いによってではなく、憂いなしのために。





※メルマガをとりたい人は右のリンク集にリンクしてあるSSOJのサイトから配信を申し込めます。

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【2012/05/01 11:41】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ア・コース・イン・ミラクルズの追加情報
ア・コース・イン・ミラクルズを20年以上前に原書で購入したという方から邦訳の追加情報をいただいたのでここにご紹介します。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


SAWAKOさんのブログではワークブックは紹介されていませんでしたが、

米国在住で時々日本に来てアコースインミラクルズのワークショップを開いている香咲弥須子によるワークブック翻訳・解説の本があります。

また、http://www.jacim.com/acim/の加藤三代子さんによる翻訳で「奇跡講座・ワークブック編」も昨年(2011年)12月15日に出版されました。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


ありがとうございます。



Celebration in the Temple of Healing from Sairamark on Vimeo.





ちなみに、『ア コース イン ミラクルズ』は、ババが口述したのだと、ババ自身が、テッドさんという人に、色んな機会に、数回にわたって仰ったそうです。

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【2012/01/05 04:49】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ア・コース・イン・ミラクル
今日の夕ご飯をキャンティーンに食べに行ったら、誰も彼もがやたらにこやかで親切だったので不思議でした。

玄米ご飯をよそってくれたお兄ちゃんも、おかずをよそってくれた女性も、すごくニコニコして親切で、やたら愛にあふれていました。

スープのとこのおばちゃんもニコニコ親切にそのスープについて説明してくれました。

台に置かれたコーヒーを取ろうとしたら、
そのこ係りのおばちゃんは、「あ、これは熱くない。ちょっと待ってね!」と言って、
別の熱いのを後ろのタンクから注いで、にこにこ手渡してくれました。

サラダを取ろうとして、それを入れるボウルを私が取ろうとするよりも前に、その場にいた係りのインド人のおばあちゃんが、さっと一つとって、手渡してくれました。

普段そんなことってめったにないと思うけど。


なにかが。。。?
ちょっと違う感じ。

みんなが親切でニコニコ助けてくれる。



???



ご飯を食べ終わって、
アシュラムの外に出て、

両替屋に両替に行ったら、そこの店員がやっぱりニコニコしてプラサードをくれました。

両替屋でプラサード!?

ちょっと怪訝に思って、その1片のココナツの実をもらうべきかどうしようか一瞬逡巡したら、
店員は、
「スワミのサマーディーのプラサードだよ。坊さんが僕にくれた」
と、ちょっと得意げに笑顔。

横を見ると顔見知りのネットカフェの店員も「そうそう」という感じで穏やかで晴れやかな顔。


そうか、と思ってありがたくその場で割って半分食べ、

残った半分の半分を知り合いの占星術師にあげたら
「スワミがわたしにくれた!」と喜んで食べ、30分後くらいに「スワミのプラサードがベリーグッドエナジーを運んできた!」と、ご満悦。

残った1片を同居人にあげようとしたら後ずさり。爆

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとどこかに置いといて」
と言うので、

「自分で置いて」
と渡そうとしたら左手で受けようとしたので「右手」と言って右手で受けさせて、

その小さな1片は数時間後の今もテーブルの上に置かれたまま。笑



同じものでも物事でも人によって別のものに見えるらしく、
いろんな反応が巻き起こる不思議。



日本の本屋で結構たくさん本を買ってきたのですが、
そのうちの1冊、ア・コース・イン・ミラクルズはえらく分厚い本です。

900ページ以上ある。


ニサルガダッタ・マハラジのアイアムザットと同じく、
前から順番はなかなか読み進められないので、

気が向いたところを開いては1~2ページをランダムに読んでいます。



最初はなんか抽象的でちょっとわけわからんとか思って、とっつきにくい印象を受けたのですが、
途中からどうもはまりだした感じ。

けっこう面白いですね!



分厚い読み応えがある本が面白いと、なかなか読み終わらないから嬉しいです。


今日開いて読んだ箇所の一部を下に書くとこんな感じ。




P865~


「神」があなたについて抱いておられる「思い」は、あなたが忘れてもまったく変わることはありません。

それはあなたが忘れる前の状態とまったく同じであり、

あなたがそれを思い出すときもまったく同じです。

そして、あなたがそれを忘れていた間もまったく同じです。


「神の思い」はあらゆる変化を遥かに超越しており、永遠に輝き続けます。

「神の思い」は誕生を待つことはありません。

歓迎され、思い出されることを待っています。


「神」があなたについて抱いておられる「思い」は、星のように永遠の空にあって変わることがありません。


それは「天国」の非常に高い所に置かれているために、

「天国」の外にいる人々にはそれがそこにあることが分かりません。


しかしながら、じっと動かずに、白く、美しく、永遠にそれは輝き続けます。


そこに存在しなかった時は一度もなく、その光が一瞬の間も暗くなったことはなく、

完全性が少しでも損なわれたことはありません。




てなかんじ。

本の帯には「世紀の名著、邦訳なる!!」というキャッチコピーが。



30年以上前に書かれて出版された(英語?で。日本語のはつい先日出たみたいです。去年の11月末に。)
本みたいですが、
結構イメージが喚起されたり、内容が鋭く中に入ってくるかんじがあります。

微妙にとっつきにくい感じがあるんだけど、
(時代性の雰囲気のギャップとか?)

でも、どこか一部分が自分の中と呼応してつながると、そのあとはラジオのチューナーが合ったみたいに
意味がそのまま意味を持ってずるずると入りこんできます。



。。。しかし分厚い本だな!

ラーマクリシュナの福音の完全版並みだよ!!

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【2012/01/04 03:02】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(3) |
誰がかまうもんか?!(byラメッシ)
今まだ北インドでうだうだしてますが、いよいよ明日飛行機に乗って2~3年ぶりに日本に一時帰国です。

それはいいのですが、
外出するときはここ数ヶ月、ラメッシ・バルセカールの「誰がかまうもんか?!」という本を携えていって、
レストランでの食事の前後の空いた時間などにちょろちょろと読んでいます。

つまり、なかなか読み進められなくて同じ本を何ヶ月も持ち歩いてるということなんですが、

これはこれで役に立ちました。

特に日本のプージャなどでプッタパルティを離れたときなど、猛烈に頭にきて両目からレーザービームが出て耳から湯気が出そうなことがだいたい1回は起こるので。
そのような私の中の真っ黒くろのスーパーカーリーが出動しそうなときや、すでに出動して猛威を振るい始めたときにこの本を1~2ページ読むとだいぶ鎮静効果があります。

しかもこの本は便利なことに、どこを読んでも同じようなことが同じようにかいてあるという。笑


この本によるとつまりは物事は何かをするどんな個々の行為者もなく、全体としてただ自然発生的に「起こる」、ということらしいのですが、

そういうアイデアを「わたしに呪わせないでください」とババに必死で祈っているような激怒や憎しみを自分でももてあましているようなときに与えられると、個人個人に焦点があって膠着していた意識が解き放たれて全体に向けて開放されるので楽になります。

なんかわたし怒ってばかりの人みたいですけど、笑。そうでもないんですけど、いったんスイッチが入ると猛烈になってしまうという。

外出先や日本のプージャのような強烈な期間のときはそういうスイッチも入りやすくなってて。
カルマみたいなものもがんがん表出されてくるみたいで。

それらをつかんでしまわずにうまくやり過ごすためにはこの本はけっこう即効性ありました。


そうやって何ヶ月にもわたってちょろちょろ読み進めていったこのなかなか読み進めることができなかった本ですが、とうとう終盤に来ました。


で、今さっきこの終わりの数ページになってがぜん感動的になってきたので、
今度はすぐに読んでしまうのがもったいないので数行ずつ読んでます。

私の場合ラメッシに感動なんではなくて、この本の最後に出てきたジュニャネーシュヴァリの言葉がとてもよかったです。

この人の本とかって日本語で出てないのかなあ。
静寂のニャーナとみずみずしいバクティをどっちも充分に含んで味わっているニャーナ系のこれは好みです。


この人の次に出てくるバクティ系のトゥカーラムの言葉も、具体的に内容を読んで理解しなくても字面を眺めているだけで感動の波が襲ってきます。字がそういう感動を発しているんでしょうね。

ページを開くだけで読まなくてもページからの風で感動できるので、
あとほんの3~4ページでこの本は終わりなのですが、
安上がりなのでしばらくは読まずに時々ページを開くだけにします。笑

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【2011/10/27 16:55】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(1) |
寄稿文「私とサイババとの出会い」を読んで。
しばらくぶりにSSOJ(サイババの日本での奉仕団体組織)のHP http://www.sathyasai.or.jp/ を見てみたら、

●2011/5/21
 寄稿文「私とサイババとの出会い」掲載

というところで10年ほど前にサイババに逢った人の体験記が乗せてあって、読みました。

読んでるとサイババを前にした時の圧倒的なかんじが思い出されてきて、なんか思いがけず嗚咽がでてきました。

そのときそのときによると思うけど、サイババを前にしたら世界がサイババだけになってしまうような圧倒的な感じが、思い出されました。

そして全部手放しになってしまって自分が光の中に一体となって消え去ってしまうような。

すべての滞りやふたが開放されて。



最近、なんか、サイババのナマダルシャンの感覚、忘れてきたなあとか思ってて、
それにも慣れてきてる感じだったのですが、

こうやって、サイババの圧倒的な神聖さというかすごさを思い出すと、瞬間的に、
自分がどれだけ閉じていってて滞るままにしていたかというのにハッと気づかされます。




今日の夕方はアシュラム内のSBI(ステイトバンクオブインディア)に預金を下ろしにいったけど時間が終わってたのでそのまま夕方のバジャンに参加しました。

ババのマハーサマディの工事が始まってからはほとんど朝のバジャンとバジャンホールの中のお参りしか行ってなかったのですが、午後って工事中にもかかわらず、けっこう人が集まってるんだなあと思いました。

ああ、そろそろババの学校の新学期も始まるし、学生たちとその親とかも来てるから人が多い感じなのか。

もうすぐ学生選別のくじびき(笑)もあるし。


う、今思うと、預金通帳を入れたかばんをそこらへんにおいてバジャンに参加してました。

まあ、なぜかわたしはそれで盗られたことはないのですが。



なんであの体験談を読んで嗚咽が出てきたかなあと改めて考えてみると、
サイババと出会ったときにみんな自分の魂そのものとであったような経験をしていて、

サイババの容体悪化を聞いたときにこの体験談を書いた人は普段はサイババのことなど忘れていたのに、
心が騒ぎ、さびしい気持ちと親密感が沸き起こり、もう一度会いたいという気持ちになったそうです。

そして目を閉じると浮かぶサイババの鋭いけれどやさしいまなざし、
というとこで、ああもうだめだ~。という感じになりました。笑

ババが亡くなって1ヶ月以上たちましたが、(まだそんなものか、という気もしますが)
嗚咽が出たのは初めてなので驚きました。


サイババのダルシャンでは「世界のすべてがいまここにある」という状態が目に見える光景として出現してる、
と気がついて驚愕の気持ちになったことが何度もありました。

そういう乳児にとっての母親のような圧倒的なものを、人は心の奥底でいつも求めているのかもしれないなと思います。

なにもかも、「これは違う」と捨てていったとき、人は神に圧倒されることだけにコミットするようになるのかも。
【2011/06/01 02:16】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
田口ランディ「オクターヴ」
今日の昼前後は、知人の占星術鑑定に付き添っていって、

そのあとは部屋で日本から運んでもらった田口ランディの「オクターヴ」とかいう小説を読んでました。

田口ランディは久々に読みましたが、

「でた!このえぐい展開!!」

という感じで懐かしいともいえなくもなく(笑)


最近周辺でバリの話題がちょこちょこ出てることもあり、

バリが舞台のこの小説を読んでみました。

舞台が舞台なだけに、なかなか呪術的なムード満点で、楽しめています。

読んでて何度もざぁっと細胞が洗われる感じになりました。

あと半分くらいです。


追記:

「オクターヴ」はえぐい展開があったものの、よく出来た話でした。

「ソウルズ」という田口ランディの短編集も読みましたが、
こっちはどの話も読後感が良くて、とてもいい本でした。


4冊今回日本から運んでもらったのですが、2日で4冊とも読んでしまいました。

7月にもしかしたら少し小旅行?するかもと思って、その時までとっておこうと思ってたのですが、、、笑。
【2010/06/30 02:16】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月28日読書「御名の響き」
「御名の響き」(N・カスツーリ著)p289より
「【サーダナ(霊性修行)】には4つの段階があります。
第一は人を【スローキア】にみちびきます。それは神の王国にいることであり、
王の命令に服従し、忠実であり、王のささいな望みをも尊敬し、誠実に王に仕え、
あますところなく王に尽くすことを意味します。
次の段階は【サミーピア】です。それは、廷臣、侍従、召使として宮殿にいることであり、
王の側近にいて神聖な属性をつちかいます。
第三の段階は【サルーピア】です。それは、修行者が王の姿を吸収すること、
すなわち王の兄弟か近親のように、王冠や王としての飾りを身につける権利をもちます。
最後の段階は【サユージャ】です。それは皇太子として王位を継承し王となることです。」

これは王、つまり唯一者を知っていることが大前提で、
これを思うとき、霊性修行が始まる、つまり神を知り、それとの合一への道を歩むなら
その人はその道にいるということである意味すでに解脱しているといえるような。

以前日本のセンターに来てみんなの前で話をしたインド人聖者に
解脱の段階について質問をしたときに、彼女はやっぱり4つの段階について話をしました。
この本のこの箇所を読んだときに、あの時彼女が話したのはこのことじゃないのかな、と思いました。
彼女が話したのは解脱の4つの段階についてでしたけど、
内容を見てみると同じような感じです。
何年も前だしうろ覚えですけど、彼女が話した段階とは、
最初が神と同じ場所にいること、(たとえて言うなら日本の中でだと同じ神奈川県に)
次が神と似たものになること
3番目が神と一緒にいること(たとえて言うなら神奈川県の中の同じ横浜にいる、というようにさらに範囲が限定される)
そして最後に神と一つになること、
と、そんな感じだったと思います。

しかし、色んな表現があるみたいだし、結局よくわかりません。
段階にしても、7段階あるという場合もあるみたいですし、
別の数字が出てくる場合もあるみたいですし。
グラデーションの、どこで切るかという問題かもしれませんし、そうじゃないかもしれません。
7段階だとチャクラの数に対応させて考える場合もあるみたいですし、
結局、自分の体験に照らし合わせてちょっと参考にする程度にしか
この手の知識は役立たないのかもしれません。

しかしこのインド人聖者にこの話を聞いたときに自分でじぶんにあてはめて解釈したのは、
最初の段階はニルビカルパサマーディ(この時点でなんかへんですか?)
次が現実世界の中に降りてきて、サマディー前の自分個人に付着した概念の除去の完了。
3段階目がサイセンターの定期的な活動に入ること、
4段階目はその時は予想もしなかった、インドに住むことでしょうか。
でも、それじゃあここにいることでおしまいですけど、まだ終わってないという。
(あくまで自分の場合で照らし合わせただけなので、4段階目イコールインドに住むことを意味するわけではありません。もちろんのこと)

詳しくは忘れましたけど、以前読んだバガバッドギータの本の中で、解説に、
神のヨガ、とかいう語句が出てきていて、
人間のヨガは神と一つになるのが目的の、より統合された状態に向かうヨガですが、
確かその本で言うところの神のヨガとは、神が個別のものへ分かれていく多となるヨガだったと思います。
自分のサマーディー前に付着した個人にまつわる概念の除去を行ったときに
自分はいわゆる神のヨガのようなことをしたなと思いました。
究極の分離状態を目指していったので。
そして全部なくなって完全に神から離れた自分個人というものを見据えようとした時に
そこに何もないことを発見したのでした。
ニルヴィカルパサマーディが光のサマディーならそれは闇のサマディーでした。

そしてそれからは何もないまま、その自分個人は何もないという認識とともに
衝けばすぐ壊れる仮の個人性をたずさえて、
実際ほとんど壊れたままで再び世界全体つまりサイババへと接近していく方向に転じたのでした。
つまり人間のヨガです。

女聖者がサイセンターの活動を熱心にしているようなアクティブワーカーの人たちは
解脱の先の段階にいると言ったことについて、
解脱の、進んだ段階にいるということだと思うので、
この4つの段階で言うなら少なくとも3段階目以降じゃないかと思います。
7つの段階で言うなら6段階目以降。最終局面ということで。
こっちに長期滞在してる人たちもそれにあたるんじゃないかと思ったりもします。
ただ、センターはバクタ的で、長期滞在者はニャーナ的なような。

霊性の段階を7つに分けるなら、3と4の間に大きなギャップがあり、
3までの進み方は遅いけど、4に行くと飛躍的に早くなると何かで読んだ覚えがあるので、
7つの段階の4が解脱じゃないかなと思います。
で、4,5,6,7の4つの段階が先に書いた解脱の4段階に当たるんじゃないかと思います。

インド人や沖縄県民は基本がこの7つで言うと4以上なんじゃないかと思うときがあります。
常に神とともに日常を生きているようなところがあり。
どちらも悠久の時間の中で生きていて少々の遅れは気にしない!?失礼。

7つでいうところの4はハートのチャクラに対応するんでしたっけ。
ハートが開いてその中に神が住むようになることが解脱というならば、
アシュラム内でババの許可の下で行われているバイブレーションメディスンで、
ハートのチャクラを開く効能の薬があったりすることにも思い当たってきて。

もう朝の8時を過ぎたので朝食を食べに行って、主名を学校に送り届けてこようかと思います。
今日は主名も早めに起きてブロックみたいなやつを組み立てて真剣に遊んでいます。
私のほうが用意に時間がかかるので。
【2007/11/28 17:11】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(1) |
読書「ラーマクリシュナの福音」
読書「ラーマクリシュナの福音」

読み終わった本にしおりを挟んでいたところがあったので、
どの箇所をチェックしておきたかったのか見てみました。
これ、図書館から借りてますけど返却期間を5日過ぎてました。
たしか、一日延滞につき1ルピーだったような。

p874~p875
「『あの若者たちの心はまだ世俗性にいろどられていない。
  それだから心があんなに浄らかなのだ。
  その上に、彼らの中の多くの者が、永遠に完全な魂だ。
  生まれたときから神に引きつけられている。
  それは、掃除をしているあいだに突然、水道管が見つかる庭のようなものだ。
  こちらで何の努力もしないのに水がほとばしり出る』
     (~略~)
 『これらの若者たちが何に似ているか、お前知っているか。
  まず実を結んでそれから花を咲かせる、ある植物に似ているのだ。
  これらの信者たちは、まず最初に神の御姿を見る。
  つぎに、彼の栄光や属性について聞く。そして最後に、彼に合一するのだ』」

ここにいると、こういう日本人がアシュラムを訪れて自分と接する機会もありますし、
日本でもそういう人たちがよくいました。
別に、普通といえばごく普通の人たちです。
普通に楽しく暮らしてるような。(でもそうでもないような)
わたしも人に、あなたは過去生ですでに解脱してたとかそういうことを言われたりして、
え?そうなの?と、何事においても自覚に乏しい自分は
「そうなんだー?」と、霧が晴れるような気持ちになったり。
いままでそういうことが多いです。
「あなたはもう解脱してるよ」と言われ、「そうなんだー?」
「さわこさんはサマーディになったと〇〇さんに聞きました」と言われ、「そうなんですか?」

21歳の時にサマーディ
(それがサマーディという語句に当てはまるということものちに人に教わりました)
になる前に具体的な霊性の知識もなく、
これといった修行のようなものもせずに
母にくっついてサイババのところに来てみたらいきなりそんなんになって、
(サイババの存在による祝福・恩寵はあきらかにうけています)
なんでかなあ?と考えて、たぶん、過去生で「あがり」になる直前で死んだから、
今生では「あがり」になることしか残ってなかったんだろう。と、自分なりに納得していました。

しかしその「あがり」体験はどういうこと!?と、その後その具体的な説明を求めて
本を読んだり人に聞いたりと、そこからいわゆる霊性の道をたどっていった感じです。
これが上記の「まず最初に神の御姿を見る。つぎに、彼の栄光や属性について聞く」
ということに当たるんだろうと思います。

「彼に合一する」といいますけど、合一した時にその自覚ってあるんでしょうか?
それがちょっと疑問です。

21歳の時のはその自覚ってあるんでしょうか?どころか、
世界から突然退いて強烈な現実性、真実性の中のそれそのものとして存在したので
今までの世界がすべて虚構世界であったということも同時に体感しました。
だからまるで暴力的なまでに強烈なもので、
それまでの世界の中の個人としての自分からしてみれば非常にショッキングなものでもありました。
それと同時にアートマンとしての自分は「ああやっとたどりついた、」と安堵しました。

しかし、それがおそらく「神の御姿を見る」ということで、
その後「彼に合一する」ときにまたこのような衝撃があるかどうかは分からないと思います。
気がつかないんじゃないかと思いさえします。
【2007/11/19 14:27】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月15日読書『バガヴァタ・バヒニ』
11月15日読書『バガヴァタ・バヒニ』

p256
「しかし事実は、どのように些細な成功であれ、神の恩寵なしには成就しないのです。
 それだからといってわれわれは、神が意志したまえば物事が成就すると信じ、
 手を束ねて座っていればよいわけではありません。
 人間の努力が肝要であり、人は自分の力でまずやってみなくてはなりません。
 自分に与えられた力と技とを使い、
 仕事を進めていくという覚悟を固め成るか成らぬかは神に委ねるのです。
 なぜならば神の恩寵なしには、いかなる努力も実を結びません。」

p251
「世界が見るものは、生と死の中間のみです。
 しかし神は全世界の唯一統率神であられ、過去、現在、未来を知っていられます。
 神は人間よりもはるかに思いやりがあります。
 神は、過去、現在、未来を知り、天・地・地下の三界を知り、
 激性・鈍性・浄性の三属性を知って、恩寵を与えられます。
 神はどの人よりもよく知っておられ、
 人間にとっての唯一のよりどころは一切のことは神の意志にもとづくことを信じ、
 平和に満ちて、自分自身を神の栄光と恩寵についての黙思にひたし切ることです。」

p197
「『神の不思議な奇蹟を知るのはひとり神のみである』と言われています。
 神を説明しうる者はだれひとりいないのですが、
 しかしただひとつ自信を持って言えることは、神の化身はほんの少しも御自分自身の利益のため、
 あるいは自分の好みのためになさることはありません。
 一切の行為は世界の善のためです。
 どの言葉、どの行為にも、全面的捨離の心が底流に流れています。
 御手の内に全世界を把握している化身に対し、
 世の中はなにを与え、なにを与えずに置くことができましょう。
 神の化身は御心のままに世の中を形成されます。」

「一切のことは神の意志にもとづく」という事実に対しての明け渡しが全託ということなのでしょうか。

神の化身の「どの言葉、どの行為にも、全面的捨離の心が底流に流れている」ということ。
すべてを愛を、善を与えるために行うという神の化身にはつまり不足はなく、
常に満ち溢れているということでしょうか。
全面的捨離、ということはつまりは何ものにもとらわれず全体として存在するということなので。

すべての成功は神の恩寵によるということ、だれが、なにに成功するのか。
そこのエゴの入る余地はなく。

すべては神の劇が行われているという自覚と、そこで劇を演じているあの人やこの人や自分は
役柄を降りれば何であるのか。
役柄を降りたときの個人としての自分に何か意味はあるのか?そこにはなにもない。
神の意志に忠実に役を演じることにより劇を成り立たせること。
そしてみながともに演じていることを忘れないこと。
これは劇であり神という演出家がいて劇はいつか終わること。
ほんとうは神だけがいて演出し、自分自身で演じていること。自作自演の劇であること。

前にこの本を読んだときは面白かったなあ、と思いましたけど、
今回はちょっと感動しました。
最後、パリクシット王がクリシュナ生誕の物語を聞きながら肉体を離れ、
クリシュナに融合して王自身が永遠の命のなかに誕生するところ。
話は王が死ぬところで終わりますが、
王の本当の永遠の命の話は今これから始まり、広がっていくのだなあというはるかな余韻が残りました。
【2007/11/16 13:32】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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