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デリーの空港で。
今はデリーの国際線の空港に来てます。

わたしの秘書、もとい、もとだんなが一足先に国内線の空港に午後3時に行ったので、
わたしと主名もそれに合わせて国内線の空港で見送って、
その後わたしたちは国際線の空港に来ました。

4時前くらいに空港に来たのですが、私たちのフライトは夜11時15分。笑

でも空港で時間を過ごすのは嫌いじゃないのでわたしはいいんですが、
主名は暇だ暇だと文句を言っています。


さっき、空港の一番端っこのコーヒーショップで何か飲もうと思って行ったら、
レジの前にプッタパルティの知り合い家族がいました。

なんという奇遇。笑

神のリーラ。



なので一緒にお茶を飲んで、しばらくしたらその家族は自分たちの飛行機のために去っていきました。



こんなのは神の意図や目に見えない導きを感じずにいられません。

すべては舞台裏で神が糸を引いているんだなと。笑



神は私に何を言いたいんだろうか何をさせようとしているんだろうかといつも思いますが、

つまりこのシナリオはどのように書かれているんだろう?と。



私自身のいろいろな思惑や希望や好みなどありますが、
それに反するようでも神の意思なら抵抗してもしょうがないと思って
それを感じたときにはだいたいいつもある程度抵抗した後それに従います。

そしていつもそれがベストなシナリオであったことが後になって分かるという。




以前いわゆる神の一瞥というんでしょうか、そんなのがあったときに、
すべてがその一瞬のためにあり、
すべてがその瞬間に収れんするための綿密なシナリオだったことに気がつき、
私は世界にだまされていたと思いました。


その後まんまとこのようにディセンションしてきたのですが。爆

しかも一瞥前よりもそうとう下品になりみんなに迷惑をかけまくり、全員を巻き込んでは人のせいにして人格を疑われ。。。

そうしてわたしはおそらくプッタパルティのババの足の下に踏みつけられて隔離されたのですが。笑



今は何もすることもするべきこともないということを肝に銘じつつ、
いろんなことを行いなさいといわれているような気がします。



いろいろな眺めが眼前に展開していき、
相当面白いといえなくもないなと思います。
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テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2011/10/28 23:01】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
ビザインタビュー再び!
今日の朝起きたら、せっかくだからもういっぺんビザのところに行ってみようかな、という気分になりました。
面倒なのでそういう気分を打ち消してたのですが、もういいわ、と思って、行きました。

今日の午前から激しい雨が降っていて、ああ、そういえば今は雨季だったなと思い出したのですが、
そういうわけで、ほんとは今日は遊具のある公園に行くことにしてたのですが、主名も遊ぶ予定をキャンセルされてもあまり文句をたれませんでした。

昨日はそれなりに気合を入れて、緊張感を持って早めに行ったのですが、
今日は遅く、昼前くらいに行きました。

昨日と同じ、受付をして、別の建物に行き、書類に記入して提出し、自分のインタビューの順番が来るのを待ちました。

昨日と同じ係員と話をしました。

昨日は主名の学校方面から私のエックスビザを取る可能性を探ったのですがだめだったので、

今日はもう、サイババとかスピリチュアリティとか、インド文化とか、霊性修行がどうのとか、
そういう話をかましてやろうと思って行ったのですが、

いざ係員を目の前にすると、そんな話をされたらうっとおしいだろうなとか思ったらそんなところで熱弁を振るう気もうせて、事務的なこととか事実確認とかの質問に終始しました。

でも、今日は遅く、もう終わりかけだったこともあってか係員も昨日より親切な感じで、
なんだかリラックスして話ができました。

結局ビザの種類の変更はできないということを確認しただけに終わったのですが、
今私が持ってるビザにどういう制約があるかとか私自身あまり知らなかったので、直接いろいろ聞けてよかったです。

で、思ったより、というか、全然制約がないビザを自分が持ってることが判明。
ま、ぜんぜんというわけじゃないですが、

たとえばエントリービザだったらインドから出るときには警察かどっかに出国許可の書類をもらいに行かないと行けなかったり、戻ってくるときも住民登録をしてる州の近くの空港に戻らないといけないと聞いたこともあり、
ずっと同じ場所にいるならいいけど、
動くならいろいろ手続きがあるみたいです。
インド国外へも基本的には1年に2ヶ月以上は滞在できないとか。

でも私が持ってるやつはそういう制約がないことが判明。

すっかり明るい気分になり、今日、行ってよかったな~と思いました。

気分が違うと乗るオートリキシャのドライバーの質まで変わってくるから不思議ですよね。

昨日の帰りのオートドライバーは人はよかったけど2人とも要領が悪かったりして困り者でしたが、

今日の帰りは適正価格のみを要求するしぶいまじめなおじさんでした。
なので最初に決めたより10ルピー多く払いました。


列車のチケットは取りに行ったら担当がいなかったのですが、あとで私たちの泊まってるホテルまで届けてくれました。
座席もほぼ希望どうり。
(いつも私たちはサイドアッパーとサイドロウアー(通路沿いの上下)の席を取るのです。他のインド人ともみくちゃになりにくいから)

これでほぼデリーを去る準備ができました。

後は、明日晴れれば朝のうちに遊具のある公園へ行くことですか。


私たちの乗る列車は、明日21日の午後1時くらい発の2716、ASR NED EXPRESS で、コパルガオンじゃなくてMANMAD JN (MMR)に翌日(22日)9時だか10時だかくらいについてそこで降りますが、そこからシルディ村まで車で1時間くらいだそうです。

で、シルディで1泊して、翌夕23日の5時前くらいにコパルガオンから乗って、24日の朝10時くらいにプッタパルティ(SSPN)着です。

これらのチケットはメインバザール(パハールガンジ)の中ほどにあるモスクの道を挟んだ向かいにある
HOTEL HARI PIORKO というホテルに入ってるツアーデスクに頼みました。

列車のチケットを取るのにかんして、ここはメインバザールで一番優秀と思います。
(ただし、私みたいに乗る直前で取るなどすると、割高になるのは仕方ないですが、でも、取れるんだからありがたい)

主名はまた日本人のお姉さんとドラえもんの話題でおしゃべりしてます。

【2010/07/20 22:52】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
Ministry of Home Affairsに行ってきました。
あ~、今日は疲れました。

今日は内務省関係のとこだと思うんですけど、Ministry of Home Affairs というとこに行ってきました。

これが今回のデリーに来た目的でした。


去年、タイでビザを取った後、
「ホームミニスターに会うように」と、ほかの人に言われてて、
自分の中のインスピレーションみたいなやつも、
「2010年の7月にデリーのホームミニスターのところに行くように」
というものだったので、そのつもりではいたのですが、

ホームミニスターって何?って感じでよく知らなくて、

ほかの人に聞いたら内務大臣だということでした。

そんな人のところに単純に行って、会えるのか!?
と思いましたが、

まあいつも、詳細は考えずに行動することがほとんどなのでそのようになんとなく準備してました。

そしたらだんだん情報が入ってきて、
このホームミニスターは次期大統領で、大統領になる訓練期間として今、内務大臣をやってるとか、
テロリストが彼を狙う犯行声明を出したりしてるのでセキュリティがすごく厳重とか。

すごくクリーンな人物で、インドを愛していて、賄賂は一切受け取らないとか。

タミルナドゥ出身なので、時々タミルナドゥにいるとか。

彼なら君のビザを変更できるが、いったい誰が君にホームミニスターに会えと言ったんだ!?
みたいな。

で、私はどこに会いに行けばいいわけ?
デリー?タミルナドゥ?

と、ネット検索しても当然ながらそんな人の現在の居場所や自宅は公表されてるわけもなく。


今私が持ってるビザを、エントリービザに変更するのが私の目的だったのですが、
現状を知るにつれて、その無理っぽさとどこに行けばいいかもわからない不安定さでかなりストレスを感じました。

むりでしょ~、、、てかんじで。


でもネット検索してるうちにMinistry of Home Affairsのサイトに行き当たって、ネットを通して、
担当者によるビザ関係のインタビューの予約ができることを知りました。

この5月の終わりくらいからそういう、ネットで予約するシステムにしたみたいです。


内務大臣に会わずにすんで、すごく気が楽になりました(笑)


で、16日と19日の今日の2日間どっちも予約を入れておきました。

16日は私たちの乗る列車がニューデリーに到着するのが昼くらいなので予約しても無理と思いましたが、
とりあえずやるだけやってみようと思って。

17,18日は役所関係は休みになっちゃうし。

14日にプッタパルティを出発するようにというインスピレーションだったので、
そんな形になりました。

16日はその場所まで行ったけどやっぱり終わってたので、今日の19日にまた出直しました。

受付で順番待ちして受付を済ませ、
別の建物に行って必要書類に書き込んでほかの書類と一緒に提出してからまた待って、

順番が来たので自分の希望とその理由を担当に行ったのですが、そういう変更は認められないということで、あっさり却下って感じでした。

それでも一応粘って何やかんや言ってみたのですが、
自分の中で「あ、そうですか」というあっさりした気持ちもあっていまいち粘りきれず、
粘ってもだめなもんはだめなんじゃないかなという気持ちもあって、
ある程度粘って、切り上げました。

だめならいいです、と思ってしまうやる気のなさ。詰めの甘さ?

背水の陣みたいなせっぱ詰まったものもないし、、、
今もってるビザの期限は11月までと、まだしばらくあるので。

でも、今回は私の今もってるビザもすでにいいビザだし、主名の学校の手紙とかも持参して、自分の中でいけるんじゃないかという気持ちもあったので、
多少脱力というか気は抜けましたよね。

なんか私の人生ってそんなのばっかりみたいな気もしますけど。

やっぱりだめだったか~~~。とかいう。

でも、自分の気持ちとか熱意とかでインドに滞在してる感じでもない気がするので、
そこら辺はどうしても弱いかな。

ほかの人にはどんなにインド文化を愛してるかとか、そんなのやサイババへの思いを語りまくれとか
アドバイスを受けてたのですが、
そんなに気持ちを入れ込まないともらえないビザだったら私には無理なような気がして。

何らかの形でもらえる資格がちゃんとあって、私の思いとかそんなのとは別のところで話がすすんでほしい感じです。

でも、結婚前なんかはそういう熱意でごり押しみたいなのというか、人の気持ちの隙間からしゅっと懐に入るみたいなのは結構得意だったんじゃないかと思うんですが、ここ数年はどうやってあきらめるかということばっかりしてる気がするので、やっぱり無理っぽいです。

でも、ほんと、すべてはいいことのために起こってると思うので、、、たまには日本に帰って湯船につかりたいし(笑)もう1年半帰ってないし。

今回、ビザの変更のための書類を集めるのにアドバイスしてもらった人のところで
「日本に帰りたい~」と言ったら
「あほかっ!」
と言われましたけど(笑)

でも、今回まともに行ってだめでしたけど、
どうにかしたらどうにかなりそうな気もするので、また、どうにかしてみると思います。
弁護士を通してみるとか、
マイナーな国のインド大使館に行って直訴してみるとか。

動くのはそんなに苦じゃないんですけど、陳情するというのは苦痛でストレスですよねなんか。

ここしばらく、カンボジアのインド大使館でエントリービザがけっこう発行されてたそうなのですが、その情報を聞いてプッタパルティからたくさん行ったらしく、
「プッタパルティの人たちにもう来るなといってくれ」と、カナダ経由のイラン人は言われたと言っていました。

別の知人はやはりマイナーな国のインド大使館で断られても断られても毎日通って係員を捕まえて「私はビザをもらうまで帰らない!」と言いつつ8日間泣き続けてついにエントリービザをもらっていました。
私にはできないですよ、そんなこと。熱意ないし。

この彼女には「もらう以外のことは考えるな!」とか言われましたけど。


そもそも何で私がインドにいるかと言うと、ほかの自分に選択肢がないみたいな気がするからいるだけで、
積極的で自主的に思えるかもしれないですけど、「だめだ~」ってかんじで、無力ゆえにここにいるんですよ。


子供の出産のときも自宅で医療関係者なしで夫婦だけで挑んだので(結局最後の30分間にサイババ関係の知り合いのナースのおばちゃんが駆けつけてくれました)
「武勇伝」みたいに言われたこともありましたが、

それも、最初は助産院に行ったんですけど、検査のために紹介された病院に行って、
「だめだ~~~」「私には無理だ、、、」と思って、ああ、、、選択の余地がない、、、と、やむをえず自宅出産になったかんじで、
消極的でした。

だめだめな選択の余地のない人生って感じです。

なので、積極的に私のインドやサイババへの思いを語るとか、無理!
ないですもん。。。


まあ、これで正真正銘わたしのやるべきことはやったので、肩の荷はおりました。
おわったおわった、みたいな。

行ったのは9時半くらいで、終わってその建物を出たのは午後2時ごろでした。


私も主名もあまりおなかがすいてなかったのですが、軽く何かを食べようと思って、オートドライバーにどこか適当に連れて行ってもらったら一人も客が入ってなくて高いとこだったので食べるのはやめました。

朝のうちは主名にはずっと動かずしゃべらず言いつけてたので、鉄道博物館に行こうかと思いましたが月曜は休みで、どこかで遊ばそうと思い、
インド門の近くのチルドレンズパークに行きましたがやっぱり月曜は休みだったので記念写真だけとって
ゲストハウスに戻りました。

戻る途中で半年前に列車のチケットを頼んだところに行ってチケットを頼みました。
やはりここは優秀で、明日のチケットは無理でしたが明後日のニューデリーからシルディ村の近くの駅までのチケットは取れて、その翌日のプッタパルティ(シュリサッティアサイプラシャンティニラヤム)へのチケットも取れると言うことでした。

日本人によく知られた、ニューデリーの他の旅行会社でも取れないチケットをこのツアーデスクでは取れるので、
またあとで紹介します。今は手元になんて名前かとかの紙がないので。

しかし、昨日の動物園とは違った疲れ方ですよね、今日は。
脳が疲れたって感じです。

ニューデリー出発はあさっての午後1時くらいになりそうなので、
明日は主名の念願のチルドレンズパークに行くことになるでしょう。。。

わたしもメインバザールの中ほどにある古本屋で(奥にある古本屋はもう懲りたので行かない)日本語の本を何冊か買ったので、今日と明日はようやく休暇気分が味わえそうです。


主名は今はだれか相手してくれる日本人旅行者がいるらしく、大声でしゃべりまくってる声が聞こえます。
たぶんまた私たちの個人情報をぶちまけまくってるんでしょう。

【2010/07/20 01:44】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
外出の日は出費の日。
今日も主名は文句ばかりでからんできてうるさかったですが、(最近、なんだかすごく主名は不注意です。以前にもまして。がちゃがちゃしてます。そういう年齢!?)

ひまひま言うので、動物園に行きました。

最初、ゲストハウスの人に、動物園までオートでいくらくらいかなー、30ルピーか40ルピーくらいと思うんですけど?と言ったら
「うーん、それくらいかな」
みたいな返事だったんですけど、いざオートドライバーに値段を聞いたら150とかとんでもないことをいうので、あほらしくなって、地下鉄の駅まで歩いていって地下鉄に乗りました。

途中、オートドライバーが追いかけてきたので「50くらいでしょ。近いし。」と言ったら
「冗談を言ってるの?」とか言われたので
あほかっ!ってかんじでした。

でもツーリストだまし価格の相場なんだと思いますが。

主名は地下鉄に乗りたがっていたので「すっごいいい」と好意的な反応。
地下鉄と言っても、宿の近くのラーマクリシュナアシュラムマルガ?なんか忘れましたけど、そういう駅では地下鉄は高架を走ってて、次の駅に行くと地下にもぐるので、
主名のいう「スカイトレイン」と地下鉄とどっちも乗れて満足したかんじでした。

動物園の最寄の駅、名前は忘れましたがそこへは一人10ルピーで、主名と2人で20ルピーでした。
駅も電車もきれいでよかったです。
一人一人、駅に入るときにボディチェックと空港みたいな荷物検査があったので、
日本みたいなラッシュになると、このチェックは大変だろうなーと思いました。

切符も、丸い札で、係員が直接売ってました。

駅を降りてからは419番のバスに乗って動物園前まで行きました。
主名はただでわたしは5ルピーでした。
デリーの人は都会的な親切さがあって、バスに乗るのも心安らぎました。
バス自体も新しいきれいなバスでした。
(別路線にはボロいバスも走ってましたけど)

動物園の周囲にはなんですかね、あれ、昔の砦跡みたいな立派な遺跡?がありました。

今のデリーは気候もよくて、わりと過ごしやすいなーと思っていたのですが、
やっぱり2時とかの一番暑い時間帯はさすがに暑かったです。
日差しはさほどでもなかったのですが、湿度が高いのか?
滝の汗でした。

私たちだけかと思ったらインド人たちもみんなもれなく全員が滝の汗をかいていました。

主名は最初の動物を見る前にもう
「おなかすいたー」「なんかたべたいー」「のどかわいたー」
とか言ってたので、「早すぎるわ!!」とか思いましたが、
体調がいまいちだったのを思い出し、
本人の希望通り、最初っから園内循環バスみたいなやつに乗りました。

でもこれは正解でした。
園内はだだっ広くって、歩いてたら私も園から出れなくなってたかも。

そのバス?は、人気のある動物のところで数分ずつとまって、乗客が動物を見る時間をとってくれたので、
すごい駆け足でしたがちゃんと見た、ってかんじになりました。

最後がホワイトタイガーのところで、私はてっきり園の向こうの端が終点で、そこから折り返して出口に行くにはもう一度巡回バスに乗る必要があるんだと思ったので、
終点の周辺の動物を見て飲み物を飲んだりして休憩した後にまた巡回バスに乗ったのですが、

どうやらすでに出口近くに来てたみたいで、
またまったく同じルートを回りました。

でもまあそれはそれで、1回目と2回目だと隠れてた動物が出てきてたりと楽しめました。


主名が動物を自分のほうに向かそうと、おもちゃの銃でバシバシ動物に向かって撃つのを何度言ってもやめないのには閉口しましたが、

動物園も堪能し、外に出ました。

またバスに乗ろうと思って道路の向こう側に渡り、そこにも立派な遺跡みたいなのがあったので、
「これはいったいなんなんだろうな~?」
と思って立ち止まって眺めてたら、地元の親子と思ったのか、
若いとがった感じのモード系のインド人のお姉ちゃんがその遺跡を指して、
「これはなんていう名前なのか教えてもらえます?」
みたいにとがった感じで英語で聞いてきたので、
「私は知らないです。すみません。」
と言ったら、英語がわからないと思ったのかヒンディーに切り替えてまた聞いてきました。

「わたしはヒンディーわからないです。日本人なんで。」
と言ったらとまどって固まってました。
すみません、紛らわしくて、、、。って感じでした。

「日本?この子は?」
とか主名を指して言うので
「息子です」
とか答えましたが、私に関する情報処理をするのをやめて、他の誰かインド人に聞いてました。

あとで、バス停でまたその彼女と一緒になって、
聞き違えたと思ったのかまたそれとなく確認してきたので
「私たちは日本人で、ここに住んでないんで何も知らないんです」
と言ったら、
「え、でも、その格好、、、」とサリーをさして言うので、
デリーに用事で来てることとか4年くらい南インドにいることとか言ったら
やっと腑に落ちたみたいで、
「だから私はさっき、あなたに聞いちゃったのよね」みたいに笑って、
デリーよりさらに北インドから来たらしいその彼女は打ち解けてさらにいろいろ聞いてきて、
主名にテルグ語をしゃべらそうとしたり、一緒に携帯のカメラで記念撮影をしたりしてました。

今思えばわたしもその、モードなおねえちゃんと記念写真とっとけばよかったかな。
かっこいい服着てました。

デリーの若い人はジーンズとかはいてて、サリー着てない人も多いですもんね。
おばちゃんは結構着てるけど。

サリー着てるのは田舎ものというようなムードすら感じます。

まー、わたしはサリー着用の時はマニプール出身の人というような気分で町を歩いていますけど。
動物園も最初から外国人の10分の1の値段のインド人料金を出してしまったし。(意識的にですけど。笑)

バスで地下鉄の駅に戻ったときには私も主名もゆだってたので、駅に入る前にフレッシュマンゴーミルクシェイクを飲み、すこし段階的にクールダウンしてから地下鉄に乗りました。

こんどはコンノートプレイスだったけ?
ブランドもんの店とかが集まってるような高級な地区の駅で降りて、中華料理をどこかで食べようと思いました。

でもクーラーが聞いた店で食べると、汗だくの服の主名が冷えてまた喘息が出るかと思って、
しょうがないのでアディダスだったか?
そこらへんの、ニセモノじゃない店に入って、着替えのために子供服の上下を買いました。

セールをしてたので3割引でしたが、それでも上下で1000ルピーを越えましたが、
ま、たまにはいいかと思って。

で、めんどうだからオートのドライバーにつれてってもらおうと思って、
オートのドライバーにどこかここらへんにある中華料理のレストランにつれてって。
と言って、つれてってもらいました。

オートを降りて、教えられた店のほうに歩いていきましたが、
消防車が10台くらい止まってて焦げ臭いし、

とにかく教えられた店に行ったらまさにその店から出火して消火作業が終了したところだったらしく、そこらへん一帯が真っ黒焦げになっていました。

うそ~。これじゃあご飯食べれないよ~。

ということで、
しょうがないので「歩き方」を取り出し、そこに載ってた中華料理屋にオートで行きました。
5年前くらいの情報なので、その店、まだあるのかなー?と思いましたがありました。

店に入ったらやっぱり冷房が効いてたので、主名に買ったばかりの服をその場で着せましたが、
ズボンはみんなが食べてるところで着替えさせるのがはばかられたので、
主名に新しいズボンを持たせて2階のトイレで着替えてくるように指示しました。

着替えてきた主名は席について、店内のテレビに魂を奪われて見ていたのですが、
「脱いだズボンはどこ?」
と聞くと、
「あ、忘れてきた」
と言うのでトイレに取りに行かせたら、
ぬれた床で滑って転んだと、新しいはいたばかりのズボンをぐしょぐしょにして帰ってきました。

なんやねんそれー、と思って、しょうがないからまた古いズボンを持たせてはきかえに行かせたら
また
「ぼく、滑ってこけて服がぬれた」
と、今度は上の服を濡らして帰ってきたので、それより汗でぬれた服のほうがまだましだったので
結局上下ともに元の服になりました。

なんか、なんでわざわ高い服を買ったのか、さっぱり意味がわからない、というかんじでした。

ご飯は普通においしくて、よかったです。
べジモモと、ベジトゥクパと、ベジワンタンスープとジャスミンティーの夕食でした。

隣の席で一人でご飯を食べてたインド人のおじさんがしきりにこっちを気にしてたので、
もしかしたら日本に赴任してたかなんかで日本語を理解して、
私らの会話が気になってしょうがなかったのかな~?と思いました。


宿に戻るのに、主名も眠いとか言うし、オートを拾って帰りました。
80とか言われて、高いんですけど、50くらいは?と提案してみても、
ぐるっと回らないといけないからとドライバーが言うし、
一方通行とかそんなのがあるのかも?
と思ってOK、OKと乗ったのですが、

走り出してすぐにニューデリーの駅の前を通りがかって、
私たちの泊まってるゲストハウスはニューデリーの駅前から延びる道沿いにあるので、むちゃくちゃ近いやん!!
と思ったのですが、
ドライバーがどういう道を走るのか見届けました。

7割くらいは回り道でした。

まあ、走ったことない道を見るのは興味深いのでいいんですが、
一応言うこといっとこうと思って、
降りてお金を払ったあとに、
「この道通ったらすっごい近いのに何でこっちから来なかったの!?」
と、ねちっこく3回くらい言ってみましたが
ドライバーはオートを手押しで方向転換させて余計なことは言わず、無言で去っていきました。

ゲストハウスに戻ってから、汗だくのあせが引いてべたべただったのでシャワーを浴びてからまた外に行きました。

帰りの列車の外人用チケットを頼めそうな旅行会社に行くためだったんですが、
今日はもう遅くて担当が帰ってしまっていたので、
じゃあ、自分で明日の朝にタッカルチケットを取るかな?と思い、
ニューデリーの駅に歩いていきました。

でもよく考えたら明日タッカルチケットをとってもその2日後のチケットになるから、
21日出発になるなーと思い、
できたら20日出発がいいので、
やっぱり旅行会社に外人用チケットを頼もうかなーとか考えつつ、
駅で少し発売場所とか聞いたあと、サイクルリキシャで宿まで戻りました。

ちなみに、駅の外人窓口に外人用チケットを直接自分で取りに行くのが普通なのですが、
私たちのビザがツーリストビザじゃないので外人用窓口では扱ってもらえないのです。

でも、旅行会社を通したらビザの種類まで確認されないみたいなので、取れるみたいなのです。
半年前はそうやって外人用のチケットを取ってプッタに戻りました。

じゃないと、列車のチケット(指定席)はこんなに直前にはまず取れないのです。

タッカルチケットというのは乗車日の2日前の朝8時に発売されるチケットで、割高で払い戻しの制限があったりするやつなのですが、
窓口に並べば確実に席が取れるので、私はよくこのチケットを利用しています。

旅行会社でもタッカルチケットを発売時間の8時に取ってくれるところも時々あるのですが、
ニューデリーで信用できそうなところで取ってくれそうなところは見つけられてないです。

でも、ネットでも取れるので、
わたしはインドの口座でVISA(デビットカード?)つきのカードもあるし、自分でも窓口に並ばなくてもネットで簡単に取れるんだろうと思いますが、
今回そこまで考えてなかったので、そのカードの口座には今、口座維持費がかからない限界の1000ルピーくらいしか入ってないし、

やっぱ、あした、旅行会社で外人用のチケットを頼んでみます。

もし、戻るのが遅くてシルディ村に寄れなさそうだったらそれならそれでいいし。


そういえば、今日、宿に戻ってシャワーを浴びて、あとで主名が浴びてたのですが
「うーん、うーん」とか言う声が聞こえた気がしたのでバスルームのドアを開けて覗いたら、
主名がシャワーの蛇口を何度もたたいていました。

シャワーが止められないのかと思ったら、
蛇口に頭をぶつけたので腹いせに蛇口を叩いていたようです。

ばかかな?と思って、
「あほ?」
と聞いてみたら主名は怒ってバスルームのドアをばたんと閉めました。
【2010/07/19 03:54】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
デリーの小児科の病院の緊急外来に行きました。
昨日の夜、泊まってるゲストハウスのパソコンでメールチェックなどをして、その間主名はゲストハウスの前で白い石を拾ったりして遊んでいました。

12時くらいに、ああもう限界。寝よう。という感じで寝ようと思って(主名は昼寝してたので元気だった)、インターネット代を払ったりして、ゲストハウスの人としゃべってるうちに、

主名が喘息の発作が出てて、今回薬を持参してなくて、一応アーユルヴェーダの薬をそこらへんの薬局で買って飲ませてみたけど、明日病院に連れて行ってみようかと思う、とか話しました。

そしたらゲストハウスの人が、ドクターに電話したらここに来てくれるよ。明日の9時くらいでいい?
とかいうので、じゃあ、それくらいに、とかいう話をなごやかにしたのですが、

その場でとりあえずドクターに電話してくれて、
受話器を渡されたので状況を説明しました。

そしたドクターはまず、「心配しないで」と言ってくれたので、心配してなかったのですが安心しました。



で、なりゆきで、ドクターのすすめで、近くの24時間緊急外来が開いてる小児科の病院に行くことになりました

主名は遊んでるくらいなんで、明日でもいいんだけど、、、ドクターは30分くらいで終わるといってるし、
主名も息苦しさがないほうがよく眠れるだろうからと思い、ゲストハウスが呼んでくれたタクシーに乗って行きました。


診療所とか小さい病院かと思ったら大きな病院で、救急車も何台か停まっていました。

病院の中にも外にも待ってる人なのか?ごろごろみんな地面や床に寝てて、
タクシーのドライバーと別れて緊急外来の部屋に入ったものの、どこに行ったらいいんだ?
てかんじで、少しの間ようすを見てて、施術室の中に入ってみたらだれかに受付をしてくるように言われたので、

その部屋から結構離れた外の場所にある窓口で受付の紙を書いてもらいました。

それを持って施術室に行ったら、今度はカルテを作ってくるように言われたのでまた外の窓口に行ったんだっけ?とにかく2往復しました。


その紙を持ってまた施術室に入って、警備員みたいなおじさんが主名の体重を体重計で量ろうとして失敗したので適当に体重の書かれた?その紙を持って当直の若い男のドクターに見せて、状況説明をしました。

飲ませたアーユルヴェーダの薬を見せたり、いつからか、とか聞かれたので1歳くらいからとかいうと、疲労したドクターにいらっとされました(笑)

だって、症状が出始めた年齢を聞かれることもあるんで。

ああ、今回のことですね、2日前からです、と、すぐに言い直しましたけど。


で、処方箋を書いてもらったので、それにしたがって看護婦さんが薬の吸入を始めました。

といっても、はいっと機械を渡されて、私が主名の口元で吸入させるんですけど、
15分くらいかけて吸入させて、終わったら自分で機械のバルブを閉めて外で20分待って、20分たったらまた看護婦さんに薬を用意してもらって吸入させるということを3回繰り返しました。

30分で帰れるかと思って来たんですけど、結局終わったのは夜中の3時でした。


しかし、緊急外来の施術室はつぎつぎと子供が運び込まれてきて、わたしたちは主名をベッドの上に座らせて私が吸入の機械を主名の口元で支えるだけだったので、ヒマだし、部屋のようすをあれこれ見ていました。
主名なんかくいいるように見てました。


事故かなんかでショック症状みたいになってるらしい10歳くらいの女の子とか、風邪の男の子とか、むちゃくちゃちっちゃい赤ちゃんとか、みんなそれぞれ大変な様子でした。

赤ちゃんが連れてこられてるのがやっぱり多かったです。

施術は痛かったり怖かったりするものもあって、赤ちゃんとかマミーマミーとかいってこの世の終わりみたいに泣いたりおしっこをもらしたり、いろいろ大人への施術とは違った凄惨さがありました。


正直、変な病気がこっちに移らなければいいけどと思わずにいられませんでしたが、

というのは、汚物の処理も一応ゴミ箱の分類はされてましたけど、日本の感覚からしたら投げちらかしって感じだったし、主名を座らせてるベッドにも血か何かよくわからない赤黒いのがこびりついてたり、ベッドの上に使用済みの注射針みたいなもの?が転がってて、主名が
「なにこれ?」
とかいってつまみあげるので、
「ぎゃーっ、触るなっ!」
とおののきました。

ま、大丈夫みたいです。

病院のスタッフの人たちもぶっきらぼうでしたが、悪い感じではなかったし、怖くはなかったです。
(時々、サイババの病院の看護婦さんとか、すごい怖くて泣いた。私が。)

私はサリーを着てたので
看護婦さんに最後のほうで
「マニプールから?」
とか言われました。

マニプールという場所は中国に近いので、中国人や日本人と同じような顔立ちのインド人が多いのです。

吸入の合間に病院の外で20分間待ってるときに、インド人の若い母親が来て、ヒンディーでなにやら話しかけてきました。
「ヒンディーわからないんで」
とか言ったのですが、
とにかくしゃべりたかったみたいで、
自分の子供はこんなんになんてこんなんになって、こんなんになっちゃったんだよ、、、。
みたいなことをショックで呆然としたような表情で、身振り手振りでかまわず話してきました。

ヒンディーは全然わからなかったけど、うんとかああとかおおとか答えときました。

その奥さんが主名はどうしたんだというので、私も身振りで、喘息で息が苦しくて、みたいなことを伝えたら、病院の中に入ってドクターに診せろといわれたので、
吸入が終わって、20分外で待たなければいけないことを言いました。(どこまで通じてたかは謎ですが)

で、そうしてるうちに20分たったので、その奥さんにそう言って病院に入ったら奥さんもついて一緒に入りました。

見ると、一番重症っぽい状態の子供のところにその奥さんは行きました。
ちょっと外に出て気分転換したかったのでしょうか。

私たちは何かあったときだけ病院に行けばいいですが、病院のスタッフは仕事とはいえ、毎日大変ですよね。

吸入が全部終わり、飲み薬の説明をドクターに受けて終わったのですが、
薬、どこでもらえばいいんだろう?
と思い、看護婦さんに聞いたら、
「どこでも外の薬局で買え」
みたいな事で、
それって、明日になってからってこと?
と聞いたらそうだというので、

そうか、と思い、
「ありがとうございました」
と言って去ろうとしました。

が、支払いは?
と思って、
「支払いなし?」
と看護婦さんに聞いたら
「支払いなし」
と看護婦さんは答え、
それまでぶっきらぼうだった彼女は最後にそこで初めてにやりと微笑み、
わたしもそうか、と思って微笑んで、改めてお礼を言って去りました。



ゲストハウスに電話してタクシーを回してもらい、来たタクシーに乗って宿に戻り、
往復で400ルピー払いました。

昼間ならオートで片道せいぜい20ルピーくらいの距離ですが、
夜中に病院にいって、予想外に時間がかかって私も主名も眠かったけど、よかったなと思いました。

昼間だったらもっと込み合ってて疲れきってたかもしれないと思うので。

主名もその後よく眠れたし。

朝になって、というか、昼近くに起きましたけど、

ゲストハウスのルーフトップレストランでご飯を食べて、
外の薬局で病院で処方された薬を買ってきたのでそれを飲ませたら、

さすが西洋医学の薬。
即効いて、症状も治まり、ひとしきり暴れまわってはしゃいだ後、今も主名は食後に熟睡しています。



今、隣のスイス人女性がインド人にデリーはどうだった?聞かれ
「う~ん、わたしの場所ではないわね、汚いし、うるさいし、混雑してるし」
みたいにすごく正直に答えていました(笑)

ここにきて、自分がどういう場所が好きかわかった、とか。

スイスはいいとこなんでしょうねー。
いや、皮肉じゃなく。


前回半年前にデリーに来たときにも、日本食レストランで日本人旅行者がインド人の旅行会社の人に

「デリーは泊まりたくなかった(けど、日程の関係で泊まらざるを得なかったのでしょうがないから泊まった)」
と、本気でいやそうに言ってて、
デリー在住のインド人は

「そんなこと言わないでよ~」
と笑ってて、聞いてた私も思わず笑いましたが、

どこでも住んでる人はいるから、
デリー、たしかに、主名も昨日の時点ですでにプッタパルティに帰りたいとか言ってましたが、
(車が多すぎて空気がわるいとかもっともなことを言っていた)

住んでみてわかるよさというのもあるでしょうね。

プッタパルティの、昔デリーに住んでたインド人のおばちゃんも、

デリーは物が何でも集まってきてなんでも安いし好きだと言っていました。

私も半年前に来たときはデリー、いやだなー、みんなだまそうとするし。と思ったりもしたのですが、今回はなんだか落ち着く感じすらあります。
前回と同じゲストハウスに泊まってるということもあるかもしれないですが。

ちなみに今泊まってるところはメインバザールの奥のほうのアヌープゲストハウスです。(ANOOPもしくはANOUP)
【2010/07/17 22:21】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
デリー到着
デリーに今日の昼ごろつきました。出たのは14日の夜で、ついたのは16日の昼前でした。

着いてすぐに用事で動き回ったので、さすがに疲れましたよねー。

用事が終わって2時すぎに昼ごはんを食べようとしたら、疲れてあまり食べれなかったので自分でもびっくりしました。

明日とあさっては何も用事がないのでのんびりしようと思います。



ほんとは暇だし、土日はマトゥラー(ブリンダバン)に1泊2日で足を伸ばそうかと思ったりもしたのですが、列車の中から主名が咳き込みだして、吐くわ下痢るわでにぎやかで、、、今は平気は平気で、晩ご飯も外でしっかり食べてきたのですが、喘息も少しでてるので、この土日はおとなしく養生させようと思います。

(本人は元気だから地下鉄に乗りたいとか言ってるけど、地下鉄はクーラー効いてるって話だし、喘息っ子はやめたほうが無難でしょう。。。あとマクドナルドも、行きたがってるけどやめといたほうがいいでしょ。。。)

くる途中、コパルガオンという、シルディ村の最寄の駅が2日目の午後2時くらいにあったので、
「ああ、ここかー」
と思いました。

コパルガオンからリキシャで30分くらいだそうです。

駅はきれいでいい感じでした。

帰りに、寄れたら寄ってこようと思います。



しっかし、子連れの旅行も楽になったものだなあと思いましたが、まだそうはいかなかったって感じですか。

まあ、あかんぼに比べると子供そのものを持ち運ばなくていいというのと、母乳を出さなくていいというのがあるから楽は楽ですけど。

母乳は母乳になる直前まで血液だそうですから、(なんかのところを通るとさーっと白くなって母乳になるとか本で読みました)
母乳育児中のお母さんはずっと出血中っていうのとおなじくらい体はへとへとなんだろうと思います。


元気なときは興奮してはしゃぎまくって列車の中を上ったり降りたり上ったり降りたり(3段ベッドの寝台車なので子供らにはアスレチック状態)時々ほかの人の頭をけってしまったり。

具合が悪くなったらおとなしくなるけど下痢ったりもどしたり、で、また元気になってくるとあれかっていい?これかっていい?とか質問の雨あられ。

そんな主名の様子に、思わず吐き気を催して列車酔いしそうになりました。



列車の中では知り合いのインド人の奥さんが隣の席だったので「アイムベリーハッピー!」と喜んでました(笑)
デリーまでずっと一緒でした。

しかし、知り合いがたまたま隣に来るのは初めてでした。

これも天の導きか!?
いろいろあったのですが、ブログでは割愛します。



そういえば、列車の中からたくさん野生の孔雀が見えました。
気をつけてみてると、たくさんいるもんなんですね。

走ってたり、群れでいたり、ちょっと高いところにとまってたり。

私は見ませんでしたが、主名は羽を広げてるのも見たそうです。

主名は見てないと思いますが、わたしはツルの仲間だと思いますが、
大きい、顔の辺りが赤い鳥の群れも見ました。


しかし、ニューデリーの駅について、メインバザール(安宿街)に行く出口はどっちだったかなー?と、しばらくたたずんだのですが、主名がどっちだったか覚えてました。
子供は見てるものは覚えてるもんですね。

で、駅から出るまで一度もホテルの客引きに呼び止められなかったのは、それでいいのか?と思わず自分に問いかけそうになりました。
(デリーの客引きはわりと強引なので、声をかけられないと楽なんですが、よっぽど所帯じみた?ムードだったんだろうなー、と。)


半年前に止まったのと同じホテルに来ました。
広めの部屋はまあまあだったので、まあまあでいいやと思って。
探すのも面倒だし、着いてすぐに動きたかったので。

でも、半年前は600ルピーをねぎって450ルピーになったんだったと思いますが、
同じ部屋が700スタートで600ルピー以下にはなりませんでした。

まあ、デリーの物価の急上昇振りは聞いてるのでそういうこともあるだろうとは思いますが、

ん?今はバックパッカーのシーズン(そんなものがあるなら)なのでしょうか?

隣の部屋の2人連れの西洋人女性の旅行者が
「暑いわね~~~!でも、私たちインドに来たのよね!そうよね!?」
みたいな会話をしているのが漏れ聞こえてきました。



でも、ホテルについてすぐに受付のところで受付と宿泊客がもめてました。

若い(10代の?)西洋系のバックパッカー数人で、見てて、対応するホテル側の人もうんざりしてる感じで大変だなーと思いました。

とりあえず気持ちで負けないようにみんな怒ってみせる人が多いですもんね?


そういう私も、部屋に入ってすぐに一風呂浴びてさっぱりして、
出かける準備をしてたら主名が部屋のドアの外側についてたらしいドア止めを折ったみたいで、

従業員が「これはすごく新しいやつなんだぞ!」みたいに怒ってきたので

「新しいなら何でそんなに弱いんだ。そんなのこっちの問題じゃなくてそっちの問題だ」
みたいに反射的に怒ってみせてしまいました。

(結局、もう一人の従業員が間に入ってうやむやになりました。一応軽く「ソーリーッ」と言っておきました。)



町を歩いていると「サイラム」と呼びかけられてる気がするんですけど、空耳でしょ(笑)




メインバザールの通りは、道路を拡張するみたいで、道路の両サイドの店先がず~~~~~っと切り取られています。

しかしインド政府はやることがすごいねって感じです。



そういえば、今回乗ったのはカルナータカエクスプレスだったのですが、やっぱり何人かのおかまが場所代(?)を徴収して回っていました。
何でか、男からだけお金を取るんですよね。
そして男性たちはみんなその間、うつむいて、すごい静かになるんです。

【2010/07/17 01:58】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(2) |
今日の日よさようなら
あっというまに日付が変わりました。

もう寝るので、今日のブログ記事は「ババのとこの人らって、妙にまじめだよね?もっと人生楽しんだらいいのにねぇ?(意訳)」という別の聖地在住の知人への返信メールを転用。。。。。
おやすみなさい。
明日はわたしらは休日です。この数日は忙しかった。。。

(以下、転載メール、一部変更済み)

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ババのとこのひとたちはみんなキ○ガイですよ。キ○ガイ!!笑。

ほら、精神病の人たちってすごく真摯で痛いくらいまじめじゃないですか。



でもそうなるためには過去生でいろいろクリアーしたからだとかいう話もありますけど確認できません!



それにババのとこの人らってかなり本能むきだしでギラギラでは?

みんなむちゃくちゃだよー。ついていけないよー、と私なんかはよく思うのですが。


古野SAWAKO
(と、ここで送信しようかと思ったけど思い出したので続き。)


あ、そうだ、今日無事にレジストできました。

レジストオフィスもすごい込んでて、ぎちぎちで動けないほどでした。

プッタパルティでもすごいことになってるに違いないですが、ここでもかっ!?と思いました。

しかしいいのか悪いのか人ごみ慣れしてすっかりくつろいでしまってる私たち。



きのう前もっておじいさんが一字一句私の書類をチェックしてくれたおかげですごいスムーズでした。

ホテルを出るのが遅くなって、朝10時半とかにのこのこ行きましたが、午後4時前には終わりました。

ほかの人の話を聞いてたら、2日、3日、1週間!?というものだったので、1日で終わってよかったです。


今日はどこぞのオーガニックカフェで夕食を食べました。

おいしいおいしいと10回くらい言いながら食べました。(ほんとおいしかった。じわじわと腹のそこから喜びがこみ上げてくる感じ。しかも安い。)

主名は「ヒマラヤくらいおいしい」とか言っていました。
「これからずっとここにしよう」って、、、あさってプッタパルティに帰るんだよ!?



食後のお茶を注文して待ってたら多幸感が、、、、。

「ああしあわせ」と言ったら主名は

「主名はすっごいすっごいすっごいしあわせ」と張り合っていました。



一仕事終えた後のご飯とお茶はおいしいですね。



今日はババの誕生日。

なので、じぶんに画材をたくさん購入しました。

ババカラノプレゼント。

インドでは誕生日の人が周りの人にあげますからね。

ありがとうババ。



都会はいいなあ、とおもう自分はやっぱり基本は都会っ子だなあと思います。



ではでは。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

言いたい放題をおゆるしくださいm(__)m 
【2009/11/24 04:18】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
今日(22日)
今日はようやく多分、必要な書類が揃いました。
たぶん。

あした、FRRO(外人登録オフィス)に行きます。

夜に日本食メニューのあるレストランに行きましたが高かったのでうーん、てかんじで、メニューの中のチベット料理とフライドライスにしました。意味ナシ。

しかし日本人バックパッカーとかがいて、なんとなく話をしました。
ひとりはパスポートをなくして再発行をしようとしてるところでした。
わたしらがプッタパルティに住んでることは伏せてたのですが、パッカーと一緒にいた旅行会社関係の日本語ぺらぺらインド人が突っ込んだ質問をしてきたので明かさざるを得ませんでした。

彼いわく、インドの国の勢いが強くなってきてるから来年からは外国人がビザを取るのがきびしくなってくるかもということでした。6ヶ月取れたのが3ヶ月になったりとか、だそうです。
信憑性の程は知りませんが。
来年からは中国人はビザ取れないよ。とまで。

まあ、たしかにこないだのバンコクでも中国人は全員大使館でインタビューを受けないといけないみたいでしたけど。

デリーの住宅事情とかそんな話をしました。
地下鉄とかの料金はいきなり2倍になったそうです。物価の高騰で。
野菜とかの値段はまだそれに追いついてない状態とか何とか。

小さな公園で主名は少しあそびました。

あしたもオートでうろうろしないといけません。
夕方になるとオートは寒いです。

そういえば、降誕祭のあとにババはホワイトフィールドに移動して数ヶ月いるという話ですが。
なんでも、プッタパルティのアシュラムの前のメインロードの拡張工事に伴う移動だそうです。

もう日付はあと15分で11月23日のババの誕生日です。
”アドバンスハッピーバースディ!!ババ!!”
(プッタパルティのインド人がこんなことよく言ってます)

寒さで少しカゼっぽくて喉も痛いので、ホメオの薬を飲みまくってます。
25日の列車の予約を旅行会社に頼みました。
いいホテルの中にある旅行会社のデスクで頼んだので、エアコンナシ!!!???と何度も聞かれました。スリーパーは景色が良く見えるのがいいですよね。客層はあまりよくないのかもしれませんけど。
しかし、寒い時にエアコン車に乗ったら暖かいんでしょうか?

もしかして明日中に登録できちゃうかも?とか思いましたけど、まあ、とりあえず。


【2009/11/23 03:22】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
デリー
今日の午前にデリーに着きました。
2泊3日の列車の移動はあっというまでした。
でも、2泊目の車中泊は寒かったです。
1泊目はまだ南インドだからそれほどでもありませんでしたが、2泊目は寒かった!!
わたしも主名も掛け布団は持っていったのですが、そのうえにさらに布をかけて、服も上下2つづつ着て寝ました。

今日は必要書類を集めに行ったのですが責任者が居なかったので明日の朝またでなおします。
今はニューデリーの駅前のメインバザールの通り沿いのゲストハウスに泊まってます。
一泊500ルピーの部屋です。
広くてキレイで通りの喧騒もとどかずいいんですが、バスルームの通気口が隣の部屋のバスルームの通気口と繋がってるので、バスルームを通じて隣の物音が全部筒抜け!
おしい。

夜が冷えるので、路上で売ってたジャンパーを買いましたが、どっからどうみても、日本からの災害援助物資!学校のクラスメイとか名前とか入ってるし。何とか付属。とか。
ぼろもうけやーん。

でもその路上の店は大賑わいでした。
主名は背中に「SENDAI」と書かれたジャンパーを180ルピーで買いました。
わたしは350ルピーのごつめのジャンパーを、買おうかどうしようか迷ってたおじさんから奪うように買いました。

寒いとはいっても日本の10月くらいと思います。
でもプッタパルティでタンクトップにパンツでお腹を出して寝てる状況からこっちに来ると寒いです。
足元が冷えるので下痢もしました。
日本に帰ったときには同じようにやはりいつも下痢するのですが。

しかし、デリー行きの列車はガラが悪いと聞いてたのですが、カルナータカエクスプレスはカルカッタ行きの列車よりもずっと落ち着いてて、むしろ自分がガラが悪く感じられるほど、みんなすごく温厚でした。
(わたしらが乗ったのはエアコンナシのスリーパーでした。)
主な駅を飛ばして、割とローカルな駅ばかり止まる列車だからかもしれません。
乗客はやっぱりサイババ関係が多いのか、途中から乗ってくるこじきも「サイババサイラーム!」といって回っている人が2~3人いました。

帰りもカルナータカエクスプレスにしよう。

旅行者のるつぼ、メインバザールも10数年ぶりですが印象が以前に比べて軽やかで明るいです。
自分が変わったのか、街が変わったのか、どっちもでしょうね?

デリーの人は怖いイメージがあったのですが、なんだかすごく穏やかです。
なぜ?
プッタパルティが激しすぎるとか。。。。かも。
【2009/11/22 02:55】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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