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テスト最終日
今日で主名のテストは終わりです。
今日は理科で、体の各名称を空欄を埋める形で記入させるそうです。

昨日、主名が学校からなかなか帰ってこなかったので様子を見に行ったら、学校の後の補講みたいなのに出ていました。
そこにいた先生に聞いたら、翌日のテストの内容が主名は全然書けないから!と、えらく怖い口調で言われましたが、主名が、単に他の子と一緒に座って宿題をしたくて自主的に残ったみたいです。
長いすにきちきちに座って、なんか嬉しそうでした。

あしたも残って勉強する。だって勉強すきやもん。などというので、
ほんまやなー?と思いつつ、校長先生のところに行ってその旨をいうと、
先生も「ほんまかー?」というかんじで笑ってました。「だって、みんなが残ってるもんね」と。
ま、いいでしょう。今日とあした、(補講に)出ていいです。と、校長は言っていました。
おためし、ということで。

学校が3時半に終わってすぐその補講と言うか、チューションといってますが、それがはじまって、
主名が昨日帰宅したのは5時過ぎでした。
宿題を済ませて帰ってきてくれたのでよかったです。
主名も、家でマンツーマンでしかられながらやるより、学校でみんなでしかられながらするほうが楽しいみたいです。

昨日のダルシャンはあっさり終わって、その後さっさと食事をして翌日の試験勉強、と思いましたが、
主名が眠たすぎたので、ざっと一通りだけやらせて、早めに寝かせて朝早く起こして、朝、2時間くらいやらせてから学校に連れて行きました。
どれだけ覚えたかはわかりませんが、まあ、ベストを尽くしたということで。

今朝のダルシャンはありました。
今日からまたヴェーダ教室と音楽教室に行きます。

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【2008/07/25 13:49】 | 主名の勉強 | トラックバック(0) | コメント(0) |
テスト
今日は主名は社会のテストです。
昨日、ノートに先生への手紙を書いて、あらかじめ出題されるのを教えてもらいました。
英語のテストもそうすりゃよかったです。

社会のテストは3つの分類で、「大家族」「フェスティバル」「礼拝の場所」
家族のは、マザーとか、アンクルとかドーターとか10こくらいで、フェスティバルはダサラとかクリスマスとかそんなんが9こで、礼拝の場所はテンプル、チャーチ、モスク、グルドヮーラの4つです。
フェスティバルはラムザンとかイッドなんて、モスリムの祭りはなじみがないので??と思いましたが、
モスリムの知り合いに内容を聞いて説明してもらってわたしはわかりました。
主名はよくわかってないけど覚えました。
ポンガル、なんて調べる気も起きませんでした。

礼拝場所のグルドヮーラって、以前アガスティアの葉を開けたときにそんな単語が出てきたように思いますが、結局いまだによくわからず。

今日のテストはまあ、半分くらいはできるかなあといったところです。
昨日も2時間くらいテスト勉強しましたが、なんせ幼児。つめこむというわけにはいかないので、
慣れさせる、といったかんじです。

自分の学生時代に一夜漬けをした事を思い出しました。

明日で主名の生涯初のテストは終わりです。
あしたは理科で、体の各部分の名称を空欄を埋める形で記入させられるそうです。
これはほとんど手付かずなので、なにも準備せずに行ったら白紙の可能性があります。
言うのは言えても書くのがほとんど手付かずです。

今日の「大家族」のドーターは、主名は何回も「ドーピー」と間違えていました。
ドーピーって、洗濯やさんです。
月の名前の練習をしたときもずいぶん後まで「セプテンバー」は「イクスペンシブ」でした。
【2008/07/24 14:41】 | 主名の勉強 | トラックバック(0) | コメント(0) |
教本
今日、部屋の掃除をしていたら隣のおばあさんがうちの部屋のドアの外から逐一観察して、
「それではくんか。それいくらだった?」とか、「水ぶきはどうするの?」とか言ってきて
やりにくいので、
先日買った一年生の入学用の模擬問題&教本集を見せたら「いくらだった?」と聞いてから
興味しんしんで中身を見て自問自答して解いていました。
あとでわたしもいっしょに見て解いてみました。
「わたしらはこういうのは6年生くらいでしたもんだけど、今の子供たちはたいへんだ。。。」
とか言っていました。

こっちの一年生は5歳半~6歳半くらいと思うので、日本の小学一年生より少し若いでしょうか?
で、入学試験がそれということは、入学する時点までにその学力を積み上げておく必要があるということで、
普通にのんびりしてて達成できる学力じゃあないですよね。。。

「わたし、キャンティーンにご飯食べに行きます」と言ったらおばあさんは
「これは後で返すね」と言って教本を部屋に持って行きました。
多分、たずねてくる親戚とかとの話の種にもなるんだろうと思います。

しかし、隣のおばあさんは英語でしゃべってるうちにテルグ語だかヒンズー語だかになったり、
聞き取れないことも多いので、英語力はさほどでもないと思ってましたが、問題を自問自答してといてる様子を見ると
不自由なく話せるんだということを再確認しました。テルグリッシュではあるけれど。
最近シンガポールの人がアシュラムにたくさん来てて、
横でしゃべってるのが耳に入ると最初は中国語かと思う雰囲気なんですけど
よく聞いたら英語なので、ああ、これがシングリッシュか、と思いました。
雰囲気は中国語そのものなんですけど。

英語は子供なんか学校に行かせりゃ勝手に覚えると思ってましたが甘かったです。
そりゃ、少しずつ耳になじんでは来てるみたいですが、
やっぱり保護者が教える必要があるなあと思います
とうとう私も英語を勉強しなきゃいけないときが来たのか。。。と。
ずっとその必要性を黙殺して生きてきたんですけど。

今朝は部屋でご飯を食べさせてから主名を学校にやったら遅くなって、バジャンに間に合わないと思いましたが
ババは9時半を過ぎてから来たので外から見て、
その後まだしばらくバジャンが続いていましたけれど、
ショッピングセンターに買い物に行きました。

なんか、主名の勉強のことなどのプレッシャーのストレスを買い物で解消しようと思ったのか、サリーとブラウスとシャツを2着買いました。
【2007/12/13 17:39】 | 主名の勉強 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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