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2008年のスリランカの写真
文章だらけなので、昔の画像でも出しておきましょうか。
2008年スリランカビザ取り旅行より。

バンガロール2
バンガロールで。
プッタパルティを離れられてうれしい主名。笑顔もさわやか。
バンガロール1
同じくバンガロール。
ホテルで
こちらはスリランカで最初に泊まったホテル。場所は海辺のニゴンボです。
ニゴンボ道路
ニゴンボの道路の真ん中で休憩。
うみ
ホテルのすぐ前は海でした。
水路
ニゴンボからバスでたしか一時間ほど行ったところの水路でボートに乗ってバードウォッチング。
オオトカゲやくらげの群れ、子供のワニなんかも見ました。この水路は人々の生活の場で、子供らは泳いだりしてました。
インド脱出
スリランカサイコー。BY主名

(たぶんつづく。。。)
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【2010/03/30 04:43】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
スリランカ後
スリランカ後

スリランカから帰ってきて、インドを、というか、インドのサイババワールドを外から眺められる視点ができたかもしれません。
タイヤ日本でではなくスリランカで。
それでずいぶん楽になりました。
もうサイババワールドの渦の中には参加したくない感じです。
こういう風に思うと言うことはプッタパルティという病院の退院の日も近いのでしょうか?
サイババワールドの磁力はすごいので、少しでも隙があるととらえられたら抜け出せません。
それは幸運なことと帰依者はいいますが、渦の中に入ってしまうとなかなか大変です。

スリランカで買ったサマーデイ仏陀のポスターを部屋に貼ってみると部屋があっさりして見えて楽な気がします。ババはビジュアル的にもたぶんエネルギーもとてつもなく濃いですもん。
しかし、それを貼った日には主名はお化けを見て、わたしも変な夢を見ました。
何かエネルギーの作り変えによる隙ができたかと思いましたが、
サマーディ仏陀のポスターはそのままです。
もう、あっさりした世界に生きたいのです!

サイババのほかの写真とかヒンドゥーの神様の絵とかも完全になくしはしていませんけれど、だいぶ減らしました。
部屋が軽くなったような気がします。
サイババの写真とかはずしていくのはサイババ離れ?という感じですけど、
そもそもスリランカに行くように何度も何度もメッセージを送ってきて、
最終的にタイに行くのをやめてスリランカにしたのはサイババの促しに沿った結果と、自分では思っているので、もしそうならサイババのビジュアル的なものや個人性(私たちが自分たちの個人性によってサイババに投影している個人性?)から意識をはずしていくのはサイババ自身の導きでもあるはずだと思っています。

至高神は個人と直接交流しないとかいう話もありますけど、事実がどうかはともかくとして、色々な促しや言葉などが来てそれを受け入れることで自分の人生が進んでいっているのも事実なので、今の自分にはそれらは何かの役に立つからくりなんだろうと思います。

スリランカにしても、これは間違えようがないくらいスリランカに行くようにと促されて、(ダルシャンの時にババを見てたら「スリランカスリランカ!」といわれたりとか、どうせよくない結果が出るだろうと思って、スリランカ行きを占ってみたらタイ行きよりも抜群に良い結果が出たりとか。)
実際行って見たら今の自分にはタイよりもスリランカがすごく楽しかったです。
日付は、21日に行くようにという促しだったので、21日の航空券を取ろうとしたらその日は他の日よりもすごく高かったので諦めて19日にしたら飛行機に乗れなくて翌日に変えて、そしたらその飛行機が遅れたので、スリランカ入りしたのは日付が変わった3月21日の満月の日になりました。

ドイツ人の知人とは「一緒に行くように」と言われて、あとで「一緒に行かないように」と言われて、どっちにしたらいいかわからなかったし、間違ってたら勝手に調整が入るはずなので一緒にプッタパルティからタクシーに乗って行ったら私が予定の飛行機に乗れなかったので、スリランカには一緒には行けませんでした。
向こうではまた会って、ちょくちょく接触しました。
これが、「一緒に行きなさい」「でも、一緒に行かないように」という具体的な現れ方なんだろうと自分では納得しました。

帰りの日は7日に変更するようにいわれたのですが、スリランカエアラインのオフィスまでいって話をしたけどもやっぱり変更する踏ん切りがつかなくて、変更できませんでした。
そしたら「しょうがない、11日にするように」と言われ、11日は無理だろうと思って最初の予定通り10日に帰ったのですがプッタパルティについたのは日付が変わった11日でした。

指示通りにしようとしても指示がこのようによく分からないので、すごくその通りにする時もあれば、放っておく時もありますが、勝手に調整が入るのであまり気にしてません。
むしろ考えるだけ無駄なので、自分は自分でいいと思う感覚で行動しています。すると結果として指示内容とリンクするので、そういうことか。と。展開していくストーリーを追いながら納得して答えあわせをしている感覚かもしれません。

スリランカ後はほんとにプッタパルティという娑婆に入りたくなくて、おばあちゃん先生ワールドのレッスンに行くのも先延ばしにしていたのですが、ダルシャン後に教室仲間のおばちゃん2人に見つかったので、しょうがないからその日に顔を見せにだけ行って、その後日曜まで音楽教室はさぼって、日曜のヴェーダ教室だけ行ったら、翌日の月曜に他の3人と一緒に音楽のテストをするとか言われました。翌日からも6月くらいまでサボるつもりだったんですけど。
月曜に音楽テストを堂々カンニングで受けて、(だって覚えてるわけないので)その翌日からは移動の準備をしなくちゃいけないし、ババが帰ってくる時に私も帰ってくると言って休みました。みんな笑ってましたけど。

スリランカ後、ババは道路で見かける機会が多かったです。
不思議なもので、やらないといけない用事をやってたり、しんどいから無理せずにゆっくり行ったり、主名にジュースを飲ませたりなどのがんばらない状況になると明らかにタイミングが合った感じでカーダルシャンが受けられて、じゃあ、と思って、こっちから狙っていったり、ちょっと無理してがんばろうとしたりするとそういう至近距離のタイミングばっちりのカーダルシャンは訪れなくなるようです。
じゃあどうすりゃいいっていうの!?ですけど、無作為で、淡々とすることをする、という態度に落ち着きつつあります。
すると、向こうから来るみたいです。こちらに流れ込んでくるかのように。

ババはわたしが見てるときは見ずに、見てないときに見ているのかなあ、と思うくらいこっちを見ないです。彼がこちらを見てないとむしろそういう意思を感じます。
しかし祝福ポーズで通り過ぎた時には祝福されたとかんじるので、たぶん直接見られずに祝福されたりしてるんだろうと思います。

スリランカ後には23日に列車で移動するようにいわれたので移動しました。
行き先はコインバトールで、そっからコダイカナルにタクシーで行きました。
今はコダイカナルにいます。

23日の時点で売店スタッフなどはバンガロール(ホワイトフィールドのこと)に移動したし、ババがバンガロールに行くけどコダイには今年は行かないかもしれないから移動は待っておいたほうがいいよと他の人に言われていたのですが、
なんかしらんけどうちらは「コダイ」で、今バンガロールに民族大移動で行く気が全然しなくて、主名とも「ババが行かないかもしれないけどいい?」とか話し合った結果、「いいよいいよ」ということだったので、
いっそババなしでもオッケー、ということで保養に来ました。

ババのいないコダイは限りなく気楽で軽く楽しいです。
ババが来ると追っかけ帰依者たちも様々な方法で続々やって来てダルシャンも始まるので気楽ではいられにくくなり、宿の確保などで必死なムードも空気中に漂うはずなので。
やっぱり人が多いというのはいい面もありますが、落ち着かなくてわーとなります。
マイペースが保ちにくくなって、あっというまに集団心理に飲み込まれてしまいがちです。
ブログは「おっかけ」としていますが、実際は追いかけるのとか並ぶのとかきらいです。
きらいになりました。
乖離し、浮遊していたい。

去年夢でババに、来年(2008年)という感覚で、「今度コダイカナルに行っていいですか」みたいに聞いたら、来なさい、全部面倒見るから、とかいうような返事で、
その時点では今度のコダイは行かなくてもいいかなー、お金もないし。前回満足したし行くの疲れるし。2009年に行けばいいやとか思ってたので、うーん、2008年にもまたいくのかー、と、喜んでいいのかなんなのか微妙でした。

ですが、数日前に予算もつき、なんかしらん、ババはコダイには今年は来ないかもという予想の中、コダイに来ています。
あほと思われそうなので、プッタパルティの知り合いにはほとんどコダイに行くとは言わずに来ました。
しかし、夢でああゆう風にいわれたくらいなので、なんかたぶんいいことがあるんだろうなと思います。
来なさい、と言っても肉体のババではなくて偏在のババに呼ばれたか、それともコダイに呼ばれたか、それとも別のなにかがあるのか、
たとえ間違えても調整が入るというのは気楽でいいです。
というか、調整してもらわないと自分で分かるはずもなく。

23日の自分の移動というのもなんか妙なタイミングのように思います。
しかし全面的な祝福の中にいるような気もします。

とりあえず、主名は今日は貸し自転車を乗りまくって大満足のようです。
主名のために来たみたい・・・。
でも1時間10ルピーなので、大いに乗りまくってくれたまえといったところです。

そんなこんなで、こんなです。
そんなこんなで、スリランカ後は、肉体のババ不在のコダイ編が始まりました。
そんな状況ですので、このブログをババの動向の参考にしている方がいらっしゃいましたら、すみませんが当分役に立ちません。
【2008/04/26 23:27】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月10日 インド帰国
4月10日 インド帰国

朝起きると主名はさっさとロビーに遊びに行きました。
この日も主名はおねしょをしていたように思いますが、この日はベッドには被害はいってなかったと思います。
いっぺん、マットに広がる大おねしょをしたときに、従業員に言ってあやまったら、従業員は
「おぅっ・・・」と言って、「マットをひっくり返すのでいい?それでかまわない?」
と言って、マットを裏返しました。処置終了。

荷造りのほかに主名のパンツを洗ったりして、8時35分くらいにロビーに下りました。
そしてカードで支払いをしようと思ったら機械が壊れていました。
ホテルの人は責任者みたいな人も出てきて、別のところ(同系列のホテルかどこかの店)にこのカードを持っていってそっちの機械でしてもいいかとその人に言われたので、そうしてもらいました。

飛脚が帰ってくるのを待つ間に、トゥクトゥク代に、お金を細かくしておこうと思って、
ホテルの老従業員に500ルピーを100ルピーに両替してもらったら、
「サンキュー100ルピー」と言いながら400ルピー返してくれました。
自分へのチップだと思ったみたいです。
え?とか言ったら老従業員は勘違いに気づいたみたいで返してくれようとしましたが、
老人だったし、まあいいわと思ってそのままもらっておいてもらいました。
孫が16人とかいっていました。50年以上そこで働いているそうです。
主名をいい子だとか言っていました。

結局ドライバーの言った時間、朝9時ごろにホテルを出ました。
ドライバーは途中で控えめながらも「僕を日本に連れて行ってくれる?」と言いました。
おお、この彼もか、と思いつつ、
「わたしら今日、インドに行くんだけど」と言ったら
「あとで」とかいっていました。
日本はスリランカの人にとって、すごくいい国で、ほとんどの若者が行きたいようです。
彼は「スリランカは問題を抱えてるから。戦争で・・・。」とかいっていました。
しかし連れて行けるわけもなく、ホテルですぐに出発できなくて待たせた分大目に払って私たちはバスに乗りました。

スリランカは旅行者にとってはヨーロッパ的なリゾート環境と豊かな自然が両方楽しめる、
予想外にすばらしい国でした。
そこに住んでいる人がどんなふうだかまでは今回はよく分かりませんでした。
ただ、「島」だなあ、と思いました。「南の、島。」
そういえば、自分は昔から島とその閉じた世界ゆえの独自性にひきつけられてきたんだっけ、と思いました。

バスはすでに席は大方埋まっていて、私たちは後ろから2列目の横一列を確保しました。
マイクロバスです。日本の中古車の。
後ろか・・・、と、座った時点ですでに気分が悪くなりました。
窓も遮光ガラスで、エアコンを入れるので開けられないし、ニゴンボから来るときは
運転席のすぐ後ろに座ったので、フロントガラスを通して視界が広がっていたので全然気持ち悪くはなりませんでしたが、帰りは気持ち悪かったです。

9時35分のはずが9時20分くらいにもう発車しました。
まただまされたかと思いましたが、たんに早めに出発しただけでした。
私はそっこう気分が悪く、主名も絶対酔うから寝とけと言うのにはしゃいで窓にへばりついていて、しばらくしてから気持ち悪くなって「バス停めてほしい」とかいっていました。
3時間半ノンストップの早いバスなので停車は無理です。
主名は気持ち悪くて半泣きでひーひー言っていましたが、
「寝てしまい」と言って寝かせて、寝た後は目覚めスッキリで、「起きたら駄目」と、起きるのを許さなかったので、(また気持ち悪くなるに決まってるから)座席に寝転がったままゴロゴロしてゲラゲラ笑っていました。

わたしは主名に席を譲って空いてた補助席に座ったので、バスが空港の最寄のバス停に着いたときにはかなり消耗していました。
そこの広場のベンチに座って、ましになってから無料のバスに乗って空港に行きました。
これも都営バスの中古でした。
ところどころ日本語が残ってるから変な感じです。
バス内のステッカーとか。

途中で一度検問があり、警察が調べました。
私ら以外の乗客はみんなおろされましたが、私らは外国人だからか乗ったままでオッケーでした。
自国内の住人にこれだけ警戒しないといけないのは、大変ですね・・・。
そりゃ、スリランカの国が自力で発展する余力もなくなるかもしれません。
警官はいろいろ話しかけてきて、最後には握手を求めてきました。
よくわかりません。
スリランカ人は妙に握手をしてくる人が多いようにも思います。
西洋人の観光客が多いから?

私らの飛行機は夜だったのですが、空港に昼過ぎにつきました。
何かあったときに対処できるようにと、早めに空港に来たのです。
しかし早すぎてロビーから中には入れなさそうだったので、(入れたのかもしれませんが)
ロビーの店を見たりしてぶらぶらしました。
中庭がきれいだったので、出れるのかなと思いましたがやっぱり出れませんでした。
空港は写真撮影禁止のはずですけどその綺麗な中庭をスリランカ人女性が写真に撮っていました。
外に出て遊べればもっといいのに。
セキュリティがややこしくなる?

2階にレストランが見えたので、そっちで昼食をとろうかと思い、エレベーターで行こうとしたら、それは従業員用で行き先が違うと言われ、
別のを使おうとしたら壊れていました。
そこらへんの空港職員にどうしたら2階にいけるのか聞いたら階段で、と言われましたが、
小さめながらもスーツケースと他にも荷物がいっぱいで、それを持って階段を上がる気にはなれなかったので、荷物をロビーに置いておいていいかと職員に聞いたら絶対駄目とかいわれたので、「じゃあ、持って上がってくれればいいのに」とか思いましたけど、
しょうがないのでロビーのイスに主名と荷物を待たせて、わたし1人で2階に偵察に行きました。
あがってびっくり、2階はがらんどうでした。
正確に言うとタイ料理のレストランが片隅にありましたが、広大ともいえる空間が柱のほかにはなんにもなしで、非現実的な光景でした。
これから店とか入れていくのでしょうか?
結局、下から見たレストランにはそこからも行けませんでした。
タイ料理のレストランはその時点でもう2時とか3時とかで、ごはんものは終わって、今は軽食しかないとか言うのでやめました。

ロビーも見尽くしたのですが、そのころチェックインできる時間になったと思います。
飛行機の出発の4時間くらい前だったと思いますけど。
なのでロビーからチェックインの場所に入って、チェックインしてからしつこく、2階のレストランに行こうと思って、
そこらへんで談笑してた空港職員に行き方を聞いたら、近くのエレベーターでいけると教えてくれたので行こうと思ったら、エレベーターの前の警備員みたいな人にチケットを見せてと言われて、見せたら、もう2階のレストランにいっちゃ駄目で、先に進んで。中にもレストランがあるから。と言われました。
結局、あのレストランはどんなだったのか、わからずじまいでした。

先に進んだら店がいっぱいあったのでなかなか面白かったです。
本屋とか土産物屋とか、いろいろ。
主名は飛行機が見える場所でガラスにへばりついていました。
やっぱり何か食べたかったのですが、すでに時間は夕方で、機内食も出るはずだったので、レストランで高いフレンチフライを食べました。
しかし、たくさんあって、おいしかったです。
二人で一皿食べてもお腹いっぱいになってしまいました。
少しだけインターネットをしたら、そこのスリランカ人のお姉さんは日本語の使い手でした。
「ちょっとお話しましょう。」「こっちにきてください」「お名前はなんですか」などと
主名に話しかけて相手をしてくれたので主名もお姉さんたちに囲まれて上機嫌でした。
日本には行ったことはないと言っていました。
それでもあれだけ端正な日本語を操れるようになるんですね。
そういえばシーギリヤの日本語ガイドの人も日本には行ったことはないと言っていましたっけ。

飛行機はやっぱりお茶が出なくて、飛行時間が短いからでしょうけど、お茶だけほしいなーと思いました。機内食はあんまりおいしくないですもん。
飛行の終わりの方に、機内にスプレーをまくのはなんなんですかね?
すごくくさいんですけれども。

無事にインドについて、インド人が多数の中に入ると、何か感じたはずですけどもう忘れました。

荷物のカートを取ると999番でした。全部この番号なのかと思って他のを見ると違っていました。
インドへの帰国の日についても散々迷ったのですが、やっぱり全部神の手中にあるというか、途中でどんなに迷っても結局最後になったように決まってたのかなという気がします。どんな場合でも。

タクシーも予約していたのでちゃんと迎えに来てくれていて、帰りは夜遅くだったこともあり、私も主名もほとんど寝ていました。
バンガロールの町に戻ってきて、スリランカで思っていたほどインドがいやじゃなくて、
なにかほっとしている自分もそこにいました。
車の中で何かしんみりした気分にもなりました。

バンガロールに住んでるというあっさりしてて若いドライバーが、スリランカのドライバーと比べると洗練されて都会的に感じました。
不思議なもので、インドからスリランカに行った時はスリランカの人たちの方があっさりして都会的に思えたのですが。
というか私がどこに行ってもべたべたでおのぼりさん的ないなかっぺ?
ドライバーは、うちらが寝てるし、丁寧に注意深く運転してくれていました。

インドはすごく暑いだろうと覚悟していたのですが、夜風は涼しくて、冷たいくらいでした。

夜中の1時くらいにプッタパルティのアパートに着き、電気をつけて部屋に入ると何もかも怖いくらい白けてて、部屋自体が白骨化しているかのような印象を受けました。
乾ききっているというか。
白いのは全体にほこりが積もってたと言うこともありましたが、やっぱり人が住まずに部屋の中に水分がなくなると部屋も白骨化するんだろうと思います。
床を水ぶきして風呂に入ったりしたら部屋も生き返った気がしました。

主名は夜中だというのにさっそく部屋のおもちゃで一通り遊んでいました。長期部屋を空けて帰ってきた時の儀式みたいなものかもしれません。

帰ってきてしまった。インド。

わたしは、旅行気分の身軽な感覚が消えないうちに、スリランカから帰ってきてから部屋のものをだいぶ処分しました。
インドは、「住まなきゃ、生活しなきゃ」というような切迫感があったので、生活必需品をそろえるとか、そういうふうに
自分をそこにとどめるために一生懸命になっていましたが、もうそういう強迫観念からも自由になってきていいころかもしれません。
【2008/04/26 23:25】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月9日 最後のプージャ
4月9日 最後のプージャ

この日は朝は紅茶だけルームサービスで取って、あとは買ってたパンとかフルーツとかきゅうりとか、そんなのを食べたんじゃなかったかと思います。

11時近くなったので歩いて寺まで行って、チケットを買わずに行ってみました。
そしたらチケット売り場の人と警備員みたいな人に呼び止められて、聞こえないフリしても無駄だったので、チケット売り場に行って、
「ある人が、『あなたはデボーティー(帰依者)だから、お金を支払うべきじゃない』といったんですけど」と言ってみて、駄目と言われたらまあいいやとか思ってたんですが、
チケット売り場の人には「あのドイツ人か」と、ばればれでした。
で、売り場の人にしばらくじーっと顔を見られて、「OK」と、チケットなしで通してもらいました。

その時間も9時半からのプージャがまだ終わってなかったので、
一応外から仏陀の歯の金ぴかの入れ物を拝んで、その後知人と出ました。
昼に来たのは初めてだったのですが、人がいっぱいでびっくりしました。

知人いわく、キリスト教の日曜日、ババのところの木曜日にあたるのが、仏教徒の水曜日で、だからこの日は人がたくさん来てるということでした。

チケットなしで入ったので、その分寺の売店の売り上げに1000ルピーほど貢献してしまいました。
小心者なわたし。

歩いてレストランまで行く途中で仏教グッズを売ってる店を何軒かのぞいて、
小さなものを買ったりしました。

仏教グッズの店の前で、中から出てきた尼さんに話しかけられて、自分の寺の入場券を購入してくれないかと言われました。
瞑想用の建物なんかを建設中なんだそうで、来るときは連絡してとかいわれました。
私は翌日帰る予定だったので、その、ちょっと遠くの寺の入場券は買いませんでしたが、
知人は乗り気になって買っていました。
坊さんも商売っ気の多い人が多いので、どうなんかなあとか思いましたけど。

散れて行ってもらったレストランというか食堂はアーユルベーダの薬とか商品の店に併設された形になっていて、お昼はビュッフェと言うのかバイキングと言うのか、店の人に好きなものを好きなだけよそってもらって、、70ルピーでした。安いです。
そして、菜食ですし、辛いのもほとんどなくて、スープもついててよかったです。
わたしはひとり分とって、主名と分けて食べてちょうどでした。
レストランで野菜の料理を頼んでも、同じ油を使ったりしてるので肉や魚の味やにおいがしっかりついた料理が出てくることも多いのですが、ここみたいに全部野菜だとそういうこともなくていいです。
素朴なデザートもどれもいい味でした。

その後知人が仕立てを頼んでいた仕立て屋のところに行ったらまだ出来ていませんでした。

その後、わたしは丘の上のホワイト仏陀のところから町を眺めようかと思ったのですが、
お茶かなんかを飲んで休憩したくなったので、ベーカリー兼喫茶店みたいなところに入りました。

そこで、お茶を飲みながら、知人の何かしたいことを私が手伝う話をして、
Eチケットの航空券の購入にEメールアドレスがいるとかいう話だったので、
わたしはてっきり、年配の知人がEメールアドレスの作り方がわからないからつくりたいと言ってると思って、「いいですよ。」とか言ってたんですけど、
というのは、たしか、Can you make it?とか言われたので。
どうも話が食い違ってるみたいでそのうち知人がいらつきだして、もう、私に分かるような単語を使うのが嫌になったのか、聞いたこともない英単語を続けざまに使って分からせようとするので「分からない」と言ったら、
「あなた、英語を勉強しなさい。サンスクリット語じゃなくて。」とか言い出して、
「今は暇がないから子供がババの学校に入ったら全寮制だしできるかな」とか答えたら、
「今よ!今勉強しなさい」とか「ババの学校に入れるなんてやめなさい。みんなそんなことを考えて誰もできないんだから」とかいうし、「でも、最近は毎年1人外国人が入学してる」とか言っても、とにかくかっかっしてるので内容はすでにどうでもよさそうで、
結局知人のやりたいことはなんだったかと言うと、

スリランカのネット上にだけ存在する旅行代理店で航空券を買ったら他で買うよりも10000ルピーほど安いんだけど、知人の持ってるドイツでつくったeメールアドレスだと購入させてくれないらしく、私のホットメールのアドレスだと世界共通なので私のアドレスで購入できるかどうか試してみたい、購入しなくて問い合わせるだけだからメールアドレスを借りても何も危険はない。とのことでした。

事情が飲み込めるとこんどはわたしがムッとしました。
メールアドレスの取得の方法を知ってるなら、どうせホットメールは無料だし簡単に取得できるのに、なんでじぶんのアドレスをつくってそれを使わないのかと思って。
てっきり、彼女は自分のホットメールのアドレスを作りたいんだと思って、わたしは「簡単だから今すぐ作りに行きましょう」とか言ってたんですけど、それじゃあだめだったらしくて。
私のアドレスを使うなんて、なんかへんな案だし、いやなので、だからそんなこと思いもよらなかったから話も通じなかったのに
私の英語力のせいにして。自分も変な単語の使いかたしたりしてるくせに。とか。

でも、英語力が乏しいのは確かなので、今回に限らず、御互いの見解の相違とか、ノリの違いとか、
私が相手の一方的な言い分に納得できなくて同意できない時とかで共通の同意に達しない状況で、よく、「あなたは英語ができないから」と、一方的に私の英語力のなさで私が相手のまっとうな主張を理解する能力がないと決めつけられることも多いです。私の英語力不足が問題だ、と。
確かに英語力不足は問題かもしれません。自由に話せたら、今までいろんな攻められたりおかしな見解によって私の非を認めさせようとされた数々の状況で言いたかったことは山ほどあります。

で、その時雨になって、それが小降りになったので知人が「行こう」と言いましたけど、
もう私はむくれてて、一緒に行動したくなかったので先に行ってもらって、
しばらくそこで休んでからスーパーに買い物に行きました。
知人がテーブルにサングラスを忘れて行っていたので持って帰りました。

買いたかったものを買って、すっからかんになって、ATMでお金を引き出そうと思って町を歩きました。
するとムルガンのお寺がありました。
まあ、ちょっとお参りするかな、と思って中に入るとわきに仏陀が祭ってある場所もありました。
仏陀の寺ではビシュヌとかがわきにこじんまりと併設されてることが多いので、ここではその逆パターンで、ブッダがわきでした。
仏陀のところから出ると坊さんにこっちに来なさい来なさいと言われたので、ついていったら、事務所権接客室みたいなところに入って、そこで一方的に加持が始まりました。
わたしたちを呼んだのは年配の坊さんで、若い坊さんも来て、二人でハモリながらマントラを唱えて加持をしてくれて、とてもいいバイブレーションだったので知人に対してまだムッとした気分のままだったのがゆるんで、じーんときました。

ちょうど、スリランカの仏教徒の唱えるマントラの小さな本を持っていたので、この人たちに聞いたら言い方を教えてもらえるかなあ、などと思いつつ加持を受けていました。
このひと(わたし)は幸せで安全で守られます、みたいな文句も英語でかたりつつ熱心で温かみのある加持をしていました。じーんときました。
たぶん、坊さんに呼ばれたときはわたしは怒ってたから相当目つきが悪かったと思います。
終わって、またここでも守護の紐をかけてもらいました。半年くらいつけてるようにとか言われました。
主名にもちゃんと2人がかりで加持をしてくれました。

終わってから、ドネーションの話になって、今まで寄付した人の名前と金額を描いたノートを見せられました。ここでも相場は2000ルピー!
2000ルピーって流行ってるんでしょうね。日本人にドネーションさせる金額として。
日本人と同じような顔だし、台湾人の名前とかもありました。
漢字で住所とか書いてあったし、坊さんは区別がついていませんでした。
明らかに顔で別室に連れて行ってる?

坊さんは、何でお金がいるかと言うことを色々話していましたけど、
タイミングのいいことに、私はすっからかんで、
「今、わたしは全然お金がなくてATMを探してる途中で、それを見つける前にここに来た」「だからほんとに持ってないんで、100ルピー(100円ちょっとくらい)でいいですか?」
と言ったら、若い坊さんはあきらににがっくりしていました。
かなり力をいれて加持してくれたみたいでしたけど、その力が一気に抜けた感じでした。

年配の坊さんは「あなたは今問題を抱えている。そうだね?」とほぼ断定口調で言ってきましたけど、わたしは知人とのやり取りでむかついていた気分も坊さんたちにマントラを唱えてもらったらすごくすっきりした後だったので「ないです」といいました。
もし悩みがあれば、この後その年配の坊さんとの人生相談とかが始まったのかもしれません。
インドに住んでて明日帰ることを言ったら、年配の坊さんは住所を教えてとかいって来ました。
手紙を出すとか何とか。なんで?
住所はどっちみち覚えてないので教えませんでした。

稼ぎの少なかった坊さんたちを後に、晴れ晴れした気分でその部屋を後にしました。
私の鬱屈していた気分を坊さん達が拾ってしまっていなければいいけれど。

その寺の敷地内には他のヒンドゥーの神々も祭られてあって、サティアサイババの写真がいっぱい飾られた一室もありました。
そこに坊さんがいたらきっと私から何か話しかけていたかもしれませんが、いなくて、
ムルガンの部屋には坊さんがいましたけれど、あっさりしたものだったのでうちらもさっさと寺を出ました。

YMCA だかYWCAだか忘れましたけど、そこでバザーをやってたので見て、豆製品の店があったので入っていくつか買って、
豆乳アイスを主名と食べました。おいしかったです。
豆腐も買いましたけど、すっぱいにおいがしたので捨てました。

ホテルに帰り、シャワーを浴びてすっきりして一休みしてからホテルを出るとちょうど知人が仏歯寺に行こうとして前の道を歩いていたのでサングラスを渡しました。
私たちは仏歯寺に行く前にマルワトゥ・ヴィハーラに行きました。
ここの坊さんが6時に来たら寺に入れるといったので。
時間はすでに6時を少し過ぎていました。

行ったらやっぱり本堂は閉まっていたので、また、場違いな雰囲気を感じながらも、
プライベートでくつろいでるような坊さんたちに「6時にここが開くと聞いたので来たんですけど」と言ったら、「開くといったの?」と逆に聞かれ、「ちょっと待ってね」といわれ、だれかが鍵を持ってきて本堂を開けてくれました。
本堂の中の正面には大きな仏陀が座っていて、そのまえはじゅうたんがひかれていて左右には座布団が一列筒並んでいて、坊さんたちの自宅、といったなんとなくプラーべートな雰囲気もあったので、
どこにいたらいいのかよくわからなくてじゅうたんの手前で仏陀を拝もうとしたら、
1人の坊さんが前に立って「こっちに来て」と呼んでくれたので、仏陀の正面に行きました。
そしたらその坊さんが花を手渡してくれたので、他にまだ何にも置かれていない献花台のうえに花をささげました。主名も同じようにしました。
その坊さんはそれが終わると出て行きました。

そのままそこに座って、その仏陀をしばらく眺めていました。
その様子を後方の出入り口からごく若い坊さんが二人観察していました。

この本堂は普段は一般の人はほとんど入らないと思うので、そういうプライベートな雰囲気が逆に迫力を持って迫ってきました。
写真も、よその観光地だったら坊さんの方から
「写真撮らないの?撮っていいんだよ」なんて言ってくるのですが、
ここではそういうことを言う人もいず、わたしもカメラを出す気にはなれませんでした。

しばらくそこにいて、その場所でその仏陀と対面していることの不思議というか、その瞬間の混じりけのなさを感じていました。
すごく個人で、1対1でこの仏陀と対峙している感覚だったので、思わず、
「私はこれからどうしたらいいんでしょう?」と聞きました。
すると「好きにしたらいいよ」という答えが返ってきました。
なんだか、昔サイババにも同じようなことを(直感で)いわれましたが、
ここでもまた。

仏陀にお礼を言ってその場を去り、うちらのことなんか誰も気にしてないようでしたが、
そこらへんにいた坊さんにもお礼を言って頭を下げて寺を後にしました。

寺の門へ向かう坂道に差し掛かったあたりで何かこみ上げてくるものがあり、うううっとなって数粒くらいは涙がこぼれました。
何の涙かよくわかりませんでした。単に何かのつかえが落ちたような、そんな自然現象の表れとしての涙のようでした。

外はもう暗くなっていて、仏歯寺のプージャも始まっている時間だったのでそちらに歩いて向かいました。
昼は待ち合わせに場所を使っただけだから入場料を払わなくてもいいと思いましたけど、
夜は、最後だし、払おうと思いました。

でも、西洋人の団体と重なって、チケット売り場が混雑していたのでもうそのまま買わずに中に入りました。
そしてまた1000ルピーほど売店で商品を購入する妙な気を使うわたし。

プージャの場所でいつものように座ったり、歯の金ぴかのケースを扉の外側から見たりしました。
知人も私もいつもだいたいそうでしたが、この日も特にお互い話をするわけでもなくそれぞれ離れて座ってて、主名がその間を行き来して遊んでいました。

プージャが終わり、知人は先に帰って行きました。主名も途中までついていったかどこかで遊んでいるのか、消えました。

今日は中に呼ばれることもなく終わったな。まあ、それもいいか、と思いましたが、
最後だし、最後の一人になるまでここにいようと思い、座っていました。
そのうちほんとに人がいなくなったので、帰ろうかと思いましたが、
扉の中から白服の係の人が外の様子をうかがって、私がまだいるのを見ると呼んで、扉の中に入れてくれました。
やっぱり、最後だし中に入って去りたかったので、嬉しかったです。

今まで、中で世間話みたいなことをしたことはなかったのですが、
この日、奉げるための花を私にくれた若い坊さんが厳かなムードを壊さない程度の静かさで
「タイから来たんですか?」とか
話しかけてきたので、わたしもぺらぺらとしゃべり、神聖な仏陀の歯の前で思った以上によくしゃべるので、その坊さんもわたしに話しかけたことを少し後悔したかもしれません。

その坊さんは私の手首に、今までの2回は白い紐でしたが、このときは仏教カラーの5色があわさった守護の紐をたぶん仏陀のマントラをぶつぶつ唱えながら上手に結んでくれました。
5色の紐は新年が近いのでスペシャルなのかもしれません。
それにここで坊さん自らに結んでもらったのも初めてのことでした。
なんか嬉しかったです。
今までは紐を手渡されただけ。あとで自分らで結びました。

そして、持ち帰り用に、白い紐とその日の5色の紐をある程度まとまった本数、くれました。縁者にあげなさい、ということなんだろうと思います。
(仏陀の仏像を送ったついでに紐も全部実家に送りました)
最後の日にこんなにしてもらって、このくらい格の高い寺の坊さんともなると、サイババみたいに神通力が備わってて、今日が私らの最後の日だということとか知ってるんだろうか?とか思いました。

仏陀の歯の入れ物の部屋からいったん下がって出ようとしたのですが、どうしても言いたくなって、また戻って、さっきの坊さんに、
「明日帰ります。ありがとうございました」と言いました。
そんなこと言われても坊さんも困るのか、軽く、会釈をしていました。
毎日この寺に通いまくってる知人の徳を回してもらったのか?ほんとうによくしてもらいました。

扉の外に出ようとすると、ちょうど主名が白服の係員に連れられてきたところで、
すでに泣きじゃくっていて、「主名も見たかった~!」と言って、泣きながら無理やり扉の中に入ろうとしました。
以前同じ状況になった時に白服係員に「もう終わり」といって入れてもらえなかったので、最後なのにかわいそうとは思いましたが、
「あんたがどっか行ってておらへんかったからやん。しゃあないわ。もうむりむり」
と言って外に連れ出そうとしましたが、
主名はわたしらを振り切って「主名も見たい~!」と泣きながらどんどん中に入ろうとしました。

そしたらこの日は中から「いいよ、来なさい」と坊さんたちの声がかかって、主名も中に入って、花を奉げて、5色の紐を手首に巻いてもらいました。

もう、ほんとに充分で完璧と思いました。

ほんとは最後の最後まで、スリランカ滞在をもうちょっと伸ばす可能性について、あんまりパーセンテージは大きくないにしても考えていました。というのは寺への入場も無料になって、プージャの時に毎回扉の中に入れてもらえるようになることは今後、早々ないだろうということと、数日後にスリランカの新年があってなにか行事があったりするらしかったので。
しかし、「あなたが帰ると、私は1人になるのよ」とも言って、一緒に残ろうとしきりに誘ってた知人ともこの日お互い距離を置いたし、この日のプージャもとてもよかったので、
今帰るのがベストだと思えました。

主名と外に出て、昨日と同じレストランで昨日と同じものを食べて帰りました。
寺で買った仏陀の絵を出して眺めていたら、「いくらだった?」と、年配のウェイターに聞かれ、彼は「ちょっと貸して」とそれを持っていって仕事仲間に見せていました。
「いい絵だね」と言って返してくれました。

トゥクトゥクを拾うと非常に感じのいい青年でした。
なんか、キャンディのトゥクトゥクドライバーって、すごくチンピラみたいな悪趣味のと、すごく謙虚で感じのいい人と大きく2分するような気がします。。。
彼は日本語を少し自分で勉強したと言って、ほんとに片言の日本語で話しかけてきました。
勉強した日本語が活用できてそれだけでかなり嬉しそうでした。
翌日の朝のバスに乗るために、彼に朝8時半にホテルまで来てバスターミナルまで乗せてもらうことにしました。
9時35分のバスだと言うと、彼は「9時でいいと思う。9時でどう?」とか言いましたが、
ニゴンボからキャンディに来た時に、間際にバスに乗ったらほとんど席が埋まっていたので、1時間くらい早く行っていい席を確保したかったので8時半にしました。
うちらは荷物も入れて3席必要なので。

ホテルの前でそれについてドライバーと話をしている間に主名は勝手にホテルの中に入って、ロビーで従業員と遊んでいました。
どうも主名の中ではホテルの従業員はそういう遊んでくれる存在だという観念ができあがっているようです。

レセプションの人もニコニコでした。
ミルクティを1杯だけ部屋に持ってきてもらいました。
そして翌日インドに帰るための荷造りをしました。
【2008/04/26 23:24】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
スリランカのは
スリランカでの日記は、日付を見てもらえればわかりますが、かなり前後しています。
【2008/04/19 01:10】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月8日 キャンディアンダンス3たび
4月8日 キャンディアンダンス3たび

前日はテロで爆弾がいっぱい発見されるという穏やかでない夢を見ました。
たぶん、ホテルを自然の中から町中に変えて、バイブレーションが全然違うし、
町の人々の意識が自分の中に入ってきたかなとか思いました。

しかし、数日前に、スリランカの政府の要人か誰かが暗殺されたという話も聞きました。
日本ではたいしたニュースにはならなかったかもしれませんが、
スリランカでは大ごとですよね。
帰るとき、空港にバスで行って、爆破されないかなとか少~し思いました。

この日は主名のリクエストで、最初に見たキャンディダンスをもう一度見ることにしていました。
私も賛成。
というのは、あるとき、仏歯寺の帰りに知人とご飯を食べて、その後人けの少なくなった道路で知人とトゥクトゥクを探していたら、私たちの前に一台のトゥクトゥクが停まり、中からおじさんと何人かの女性が降りてきて、おじさんは私たちに
「さあ、さあ、このトゥクトゥクに乗ってください」というかんじで譲ってくれて、
彼らはそこから歩いて行ったのでした。
知人はその人たちがはじめからそこで降りる予定だったと思ったみたいで、なんも思わずドライバーと料金交渉していましたが、その人たちのうちの一人の女性が私と主名を見て「あっ」という興味全開の顔をしたので、わたしも「あっ」と、思い出しました。
彼らは最初に見に行った場所のキャンディアンダンスのダンサーたちでした。
あの女性ダンサーもうちらのことを覚えていたようです。
2列目でみてたので。
そういうことがあったので、最初の場所のダンサーたちに対してすごく好印象を持ったのでした。
あとでドライバーに確認したらやっぱり彼らはダンサーたちでした。

しかしダンスは夕方からなので、その日特に予定もなく、主名と湖の周りを歩いて、知人のホテルに昼食を誘いに行くことにしました。

湖の岸辺にちっちゃいオオトカゲがいました。子供の。
それでも普通のトカゲよりかはだいぶ大きいので、私と主名が喜んでいたら、
ちかくにいたトゥクトゥクドライバーが「食べれるのと食べれないのがいる」とか教えてくれました。
誰か、このトカゲを食べるんですね?
食べれるのがリグワナ?食べれないのがレグワナ?なんか、忘れましたけどそんなようなことを言っていました。
「大きいのは朝に泳いであっちに行った」というので、大きいやつを探しながら湖の周りを歩いていたら大きいのもいました。
この日、4,5匹は見ました。
水に浸かってたり、木の上で日光浴してたり。

ニゴンボにいたときにボートでバードウォッチングをし、バードウォッチングの最中に運河でオオトカゲを見てかなり興奮しましたけど、こんな町中の湖にもいっぱいいるんですね。

湖ぞいをぶらぶらと知人のホテルの方向に歩いていたら、向こうから上下白っぽい服で、下は白のサロンというようないでたちのおじさんがニコニコして向こうから歩いてきて、すれ違う時に主名にちょっかいをかけました。
完全に善人風でちゃんとした人に見えたので、世間話をしてるうちに、その人が
「今日はあそこでダンスがあるけど、今日はチケットがないと入れない」と、対岸のキャンディアンダンスのホールを指差して言いました。

その日、うちらはそこに再びダンスを見に行くつもりにしてたので、え?と思って、
何でか聞いたら、今日、数カ国から坊さんがそれぞれ十数人ずつ来て、今日はその人たちのための特別プログラムのダンスが行われるから一般の人は入れない、ということでした。
日本からも坊さんが来てるよとか言うので何人か聞いたら10数人来たとか言っていました。
それで、その後、仏歯寺では仏陀の歯が直接見れるとか言っていました。
ええ?直接?数年に1回とか1年に1回とかじゃないの?ペラヘラのお祭りの後と聞いたけど・・・。
で、今日のチケットはここの寺で売ってる、と、マルワトゥ・ヴィハーラを指差して言って、「君はすごくラッキーだよ。僕が今日のチケットを売ってあげる。いい席をあげよう。来なさい。」とか、そのおじさんは言いました。

昨日、マルワトゥ・ヴィハーラに来た時は誰もそんなこと言ってなかったけどなあ・・・。
と思いましたが、おじさんが寺の従業員ぽい白っぽいきちんとしたいでたちだったこともあり、
どっちみちキャンディアンダンスはその日見に行くことにしていたから、今チケットを買っておいてもいいやと思って、嫌がる主名を連れて、マルワトゥ・ヴィハーラの門をくぐって、昨日とおった坂道をまた登りました。
おじさんは自分は昔はキャンディアンダンスのダンサーだったとか言ってて、今日のプログラムには自分の幼い孫娘が火渡りをするとかいっていました。

おじさんは、ここの寺の一番偉い70何歳だかの僧侶に会わせてあげるよとかなんとかしゃべり続けていました。
たぶん、昨日会った、あの、ぼーっとした坊さんのことだろうなと思い、
「わたし、昨日ここに来ました」と言ったらおじさんは「そう」と言って、
寺の方には行かず、横の通用門みたいなところの鍵をあけてそこの階段を登っていきました。
階段の上は壁のない屋根だけの建物が建っていて、なんか勉強するところとは聞いていましたけど、実際上がっていったら若い女の人がぎっしり座ってなにやら熱心に講義を聴いていました。

おじさんは、自分が教える時間は午後で終わったとか言っていました。(おそらくうそ)
そして、熱心に勉強してる人たちの場所を通り過ぎ、小さな建物の中に案内してくれて、そのこじんまりした建物の中には壁一面バティックが飾ってありました。

おじさんはテーブルの上のキャンディアンダンスのチケットの束をぱらぱらとこちらに見せて、「他の人がもうこんなに買っていった」とか言いました。
私はあんまり深く考えずにそこまで着いてきてその場にいたのですが、おじさんがバティックの購入をすすめだしてからやっと、「ああ、この人もうそつきおじいだった・・・」と気がつきました。まただまされた!

その場には女の人と男の人がいておじさんは「自分の弟だ」とか言ってましたけどほんとかどうかはもうすでにどうでもいいです。
で、男の人は写真のアルバムを出してきて、スリランカ人と日本人女性の結婚式の様子の写真を見せてくれました。男の人はその写真の新郎のことを自分の親族だか何とか言ってたと思います。男の人自身も写っていました。日本人女性は外務省の人だか大使館の人だかいってたようにも思いますが忘れました。
しかし、この結婚式の写真自体は本物みたいですから、この女性はまさか自分の結婚式の写真がだましの小道具として使われてるとは思ってないだろうなあ、と思いました。

その建物の中で待ち構えていた男性と女性はどういういきさつで私がここに連れてこられたかは知らないか考えてないみたいで、あくまでバティック販売に徹していました。
なので、私にしゃべらさない様に、ひたすらバティックについてしゃべったり、交渉しようとしたり、「私は日本で画家だったから他の人の絵はほんとにいらない」とか言ってみても、「まあ、それはいいとして、どの色が好き?」とか言っていました。
「ほんっとに、いらない」と言っても、他の思考が入るのを拒否するかのように一方的にバティックを買わせようと日に透かしてみせたり色の説明をしたりと交渉し続ける2人プラスおじさん。
まるではじめからバティックを買いに来たみたい。
この建物に入るまでそんなぶりは一切なかったのに。

場を和ませようと思って、ヴェッダーというスリランカの先住民が獲物を担いで歩く姿が描かれたバティックがあったので、
「一週間くらい前にヴェッダーを見ました。チルドレンズパークの近くに来てた」と言ったら、おじさんは「かれらはここにも来たよ。わたしは食事をあげて、いくつか彼等からものを買ったんだ。かれらはいい存在だよ」みたいなことを言って、わたしも「へぇー」とか言ってたんですけど、すぐに、「きみはヴェッダーのバティックがほしいの?」とか言うので、なんでやねんそんなん欲しい訳あるか、というかんじでした。

このうそつきおじいめ、と思って、販売員の男女に、
「この人(おじい)は今日のキャンディアンダンスは特別プログラムでいつもとは違うって言ったんだけど、ほんとですか?今日はいつもと違うの?わたし前に見た事あるんだけど。」と言ったら、
男性は「どこで?どれくらい前に?」とか言ったので、
私がチケットを指して「このホールで。2週間くらい前に」と言ったら、
プログラムが違うはずもないので、男性は正直にも、残念ながら、という感じで
「あぁ~・・・・・・、すこーーーしだけ、違うよ・・・」とか言いました。

女性の方に、「この人(おじい)は、今日はダンスの後に寺で仏陀の歯が直接見れるとか言ったんだけどほんとですか?」と聞いたら、最初はうんうんとか言ってたけど、
ほんとに?ケースじゃなくて?歯そのものを直接見れるの?ケースじゃなくて?としつこく聞いたら男女は「ああ、ケース。。。」と、歯のケースしか見れないことを認めたので、
「だったらもう私、5,6回見たわ」と言ったら2人とも「あぁ・・・」と、残念そうな表情になりました。
2人はうそつき担当ではなかったので勢いもだんだんなくなってきて、少し決まり悪そうになっていました。
うそつきおじいの方は依然としてその場にいたのですが途中から気配を消していました。

スリランカには3週間くらいいて、あさってインドに帰る、という話になって、
インドで何してるのと聞かれ、サイババを出すと面倒なのでいつも「ヴェーダのチャンティングの勉強をしてる」と答えることにしてて、この時もそう言ったのですが、
男性はそれを聞いてさらに「あぁ・・・」と、言葉少なになりました。
少なくともこの男性は「ヴェーダのチャンティング」と聞いて、イメージがわいたようでした。
バンガロールの空港のイミグレの職員とかはアーユルヴェーダしか思いうかばなかったようでしたけれど。

バティックはタダでもいらなかったけど、(値段の相場としては確かに他の店より安かったと思います。風呂敷みたいな大きい曼荼羅柄が2枚で1500ルピー)わたしも変に同情的になる傾向があって(わたしの弱さ?)、男女も状況を理解して静かになったし、チケットだけ買ってその場を去るのがしのびなくなり、売り上げが津波で親を亡くしたような子供らの食事代になるとかほんとかどうかあやしいけど、寄付で出された食事のときにあなた方の名前を祈って幸せを祈るとかいう説明で、そんなことしてほしくもなかったけど、
「バティックはほんっとにいらないけど、子供らの食事代として寄付が必要なら寄付できるからします」と言って、
500ルピー渡しました。(500円くらい)
「ほんとに子供たちの食事代になると約束できますか?」と聞いたら男女ともまじめな顔でうんうんとうなづいてはいました。
スリランカの人は良心の呵責も迷いもなく自分を信じきった眼でうそをつけるみたいだから信用できないけど、
そこまで言うんだったら、もう、あとどうなろうと、その人たちの責任だもうしらん。
と思って、そこを後にしました。

ちなみにずうっと勧められていた曼荼羅のバティックはあとで、仏歯寺の歯の部屋の大きな鍵がこの同じ曼荼羅柄のバティックで包まれて別室に持っていかれていたのを眼にしたので、
その曼荼羅のバティック自体はちゃんとしたものだったんだなと思いました。
うそなしで売ればいいのに。
白が瞑想カラーで、黄色が帰依者カラーで、オレンジが仏陀カラーとか言っていて、確か、仏陀カラーのオレンジの曼荼羅バティックで仏歯の部屋の鍵は包まれていました。
あ、あのうそつき販売店のバティックと同じだ。と思いました。

販売員はこれは瞑想に適してるとか言ってて、うそで連れてこられてるのに、そんなので瞑想する気にもなりませんでしたけど。
曼荼羅に描かれている動物の説明も、「これはペリカンで、ペリカンはミルクと水の混ざった中からミルクだけを飲むことができる」なんていうので、
「ペリカン?・・・ペリカン?スワンじゃないんですか?スワン。スワンと思う。」と言ったら
「ペリカン・・・スワン。そう。スワン。スワン。」
と、全然説得力なかったです。

ほんとにこの店が安くでいいバティックを売って、売り上げを慈善に使うんだったら、たとえばガイドブックなどに情報さえ流せば慈善が好きな日本人はいっぱいいるだろうから、うそつきおじさんがうそで連れてこなくても、みんな喜んで来て買っていくだろうにとおもいますけど、売り上げをほんとに慈善に使うかどうかは確かめようがありません。

その後おじさんはアーユルヴェーダマッサージに案内しようとして、
自分はファイヤーダンスでやけどしたけどアーユルベーダで治ったとかいう傷を見せてくれました。
やけどするって、信仰心が足りないってことじゃあ・・・。
「政府のやってるアーユルベーダクリニックはすごい安いって聞いたけど」と言ったら
「今行くところもそうで、すごく安い」とか言いましたけどもうこれ以上関わりたくないので断りました。
「じゃあ、またあとで」と言っておじさんは去っていきましたが、もちろんその日のキャンディアンダンスはいつもどおりのプログラムでおじさんの孫娘もおらず、おじさんも姿をみせませんでした。
おじさんから買ったチケットに座席番号に見せかけておじさんはなにやら数字を書いていましたけど、やはり普段どおり自由席でした。
おじさんが数字を落書きしたチケット自体は使えました。ホールに直接行って、その場でも買えるんですけど。

おじさんと別れた後、知人のホテルに行ったけど知人は外出中だったのでそこのホテルの遊具で主名を遊ばせ、そのうち雨が降り、雨が上がってからバスターミナルに行こうと湖沿いの道をひきかえしている途中で、知人が乗ったトゥクトゥクがホテルに向かうのとすれ違いました。

わたしたちはそのままバスターミナルに行き、翌日のニゴンボ行きのバスと翌々日の空港行きのバスの時刻をバスターミナルで教えてもらいました。
スリランカを発つ一日前にまたニゴンボにいって海辺のホテルで一泊してもいいなあとも思っていたので、両方の時刻を聞いておきました。

バスターミナルからトゥクトゥクを拾って、キャンディアンダンスのホールまで連れて行ってもらおうとしたら、ドライバーの勘違いで、別のダンスの場所に連れて行かれて、
ドライバーが妙に安い値段を言ったのでおかしいなと思ったんですけど、
「わたしらはここに行きたい。ここ。」と、おじさんから買ったキャンディアンダンスのチケットを見せたら、ドライバーは、そこに行くならもう200ルピーとか言ったので
もういいと思って、来た場所までのお金も払わずに怒った振りをして立ち去ろうとしたら
追加50ルピーで行くからと言ったので、またそのトゥクトゥクに乗って行きました。

すぐ近くだし、追加50ルピーも多いわくらいに思ったんですけど、車で行くなら湖をぐるーっとほとんど一周回らなくちゃいけなかったので、全然近くありませんでした。
そのドライバーは降りるときも「ソーリーね」みたいに何回も言っていました。

ダンスのホールでは宿泊客を連れてきた前のホテルのオーナーと早速出会いました。
オーナは喜んで主名を抱き上げて他の人に見せてたので、ちょうどいいわと思ってトイレに行きました。
戻ってくると主名はすっかりオーナーにいいくるめられて、オーナーのホテルに行くと言っていました。

同じ場所での2回目のダンスは写真も全然取らなかったので堪能できました。

終わったら雨がザーザー降っていましたが、傘を持っていたので歩いてそのまま仏歯寺に行きました。
今度は横からの入り方が分かったので、最短距離で寺に入れました。
その日も知人とともに扉の中に入れてもらって坊さんから渡された花をささげさせてもらいました。
「甘やかされてるなあ?」と思いました。

寺のあとは近くのレストランで食べました。
安くておいしかったです。3つ頼んで1つしか来なかったけど。
知人は今の時期に疲れるプッタパルティに帰りたくないのでもう少しスリランカにリゾート気分でいることにしてて安く長期でいれる部屋をいくつか探していました。
「あなたはプッタパルティにいれないわよ。(猛暑と不衛生で)私は行かないし、コダイカナルも行かない。」ということで、
一緒にスリランカに残ろうと何度も言われましたが、わたしは使える現金が限られてるのでそういうわけにもいかず。
知人がまたいいレストランを見つけたというので、翌日の昼に一緒に食べに行くことにしました。

ホテルに向かうトゥクトゥクの中で、翌日の昼の待ち合わせ場所をどうするか話したら、
知人は暇さえあれば寺にいるので、11時に寺の中で、はどう?と言われました。
「でも寺の中に入るんだったら500ルピー払わないといけない」と言ったら
「払ってるの?あなた、気は確か?払う必要ないわよっ!!!」と言われ、
話を聞いてたドライバーが
「あなたたちは寺に入るなら500ルピーはらわなきゃいけないと思う」
と冷静に口を挟みましたが、知人は無視して、
「払う必要ないわよっ!私たちはデボーティーなのよっ!」というので
やっぱりなと思いつつ、「払ってないの?」と聞いたら「当然よ」みたいな反応だったので、
「わかった。じゃあ、明日、試してみる」
ということで、待ち合わせは入場料を払わず寺の中で、ということになりました。

確かに、毎回500ルピーという安くない入場料を払うのは大変なのでわたしらは、一日おきとかに行ってて、知人は一日に何回も行ってるらしいから、そのたびに500ルピー払ってるのかな?もう払ってないのかな?払ってないのかもな。とかは思ってましたけど、
まあいいや、うちら外国人は外国人だもの。と思って、お布施と思って払っていました。
知人は寺に入りびたりなので、寺の坊さんや職員とも顔見知りみたいになってて、
くつを預ける場所で係員がチップを要求してきても、知人が近くにいたら、知人はそれを見て横から文句を言いまくるので、
「あんた(ドイツ人の知人)の友達か。じゃあいいよ」と笑って開放してくれるような感じになっていました。
彼女はたまに、お情けという感じでくつ預けに5ルピーとかあげていました。(ごく小額)
「彼らは5ルピーゲットしたわ。くくくっ」と笑っていました。

年配の白人女性がサリーを着て瞑想したりしてたらむちゃくちゃ目立ちますから、
すぐに覚えられたと思います。
ときにはキャンディスタイルのひらひらがついたサリーを着てたりもしてましたし。
うちらも、主名が目立つので、子供の顔を覚えるついでに私も覚えられてたみたいです。

知人は昔は仏教徒とか仏陀とか敬遠していたそうですけど、スリランカでは仏陀の歯にまじめに祈って瞑想して、スリランカの仏教のマントラも練習して、仏陀の生涯の伝記を読んだりしていました。
仏陀の伝記を読んだことあるか聞かれたので、日本で、マンガで読んだと言ったら笑っていました。(手塚治虫)
今思えば小説になってる、文章のもいくつか読んだこともありましたけど(ヘッセのシッダ-ルタとか(だったとおもいますけど・・・)、宗教家の五井という人の書いたアーナンダを主役にしたやつとか、やっぱり宗教家のあれはだれだっけ名前をど忘れしましたがそのひとが自分が仏陀だったときの記憶で書いたとかいうやつとか・・・)、仏陀の伝記、という公式のちゃんとしたのを読んだことはないかもしれません。ちゃんとしたのはあるんでしょうか?
ちゃんとしたのは面白くなかったりして。

翌日、お昼をキャンディで食べるので、ニゴンボ行きの可能性はなくなりました。
【2008/04/19 01:07】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月7日 デボンレスト
4月7日 デボンレスト

前日、一人で寺の仏陀の歯のところの扉の中に入れてもらって、守護の紐ももらい、印象深い体験をしたのでなにかがふっきれたようになり、
スリランカ滞在も残すところ3泊でしたが、この日ホテルを変えることにしました。

目的地はデボンレスト。ここは、ホテルやらレストランやらベーカリーやらいっぱいチェーン店があって、地元民に人気の系列会社の一つです。
キャンディでは当初、ここに宿泊する予定だったのですが、トゥクトゥクドライバーに情報操作されてデボンレストに行けず、外国人専用の別のホテルに泊まっていました。
それはそれで、まあ、よかったんですけど、
私がインドに帰る日をはっきり決めてなくて、早めようかと思ってスリランカエアラインに行ったりもしてたので、
トゥクトゥクドライバーが私の動きをのがさずとらえようと毎朝ホテルに顔を見せてうろうろするようになって、ものすごいうっとおしかったです。

さらに、以前、ドライバーが部屋に訪ねてきたときに、ホテルのオーナーにも「用事があればこっちから連絡すると言ってあるのに部屋に来る」と、怒ったのですが、ホテル内で部屋を変えた後もまたドライバーが別の30キロ離れたところの寺の情報をネットで検索してプリントアウトしたものを、ホテルの誰かに私が移った先の部屋の場所を聞いて、部屋に直接持って誘いにきて、いっつも寝起きに来るし(わたしらが朝起きるのが遅いんですけど)120パーセントうざったくなりました。

ホテルにドライバーに部屋に来られるのはいやと言っても、ホテルとドライバーは「お互いしゃべらないよ」とか、「これは相手に言わないでね。行ったら向こうが怒ってきてこっちの立場が悪くなるから」などといいながらも私の情報や発言を引き出して流し合ってるみたいだし、私が何か言ったところで結局は無駄みたいでした。

オーナーも個人的にからんできて勝手にすねたりして、私自身がたぶん子供っぽいこともあり、他人のそういう子供っぽさは嫌いなので疲れるし、(ホテルに泊まってるからといって、オーナーの期待に沿った態度をしないといけないわけがない。普通、逆じゃあ・・・。)ドライバーにもホテルにも充分お金もつぎ込んだし、動くのが面倒だし、いい面半分嫌な面半分なのでずるずる現状維持していましたが、息苦しさもすでにかなりの指数を示しているし、
遠慮せずにさっぱりと、ここらでどっちとも手を切ろうと思いました。
スリランカの最後くらいさわやかに開放されたい。ニュートラルな状態で去りたい。とか思いました。

で、荷物をまとめてチェックアウトすることを言って、支払いを済ませ、別ののトゥクトゥクに10時半に迎えに来るよう、ホテルに呼んでもらいました。

それをいうと、ホテル側は「でも、OOO(今までのドライバー)が11時に来るけど・・・」とかいうので、全然分かってない、と思い、「OOOは使いたくないの!」とか言ったら、
オーナーと受付のお姉さんはちょっと傷ついたような所在無げな表情をしました。

お姉さんにどこに行くか聞かれて、予約してないけど私の最初の計画だったデボンレストを当たってみることを言ったら、「あそこはローカルの人たちがいっぱい泊まって、外国人はちょっとしか泊まらない」と、否定的なムードで言われました。
以前オーナーと話したときも、デボンレストはローカルの人らが部屋に訪ねてきたりするから、外国人の女性が泊まるのは難しい、とか言われました。
お姉さんはオーナーの思想に染まってるとみました。実際泊まったことはないんじゃないかな。

それまで泊まってたここのホテルは外国人だけですけど、インド人のかなりたちの悪い、ガラの悪いおやじたちとか、不良西洋人みたいなのがいっぱい泊まってるし、オーナーやドライバーという名のローカルピープルが部屋に来たり干渉しまくってくるじゃないですか。
従業員も目つきが尋常じゃない人がいるし。
ホテルの人はここだけに限らず、ローカルの人らを敬遠する傾向があるみたいですけど、なんででしょう。自分らもローカルなのに。

ホテルが呼んだ新しいトゥクトゥクドライバーはやっぱりガラの悪そうなおじさんでした。
やっぱり、ここのつながりは、こういう雰囲気なんだなあと再確認。

お姉さんは「ウィーミスヒム(主名のこと)」とか言ってて、オーナーは「彼は、ここの方がいいと言ってるんじゃない?」とか言ったので、「主名はどこでもいいみたい。3日後に飛行機に乗ることしか考えてないから」とわたしはいいました。
しかし、2週間くらい泊まってて、いろいろ世話にもなったし、主名なんかオーナーやお姉さんや他の従業員にずっと遊んでもらっていたので、別れ際にはもうちょっとしみじみしたムードで去ろうと思っていたのですが、新しいトゥクトゥクドライバーはうちらを乗せるとさっと方向転換して、
お互いの顔を見る暇もないくらいさっさとその場から走り去りました。
笑えるくらいあまりにもあっさりと。

デボンレストに行って部屋の有無を聞いたら、前に聞いたときにあった1600ルピーくらいの湖に面した部屋はなくて、廊下を挟んだ反対側の、2000ルピーくらいの窓のない部屋しかありませんでした。
しかしとにかくそこに入りました。

窓側は湖が見えて夜なんか向こう岸の明かりも見えてきれいでいいんですけど、道路が近くて騒音があるので安いみたいです。
部屋の電気が一つ切れていたので従業員を呼んで電球を交換してもらいました。
この従業員のかんじのいいこと。
持ち合わせがなかったので20ルピーしかなくて、「少なくて悪いけど・・」と渡したら
「ええ、いいのに!(いらないのに)」とほんとに驚いた様子。

部屋はそれまでの部屋より広くはなったけど古びた感じで窓もなく、前のところの自然環境があまりによかったものですから(窓や、ドアの外にはジャングルの景色が見えていました)、思わず比較してしまいましたけど、
レストランのメニューを見ると今までのところより半額以下で安いし、
主名は前のホテルの水槽の魚に執着していたのですが、ここのホテル(というかレストハウス)の前にも小さな池があって魚がいてすでに主名は夢中。よかった。

主名は前のホテルと同じノリで、今度のところの従業員にもまとわりついて、今度は主名が過剰でここの従業員がちょっと引き気味でした。

外に散歩に出たら、ここは湖沿いで、今まで湖沿いをゆっくり歩いたことがなかったのですが、キャンディも終わり近くになって、やっと町に来れた感じです。
そして湖には魚がうじゃうじゃいました!
前のホテルで、主名がホテルの水槽の魚にすごい執着してて、魚から引き離すのはしのびなかったのですが、ここの湖の魚はでかいし飢えてるみたいで、ビスケットなんかなげてやろうものならピラニアのようにむらがって、水面が見えなくなるくらいでした。
あ、ホテル変えてよかったなと思いました。魚、むちゃくちゃいっぱいいるし。

散歩して、そこらへんの適当な店でお茶飲んだり、アイスを食べたりして開放感を味わいました。なんか、こういうこと、自分の場合は同じようなことを何度も繰り返しているような気がします。パターンがいっしょ。

前のホテルのオーナーの意識の場から外れて、ある種の守りも外れた反面、新鮮な自由さを感じました。

今まで前を通り過ぎるだけだった政府の土産物屋にも入りました。
スリランカでは政府の病院とか店とかがいいらしくて、病院もただで、アーユルヴェーダもすごく安くで薬とか出してくれるそうです。
土産物屋もたぶん最安値と思います。
そりゃ、トゥクトゥクドライバーがここに連れてこないはずです。
キャンディアンダンスを見に行った時も、ホールの横の建物がそういう適正価格の土産物屋で、まだあいていたのに、
そちらに案内せずにうちらを湖の方に連れ出しましたもの。

ドライバーは遠くの観光地に連れて行ったほうが儲かるのは当然ですけど、キャンデイの町中をうろうろされて、適正なものの値段を知られるとあとがやりにくいので、町中から隔離して、値段の感覚を身につける前に紹介料の入る土産物屋に連れて行くのも手だったんだろうと思います。決して私を自由にさせようとしませんでしたもの。常に遠くへの観光の予定を入れさせようとして。
それはそれでよかった面もありましたけど。というのは子連れなので、幼児連れでこれだけあちこちいけたらよくやったと自分に言ってやりたい気分。でももう充分。

ドライバーにあちこち行こうとか言われなかったら、めんどうになって、ずっとキャンディの町でだらだらしてたんじゃないかと思います。

この日は、やはり今までは地図で見るか、前を通り過ぎるだけだった、スリランカ最高位の僧院とかいうマルワトゥ・ヴィハーラにも行って見ました。
デボンレストのすぐ近くです。

門をくぐって坂を上がると向こうから寺の人っぽい若者が降りてきたので、
「ここで祈れますか?」とか聞いたら、彼はテンションが上がって、
「ちょっ、ちょっと待てる?14分まてる?そしたら帰ってきていくつか説明してあげれるから」というので、最初40分と言ったかと思って「40分?」と言ったら14分でした。

「そこのトゥクトゥクにでも座って、楽に、自由にしててね」と言って、若者はどこかにお使いに行きました。
見ると新品らしい、緑のトゥクトゥクがありました。
何かの実がいっぱい落ちていて、主名がそれを拾って数えたりしてるのを写真に取ったりしているうちにすぐに若者は帰ってきました。
相当若い。10代後半かな、と。「急いだ」と、ほんとに急いだ様子で帰ってきました。

お兄さんがここの寺の坊さんだそうで、この若者は使いっ走りみたいなことをしてるみたいで、誰かの昼食だか、プージャで使うのか知りませんけど、なんかの食料をデボンレストで調達してきていました。「デボンレストは安くていいよね」とか言っていました。
主名が拾ったり投げたりしてた実はオリーブで、放っておいたら子供たちがおもちゃにするから、と、彼は集めて、洗って、うちらにくれました。すでに主名がおもちゃにした後でしたけど。
生でオリーブを食べたのは初めてでした。

寺じゃなくて職員宿舎みたいなところで洗ってくれたのでうちらも少しだけ入ったら、
日本の名所の写真が使われたカレンダーがかけてありました。
「あ、これ、日本」というと、「え、そう?」という感じでぺらぺらめくってくれましたが、
平安神宮とか清水寺とか富士山とか、紛れもない日本の写真。
まさかスリランカ最高位の僧院で日本の名所のカレンダーを見るとは思いませんでした。
若者は、「だれかが日本とコネクションがあるから」とか言っていました。

肝心の説明は30秒くらいで終わり。
ぺらぺらぺらっと年代とか何か言って、「ここは何も見るものないよ」って・・・。
寺も普段は閉じてて、特別な日だけ開けるそうです。たとえば数日後のスリランカの新年の時とか。
そういうときには大統領も来たりして、一般の人もそういうときは一緒に入れるそうです。
なんか、金色の像がケースに入って2体あって、「カメラ持ってる?写真取ったらいいよ」とか言われたので、あんまり気も乗りませんでしたけどいちおう写しました。

若者はトゥクトゥクのドライバーでもあるらしくて、あのトゥクトゥクの様子だとまだ一度も客を乗せてないんじゃないかと思いますけど、「何かあったら助けるよ」とか言ってて、
「僕の電話番号あげてもいい?」とかいうので、連絡することもないだろうなと思いつついちおうもらっておきました。
バティックの工房に行った?と、いちおうドライバーらしく営業してみたりしていましたけど、「もう行った」と言ったら、「あそこに行ったらみんな喜ぶから」とか言いました。
「これからどうするの?」と聞くので、バスで植物園に行こうかと思うと言ったら、
昼間は暑いから朝に行った方がいいよといわれたので、子供が凧揚げをしたがってるので広い場所に行きたくて。どこか知ってる?と聞いたら、うーん、と考えて、
「植物園ならできると思う。今から行ったらいいよ」と言い、
何か別の用事があるらしく、「もう行っていい?」というのでお礼を言ったら去っていきました。

その後、寺も開かないし、せっかく来たけどなあ、と思いながらそこらをうろうろ歩いてみました。
そこらへんは僧の宿泊所かもしれなくて、場違いかなと思いつつ。
そしたら年配の坊さんがぬぼーっと立って戸口の中からこっちを見てたので、
「ここで祈れますか?」とまた聞いてみたら、ぬぼーっとしたまま、
「シックス」とかいうので、なんだ?と思ったら別の人が中から通訳してくれて、
6時にきたら本堂を開けるからそのときに来なさい、とのことでした。
「毎日ですか?」と聞いたら、そうだというのでじゃあその時間にまた来ますと言って、僧院を後にしました。
たぶん、年齢からして僧院で一番偉い坊さんなんだろうと思います。

あ、今思えば、この日、僧院に行ったのが先で、土産物屋が後でした。

その後、植物園に行くには空が暗くて雨になりそうだったので、主名に
「雨が降るから明日にしようよ」と言ったのですが、
凧よりバスに乗りたい主名は「雨が降ってもいいのよ」とか言い張るので、
もー、といいながら町に行って傘を買って(持ってきてたやつはどこかでなくしたので日傘にする傘がどっちみち必要でした)ATMでお金をおろしたりしました。
キャンディの道路は兵士が交通整理をしていて、横断させてくれなかったりもするので、
地下通路を行ったりきたりしました。

そしてバスに乗って植物園に行きました。
前回と違って、今回はちゃんと植物園で下車しました。

入園料600ルピー、高いなーとおもいながら払って、広場に行って、
最初は主名はシャボン玉をしていました。
いよいよ雨がぽつぽつ降るようになってからニゴンボで買った凧を出して、やる気なくあげようと試みましたが、やる気もないのであがる以前の段階でした。

そのうち本格的に降り出したので、レストランでお茶でも飲もうと思って避難しましたが、残念ながらもう閉店していたので、他の人たちと一緒に単に雨宿りしました。

そのうち雨がやんだので、もう一度凧揚げに今度はもう少しまじめに挑戦しました。
通りがかる人たちに「走れ、走れ!」といわれながら。

しかし、4歳児と凧揚げはするものじゃないとよく分かりました。
全然協力し合えないし。
いい風は吹いてたんですけど、私も走るの遅いし、主名は芝生めがけて凧を投げ落とすし、凧は芝生の上を転がりまわり、主名はゲラゲラ笑っていました。
悔しいけど断念しました。
主名は一応満足してて、「凧揚げした」と思ったようでした。

この植物園はアジア最大らしく、広くて充実してるので、前回来たときには行かなかったエリアも歩きながら帰りました。途中からまた雨になり、買ったばかりの傘を使って門の外まで歩き、最初に来たバスに乗って帰りました。

バスがついた場所で主名が「ここは来るときこなかったね」というので、ちょっと不安になりましたがキャンディの3つか4つくらいあるバスターミナルの、別のターミナルで、問題ありませんでした。

充分疲れたし、その日はマルワトゥ・ヴィハーラにももう行かず、ホテルに帰ってレストランでゆっくり夕食を食べて休みました。
やっぱり、歩いてホテルに帰れるっていうのはなにか安心します。
横のテーブルでは仕事で来てるらしいスリランカ人たちが8人くらいで仕事の話をしながら堅苦しく食事をしていました。「われわれはコミュニケーションを開発できるはずだ」みたいな。
前のホテルとの客層の違いよ。
リゾートムードはないにしても、ぜーんぜんディフィカルトじゃないやん。
従業員もニコニコやし。

そういえば、わたしらが留守の間に前のやはり前のホテルで情報を得たトゥクトゥクドライバーが訪ねてきて自分と愛車の写真入りの名刺を置いていっていました。
「デボンレストはウエディングだけで宿泊はできない」なんてうそついたくせによく追っかけてこれるものです。厚顔無恥な!
デボンレストのレセプションの男性に、げーっという顔をして、(実際、げーっ、と思いました)
「彼のことは知ってるけど使いたくない」と言ったら多少驚いた顔をして、
「電話が来てもつながない方がいいですか?」ときかれたので
「イエス」と言ったら「わかりました」と言って、その後ドライバーはもうわたしたちとコンタクトを取れませんでした。

デボンレストは特別なサービスとかはないけど、こういう普通さが安心でした。
【2008/04/19 01:07】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月3日 ランチ
4月3日 ランチ

この日は昼食を一緒に食べる約束をしていたので、ドイツ人の知人の泊まってるホテルに迎えに行きました。

彼女は前も街の中心の格式高いホテルに泊まっていたのですが、しばらくしてまた別の高級ホテルに宿泊先を変えていました。
なのでどんな部屋か見てみたくって。
前のホテルは部屋はまあまあでしたけど、ロビーがすごい広々してて、ロビーとか廊下とかが私にとったら非現実的なサイズで、それがよかったです。
今度のは湖沿いなので、大きいプールや子供の遊具なんかもいくつか設置してあって、庭がある分、もう少しリゾートなかんじでした。
部屋は天井が高くって良かったです。冷蔵庫とかもあって。

部屋代は前のホテルが2000ルピーで今度のが3700とかそんな感じだったと思います。これは正規のツーリストプライスの半額かそれ以下です。
普通はそんな値段ではこれらのホテルには泊まれません。
彼女は今回スリランカに来たときに空港についてすぐに空港のトラベルエージェンシーをいくつか回って、一時間くらいかけて交渉して、最初の街の中心の格式高いホテルへの無料タクシー送迎つきで1泊2000ルピーという値段をひねりだしたそうです。
トラベルエージェンシーを通したらローカルプライスで泊まれるんだそうです。
スリランカでは旅行者は地元価格の2倍とか取られるので、逆に、ローカルプライスで交渉できたらすごく安くつきます。
それにこの時期はシーズンオフで、高級ホテルもがらがらなので強気に出れるみたいです。
(もともと彼女自身押しが強いですけど)
しかし、キャンディーまでのタクシー送迎だけで5000ルピーとかかかると思います。
情報って力ですね。。。

彼女に、電話だけで営業してるというトラベルエージェンシーの番号とか教えてもらって、
そこを通したら他のホテルでも安くなると教わったんですけど、めんどうで、しませんでした。

トゥクトゥクで200ルピーくらいのところにある、そのレストランに彼女といっしょにお昼を食べに行きました。
厨房の様子が外から見えて、清潔感のあるレストランでした。
ランチが250ルピーくらいだったと思います。
うちらはベジタリアンなので、卵抜きとかで作ってもらったので、出来立てでおいしかったです。
フレッシュジュースもすごく味が濃くておいしかったです。
ここはショッピングモールの一角にある、ローカルプライスのみのレストランみたいでした。

食べてる時に猫が来て、主名は「ねこねこ」とよろこんで、知人は「おいしくないやつ」と言って、喜んでいました。
というのは、こっちで知り合った在住の西洋人の大邸宅に知人が遊びに行ったときに、
その邸宅は自然の中に在るので、時々レオパード(チーター?)が来るらしく、その邸宅の犬を2匹食べたそうです。
知人が「こわくないの?」と聞いたところ、「家の中には入ってこないから」と大邸宅の主は言った、ということですが、その話を聞いたとき、私が「猫はたべないの?」と聞いたら、ねこは食べなくて犬だけらしい、ということだったので、「猫はおいしくないのかも。中国人も犬は食べるけど猫は食べないし(ですよね?)」とかいう話になりました。
なので、「猫=おいしくない」とバカにされるはめになったのでした。

その後、そこのショッピングモールのスーパーで買い物をしてからコーヒーが飲みたくなったので、ベーカリー兼コーヒーショップみたいなところに行きましたが、ネスカフェしかなかったのでそれを飲みました。20ルピーでしたっけ。
プラスチックのカップに入って出てきたので、アシュラムのコーヒーショップを思い出しました。でも、味は良かったです。

その後、本物のコーヒーが飲みたい、ということで、また別の600ルピーくらいのランチのビュッフェだけをやってるレストランに入って、コーヒーだけ頼んで飲みました。
主名は遊び足りなくてぐにゃぐにゃぐずりだしたので、その後、知人のホテルに行って、しばらく主名を遊具で遊ばせました。
知人はサングラスをして、気分よさげに、ホテルの庭のビーチチェアに横たわっていました。

まもなく、空が暗くなってきて、雨になりそうだったので、ホテルの車寄せに停まっていたトゥクトゥクで急いで自分たちのホテルに帰りました。
洗濯物を干しっぱなしだったので。

ホテルにたどり着く前に本格的に雨が降り始め、すぐに豪雨になりました。

洗濯物はホテルの従業員のチーフみたいな感じのいいおじさんが取り込んでおいてくれていました。
夕方には雨は上がりましたが、くたびれたのでその日はもう外出しませんでした。
【2008/04/19 01:05】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月2日 デガルドルワ寺院とヒューナスフォール
4月2日 デガルドルワ寺院とヒューナスフォール

この日は朝からデガルドルワ寺院というところに行きました。
寺に着いたらまだ寺が開いていなかったので、トゥクトゥクドライバーが「日本から仏教徒が寺を見に来てると言ってくる」といって、坊さんを呼んできて開けてもらいました。

中はちょっとダンブッラのような雰囲気でした。
正面に横たわる仏陀の色彩は鮮やかだけど回りに座ってる仏陀はそうでもなかったですが、
同じ年代に製作されたものだということです。
ここの寺もやはり岩の上に、というか、岩をけずって仏陀の像をつくっていて、建物の基礎と寺と像が一体でした。
坊さんの像が離れたところに一体だけあって、それが妙に存在感があって、何回か、生身かと思ってぎょっとして振り返りました。

寝てる仏陀の像の写真を撮っていいかと坊さんに許可を取って撮りましたが、坊さんも一緒に写る場所から動かなかったので坊さんも一緒に撮りました。

主名はトゥクトゥクに乗ったまま遊んでいたので、ドライバーが様子を見に先に出て行きました。

なかなかよかったので、そこでしばらく時間をすごしたくなって、「ここにすわってもいいか」と坊さんにたずねたらいいと言われたので、仏陀の近くに座って目を閉じてじっとしました。
そしたらその瞬間にどやどやと人がいっぱい入ってきて、座ってる私の周囲にもいっぱい立って、しばらくしても出て行く気配もなかったので、こりゃたまらんと思って眼を開けて、その人たちに説明をしてる坊さんに合図して外に出ました。

ドライバーいわく、この寺はいつも開けてるわけじゃないし誰が来ても開けるわけじゃないから、後から来たあの団体はラッキーだ、とか言っていました。
あの人たちは一般観光客じゃなくて、スリランカ人の観光産業の人たちがバスで勉強のために各地を回ってるらしかったです。タクシードライバーとか。
逆に、あの人たちが来る予定があったので、坊さんは少し早めに寺を開ける気になったのかもしれません。

その後、ヒューナスフォールという滝に行きました。
私は滝が好きなので。

スリランカに来る前はエッラというところとバドゥッラというところに鉄道で行こうと思ってて、鉄道の景色がいいらしいというのと、大きな滝があるということで、滝を見に行きたいなあと思っていたのでした。
でもキャンディでエッラだかバドゥッラでは昨日ヒョウが降ったらしいよ。あそこは寒いよ、とホテルの人に言われ、寒いのは苦手なので行くのをやめました。
今思えば、そんな離れたところに鉄道で行ったらホテルの息のかかったドライバーもついていけないし、宿泊客をコントロールできなくなるしそんなことを言ったんじゃないかとも思えたり。
なんせスリランカの観光産業の人たちはもう全然信用できなくて。
だって、それと同時にホテルのオーナーにヌワラ・エリヤに自家用車でただで連れて行ってあげるよ、そしたら自分はオーナーだから5つ星の他のホテルにも格安で泊まれるし。
などと言われ、行きたくなかったのでうやむやにして行きませんでした。
ただのドライブなんて怖いし。
ヌワラエリヤもエッラやバドゥッラとおなじくらい涼しいところのはず。
ヌワラエリヤに行くくらいならエッラもバッドゥッラも全然問題ないのでは?

このオーナー、昔は家庭環境が悪くて悪の限りを尽くしたけれど、21歳の時に生身の(!)イエスが現れて対面し、
「愛するわが息子よ」といわれ、愛にすごく飢えていた彼は感動して、改心して、今では若くして(私より年下)いくつもの人気ホテルのオーナー。
昔はみんなが自分のことを嫌っていたけど今はみんなが自分のことが好きだとか言っていました。
どこかで聞いたような話ですけど、なるほど、それでこのホテルのロビーはやくざの事務所みたいな雰囲気なのかと納得しました。または「男の城」。
高級品を使ってはいるんですけど。趣味や感覚が完全にやくざのそれ。妙な緊張感を感じずにおられないという。
私が泊まってた間にツーリストカーに連れられて一人だけ来た日本人女性も、「ここ、大丈夫か?」と思ったそうです。
設備とか整ってるし、外国人しか泊めないことにしてて、西洋人にはここのホテルは人気だそうです。
しかし、特別目つきの悪い従業員が一人いましたけど、あれは昔の仲間かなんかですかね。
チップを多めに渡したら口笛を吹きながら上機嫌で帰っていきましたけど。
おじさんの従業員とかは感じよかったです。

ドイツ人の知人にオーナーの人生話を「こんなこと言ってた」と話したら、
「おーおー、ビッグストーリだこと!」と、全然相手にしていませんでした。

彼は神を求めてさまよってる時期にサイババのセンターにも行ってバジャンに参加したりもしたそうですけど、サイババにはひっかからなかったみたいです。
けっこうからんできて、色々聞かれました。
知ってるか?死人を生き返らせたのはイエスだけだよ。とか懇々と説かれ、
サイババもすくなくとも2人は露骨に生き返らせてるはずだけど・・・と思いましたが
話し合うのもだるいしどうでもいいので言いませんでした。
翌日、教会関係者が来て泊まるから、その人たちと話ができるよ。とかも言われましたがもちろん話なんかしませんでした。
「君はサイババを信じてるのか?」と聞かれ、「信じてるかどうかは分からないけど、つながりがある」とか答えました。「君は本当の愛を知らないと思う」とか、もうええって。
外国人しか泊めなくっても、地元民のこのオーナーが充分過剰でした。
なんか物をくれようとして、断ったらぐぐっと怒りで?5分間くらい目つきが変わるし。
そういうのが数回。平気ですけど、結構疲れました。

また後日にサイババについて聞かれて、インドではサイババとしゃべれるの?というので
「無理。だってすごいいっぱい人がいて、みんながしゃべりたがってるから」
と言ったら「きみはそれでいいのか?」とか言うので、
「夢とか、あと、肉体じゃなくて別の身体で来てしゃべったりできるし。あなたがイエスとしゃべったみたいに」と答えて、直接肉体での接触はわたしには必要ないと思う。と言ったら、
黙ってました。
実際は、いつか直接しゃべれるんかなあ?とか思ったりもするんですけど。
でもイエスも、今は直接肉体での接触はできませんけど、みんな信じてますやんね。
このホテルのオーナーもそうだし。
彼が21歳の時にイエスとしゃべった時はまさに生身の肉体がそこにあるようなリアルな感覚だったそうですけど。そういうのはたぶんわたしも理解できます。

ここのホテルのご飯は高いけどおいしかったです。
「すごくおいしいんだけど、なんで?」とオーナーに聞いたら「さあ」と言ってましたけど。
環境のいいところにあったのでレストランや部屋からの自然の眺めもすばらしく。
昼間はいろんな色の鳥やサルの群が来て、(サルはいらないけど)夜にはホタルが飛んでいました。
しかし、ホテルの従業員はゴミをみんなホテルの周りの自然の中にぽいぽい投げ捨てていました。
下を見たらおえっというかんじです。
よっぽどオーナーにゴミはどうにかならないのか言おうかと思いましたが、そういうのを言って関わるのもやめようと思って言いませんでした。
ホテルの裏手にすごく趣味がよくて感じのいい家があって、一般の家か、何かの施設なのかは分かりませんけど、このホテルが建つ前はあの家からの眺めも良かったかもなあ、目障りだろうなあ、ゴミもいっぱいになって環境汚染してるし、と思ったり。
その感じのいい家の横にも同じオーナーが新たな建物を建設中でした。
儲かってるんだろうと思います。
この金回りのいい若いオーナーがだれか親族の世話もしてるようなことを言っていたように思います。

主名はここのホテルがすごい好きになって、従業員もオーナーもみんなが子供っぽい面があるので同じようなテンションで遊んでくれるし、
受付のお姉さんも綺麗で優しいし、ずっーと相手してくれるので、どこかに観光に行ってても「ホテルに帰ろうね」とか言う始末でした。
おもちゃやお菓子もいっぱいもらって。
でも主名もだんだん図に乗って、従業員を叩いたりしまくっていたので(従業員は喜んでいましたけど)私は怒りました。
他の宿泊客もいるのにわーっと吼えたり。そして同じように吼え返す従業員。いいのか?
おもちゃも、小さなぬいぐるみぐらいならいいけど、電車とレールの大きな箱に入ったセットとか誰が持って帰ると思ってるんだっ。
巨大な板チョコとかも全然食べきれなくてほとんど捨てたり。

泊まってた期間の最後の方に、日本語のホテル紹介のサイトに自分のところのホテルの情報を載せたいから助けてくれる?日本人はこのホテルのことを知らないから。と言われ、いったんはいいですよ、と、承知したのですが、単に私の持参してたパソコンを使って日本語で情報を入力するだけならまだしも、私がここをお勧めできるかといえば、ちょっとすすめたくないかもと思ったこともあり、最後の方でホテルを変わったこともあり、結局手伝いませんでした。
部屋とか設備はほぼいいんですけど、そのほかのところで引っかかることがたくさんあって。
タオルがないので持ってきてもらったらやけにすりきれてて、荷物になったら途中で捨ててもいいからと思って持って来た使い古しの私のタオルよりボロかったり。
泊まってる西洋人の男性で心底気持ち悪い人がいたりとか。
精神的に疲れることも多かったです。
オーナーも若いし、やくざな雰囲気が好きな若者にはいいと思います。
白人のお姉ちゃんたちもひっきりなしに泊まりに来てて。

だいぶ話がそれましたが、ヒューナスフォールという滝。
エッラやバッドゥッラに行くのをやめた代わりに、近場の滝でよしとしよう、そして、
主名の鉄道欲も、ヒューナスフォールからの帰りを鉄道にすることで満足させようという計画でした。
寺もいいですけど、人工物なので、滝みたいなああゆう自然のダイナミックさに触れて何かを洗い流したくて。

滝は、やっぱりいいですねえ。
しばらく滝の近くに座って堪能しました。

しばらくしてから、トゥクトゥクドライバーに列車の時間を聞きました。
「え?ほんとに列車で帰りたいの?」というような反応のドライバー。
昨日そう言った時に「駅で列車の時刻を調べておくよ」なんていってたくせに、すでにどこかの紹介料の入る場所に連れて行くことしか考えていないドライバー。
列車に乗るのはこの日のかなり重要な目的(主名には最重要目的)なのに!
ドライバーは1時間後くらいと思うとか言いながら携帯でどこかに電話して列車の時刻を聞いていました。
その場で分かるんやん!
そしてその時点で、15分後に列車が最寄の町の駅から出ることが判明。
今、山におるしまにあわへんやん。
と思いましたが、ドライバーが駅まで飛ばす気を見せたので、大丈夫か?と思いつつも列車も遅れることもあるし、ということで、急いで滝からトゥクトゥクのところまで戻りました。その時点で残り10分といったところ。

管理人のおじいさんが勝手にトゥクトゥクの床の掃除をしていて、ドライバーは苦い顔をしていました。チップ代の細かいのがないというので、私の最後の細かいお金の40ルピーを渡しましたが、おじいさんは不満だったらしくぶつぶつなにやら言っていました。

飛ばして駅まで行ったらまだ列車が停まっていました。行きは主名に運転させたりと(こわい)遊びながらと言っても一時間くらいかけて山道を登って行ったんですけど。帰りは速かったです。

切符を買おうにも私ももう1000ルピーだか2000ルピーだかしか持ってなくて、
切符代は10ルピーとか20ルピーとかそんなのなので、大きいお金をドライバーに渡して後は崩して支払ってもらうことにして、キャンディの町の駅でトゥクトゥクと待ち合わせして、わたしたちは列車に乗りました。
あとでドライバーが言うには、みんなうちらを見てたそうです。ほんとかな。
あわてて乗ったし、こんな辺鄙なところから乗る外国人もあまりいないだろうとは思います。

約1時間弱くらいのゆっくりの、各駅停車の列車の旅だったと思います。
主名は大満足。呼んでも窓から振り向かないという。
列車は面白いですね。乗ってる間は車ほどしんどくないし。
踏み切りも線路もいっぱい見れて、主名はすごく楽しかったみたいです。
キャンディの駅の中にも入れたし。

トゥクトゥクが先にキャンディに到着して待っていました。
すごい交通渋滞で疲れたとか行っていましたけど、彼の言葉は全部疑わしいです。
どうでもいいことにうそをつくのでそこらへんの精神構造が理解できません。
彼曰く、私たちを安心させようと思ったりしてうそをつくらしいんですけど、
そんなんで安心できるわけがない。彼が病んでるのか、スリランカの観光産業関係者の標準がこれなのか、どっちもと思います。
ドイツ人の知人なんかは前回すでに3週間スリランカを経験してるので、わたしに、
「私は全てを自分でコントロールしてる!」とか言っていました。
なんでそんなことわざわざ言うのかなとか思いましたが、なるほど、スリランカでは(どこでも多かれ少なかれそうですけど)みんなが寄ってたかって旅行者を精神的にコントロールしようとするんですね。かなり、コントロールきついです。
インド人の押しの強さとは違って、表面的には柔和ですけど信用なりません。

トゥクトゥクにホテルまで送ってもらい、これでもうこのドライバーとは関わるまい、と思いました。もう終わり。と。サイババの顔写真と御足の写真を貼ってあるトゥクトゥクももう終了。
最後まで、自分をインドに連れて行ってとか、自分は外国人と結婚したいとかそんなようなことばっかり言っていました。
きっと誰か外国人が彼と結婚してくれてどこかに連れて去ってくれると思います。

ドライバーは自分はこの子(主名)が好きだから安くで色々助けるよとか言ってて、私には最初は5,6歳は若く見えるだのユーアービューティフルとかジャパニーズはいいとかチャイニーズはちょっと難しいとかいろいろほざいていましたが、シーギリヤで宿を見つけるのに苦労したあたりでわたしのことが嫌になり、シーギリアであった白人旅行者カップルに私らのことをぐちったらしく、その白人とキャンディの道で出会ったときに、彼らは私たちが後部座席に乗っていることに気づかずに陽気に「NO MORE JAPANESE?」とドライバーに話しかけてきて、ドライバーが後部座席の雨よけのカバーの奥のうちらを指したら、彼らはオゥッ、と、絶句したという出来事もありました。
後でドライバーはごまかしていました。「彼らは「ノージャパニーズ?」って言ったね」と。「だから「いるよ」と答えたよ」などと。
空気で状況は分かりますって。

しかしうそやごまかしがすぐにばれるのが不思議です。ばれないようにする努力はあまりしていないのかもしれません。

アダムスピークというイエスだかシヴァだか仏陀だかの足跡が山頂にあるという(各自、自分の信仰する神が足跡をつけたということにしてるそうです)聖地とされる山に登る案もあって、ちょっと行こうかなとも思ったんですけど、やめました。

そこは夜に登り始めて翌日の朝に下山というパターンらしいです。
2泊3日でトゥクトゥク代7000ルピーとかいうし。むり。
どうせそれプラスドライバーの食費や宿代も出すことになるだろうし、
主名と一緒に山のふもとの宿で待っとくとかドライバーは言っていましたけど、そこまでせんでいいわと思い。
登山前の禊とか手伝うとかドライバーは言ってましたけど、そんなことまでするんですか?白装束で川かどこかで沐浴するらしいです。
それをしないと、一回目に登る時は何か問題が起こりやすいとか言っていました。

ホテルのオーナーに、アダムスピークは行くのをやめたといったら、それがいいと言われました。きっと行ってもきみは楽しめないと思う。とかなんとか。
こちらも、何か言葉の裏があるんじゃないかと思ったり。
もう、基本的に全部疑わしくなっちゃって。

この日もたぶん夕方のプージャの時に仏陀の歯の寺に行ったと思います。
この日も知人と一緒に中に呼ばれました。
中に入れてもらうのはすごくまれなことと、知人は言っていましたけど、
寺側で、うちら(ドイツ人の知人とわたしと主名)が残ってたら中に入れてあげなさい、という指示が出てるみたいで、
毎回扉の中に入れてもらえるようになっていました。

なのでドイツ人の知人は、今、自分たちはすっごいチャンスを与えられているのよ、
寺は私たちに開かれているのよ!みたいに言っていました。
私は「入れてもらえるのは毎回じゃないの?」と、そのありがたみが薄かったんですけど、知人が「とんでもない!」というので、「じゃあ、毎日来ないといけないね」とかいいつつ、
入場料がかかるし毎日も大変なので一日おきくらいに行っていました。

この日、扉の中では歯の入れ物の前の台の両側の坊さんがヴェーダみたいなマントラを唱えていて、それがよかったです。
ちなみに、歯の入れ物はガラスケースに入っていて、それは確か永平寺寄贈と書かれていました。
日本は空港のような大きいものから小さなものまでスリランカにいっぱいお金をつぎ込んでいるようです。
仏歯寺で売ってるお土産も日本でつくられたか日本の技術で作られたのか、「JAPAN」とか書かれているものもありました。
「JAPAN」かー、と思いながら「JAPAN」と書かれた仏陀の下敷きみたいな絵のおみやげを購入しました。
そりゃ、スリランカの観光産業業界関係者および寺のドネーション要請係は日本人に吸い寄せられるはずです。お金をいっぱい持ってていっぱいくれて、怒らない。仏教徒日本人。
それは日本人の「徳」なのでしょうか。。?

しかし、この年配のドイツ人知人はもろ白人なのに、わたしとよく親子と思われていました。寺でも、レストランでも、「昨日はお母さんと来てたのに今日は一人(正確には主名と2人)だね」とか。
彼女は長年画家をして自分で教室もしてて、私も日本で画家を名乗って絵を描いていた時期があり、インドではどちらもヴェーダを勉強したりと興味の方向や状況が似てて、プッタパルティでもすぐ近くに住んでるので、
何でこんなにからむかな、と、彼女も多少不思議に思うところがあるみたいでした。
何か、彼女なりに納得したみたいですけれど。
わたしとしてはずいぶん前に、彼女は自分の母親だったことがあるなと感じたこともありましたけど。

この日、この知人がいいレストランを見つけたというので、翌日の昼に一緒にそこでお昼を食べることにしました。
【2008/04/19 01:05】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月6日 守護の紐
4月6日 守護の紐

この日は昼間は洗濯したりしてのんびりすごしました。
チルドレンズパークにまた行くことにしていたのですが、ザーザー降りの雨になったので
ポットティーをルームサービスでとって、部屋でだらだらしていました。
ホテルのオーナーが、前日から主名を自宅に連れて行く計画を立てていて、主名は行くと言っていたのですが、私は行きたくなかったので、この日またそれを言われた時に私は行かないし、主名だけ行くのもだめと言いました。

そしたらその後、主名がホテルのロビーで誰かが置いていった日本語の本をオーナーに見せて、「ディスイズジャパニーズ」とか話しかけてもオーナーは
「ノージャパン、ジャパンベリーベリーバッド。」とか言ってて、
主名が「ノー!ジャパンベリーベリーグッド!」とか応酬して、そんなことを言い合っていました。
しまいにはオーナーは「OK,グッド」とか言っていましたが。
あんまり人の家とか行きたくないです。疲れるから。
いまさら気を使いたくないので。

雨が上がってから、前見たのとはまた別の場所でやってるキャンディアンダンスを見に行きました。(レイククラブ)こちらの入場料は250ルピー。

道でトゥクトゥクを拾ったら誠実そうなおじさんでした。
やっぱり、旅行者をねらって向こうから来てコントロールしようとするドライバーはおかしいと改めて思いました。
しかし、コントロールしようとするものは必然的にその相手にコントロールされるので、
2泊3日のトゥクトゥク旅行ではドライバーもかなり疲労したようでした。
しかも、わたしはほんとに安い料金しか渡さないし。要求は断るし。(主名の写真ちょうだいとか)
基本的にバスで全部移動しようと思ってたから、トゥクトゥク代は全部余分にかかってる予算というふうに思ってるので、たくさんお金を渡せるはずもなく。
でもおかげで手早く回れて実際はよかったです。たぶん。。。

キャンディアンダンスには1時間前に会場に行ったのでまだチケット販売も始まってなくて、でも席だけ先に取らせてもらって外を散歩したり、みやげものをひやかしたりしました。気分的に店の見物料として1枚20ルピーのポストカードを2枚買ったので完全なひやかしじゃないですけど。
色々見て面白かったです。
しかし高い店でした。女性の店員がまた、催眠術にかけるようなトランス状態の眼と声で話しかけてきましたが、相手がトランス状態過ぎたのでこちらにはかかりませんでした。
男の店員は気楽なもので、もしかしたら製作者だったのかもしれないですけど気楽に話して、わたしらがトゥクトゥクでポロンナルワとかアヌラーダプラとか行ったことを言ったらかなり驚いていました。
驚くことなんですね?
ホテルのオーナーも「そういう人はほとんどいない」とはいっていましたけど。

時間に会場に行ってみると、ずいぶんガラの悪そうな西洋人のおばさんとかも座ってて、
なんだかなあと思いました。
みんなアルコール&タバコですし、会場も夜の店の雰囲気だし。
しかし会場の接客係のおじさんはすごく低姿勢でした。

ダンスが始まってみると、前回別の場所で見たときも思いましたが、
女性のダンサーはどう見ても飲み屋のママ風です。悪女風の化粧といい、スリランカ風の腰にひらひらが着いている衣装もエプロンみたいで。
しかしみんな楽しそうに踊っていました。

男性のダンサーは、前回のところ(カルチュラルホール)ではたっぷりした胴回りの固太りのおじさんたちがじゃらじゃらの衣装を着けて、腕を開いてにじりよってくるような踊りではちょっと、うっ、と引いたのですが、
今回はずいぶん若いスポーツ体型の青年たちもいたのでずいぶん気が楽でした。
いっぱいくるくる回っていました。

最初の会場で見たものとほとんど同じですが、違うのもあり、ダンサーたちの雰囲気の違いなどもあり、
250ルピーの入場料を考えれば充分楽しめました。

ダンスのショーが終わると、会場横のホールはカジノになっていました。なるほど。

通りまで歩いてバスに乗り、仏歯寺へ続く裏手の道のところで降りました。
結構歩いて、正面まで回って正面から入りました。
(ほんとは横からも入れたのですが、その時はよくわからなくて入れませんでした)

プージャはもう始まっていたのでたいこなどの音が聞こえました。
寺の中に入り、1回目のご開帳はすでに終わっていたので座って待ち、
2回目になった時に列に並んで歯の入れ物の近くに見に行きました。
その後正面の献花台のところから見、また座ってじっとしていました。

なんだかやたらと涙が出てきて、ほんとにダルシャンのようでした。
たぶん、キャンディアンダンスのところで余計なものをいっぱいくっつけてきてその浄化してる勢いもあるのかとか思いました。
じゃぶじゃぶごしごしと。

その場で座って目をつぶるとすごく「入る」かんじで、私は瞑想はほとんどしたことがないのですが、
川の流れに乗るようにしゅーーーっと勝手に全身の意識が頭上から抜けてまとまるかんじでした。
なんだか今日は違うなあと思いながらその流れにまかせていました。
仏陀の歯の金ぴかの入れ物もほんとにサイババのダルシャンのように圧倒的ですべてをその臨在で浄化する力を放っていました。
ダルシャンとまったく同じだなあと思い、そこにあるのが仏陀の歯の入れ物なのか、サイババなのか、感覚としては区別がつきませんでした。

2回目のご開帳も終わり、人もほとんど帰ってしまい、ドイツ人の知人も
「彼らはもう今日は扉を開けないわよ。」と言って先に帰りました。
私はもうちょっとそこにいたかったので最後になったら帰ろうと思い、そのまま座っていました。
そしたら後から来た人のためにまた扉が開けられたので、私も列の後に続いて近くに見に行きました。

そしたらまた係の人に手招きされて列を離れ、横の扉から中に入れてもらいました。
主名はどこかに遊びに行ってていなかったと思います。

その日は非常に感情的になっていたので、仏陀の歯の入れ物の前でも非常に感動しました。
いつもながら何も持っていなかったので、入れ物の前に敷き詰められた白い花を横の坊さんが手渡してくれて、それを奉げました。
手を合わせて自然に深く祈り、仏陀そのものの前に呼ばれて出たようにありがたやという気持ちでいっぱいでした。
その様子に周りの坊さんたちも「おおっ」という感じになり、坊さんたちの静かなどよめきを感じました。
なんだか自然に平身低頭という感じで、妙にありがたかったです。

仏陀と縁があるといわれたことがありましたけど、もしそうなら時空を超えて意識の中の超空間で精神的に再び出会ったようなそんな感じでした。
(しかし歯だけになっちゃって・・・)

また、白い守護の紐をもらったので手首に巻きました。
スリランカに来て守護の紐だらけになりました。
ビシュヌ、ドゥルガー、ビシュヌ、仏陀、仏陀、菩提樹仏陀。(この後さらにいくつか増えます)

主名が後から来て、自分も見たかったー!とヒーヒー泣きましたが、残念ながらもうご開帳は完全に終わりということで駄目と言われました。
「あんたがどっかいってたからあかんのやろ?しゃあないやん。今度はちゃんと一緒に居り。」とか言いながら帰りました。

先に帰ったドイツ人の知人には中に入れてもらってまた紐をもらったことは特には言いませんでした。
【2008/04/15 21:54】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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