スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
チェンナイからプッタへ③
なんだっけ、チェンナイの続きでした。

スンダラム(チェンナイにあるサイババアシュラム、と言っていいのかな?)の祭壇の中央に飾られてるサイババの写真は、むかし、実家に飾りたいと思ってたほぼ等身大のサイババの写真のでっかい版でした。

あれはコダイカナルでの写真なのかな?

なんか、自然の中で静かにたたずんでるようなババの写真が気に入って、実家に買って帰ったんだけど、残念ながら飾るの拒否られたので、
知り合いの整体の先生にあげました。

家まで取りに来てくれて喜んでくれてたのでよかったです。

その思い出の写真のでっかい版が、スンダラムに飾られていて、
私はチェンナイってなんか疲れるし、合わないと思ったのですが、意外にシンクロしてるなと思いました。

ちなみに横浜の家も家中でっかいサイババの写真だらけにしてたんですが、
(赤ちゃん連れで大荷物の上に木のパネル張りの写真を何枚もインドから持ち帰ったのでスーツケース50~60キロくらいだった。手荷物は冗談抜きで20キロくらい。1歳未満の赤子とベビーカーもあるので一人では動けないので、そのつど、そこらへんにいる見知らぬ人に助けてもらった。バンガロールの空港の職員優しくて、荷物重量オーバーだったけど「心配しないで、マム」とかいって、そのまま通してくれました。)

6年前にインドに来て、11ヶ月目で一時帰国したら全部処分されてて残念でした。
きっと欲しい人いただろうになと思って。

そうだ、今日も一枚大きいサイババの写真壁に取り付けたんでした。笑

P6193088.jpg


こんなかんじで。スンダラムではこの写真と同じ写真からもビブーティーがでてました。

P6193087.jpg


一応、場のエネルギー調整の感覚でやってるんですが。



スンダラムの本屋に戻ると、買った写真を頑丈にパッキングしてくれました。

プッタでは売ってない、マニアックなヴェーダばかりが収録されたチェンナイ限定CDを発見したので、かなり嬉しくて、在リシケシ10数年のヴェーダマニアの知人(石垣島とかでアシュラム開こうかなとかいってるけど、宿屋になりそうな気がする。笑)が来たら1枚あげようと思って、うきうきしながら2枚買いました。

その中に、おばあちゃん先生が私がチェンナイに来るたびに、「あんたはこれをやれ」「これをやらないかん」と言ってたのもありました。
ようやく名前を覚えられた。
チャトゥルヴェーダパーラーヤナ。
なんかよくわかんないけど、あ、これだ~!と思い出せました。

P6173083_convert_20120620042845.jpg


スンダラムの前で。門の上部にぶらさがってるのは吉祥のマンゴーの葉っぱです。マンゴーの木はホーマムでもよく好んで使われてると思う。

P6173081_convert_20120620042734.jpg


こないだのプログラムでもらったサリーが活躍。実はこの日睡眠時間3時間で少し疲れぎみ。
向うの2階のバルコニーに姿を見せたサイババの姿の記憶があるような気がするんだけど、じっさい見たんだっけ?夢か現実かわかりません。


で、タクシーに乗って、資産家といううわさのRさんちに戻りました。
ご飯食べてってと言われてたので。

お坊さんたちのレクチャーのとこに戻ったら、部屋の外のテラスでホームホーマムの実演を、説明しながらやってました

そのしぐさの意味とか、説明しながらだったのですごい面白かったです。
内容は忘れちゃったけど。

たとえば、最後のアルティの火を、私たちを守ってください、みたいな願いをこめて自分のほうにもってくるしぐさをするとか、そういうのをいちいち説明してくれてました。

基本タミル語なんだけど、ここらへんの人って英語と現地語が半々くらいに入れ替わったりするので、聞いててもなんとなくわかる。

そんで、時々ヴェーダもホーマムとともにみんなで唱えたりしてて、私も一緒に唱えさせてもらって楽しかったです。

で、最後のアルティになって、みんな地面に礼拝して、私もしたんですが、
その後?だったか、聖水がみんなにぶっ掛けられたり、クムクムとかくばられたり、黒いインクが配られたり、甘いプラサードが配られたり、飲むために聖水が配られたりと、
シメに入ったんですが、メインの坊さんに前に来いとか呼ばれて、
きらきらの布を肩にかけられてマンゴーとバナナと葉っぱのプラサードをもらいました。

これって、たぶん、出資者のRさん用だったんじゃ。。。と思ったのですが、
なんか、わたしがプッタパルティから来たというんで、みんなよい刺激になったらしく、シャクティ(女神)がサイババから我々の元に送り込まれてきた、神は我々とともにいる!みたいな話になってました。

これを読んで異論を唱えたい人もいるかもしれませんがこらえてください。笑
とにかく、私が紛れ込んだことが吉兆とされたならよかったと思いました。

こういう、勉強会って、もしかしたら男性のブラーミンだけのもので、女性は普通は紛れ込まないものなんじゃ、、、と、うすうす思ってたのですが、
暖かく歓迎してもらえてよかったです。

その後また同じ屋上のクーラーの効いた部屋にみんな入って、講義は続けられて、
質疑応答みたいな感じになってて、

入っていいものかどうか躊躇して外から覗いてたら、講義してるメインの坊さんが「入れ入れ」というので入って、一番後ろに座らせてもらいました。

前日と前々日に丁度おばあちゃん先生に習ったばかりのナヴァグラハスークタムも話題に上がってたのでドキドキしました。笑

ナバグラハスークタムのかっこいい箇所をお坊さんが唱えてみせてたりもしたので、

さらにドキドキ胸が高鳴った。笑

そういえば、前日、おばあちゃん先生のとこに行ったとき、毎日のサイババ番組が夕方に30分かあるらしいんですけど、この日は2007年のチェンナイでのアティルッドラマハヤグニャについてやってたと言ってました。

この、ホーマム講義の参加者のうち何人かはロシアのヤグニャに行くことになってると聞きました。


というわけで、少しの時間参加しただけだったけど、異常に楽しめたホーマム講座でした。
ちょっと大学の講義みたいなアカデミックなムードでもあったので、こういう大学があったりしたら入って勉強したらめちゃくちゃ楽しいだろうなと思いました。

インドにはあるんですよね、もちろん。
クムバコーナムにもあった。なんだっけ、シャーストリユニバーシティーだったっけ。違ったかも。
たぶん入学できるの男だけだろうけど。

このとき勉強してた人たちはやっぱ、ほとんどチェンナイの人たちだと思うんですけど、
クムバコーナムあたりのお坊さんとかとはやっぱだいぶムードが違いますよね。
一応みんな正装のドーティーを着てたけど、上はワイシャツとかポロシャツの人が多く、
全身坊さんスタイルは30数人中、レクチャーしてた坊さんを含めて8人くらいでした。

なので、みんなどことなくちょっと都会っぽくて、そのまま背広上下に着替えてサラリーマン用のかばんを持って出勤してもあまり違和感がないような感じでした。

いい風にいえば洗練されてて、でもたぶんどちらかというと都会っこ(大阪と神戸の間育ちなので都会のカテゴリーかと。。。)のわたしとしてはもうちょっとこう、暗黒大陸インドの未分化の混沌を携えた、マジカルなものへの希求があり、
クムバコーナムの坊さんたちのボリューム(みんな腹がガネーシャ)と土臭さのほうに、より圧倒されて魅了されてしまうのでした。

しかしそれにしても幸せなひと時でした。

神に感謝です。


その後、敷地内のなんというのか、屋根つきの広々した地面のスペースで食事が振舞われ、私はほとんど最初に配ってもらったんですけど食べるのが遅いから最後まで食べてました。

みんな食べるの早いですよね。。。

食事は南インド式のいろんな種類のご飯とおかずと、デザートでした。

資産家のRさんが率先して給仕していました。
なるほど彼は来世があったとしても間違いなく資産家なことだろうよと思いました。
彼らは完全にわかってやってるんですよね。

そうだ、Rさんの自宅のプージャルームにも入らせてもらいましたが、
さすがに調度品とかいちいち豪華で、
神像も、いろんなパターンのガネーシャが1ダースくらいと、ハスタラクシュミー(8種類のラクシュミー)と、ダサアバターといってたっけ?ダス?ダサ?
つまり、ヴィシュヌの10の化身の像があったりしました。

下品になるかと思って聞かなかったんだけど、たぶん全部パンチャローハ。笑

ヴィシュヌの10の化身の像は、ヴィシュヌが亀として来たときのとか、パンチャ神像でそんなの見たことなかったから珍しいと思って面白く拝見しました。

カーマデ-ヌ(願望成就の聖牛)と、カルパヴィリクシャ(願望成就の樹)までありました!
この2つはセットとして祭ってありました。

さすが資産家。笑

でもそういう面白みはともかく、プージャルームに入ったら明らかにバイブレーションが違って、さすがの私でも、うお?と、感じたという。

で、ババの写真は横のほうに飾ってあったんですが、
この写真を飾りだしてから、このプージャルームにペンダントヘッドがどこからともなく物質化されて現れたらしいです。祭壇のとこに。

2つ。

黄色いお米入りの器の中にそれは大事におかれてました。
見せてもらったらシルバーのペンダントヘッドで、サイババの肖像が掘り込まれてありました。

触りたかったけど、こらえました。


そんな感じで、すごく面白い訪問になりました。



待たせてあったタクシー(6時間900ルピー、、約1350円くらい?でキープしてあった)に乗り込んで、空港に行きました。

空港へは飛行機が飛ぶ2時間前くらいについて、国内線なので別にそんなにすることもなく、
待合ロビーでいったん座ったのですが、
マッサージを発見!

そういうのを見たら、あ、自分すごく疲れてる、という感じがしてきたので
2人がかりで30分コースをやってもらいました。

なんかモンゴロイド系の男女がしてくれて、ネパール?わかんないですけど。
繊細で、よく訓練されてる感じでよかったです。

上半身とフットマッサージ同時進行で30分1500ルピーくらい。
プッタの相場の3倍くらいですが、
自分にとっては新しい、さまざまな技が繰り広げられて面白かったです。

ストレッチみたいに腕を背中に回されたときは、
普段全然運動してないしどこの筋も伸ばしてなくて実年齢38だけど肉体年齢42なので、
「いて、いててててててっ!」
と、思わず日本語で言ったらマッサージのお姉さん笑ってました。

外に出たらすでにファイナルコールで私の名前が放送されててまたもや最後の3人のうちの一人になったという。

マッサージの効果なのかなんなのか、離陸とともに熟睡して、次に起きたら着陸態勢でした。

スーツケース出てくるターンテーブルのとこで、またもやアマチ似の4人家族の人たちに会いました。(SAWAKOさ~ん!)

同じ便だったのかも。


ものすごく清潔できれいになった夢のようなバンガロール空港でレモンティーを飲んで一息ついて、予約してたタクシーに乗って、プッタに戻りました。

バンガロール空港を出ても道の両側は植物がすごくきれいでかわいく植えられてて、植物園の中を走ってるようだというといいすぎでしょうか?


でも、こういうとこにこれだけ気持ちとお金を使って、バンガロールは素敵なとこだなと思えました。


タクシーの後部座席で横になって一眠りして起きたらもうプッタ手前でした。

P6193085_convert_20120620042944.jpg


今日の昼ごはん。ラギボール?(おにぎりみたいな)に、サンバル(辛い味噌汁みたいな)をかけたやつ。10ルピー(15円くらい)なり。

実は10ルピーでこのラギボールおにぎりもう一個(合計3つ)と、チャツネ(ココナツのおかずたれみたいなの)もついてたんですが、
いっぺんに2個食べたらもうおなかいっぱいなので、もう一個はチャツネと一緒におやつの時間に食べました。笑

これはアシュラムの芝生のとこの場店で売ってるんですが、最近の新メニューで、結構ヒット商品。
スポンサーサイト

テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2012/06/20 05:13】 | チェンナイ | トラックバック(0) | コメント(0) |
チェンナイからプッタへ②
さっきの記事、あまりにも脱線しまくってわけがわからなくなりましたが、つづき。

えっと、もうすでに記憶が薄れてるのですが、

そうそう、なんか、マレーシアのやグニャもタイのヤグニャも、中国系のシンガポール人だったかな?の、おにいちゃん、Jさんがからんでるそうで、
今度のロシアのヤグニャもそうみたいです。

チェンナイのインド人の責任者は忙しくて都合がつかなかったのか、まだロシアの現地を見てないらしく、

そのJさんと、プッタのヤグニャのメインプリーストのナンさんことナンジュンダッパさん(ナンジュンダ ディクシットさん)がロシアの下見に行ったそうです。

話を聞くと、そのJさんは面識ある人でした。

ああ、あのお兄ちゃんか、みたいな。

数年前もやる気で、いろんな国でヤグニャして回る計画をしてて、
たしかその第1回目をプッタのある西洋人の家の中でやったんですよね。

もっのすごい眺めのいい部屋で、こんな浮世離れした部屋がプッタにあったのか~と、新鮮でした。

そのときの参加人数は多くはなくて、
カスツーリ博士の孫のRさん、サマディーロードをいつもうろうろしてるお坊さん、サイタワーでのヤグニャのときに来てた年配のお坊さん、
わたし、シュナ(子供)、部屋の持ち主のいかにも裕福そうな西洋人、アシュラム関係者っぽい人、その中華系のJさん、あと、年配のインド人女性
くらいだったような。


何でそんなとこに私と子供が奇妙な感じで紛れ込んでたかというと、
私がルッドラムとかヴェーダ唱えられること知ってて目をかけてくれたたRさんがわざわざアパートまで招待しに来てくれたのでした。(言ってもいいよねこれ別に)

実は主名も、当時5歳でしたがナマカムなら見なくても全部ついて唱えられたので(今は忘れたはず)、Rさんは特に子供好きというわけでもないそうなんですが、それまでにも主名に親近感を覚えたのか良くしてくれてたんですが、すごいすごいと思ったらしく、大喜びでした。

4時間くらい唱えっぱなしでした。
確か11回ルッドラムを唱えたんだと思います。

そのヤグニャは9日か11日やると言ってたんですが、わたしは最初の1~2日だけ参加して、なんか用事があったので真ん中は抜けて、最後のほうにまた参加するつもりだったんですが、

そのアパートの誰かから苦情が出たのか、
途中で中止になってしまったらしかったです。

みんなわざわざ個人的にお坊さんにお金出して来てもらってホームプージャをやってもらってるくらいなのに、誰だか知らないけどただで恩恵を受けるチャンスをつぶしてしまってもったいないことですよね。

ああ、そんで、そのJさんかナンさんがロシアからの招待状を取ってくれるとのことでした。

資産家のRさんが一応、Jさんとナンさん二人ともにその場でメールと電話で依頼してくれたんですが、今日はまだ来てないですね。

不安げなRさんじゃないほうのおじさんは、
いろんな国から参加者がくるかもしれないので、そういう外国の人たちのために区画を用意しないといけない、とか言ってました。

ロシア以外にもヤグニャやる予定の国あるんですか?と聞いたら、
バリもやりたがってるけど、予算のめどが立ってないとのこと。
あと、中国の広東の近くの人たちがテンプルを作ったか作るので、そこでのヤグニャの依頼が来てるとか言ってましたが、
これはアティルッドラじゃなくて、1日だけのルッドラホーマム(確か、坊さん5人でやる比較的小規模なやつ)みたいでした。

でも、中国でそんなんしても政府は問題ないんだ?と、少し驚いた。

マレーシアでアティルッドラやったときはすごく良かったといっていました。
でっかい洞窟があって、でっかいムルガンが立ってる近くでやったそうです。

インドとマレーシアはインドとは気候も植物や食べ物もあまり変わらないし、インド人のお坊さんもいっぱい住んでるのでやり易かったみたいです。

なのでほとんど現地調達したそうです。

で、タイでやったときは、もうちょっとやりにくかったらしいんですが、
タイとマレーシアは近くなので、
たくさんのものをマレーシアから運んでつかったそうです。


じゃあ、今度のロシアは未知の領域というかどんな感じになるのか興味深いところではありますね。



一通り話を聞いて、さてこれからどうしようかなと思っていたら、
Rさんに、スンダラムに行くのはどうだといわれました。
そんで、昼に戻って来いと。(食事配布があるから)
スンダラムって、ババのチェンナイでのアシュラムといって差し支えないと思うんですが、

私は2007年のチェンナイのやグニャのときに初めてスンダラムを見て(サイババが来てたから)でも人がいっぱいで外からのみだったので、
(ババを見れたかどうかも定かでないけど、見たということにしておきます。外から見たような気もしないでもない)

中に入れるんだったら行きたいな、と思って行くことにしました。


ついたら2007年のヤグニャのときを思い出して少し懐かしくなりました。
ああこの道、この景色、そうだった。みたいな。

中に入ってすぐになんとなく右の祠に行くと、チェンナイのヤグニャでの白いシヴァリンガムが奉ってありました。

いきなりキタな、と思い、シバリンガムと対面して、その周りを三回回りました。


次にはテントの本屋に行きました。
なかなかメインの建物にいけないという。

で、本屋ででっかいババのパネル張りの額つきの写真を買ってしまった。
プッタで見たことないなと思って。

でももしプッタから苦労して運んできたんだったら、私がまたプッタに運ぶとなると馬鹿らしいかなと思って、
この写真プッタで(パネルに)作られてもってきたんですか?

ときいたら、

それは違うらしかったです。
なので安心して購入。笑

飛行機で運ぶので頑丈にパッキングしてもらいました。
無傷でプッタに運べました。

本屋でおじさんたちとしゃべったあと、メインのホールの中に入ろうと建物に近づいていったら、、、(おじさんたちに、行って、スワミとともに戻っておいで、とか言われた)

すぐさっき前に買ったのと同じ写真からビブーティがでてるの発見。
こりゃ運がいいやと嬉しくなりました。

メインのホールに入ったらバルビカスについてのミーティングが行われていました。

かまわず最後列に座り、しばらく聞いてました。

ホールは天井が開いていて、天と直接つながってるようなスカッとした印象を受けました。

これは、この場所は永遠に天に直結した場所として残るだろうと思いました。

ババの臨在があったということは素晴らしいことだと思います。

ババが通った道は100年は栄えるとかいう話もありましたが、
そのホールの中でもババの臨在と守護を強く感じました。

しばらくしてその場を去ろうと思ったら、
ふと後ろを振り返ったら、そこにも別のババの写真があって、そこにはさらにたくさんのビブーティーがいっぱい出てきてました。

わ、後ろにいたのね、というかんじ。


つづく

テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2012/06/20 05:04】 | チェンナイ | トラックバック(0) | コメント(0) |
チェンナイからプッタパルティへ①
昨日、ホテルを朝チェックアウトしました。

そして、チェンナイのプージャ責任者の女房役みたいな人の家にいきました。

そこで、ロシアのプージャの詳細を直接聞くために。

資産家とは聞いてたのですが、なるほど、よい場所(比較的地価の高そうな場所)にビルがあって、そのビルにくっついていくつか建造物があって、
それらが自宅というか、拠点みたいでした。

ビルに隣接したマンションだと誰かが行ったので、そこに行ったら最上階の屋上につくられたクーラーの効いた部屋でお坊さんが30数名のブラーミンと思いますが、に、レクチャーしてました。

個人の家でのプージャがこの日彼の家で行われるのかと思ってたら、
微妙に違ってて、
お坊さん同士の勉強会が行われていました。

ホーマムの手順とか、意味とか、それにまつわる細かいことなどについてのレクチャーでした。

お寺で、というより、家庭でやる家庭サイズのホーマムの勉強みたいでした。
なので、説明してたのはお坊さんみたいでしたが、来てたのはお坊さん、ではないのかも。

当たり前だけど、そういう勉強会もあるんですね。

で、そこでは話が聞こえにくいので、
女房役のRさんと、後、どういう人なんだか何かよくわからないんですがロシアのやグニャの主催者側のインド人のおじさんがもう一人来て、
Rさんの自宅に場所を移して(といっても隣接してたけど)話をしました。

Rさんじゃないほうのおじさんとは初対面だったので、
いかにもチンケな私に大いに違和感と不安感を持ったらしく、
ものすごい困ったような心配そうな顔をしていました。
いつもそんな人なのかもしれないけど。

で、アティルッドラがいかにおおごとか、たくさんのお坊さんがやるんだというのを何べんも軽い脅しレベルか?くらいに勢いで言ってきて、

本当に細かいことをすごく重要な事実を告げるみたいに言ってきて、

私には彼自身が圧倒されてしまってるように見えました。
私も圧倒されて緊張してるのがあるべき姿だと思ったのかも。
気楽に考えてるけど君は何もしらないんだ、そのことを知りなさい、みたいな。

でも、そのおじさんのくれてるアティルッドラに関する情報はところどころ正しくなかったりもしたので

なので、私への認識を少し変えて緊張感をといて欲しいと思って、プッタとチェンナイのアティルッドラには参加したので、どういうのかは直接見ました、と言ったんだけど、
あまり耳に入らなかったみたいで、2~3回目にようやく、チェンナイのアティルッドラに私が参加したことは認識されました。
プッタのアティルッドラに参加したことはとうとう認識されなかった模様。

あまりにも詰まらん右も左もわからん人間が紛れ込んでて不本意だと思われたらその人にも気の毒なので、安心して欲しいと思って、

去年1年でマハルッドラホーマムとか、サハッスラチャンディホーマムもしました、と言いました。

そしたら100人以上のお坊さんの規模のホーマムの経験があるとわかったら安心するかなと思って。

でも、脳が拒否したいみたいで、そういうふうに謙虚に話すたびに自然に(他意はないと思います。本能的にだと思います)横を向いて耳に入ってませんでした。

理解・認識されないことって結構多いんですが、
予備知識なしに見たらいかにも私はしょぼいからだと思います。
安心材料がなさすぎ。

女房役のRさんはその点、チダムバラムのお坊さんが直接説明してくれたからわかってて、
Rさんじゃないほうのおじさんにも話を聞いてていなしたり、訂正したり、説明したり突っ込みを入れたり、随時してましたが、
最初の印象って、なかなか変わらないのかも。

とにかく、私の存在はRさんじゃないほうのおじさん(たぶん社会的地位がある人っぽかった。)の、何らかの不安を大いにかきたてたように見えました。

私は昔から得体がしれないとかいわれることもあり、

形を重んじる人にとっては不安な気持ちにさせてしまうこともあったかもしれず、

申し訳なかった。

なので、何らかの説明があると自分にとっても周りにとっても平和です。

レッテルが必要というか。

そしてそういうのを説明してくれる人は本当にありがたい。

チダムバラムのお坊さんだとか、

おばあちゃん先生もプッタにいるときはいろんな人に私の紹介とか説明をしてくれて、
それでずいぶん生きやすかったです。

すごく悪く思われることも時々あるので。
完全に従順な人だと思われることもあり、すごいエゴイストだと思われるときもあり、
どちらも何らかの投影なんだろうと思うんですが、
(人一倍、イメージを投影されやすい自身があります。笑)

完全に従順な人、理想の弟子と勘違いされるときは、そのうちそうじゃないことが自然に明らかになるのでいいのですが、

逆にものすごいエゴイストだとか、勘違い女だとか思われて、それを言いふらされるときもあり、
それだと関係ない人にも「この人そうなんだ」みたいな変な目で見られたりするので、あまり居心地よくないという。

それって、私が立場とかをわきまえてなくて、傲慢だと感じられがちなことに大体起因してるんですが、

なんというか、いる「場」によって、人の見え方って違ってくるので、

束縛のきつい「場」からしたら、私は傲慢で、エゴイストで、立場をわきまえてない、ということになるんですが、で、非難対象にしらない間になってるんですが、

もうちょっと自由度の高い世界の住人なんだよ、というのを
私をほかの人にいい風に説明してくれる、大体において地位のある人は知らせてくれるので、とてもとてもありがたいです。

地位のある人が尊重してくれると、ほかの人も、「あ、そうなの?」みたいに得体の知れない私の得体の知れない行動とか言動がそっちの世界からのものだと理解できて、理由がわかって安心するので。

じゃないと、理解できない人は自分の安全のためには攻撃するか、否定したり切り捨てたりするしかなくなって、
それは私にとっても周りにとっても不幸なので。

私をすごく悪くみんなに言いふらしたり否定して、
あとでほかの意外な人が予想以上に私を尊重してるのを知って、そっちのリアリティを理解したときに決まり悪くなる人も少なくないんですよ。

むしろそういうリアリティの変換が起こるのは恩寵だと思います。
そういう風に、無理解が理解に変わることは多いです。

これは私の場合、私も反省すべき点があるんですけど、常に、コンスタントに起こっていることです。

自分でもいい加減どうにかしたほうがいい点かもしれない。

だから、そういう、うまく自分をほかの人に説明してくれる人、
ほかの人がその人の世界観が脅かされる脅威から私を攻撃する必要性を感じなくてすむように、うまく説明してくれる人は自分には必要なんだなと思います。わたしが自分で言うと説得力ないから、誰か他の信用ある人だれか。笑

自分のためにも、周りのためにも、

誤解は誰にとっても不利益ですから。


そしてすべての不調和はお互いの誤解とか理解不足から来るものだと思うので。


いる「場」によって、見え方って変わってくる、というのは強調しすぎてしすぎることはないと思います。

そして、わたしもそうなんですが、常に、自分のものの見方や理解がより広い見解からは不十分である可能性を自分に戒めたいと思います。

テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2012/06/20 05:02】 | チェンナイ | トラックバック(0) | コメント(0) |
| ホーム |
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。