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10月29日雨つづき。
10月29日雨つづき。

最近は雨が多いのでけっこう寒いです。
主名の今朝のおねしょ布団が干せないのでちょっと匂います!
昨日の日曜はわたしの虫の居所というかホルモンバランスの関係で主名に容赦できず、
部屋でやらせていた書き取りの勉強のまずいところが許せなくてキィーッ!となって、
何度も書き直しさせて、主名も萎縮してしまいにどうしていいやらわからなくなっていました。

昨日あんまりいじめすぎたかと思い、今日、学校から主名をつれて帰るときに風船売りを見かけたので、
オートリキシャから降りて風船売りを探しましたがもうどこかに行っていました。
あとで、買わなくてよかった。と思いました。
風船にはしゃいだ主名が部屋で暴れたらまたぶちぎれていたはずです。
そういうパターンが多くって。
喜ぶだろうと思って何か買ってやるとそのすぐあとに頭に来て、買ってやったことを後悔することが。

今日は全然学校で勉強してこなかったみたいなので、
「なにしてたん」と聞くと、
「ずっと遊んでた。」「OOちゃんが『プレイ!』と言ったから一緒に踊ってた」とのことでした。
「先生に怒られんかったん?」と聞くと、今日は怒られもしなかったし叩かれもしなかったそうです。
なので、今日は学校は面白かったそうです。
昼に見せられるテレビも今日のは面白かったそうです。
今日は雨で来た生徒も少なくて、先生も脱力してたのでしょうか。
帰るときに先生にビスケットを4枚もらって帰りました。
そういうのはすごく嬉しいみたいです。

でも、先生がノートに書き取りのお手本を書いてあるので、それを部屋でやらせていたら
じきに寝てしまいました。

まあいいわと思って寝かせてたら3時間寝ました。
今日は午後6時半にアルティが聞こえました。
なにか特別プログラムがあったようです。

最近は午後に出し物があることが続いています。
バルビカスの歌と踊りや、
太鼓を持って演奏しながら踊るやつとか。これは激しく踊ってて見ごたえがありました。

今さっき起きてひとしきり泣いてごねたあと、
いまは、前にもらったプラサードとさっきわたしがつくったミルクティーで休憩しています。
しかしよう泣くなあ。
わたしも子どものころよく泣いたそうで、記憶もあるけれど。
母方のおばあさんは「この子は狐がついてる」と言ったと直接聞いたか、後から誰かに聞いたか。

今、プラサードを食べながら主名は
「あのね、おじさんの学校で『オーム、サーイーシュワラーヤヴィッドマヘ~』って、いっつも言う」
とか言いました。
フードマントラもバジャンのあとに言うそうです。そのあとご飯も食べないのに?
昼ご飯の前にフードマントラのロングバージョンを唱えてたのは以前聞きました。
今主名が行ってる学校では9時過ぎくらいからバジャンをしてアルティをして、
そのあと勉強を始めるみたいです。

今聞くところによると、今日の昼に見せられたテレビでは、赤い電気がついて、おじさんがうわっ!って言って、
サルが血が出たそうです・・・。なんだそれ。
でも、電車や踏切やトンネルなどがあったから電車・踏み切りマニアの主名には面白かったそうです。

今日のお昼は学校では白いご飯とヨーグルトと辛いのとなんかもうひとつくらいあったそうです。
昼ごはんは全然問題なさそうです。
前味見させてもらった時はカレーとチャツネは辛いのと辛くないのがありました。
主名はそのあと、「あとねー、コーンとほうれんそうと・・・・があった!」
とかいいましたけど、多分これは空想の昼食です。
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【2007/10/30 17:42】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
コダイカナルで初めて手紙を渡した日 4月29日
コダイカナルで初めて手紙を渡した日 4月29日

この日は朝のダルシャンにゆっくり行ったんでしたっけ。
というのはその朝は他の人たちとタクシーに乗っていこうと思って用意していたのですが、
タクシーの出発時間を前日より少し早めていたらしく、
自分が思ってた時間までまだ少しあると思って外に出ずにいたら乗りそびれてしまったので
途中まで歩いていき、
街の近くでタクシーを拾っていったので。

そして、時間が遅かったのでババの出てくる建物の正面のスペースにはもう座れなくて、
ゲートを入ってすぐの坂道の通路に座ったんだと思います。
(アシュラムの建物の正面にババがいるときはババがまったく見えない場所)
そしたらそのうち通路から降りて出た先の地面
(もしババがこっちまで来たらより近くでダルシャンが受けれるところ)
にも座っていいことになって、
他の人はすばやく手すりをくぐって出て陣取っていましたけど
私たちは出遅れたのでそのまま通路のところに座っていました。

しかしこの日ババはなかなか出てこなかったので一応屋根のある通路に座っててよかったと思いました。
朝早くは涼しいけど日が昇ると日差しがものすごくきついので。
コダイカナルは高地にあるので紫外線もすごいみたいです。

だいぶ遅く、10時半くらいにダルシャンが始まったと思います。
私たちの座っていたところからは何にも見えないので、
ババがこっちに回ってきてくれるのを待ちました。

女性側と男性側を回った後、うちらのいるところにもババが来ました。
私たちはババから見て3列目で、しかも通路の手すりの後ろだったのですが、
主名に手紙を持たせて(前もって手紙を渡す練習をしました)自分の前にやると、
前に座っている人たちの協力で主名は最前列に立ちました。
主名もババが通りがかる前から2通の手紙を持った手をびしっとあげて、やる気をみせていました。

他の人たちの手紙も受け取りながらババがやってきて、
主名の近くに来ると側近?に主名の手紙を取って自分に渡すようにというしぐさをしました。
で、ババの横についている人が主名の手紙を取ってババに渡してくれました。
ああっ!感無量!というかんじでした。
今度は感動の涙でダルシャン中に行われているバジャンを歌いました。
欲望が満たされた喜びというやつでしょうか。
前の人とかが振り返ってこちらを観察していました。
感動しすぎたんでしょうか?
主名、すごいなー、手紙渡したなー!と、感激して褒めちぎりました。

自分自身の手紙を今まで渡したことはなくって、(むかし、後ろの人のを渡したことはありましたけど)
今回はじめてまともに手紙を書いて、
コダイカナルでなら渡せるチャンスがあると他の人にも言われて書いたのでした。

ちなみに内容は主名の名前で
「あなたの幼稚園か小学校に入学する許可を自分に与えてください」
というのと、私の名前で
「サハジャ ニルビカルパサマディを与えてください」
というものでした。

そのとき読んでたラマナの本に書いてあった、解脱の最終段階がその
サハジャ ニルビカルパサマディ とかいうらしい、ということを知ったので、
どうせだったら一番いいのがいいので、それをくださいと書きました。

手紙を取ってもらったので、
わー、主名は入学許可をもらえるし、私はサハジャ ニルビカルパサマディ。と思って、
感動でした。
ババが手紙を取るように指示したそのしぐさが脳裏に焼きつきました。
あれはほんとに嬉しかったです。
コダイカナルにきた甲斐があったし、もう、来た目的を果たしたと思いました。

ダルシャンが終わっても感動のままでした。

その日その後、引越し先のホテルの部屋を見せてもらいました。
そしてその日の午後のうちに自分たちの荷物を車で運んでその部屋に移動しました。
最近まで地理があまりよくわかってなかったのですが、
そこは近道をするとアシュラムにも充分歩いていける距離ということが分かりました。
歩いて20分か25分くらいでしょうか。

部屋を移動し、引越し先の部屋に落ち着くと開放感でほとんど有頂天になりました。
こ、これはサマディか?と思ったくらい。

主名は最初は前より狭い部屋になったし文句を言っていましたが
2段ベッドが面白いと気づいて少し気を取り直していました。
彼はずっと「移るのいや」と言っていたのですが、何日かしてから
「引越ししていいよ」と許可がおりたのでした。
あと、部屋を見せてもらったときにテレビも置いてあって、宿の人がアニメを見せたので
それも気に入ったみたいでした。
(でもテレビをつけたのはその時だけでしたけど)
主名と同年代の遊び相手もいて、鳩など鳥をたくさん飼ってる宿でした。

私はよそに預けて失ってしまっていた自分のエネルギーが自分自身に戻ってきて、
ああここに全体として自分がいると体感しました。
【2007/10/30 17:40】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
コダイカナルでダルシャンをうけ始めたことなど
(これは、ホワイトフィールドにいる時に書いてたけどブログには載せてなかった、コダイカナルの日記です)

5月13日ホワイトフィールド

昨日は主名をアシュラムの前の歯医者に連れて行きました。
いっぺん行って、人がたくさん並んで待っていたので一度部屋に戻って出直しました。
主名に聞くたびに痛いという場所が違ってて、しまいに「口内炎がいたい」とか言うので
歯医者にどう説明していいものやら困っていたのですが、
部屋でまた主名の口の中を見たときに、唇と前歯の歯茎の間の奥まったところが腫れているのを発見。
最近「鼻が痛い」とか言っていたのはこれか、と思いました。

歯医者にはお金がかかると聞いていたのでそれなりに覚悟して行ったのですが、
昨日は診療費50ルピーと薬代15ルピーのみでした。

虫歯はいっぱいあるのですが、
それらは7歳くらいになると生え変わるので、と、歯医者は言っていて、
今の時点で治療する姿勢はありませんでした。

薬は多分抗生物質と痛み止めとかじゃないかと思いますが、
さすがに薬の効果はてきめんで、痛みがなくなると主名もすぐに機嫌がよくなりました。
ここ数日主名が口を尖らしていたのは不満の証明ではなく(それもあったかもしれませんが)
腫れていたからでした。

日本では自分は痛み止めや化膿止めなどを飲まずに歯医者に怒られたくらい薬が嫌いだったのですが、
ここインドでは薬ってありがたいなあと思わされます。

私も主名も最近口内炎がよくできるので、たぶんビタミンBが不足してるんだろうと思い、
薬局でサプリメントも買いました。
これは主名はうまく飲めなかったので私ばっかり飲みました。
ついでにコダイカナルで日焼けした肌の回復にいいかもと思ってビタミンCも買って飲みました。

昨日の昼はそばを食べ、夜は野菜炒めとご飯にしました。
このコンロみたいなやつで野菜炒めを作るのは初めてでしたが、それなりに満足の行く出来でした。
にんじん、長なす、キャベツ、ほうれんそう、ごま、などをごま油で炒めました。
味はいつもこんぶだしと醤油です。
ご飯はなべで炊いていて、芯が残るよりかはと思っていつも水を多めにしているので
ご飯を炊いたつもりでも主名は「おかゆ」と呼びます。

これを書いているのは早朝の時間で、さっき蚊の襲撃とババの夢を見たことで目が覚めたので、
主名も熟睡していてゆったりした時間が持てるし、
いいかげんコダイカナルのことを書かないと忘れるので書こうと思います。

ババの夢はどんなだったかと言うと、
向こうからやってくる、ババの車を先導するパトカーの姿が見えたので、
わたしは道を横切ってダッシュして先回りをして、土手の下から、上を通過するババの車と
その中にいるババの姿を垣間見る、というものでした。
ババは普通に向こうを向いていたけれど、その横に小さな女の子がいて、
ダッシュで車に近づいたわたしを窓から興味深そうに見ていました。

その後、やはりババの姿を見ようと別の場所で待っていた友人がやってきて、
わたしに、ババがよく見えたでしょう?と聞いてきたので、
あんまり見えなかったと言って安心させた夢でした。

その後夢の中で私はチベットのなんかプレミアつきみたいな玄米ご飯を食べていました。

ところで、今、外で大音量でババのバジャンが聞こえます。
今は朝4時半くらいなのでナガラサンキルタン?
今日は日曜日ですね。
アシュラムの売店の冷蔵庫に昨日は常温で売ってた豆乳を3つくらい入れておいたので、
今日買うとよく冷えて飲み頃になってるかもしれません。

4月25日のコダイカナル。
私は前日に知人の知人の知人の別荘に拠点を移したのですが、
寒さと、吐き気とめまいがして夜があけてからやっと眠りに着きました。
そしてその日遅くまで寝てたうちらが寝てる間に外に出ていた知人が帰ってきてから
分厚い毛布を買いに行きました。1050ルピー。

厚みのない毛布は1枚10ルピーだか20ルピーだかで借りていて、それをもっとたくさん借りることも出来ましたが、
それよりふかふかの毛布できもちをリラックスさせたくて。

入った部屋のバスルームの電気がつかなかったり、水の出が悪かったりしたので
管理してるおじさんに一応言ってみるだけ言ってみたりしましたが
どちらも直せないみたいでした。

多分普段人が住んでないところに住むことの自分の中でのバランスのとりづらさとか、
近くに公衆電話がなく、わたしは携帯を持っていないので自分でタクシーを呼んで出かけられないこと、
また、別荘の管理者のおじさんを電話で呼んで自分でものを頼むことも出来ず、
物理的と同時に精神的にも隔離され自主性と自分たちへのコントロールを失ったような状況になってしまったこと、
町中から離れて山の中に移動したので自分の今いる場所がよくわからない不安感、
入った一階の部屋の雰囲気が好きじゃなかったのですが
トイレの関係で、後から来るほかの人たちが別のほうの部屋を使うのがいいだろうということで、
他の部屋に移りたい事が自分から言い出せなかったり。
主名も一晩中ぐずってたことによる気持ちのふさぎこみ、そういうのがありました。

子連れ旅行ではいかに余裕を残せるかが勝負なので、
ババが来る前に来て、はじめてのコダイカナルの地理にあらかじめ慣れておいて
自分たちなりの生活リズムをつかんだと思ったのにそれを
どたんばで新しい場所でまた作り直さないといけないがっかり感や不安、無力感もあり。
(聞いていたより別荘の位置がだいぶ遠くて、歩いて町中に出るのが困難になったのがショックでした)
そんな様子にさそってくれた知人に「もとのホテルに戻るとか?」と提案されましたが
引止められたのを断って出てきたホテルにいまさら戻れず、
もうふかふかの毛布も買ったしというかんじで。

その日の夜はわたしがラーメンを作りました。

4月26日。
その日は歩いて街まで行くという知人に、少し待ってもらって私たちも準備をして一緒に出ました。
自分の足で歩いて、土地勘がつかめると少しずつ気力が戻ってきて自然と明るい気持ちになりました。

途中、ヒンズー系のよくわからない小さなお寺があるので、知人と主名は外で待ってもらって
少しお参りをしました。
お寺の坊さんは鐘を鳴らして額にクムクムとかつけてくれました。
その後、こっちのイスに座ってといわれて、まだ何かあるのかと思ったら
「チャイでいいか?」と、来客?に喜んだ坊さんがお茶を飲んでじっくり話をする体勢になったので、
外で友達が待ってるから、と言って、次回また来ることを言って去りました。
そこは主神は名前を聞いたけど聞きなれない名前だったのですぐ忘れました。
右にはドゥルガーがいて、左にはサドゥーが祀られていました。
坊さんはサドゥーにはプージャをしませんでした。
旅行先の土地の寺に行くのは楽しいです。
地に足が着く感じがしてとても安心します。

ババがコダイカナルに到着したのは夕方4時くらいでしたっけ?
知人は携帯とか大きいかばんを持っていたので中に入れないだろうということで外で待ちましたが、
私と主名はベビーカーと荷物を外においてアシュラムの中に入って待ちました。
服装はあんまり厳しく言われないみたいでしたが、
子供のおもちゃもお菓子も一切持ち込みはだめと言われました。

アシュラムの門から坂を上がってすぐのところに座って待っていたので、
ババの乗った車が来て左折していくときによく見えました。
しかしババの顔色はめちゃくちゃ悪く見えました。
深く倒した座席にほとんど横になっていて、目も閉じ気味で、生きてますか?と思いました。

その後、一緒に到着した学生やVVIP?(ベリーベリーインポータントパーソン?)
とかが宿舎に荷物を運び込んだりしている様子を見ました。
ババがまた出てくるというのでずっと待っていましたが、
その日は結局もう姿を見せませんでした。

外で帰るに帰れず(タクシーで一緒に帰るし、私は別荘の位置を把握していないので)
待ってくれていた知人は待ちくたびれた様子でした。

初日は部屋のバスルームを使い、ろうそくの光でお湯を浴びたのですが、薄暗い濡れた床で
子供は思わぬ怪我をするかもしれずあぶないと思い、
私だけお湯を浴びました。

翌日からはホールをはさんだ別の部屋の電気のつくバスルームを使って私と主名ふたりともお湯を浴びました。
先に主名を洗って、離れた自室に閉じ込めておくわけに行かず、あとからほかの人が泊まる予定の部屋を汚すわけにも行かないのでドアを開け放って
自分の部屋とバスルームを借りに行った部屋の間のホールで
パソコンでDVDを見せたりして遊ばせておいて続いて私がお湯を使いましたが
私はギザ(?)という湯沸かし器にあまり慣れてないので分からなかったのですが
2人分のお湯には足りなかったみたいで、
自分の頭を洗ってるとまもなく水になりました。
ううっ、つらい、、、。
と思いましたが(コダイは寒いので)気を取り直して少し洗濯して、遊ばせていた主名のところに行くと
「お腹すいた」というのでそのホール兼食堂で何か食べさせました。

明るい気分で主名となにやらしゃべってリラックスしていたら、
2階の部屋に泊まっていた、別荘に泊まるよう誘ってくれた知人にホールの奥の階段の上から
「さわこさん、ごめん、部屋で話してもらえる?」と言われたので
反射的に「すみません」と言って散らかったおもちゃを少しまとめて部屋に入りました。

しかし自分の部屋で風呂に入れないし二人が順番に体を洗うから遅くまでホールを使わざるをえないということ、
親子でよその部屋のバスルームを借りる手間やストレスや人里はなれたこの別荘にいると
必然的に起こってくる知人への主導権の明け渡しによる無力感や緊張感とあいまって、身の置き場がない気がしてつらくなり、
部屋でうわーとしばらく泣いていました。

4月27日
主名はわにの怖い夢を見たとかでぐずぐずいってほとんど寝ず、私も寝れずに夜が空けて、
今日からダルシャンがあるけどこんなぼろぼろの状態か、、、と思って、
主名に「ダルシャン行く?」と聞いたらそんな状態なくせに躊躇なく「行く!」というので
知人と、知人が呼んでいたタクシーに乗っていきました。
途中、ホテルに泊まっている他の人も拾っていきましたっけ?忘れました。

6時前でしたっけ?別荘を出たのは。わすれましたけど。
初日は早めに行こうという事で。
アシュラム前の沿道で座ってパンやらチャイやらを買って食べて朝食にしました。
なるほど、5ルピーでおいしいパンでした。

そのうちアシュラムの敷地内の広場に入れられてトークンがありました。
で、トークンの番号順にダルシャンの場所に入りました。

わりと奥のほうに座らされてダルシャンを待ちました。
朝、家を出てくるのが早かったし、寒いからしっかり防寒をということで
ダウンジャケットにマフラーまでしてきましたが、
日が昇ると暑くなってきてどんどん脱いでいきました。

途中、いっぺんトイレに行ったでしょうか。
ここではダルシャンの場所にトイレがあるから助かります。
隣の西洋人のおばちゃんが席から立ったり座ったりするのを気を配って助けてくれました。

そのうち2階のバルコニーにバジャン隊が出てきて(それがダルシャンが始まる目安になってるようです)
ババも車椅子に乗って出てきてダルシャンが始まりました。
昨日とは違って元気そうでした。

バルコニーから一階の地面へつづくスロープをババが右手に降りてゆき、
降りきってから折り返して左に進み、私たちが座っているほうへ近づいてきました。

それに伴って、座ってる人たちが少しでも前に行こうとしてどんどん詰め始めました。
その時には熟睡中の主名は床に寝かせていました。
プッタパルティとは違って、コダイカナルのダルシャン会場の床はコンクリートなので引っかかるし
寝ている主名の下のクッションをすべらせて前に詰めることが出来ず、
でも後ろのインド人がどんどん押してくるので
主名を動かせないからその人にうちらを飛び越えて前に行ってくれるように言ったら
そのおばちゃんは主名をぐちゃっと踏みつける勢いで移動しました。(手ぐらい踏んだ?)
当然主名は起きて大泣き。
昨日ほとんど寝てないので主名の機嫌も最悪で私も心身ともにすでに疲れててなすすべもなし。
隣の西洋人のおばちゃんとか他の人はそのインド人に怒って、わたしたちに同情してくれましたが
主名の泣き声は最大に。
ババが近づいてきて、ババがこんなに近くを通るのに子供がこんなに思いっきり泣いてるシチュエーションは
私も初めてでどうしたらいいのかと思いました。
ババは明らかにその泣き声に気づいていたけれどこっちは見ずにすぐ前を通り過ぎていきました。
2週間待って迎えた最初は最悪のダルシャン。

ババはもう1度向こうで折り返して戻ってきて前を通るはずでしたが、
最初にババが右から左に通った後に私は大声で号泣している主名とたくさんの防寒具を持って人をかき分け急いでその場を離れました。
私も疲れやら情けないやらわけがわからないつらい状態で号泣しながら外に出て行ったので
昨日しゃべって知り合ったセバダルや他の外国人の知り合いとかみんな様子を見てたみたいで
後でみんななんやかんややさしくしてくれました。

外に出てしばらくぼうっとしてたらダルシャンの終了とともにみんなもアシュラムの外に出てきました。
嬉しさでわたしが泣いたと想像した日本人が早合点して、「よかったね。長いこと待ったもんね」とかいう風に言いました。
いろんなことに嫌気がさしていて、自分のペースを取り戻したかったので
「そんなに泣いてたら危ないから一緒に帰ろう」と言われたけど、心が通い合わず、
ともにいてリラックスできず、つらい、日本人の人たちと一緒にいる気がしなくて、
知人たちのタクシーに乗らず、歩くことにしました。
知り合いの外国人家族とその友人がいて、みんながやさしいのでまた号泣したら
まさに自分が欲しいような態度でみんな慰めてくれたりさらにやさしくしてくれたりしたので、
慰められながらもどうしてそんなにぴったりの言葉とかを提供できるのか不思議に思いました。
言葉が通じると心が通じなくて、言葉が不十分だと、それを補うために心のコミュニケーションが
発達するんでしょうか。

自己喪失状態だったわたしは誘われるまま彼らの借りてる家に遊びに行きました。
当初はこの家族と家をシェアすることにしていたのですが、
私も急遽日本に帰って、コダイカナルに行くかどうか分からなかったし
彼らも都合でどうなるか分からなくなっていたのでお互い連絡したりしていませんでした。

なので彼らはその知人の年配の西洋人と同居していました。
彼女はもと助産師さんなので多分、マタニティブルーの母親とかのケアもしてたんだろうなと思いました。
ベッドに横にならせてもらって窓の外の美しい風景にわたしの気持ちをもって行くなどして
落ち着かせてもらいながらなるほどとか思いました。

その年配の人が、お金は要らないから自分の部屋に来て一緒に住んだらいいと言って、
家族連れの人たちもそうしたらいいといって、いつ荷物を運ぶかとかいう話になったりして、
「でも子供がいっぱい泣いたりするので」とか言うと人格者の彼女は
「子供は私の人生よ」と、にこにこしていました。

わたしもこっちに住もうかなと思ったけど、主名はいやがって、
わたしもやっぱり自分たちだけの空間がないときついだろうし甘えすぎてもいけないと思ったので
とりあえず別荘に帰ることにしました。

でもそのままそこでご飯も食べて一緒に買い物に行ったり庭で遊んだりして子供たちも遊んで、
彼らとともに時間をすごしているうちに夕方になって、
気分もましになったので彼らの中でバジャンに行く人たちと一緒に私らも行きました。
やっぱり一人で(主名いれて二人ですが)しばらく歩きたかったので帰りも他の日本人たちと
別行動したと思います。

途中からタクシーで別荘に帰ったら他の人がまだ帰ってなくって鍵があけられなかったので
日本に電話しようと思い、歩いて街に引き返したんでしたっけ?忘れました。
途中で知人たちの乗ったタクシーが街から来たけど電話するからと言ってそのタクシーには乗らずに
そのまま街のほうに歩いていったと思います。
で、日本に電話して、やっぱりうちらが他の人と一緒に住むのは難しいことを言って
5000ルピー追加の滞在費をもらうことになりました。
それなら安いところを探せばあと一週間はいられるし。
なので別の安いホテルを探すことにしました。

4月28日

昨日疲れ果てたので朝のダルシャンは確か休みました。
その日どうしていたかもうあんまり覚えてないですが、別荘に知人がさそった日本人の女性が
もう一人、インドの別の場所から到着したかもしれません。それは前日だったかもしれません。

午後はバジャンだけ行ったと思います。
前日ホテルを少し探したけどやはりババが来てからは値段が跳ね上がってて
1000数百ルピーとかが平均でした。
値段はともかく、どこも部屋自体がもうあまり空いてませんでした。
しかし、コダイに来た初日に迷子になって迷い込んだホテルと言うかゲストハウス?とにかくその宿に
行ってみたら友達価格の700ルピーでそこの家族が使う部屋をひとつ貸してあげるといわれました。

この日、中を見てから借りるかどうか決めてと言われてその部屋を見に行ったけど
オーナーがいなくて部屋の中を見れなかったんじゃないかと思います。
【2007/10/30 17:39】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
主名が迷子になる夢 10月27日
主名が迷子になる夢 10月27日

今朝、霊的な夢を見たときのような感触で、早朝にパチッと目が覚めました。
日本の横浜の自宅に、インドからだか沖縄からだか、帰ろうとしている夢でした。

帰りの電車の座席に座っていると、その車両の前方でバチバチッ!と火花が散って、
そこに立っていた少年だか青年だかが「うわっっ!」と言いながら床の上を転がってきました。
青年は顔面を負傷して血が出てるみたいで、
わたしは直視するのが怖かったので見ないでもすむよう、席を移ったら、
そっちがその青年の席だったようで、また来たので、また席を移りました。

自分が乗っている電車は気がつくと、どこへ行くかよく分からない電車で、
横浜に帰れそうな駅で降りることにして、その「種田山頭火」という駅で降りるのが良いかと思い、
電車のドアの上の、路線図を見ていました。

いくつか特色のある駅を過ぎました。某テレビ局が駅になってて、大きな舞台装置や俳優たちが
衣装を着けたまま歩き回っていて、その駅では衣装をつけたままのエキストラが乗り込んできたりしました。

座席を何度も立って路線図を見に行っていると、わたしの座席の横に座ってた若い男性が
私のことを怪しんでからんできて、座席においていたわたしのいくつかの荷物の中身を見せろ!と
言ってきました。
怖くなって、わたしは嫌がって、荷物をつかんで急いで電車を降りました。

降りた駅で別のホームへ行き、
まもなく出発する電車の種類と行き先がまとめて書いてある掲示板を見ると、
横浜、新横浜への通勤快速のような電車が次の次にその駅から出ることが分かりました。
なので、ああ、これにのればいいわ、と思ってそのホームに行ったら
そのホームに入った時に向こう側の線路にスーツを着た女の人が飛び降りました。
電車の中で負傷した人といい、からんできた人といい、ふわりと飛び降りた長い髪の女の人といい、
わあ、日本はこういう雰囲気のところだったんだ・・・と、思い出して少し怖くなりました。
ホームは高いところにあり、女の人はずいぶん下に落ちたみたいですけどまだ生きてるみたいで、
ホームにいた人たちがホームの端に集まり、そこからから下を覗いて、
「おーい、助けてあげてー!!!」と、下の誰かに言っていました。
日本人はこういうとき、日本語でこういう風に言うんだなぁ、と思いました。

女の人が飛び降りたそのホームの騒然とした雰囲気が怖く、
もちろん線路におちた女の人がどうなってるのか見る気もおきず、
ホームの反対側に止まってた電車が乗客の求めに応じて出発しようとしていたので
(駅で事故があったので、今後しばらくの時間、電車が来ないし出ないかもしれないから)
わたしも行き先も確かめず、とりあえずそれの先頭車両に乗り込みました。
電車が出発して、外はすでに日が暮れて夜景が見え、涼しいと言うより少し寒い気候でした。
電車はすぐに出発し、外のあかりのともった都会の風景が向こうからこちらへ、
そして背後へとゆっくり流れ去りました。

わたしは運転している運転士にこの電車は横浜へ行くかと聞きました。
すると運転士は、この電車は横浜は通らないなあ、和歌山へ行くよ。
でも、ぐうっとカーブする場所から横浜はそんなに遠くないよ。と言いました。
(と、これを書いた時点で朝の5時半。そとの道を子ども体たちのナガラサンキルタンの
列が通り過ぎていきました。主名も目が覚めたので、一緒に外に出て眺めました)
カーブするところから横浜まで遠くないにしても、タクシー代がない、今10円しかもってない、
と思いました。横浜のマンションの鍵を持ってたかもよくわからない状態でした。

突然、主名がいないことに気がつきました。
きっと、何度か電車を急いで乗り換えた時にどこかに置いてきてしまったんだと思いました。
でも、いままでどこの駅をどう通ったか全然わからないし、さっきあとにした駅も事故処理してて
通れないかもしれないからひき返して探しにいくこともできない。
お金もないから、とりあえず横浜に帰って、警察に捜索願を出そう、と不安な気持ちの中で思いました。

そうしてその電車にそのまま乗っていると、次の駅に着きました。
すると駅ビルの分厚いガラスの扉の向こう側のすみっこに、主名が少し怒ったような硬い表情で
立っているのが見えました。
信じられない思いで電車を降り、そこに行って主名と再会しました。

主名は上下とも見慣れないぱりっとしたこぎれいな服(紺色のトレーナーとズボン)を着ていました。
近くに8歳くらいの兄弟らしい男の子が二人いて、
主名がおしっこをもらして泣いていたかしたので、その子たちが新しい服を買って
主名に着せてくれたみたいでした。

その子たちにありがとうとすごく感謝して、でも、今、わたしは10円しか持ってないから
主名に着せてくれた服代が今は払えないことを言いました。
そしたらその子たちは喫茶店の子どもで、店のお金を盗んで服を買ってくれてたみたいで、
「ちぇ、また(お金を)とってこなくちゃいけない」とか言うことをいいました。
わたしは後でお金を郵送しようと思い、その子たちに白い紙の手提げ袋の側面に住所を書いてもらいました。

そんな、夢でした。

多分、主名の新しい学校に毎日主名を置いていってる
その状況や気持ちが反映されたような夢だろうと思います。
ちなみに、今、ほんとに10ルピーくらいしか財布に入ってないんで、今日ATMに行きます。
【2007/10/27 14:43】 | 夢(サイババ以外) | トラックバック(0) | コメント(0) |
読書、「ラーマクリシュナの福音」より
読書、「ラーマクリシュナの福音」より

「人は容易なことでは、エゴを追い払い、肉体が自分だ、という意識を除くことはできるものではない。
神のお恵みによってサマーディー、それもニルヴィカルパ・サマーディ、ジャダ、サマーディに入った時に、
はじめてそれができるのだ。」p734

自分の場合は肉体が自分だ、という意識はどのようになっているのだろう?と考えた時、
21歳の時に体験したものがおそらくニルヴィカルパ・サマーディぽいので、その前と後では
意識の状態がうらと表のように転換してしまった。
なので、まず21歳前の時のこと考えてみると、そのころは自分は肉体ではない、ということを知っていた。といえる。
なぜなら体外離脱をひんぱんに、ある程度自分の意思で行っていたので。
離脱をした状態は心地よかったので、たぶん死んで肉体を離れるということはこれと似たようなことなのだろうと思い、
死ぬことに対してある種あこがれのような、明るい気持ちを抱いていた。
そういうわけで、死後の肉体は活用したほうがいいだろうという自分なりの合理精神で
いくつかの臓器バンクに登録した。
それは中学、高校に通っていたころだった。
およそ20年ほど前のことになります。
ただ、自分と肉体を同一視する感覚はサマーディが起こるときまで持っていて、
怪我をしたりした時は、その同一視の感覚が行き過ぎていたための警告だと思い、ちょっと気をつけていました。
「肉体が自分だ」という感覚があり、それに対応する形で「肉体は自分ではない」
という、意識の努力や心がけがあったのかもしれません。

21歳よりあとでは肉体のなかに住む体験を堪能して、いた。
それ以前では肉体はまったく意味のないもの、これはわたしではない、という意識が
明確だったので、常に肉体を否定していた。
肉体が得る痛みの感覚に対して私の意識は非情でした。
基本的にそれらはないものとしていました。
肉体に対して意識は非情に辛らつな態度でした。

21歳あとになると、意識が肉体を受け入れたと思います。意識は肉体を通しての活動を楽しみ、
それを通して世界とかかわるようになりました。
(それまでは世界にいながらも意識は世界と関わることを受け入れていなかったと思います。)
ですから肉体の痛みや、肉体が受けるさまざまな感覚に対しても開かれ、影響を受けるようになりました。
意識は肉体の要求を可能な限りすぐに満たすよう、態度を改めました。
肉体そのものの要求はそれほどむちゃくちゃなものではないので危険はありません。
たぶん、何らかのゆがんだ意識状態が影響して、それを肉体を通して満たそうとすることがあるだけです。

自分は肉体ではない、という意識をもつことはなくなりましたが、
それは自分は肉体だという意識を持つということでもありません。
自分と肉体を比較対応して考えることがなくなりました。
というのは、今は記憶にしたすぎず、正確に言い表し伝えることもはじめから無理な話なのですが
意識がそれそのものとして立ち現れた、その、おそらくニルヴィカルパサマーディが、
その意識そのものである、言い換えれば総体としての神は、部分としての世界の様々な事象と
比較対照するものではそもそもなかったということを自らに告げたからです。
それは世界の様々な事象のひとつとしての肉体も同様なので。
よく、シヴァとシャクティは火の光と熱にたとえられ、
光と熱は別々のものではないといいますけど、
この場合、光と熱を比べることもできない、ということに例えられるでしょうか。

ちなみに21歳のあとの体外離脱は、
それ以前のわりとはっきり認識できた白い幽体のようなものだけでなく、
時には光り輝く粒子の集まりのような体であったり
なんだか色んな状態になって、離脱してるのかどうかの区別もよく分からなくなって、
しまいに形がなくなり広がりとして存在する状態になりました。
熟睡しているけど意識が起きているようなかんじで、それから肉体の存在する段階に戻るときに
意識がひとつ、またひとつと凝縮され、同時になんらかのものと次々と結びついていく様子が知覚されました。


「・・・エゴは彼らがサマーディの段階から降りてくると彼らに戻っている。しかしこの場合には、
そのエゴは『知識のエゴ』かあるいは『信仰のエゴ』だ。彼らは『知識のエゴ』を通して人々を教えるのだ。
シャンカラーチャーリヤは、『知識のエゴ』を持っていた。
 チャイタニヤデヴァは『信仰のエゴ』を通して神の愛を味わい、信者たちとの交わりを楽しまれた。
彼は神について語り、またその御名を唱えられた。」p734

自分の場合は明らかに『知識のエゴ』が与えられました。
しかしこれは非常に厳しい面があり、そうとは知りませんでした。
自分の場合はどっちにしてもきっと、世界に戻ってくることになっていたのだろうと、今は思います。
そして、その時『知識のエゴ』を保持するか『信仰のエゴ』を保持するかの選択肢も提示されていたのだろうと思います。

ニルヴィカルパサマーディの時にサイババとその中で話し、
彼から「今、(この肉体の人生を)終わりにしてもいいけど、どうする?」と聞かれたのですが、
多分、その時、肉体としての人生を終えて、すべてから永遠に離れる選択をしていたなら、
わたしは『信仰のエゴ』を持たされてこの世界に帰って来ていたんだろうと思います。
というのは、意思が形作られるやいなやそれが実現する状態にあったので、
ためしに、もし、「終わりにする」と、次はどういう世界に行くのか見てみたら、
人が個人性の境界線を保ったまま、しかし全体としてまるで群魂のように一体となって気持ちよさそうに
たゆったっている状態が見せられました。
あれはきっとバクタの世界です。信者の世界です。
多分、あれは、サイババの組織で一体となって活動することができるほど神に魅せられ、
神を愛し、そしてそのことに大きな喜びを感じる人たちの世界でした。

それをみた時に私の中には
「入ってしまえばいいところなんだろうけど、自分があの中に行こうという気はちょっとおきないな」
という反応が起こりました。
しかし、今まで自分がそうしてきたように、神の意思、全体の流れに身をゆだねるならば、
その中に入るのが正解だろうと思いました。

結果的にはその時自分は神の意思、全体の流れに身をゆだねてそのバクタの世界に入る選択をせず、
覚えている限りはじめての自らの選択でこの世界に戻ることに決め、
そのことをサイババに頼み、戻してもらいました。

そうやって戻ってきてみると、この存在は『知識のエゴ』を持たされてこの世界に帰されたことが
徐々に自分自身にも認識されるようになりました。
最初はそれがなんなのか、存在は感じ、それによって苦しみさえ感じていたのですが意識が捉えて
自分にも納得できるよう説明できるようになるまでは何年もかかったのでした。
それは『知識のエゴ』でした。
それは自分の中に神がある状態と思います。

サマーディの時、神の意思、全体の流れに身をゆだねる選択をしていたならば、
わたしはバクタの世界にバクタとともにいたでしょう。
そしてセンターの活動を他の人とともに喜々として行っていたいたかもしれません。
もともと、みんなでなにかやることはとても好きだったので。大学の寮に4年半いたくらいですから。
その場合、わたしは聖者として他人にもちゃんと認識されていたらしいです。
というのは以前話をした聖者(センターの人はアーチャーリアさんと呼んでました)がそのように言って
(「あなたはその時、わたしのようになるかもしれなかった。でも、そうはならなかった。」)
その時はその発言に関していろいろ疑問もあったけど、
今は自分の中でつじつまが合いました。

疑問とは、もし肉体を捨てる選択をしたら聖者も何もないんじゃないの?と思ったのでしたけど、
今は、もしあの時肉体を離れる選択をしていてもどっちみち世界に戻されていたとわかったからです。
ああ、なるほどなるほど、と。
もし流れに身をゆだねる形で肉体を捨てる選択をしたにもかかわらず帰されてたら、
その後意識の下降を体験することなく、自らが見たように、バクタの世界でバクタとともにいたはずです。

その聖者が言った、バクタは解脱の先を行っている、という発言の意味もよく分かりました。
資料を参考にしてないのでうろ覚えですが、バガバットギータでクリシュナが
「私に帰依するものは直接私のところに来る」とかいうのも、以前は、直接ってどういうこと??
と思ってましたが、
今はなるほど、わたしがニルヴィカルパサマーディの状態にあった、その次に行く世界が
バクタの世界で、つまりあそこに直接行くということか、というのがわかりました。
確かに早い。あいだ、すっとばしてます。

以前なにが引っかかってたかというと、そのバクタの世界の存在たちは個人性を保って見えたので、
それは神々の世界で、本質的に物質世界のバリエーションの世界と同じなんじゃないか?
非真実の世界なんじゃないか?と疑問に思っていたからです。
それが「すべてが自分であり、自分しか存在していない」
超絶のニルヴィカルパサマーディの先を行く世界とは思えませんでした。

しかし今は、バクタの世界の存在たちは、その超絶のニルヴィカルパサマーディを、
言い換えれば神を、すでにそれぞれのうちに持っているので、
その世界は神々の世界のように唯一の神よりいわば劣るものではないことが理解されました。
それぞれの中のニルヴィカルパサマーディーが、神がいっぱいあつまって、すごいことになってるという。
光で言えば、どれほどの光量になることでしょうか!
バクタの世界はそれがすでに神の直接の現れであり働きであり、また、神の化身を愛するときには
そのようにすさまじいことが起こっているということでした。

自分の場合、実際はそこで自らの意思を出す形で自ら望んでこの世界に帰ってきたわけですけど、
その場合、その後のなんと激しい道を通らなければならなかったこと。
意識の下降のプロセスが始まり、
堕ちきった(分離のきわみになった)時に上昇のプロセスがまた始まりました。
非常な苦痛の連続でしたけれど、それは自分が望んだ結果でした。
そうなるとは知りませんでしたけど、それを知ることを望んだのは自分でした。
そしてそれはあまりにも孤独な道程でした。
サイセンターでみんなで活動できる人たちのなんとうらやましかったこと!
これはほんとです。

しかしそこに交わることのできない確固とした独立性を『知識のエゴ』はわたしに与えました。
というか、他と交わりともに楽しむことのできる柔軟性を『知識のエゴ』はわたしから奪ったのかもしれません。
この存在形態が世界を受け入れ、自分の世界、世界としての自分が広がるにつれ
存在することへの苦痛もやわらぎましたが、自分が世界で、世界は自分に他ならず、
したがって、その総量が広がっていきはしても自分はその時点でいつもただ独りでした。

時はさかのぼりますが、2001年に別の聖者だかに
「あなたは(その年の)12月15日以降にはなんでも自分が好きなことができるようになる」
「やりたいことがなんでも実現するようになる」
というようなことを言われました。

2002年に結婚して2003年に出産したわけですけど、
そのように一見世俗の世界に巻き込まれたように思える出来事と平行してそのころ、
サイセンターに関わり、その活動に携わることが出来るようになってきたのは興味深いことです。
結婚、出産は自分にとって他の人がどういおうとある意味奉仕的な気持ちが強かったので
奉仕団体であるサイセンターと共振できるようになったのでしょうか。

そしてヴェーダのチャンティングを学ぶ機会が与えられ、子連れで通い、
プッタパルティへの滞在も子どもが生まれてからは毎年2ヶ月くらいと長期化し、
去年からは定住化しています。

『知識のエゴ』をもって世界に帰って来たことは、自分の意思ではあったけれど、
ニルヴィカルパサマーディの中で行われたその選択は結局神の意思と異なるものではなかったと思います。
どのようなかたちで世界に帰されるか、『知識のエゴ』をたずさえてか、『信仰のエゴ』とともにか、
信仰のエゴの場合はともに歩く仲間がいて、知識のエゴの場合は独りで行く。

わたしはこの世界に帰ってきたときに、
いろんな人や物がそれぞれの個人性を持って再び存在しているのを見て非常に嬉しかったです。
世界に帰ってきた、この美しい世界に帰ってきた、と思って幸せでした。
しかしすぐに神からの分離の苦しみがそれに取って代わりました。
サマーディの時、流れに身を任せて信仰によりバクタの世界へ戻されていたなら、
わたしは多くの神の愛人たちの中にいる自分を見出したのでしょう。
人は取れば失い、失えば得る、というのはほんとうです。
あの時わたしは失い損ねたので得ることができなかったなあ、という気も長い間していました。

しかしどんなに深く思いをめぐらした末の選択であったにしろ、
あの時わたしはあの選択をし、
きっと、自分がまだ体験したかったことをいろいろ苦しみとともに体験したんだろうと思います。
苦しんでいた時に「これこれ!」と、心の中でガッツポーズをしてにやにやする自分がいました。
様々な意識状態を通った時、わたしはこれらを知識として過去生で学び、知っていたけれど、
この人生ではそれを実際に体験したかった。そしてそれを体験した。
そしてそれを他の人に伝えたかったんだろう、と思いました。
そして過去生の自分は次の生でこれらが体験できることをあらかじめ知っていて、非常に楽しみにしていた
とも思いました。

よく、いろんな人に、
「あなたは教える人で、教えることが人生の目的。教える、教える。。。」などといわれ、
教えれることなんてないと思っていたら、ヴェーダを少し教えれるようになって、よかったなあと思いました。
意識状態に関しては、前は、こういうのを伝える義務があるように感じていた時もありましたけど、
というのは、サマーディ後に自分がこの世界の中での自分の状態を理解したり
見出したりすることが非常に難しかったので、
体験した人はそれを伝えないといけないような気もしていて。
そうすれば同じような体験のさなかにある人がそれを手がかりにできるかもしれないと思って。
霊性大国インドだと日本よりもそういう意識の各段階について書き記した書物とか
状態を理解して何か言える人とか多そうですけれど。

今は教えれるようなものじゃないし、教えたら逆に自分や他人に害になりかねない
ように思うし怖いからいやです。自分が分かってるのか分かってないのかも分からないし。

色んな意識状態もすでに過ぎてしまったものだし、掃除してまとめて捨てるべきものなのに、
その部分部分の記憶に意識を注いでまた光を当てて見るのもしんどいです。
せっかく通り過ぎたのに。と。
今はヴェーダもなんか教える熱意みたいなものがまるでなくなって、
ヴェーダに対する思い入れも消えました。
でも続けてはいますが。

でもまたこんなんを書いてるという。
こどもが長く学校に行ってくれるようになったので。
それと、あの、ニルヴィカルパサマーディーの時にもし流れに身を任せて肉体にまつわるすべてを捨てて
人生を終える選択をしていたなら、どうなっていたのか、という疑問は
長い間わたしが持ち続けて頭を悩まし続けてきた難問でした。
こういう形で世界に戻ってきたことに対して、すこし後悔もしたりしてたので。
今日はそれに対する答えがいちおう明示されたのでした。
ということは、バクタやニャーニの違い、分離が自分の中でなくなったのかなあ、超えたのかなあ?
やっとあの時のニルヴィカルパサマーディの中での選択体験が自分の中でしこりではなくなったということ?
何も確信が持てないままです。
でもしこりが、いいかえれば結び目がほどけてなくなればそれでいいと。

バクタの道は一直線の甘美でやさしい道といわれます。
これが今の時代に最も適した道だとも言われます。
一方ニャーニの道(知識の道)は非常に困難で、
今の時代にこの道をたどることはほとんど不可能ということです。

わたしの場合、ニャーニの道をたどってるふりをしている神がいるということは本心では知ってるので、
どっちみちまたすべてが明らかに開示される時がくるのは時間の問題で、避けられないと思い、
根本的に気楽です。牧場体験ならぬ、ニャーニ体験。みたいな。
むしろ、ニルヴィカルパサマーディは他者のない孤独で、あんなひどくさびしい思いは耐え難いので、
それを受け入れられるようになるこころづもりを今、徐々にしているのかもしれません。

(これを書いたものの、ブログにのせたら毛色が変わってしまうし、いろいろ懸念もあって、どうかなあ、と思ってましたけど、今朝のダルシャンでそれについて聞いてみたところ、
「書きなさい、書きなさい、見せなさい、見せなさい、発表しなさい、発表しなさい」
という言葉がきたので載せることにしました。)
【2007/10/27 14:39】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
10月24日勉強せず
10月24日勉強せず

またもや主名は学校では全然勉強してなくて、
なんか私ももういちいち怒るのも疲れてきて、学校でやらなかった分を家でやらせることで
自分を納得させています。

この日迎えにいったら主名の服が上下ともパンツまでびしょぬれでした。
本人に聞いたら雨が降った時に外でさらに手桶で他の子と水をかけ合って遊んだ。
しかもびしょぬれの床で2回こけた。
で、お兄さん先生に教室に入れと頭をたたかれて怒られた。
とのことでした。

午後に雨が降って、そのときに服がぬれたとしたら2時間くらいびしょぬれの服を着たまま
だったということなので、先生もよくまあそのまま放っておくなぁ、
自業自得ということか?と思いました。
ずっと喘息が出てて、冷やすとよくないので心配しましたが別に大丈夫だったのが
不思議でした。
ホメオパティックメディスンの効果もあるんでしょうか!?

その日は他に、
他の子がトイレに入ってる時に外から戸を閉めたらその子が出られなくなって泣いたとか、
他の子に抱きついてぎゅうっとしたら、
その子が動けないんで「あばっ!あばっ!」と言ったとか言っていました。
なんか、いじめる側に回ったんでしょうか!?
「あばっ!」には思わず笑ってしまいました。
アパートのウォッチマンもびっくりするようなものを見たときとかよく「あばっ!」と言うので。
テルグ語の驚き表現らしいです。

その日バスルームで私が風呂に入ろうとして服を脱いで
洗面台で顔を洗ってる時に主名が手桶に水を汲んでいきなりばしゃっとかけてきたので、
「つめたっ!」
と、反射的に主名をぶったたいたら泣きました。
「なんでそんなことすんのよ。冷たいやん。あんた、今日学校でも友達にそうやって水かけたんやろ?いやがってへんかった?」
とか言ったら
「喜んでた」
とのことで、水かけたら私も喜ぶとでも思ったんでしょうか・・・。
「私は水かけられたら嫌なの!!もうせんといてよ!」
「はい・・・。」
ということがありました。

その日学校で見せられたテレビはミッキーマウスだったそうで、
ミッキーマウスとミニーと電車が出てきたと嬉しそうに何回も言ってました。
ミッキーマウスを子どもに見せるのがすごくいいとは思いませんけど、
前回わたしが教室をのぞき見たときは、画面では男の人2人が笑顔で抱擁しあった瞬間、
こちらをむいて画面に映っていたおじさんの顔がこわばって体の力が抜け、崩れ落ちていく、
(抱き合った相手に刺されたかなんかして死んだ)というのをやっていたので、
それよりかは100倍マシです。

毎晩、「あしたは学校でちゃんとノートに勉強しいや。」「は~い。勉強するよ」
という不毛な会話を交わしています。
この一週間全然学校で勉強していません。
「勉強しなさい」なんて、自分が言うようになるとは思いもしませんでした。
【2007/10/27 14:23】 | 主名の学校 | トラックバック(0) | コメント(0) |
10月22日ホメオパティックメディスン
10月22日ホメオパティックメディスン

こないだ夢でババに、主名はスキンプロブレムがあるからホメオの薬を飲ませるようにいわれたので、
チトラバティーロードのホメオの薬局兼病院にいきました。

喘息の症状が出てたので、まずそれを言ってその薬を出してもらって、
で、今はあまり問題ないんですけど、皮膚のアレルギーが以前あって、それの薬もほしいんですけど・・・。
と言ったら、医者は
「ん?後で出てくるかもしれないけど出た時でいいんじゃない?
誰が言ったの?ジェネラルホスピタルの医者?」
と言ったので、
「わたしは今は彼はスキンプロブレムがあるとは思わないんですけど・・・。」
「スワミが夢で、『彼(主名)はスキンプロブレムがあるからホメオパティックメディスンを使いなさい』と言ったので」
と横にかけてあったサイババの写真をちらちら見ながらためらいがちに言おうとしたら、
医者は私にみなまで言わせず、
「ホメオバティックメディスンを使うように言った!」と最後の部分を先取りして自分で言って、
ぱっと何かに気がついたように
動きがすばやくなってすぐに処方箋を書いてくれました。いそいそというかんじで。

わたしは認識を新たにしました。
「あぁここはプッタパルティ・・・!サイババ王国!」

薬局で薬をつくってもらって代金を払う時に、薬局の人が
「OOルピーが、薬の代金です」と言ったので、
「あの~、診察料は?」と聞くと
「As you like.」とか言われたので、
え~?そうだったんだ~?前回診察料払わずに帰っちゃったよ!と思って、
1回1人100ルピー合計300ルピーを診察料として払いました。
(ちょっと多いとは思いますけど)
サイババがホメオパティックメディスンを主名に飲ませるように言ったのは
ここの病院の前回の分の診察料も払うようにということでだったりして。

歯医者もそうでしたけど、プッタパルティの一般の医者はサイババの病院がが無料だしか、
診察料を取ることに積極的じゃないので払いそびれそうになります。
でも、なんか、あの医者はいい医者だったんだなあと思って感動しました。

わたしがヴェーダを無料で教えたりしてるのを知って感動したとかいうひとも
時々いましたけれど、私程度だと初心者・入門編しか教えれないし、
私が教わった時もあたりまえのように無料で教わって、しかも先生から色々もらうほうが多いくらいですから。
一方医者は大学行ったりして元手がかかってるはずですから、なんだかとても感動しました。

なにがいいって、ホメオの飲み薬はみんなおいしいのがいいですね。
【2007/10/27 14:21】 | 子供の病気時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ダサラ祭の翌日
ダサラ祭の翌日

昨日はダサラ祭の翌日でした。
主名はまだぜんそくがおさまりきってないので、今日は午前中だけ学校に行かそうと思い、
オートリキシャで学校に連れて行ったら校長の長男が出てきて、
今日はセレブレーションだから休みだと言われました。
セレブレーション?なんの?と聞いたら、ここの学校の、とのことでした。

なんだ、連絡してよと思いつつアシュラムに行ってバジャンに出ました。
結構がらがらだったので前のほうに座って、ババは9時35分ごろに着たんでしたっけ。
9時半を過ぎてもバジャンを終えなかったということは、
ババが来ることとかはちゃんと連絡されてるんだなと思いました。

ババが来てからもどんどん前に行ってるうちにだいぶ前まで行きました。
バジャンがいつもより遅くまでやってて、10時くらいでしたか、そのうち音楽がとまりました。
で、お坊さんの魚の競り的音声のヴェーダが聞こえてきたんでしたっけ。

そのうちそれもやんで、建物の中でなにやら話してたんでしょうね?
ダサラも終わったことだし、今後の計画についてとかお坊さんらへの話とか
そんなんだったんでしょうか?というのは私の勝手な想像です。

で、ババが家に帰ってうちらもホールを出て時計を見るとすでに11時ごろでした。

芝生で少しぶらぶらしてから主名にうんこさせにいって、(いちおうちゃんと自分で水で洗ってました)
ウエスタンキャンティーンにご飯を食べて帰りました。

部屋でちょっと(というか、学校でやるよりたくさん。学校では全然やってないので)勉強させて、
せっかく学校も休みだし、午後のダルシャンはトークンから出ることにしました。

最近トークンに出てないし、何時にやってるか分からないなあ、と思って、
とりあえず2時半くらいに行ってみました。
そしたらまだ少ししか人がきてなくて、トークンが行われたのは3時過ぎでした。
私が今まで行ったトークンのながで一番遅い時間でした。
やっぱり、ババが来るのが遅いからでしょうか?

主名はトークンに並んで座ってる時点ですでに熟睡でした。
トークンは18くらいまでの番号があったんでしょうか?
私の並んだ列は13番だか14番でした。
気楽にいったんですが、並んで座ってるうちになんか競争心みたいなのがでてきて、
この状況がこういう心理を引き出すのかなあ、
トークンは来ないほうがいいのかもなあ、と思いました。
私の中に反応するのがあるからそういうのがでてくるんでしょうけど?
でも番号が若い方がなんかよくって、
番号が大きくなるとその人の人間性までよくないという風に思うのは
この場合、自然な状態かと思います。
そういうのがしんどいなあ・・・。と。そういう競争めいたのはパスしたい感じ。

隣の列の白人の女の子どもたち、7歳とか8歳とかでしょうか。
肌とか髪とかきれいで、天使みたいだなあと思ったんですけど、
寝てる主名の上に平気で座ったり足で頭部をけったりして、
わざとじゃないんですけど、わざとじゃないだけに逆にえげつな、と思いました。
はなから気にしないという。言っても気にしないという。
全然関係ないインド人のおばさんの方がはらはらしてその様子を見ていました。
しまいに女の子たちは仲間割れしてお互いをどついたりしていました。

話はそれますけど、今朝、ホールの外からババを見てたときに
白人のおばさんが後ろの男の子を抱っこしてるインド人のおかあさんとその男の子に
「さわらないでさわらないで」と何度も言ってて、
そのうち「何回も何回もさわる!!」と怒って、ババが見える前にどこかに行ってしまいました。
怒って自分からいなくなっちゃうのはもったいない・・・。

インド人の人との距離のとらなささ(人によりますけど)も「なんでやねん」と思いますけど、
(まわりにいっぱいスペースがあいてるのに、ぴたっと体を接触させて背後に座ったりする。やめてっ!)
白人は子どもが他の子供や大人にたいしてどんどん侵略的な態度をして明らかに迷惑をかけまくっていても
「とてもかわいいでしょ?天使なのよ、すばらしい存在なのよ」みたいな態度を親は取るけど、
他の子や大人がその白人の子に接触すると、たとえ相手に敵意がなかったとしても親は相手をつぶしかねない勢いで
言ったり相手の子などを脅したりするのを何度もみてしまいました。
白人同士じゃなくて白人とインド人ですけど。
白人同士だったらまずそんな態度はしないんじゃないかと思います。
日本人のうちらはその中間みたいな存在感なので、なんかようわかりません。
もちろんみんなそうじゃないし、高級感のあるインド人やアシュラムで地位があるようなインド人
に対してはまた白人系の人たちの態度も全然変わってくるんですけど。

そんなに悪くないインド人の子や大人に対して、
白人やそれ系統の親が殺しそうな勢いや、完全拒否の態度で対応して
自分の子どもにもそれに準じた対応をさせてるのを見ちゃうと、
そんなに悪くないのに・・・と思います。
うちらにはそれらの親は柔和でいつもにこにこしてるんですよ。こわいものがあります。
どういう基準で白と黒の態度を決めてるのかよくわかりません。
そういう判断力が灰色文化の日本人はなさすぎなんでしょうか。

単に文化の違いで片付けていいものかどうかは知りませんけど、
インド人と白人て真逆だなあと思います。
どっちもいいところがあるし、えぐいところもあると思います。
日本人て、だいたいみんなコントロールが効いてるし、効きすぎてるのかもしれないですけど、
・・・そういうのも最近はよくわからないですよね。なんかみんなむちゃくちゃで。
日本人の自分としてはなんか色々疲れますけど、日本にいても別の疲れ方をしてますし。

と、これを書いてる時(10月23日午後10時半)にアパートのウォッチマンが外から呼ぶので
何かと思ったら、月にババが見えるとのことでした。
なので主名と外に出てみると、雲の切れ間(今日は夜、たくさん雨が降りました)から
だいぶ丸くなった月がのぞいていて、
月の中の模様がババのアフロヘアーでした。
確かに見慣れたいつもの月の模様とは違っていました。よくわかりました。
主名もほんとかどうか知りませんけど「すっごいわかった」とか言ってました。
こないだえらい騒動の中空港に空を見に行きましたが、
忘れたころに、今頃に見れるとは。
ヴィシュワスワルーパ。嬉しいです。
数分で月はまた黒雲に隠れて見えなくなりました。。。

ホールの中に入って、動きのとりやすい通路の近くに座りました。
主名も寝てるし私も眠くなってうとうとしてたら2回もダルシャンの夢を見て
実際のダルシャンがまだ始まってないのにババの姿を見ました。
なんだ、ほんとに、こういうトークンに出てがんばる必要はないのかもなあ、という気になりました。

その日はそんなに待たず、4時過ぎか4時半くらいにババが来て、
そしたらいつものごとくみんな前に詰めましたがわたしは主名を寝かせてるので動けないから
後ろの人に前に行ってもらいました。
そしたら、人々が詰めすぎてスタッフの座るスペースまでふさいでしまったらしく、
セバダルが後ろに下がれ下がれとあわてていました。
で、やっぱりわたしは動けないしもともと動いて前に行ってないからあんまり動く気もせず、
人々も前に詰めるのはすばやいけど後ろには下がりたがらないので
ほとんど人のかたまりは後ろに下がりませんでした。

そしたらセバダルが、主名を寝かせてたスペースをはぶいて後ろに詰めさそうと思ったのか、
主名を私に抱けというので、そんなあほな、と思って、なんで?と聞いたら
スワミが来るから、というのであほくさくてほっておいたら、
そのセバダルはあせったのか強硬手段にでようとして、
寝てる主名の両腕を持ち上げて吊り上げようとしたので
おいおいと思ってやめさせてまた寝かせました。
横に座ってたインド人も「寝かせておきなさい」と、あたりまえでしょ、という態度でした。
結局はそのセバダルがあせって、ちょっとパニくったんだと思います。

セバダルは各地方からやってきて2週間ごとに交代とかなので、
基本的に一生懸命で、こうあるべきと理想をふきこまれたばかりで
肩に力を入れて緊張してて猪突猛進で視野が狭いと思っておいて正解と思います。
そう思っておかないと、セバダルのいうことをその場その場でいちいち真に受けてたら身が持たないので。

でも、いざババがきてヴェーダが唱えられると主名はがばっと起きて座っていました。
ババは最初は向こうを向いていましたが、
うちらの前を通る時にはこちらに顔を向けて微笑んでいました。

ババが神殿の中に入ったあと、その席はもう放棄して、
主名の希望をくんでうちらはおやつに行きました。

バジャンの時にまたもどってきて、後ろのほうに座りなおしました。
主名に敷物を敷いて座らせたら、なんかかんしゃくをおこしてそれをぐちゃぐちゃにしたので
あっそ、と思ってそれを片付けて直接床に座らせたら
しばらくして「おしりがつめたい~」と泣き言を言い出して態度も悪かったので
そこまでつきあってられないので「じゃあ帰れば。帰れ。」とか言ったら
しまいに本格的に泣いたのでわたしも嫌気がさして、
その日はアルティの後にさっさと歩いて振り返らずに部屋に帰りました。
主名はわたしの服をつかんで文句を言わずに急いでついてきてましたけど、
わたしはもう120パーセント嫌気がさしてたので部屋に帰ってふて寝しました。

そしたら停電になって部屋が暗くなったので主名が「火~つけて~~」とか言いましたけど、
「私寝てるからいらんもん。外はまだ明るいから外行け」とかいってほっときました。
「かぎ閉まってるから行けへんもん」
「あけたるわ。外行け。うるさいの好きじゃない。うっとおしい。泣くのいや。」
「行かない~~~!オートリキシャにひかれるもん」
「廊下におればひかれへん。出て行って。ひとりにしてよ。疲れたから寝たいんや」
「いやあ~~~!」
「あんた。おじさんの学校で勉強も全然せえへんやん。約束したのに。うそつき。もういやになった。」
「やくそく・・・。」
「いいよ、勉強せんで。大人になったら道に座って乞食のおじさんと一緒に乞食したらいいんやからな。そやろ?」
「乞食いや~。しないよ~~~!」
「だって勉強せえへんのやったらなんも仕事できへんから乞食したらいいやん。な?」
「しない~!」

などと矛先を変えながらさんざん言い合いをして、主名もぎゃあぎゃあ泣いて、
もういいと思ったのでマッチを探してろうそくに火をつけたらすぐに電気もつきました。
これはまるで私と主名のための舞台効果としての停電でした。
外はもう真っ暗になっていました。

主名はやはり子どもなので悲しいかな親にはかなわないし、また私の機嫌を取ろうとして
「主名、おじさんの学校好きになったよ。(行くのいや~、とか言ってる学校)」
とかいうので、「うそはつかんでいいよ」「好きじゃなくてもいいから勉強はし~」とかいいました。
それでも「主名、おじさんの学校好きになったの。勉強もちゃあんとするよ」
とかいうので、「あ、そ」といいました。
(翌日の今日、やっぱり学校で勉強せず、おじさんの学校いや~、って言ってました)
しかし、主名は乞食のおじさんやおばさんが好きで
たまに顔見知りの乞食のおばちゃんがサウスインディアンキャンティーンでご飯食べてたるのを見つけたら
はしゃいで、「乞食のおばちゃん、好き!」とかいってるくせに、
自分が乞食をするのは嫌なんですね。そこらへんははっきり分けて考えてるんですね。。。?
それとも単に言い合いの文脈上、
ここの場面で自分は大人になったら乞食をするというべきじゃないと察したんでしょうか?

で、私は今は主名と一緒におるけど、主名のほうが長生きするやろうし、
いつまでも一緒におるわけやないから
ちゃんといっぱい勉強して主名が自分で何でもできるちゃんとした大人になってもらわな困るのよ。
とかそういううっとおしいことをくどくど言い聞かせました。
けっこう、そんなんばっかり言ってます。
子どもに洗脳みたいなのはやりたくないと思っていたけど、
きちっと自分のスタンスをみせて子どもになにを望んでるのかを伝えるのは必要というふうに
自分の考え方が変わってきました。
とっとと自立してくれてこっちに負担かけないようにしてくれるのが望み。
主名が分かってるのかどうかはしりませんけど、べつにいいです。
そしてその勢いでそのあといつもよりいっぱい書き取りさせました。

主名は「おじさんの学校、長いからな~」とか言ってますけど(月~金、1日7時間)
わたしは「だからいいんやん。私が楽やから」と、ほんとのことを言ってます。
ほんとのことしか言えない。
べったりされるのはもういやなんです。

そのあと、チベットの店に晩御飯を食べに行きました。
【2007/10/27 14:19】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
主名が4ヶ月くらい通った学校をやめたこと
ヴェーダ教室が終わったあと、帰リ道で6月から主名が通ってた学校の先生二人(母娘)に出会いました。
その学校をやめさせる決心がなかなか私はついていなくって、
というのは主名の書き取りが上達してるので、今度は物語のテキストを使いましょうね、とかいわれてて、
英語での読み聞かせ?そういうのいいなあ、と思ってたので。
次の学校ではそういうきめ細かさはまるで期待できそうになくて。
週3日くらいだけでもその学校に続けて行かそうかなあと思ったりもしていて。

なのでその日のダルシャン中にもしょうこりもなくまた心の中でババに聞いてて、
やっぱり変わりなく「やめさせるべきだ」という返事が返ってきてて、
でも主名の誕生日(10月17日)の後にやめることを言うように以前言われてて、
でもそんなのあるとは知らなかったんですけど、
学校が秋休みみたいなのに入って2週間くらい休みになったので、
主名の誕生日の前の日が主名がその学校に行った最後の日になり、どうしたもんだろう、
先生に電話したほうがいいのかな、11月に新しいテキストをバンガロールで買ってきて
用意するって言ってたし、とか思ってました。

そしたら21日のダサラ祭の最終日のその日に先生に会って、
先生がいろいろ話し掛けてきてくれて、(誕生日おめでとう!とか)
また10日後にねー、といって先生方が行ってしまおうとしたので、
心の中でババをうかがってみると「今、言いなさい」ということだったので、
呼び止めて、主名の学校を変えることをそこで言いました。

少人数の学校だし、(そのときで生徒数7人くらい?)今までやめるとは何にも言ってなかったので
(私自身なかなかふんぎれませんでした。主名はその学校も先生も好きなので)
最初少し驚かれましたが、
主名が午後に他の学校に通ってることは
(他の子を主名がたたいた時に別の場所での悪い影響をうけたとして先生のほうから
誰か別のこと遊ばせてるか?と聞かれたり、
別の庶民派の学校に平行して通わすようになってから
急激に主名が書き取りやその他の面で成長したので、その時も別の学校に行ってるか聞かれました)
言ってたし、他の親からも聞いてたと思うので、
先生方はこちらの予想を超えて、あっというまに気持ちを切り替えました。

で、どこの学校に行くの?クリシュナムルティスクール?と聞かれたので、違うといったら
ハヌマーンテンプルの近くの?と聞かれたので、そう、そう、そこです。と言ったら
ついこないだまでその6月から通ってた学校に通ってた女の子の名前を言って、
彼女もそこにいるわね、と言われたので、そうそう、彼女もいます。とかいいました。
そしたらお母さんのほうの先生が「あたらしいところに誰か1人友達がいるというのはいいわ」
とか言いました。
実際、その女の子は新しい学校で年少の主名をすごいいろいろ助けてくれてるみたいです。

で、丸一日の学校ということについて、そういう学校に主名が行ってくれたら
私も自分の時間が持てるので、と言おうとしたら
娘さんの方の先生が、私の言おうとすることを先取りして、
「そしたらあなたは自由になれる、わかるわかる」と言いました。
「いいのよ、わたしたち新しい子どもをもっと受け入れることが出来るから」とも言いました。

今まで通わせていたその学校では子どもを預かるのは1日2時間で、
時には今日は子どもが少ないから30分早く迎えに来てといわれたりする事もよくあり、
そういう時わたしは「・・・・・やってみます」
とか言って、そんなに早く迎えに行かなかったりしてたので。
いつもそんなだったので、たまにほんとに早く迎えに行ったら「早く来てくれてありがとう」
と言われる始末でした。

先生はつづけて、
「そして主名は独立する」「時間が長いと地元の言葉もすぐに覚えるし」とも。
「そして、新しい学校ではあなた自身ももっと(親として)たくさんのことを学ぶでしょう」とも言いました。

そして、「あなたはすごいいい母親だ、なんちゃら、かんちゃら、スイートでエクセレントだ」
と、感情たっぷりのアクション付きでべた褒めしてくれました。
わたしも、褒められたからというわけではないですが、卒業式のように胸がいっぱいになって
(実際の卒業式ではそんなことなかったですが)
心からその先生方に今までのお礼を言って別れました。

今まで通わせてた学校で主名は初めて学校らしきものに行ったわけですが、
ほんの数ヶ月でずいぶんいろんなことが出来るようになりました。
プレイスクールなのでほとんど無理強いはしないみたいでしたし、
主名は行くのを嫌がったことはなく、毎日楽しんで行っていました。
少人数ですが友達もできて、やっぱり学校の友達、という仲間意識は嬉しいものらしく、
その後別の学校で以前のクラスメートに再会すると彼女たちはいろいろ助けてくれてて、
ありがたいなあと思いました。

6月から行ってた学校の先生にやめることを言ってきもちよく別れた瞬間に、
ああ、いい学校で、いい先生たちだったなあと再認識しました。
しっかりしたプロ意識を持った先生だったなあ、と。
緑の虫はかまきりでもグラスホッパーと言っていた先生でしたけど。

本人たちは決して無理をしないので
(たとえば雨だと休み、本人の携帯が壊れたら学校も早めに終わり。
主名のしゃっくりが止まらないと携帯で親の呼び出し。
でもわたしは呼び出し用の携帯もたずにうろうろしてたので知りませんでした。どっちもどっち。)
親としてはもうちょっと無理してほしいような気もしてましたけど、
そういう先生たちだったので主名もあかちゃんくさいまま、楽しいばっかりで居れたんだと思います。
ほんとはあと半年くらい通わせてもいいと思っていました。

しかしこの、物事をはじめるのにあたって吉祥なダサラ最終日、
6月から行ってた学校の先生にお互いいい気持ちで別れを告げたことで
主名の次の学校への移行がほんとに始まった感じがしました。
このタイミングのよさ、「ははははは」というババの笑い声の講話の余韻の響く中、
すみずみまで守られ、導かれていると感じ、むくむくと力が盛り上がり、集まってきたかのようでした。
非常にすがすがしく感じました。
ひとつ、私をおおっていたベールがはがれて視界の明るさが増したような気がしました。
【2007/10/24 13:28】 | 主名の学校 | トラックバック(0) | コメント(2) |
ヴェーダ教室ルッドラムスタート
ヴェーダ教室ルッドラムスタート

ダサラ祭期間の最後の日、日曜でしたがババのディスコースもあり、
終わったのはすでに夜の7時前で、たぶんヴェーダ教室はないだろうなあと思いましたが
まあ、行ってみるか、と思って、主名をつれておばあちゃん先生のうちに行きました。

そしたら途中でお手伝いさんに手を引いてもらって家に帰るおばあちゃん先生に追いつきました。
「今日は教室はありますか?」と聞いたら、
「今日は新しいのをほんの1フレーズか2フレーズだけやる。古いのはしない」とのことでした。

ああ、そういえば、ダサラ祭の最後の日って、
何か新しいことを始めるのに縁起がいい日なんだったっけ、と思い当たりました。
日本でヴェーダを教わってた時もその日に何か新しいヴェーダを始めたような。
去年のおばあちゃん先生の教室ではローガニワールナスークタムを始めたんでしたっけ。
これはいまいちマスターしきれてないんですけど。

おばあちゃん先生の家に着くとすでに明かりがついていて、孫が友達と一緒にいました。
孫もその友達も多分ババの学校の大学生だろうと思います。
おばあちゃん先生が今回のダサラのヤグニャの最後に参加者にかける聖水をちょっと持ってて、
それを孫とかにかけて、孫が私と主名の頭にふりかけてくれました。貴重なものを。ありがたや。

孫と友達は帰るかと思いきや、友達が何かヴェーダを唱えてみて欲しいとリクエストしたので、
おばあちゃん先生は「ナカルマナ」としなさいと私に言いました。
ナカルマナ、あんまり自信ないんだけどと思いましたが、たしかこれは女神のヴェーダですよね。
だからダサラの最終日にふさわしいとして、選ばれたんだと思います。

いきなりナカルマナは調子が出なさそうだったので、
ガナパティプラールタナをしてからナカルマナを唱えました。
ババの「ははははは」の笑い声つきのディスコースのあとだったこともあり、
わりと気分よく唱えれました。
おばあちゃん先生は「どうだった?」と、友達に聞いて、友達はなにやら褒めてくれました。
おばあちゃん先生は
「彼女は全部のスークタムをしってて、後はルッドラムだけだ」
と、その友達にいいました。
いろんなスークタム、全部は知ってないんですけど、
インド人特有の数十パーセント、時にはそれ以上増しのホメ言葉でしょうか。

教室でよく、こういう風に唱えてみせるように言われるんですけど、
子連れの日本人女性がヴェーダ、という意外性がいいんでしょうか。
みんな感心したり驚いたりしてくれます。
インド人は日本人以上に
「ヴェーダは難しくって、特殊な人が唱えるもの」というイメージがあるみたいですし。

しかし、いよいよルッドラムですか。
最初の方は以前、日本でヴェーダを教えてくれてたババの学校の卒業生たちに教わっていたので、
そこまでおばあちゃん先生と一緒に唱えて、
その次、
ナマッ サハマーナーヤ ニッヴャーディナ アーッヴャーディニーナーム パタィエー ナモー ナマッ
のところから始めました。
このルッドラムはヴェーダとしては難しい部類に入るみたいだし長いので、
これをやるとなるとある種感慨深いものがあります。
やっとここまできたかー、おー、と。
嬉しいです。

ルッドラムが好きな人は多いみたいで、これは力がある感じがするし、実際力があるみたいです。
知り合いでもこれに恋してるような人が多くて、
わたしもこれの力強い感じは好きで、特に 
トリャムバカム ヤジャーマヘ~ 
の箇所(これもルッドラムに入ると考えていいんですよね?ヴェーダの分類はよく分からなくって)
は、ぜったい過去生で何度も何度も何度も唱えたはずというかんじがします。

しかし一番すきなのはわたしはブルグワリーです。あれ?
【2007/10/24 13:23】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ヴェーダ教室ラグニャーサ録音
ヴェーダ教室ラグニャーサ録音

先週のヴェーダ教室ではまた、シュリスークタムと、ラグニャーサの練習をしました。
ラグニャーサは音源がなくて、
長いこと探しても前半部分だけ入ってるCDをみつけただけで、自分で練習しにくいので、
おばあちゃん先生に言って教室で唱える時に録音させてもらいました。

しかし、主名がまた強烈にごねて、
「さわこぉ~ぅ、さわこぉ~ぅ、さわこぉ~ぅ、こっちみてよ」の連呼。
そのうち
「うんこがしたい、うんこがしたい、うんこがしたい、さわこぉ~ぅ」の連呼と泣きに変わりました。
多分うそなので、
「自分で行っておいで」
と言って、そのまま練習を続けました。

わたしは他の生徒がいなかったので録音時は主名を完全無視して練習に集中していたのですが
(他の人も一緒に練習してたら主名をつれて外に出ることになります)
その主名の泣き叫ぶ声と、
おばあちゃん先生がたぶん
「もうすぐ終わるからちょっとくらいがまんしなさいっ!」とか
「じゃましないできちんと座ってなさい!」とか言ったんじゃないかと思いますが、
テルグ語で主名をしかる声のハーモニーつきのラグニャーサが録音されました。
最後には主名は体を斜めにして頭を自分で壁につけて
「いたいー、いたいー、さわこ起こして~」とか言っていました。
なさけないやらあほくさいやら。

案の定、練習が終わるとけろっとして飛び起きてさっさと
パダナマスカールをした後うんこもせずに自分で靴を履いて外に出ました。

したがってこの一週間、ずっとそのハーモニー付きラグニャーサを聞いてすごしました。。。
部屋で聞いてると主名は自分の録音された泣き声を聞くと喜んで、
「だれや~」とか言って、まねして、自分で何回も再生して遊んでいました。
「たい、うんこ~したいうんこ~、さわこうんこ~」
「このヴェーダ面白いね」「おばあちゃん先生おこったな」とかいって。

このラグニャーサ、最後の1フレーズが録音可能時間の残り時間切れで録音できてなくて、
ああ、主名のしょうもないどんぐりころころの唄を消しておけばよかった・・・と悔やみました。

【2007/10/24 13:21】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ダサラ祭最終日午後
ダサラ祭最終日午後

午後は気持ち早めに4時くらいだったか、に、サイクルワントホールに行きました。
ほんの数十分いつもより早いだけでしたがそれなりに気合を入れて、
おやつや飲み物も持参して行ったのですが、
行った時にはホールの後ろも大きく空いていて、
「みんな、朝だけ出て帰っちゃったんだなあ」と思いました。

すでにババは来てて、誰かがスピーチをしていました。
主名はすぐに熟睡しました。
柱の影はババが見えないのであまり人も座らないし、そこに寝かしておきました。

2人くらいの人がスピーチをしました。
最初の人はなんというか興奮して腕をあげて振り回して人々を煽り立てるような雰囲気で
スピーチをしてて、
ここでスピーチをする人ってそういう人なんだか多いんですけど
内容が分からないから余計と思いますが、見てて疲れるなあとか思います。
血圧が上がりまくりな感じで。
インドスタイル!?というわけでもないと思うんですけど。
次の人は多分ババの近くにいつもいるような人がしゃべって、
そのひとは打って変わって落ち着いた話しぶりだったのでほっとしました。
なにを話しているのか、分かりやすいきれいな英語だったけど断片的にしか分からないので
ちゃんと分かればいいのになあと思いました。
いいことしゃべってそうな感じだったので。

その後、ババが手すりにつかまって立ち上がってみんな拍手をしました。
ババはそのままの姿勢で話し始めました。
立ち上がった姿はなんだか久しぶりな気がしました。
最近朝も午後もダルシャンの時間がすごい遅かったので、また具合でも悪いんだろうかと
勝手に思ったりもしていました。

10分くらいババは立ち姿勢でしゃべって、そのあとイスに座って話し続けました。
英語の通訳もありますが全然分からなくて、
テルグリッシュ?は、聞き取りが困難です。
もっとわかりやすい英語を話す人もたくさんいるだろうけど、でも、この人が通訳として
ババの横にいるということは単なる通訳という以上の色んな要素があるんだろうなあ?
と、思いました。

ババは話の中でいきなり「ははははは」と笑ったので、
聞いてた人はみんなびっくりしてつられて笑いました。
私も何ごとかと思いました。
いつも微笑んでいなさい、笑っていなさい、という話だったようです。
で、こんなふうに、とババはもう一度唐突に「ははははは」と笑ったので、
みんなまた笑いました。

話の最後にババのリードのバジャンが行われ、
ああこれも昔のババのバジャンはすごかったなあ、と思いました。
今は一曲歌い終わる前にほとんど声がかすれて聞こえなくなってしまいますから。

で、そのあとドゥルガーのバジャンが歌い手によって一曲リードされたあと、
アルティになってプログラムは終了しました。
一度主名はむくっとおきあがって座って目をつぶって寝てたので、また横にしてやっていたのですが、
アルティの鐘の音でまた急にガバッと立ち上がったので前に座ってたお姉さんは笑っていました。

ダサラ祭が終わりました。
なんだか満ち足りた幸せな気分でした。
【2007/10/23 13:27】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ダサラ祭最終日午前
ダサラ祭最終日午前

ダサラ祭の最終日、その日は日曜日に当たっていたし、
多くの人出が予想されたので私たちは遅くても朝8時にはプールナチャンドラホールに
入ろうと思っていました。
しかし実際は9時ちょっと前にそこに着いて、もう入場制限がかかってて中に入れませんでした。
なので、ババが来た時に近くでよく見える、
ダルシャンホールの男性側の外の通路に行こうよと主名を誘いましたが、
彼はプールナチャンドラホールの外の横倒しにされたはしごみたいな道具で遊びたくて、
「主名、ず~っとここにいる。ここが好き」
とかいうので、しょうがなくそこらへんにいました。

そしたらそのうちホールの中の人が立ち上がって何かをうわーっと見ようとしたので、
外にいた人たちもババが来たのかと思って柵に押し寄せました。
うちらもつられて行って、ついでに柵を乗り越えて直接中に入りました。

どさくさにまぎれて入れちゃったなー、と思い、
でも、ホールの中はもう詰め詰めで割って入るのは難しそうだったし
居心地も悪そうだったので、動けるスペースのある半分外の、通路に座って主名を遊ばせていました。
さっき人々が立ち上がって見ようとしたのはヤグニャの掲げられたアルティの火でした。

そのうち中で座ってて気分が悪くなった人が出てきて私の隣に座って柵にもたれました。
主名は通路を走り回ってはしゃぐので、しかり続けていたのですが、
私に単に体当たりしてくるだけじゃなくてジャンプしながら空中ででんぐりがえしをして
もたれてきて、予想外の動きにおどろいて笑ってしまいました。

10時過ぎくらいにババがステージの幕の後ろからヤグニャに登場しました。
こんどこそ人がみんなウワーッと立ち上がって、
ステージのほうに押し寄せて圧縮されたので後ろがガラガラに空きました。
なので楽にホールの中に入って奥のほうまで行って空いてるところに座りました。
ずいぶん楽に入れたなあ・・・と思いつつ。
中はやっぱり酸素が薄い感じで新鮮な空気ではありませんでした。

ババはステージ中央に座って、ヤグニャの最終的に行われる儀式に立ち会っていました。
ババ登場の興奮が収まると、みんな床に再び座って大人しくなったので
座っててもよく見えました。
去年のダサラ祭は主名が怪我して最終日まで通院してたからほとんどまともに参加しなかったけど、
今年はずいぶんちゃんとおらしてもらえるもんだ、と思いました。

ダサラ祭ではヴェーダがいっぱい唱えられるから楽しいです。
普段あまり唱えないようなのとかも。
ヤグニャをするお坊さんたちはずっとプールナチャンドラホールにいますけど、
ヴェーダ唱え隊のババの学校の先生や学生は、ババがサイクルワントホール(ダルシャンホール)
とプールナチャンドラホール間を移動する時、最短距離で来るババに遅れないように
別ルートをダッシュで移動するので大変だなあと思いました。
私は移動は面倒なので、ヤグニャの行われているプールナチャンドラホールにだけ
毎日行ってましたけど、
ババは毎日9時過ぎくらいにダルシャンホールに行って、
10時過ぎくらいにヤグニャに来て、数十分後ひっこんで、
そのあとまたダルシャンホールに行っていました。

そのうち小さな箱に入ったプラサードが配られました。
主名はプラサードが配られる前に「もういい」と言って、
さっきまで遊んでた通路でまた遊ぼうと思ってと思いましたがホールの中から逃亡してたので、
主名が帰ってこないかなあと思いましたが影も形もなく。
しょうがないのでひとつプラサードをもらって、また別の配ってる人からもうひとつ
主名のぶんをもらいました。

主名を探しにわたしも通路のほうに行って、ついでに新鮮な空気を吸ってるうちに
ババはヤグニャのホールからは帰りました。
他の人たちもみんなぞろぞろ帰り始めました。
主名がおらんなあ、と思いながらうろうろしてるとセバダルのおばあさんが主名を連れて
通路のさらに外の道路のところまでわたしを探しに行ってくれてたらしく、
優しい人で、プラサードのかけらを主名に食べさせてあげなさいと言ってくれました。
私はすでに2箱得ていたのですが。
この人はどのくらいやさしかったかというと、
セバダルだったら柵を乗り越えて入ってこようとする人たちを普通は制止しなくては
いけない立場にあるはずなのに、
人々が入ってこようとする意思を曲げないと見ると、
「こっちに足をかけなさい」とかいって登り方を教えちゃってたくらいでした。

大丈夫だろうと放ってた私ですが、主名にも一応「人が多いからあんまり遠くに行くな」と注意して、
プラサードをやって靴を履いて帰ろうと思ってガネーシャゲートのほうに向かいました。

そしたらマンディールの建物の裏を通る時にマンディールの出入り口の空間を通して
再びサイクルワントホールに登場して
車いすダルシャンをしてたババが向こうを通るのが丁度見えました。
なのでもう帰るつもりだったのですがマンディールを通り過ぎて左折して
男性側の座席の外側の通路で、またやってくるババを見ました。
ここらへんに座ってる人たちはVIPとかの、座席指定されてる人たちなのか
立ちあがったりとかほとんどしないので、その外の通路からでも
ダルシャンを受けるのが容易で、しかも近くをババが通るので、
ババが車じゃなくて車いすで通る時なんかは「近かったなあ」といつも思います。

ダルシャンももう充分だし、サイクルワントホールに入る気もなかったので
そのまま帰ろうとしたら、ガネーシャテンプルの前でプラサードのごはんが
学生たちの手で配られようとしていました。

なので列に並びました。
しかしプラサードを積んだトラックの前で人が団子になっておしあいへしあいで手を伸ばしていたので
学生達は配るに配れず、合唱してサイラムサイラムとお願いしていましたが
群集は変わらず。
学生達は柔和だけど、こんなときはこわもてのセキュリティスタッフの怒り爆発で
列を造って並ばせるあの強さがあればなあと思いました。

結局、もう一台の別のトラックが来て、少し離れた坂の上で女性にプラサードを配って、
女性をそっちに誘導して騒ぎは収まりました。
(てことは原因は女性ですか?)

うちらも早めにその情報が伝わってきたので場所を移動して、
わりとすぐプラサードをもらってその場を去りました。
うちらが去るときにはすでに長い列が出来ていました。

プラサードは新聞につつんだまぜごはんと、葉っぱにその場で配られる甘く煮たご飯でした。
アパートも近いので部屋に持って帰って部屋でゆっくり食べました。
今回はほんとに至れり尽くせりのダサラ祭でした。

プラサードのご飯は私と主名で1人分で充分なのでひとつはアパートのウォッチマン
(アパートの掃除したりする人)にあげました。
うちのアパートはお祭りの時は一階の各戸口のところにだけ神聖なマンゴーの葉っぱをぶらさげる
ようにしてるみたいなのですが、
いつだったかあまったマンゴーの葉っぱをもらってわたしも自分の部屋の戸口につけたら、
その後、私の部屋は一階(グランドフロアー)じゃないんですけど
ウォッチマンが祭りのたびにうちのところにも葉っぱをつけてくれるようになりました。

プラサードの辛いご飯、グラマセバというのか?村へのセバとしてダサラ期間中に外で配られる
混ぜご飯はほんとに辛くて、あんまり食べられないんですけど、
アシュラムの中で配られるご飯は色んな場所から来てる人たちが対象だからか?
そんなに辛くなくてすごくおいしいです。
甘く煮たご飯は私も主名も大好きで、出来立ての熱々をおいしくいただきました。

今年、ダサラ祭が始まる前は人が多くてしんどいのは嫌なので
あんまりアシュラムに行かないでおこうと思っていたのですが、
終わってみると毎回行って、人も私が思ったほどすごい人数でもなくて、
途中で主名の喘息も出ましたけどなんだか楽で楽しかったです。

この一年でアティルッドラマハヤグニャに2回参加したので、「人が多い」という意識の基準が
狂ったのかもしれません!

ああでも一ヵ月後には降誕祭があります。

【2007/10/23 13:26】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ぜんそく
昨日から主名はぜんそくがひさびさにきつく出てて、
昨日の夜に雨になったからだと思うんですけど、
(雨の前に発作が出やすいみたいです)

今日はそういうわけで学校は休ませて朝からジェネラルホスピタルに行きました。
小児科の待合のイスのところでお母さんに抱っこされてるあかちゃんが派手にはいて、でもみんな見てたから、
セバダルをよんで戻ってみたら主名もつられて吐いてました。

すぐ順番がきたからおいといて診察室に入って診察をうけたら
セバダルが「自分できれいにするべきよ!」と、診察室に来て
ちぎった新聞紙を2枚さしだして言ってきたので、
「今!?」と、半分キレて言ったら医者がたぶん、
掃除の人をよんで始末させなさい、とか言ったようで、
そのセバダルはひっこみました。

日本の医者でもらって毎日飲ませてる薬とかみんな持っていって見せたんですけど、
医者はそれはそのままぜんぶ飲ませといていいよ。
自分はこれはわからないから。とかいうので、
こわいから飲み合わせがやばそうなのは自分で飲ませないようにしました。

主名は吸入と注射をうけて、
手の甲に最初医者が丁寧に注射しようとしたら主名は予想外だったみたいですごいびっくりして、
もう針が手の刺さってるのにすごい勢いで抜いて払いのけたので
注射をしようとした医者も私もびっくり仰天しました。
で、医者はさっと主名のおしりを出してぶすっとさしたので
主名はぎゃーぎゃー泣きました。

ヤグニャは今日はババが会場からダルシャンホールに移動するとこを外から見たり、ダルシャンホールをイスで回ったのを外から見たりしました。
昨日とかは主名が学校に行っててくれたので一人で楽にヤグニャに行けたのですが、
やっぱり子供をつれてると大変というか、
子供にばっかり気が行ってます。

主名が学校に行ってる間、一人でぼうっとできる時間ができてよかったんですけど、その楽さを思い出してしまうと逆に、主名が帰ってきてからの時間がすごいきつくかんじます。
24時間どころかずうっと一緒だったら麻痺してもうしんどいとかわかんなくなってるんですけど、
一人の軽さを思い出してしまうともう、子供をつれてるのがきつくつて。
そういうわけで気圧の変化とかあると思いますけど、
今日はやたらと疲労して、午後は4時間昼寝しました。

午後はババは6時前に車椅子で来て、6時くらいに音楽プログラムが始まって
7時くらいに終わりました。

明日はダサラの最終日です。
去年はガネーシャゲートがしまっててアシュラムの中にすら入れませんでした。
去年はダサラ期間中は主名が転んで後頭部を4針縫ったんでしたっけ。
今年はこないだきつい風邪を主名も私もしたので前もって浄化されてて
喘息くらいですんでるのかなあ、と。
【2007/10/21 00:21】 | 子供の病気時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
主名語録
「今日は宇宙の誕生日なのよ。
だから神様みんな部屋に来るのよ。」

しばらくの間毎日「今日も宇宙の誕生日なのよ」とか言っていました。

「主名ねえ、シバに宇宙壊していいよ、って言ったの」
【2007/10/19 15:29】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
インドトイレクリアー
主名は昨日、学校で妙なギャグを覚えてきて昨日はずっとそれをやっていました。
広げた両手を羽ばたくように上から下に下ろして
「ありゃ~?」
とかいうギャグです。
まねしてやってやったら爆笑していました。

学校で勉強はぜんぜんしてないので、このところずっと、
学校から帰ってから私がやらなかった分を家でやらしてるんですけど。。。

やると約束したのにおととい学校で勉強してこなかったので(出来るのにやらない)私もいいかげん怒ったんですけど、
そしたら私の機嫌をとろうと思ったのか、
「明日はおじさん先生の学校でうんこするのよ」
と自分から言って、実際昨日して、ちゃんと自分で水で洗えたそうです。
思ったより早くできるようになりました。
毎日の訓練の甲斐もありました。

たしか、主名がはじめて自分でトイレでおしっこをしたときも怒った私の機嫌をとってほめてもらうために同じようにしてました。

学校も昨日は「面白かった!」と言っていました。(インドギャグが?)
【2007/10/19 15:27】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ババと女の子の夢
今朝もババが夢に出てきました。
今日のは、現実で実際にババと近くで接触することの多いらしい知り合い夫婦の家にその夫婦と共にわたしはいて、
そしたら車が何台か横の道をやってきて通り過ぎて、ババが来る雰囲気だったので、家の外のポーチに行く出入り口のところでババを待ってたらババはその家に来ました。
奥さんはすぐにババの方に行ってババと少ししゃべりました。
私は立って見てたんですけど、ババは私がその夫婦といることやその状況がなにか面白かったみたいで声を出さずに自分で少しウケていました。

それとは別に、一人の非常に貧しい女の子が数人の大人に連れられてその家に来ました。
女の子は私が貸したレインコートを着ていたので、それを彼女が盗んだと思われて大人たちに連行されていたのでした。
女の子は私を見て、また、もしかしたら奥さんの方も見て、やはり何かが彼女をウケさせました。

あとで、彼女にあやまらないとと思って、彼女の友達に「ごめんね」と彼女の言語で言う言い方を教わりました。

奥さんは、彼女は良くないからかかわらない方がいい、と私に言い、だんなさんも、彼女はすごく悪いと言ってショックを受けていました。
しかし、そのとき私が奥さんに言ったのは、私の昔の実家(いまはありません)の庭に昔、話をしたことがある聖者がここ最近彼女の信者と共に滞在していて、その女聖者は信者に言って、やはりその庭で友達と遊んだりしていたその貧しい女の子に色々物をあげたりしてて、
私も彼女に字の練習をする練習ノートをあげて、
彼女はそれに自分の言語で「ハロー」「ハロー」と書いて、すごく嬉しがってた、と、そういうことを言いました。

ババが来たのが先か、その女の子が来たのが先だったかはわすれましたが、とにかく、二人とも私がそこにいるのを見てなにかウケて笑ったのでした。
【2007/10/19 15:17】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
教育って。。。
教育

教育に関するサティアサイババのメッセージとかいう本がアシュラムの外の図書館にあったので
借りて読んでみました。
こういう内容のものは多分今までもあちこちで目にしてると思いますが、
今読むとその内容がうさんくさい絵空ごとじゃなくて、実際の確固としたビジョンに基づいて
説明されたり話されたものだということがよく分かりました。
今まではこういうのを読んでもぴんと来なかったし面白くなかったけど、
今回読んでみるとその映像がいろいろ浮かぶというか。
やっぱりこっちでババの学校や他の学校の現役学生や先生やその親と接する機会が多いので、
自分の感覚と照らし合わせながら読むことができるというか。

ババの学校の学生は全寮制のなかで生活しているので実際に接する機会はあまり多くないですが、
その弟や妹が主名の学校の友達で、自動的にその親とも接することは多くなりました。
やっぱり子どもがババの学校に行ってる親はなんだか非常に安定感があるというか
自信や安心を身にまとっているように思います。

子どもがババの学校に行く前から知り合いだった親子も何人かいて、
その場合の子どもや親の変わりようも見てきたので、いろいろ考えさせられます。
親はやたらめったら自信と自己信頼が出るように思います。(時にはこわいくらい!)
アシュラムの住人になった人とかと共通するようなものもあるような。
子どもはエリート意識が強かった子が、物静かで謙虚な雰囲気になったり。
また、主名の友達と、そのお兄さんでババの学校に行ってる子の雰囲気の違いとかは
単に年齢的なもの以上のものはあります。
お兄さんは自分自身を知ってるような雰囲気を漂わして微笑んでいて。

ババの学校は通常の勉強と同時に霊的価値観も勉強して、教育の目的を人格形成に置くところですけど、
学校で人生の目的とかどのように生きていくことが自分や周囲にとって適切なのか
ということを明確に学校で教わり、自分自身でも体験することができるのは
いいなあと思います。
そんなこと少なくとも私は習った覚えがないし、
道徳の時間とかはありましたけど田中正三が直訴したとかそういうのはあったような・・・程度で。
どのように生きるべきかなんて、各自の試行錯誤にゆだねられているのが現状で、
社会に出るともうそんなことに思いをはせる余裕もなくなるのが
私の生きてきた環境だったように思います。

そういうのを体現している教師から学校で教われるというのは
先に答えをもらってるようなものだと思います。だから、いいなあ、と。
それを自分自身で学校を出た後も体現するには色んな体験を重ねて
改めて自分でその答えを導き出してみる必要があるのかもしれないですけど。

その答えって、おおざっぱにいうと
犠牲や独立自尊の精神をもつ人間として社会に奉仕するということです。
犠牲と独立自尊て、両立しないと思ってたのですが、
多分それは「犠牲」という単語に対する私が持ってるイメージによるものと思います。
奉仕は、独立自尊の精神で自分自身を犠牲にする勇気があって
はじめて可能になるものなんだろうと思います。
自分自身のさまざまな物質的欲望を犠牲にすることは真に自分自身を尊ぶことにつながり、
そのように個人としての自分が空っぽになった時にやっと他の存在に負担にならずつながって
役に立つように働くことが出来る用意が整ったと言えるのだろうな、と。

以前サイセンターに来てた聖者がサイセンターで一生懸命活動してる人は
解脱の先を行ってる、ということを言ってて、
その時わたしはサイセンターの人間関係の状態や雰囲気に疑問もいっぱいあったので、
その聖者のその言葉に満足そうにしてるように見えたメンバーやその聖者に少し腹が立ったんですけど、
今は、それもそうだなと思います。
解脱の各段階があるとすれば、センターで中心的に働いたりすることは
その段階で言うとずいぶん進んだ段階なんだろうなと。
本当に他者にとって役立つ奉仕って、個人の自分がしようと思って出来るもんじゃないなあと思うので。
それにそのようにしてなされた奉仕って、その人にとっても本当に幸せを体験できるものだと思います。
空っぽになった自分を神が満たして動かすんですから。
奉仕するものとされるものがともに自分自身を虚しくしている時、どちらも神に満たされて
そこではただ愛が愛の中で動いているのでしょう。

こないだ、村々に食べ物や着るものを配りに出かけてる学生たちは本当に高揚して幸せそうに見えました。
わたしはサリーがもらえなくて(ここらへんでは1階に住んでる人にだけ配ることになってて)
ちぇっ、とか思いましたけど。

インドのいいとこって、
乞食の人や貧しい人がいっぱいいて、例えばわたしら日本人にとってちょっとしたものでも必要性が高いところでしょうか。
やるべきことがいっぱいあるというか。
日本なんかはある意味飽和してるように思えるので。
【2007/10/19 14:58】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ダサラ、バースディヤグニャ翌日のババの夢
ダサラ、バースディヤグニャ翌日のババの夢

今日はダサラの7日目でしたっけ。
今日は木曜日です。
昨日は主名の誕生日で、誕生日にダルシャンを受けるとすごくいいと聞くので、
昨日は主名主体であれこれ動いたのでわたしは疲れ果てました。

ところが今朝はサイババダルシャンの夢を見ました。
私はどこか山の上の病院か何かの施設にいて、家に帰る仕度をしていました。
するとダルシャンが始まったようで、
次の瞬間わたしは小さめの黄色っぽい明るい光に満たされた会場にいて、
2,3列の人たちが座って並んでる
そのうしろに状況にまで適応できずに立っていました。

ダルシャンミュージックのような音楽が聞こえ、
気がつくと右方向より、
車椅子に座ったサイババが単独で、私の前に座ってる人たちの前の通路までもう来ていました。
あ、ババだ、と思って見ると、ババは全面的にわたしを認識、承認する目でこちらを見、
私の左前に座ってる人たちの間から左に折れてきて、
人たちの列の後ろの空いたスペースへと列を突き抜けてきました。
その間ずっとババはその目でこちらを見ていたので、
私も何のためらいもなくババの方に行って、彼のななめ前にひざをつき、手は合掌したままで
なぜかえびぞりにそっくり返ってババのひざの上に後頭部を乗せるような形になりました。
したがってババは上から覆いかぶさるような形になったと思いますが、
そこからは視界が溶けてなくなりました。

形のないきもちのいい超絶的世界でしかし彼と私の個人性は保持されたままで質疑応答モードになりました。
会話は全部英語だったので、私の英語がちょっとあやしかったり、
ババが言った単語がいくつか分からなかったりしましたが、
もちろん意味の伝達に問題はありませんでした。
ババが言った単語がいくつか知らなかったから、
覚えておいてあとで調べようとか思いましたが忘れました。
たくさん質問して、ババは答えてくれて、
こんな質疑応答モードになる夢はめずらしく、わたしも大いに満足したのですが
起きた時にはその内容は残念ながらほとんど忘れてました。
最初のほうに質問した事柄がそっくりまるごと思い出せません。
たぶん、より私の本質からの質問と答えだったので、顕在意識というか、通常の意識にとどまりにくかったんだと思います。

3つか4つ質問した後にババに今度のコダイカナルに行ってもいいですかと聞きました。
ババは承認して、自分がすべての世話を引き受ける、という意味のことを言いました。
(起きてから、今度のコダイカナルはお金も気力もいるから行かない予定だったけど。。。と思いました)
主名はババの学校には入れるんですか?と聞いたら
確か承認する意味が伝わってきたので、さらに、いつですか?今ですか?今年ですか?
などと、年齢的にも主名の状態からしてもすぐにはありえないんですけど
わたしが早く子離れしたいもんだからそんなことを聞きました。
ほんとは私があれこれ気を回してもまったく意味ないんですけど。

ババはその後英語で
「But,he has skin problem.」
と言いました。
じゃあどうしたらいいですか?と聞いたら、ホメオパシーの治療を受けるように言われました。
ババはホメオパシー、とは言わなくて、ホメオなんちゃらかんちゃらと、聞き覚えのない名称
を言いましたけどわたしはこないだ主名とふたりできつい風邪をひいた時に咳止めのホメオの薬をもらった、
あそこだな、と思いました。

起きてから、
主名は赤ちゃんの時はアトピーで皮膚がずるずるだったけど、
今はほとんど症状はなくて、わたしは治ったと思ってて、
スケジュールきちきちの寮生活をするにあたって、わたしはアトピーより喘息がどうかなあ、と思ってたりしたので、
ババがスキンプロブレム、と言ったということは
また将来的に出てくる可能性があるのかなあ?と思いました。
ぜんそくもアトピーもどっちもアレルギー体質という根っこは同じかもしれませんが。

もう聞くことがなくなったので、主名の勉強はあれでいいんですか?と聞きました。
そしたら夢の中の夢から覚めたようにその場面が終わりました。
主名の勉強や学校のことに関してはわたしに迷いが多いので、毎日のように覚醒時にババにテレパシックに聞いてて、
その都度、そうすべきだ、大丈夫、心配ない、みたいなことを何度も何度もいわれているので
夢の中でまで聞くなよ、ということかと思いました。

そのあと低空飛行の飛行機の助手席に乗ってるスリル満点のすごく楽しい夢が続いたので
ババの夢を思い起こして意識に定着させる作業が出来なくて、
夢の中で他の人に「今朝、ババの夢を見たよ」と言って、
その人に話そうとしたらほとんど忘れてたので軽くショックを受けてその夢からも目が覚めました。

と、いうわけでした。
なんせ、起きた時にはそのババとわたしの形の見えなくなった非常に素敵な意識状態の味わいだけが残っていました。
なんせ、いい夢でした。
昨日主名がバースディダルシャンを受けてたぶん存在状態がよくなった分、
私のとこも一緒にようなったんやろなあ、と。ありがたや。


【2007/10/18 15:17】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
バースディヤグニャ
今はダサラ祭の真っ最中です。
ヤグニャは今週からやってて、外でサリーやご飯は月曜日に配られました。
今日は主名の誕生日だったので、午前の学校でみんなでケーキを食べようかと思ったのですが、ヤグニャに行ってる人が多いし、うちらもバースディパーティはやめて、バースディヤグニャにしました。
あちこち動くのはしんどいので、ダルシャンホールには行かずに9時くらいに直接プールナチャンドラホールでしたっけ。体育館に行きました。
そこでヤグニャが行われていて、ババは10時くらいにそこにくるので。

ヤグニャの後はケーキを受け取って、いちおうろうそくを立てて歌を歌って、部屋で分けて、10人分なので外にいる人らに分けました。
アパートの掃除の人とか隣の八百屋の人やこじきの人らや。
学校で子供らで食べるよりむしろそのほうがよかったかなと思いました。

午後の学校に連れて行って、主名が誕生日なのでキャンディーを配ってもいいか校長先生に聞いたら、校長先生の息子も今日が誕生日で、その子もキャンディーを配りました。

そのあと午後のダルシャンに行ったけど、おやつの間にダルシャンが始まったので、主名をかかえて男性側まで走って、塀の外からババを見ました。
うちらトークンも最近ほとんど行かないし、ここが一番近くでダルシャンが受けられます。
抱えられて運ばれたので主名は興奮してしまいました。

その後中に入りました。
何人かがスピーチをして、最後の人のスピーチでなにやら誕生日にまつわる話しをしているようでした。
で、そのスピーチが終わったときにその人が
「今日は私の誕生日なのでこういう機会が与えられました」
とかなんとかいって、わーっ、と拍手が起こって、
ババはその人に指輪を物質化してあげていました。
なんだか誕生日が誕生日を呼んで重なりまくったような日でした。

【2007/10/17 22:24】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
勉強
昨日かおとついくらいからケララのユースが多分数千人単位で来てるので、サウスインディアンキャンティーンのご飯で主名が食べれるやつが売り切れになってる可能性が高いし、
今朝は外の店で朝食を食べました。

今朝も、少しだけバジャンに出たらそのときにババが来たのでダルシャンをうけられました。
最近は午後も、主名の2番目の学校が終わる4時の、その10分後とかにダルシャンが始まるのでいつもダルシャンが受けれていて、ありがたいことだなあと思います。
なんだかひとつだけ学校に行ってたときよりもちゃんとダルシャンを受けれています。

昨日、一つ目の学校を紹介してくれた家族に、11月から別の学校に移ることを言ったら、
ババは自分の子供たちを他の子供たちと混ぜさせないし、ババはそういうのは嫌いなのよ。みたいに言われました。

確かに2つ目の学校は1つ目の学校にくらべてぐっと庶民的で、オートリキシャのドライバーの子供とか商売人の子供とかいっぱい来てますけど、
それに1つ目の学校に来てる子は兄弟がババの学校に行ってたり、家族でアシュラムに住んでるか親がアシュラムのスタッフだったり非常に裕福だったりそんなんですけど、
そんなに実際は違わないんじゃないかなあと思ったりもします。
1つ目の学校から他のところに、2つ目のところに流れていったりもしてますし。
1つ目の学校は高級な感覚を維持してるけど、実質はそんなに変わらないんじゃないかと。
どっちの先生も叩くみたいだし。
1つ目の学校は家族経営で自宅で行ってて、2つ目のは校長がいて雇われ先生が2人いて、校舎もそれ様に作ったものなのでもっと学校という感じです。

1つ目の学校では今はもう来てないけどババのすごく近くでいつも働いてる人の子供が来てるというのがひそかな魅力になってて、
でも2つ目の学校でも多分もう来てないけど、ババの(この世界で)有名な最初の帰依者の孫や、ババの親族の子供が来てるというのがその学校に関する明るい話題でした。

自意識が違うだけで実質は一緒と思います。
でも自意識が違うということは実質が違うということ!?

主名に関しては最初の学校では勉強する気が起きなくておもちゃで遊んでても怒られないし、トイレも洋式だから好きみたいです。
ときどきお菓子ももらえて。
先生も甘いし主名は他の子に比べて大人しいので何の問題もありません。

2番目の学校では勉強しなかったらお兄さん先生に頭をべしっと叩かれるのと、和式というかインド式トイレが主名は嫌みたいです。
でもインド式トイレは小ならもうクリアーできました。
でも他の子供たちもシュナ、シュナといって、迎えに行ったときには主名がいすに座って絵を描いてるのをぐるりと取り囲んで見物したり、1番目の学校に来てた女の子がなんやかんや世話を焼いてくれて助かったりしてるみたいで(かばんを持ってくれたり、水を飲ませてくれたり)
悪くないように思います。
学校の雇われおにいさん先生も、最初見たときはすごいつまらなさそうで、ストレスたまってそう。。。と思いましたが、
最近は学校の外で会ったら笑顔で向こうから挨拶してくるくらいで、
多分、外国人の子供を教えてるということが彼にとって嬉しい要素になってるんじゃないかと思います。
前はドイツ人の子供とかいたそうですけど、今はインド人の中に主名ひとりが外国人なので。

1つ目の学校はなにより時間がみじかずぎるのと、プレイスクールなので、遊びが中心です。
他の子供は親が英語が堪能な場合がほとんどなので、
勉強は家で教えられるけど、子供には遊び友達が必要だからとそこに通わせていたりします。
わたしは自分で英語を主名に教えるのはまず無理で、外部のサポートが絶対必要なので、ある程度ちゃんと教えてほしいわけです。

直感、というか、私の場合ババの声として来て、直感と同じものになっているのですが、それは2番目の学校に主名を行かせるように何度も間違えようがないかんじで言ってきてて、
色々私としては不安要素もあるけれど、声はそれは大丈夫、まかせるようにと請け負っています。

声にしたがって決してスムーズに行かない場合も今まであって、
でも高い意識でみるとそれは必要なプロセスだったりして、
現実に、2番目の学校に主名を行かせて、問題も起こるかもしれないけど、それによって私のエネルギーが調整されたりすることを自分に許すということになるかもしれません。

プッタパルティでは特に、何か事を起こそうとするときほんとに前進で考えたりぶつかったり飛び込んだりする必要があって、
大変なんですけど、
それはここのエネルギーのせいだと思います。
ここでは自分のエネルギー状態と外に現れている状況がきっちり一体になっているので。
だから、外の状況に変化を起こすときには自分自身のエネルギー状態を変化させることを意味していて、
それはたとえば日本でもたいがいそうなんですけど、
ここではそれが100パーセントそうなんだと思います。

ただ、直感に従うときにはすみやかに神に波長が合うので、その結果現実的にどうなろうと、自分としてはいい状態になります。
主名は私と非常に密接なエネルギー状態にあるので、
主名のことはもちろん考えなくちゃいけないですけど、
それよりわたしの状態を良くすることが主名に直接エネルギーを与えることになるんだろうとも思います。
今、2番目の学校に主名を移すことで何が大きく変わるかといえば、
私の自由時間、一人でいれる時間が増えるので、
多分、主名がどうこうというよりもまず、私に一人の時間を与えることが今は必要とされているんだろうとも感じます。

結果、主名もまた開く可能性が出るんだろうと思います。

私が教えれることは日本語とヴェーダのチャンティングなので、
主名にひらがなとか書き取りさせてます。
前から持ってた絵本が読めるようになるのは新鮮な驚きらしく、
ひらがなを覚えるのを彼は喜んでるようです。
昨日は「しんかんせん」が読めてました。
学校でアルファベットを教わってるので、ひらがなはもっと複雑で書くのは難しいですが、主名も学ぶ要領をある程度つかんでて、容易に教えれるのでありがたいです。
やっぱり学校で勉強してる効果があります。

【2007/10/11 14:03】 | 主名の学校 | トラックバック(0) | コメント(0) |
日曜日
日曜は主名の希望をくんで、駅に電車を見に行きました。

オートリキシャで行ったら電車がくるまでまだ一時間あったので、
「ババズレイク」とかいう湖に足を伸ばしました。
駅から数キロなので往復50ルピーで行ってもらいました。
ババとかいうのでサイババが作った人造湖かと思ったんですけど、
湖の横の丘の上の寺の中には「ババがここで瞑想した」とかいう空間があって、そこでいうババはサイババとは違うババでした。
よーわからんかんじでした。

しかし湖の眺めはよくて、広々した景観が楽しめました。
湖の水辺に下りて少し遊びました。
かえるやめだかもいっぱいいて、わりにきれいな水でした。

ビシュヌ(バラジ)の寺やシヴァの寺もあったので一応お参りしました。
しかし、バラジの寺では手を合わせると
「お金がいっぱい儲かりますように」と自然と祈ってました。
わたしはそんなこと今まで祈ったことないし商売もしてないのになあ、と思いました。
多分、その寺で祈った人の残留思念みたいなのが入ってきたんだろうと思いました。

駅は思ったよりきれいで大きかったです。
下手すりゃ屋根もなくてプラットホームしかないかと思ってたのですが、お菓子が売ってたり食堂があったりしました。
もし今度来るならバスで来るか、行きはオートリキシャで、電車見てから、帰りは乗り合いの車か別のオートリキシャでちゃんと帰れるなと思いました。
電車が来た後はそういう車が集まってきてたので。
今回はどんな状況なのかわからなかったから、オートリキシャをチャーターして来ました。
湖もいって全部で2時間くらいで150ルピー払いました。

主名は久しぶりに電車が見れて喜んでました。
長いのと短いのあわせて3つの電車、というか列車が見れました。

昼はアシュラムの近くに帰ってチベット料理の店に行ったんですけど、
わたしは寺でなんかもらって連れてきちゃったかな、という感じで、
具合がよくなかったので、前の日に読んで感動したクリシュナの話を思い出して感動を再度体験したら急に視界が明るくなって具合がよくなりました。
効くなあ、と思ったんですけど、そのすぐ後に主名が吐きました!
そっちに行っちゃったのか。。?

その日その後は私は散々で、
いつもなら問題ないのにその日は未開封の小さいポテトチップスの袋がかばんに入ってるという理由でクロークルームでかばんを預かってもらえなくて、しょうがないからダルシャンホールの横においておこうとしてセバダルにだめだといわれてもめたり、
おじさんに熱いお茶を腕にぶっ掛けられたり、
ヴェーダ教室ではおばあちゃん先生がこなくて蚊の襲撃の中、1時間待ってあきらめて帰ったりしました。

チベットの店では良かったんですけど、寝る前にまた具合が悪くなってきて
頭がすごい痛くなってきて、
寺で連れてきたのだけじゃなくてついでに色んな人の思念が弱ってるときにここぞとばかりに入ってきてるように感じてたまらん感じだったので、ヴェーダのCDをかけたままにして寝たら翌日にはすっきりしていました。
熟睡は一種のサマーディ。。。



【2007/10/09 14:45】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
こないだ、主名の一つ目の学校の友達の家に赤ちゃんが生まれたと聞いた帰りに、主名の別のクラスメートの家の前を通りがかったら、
そこのお母さんが戸口に立ってて、妊娠してたはずのおなかがぺっちゃんこになってて、そこでも女の子が生まれてました。
なのでちょっと見せてもらいました。
生後20日のあかちゃんはまだ形が決まってない感じでぐにゃぐにゃしてました。ひえ~っ、て。思いました。

先日のエアポートダルシャン騒ぎの翌日の午後のバジャン後、ババが家に入るときに、いつもはそんなことしてないですけど女の人がババの前で何かをぐるぐる回して儀式をしてからババは家に入っていました。

あの騒ぎ、なんだったんだろうと思って、別の日本人に聞いたら「ディワリーみたいにババの姿の花火があるって聞いた」「テレビで生中継されてたから重要だったんじゃない?」とかいう話でした。
でも、どんな姿が浮かび上がったのか見た人を聞いたこともなく。
主名の2番目の学校の校長先生(テルグ語がわかる)によると、ババの通訳をするA.K氏が6時半からビシュワスワルーパが月に映し出されるとアナウンスしたということでした。
でも、昨日は月が出てなかったから不可能だよ。とかいってました。
伝言ゲームみたいにみんないうことが違うのは、やっぱ、多言語のゆえでしょうか。。。

こないだの土曜日は1番目の学校が休みなので、その2番目の学校に朝から主名を連れて行きました。
他の子は朝9時から夕方4時までその学校にいっぱなしなのですが、
主名はまだ慣れてないし、昼ごはんはキャンティーンに連れて行こうと思って昼に迎えに行ったら、
主名は学校でご飯を食べたいというので私も一緒にそこで食べました。
辛いのを私が食べて、主名は辛くないご飯やイドリーをたべました。
なので私はめちゃくちゃ辛くてひーひーいいながら食べたら先生たちが面白がって笑っていました。
イドリーやご飯はおいしくて、主名はおかわりおかわりで、かなりたくさん食べていました。
でも主名はかなり遊びながら食べて、時間がかかるので学校で食べたら、私がいるときはいいけどいなかったら怒られそうだなと思いました。

そのまま勉強が再開される2時までわたしもそこにいましたが、
2時前にテレビを子供たちに見せてて、
それがふつうのテレビドラマで、バイクのレースをして、卑怯な手を使って勝とうとした男を主人公がレース後にぶんなぐって、卑怯な男が血を流して倒れる、とかいうものだったので、
いくらなんでもこれを4~6歳の子供らにわざわざ見せるのはよくないんじゃないと思って、
校長の部屋に行ったら校長は昼寝してました。
しょうがないからそのときは帰って、また2時に迎えに来たときに
昼間見せてた番組はすごい悪かったと校長に言ったら、
校長は「おお、分かった。教育的番組(にしたほうがいいん)だね」
とか言ってました。
昨日、月曜にまた見せてる番組をチェックしたら今度は冒険アクションものでした。うーん、気をつけてるのかどうなのか。。。
あんなのを毎日見せてたらあほになりそうです。
子供の注意をひきつけてコントロールするには便利なんでしょうけど。
テレビ番組は人をコントロールするものだから。

3番目の学校というか私塾は、私の知り合いが最近始めたもので、
彼女は2番目の学校でしばらく教師をしてたんだけど、やめて自分で自宅で塾をはじめました。
確かに教え方もうまいし少人数でしっかり教えてくれていいんですけど、
2番目の学校を悪く言い過ぎるのでした。
2番目の学校がすごくいいとは思ってないけど、彼女もそこで教えるノウハウを学んだはずだし、数ヶ月前にはむちゃくちゃほめてたのに手のひらを返したような変わり様だったので、
わたしは良く言いすぎる人も悪く言いすぎる人も信用できなくて。
2番目の学校の待遇も途中で変わったわけじゃなくて、3番目の彼女はそこで教師をしてたときはやりがいがあって満足してるみたいなことを言ってたけど、やめてからは悪く言いまくりで。
状況が変わったんじゃなくて、彼女の感じ方が変わっただけだから、離れるなら静かに離れればいいのにと思うけど。
ババの帰依者にしても熱狂的な人ほどなにかあったときにガクっときて
今度は批判するほうに回る場合が多いでしょう?
だいたい、宗教団体にしても、もめて分裂して新しい団体をつくっても元のところへの批判精神がある限り元のところを超えることってないんじゃないかと。
2番目の学校の校長は確かにルーズなところとかあったり、子供の人数も多くて目が行き届きにくかったりしてるかもしれないけど、3番目の私塾の教師の彼女のこととか、他の反旗を翻して離れた人のこととかもすごくほめてもちあげてたのしか私は聞かなかったので。

3番目の彼女は2番目の学校を悪く思うあまりに、主名が2番目の学校で勉強して、上手に書き取りをしたノートを見て、「誰か他の子に書かせたんだ。子供に誰が書いたか聞いてみなさい。」とか言い出したりするので私も聞き流すわけにいかなくて、(主名がそれらを自分で書けることは知ってるので)
3番目の学校に行くたびにお互いの意見の相違でがーがーと、けんか、じゃないけど言い合うので私も疲れたし主名もそこに行くのを嫌がるようになったのでもうそこはやめました。
やめるとはまだ言ってなくて、しばらく休むとだけ言ってあるんですけど。もう行きません。

心情的には1番目の学校が、ゆるいけど甘くて楽しい感じで少人数で、来てる子や親もよくていいんですけど、直感は2番目の学校に主名を行かせる様に行っているので、多分11月からは2番目の学校に朝から主名を行かせることになるかと思います。
2番目の学校は25人の子供がそこに住み込んでて、通いが5~10人くらいでしょうか。
学校、という雰囲気です。
主名もそこは楽しいみたいで、昼ごはんも魅力的みたいです。

唯一、インド式トイレが主名にとって恐怖で、和式トイレみたいなやつですけど、もつ所がなくて、以前コダイカナルで主名は足を滑らせてはまって抜けなくなったことがあるので、怖がってて。
しかし、おしっこはまたがず立ったまま便器にすることでできるようになりました。
もし、うんこだったら主名はまだ一人では出来ません。
右手で手桶で水を流し、左手で洗うというテクニックもまだ身に着けてないので。
というか、便器をまたいで一人で座ることがまだできません。
どこかもつ所があるか、手をつないでないと。
今、家やアシュラムのトイレで練習してますけど、まだむずかしいです。

最近、朝はサウスインディアンキャンティーンで食べることが多いので、少しだけバジャンに出てから学校に連れて行っていますが、
ババがバジャンが始まってから家から出てくることが多いので、ダルシャンを受けてから登校できることが続いています。

【2007/10/09 14:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今朝
今朝はババはきてなかったみたいです。
(うちらは朝食後、バジャンの前半だけ出ました)
ホールもがらがらでした。
きっと、今日はババは来ないだろうと予想した人たちは来なかったのと、
昨日、多分相当数の人たちが空港からアシュラムまで夜の道を歩いて帰ってきたでしょうからみんな疲れて出てこなかったんじゃないかと思います。

今主名は一つ目の学校に行ってますけど、今朝9時半に主名を連れて行ったら、そこの先生は昨日は熱が出てたからマンションから空を見てたとのことでした。
なんも見えなかったと。
Lさんは教室の中でやっぱり携帯で誰かとしゃべりまくっていました。
インド人て、携帯もつと癖になっちゃうんでしょうか。
日本人もそう?

で、今日は生徒も少ないし行くところがあるから普段11時半のところ、今日は11時に迎えに来てとのことでした。
生徒が少ないとか熱が出たとか雨が降ってるとかなんだかんだ理由をつけてここの学校はしょっちゅう休みになったり早く迎えに来てとかいうんです。
ぜんぜん無理してません。
もうちょっとしっかり預かってほしいのが本音です。
たったの1時間半じゃあ、アパートに帰ったら余計疲れそうなのでこうやって近くのネットカフェに来ました。
今日は2~3人しか来てないみたいでしたけど、そういう時こそしっかり教えられるような気もするんですけど違うのかな。
月謝で払ってるから休みが増えても月謝は一緒なんでいいんでしょうけど。

昨日の晩、ここの学校に来てる男の子に妹が生まれたらしく、先生はその子の家にいくみたいです。
【2007/10/05 14:04】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
エアポートダルシャン!!?
エアポートダルシャン!!?

今日はすごかった・・・。
昨日から成り行きで、主名は3つの学校を掛け持ちしています。
といってもひとつが2時間だから合計時間はそんなでもなくて、主名は疲れてなくて、
私が送り迎えが大変だという。
今までの学校に10月分まで授業料を払ってるので、
もし学校を変えるとしたら来月からがいいので、今、他のところを試しているところなわけです。

で、3つ目の学校というか私塾は、夕方5時から7時までで、
ほんとは主名を置いて私は帰るなりなんなりするところを今日はそのままそこにいて
先生役のインド人の友人Sさんといろいろ話しをしたりしてたら彼女に電話がかかってきて、
今日の夕方のバジャン後にA・K氏よりいつものように
「ベリーインポータントです」とアナウンスがあって、
今日の夜7時からエアポートダルシャンがあるらしい、とのことでした。

電話をかけてきたのも知り合いで、6月から主名が行ってる1つ目の学校に行ってる女の子のお母さんのLさんでした。
で、その女の子は10月いっぱいで今の学校をやめて、
その後はここの私塾に午前と午後通わせることにしてるらしいです。
昨日、ここの私塾に来てみたらこの女の子がいたので、いやあ、プッタパルティは狭いなあと
再認識しました。
この女の子はすごいかしこい雰囲気で、わたしはひそかにLさん母子には一目置いていたのでした。
ちなみに昼間行った2つ目の、おじさんがやってる学校にも、6月から主名が行ってる1つ目の学校に来てる別の女の子が来てて、
みんな学校変えようとしてるんだなあと思いました。

で、そういう電話があったので急いでみんな荷物をまとめてLさんと合流して大急ぎで空港に向かいました。
わたしは買い物の袋とかも持ってたので自分のアパートの前を通る時にそれらは主名の学校かばん
と一緒にアパートの階段の下に放り込んで行きました。
主名がお腹がすいたとか言ってたので夕方買ったばかりの食パンの袋だけ持って。
時間はすでに7時前。

SさんもLさんも携帯で誰かに電話して情報を得ながら歩いていました。
彼女たちはともに上の子がババの学校の生徒だし、だんながアシュラムでなんかセバしてたり
アシュラムに家族で住んでたりするので、どこかから比較的確実な情報が得られるのでしょうか。

街は民族大移動の様相で、車がある人は車で移動し、ないひとはバスやオートリキシャにてんこもり
になって移動していました。
オートリキシャの屋根にあんなに人が乗ってるのははじめてみました。
普段は30ルピーくらいのオートリキシャは100ルピーくらいの値段を
言ってるようでした。

うちらのメンバーはSさんとその子どもと、Sさんが面倒を見てるらしい男の子と、
Lさんとその子どもとわたしと主名の7人でした。
私はその時携帯も持ってなかったしSさんとLさんの迫力ある2人(体重もかなり重そう)に
ついていくだけで。

SさんかLさんの知り合いで車を持ってる人が拾ってくれるのかなあ、なんて甘く考えていたのですが、
前方にとまってた大きなトラックの荷台に乗ってる男の人らにSさんは子どもをあずけ、
自分もさっさと乗り込みました。
うそー、と思って、Lさんに、これに乗っていくの?と聞いたら
彼女は嫌がって首を振っていました。
どのくらい大きいトラックかというと荷台に乗るには
軽く2メートルはよじ登らないといけないくらいのトラックでした。
荷台にはすでに人がいっぱい直立姿勢ですし詰め状態という。
Sさんも太ってるけどLさんはさらにかなり太ってるので、2メートル上の荷台の柵は越えられないだろうと私も思いました。
だって、足をかけるところもなし。どうやって?
わたしは100ルピー払ってリキシャで行こうかなー。。。と思って道路を見てるうちにLさんも上から引っ張ってもらって
トラックの荷台に乗りました・・・。うそ~。

わたしは彼女たちについていきたかったので乗る決意も決まらぬまま、
パンの袋を荷台の誰かに先に渡し、主名も荷台のだれかに渡し、
乗る意欲もないけど両手を挙げたら上にいた誰かが腕を持って結構軽々引っ張りあげてくれました。
いやー、興奮状態の火事場のバカ力ってやつでしょうか。(引っ張ってくれた人の)
だって、わたしは腕を出しただけで、自分の足とかほとんど使ってなかったんですよ。
足場もなかったから。

主名はそこらへんの男の人が抱っこしててくれていました。
主名はトラックに乗れて喜んでいました・・・。

私は気がつくとサリーのおなかのところがほどけて荷台の床にべろんと伸びてて、それをみんなが踏んでました。
全部脱げたかと思ってあせりましたが、お腹のところだけだったのでたぐりよせてまたはさみました。
でも、白いサリーだったので踏まれてすごい汚れですさまじい姿に・・・。
ずっとからだの具合が悪くてサリーは着てなかったけど、今日の午後に2週間ぶりくらいに着たらこれですよ。
まあ夜だしあまり気にせず行きました。
しかしサリーでよく乗ったものだと思います。2メートル上の荷台に。
こういうとき、サリーはまったく向いてません。

トラックはゆっくり動き出しましたけど、怖いですよ。
持つところもなく数十人がすし詰めで荷台にみんな立ってるんですから。
高さ50~70センチくらいの荷台の柵を持ってる人の肩とかをみんなつかんだりつかまなかったりしていました。
私も最初は手を伸ばして柵を持ってたけど低くて逆に怖いから横の人の肩を持ってました。
でもみんな楽しい感じでお互いを気遣い、いたわりあいながらでした。
ナンチャラカンチャラ、ジェイ!!とか叫びながら一行は空港方面に向かいました。
時々こんな光景
(トラックの荷台に山盛りになって乗ってる人々が興奮してジェイジェイ言いながら通り過ぎていく光景)
は目にしますけど、まさか自分がその中に入る時が来るとは思いもしませんでした。
SさんとLさんはやっぱり携帯で話し続けていました。
彼女の子どもらもどこかで誰かが抱っこしてたんでしょう。

空港の手前のガススタンドでトラックは止まり、みんなそこで降りました。
荷台の柵がパタンと倒して開けられたので、わたしも横の鎖をつかんでえいっと飛び降りました。
パンの袋も親切な人がキープしててくれて、ちゃんと手元に戻ってきました。
Lさんは「あなたはパンを持って来たのね」と言って笑っていました。
私はパンだけ、抱えて持って来たので。でも適切な判断。飲み物を買う暇はありませんでした。
Sさんは子どもと再会して喜んでいました・・・。
彼女はブラジャーのひもがちぎれていました。
なんと、わたしのアパートの部屋の、隣人のおばあさんも別のおばあさんと一緒にそのトラックに乗っていました。
おばあさん、「あんたもこれに乗ってきたんか??」と言ってて、お互い笑ってしまいました。
まったく、信じられない状況。完全に非常事態の様相でした。

ほとんどの人たちはそのまま空港までぞろぞろ歩いていっていましたが、
私らはそのガススタンドのあたりで「その時」を待つことにしたようでした。
ここは空が開けててよく見えるから、ということで。
私より彼女たちのほうが適切な判断が出来そうだったので私はなんも考えずに一緒にいました。

私はてっきりババが飛行機で空を飛び回ってダルシャンを与えるのかと思って、Lさんにそう聞いてみたら、
「No.Sky.」ということで、大空を指し示しました。
この夜空に何か(ババの姿!?)が現れてダルシャンを与えるという、
超自然現象が起こるということみたいでした。
「わー、そんなことが起こるの?」と、楽しみだね、と主名としゃべってました。
そりゃあ、みんな必死でやって来るわけです。
主名は飛行機のほうが見たいと言っていましたけど。
人がこの沿道にもどんどん来て、ずらっと並んで広がる畑の上の夜空に向かって手を合わせて祈っていました。

うちらも、立ってるのがしんどいから道ばたに座ってそれが現れるという方向を見て、
いちおう手を合わせてお祈りしていましたけど、
7時が過ぎて8時近くになってもそれが起こらないので、
空をにらむようにして真剣に祈ってるほかの人たちの手前、悪いかなと思いつつも主名と食パンを食べてました。
主名はかなり食べました。
他の子達にもすすめたのですがみんな断って、やっぱりこんな一大イベントが起ころうとしてるときに
物なんか食べないよなーとか思いました。
人もどんどんどんどんやって来ていました。
バスで来たり、歩いてきたり。

あちこちでおばあさんや子どももおしっこしてて、みんなが座ってるすぐ横でおしりを出してするので、
いくら夜といえどもなんかやっぱり感覚違うよなあと思いました。
で、その人たちはおしっこをしたそのほんの数十センチ横に座るのです。

そのうちSさんがパンちょうだいと言ってきたのであげたら、Sさんが子どもたちに配って食べさせました。
持って来た甲斐があったというものです。

Sさんが面倒を見てるらしい男の子がSさんの子どもの手を引いて道路を渡ろうとして、
車にひかれそうになったのでSさんはめちゃくちゃ怒って、
自分の子どものほっぺたをビシビシぶったたきまくっていました。
その子はもう叩かれ慣れていて泣きもしません。
その時男の子は賢明にもSさんに近寄らなかったという。

だれか男の人がきて、「空じゃない、こっちの道をスワミが通るんだ」と大声で言いました。
なのでみんな、ほんとかなあ、でもほんとみたいだなあというだるい感じで立ち上がってぞろぞろ道路を渡り、反対側に並んで立ちました。
するとまもなく、空港方面からほんとに警察の車に先導されたババの車がゆっくりやってきました。
(なんだ、普通のカーダルシャンだ)

みんな、わーっと車に群がりました。
わたしらも車のほうに行きました。
目の端でLさんがこけたのが見えましたが全然意識に入らず。
ババは深く倒した助手席に座ってだるそうにしていました。
「バカな信者がいっぱい、情報に踊らされてこんなところまで来て一生懸命待っていた・・・。
そして今、車に群がり進路を妨害する・・・。」
そんなババの心の声が聞こえるかのようなけだるい様子でした。

しかし私と主名は今日は学校めぐりでダルシャンが受けれなかったと思っていたので見れてよかったです。
久々の至近距離でした。
さすがに車を追いかけて走るほどの気合はありませんでした。

ババの車はうちらがいたところで本線道路から折れて裏道からアシュラムに戻っていきました。
ずらっと本線道路に並んでいた人たちはそこ以降は大空ダルシャンも車のダルシャンもなかったので、
うちらはラッキーといえばラッキーでした。そこで待ってる人もそんなに多くなく。

ババが通ったあと、Sさんはババの車についてた花をゲットしたらしくみんなに配ってました。
すごい気合。ワイルドすぎる。
わたしが一目置いていたLさんはこけてひじをすりむいて、死にそうな表情をしていました。気絶寸前、みたいな。
そんなすごい傷じゃないのですが、インド人女性はこけたりしたらよくこういう死にそうな状態になるような。

しかし、アシュラムで毎日ダルシャンがあるのに、今回みたいにこんなに
みんな必死になるのがすごいなあと思います。
だって、ほんの数時間前にアシュラムでダルシャンがあったばっかりで、その、同じババですよね。
おんなじ人が場所を変えるだけでみんな大興奮、って、その現象がすごいと思います。

もしほんとに大空ダルシャンがあったら、そりゃすごいことだなあと思いました。
みんな、それがあると思って来てたんですもん。
そんな、世紀の奇跡みたいな歴史的なすばらしい瞬間に立ち会えるなんてすばらしい、と、私も思いました。
でも毎日ダルシャンやってるのになんで今、空に?そういう超常現象の時期はもう終わったんじゃなかったんだっけ?とも少し思ったり。
ああ、いい夢見た。

そういえば、今朝は久しぶりにババの夢を見たのを今、思い出しました!
具体的なことは忘れましたが、
サルが木に飛びつくみたいにわたしはババに思いっきり飛びついて抱きついていました。
起きてから、最近、部屋にいてダルシャンの時間が過ぎたらあー、終わった、と
ほっとするくらい不真面目というか気合が入ってないのに、
しかもババを見てもなんも感動しないことがほとんどでほとんど義務感というか
ノルマみたいにダルシャンに出てるかんじであるのに、
なんで夢となるとこんなに激しいんだ??と、そんなことを思いました。不思議です。

どうやらババが帰って全部終わったみたいなので、SさんとLさんが
他の人が止めた大き目のオートリキシャを横からのっとってキープしてくれて、
それに乗ってみんな帰りました。
いやー、今回は肝っ玉SさんとLさんについていったおかげでなんも考えなくてすんで楽でした。
おかげで主名も私も気楽なもんで、疲れませんでした。

総勢9人の客がそのオートリキシャに乗りました。
プラスドライバーとその仲間が2人の12人。
子供みたいな男の子が運転しててそれがちょっと怖かったです。
払ったのは大人5人が10ルピーずつだして合計50ルピー。
今回はインド人主婦の金銭感覚を垣間見せてもらいました。100ルピーも払うわけがない、んですね。

「バーイ」と言ってそれぞれが家に帰りました。
ああいったい今日のはなんだったんだろうとそれぞれが思いながら。
車のダルシャン受けたからいいような、でも大空ダルシャンなかったなー、と。

すでに9時前だったので私と主名はチベットのお店に入って夕食を食べました。
エアポートまで行った他の客が話すのを聞くところによると、
エアポートは5~6千人の人が詰め掛けて満員で、スタジアムのようだったと。
ああ、沿道でのんびり待っててよかったなあ。
その人は店の人に自嘲気味にしゃべって笑っていました。

私も行ったと言って、見てこれ、と、笑って、派手に汚れたサリーを見せたら同情されました。
かなりひどい目にあったと思われたみたいで。
しかし部屋に帰って鏡を見たら確かに結構すごかったです。汚れ&着崩れで。

結局今日のはなんだったんだとみんな思ってるんじゃないかと思いますが、
ひとつの目的にみんなが実際移動して、集団意識ですけど、そういう妙な一体感で
その後もなんだか頭がしびれてるというか、開いてつながってるような感覚は持続しています。
ほんとにいったい今日のはなんだったんだろうか。

主名はトラックにも、大きいオートリキシャにも乗れて大満足でした。
すごかったねぇ~。また乗ろうね。って、彼はいうけどもう乗りたくありません。
【2007/10/05 13:40】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ババ
今朝はババはお休みだったと思います
(うちらは途中でぬけて主名の学校に行きました)
朝は最近はお休みのときが多いです。
でも午後は長く前に座ってることが多いです。

昨日はグジャラートのユースが歌や劇をしていました。
ババは楽しかったのか、プラサードがその人たちに1種類か2種類配られ、そのあとたぶんドーティーやサリーも配られていました。
指輪も劇の出演者に与えられたりしていました。

劇自体は現代劇で、何てことない感じだったんですけど、
踊りもいすに座ったまま両手を左右に揺らし続けるという練習もあまり要らなさそうな踊りで。
でもババは青年たちが好きですもんね。
写真とかも一緒にとっていました。

そのあとそのグジャラートの人たちがバジャンを歌ったみたいで、
素朴な感じでしたけどなんだかよかったです。

今はオーストラリアの団体も来てます。
行ったことはないけど、
青い空と海と大地の国から来た人たちかーと思いました。
いいところのイメージがあるので、なんでわざわざインドにくるのかなあ、とか。
それをいうと多分、なんで日本人がインドにわざわざ来るんだと思う人も多いだろうなと思います。
【2007/10/03 13:42】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
おじさんの学校
主名の学校も、6月に変わるように(直感で)言われてたけど人間関係とかそういうので変わる勇気も出ずに変わってなくて、
それもまたおとつい変わるように言われた気がしたので、こんどは動いてみようと思って、おじさんが校長の学校に昨日連れて行って、
今月は午後だけ試しに通わせてみることにしました。
午前は今までのところに行って。

おじさんの学校に紹介してくれた人はすでにそこの先生をやめて、自宅で自分の塾を開いていました。。。
いろいろあるんですね。
ほんの数ヶ月でこの変わりよう。
【2007/10/03 13:33】 | 保育園 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ヴェーダまた解禁になったこと。
おとついのダルシャンの時に、また、ヴェーダを教えるのをいわれたように思いました。
ずいぶん復活が早かったなあ。。。と思いつつ。

今後も続ける可能性のある人に、今後はものとかいっさい受け取らないことにすることなど言って、いちおうまた始めることにしました。
といってもしばらくはまだ休みですけど。
体調もまだ完全復活ではないので。

とはいっても、なんか気が抜けたのはかわらず、
教えれる気もしないんですけど、そのときになって力が流されてくるかも知れず。
【2007/10/03 13:28】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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