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ナガラサンキルタン
今朝も外を通るナガラサンキルタンの声で目が覚めました。
5時半くらいだったでしょうか。
そのまま起きてたので眠たいです。
ナガラサンキルタンの時だけ主名が起きて「見たいー」というので、
声が聞こえると服を着て準備をします。
こないだ、見たいとぎゃーぎゃー言うので
暗いし服が間に合わず、ウォッチマンのおじさんがいないのだけ確認して主名を抱いてベランダに出たらとなりのおばあさんも外に出てて少し気まずかったので。
その時私は下着のパンツとタンクトップのみ。

西洋キャンティーンの前の木にフルーツこうもりというのか?
巨大なこうもりがいっぱいぶらさがっています。
暑いらしく、みんな羽をパタパタさせています。
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【2007/05/26 14:40】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイギータご臨終
昨日、ババのペットの象のサイギータが死んだみたいです。
朝、ダルシャンに行こうとしたらアパートのウォッチマンが教えてくれました。
死んだ表情で(こてっ、と横になって舌を出して)。

他の人に聞いたら死んだのは昨日の午後6時50分とか言ってましたけど。

通りに出たらちょうどババが象小屋から帰ってくるところでした。
ババはホールの中に車で入ってそのまま家に帰りました。

朝食後にまたババが象小屋に行っていました。
3時間くらい立ち会って埋葬したそうです。
見に行った人によるとでっかい墓だったそうです。

【2007/05/24 00:12】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
5月22日仏陀祭午後
5月22日仏陀祭午後

午後は私たちは3時半くらいにホールに入りました。
主名がふにゃふにゃ言っていたのでおやつに行こうかと考えているうちに寝たので
そのままそこにいました。
ババが来たのは4時半くらいだったでしょうか。

ババが来てから太鼓奏者のソロ演奏と、日舞がありました。
日舞は主名がずっと楽しみにしていたので起こそうかと思いましたが熟睡していたのでそのまま
寝かせておきました。
「何々さん踊る?とか、踊った?」とか、昨日からずっと気にしていたので
ほんとは起こして見せたかったのですが。
太鼓も踊りも、見せたいものがあるときは主名は熟睡ということがよくあります。
日舞は一人、もとタカラジェンヌの人が入ってて、その人が特訓したんだと思います。

その後は中国語のコーラスや、日本人や他の国も入っていたのか?コーラス風バジャンもありました。
香港とかですかね。中国語はチョン、チン、チャン。というかんじではねて聞こえますね。
そういう歌い方でもありましたけど。

その後は日本の坊さん?方による護摩でした。
そこで主名が起きました。
ヤグニャはもういやというほど?見てるのになあ、と思いました。
でも、「見たい」と言ってぐずってました。
「誰も見るないうてへんやん」と言って立たそうとしてもぐにゃ~としてへたりこんで「見たい~」
まだ眠かったのか?
そのうち火がゴーッと燃えていました。
何回か「きぇー」みたいな気合の声が入って、なぜか会場はうけていました。

主名に、踊りは終わったよ、と言うと「見たかった~・・・・・」と言ってまたべそをかいていました。
DVDとか出たら買って見たらいいよ。と言ったら一応納得していました。

でも、たいことか、日舞とか、日本のを前面に押し出すようなのを聞いたり見たりすると
やっぱりじーんとします。
やっぱり、懐かしいものに再会したかんじで。
ルーツって、大切なんだなあと思います。

サリーって、インドの民族衣装だから、仮装で着るのは好きだったけど
普通に普段着るのはすごい抵抗がありました。
どういう風に着てもインド人からしてみれば絶対おかしいんだろうなとも思ったし。
でも、コダイカナルでイーシュワランマデーの日に配られたサリーをもらって、
他の人に、サリーをもらったということは、これからは着なくちゃいけないってことだとか言われて、
着てみたんですけど、
そしたら日本の着物を着てるような気分になりました。
そんで、ああそうかと思って、
どういう気持ちでサリーを着たらいいのかが分かったような気がしました。

今はインドにいますけど、
やっぱり日本で今までしてきた生活感とかそういうものが全部の基本になっていて、
それが場所が変わっても応用されているんだなと思いました。

プラサードはインドのスイーツでした。

昨日今日とサリーを着て、わりとみんな褒めてくれました。
昨日のは12年前にインタビュールームで配られたやつで、今日のはこないだ配られたやつです。
やー、しかしすごい汗かきました。
あせもも結構出来ました。

いやあ、しかし、きっと、仏陀祭に用意していた出し物は多分ほとんど出来たんですよね?
よかったですね。
変更とか多くてなかなかハードな仏陀祭でしたね。
キャンティーンもはじめのうちはサウスしかまだ開いてなかったり。
うちら、なんにもしてなくて遅くに行ってても疲れました。
【2007/05/24 00:02】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
5月22日仏陀祭午前
今朝は朝起きたら肩や首がバリバリ。
一日中サリーを着たのでなれない筋肉が硬直したんでしょう。
主名が座ってる私の上で飛び跳ねるのでサリーの構造上、ひっぱられた力が首と肩に全部かかってくるし。

今朝は8時くらいにアシュラムに行って、ご飯を食べてからホールに入りました。
今朝はババは来ませんでした。
仏陀祭当日に来ないとは。
午前に用意していた出し物は午後にずれたりするみたいでしょうけど。

主名が泣いたので出ます。
今はネットカフェからでした。
【2007/05/22 14:51】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
5月21日仏陀祭
5月21日仏陀祭

今日は仏陀祭の行事がありました。
人が増えていました。
装飾、昨日の夕方の時点でなんにも決まってないと聞いていましたが、
桜の造花などできれいに飾り付けがされていました。
ホワイトフィールドの予定がプッタパルティになったのでいろいろ大変だったと思います。
でもとてもきれいに感じよく装飾されていました。
手まり(私も一個だけ作りました)もぶらさがってました。
あれは作るのに時間がかかるけど、もっともっとたくさんあったらよかったなあと思いました。
大事なところにだけ飾られてる感じでした。
ババの家とか、神殿とか。
なので、一般人はぶら下がってるものがどれだけ手間がかかってるのか分からないだろうな、と。
遠くてよく見えないから。
でも、一個だけでも作るのに参加できてよかったです。
どこかに私が作ったのもあるんだろうと思ってみるとなんだか親しみがわいて。

みんなは6時くらいに集合してダルシャンのために並んでるようですが、
うちらは無理そうなのでマイペースを通させてもらいました。
8時前くらいに行って、仏教徒用の席に座布団を置いてご飯を食べに行って、8時過ぎくらいにホールに戻りました。
ババが出てきたのは9時過ぎくらいでしょうか。
和太鼓をたたいてる人がいました。
一人だけプロを呼んだと聞きましたがあの人がそうだったのでしょうか?
晴れやかに、楽しそうにたたいていました。
香港の青年部?の踊りが和太鼓に合わせて行われていました。
着物風の衣装に扇子で。
太鼓とあわす練習はどうやったんでしょうか。
こっちに来てからしたのかな。

その後はエイサー風?エイサー?な踊りも行われました。
このときの太鼓は日本の青年部の人がやってるっぽかったです。
(でも、見て思っただけだから違うかも)
プロっぽい男の人はこんどはチキチキ鳴らす楽器をやっていました。
ああゆうのが入ると全然違うなあと思いました。いい意味で。

踊りはなんとなく祈りっぽくって、日本って、そういう雰囲気だったのかなと思いました。
私としては「祭り」でパアっとして、みんながスカッとするのがいいなあ、そういうのやってくれないかなあ
と思いましたが、エイサーもあれは祈りの踊りでしたっけ?
先祖供養とかそんなんでしたっけ?忘れました。すみません。

あとなんか、女のお坊さんとか?が、甘茶かけだかなんか撒いたりしてましたが
よくわかりませんでした。
般若心経を唱えたのは午前だったっけ?
般若心経も唱える人や場所によってずいぶん雰囲気が違うんですね。ノリが。
同じものとは思えないくらい。

プラサードで日本製の羊かんが配られました。
それはよく覚えています。
主名は私の分も食べたがったので半分だけあげました。
包装紙に「AT WHITEFIELD」という印刷がマジックや修正ペンで消された後があって、
これを消すのも大変だっただろうなあと思いました。数があるから。

劇に出演する人たちは昨晩も遅くまで練習していたらしく、お疲れのようでした。

お昼を西洋キャンティーンで食べて、
いっぺんアパートの部屋に帰って午後は3時過ぎくらいにまたダルシャンに行きました。
ババは4時過ぎくらいだったでしょうか?来たのは。
忘れました。
ヴェーダの吟唱とともに入場してきましたが、あの吟唱は日本人だったのか?
定かではありません。
みんなが泊まってるアシュラムの棟に貼ってあった紙にはババ入場時のヴェーダ吟唱も
プログラムのうちみたいでしたけれど。
ガナパティプラールタナ、ナラヤナウパニシャッド、シヴォーパーサナ。
?プルシャスークタムもありましたっけ?
日本人だけが唱えてるんじゃないように思いましたが。
よくわかりません。日本人は唱えるの、なんかしらん上手みたいだし、
日本人だけだったのでしょうか。
コダイカナルで唱えた多分バルビカスのインド人の吟唱も、かなり癖がありましたよ。
西洋人のヴェーダ吟唱は本音を言うと、ひどすぎて怖くなります。

何人かのスピーチが行われたのでその間は座ったまま睡眠をとりました。

仏陀の劇が行われました。
ぶっだ~。
うっかり、寝ていた主名を起こして泣かせてしまったので、劇が始まって救われました。
「ほら、仏陀でてきたで」とか「何々さんやで見てみ」とか言って。
主名は顔がいっぱいついてるブラフマー?でしたっけ?ブラフマン?あれがよかったみたいです。
あと、仏陀が死ぬときにアーナンダがうおーっと泣いたので、
「何々さん泣いた?」と、劇が終わってからもずっと気にして聞いてきてました。
知り合いだったので。

劇を見てた人はみんな感動して泣いたようです。
(いや、すみません、うちらはそれどころじゃなくって)

劇が終わってからババは壇上から降りて、出演者と記念撮影をしたみたいでした。
夜遅くまで練習したかいがあったなあと思いました。
ババは壇上に戻ってからも両手を挙げて劇関係者を祝福していました。
午後のプラサードはインド製のウエハースでした。
やっぱりすべて日本製だと費用も労力もかかりすぎるのかな?と思いました。
そんなことないんでしょうか?

今回の仏陀祭、日本からの参加者は乳幼児連れがけっこう多いように思いました。
親はへとへとになってる人が多いみたいでした。
数年前を思い出すなぁ。。。。。

主名はもう3歳半を過ぎてるのでわたしも大変だけどでもそれなりに余裕が出来ています。
今日はサリーを着たけど、以前なら絶対着れませんでした。
自分の頭でさえ、この暑いのに週一回洗えればいいほうという余裕のなさでしたから。
ああ、あの時は大変だった。つらかったー。もうあんな思いはしたくないです。

ブログ、最近書く気がすっかり失せていてほったらかしていたのですが、
こんな偏った情報で主観のみというのんでも
わりに楽しみに見てくれてる方がいるみたいなので
(仏陀祭で来た日本人何人かに知り合いが楽しみに見てるとか、そんなことを言われました)
無責任ながらまた主観ばりばり情報を垂れ流してみました。
内容に責任持ちませんのでよろしくどうぞ。

夜は西洋キャンティーンは仏教国のメニューでした。
日本は炊き込みご飯?
お金を払おうとしたらすべてタダだったので驚きました。
黄緑色の饅頭みたいなのも日本がつくったんでしょうか?
主名の隣の席のインド人のきれいなお姉さんがかじったら、中身の汁がビューッと飛んで、
4人向こうまで飛んでいました。
みんな爆笑。
私の隣の西洋人は主名が飛ばしたと思って、
「あんたの息子をちゃんとコントロールしなさい」と、笑いながら言ってきました。
まさかさらにその向こうから飛んできてるとは思わずに。

さすがにすごい人数が食べにきていました。
しかし口に合わなかったものも多かったんでしょうね?残飯の量もすごかった!
ゴーヤのサラダもむちゃくちゃ苦かった!
ビーフンみたいなヌードルはおいしかったです。
透明なスープもおいしかった。
明日も特別メニューかなあ。

主名も今日は正装で、インド人のクルタパジャマでしたっけ?
あれをマドゥライで作っていたので着せてみました。
しかし午後のバジャン後にコーンでチョコレートアイスを食べさせたらすごいことになりました。
「ホワッツハプン!?」
などと他の人に言われていました。

でも部屋に帰って洗ったらすぐきれいになりました。




【2007/05/22 14:40】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(2) |
5月20日ババの夢(インタビュープリーズ)
5月20日ババの夢(インタビュープリーズ)

至近距離のババの夢を久しぶりに見ました。
コダイカナル風の場所でダルシャンがあって、私も座ってババが前を通るのを待っていたのですが、
向こうを通ったのでこっちに来ないのかと思ったらぐるっと回ってこちらに来ました。
自分の前まで来たので、ぐいっと身を乗り出して
ババのひざに片手をついてババの動きを止め、
「インタビュープリーズ」
と言いました。

そしたらババはしゃべらなかったけど、手で来るように指示をしました。
側近も反応がなかったし、いいのかな?と思ったけど、
インタビューに来るようにという合図でした。

別の場所に移動して、インタビューのためにババが来るのを待ってたら、
自分がコンタクトレンズをしていないことに気がついて、ああどうしようと思いました。
隣に私をサポートしてくれるような年上の知らない女の人がいたので、
コンタクトレンズを取りに行こうかと相談しているうちにその場所にババが車椅子で入ってきました。
ああもう来ちゃったよ、と思いました。
ババはうれしはずかしというような、はにかんで喜びを抑えているような表情でした。
とても嬉しそうでした。
【2007/05/22 14:29】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
5月11日ホワイトフィールド
5月11日ホワイトフィールド
今朝もキャンティーンに朝食を食べに行きました。
一番最後になったので急いで主名に食べさせていたらセバダルのおじさんが来たので
もっと急ごうと思ったら「ゆっくりゆっくり」と言われました。
プッタパルティのキャンティーンで急かされるのに慣れていたので意外な対応で、ホッとしました。

その後、キャンティーンの裏のガネーシャの寺やハヌマーンの寺などに散歩がてら行きました。
ガネーシャの寺は入り口は狭かったけど中はちょっとしたホールになっていて、
色んな神様が祀られていました。

そこらへんの店で雑貨を買って、ココナツを飲んで、歩いてアシュラムまで行きました。
すると本屋が開いていたので入って、ババの写真とカードのカレンダーと
子供用の小話のCDロムを買いました。

本屋を出たら売店も開いていたので、入って、ジュースなどを買いました。
冷えてるやつがいいと思って、冷蔵庫の中のグァバジュースを買ったら
半年間の賞味期限がすでに一年目でした。
でも腐ってなさそうだったので飲みました。

主名はフェンスの中の芝生のところに入って葉っぱなどを集めて遊んでいました。
ババが来て、人がいっぱいになったら「サイラムサイラム」と言ってセバダルに怒られると思いますが、
今は人目も少ないので平気です。

プッタパルティとホワイトフィールドに子供のための公園を作ってくださいと書いて
わたしたちがコダイカナルを発つ日に渡したので、
子供を怒られずに遊ばすことのできる場所ができるといいなと思います。

その後、一瞬ホールに座ってアシュラムの外に出て、向かいのネットやさんで電話をかけました。
昨日日本にかけたときは200ルピー以上かかったけど、今日のところでは50ルピーくらいでした。
場所によってすごく安くでかけられるところがあって、ここがそうだったので、
今度からここで日本にはかけようと思います。
ここはネットも聞くと一時間25ルピーと、今までインドで聞いた中では最安値でした。

そしてそのビルの2階の奥の歯医者に行ってみました。
治療用のイスと機械が一組あるだけの歯医者で、患者もなくぼうっとしていた歯医者は
突然入ってきた私たちを見てガバッとイスから起き上がりました。
にこにこして感じのいい歯医者さんでした。
主名が、時々痛がるので、と言うと、年齢を聞かれたので3歳と言いました。
そしたら治療するにはまだ早すぎると思うと言われて、
主名も「診てもらわない」というので、診療時間などを書いたカードだけをもらって出ました。

その後、クリシュナテンプルにも行きました。
今までこの寺の裏は回ったことなかったのですが、
建物が閉まっていたのでぐるりと周囲を回ってみました。
9つの惑星の神様やよくわからないのも祀られていました。
プージャをしていた女の人にバジャンの時間を聞いたら7時で、木曜日だけと言われました。
今日は木曜と思っていたのでバジャンの時間を聞いたのですが、
私の勘違いで今日は金曜日でした。

その後、わりと大きいお菓子屋さんでイスと机があったのでアイスを食べ、
べジのハンバーガーとロールケーキを買って、
チャイやジュースをその場で飲んでサモサを食べて休憩しました。
店の人がサモサを3つに切ってくれて、結構辛くて、全部私が食べるのかなと思っていたら
身なりの貧しい母子がいて、子供が手を出してきたのでサモサの一切れを渡したら
受け取って食べたので、主名も辛くて食べないし、
そのこが食べてくれて自分が食べる分が減ってよかったと思ったけど、
後でその子はおかあさんにぶたれていました。
物乞いかどうか分からない母子だったけど違ったみたいで、
微妙なラインだっただけに母親の怒りに触れたなら悪いことしたなと思いました。
これがいかにも裕福な母子だったなら逆に問題なかったんだろうと思います。

しかしホワイトフィールドの物乞いは今のところほとんど現金しか受け付けません。
そのとき持ってる物をあげようとしてもたいがい断られます。

主名が線路のところに行きたいと言うので、アシュラムの横の踏み切りに行きました。
踏み切りマニアなので。
そしたら踏み切りを渡りたいと言うので向こう側に渡ってまた戻ってきました。
たくさん線路を横切ってご満悦でした。
しかし大きなトラックがすぐそばを何台も通るので危険でした。

踏切からは駅のホームも見えて、ホームに行く人は踏切から線路伝いに直接歩いて行っていたので、
わたしも主名を抱えてベビーカーをかついで、砂利道の上をホームへ歩いていきました。
ずっと止まっている電車や通り過ぎる列車を4,5台(と言うんでしょうか?)ほど見たでしょうか。
貨物列車も通っていきました。

ホームは広々しているし、大きな木の木陰がいくつもあって涼しいし、
道路の排気ガスもここまでは来ないので座ってぼうっとするにはなかなかいい場所でした。
列車に乗る人もホワイトフィールドではそんなに多くないし。
チッコーという果物が売っていたので一袋買いました。10ルピーでした。

電車好きな主名はずっとここにいると言って帰りたがらなかったのですが、
私はさすがに疲れてきたので「上から貨物列車を見よう」とか何とか言って
ホームの連絡通路の歩道橋みたいな上に登ってそのまま駅の外に下りました。

駅に飲み水はあったけど飲み物は売っていなかったので、
外の店でビニールパックの水とマンゴーミルクシェークを飲みました。
シェークを作ってる様子を見るとちょっとやばそうでしたがお腹は壊しませんでした。

部屋に帰ると主名の甘え炸裂でなんでやねん休ませてくれと思いましたが、
そのうち私も主名も疲れて寝ました。
いつものことですが泣きまくりなのでここのアパートのほかの部屋の人たちも
何事と思っているかもしれません。
さっさと引き上げたほうがいいかも!
【2007/05/13 20:12】 | ホワイトフィールド | トラックバック(0) | コメント(0) |
5月10日ホワイトフィールド
5月10日

今はホワイトフィールドのアシュラムの近くのアパートからです。
知人のアパートに住まわしてもらっています。
その知人はまだ今はコダイカナルにいるはずです。

前回の日記は確か4月24日だったと思います。
その後、26日にババがコダイカナルに来て、日記を書く隙がなくなって今に至ります。
ババはホワイトフィールドにはまだ来てなくて、今もコダイカナルにいるはずなので、
私らはここでのんびりすごしています。
私らは8日の1時半にコダイカナルを出て、その日の夜にここに着きました。

ババのコダイカナルからの移動は12日だとか16日だとかいう話を聞きます。
私らは予算がギリギリだったのと、
(知人の知人の知人の別荘は6泊で出てその後一泊700ルピーの宿に泊まっていました)
ババの移動が確定してからだと飛行機の席をとるのが難しそうだったので
早めに移動しました。

帰りは一番安かった、コインバトールからバンガロールへと空路を使いました。
コダイカナルからコインバトールまでは一時間くらい余計に時間はかかりますが、
タクシー代は同じでした。
航空運賃は一人1200ルピー弱でした。
エアーデカンは子供運賃はないので二人で2300ルピーくらいでした。
20キロくらいの荷物の超過料金、1333ルピーを払いました。
ほんとはもっと機内持ち込みで持ち込むつもりだったのですがうっかり預ける荷物にしてしまって。
スーツケースはやたら重く感じたし、
タクシーまで運んでくれた宿の人も50キロ以上あるとか言ってたけど
実際測ったら35キロだったので、
スーツケースだけだったら二人で30キロの荷物制限なので大目に見てくれたんじゃないかなあと思いますが。

でもおかげで今回は他の人の手を借りずに自分で荷物を飛行機に運べました。
それでも機内持ち込みの荷物は4つか5つあって、いつもながら引越しかというような状態でした。

コダイカナルからの一時間半くらいの山道の間は主名は見事に熟睡していて
私が少し吐いたくらいでした。

しかし、ホワイトフィールドの知人のアパート探しで地図はもらっていたけど
住所も連絡先もアパートの名前も知らずに、初めてのところに行って、
しかも空港からプリペイドタクシーで行ったのでドライバーもアシュラム周辺に詳しいわけでもなく、
かなりぐるぐる回って探し回りました。
そして懸念していた山道で全く吐かなかった主名はここで吐きました!これは予想外でした。
もういいからホテルに行くと言っても一度探し始めたドライバーは途中でやめる気にならず
ホテルに向かわなかったので。

やっぱり飛行機を使ったといっても移動は疲れるので、主名は昨日は喘息が出て一日しんどそうでしたが
今日は喘息はほぼ治まりました。
今日は歯が痛いとか鼻が痛いとか言ってますが甘えも何割か入ってる感じです。
でも歯医者はバンガロールで行っておこうと思いました。
保険なしは高いそうですけど。
歯1本の治療終えるまでに8000ルピーかかったとかいう話も聞いたり。

たまたま、同じ8日に日本からホワイトフィールドに戻って来た別の年配の知人にここでばったり会ったので、
昨日はその人のアパートに遊びに行き、今日は塩を分けて欲しいといわれたので
こちらに来てもらいました。
なんか縁があるんだなあと思います。
話を聞くと同じように男兄弟の中の女一人長女で、わりあい似たところのあるもの同士のようでした。

ホワイトフィールドも家賃がすごく上がっているそうで、敷金も家賃の10か月分必要だったりするそうです。
プッタパルティで私が借りてるアパートなんか一日80ルピーの日払いでも貸してくれるという安易さですが
ホワイトフィールドはバンガロール式で、都会っぽいみたいです。
今回ホワイトフィールドに来るときにも2年前にはなかったすごいビル群が建ってたりしました。
タクシードライバーが言うには海外のソフトウェアの会社のビルだそうです。
バンガロールのサイババの病院もはじめて見ました。
こちらもすごい規模だなと思いました。きれいでした。

そういえば、コダイカナルからコインバトールに行く途中にパラーニというムルガンのお寺を見ました。
これは改めていつか行ってみたいなと思いました。
ガイドブックでは詳しく載ってなかったので気にとめてなかったのですが、
実際見ると寺までロープウェイで登るようになっていてなかなか面白そうでした。

コダイカナルはサイババが来てなくても観光地なので、むしろサイババが来てない方が混んでなくて滞在しやすかったですが、
ホワイトフィールドはサイババがいないと店がほんと少なくて、レストランもほとんどやってないので
ゴークラムのサウスインディアンキャンティーンに食べに行くほかはほぼ自炊しています。
コダイカナルでそろえた自炊セットは重いけどこっちに持ってきてそのまま役立っています。

肝心のババが来てからのコダイカナルでの日記はすっぽり抜けてますけど、
気が向くままにそのうち書こうと思います。たぶん。

久しぶりにパソコンで日記を書いたらちょっと吐き気がしました。
何も書かずにぼうっとしていたい気持ちがあるんだと思います。

近所の店で20リットルの飲料水を調達できたので安心しました。
水は必要です。
【2007/05/13 20:10】 | ホワイトフィールド | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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