スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
グルプールニマ
今日はグルプールニマでした。
昨日は一日主名が熱を出してて部屋にいたので、今朝はダルシャンはパスしました。
グルプールニマの朝に部屋にいたのは初めてです。

今日は主名の熱も下がってたので午後は2時前くらいに
アシュラムに行きました。
なんとか会場に入って座りました。

ババは黄色いローブで出てきていました。
ユースが色とりどりの衣装で踊ったり歌ったりしていました。
日本語の歌も一曲歌っていました。
ババは踊った人たちと写真を撮ったりしていました。

その後インド音楽の演奏でした。
グルプールニマの歌、みたいなのもあったり。
ババはドーティーとかあげてたみたいでした。

途中土砂降りになったので、外で入りきれず待ってる人たちは濡れただろうなと思いました。

今週は体調不良で部屋にいることが多かったので、グルプールニマの当日だけ出たという感じです。でれてよかったなと。

あー、おわったおわった。
スポンサーサイト
【2007/07/30 00:01】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
久しぶりに熱を出してました。
主名の学校の先生や保護者もくたばってる人が多いみたいで。
9人くらいの生徒が2~3人しか来てないとか。
浄化されちゃって?なんかすっきり?
【2007/07/27 15:55】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
7月20日 子連れディフィカルト?
7月20日 子連れディフィカルト?

いつの間にかもうこんな日付です。
途中2週間ほど日本に帰りましたが、ここに来て1年が過ぎました。
来た時、他の家族に「最初に一年は大変だけどそれを過ぎれば楽になる」と言われました。
なるほど、そんな感じもあります。

主名の学校関係で他の父母と接する機会がありますが、海外に住んでて、
そこから来たインド人とか、私のように保護者1人で子どもの世話をしてるケースもいくつかあって、
その人たちはこっちに長くいようと思ってやってきて間もないのでかなり疲れ果てているようです。
そんな人たちに「大変じゃない?」と何度か聞かれたのですが、
私は以前がむちゃくちゃ大変だったので、今はまったくイージーといっていい状態です。

しかしそういう人たちとはお互いの状況がいわずとも想像できる部分があるので
沈黙の中で互いに触れたと感じる時があります。

ここでいきなり主名語録
「さわこ、まだ生きてる?」

佐和子「主名、大人になったら何になるの?」
主名「ライオンになるの。ライオンと鬼とトラになるのよ。ガオガオいうよ。」

バナナミルクシェイクを飲んでる時
佐和子「もうちょっと飲ませて」
主名「もうだめ。お腹痛くなるよ。(わたしには)必要ないの。」

メモ:黄色いメロン大1個5ルピー
   ざくろ4つ10ルピー
   小ぶりのマンゴー1キロ(7~8個くらい?)10ルピー

   ~最寄のチベットレストラン~
   ベジタブルギャトゥク(野菜ラーメンみたいなやつ)35ルピー
   スチームドスピナッチモモ(ほうれん草の具の蒸し餃子みたいなやつ)40ルピー
   ベジタブルチョウミン(焼きそば)40ルピー
   タイ・ポー(野菜マン2個)40ルピー

   アシュラムの売店のミルクティー4ルピー、コーヒー5ルピー

今朝はアパートでパンと野菜炒めの朝食、?ルピー。
主名を学校に送った後に私はジンジャーミルクティー。3ルピー。
昼はチベットレストランでベジタブルワンタンスープとスピナッチモモと
飲み物ミルクコーヒー、バナナミルクシェイク、ミルクティー。123ルピー。
おやつはサウスインディアンキャンティーンで。クーポンで12ルピー分。
夕食はアパートでそばと味噌汁。?ルピー。
あと、メロン、ざくろ、マンゴー、飲み物を部屋で適当に。
【2007/07/23 21:19】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
ハヌマーン
昨日は木曜だし、何かやるかなと思ってダルシャンに行ったらハヌマ-ンの劇をやりました。
ナマスマラナでしたっけ、神の御名を唱えることの意義みたいなのがテーマで、寸劇みたいなやつだったんですけど、見所はサルの軍団がラーマの名前を唱えながら海に岩で橋をかけるところでした。
ユースかと思ったらカナダの人らでした。
寸劇みたいなやつでしたけどセットや衣装もちゃんとしてて、雰囲気も良かったです。
ババは出演者にドーティーとかあげてました。
そのあとプラサードが配られて、キャンティーンで出るお菓子が包装なしで何種類か配られて、主名もわたしもそれぞれ好きなやつをもらって喜びました。

今日は主名の学校に迎えに行った時もハヌマーンのアニメのビデオをみんなで見ていました。
主名は喜んだみたいです。
先日はバジャンとかもたくさんやってて、(帰りたくて泣いた男の子がいたから?)うれしかったみたいです。
で、今日はそのバジャンのCDを買いに行こうかと思いましたが主名は今熟睡なのでまた今度にします。

ガネーシャゲートでのチェックはけっこう失礼な時もあるので、こういうのはどう考えたらいいんだろうとか思ってしまいます。
やっぱり以前日本人が犯罪的なことをしたのかしようとしたのかは知りませんけど、そんなんだったから今、うちらが犯罪予備軍みたいな扱いを受けるんでしょうね?
逆にいいことをした日本人もいっぱいいるし、そんなわけで色んなところで日本人というだけで好意的に扱われる場合もありますけれど。
いろんなスケールで因果応報なんでしょうね?

黄色いメロンがおいしいです。
主名はざくろが気にいっています。
粒つぶが面白いのか。

そういえば今日はババは車イスでダルシャンに来ていました。
【2007/07/20 21:48】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
7月17日
今朝は、主名が学校に行ってる間にアパートの部屋でほかの人とヴェーダの練習をしました。
しばらく途絶えていたのですが、先週から再開して、週一回のゆったりペースですることになりました。

朝、主名を学校に連れて行った後、アルティに間に合いそうだったのでアシュラムに入ろうとしたら「日本人か?」と、ゲートで止められてしまいました。
ゲートチェック、ずっとサボってたのですが今回の担当のセバダルはやる気があるみたいで。
「なんで日本人だけそんなんするのか理由を言ってほしい」とか言ってみたんですが、「自分たちは知らない」とか言うので「じゃあ誰かに聞いて」とか言ってみたんですけど「自分たちは聞けない」しまいに「理由はない」となって、だめでした。

で、朝は入れなかったのでアルティに行けず。

昼にまた食事しに行こうとしてパスポートのコピーを持っていったら
セバダルは「最初はパスポートそのものじゃないとだめだ」
とか言い出して、取りに帰らされました。
ものすごいだるいです。

こんなんしなきゃいけない理由は知ってるんですけど、
前にここに来てたやばい日本人はもう日本でつかまってニュースにもなって刑務所に入ってるんでしょうし、うちらがそのなごりで毎回アシュラムに出入りするときにゲートチェックしなきゃならないというのは
日本人としてのカルマの負債を返してるんでしょうか???

だれか上のほうの人に文句を言いに行こうかと思ったんですけど
たぶんよっぽど上じゃないと無駄なので、
サイババに手紙を書いてポストに投函しようかと思います。

アシュラムの中で物乞いしたり盗んだりするインド人こそ厳しく取り締まってほしいものです。

だるいのでそのままアシュラムにいて久しぶりにトークンに出ました。
3番で、サイババは車で来ましたけど、
住人エリアに座ってた人の赤ちゃんに車の中で手をくるくる回してペンダントを物質化して与えていました。
車の中で物質化するところを見たのは初めてでした。
ほとんどの人は見えてなかったので気がついてなくて拍手も起こりませんでした。
赤ちゃんのお母さんは赤ちゃんを車の窓から中に入れそうなくらいの勢いでした。
サイババはすごくにこにこしてて、そのうち無表情になって車を出しました。

その後おやつに行った時にまたババは出てきて、車椅子でうろうろしていました。
ユースのところかなあ。
私も年齢的には一応ユースらしいんですけど。行かないけれど。

女性のゲートは閉まってたし、男性側の外から見て。もう十分かなと思って歯医者に行きました。
人も多かったのでゲートチェックはサボって。

歯医者では今日は1本だけ削ってセメントを詰めました。
主名は泣きもせずおとなしく削られていて、成長したなあと思いました。
セメントはフジとかいう、日本製のやつでした。
今日は100ルピーでした。
あと4,5本くらい同じことをするんでしょうか。
次は土曜に行きます。

スーパーバザールでアーユルヴェーダの虫除けスプレーが売っていました。
150ルピーとインドとしては高いですけど、よさそうな製品だし、
いつも日本から送ってもらってるので、次からはこれでいいなと思いました。
まとめ買いしててもいいかも。
蚊はこわいですから。
夕方はよく主名を外で遊ばせているし。

ではこれからまたゲートを通過して食事に行ってきます。。。
こういうのはめんどうだからアシュラムの中に部屋がほしいです。

【2007/07/17 22:48】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
7月16日
7月16日 

今日の午後はババは車から降りてから車いすで前の方をうろうろしました。
前の方にはユースの人たちが座っていて、そこらへんに行きました。
男性になにか物質化したようでした。

ダルシャン後は歯医者を予約していたので行ってみたらシャッターが閉まっていました。
隣にはいろいろ検査する研究室みたいなのが入ってて、そこのお兄さんが親切にも
明日来てみたらとかいろいろ言ってくれましたけど、
しかし、歯医者もドタキャンですかあ。

日曜日はドイツ人に会う予定だったんですけど、部屋を出たとたん携帯が鳴って、
病気で寝てるとのこと。
そういうのすごく多いんですけどなんででしょうか。そういうもんですか?
前、リトルハートさんに会う予定だったときも
当日に「昨日来た人から風邪をもらった」と言われてキャンセルでした。で、それっきりです。

なので昨日はそのままダルシャンに行きました。
学生が音楽演奏と歌をしました。
主名は喜んでたんですけど間もなく熟睡でした。

やっぱり学生によるインド音楽は素人の域ではないです。と、思います。
西洋音楽やオーケストラも時々してますけど、それらはあんまりいいとは思わないです。
しかしインド音楽はさすがと思います。

自分の場合に思いが及んで、自分は日本の文化に触れる機会が多かったにもかかわらず
なんにもものになってないのは何でかな、と思いました。
それら、例えばお琴とか日本画とかしてるまさにその時にいいとあんまり思えなかったのは
戦争で日本が負けて日本の文化の価値を否定するようになってたからでしょうか。
単に私がものぐさだったから?

インドにいると日本の文化のことを思ったりします。
やっぱり、生まれ育ったその環境に根ざしたものをするというのは強いものがあるなあと思います。
私の生まれ育った西宮はなんか単なる住宅地で特色がないような気がしていましたけど、
えべっさんとか、あれは蛭子だとうことを最近文庫本で読んでへえ、と思いました。
沖縄の文化とかに非常に惹かれたりするのも多分自分にかけてるような土着性、といったら
語弊があるかもしれませんけど、なにかそういうものが呼び覚まされるんだろうと思います。

しかし、特色のない(ように思える)西宮に生まれ育ったということは
逆にいうととらわれるものがないのかもしれませんけど、わかりません。

インドの文化には別に惹かれたりとかはしないんですけど、
ヴェーダは性にあってるとは思います。
お寺におまいりするときの雰囲気とかはすごく好きですけど、入っちゃだめとか言われて
つまらないときもあるし。

最近思うのは、乞食の人らは身体障害者(差別用語とかじゃないですか?)がすごい多くて、
それを強調することで稼ぎがよくなるしくみになってるみたいで、
そういう人がここらへんにたくさんいるので気がつけば見慣れてしまっていたということです。
四つんばいの人もたくさんいて、最初はどきどきして疑問がいっぱいわいていたのですが、
そういう人も乞食じゃなくて、仰向けの四つんばいのお腹の上に何か乗せて運んでたりして
どうも働いてる人もいるみたいだったり。
ダルシャンにきっちり出て、他の時は乞食をしてるみたいななんか紳士的な雰囲気の人とか。
なんかよく分からないけどどうでもいいというかんじになって来ています。
麻痺したということでしょうか。

ヴェーダ教室はヴェーダの生徒は昨日は私だけでした。
他にはヴィーナの生徒が2人と、見物人?の奥さんがいました。
なのでヴィーナの人が来る前に私1人でなんやかんや唱えて、
ヴィーナの人が来てからは
またもやヴィーナのレッスンとヴェーダのチャンティングを同時にしました。

その後はバジャンでヴィーナのレッスンが少し行われて、
おばあちゃん先生がちゃんとした音楽的なのをヴィーナで弾くのをはじめて聴きました。
かなりかっこよかったです。
主名もうれしくなっちゃって笑いがこらえられずグフグフ笑っていました。
なかなか面白くって。
もう、わたしも(主名も)ヴィーナを触りたくって仕方がないんですけどまだ見てるだけです。
ガネーシャのバジャンをやっていました。

習ってた女の人は若い人はわりと弾ける人で、そのバジャンも知ってたみたいで
その場で楽譜なしで教わって弾いていました。
もう1人の年配の人はどうやらそのときが始めてか2回目くらいだったようで、
持ち方から教わっていました。
サリガマパダニサ、からやっていました。
緊張していて、
始める前にサイババに助けを求めて真剣に祈ってたのが年上の人ですけどほほえましかったです。
すっごいまじめそうな人でした。

しかし、ヴェーダ教室に来てるインド人の人たちはうちら外国人では絶対でない雰囲気を
まとってるのでそこらへんが興味深いです。
いるべきところにいる人たちというのはこういうのを言うんだなあ、と。

外国人でも、だれでもそこにいるのは偶然ではないでしょうし、
ババのところにはババが呼んだ人しか来れないとかよく言いますけど、
そういうのとは根本的に違うものをやっぱりインド人たちは共有していて、
そういうものはわたし自身はいつも持っていないと思うものです。
あるいは以前は私もそういうものの中にいたのでしょうか?

どうでもいいんですけど、最近おばあちゃん先生は毎回私に「あんたはドイツ人だったっけ?」
と聞きます。
この顔のどこをどう見たらドイツ人に見えるんでしょうか。
ジャパンとジャーマンは似てなくもないですけど。
しかし学生の時に「おまえはドイツ人ってかんじだ」とバイト先の人に言われたことがありました。
ここでの暮らしでもドイツ人との接触が比較的多いです。
最高に仲が悪い相手もドイツ人で、何かと助けてもらう人もドイツ人で。
毎回おばあちゃん先生に「日本人です」と訂正するんですけど、
おばあちゃん先生、その後ヴェーダの練習中にかかってきた電話の相手には
「今、ドイツ人にヴェーダ教えてる」とか言っていました。

終わった後は主名がチトラバティーロードのチベットレストランに行きたいというので
「こっちは高いからお金なくなる」とか説得してみましたがだめで、折れて結局そこに行きました。
でもまあ、おいしかったです。
ホワイトフィールドのアシュラムで買ったトゥルシのお茶がおいしくて、2箱買ったんですけど
もうなくなりそうだったのがそこの店で売ってたので買って帰りました。

夕方は雨が降りました。
主名はバジャンで寝てそのまま寝ています。
今は夜の7時過ぎなので主名が起きればキャンティーンに食べに行こうかと思ってますけど
さっきおねしょして、濡れたズボンを脱がせた時に一瞬目を覚ましてまた眠っています。
雨はもうやんだみたいです。

最近サリーをよく着ますが、さっきインド人男性がするような巻きスカートとTシャツを着てみたら
その方がぜったい気分的にしっくりきました。
サリーみたいなひだひだとか、うっとおしくってあんまり好きじゃないです。
インド人男性は奥さんが暇にならないようにわざと電化製品を使わせず忙しくさせておく
というようなことをババが肯定的な文脈で言ってたように思いますが、(違ってたらすみません)
サリーってそういう女性を抑圧・拘束する文化を感じるんですけど気のせいでしょうか。
見てる分にはきれいですけども。
あと、洗濯代が安くすみますけれども。

もう7時40分で、今行かないとキャンティーンは無理ですが主名は熟睡してるので
しょうがないから部屋で何か作ります。
【2007/07/17 22:23】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今日って、15日くらいでしょうか。
もうすぐユースのコンファレンスがあるとかで、また人が増えました。
コンファレンスってなんでしたっけ。
まあとにかく若めの人がたくさん来てるみたいです。

主名は今日はジュークボックスを持ち歩いています。
ただのおもちゃの箱ですけど、箱のどこかを押すと主名の口から童謡が流れ出す仕組みになってるそうです。

この前、テニスボール柄のサリーを見かけました。
スポーティーな一品、ということなんでしょうか。
サリーって、ほんとなんでもありですね。

【2007/07/15 16:19】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今日は13日でしょうか。
もうひとつの学校で明後日から行われる予定だった工作の授業みたいなやつ、今日行ってみたらドイツ人がキャンセルしたみたいでした。今日。

ドイツ人が校長としゃべってて、「その日本人女性、ほんとに興味があるならわたしのところに電話できるはずじゃないの」みたいに私のことをしゃべってて、「あら、あなたがその人?」というかんじでした。

しかしいきなりキャンセルしたらあさってだし、行く予定にしてた人もいるでしょうけど、なんなんでしょう。
前にいた男性のドイツ人といい、今日の女性のドイツ人といい、彼らはここの学校に心情的に折り合えない面があるのかもしれません。
そんな印象を受けました。
3ヶ月毎週日曜に予定していた工作の授業はだいぶ離れた別の学校に場所を変えてやるそうです。よくわかりません!
ちょっと気の毒な校長でした。
このドイツ人女性のことをすごくいい風に言っていたので。

そのドイツ人女性は最初はわたしと目もあわさないようにしてる感じでしたが、校長にいわれてしぶしぶという感じもありつつ、隣のイスに座ってしゃべりました。
電話しなかったわけがわかったんじゃないでしょうか。
勘やボディランゲージとかなしでは成り立たない私との会話!

最初はあれでしたけど、何でこういうのに興味があるのか聞かれて、私も日本で画家だったのでとか言ったら態度が急変しました。
で、興味があるんだったら個人的に出来るから一度部屋に来て個人的にお話しましょう、みたいな話になったので、その人と一緒に今日はその人の住んでるとこだけ確認して、日曜日に主名と一緒に訪問することになりました。私は主名に工作とかさせたら面白いかなとか思ったんですけど、雰囲気的に私のための大人の時間になりそうです。

その後私は自分の部屋へ、その人も行くところがあって行きました。
しかしその人の目的地は私のアパートの2件隣でした。
オーガニックカフェみたいなところで、そんな近いのにそんなのがあるとはぜんぜん知りませんでした。
西洋人がやってるみたいでした。
小麦粉くらいは買ってもいいかなと思いました。
軽食は高かったので。
そのカフェの前の壁にはそのドイツ人の女の人が描いた、中心にババの顔がある曼荼羅の絵がありました。
それは今年の3月に描いたそうですけど、ぜんぜん知りませんでした。

その後主名を迎えに行ったあと、道でさっきの学校の先生をしてる知人に会ったので、前から言われてたし、ちょっとだけ部屋にお邪魔しました。
北インドの人で、やっぱり部屋はインド人の部屋という感じでした。
西洋人の部屋の使い方とインド人の部屋の使い方は明らかにちがうなあ、と。

その後ノースで昼食を食べて、主名は帰り道の砂山で1時間飽きずに遊んで、
待ってるのも疲れたので部屋に帰った時昼寝しようかと思いましたがダルシャンに行きました。
ダルシャン後は主名を町の歯医者に連れて行きました。
また、歯茎に膿がたまってて昨日の夜それが痛んでキーキー言っていたので。
今日は痛くないので本人は「行かない」と言っていましたが、
明日は土曜で明後日は日曜だし行っておきました。

歯医者はスーパーバザールの横ですが、ババの病院と違い、患者がいなくて待たなくて良くてすぐ診てもらいました。
やっぱり薬2種類だけでした。治療は今日はなし。で、診察費もなし。
穴が開いてるところに詰め物するからまた来てといわれました。
月曜にまた行きますが、保険なしでいくらかかるのかちょっと心配です。
下手に削ってつめたら余計ひどくならないんでしょうか。
今、他の歯は痛んでないそうなんですけども。

というのは、主名は日本で虫歯を削ってつめたら明らかに余計ひどくなったみたいで。そこ、やぶだったらしいんですけど。

その後雨が降り出したので急いでバジャンに行きました。
急いで行ったら間違えてでっかいかばんを持って行ってて、ボディチェックのセキュリティの人もびっくりしてましたが私もびっくりしました。
そこら辺の外において中に入って、バジャンが終わったらすぐに取って出ました。

今、主名は熟睡中です。

ギザ(お風呂の湯沸かし器)をつけてからアパートが一週間にいっぺんくらい停電するのでちょっと引っ越したい気分です。
古いアパートなのでギザを使うようには出来ていないらしく。
今日、また停電したので配線見たら溶けていました。
洗濯機とギザを一度に使わないように気をつけてはいるのですが、
今日、ギザの電源が入っている時に冷蔵庫が勝手にブーンと中身を冷やし出したらぶちっと電気が切れました。
これはちょっと気をつけようがないです。

雨が降ると涼しいです。
【2007/07/13 21:59】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
朝10時です。
昨日の午後はババは3時25分くらいに来たと思います。
うちらも3時半くらいに行って、5時半くらいまで延々やってた音楽プログラムを聞きました。
この、延々というのはインド人は得意なんでしょうか。

音楽プログラムの前には小さな男の子と女の子にババは連続してネックレスと何かを物質化して与えていました。
連続物質化でした。

2時間くらいもみっちりダルシャンは久しぶりな気がしました。
うちらが参加するのが。

今朝はドイツ人が来るというのでまたもうひとつの学校に行ってきます。
主名は今学校です。
今週から日曜ごとに3ヶ月間くらい、そのドイツ人によるおもちゃを作ったりする工作の時間があるそうなので、とりあえずそれには主名と二人で行ってみようかなと思います。
【2007/07/13 13:29】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
面会
今朝は起きるのが遅かったのでオートリキシャで急いで主名を学校に連れて行ったら、オートリキシャを降りてから主名がこけて、
「ここで座って水飲んどく」
とかいうので今日は休みますって学校に電話しようか?というと「だめ」というので、しょうがないからしばらく座ってて、
結局10分か15分遅れて行きました。

そしたらまだ2人しか生徒が来てなくてびっくりしました。
兄弟姉妹がババの学校に行ってる子供は日曜に2時間面会があるのは知ってましたが、木曜日も面会だそうです。
でも多分朝のバジャンのあとにホールから出てくるのをつかまえて少ししゃべるとかそんなだと思いますが。
道端でチャイを飲んでたらその子供たちが次々と遅れてやってきました。

昨日の午後は体調の関係で動けなかったので部屋で寝ててました。
4時前にヴェーダが聞こえてきて、その後音楽とか聞こえてきたのでなのか出し物をやってるんだなと思いました。
5時半近くに部屋を出てアシュラムに行くと、アシュラムの敷地内にはいってしばらくしたらスコールになったので走ってベビーカーをおいてダルシャンホールに入りました。

まだ出し物をやっていて、テルグ語のすごい大勢の人たちが10人ずつ位のグループに分かれて数分間ずつババの前に行って次々何かやっていました。踊ったり、展示物を見せたり。
今日までの3日間何かこのイベントが行われる期間になってるみたいです。

6時半くらいに終わって、その後もう暗くなったので散歩してご飯に行こうかと思ったら打ち上げ花火が始まりました。
建物の陰で隠れていたので見えるところまで行って見ました。
ちゃんとした打ち上げ花火でした。
なんだか久しぶりに見たきれいな花火でした。
(おそろしい爆音花火はちょくちょくあったけれど)

もういっこの学校の校長が呼んでるとかいわれて、今日はしんどいしやめとこうかと思ったけど、まあ、行ってこようかなと思います。
主名を迎えに行くまであと一時間くらいは時間があるので。
【2007/07/12 13:50】 | サイババの学校 | トラックバック(0) | コメント(0) |
7月11日 なぜなぜの夢
7月11日 なぜなぜの夢

今朝はダルシャンの夢がありました。
今これを書いてるのは朝の7時半なので、
こんなん書いてないで実際のダルシャンに行けと言われそうなものですが、
しばらくは部屋で朝食を取ってそのまま学校に行くパターンになりそうなので
朝のダルシャンとバジャンは基本的にあきらめてます。

今朝のダルシャンの夢は広いところ、
屋外みたいな雰囲気のところにみんな座ってダルシャンを受けて、
サイババは向こうのほうを通り過ぎて行ったので、もうダルシャンは終わりだと思って
みんなはきっちり並んだ列を崩してそれぞれの行きたい所に移動しようとしていました。

するとサイババがまた戻ってきたので私も走って一番いいと思われる席の最前列に座りました。
そしたら係りの人が「〇〇の石鹸を使ってる人はここはだめ。××の石鹸の人だけ」
と、人の整理をしだして、いい席には私は座ったらだめと言われて追いやられたので
私はまたかというかんじで横のほうの場所に座りなおしました。

サイババは近くに来て、私の隣には私の小学生の時の仲がよかった友達がいて、
彼女の手かなんかがサイババの目に当たったみたいで
その時点でサイババはこども化してぐずぐずしだしたので私はその目をなぜて、
背中もさすっていたら子供化したサイババはひざの上に座ったままそこにしばらく留まっていました。

そしてしばらくしたら去っていきました。
友達はこのダルシャンの記念にサイババが使ったなべしきみたいなやつを手に入れて嬉しそうでした。

その後も夢は続きましたけど省略します。

今これを書いていたら、幼稚園のお泊り会の最後のビッグイベントのことを思い出しました。
お泊り会のしめに、幼稚園中のあちこちに貼ってある番号の紙を園児に取ってこさせて、
その番号に対応するプレゼントがもらえるというものでした。

わたしは高いところに登るのが得意だったので、
大きなジャングルジムなどの複合遊具のてっぺんに真っ先に登り、
ドームの先の旗の先についていた1番と書かれた紙を取って先生のところに持って行きました。

そしたらそれは男の子用だからもう一度別のを取り直してきなさいと言われました。

もうみんなが取った後だったので、そこらへんの壁の低い手の届くところにたくさん貼ってある、
いかにもどうでもいいような番号の紙しか残ってなかったので
しょうがなくそれを一枚とって先生のところにまた行きました。

さっきの一番の紙はちゃんとしたかばんに入った絵の具セット一式だったんですけど、
壁に貼ってあった番号の紙は鉛筆が2本とか3本とかでした。

前にもHPの日記でこれを書いた覚えがあるんですけど、また思い出しました。
だからといって悔しがってみせるような子どもではなかったですけど、
そのとき、かなり悔しくて理不尽な思いをしたんだと思います。

あの絵の具セットは誰がもらったんでしょう。
それとも
難しいところの札を取っていちばんいいプレゼントをもらう、という
誰か別の男の子が得るはずだった達成感を
私は横取りにして台無しにしてしまったのでしょうか?

この世界の不平等や区別はいったいなんのためにあるんでしょう。
それともそれは理由などなく、ただ、存在するという事実なだけなのでしょうか。


昨日の午後にバジャンに行ったらむちゃくちゃ大勢のインド人の団体が来ててびっくりしました。
女性側はホール全体の主半分とまではいかなくとも
少なくとも3分の一のスペースはその人たちで占めてるんじゃないでしょうか。
テルグ語圏の人たちで、テルグ語の書かれたオレンジのスカーフをしていました。
この人たち自制心ゼロで、ババが帰っていくときは老いも若きも迷いなく瞬時に総立ちでした。
【2007/07/11 13:23】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
7月10日 夢
7月10日 夢

今朝、3時半くらいに目が覚めました。
夢を見ていて、それで目が覚めたみたいです。
どんな夢かというと、はしょって書くと、集まってる人らがいて、今日は面白い人が来ているということで、
その人はいたこみたいなおばちゃんで、
みんなの前で「今から〇〇の霊をおろします」とか何とか言いました。
それで両手を挙げてなにやらやりはじめて、
そこに集った人たちも同じようにしました。

私もわー面白そうと思って同じようにやったんですけど、
夢の中での知り合いたちがたくさんやって来て、その人たちとは夢の中の弓の試合で一緒だった人たちで、
気心の知れた人たちでした。
その知り合いたちもそのおばちゃんをメインにしたそのときの集まりに参加するかどうか
それぞれ検討してて、
1人の女の人は「行くようにゴーサインが出てる」と言って、
自分の意思ではなく吸い寄せられるようにその集まりが行われている部屋に入っていきました。
その時点でいつの間にか私は部屋の外にいて、
他の知り合いの人たちは、そのおばちゃんの集まりの雰囲気はなんだか眠たくなってやばいから
その場を離れると言いました。

そのおばちゃんたちは私のことをあれこれ言ってきて、
それは元気がないようだとか運動してるようには見えないとかそういうことで、
私は、それはきっと自分がこのおばちゃんたちの場にそぐわないからだろうと思い、
私もその場を離れることにしました。

そのうちおばちゃんたちの集まりはすごい音を発し始めて、
その金属音みたいな何か分からないすごい音は私も他の知り合いたちも我慢できなくて、
私は夢の中での仲良しの男の子のバイクに、他の女の子と一緒に3人乗りになって、
一刻も早くそのすさまじい音が届かないところまで逃げようとバイクを走らせました。
そういう夢でした。

起きてから、その夢の中でのすさまじい音の余韻がまだ体に振動として残っていて、
とても寝なおす神経の状態じゃなくて、
それと同時にその夢の持つ光のようなものが私のあたまの中の様々な状況を照らして、
自分を取り巻く状況などに気づきと考察を与えました。

寝るには寝れないし、起きるのも面倒なのでそのまま横になっていました。
すると主名がうなされたようにがばっと起きました。
多分わたしと彼はまだ脳波が同調してるからだろうと思いました。
座ってる主名に声をかけてまた寝かせて、わたしはまだそのまま暗い中で横になっていました。

すると私の両足を何かが横切っていきました。
電気をつけてみてみると結構大きい、足の長い蜘蛛でした。

なのでズボンをはいて、部屋の戸をあけて蜘蛛を外に出しました。
まだ4時半で、空気がひんやりして気持ちよかったです。
部屋の前の廊下から外を見ると、ババの両親のサマディの電飾が薄暗い中で鮮やかに点滅し、
建造物の中では聖職者がすでに仕事を始めていました。
聖職者って楽な仕事ではないんだなと思いました。

部屋に戻って、電気もつけてるし、寝れないし、しょうがないからパソコンにこれを書き始めました。
しばらく書くと主名が寝言でおかしそうに笑いました。

今主名が行ってる学校の最上階の廊下にサリーを着たインド人の女の人がいっぱい歩いたりしてる
ビジョンが現れたのですが何か意味があるんでしょうか???
あそこのマンションの風水とかどうなんでしょう。
住んでる人たちはなんかいい人ばかりみたいな気がするのでまた調べてもらってみよう。

近々青年大会かなんかが行われるようで、
アシュラムに泊まってる人たちはみんな外に行くように言われてるそうです。
過去3年間この季節、グルプールニマの季節にアシュラムの中に泊まっていたけれど、
家族部屋の人まで外に行くように言われたのを聞いたのは初めてです。
アシュラムの中に泊まっているとそういういきなりな要素が満載なのでフルーツバスケットのようです。
あの、イス取りゲームの。
なので今、プッタパルティのアシュラムの外の部屋の値段は高沸してるみたいです。
そうでなくてももうじきグルプールニマだから一時的に高くはなるんでしょうけど。

今日、外国人の知り合い家族も主名の学校があるマンションの部屋を見に来ていましたけど、
一ヶ月前に私が聞いたときには月1800ルピーだった部屋が3000ルピーくらいに言われたそうです。
グルプールニマの時とか降誕祭の時とかはこういうふうにどんどん高くなるんでしょうか。

泊まる部屋がないっていうのは非常にいやですもんね。
自分ひとりだったらどうにでもなりそうでも家族単位となるとどうにもならないですもんね。
でもみんなそれぞれ落ち着くところに落ち着くんでしょうか。

夢で思ったことは、みんなそれぞれに色んなものにはまってて、
ここのアシュラムもはっきりいってはまりまくりの場所ですけど、
人間は単独では存在できなくて、絶対何かに身をゆだねている状態で存在しているんだから、
ここにはまるのは非常に安全なのではないかということです。
サイババにはまってることがなんやかんや槍玉に挙げられやすいかもしれないのは、
それが誰が見ても「はまってる」わかりやすさからもあるのではないかと思います。
自分が何にもはまってない、自分自身を生きてると思ってる人は
自分が何にはまってるのか自覚していないし、自覚させないように洗脳するような手法は
巷にあふれかえっている、というのは周知の事実ではないですか?

夢ではおばさんに操られて眠ったように生きて、生きているけど生きてないみたいな人たちがいて、
おばさんもすごい不快なすさまじい音を発していたけど、
おばさんの周囲に集って力を預けてしまった人たちはそのすごい音も意識に認識していませんでした。

別のここでの外国人の知り合いが言った、
「ここに住むのは簡単じゃない。簡単じゃないけど完全に守られてるからベストだ。」
というセリフを思い出しました。
簡単じゃないというのはすぐ同意できますけど、ここは守られてる、というのはどうなのかなあと思いました。
どこにいても守られる人は守られるし、場所じゃなくてその人自身のあり方じゃないのかなとか。
でもここだとサイババへの集中が非常に容易です。
街全部がそんなですから。
守られている、そうなのかなあと少し思ったりもしました。

昨日の月曜日は自分に楽させようと思って、昼は久しぶりにチベットの店で食べました。
おかげで部屋の掃除をした後、午後のダルシャンにも行けました。
ババは車で笑いながら来ました。

いっぺん神殿の中に引っ込んだ後、30分位してまた出てきました。
私らはその間におやつに行きました。
こないだ、「外のものをここで食べたらだめだ」と言ったおばちゃんがおやつを皿に入れてくれたんですけど、
手の加減をあやまって、びしゃっ、と、他の皿にこぼして「ちぃっ!」みたいに言っていました。
こないだあんなん言ったし、私らに給仕してくれる時に多少緊張したんでしょうか?してないか。

主名はバジャンの時に寝たのでベビーカーに乗せて芝生のところに行きました。
少し雨が降ったのでベビーカーにレインコートをかけて、木の下でヴェーダの自主トレをしました。
短いんですけど音源が不足しててやる気が出なくてずっと長い間マスターできなかった
ローガニワールナスークタムを、他にやるものもないから練習しました。
なんとかなりそうです。

主名が寝てたので持って来たボールを他の子に貸してたら、遊んでるうちに木の枝に乗っかってしまってとれなくなって、
どうするかなと思ってみてたら石を投げたり枝をつかんでゆさぶったりとかなり努力した後に
ボールは無事落ちてきて、その子は「洗ってくる」と言ってボールを持って走っていって、
また走って帰ってきて、きれいになったボールを返してくれました。
なんだかさわやかな気持ちになりました。

起きた主名は他の子と遊ぶほど健在意識が働かないのか、「さんぽ」を所望したので
ベビーカーであちこちうろうろしてからキャンティーンに行きました。

キャンティーンでは世間話もしないし道であっても挨拶しないけど、
一度向こうから友達にもらったというビスケットを主名にくれて、
チェンナイでは道ばたで、鼻をかむためにティッシュをくれといわれてあげた、そういう関係性の
かなり変わった感じの白人の女の人が横に座っていました。
今日は、その人は主名のことをすごく大きくなったと言って、前はこんなちっちゃくて走り回ってたのに、
みたいに言ってきたので主名に伝えたら主名は大きくなったと言われたことに喜んで、
その人はその様子を見て微笑んだので、
あ、この人もこういう話をして微笑むんだ、と思いました。

で、キャンティーンももう片付けてイスを上げてるし、帰ろうとしたら
「そのラザニアは家に持って帰るの?」と聞かれて、
「犬にあげる」と言ったら「自分が食べていい?」みたいに言われて、
まるまる半分以上は残ってたけど主名の食べ残しだし度肝を抜かれて「食べるの?」と聞いたら
そうだというのでいけないことをしてるような気分で皿ごと渡して帰りました。
度肝を抜かれました。
もうキャンティーンも終わりなのにまだいっぱい残ってる自分のご飯の後に今からさらにこれを食べるとはとも思って。

しかしその人は以前、ダルシャンホールで座ったらちょっとまずいところに来て座って、
セバダルが二人くらい来て場所を移るように言っても無視して、
セバダルがセキュリティを呼んで来て、3人がかりで言われても完全無視してかたくなに座ってた人で、
結局セバダルもセキュリティもあきらめていました。
そんな状況で座り続けてた人を見るのも珍しかったです。

すごい人がいっぱいいます。
そういう意味で。

前、これまたウエスタンキャンティーンで普通にしゃべってたおばさんがいきなり話を途中でやめて
手をへんな風に硬直させていきも荒く発作みたいになったので、
この人は病気か?と思って、その時も度肝を抜かれたのですが、
どうも違うみたいなので「なにそれ?」と聞いても答えずにそれを続けるので
何かと思って彼女の視線の先を見ると、これまたかなりきっつい人がいて、その人に対して
去るように指でなんかのポーズを決めて念を送っていたことが判明しました。
その人がいなくなったあと、念を送っていた私の話し相手は急いでビブーティをどばどば食べていました。
念を送られてた人がえぐいのは私も何度か体験して知ってましたけど、念を送ってた人も怖かったです。
あの様子が脳裏に焼きついてしまって。
魔よけにビブーティ食べても、多分相手も食べたりしてるから意味ないと思うんですけど。

念を送ってた人の友達にはわたしは英語が出来ないことでいっつもボロかすに言われてて、
その人もかなりすごいんです。
今借りてる部屋の関係者なんで接触があるんですけど、「アニマルが来るからアニマルが。アニマルが!」
と言うので、いったいこの部屋にどんな大きなねずみが出るのかと思ったらゴキブリのことでした。
最近火曜日と木曜日の区別がつくようになった私が僭越ながら、
ぺらぺらしゃべってることとしゃべってる英語の質とは別かなと思います。

しかし、外国人の場合、
こういうえげつない人やとんでもない人がアシュラムの住人になってる場合が多いように思って、
そのことを別の知り合いに言ったら、そのとおりだとか言って、
その人は割れないココナツのたとえを出してきました。
儀式の時にババがココナツを2つを互いにぶつけ合わせて割っても割れないココナツがあって、
片方は割れても一方は全然割れなくて、次々違うココナツを持ってくるんだけど
持ってきたやつはみんなぶつけられて割れてもその割れないココナツは全然割れないと。
ココナツはエゴを象徴してるそうですけど。

その人は、すっごく硬い人はババはアシュラムに住まわせて、次々と別の人をその人にぶつけ合わせるように
アレンジしている場合もあると言おうとしたのでしょうか?

ババは、いつも気をつけていなさい、と言っているそうですね。
ここでは守られているのかもしれないですけど、その守りの内部で常に攻撃されてしばかれています。
【2007/07/10 13:23】 | 夢(サイババ以外) | トラックバック(0) | コメント(0) |
げり2。
昨日の昼は主名が下痢しました。
でも今日の月曜日にはもうすっかり治って学校に行きました。
私ももう治っています。

しかし昨日はそういうわけでなかなか午後のダルシャンにいけず、そうしてる間にヴェーダが聞こえてきて
「いっつもいっつもダルシャンに行こうと思ってるのにいっつもいっつも行けへん!」
と、わたしが泣きが入って、しかも昨日は怒りまくりで、どうも赤ピンクのサリー(プラサーダムですけど)を着ると怒りが爆発する確率が高いようで、昨日はそうでした。

で、またもやアルティだけでもと思って、トイレットペーパーや米や、クレヨンケースなどを外のスーパーで買った後にアシュラムに行きました。

で、5時半くらいにアルティになるか?と思った時点でなぜか音楽がストップして、
壇上でババを見送ろうとしていた人たちも下に降りてきてなにごと?と思ったら、
5時半から劇みたいな出し物やたぶん女学生の音楽演奏などが行われました。
おかげでたっぷりダルシャンが受けられました。
劇みたいなやつの中ではヴェーダの吟唱もあって、なんのヴェーダかはわからなかったのですが意識的に何人かでハモって(きちんと音程を決めて)吟唱していて、
すごくきれいな倍音?になっていました。
そんな大人数ではなかったのに(多分2,3人?)わんわんと音がうなって響きあっていました。
わぁすごいなあと思いました。

女性の音楽と歌の演奏の途中で主名がうんこががまんできへんと言うので、トイレに連れて行って(その時点ではまだ下痢。でも元気。パンツタイプのおしめさせてたから安心)戻ってきたらアルティになってババは帰って行きました。

終わったのはいつもより1時間半遅い7時でした。
なので昨日はヴェーダ教室はきっとないだろうと思って行きませんでした。

昼間、ダルシャンにぜんぜん行けなくて泣きが入ったそのすぐあとに1時間半のいつもと違う時間のダルシャンだったので、自分ひとりだけのためにそういうふうにダルシャンの時間を都合つけてくれることとかあるんだろうか???とか思いました。
たぶん答えはイエスでもあってノーでもあるんだろうと思います。

自分としては自分のためにこの時間外の催しものとダルシャンが与えられたという気がして胸が熱くなりました。

ダルシャン後に主名が寝てしまったのでキャンティーンのご飯を持ち帰って、部屋で主名が起きたのでそこで食べました。
「うわー、おいしそうなご飯買ってきてくれた~!」
とか主名は言って、(最近主名が私に過剰に適応してるような気がして少し気になるのですが。そのセリフ、演技ちゃうんか?とか。)下痢してるし大丈夫かなと思いましたが普通に食べました。

そのあと、部屋のノートパソコンの中にアリが住み着いていることを発見しました。
冗談じゃないです。
主名の絵本ではアリの巣の絵で「女王の部屋」「まゆの部屋」「たまごの部屋」「ごみの部屋」「食料の部屋」なんてありますが、
そんなのパソコンの中に作られたらたまりません。
食料調達のためにパソコンのあちこちの穴からぞろぞろ行列して出てくるアリを延々ガムテープで捕らえました。
軽く100匹は出てきました。
ずうっとアリの様子を見てたのでアリのしぐさとか行動パターンとか少しわかりました。
でも知りたくなんかありません。
キーボードの隙間の向こうなんかを仲良く歩いているやつらはガムテープで届かないので軽快に歩いているのをすきまごしに眺めるだけというくやしさ。
穴からこちらをのぞくだけで出てこないやつとか。
冒険して新ルートを開拓して表に出てくる馬鹿なやつは即捕獲。

「あっち行ってちょんちょん、こっち行ってちょん」

わー、またいっぱい出てきたー!とかいってぎゃーぎゃー騒ぐ私の横で主名は喜んでて、そのうち歯磨きのコップの水を全部ふとんにぶちまけたので疲れたし寝ました。

今朝は主名にパンを食べさせてから学校に連れて行こうとしてねぼけまなこの主名に「パンでいいか?」と聞いたら「ホットケーキ」としっかり言うのでしょうがないからホットケーキを焼きました。

今まではサウスインディアンキャンティーンで朝食をとってて、
私らが行く時間はたいがい「ウプマ」というちょっと辛いご飯しかなくて、主名はそれはほとんど食べないけど、私はそれが好きなのでそれをたべに行っていました。

主名は学校に行ってなかった時はバジャン後にウエスタンキャンティーンのポリッジとかいう雑穀粥みたいなやつに砂糖を入れて食べてたんですけど、学校に行きだしてからはバジャン後だと間に合わないのでアパートの近くの店で辛くない蒸しパンみたいな「イドリー」とか具のないお好み焼きみたいな「プーリー」とか買ってサウスインディアンキャンティーンに持ち込んでキャンティーンのミルクとかを飲ましながら私の横で食べさせていました。

そしたらこの前の金曜にキャンティーンスタッフのボスのおばちゃんに
「アウトサイドで買ったものをここに持ち込んだらだめだ。ここではここのものを食べなさい。いいか?」みたいに厳しく言われたので、私は普通にキャンティーンのご飯をその場で買って食べてるし、お茶やミルクもそこで買って飲んでたのでぜんぜん腑に落ちなくてただの狭量に思えたのですが
(外のパンとかビスケットとか持ち込んでお茶だけキャンティーンで買って食べてる人よく見かけるし、食前にブランマールパナムを唱えたらみんな神様になるんじゃないの?とか。)多分、キャンティーンでも早い時間にはおいてあるようなインドの軽食を持ち込んだのがプライドを傷つけたんだろうかとか、思って、今日はもう行くのをやめて家で朝食にしました。

サウスキャンティーンはわりと好きだったんですけどちょっと嫌いになりました。
でも、前、ウエスタンキャンティーンの当時のボスにやっぱり子供がらみで頭ごなしに何回か怒られてすっかりいやになったこともあったけど、彼女も今は現役を引退したみたいだし、何もかも移り変わっていくからいやなことは放っておこうと思います。
たぶんみんな流れ去っていくんだろうと思います。


【2007/07/09 14:29】 | 子供の病気時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
げり。
昨日からおなかを壊してて、動けないほどではないですけど、しんどいからなるべく部屋にいました。
主名の学校が休みのときになると風邪をひいたり下痢になったり。
食べすぎと、もし何かにあたったなら思い当たるのは主名とはんぶんこしたヨーグルトか、主名のきたない手からもらったラドゥーくらいです。どっちも主名も食べてるけど主名は平気なのでやっぱり食べすぎでしょうか。
でもこういうときにはアイスとか食べたくなるので食べちゃいました。
普段は食べないのに。

朝はよろよろしながら行ったけど目の前でゲートを閉められてアルティに間に合わず、午後はなんとかアルティだけ行きました。
ババはどっちも来てました。
【2007/07/08 00:37】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今日は何日でしょう?
三輪車
この写真って前に出しましたっけ?短い命だった三輪車。

人形
これまたすぐに盗られてしまった人形(2つとも)
主名は一緒に手をつないで寝てご飯も横に座らせて食べさせて「この子は」とか言ってこまめに世話していたんですけど。
乳が飲みたい時は人形の手を吸って。
諸行無常。。。

今日は何日だか定かではありません。
金曜日なはずです。
前回の日記の翌日に結局山に登って、2回目だったんですけど、すごくいい眺めで街を俯瞰できてスカッとしました。
学校は結局今のところをしばらく続けることになりました。
30分後に先生に学校を変わることを言おうとしたところまでいったんですけど。
今でもちょっと迷ってるというか、よくわからなくって。
でも学校を移るにはちょっと自分がパワー不足です。
もうタイミングも逃した感じで。
主名はなんでもどこでもいいそうです。「いいのよぉ~~~」とか言っていました。なんでもいいんだそうです。

昨日はUSAが午後にインタビューをもらっていました。
後で聞いたところによるとババ自ら全員にビブーティーを配って(たぶん袋入りのだと思います)全員にそれぞれパダマナスカールを与えたそうです。

今日は午後のダルシャンの前と後にスコールが2回ほどありました。
朝はダルシャンはなかったと思います。
最近は車イスでのダルシャンは途絶えたような。

そういえば、隣の部屋のおばあさんが去年風呂場で転んで腰骨を折って動けなくなっていたのでもう再起は難しいだろうと勝手に思っていたんですけど(同居してる娘さんもすでにおばあさんで、すごい落ち込んでいました)最近は少し歩けるようになったみたいで、今日は車椅子でダルシャンに来ていました。
毎日隣からマントラを唱える声とかしていましたけど、良かったなあと思いました。

主名は少し前まで「神様の家はトンネルで、それは北海道にあって、そこにはなんでもある」という妄想がすごいふくらんでて、寝る前に一時間くらいそこには如何にいろんなものがそろっているかを延えんしゃべり続け、(「冷蔵庫もあるよ、路面電車も来るんよ、犬もいるよ。かまへんよ」とかそんな)寝て夜中に目覚めた時もその話の続きをし、朝起きても開口一番その話をするくらいのはまりようでした。

数日前は夜中にぐにゃぐにゃ言って足をばたばたさせるので暑いのかと思ったら違ってて、
怖い夢を見たらしく、「ちっちゃめのこわいやつ」がいたそうです。
すごい恐ろしげにしゃべってました。黄色でひとりだけだそうです。

その話を聞いてたらそいつは部屋の中にもいるそうで、山にも一緒に登ったらしくて、そのうち神様みたいな顔になってこわくなくなったそうです。「あそこにいるのよ」とか言って部屋を指差していました。
「さわこ怖くないの?」と言うので、「怖くないよ」といって、
わたしも子供の時とかにちっちゃい天狗がいっぱい部屋の中で遊んでたのを見たり、座敷わらしみたいなのを弟と間違えて追いかけたりした話をしたら聞いていました。

主名はヴェーダのチャンティングに少し興味を持ってきたみたいなので、最近は部屋で気分が乗った時に少しだけ一緒に唱えています。
ガヤトリーマントラは一人で全部唱えられるようになっています。
ガナパティプラールタナは3分の2くらいまでいくと忘れるみたいで、そこからわたしも加勢して唱えると唱えられるみたいです。
サハナーヴァヴァトゥのはなんとなく覚えてるけど、というかんじで、でも好きみたいです。
他のも同様です。最初のフレーズだけいけるとか。
練習の最後に唱えられるクシャマプラールタナは好きみたいです。

主名が赤ちゃんの時はガナパティアタルヴァシールシャムとナラヤナウパニシャッド唱えとったんやで。忘れた?と言ったら
自分から「CD聞く」と言って聞いていました。

唱えてたというのは半分ほんとです。
ずっとCDかけっぱなしにしていたので自覚なしで頭に入ってたみたいで、私が自分で唱えてて途中で忘れて止まったら主名が続きのフレーズを口ずさんでいました。
私が唱えてる時に多分、口に出してなくても主名は頭のなかで無意識に一緒に唱えていたんだろうと思います。

ここプッタパルティでは英語があんまり出来なくてもヴェーダが出来れば何とかなる、ような気がします
【2007/07/06 22:19】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
7月2日
7月2日

今朝は主名が学校にいる間にもうひとつの学校に行ってみましたが、やっぱり目当てのドイツ人は来てなかったです。
彼女はほんとに暇なときにボランティアでやってると考えていいかなと思います。

それとは別に西洋人の男の人がいて、授業を見てました。
その人は生徒の父親でした。
その人と話をしたら、その人もギターを弾いて歌を教えたりしてたみたいですが、
ここの学校の勉強ばっかりのやり方に疑問を持ってるみたいでした。
ここはおもちゃも水遊びも動物も何にもないけど、子どもにはそういうのが必要だとか。
その人の話を聞いてるともっともだと思いました。

インド人の教師は子どものほっぺを強くつねったりたたいたりすることを言ったら、
彼はやっぱりそれが好きじゃないから、教師に
「自分の子どもに触れるな」と言ってると言っていました。
そのほかもいちいち納得のいく意見でした。

ただしかし、筋の通ったもっともな意見を言う人がほんとうにすばらしいかはまた別で。
いろいろな視座があってものごとがねじれの位置にあるのにすぐ近くにあるように見えるこの世界。

いろいろ悩むところです。

今の学校はもう迎えに行ったときに「もっといる」とは主名は言わなくなって、早めに迎えに行って
「もうちょっと学校にいる?」と聞いても「屋上に行きたい」です。
今日は何の勉強した?と聞くと、今日は歌ったりとかしたみたいで、
後でそのメロディを主名語で歌ってくれました。
あと、絵や字を書いたり。
何日か前に聞いたときは「クレヨンはしなかった」と、しなかったことを教えてくれました。
学校かばんはファスナーがガビガビで開け閉めが非常に困難な代物だったので、
昨日別のを買いなおしました。
それも3歳児には自力で開けられないようなものなのですが、レーシングカーの絵が描いてあるので
主名は大満足で。
先生も多分開け閉めの問題が一応なくなったので、ベリーグッドなかばんと褒めてくれました。

以前ガヤトリーマントラを唱えたときが楽しかったピークでしょうか。
あれは主名も全部言えるので。
あの日は学校が終わった後に主名はすぐさま自分から報告してきました。
ビブーティーの歌も歌った、と。
先生も、「彼は成功した」とかなんとか言っていました。
でも教室の友達をアシュラムでも見かけるので嬉しいみたいです。
元気や積極性が出てきているのは確かです。
今日は部屋で主名に「ここに座っていいよ」と言われたあと、「シッダウンヒア」とか言われました。
すこしずつやっぱり英語が入ってきてるようで。
主名はアシュラムでも英単語を口にすることが増えました。
前は知ってても多分気後れしてなかなか口には出していなかったです。

午後は3時ごろに行って、トークンは間に合わなかったけどホールに座ってたら
4時半ごろにババが来ました。
主名はすでに熟睡でした。
午後は車での登場でした。
今朝は多分来てなかったんじゃないかと思います。

今日はUSAの団体がバジャンをゴスペル風に歌ってて、とてもよかったです。
細胞が感動して動いていました。
ババはメンバーにサリーやドーティをプレゼントしていました。

一般人へのプラサードは小袋に入った詰め合わせセットみたいなやつで、
4種類くらいの飴ちゃん7つとカシューナッツとスイーツと、ビブーティとカードのカレンダーと、
盛りだくさんでした。
主名は「プレゼント?」と言って喜んでいました。
自分のはもったいながって開けずに私のばっかり食べて。

「にほんごであそぼ」というDVDを日本から送ってもらおうと思ってるんですけど、
あれは古語とかそんなんらしくって、今主名は現代日本語もままならないのに
そんなんを与えるのはキケンだと、他の人に(笑って)言われましたけど、
私も見てみたいのでいいんです。

明日はなんとなく、山に登りたいなあと思ってるんですけど、
わたしが今日夜更かししてるので無理かもしれません。
いま頭がパンパンで寝れないんで、山でなんかスカッとならへんかなあとか思って。
【2007/07/06 21:35】 | 保育園 | トラックバック(0) | コメント(0) |
7月1日
7月1日

今日のヴェーダ教室は、ヴィーナの伴奏つきでした。
ヴィーナが演奏されるところを間近で見たのは初めてだったので興味深かったです。
男の人が習いに来てて、その人とおばあちゃん先生が向かい合ってヴェーダの音程をヴィーナで弾いて、
私ともう1人男の子が早くに来てたので、二人がヴェーダを唱えました。
ヴィーナのレッスンとヴェーダの教室を同時にしていました。
なんか変な感じでしたけど面白かったです。
しかしヴィーナでヴェーダの音程を練習するんですね?
ヴィーナは指につけるピックみたいなので弾いていて、それが人差し指と中指で、
小指と薬指はじゃらん、とかき鳴らすそれ専用の弦をはじいていました。
全部で7本くらい弦がありましたけど、3本くらいは直接はじいたりはしない弦みたいでした。
多分共鳴させるための弦とかそんなのかなと思いますけど。
しばらくはそのあとマンツーマンでヴェーダの音程のヴィーナレッスンが行われて、
その後にヴェーダ教室がありました。

今日は遅くなったのでサウスインディアンキャンティーンに行って夕食を食べました。
ここでミールスを食べたのは初めてだったんですけど、
思ったより辛くなくておいしかったです。
食べ放題で6ルピーだし。
主名は子ども料金で2ルピーでした。
でも主名は辛いのは最初っから食べなかったので、カードライスくらいしか食べませんでした。
その後ホットミルクを飲みました。
まあ、主名は夕方1,5ルピーのパンも食べてるしたまにはいいか、と。
主名の分もカレーも食べて私は満足でした。
なんていうのか忘れましたけど、練り梅干みたいなすっぱいやつがミールスにはついてきて、
他の食堂で食べたときとかはおいしいと思ったことがなかったのですが、
今日はおいしいと思いました。
なるほどハーモニーだなと思いました。
【2007/07/06 21:33】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
6月30日 風邪
6月30日 風邪

昨日はすごい風でした。
その中でずっと戸外にいたからか、主名も私もすこし風邪っぽくなりました。
のどの痛みと鼻水で頭がぼうっとする感じです。
なので今日はもう午後のダルシャンはパスして寝ていました。
主名は大人しく遊んでいました。
5時前にアシュラムに行って、おやつを食べてバジャンに出ました。
その後は主名は芝生のところで遊んで、私はヴェーダの自習をしていました。

そういえば今朝もババは車いすで来ていました。
うちらは、もうすぐ来ると分かったのでダルシャンに先に行こうかと思いましたが
主名の希望をくんでご飯を食べに行って、(でも主名はあまり食べなかったのでちょっと文句を言いました)
ババが来てからご飯をおいてホールの外からダルシャンを受けて、またご飯に戻りました。
車いすで来てくれると外からでもよく見えます。
せっかく車いすで来てくれてるから近くで見ないともったいないかなあと思ったりもするんですけど、
無理しないのが第一というかんじになってます。

明日は7月ですね。
【2007/07/06 21:32】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
| ホーム |
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。