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今日の
今日の午前は学校はなさそうだったので、主名とバジャンに行きました。
ババは来ず。

その後、パン屋さんで朝食を買って、そこら辺で腰掛けて食べてたら、知人がやってきたのでずいぶん長いことしゃべりました。

もう昼になってたのでその後サウスでご飯を食べ、いったん部屋に戻ってから音楽教室に行きました。

まあ、普通にやってたのですが、なんか、女の子先生が練習の話をして、
それがプレッシャーに感じたので
「プレッシャーかけないでください。ただ単に何かここで歌って楽しむためだけに来てるので」
と言ったら、
「でも、あなたと主名の声はとてもいいので、プロのミュージシャンとして、、、、、」
とかそういうことや、外国人でインド音楽の歌い手として活躍してる人の話とかしだしたので、
「私はそんなの全く望まないし、そんなに集中したくないです。ただ単に歌って楽しんでリラックスするためにここに来てるので」
と、すこ~し、やりあいました。

「私にはそんな意思はないし、もし神がそう望むなら自然にそうなっていくかもしれないですが、それがすべてです。
(私になにかやらせようとしないで!)」

みたいなかんじでした。

外人クラスとインド人の女性クラスと分けると言っていたのに、いつも私はインド人女性たちが来てもずっと歌わされてて、みんな待ってるのに、女の子先生はまだ私に教えようとするので、みんなの思念がちょっと怖いのです。

何も私の声がそんなに特別と言うわけではなく、西洋風の発声の基礎を何年かやったことがあって基礎ができてるので、インド人はあんまりそういうのに触れてないから「わっ」と思うというのもあると思います。西洋音楽やオペラの世界では全然普通の域を出ない程度です。インドだから珍しい、みたいな。

インドの歌の発声は独特で、うまくいえないですけど、抑えて抑えて、それでもそこから突き抜けてくるもので歌ってる感じもします。

でもそれだと歌いにくいし趣味じゃないので、私は西洋風のとミックスで歌ってる(特に高音)のですが、そうするとちょっと他の一般インド人は「ぎょっ」とするみたいです。

女の子先生やお兄ちゃん先生は小さいころから英才教育でプロを目指して仕込まれた兄妹で、それで成功しているので、同じように誰かを仕込もうという発想があるんだと思いますが、わたしは何事もそんなに一生懸命やりたくないのです。

でも主名は最近音楽教室が楽しいみたいで、やる気を出してます。
自分の番が終わったあとも部屋の外に出て自主練したりして(笑)
どうぞ主名を仕込んで。ってかんじです。

でも、そうなると、子供に毎日特訓をするように母親に求めるのがインドみたいです。

歌うのは好きなのですが、ただ単に歌う、というのをするのは難しいです。
なにかしらいつの間にか上に重ねられて、気が重くなります。

女の子先生もおにいちゃん先生も申し分ない先生なのですが、彼女たちが持つ音楽に対する情熱と、私のそれではだいぶ温度差があります。
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【2010/05/09 01:06】 | 音楽教室 | トラックバック(0) | コメント(0) |
土曜の午後
今日の午後は部屋で昼食を食べたあと、音楽教室(カルナータカミュージック)に行きました。
20分くらい遅れていったのですが、ちょうど始まるところでした。

大丈夫かなこのひと、、、と思ってた外国人の女の人は、内にこもる系?で、女の子先生が何を言っても「イエス、イエス、イエス」と話を聞かずに言ってたかと思うと、突然何かにこだわって確認しまくったりしていました。
病院では何かの病名がつくでしょうけど、私にはよくわからない。
お母さんに連れてこられて教室に入れられたようでした。

でも、こんなこというとなんですが、少しおかしいような人がいるくらいの方が気が楽です。

女の子先生は多分だいぶその外国人のほうが年上と思いますが、「大きな声を出さないと、これ以上何も教えませんよ」などといろいろ厳しく言って、
「あなたはグッドガールなんだから」とか言っていました。

そんなに厳しく言われて、この女の人、大丈夫なんだろうか?と、少し思いました。

あと2人のインド人系外国人女性と思いますが、今日からレッスンを始めるようでした。
お兄ちゃん先生と女の子先生にそのインド系外国人は
「敷居の上に立っちゃだめだよ、あそこはラクシュミーだから」とか言われていました。
きゅっと引き締まっておしゃれな感じだし、南アフリカあたりのインド人でしょうか。

初めての時にはちょっとしたプージャをしてココナツを割るので、2人はそのココナツを買いに出て行きました。

主名とちょっと病気系?の、その女の人がはじめにレッスンをしました。

お兄ちゃん先生はこっちに来て、音楽を習うのを続けるように私に熱く励まして語りまくっていました。
この家族はすばらしいんですけど、ちょっとその信念の強さと団結力の強さが何かの新興宗教みたいに感じるときがあります。
いやほんと、すばらしい家族なのは間違いないのですが。
女の子先生もインドではありえない、レッスンを始める時間に正確な先生だし、それだけで宝石ですよ。
時間通りにはじめるし、休むときには連絡が来るし、、、、すばらしすぎる。
(私が休んだり遅れたりしてます)

お兄ちゃん先生も、女の子先生も、私に語るときには
「あなたは音楽にすごく興味があるし」とかいうのですが、実際、そんなに熱心でもないので、「そうだっけ?」と自問してます。これも洗脳かな?なんて。

お兄ちゃん先生は「君は他の人に教えられるし」
とか言うのですが、女の子先生も「あなたはいいパフォーマーになれるから」とか言うのですが、
そういうのを言われると、なんかしんどくなってくるという。

無責任に習って、自分の楽しみのためだけに歌うのが幸せです。

でも、2人は、2人の価値観で最高のことを言ってくれてると思います。
2人は勉強のためには学校には行った事がなくて、小さいときからずっと音楽の道を進んできて、数々の賞を若いうちから取り、他の音楽家たちとも友好を深め、貧しい村に毎週無報酬の演奏活動に行って喜ばれ、自分たちよりも年上のそれなりに地位のある生徒たちに堂々と誠実に音楽を教え、数十人の子供たちにも教え、、、儲けは考えず。
ほんとにいい人たちです。
くどいですが、すばらしい人たちと思います。

でもでもわたしは気楽が一番です。

じつはこれまで歌や楽器をいくつか習ってきましたが、そのたびいつもプロになれるからがんばりなさい、みたいに言われてきました。
教えるほうにとっては、すごく期待感をそそるらしいのです。理想の生徒に思えるらしくて。なんか、気分的にはまっちゃうところがあるのかもしれません。

でもわたしは性格がプロ向きじゃないから、ぜんぶまちがいなく中途半端。音楽で道を突き詰めるのは自分には絶対無理と思います。

と、自分では思っているのですが。

音楽以外でよし、プロとして本気でやっていこう、もしくは、全霊を注いで人生をかけて極めよう、と思ったのが絵とヴェーダチャンティングでしたが、そっちのほうはある程度のところで「もう十分だろ?」みたいに、神から?ストップがかかってしまいました。まあ、ストップがかかる理由は理解できます。
ある一定期間、それにはまることでわたしが守られたり、前進して行ったりするための装置だったんだろうと思っています。そしてその期間は終了したんだろうと思います。

やはり何もかも中途半端です。とことんは、はまらせてもらえないという。
そして、そんなに熱意のない音楽関係への道はこうしてつけられている不思議。

私の練習の番になって、女の子先生と一緒に以前習った曲を歌ったのですが、女の子先生は
「ほんとに忘れたの?私だけが間違えたよ」
と、持ち上げてくれていました。

う~~~ん、こわいくらい気を使ってもらっちゃってる、、、。
病気系の外国人の女の人よりも私のほうがいたわってあげないといけないと思わせてるのだろうか。

すぐ泣くし?

それか、昨日、先生二人のご両親を含めて、半年振りに現れた私の扱いについて家族会議を開いたんじゃないでしょうか。
うん。多分それは確実。
おかしいな。主名が習いたいというから連れて来ただけのはずなんだけど。
なぜか主名はすでに眼中になし。

この家族は私に想像もつかない何かをもくろんでいるのではなかろうか。。。

結局、3時を過ぎて、ショッピングセンターのスタッフ連中がきてもまだわたしは歌わされていました。

私のレッスンが終わって、ショッピングセンターのスタッフ連中のレッスンが始まりました。
女の子先生が、スタッフたちの練習も聞いて、一緒に歌ってね。といったので「はい」と答えましたが、
しばらくして月謝(月に約8回で一人100ルピー)を主名と私の二人分を所定の場所において、帰りました。
女の子先生は
「SAWAKO、帰るの?」
といいましたが、主名がもう行っちゃったので、と、主名を理由にして帰りました。
長居は無用。

主名がそのあと、突然「トークンに行こう」と言い出したので、3時半に間に合うように行ってみました。(手紙も用意して)
しかしトークンに参加するには少し遅かったので、レイトラインに並び、座布団で席を確保してサウスにお茶を飲みに行きました。

今日はババは何時に来たんでしたっけ、、、わすれました。
早くはなかったです。5時過ぎだったっけ?6時過ぎだったかも。
待ってる間にわたしも主名も座ったまま少し寝ました。
ババが来そうになったときに、横の人に起こされました。その後は起きてました。

今日は涙も出ず、ヴェーダのバジャンもわかるやつは声を出しまくりました。
私の前の人は迷惑だったかもしれません。

しかし、気楽な日常ですね。
改めて思いました。

そして、ババに集中してる人たちの中にいることで、環境の影響をすごい受けてるとも思いました。
周りのみんながババに集中してる状態があたりまえになってるけど、そのことでずいぶん楽させてもらってると思います。
意識して集中しなくても、この土地ではそれが基本になっているので。
だから、その先、があるとしたら、行きやすいと思います。

今日は学生のみにプラサードが配られ、バは家に帰っていきました。
帰る途中、知り合いのインド人のおばちゃん(ババの学校の先生の奥さんなのでスタッフ席)がババと話をして、パダナマスカールもしていました。

多くの人が、ババと話しをしたり、手紙を渡したり、パダナマスカールをしたりしたがります。
その知り合いのおばちゃんも、いろいろ大変であろう家の事情も少し知っています。

みんな、それぞれがいろんなものを抱えて、この場にいます。
それをババは毎日毎日地道に、しかし確実に変容させて、苦難を神へと導く道具として自由に扱っているように思います。

いつかすべての人が完全に幸せであるときが来るのでしょうか。
多分、その「時」は来るんだろうと思います。

少なくともお互いをいたわりあい、認め合うとき、わたしたちは現実の状況どうであれ、幸せであるんだろうと思います。

ババがよく「幸せでいなさい」というのは、そういうことなんだろうと思います。


バジャンのあとは主名を芝生で遊ばせました。
学校の友達の、アシュラムに家族で住んでる女の子がいて、その子の友達も一緒に4人で文字通り転げまわって遊んでいました。

主名はいつもボールやフリスビーなども小道具を持参するので、今日もそれらで遊んでいましたが、途中で女の子のお父さんも入ってきて盛り上がってたので、食事に行くタイミングを逃した感じになりました。

だから、ウエスタンのご飯(玄米と、おかず4種類くらい)を持ち帰りしました。

最後のほうで、無茶する激しい系のインド人の男の子2人が参加して来たら、主名の学校の友達はさすが引き際を心得てるというか、
「シュナ バ~イ」と言って、みんな帰りました。

そのまま激しい系の男の子たちとシュナは遊んでいたのですが、その2人ともに目に指を突っ込まれたらしく、あれ?と思ったらシュナは声も出ずにうずくまっていました。

2人は奪ったフリスビーで離れたところで遊んでて、見てたお母さんも何もいわず。

シュナは自分が持ってたフリスビーを取るためにあの2人はわざと指を目に入れたとか爪をさしたとか言ってましたけど、実際はよくわかりません。
まあ、無茶する激しい系なのはたしかでした。そこら辺の見極めがまだわたしは甘いです。

多分、インド人同士だったら、そういうのはすぐに分かるんだろうと思います。

しばらくしたら目が開くようになったので、見てみたら目はつぶれてなかったのでよしとして、ココナツを飲ませてから帰りました。

部屋に帰り、風呂に入ってさっぱりしたあと、キャンティーンから持ち帰ったご飯を食べました。
お腹がすいてたのでご飯がおいしくて、いつも言ってるような気がしますが、
「おいしいね」と言いつつ食べました。

シュナは
「すっごくおいしくて、心がきれい。」
と、なにかのキャッチコピーのようなセリフを言っていました。
【2010/04/04 07:13】 | 音楽教室 | トラックバック(0) | コメント(0) |
お兄ちゃん先生。
今日の夕方、お兄ちゃん先生と女の子先生とその家族について書きましたが、今日も音楽教室でした。

夕方、今週はまったく練習してなかったので部屋で練習してからダルシャンに行かずに、ダルシャンが長引くことを願いつつ直接音楽教室に行きました。

そしたら誰もいませんでした。

電話をしても出ないし、教室の隣人が、今日はおにいちゃん先生がマンディールでプログラムをやるからみんな行ってるよ、と言ったので、わたしらも、プージャの最後の日だし、ほんとは教室を休んでダルシャンにいこうかと思ってたぐらいだったので、さっさとアシュラムに行きました。

そしたらアシュラムにつく前にアルティが聞こえてきたので、あーあ、とおもって、まあ、帰るババでも見ようと思ってホールに行ったらご飯のプラサードが配られてました。

えーっ!食べたいー。おなかすいたー!プラサードほしいー。と、思うだけじゃなくて言いながら、ババを横目で見つつ女性側の入り口にいくとやっぱりもう中には入れませんでした。

なんだー、こんなことなら最初から教室を休んでダルシャンにくればよかった。女の子先生は中でご飯を食べてるんだろうなー。女のこせんせいめっ!

とうらみつつ、でも、最後には外にいる人も後で中に入れてもらえてご飯がもらえるのを知ってたので、適当なとこで座って待ちました。

で、ゲートがあけられて外にいる人も中に入れるようになったタイミングを見計らって、わたしたちももらいに行って、ちゃんともらいました。

で、すぐに外に出て、適当なところで座って
「おいしいー」「このプラサード大好きー」「主名もー(主名の声)」
とかいいながらたんのうしました。


辛い混ぜご飯と、甘い煮たご飯と、甘いペーストをはさんだおやつチャパティ(ウォーリギ)でした。

本来、それにラドゥーがついてるはずだったのですが、ラドゥーは食べ飽きてるので、なくてもくやしくないです。

女の子先生をうらむきもちがなくなって、おなかもいっぱいになり、幸福感で思ったことは、そりゃあ、プラサードがもらえなかったら悔しいし、もらえたらうれしいさ。でした。

そしてさらに思ったのは、ここインド(プッタパルティ)にいると、色んな強烈な感情になるけれど、それをどうこうするなんて出来ないな、でした。

うれしさや悲しさに左右されない心境になろうと自分をコントロールしようとしたり、考え方を変えようとしたりしてもだめだよできないよ、と思いました。

だってうれしいときはうれしいし、悲しいときは悲しいから。

でも昔はラドゥーがもらえなくても泣くほど悔しいときもあったけど、今は食べ飽きたから、もらえなかったら食べなくていいからほっとするときもあったりしますもん。食べるの疲れるから。

それは私の努力の結果じゃないですよね。


主名の食べ残しを音楽教室に持っていくのもなんだったので、いったん部屋に帰ってそれを置いて、また教室に行ってみました。

そしたら教室は終わってましたけど、みんなはまだいました。

女の子先生は、お兄ちゃん先生の様子を見て、アルティが終わるとプラサードももらわずに急いで教室に向かって、6時15分には帰ってたそうです。
10分待ってれば女の子先生は帰ってきてたんですね。
「もし教室を休むんだったら連絡するからね」とかわいく言っていました。

プラサードもらわずかー。ほんとごめん。女の子先生。

お兄ちゃん先生は最近ずっと特訓してたので、今日、プログラムがあることは知ってたけど、なんか突然女の子先生とお母さんに連絡が入って呼ばれて突然マンディールに行ったからわたしに連絡できなかったそうです。

そんで、お兄ちゃん先生は今日、たぶんタブラーの演奏をしたんだと思いますけど、ババに、「今日のプログラムはよかったよ」といわれ、花とパダナマスカールを与えられたそうです。

よかったね、お兄ちゃん先生!
うちら、プラサードのことしか考えてなかったし、見れなかったのが残念。
プログラムとか行っても、プラサードを配る係りになってるんだろうくらいに思ってました。

いつも、落ち着きはらってにこやかなお兄ちゃん先生のお母さんは今日はすごい興奮してて、自分でも「すごい興奮した!!!」と言っていました。

この家族に祝福あれ。(もう祝福されてるけど。)
女の子先生ほんとごめんね~。


【2009/09/12 01:22】 | 音楽教室 | トラックバック(0) | コメント(0) |
お兄ちゃん先生
こないだガネーシャゲートでのセキュリティとのやりとりで疲れた日は体調も良くなかったので、心身ともに力が無くなってその後寝てましたけど、音楽教室があったので行きました。

そしたら女の子先生の家族みんなが話しを聞いてくれて、昼も私らは食べ損なってたのでバナナをくれて食べろ食べろといわれ、食べながら何時間かしゃべってました。

19歳のお兄ちゃん先生はこないだ足を骨折してて動けなくて暇もあってか、いい話し相手になってくれました。

教室に来てたハイソな初老の奥さんは私の話を聞いた後、「ひとつ私の体験談を話しましょう」というので何をいってなぐさめてくれるのかと思ったらぜんぜん関係ない自分のすばらしい身近で小さな奇跡体験談をきかせてくれて、私の体験に関しては「だからそれはあなたのカルマだ」で終わり。

ハイソなインド人のひとつの典型かなってかんじ~。体験談を言いたかったのか。文脈つながってません。あなたと私の意識のていどのちがいはわかりましたよー。そうよわたしはだめだめですよー。しってるって。しょうがないやん。で、だからなに?(以上私の心の声)

ほんとのことを言えばいいってもんじゃぁ。。。。

しかしおにいちゃん先生は私の欠点には気づきつつも、それには一切触れずに私の望んでる慰めの言葉をみんな言ってくれたので気が晴れました。

言い方がきついのは相手(セキュリティ)の落ち度で、君は何も悪いことをしていないんだから、影響される必要は無いんだよ、とか、
彼らは自分の気分がいいときはみんなに優しいけどそうじゃないときは突然チェックしたりする。ムードで態度が違うんだ、とか、
スワミは人々のエゴをなくすためにスタッフとして身近においておくんだ、とか。

で、小さなことを大きく捉える必要はないじゃないか?というので、
でも、もし一日4回アシュラムに入るなら8回もチェックを受けなくちゃいけないし、そんなのしんどいとわたしが言うと、
じゃあ、パスポートのコピーを小さくたたんで財布の中に入れておいて、言われたときだけそれを見せればいいじゃない。
言われないときは君は知らん顔して通ればいいよ。
ささいなことだよ。

などというので、思わず、
「頭がいいですね」
と感心して言ってしまいました。

他人事なのによくそこまでこっちのみにたって考えられるなあと思って。
ひとごとだからよくわかるのかも知れないけど。

家族4人にたっぷりかまってもらったので、気分の晴れないわけも無く、その日のうちにアシュラムの中にしばらく引っ越そうと決意してたのですが、その後数日下痢が続いたこともあって、引越しはしませんでした。

その日の夕方にプージャも頼んでたので、そういうこともあって、いろんなことが一度に起きた感じもありました。

しかし、この日話してるうちに知ったこと、お兄ちゃん先生も女の子先生も学校に行かずに勉強は全部自宅で自分でしたそうで、それは驚きでした。
お母さんが教えることが出来たんですね?ときいたらそうじゃなくて自分でやって、わからないところだけ父親か母親に聞いたと。
そんな夢みたいなことが可能なのでしょうか。
主名の勉強に四苦八苦してる身としてはそんな夢のような子供が存在するのか???と信じられない思いです。

10年自宅で勉強して、試験だけどこかに受けに行ったそうです。
音楽は2人とも、アナンタプールの先生のところに習いに行ってたそうです。
で、お兄ちゃん先生は14歳のときにババの音楽大学(???)に入学して、2年間そこで学んで、すでに卒業したそうです。

で、今は学士の試験、と思いますが、それのための勉強をしてるそうです。

二人とも身長も低いし童顔なのでほんと、女の子先生(17歳だか18歳)と男の子先生(19歳)ってかんじなのですが、ババと写ってる写真のお兄ちゃん先生はほんと子供で、学生のときと言ってたので、20歳くらいにしてはすごい若いとそのとき内心驚いたのですが、合点がいきました。

いわゆる神童の2人なのでしょうか?

コンクールのたてみたいなのとかはやたら並べてありますけど。

バンガロールの某アシュラムに音楽教師としてみんなにバジャンを教えてくれと高給を提示されて乞われたこともあったそうです。

また、色んな場所でもここに住んで音楽教室を開いてくれと言われたけど、自分たちがいたい場所、プッタパルティに住んでるそうです。

この家族の怖いくらいの団結力には日ごろから目を見張るものがあったのですが、この兄妹が勉強のために学校に通わなかったというのを聞いて、そのなぞが少し解けた気がしました。

何か別の宗教でもやってたんでしょうか?
まだなぞが多い家族です。

しかし私が出会った中では「すばらしきインド人」の部類の家族です。
【2009/09/11 19:12】 | 音楽教室 | トラックバック(0) | コメント(0) |
音楽教室
木曜はタブラーレッスンに行きました。

タブラー教師は「自分にはほんとの友達がいないんだよね」とか語りに語っていました。
(だいじょうぶか?このおじさん。)
あのー、先生、主名さん、タブラーの前で座ったまま寝ちゃってるんですけど。。。

しょうがないので、私ばっかり練習してます。

昨日今日は音楽教室に行きました。(歌)
昨日は、新しいのを習ったのですが、いまだかつて聞いたことも無いメロディラインにめまいがしました。
インド音楽の底ぢからが徐々にあかされようとしてる、てかんじですか???
脳神経を新しくつながないと会得できない感じ。

しかし今日は何とかそのメロディに歌詞もつけて、歌っていちおうあがりとなりました。

その後、インドの国歌のテルグ語バージョンを女の子先生はみんなに教えました。
途中、おぉぉぉぉぉぉぉぉお、おぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉおおおおおぉ。
みたいなのがあります。

教室が終わるのを待ってたら、みんなが終わったあとに教えてあげる、と言われましたが、
今日はもう脳がいっぱいなので帰りました。

昨日は女の子先生が来たのが遅かったので、最初におにいちゃん先生(19歳)が教えてくれました。
お兄ちゃん先生は最初にオームを唱えましたが、そのエネルギーのまとまってること。
ひとっっつも漏れてない感じ。
若いって、すばらしい。

うちらだだもれ。

今日の音楽教室の後の帰り道、ハヌマーンテンプルがやけににぎわってて、主名が行きたいというので入りました。
そしたらハヌマーンにみんなおまいりしてて、花とかでいっぱいでした。
うちらもお参りしました。
ボーっとその場にいたらプージャの2順目になったので、また、ココナツウォーターのプラサーダムをもらいました。小銭のお賽銭も2度渡し。。。

アシュラムの住人も次々来てたので、何?と思いました。

寺の外に出たら、楽器屋の主人がいたので、何で今日はこんなに人が来てるのか聞いたら、毎週土曜日はハヌマーンの日だからみんなお参りしにくるんだそうです。
プロテクトのためだそうで、楽器屋の主人も毎週土曜に来てるんだそうです。

ここから35キロのところにナラシムハのお寺もあって、そこもすごくいいんだそうです。

夜のお寺とか神社とかはなんだか命が満ちてる感じがして、すごく好きです。

いい気分でスイカ35ルピーで買ったら、帰り道の服屋の店員にいくらで買ったか聞かれたので言うと、あぁ。。。。という反応だったので、やっぱり高いよね?と思い、自分だったらいくらで買う?と聞いたら、15ルピーか20ルピーかな、、、ということでした。

どこで買ったか聞かれたのでいうと、知り合いなのか、
「彼はプッタパルティで一番のスイカ売りだから、きっといいのをくれたはずだよエクセレントだよ。」
と、フォローしてくれました。

こうしてプッタパルティの物価が上がってゆくのですね。ごめんなさい。

今朝はババは来ませんでしたよね?忘れました。
夕方はバジャン中に来ました。
6時前までいて、両手ブレスして帰っていきました。

ここ2週間ほど、土曜のマントラを唱えるのを忘れていたのですが、今日は朝に唱えました。
やっぱり唱えると、たかだか5分くらいなんですけど、やっぱりなんかいいかんじです。
【2009/08/02 00:25】 | 音楽教室 | トラックバック(0) | コメント(0) |
資格だか免状だか。
昨日は音楽教室で、サティフィケートだかサティフィケースだかの受け渡しがありました。

後で辞書で調べたら、証明書とか、免状とか、そういう意味みたいで、なんか、それぞれの名前を書いたアナンタプール発行の紙をもらいました。

こないだ、筆記テストをうけたやつです。

6畳くらい窓のない部屋に30人以上が入ってバジャンをしたりしました。完全に酸欠。

授与には、プッタパルティに警察署の一番えらいさんが来て、(いつもダルシャンの時にババの護衛をしてるポリス)彼から一人一人その証明書を手渡されて記念撮影をしました。

カルナータカミュージック初級の免状と思うんですけど、なんせもらった紙も全部テルグ語なので解読不可能です。

なんか、よーわからんです。

今朝はババは来てました。
【2009/07/05 15:20】 | 音楽教室 | トラックバック(0) | コメント(0) |
試験(私の)
今朝はババは来ずでした。

その後一人でぶらぶらした後に部屋に帰って少し暗記し、その後主名を連れてサウスに昼食に行き、アシュラムに遊びに連れて行きました。
とうのは、ここ1ヶ月来てて、毎日遊んでた主名の日本人の友達が明日帰るので。

今日は午後のトークンは出るのはやめて試験勉強をしようと思って、その子の部屋から出たあと、芝生で勉強しようとしてみましたが、最近は小さなハエみたいなのが多くて、勉強できなかったので、もう部屋に帰ろう、と思い、帰っていったら、、まだトークンをやってたので、そのまま並んでトークンに出ました。
今日は4番でした。

先に入ってた主名の友達と同じような場所に座ったので、そこら辺の子供らとともに、ダルシャンを待ちながら彼らはずっと遊んでました。

私は一枚の紙に今日の音楽の筆記試験の問題と答えを書いたものを用意してたので、それを持ち込んでダルシャンを待ちながら覚えていました。

ババはいつ来たんでしたっけ。5時くらいだったでしょうか?

主名はひざ立ちだと、だいたい座高の高い大人と同じ高さになるのでオッケーな時が多いのですが、セバダルによってはちゃんと座れといわれるときもあり、今日の横にいた若いお姉さんのセバダルは、だめといって主名を座らせ、おしりをつけて座ると主名は前が見えないので泣きじゃくってしまいました。
なので、セバダルのお姉さんはしまいに、ひざ立ちさせてくれました。

ババはホールをグルッと回った後、ステージ上にとどまりました。
プラサードが配られ、男性側はマンゴーで、女性側はラドゥーでした。

わたしは試験勉強がしたかったので、部屋に帰ろうと、主名をつれて後ろに行こうとして移動してたらRくんと、お母さんがいて、主名とRくんで勝手にバジャン後に遊ぶ話をつけてたので、お母さんに主名を託して、私だけ部屋に帰りました。
Rくんは予定通り明日から学校に入るそうです。

主名の同年代の日本人の友達も明日からいなくなるし、Rくんとも当分遊べないだろうし、主名もどこかの学校にやるか、家庭教師を見つけるか、多少新しいスケジュールで動くことになりそうです。

部屋に帰ったらもう時間がなかったので、さっとシャワーを浴びて着替え、試験の答えの暗記の仕上げをし、オートで音楽教室に行きました。

もうすでに子供たちは集まっていて、テスト前の緊張感のある雰囲気を作っていました。
今日は女の子先生も白いサリー、そのお兄ちゃんも白い服の上下と、改まった雰囲気を出していました。
10代の女の子の白いサリーはいいですねー。(わたしの感覚はすでに親父)

昨日、私は頭痛を理由に音楽教室の練習を休んだので、女の子先生が気を使ってくれて「サワコ、大丈夫?もしまだ準備ができてなかったら日を変えてやってもいいのよ」と言ってくれました。
わたしは、「パーフェクトじゃなくて、80パーセントくらいですけど、80パーセントじゃ不十分ですか?」と聞いたら、「十分よ」と言われたので、今日受けることにしました。

試験の問題用紙の上の余白に「Om Sri  Sai Ram 」と書き、左のあいてるところに名前を書くように言われ、制限時間15分の筆記テストが始まりました。

問題はテルグ語で書かれていたので、テルグ語が読めない私を含めた3~4人には、お兄ちゃん先生が英語で問題を読んでくれました。

ババの学校からの生徒も2人来てるのですが、さすがに、猛烈な勢いで書き始めてました。
おお、この緊張感、と、ちょっと興奮しました。

問題の設問は10あって、それぞれ2~4つくらいの答えを羅列しなければならないので、30数個の答えを暗記したのですが、パーフェクトに全部かけました。テスト本番に強い私。。。やった!気分が良かったです。

つづりがRとLを間違えたりはしてそうなのですが、そういうのを差し引いても多分8~9割は正答したんじゃないかと思います。

私は英語も怪しいので、女の子先生もお兄ちゃん先生も私のことはあほと思ってるかもしれないと常々感じていたので、けっこう得意満面で答案用紙を提出しました。
大人でテストを受けたのは今日は私だけだったのですが(笑)
ほかの2~3人の大人は逃げた?のか?用事があったのか?来てませんでした。

そのあと、声を出す、通常の音楽の練習が始まりましたが、今日は芝生で主名と遊んでるはずのRくんとも主名の日本人の友だち家族とも最後なので、私はテストだけで帰らせてもらいました。

10数年ぶりに筆記テストを受けて、興奮しました。
なんだかくせになりそうです。

【2009/06/01 01:09】 | 音楽教室 | トラックバック(0) | コメント(0) |
音楽教室
今日は主名も微熱があってしんどがってて、わたしも体調がよくなかったので、午後のダルシャンはお休みして、部屋でごろごろしたり寝たりしていました。

夕方になると主名はすっかり元気になって、私も一眠りしたら動けるようになったので、主名は芝生に遊びに行き、わたしは音楽教室に行きました。

私は今日は体調がよくなくてどよんとしてたので、あまり声が出せませんでしたが、女の子先生はあなたの声は、ソー パーフェクトだから、試験を受けたらいいと思う、だから毎日一時間自分の家でも練習するように、と言ってくれました。

毎回、練習してきた?ときかれ、すみません、してないです、と答える日々なのですが。

試験て、みんなが今取ろうとしてる、カルナータカミュージック初級、みたいなやつのことかと思ったらそうじゃないみたいで、別の何かを考えてくれてるようでした。

ほめられると言うのはやはり大切で、いつもは自分の番が終わると、わたしはなるべく早く抜けて帰ろうとするのですが、今日は一番最初の簡単なレッスンをほかの子供たちがするのにも付き合って、少し長めに残りました。

すると、インドのドレミファは「サリガマパダニサ」なのですが、上から「サニダパマガリサ」と歌うときに、わたしは半音高く始める癖があることに気がつきました。
目からうろこ。というより耳からソラマメかなんか?今頃はっと気がつくという。。。

何でかなあ?と後で考えてみると、わたしは楽器系はお琴はモノにはならなかったけど長年やってて、お琴の後は沖縄のサンシンを少しだけやっていました。
そして、そのどちらも弦が勝手に緩んでくるので、常に高め高めに修正する必要があって、そういうのが体に染み付いてるような気がします。
それが、原因のひとつじゃないかなと思いました。

で、お琴やサンシンの音階って、インドの音階と共通のムードもあったりするような気がするのですが(詳しいのは私は分かりません)しかし、インド音楽の音階って、日本の邦楽や沖縄民謡よりもわたしにとっては微妙で、インドの音階で正しいとされてる音でも、私にとっては半音低く感じて、無意識のうちに半音高く修正して、なれた音階にしたくなるんだと思います。

インド音楽にも少しずつ慣れてきた気もしていましたが、慣れてきたと思えるころにやっと自分の間違いに気がつける余裕が出てきたということでしょうか。

女の子先生は、よっぽど酷く間違ってるときしか直さないので。

しかし今日は、自分がどよんとしてたので、女の子先生やほかの子供たちの清浄さがステキと思いました。

今までは子供たちの歌声というよりむしろすごい怒鳴り声や強烈に外れた音などにげんなりしていたのですが、今日は、ああ、いい場だなあ、と思いました。

おばあちゃん先生のところは格式の高さ、という場でしたが、女の子先生のところは「清浄さ」これを感じます。
しかし、先生が一気に50歳以上若くなるって、すごいですよね?

シュルティボックスというのがあって、同じ音を出し続ける機械なんですけど、つまり、歌ってるうちに音がおかしくならないように通奏低音のようにその機会で音を流しておくためのものなんです。

それが、無機質な機械音に人間が合わせるみたいで私は嫌いで、おばあちゃん先生に、自分が練習するときに音をとるために、シュルティボックスかハーモ二ウムを買いなさいといわれ、わたしは店で一番安いシンプルなハーモニウムを買いました。

でもシュルティボックスもいいかもなあ、と、最近思うようになりました。
今日、自分の音の出し方のくせにも気がついたのでなおさらそう思います。
女の子先生のところではシュルティボックスを練習のときに使ってるので。

おばあちゃん先生のときはたいがいハーモニウムでした。
ハーモニウムで音を出すと、気分が出ていいんですけど、手が疲れるんですよね。
【2009/05/30 01:36】 | 音楽教室 | トラックバック(0) | コメント(0) |
音楽教室
昨日の音楽教室は、初めのほうはいつもの女の子先生が来てなかったので、そのお兄ちゃんが練習してくれました。
お兄ちゃんは現役の音楽大学の学生らしく、おお、なかなか贅沢だなこりゃ、と思いました。

しばらくして女の子先生が来て引き継ぎました。

しかし、インド人て、テキストとか結構忘れるんですね?
おばあちゃん先生のところでもそうでしたが、ヴェーダの練習のときでも音楽の練習のときでもテキストを持ってこない人が毎回何人かいて、わたしは逆にいつも余分にいくつか持ってるので、いつも、貸してました。

昨日も、そんなで、余分なものを持たないというのはいいと思うけど、いつもちょっと足りない、というのはどうなん?と思いました。
わたしはいつも余分に持ってる感じなので、インドという国と日本という国の情況がこの私たちという末端にも現れているのかなあという気もしました。

習ったぶんをノートに毎回書くのですが、それも効率が悪くて、お互いが順番に写しあったり、先生がレッスンの手を止めて書いたり、それでやたら時間がかかったりもするので、
最初から最後までまとめて書き出してコピーして配布したい気分です。

しかし、音楽は得意分野で、声を出す事に関してはストレスがないし、ほめられることもあるので、ほめられる場、があるというのは必要だなあと思います。
【2009/05/27 15:58】 | 音楽教室 | トラックバック(0) | コメント(0) |
音楽教室
今日も音楽教室に行きました。
やはり、子供らと一緒だと、一緒に声を出すにしてもすごいだみ声とかすごい外れた音とかで出すので、自分も声を出しながら耳をふさぎたくなります。。。
マンツーマンがいいなぁ。。。つらい。

主名は今日は一緒に行って、主名も教えてもらいましたが、主名はもともと音感はかなりいいのですが、ほかの子と一緒に習うと、つられて音痴になってるんですけど。。。

しかも、最近の、カルナータカミュージック初級、みたいな試験に向けての練習で、筆記だか、口頭記述だかのしけんもあるみたいで、たとえば、インドのフォークミュージックの形態を4つあげよ、みたいなので、答えはあらかじめ与えられるので丸暗記なのですが、頭が痛くなってきました。。。
そんな頭の使い方、ここ10年以上してないですから。しかもそんなん興味ないしー。

子供の保護者などには、こういう、資格みたいなのが取れるのは多分人気なんだと思います。
私はただ気持ちよく声が出せればそれでいいんですけど。

なんか、音楽教室、快楽度が低いかもです。

試験とか、そんなの大嫌いなので、やっぱり今回の人生がラストでいいです。もういらない。
【2009/05/24 00:49】 | 音楽教室 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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