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1月23日の日記(ヤグニャ4日目)
今朝も変な夢でした。
青年が隣の家庭の息子を殺してばらばらにして、隣の家の戸棚かなんかに入れておいて、青年の家族や隣の家の家族はそれにまだ気がついていないけど、それが明らかになるのは時間の問題という、ハラハラした情景の夢でした。
日本もそんな事件が多かったっけ、と思いました。

主名は朝から泣きまくりで、何でかというと、おしめに夜の間におしっこをしていたので、はずして捨てたら
「それはくの~」
と言い張って、わたしは「きちゃないからもうゴミ」の平行線。

ヤグニャに行こうかどうしようか迷いましたが、行きました。

9時半くらいに行って、沿道で人が並んでババを待ってて、
みんな「今来る」と言ってたので私らもちょっと待ってみましたがすぐやめました。

ココナツを買って飲んでたら白人の女の人が
「昨日、あなたをTVで見た」と話しかけてきました。
どうも、インタビューを断る前に映像を撮ってたようで、
キャンティーンの前に座って私が主名にご飯を食べさせてるところがTVで流れてたそうです。
「海外からも親子でヤグニャに参加」といったところでしょうか。
でも、ヤグニャのところじゃなくて食べてるところ。

会場に行ったら知ってる日本人がまた来てました。
主名をトイレに連れて行ったら現地在住の日本人にも会って、やっと直接話ができました。
「どうですか、大丈夫ですか」
と言ってくれましたが、逆に「大丈夫ですか」と聞いてしまいました。
ヤグニャのセバでかなり疲れてそうでした。

午前のヤグニャはババが来そうで来なかったこともあってか、終わったのは11;30くらいでした。

なので、そのままキャンティーンの昼食に行きました。
クーポン製なので並びましたが大変でした。
プッタパルティで見かける白人のおばちゃんがセバダルに何か言われたのか、キレて、すごい形相で怒っていました。
キャンティーンの入り口からご飯が配られるところまでは20メートルくらい離してあって、
リレーのトラックみたいにコースに柵で分けてあって、
入り口に横に張ったロープをセバダルが取り外すと同時にみんなわーっと食べ物に駆け足で向かったので、なんだか競馬を連想しました。

ビニールシートの屋根がつけてあるので砂煙がもうもうと。。。

クーポン、並ぶのが大変だったので、1枚2ルピーのやつを50枚まとめ買いしました。
まず、使い切れないですけど。
あまってもドネーションということで。

でも後で、やはりクーポンに並ぶのがだるくて、食事するのやめたという人に4枚分けたりしました。

しかし今日、キャンティーンの食事2日目ですけど2日目にして飽きました。でも安い。主名とで6ルピー。
その上、今日配ってくれたおばちゃん(おばあちゃん)は、おまけしてだいぶ多く入れてくれました。

部屋に帰って風呂して、主名はゲストハウスのおじさんとお兄さんに遊んでもらって、ずっとゲラゲラ笑っていました。
なので昼間は部屋にいたがらなかったです。
おしっこで帰ってきて、また出て行きました。

私は怒ってばっかりなので、主名もこうゆう息抜きができるような場があるといいですよね。
ゲストハウスの人達も長期だと仕事ができなくて困ると思いますけど、
今はかわいがって、というか面白がってくれてます。

3時くらいにヤグニャに行きました。
ルッドラムをカタカナにしておいたのですが、やっとそれが見れました。
前の2人のインド人のお姉さんがずっと主名と遊んでくれてたので。
主名は月と星のブレスレットをもらっていました。

後ろのおばさんが
「食事はどうしてるの?インドのご飯?中華料理?」
と聞いてきたので、
「両方。米とかカレーとかチャパティとかプーリーとかダルとか。。。私は日本人」
と答えました。

バジャンが進んで、そろそろアルティなので帰りだす人が多くなる頃にババが来ました。
夕方6時くらいでした。
今日は、現物ババも、モニターもばっちり見えるところで座っててよかったです。

2組音楽演奏がありました。
どっちもよかったです。
1組目はプロみたいな感じで、2組目はババの学校の卒業生でした。
ババはもう一曲、もう一曲、と追加の曲を指示していました。

今回チェンナイではカメラでクローズアップするので、ババや、他の人達のしぐさがよく見えて、みんなそれも楽しんでいました。
(「スワミはもう一曲。と言うと思うわ」とか隣同士で言ったり、ババの目に涙が光ってる!と言っては両手で口を押さえて「ああっ!」と息を呑んだり。)

前でどんな人が何やってるのか分かるのはいいもんですね。
バジャン中にあくびしてる人がモニターに映し出されて、あわててあくびを止めようとしたりもしてました。
子供たちはカメラがまわってくると、みんな喜んで手を上げたりして厳粛さゼロ。
でもなんか、お祭りをみんなで楽しんでるという感じがしてきて、楽しい気分になりました。

しかし、ババが来ると、ヤグニャ中でもバジャン中でも大音量で登場の音楽が流れるので、ヴェーダを唱える坊さんたちやバジャンのリードシンガーの人とか、ちょっと気の毒に思いました。
音が消されてやりにくいだろうに、やめるわけにはいかないだろうから。

ババは疲れてるみたいに見えました。
表情も険しくて。
でも、色黒だから顔色が悪く見えただけかもしれません。

もと学生の歌と演奏はえらく気持ちよさそうに聞いていました。

多分、1組目の演奏のリーダーと思うんですけど、その人にネックレスを物質化してあげてました。

帰りにプラサードをもらいました。
でも人がいつものごとく奪い合い状態で、私は主名と荷物を持ってて参戦できなくて、少し離れたところにいました。
そうしたら若い女の警官が2つ取ってきて、持ってきてくれました。
彼女は、あの奪い合いの光景を見て、ちょっと信じられない、と、うんざりしてるように見えました。

今回、警官がよく助けてくれます。
セバダルと違って冷静です。
一般の人と接するとホッとすることもありますよね。
セバダルとかはとんでもない言動を力強くゴリ押しという時も多々あるように思うので。。。

平日だからか、今日とかは人もそれほどむちゃくちゃではなく、気楽で楽しかったです。多幸感まできました。
帰りにババの大き目の写真を買って帰って、部屋の壁に貼りました。
今日は他にもちょこちょこ買い物しました。
すごい小さい日めくりカレンダーがついてる写真とか。
うわ、ちっちゃー。と思ったら買ってました。
お香とか。

夕食は、今日は巨大なカリフラワーを買ったので、カリフラワーのシチューにしました。
おいしかったです。
虫は5匹くらい。

セバダルが道でババのカードのカレンダーを配ってて、みんなもらいに行くんですけど、一般人も裏に銀行の宣伝が書いてあるババの写真のカードを配ってたりします。
今日、ベビーカーをそこらへんに置いたまま、人の少ないところで昼食を食べて戻ってみると、ベビーカーのポケットにそういうカードが5枚くらい入ってて笑けました。
捨てるわけに行かないし、、、、、というところでしょうか。
帰る頃にはトランプができそうです。全部ババですけど。

そういえば、会場の出口でババのカードを配ってて、もらったんですけど、ババの服がオレンジのと黄色のとがあって、私はオレンジのをもらったと思ったので、黄色いカードを持ってる人を見て、黄色いのがよかったなーと思いました。
で,自分がもらったのを後で見たら黄色の服のババのカードでした。
あれ?と思いました。
(そして最終日には配ってたセバダルのおじさんが、そのカードを10枚くらいまとめてくれました)
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【2007/02/28 14:29】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
暑くなってきました。
最近、蒸し暑くなってきました。
気のせいじゃないみたいです。
4月~6月くらいが暑さのピークなんでしたっけ。
日差しが強くなって、昼間外を歩くと肌がじりじりいいます。

この季節はメロンが旬なのか、3種類くらいのこぶりのメロンを道端で売ってるのを見かけます。
安くてわりにおいしいです。

他の年上の日本人が言うには、昔は日本でもああゆうのが売ってたそうです。
メロンじゃなくて「瓜」だそうです。
【2007/02/27 22:50】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
インタビューをゲットする方法。。?
昨日、道端で中国系の男の人に
「すみません。どうやったらインタビューをもらえるんでしょうか?」
と聞かれました。

最初、なんかのDVDでも欲しいのかと思いました。
インタビューに呼ばれる方法があればわたしも知りたいです。
「すみません。知りません」
と答えました。

(まあ、あるのかもしれないですけど。)
【2007/02/27 22:27】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
1月22日の。
1月22日のヤグニャの日記のつづきを2月12日付でアップしています。
すみませんややこしくて。
【2007/02/27 22:24】 | 未分類 |
大きいんでしょうか?
主名はよく、まだ学校とか行ってないのかと聞かれます。
まだと言うと、何歳?と聞かれて、3歳というとまだ3歳?と言われます。

ひっくりかえって泣いていたりする時も他の人に「何歳?」と聞かれ、「3歳」と言うと、まだそんなに小さいの?とか言われます。

大きく見える、もしくはおじさんぽいからでしょうか?
身長は95~100センチくらいで、普通と思いますけど。

でも、時々、重くなったことに気がつきます。

最近は、主名が泣いてるとなぜか、他の人の笑いをさそうようです。
この前も主名が立って泣いてたら、いつもつんとすましてるような西洋人のおばさんがなぜがこらえきれないという感じで手で口を押さえて立ち止まって見て笑っていました。
泣き方がなんか面白いみたいです。情けない感じが?おじさんぽいし?
おじさんとばっかり遊んでるから?

今日も、バジャンの時に眠くて主名はぐずりまくってたのですが、その様子を見ている周りみんな可笑しくて笑っていました。
わたしもわらけました。
本人は真剣なんでしょうけど、真剣なだけにどたばた劇みたいで。
これは赤ちゃんの時とは変わったことですね。
赤ちゃんの時に泣いたらみんな一生懸命あやしますから。

結局眠いのに寝れず、バジャンが終わってからも主名は怒り続けてて、
クッションを道に投げたりして、また、通る人は笑っていました。

豆乳を買って、人の少ない気持ちのよい裏道を散歩したら機嫌が直りました。
前から来たスワミジというかんじのおぼうさんがにこにこしてババのカードをくれました。
主名は「ひげいっぱいやったな」とか言ってました。

本屋の裏とかも行ってみました。
池にかえるとかがいました。
主名は木の上にふくろうを見た、と言い張っていました。
「カラスっぽいふくろうやなー」
と答えました。

そういえば、中国正月のプラサードが、リボンのついた小さな袋に入っていたのですが、主名は「主名にもサンタさん来たな!」と驚いていました。「プレゼントやな!プレゼント来たな!」と。
そういえば、クリスマスプレゼントは日本から送ってもらった荷物が送れたこともあり、うやむやになってたのですが、待ってたんですね!?
主名の中ではまだプレゼントが来てなかったんですね。
電車のおもちゃは単に荷物として送られてきた、というかんじだったし、ちゃんとリボンのついた「プレゼント」が欲しかったんですね。。
子供って、ファンタジーが必要なんだなあと思いました。
そういえば、しばらくずっとプレゼント遊びをしてましたっけ。
箱におもちゃをいろいろ入れて「はい、プレゼント。あけてみて」と、渡してくれるというやつです。
何度もあれで予行演習をしてたんでしょうか?
プラサードのプレゼント、かなり喜んでいました。
いやー、気が利かなくてすみません。。。
【2007/02/27 01:17】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マハシヴァ後編アップしました。
マハシヴァ後編を22日づけでアップしています。
少し戻ってみてみて下さい。
【2007/02/27 00:50】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
中国正月のあと
中国正月の次の日、朝はババは来ず、午後は中国人たちも帰国していった人が多かったみたいだったのでわたしらはもう一般の席に座りました。

午後はババは来て車椅子であちこち動きましたけど、女性の席をあからさまに避けていて、どよめきが起こってました。

そりゃそうかもと思いました。

昨日はひさしぶりにヴェーダ教室もあったので行きました。
昨日は疲れたし、時間も遅かったし、主名も疲れただろうから、主名の行きたがった高めのチベットの店で夕食を食べました。

疲れてぐったりして寝ました。


【2007/02/26 15:34】 | アシュラムの行事 |
中国正月当日
今朝は4時に目覚ましをかけたのですがしっかり二度寝していました。
でも、下の階の人がいっつも大きい声で早朝に鐘を鳴らしながらアルティをするので、4時半に目が覚めました。

用意をして部屋を出たらちょうど前の道を子供たちのナガラサンキルタンの列が通り過ぎていきました。

アシュラムの、集合場所に行ったのは5時半ごろでした。

子連れだから早く行ったほうがいいとマレーシア人にアドバイスされて行ったのですが、どこに並んだらいいものか分からず、結局6時集合の日本人と一緒に並びました。

中に入って、中国正月主催側の席の中のはしっこに日本人で固まって座りました。(といっても主名を入れて7人でした)

落ち着いたのでサウスインディアンキャンティーンに朝食を食べに行きました。
知り合いに会ったので、何も言わないのも変だし、スカーフをもらったことを言ったりしたら「いらないいらない」
とか言われて、その後の会話が、その人が入った神聖な時と場所には子供づれは入れないよというもので、私も楽しくないししゃべる気がなくなっちゃってちょっとへんなかんじに。

キャンティーンではインド人の大人や子供5,6人くらいに次々と「ハッピーニューイヤー!」と握手を求められたので笑顔で応じました。

帰ってきたら、ん、席がない?
と思ったら、ババのいすに近いところに移動になっていました。
なので固まってる日本人のところに行ったら、あれ?
私のクッションない。
と、思ったら私と主名のだけ、その対角線の向こうの端、7~8列くらい後ろにおいてありました。

腑に落ちないまま、ババが来ました。
猫みたいな中国風のライオンも練り歩いて踊って、主名は喜んでいました。

そしてババはめずらしく、最初の角で右折して中央に行きました。
つまり、私らの前は通りませんでした。

そして、今日は中国的な出し物が多かったです。
今回来てるのは中国本土からというより、アジアのあちこちに住んでる華僑があつまってるみたいでした。あと、香港の人とか。

子供たちの歌みたいなやつと、大人のコーラスもありました。
この指揮者が動きが面白くて的確なので、歌よりそっちのほうを集中して見てしまいました。
もちろん歌もすごくよかったです。
なんか、「大陸」を感じて、目の前にその広がりが見えるような気がしました。
この指揮者、金髪の長髪なので、男か女か分からなかったのですが、
終わって帰っていったほうを見ると男でした。
後で聞いたら、この人は以前仏陀祭でも指揮をして、ババにネックレスかなんかをもらったとか。納得。

リンゴのプラサードをもらいました。
私が座ってたところは一般席との境目だったので、回ってきたリンゴをそっちまでまわしていいのか迷いましたが、いいみたいだったので回しました。
少しだけ、プラサードを配るセキュリティの気持ちを味わいました。
こわかった。すいこまれそうで。
そしてもらった人のガッツポーズ。
いつもすましたり、怖い顔をして怒ったような表情のあの人も。。。無邪気に大喜び。
見てはいけないものを見てしまったような気分。
何もリンゴにそこまで。。。。。
でもこれがプラサード。

終わってから、いくら自分らだけ端っこといえどもいない間にクッションを移動してくれたんだからお礼を言わなきゃと思って、ありがとうございましたと近くにいた日本人に言ったら
「あれ、だれかが動かしたみたい」
どういうこと?
あまり深く考えるのはやめにしました。

午後は1時50分に集合しました。
昼間髪の毛を洗ったりしたので早く行く余裕もなくアシュラムへ。
集合場所はまだがらがらでした。

そういや、わたしのショールが朝、なくなったと思って、他の日本人に聞いて、結局わからなかったんですけど、朝のわたしと主名だけ角の端っこの離れた席はなんで?というしこりもとれました。

暑いし、水を持って来ればよかったなと思ってそう言ったら、バス停のところに小さいペットボトルの水が売ってたという情報が入ったのでちょっと、買いに行くことにしました。

行ったらなかったので部屋まで取りに帰りました。

集合場所に戻ると他の中国系の人達ももういっぱい集合していました。
主名は一人の日本人がトイレに行くのについていったそうでした。
でも、パンツで帰ってきました。
その人がトイレに入ってる間に漏らしちゃったそうで。
つられしょん?
多分他の人に「おしっこ」って言えなかったんでしょうね。

その人がズボンを洗ってくれたみたいでした。
(さすがにパンツはぬがさず)
流しのところに立たせてズボンを洗ったら主名は大喜びしたそうです。
恐縮してズボンをもらい、パンツを脱がせて新しいズボンをはかせて、ホールに入りました。

ババの座るすぐ前のかたまりの中ほどに座りました。

4時過ぎくらいにババが来ました。

今日の午後の出し物は劇でした。
親孝行の「孝」をテーマにした、現代劇と中国文化の紹介の合体のような劇でした。
内容はずばり親孝行でした。
「おとうさん、おじいちゃんの面倒を見てよ。そうしたらぼくがお父さんの面倒を見るから」うううう。というような感動の物語でした。

いつもはセットの裏からのぞき見るような形でしか見れないけど、
今日は前のほうに座ってたのでちゃんと斜め前から見れました。
やっぱり前から見ると面白いもんですね。
後ろの人にもモニターで前からの画像が見れるようにしたらいいのになあ。

中国の時代劇の格好の人らが出てきたり、おかまがリボンひらひらさせて踊ったりして面白かったです。後ろの人はすごいうけてました。
色とりどりの旗を振り回す踊りとか、動きも大胆なものが多く、音楽もよかったです。その場で太鼓とかも劇にあわせてたたいていました。

そして、劇の終盤に長いドラゴンが出てきました。
10人くらいだったか、青年たちが棒で操っていて、よくこんがらがらないもんだと思うようないろんな動きを息を合わせてしていました。
おもしろかったです。

主名は、ババが来てしばらくしたらねちゃったのですが、このドラゴンは見たらよかったのになーと思いました。
絶対喜んだと思います。
でもまあ、若いから。これからなんぼでも見るでしょう。
(と、さいきん年寄り気分です)

劇が終わってからはババが立ち上がってその人達と記念撮影をしました。

その後、中国語中心のバジャンが歌われました。
今日は歌詞ももらってたのでアルファベットのふりがなついてたし、だいたい歌えましたよ!
ちょっとは中国語勉強したのが役に立ったかも?
(3回落としたんですけど)

その後アルティがあってババが部屋にひっこんで、そしてヒンディーバジャンが改めて行われました。

飾りの中に、くるくるまわるやつがあって、何の絵が描いてあるんだろう?と、ぼうっと眺めながら歌いました。

駄菓子のようなのが少し入った、かわいい袋のプラサードをもらいました。

終わってから、他の日本人もちょっともめた?

誰がいいとか悪いとか、他人のなかに見たくなりますけど、どれもないんだろうと思います。
それにババはどんな人も無差別に祝福するそうですし。
その意味を実感したら、ある意味あほらしくなりますよー。
みんな祝福されてるらしい。。。
相手を責めても、そのひとすでに祝福されちゃってるんですよ。
責める意味ないですやん。と思うんですけど。

しかし私もいつしか集団行動の苦手な体に。。。
たまにしようとしてもできない状況になったりもするんですよね。

ホールの外でインド人のおばあさんに
「ベリーグッドプログラム!」
と言われました。
「イエス」
と言ってから、イエスじゃないよなと思って、サンキューと言いました。
私ら日本人は便乗のお客さんですけど、インド人からしたら主催側でした。

でも、ほんと、プログラムよかったです。

明日の朝も一応6時集合です。


【2007/02/24 23:11】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
中国正月前日
昨日からおなかが痛くてしんどかったので、今日は昼まで寝てて、たまってた洗濯をして、近所のチベット料理の店にご飯を食べました。
入ったら、中国正月の団体の赤いスカーフをした人達(マレーシア人か中国人かは分かりませんでしたが)が、テーブルに座っていました。

心なしか店内、緊張感が。。。?
心なしか店長、老け込んで見える。。。?
いつも食べてるモモ、明らかにいつもより塩辛い。。。
恋をすると作る料理の味が濃くなると聞いたことありますが。
感情的になるということですよね?

チベットでは中国人はいっぱいいるでしょうから料理屋に中国人がいても不自然じゃないんでしょうけど、ここのチベット料理屋で見る、中国人?の人達はなんだか、え?なんで?という気がしました。

食べ終わったその中国人?のおじさんの一人が、おつりの5ルピーを主名にくれようとして、当然断ったんですけど、そのおじさんは変なことしたという気がしました。

私がチベット人に感情移入しやすすぎるんでしょうけど、ここにいるチベット人はほとんどが中国から逃れて難民としてインドに来て、すでに2世、3世とかになってるんだろうと思います。
で、この町にチベット人やチベットの店も多いですけど、みんな、働くために来てるんですよね、きっと。

そこで行われる中国正月、大挙してやってきた中国人。
チベット正月は中国正月に先駆けて18日とかだったようですけど?
(チベット料理の店が休みで、張り紙がしてました)
チベット人しか祝ってないですよね。もちろん。

チベット人がもしババのところでチベット正月を祝おうと思っても、
チベットの国自体が中国の中の自治区扱いになってるんですよね?たしか。
で、みんなヒマラヤを越えたりしてあちこちに亡命して。
チベットグループとしてまとまって来ることは無理。

まあ、チベットはババというよりダライラマでしょうけど、でも、そういうことを思ったらすごい悲しくなって、ものすごい感傷的な気分になりました。
自分の個人的な思い入れとか相当あると思いますけど。

そんな気分のままアシュラムに行きました。
さらに飾り付けが進められて、万国旗のように、小さな赤いちょうちんがつらなって飾られたりしていました。
巨大な垂れ幕もさらに増え。

ホールに行ったら中国風音楽とヴェーダともにババが登場して、プログラムが始まりました。
多分中国人の若者のアナウンスとかのあと、
30~40人くらいのチベットの坊さんが「オムマニパドメフム」とかのマントラや、声明のようなものを唱えたりしていました。
それを聞いて、なんかすごい受け付けなくて、白々しい思いがしました。
なんか、中国人が自分たちの誇れる文化としてチベットの宗教文化の形だけ利用してるような気がして。
中国人はチベットの坊さんや尼さんにひどいことしたり殺したりして、その後もチベット文化とかを破壊するような政策ばっかりしてるようなイメージがあったので。
で、その文化プログラムを見てたら空虚な気分になって、すごい悲しくなりました。
中国人なら、よく知りませんけど、中国らしいもっと別の出し物があるんじゃないかと思ったわけです。

この坊さんたちも中国の残って中国人に迎合して形骸化した偽者の坊さんじゃないかなんて思ったり。

でも、最後にしばらくの間ガヤトリーマントラが唱えられて、私も一緒に唱えました。

なんかすごい感情的になって、いろんな思いがいっぱいあがってきてはちきれそうでした。
チベットの暫定政権みたいなのも今はインドにあるんでしたっけ?
ダライラマの拠点もインドのダラムサラですね。
中国の侵攻をうけて亡命したチベット人たちを受け入れたインド、その3様の立場が目の前にあって、なんかよく分からない感傷的な感情で胸がいっぱいになりました。
そして、非常につらい思いがしました。

ガヤトリーマントラを唱えていたら、私の一方的に亡命チベット人に自分を同一視する感情もインドのマントラを通してどこでもない精神のありかに昇華されていくようでした。

間にいるインドを象徴するようなババが前に座っていて、
いろいろな熱く強烈な切ない感情が全部吐き出されて溶け合わされるようでした。

そして、ここに来る中国人がチベット人の思いに鈍感でいるわけもないだろうという気もしてきて、いろんなことを抱えて、全部飲み込んだ上であえて、チベットの宗教的なものを前面に出してきているんだろうという気がしてきました。

坊さんたちの声明のようなものや中国人(と思います)によるその解説などの後は中国語のバジャンなどが歌われました。
当然わからなくて聞くだけですが、いいものだなと思いました。
日本語のバジャンも何かの行事の時など時々歌われて、みんな他の人達歌えないからつまらないんじゃないかと思ったりもしてましたが、そうでもないのかもしれないと思いました。
「オムマニパドメフム」の歌詞のバジャンもありました。
何か非常に感傷的になって、郷愁を誘われます。

おやつに行って、帰ってくるとプラサードが配られていました。
それと、ネイティブアメリカンのドリームキャッチャーのような、ひもで編まれた、多分チベットのお守りのようなものも配られました。
チャクラ?
もらったインド人はそれをどう使ったらいいのかわからず話し合っていました。「髪につけたらいいんだ」とか。
あとで私もこれをどうしたらいいの?と聞かれましたが、うまくは答えられず。
お守りって英語もしくはインドでなんていうんだっけ?と思っても出てこなかったので。
キーホルダーみたいにどこにつけてもいいとか言ってみましたけど。。

アルティが終わってもババは帰らず、チベットの坊さんたちを呼んで記念撮影をしました。
なんか、あー、そうだ、ババはなんでもみんな承知してるんだという気がしました。
そのあと、交代に一部の中国人が記念撮影をして、ババは帰りました。

なんだかいっぱい涙が出たのでほとんど呆然としてホールの外に出たら中国正月に参加する人用の赤いスカーフをまとめて預かった人に呼び止められて、一枚もらいました。

明日が本番ですね。
スカーフは10枚くらいだけあったそうですが、みんな6時くらいに集まって並ぼうという話になっていました。

後で、前もって「日本人も一緒に参加できるから他の人にも教えてあげてね」と言ってくれてた顔見知りのマレーシア人に、私は子連れなので5時か5時半に来て、それ用のいい席をとるように言われました。

なんか、個人的に非常に感情的になってるこの中国正月の行事。
ホルモンバランスの変化もてつだって、蓋をされてたものがあいて出てきたのかなと。
ダライラマは昔私のアイドルだったもんですから。
ババは別にすきとか嫌いとかあんまりないんですけど。
少し前にそういえば久しぶりにダライラマの夢を見ていたのも思い出しました。
いろんな個人的な記憶とか感情とかもぐんぐんよみがえってきちゃって。
もし過去生でチベット人だったことがあるなら、きっと霊的で幸せな人生だったような気がします。

でも、大学の第一外国語は中国語だったりするんですけど。
(英語の勉強したくなかったから)
きっと、みんな、どこの国の人も一通りやってるんだと思います。

たまに、今、なんで日本人なのかなあと思うときもあります。
インド人の過去生のときに日本の製品がすっごく好きだったのかなとか思ったり。
【2007/02/24 00:59】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マハシヴァラトリ2007(後編)
あのあと、他の人に聞いたら、ババがロシア人に手を上げるように言って、それでロシア人みんな手を上げたそうです。
外国人帰依者の帰依心をほめて(イタリア、ロシア、ドイツ、日本など)ババはもうすぐ世界ツアーに出るとかいうことを言ってたそうです。

(ここから後編のつづき↓)

ノースインディアンキャンティーンに行ってみると、ババの学校の女学生であふれかえっていました。
いつもなら、うへー、と思うのですが、その時は、学生もマハシヴァ中に食べに来てると思ってホッとしました。
他の日本人に、マハシヴァ中は基本的に断食とか言われたりもしてたので。
それに学生がキャンティーンにいる間はババもホールに戻らないような気がして。

ごはんをいつもより気持ち少なめに取って、急いで食べました。
主名は食べてから女学生に遊んでもらって(遊ばれて?)いました。

トイレに行ってからホールに戻ろうとしたらゲートが閉められていて、
階段のところに人がたまっていました。
今さらこれなわけ?
と思いつつ、しばらく待ってたら解除になって、中に入れました。
ババが戻ってきてたわけでもなし、中がすごく混んでたわけでもなし、
なぜ、ゲートが閉められていたのかさっぱりわかりません。

それまで水を飲むのを自主規制してたのですが、(トイレに行きたくなるかと思って)キャンティーンで水をがぶがぶ飲んでからはもういいやと思って、ホールに戻ってからもけっこう水分を取りました。
規制のあとの水分のおいしいこと。
でも、乾燥してるのか、そんなにトイレに行きたくはなりませんでした。
ただ、食べてからはさすがに眠くなり、疲労感も出てきました。

主名は横にいた6歳くらいでしょうか?南米人のお兄ちゃんとよく遊んで(遊んでもらって)いました。
そのこが持ってたおもちゃにはまって、ずーっと熱中して組み立てていました。
南米一家のお姉ちゃんはマハシヴァの間中ずっと数独をしていました。

お兄ちゃんは多分末っ子っぽかったんですけど、彼を妊娠中にババが胎児に「プレマ」と名づけたそうです。(母親;談)
王子様みたいに美しい少年でした。
(そして、横になって、ペットボトルのキャップでお母さんに水を飲ませてもらってました。お姉ちゃんの「あんたは王子様か」みたいな突込みが入りました)
しかし、ババが名づけたのを聞くと、プレマばっかりじゃないですか?
そんなことないですか?

私は眠いのと、座りっぱなしで腰や背中が痛かったので、主名と一緒にトイレに行った帰りに、ババの家の前の、屋根がついて一段高くなった通路でちょっと横になって体を伸ばしました。
そのままそこで寝ていきたかったけど、そういうわけにもいかないのでホールに戻りました。

そういえば主名はスポーツ飲料を溶かした水をホール内の座ってるところで500㏄くらいこぼしてくれました。
「見てー」って、何がじゃ。
気がつくと私のズボンの膝から下はべちょべちょ。
あたりにはレモンの香りが漂いました。

腰がすっごく痛かったし、気持ち悪いくらい眠かったので、
セバダルの目を盗んで(見つかると「寝るな」と注意されるから)何度か横になって寝てました。

起きてる時はシヴァバジャンを気分よく歌いました。
後ろに座ってたインド人の女の子がはっきり歌ってたので、それを聞きながら、私も知らないバジャンも知ってるように歌えました。
同じのも何度も歌われていたので歌いやすかったです。

しかし夜中過ぎから朝にかけては横になるかヒザを抱えてほとんど寝ていました。
主名も、一緒に遊んでたお兄ちゃんも爆睡。
子供は横たわって寝てても何も言われないし、いいなーと思いました。

バジャンのリードの人達は一定の時間ごとに交代してたので、いっつも力いっぱい歌っていました。
でもマイクは入れてませんでした。
サイババ王国の中とはいえ、一応夜だしでしょうか???

他の人達は部屋にシャワーを浴びに帰って、着替えたり、ちょっと寝てからまた戻ってきたりしてるみたいでした。
私もアパートに帰ってちょっと寝たいとか思ったときはすでにアシュラムの門限の9時を過ぎてました。大丈夫とは思いますが、もし戻ってこれなくなってもなんだしと思って、アパートに仮眠しに帰るのはあきらめました。
ビチャビチャのズボンはそのうち乾きました。

朝までホールで寝たり起きたりを繰り返していたのですが、ババが白いシヴァリンガムを出す夢を見ました。
アティルッドラマハヤグニャのシンボルのような白でした。

目が覚めて、夢で見たということは、今回はリンガムを実際には出さないのかもなーと思いました。
(おととしも、みんなの前では出さなかったそうですし、そろそろ出すのは終わりという人もいます)

主名が飲み物をこぼして、しかもそのペットボトルもそのうちどこかに行ったので、すごく小さいペットボトルに水を汲みに行くついでに、ボディチェックの時に没収されたリンゴジュースがまだあるかもと思って、ホールの外に出てみました。

星がきれいで、中のにぎやかさと対照的に静かに夜空に光っていました。

そして、ホールの外のスペースの床にはインド人がサリーやらショールやらを頭からすっぽりかぶってゴロゴロ寝ていました。
ここでみんな寝てたのか!?
まるでどこかの駅前のような光景。

リンゴジュースは封を開けてなかったし、誰かが持って行ってました。

ホールに戻ってから、こんなこともありました。
カザフスタンかどこかの人達かと思いますが、おそろいの全身黄色の服に薄い水色のスカーフをした人達がいました。
その人達の寝てた子供の顔を、多分南米あたりのお姉さんがまたいで通って、大騒ぎになりました。

そんで、何かのまじないかよく分かりませんが、黄色い人達がまたいだお姉さんに、逆方向からもう一度顔をまたぎなおせと騒いでて、
お姉さんは謝ってるのに場が収まらなくて、何を言われているのか理解できずにいて、騒ぎが大きくなりました。

セバダルもやってきて、セバダルに促されてようやく何を要求されているのか分かったお姉さんが寝てる子の顔を逆からまたぎなおして
(時間を戻してなかったことにする、もしくは逆からもまたいでバランスを取るということなんでしょうか?)
「これ、一体なんなのよっ!?」と、お姉さんブチ切れる。という一幕がありました。

またぎなおされた子の頭を周りの黄色い服の大人たちが手をかざして癒してました。
なんか、夜中で眠いし、おとぎ話の中の光景のようでした。
。。。。。。って、違いますか。

長かった夜(眠くてもうとうとしか寝れなかったから)もいつの間にかあけて、外が明るくなっていました。
ババが車椅子でまた入場して来ました。
昨日の夜は苦しそうに見えたけど、何となくすっきりした表情。。。?
あ?もう出しちゃった?

でも分からないので、私も他の人もみんなその瞬間を見逃すまいと、くいいるように凝視し続けていました。

他の人のスピーチとかがあったかどうか忘れましたが、ババもスピーチをしました。
さすがにお疲れのように見えました。(気のせい?)
スピーチも終わりました。

一緒にいた家族のお兄ちゃんは起きたけど主名は寝続けていました。
リンガムが出る時、主名を起こしたほうがいいのか(かなり楽しみにしてて、「見る!」と言ってました。「ババがゲーでリンガム出すの見る!」と)でも主名はこの人生では解脱しない予定で来てるということだし、見せないほうがいいのか、とか思いました。
寝てるってことは寝かせといていいんだろな、とか。

ババがしゃべり終わった後、しばらく空白の時間があり、そしてシババジャンが再開されました。
いよいよか?
という雰囲気が場内に満ちて、南米のお母さんも子供らに「見とくのよっ!」とか言っていました。

しかしそのうち、あれれれれ。

アルティになり、プラサードの案内のアナウンスがありました。
ババは確か、ちょっとの間、そのままそこにいたので、もしかしてと少し期待もしましたが、やはりそのうち車椅子で帰っていきました。

おしまい。

みんなやっぱり、どこかで予想してたのか、別に特にがっかりした空気も流れませんでした。
なかったねー、くらいで。
やっと終わって嬉しいほうが先に来た?
きっと、家で出してきたんでしょうね??
(ちがうのかな)

起きた主名に「出さんかったわ」と言いましたが、幼児はやっぱり別にガッカリもせず、以前ビデオで見た時の思い出話などをしていました。
まー、私もベストをつくしたというカンジで、山を越えました。

その後、主名を待たせてまたペットボトルに水を汲んだら、一緒に汲みに行きたかったらしく、主名が腹を立てて汲んできた水をわざとぶちまけて、「のどかわいた」と言いだす一幕もありましたけど、
(その時にはもう水飲み場はクローズ。まさに自業自得。)
葉っぱのお皿にプラサードのご飯とラドゥーをもらって、ホールの外に出ました。

やれやれ。さすがに疲れたし、腰と背中が痛い。

主名がのど渇いたとうるさいので、売店に行って飲み物を買って、ベンチでプラサードを食べました。

ご飯は豆とかピーナツとか入ったマサラ味のチャーハンみたいなやつで、主名は辛いのはほとんど食べないのですが、これはいつも食べます。

食べてたら、6人くらいのインド人青年がゾロゾロ歩いてきて、写真を撮らせてと言ってきました。
マハシヴァあけでドロドロな私(右手はごはんまみれ)
と、主名がベンチに座ってて、その後ろに青年たちが並んで記念撮影をしました。
なんかいつも食べてるところ。。。。。

部屋に帰って行水して昼寝しました。
主名はたくさん寝て元気いっぱいなのでずっと起きてて私はなかなか熟睡できず。
寝て、夢まで見ても起こされたり。

それでも数時間寝て、午後のダルシャンはもう間に合わなかったのでバジャンに行きました。
音楽プログラムをやってて、宴の後、というようななごやかさを感じました。

プラサードも配られましたが、みんな疲労が抜けきってないためか、その場で比較的静かに受け取っていました。
(いつもなら立ち上がって、もらおうと押し寄せる)

夕食はウエスタンキャンティーンに食べに行きました。
パスタがおいしくてたくさん食べました。

マハシヴァは前もって言われていたほど大変ではなかったですけど、それでもそれなりに非常事態的大変さがあったし疲れました。
そういうのの後では日常が幸福感に満ちて体験されます。

マハシヴァ中も、たまたま隣り合ったような人達との連帯感が楽しかったです。

いやしかし、ロシア人の多さには驚きました。

おわり。

【2007/02/22 17:26】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
中国正月の飾り
24日の中国正月の行事に向けて飾りつけが進められています。
ガネーシャゲートも赤い布看板で横も上も大胆におおわれて、まるで中華街の入り口を彷彿とさせる様相になりました。
去年のクリスマスは手作り風のメルヘンな飾りをこちょこちょあちこちに飾ってるが多かったですけど、中国正月では商業広告のような出来上がった印刷物をさっくり大胆に、効果的に使っています。

今回のテーマは「孝」ですかね。
その漢字があちこちに取り付けられている看板に書かれています。
赤い飾りを持ってホールの装飾へ向かう人たちを見るとわたしが中国人というわけでもないのに胸が熱くなりました。
年をとると感動しやすくなるんですかね?
【2007/02/22 16:31】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
コダイカナルに向けて
コダイカナルの最寄の空港はマドゥライなので、エアーデカンで調べたらチェンナイから帰ってくるのと同じ値段でした。
1200ルピーくらい?
でも、ネットで使えるクレジットカードはインド国内で発行したやつのみだそうです。不正使用が多いためだそうです。
だから、数少ない代理店で買うか、空港で買うか。
でも、代理店の近くに住んでて、今こっちに来てる人がババが移動したら私の代わりにチケットとってくれるといってくれました。
そしたら、なんか番号みたいなのがもらえて、それを教えてもらってこっちでパソコンで打ち込めばチケット代わりの画面がでるので、それをプリントアウトすればいいそうです。

はー、コダイカナルははじめてなんですけど、初めてってたいへんですよね?
寒いとかいうんで、衣料を用意したり、雨が降るとかいうんでレインコートを用意したり。
泊まるところも、みんなあっちに行ってから探す人が多いようですけど、私らはできるだけ今から確保していったほうがいいので
(探す気力がない)
今から何とか安いところをと考えてます。
もしうわさどおり60日とか向こうでの滞在とかになったら宿泊費だけですごいですもんね。
せいぜい2~3週間のつもりだったので、一泊700~1000ルピーくらいのところをと考えてましたが、一泊の予算300ルピーに変更です。
航空運賃もカードで支払いと思ってたら使えないし。

飛行機で行くなら夕方マドゥライにつくからそこで一泊する必要もあるし。

はー。
というわけで過去の日記の更新はほったらかしてしまいました。
夏休みの宿題のようにたまっていく。。
昨日からの主名との攻防に疲れ果てたというのもありますが。
(例、夜中の1時に部屋でおしっこかけられた)
ぼろいノートパソコンを送ってもらうかなんかして、アパートの部屋で打ち込めるようにしようかとも考えてますけど、あまりにもぼろいのではたして役に立つかあやしいです。画面が出るか?という。

そういえば、先日のマハシヴァの講話で、ババはもうすぐ世界ツアーに行くつもりだとか言ってたそうですよ。
わたしらも連れて行ってくれますかのう。。。。
外国人の帰依者の帰依心をほめてたそうです。
日本もその中に入ってたそうですけど。
【2007/02/22 00:26】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(3) |
中国正月に向けて
24日の中国正月のために、今日、シンガポールだかマレーシアだかから700人来たそうです。
明日は中国人が1200人来るそうです。
中国にそんなに帰依者がいるんですね?
1200人かーすごいですね。
やっぱり自分と同じような顔が増えるとなんだか笑えるというか、面白い気分になります。
それを嬉しいというのでしょうか?

今日はブログの更新より、メールしちゃいました。
すでにコダイカナルの準備です。
冬物の服注文したり、飛行機を調べたり。
やっぱり今年はコダイカナルが長い説が多いです。
6週間という人や、66日とか言う人や。
しかし、それっていったいどこからの情報ですか???
【2007/02/21 00:52】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マハシヴァラトリ2007(前編)
前日に、他の人たちは朝7時から、午後のダルシャンのために並ぶと聞いて、夜中2時ごろから並ぶのかと思ってたけど、そんなもんでいいのか、と思って、私は朝6時から並ぶことにしました。

当日、朝4時ごろに目が覚めました。
5時半に目覚ましをかけていて、それよりもずいぶん早いのですが、
でも、去年のアティルッドラマハヤグニャの時も、目覚ましをかけてた時間(3時くらい)より早く目が覚めて、(2時くらい)いくらなんでも早すぎると思って寝直したら中に入れなくて、
ああ、あの、自然に目が覚めたときに起きて行ってれば、中に入れたんだろうなあ、と思ったことがありました。
なので今回のマハシヴァでは、目が覚めたその時間、4時ごろに起きて身支度を整えました。

状況によっては朝ごはんを食べにいけないかもしれないかもと思ったので、部屋でラーメンを作って、主名も起こして2人で食べました。

外の道をたぶん村人のナガラサンキルタンが通り過ぎていきました。

そんなことをしているうちに、当初の予定の時間の6時前になったので、先日もらったチェンナイのヤグニャの灰を2人ですこし食べて気合を入れて、部屋を出ました。

まだ暗くて、アシュラムはギューギューというほどではないにしても、
すでに人の交通整理が行われていて、普段の道は女性は通れなかったので迂回ルートで女性の入り口まで行きました。
ナガラサンキルタンの列の通行のため、止められていた人たちが、解除と同時にみんなダッシュで入り口に向かいました。
私はベビーカーを押してるし、歩いていきました。

ベビーカーを、いつも置いてる、キャンティーンの前に置いて、
長時間並ぶのに備えて用意した食料や水などの荷物と主名を抱えて、
ホールの入り口近くにすでに並んでいる列に行って、
「これは何の列ですか?」
と聞きました。
すると、「マハシヴァラトリ。午後のダルシャンの」
という答えが返ってきました。
なので、どんどん長くなろうとしているその列にクッションを置いて、
急いで座りました。
先頭から10メートルくらいのところでした。
(たぶん、5時から6時の間に列を作り始めたと思います。、それ以前は午前のダルシャンもあるし、並ばせてもらえなかったんだと思います)

男のセバダルが来て、「3列だけ」と言ったので、4~5列あった列が細くなりました。
私は、壁沿いのベンチの上と、その前の地面の2人分のスペースを確保しました。
ずっと主名を抱いてるわけにもいかないので。
ベンチに座れて楽でした。
私が座ったり主名を座らせたり。

他の長期滞在の人たちのグループが、私たちの30歩くらい後ろに陣取って、私たちも一緒に座らないかと言ってくれましたが、
私たちが座ったところのあたりに顔見知りの人や子連れも何組かいて、
なんとなく雰囲気もよかったし、
日本人の知り合いの中に入って負担になるのもどうかと思ったのでそのまま最初の場所に残りました。

7時から8時の間くらいにサウスインディアンキャンティーンに朝食を食べに行きました。
朝、ラーメンを食べたにもかかわらず、普段の2倍くらい食べました。
主名もイドリーを食べました。

食事のあとに主名と女性用の公衆トイレに行って帰りにババの家の入り口が見えるところを通ったら、ちょうどババが出てきて、
車に乗り込みました。
全身がよく見えて、午前のダルシャンはあきらめていたけれど、思いがけずしっかりダルシャンが受けられてよかったです。
その後、長い間ヴェーダが唱えられていました。
午前のダルシャンから帰ってきた人たちがプラサードを分けてくれました。

10時半くらいに、周りの人に主名を見ててもらってまたトイレに行きました。
他の知り合いの日本人も列のあちこちに並んでいました。

11時15分くらいに列が動いて、先頭へみんな詰め掛けました。
あわてて私も荷物と主名を抱えて立ち上がりました。
押されて、他の人の上に倒れましたが、その時は主名は抱いてなかったので、他の人が主名をベンチの上に立たせておいてくれました。

今こそ練習の成果を、と思って、主名に肩の上に登るように言ったら
「イヤ」と言われて終わりでした。

他の人は、やっぱり子供を肩車してたりしました。
大人につぶされないように。

落ち着かせるためと思いますが、オームが3回唱えられました。
群集も、オームを唱えることで落ち着いて、効果てきめんでした。
やっぱり、セバダル側も毎年のことですし、慣れてくるんでしょうね。

その後は1列に並んで1人ずつ順番にホールへの階段を登っていきました。
うわさに聞いていた殺人的な押し合いへし合いは体験せずにすみました。

トークンのために、ホールの横のスペースでまた列になって並びました。
私は、日陰で、一段高くなってて座りやすいところに座りました。

マハシヴァだからか普段からか知りませんか、興奮しきった外国人のおばちゃんが(南米の人?)いろんな人に注意しまくったりしてて、
その言い方が、あまりにもすごかったのでインド人も外国人も横を向いて笑っていました。
主名も何度か注意されました。

泣いてやってきたおばちゃんもいました。
トイレに行って帰ってきたら、セバダルに再入場しちゃダメとか言われたんでしょうか。

12時過ぎにトークンが行われました。
私の並んだ列は11番でした。
半分よりも後ろなので、11番かーと思いましたが、
後で考えてみると、11はシヴァに関係する数みたいなので、マハシヴァにふさわしい番号だったのかもしれません。
アティルッドラマハヤグニャも11日間行われて、11かける11人のぼうさんがルッドラムのヴェーダを11の何倍だか何乗だか唱えるというものでした。

数字で言うと、今回のマハシヴァは、2007年2月16日で、数字を足したら年が9になって、月日も9になって、それを足したら18で、
1+8=9だし、神の数といわれる9がいっぱい出てくるし、なんとなく重要な気もしていました。

主名は寝てました。
1時過ぎくらいにホールの中に入ったでしょうか。

南米の子連れの一家の横に座りました。
彼女たちはセバダルに詰めるように言われても広く広く場所を取っていたので、おかげで私たちもゆったり座れました。

主名は長いこと昼寝してたので、知り合いの日本人がトイレから帰ってきた時に声をかけて、ちょっと私の席に座って主名を見ておいてもらって私もトイレに行きました。
主名も目が覚めたときに知ってる顔を見つけるほうがいいだろうと思って。
でも、帰ってきてもまだ寝てました。

主名はそのうち起きて、おやつに行きたがって、その時午後4時でした。
マハシヴァ自体は6時からのはずだけど、
普段のダルシャンの時間にババが来たりすることもあるんだろうか?
と思って、他のマハシヴァ経験者の日本人のところに行って、聞いてみたら、「今が一番危ない(外に出るのが)」と言われました。
なので、ホールに入る時に多すぎて、オーマイゴットとか言われて取り上げられたおやつを取ってくるだけにしようと思ってホールの外に出ました。
持込みが許されたおやつ類はすでにほとんどなかったので。
朝食をしっかり食べたといえども、お昼抜きはやっぱりお腹がすきました。

外に出ると階段のところは予想通り、中に入りたくても止められてる人たちでいっぱいでした。
そしたら主名がやっぱりおやつを食べにキャンティーンに行きたいというので、しょうがないと思って、トイレに行く人用の通行札をもらって階段を降りました。
そしたら、下の道路にたどり着いたとたんに食べないというので引き返しました。

没収された荷物類はまとめて片隅に打ち捨てられて山になっていたので、その中から自分の袋を探して、またホールに持って入りました。
結局2回に分けて、ほとんど全部持ち込んだことになります。

そのうちババが入場してきました。
ババの横に座った車椅子のおじさんが何かスピーチだか朗読だかよくわからないのを読み上げていました。
時々拍手が起こっていました。

以前ビデオとかでマハシヴァのを見た時は、ババが苦しそうなので気の毒に思いましたが、実際にババが気分悪そうにしてるのを見た時はよしよしと思いました。
リンがムが入ってるんですね、と。

ダルシャンの時にいつも側にいて、ババを支えたりしてるおじさんがスピーチをしました。
いつもはババを支えてるだけの印象だったのに、しゃべったらハイテンションで、声も高くて、芸人のように聴衆の心をつかんで笑わしてたので驚きました。
あんな元気な人だったのか。。。と。

その後ババもしゃべりました。
なんか、宝石か何かをさっと物質化して、気がついたら手に持って掲げてて、キラッと光ってたので、
一瞬、もうリンガム出しちゃったかと思って、見逃したのかと思ってあせりました。

それから、ロシアについてもしゃべってて、ロシア人が喜んでいました。
ロシア人は喜んで、両手を挙げてババに手を振っていました。
そしたら私の周りの外国人もみんなほとんどロシア人で、
あまりの数の多さにたまげました。
圧倒的な人数でした。顔つきが様々だからわからないんですよね。
多いとは思ってたけど、これほどまでとは。
ほんと、みんなロシア人でした。

その後、ババは車椅子で家に帰ってしまいました。

私らもしばらくそのままそこにいましたが、8時前にノースインディアンキャンティーンに夕食を食べに行くことにしました。
ウエスタンキャンティーンだと落ち着きすぎるかなー、さっと食べてさっと戻ろう、と思って、ノースに行きました。
いつババが戻ってくるかわからんし、と思って。

(後編へつづく)
【2007/02/19 22:00】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ババの夢
夜道を歩いてたら、人々の緊張した独特の雰囲気の中、道沿いの門のところからババが車に乗って出てきました。
私は、わー、と思って、車に近づいていって、
「乗っていいですか」
とババに聞いたらダメと言われたので引き下がりました。
ところが、日本のサイセンターの知人の男性が無理やり車に乗りこんだので、あー、私もー、と思って、車の後部座席に乗りました。
車のシートが変な風になってて、その男性を押しつぶすような形になりました。

ババに「コダイカナルに行くんですか?」と聞いたら
違うという答えが返ってきたので
「そうですよね、〇〇〇(何かの行事)がありますもんね」
と言いました。

乗っていたのはタクシーで、雪が積もって凍った坂道をそれ以上登れなくなって、ドライバーにここで降りてくれと言われました。
なので、みんな気をつけて降りて歩きました。

知人男性が、たまたまババに出くわしたことについて興奮してしゃべってきたので、「私も、お酒のむこと考えてたー」と余計なことを言って、「余計なこと言ったな」と思いました。

どこかの建物の中でババを囲んでタイルの上に座りました。
こんな少人数で、ババの近くに入れるなんて、カメラ持って来ればよかったといったら、知人男性や別のサイセンターの知人女性もいて、使い捨てカメラを持っていたので、ババに許可をもらって、
一人ずつツーショットでババと写真を撮りました。
「こうやって願いはいつか満たされていくんだなー」と思いました。

先に知人男性が撮って、次に知人女性のツーショットを撮りました。
知人女性のはばっちり決まっていました。
いつのまにか輪が7~8人になってて、女性ばかりでした。
私たちのほかにもおじさんグループとかあったけど、見てるだけでした。
私たちは「次は私」とか言ってキャーキャー言っていました。

次は自分の番になったので、
他の人の写真を撮ってる間、ぼさぼさだった髪を鏡を見て直しました。

知人男性のカメラは壊れてる可能性がありそうだったので、知人女性のカメラで写真を撮ってもらおうと思いましたが、他の人としゃべってたので、他の人とかに「のいてのいて」とかいって、みんなをどかせて、床に積んであった本もどかせて、別の女の人のカメラでババとツーショットの写真を撮ってもらいました。

そしたら目が覚めました。
夢で願望が満たされたんですね?
【2007/02/19 16:31】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マハシヴァ後
マハシヴァラトリから無事生還いたしました。
割と楽でした。
一時期ほどのむちゃくちゃな熱狂はもうないみたいで、セバダルの制御もよく効いていて。リンガムも出さず。
たくさんシヴァバジャンを歌いました。
久しぶりにうたったーというかんじです。
シヴァのバジャンばっかりだから、同じ曲を何度もしてて歌いやすかったです。
また、詳しい日記はあとで書きます。たぶん。

今日はその次の日です。
朝、9時35分に行ったらまだバジャンをしてたのでホールに入ったらババがでてきて、ステージの女性側の端っこでしばらく座っていたのでよく見えました。
車に乗らず、車イスのまま帰ったと思います。

午後は4時45分にやっぱり車椅子で出てきて、それと同時にバジャンが始まって、7時くらいまでやってました。
その間、ババは車イスで通路や、マンディールの裏まで回る大サービスぶりでした。
ババが来そうになったらあわててイスとか荷物とかどかしていました。
学生はババの動きに合わせてあっちに行ったりこっちに行ったり飛ぶように動きまくっていました。

いつ終わるとも知れないバジャン、まるで、マハシヴァラトリの続きのようでした。いっぱい歌いました。

ババは帰りも車イスで家に帰りました。
さいらむ
【2007/02/19 01:12】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
中国正月
24日は中国正月の行事があるそうで、他の人に、日本人も中国人の後ろ(特別席?)に並んでいいと教わりました。
ラーマのお祭りまでもうないかと思ってましたが、なにかとあるもんですね。
今の時期に滞在するのは初めてなので、全部未体験ゾーンで、いい意味で緊張感があります。
最初の一年が大変だけど、あとは楽になると他の人も言ってました。
【2007/02/19 00:46】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
主名日記
昨日、電気消して寝る体勢になってから主名が口を開いたので、甘えたことでもいうのかと思ったら
「くっついても離れても暑いわ。せんぷうきつけてー」

「いやや。わたしちょうどいいもん。自分でつけーや。つけていいよ」
と言ったら、主名は自分でいすに登って扇風機のスイッチを入れました。

「主名、ちょうどいいわ。せんぷうきつけたから。涼しいわあ」
と言って、彼は寝ました。

また、「おおきなかぶ」の絵本を読んで
「まだまだかぶはぬけません」と私が言うと
「ぬけませんなあ」と、主名。
「やっとかぶはぬけました」と私が言うと、
「ぬけましたな」と、主名。
時々、「だれ?あんた」と思います。

普段でもちょっとがっかりすることがあった時など「残念ですな」と言ったり。

せんぷうきをつけるつけないで、部屋をシェアしてる人同士トラブることもよく聞きますけど、うちも、主名はつける派でわたしはつけない派。
しょうがないから弱くつけて、わたしだけ布団かけて寝てます。
主名が寝たら消してます。

だっていらないんですもん!
【2007/02/15 16:06】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マハシヴァ前日
明日はマハシヴァラトリです。
実は、昨日興奮して遅くまで寝れなくて、起きれなくて、今朝のダルシャンに行き損ねたんですけど、外から見たらホールが飾り付けされていました。

昨日までに経験者にマハシヴァの事を聞いたりしたんですが、
まあ、普通は、子連れはやばいという見解ですよね。みんな。
あばら骨がミシッといって、死ぬ目にあったからマハシヴァの期間は家にいる、という小柄な年配の方もいたり。
マハシヴァが終わったあと、骨折したらしくギプスして歩いてる人をよく見かけるとかいう話も聞いたり。
セバダルも骨折したとか。

大人なら骨折ですむかもしれないけど幼児だとぺちゃんこになりますよね。

それでも、子連れで入る人は絶対何人もいるはずなんですけど。

一応、行くつもりにしておいて、状況をみて臨機応変にという気持ちです。
主名は行く気まんまんなので、いちおう、抱っこの状態からすばやく肩の上によじ登らせる訓練を部屋で行いました。
所要時間1~1,5秒くらいでしょうか。
肩の上だったらつぶされないかな、と。
もう、みんな興奮して立っちゃったりしたら、肩の上に子供乗せてても怒られないでしょうし。
それでも、考えると緊張して吐き気がしました。
怖い話聞きすぎたかな。

こういう時、大柄な人は有利ですよね。
小柄な人は悲惨ですよね。。。みんなが立ったら何にも見えないし窒息しますよね。
私は162~3センチなので普通です。

16日の夜6時から朝にかけてバジャンが行われて、その間のいつかにババがリンガムを口から出す場合が多いようです。
他の人らは16日の夜中2時から並ぶといってます。
だいたい、グループで、食べ物とか場所取りとか助け合うみたいです。

ホールの外でもモニターで見れたらいいですよね?
そんでババが「リアルタイムでみるなら実物もモニターも変わらない」と言ってくれたら。
リンガムが出るところをみたらもう解脱するそうですけど、マハシバは1日しかないからその日その時めがけて人が殺到してめちゃくちゃになるんでしょうね。

一年に6回くらい出してくれたらそんな殺人的熱狂にならないと思うんですけど、リンガムを口から出すのは子供を生むくらい大変らしい、と言ってる人もいました。
そりゃ大変だ。
でも経産婦はラクなのかな。
【2007/02/15 15:55】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(2) |
2月14日(マハシヴァ2日前)
2月14日はバレンタインデーでしたっけ?
ややこしくてすみませんけど、昨日の日記を書きます。
(↓ここから)

今朝のダルシャンはありませんでした。
朝食、昼食をアシュラムのキャンティーンで食べて、主名が遊びたがったので芝生のところで遊ばせて、アパートに帰らずそのまま午後のダルシャンに出ました。

最近も、ちぇっ、と思うことがちょくちょくあって、トークンで並んでるときに「人は人、自分は自分」と思ってたらめずらしく2番の番号札を先頭の人がひきました。

同じ2番の番号の人たちは素直に喜んでましたけど、
ホールに入るために並んでるときなど、他の人の視線が怖くて私なんか下向いてました。
自分にラッキーなことがあったときに「人は人自分は自分」と、ちゃんと割り切った意識にとどまるのはかえって難しいです。

ホールの中に入って、ババが来る側の4列目に座りました。
待ってる間、主名がうとうとした瞬間にちょっともらして、
外に、残りのおしっこをさせて着替えさせに行ったりと、ヒヤヒヤしましたが何とか持ちこたえて、
ババが来るときにもそこに座っていられました。

ババが来るとき、エゴがないとは何もしないんじゃなくて、ババの意思を行うこと、とかいうインスピレーションが来ました。

私の前で誰か他の人とのやり取りでババがちょっと止まったりもして、とてもよく見えました。

ダルシャン後、さらに前に詰めたので2列目になりました。
順番から行くと、ほんとは1列目になってたはずだったんですけど、
お茶を飲みに、座布団をおいて休憩に行ったので2列目でよかったです。
他の人が言うには、基本的に1列目はトイレにしか行っちゃだめとかいう話で。

座布団が片付けられずにちゃんと残ってますようにと思って、座布団の上にアティルッドラマハヤグニャのシヴァリンガムのカードを置いていったのですが、戻るとちゃんとありました。
よかった。

ババが帰るときも、ババの意思を実行することについての思考が私の頭の中に浮かびました。
そんで、ちっちゃいことなんですけど、なんかしらん、ダルシャン用のクッションカバー(肩にかけれるようにひもがついてるやつ)を買うことの指示があったようだったので買いに行きました。

で、指示になかったけど安くていい品だったので予備を含めて2つ買いました。
さらにカバンもほしくなったけど思いとどまりました。

それで、ババだったらどうするかなーというふうにして、その後しばらくすごしてみました。

考えてみれば、私はすごい影響されやすいと自分で思ってるんですけど、それってどこにでも波長があってしまってもってかれやすいってことで、そうか、ババの波長で物事を行うという手があったなと思いました。
もちろん真実性とか知りませんけど。自分の感じで。

ムカシは、自分でそうしようと思ってなくても勝手に次々(ババを含め)いろんなのが入ってきて、それをなすがままに体験するような時期があったんですけど、今、また、そういうアプローチもあったなと思い出しました。

最近は、自分がどうすべきかをババに聞いて、その返事を自分の意思で実行するという、あくまで自分主体で、自分を手放していなかったのですが、(錯乱状態みたいなのを通ったので、あくまで自分を保って物事を自分のコントロール下に置くというのは自分にとって必要でした)
自分の代わりにババがあらわれるようにして、やってもらうという存在形態では自分はやんなくていいのでラクです。

そういう祈りの言葉とかありますけど(神様、私を通して働いてください、みたいな)これは祈りとかじゃなくて単にラクな存在方法。かなあ。

主名は今日はキーホルダーをイヤリングみたいに両耳にぶらさげるのが気に入ってました。
それを見た人のリアクションも大きいものだからますます喜んで。

そういえば、チェンナイに住んで、ヤグニャのセバしてた人が来てたので、ヤグニャの思い出話をそれぞれしました。
ヤグニャの映像がかっこよかったと言ったら、映画の踊るマハラジャのプロデューサーが、ヤグニャの映像のプロデューサーをしてたそうです。で、ヤグニャの祭壇とかも映画の大道具を作るところに注文してつくってもらったそうです。
ヤグニャを見て、「映画みたい」と思うわけですよね。
「トイレがショックでした」と言ったら、「インド人もショックだったみたい」と言ってたので笑いました。
インド人が「すっごい汚かった」といってたくらいだからけっこうなもんだったのかも?でも、2日目には慣れましたけど。
トイレも含め、何もかも短期間で一から作り上げたあのチェンナイのヤグニャは、そのことを思うと感嘆します。

【2007/02/15 15:31】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ババのドライブ
オレンジのスカーフをつけた、大人数のテルグ語圏の人たちはもう帰ったみたいです。

今朝は、サウスインディアンキャンキャンティーンで朝ごはんを食べました。いつものじゃなくて、今日はしゃばしゃばのお粥にカレースープをかけたやつだったので、手で食べにくくて、しかも最近は昼はいつも部屋で雑炊を作って食べてるので「朝も昼もおかゆかー」やっぱ、ごはんより先にダルシャン行くべきだった?と思ってたら
キャンティーンの外をババが車で通りました。

ダルシャン行かなくてもダルシャン受けられちゃった。ラッキー。と思って、バジャンに行こうとしたら、ゲートが閉められてて入れませんでした。

他の人も文句を言ってて、しばらくしたら開けてくれました。
しばらくしたらババが車で女性側の入り口から入ってきました。
どこをドライブしてたんでしょう?

16日がカレンダーによるとマハシバラトリです。
ここで参加するのは初めてだし勝手がわかりません。
まあ、うちらは気楽にしてようと思います。
リンガム見れなくてもしょうがない。
というか、ホールに入れなくてもしょうがない。ですね。
ここでも夜通しバジャンがあるみたいですね?
【2007/02/13 15:19】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
1月22日の日記(ヤグニャ3日目)
そういえば、昨日も今日も夢にババが出てきていました。
ヤグニャさぼりがちだからでしょうか。

今日のは夢というより、夢と現実の中間みたいな時に、イヤなのに来られてた(何かよくわからないけど、すごいいやな存在形態のに無理やり干渉されていました)ので、
その状況からのがれようとババに祈ったらのがれられました。

起きて、ヤグニャで浄化されて行き場を失ったものが、ヤグニャを休んだ(でもつながってる) 私のところに流れ込んできたのかなとか思ったりしました。

なので、朝9時半くらいにですけど、ヤグニャに行きました。

会場に近づいて、ルッドラムのヴェーダが聞こえてくると、
私の首から下が、ルッドラムと会場と一つになっているエネルギーのようなものと同化して一つになって、首から下がとりもちで(古い?)とられたように 会場に引っ張られていくカンジが面白かったです。
しかし首から上は?未浄化部分でしょうか?
そういえば以前、 ヴェーダチャンティングする人の部屋に行ったときもそんな感覚でした。
首から下がなくなったような。

ババが前の壇上に座っていました。
しばらくしたらアルティになったので、混む前に早めに会場を出ようとしたら、ババの車が通るまで通行止めで、またもや暑い中ギューギュー詰めになりました。
気分が悪い人とかが、壁の影に行ったので、周りの人たちが、半泣きの主名もそっちに行けるようにあけてくれて、涼しいところに行けました。
プラサードももらいました。

ココナツ売りは、いっぺんに注文をさばこうとあせって、わけわからなくなっていました。

今日は4人くらい日本人と会いました。
今いるゲストハウスにも私のほかに4人くらい泊まってるらしいのですが、ほとんど会いません。
みんなやグニャに集中したいんでしょうね?
(後で知りましたが、ゲストハウス側に予約をキャンセルされてて、泊まれなくてよそに移った人も何人かいたそうです)

ババが今日か明日に移動すると、アシュラムの住人が言ってて、もう移動の車の手配とかに動いてたので、せっかくここに慣れて、勝手がわかって楽しくなってきたとたん移動かー、と思いました。
最終日にここにいたくないとか思った望みが叶ったのかなとか。
でも、ホントかどうかわかりません。
チェンナイスタッフ間ではそういう情報はないそうで。
今ババが動いたら、がんばって用意したチェンナイの人たちが悲しいですもんね。

午後は1時くらいに行きました。
キャンティーンのご飯を食べようと思って。
そしたら1時7分くらいだったんですけど、1時で終わりといわれました。
なんだかんだ言って少しねばったら、おばあさんのセバダルが他の人に怒られながらごはんを持ってきてくれました。
よかったです。また泣きが入るところでした。

最近気がついた、というか、知っててもそれが当然と思ってたんですけど、自分の被害者意識が自分の世界を毒してるように思います。
子供ができてから特に、そういう意識が強くなっています。
自分は悪くないのにひどい目にあってるとか。
みんな非難するばかりで助けてくれないとか。
確かに、子供の世話の負担と責任が母親に集中しがちな日本や、私自身の状況とかありますけど、その反動で周りに対するうらやましさや憎しみや恨みがかなりあります。
あるけど、しょうがないから、やることやるしかない、みたいな孤独感とか。
それが自分にとって、広がることやつながることへの障害になってるように思いました。
これは甘えや自我意識なんでしょうか?

ゲストハウスのおじさんやお兄さんらが主名の相手をしてくれる(というか、からかう?)だけで、私もなごんで、明るく安らかな気持ちになります。
おじさんらは自分が気分転換に遊びたいだけかもしれないし(そんな感じ)助けるとかそういうんじゃないかもしれないけど実際助かってますし、その時そこには分離間がないので私も孤独感を味わいません。

今日もヤグニャ会場で3回トイレに行きました。
もう、今日はトイレに近いところに座りました。

ガナーナーーム、トワー、トワー、とか言う、名前は知りませんけど、あの、ラップみたいなののルッドラム版みたいなのをやってたような。
たんにずらしつつ、交代で唱える方法かもしれませんけど。
あんなのCDで出たらいいなと思いました。

ヤグニャの様子などをTVカメラで記録していて、クレーンにカメラをつけて自由自在に動かせるやつを使ったりもしているので、ビジュアル的にかっこいい絵がモニターにうつっています。
このカメラ、プッタパルティでも見たことありますけど、なんとなく、さすがチェンナイ、映画の街、と思いました。

ヤグニャ、初めて参加する人はすごく印象的と思います。
ほんと、舞台装置みたいです。
私はプッタパルティに続いて2回目なので、今回、ヤグニャの、ヤグニャとしての印象はゼロに近いです。
前回はすごい自分の中で盛り上がるものとかあったんですけど。
今回は、何か、それ以外ばかりです。

でも、色んな出来事の中心には真空のようなヤグニャがあるのかもしれません。
プッタパルティでも、ババの存在は真空のようになってきて、それ以外の事柄に、実際的に取り組んでる気もします。
でもきっと、そういう具体的な事柄は全部ババと自分(真我と個我?)との関係性を表しているのだろうと思います。
自分自身が真空のようになるまで。

そういえば今日、主名とキャンティーンの昼ごはんを食べてたらテレビのインタビューを申し込まれましたが、英語がうまくしゃべれないんで、と断りました。
ニコニコするんで最初知り合いかと思いました。

チェンナイの新聞各社もヤグニャとババのことを大きく取り上げているようです。
ゲストハウスにあった新聞を見てみると、
4面にわたって特集してるところもありました。
新聞を見てたらアマチとヨグマタさんも載ってました。
インドに新聞で日本人ヨギ(ヨグマタ)を見るとは思わなかったなあ。
72時間だか地中に埋まる公開サマディとか、そういうのをやったんでしょうか?
(アマチは後で、27日にチェンナイに来てたと知りました)

ババは4時半くらいに来ました。
ゲストスピーカーが3人くらいスピーチして、ババガ舞台裏に引っ込んだので、みんなてっきり帰ったと思って帰る人も多かったですが、そのうち再登場したのでみんなあわてて座りなおしました。
私も今日は早めに帰ろうと思って、歩き出してたのであわてて座りました。

たいこ?とか、色んな楽器の超絶演奏がありました。
結局今日もアルティが終わるまでいました。
またプラサードをもらいました。朝と同じやつ。

今日は野菜スープと、カレーセット(カレー、チャパティなど)とパンとジャムとはちみつとほうれんそうのおひたしと、きゅうり。
それくらいを夕食にしました。
あー、ホットミルクとかラッシーとかも。
大体毎日同じでさすがに飽きてきました。

今日は、というか今日もたくさん怒りました。
怒らないことには物事が前に進まないようなサイクルになってて。

主名が「ん?」というのが口癖になってて、私がしゃべり始めたとたんに
「ん?」と言って、しゃべりおわっても「ん?」とかいうのを繰り返すので、
「何回も言うな!(言わせるな!)」と、これまたイラついて。

主名が「これ見て」と言う時は私は見たくないです。
たいがい、何かこぼしたりしているので。

私はいつになったら寝れるんだろう、と思ったらしまいに主名は床ですべてこけて泣き。
「さわこが起こして~。おきられへん~」
って、自分で起きろ!

また風呂&着替え。
すでに慰めるような心の余裕は消失していたので、怒り続けて、ベッドによじ登らせて
「こっち来るな私に触るな。そっちで目つぶってじっとしといて」
と言って、自分の用事をしました。

そしたら
「水飲む」
と言って、ペットボトルの水をベッドにこぼしたらしく、
「これ見て」

見ずにいたらそのうち寝ました。

明日のヤグニャは起きれないかな。
というか、寝る時点で早朝に目覚ましをかける気力がもうないです。
ヤグニャに行かずとも怒れるシヴァが私の中に!
母子べったり癒着しすぎなので丁度いいです。

昨日買ったインド製4色油粘土もたいがいで、油で練った絵の具みたいなシロモノだったので、部屋や他のおもちゃ中、色や油がつきました。
しかもべったり張り付くという。
面白いだろうと思って買い与えて、面白そうにずっと遊んでいましたが、さすがに捨てさせました。

チェンナイのヤグニャ会場、雰囲気があっていいなと思いました。

主名は宝石屋のカレンダーをとうとう手に入れました。
3つ持ってたセバダルに、ねばってねだってもらいました。
よーやるわと思いました。
【2007/02/12 22:16】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
地元の人たち
今朝はババがしゃべってました。
最近何百人ものすごい団体で来てる、オレンジ色のスカーフのテルグ語の人たちに向けてです。
なので通訳なし。
テルグ語で直接話が聞けるって、どんなかんじなんでしょう?
なんか、すごい内輪で話してるって雰囲気でした。
マイクの声もちっちゃくて。

午後はその人たちが音楽や踊りなどしながらババの前を練り歩いて、その後、劇をしてました。
もちろんこれもテルグ語の劇。
サッチャサイなんとか~とか、そういうのは聞き取れますけど。
路上生活者に毛布を上げたりする劇をして感動的な音楽が流れていました。
テルグ語で劇をやったら、ババも他のよりちょっと余分にうれしかったりするんでしょうか?

プラサードがその人たちに配られて、残りを他の人たちに配られたのですが「何だ、朝のプラサードと一緒か」とか思ったらこっちまであたりませんでした。
朝と一緒でも、みんながもらってたら私もほしい。

劇の後、ババは壇上から降りて、そのまわりをテルグーの人たちが取り囲んでババが埋もれたので何をやってるかよく分かりませんでした。
カメラ入れてモニターでうつしてほしいなー。

ダルシャンとバジャンの後、テルグーの人たちはアシュラムの外も練り歩いていました。
踊りとか、アフリカのみたいですよね。
激しくてリズミカルで。
あんなんで町を練り歩いたらほんと、今の自分だったら1分も持ちません。

バジャンの後、セバダルたちに対してものすごくカンカンに怒ってるたぶんロシア人のおばちゃんがいました。セバダルに言われたからここに置いといたらなくなった。どうしてくれるっ。とか、よく知りませんけどそんなとこかなと思いました。
しまいに大きな音を立ててしりもちをついてうめいていました。
うう。。。かわいそう。。。
自分もよくカンカンになるだけに他人事とは思えない。

私のカンカンの残り火は、バジャン後セバダルにちょっとものを尋ねて、
たまたまその人はヴェーダ教室に来てるお姉さんで、だから何ということもないのですが、なぜかそれでふわっと楽になりました。

今日はこれらの行事があったので、ヴェーダ教室はお休みです。
【2007/02/11 22:01】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
1月21日の日記(ヤグニャ2日目)
一応4時半に目覚ましをかけて起きましたが、その時間にヤグニャに行くのは疲れの抜けてない私と主名にはきつかったのでまた寝て、
10時半くらいに私も主名も起きました。
あれだけ昼寝したのによく寝ました。
(しかし、寝ようと思って電気を消したら蚊が襲撃してくるので起きてたたく、というのを5回くらい繰り返してやっと寝れます。ドアの開閉時に入るんでしょうね?)

部屋で野菜ラーメンを作って食べました。
インドのインスタントラーメンの麺だけ使って、買ってきた野菜を入れて、塩と昆布だしで味付けしたら主名もよく食べるので。

部屋でくつろいだ後、午後のプログラムに行こうと思って、
1時前に部屋を出ました。
会場の近くのキャンティーンはまだ昼食をやっていたので食べようかなーと思ったけどやめました。
朝と昼と3時のお茶だけで、夜はやってないそうです。
ココナツを飲んで食べました。
ココナツを飲むとみるみる体の調子が整います。

昼間に屋根なしのところ(家畜席。。。)に座らされたらきついので、
気持ち早めに行って、1時過ぎくらいに会場に行きました。
おばあさんセバダルに導かれるままにスピーカーの前に座りました。
始まったらやっぱり大音響で耳が痛かったです。
おばあさんなら丁度いいんでしょうけど。

3時か4時くらいにやっと始まりました。
午後はカルチャープログラムと聞いていたのですが、なぜか普通にヤグニャをしていました。なぜ?

ここのトイレには2度と行かないと前日心に誓ったのですが、3回行きました。もう慣れました。
中央の水汲み場から、それぞれ手桶に水を汲んで、それ持参で個室に用を足しに行くシステムでした。

ヤグニャは、プッタパルティで行われた時より進行が少しガタガタしてるように感じました。
ヴェーダ間違えたり、息が合わなかったり。
やっぱり、プッタパルティはもう場が出来上がってるから、すごくやり易くて、力もこもったんじゃないかと思います。

チェンナイは持ち物制限もゆるくて、新聞を中に持ち込んで読んでたり、なぜかみんな宝石屋さんの大きいカレンダー(きれいなお姉さんたちが宝飾品を身につけてほほえんでいる)を持ってて、見てたり、
後ろのおばちゃんが主名にラーマクリシュナの奥さんのカードを手渡してきたりしました。
あー、ずいぶんプッタパルティと違うんだなあと思いました。

でも、何もないところからよくこれだけの受け入れ態勢を整えたものだと思います。ゼロからですよね。
会場もこのために作ったみたいだし。
10月のダサラから準備を始めたとか言ってましたので、3ヶ月もしないうちに。
宗教の力、って感じです。

チェンナイに来て、ふつうの都会の中にポンとサイババが来て、そこに集まる人々がいて、そういう光景がすごく、自分の中の「宗教」の光景と合致しました。
非現実的な感じというか。
非現実的な現実をみんなで共有してる感じが。
その集団意識と、それとは関係ないように通常通りにしてる都会の光景のコントラスト。
プッタパルティだと、何もかもがサイババな、村全部がサイババ王国ですもんね。

6時過ぎにバジャンが始まりました。
早めに会場を出ようかと思いましたけど、一応アルティが終わるまでいました。
サイババは今日の午後は登場しませんでした。

門を出るまでにまた、よくわからない通行止めがあって、寝てる子をかついで重いんですけどーと思いながら待ったりもしました。

門の外でまたココナツを飲みました。
特大のやつ、15ルピーとか言われましたけど、どうでもいいという感じでそれをもらいました。
ちなみにプッタパルティだと7ルピーです。

いつもと違う、とおまわりの道から帰ってみると、スーパーを見つけました。
気のきいたものもいっぱい置いてあったので、楽しく買い物しました。
フレーバーティとか。

2Fは日用品が売ってて、主名は売り物の、足でこぐ、車がついた木馬を乗り回して、「もう行くよ」と言っても「イヤー!」でした。
(乗ってる間に壊れるんじゃないかとはらはらしました。)
店員もきびきびしていて、チェンナイは都会だなーと思いました。

アシュラムのショッピングセンターは安くていいんですけど、並びまくらなくてはいけないのがつらすぎます。
すべてサーダナとかいいますけど、しんどいサーダナはしなくてもいいような。

ヤグニャもプッタパルティで行われた時は、主名が吐こうが熱出そうが喘息になろうが休まず行きました。
あれは、かなりがんばったので、(主名が?)がんばるのはもう、あれで終わりでいいような気がしています。

今回のチェンナイのやグニャは、流れに逆らわず、別にむちゃくちゃ来たいと思わないけど来たようなところがあります。
私としてはババのいないプッタパルティでのんびりしたら楽しいだろうなと思ったりもしていたのですが、(お金も減らないし)
チェンナイに来るように促す力があったので、ある意味やむを得ずそれに乗ったかんじでした。

でも、今回来てみて、コダイカナルは行ったことないんですけど、コダイカナルの予行演習をしてるような気にもなりました。
キャンティーンがなくても、大丈夫そうです。

今晩も道端の店からチャパティやココナツカレーなどを持ち帰り、
パンとか牛乳とか野菜類とかそういうのを買って帰りました。
で、野菜のスープを作って、定番きゅうりと、持ち帰り品の夕食にしました。
普通に生活する、ということは私にとって、多分課題(もしくは願望?)みたいなもんなんじゃないかと思います。
子供を生かしながら!?

そういえば、アシュラムで見かける人が次々到着しているようです。
日本人はうちらを入れて10人くらいでしょうか?
【2007/02/10 22:54】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
いらいらっ
もうすぐマハシバラトリです。
多分、それも関係あるんだと思いますけど、かなりイライラしています。
今日は急に人が増えました。

昨日は主名は夜中まで泣きまくりで、今日の朝はダルシャンに行く気力がわかなくて部屋で寝てました。
昼食を食べて、2時半くらいに行ったらすでに人がいっぱいでした。
それでも前のほうに座りましたが、ババが来る合図の音が流れたとたん
「おしっこ」
ババが前を通り過ぎるまで我慢させて、外に連れ出してそこら辺のみぞにさせようとしたらおしっこと一緒にうんこが。。。
セバダルが何人か集まってきてなんか言われました。

どうしようもないので、ティッシュでうんこをみぞに落とし、のこりをトイレでさせるために連れて行きました。
今日はババはそのまましばらく前に座ってたようで、ずっとヴェーダが聞こえていました。
気力がまたなくなったのでキャンティーンでお茶を飲んでホールに戻ったら、お茶を飲んでる間にプラサードが配られていたもよう。

バジャンが始まってからも泣いたのでいっぺん外に連れ出して再入場。
疲れました。

いらつき続行中!
はやく主名が大きくなって自立するといいな!

パソコンでヤグニャの日記を書いてるときも電源切ってくれましたよ。
らーふら。。。
【2007/02/10 22:04】 | プッタパルティ日記 |
ヤグニャの日記
チェンナイの日記は長いのでちょっとづつ書いてます。
いつの間にか更新されてるので前の日付のも確認してみてください。
【2007/02/08 23:05】 | 未分類 |
停電
昨日、郵便の荷物を受け取るのに手間取ってカンカンになったことと、ビザをもらうのにだるくってカンカンになったことをブログに書こうと思って書いてたんですけど、停電になってすべて消えました。

なんか、こういうのってここではてきめんですよね。
大体、停電になります。
電話が通じなかったり。
コントロール下にあるというかんじがします。
あー、そうですか。消えましたか。みたいに。腹も立たない。

でも、荷物もビザもチェンナイから帰ってきてからもらうことが出来ました。
【2007/02/08 22:16】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
すみません、こんなのばっかで。。
主名は夜だけおしめをして、昼間はしてないので公衆トイレとかにつれていっています。

今日は和式(インド式?)でしゃがんでうんこをやりとげました。
ほめながら容器に水を汲んで私がさっさと流しちゃったら
「自分で~~~!」
と、主名の逆鱗にふれたようで。
で、どうしたかというと主名はもう一度うんこをひねりだして、それを自分で水をかけて流しました。

根性というかなんというか、ちょっとあきれました。
【2007/02/07 22:25】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
1月20日の日記(ヤグニャ初日)
朝5時くらいに目が覚めたので、風呂に入って頭も洗って、と思いましたが、やっぱり水は止まったままでした。
(のちに、主名がおおもとの蛇口を閉めてたことが判明)

主名に吸入をしていたら、すぐに6時くらいになりました。
夜、主名が寝てる間に何度か吸入をしたので呼吸は落ち着いたかもしれません。

部屋の外に出ると廊下は真っ暗でした。
レセプションに行くと外からの明かりが入っていました。
アシュラムでの顔見知りの外国人がいたので少ししゃべって出かけました。

会場には6時半くらいに着いたと思いますが、門のところでボディチェックを受ける長い列ができていました。

門のところでベビーカーとぞうりをおいて中に入りました。
人の流れのままに行きましたが、小石が道にたくさんあって、痛かったです。
こういうのを取り除くとかしないんだろうなあ、ババはこんなとこ歩かないし、とか思いました。
痛くて痛くて。
主名や荷物を抱えてるから余計痛く感じたのかもしれません。

屋根の下は人がいっぱいですでに入れず、横の、木の柵で囲ったところに行くように言われました。
家畜のようで情けなかったです。
それと、そこに行くまでの地面が、たぶんぬかるんだ地面に機械を入れて地ならししたのがそのままカチカチに固まったみたいで、キャタピラ状態に固まって尖ってて、歩くのが困難でした。
他の人も柵に寄りかかって体重をあずけながら歩いたり、体重の軽い子供らでさえ、痛そうに歩いていました。
裸足を強制するなら、こんな地面を歩かせないでほしいと強く思いました。
セバダルとかはちゃんとぞうりを履いているのに。
それで、あまりにも痛くて泣きが入りました。

座るところは土の上。
座布団、よく持ってきたもんだと思いながら座りました。

それと同時にガナパティプラールタナや他のヴェーダが唱えられはじめました。

しばらくして主名が「おしっこ」と言ったので、
「ごめんやけど、おしめにして」と言いましたが、
「イヤ~~~」と泣き顔をするので、セバダルにトイレの場所を聞いて、抱いて連れて行きました。

また、ザクザクの痛すぎる地面の上を裸足で歩かないといけないので、ためらってたら、セバダルが声をかけてきたので足が痛いといいました。
そしたらそのセバダルが主名を抱いて、トイレまでついてきてくれました。

しかし、初日の朝というのにすでにトイレはぐちゃぐちゃで、ほんとにイヤでした。
このヤグニャのために急いで作ったんでしょうけど、個室の入り口はゴザがつるしてあって、空いてるかどうかはみんなゴザをあげて、中をのぞいて確認していました。
(おしりが見えたら使用中)

中央に水がためてあって、みんなそこから水を汲んで手足を洗っていたので地面は泥んこでぐちゃぐちゃ。
朝早くだったので、会場はそんなに人で混み合ってるカンジじゃないのにトイレは混みこみ。
もっと会場に人が多くなったら。。。というのは考えたくありませんでした。

主名のズボンを乾いた地面のところでぬがして、私の両手で後ろから主名の両足を抱えて、おしっこがいつでも出せる状態でトイレに行ったのですが、
その体勢では第3の腕が無い事にはすだれを上げることが出来なくて、誰か近くにいる人に手伝ってもらおうと思っても、みんな順番抜かしして先に入ってしまうので、しばらくトイレの前で立ち往生していました。

やっとトイレに入れたと思ったら、前の人のがそのまま便器の中に。
主名を座らさずに抱いたままでおしっこさせてそのまま出ました。
うちらも流さず。
というか手が空いてないから出来なくて。
(インド人はトイレの近くまで来ても子供にそこら辺の地面でさせてましたよ。そうか。。。それでいいのか。。。。。。!?)

しかし、トイレの地面のぐちゃぐちゃなどがショックで、もうあのトイレには2度と2度と2度と行きたくないと思って、また泣きが入りました。
イヤな思いばかりするのは私の精神に問題があるんだろうか?とか思いながら。

座布団の置いてある近くまで行ったら、セバダルが主名を抱いてくれて、柵をくるっと回って痛い地面を通らず、柵をくぐって近道してくるように言ってくれたのでそうしました。
セバダルに「チャッパル(ぞうり)履いて来たらいいのに」みたいに言われたので、
「私らはチャッパルは持って入れないから」と言ったら、
他のセバダルとそのことについてなにやら話していました。

座ってしばらくうとうとしながら待ってたら、ババが車に乗ってやってきたので、みんな立ち上がりました。
私らは屋根のある会場の外の地面に座っていたのですが、会場の周囲にテレビモニターがつけられていたので、それに映し出される中の様子を見たりしていました。

会場の周囲には実と花がついたまるごとのバナナの木が飾られていました。

到着後、ババは車イスで少し会場中をうろうろするサービスをしたので、みんな総立ちで前に詰め掛けてめちゃくちゃになりました。
私も一応、立って見ました。
主名は砂遊びをしたり、後ろの方のガランとしたところを歩き回ったりしていました。

しばらくして落ち着いたし、日差しも強くなってきたのでもう帰ろうと思って、荷物と主名を抱えて柵から出たら、
そこにいたセバダルに片手で私の両頬をぐいぐい挟まれ、(アイアンクローってありましたよね?あれのほっぺ版)
自分の場所に帰れとか言われました。
失礼ですよね?

私は外に出たいんですとか何とか言いながら、そのセバダルが何言ってるのかな?と思いつつ見たら、
柵の中に座ってた人たちが、
屋根の下の人たちみんなが立ち上がって場所移動したどさくさにまぎれて
屋根のあるところになだれ込んでいたのでした。
なので私も屋根のあるところに入って、会場の中とかを見てみました。

壇上に座ってるババもよく見えましたが、
さらに中央に進むと物影に隠れて逆に見えなくなってしまいました。
でも正面に白いリンガムが見えて、右手には飾られたココナツが見えたので、
同じことかな、と思いました。

チェンナイ代表みたいな人が
「今日は最も神聖な日です」みたいなスピーチをして、
ヤグニャの坊さんのリーダーもスピーチをしていました。

主名が「帰ろうー」とか言ったのですが、
「せっかくいいとこに座ったからもうちょっとだけいようよ」とか言って座ってました。
その後、火をおこす儀式が行われました。

ババが帰るというので、またみんな総立ちでぐちゃぐちゃになりました。
秩序も何もあったもんじゃないです。
私らも帰りました。

わりと早めに出たと思いますが、これがなかなかギューギューで、
しかも、車が群集をかき分け外にずらずら出て行ったので、
通行止めのまま外に出る門の手前でギューギュー状態のまま待たされてきつかったです。
限界と思って、主名を地面に下ろしたり。

門を出て、ベビーカーに主名を乗せると、そこいらへんでプラサードを配ってたので、
私も主名をわきにおいてもらいに行きました。
横から警察のおじさんが、子供がいるからというんで取って渡してくれました。やれやれ。

ババもリンガムも見たし、プラサードももらったし、プッタパルティに帰ろうかなと思いました。
ババがVIPに4日間だけヤグニャに参加するように言ったとかいう話もありましたが、
ほんと、もう充分。と思いました。
日程の最後の方とか、正直、ここにいたくないです。

門のところには今から中に入ろうとする人の長い列ができていました。

私たちが出たのは10時くらいでしょうか。
8時半からと聞いていたキャンティーンに行ったら、もうなくて、次は11時半と言われました。
キャンティーンが設置されると聞いてあてにしていたのですが、あてにならなさそうです。

交通整理のセバダルに聞いたら、毎日、朝5時から10時半だか11時までヤグニャで、
2時から5時までカルチャープログラムで、その後バジャンとかやって、
終わるのは夜7時だそうです。
そんなんムリ。参加できません。

沿道には写真展やバルビカスや物品販売の売店のブースも設置されていました。
蚊取り線香は自分らの具合が悪くなりそうなので、お香を2つ買いました。
コーヒーも長い列ができていたのでやめて、
道を曲がってしばらく行ったところに全然客のいないチャイと水屋が出てたので
2ルピー50パイサのチャイを2杯飲みました。

するとインド人の親子もチャイを飲みに来ました。ババを見たかと聞かれたので、
6時ごろに行ったので見たとか答えました。
「すごい人(人ごみ)で。。。」というと、そのおじさんは、
「みなの心の中の愛がみなをここにひきつけるんだ。みんなつながってるんだ。ラブ、オール!」
と目の色を変えて熱く語りだしたので、しょうがないから「サーブ、オール」と答えて、しばらく聞いてました。
私があまりにも疲れた様子だったので、何とか言ってやらなくちゃとか思ったのかな?とか思いました。
「ベリーグッドチャイ。スワミズプラサード!」
とか言って、ものすごい前向きでした。
おじさんが言うには、やっぱりキャンティーンのごはんはすぐになくなっちゃったそうです。

その後、昨日の夜、チャパティーとかカレーとか買っておいしかった道端の店で
ローティーとプーリー3枚とワラを買って帰りました。カレーやたれつきの。
道端の店のは何で安くておいしいんでしょう。

昼間7時間くらい寝ました。(なので午後のプログラムはパス)
その間、主名は自分でおしっこしたり、ちょっとちびって、
自分でズボンを新しいのにはきかえたりしていたようです。

目覚めてからゲストハウスのルームサービスで、近くのホテルから持ってきてもらうんですけど、
ベジタブルパコラとベジタブルフライドライスを頼みました。
高いのにおいしくなくて、あんまり食べれませんでした。
主名は私が寝てる間、勝手にゼリーとかあけて食べてたみたいで
(昼寝も自分でちょっとしたみたいでした)
私よりも空腹だったようで、
(主名は朝買ったプーリーとかほとんど食べてなかったし)
フライドライスをたくさん食べました。
自分で用意する定番の、塩としょうゆとだしをかけたきゅうりのスライスや、野菜のスープもよく飲みました。
ホットミルクも飲みました。

外の店でロッテのチョコパイが売ってたので買ってみましたが、なんか違うような味でした。

夜、日本に行ったことのある現地インド人で、何かと日本人の世話をしてくれてる人が
様子を見に来てくれました。
こっちに来て、他の日本人と会ってしゃべってないし、
朝、こっち在住でヤグニャのセバしてる日本人を見かけて声をかけたけど
忙しそうに気づかずに行っちゃったので、ちょっとさびしい感じもあったので、
日本語で話ができてよかったです。
日本の知人が彼に私たちの様子を見るよう頼んでくれたようでした。

プッタパルティでの顔見知りで同じゲストハウスに泊まってる他の外国人とは少し話したり、
あいさつしたりしました。

部屋のシーツにいろいろこぼしたりして汚れたので、取り替えてもらったその従業員は
ネパールのルンピニあたりの青年で、今日でここの仕事が終わると言っていました。
主名と、インドのガイドブックを見ながら、ロビーのソファーのところでしばらくの間遊んでくれました。
主名は面白かったと言ってました。
「これクリシュナ」とか会話してたそうです。
【2007/02/07 22:19】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
1月19日の日記(ババ到着)
昨日は明け方4時ごろまで蚊の対策をしていました。
バスルームだけじゃなくて部屋のエアコンからもどんどん入ってきてたので、キッチンペーパーをセロテープでつないで貼り付けたら大丈夫でした。

朝はゆっくり起きて、部屋で玄米がゆとカレーラーメンときゅうりの朝食をとったあと、ババが2時に来ると聞いていたので出かけました。

スンダラムというところに来るというけど、オートリキシャが知ってるかなと思ったら、
案の定、知らなくて、明日からのヤグニャの会場に連れて行かれました。
でもセバダルのおじさんとかにスンダラムの場所を聞けました。

で、行って、セバダルともめたりとかあったんですけど省略して、沿道に立って待ってたらそのうち人でぎゅーぎゅーになるし、暑くて主名もぐにゃぐにゃ言うから、しょうがないと思って、
道の反対側の、いつもババが車に座ってるのと反対側の沿道で待ちました。
そこは人が少なく、涼しかったです。
横によく見かける西洋人?も2人立っていて、
もしこっち側にババが座っていたらいいわね、みたいに会話してるのが耳に入りました。

すると、ババはほんとに、後部座席のこちら側に座っていたので感激していました。
わたしもついでに感激しました。

スンダラムの会場にババが入ったので、急いで追いかけましたが、
招待されてる人しか入れないみたいでした。
なので、塀の外から見てたら、2階のバルコニーにババが姿を現して
しばらく立っていました。
塀の外からといえども近かったしよく見えて、昨日からしんどかったり
イラついたり、セバダルともめたりで楽しくなかったこともあって、
そういうのが溶けて涙が出ました。

それに、チェンナイの都会の喧騒の中にババが現れたことがなんだか感動的で奇跡のように思えました。
プッタパルティだと当然のようになってきて、
ありがたみが薄れてきているということかもしれません。

以前、日本にババが来るのどうのとかいう話があって、
私はそこには関わってませんでしたが、
チェンナイでこれだし、もし日本にババが来たら
すごい感動するだろうなあと思いました。
(でももうヨボヨボだから無理ですね)

その後、マリーナビーチに行きました。
砂浜が広すぎたので、海辺までは行かずでした。

移動遊園地みたいに色々手動で1回5ルピーで回してくれる遊具があったので、主名は3回くらい乗りました。
笛やふうせんも買いましたが、嬉しがって振り回すのでだるかったです。
じきにふうせんは割れたのでよかったです。
笛はあちこちたたき回るたたき棒になっています。

ぜんそくが結構出てて、薬を吸入すればいいんですけど、
私の言うことにほとんど反射的に反抗して
「いや。明日。」とか、「したくないの」とか言って、
全然しなかったらどんどん発作がきつくなって、
本人の機嫌も悪くなるし私も頭にくるしで、険悪な状態になって疲れました。

ホットシャワーはレセプションの方でスイッチを入れ忘れてただけだったので、今日からたっぷりお湯が使える。
と、明るい気分になったら、すぐに出なくなりました。
それどころか水も、すべての水道が止まりました。
きっと、ここのゲストハウスは満室になるようにはシステムができてないんじゃないかと思います。
今回はヤグニャ特需ですけど。

風呂のバケツや手桶がニュルニュルして気持ち悪いので、
割れてた手桶だけ買って、風呂に入ったら、バケツも底が割れてて水漏れしてることに気づきました。
経費ケチりすぎ。

いいこともそうでないこともみな、ババの恩寵で、よくなっていく過程のシナリオのうち。
と、思うことが近ごろくせになるほど、きついことも多いです。
【2007/02/07 00:40】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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