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ババお休み
今朝はババはお休みでした。

主名は風邪で休んでから学校にいくの嫌がってたのですが、
明日は行く気になったようでした。
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【2007/09/30 14:27】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ヴェーダを教えるのをやめたこと。
ヴェーダを教えるのをやめたこと。

先週の日曜日にヴェーダのチャンティングを教えることについて、
「やめなさい」と、2回指示があったように思ったので、
とりあえず続けてる人にそう言って、全面的にやめることにしました。

今年、7月くらいからかまた人に来てもらってというか、
教わりに来る人が続けざまに現れたので一緒に練習していたんですけど、
無料で教えるとなると来る人も気を使ったりして、なかなか大変そうで。
私としては何にももらわないのが一番助かるし気が楽なんですが、
なにかものを持ってきてくれた人に対してその場で断る時もあれば、
断りきれずにいったん受け取ってあとで返したり、受け取って誰かに上げたりと対応が統一されてなくて、
そういうので、今までものを持ってこなかった人まで持ってこなくちゃいけないと感じたり
するようになったかもしれず、
そういうのは私の対応が徹底してなくて、よくなかったなと思います。

あとは、なんとなく潮時かなと思ったり。
なので2つ返事で従ったという。

アシュラムの中でやってた時は場所の力があるので公のような力が働いてよかった面もあったのですが、
自室を開放してするようになるともっと個人的な感じになってきて、
人からの影響もつよく感じたりと私も疲れたり。
バランスが取りにくくなってた面はありました。

でも、物を受け取るというのが一番影響力が強くてこわいです。
ビシッと最初に教える時のガイドラインみたいなのが出来てればよかったんですけど
行き当たりばったりなので、
最近断りきれず受け取るのが続いたので多分、
教えるのにもストップがかかったんじゃないかと思います。
物を受け取るとどうしてもそれに影響されて、クリアな状態ではなくなってしまうし。
で、多分教える力がなくなったんじゃないかと思います。

日本でもインドでも自分はヴェーダを教わる時は教え手から物などをもらったことはあっても
自分が差し出したことはなくて、
それが逆に礼儀のような気すらしていたので、
インドでおばあちゃん先生に、西洋人が何人か花とか持ってきたりしたときに
おばあちゃん先生が受け取ったのを見て意外でした。
え?いいの?と。

でも今も続いている西洋人は1人もいないという。
おばあちゃん先生が人払いをするためにヴェーダの練習時間を楽器練習の後に
回したような気もせんでもなく。
単に消えた人や、おばあちゃん先生と多少言い争った後に理由をつけて来なくなったり、
ヴェーダの練習時間が楽器練習の後に行われるのに嫌気がさして来なくなったり。
おばあちゃん先生、練習時間に単に現れなかったりもしました。
多分、今、教えるのが嫌なんだろうなあと、勝手に思ってましたけど。真相は知りませんけど。

おかげでまた人が減って私としてはありがたいですけど。
楽器練習の人まで来なくなりましたから。

他の人に教えたり一緒に練習すると自分もよく覚えたり身につきやすいし、
喜ばれるし生活にも張りがあってよかったんですけど、
(部屋も掃除しないといけなくてきれいになるし)
そういうのがなくなって、ぼぅっとして何か感じられるものや見えるものが
出てくるかもしれないなとは思います。

一年前だと、この地でぼうっとすることにある種の恐怖すら感じていたのですが、
今はいいのか悪いのかぜんぜん恐怖の類は感じません。
子どもの世話がなかったならもっと徹底的にぼぅっとして呆けるのも平気だったと思います。
じっさいはなんやかんやとどうしてもすることはあるし、
全く出かけずにいることはないですけれど。

今日はなぜか主名はサウスインディアンキャンティーンでご飯を食べたがったので
夕食はミールスでした。
主名はバターミルクをご飯にかけて、時々辛いのもつまみながら熱心に長い時間食べていました。
ミールスだと色々手で混ぜて食べても怒られないし、泥んこ遊びみたいで楽しいんだとおもいます。
セバダルに早くどくようにせかされましたが、
自分のご飯は全部食べて、私が残したご飯まで真剣に集中して食べてました。
塩をなめたり。
「おいしかったね」と嬉しそうでした。

うちらはまだ体力が完全に戻ってないので無理せず、バジャンだけ行ってます。
ババは普通に帰っていきました。
遠くから見てることもあり、取り立てて書くような出来事も起こらず。
うちらもその後は普通に出て行って、芝生のところで座っていました。
【2007/09/30 14:24】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
通院
今日はすでに土曜日ですが、こないだの木曜日はまた病院に来るようにいわれていたので行きました。
私と主名と同じような症状なのに主名の方が薬の種類が少ないなあと思って、きっと主名には出してない薬があるんだろうと思って、
主名の診察の時に「黄緑色の鼻水」を強調して言ったら、
「熱が下がってるときは普通は処方しないんだけど」
といいつつ、医者は、やっぱり私にあって主名に無かった薬を出してくれました。

この日は確かシルディサイババの誕生日だったと思うんですけど、特別盛り上がったようにも思えませんでした。
人はなんとなく多かったですけど。
シルディサイババの誕生日って、あんまり重要視されてないんでしょうか?

薬を貰うとき、主名の咳の薬は入れ物持参じゃないと渡さないといわれて、また来いといわれました。
でも、またで直すのもいやだったし私も病人だし、その場でプリーズプリーズと粘ったら窓口の仕事が進まないしくれました。
ほかのインド人とかはどこかからペットボトルを調達したりしてきて、それに入れてもらっていました。
ああゆうの不衛生じゃないんでしょうか。
プラスチック容器なんかいっこ1ルピーもしないでしょうに、それくらい予算に組み込んで用意しておくことくらいしてもいいように思うんですけれど。
ちなみに私の咳止めシロップは外の薬局で買ってといわれて買いました。
完全に無料、じゃないですよね。
貧乏そうな人には窓口で咳止めシロップもわたすのかなあ?

歩くのがしんどいからサイクルリキシャでキャンティーンへ往復したりしています。
でもそろそろ体調も元に戻りつつあります。
【2007/09/29 17:03】 | 子供の病気時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
インフルエンザ?
先週の水曜日くらいからの主名の微熱に始まって、この一週間くらい、
二人とも時には39度台の熱を出していました。

日曜には私は治ったと思って、主名も調子よくなったように思えたので、
バジャンだけでも行こうかと思って5時くらいに連れて行ったらすごいたくさんの人で
びっくりしました。

その日はそれから劇や踊りをやっていて、ババはまた衣類をプレゼントしていました。
金ぴかの箱に入ったいかにも価値のありそうなプラサードはこちらまではあたらず、
でも主名が欲しがるし、ババが帰った後に人だかりのしているところで
まだ配ってるのかと思って行ってみたらそうじゃなくて、
床にオームの文字が現れたということでみんなが我先に触ろうとしている現場でした。
たしかにきれいにオームの文字がありました。

その後ジュースを飲んでからアウトサイドのおばあちゃん先生のところに行って
「風邪をひいてるので今日は休みます」と言ったころには
治ってたはずの自分の調子がすごい悪くなってしまっていて、
ガネーシャゲートをくぐったらもうだめで、ガネーシャテンプルの裏の段差のところに
座ったきり動けなくなりました。

激しく咳き込んだらお腹がつって、息が出来ない、と思った後は過呼吸みたいなのになってもうぼろぼろで。
いろんな人が入れ替わり立ち代りきてくれて
コーヒーやビスケットを持ってきてくれる人がいたり
「お金が必要なの?」とそっと聞いてきてくれる人がいたり!
立とうと試みても力が抜けちゃっててだめで、30分くらいは動けずそこにいたと思います。
水も持ってきてもらって1リットル半くらい飲みました。

結局、知り合いのドイツ人が来て、座ったままでしばらくしゃべってるうちに
行ける気がしたのでキャンティーン帰りの彼女もひき返してベビーカーを押してついてきてくれて、
(実際はベビーカーを押してくれる彼女についていって)キャンティーンに食べに行きました。

その日の夜はこんなに具合が悪くなったのは久しぶりで小気味がいいほどというかんじでした。
これは神そのものではないか?というくらい。
主名もまた熱が出たので熟睡も出来ず。

翌朝また様子を見に来ると言ってくれてたドイツ人の彼女を待ってから
主名と二人でさすがにもうジェネラルホスピタルに行きました。
もう、自力で治るの無理。とあきらめて。

しかし前日の夕方まではさかさか歩けていたのにガネーシャテンプルのところで
がっくりと座り込んだ時にまるであらゆる力も落としたみたいにその後完全虚脱状態で、
自分は熱にはかなり強いという自覚があったのですがもうそれも言えない感じです。

病院では先に私が西洋人の医者に診てもらいました。
血圧がすごい下がってる、とのことで、
実は普段からすごい低いんですけど
(日本の医療機関で冗談で「ご臨終というかんじ」などと言われたことも)
多分それよりも下がってたと思います。
わたしはもう力がまるでなくなってたのでちょっと点滴でもうって欲しかったんですけど、
それはなく、私も言い出せず。
しかしインドでは西洋人の医者はすごく信用できる風に思ってしまいます。
彼女はビタミン剤を含む5種類の薬を出してくれました。

その後小児科で主名を診てもらいました。
インド人の医者は「もう学校に行ってるの?」とか治療に直接関係ないようなことを
いっぱい聞いてきたので全部答えました。
主名本人が「ぜんそくでてない」「しんどくない」と言ってたので
「そうか」と思って、予防的に喘息用には貼り薬を貼ってるだけにしてたのですが、
医者いわく,すごく呼吸が速くなってて喘息が出てる、とのことだったので
病院で吸入してもらって、3日後にまた来るように言われ、
主名には2種類の薬を出してもらって帰りました。

ドイツ人の知人が共通の日本人の知人に知らせてくれて、その彼女が様子を見に来てくれたりもし、
一瞬で体力がゼロになった自分に驚き、西洋医学の薬の効き目に感嘆し、
普段接してる町のお店の人たちなどのちょっとしたサービスをうけ、
(八百屋の主名へのサービスのおやつにんじんが1本→2本。
チベットレストランでは持ち帰りの料理が出来るのを待ってる間にジョッキに入った生姜湯が・・・。)

体力ゼロになって見るからによぼよぼになってゆっくりしか歩けなくなって、
この体力ゼロ状態は自分こそが世話を受けたいと切望してたこと(ガネーシャテンプルのうらで
座り込んだ時に気づきました)の願望成就だなあ、と思いました。
そういうの、すごい求めてたなぁ~、これだ~、こういうのが欲しかったんだ~、と、
ガネーシャテンプルの裏で差し出されたコーヒーを飲んだときに思ったのでした。

主名は先に山を越えてるので、熱も先に平熱になり、部屋で遊んだり踊ったりしています。
でもまとまった距離を歩くのはまだしんどいみたいで、
今日の夕方散歩した時は二人とも途中でしんどくなってちょっと休憩したりしました。
学校にも行かずダルシャンにもバジャンにも行かずというのはたまにはいいものです。

すでに完全に日が暮れた夜に部屋で夕食を食べていると、主名が
「今日はいい天気やなあ」などと言い出したのでさすがに驚いて
「ど、どこが?」とまともに聞き返してしまいました。
「ほら、そこが」と、天井を指差して「太陽がまだでてるのよ」とのことでした。
続いて「ここは宇宙なん」「宇宙は気持ちいいねぇ」と、なんかすごい夕食になっていました。

食後は「主名、眠いからちょっと寝るわ」と、自分で横になって、
普段かけないかけ布団を自分で足の先から首のしたまでかけて寝ようとしたので
急いで歯を磨きました。

「さわこ、(私が寝たら主名が)布団かけたげるよ」
「さわこ、ちょっとだけお風呂はいっていいよ。いっぱいやったら主名待てれへんから」
「電気消さんといて。消したら怖いのが来るから」
とかいうのでキッチンの電気をつけたままでわたしだけ風呂に入って、
出てきたら主名はテーブルの足を両手でつかんですでに熟睡していました。
寝る時は手をつないで寝ることが多いので今日はテーブルの足をつかんで寝てたのかなと思います。

こんなに長引くとは思ってませんでしたけど、
先週主名が具合が悪くなった時に、今回のは甘えたい風邪かな、と思って、
特に甘やかすつもりでいました。
4日位したらいやになって
「あんた治る気あるの?明日までになおしてね」とか言ったりしてましたけど。
後半は自分が他の人にやさしくされるとは思ってませんでした。
表れ出たオーム文字の恩寵でしょうか。

主名はさっきまで招き猫のようなポーズで熟睡していました。
今、私が咳き込んだらポーズを変えました。

明日、木曜は病院に再度来る様にいわれた日なのでいく予定です。
インフルエンザはやっぱり流行ってるそうです。
大きな団体が来るたびに新しいタイプの風邪みたいなのが流行ります。
そしてこないだの団体は何日間か夜遅くまで通りを大騒ぎして練り歩いていました。
ああ、平安とは正反対だなあと熱で朦朧としながら思いました。
そして、ここ、プッタパルティは人間の住むところじゃないなあ、と。
わたしは今頃気がついてきました。

祭りはたまにだと祭りですけど、ここではしょっちゅうですし、カレンダーにない行事が
その間を埋め、そのたびに時には何千人もの野性味あふれる荒くれたような人たちがここぞとばかりにやって来て
大興奮して混乱して帰っていくという。

アシュラムの中に住むようになると逆に楽なのでしょうか・・・。
ゆれる部分を相当なくした状態じゃないと中には住めないのかもしれません。
外に住んで、たとえ逃げ腰でもアシュラムに関わり続けているだけで勝手に削がれていってる
部分はあるようには思います。
今回はアシュラムの中に住んでる子らも熱出したりしてたみたいですけど。

中に住んでる人で、すごーく優しい人がいるのも事実だと思います。
【2007/09/29 16:45】 | 子供の病気時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ビザについて。
ビザについて。

インドに6ヶ月以上長期滞在する場合、普通、インド国内でビザを延長するか
インド国外に出て取り直す必要が出てきます。
はっきりした名前は忘れましたけど、学生用のビザやビジネスビザで来てる人とかは別です。

私らも普通の6ヶ月の観光ビザで滞在してるので6ヶ月ごとに何とかする必要があります。
前回、6ヶ月の観光ビザが終わったあとに1年のビザが取れるよう、
人に紹介してもらってインド人Aさんに頼んだのですけど、
そのAさん、今年の2月か3月に逃亡してしまって。
なのでこの3月に私らはいったん日本に帰国したのでした。

Aさんには1年のビザということで頼んでいたのですが、
1年分をぽんともらえるわけでなくて、
数ヵ月後との分割のビザで合計1年とする場合がほとんどみたいです。
私らは3か月分のビザをもらった時点でAさんが消えたので、
3月の何日だったか、3月20日くらいまでのビザだけ持っていました。

その3ヶ月ビザも、最初の6ヶ月ビザが切れるのが12月で、ほんとは最初のビザが
切れる前に次のビザを持っときたいところだったのですがなかなかもらえなくて、
結局その3ヶ月ビザを手にしたのはなんと2月に入ってからでした。

その間はビザなしの滞在で心細かったのですが、
代理人が申請中ならビザなしの滞在でも問題ないというか、しかたないとされると聞いていたので
もらえるのを待っていました。

しかし、Aさんは最初に会ったときから
「仕事をしていく上で悪いこともしなきゃいけないんだろうなあ、気の毒に」
という印象で、頭はよくて仕事もできそうだけど人相悪くって、
それがまさか自分の身にも降りかかってくるとは思いませんでした!

去年9月にお金を渡して申請してもらって、3週間でもらえるという話だったのですが
最初のビザが切れる12月になってもなんだかんだ理由を言ってビザはもらえず、
そのうち手持ちのビザの期限は切れるし、お金は払ってるし困ってて、
にこやかにしてて主名にやたらお菓子とかくれるんだけど、
どうもこの人はビザをくれる気がなさそうだとさすがに私も気がついて、がっくりきました。

でももらわないと困るし。
という時(すでに1月)に、やっぱり同じようにAさんにビザを頼んでるほかの西洋人が怒って
警察に行ったという話をAさんを紹介してくれた人から聞いて、
その紹介してくれた男の人が一緒にAさんのところに行こうと言うので
待ち合わせをしたんですけどその人はころっと忘れてたのかなんなのか、
その場所に来ませんでした。

外国人の女がいくらうるさく言っても聞いてもらえないし状況を変えられないことは
それまでの数ヶ月でよく分かったので、やっぱりだれか男性についてきてもらわないとと思って
その時ババにどうにかしてと心の中で頼んだら、
まさにその時日本での知り合いのインド人が来たので「キタッ!」と思って、
状況を話してその後Aさんのところについてきてもらいました。

インド人は警察がすごい怖いらしくて、
西洋人が警察にAさんのことで行ったあとはどうもAさんは逃げてたみたいで
なかなかつかまらず、携帯も通じなかったんですが、
知り合いと一緒に行った時は運よく店にいました。

Aさんは風呂にも入れない状況になってたみたいで臭うし、表情はすでに犯罪者のそれでした。
はっきりいって怖い感じでした。
さすがに恰幅のいいたぶん裕福なインド人についてきてもらえると対応が全然違ってました。
よかったー、と思いました。
その知り合いは少し日本語が出来るので、みんなでAさんの店でお茶を飲んでるときに
Aさんの前でここぞとばかり、いかにこの数ヶ月Aさんが不誠実だったかを日本語で言いました。
私もそれなりに頭にきてたもので。
日本語はわからなくても私がAさんのことで怒って
その恰幅のいいインド人にここぞとばかりに報告してることは
もちろんばればれなので、Aさんも居心地が悪そうにしてました。

で、その数日後にこんどこそビザを渡すと約束されたのですが、
その日はアティルッドラマハヤグニャのためにチェンナイに出発する予定になっていて、
出発時間を少し遅らしてビザを受け取ってから行くとか方法はあったのですが、
ここまでして、もしまたもらえなかったらがっくりしてヤグニャどころじゃなくなりそうだったし、
チェンナイのホテルはビザの提示は必要ないと聞いたので、
チェンナイから帰ってきてからもらうことにしました。

知り合いも「あの男は紳士だから大丈夫だよ」みたいなことを言ってくれて、
「でも、なにかあったら電話しなさい」とも言ってくれて、
わたしも今まで1人でAさんの不誠実に付き合ってきていいかげん疲れ果てていたので安心しました。

そういえば、その前にAさんは「あと1万ルピー払ったらビザを渡せる」などと
言ってきてて、そんなお金を払ったらチェンナイに行けないし、
「ビザをもらった時に払う」とかなんとか私も適当なことを言って、その場では払わなかったのですが、
インド人の知り合いについてきてもらった時にそんなことを言われたことも言って、
「そんなの払うべきでしょうか?」とか言ったら
その知り合いは勘違いして、代わりに財布からお金を出して払ってくれそうになったので
あわてて断ったりしました。
その様子を見てAさんは「もし難しいなら払わなくていい」とか譲歩してきたので
もちろん払いませんでした。
でも、他の西洋人とかはそういう追加のお金も払って、それでもビザをもらえないので
ついにキレて警察に行ったみたいでした。

チェンナイのあと、プッタパルティで2月にビザをもらってみると3ヶ月ビザで、
そういうふうに分割でもらうことは普通みたいなのですが、
そんなことは知らないので「なんでやねん!」と思ってがっくりしました。
手持ちのビザは12月で切れてるので翌月の3月でそのビザははやくも期限が来ますし。
でもとりあえず不法滞在はまぬがれたので一応ほっとしました。
他のビザを頼んでた人はきっとその3ヶ月ビザももらわなかったんじゃないかと思うので、
面識はないんですけど果たしてどうしたんだろうと思います。

で、3月20日くらいにそのビザが切れるので、Aさんは3月10日に店に来てくれれば
次の6ヶ月ビザを渡すと言いました。
テレビで君のこと見たよ。なんてことも言ってました。

で、3月10日に店に行ったらシャッターが閉まってて、まあ、予想はついたことだったのですが、
「金曜だけ店をあけます」という張り紙がしてあったので
次の金曜にまた行ってみると今度はその張り紙はなく、もちろんシャッターは閉まったままでした。

その様子を他の日本人とメールでやり取りしてるついでに話題のひとつとして書いていたのですが、
私は前回2ヶ月くらいもビザなしで滞在してすでにすっかり開き直ってたのでのんきにしてて、
でもそのメールの相手の日本人は早急に対応する必要を感じていろいろ問い合わせたり
対策を考えてくれました。

しかし結論として打つ手なし、ということでした。
というのは私がもらった3ヶ月のツーリストビザの延長自体がありえないらしく、
通常はツーリストビザで延長できるのは1ヶ月のみで一回きりだそうです。
なのでそこからさらに延長は正規の手段では不可能とのことでした。
一ヶ月の延長なら簡単にできるみたいです。
自分でバンガロールの警察に出向くとか、
どうもアシュラムの中でもそういう手続きをやってくれるみたいです。

その時点でビザの残りは2日くらいしかなかったので、
すぐに荷物をまとめてインド国外に出たほうがいい、とのことでした。

一応、また別の知り合いを通じて弁護士に問い合わせてみたりしましたが、
やっぱり正規の弁護士ではそういうビザは扱えないらしく、
また別の、自分ならそのビザをさらに延長できますよ、という人もいましたけど、
その人に頼んで延長しても
どっちみち数ヵ月後には確実にインド国外に出なければいけない時が来るとのことで、
そういうわけで一番確実な方法として、いったん帰国しました。

幸い航空券も問題なく取れて、タイ経由で帰りました。

疲れたし、しんどいのは嫌だったのでバンガロールでもいいホテルで出発の時間まで休憩して、
おいしいご飯を食べて生き返りました。
タイでは丸一日乗り継ぎの時間があったので街に出てホテルで休憩したあと少し観光しました。

実はタイは10年位前にタイを拠点にしてその周辺国を回ったりしたことがあったので
バンコクもそれなりに慣れてると思っていたのですが、
観光は全然してなくて、今回はじめてバンコクの寺とか回って、見ごたえがあったので、
よくこれらを今まで観光しなかったものだと変に自分に感心しました。
10年前はバンコクではデパートとかに通ってました。

と、話はそれましたが、
結果としてはお金はかかりましたが、9ヶ月ぶりくらいに日本に帰ってリフレッシュできてよかったです。
3月はプッタパルティもかなり暑くなってて、わたしもイラつきまくってたので。
それと、インドにとりあえず5年くらいはいると思ってたので、
意に反して日本に帰ることになってなんとなく屈辱的な気もしたのですが、
いっぺん帰ったので肩の力が抜けました。
日本に帰ってもまたこっちに来れるという当たり前のことが分かって。

日本で半年の観光ビザを取り直し、4月に再びインドに来て、
またビザの延長のことを考えなくちゃいけなくて、
今度は弁護士のところに行こうと思ってたのですが、なぜかまた成り行きで、とある旅行代理店で
ビザを延長することになりました。

半年で15000ルピーでした。うちらは常に2人なので3万ルピーです。
これももらってみると3ヶ月+3ヶ月で計6ヶ月のビザでした。
今持ってる日本で取ったビザが9月23日までで、そこから3ヵ月後の12月23日までのビザは
すでにもらいました。
11月の終わりにその3ヶ月ビザの書類をまたその代理店に持っていって、
さらにその後の3ヶ月ビザをもらうしくみになってるそうです。
ここの代理店では最初の6ヶ月の延長は100パーセント大丈夫、絶対渡せるとのことでした。
しかしその後の延長、私らの場合は来年の3月以降のはもしかしたらだめかもしれないので、
その場合はどこかの国に飛んでもらうことになるということでした。

旅行代理店なだけに、その話、疑わしいかも、と思って、航空運賃を聞いたら
バンガロールで購入するのと同じくらいでした。
プッタパルティで航空券を買うと高いと聞いていたので、むしろそこの航空運賃は安く感じました。
ここはどうやら、ほんとに誠実な店のようです。
その後他の日本人も航空券購入やエントリービザの延長でそこに行ったところ、ずいぶん安かったみたいです。

というわけで、私らは3月にまた帰国するかもしれません。
タイでビザを取る方法もありますが、申請してからもらうまで何日かかかるし、
こないだ1日だけタイで滞在してみて、菜食してたら食べるものがあんまりないことがわかったこともあり。
10年前は焼き鳥でもカニでも何でも食べてたので楽しくおれましたけど。
タイで自炊するのもだるいですし。

来年は私らはコダイカナルは行かない可能性が高いです。
まずは金銭面と、労力と、前回で充分満足したということで。

エントリービザというのは基本的にもうずっとインドに住む人のためのビザみたいで、
3月に日本で領事館で聞いたら配偶者がインド人とか、そういう人にしか発行しないといわれました。
でも実際はそういう人じゃなくてもこっちで弁護士や代理店を通じて、もしくは自分でデリーに出向いて
エントリービザを取ってる人が多いです。
ただ、それは少し前までの話で、最近は新規のエントリービザは一切発行しないことになってるそうです。

つい最近までなんらかの事情がある人はそれを話して
日本で5年ビザをもらったという人の話をちょくちょく聞いていたので、
私も喘息もちの子ども連れでしょっちゅう移動するのは大変だし理由になるかと思って行ってみたのですが、
前は特例としてそういうことがあったかもしれませんが、
今は責任者が変わったのでもうそういうことはありませんと言われました。
それもがっくりきました。

今日、なんでビザの話を書こうかと思ったのかというと、
多分、知り合いに10年ビザの話をされたからかなと思います。
前、その人とビザの話になった時に、話の流れから、ビザが取りたいのかな?と思って、
その日か翌日かにその誠実な旅行代理店に行く予定だったので、
よかったら一緒に行きますか?と誘ったら、
自分は10年ビザを持ってるから、ということでした。
アメリカではそういうのを発行してるみたいです。

で、今日またなぜかその人に「前にビザの話しをしたわよね」みたいに言われて、
「わたしは10年ビザを持ってて、半年ごとに出なくていいのよ」「スワミの恩寵で」
みたいに言われて、それからそれに関する話が何かあるのかと思ったら次に全然関係ない話が始まって、
後から「あの人はいったい私になにを言いたかったんだろう?」と謎に思って。
ずっとプッタパルティに長くいるつもりだということが言いたかったのか、
10年ビザを持ってることが嬉しくてもう一度そのことを言いたかったのか、結局わからずじまいでした。

まあ、前からの仲良くない知り合いで、アシュラムの住人になった人が
「わたしは住人になったのよ。パ~マネントなのよ」と言ってきたこともあって、
住人になったらダルシャンの時に場所をもらえるので、その人がそこに座ってるのを見て知ってたので
その時は単に「イエス」と言ったんですけど、
なんかそれを思い出しました。
わたしはその人と全然仲良くなくて、ほとんどお互い見ないようにするくらいなので、
逆に、その時それを聞いても特別な感情がわいたりとかはなかったのですが、
仲良くなくても仲よさそうにして関係を維持してる人はジェラシーの嵐が吹いてるんじゃないかと思いました。

誠実な代理店を紹介してもらった時も、私をそこに連れてきてくれたアシュラムの住人は
その時自分の5年ビザをその場で受け取って、
「わ~お、嬉しいっ!」とはしゃいで、やっぱり、スワミの恩寵でわたしはこれをもらえた、
みたいに言って、でも今はもうこのビザは発行してないのよ。と。

別の時に、その人にギザ(湯沸かし器)のことで話をしに行ったらビザのことと思ったらしく、
急にすごい剣幕になって
「わたしは13年間一度も国に帰ったことがない。スワミの恩寵で!」
「あんたは日本に問題を残してたら帰ることになるんだ!スワミはそういうのが嫌いなんだ!!」
と言い出して、
「あの、ビザじゃなくて、ギザ。ホットウォーターの。」
と言うと
「あ、ギザ?」
などということもありました。
いつもこういう人なのである程度慣れました。

どうも、長いビザをもらったりアシュラムの住人になったりすると
みんな元気づくみたいです。
こないだは私は日本に帰らざるを得ない状況になって帰りましたが、
それもまた恩寵の形かもしれないとは思います。
その、住人になった知り合いは最近外に住んでるみたいで、
でも今、その人が外に住んでるそのことに私はその人がアシュラムの住人になった時よりも
彼女に対する恩寵を感じます。

まあ、半年ごとのビザしかもってなくてインドに長期でいようとするとお金がかかってしょうがない
というのはあるんですけど。延長するにしろ国外に出て取り直すにしろ。
でも今は私らはたまに日本に帰ったりどっかに行ったりして
気分転換したほうが生きていきやすいのかなとも思います。
この前の3月、かなり煮詰まっていましたから。

ビザにしてもアシュラムの住人になることにしても影の部分が多いというか、
情報が錯綜してて、びっくりするくらい明らかではないです。

それとも常にそうであるように、すべてはいつも明らかで、、
ただ、それを認識するものの意識の方に
どれほど開かれているか否かの違いがあるというだけの話なのでしょうか。

逃げちゃったAさんにしても、アシュラムの中の仕事をいっぱいしたとのことでしたし、ほかの、もっとお金を持っていかれた人もまさかという感じだったんだろうと思います。
アシュラムの住人であることにしても、もちろん何らかの特質があったりうまくはまったり、というようなことがあるんでしょうけど、
結局は形として現れてるもので信じるに足るものはなにもないということでしょうか。
【2007/09/29 16:41】 | インド長期滞在情報 | トラックバック(0) | コメント(0) |
かぜ
私も主名も風邪をひきました。
私は復活しましたけど、主名はまだ熱を出しています。
冷え込んだので、風邪をひいた人がすごく多いみたいです。
【2007/09/23 00:17】 | 子供の病気時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
よく雨が降っています。
夜降ることが多いですが、今日は昼間もずっと降っていました。
気温もぐっと下がって肌寒いので、今日は私も主名も外出時にはカーディガンを着用しました。

昨日はガネーシャたちが練り歩いていました。
一週間くらい後かと思ってたけど、3日でもうおしまいだったんですね。
ATM にお金を下ろしに行かないといけなかったので、大騒ぎの男たちの横を恐る恐るすり抜けて行きました。
色の粉とかかけられるのいやですもん。

ダルシャンの時も、学生たちが作ったガネーシャの山車がずらっと並んでババを待っていました。
去年は飛行機ガネーシャとかあったけど、今年は汽車ガネーシャや船ガネーシャとかありました。
汽車ガネーシャの煙突からは煙も出ていて、芸が細かかったです。
主名は去年は寝てたように思いますが、今年は見れて良かったです。

主名の学校はみんな病気になってこないので今日は休校でした。
寒くなったから風邪を引いて熱を出したり、
あと、眼病が流行ってるみたいです。。
真っ赤な目になってます。
主名は今のところ免れています。
【2007/09/18 23:53】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガネーシャチャトルティ
今日はガネーシャチャトルティでした。
でも朝はうちらは10時半まで寝てたので行きませんでした。
ババは9時半に来たそうです。
隣の部屋のおばあちゃんがプラサードのおすそ分けをくれました。

今朝はババの夢を見て、最近見る夢は至近距離のが多かったのですが、
今日のはすごい広いホールの、大観衆の中のスーパースター的ババの夢でした。

今日は遅くまで寝てたのに部屋で昼ごはんを食べた後私も主名もまた何時間か昼寝しました。
やっぱりなんか行事があるとその雰囲気というか熱気みたいなのに当てられるのか、だるくなります。
主名は元気ですけど微ねつや吐き気もちょっとあったみたいです。
今は夜になって涼しくなったし、気持ちいいです。

5時くらいにバジャンに行って、普通に日が暮れました。

アウトサイドは道ごとに巨大なガネーシャが設置されました。
多分一週間くらい飾られてて、最終日にはこの巨大なガネーシャが山車みたいにあちこち引き回されるんだと思います。
去年は知らなかったので、最終日に動いてるのを見てびっくりしました。
【2007/09/15 23:56】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ガネーシャチャトルティ、(でしたっけ。)
明日はガネーシャチャトルティ、でしたっけ。
道路にも大きなガネーシャの設置がはじまっています。

今日の午後のダルシャンは、バジャンが始まってしばらくしてからババが来て、のものでした。
したがってバジャンも長かったです。
その間、豪雨になりました。

雨水が後ろからどんどんホールに流れ込んできたのでセバダル総出で水の処理をしていました。
みんな前にぎゅうぎゅうづめにされて。
ババが帰るころには小ぶりになりました。

今日もらったプラサードの丸いお菓子は、ガネーシャが好きなやつなのかなあ、と思いました。(ラドゥーじゃなかったです)

人もわりと増えました。
明日あさってと土日なのでまた増えるかなあ、と。
ガネーシャって、人気ありますもんね。
【2007/09/14 23:58】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイババの夢って。。。
最近も何度かサイババの夢を見ました。

ひとつは、ダルシャンで、サイババが車であっちに行ったのを子供たちが走って追いかけて、サイババが主名や他の子を座ったまま両手で抱き上げてかかげたりする夢で、「重いのに~」と思いました。

もうひとつはやっぱりダルシャンで、ババが座ってて、わたしはその正面に向かい合って座って、次の場面では主名をわたしのあぐらをかいて座ってる左足の上に座らせ、右足の上にはババが座ってました。
ババは主名と同じくらいの大きさなんだなあ、と思いました。

しかし、こういう夢、学校も休みで最近疲れてるしダルシャンに今日は行かないと決めて
目覚ましもかけずゆっくり寝てるようなときによく見ます。

現実のダルシャン、あんまり必要ないのかなあと思ったり。

最近めまいが続いてたのですが、どうも水分不足がその原因のひとつみたいです。
たくさん水を飲んだら治りました。
【2007/09/11 23:50】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
シュリスークタム。。。
シュリスークタム、5枚くらいのCDを聞き比べながら練習していますけど、どれも違うのでどれも聞き込めません!
しょうがないのでテキストを見ながら、適当にやっています。
これ、という決定版の音源さえあればヴェーダはそんなに難しくないと思うのですが、こう、どれもこれも違うとどれを信用したらいいのか、練習以前のところで迷います。
まるで宗教のようだとか思いました。
みんな自分のが正しいと主張してやってて。
なので、グルについてそれだけを信じてやると迷いがなくていいのかもしれません。
日本でしてたときは一応統一したのを教えてくれてたのでよかったです。

シュリスークタムはテキストどおりに唱えてるのがないので、じゃあ、このテキストは何を根拠に書いてるんだろう!?とか思います。

こないだ買ったCDは「完璧」ということで買ったのですが、まったく新しく、テキストにない個所がいくつか出現しました。。。

きっと、宗教のようにヴェーダも現れてるものはみんな違うのかもしれません。。。
こうなれば自分が直接天啓を受けてヴェーダをおろすのが簡単だったりして。
【2007/09/08 23:56】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
クリシュナのお祭り。
今日はクリシュナのお祭りでした。
なんていうのか正式名称は忘れました。

朝はうちらは9時半まで寝てました。
今朝は9時ごろにもうアルティがあってババは帰ったそうで、
起きた時には今日のヴェーダの練習の人が部屋の外で、うちらが留守と思って待ってました。
実は寝てました。

昨日はラメーシュさんのCDをまた買って、シュリスークタムを聞きながら寝てたのでよく寝ました。。。
ほかの、たとえばマンディールで唱えてるようなやつのヴェーダのCDを聞きながら寝ると目がギンギンにさえて眠れなかったりするんですけど、たぶんタイプが違うんだろうなと思います。
しかしシュリスークタム、聞くcd聞くCDみんな違うんですけどいったいどうすればいいものやらというかんじで。

朝は象とか孔雀とか鳩とか来たそうです。
ババは黄色い服で来たとか。

午後は劇をやってたみたいです。
うちらは5時くらいに行ったらディスコースが始まりました。
よく見てなかったけどディスコース中にババがリンガムを物質化して、それを飲み込んだそうです。
逆マハシヴァ!?
【2007/09/04 23:46】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
クリシュナのお祭り
明日はクリシュナのお祭りです。
それに先立って主名の学校では今日、ドレスアップしてくるように言われたので、ショッピングセンターで三つ揃えの服を買って、
頭に孔雀をつけて(羽がなかったので、部屋にあった孔雀全体のイラストの飾り)眉毛も書いてやって、クリシュナ風にかざりつけて学校に連れて行きました。
今日は学校には3人のラーダと2人のクリシュナと1人の宇宙人が来てました。
普通のかっこうで来た男の子には先生がカールしたひげを書いていました。
屋上で皆で写真を撮ってキャンディーをもらって、帰りました。

昨日はババが話をしていました。
セントラルトラストの何か?

最近はプラサードもよく配っています。
この前は3日間くらい、団体にオレンジのローブを配りまくっていました。

いろんなことがいっぱい起こってはいますけれど
ここに書くまもなく過ぎ去って次の日が来ています。
目の前のことを一つ一つ眺めてはその場その場を流していっている感じで。

まあ、主名の仮装が終わってほっとしました。
最近の主名の口癖は「しゃがんでブッ」です。
なにそれ。というと「おならのこと」というんですけど。

今習ってるシュリスークタムの進み具合は4分の3くらいです。
ヴェーダプシュパンジャリに載ってるぶんをまるごとしています。


【2007/09/04 00:43】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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