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2月1日の日記(プッタパルティへの移動)
朝7時くらいに寝たと思いますが、朝9時半くらいには目が覚めました。残った食材を使って、わかめのスープと、玄米のおかゆを作って食べました。
ミロも。
で、荷物を完全に作ってしまったらもう出発の時間が近づいていました。
でも、来るときはスーツケースの他に5つくらいのかばんに荷物を入れてきたのが、帰りはかばん2つになってて、よかったです。
おしめとか食材などが減った分です。

時間があれば出発前に海に行って、観光用の馬にでも乗りたかったのですが、海に行かなければ丁度出発まで余裕があるくらいの時間でした。
なので行くのはあきらめて、あまりにもドロドロになっているトイレや排水溝などの水周りを軽く掃除しました。

チェックアウトしようとしたら、14泊だったのに15泊分請求されて、ゲストハウス側のノートには予約してくれたインド人の名前で17日から書いてあるけど、私が来たのは18日の夜なので、しばらく話し合って、それでもらちがあかないので、予約というか世話してくれた人(日本人)に電話したりして時間が過ぎていきました。

その、名前が書いてあるインド人と連絡が取れず、飛行機の時間が迫ってきたので、とりあえず後はインド人同士で話をしてもらうことにして、14日分だけ払って出発しました。
間に入ってくれた日本人の話からすると、ゲストハウス側の勘違いのようでした。
ゲストハウス側も頭がわーっとなってたんでしょうね。
ヤグニャが終わるころにはトイレもいくつかぶっ壊れるし。
(私のいた部屋のトイレも結局壊れたまま)

薄っぺらい英語のババの本を別々の人から1冊づつもらって、同じのが手元に2冊あったので、ヤグニャ中に「サイラム」とか言い出して、指にババの指輪をはめるようになったゲストハウスのおじさんにあげようと思って、もらいもんのカードカレンダーとビブーティと一緒に、出発のときにレセプションにいた若いインド人に預けようと思ったら、
宿泊費のことでイラついてたこともあるのか、
「自分たちはサイババは好きじゃないし、いらない」
と言われたので、
「あー、いらない?」
と言って引っ込めようとしたら、一応、そのおじさんに渡すと言って受け取りました。
そんで、あんたはクリスチャンか?とか聞かれたので、なんで?と思いつつ、違うと答えましたが、あれは皮肉だったのか?と後で思いました。

しかしゲストハウスの人たちは彼も含め、みんなよくしてくれました。
ゲストハウスとしてはもうちょっとなんとかならないのかと思うことも多かったですが。

空港まで乗るタクシーを頼んだけど、出口のガードマンがオートリキシャと交渉してました。
45分も乗るのに、とか、でかいスーツケースやらベビーカーやら子供やら荷物がいっぱいなんだけど・・・。とか思いましたが、タクシーと時間は変わらないというし、今からタクシーを呼んでもらうには時間が押し迫ってきてたので、そのままオートリキシャで空港に行きました。
空港まで170ルピーでした。

ヤグニャの期間中、新聞にアマチが載ってたりもして、アマチも来てたみたいでした。
オートリキシャから街のでっかい看板を見ると27日に来てたみたいでした。
ヤグニャといい、アマチといい、今の時期は「チェンナイ」だったんですね!?
もし前もって知ってたら、27日だけアマチの方に行ってたかもなー、行きたかったかもなーとか思いました。
そしたら、ぞわぞわっと鳥肌が立って、涙が出てきたので、行かなくてもつながり直したみたいなカンジで、アマチの偏在性を感じました。
ついでに他の会ったことのある聖者さんのことも思い出しかけましたが、ややこしいのでやめました。
ババのでっかい看板も、他のふつうの商品広告とかのように街を構成するパーツとして立っていたので、不思議な気もしました。

空港についてチェックインしようとしたら、2人だと30キロまでのところ、38~39キロになってて、オーバーしてるので、5キロ分の70×5キロ=350ルピーだけ払いなさいと言われました。
あー、オーバーするかもと思ったけど、しましたか、と思いつつ、ベビーカーの分はいっつも払ってないから、ベビーカーは5キロだから、4キロ分の70×4=280ルピーだけ払うと言ったら、しばらくお互いに言ってて、結局280ルピーにしてくれました。

今回のエアーデカンのチケットは、2人で2800ルピーくらいと安いし、そういうところは荷物制限が厳しいのも知ってて、内心申し訳ないなとも思ったのですが、後で考えると、なぜか子供料金は大人より200ルピーくらい高かったし(なぜ?気のせい?)しかも子供に対するサービスなんてものもなかったし、主名自身の体重は15キロくらいと、大人より50キロくらい軽いじゃないですか。
超過料金全然払わなくてもいいくらいだったなと思いました。
安いチケットは非常にありがたいですが。

機内食もないかもと思って(なかったです)水と、べジのハンバーガーを買って、待ってる間に食べました。

搭乗案内があってから、ちょっとトイレに行ってからゲートを通過したら最後の客でした。

飛行機は60~80人乗りでしょうか。
機体にはドーティだかルンギーだかをはいて、てくてく歩いて旅をするおじいさんのイラストが描かれてあって、いかにもローカルな雰囲気をかもし出していました。

飛行機に中に入ってみて、みんながさっさと乗り込んだわけが分かりました。
席は早い者勝ちでした。
なので、私と主名が横に並んで座れるようなところはもうなくて、前後に並んで座りました。
主名、大丈夫かなーと思いましたが一応大丈夫でした。
うろうろしちゃったりしてましたけど。

バンガロールに近づくと結構ゆれました。
でもほぼ定刻に着きました。

空港を出ると、予約してたタクシーの人が待ってくれてました。
これだけスムーズなのはめずらしかったりします・・・。

行きと違って、全然しんどくなかったです。
車種とか、色んな要素があると思いますが、やっぱ車って、ドライバーの精神状態が影響してきますよね・・・・・。
行きはチェンナイまで休憩入れて10時間かかって、すごいしんどかったと言ったらドライバーは驚いてました。
彼の場合は6時間で行って、帰りは客なしだったから1回休憩しただけで5時間で帰ってきたとか言ってました。
それを聞いて私が驚きました。

休憩入れて、プッタパルティまで3時間半ほどで着きました。
主名は2時間くらい、座席に横になって熟睡してました。
見たがってた踏切があったので(踏切好き)あーあと思いました。

山に沈む夕焼けが赤く燃えていました。
初めて主名をプッタパルティに連れてきた時は早朝で、日の出の光景を見て感動したっけなー、と思いました。
12年前に初めて来た時は、風景そのものがどれもこれも珍しく、胸を打つものばかりだったので、ずっと、くいいるように車窓を見てたっけ、とも思いました。

プッタパルティに着いて、アパートの近くの車が入れるところまで行ってもらって荷物を降ろし、アパートのウォッチマンに運んでもらおうと思って呼びに行ったけど時間は8時前。夕食を食べに自宅へ帰っていていませんでした。
しょうがないから、主名の手をひいて、スーツケースも転がして荷物もかついで歩いてたら白人の男の人がスーツケースをアパートの部屋の前まで持って上がってくれて、助かりました。
ああ、安楽なプッタパルティに戻ってきた、という気がしました。

アパートの隣の部屋のおばちゃんも廊下に出てて、私たちが留守の間、毎日、私たちの洗濯ロープの洗濯ばさみの数を数えてたと言ってきました。
昨日は5個しかなかったと言ってました。
今日は15個あるそうで、誰かが持っていって使ってるようだとのことでした。
しかし、おばちゃん、ヒマ?
というかおばちゃんは、老々介護で歩けないお母さんの世話をしてるからあんまりアパートの部屋から離れられないんですけど。

部屋はきれいにして出て行ったし、帰ってきてきれいで嬉しかったです。
なぜかアリの死骸がたくさんありました。

落ち着いてからチベット料理屋に夕食を食べに行きました。
奥の端っこの席がとても気になって、でもそこに座ってこちらを向いてる白人男性は別に知らん人やしなーとか思ってたら、こちらに背を向けて座ってた人の空気に反応して気になってたのかもしれなくて、その人が帰る時には今度はわたしが見なかったので肉眼では確認しませんでしたが、その人がこちらを見た気配がしました。
なにかテレパシックな感応が起こったような奇妙な感じでした。

ヤグニャでなんか感覚が多少鋭敏になってるのかもしれません。
久々に下痢して、その後、食べる量が減りましたし。
というか、子供ができてから、体力を落としてはいけないと思って、力を蓄えるために食べてて、常に過食状態でしたから、普通に近い状態に戻っただけです。

今回のチェンナイで主名との関係性も少し変わって、癒着度が少しマシになって、少し自由になったような気もします。

アパートに帰るとき、満月かほぼ満月の月が明るく夜空に浮かんでいました。
周囲をオパールのようにつやのある光の色が取り囲んでいてとてもきれいでした。

安楽なプッタパルティに帰ってきて、自分がとてもいい状態なことに気づきました。
この感覚は丁度、以前の、2週間ほどプッタパルティへ旅行して、日本へ帰ったときのような心地よい違和感です。

主名はこの2週間、限られたおもちゃで遊んでいたので、部屋に帰ると他のおもちゃや絵本を片っ端から出して並べて遊びました。

このアパートに帰ってくると、その静かなことに気がつきました。
以前は結構うるさいと思っていたのですが、チェンナイのゲストハウスは大きな道路沿いで、トラックとか走りまくってましたから。
それを思うと、ここは沁みるような静寂です。

今回のチェンナイのヤグニャはよかったです。
すごくいい気分転換になりました。
ガイドブックは持って行きましたが、結局、地図上でのヤグニャ会場やゲストハウスの場所は知らずじまいでした。

帰ってきてから、もう少し詳しい(でも10年前の)ガイドブックを見たら、神智学の建物とか、児童公園なんかもあるみたいですね?
もしまた行く機会があれば。

(おわり)


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【2007/03/29 13:01】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
1月31日(ヤグニャの翌日)
今朝はダルシャンがあるだろうからと思って、目覚ましをかけていましたが、主名にしっかり止められていました。
なので、10時くらいまで寝ていました。

起きて、さすがに今日は、翌日のエアーチケットをもらわないとと思って、チケットをとってくれた人に電話したら、先日人づてにもらった、プリントアウトした紙がチケットになるそうです。

電話を外にしにいったのですが、主名がごねてごねて。
抱っこがしんどいし、歩かせたのが気に入らなかったようで。
部屋に帰ってからもずっと、聞きとげられないような要求をし続けていました。

しかし、ベジタリアンレストランが気に入ったみたいで、それをダシに泣き止ませるのに成功。
レストランまで結構距離があるのですが、ずっと自分で歩いていきました。
すでに5時ごろで、夕食ですけど、食べました。
マサラドーサとイドリーとベジタブルヌードルとチャイとホットミルク。
主名はドーサをよく食べます。
何もつけずに。

イドリーはチャイにひたして食べさせてます。
カレーとかがついてくるけど、主名は食べないので。
イドリーをチャイとかコーヒーにひたして食べさせてたら、プッタパルティのキャンティーンでもよく笑われるんですけど、今日も注目されてて、客のおじさんに、
「イドリー イン コーヒーだなっ!?」
みたいに、ナイスという響きで言われました。
インド人にとっては面白い光景のようです。
ちなみに、イドリーは、すっぱめの白い蒸しパンです。

ベジタブルヌードルはこしょうが効きすぎで、主名は一口しか食べず。
私がみんな食べました。

食後にバニラアイスを買って、店の外で食べました。

そしてオートリキシャを拾って、マイラポールのラーマクリシュナテンプルに行きました。
ここの本屋に行こうと思ってて、他の行った人が本屋のあいてる時間のこととかを言ってくれてたんですけど、あんまりちゃんと聞いてなくて、今行って、開いてるのかなーと思いました。
閉まっててもいいや、くらいの気分で。
オートリキシャで向かってるうちに、夕方だし、バジャンやってるかもなーとも思いました。

着いたのは6時15分くらいでした。
予定の書いてある看板を見ると、6時15分からアルティとありました。

テンプルは、キリスト教の教会かと思うような白くてきれいな建物でした。
階段を上がっていくと正面にラーマクリシュナの像が座っていました。
服を着せられ、花を飾られて。

視覚的に見慣れない光景なので、脳がその都度新しい回路を構築していました。
集まってきた人は床に座っていました。
サイババのところとは逆で、女性が右で男性が左でした。

後ろのほうに座りました。
懐かしく、嬉しい気持ちで、久々に魂が高揚して軽やかに感じました。

ババのところはほとんど成り行きとか義務のようなところがあって、いつも土臭いような、逃げ場がないような息苦しさがあるので。なぜか。
たぶん、生きてる人(ババ)のところに集まって帰依するという状況が、濃いんだと思います。

ラーマクリシュナテンプルのアルティは6時15分からとありましたが、6時15分から線香に火をつけたりの準備で、実際にアルティが行われたのは6時30分くらいからでした。

非常に優しくて美しくて治癒的な雰囲気でした。
アルティをする坊さんの動きがとても滑らかで、ゆっくりふわふわ舞っているかのようでした。
歌声も半分眠っているような。

非常に治癒されちゃって、なつかしく安らいだ涙がポタポタ落ちました。
本来自分はこういうきれいな、神聖なばっかりの世界にいたはずなのに、サイババに会ってからというもの、神聖さはみんなサイババに行っちゃって、私にはそれ以外の邪悪なものだけが現れ続けていてつらいのなんのという。
と、そういうことを思ったりしました。

非常に安らぐ世界でした。

でもたぶん、それって、形式による神聖さになったりもしてるのかなあ。
坊さんの美しい動き~ひらひらと蝶が舞うような~は、陶酔的で、いいけれど、毎日だとだるいかもと思いました。

ババのところはそういう陶酔的な美しさに安らがさせてくれるのは少ないように思います。
常に叩かれて目覚めさせられるような。

でもでも、形式による神聖さは私にとってすごく安らぎます。
ドロドロした息苦しい胸の中が空っぽになるようで。

アルティが終わって、別の歌になりました。
自分一人だったらそのままそこでたゆたっていたと思いますが、主名が私の周りをぐるぐる走り始めて、いくら言ってもつかまえてもやめないので、あきらめて出ました。
でもほんとは、もうそろそろいいかなとも思ってて。

入り口を出て振り返るとラーマクリシュナが「またいらっしゃい」と言ったように感じました。

本屋は午前9時半から午後1時、午後3時半から午後8時が開いてる時間でした。
その時点で午後7時くらいだったので、全然大丈夫と思って、敷地内の案内をたどって行きました。

そしたら、オールドテンプルとかいうのがありました。
さっきのよりもう少しインド的で、こじんまりしていました。
暗い木立の中に静かに建っていました。
中に人も2人くらいしかいなくて、座って瞑想したりしていました。

そうっと入りました。
正面にでっかいホーリーマザー(ラーマクリシュナの奥さん)の像。すご。
人間がこうやって崇拝対象になるんだなあ、この人は崇拝対象になったんだなあ。
と、そのことがなんか感慨深かったです。
インドの神様の像と同様のつくり(雰囲気)で作られていたものですから。でもいやじゃなかったです。
少し座ってから、あいさつしてまた、そうっと出ました。

オールドテンプルのさらに奥に本屋さんがありました。
子供向けのもたくさんあったし、サイババばっかり見てたから、写真も違う人のだし、ものめずらしくて新鮮でした。

主名は本屋さんは(というか店なら何でも)好きなので、歩き回って触って手に取りまくってました。ヒヤヒヤ。

レジに座ってる人の雰囲気とかも含め、禅の総本山のところが連想されました。行ったことないけど。

ヴェーダ関係は2階にありそうだったので2階に行きました。

本棚をあちこち見て回っていたら、気がつくと主名がズボンを脱いでいるではありませんか!?
また、ちんちんを出して遊ばれても困るので駆け寄ると
「おしっこ」
えーっ、と思って、床に座って作業してる男の人らに聞いたら、トイレは別の建物だと言うので、急いで外に出ました。

静寂な寺の敷地内だし、そこらのしげみでというのも気が引けて、(プッタだとそこらへんでさせることもよくありますけど)オールドテンプルまで戻って、職員らしきおじさんに聞いたら英語が通じないらしく、
「スワミジが来るから」
と、指差された方を見ると、オレンジ色の僧衣の坊さんが来ました。
主名に機嫌よく話しかけてくれたので、内心切羽詰ってましたけど一応私も主名に坊さんに答えるように促してみたりして(主名はそんな余裕もなしで、無言でパンツの上からちんちんをつかんでいました)
で、そのスワミジにトイレの場所を聞いて、さっきのおじさんに案内してもらいました。

大きなテンプル(最初にアルティに参加したテンプル)のさらに向こうの、えらく遠いところにトイレはありました。
おじさんもあせらず、ゆったり歩いてて、主名、おしっこもれるんちゃうかと思いましたけど大丈夫でした。

暗かったのですが、私らが通るんで、さっきのおじさんが別のところから明かりをつけてくれました。
なので、私たちが歩いていくのに合わせてライトアップされました。

しかし、静かで、高野山の道を歩いてるみたい、と思いました。
(こっちは行ったことあります)
しかし、プッタパルティは、僻地なのにまるで都会のようであることが驚きの対象となり、都会の喧騒の中にあるラーマクリシュナ寺院では山中のような静けさに感心して、こういうのって、なんなんだろう、ないものねだり?と思いました。

しかし今回、チェンナイで思ったのは、プッタパルティがへき地で、町全体がサイババ王国になっているからこその効果についてです。
私みたいに、ある意味主体性がなくて流されやすい人間は、チェンナイにもしサイババの大アシュラムがあって、そこに初めて来たとかだったら一般の都会の空気にも波長が合うので、サイババに浸りきったままというのは出来なかったと思います。

しかし初めて行ったのがプッタパルティだったので、全部サイババ。

環境に調教されてる面って大きいと思います。
というかそれしかなかったりして。
今はあえて調教、いえ、外側から働きかけてもらいにプッタに来てると思います。

トイレはさすがにインドにしてはきれいでした。
主名はパンツには少しちびってたのでズボンだけはかせてまた本屋に戻りました。

オールドテンプルのところではさっきのスワミジがいましたけど、他の人としゃべってたので横を通り過ぎました。
別のスワミジらしき人が前から来て、数メートル前から非常に胸が開くカンジがありました。
すれ違うときに愛想よく主名に何か話しかけていきました。

本屋の2階に戻ると、店員が車のおもちゃ忘れていったよ、と言うので見たら、主名の大事なおもちゃ類を忘れていってました。

本を改めて見て回りましたが、主名が「これ買うの」とか、「あっち見て」とか、私を引っ張って指図するので見てられません。
閉店時間が迫っていたので店員にヴェーダのCDかテープがあるかと聞いたら、今まで見てたのと別のところにありました。

よく分からないけど、あるのを適当に買いました。
あと、主名が最近ハタヨガとかのマネをして遊ぶので、ハタヨガとかスーリャナマスカールの本やポスターを買いました。
と、カイラス山の写真とか。
荷物一生懸命減らしてるところなのに買い込んでしまった。

主名が1階に走り去ったので、もうほっといて、CDをゆっくり見てたら、しばらくしてキャンディーをいくつかつかんで戻ってきました。

ドゥルガーの、よくわからん3枚組のCD、買おうかどうしようか迷ったので、サイババに心の中で聞いてみようと思いましたが、あまりにもラーマクリシュナワールドなのでうまく聞けませんでした。
なので、ラーマクリシュナに聞いたら「買いなさい」奥さんに聞いても「買いなさい」
自分らの店やしちゃうん?と思ったけど買いました。
帰って聴いたら、悪くないカンジで、主名も好きみたいでした。
具体的に役に立つかどうかはあやしいですが。
でもそれを言ったらみんなそう。

閉店時間の8時になったのでレジで清算して出ました。

主名が
「今、海に行きたい」
と言うので、一応、行くと言ってたし、もう夜遅いけど夜風も気持ちいいだろうと思って、オートリキシャに近くのビーチに行ってと言ったら通りの名前を言ってくれと断られたので、これ幸いと主名に、
「何て言ったらいいか分からんわ~」
と言って、またレストランでつって、帰りました。

レストランではオニオンウッタパ(オッタパ?)とかいうお好み焼きみたいなやつとチャイとミルクとライムジュース。
私はまったくお腹がすいてなかったので、チャイとライムジュース2杯。のどが渇いてたようです。
主名はばくばくとウッタパ1人前食べました。

店員が5人くらい集まって、主名と交流してました。
昨日はなかったように思うんですけど、今日はサイババのポスターがあちこちに貼ってあって、店員たちと主名はサイババの祝福(片手をあげて)ポーズのまねをし合ってうけていました。
ウェイターもレジ係も調理人も。

主名は店内の注目を一身に浴びてすっごい嬉しそうです。
辛いものはダメだけど、インドは、チェンナイは合ってるのかもしれないなー。
私は抱っこするのしんどいし、嫌がってるのですが、店員とかみんな次々と抱っこして遊んでくれるので主名は嬉しいと思います。
なんか、チェンナイに来て、主名は自信がついて生意気になって、自信たっぷりで反抗していますもの。

店の人のベリーグッドボーイと言われ、サンキューと言って、主名にバイバーイと言わせて店を出ました。
みんな手を振ってくれました。

ほんの数日だといいですよね。
ゲストハウスの人たちはすでに主名に飽き気味ですもん。

帰り、ネットカフェに寄ってみましたが、日本語読むのも不可能で、インストールはできないようになってるし、早々と出ました。

主名はぞうりが痛いと脱いだし、もう遅いのでオートリキシャで帰りました。

実はその後、荷物をスーツケースに入れてこれを書いてるうちに夜が明けました。
海、行けないこともないけど・・・・・。
主名はきちんと睡眠とってるし。

ゲストハウス出発は昼で、2時半発の飛行機です。
今、7時前。
【2007/03/28 17:56】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
1月30日の日記(ヤグニャ最終日)
昨日は結局12時回ってから寝ました。
何やかんやでちょくちょく起こされ、3時の目覚ましは自分で止めたみたいですが、4時前に気がついて起きました。
なので、部屋を4時半ごろに出ました。
去年のヤグニャでは3時過ぎでも中に入れなかったので、こんな時間でも大丈夫かなあと思いました。

さすがに今日は最終日なので、昨日の同じような時間には会場に行く道路もシーンとしていましたが、今日はすでに人や車でにぎわっていました。
多少あせって会場に入りました。

席は昨日より少し後ろでしたが、まだ余裕で座れました。
やはり去年、プッタパルティの最終日はあれはむちゃくちゃだったと思います。

5時からヴェーダの吟唱が始まりました。
シヴァのヤグニャとはいっても色んなヴェーダが唱えられています。
でもそのうち、ルッドラム(シヴァのヴェーダ)が何回も連続で唱えられる時間帯になります。

今日は睡眠が十分ではないので、7時くらいから3時間くらい座ったまま寝てました。
主名は会場について座ってすぐに横になって、そのまま11時過ぎまで熟睡でした。

前回に比べて私も唱えられるヴェーダが少し増えました。
ルッドラムもほんの少しですけど、ついていける箇所が増えました。
もし、次回以降のこのヤグニャに参加しようと思われる方がいれば、ルッドラムの他にはシヴォーパーサナマントラ(ハ?ム?)が部分的によく唱えられるので、予習してから参加したらまた面白いかもしれません。
ヤグニャでこれが唱えられると、今日は全部の感覚が表面から引き上げて、自分の意識が頭頂部のさらに上へと1点にヒュッとまとまるのを感じました。(眠くて意識が遠のいただけ?)

11時15分前にババが来て、11時からヤグニャの締めをしました。
なんかつかんで(米?)火の中に投げ入れたり。

その後ババは、建物の中、みんなが座ってる中に開けてある通路を車椅子で通りました。
確か初日もしてたような。
初日は私はあんまり見えなかったけど、今回は通路沿いに座ってたので至近距離(1~1,5メートル)のところをババがゆっくり通っていくのを見ることができました。
ババが通る時は夢中で「サイラムサイラム」と言っていました。
(気を引こうとして)
主名も丁度その時起きてたので一緒に見ました。

今回のヤグニャ中、ババは病的(体調が)に見えたり、ぶすっとしてることが多く思いましたが、やっぱり至近距離で見るババはなんというか、輝いていました。

通路の向こう側の白人の人たちも、胸がいっぱいという顔をみんなしていました。
ババが通った後、セバダルの手をとって自分の胸に当ててる白人のおばちゃんもいました。
そんなことされてもねぇ。

その後ババは美しくて若い坊さんにネックレスを物質化してあげてました。
その後、その坊さんともう一人が、ヤグニャのしめに、通路を通って水をほうきみたいなのに含ませてみんなに降りかけて回りました。
私と主名もかけてもらいました。
口に入れるのはためらいがあったので額にそのしずくをつけたりしてみました。

ヤグニャが終わった後?かどうかは分かりませんが、とにかく、ババがいる時に女神のヴェーダばかり唱えられていたのが印象的でした。
そういうもんなんですね?
メーダスークタム、シュリスークタム、あと、ドゥルガースークタムだったか。忘れましたけど。

ヤグニャの後、プラサードがあるのでその場に残るようにと、タミル語と、その後たぶんテルグ後でアナウンスがありました。
日本語を、とは言わないけどせめて英語でアナウンス、プリーズ。
近くのインド人に聞いて分かりました。

で、残ってたのですが、やはりというか、すごい待ちました。
あっちに並んだり、こっちに座らされたり。
座ってて、配られて、ほんの少しもらったらあっちに行くようにと言われて、思わず、「え?これだけ?」と言ってしまいました。
でも、不思議な空間なので、すぐ横ではさらに別の2種類のプラサードを配ってて、並んだらすぐにもらえました。
各セバダルは各セバダルの世界に生きていて、相互回路が開いてないんだろうか?と思う時があります。

もらうまでが疲れて、いつものごとく、心の中で散々悪態をついていたのですが、食べるとやたらめったらおいしかったです。
甘いご飯2種類と辛いご飯1種類で、甘いのを主名と半分ずつにして、辛いのは私が全部食べました。
胃腸が弱ってても、辛いのもおいしかったです。
甘いのは、あれは黒糖で米を煮たのか?なんかしらんむちゃくちゃおいしかったです。
キャンティーンのご飯とかプラサードとかはやっぱりエネルギーを食べてるという感じで、すごい元気が出ますよね。なんだか。

お腹がいっぱいになったし、(おかわりも配って回ってましたがもうやめておきました)時間もすでに1時半とかで、午後のための席取り合戦が始まってたので、そのまま午後もその場にいようかと思って、クッションを置いて座りました。

でも汗がべたべたするし、主名がおしっこをおしめにしてて、換えのやつを持ってきてなかったので一度ゲストハウスの部屋に帰りました。
お湯を浴びてさっぱりしました。

ココナツの実(中身)を袋に持って会場に帰りました。
ボディチェックで「サイラム」と言われたので見ると、プッタパルティのセキュリティのお姉さんでした。

キープしてた席に行こうとしてもセバダルはほとんどみんな信用しませんでしたけど、ほっといて席に帰りました。
周りに子供が多く座っていたので、主名はよく遊んでいました。
ココナツの白い実を口からニョロッと出したり引っ込めたりしたら周りの笑いを取れたので、主名は調子に乗って何回もやってました。

ババが来るまでビデオが流されていました。
去年の最終日はババが水をまいたんですね?
あんな楽しそうなことをしてたなんて知らなかった!

5時ごろババが来ました。
ガネーシャバジャンが一曲歌われました。
おじさんのスピーチの後、ババもスピーチをしました。
ヤグニャが終わってさすがに、楽しく、満足そうな表情を表していました。
100パーセントの帰依だとか何とか言ってたような。
そんで、こういうヤグニャをあちこちでやるとか言ってたような。
ババの前にしゃべってたおじさんは、次はムンバイで、とか言ってましたっけ?

ドゥルゲー♪というバジャンで、ノリノリになりかけたら中断してアルティになりました。
ババを見送る「チェンナイに来てくれてありがとう」という雰囲気で、私なんかまたすぐプッタパルティに行くくせに、なんだか胸が熱くなる思いでした。

アルティの後もババはすぐに帰らずに少ししゃべりました。
100パーセントの帰依とか言ってたのはその時だったか?忘れましたけど、感動的でした。

ババが車でゆっくりゆっくり去っていって、私らも会場から出ようと早めに出口に行きましたけど、ギューギューづめのまま全然動かず出れず。
で、また心の中で悪態が、、、、、。
だって主名抱いて荷物いっぱい持ってたらすごいしんどいんですもん。

出口でプラサードだけでなくビブーティも配ってたのが人間渋滞の原因だったと思います。
この渋滞と、トイレの環境はきつかったですよ!
みんなお尻見せながらしてましたもん。
小だけなら奥の床に溝(とい)だけが渡してあるトイレでしろとか。

でもプラサードもビブーティもしっかりいただきました。
主名が半分寝かけで、ビブーティに手を出したがらないのを「私のためにもらってよ」とか叱りながら。
でも、外に出てから完全に寝た主名の手から紙に包まれたビブーティーが落ちて紛失したので、引き返して探したら、インタビューとかでもらう、ちっちゃいビニールの袋入りのビブーティを拾いました。

会場の外に置いてたベビーカーのところで、近くに座ってたインド人に
「疲れた」と言ったら、ビブーティがどうのとか、水がどうのとか言うので、ビブーティを水に溶かして飲めということかと思ったら違って、ヤグニャの水(降りかけて回ってたやつ?)のことで、それも配られてました。
なのでもらいに行ったら、配る係のセバダル2人が欲しがる人の勢いに嫌気がさして、じっと立ったまま、ほんの少しずつしか渡してなくて、さらに奪い合いになってました。

でもくれたので、さっきの人に「これ何?」と聞いたらヤグニャの水(THEERTHAM)で、飲んだり頭につけたりするといいと言ってました。
黄色っぽくて香料みたいな香りもあるけど何なんでしょう?
ヴェーダ教室へのお土産にとも思いましたが、くさるかもしれないので近いうちに飲むか何かします。(その後飲みました)
その場で飲み干してる人も多いみたいでした。

ゲストハウスに帰って部屋で夕食にしました。
準備中にトイレがぶっ壊れました。
タンクと便器のつなぎ目のパイプが外れて、水が全部外に勢いよく流れ出ます。
主名の寝起きが悪くて私も合わせて相手をするのがどうしても嫌で、ギャーギャー泣いてキリがなかったのですが、このトイレの話題で泣き止んで和解できました。
噴水トイレ。
汚くはないですけど。
あと1日なのに今ごろ壊れないでくれと思いました。

シーツ交換とか掃除とか頼んだついでにトイレも見てもらったら、どうやら他の部屋も同じ状態になったところがあったらしく、すでに明日工事の人が来ることになってたそうです。
よかった。
うちらが壊したと思われるかなとすでに多少後ろめたいような気になっていたので。
ほら、パイプに止まった蚊を強く叩き過ぎたかな、とか。

主名はゲストハウスの人たちと遊んだらイキイキとはしゃぎまわって元気が出すぎてその後、手におえません。
私から解放される気もちになるんでしょうね?

主名は、わたしが昨日から叱り続けてたからか、今日は「おしっこ」と言ってトイレに行こうとして、思い直して戻ってきてわざと部屋で「じゃー」としてました。
「ここでするの」とかいって。




【2007/03/24 20:14】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
1月29日の日記(ヤグニャ10日目)
昼間さんざん寝たため、昨日は朝まで眠れなかったので、そのまま4時半くらいにゲストハウスを出てヤグニャに行きました。
今日は月曜でシヴァの日ということで、早い時間に行こうと思ってたのでよかったです。
昨日フラフラだったので、どうかと思いましたが大丈夫でした。

会場はまだガラガラでした。
やっぱり午前中はババが来ないので、みんな気合が入らないんでしょうね。
5時から9時まではすぐでした。
主名は8時くらいから11時くらいまで寝てました。

蚊に、露出部分をたくさん食われました。

9時からが長かったです。
途中抜けて朝ごはんを食べに行こうと思ってたけど主名が寝ていたのでやめたこともあり。

いつもは11時過ぎには全部終わるのですが、今日はバジャンがいつもより1時間くらい長かったです。
同じような声の女性のリードばかりが続いたので正直飽きてしまいました。まだ終わらないのかなー、と。

あまりにも長かったのは、ババが来るので、それまで場を持たせるためだったようです。
その後、女性リードによるバジャンは男性の歌に引き継いで、さらにヴェーダ吟唱に引き継いで、主名をトイレに連れて行って帰ってきたら、ちょうどババが来たので急いで席に戻りました。

で、ババは来てすぐアルティで帰りました。
え?もうちょっと何かあると思ったけど?

でも、いつも朝はこのごろ来てなかったので、月曜だし、サービスだったのかもしれませんね。

会場を出るとすでに12時45分で、午後のプログラムのためにもう人が並んでいました。

キャンティーンも臨時というか、プログラムに合わせて遅くまでやっていました。
それでも配る食事が途切れて、1時間後くらいにやっともらいました。
でも、カードライスは私の疲れた胃腸にやさしくてよかったです。

部屋に帰って、風呂の後は昼寝しました。
主名はたくさん寝た後だったので遊んでいましたが、私が昼寝から起きてみると、主名もミロの袋を持ってベビーカーに座って寝ていました。

もう遅かったですけど、会場に行ったらババがちょうど帰るところでした。
とは言っても、「ババが今来る」とみんなが言ってても30分くらいこないことがよくあるので、一応会場に行ってみたら、ほんとに、もう入れないようになってたので引き返して、沿道で待ちました。

ババは歩く速さくらいで車を走らせて、ゆっくり、道沿いに並んでる人たちを祝福しながら帰っていきました。
こっちで沿道でババを見送ったのは初めてですが、あんなにゆっくり車を走らせていたとは知りませんでした。

ババの車が通った後は比較的ベビーカーを押しやすかったので、そのまま大通りの交差点まで車の後をついていって、私らは今日は外食しました。

オニオンドーサと、マッシュルームマンチュリアン?と、ベジタブルフライドライスとコーヒーとホットミルクを主名と食べました。
やっぱり病み上がりの胃腸にはまだ重かったので、マッシュルーム~と、フライドライスは半分くらい残してしまいました。
帰りはアイスクリームを持ち帰りました。

明日は最終日で、人が多いに決まってるのであんまり行きたくないのですが、一応、3時ごろに起きて行こうかと思ってて、早く寝ないといけないのでいつもの5倍くらい主名に怒ってます。
ベッドの上、おもちゃとかでぐちゃぐちゃで寝れないし。
はよ寝ないかんとか言っても全然聞かないし。
【2007/03/24 17:03】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
1月28日の日記(ヤグニャ9日目)
昨日の夕食で、
「これ、大丈夫なんかなあ?」
と思いながら、でも、えいっ、と食べたやつがやっぱり大丈夫じゃなかったみたいで、昨日の夜から水下痢です。
やれやれです。
昨日より今日のほうがきつくなるとは意外な展開でした。
なので、今日はずっと寝ていました。

主名は部屋にいるのに飽きて、ゲストハウスの従業員のお兄さんも呼びにきてくれたので、ちょくちょく外のソファーがあるところに遊びに行っていました。
しかし、おもちゃを取りに来たりするたびにドアを開け閉めしてやらないといけないので、あまり休めませんでした。

レトルトの玄米粥を主名とわけて食べました。

今日はずっと横になっていたので、部屋の中が崩壊しています。
気づいたら主名がすっぽんぽんになってバスルームで水遊びしてたり。
水遊びくらいいいんですけど、喘息持ちなので、怒ってやめさせました。
3分に1回くらい怒って、横になって休みながらも目が覚めたら怒って、怒りながら寝ていました。

主名は、最初、インドのガイドブックの神様のイラストのカーリーが好きと言ってましたけど、
「それ、怒ってるんやで」
と言ったら、好きな神様をラクシュミーに変えたみたいでした。
「やさしいから」
とか言って。

夕方、1日1度は主名も外に行きたいだろうしとか思って、会場に行きましたが、部屋の時計まで狂ってて、行ったらもうババは帰った後でした。
なので、カードを1枚もらって、ココナツを飲んで帰りました。
帰り道で主名は寝ました。

ゲストハウスの建物の横でチャイを飲んだら貧血になって、立ってるのもきつくなったので、建物の入り口に立っているガードマンに主名をベビーカーごと建物の2階にあるゲストハウスまで運んでもらいました。
やっぱり下痢は消耗しますね。
自分で思ったよりも弱ってます。
部屋に主名を寝かせてから、水とチャイをまた買いに出ました。
かなり立ってるのもつらい状態、、、、、。

さっき、他の日本人が、帰りの飛行機の予約の紙をことづかって持ってきてくれました。
ババが朝、ヤグニャ会場に来てないですけど、朝はスンダラムの方でダルシャンをしてるそうです。
ババ、夕方しか来ないし、何してるんかなあ、と思ってたんですよね、、、、、。そうですか。

そういえば、また、TVに写ってましたよと言われました。
前の、主名にご飯を食べさせてるところのことです。
インド全国?

部屋の壁に主名がらくがきしているのを消しゴムで消しました。
ペンで書いてるやつは消えないなー。
【2007/03/24 16:38】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(1) |
続き書きました。
1月27日のヤグニャの日記の続きを書きました。
【2007/03/24 16:16】 | 未分類 |
1月27日の日記(ヤグニャ8日目)
昨日寝たのは1時ごろだったけど、今朝は7時ごろに目が覚めました。
他の人達は2時とかに起きてヤグニャに行ったりしてるんじゃないかと思います。私が寝る頃すでにあちこちの部屋から目覚ましのアラーム音が聞こえてましたから。

しかし今日はわたしはもしもがんばって行ってたら医務室行きだったと思います。
なんか、何もかもがうまく調整されてるんだなあと思います。
今7時過ぎですけど、8時に出発する知人が私の部屋のドアに荷物をかける音に気づいたので、ドアを開けて少ししゃべりました。
今朝は思ったよりかは人は多くなかったそうです。
やっぱり、朝はこのところずっとババがお休みだしでしょうか。

なんか私にとっても(一緒にするな?)今回のヤグニャはヤグニャを休むために来たような気もします。
じゃあ、プッタパルティに残ればよかったかというとそうではなくて、微妙なバランスがあるような。

今日も不可抗力で心置きなく休んでおれるんですけど、いつもより早く目が覚めたり。
いろんなことが起こって、中には不調和に思えることも起こり、というか、もうずっと不調和ばかりのように感じてて、いやな世界だとか思ったりもちょくちょくするのですが、何もかもが全体の調和のバランスを取るために現れているんだろうなと思います。
だから、何もかも受け入れて、消えていくたびにより大きなバランスの中にあるようになっていってるんだろうな、とか。

子供なんかといたらやっぱり、私なんか、不調和の中に閉じ込められて、全体から切り離されてしまったような非常な「堕ち感」があるし、
実際そういう扱いを受けてますますイヤになったりもするんですけど、
これも、ものすごく強力にバランスを取るための仕組みの中に個人としての私が組み込まれたんだろうなあ、と思います。

何もかもがピタリとうまくいっているんだろうと思います。
不調和も含めて。
だからほんとに何も心配することなく、全部受けておけばいいんだろうと思います。
外に見える不調和も自分の中に見える不調和も。
受け入れるために現れたんだろうと思います。

今回のヤグニャも、私にとっては、私に受け入れられるために行われたのだろうと思います。
その時、ヤグニャの火が私の中で、完全に燃えるのをゆることができたのだろうと。

このヤグニャの期間、(まだ数日、クライマックスが残ってますけど)ヤグニャにはゆるい参加でしたけど、ずいぶん心境の変化がありました。
子連れで実際大変なことも多いのでみんなに助けて欲しいと思ったりもしましたけど、だいたいが、他人に対する要求や非難はそのまま自分のことを暴露してることが100パーセントなので、
(ババの近くにいると、それがギャグのように100パーセントそうで、あからさまです)
自分の場合も、つまりは他の人に対するヘルプを、自分は止めてるということなんだろうなと思ったり。
何か色々、自然に納得することがよくありました。

今回のヤグニャ旅行はきつい旅行であることが初めから啓示されていたのですが、でも実際の自分の体感はきつくないです。
きつい旅行というマンダラ模様のバランスがとられ、終了し、折りたたまれて1点に集約されて単なる点になると、もうその点も消えて何もないという感じで。

今の自分の場合、その様々な模様が描かれることを許し、調和に見えることも不調和に見えることもそこにあることを認めて存在させることで、存在が個々のものではなくなるようです。
みんな1つの意思の元で完璧に統制されているということか、と。
今までもそうだったし、これからもずっとそうなのでしょう。
安心して、その流れを信頼していていいのだろうな、と。
何もそこから外れることはできないのだから。

昼は塩バターラーメンを作って食べました。
インドのインスタントラーメンの調味料を、手持ちの昆布だしと塩とバターに置き換えて。
お腹すいてなかったのですが、主名がいるので。

ドタバタしながらも部屋で過ごせてよかったです。
おかげでそれなりにゆっくり休めました。
主名がかんしゃくを起こしてぬれたバスルームの床に四つんばいになって服がぬれたので、ついでにまた主名の服を10数枚洗いました。

夕方、ゲストハウスにクリーニングを頼んでた私の服も半分帰って来ました。昨日出した分が。
おとといだかその前に出したのは、私が2月1日に出発するまでには帰ってくるそうです。
服の返却が遅れてるのはドーピーの奥さんが亡くなったからだそうです。
ゲストハウスのオーナーが、なんか理由を付けて、10ルピー多くおつりをくれました。

今、ラーマーヤナの本を少し読んでて、祭事の描写が出てきます。
今、ここではアティルッドラマハヤグニャ中なので、双方照らし合わせてみるとなかなか面白いです。
しかし本の祭事の方ではみんなもてなされてて、みんな常に満腹で、疲れたりする人はいないそうですけど、ヤグニャのほうでは苦行のたぐいですよね?参加しようと思ったら。なんで?

夕方ヤグニャのに行くときに、残りの洗濯物も全部帰ってきました。
会場に行く道路の沿道に人がずらっと並んでいたので、人がたくさん並んでいる側を見て、ババがもう会場に入っていることが分かりました。
ババが来たら会場にいる人たちがみんな帰るのは、沿道でババを見送るためもあるのでしょうか?

6時半ごろいくと、もうガラガラで歩きやすいです。
ババは今日はしゃべっていました。
講話はいつものようにバジャンで終わりました。
途中でババの代わりに近くにいる青年たちか誰かがバジャンのリードを引き継いでいました。

アルティになったので、プラサードをもらって帰りました。
セバダルが配ってるカード、そのときもらいに行ってる人が少なかったので、各セバダルから1枚ずつもらって、4枚もらってしまいました。

主名は帰り道、立ちションが間に合わずに半分もれたので、ズボンを替えて帰りました。
前から主名に買う約束をしていた風船売りがいたので、買いました。
買ってから主名が別の色を欲しがって、1度は風船売りは取り替えてくれましたが、主名がまた別のを欲しがったらもう行ってしまいました。

私がゲストハウスの横の店で買い物をしている間に、主名だけ風船を持ってゲストハウスに入っていきましたが、そしたらすぐに割れてしまったようでした。
「また買おうね」と主名は言っていました。
なくなってもあんまりガッカリしたりはしないんですね。
欲しがるときに、すごいしつこい時とかはありますけど。

いつものように夕食を食べてるうちに、主名が寝かけたので、急いで歯を磨いて寝かせました。
バタバタです。
でも久しぶりにゆっくりした自分の時間が持てる。。。。と思いました。が、すぐに時間は過ぎ、さっき主名は起きて泣いて、(今、10時過ぎくらい?)外を通り過ぎたパトカーを見ると言ってはまた泣いたり、ミロちょうだいとずっと言ったり。今もう牛乳ないし、また歯を磨くの面倒だからもう寝かせます。
【2007/03/17 14:57】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
1月26日の日記(ヤグニャ7日目)
昨日寝たのは2時ごろだったので、朝は8時半だか9時だかに目が覚めて、9時半ごろヤグニャに行きました。

ヴェーダとバジャンのCDを計3枚、行きがけに買いました。

まだ金曜の午前でしたけど人が増えてました。
明日、同じ時間に行ったらたぶん中には座れないと思います。

ババは来ず、11時過ぎに終わって、また知人に会ったので、キャンティーンのご飯を一緒に食べて帰りました。
帰る頃には午後のプログラムに行く人が、すでに長い列を作っていました。
でも、一度、ゲストハウスの部屋に帰りました。

お湯を浴びて、今日は昼寝せずに3時ごろにまた会場に行きました。
ほんとは体がだるかったのであんまり行きたくなかったのですが、主名が行く気を見せてたので痛み止めの薬を持っていきました。

会場に入ったらすでにいっぱいで、オープンスペースの席(家畜席)でした。
しかし、ヤグニャの行われているところの正面の席はテントが張ってあって、日陰になっていたのでそこに座ろうと思いました。
しかし、地面はなー(ちょっといやだな)と思ってたら、イス席に座ってた人がどこかに行ったのでそこに座りました。
シヴァリンガムも直接見えるし、イスの間隔もちゃんととってあってきつくないし、日陰で涼しいし、ここはいいなーと思いました。
主名をずっと足の上に乗せててもイスだとしんどくないし。
で、そのままそこに座っていました。

日なたの地べたに座ってる人は地獄だなー、でも、スタジアムで降誕祭する時とか、マンディールに屋根がなかった昔とかはこうだったんだろうなーとか思いました。

主名はイスに登ったり降りたり、空に飛行機を見つけたりしていましたが、そのうち寝ました。

ヤグニャか何か知りませんけど、色々やって色んなヴェーダが唱えられるやつも終わって、バジャンになってからババが来ました。
すでに7時前。

ババが来て、私が座ってたイス席は崩壊しました。
それまでいたのに、肝心な時になんでセバダルがいなくなっちゃうんでしょうか?
オープンスペースは治外法権で、うっちゃっておく場所なのでしょうか?

ババを見ようと、ババしか見てない人達がなだれ込んできて、しばらくふんばってみましたが、前の席に座ってたひとのよさそうなおばさんもいち早く立ち上がってさらに前に行こうと詰めかけてるし、で、私の前の座る人がいなくなったイス席のところはいち早く決壊して、そこになだれ込んだ肉の壁がギューギューと私たちを押してきました。
家畜席改め野獣席。
もう危ないからその場から逃れました。
わやくちゃです。

でも、近くに座ってた人とかが、地面に置いてた私らに荷物をキープして、渡してくれました。ありがたかったです。

人がいない後ろの方で、モニターが見えるところにイスを持っていって、そこで座って休んでいました。
しばらくして主名が目を覚ましました。
起きた主名は「部屋帰ろう」とか言いましたが、
「今帰ったらプラサードもらえへんで」とか、
「ババ来てるで」とか言ってとどまりました。

「おしっこ」というのでトイレに連れて行った頃にはもう、けっこうみんな帰っちゃってガラガラでした。
前々から不思議なんですけど、なんで、ババが来たらみんなすぐに帰るんでしょうね?
一瞬でも見たらもういいということ?
それとも姿を見たらがんばりの糸が切れるんでしょうか?

とにかくガラガラになったので、余裕で中に座れました。
今後はババが来て、みんなが帰る頃にうちらは来たほうが賢いかもしれません。
ヤグニャはそりゃ参加できるにこしたことはないですけどもういいしー。充分です。

今日も音楽プログラムをやってて、ババは指輪か何かを物質化して演奏者にあげていました。

アルティになったので、うちらもプラサードをもらって帰りました。
主名も心得たもので、アルティになったら、広げてたおもちゃをまとめて自分の手に持ちます。

会場の外では今日もカードのカレンダーをもらいました。
ラジオ体操のスタンプみたいに、やっぱりもらうもんは毎日きちんともらうと気持ちがいいです。

また知人と会いました。
食パンは2人(3人)とも昨日食べ終えてもう残ってないので、今日はカレーとチャパティとパラタとかいうやつとか、ヨーグルトとか買って帰って、チャイを作って、そういう夕食にして、一緒に食べました。
パパイヤも買ったっけ。

彼女は明日の朝、移動なので、明日は出来れば朝4時とか5時とかにヤグニャに行ってみるみたいです。

私はというと、2日前にクリーニングに出した自分の服が向こうの都合でまだ帰ってこず、今日も、すでにありったけ出してしまったので、今日の午後に来た服しか着るものがないという。
一応手洗いしてさっき干してみましたけど、明日の朝までには乾かないと思うし、その時点で明日の朝のヤグニャに行く気は限りなくゼロ。
クリーニングは明日の夜に帰ってくる可能性が高いので、もしかすると午後も行かないかも。

不可抗力ということで、心置きなく、安らかに休めます。
明日は体も多分今日よりきついと思うので、天の恵みです。よかった。
ゆっくり寝よう。サイラム。

【2007/03/17 14:34】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
1月25日の日記(ヤグニャ6日目)
今朝は6時に目覚ましをかけたつもりがスイッチが入っていませんでした。
それでも8時くらいに目が覚めて、充分間に合う時間だったのでヤグニャに行きました。

先に、キャンティーンで朝ごはんを食べてみました。
ウプマとかいうんだったと思いますが、固めのおじやみたいなやつにダルをかけて2ルピーでした。
それとコーヒーを2杯買いました。

主名をベビーカーに座らせて向こうのほうに待たせてたので、セバダルに
「コーヒーは一人一杯」と言われて、しばらく売ってもらえませんでした。
「息子があっちで座って待ってる」と言ったら
「障害者か?」
というので、違うと言ったら
「歩くのか?」みたいに言われました。
まだ小さいのでベビーカーに座ってるとか言ったら、多分、本当かどうか確認の意味もあってと思いますけど、セバダルが一人、コーヒーを一杯持ってベビーカーのところまでついてきました。

主名はウプマは食べずにコーヒーだけ飲みました。
会場には9時半くらいに行きました。
ババは来てなくて、11時半くらいに終わったと思います。

またもやキャンティーンに行って、まだ開いていなかったので前で並ばず、脇で待ってたら(主名を乗せたベビーカーがあるのでギューギューの列には並びませんでした)知人も来たのでしゃべりながら一緒に待ちました。

私は人でいっぱいだから、昼食は袋に入れて持ち帰って部屋でゆっくり食べようと思っていたのですが、セバダルに、袋はダメ、皿に入れなさい、みたいに言われました。
なぜそんなに融通がきかない?と思いましたがめんどうなので、配られる紙の皿に入れてもらいました。
そこから袋に移すのも、皿の上ですでに食べ物も混ざってるし、だるいので、知人と一緒に人のいないところまで行って食べました。
主名は、私以外の人と話が出来て大喜びです。

知人はゲストハウスで私らの隣の部屋に泊まってることが分かりました。
食後にココナツを飲んでそのままゲストハウスに帰りました。

なんかしらん、またお湯が出なかったので、レセプションに言ったら見に来てくれましたがしばらく待っても出ないので、もう、水を浴びて、
今日は多少早起きだったので(!?)ねむくて、昼寝しました。

主名は起きてて、「おしっこー」とかたまに言ってましたが、私は眠かったので
「パンツ脱いでトイレに行き」
とか言って寝てました。
ちゃんとトイレでして、自分でパンツをまたはいたようで、私が夕方6時くらいに目が覚めたときは主名も横で寝てました。
裏返しのパンツをはいて。

しばらくして主名も目覚めたので6時半くらいに会場に行ってみたらババが来てて、音楽の演奏がされていました。
今日は来るのが遅かったそうです。

しばらく会場の外の正面から見てましたが、あとで屋根の下に行って座りました。
しばらくしたらアルティになったので、その後帰りました。

今日もプラサードを私と主名の2つもらいました。
女性側の出口は3つに区切られていて、そのうち2つでプラサードが配られているのですが、知人は配ってないところから出てきて、
「もういいかな」とか言ってたので、私らはいっつも2つもらうし、余り気味なので、私のを半分上げました。
半分に分けるまでもなく、私の袋のは小さめのが2つ入っていました。

道でセバダルが配ってるカードもちゃんともらって帰りました。

私らはいっつも野菜のスープを作ってるので、今日は知人も部屋に来てもらって一緒に夕食を食べました。
彼女はクリームチーズやトマトを持ってきてくれたので、サンドイッチにして食べたりしておいしかったです。
おなかいっぱいになったらみんな眠くなりました。
主名はいっぱいしゃべったり、得意のヨガのポーズをしてみせて(インドのガイドブックのまね)知人がケータイでそれを写真に撮ったりしました。

私も楽しいひと時で気力がわいたので、知人が自室に引き上げた後、主名の服を13着と自分のショールを3枚洗いました。

昨日はずいぶん頭に来て、全部ババのせいで、ふざけるな!ということにしましたが、今日のトイレのセバダルは親切でした。
私が主名の使用済みおしめを持ってたら、自分が捨ててきてあげると申し出てくれたり。
今日はわりと楽しかったので、これもババのおかげということでしょうか?
昨日のバランスを今日とったのでしょうか?

知人は朝7時ごろだかに私らを会場で見かけたと言ったのですが、それはありえないので生霊と思います。と言って笑いました。
熟睡中だったので。
でも、予定通り6時に起きてたら7時ごろに行ってたはずなので、本当に、どこかの私は行ってたのかもしれませんね?

去年もそうでしたが、今回も、ヤグニャの始めの方の何日間かは、けっこうこうエグイ夢が湧き出てくるのを見るのが続いたのですが、昨日くらいからは平和でおだやかな雰囲気の夢に変わりました。
今日は、センター関係の知人やサイビルの人達らしき人々と一緒に歌を歌ったり出かけたりする夢で、目覚めた時はなんというか、ほっこりした気分でした。

知人はあさって別の場所へ移動するので、ヤグニャは最後まではいません。
「いいですね。私も最終日の朝は行かないかも」
と言ったら笑ってました。
最終日の朝はババは来るでしょうけど、人出がすごそうですもん。
午後は行くと思いますけど、朝はほんと行かないかも。
初日で懲りました。
行かなくても、生霊の私が行ってくれるはず。
【2007/03/10 00:44】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
暑いです。
暑いです。つらいほどではないけど、暑いです。
今日の午後のトークンは最後でした。
これもめずらしい。
でも、トークンに出てる人自体がすごく少ないので、たとえ最後でも、いつも同じようなところに座ってます。
子連れなので、通路に出やすいところにたいがいいつも座ってるので。

今日はババが来るのも早くて、3時15分か20分くらいに来ました。
なのでホールもがらがらでした。
うちらも、15分くらいしか待たなくてよかったのでラクでした。
座席をクッションでとっておいておやつに行きました。

帰ってきて、主名は機嫌よかったんですけど、前に座ってた10代のインド人の女の子にからかわれてむちゃくちゃ機嫌が悪くなってしまいました。
こうなると不快指数6000くらいです。

まあでもなんとかババが帰るときにはそこに座っていられました。

暑いのでアイスクリームとか食べさせて、ジュースとかも飲ませて、夕食まで芝生で遊んでいました。
夕方は涼しいです。
他の子の3輪車を借りて、別の子供たちと乗りまわして遊んでいました。

最近、さるが出産ラッシュみたいで、すごいちっさい生まれたてのサルの赤ちゃんを連れたお母さんざるをよく見かけます。

今日はサルたちも噛みつきあって派手にけんかしてたようです。
暑いですしね。。。
【2007/03/10 00:21】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
更新されています。
3月5日づけで、チェンナイのヤグニャの5日目の日記がアップされています。
【2007/03/09 01:03】 | 未分類 |
するめ?
なんか、焼きスルメみたいないいにおいがするんですけど。。。
なんのにおいかなぁ。

今食べたいものは特に無いです。
晩ごはん食べた後ですし。
【2007/03/09 00:15】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
暑くって。
ここ何日か怒りまくりで、主名も泣きまくりの反抗しまくりでいいかげんいやになって、最後は私も泣きが入る始末。

夕方、顔見知りの西洋人に久しぶりに会って、近況を言ったりした後、今日は子供は泣くし私は怒るしで疲れてる、と言ったら、
それは暑さのせいよ。と言われました。
ここ最近暑くて、体内に水が不足してるから怒りが出てくると。
その人も前、すごく怒りが出てきて、「スワミどうしてですか?」と思ったか聞いたかしたら、暑さのせいだと分かったと。
だからそれはあなたからのものじゃなくて、暑さから来るものだから、たくさん水分、それも冷たいのじゃなくて暖かいのを飲んだほうがいいと言われました。

それを聞いて、そうか、自分のせいじゃなくて暑さのせいなのか、と、ほっとしました。

確かに、最近はあんまりトイレに行かなくても平気ですもんね。
ダルシャンで座り続けるには、トイレに行かなくていいのは便利ですけど、体の中は煮詰まってたのかも。

彼女は多分、くたびれ果てた様子のわたしに「人生はチャレンジとスワミも言ってるわ」とか言ってました。
そして、これから4月、5月、6月ともっともっと暑くなるとも。

暑さは平気なほうと自分で思ってましたが、ここは乾燥もしてるので、水分補給をまめにしないと体の中がうまく回っていかないんですね。

【2007/03/09 00:12】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
カール
食堂でインド人のおばちゃんに「これなに?」と聞かれて
「カール(カー、車のインド的発音)」と答えている自分がいました。
会話能力はあがらないのに、こういうなまりはすぐにうつる自分って、、、。

昨日は午後、おやつを食べにいってる間にババが車椅子で出てきて、カザフスタンの人たちがインタビューに呼ばれたようです。
キャンティーンでロシア人に、
「日本人がインタビューに呼ばれてるのに、なんであなた行かなかったの!?」
とか言われて「えー?」と思ってホールに行ってみたら呼ばれたのはカザフスタンの人達でした。
顔立ちが、ほんと日本人とよく似てて、私も最初、この人達は日本人!?と思いました。しかもオレンジ色のスカーフをしていたので。

今日の午後は学生が踊ってました。
なぜ踊ってたかは不明。

蒸し暑いです!
主名はスイカを食べて雄たけびをあげています。
【2007/03/08 00:25】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
1月24日の日記(ヤグニャ5日目)
昨日の夜は主名がなんかしらん5回くらい起きて、そのたびに抱っこだのおしっこだの、わんわんが怖かっただの(夢?)のど乾いたとか、かゆいとか。
で、朝目がさめたら10時だったので、今日の午前のヤグニャは休みました。

昼ごはんを適当に食べて、部屋を出ようとしたら、ゲストハウス側が窓や通気穴にネットを張るから15分位いいかと言ってきました。
蚊の苦情がたくさん出てるんでしょうね。
ヤグニャ特需ですし。
オーナー?も今日は「サイラム」とか言ってました。

15分では終わらず、おもてのソファーのところに座って待ってたのですが、その後、ネットの取り付けで汚れた部屋の掃除もしてもらって、
結局部屋を3時ごろに出ました。

でも、ソファーで座って本を読んで時間をつぶしたりは、バカンス気分でよかったです。主名も何かすごいはしゃいで、マリーナビーチで買った笛と、拾った棒を打ち鳴らしながら走り回っていました。
笛をピーピー吹いて。
そのうち従業員にやめさせてくれと言われました。

ヤグニャに行って、会場に入る前に、写真のエキシビションがあって、
どうせゆっくりついでだと思って、そこに入って見ました。

ババのお母さんは、おばあさんになってからの写真しか見たことがなかったのですが、若い時のがあって、印象を新たにしました。
ババの若い時のアフロの七三わけは、なんであんなすごい頭にしてたのかなと思います。
あれじゃあ周りもおかしくなったと心配するかもと思いました。

いろんな展示があって、えぐい写真もあったり。
きついのでヤグニャでちゃらにしようと思いました。

出て、3時半だったので、ついでにキャンティーンのお茶の様子も見ようと思って行ってみました。
まだあいてなくて、あいてから、私が持ってるクーポンではお茶はだめと知って(同じ2ルピークーポンなのに?)買いなおしました。
クーポンを買ってる間に行列が長くなっちゃって、また、長い列に並ぶ羽目になりました。

おやつと、チャイを2つ買うから、抱っこしてた主名に
「買ったら抱っこできないから歩いてね」と言って、
その時は主名も
「お茶持つから?」
と理解を示していたのですが、いざ、買う時に主名を地面に下ろしたら大泣きしました。
「だあっこぉ~~~~~~~う」と。
なんでやねん、と思って、両手にお茶を持って、主名を説得しようとしてもダメで、立ち止まってても他の人の邪魔なので、
しょうがないからそこら辺の人にまた戻ってくるからと言って、
20メートルくらい離れたところのキャンティーンの出口まで先に行って、お茶などをベビーカーの座席に置いて、主名の方に戻ろうとしたら、並んでたおばちゃんが抱っこして連れてきてくれました。

それがまた主名は気に入らなくて、おやつを配ってたところにまた戻って、私による抱っこのやり直しを主張していましたが、何かで気をそらしてお茶を飲ませました。
チャイはおいしかったです。

そこらへんの露店でおもちゃも売ってて、主名はそれも欲しがるのですがそれにはまだ屈してません。
というか、そこでは買わずに、スーパーでパトカーの大き目のおもちゃを買いました。
その日のうちに主名が壊しましたが。

4時半くらいにヤグニャの会場に座りました。
ガラガラで、よかったです。
これぐらいすいてると楽です。
しあさってくらいからまた人が凄いかと思います。

座ってたら、半数くらいが日本人の一団が会場の中央の方に案内されて移動して座りました。
知ってる顔だったりもしたので、いいなー、外国人だからかなー、と思いました。

案内してた人は帰りの飛行機のチケットの予約を頼んでて、お金は今日のヤグニャの後に取りに来てくれると言ってた人だったので、その人が座ってるところに行って、お金を渡しました。

トイレがすぐ側だったので、主名におしっこ行っとくか聞いたら
「今したくないの」
と言うので、じゃあ私だけ行くし、待っといてね、と、外で待たせてトイレに行きました。

そしたら出てみると大泣きしていました。
「一緒に行く~」と。
「おしっこするの?」と聞いたら
「おしっこする」と言うので連れて行ってさせたら
「さわこもするの」と言って、再び私もするように強要するので
「いやや。もうしたもん」
と言ったらまた泣きまくり。

そのまま外に連れて行って、
「最初主名がしないって言ったから私一人で行ったんでしょ」
とか言って、言い聞かせても泣くので、
さっき知人らが案内されて中央に行った姿を見た疎外感も手伝って、
それに引き換え自分のしょうもない状態に私も泣けてきました。

しばらく主名をほうっておいて、顔を伏せてて、
「もう、ゲストハウスの部屋に帰ろうか」
と主名に言ったら、主名もやばいと思ったのか、
「ダルシャンに行く」と言ったので、自分らの席に戻りました。

バジャンが始まってからまた主名が「おしっこ」と言ったので、
連れて行って、させて、おしっこを流したり足を洗ったりする水を、
その近くで水を渡す係りのセバダルのおばさんにもらおうとしたら、
自分で水汲み場まで取りに行けと言われました。

今までずっとその位置にいるセバダルに水をもらってて、
その個室から水汲み場まではちょっと距離があるので、
なぜ水をくれないのか聞いたら、ここを使う人のための水だからとか何とか言うので、だから、子供がここを使って、今、個室の中で待ってると言ってもまるで犯罪者に対するような態度で
あっちいけ、しっしっ、というカンジ。

あんまりひどいので、すでに泣きつつ水を汲みに行って、水を持って帰って来て主名のおしっこや足を洗って、
そのまま抱っこしてトイレの外に連れて行こうとしたら、
そのセバダルが「水を外に持って行くな」と言ってきて、
もう洗った後だから手桶に水は入ってないし、子供を外においてまた戻ってくるからみたいに言っても、つかんできたので、
手桶に水が入ってないことを見せようとさかさまにしたら、
少しだけ入ってた水が地面に流れました。

そしたらそのセバダルが
「ここに水を捨てるな」
とまた怒ってきて、私もその時すでにすごく怒っていました。
だって、いつもはその位置にいるセバダルに水をもらって、使った後はその手桶をそのセバダルに返すから問題ないのに、今日のセバダルは働かずにえらそうにしかりつけるしかしないので。

だから、わたしも相当怒ってましたが、悲しいかな通じず。

だからもう関わらんとこうと思って、トイレの外に主名を連れて行って、待たせて、引き返して、私も別のトイレに入って、出てきて、外に行きました。

そしてまたさっきのところに座ってしばらく泣いてました。

その後、また座席に戻ってしばらくしたらババが来ました。

あのセバダルの責任は監督不行き届き、教育不足のババにあるから、
ババが悪いと思いました。
セバダルって、ほんといやな時は最悪で、そういうセバダルにひっかかってしまう弱い自分も情けないです。
でも、今まで何回もそういう目にあって思ったのは、
家庭とかで、そういうセバダルは虐げられてる人なんじゃないか、と。
で、人に指図できる立場になると自分がされてるようにしてるんじゃないか、と思うときもあります。
でもそうじゃないかもしれませんが。

2人ぐらいスピーチをしました。
自分が悲しい気分だったので、席でも泣いてて、きらびやかな装飾とか満足げで力のこもったスピーチとか、そういうもの全部がくだらなく思えました。
実際の現場はあのセバダルなのに何がすばらしいものか、と。

7時15分前にババが帰りました。
力が抜けてたので、人が減ってから会場の外に出ようと思ったらなかなか減らず、30分後に出ました。
出口でプラサードを配ってるから流れが滞るんですよね。
しかし私らが出た頃はもう人が少なかったので争わずにもらうことが出来ました。

ゲストハウスに帰ってきて、昨日のカリフラワーの残りでまたシチューを作ってたら主名が「抱っこー」と言うので、
「抱っこしたらご飯作られへんやん」
と言いながら急いで作りました。

不思議とセバダルに対する怒りは消えてました。
そもそも顔も覚えてないし、その場で泣いたからスッキリして忘れました。

シチューをお皿に入れて、
「さあ、食べようか」
と運ぼうとしたら、鏡台においていたコップをはじいて、
コップ一杯分のミルクが壁や床や足マットなどに飛び散りました。

久々のショック。

気を取り直して、主名としゃべりながら拭いて、やっときれいになったら主名が
「そうじ終わった?」
と言うので
「終わったよ。さあ、食べようか」
と言ったら
「そうじしたいー!」
と泣きました。

なんでやねん。と思って、
「したいんやったら、しい」
と言ったら
「さわこがするの~(さわこがしろ)」
って、わけ分かりません。

なんだかんだでご飯を食べました。
疲れました。

主名はごはん後、
「ちょっと寝るわ」
とかいって寝てしまいそうだったので、あわてて歯を磨いたら嫌がってまた号泣。

それで目が覚めたみたいで、その後ずっと遊んだり、歌ったり、私が泣いたこれまでの場面の思い出話をしたりしたので、
思い出してまた泣いてしまいました。私が。

明日は確か木曜日なので朝のヤグニャも早めに行きたいものです。

「寝るけど」
と主名に言ったら
「いやー」
電車の写真集を読み聞かせて、私が眠くなりました。

そういえば会場の周囲のむき出しの地面の通り道に海の砂が運び込まれて、敷きつめられたり、分厚い布や大きくて平たいタイルが敷かれていました。
やっぱり、はだしで歩くには痛すぎると判断されたんでしょうね?
【2007/03/05 15:44】 | チェンナイのアティルッドラマハヤグニャ | トラックバック(0) | コメント(0) |
ふうせんのかざりつけ
昨日から、ホールはいろんな色の風船で飾られています。
時々「バンッ!」と割れています。
昨日も劇とかで終わったのは7時くらいだったのでヴェーダ教室はお休みでした。

今朝はアルティだけ行こうと思ったら、ババが外にドライブに出てて通行止めだったのでグルッと回って女性の入り口から入ろうとしたらそこのゲートも閉められていました。
しょうがないから階段のところに座ってババが帰ってくるのを待ってたら、ババもグルッと回って帰ってきて、キャンティーンの前を通って女性側の入り口の横の入り口から中に入っていったのでよく見えました。

その後はホールに入れたので入りました。
しばらくバジャンが続けられてそのうちババはアルティで帰っていきました。
【2007/03/05 15:08】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
バースデーダルシャン
今日、3月3日はわたしの誕生日でした。
主名も3歳わたしも33歳。

なので、いつもより早めに朝行きましたがババは来ず。
午後は4時半くらいに来ました。
今日は何かの行事があって、(プログラム見ても何の行事かよく分かりませんでした)
アンデラプラデシュ州のバルビカスの子らがいろいろやってました。
マーチングやって、スピーチして(その子は指輪かなんかもらってました)ミュージカル風の劇とか。

今日の劇はアメリカで金持ちになりたい人が、友人にインドの伝統とセバのすばらしさみたいなのを教えられて開眼するような話だったと思います。

まあ、ふつうかなと思って、でも主名をひざにのせて一生懸命見てました。
ハヌマーンとか、ミーラバイとか出てきていました。
その後、主役級の子供も何か物質化したものをもらっていました。

いろいろあったんですけど、はしょって、子供たちは一人ずつ、パダマナスカールをして、ババに直接服か何かを手渡されていました。
その後、先生とかと思いますけど、大人も一人ずつパダマナスカールをしていました。

ババはベリーハッピーだったそうで、アルティの後にそういうメッセージを少ししゃべったり、写真を一緒に撮ったりしていました。
ババがいきなり写真を手にしてて、それを大人がもらってたけど、あれも物質化したものだったんでしょうか?

プラサードももらいました。
正月に自分がほとんど食べずに人にあげたやつで、食べたいなーと何となく思ってたやつのでっかい版でした。
望みはいつかかなうんですね。。。

終わってホールを出たのはもう7時過ぎだったので、そのままウエスタンキャンティーンに行ってご飯を食べました。
ポテトのピザとかを食べました。

誕生日のダルシャンは初めてでした。
いろいろ、えーっ、とひいたこととか、面白かったこととか、いつものごとくいろいろありましたが、全体的に何となくのどかで、普段より少し一日におけるダルシャンの割合が高かった日でした。
いろいろあったような、何もなかったような、そんな日でした。
ダルシャンの割合が高かったですけど、生活が楽しく行われたような、そんな日でした。

今日は満月のような月でした。

【2007/03/04 00:27】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
うわさがいっぱい
なんだかんだうわさはありますが、ババはいまだどこにも出発せず。
聞くところによると、今までリシケシに行くとかケララとか、いっぱい行くと言われ(言い)ながらも行かなかったところだらけみたいです。。。
そういえばおととしはスリランカに今にも行きそうなムードでしたけど、行かなかったっけ。。。
【2007/03/04 00:06】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
アップ
2月28日付でヤグニャ4日目の記事をアップしています。
【2007/03/03 00:21】 | 未分類 |
ババの移動
今日、おやつを子供に食べさせながら、ロシア人の顔見知りとコダイカナルの話をしていたら、
コダイカナルの前にババは水のプロジェクトの件で、どこぞの町(聞いたけど覚えられませんでした)とか、ムンバイとか行くと、シバラトリのディスコースで言ってたそうです。
知らなかった。

で、他の日本人にそのことを言ったら、その人は知ってました。
わたしだけ?知らなかったのは?
でも、そのためにもう出かけてるはずがまだ出かけてないそうです。
で、もし行ったら、いっぺんプッタパルティに帰ってきて、それから3月末とか4月とかにコダイに行くと言ううわさです。
あくまでうわさですけど、そういううわさになってます。

今日なんか、何もないし凪みたいな日だなあと思いながらダルシャンを受けてたんですけど、そうでもなかったってことですね。

倦む、ということはなかなかないようです。ここでは。
【2007/03/01 00:45】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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