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サイババ体験談⑫
私は沖縄での暮らしの後、意識の降下とでもいうのでしょうか、本能的に実際の周囲のものや自意識を形成することがらとのつながりをどんどん切っていって、
余分なものをすべて取り払ったあとに残るであろう個人の私の核のようなものを見出そうとしていました。

それはいったんすべてを捨て去る作業でした。

手探りですから何も守らないように、保持しないようにという思いで、たとえ人に痛めつけられることでもそのプロセスを進めるものとして本能的に歓迎し、のちに自分で自分を痛めつけることすらしました。

完全に独立した個人である自分を頼りに今後この世界で生きていけるんじゃないかと思い、そういう、完全に個人になるプロセスを数年かけて徐々に進めていました。


しかし自分を支える全てを剥ぎ取り、全てを失った私自身を見つめたとき、
時間や空間や記憶にも拠らない個人としての私の実体や、個人の核となるような普遍のものは実は何もないことを確認しました。
(それは恐ろしい体験でした)

そのあまりにも何もなさに耐えられず、
恐怖を逃れるために私は底なしの闇に向けて自然とアメージンググレイスの最初のフレーズの一部を歌っていました。


「ア~~~メ~~~~~~~」


そこだけを何度も何度も繰り返し歌いました。


その声の振動を感じている瞬間にだけ、わたしはいまここにいると感じることができました。

虚無の恐ろしさの中でその響きは命そのもののように確かに思えました。

のちにそれはヒンズー教のオームの響きと多分同じ原初の響きが
うつろな自分の中から生まれ出てきたんだろうと気づきました。


自分個人というものは存在しないと確認した後、
では、個人がないけどこの世界で個人として生きなければいけないなら、自分のあり方は自分でプロデュースしていいんだろうと思いました。

そのように、そのときはひとつのターニングポイントとなり、この世界に生きる方便として自分の好む形の暫定的な個人性を提示して、それを生きていこうという方向性と能動性が生まれました。

生きるということは体現の連続となりました。

しかしそのような常に自分自身であり続けることは同時に常に虚構としての世界を否定することでもあり、それはそれできつい戦いで、いつも気もちは全身を刺されているようにひりひりしていました。

私がすべてであり、世界がその虚構の姿を私の前にさらけ出したあの21歳の超絶体験の瞬間、
虚構としての世界と私とのつながりは本質的に断ち切られ、
(いまだかつて交わったことはなかったのかもしれませんが)
もう、それらの虚構に身をゆだね、心を許すことはできなくなりました。


しかしすでにこの心を許すことのできない世界で生きる選択をしてしまった私にとって、この虚構の世界とすべてである私のどちらにも実体として等しく存在するように思えたのがババでした。

21歳のときの超絶体験のときに唯一対等に話をすることができた存在が私にとってはババでしたから。

私が超絶体験をする前も、そのときも、そしてこの世界に戻ってきて堕ちていった後も、ババは変わらない高みを示していました。

体験前も、そのときも、体験後も、ババとの交流で分離や乖離の痛みを感じることはありませんでした。
わたしたちはつながっていて、そのつながっている部分において私たちはひとつでした。

この世界に大喜びで戻ってきたものの、インドに行く前とは勝手が違ってすぐに途方にくれた私は、すべてであった私へとつながる通路のようなものとしてのババを改めて見出しました。

ババは道そのものでした。

ですからこの実体がないけれどとりあえずそれを生きるしかない、私という個人性をサイババへ溶け込ませてその個人としてのわくを広げる作業をこの10年ほど意識的に、また、否応なくしてきました。

それは外にあるように見えるものを内に見出して統合していく作業の繰り返しでもありました。


その作業の期間中には非常にバラエティ豊かな霊的混乱状態を通過しもしました。

それは妄想的な確信が現実化する世界で、そういう意味ではあらゆる妄想はすべてリアルな現実でした。

様々な体感やビジョンやインスピレーションなどが途切れなくやってきて、
様々な意識の階層に同時に瞬間ごとに存在するような感覚や、

何を見ても、それを現出させている情報やそのものが含んでいる情報に、そうはなりたくないのに意識が連れ去られて一体化してしまって苦しんだり、

時には悪魔的なエネルギーが行動を起こさせようと自分を駆り立てていることに気がつきました。

時にはどこかの神のようなエネルギーが入ってきてしばらく留まり、用事が済んだら出て行ったようなことも何度かありました。

そのように神々や悪魔や霊やエネルギーや聖者やお化けや妖怪や過去生の自分や様々なものが入り乱れて自由に出入りしていて、個人としてのわたしはぐちゃぐちゃでした。

なのでいつも非常につらかったです。


私の逃げ場は全てである神しかなかったのですが、そこに完全に溶け込むには私の中にはあまりにも多くの不協和音がありました。


これらの霊的な存在たちの世界もこの物質世界と同じく現実であり、物質世界と同じく虚ろなものでもありました。

それらは現れてそれぞれの印象を残して私に経験を与え、去っていきました。

当然、このころは日常生活を送るのが非常に困難で、この時期の最後のほうでは半年間家にこもって集中的に自分自身の浄化を行いました。



ババは私にバクタ的な帰依者であることを求めませんでした。

私は自分個人であることと全体としての真の自分としての記憶との間で常に引き裂かれるような痛みを感じ続けており、
それから逃れようと、1999年から2000年になるときの年末年始にプッタパルティを訪れた際、

「私をバクタ的な帰依者にしてください」
と数日のちょっとした断食とともにババに真剣に祈ったこともありました。
(バクタは仲間もたくさんいてなんだか楽しそうに思えたのです)


しかしババはある日のダルシャン中に
「帰依者にならなくていいよ、自分の好きなようにしなさい」
と、私の心を通じて言いました。

そうか、好きにしていいのか、と、その瞬間は気楽になり、
ぱぁぁっと展望が開けたような気がしました。

しかしその時すでに私は何をしても心のそこでは楽しくなくなっていて、何もしたくなく、
意識の極度の混乱も数年にわたって続いており、実際、毎日ただひたすら消滅したいとだけ思っていました。

それでも人は生きている限り何かをし続けないといけないので、そのときそのときの目の前にある何かをし続けました。
不思議と、今この瞬間に何をするのが求められているのかはわかるのでした。


きっと人はこの世界で生きているかぎり、いろんなことをできるだけうまくやり続ける必要があって、
私たちはより良い劇場空間を作り上げ、演技をして、楽しみ、やりきって、あとくされなく振り返らず、
最終的には舞台を降りて本来の状態へと還る必要があるのかもしれません。


劇は始まりと終わりがあってこその劇であり、いつかは終わります。

もし今、私がまた「舞台を降りていいよ」といわれたなら、今度はしくじらずに人生を終えるかもしれません。

実際、この世界に戻してもらう選択はしくじりだったような気もしてよく後悔しました。

私は多分あの時、最後の線を超えそこねたのではないか、失敗したのではないかとその後の苦痛の中でよく思いました。


インドに行く前は私はさまざまな殻に守られて透明な内面性を保っていました。

しかし体験後は外的な守りが破壊された状態でこの世界に再び戻ってきたので、世界は私に対してあらゆる角度において攻撃的な耐え難いものとして現れ続けました。

そこから逃れる唯一の活路として私は選択の余地なくババに向かい続けてきました。


私は自分がこの世界の中で生きることを選択したことが引き起こした世界の敵対化にぐちゃぐちゃに打ちのめされましたが、いまさら世界から逃れることはできませんでした。

しかしババはこの世界の中にも光として存在していて、彼の肉体はこの世界にその分だけのささやかな空間を占有して存在していて、そのことを私は非常にありがたく思いました。

彼は私にとってなぐさめ以外の何ものでもありませんでした。

ババがこの世界に生きているということは、わたしもこの世界で生きられるということでした。


ババとわたしの関係性それ自体も虚構かもしれませんが、
この世界にいるババと自分との関係性を見てその距離をおしはかる時、
私は自分がすべてであり、世界そのものであったときの自分を再び見出し実現するために何をすべきかの手がかりと地図が与えられているように感じます。

そのためには今の自分にはババが必要であり、彼を見失うと私はこの巨大な迷路のような世界を解きほぐす手がかりも見失うでしょう。



その後あるインド人聖者に自分のインドでの体験を話して、それは一体なんだったのかとたずねたことがありました。

彼女(女性の聖者でした)は

「それはあなたが過去生で積んだ徳の結果で、誰にでも起こるというものではない。そしてあなたはその時、私のようになるかもしれなかった。でもそうはならなかった。あなたは今はもう世俗の中にいるので、世俗の中で生きなさい」

と言いました。


それを聞いた私は、ええーーー、と思いました。
その体験の記憶を持ったまま世俗で生きることは私には不可能に思えました。

この世界がうそではないと、自分にうそをつくことはできませんでした。

あっさりと記憶を手放し、世界に対して素直に純粋に生きればよいのかもしれませんでしたが、私の記憶は暴力的なほど強烈で、自分が手放そうとして容易に手放せるようなものではありませんでした。

その記憶が私の全世界をすでにひっくり返し、私はすでにその記憶に基づいて、現象世界と絡み合い相互依存の状態にあった過去の自分を数年かけて虚構として捨て去り、

完全性を備えた生命体としての独特な自分と、その自分の意識の光の反映としての現象世界を、新たに瞬間ごとに見出して生きていたからです。


そんな私の「それは無理」という反応を見て、その聖者は

「でも、まだ可能性はある」と、ふと何かを見つけたように付け足しました。


その可能性が今もまだあるのか、そもそも、それがどういう可能性なのかどうかは分かりませんが、
私は今の世俗の生活から抜けることは無理そうなので、
私のこの世俗の生活を、あの記憶の状態が現れることができるくらいの純粋なものへと昇華させる必要があると思っています。

さもなくば私は死ぬまでそのギャップに苦しみ続けることになり、ババはそれを望みはしないと思うからです。



ババにダルシャン中に「帰依者にならなくてもいいよ」といわれたように思った同じころ、わたしは

「ババって、ロックスターみたいだなー、みんなにキャーキャー言われて。」

「プッタパルティーって、サイババ王国だなあ。どこもかしこもサイババやん。」

とか思ったこともありました。


そして、またダルシャン中にババを見ながら、

「わたしも、自分の王国を作ればいいのかなあ?」

と何を思うともなく、ふと思ったことがありました。


するとその瞬間、ババはだいぶ遠くにいましたが、まっすぐこちらを見て
(ババの目からのエネルギーにレーザーのようにするどくまっすぐ貫かれたので、そう感じました)、

大きく3度、すごくまじめな顔でうなづきました。


そのころから私は自分自身の中から独自の絵がいくらでもあふれ出るようになり、数年間ほど画家として活動しました。

それは自分を中心にした状態でなおかつ個人のレベルで閉じずに神へ自分を開き、神を招き入れ、神が自分を通して働く、
そのプロセスを体現するトレーニング期間であったとも思います。

また、世俗の中ではこのような何らかの役柄を演じて社会の中での居場所を作ることが周囲に安心感を与え、私を世界の中で生きやすくもさせてくれました。

役柄を演じることは、この世界で生きることの楽しさを感じさせてもくれました。


今思うことは、やはり、私たちはババのようにすべてに深く愛され、すべてを深く愛する、神がすべての中心で基盤である神の王国を作ればいいんだろうということです。

ひとりひとりが真の自分自身である神として自分の世界を統治し、その中心にいるのが本来の姿なのだろうと思います。

神としての自分自身であるとき、すべてとの一体感と、すべてに対する無執着があるんだろうと思います。


神であり、自分から展開する世界の統治者である王としての自分に再び気づくためには、
それ以外の卑小な自分との自己同一化とそれによって同時に起こる自己限定化をやめる必要があるのかもしれません。

「ババ=真の自分」に立脚するとき、世界のすべては虚構としての本性を現し、たとえ私が世俗の中にあろうとも、すべてが根本的に調和し、恩寵の光の中で神の輝きそのものとなるはずです。


それを可能とするためには、この世界にババと私として別々に現れているかのように思える両者をひとつに溶け合わせ、超越し、
見出されるのを永遠に待っている唯一の真実を顕現する必要があります。

ババはいつも真の自分自身と同じものです。

それを、言葉にするのではなく、生きて、体現していけますように。

その時、この現象世界は愛そのものであるのでしょう。



そうすると、私たちはすべてが神である事を知りながら、この美しい世界の劇に参加するために与えられたそれぞれの役柄を演じることを心から楽しみ、踊り続けることができるのでしょう。

ババはいつも私たちを深く愛していて、私たちからの深い愛を受け取る準備ができているのでしょう。


愛の中ですべてがひとつでありますように。
わたしたちが全身全霊でババを愛することができますように。

そしてそれを可能とするババの恩寵を私たちがババから受け取ることができますように。


ババの恩寵の中で私たちは生きていて、それ以外は何も存在しないことに私たちが気づくことができますように。


永遠に自らを与え続ける孤高の、
そして無数の姿で現れ続けるこの現象世界のあらゆるものであるあなたに今一度、感謝の祈りをささげます。



Jai Sai Ram
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【2011/01/10 02:40】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(4) |
サイババ体験談⑪
ところが、いくつかのことはインドに行く前とは決定的に違ってしまっていました。

まず、自分の中に屈託が生まれました。


世界がすべて自分の中にある幻想であり、信用に値するものではなかったという体験の記憶を持ったままこの現象世界の中に戻ってきたので、
ではいったいこの世界の中で個人としてのわたしは何をよすがに生きていけばいいのかということが分からず、

虚無感と居心地の悪さと、それをこの世界の誰とも根本的なところで分かち合うことのできない哀しさがありました。


インドに行く前の個人としてのわたしは「宇宙意識」と私が呼んでいた、しかし実際には名前も形もない、しんとした静かなある何かにいつも自分をゆだね、波長を合わせていました。

そのわたしが自分自身をささげていた無相の宇宙意識はおそらくあの超絶的な体験の中で唯一不二の自己として明らかにされ、体現され、

戻ってきた後も消えない記憶として私の個人としての存在の核のように常にあるように感じられました。
つまり、自分をゆだねる対象としてのそれではなくなったようでした。



あの夜の体感は現象世界を超越した輝く実相として自分の中に深く刻み込まれていました。

しかし私は再び自分と世界が別個のものであるような状態に戻ってきたので、
世界の実相に対する絶対的な認識と、実際の生活で感じる自分と世界との分離感という2つの間のギャップは、耐えがたい分裂の痛みとしてすぐに私をさいなめ始めました。


インドに行く以前は、私は透明で、透明で空っぽであるがゆえに誰とでもすぐに溶け合って一体感を味わうことができました。

世界のすべては私の保護者のようで、私はその中で甘やかされていて、世界を愛し愛されていることを楽しんでいました。
わたしはそんな世界を信用していました。


しかしインドから帰ってからは、私の個人性の中に現象世界の奥の真の姿への認識とその記憶が生傷のようにいつまでも新鮮に保持されるようになったので、
私の透明感と世界への信頼による一体感は失われました。


私は世界が信頼できないものであることを知りつつ、自分の内にも安らげる場所を見出せずにいて、そのことは地獄でした。


私はいつどこにいても孤独を感じるようになりました。


しかし元の生活に戻ってしばらくは、インドに行く以前の生活の続きを生きました。


私は自分の体験によって世界を根底からひっくり返されてしまったので、元の生活を楽しめず、
ババの講話の本やらババに関する本を読み始め、自分が何を必要としているのか、そのこと自体を探しました。


インドから帰ってからはいくつか不思議なこともおきていました。

例えば、大学の授業でみんなと同時に種を植えて
(小学校教員養成課程だったので、小学生の授業内容を体験、研究することが多かったです。これもそのひとつでした。)
同じ場所で同じように育てていた朝顔が、インドからから戻って見てみると私の名札のついた2株だけ、他のものの3倍くらい余計に成長していました。

大学の友人知人、先輩後輩たちには私がインドにサイババに会いに行くツアーに参加することは言ってあったので、
その、私のだけあきらかに大きく成長したアサガオを見て後輩は「サイババパワーや」と、喜んで興奮していました。


私に、インドやサイババの体験談を聞きに来る人もいて、みんな興味しんしんでした。

しかし私は自分自身の決定的な体験についてはとても話せず、アシュラムで他の人におこった奇跡の話だとか、世界音楽祭がすごくレベルが高く、すばらしかっただとか、そういう話をしてごまかしていました。

そうこうしているうちに、私からサイババの話を聞いたら自分の身のまわりにも不思議なことが起こった、と、報告してくる人もちらほら出てきました。

願いがかなったとか、小さな奇跡が起こったとか、サイババの顔が目の前の空中に現れたと言っていた人もいました。


私自身、日本に戻っても意識が覚醒し続けているような状態がしばらく続いていて、睡眠をとっているのかとっていないのか自分でよく分かりませんでした。

動物性の食べ物は一切口にできなくなっていました。


開ききっている感覚がまだどこかに残っていたので、
時々友達がしゃべる前に内容を察知して、
すでにしゃべったものと勘違いして答えてしまって戸惑われたことも何度か起こりました。

何かの折にはどこからかババらしき、私だけに大きく響く声が聞こえて、その声によって探し物が見つかったり、
(それは「アジアンジャパニーズ」という旅人の記録のような本だったのですが、最後の写真はプッタパルティで撮られたものでした。)

寝過ごしそうなときに耳元で声がして起こされて重要な試験に間に合ったり、そういうこともありました。


インドでの奇蹟に満ちた日々の大気を日本に持ち込んでしまったような感じでした。

幸い私の周囲の人々、特に美術系の人々はそういうものを受け入れて歓迎して楽しんでいました。

学生時代にはクリスチャンの知り合いも多くて、キリスト教のムードや歌やそういう神を愛するまじめな人たちと一緒にいるのが好きだったのでよくそういう研究会や教会に遊びに行っていたので、

そういう知り合いには自分一人で抱えるのがこらえきれず、自分のインドでの体験の核心を話したりもしました。

そういう人たちの多くは大人になってから信仰の中に生まれなおした、本当に純粋に神を愛している若い人がほとんどだったので、みな真摯に耳を傾けてくれて理解を示してくれました。



インドから日本に戻ってから一ヵ月後に、私は前々から予定していた、膝のじん帯の再建手術を京都のスポーツ整形外科で受けました。

手術は全身麻酔で行われたのですが、手術が終わって個室に移され、
麻酔が切れてきてふと目を覚ますと私の寝ているベッドの足元のほうに明らかにババが普通に立っていました。

ババはスタンドにぶら下げられている点滴を触って調べている様子でした。

「あ、サイババや。」

とわたしも普通に思って見ていると、ババも私が目を覚ましたのに気づいてこちらを向き、
「もっと深く、息を吸いなさい」と言いました。

私は
「はーい。」
と心の中で言って、深々と息を吸いこみ、そのまままた眠りの中へ戻りました。


次に目が覚めた時には頭はもっとはっきりしていて、日本での現実感覚がすでに戻っていて、
ババはもういなくて、

「そういえば、サイババ来てたなあ!!」
と記憶がよみがえり、明らかに奇跡的な出来事に少し興奮しました。


入院していたのはスポーツ整形外科だったので患者は若くて元気のいいスポーツ選手ばかりで、
一般の病院で2ヶ月かかる入院期間もここでは1ヶ月で終わるのが常だったのですが、
わたしはそれよりさらに一週間早く退院しました。


私はそのとき大学の4回生で、卒業後の身の振り方も就職先もほとんど決めていたのですが、
(日本画を専攻していたので、その関係で文化財の修復を請け負う京都の会社で働きながら技術を磨いて、後に独立していずれは自分自身のオリジナルの細密仏画を描こうと思っていました)

インドから帰ってくると、自分の中の落ち着ける要素が全部壊れてしまっていて、とても会社に就職できるような安定した精神状態ではなくなってしまっていました。


インド後は自分が何を求めているのか、何をすべきなのかも分かりませんでした。

インド後は以前の自分とは存在形態がまったく違ってしまってもいたので、
とりあえず大学卒業を半期先送りにしておいて、友人たちが先に卒業して行った後にさらに数ヶ月余分に学生をしました。

その後は誰も以前の自分のことを知らないまったく新しい環境を本能的に求め、
日本の果てである沖縄の八重山の離島へ働きに行き、そこで民宿のヘルパーをしばらくしていました。


離島にいてもやはり苦しかったのですが、そんな暮らしの中、人気のほとんどない大自然の中で奇蹟のように輝く瞬間に何度か遭遇しました。

人のほとんど立ち入らないような場所では素晴らしい生命の輝きがなにも隠されずにすみからすみまで歓喜して満ちあふれてていました。
そのような時はただ打ち震えて感嘆するばかりでした。

そのころの私は自然との強い一体感があり、海や、風や、木々や空気の中の精霊のようなものと意思が通い合っていて、お互い愛の中で感応しあっていました。

歌を歌うと自然がそれに応えました。

日中にはよく、誰も来ない小さな浜辺や木立の中で横たわって身をゆだね、やすらかに昼寝しました。

沖縄の人々や自然に大きく助けられ、なぐさめを与えられ、はぐくまれた日々でした。



そこを手始めとしてその後も滞在場所は日本各地や南アジアなどを主に季節工などをしながら転々と変わり、
状況もそのつど変わり、10年以上がたち、これを書いている2009年の10月に至ります。

その間、ずっとババは別の体やビジョンで現れたり、夢に現れたりして私を導いてきました。

そのころ仕事の昼休みに昼寝していると誰もいないのに肩をトンと突かれ、
「目覚めろ」「思い出せ」と言われているように感じたことも何度かありました。

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【2011/01/09 06:13】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイババ体験談⑩
次に目が覚めて気がついたとき、機内はうっすらと明るくなっていました。
夜明けでした。


そして意識を取り戻すと同時に、私は自分のすべての感覚の日常感覚に戻っていることに気がつきました。

それこそまったく信じられない、奇跡が起こったとしか私には思えませんでした。

私の周囲のあらゆるものが、私とは別個のものとしてそれぞれのいとおしい独自の存在感を取り戻していました。

わたしはもう絶望的な孤独の中にはいませんでした。
多くの、私とは別のものに囲まれていました。

私はうれしくてうれしくて、感動で胸がふるえていました。


わたしはこの美しい世界にまた戻ってくることができた。。。。。
そう思いました。

あの、前夜の圧倒的で絶対的な体験の中にあっては、この世界に個人として戻ってくることなど不可能のようで、想像できることではありませんでした。

私はうれしさのあまり、目にするもの(いすや、窓など、座席から見えるいろいろなものもの)すべてに心の中で話しかけて交流しました。


席を立ち、まだほとんどの人がそれぞれの座席で眠っている機内の通路をゆっくり、自分に再び与えられた個人性の感覚を確かめるように、そうっと、歩いてみました。

まだ少し、全身にはじけるような、しびれた感覚は残るものの、私は私として存在し、周囲のものは周囲のものとして存在していました。
それは完全な祝福の中で至上の歓喜とともに行われるにぎやかな祝祭のように、あまりにもすばらしい経験でした。


私はうれしくてうれしくてたまりませんでした。
もうわたしは一人ぼっちじゃないと思えました。

昨晩の、すべてが自分であり、自分しか存在しないという体験はわたしにとってあまりにも絶望的で逃げ場がなく、どうすることもできない、ただ甘んじて受けるほかない強い哀しみを伴っていました。

たとえ自分が、「ああ、そうだった、本当はこれが真実なんだった」とあきらかに気づいていたとしても、
たとえそれが、ゆるぎない至福のうちにあるものであったとしても、
それはどうしようもなく、たまらなく寂しいものでした。


絶望とはこのことでした。


一方、この、「周囲の事物と私が別個に存在している」という幻想(確かにそれは幻想ですが)はあまりにも甘美で、
私はこの世界に戻されたとき、自分が再びさまざまな自分とは別個のものに取り囲まれていると感じたとき、
ふるえ、めまいがするほどの喜びを全身に感じました。


美しい、美しい、あまりにも美しいこの世界。

これこそが奇跡でした。



私はこの世界に戻ってくることができて、本当に、本当に、うれしかったのです。
うれしくてうれしくて、こんなことがおこるなんて、まるで夢のようだと思いました。


実際これらが夢のような虚の世界であるということを体感し、思い知らされたにもかかわらず、
わたしはこのさまざまな形と、色彩と、名前のあふれるめくるめく夢の遊園地にこのように100パーセントの歓喜を持って再入園しました。


そのとき、まだ寝静まっている薄暗いジャンボジェットの機内の化粧室の横の窓から見た明るく清潔な生まれたての空の色や、
白くて軽い雲のささやかな重みの感覚をひとり静かに味わっていたあの心境は、
同じ感慨とともに今でも思い出すことができます。


しばらくして人々が目を覚まし始めたころ、機内食が配られました。

私の2つ隣の席の、錯乱した女の人はじっと私を見ました。
まだなにか私たちの間には何らかのつながりがあるようでした。

先に彼女の方の通路側から機内食が配られ、彼女の前にトレーが置かれたとき、
彼女は、
「あなた、これを食べなさい」
と言って、自分の機内食を私のほうによこしました。

すぐにこちらにも配られるので必要なかったのですが、
私は「ありがとうございます」と受け取り、あとで自分に配られた機内食を代わりに彼女に渡しました。

そのときに飲んだ水は甘露そのものの命の水という感じで、ふるえがくるほどでした。

体に滑り落ちるように軽やかに吸収されて、あっというまに昇華されました。

その水は、私がこの世界に戻ってきて始めて口にしたものでした。
死に水というのがありますが、これはまるで私にとっては生き水でした。


その水を飲んだことを皮切りに、私はこの世界とどんどんつながり直しました。
そのほかのフルーツやパンなんかも、全神経を集中させて、驚きとともにそのすばらしさを味わいました。

まったく、この世界に戻ってきた私は、生まれたての赤ん坊のようでした。
世界はすべてが新鮮な驚きに満ちていて、すみずみまで光り輝いていました。


少し離れた席に座っていた母に、ツアーの責任者なような人が
「あなたには愛がある」と言ってほめていて、

母は
「いやー、なに言ってんのもうっ!」
みたいに喜んで、その人の丸いおなかをバシンと叩いたので
その人はそれ以上何も言わずどこかに行った様子が見えました。



昨夜、脳が千切れ飛びそうなくらいのギリギリ極限の重苦しい思索の状況があったことがうそか冗談かであるかのように、飛行機は平和に成田空港に到着しました。


飛行機の着陸と同時にほっとした緩んだ空気が流れ、みんなはあわただしく、しかしいそいそと飛行機から降りてゆきました。

昨夜の圧倒的なリアリティが消えうせ、それ以前にあったような普通の存在形態で普通に日本の地に再び降り立てたことが私にはまだにわかには信じられませんでした。

それはいまだに奇跡的なことに思え、
夢じゃないかというような、信じがたい気持ちがつづいていました。。


空港のトイレに入ると、機内でわたしの2つ隣の席に座らされていた錯乱していた女性が洗面台の鏡に前にいました。

彼女は、
「サンダルをなくしてしまったんです」とか

「何も覚えていないんです」などと、

夢からさめた人の呆然として魂が抜けてしまったような口調で話しかけてきました。

この分だと、機内でののしり、呪詛めいた言葉を吐き、私に
「この本を読みなさい」と、預言者のような態度で薦めてきた、ある意味パワフルだったあの状態のことも覚えていなさそうでした。

成田から大阪に新幹線で戻りました。

ツアー中に時々接していた気功師が大阪駅で新幹線を降りたあと、別れ際に握手を求めてきました。
確かにそのときの私の気の流れは最高だったと思います。

一緒にいた母は、自分には握手を求めなかったとぶつくさ言っていました。


超絶状態から通常の状態に戻ってくると、それまでの下痢や高熱はすっかり治っていました。



そのようにして、私の初めてのインド旅行は幕を閉じました。

いったん母とともに兵庫の実家に戻ったので、私は精神病の母にほかの家族がどう対応するのか、多少緊張して見ていました。

しかし、実家では母はインドにいたときほどむちゃくちゃではありませんでした。

やはり、インドで過酷な気象条件の中、ハードスケジュールをこなしつつダルシャンを受けるという特殊な状況が、母を普段の10倍くらいエキセントリックにしていたようでした。

なので、まずはほっとしました。


そうして私は日本の日常の中に戻り、学生寮に帰ってコンビニや寿司屋などのアルバイトにも行き、大学生としての気楽な生活を再開しました。

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【2011/01/08 03:41】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(1) |
サイババ体験談⑨
私はインドに来るまでの日常生活の中で、エゴをなくし、宇宙意識の導きによって人生をなめらかに流れてゆくことを心がけていました。
そしてそれは完成した、と感じ、あとは寿命が尽きるまで楽しく幸せに生きるだけだ、もう何があっても大丈夫、と思っていました。

ところが初めてのインドの地で個人としての自分がパチンとはじけてしまい、この宇宙意識そのものに自分自身がなってしまいました。


それは当然といえば当然の結果なのかもしれませんが、

この瞬間、「今、終わりにしてもいいよ」と、人生が前倒しに打ち切られようとしているということは誤算でした。

それは自分が望んでいたことではありませんでした。


私は自分の人生を、寿命が尽きるまで肉体を持って生ききることが大前提としてありました。

私が望んでいたことは楽になめらかに人生を生きることであって、神とひとつになって人生から脱出することではなかったのです。


神とひとつになってしまい、人生の舞台から降ろされてしまったことは失敗ともいえる予想外の展開でした。

「今終わりにする」ということは、寿命が来る前に、この瞬間にただちに肉体を離れて人生を終えることを意味していました。


「うーーーん、それはどうしよう」と、考え込みました。



わたしは中学生のころから体外離脱をよくしていたので、物質的な肉体を離れることに日常的に慣れ親しんでいて、肉体に対する執着や、死に対する恐れはほとんどなかったと思います。

むしろ、死をもって肉体を離れるそのことに対してほのかな憧れにも似た安らいだ気持ちを抱き、待ち遠しく思っていました。

日常を生きてはいても、いつも意識の一部は死の向こう側の甘やかな世界にいて、そこからこの物理次元の世界を見ていました。


ですが、寿命が来る前に自ら肉体を放棄するという考えは自分にとっては意味がなく、それまでに考えたことはありませんでした。
私の望ましく感じる死はあくまで寿命を受け入れる形での受容的な自然な死でした。


ババに問われたそのとき、私には「今、終わりにする」という選択が優等生的にきっと正しいんだろうと思いました。
それまで全ての執着と滞りを手放していく作業を自分でしていたので、この瞬間も、その線にのっとって、この世界を手放したらいいはずでした。


しかし、結果を先に言うと私はその選択をしませんでした。
私の感情は、この世界にとどまる選択をするよう私を促したのでした。


目の前に現れたババに尋ねられたあと、どちらの選択をすべきかについて、私はかなり深く、長く、考え込みました。

自分の考えに集中している間は忘れていましたが、時々意識をババに向けると、ババは私に問いを発した時と同じようにずっと目の前に静止して立っていて、私の返答を待っていました。

どうしてその時、ババに、私はどうすべきか教えてくださいとか、あなたが決めてくださいとか言わなかったのかなあと後になって思うこともありましたが、その時そういう発想はわきませんでした。

ですから、サイババならこの状況を理解するはずだと思って呼び出したものの、情況に対する説明が与えられたあとは自分で考えていました。


このまま肉体を離れるのが正しい選択なんだろうなと思っていたにもかかわらず、なぜそうしなかったかという理由についてはひとつに、では、今終わりにして肉体を離れたら、次に行く世界はどんなのだろう、と思って、実際に見てみたということが挙げられます。

依然として見たいものが何でも瞬時に見ることができる状況にあった私の目の前に、その世界は現れました。

その世界には未来の世界を垣間見たときのような背景は存在しませんでした。

そこでは多くの人々が一応の個人としてのそれぞれの人格は保ちつつ、しかし輪郭においては定かでなく、他の人たちと渾然一体となって常に動き、形を変えながら気持ちよさそうにエネルギー全体としてたゆたっていました。

その世界を見たとき、私は、中に入ってしまえばいいところなんだろうけど、、、と思いましたが、自分がそこに入りたいという気持ちにはなりませんでした。

人格を保ったまま他の人々と輪郭が溶け合うということが生理的にいやでした。

その時肉体を離れなかったまた別の理由としては、そのときの自分は座ったままでどこへでも同時に行けたり、思ったことを鮮明に映像として見ることができたりと、それまでの日常の感覚とはあまりにかけ離れていたので、

わたしはもしや頭がおかしくなりかけていて、幻覚を見ているのではないだろうか?
という可能性を考えないわけにいかなかったことがあります。

その状態になる前には高熱と断水状態があったので、脳の機能に支障をきたしたのでは?と思いました。

ヨガとかの本に書いてあるような霊的な知識は当時の私にはまるでなかったので、私の体感は、これらのことはすべて真実だとはっきり告げていましたが、

自分はもしかして気が狂ったのかな?
と単純にそのような可能性も普通に考えました。

だから、ババが来て、「今、終わりにしてもいいけど、どうする?」と問いかけられたときに、
もしわたしが「はい、今、終わりにします」と答えたら、
そのとたんに今はまだ外界を認識できる感覚器官もその後はすべて閉じられ、
私は完全に気が狂い、外界との接触を失った状態で内にこもり、その状態でその後の人生を生き続けることもありえるのではないか、という発想が浮かびました。

もしそういう形での「終わり」だったら困るな、と思いました。
そしてそれは、案外的外れな考えではなかったのではないかと思います。

あとで本で読んで知ったことで、完全に神に没頭すると、外界への意識を完全に失い、そのままだと21日以内に肉体も死を迎えるという場合があるそうですので。

また、肉体を離れると決めて、つまりはもし私が肉体的に今死ぬと、周囲の人たちは絶対に悲しむだろうし、家族の人たちもあまりのショックで家族がむちゃくちゃになるだろう、と思いました。

私が今ここで肉体を離れることが霊的にはどんなに吉兆なことであったとしても、私の周囲の人たちに衝撃と悲しみを与えることは間違いないし、そういうことはしたくないと思いました。


そのことを思ったとき、そのときの私は何でも実現することができるのだから、「終わり方」も必要とあらば選べることに思い当たりました。

いくつかの方法が浮かんできました。

そのときの乗っている飛行機が日本についてみると私は死んでいた、とか、なぜか飛行機事故がおこり、飛行機が海に落ちて大騒動になる中、私だけが死亡。とか。

また、そもそもの始めから私はいなかったことにして、日本に着いてもみんな何が起こったか、誰が消えたかも気づかないまま元の日常に戻る、とか。(でも、自分がいなかったことにするこの案はなにか寂しいと思いました。)

だから、必要とあればそういう方法を取ることもできるし、私が肉体を去った後のほかの人々の反応を気にする必要もないし、そもそも世界そのものが虚構なんだから心配ない、とも思いました。


実際そのときの私は、自分自身のみが存在すると圧倒的に思い知らされ、意思するだけですぐにそのようになる、世界の脆弱な可塑性を痛いほど感じていました。
(最初のものめずらしさのあとは、そういうのは面白いものではなかったです)

もうひとつの宇宙を創造してしまった聖者の話があったかと思いますが、そのときの私はそういうことができたかもしれません。何を思おうと、それがただちにそうなる確信と実感がありました。
(しかしそこはうまくしたもので、そのときの私は何もやりたいことがありませんでした。)


そのように、世界はそもそも虚構に過ぎないので、世界の反応を気にする必要はない、という認識も私にありましたが、
それでもなお、何らかの形で周囲の人々が悲しむ可能性がある私の肉体的な死は、自分にとって好ましいとは思えませんでした。

私は単に狂っていて、さまざまな妄想の中にいるだけかもしれませんでしたし、
たとえ1パーセントでもそういう可能性を感じるなら、私は思い切れませんでした。


それに、霊性修行ツアーで、なにか事故のように私が突然死んでしまって、ツアーの関係者やほかの参加者がいやな思いを味わうかもしれないと考えるのも楽しくありませんでした。

それともうひとつ、大学寮の押入れの中にいろいろ詰め込んで旅行に出てきたので、
「私がもし旅行中に死んだら、あの雑然とした押入れを誰かが整理しなくてはならない。それはちょっと恥ずかしい。。。」
と、思いました。

案外この最後の理由が決定的だったと思います。


そういうわけで私は、いまだかつてなかった濃厚な思考の時間の後に、どっちにしようか本当にかなり迷ったのですが、

「(私を)元の世界に戻してください」

と、ババに告げました。


そうして私の意識はいつの間にか遠のき、充実した闇の中へいつしかすべてが溶け込み、溶け込んだことにすら気づきませんでした。

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【2011/01/07 12:53】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイババ体験談⑧
何もすることがなくなっても私は相変わらず超絶的な状態のままで、それはゆるぎそうになくて、いよいよ、困ったなあ、と思いました。

それまでの21年間の人生においては私は「宇宙意識」と中学生のころから呼んでいた、ある無形の意識に私のすべてをやらせていたので、自ら考えて何かをしなくてはいけない状況を避けることが出来ていました。

表面上は私が考えて行動したように見えることでも、私の内面においては宇宙意識がすべての原動力で、その力の流れる方へと、行くべき方向は自然に決まっていったのでした。

しかしここにきて、私がいくら今までのように宇宙意識に自らを導かせようと試みても、もう、何の流れも方向性もありませんでした。
そして私は、鏡のように動かず静まり返った心の水面を眺めて、そこに波紋が生じてわたしの行くべき方向が示されることをいつまでも念じていました。

そしてそれは示されませんでした。
私のマインドはべたなぎでした。

今思うに、そのとき私は宇宙意識そのものになってしまっていたので、私から離れて私を導くものやたどり着くべき状態はもう存在していなかったのだと思います。

でもその時の私は、それまでの人生で有効だった、導きを受ける態度をいまだにに繰り返し、試み続けていました。

そしてやはり何も動きませんでした。
私は変わらずそんな超越状態にあり、こまったな、どうしよう、と、思い続けていました。


そんな風に集中しても何も導きが得られずいやになった時、私は心の中で瞬間的に強く
「わー!もう!」と思ったりしました。



すると奇妙なことに気がつきました。

私が瞬間的に「わー!」と心の中で思うと、2つ右隣に座っている錯乱した女性が私とほぼ同時に「わー!」と実際に叫ぶのです。

多分、パカッと頭が開いておかしくなったもの同士、意識を隔てるものがなくなって、繋がっていたのだと思います。


私が心の中で「わー!」と怒鳴ると、その女性は実際に声に出して「わー!」と怒鳴るので、女性の両隣の世話係の人たちは、女性に「落ち着いて、落ち着いて、」などと言っていました。

私はその言葉を聴いて、そうだ、落ち着こう、とか思いました。

表面上は私は静かに座っていたのですが、わたしの内面はそのように爆発したままでした。

錯乱した女性が私の代わりに発言してくれて、その両隣の世話係が色々適切な言葉をその女性にかけてくれていたので、私は女性を通して世話係の人たちからなぐさめやアイデアなどの恩恵を得ることが出来ました。


そのように女性を通して間接的に世話係に相手をしてもらっている中で、私は考え続け、

「あー、もう何がなんだか分からない!」
と心の中で強く思いました。

すると錯乱した女性は私が思ったとおりに、

「あーもう、何がなんだか分からないわー!」
とか、そういうことを言いました。

それを聞いた彼女の両隣の世話係のうちのどちらかが、

「そういう時はババを呼んで、どうしたらいいか聞いてみたら?」
と、そういうことを言いました。



私は、そうか、その手があったか、と思いました。

どうにかせねばと沈思黙考しつづけているもののお手上げの中で与えられた「ババを呼んでみる」というアイデアだったので、私はすぐに実行してみました。

前述のように、この状態に切り替わってからは周囲の人々が重みと実体を持たなくなったので、周囲の人々に話しかけて意見やアドバイスを求める発想ははなから起きませんでした。

それはまるで自分と無関係に話し、動き続けるテレビ画面の中のドラマの登場人物に話しかけて意見を求めるような無意味なことでした。

私が舞台上で劇を演じ続ける人たちと交わるには私も何らかの役柄になりきって、その劇中のセリフとして話をする必要がありました。
しかし劇を演じているときには舞台の外のことについて話すことはできないジレンマもあったと思います。


「ババを呼んでみたら?」という言葉を耳にしたとき、私はババなら通じ合えるかもと思いました。
ババは、このような状態のときに私が知っている、話が可能な唯一の人と思われました。


ババのような人には、なにも言わなくてもこのような私の状態はすでに理解されているだろうと思われたのです。


「ババなら」と私は思い、心の中で大声で「ババ!!」と呼びかけました。

すると目の前の空間(思ったものが出現する空間。視覚的には機内の光景と2重映しのように重なって同時に見えました。しかし、その映像は肉眼で見るように非常にはっきり見えました)を、猛烈な速さで飛びまわる無数の存在、もしくは気配が感じられました。

それがババだということは分かったのですが、あまりの速さに、その姿をとらえることができませんでした。
また、その飛び回る個体数も無数のようでした。

「これは光の速さだ」という思いがよぎり、しかしこれでは話をすることができないので、さらにこちらにババの注意を引こうと思って、再度

「ババ!!」
と心の中で呼びかけてみました。


するとさっきまでは単なる猛スピードで飛びまわる気配に過ぎなかったものが、とても小さなババの姿として認識できるようになりました。

小さなたくさんのババたちは、右へ左へと相変わらず大急ぎでちょこまかと走り回っていました。

さきほどに比べると目で追える分、いくらかペースダウンしたようでした。

「これは音の速さだ」とい認識がまた、どこからともなくやってきました。

しかしそれでもまだ速すぎて話ができる状態ではなかったので、さらなるペースダウンとこちらへの注目を期待してもう一度「ババ!!」と呼びかけました。


するとあっけなく,サティアサイババまさにそのひとがすぐ目の前に静止して立っていました。そして私がそれに反応するよりも早く、彼は言いました。

「お前はもうこの人生でやることは残っていないから、今終わりにしてもいいけど、どうする?」



私はそれを聞いて、「ああ、やっぱり」と思いました。

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【2011/01/06 01:55】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(7) |
サイババ体験談⑦
その頃、空港ロビーではまたちょっとした騒ぎが起こっていたと後で聞きました。

聞いたところによると、同じツアーの参加者の別の女性が錯乱して騒いだあと、空港のトイレに閉じこもったところを力づくで引っ張りだされたりしていたそうです。

私も「おかしくなった人」だったので、飛行機の機内ではその彼女とまとめて近くに座らされました。

飛行機の中では通路に挟まれた中央の席の、4つ並んだ左端に座らされました。
私の右には世話する係りの人が、その右には空港のトイレから連れ出された錯乱した女性が、そしてその隣の右端の席には世話係がもう一人座りました。

このように、わたしを含めたおかしくなった人たちと2人の世話係が交互に並んで横一列に座りました。

錯乱した女性はずっと何かをつぶやいていたり、時には大きな声を上げたりしていました。


私が席に着くと、少し離れた席に座っていた母はどこからか毛布をたくさん集めてきて、座った私の膝の上にたたんだままで10枚以上もうずたかく積み上げました。
暖かくしてやろうと思ったのかもしれません。

私は席について、さあ、この状態をどうしたものか、と、目をつぶって考えていました。

飛行機は日本に向かって飛び立ちましたが、わたしのその状態は日本でもとの生活に戻れるようなものではなかったからです。
そして、私のその開ききった状態から通常の個人として機能する状態へと自然に戻る様子はまったくありませんでした。

私は日本帰国後にすでに予定を入れてあった寿司屋のアルバイトのことなどをなんとなく思いました。
こんな状態じゃあ、アルバイトは、出来ないなあ、、、と。

そして、どうにもならないと知りながらもどうすべきかとずっと考えていました。

じきに機内食が配られました。
肉体は限界を超えていて、のどはすごく渇いていたはずでしたが、機内食を見てもその食事を飲み食いするという行為の外に私はいたため、私は無意味にそれを眺めることしか出来ませんでした。

食べるとか飲むとかいう発想が全く湧きませんでした。
私はそれらの行為と全く無関係でした。


気がつくと、呼吸もしていないようでした。

それに気づいた私は、呼吸をしないとまずいだろう、と思ったので、意識的に吸ったり吐いたりして、体内に空気を出し入れしてみました。
しかし「今後どうすべきか」という考えに気をとられると、また、呼吸は止まっていました。

多分、そういう時は呼吸は必要ないんだろうと思います。
あるいは、今思うと、止まっているかのように遅い呼吸になっていたのかもしれません。


飛行機に乗り込んで、目の前の食事と自分との関連性も見出せず、呼吸も止まったようになっていた私は、さらに自分の状態を確かめてみようとしました。

空港で、思った瞬間に手から花のにおいがしてきたことから、思考が瞬時に現実化する状態にあるみたいだとは薄々気づいていたので、何か見ようと思えば何でも見れるんだろうと思い、いくつか試してみました。

とはいっても、特に見たいものややりたいこともなかったのですが、自分の状態を確認するために、何か見てみようとあえて考え出した感じでした。

漠然と、ミクロの世界、と思うと、それが一体何なのかはよくわかりませんでしたが、目の前の機内の暗がりの中に、機内の風景と2重映しのように、顕微鏡で植物の細胞を見たときのような画像が浮かび上がり、極微の世界における営みが動く画像として目の前に繰り広げられました。

さらに小さな世界を思えばズームアップできたでしょうし、具体的に、見る対象をもっと限定して思えばそれに従ったものが現れたはずだと思いますが、そのときの自分はとくに見たいものもしたいこともなかったので、それ以上は突き詰めず、単に「ミクロの世界」という思考によって現れたその画像を見てもう満足しました。

次に、ミクロとくればマクロだろう、と思い、もっと引いた映像を見ようと思いました。

すると、白い雲がかかった青くかがやく地球が暗黒の宇宙空間に浮かんで目の前に現れました。


全ては、見ようと思うその思いが形作られるやいなや一秒も間をあけずに現れるので、思考の出現とそれによるそれらの映像の出現はほとんど同時でした。

しかしこの時は奇妙なことに、その地球は見ている間に溶けたチーズのようにやわらかくなり、左右に伸びて2つの地球に分裂しました。

それと同時に巨大な網のようなもので、人々がふるいにかけられている映像が浮かびました。
網の目を通って下にばらばらと落ちていく人たちは2つに分かれたうちの右の地球に住むことになり、網の目から落ちずに留まった人々は左の地球に住むことになるようでした。

私は、自分の友人知人たちはこれらの人々の中でどこにいるのだろう、と、その映像の中に探してみました。私の知人たちのうち、1人だけ、網から落ちてしまったのが見えました。
その人以外は網の上に残り、左の地球の住人になるようでした。

私は、次は未来の世界も見てみよう、と思いました。

これもまた漠然と「未来」と思っただけで、どのくらい未来かなどの詳細は限定しませんでした。

私が「未来」と思うと、飛行機の座席に座りながらも別の私が座っている私の中から歩き出して、時空のトンネルのような暗い通路を通り抜けました。

その通路を通り抜けている時は、壁が床になったり、一瞬前に天井だったところを次の瞬間には歩いていたりと、上下左右が定まっていませんでした。

しかしとにかくその通路をもう一人の私は歩いて通り抜け、通路を抜けた先に出ました。

そこには光にあふれた明るい光景が広がっていました。


「未来」と思ったとき、私はかすかに、高層の建物が林立する未来都市をイメージしていたのですが、時空の通路を抜けて私がたどりついた未来で目にしたものは、意外にも、やわらかな起伏のある、みずみずしい緑の草の広がる草原でした。

草原の中には木立のあるところもありました。
素朴な石造りの、壁はなく、柱だけで天井が支えられている、戸外の空気が自由に出入りできる風通しのいい建物が点在していました。  

人々は昔のギリシャ神話に出てくる神々のような、白い、ゆったりとした布の服を一枚身にまとい、おだやかにくつろいでいました。

暑くもなく、寒くもなく、心地よい光に満ちたこの世界には、電化製品や高層ビルのような無機質な人工物は見当たらず、そのあまりにもシンプルで自然な光景は、少なくとも私には予想外でした。


このように、機内の座席に座って機内の情景を肉眼で見ている私が存在するのと同時に、無数の別の私が座っている私から現れ出て、それぞれに行きたい場所に行って、それぞれが個別に体験を得ていました。

そしてそれらの分身とその体験の数々はすべて機内に座っている私に帰属していて、私から出て行き、私に戻ってきていました。


すごい状態だな、と、座席に座った本体の私は半ばあきれてその自分の状態を客観視していました。

座席に座っていると同時にいくつもの私がいろんなところに行って、いろんな体験をしていました。
すべてを同時に感じられ、同時に見ることができました。

でも、私は単にそこに座っていたのです。

ずっと何年も後で、「時間も空間も超えている」というフレーズはよく聞くけど、具体的にはあれはそれだったんだな、と思いました。

そんな風に、そのときの超越的な意識状態というものはどんなものなのか、というのを、しばらくの間、自分でいろいろ試みて調べてみていました。


しかし何しろ、何を見ようとしてもやろうとしても瞬間的に実現するのでほとんど時間もかからず、何をどう試みるかというのはあっという間にネタ切れになりました。

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【2011/01/05 14:39】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイババ体験談⑥
私がそのように突然パチンと切り替わった時、周囲の人々は心配して、気功のできる何人もが手をかざして気を送ってくれたりしました。

というのは、私はシビレてしまって、床に座り込んでほほえんでいたからです。
つまり、おかしな病気になってしまったと、みんな思ったのでした。

私も、周りの人たちに「ちょっと具合が悪くなって」などと言いました。
でも、至福で頭はパカっと開いていました。

みんなを心配させて、手をかざしてもらって(もちろん必要なかったのですが)ほほえむ私を見て、母は恥ずかしさのあまり、「女王様じゃないんだから!」と怒っていました。

私が何らかの理由で自分を責めるあまり精神に支障をきたしたと判断したある人は、
「大丈夫、あなたはいい子よ!」と声をかけ、わたしを安心させようとしていました。

私はそれらの人々の織りなす光景を見て、それぞれの人に心から愛しさと理解を感じていました。


そしてそういう多少騒然とした時間がしばらく流れ、わたしは「えらいことになったなー」と思いながらも、こういう状態の時って、なんでも実現するんじゃないかな、と、ふと思いついて、

「こういう時って、手からジャスミンの香りがするんじゃないかな?」
と思いました。

するとそう思い終わらないうちにもう、手からジャスミンの香りが漂いました。

それが私だけの妄想かどうか確認しようと思って、

「自分は時々手からジャスミンの花の香りがする」
と、ツアー中に私に打ち明け話的に話してきた人を呼んで、何も言わずにその人の前に手のひらを上に向けて差し出してみました。

するとその人はその香りに気がついたようで、私の手をパチンとたたいて、
「あなた、すごいじゃない!」と言いました。

あ、ほんとに香りがしてるんだ、と思い、私だけの妄想じゃないならこういう状態になるのはきっとめでたいことだろうし、私が参加したのは霊性修行ツアーだし、
朗報としてツアーの責任者に報告するべきだなという生真面目な考えが浮かびました。


そこで、ツアーの責任者と思われる人を呼んでほしいと私の周囲の人に頼みました。

すると責任者の方から、私をその人のところに連れてくるようにと言ったようで、私は何人かに脇を支えられてその人のところに連れて行かれました。


私はなんと説明していいか分からなかったので、さっきの人にしたように、また、その人の前に無言で手を差し出しました。
するとその人も、さっきの人と同じように私の手のひらをパチンとたたいて

「ああ、いい匂いだ。さあ、一人で歩きなさい」と言いました。

そして、私をそこまで連れてきた人たちに、私に触らないように、と指示を出しました。
私は一人になりたかったので、そういって人を払ってもらえてありがたかったです。


しかし突然のエネルギー全開状態によるシビレがあったので、歩けるのかな?と一瞬心配しましたが、ゆっくり歩いてみると歩けました。

一人になると少し余裕も出て、こんな状態でエゴに基づいたよからぬことを考えるとどうなるのかな?と思って試してみましたが、まるで巨大な滝の流れに細い棒を水平に差し込むかのごとく、
あっというまに押し流されてバラバラになってしまい、よからぬ考えは一瞬も姿をとどめませんでした。

実際、考えが形をとることすらできませんでした。

「わー、考えられないー。」と、喜んで、しばらくそれで遊びました。



当時、空港の建物から飛行機までは徒歩で歩いて移動する必要がありました。

私は建物から出て、ゆっくり一歩ずつ、夜の空港の広大な敷地内を飛行機に向かって一人で歩きました。

寒くはなかったのですが、なにか心もとなかったのか、自分の体を自分で抱きしめながら歩きました。
そして、生命に満ちた生ぬるい夜風を肌に感じていました。

遠くにヤシの木のシルエットが影絵のように美しく並んで見え、
黄色い暖かそうな灯りも遠くに間隔をあけて並んで見えました。

見上げると無数の星がそれぞれの位置でまたたいていました。

私は歩きながら、生ぬるい風に心臓が底から丸ごとすくいとられて、
千切れて飛ばされてしまいそうな強い圧力としめつけを感じました。

肌触り、目で見える風景、なにもかもがいちいち甘い哀しみとともに痛いほどに強く胸を打ちました。

この特殊な切ないような感覚、これはいったい何なんだろう、これは覚えておかなくてはならない、という気が強くして、しばらく立ち止まって、その感覚を全身に沁みこませて記憶させました。


あとで、あの感覚はそのとき私が風景の全てとつながっていて、全てを自分の内側に感じ、一つ一つを狂おしく愛していた感覚だったんだろうと思いました。



飛行機へ向かっているとき、このまま日本に帰っても普通の生活には戻れないし、霊媒師とかになるしかないんじゃないか?とか思っていました。
こういう、ちょっと変になっちゃった人の仕事というと霊媒師くらいしか思いつかなかったのでした。

なので、ちょっと困ったな、とも思っていました。
私が元の生活に戻れないことで起こるであろう周囲の人々の戸惑いを思うとめんどうでした。


そのように、ちょっと困りつつ、飛行機に乗り込みました。

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【2011/01/04 13:48】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイババ体験談⑤
チェックインもセキュリティチェックも終え、ロビーで機内への搭乗を待つばかりになった私たちの上にアナウンスの声が流れました。

それは、わたしたちが乗るはずの飛行機の到着の遅れを告げるアナウンスでした。
早朝から起きていてすでにくたくたに疲労困憊していたツアーの人々の間から怒りの声が口々に上がりました。

私はというと、ツアー前に見たインドが舞台の日本映画で、同じように飛行機の遅れで人々が不満を漏らすシーンがあったので、あれと同じだーと、かすかに愉快に思いました。

それと同時にババが気の毒になりました。
プッタパルティでは来る日も来る日も毎朝毎夕ババは休むことなく集まった群衆にダルシャンを与え続けていて、そのことだけとってみてもすごいことですが、

プッタパルティではツアーの人たちもそれによく応えてみんながそれぞれ善くあろうと必死でした。

ババに集中し、自ら進んで公共の場の掃除をしたり、忙しいスケジュールの合間を縫ってキャンティーンセバをしたり。

そしてダルシャンではみんな神の愛の中で美しい涙をとめどなく流していました。
みんなが奇跡の時を共有し、幸福に満ちあふれていました。

ところが車でわずか数時間プッタパルティから離れ、まだインドから飛び立ってもいないのに、たかが飛行機が1~2時間遅れると聞いただけで同じ人々がすっかり態度を変えて不満を口にしていたので、気持ちが高揚したままだった私は、

「プッタパルティでババが人々に与えたものはどこに行ってしまったんだろう?」
という感じがして、部外者の視点から、少なからず驚きました。

そして自らを人々に与え続け、今もプッタパルティで常に与え続けているババが、
ツアーの人々が空港であっさり個人性を表して不満を口に出して怒っているこの状況をプッタパルティから見ていて、がっくりして悲しんでいる様子が見えたように思いました。

そんな、人々に惜しみなく与えた自らのエネルギーが無駄になったのを見てがっかりした孤高のババを思うと、ひどく気の毒に思えて、同情のあまり胸が強く痛みました。



突然、私の中で全てが切り替わったのはその時でした。

その瞬間、「ああ、やっちゃった」と思いました。


自分を縛り、守ってもいた個人性のようなものが壊れてしまって、もう元には戻れない感覚がありました。
それと同時に「ああ、やっと」という、長い道のりの末にゴールにたどり着いたときの安堵感がありました。

全てが自分の中で了承されていましたが、あまりの突然の出来事に驚いてもいました。


大量の光の滝の中で私は身動きもできず、ただそれを浴びて一体化していました。
わたしという個人性はその光の圧倒的な流れの中で機能できなくなっていました。

同時にそれまでの私という個人が体験したストーリーの各場面が次々とフラッシュバックしました。
人生の全ての出来事はこの瞬間のために張られた伏線で、今、まさに最後のその場面にたどり着き、その全容が明らかにされ、俯瞰されていました。


わたしは、あー、はめられた、みんなぐる(共謀者)だったんだ。知らなかったのは自分だけだったんだ。と思いました。

私の人生における全ての場面の登場人物たちは私をあざむくために共謀して演技をしていたのでした。
やられたなー、と思いました。だまされていたことにこのとき気がつきました。

まるでみんなでよってたかって一人をだまして、最後に看板を持った人が出てきてネタばらしをするテレビ番組のようでした。
全部が全部、この最後のネタばらしの瞬間へ至り笑うための複線でした。


そのようにして私は突然世界という舞台から降ろされたのでした。
驚愕の真実。しかし全ては了承されていました。

微動だにできない強烈な至福ととどまることを知らない愛が私から全てへ放射されていました。
と同時に、私は完全に一人でした。

なぜなら、演劇の舞台の外へと放り出された私の周りで人々は変わらず劇の役柄を演じ続けていたからです。
やめさせられたのは私だけでした。

ですから、自分の状態を周囲の人に伝えて共感を得るという発想は起きませんでした。
人々はまるでテレビの画面の中の画像のように、見て認識は出来るけれどそれそのものとしての実体の無いものでした。

そして私はテレビのこちら側で一人座って、移り変わり変化する映像を眺めているかのようでした。
私は一人でした。そして全てでした。

「本当は自分しかないんだ」という状態は、至福と同時に猛烈な哀しみでした。
それまでにそんな絶望的で甘美で圧倒的な哀しみは知りませんでした。

そのどうしようもない孤独を思うと、いまでも泣けてきます。
全部、自作自演でした。

神は、体の各部分にそれぞれ名前をつけて、独立した人格があるかのように一人でごっこ遊びをしている絶対的に孤独な、永遠に孤独な存在でした。

それは孤高、と言われるべきものなのかもしれませんが、私がそれを思うとき、その孤独はあまりにも絶望的なので哀しみを強く感じるのです。


それは、この体験をした当時の若い私が、人生に現れたすべての人々を個別の人々として愛し、楽しんでいたからかもしれません。
当時の私は自分個人がなく、すべての人の中に容易に溶け込むことができ、そのような形ですべての人と調和し、世界の人々との一体感の喜びの中にいたからです。

ですから、この体験の中ですべての他人が実体性を失い、逆にすべてが私で、私以外に何も存在しないという体験は、文字通り世界がぐるりと裏返り、愛してそこから喜びを得ていた世界が突然全て失われた体験でもありました。


それはかなりの衝撃でした。
それと同時に、私は完全にすべてを了承してもいました。


私は、全てを知ってる状態、全てをわかってる状態というのは疑問がない状態なんだな、と、その時思いました。

知識が増えたとかいうのではなくて、根本的に全てが了承されているという状態でした。
そしてこの状態というのは、もともと知っているものでした。


長い旅路の末にやっとたどり着いた我が家、といった感じで、既知のものだからこそ、そうなった時にそれとわかったのでした。

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【2011/01/03 21:13】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(1) |
サイババ体験談④
ツアーのインド滞在最終日は忙しくて、私は水を飲んだり買ったりするヒマもありませんでした。

泊まっていた部屋の掃除をして、とにかくみんなに遅れないように荷物を持ってバスに乗り込んで一息つくと、手持の水がペットボトルの底に1~2センチほどしか残っていないことに気がつきました。

これではその後数時間のバスの移動中の飲料水2人分(母と私)としてはとても足りないし、その時点ですでに私は何時間も水分を口にしていなくて、しかも高熱と下痢と生理3日目の状態でしたから、水分補給は絶対必要でした。

母に、バスを降りて、近くの売店で水を買ってくると言うと、

「降りてる間にバスが出てしまったらどうするの」
と、止められました。
一人で数本のペットボトルの水を持っている人が同じバスに乗っていたので、通路側に座っている母に

「じゃあ、誰かに言って水を分けてもらって」
と言うと、

「あんたの方が他の人と仲がいいからあんたがもらって」と言われました。


何か変だな、とはツアー中にずっと感じていたのですが、私はもうずっと寮生活をしていて実家にはほんのたまにしか帰っていなかったので、違和感はそのせいだろうと漠然と思っていました。

また、久しぶりに行動をともにする母が何となく重く感じて、ツアー中もあえて距離をとったりもしていました。

しかしアシュラムを去る時になって、どうやらちょっと母は精神のバランスを崩しているらしい、と感じました。
ツアー中も突拍子もない言動が見受けられたのですが、もともと昔から「変わったお母さんだね」と言われることも少なくなかったので、あまり気にしていませんでした。

この時の母は自分の世界と他人の世界との折り合いがつけられず、閉じた自分の世界の中で苦しんでいるように見えました。

私は、今私が「そう?」と言って、ほかの誰かに水をもらいに行くと、私と母の間にあるつながりが切れて、取り残された母は完全に独りの狂気の世界に住むようになってしまうような気がしました。

そしてそういう状態は避けなければいけないと感じました。


なので私は水を買いにも出ず、誰にももらわず、そのまま窓側の座席に座っていました。
そしてバスは間もなく発車しました。

母は
「のどが乾いたー」「のどが乾いたー」と言っていました。

手持のペットボトルの底に残った水を
「飲んでいいよ」
と私が言うと、母は

「いいの?」
と言って飲み干しました。

私が知っていた、常に子供たちに献身的な母はそこにはいないと知って、また、私は大学に入るまでは母子関係がすごく密接だったものですから(多分共依存。私は家を出て晴れ晴れしてたのですが、母は寂しかったようです)、少しショックを受けました。


母はその後もまだ「のどが渇いた」と言っていて水分が足りなさそうでしたが、手持の水はもうないので、その後は私も母も黙ってバスに揺られていました。

スムーズに走れば4時間半ほどでバスは空港に着く予定でしたが、この時は途中で故障があったかなにかで遅れて、6時間以上バスに乗っていたと思います。

私の身体は空港に着く前に脱水症状で限界が来ていました。
吸い込む空気は燃えるように熱く、呼吸のたびに肺を焦がしました。
あー、これはほんとヤバイなーと思いました。
そのまま何も手を打たないことの先には確実に肉体の死が来るのを感じました。

しばらく、ヤバイな、ヤバイな、と思ったのですが、そのうち、もういいや、とあきらめて気分が落ち着きました。
そしてバスの車窓から暗やみに流れ去る、街のいろんな色の温かな光を眺めていました。


窓の外を眺めながら、実家の他の家族たちは母のこの状態を知っていて、私に知らせなかったのだろうか、とか、日本に帰ったら大学を休学して実家に戻るべきだろうか、など、とりとめなく思いをめぐらせていました。

自分が家を出て青春を謳歌している間に母が精神を病んだという認識(それが果たして事実だったかどうかはいまだに分かりませんが)は私にとって、とてもショックでした。

夜更けにようやくバスはバンガロール空港に到着し(プッタパルティを出たのが午後3時か4時ごろで、空港到着は午後10時を過ぎていたように思います)、みんなまず空港で何か飲み物を買い求めたと思います。

ところが夜遅かったからか、ミネラルウォーターを売っているはずの売店は閉まっていて、コーラなどの炭酸飲料しか手に入りませんでした。

わたしはやっと水分が取れると思って、コーラのビンを持ち、ストローで飲もうとしましたが、のどが渇きすぎていたからか、炭酸の泡がのどにつかえて一口も飲むことができませんでした。

「もういいや。」
と思って母に持っていたコーラをあげると、母は
「いいの?」
と、2本目を飲み干しました。

トイレに行って、鏡で自分のげっそりした顔を見て、「私はどうなってしまうんだろう?」と思いました。


1995年当時のバンガロール空港は今の新空港と違ってこじんまりしていました。
私たちが空港内にいたときにはしばらく停電にもなりました。


私は肉体を維持する生存本能をあきらめて、意識はますます軽やかさを増していました。


母の分の荷物も肩に担いでチェックインしに行きました。

しかし体力的にはすでに限界できつかったので、ツアー参加者の中にエネルギーの高い澄んだ人を見つけてそばに行き、その人のバイブレーションに共鳴することでエネルギーチャージをして、気を取り直してチェックインの列に並びなおしたりしました。

そうこうしているうちに、ふいに、インドに来る前に日本で読んだ新聞記事のことが思い出されました。
その記事は更年期障害によるうつ病に関してのものでした。

そのとき突然私の中で母の状態がストンと腑に落ちました。



あ、あれか、と。




その瞬間までは母の状態に関して、「なぜこんなことに?」とどこかで問い続ける自分がいたのですが、その記事を思い出したことにより納得がいき、とにかく気持ちの整理がついた私は同時に母と自分のすべてをその関係性も含めて全部受け入れて愛しているような状態になり、私の意識をさえぎる影がすべて消えました。


そして完全に幸福であらゆる影の消えた、とどこおりのない私がそこにいました。

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

【2011/01/03 15:02】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイババ体験談③
ダルシャン中には何度か印象深い出来事もありました。
ダルシャンを与えているババを見ていると、「私が帰依者だ」という言葉がどこからか私の脳裏に浮かび上がってきて、それと同時に非常に深い会得した心理状態になりました。

しかしその時、私は「帰依者」という言葉の意味を知らず、後でそれが何を意味するのか知りました。


また、ダルシャンの前に長時間座っている時、風に揺れる木々の葉を眺めていると、

「愛とは、深く、静かで、(もうひとつは失念しました)なものだ」
という言葉が突然やってきたりしました。

そのように、言葉がそれ自体が持つバイブレーションとともに突然自分の中に現れて、その言葉そのものを体感する、ということは私にはめずらしかったので、ここは不思議なところだなあ、と思いました。


ダルシャン中に、ババがふと歩みを止めて、数メートル離れたところからこちらを凝視したことがありました。
3~5秒くらいだったのではないかと思いますが、ずいぶん長く感じられて、目をそらすにそらせず、間が持たない感じがしてババと目を合わせたまま心の中でわたしはそわそわし始めました。

なので、その時私はニコッと作り笑いをしてほほ笑んでみました。
するとその瞬間ババはサッと視線をはずしました。

ババが視線をはずした瞬間、愛の固まりのような強いエネルギーが飛んできて自分にガツンとぶつかったような強いショックをうけました。

そのようなほとんど物理的といえるほどの激しい衝撃を受けて、私は驚きとともにわけもわからず大量の涙を心地よく流していました。



音楽祭を主催した国々だけが、シャッターを閉めたプールナチャンドラホールの中で特別にダルシャンを与えられた日があり、日本もその中に入っていたので、その時は間近でダルシャンを受けることができました。

しかしその時は、ババの目を私は見ることができませんでした。

その時のババの小柄な肉体の向こうに大型肉食恐竜のような圧倒的に巨大なエネルギーの存在を感じ、
ババの目という窓を通してそれを見てしまうのが恐ろしかったからです。

それは本能的な恐れでした。


過酷な気候とハードスケジュールに、多くの人が体調を崩していました。

私もツアー日程の後半には高熱を出し、下痢もしていました。
おまけに滞在終了3日前から生理にもなっていました。

下痢の時は固形物をとらず、水やジュースだけを摂取するようにという、ツアー参加者の誰かのアドバイスに従い、3日間水やジュースだけを摂取して過ごしました。
そうすると、とにかく体は軽くなり、気分はますます高揚していきました。

私は高熱や下痢でも気分がよかったので、バジャンもダルシャンも休まずに参加して、毎日のハードスケジュールを全てこなしていました。

光と愛にあふれた高揚した精神状態は日を追うごとに高まり、プッタパルティ滞在最後の夜にはこれまでの人生で自分が疑問とも思っていなかった事柄(なぜ子供のころにぜんぜんしゃべらなかったのかなど)に関する答えや、それらの意味が次々と脳裏に訪れ、それらがあらわれ続けるのを冴えた意識で眺めているうちに滞在最終日の朝になりました。


一方で、これは私にとって初めてのインドでしたから、どこもかしこも病原菌だらけに思え、何を触ってもものすごく不潔な感じがして、わたしはその不潔さをすごく恐れていました。

そんな衛生状態の悪さを恐れる心境の中、アシュラム滞在の最終日に何かのトゲが足の裏に刺さりました。

トゲを抜いても痛くて、足の裏をちゃんと床につけて歩くことができませんでした。
そしてそれ以上に、傷口から何か強烈なバイ菌が入って、ひどく化膿したり悲惨な病気に発展するんじゃないかと思い、心配になりました。

しかし数秒後にはそれらの恐れが勢いよく反転し、その状況を完全受容し、足の裏の痛みがむしろ特上の甘さに感じられるようになった自分がそこにいました。
幸福感が増してはちきれんばかりでした。何を見ても聞いても話しても幸福の光の中にあるような、心が開ききった状態になりました。

そのように、インドの衛生状態の悪さに対する恐れが最終日に消えました。


アシュラム滞在の最終日かその前日あたりに、グループインタビューがあったと思います。
日本人はバジャンホールの建物の中にみんな入れてもらいました。

ババはひとりひとりの間を通って袋入りのビブーティーをいくつかずつ全員に手渡してくれました。

その後ババはホールの前に戻り、だれかと話をしたり、指輪を物質化したり、その指輪の石の色を変えたりしていました。

みんな、ババとともに過ごすその貴重な瞬間を楽しんで大いに盛り上がっていました。

しかしその時なぜか私は全員が注目しているババに対する特別な興味が湧かず、惹きつけられない、一種浮遊した心理状態で、横にいた赤ん坊に神聖さを感じて惹きつけられて眺めていました。

女性にはサリーが配られ、思いがけないババからのプレゼントにみんな幸せそのものでした。
その時、それまでに毎日みんなで練習してきていた日本語のバジャンをババに捧げました。

インタビューが終わってもなお全員が、自分たちに与えられたすばらしい幸運に陶酔したままでした。

そのようにして、ハードではあったけれど充実したアシュラム滞在の日々が終了しました。

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

【2011/01/03 01:14】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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