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11月30日何かにつかまっている私。
11月30日ブラフマムフルタムの時刻

今朝は昨日より少し遅く、5時半ごろに目が覚めました。
起きがけに奇妙な夢を見ていたのでそのことについて少し考えて、
その後お湯を浴びました。

見ていた夢は、大きなサメの目をえぐる夢です。
そのサメの目は2対づつ裏と表にあって、4つの目を持つサメでした。

わたしは多分海で何か頼りないものにつかまって泳いでいて、
そしたら海の深いところから大きなサメが上がってきて、
何かにつかまっている私の拳にかじりつきました。
振り払うともう一方の手にまたかじりついてきたので、右手の指でサメの目をえぐりました。
2つの目をえぐったのですが、サメの目は柔らかくてぐにゃぐにゃしていて、
ダメージを与えなかったようでした。

海でしたがとがった石が落ちていたのでそれを手にして、また、サメの目をえぐりました。
2つの目をえぐったら、とがった鼻先の裏にもう一対の目があって、それで見ていたので
そちらもえぐりました。

するとサメはもう目が見えなくなって、匂いを頼りに噛み付いてこようとしていましたが、
もう私の場所を的確にとらえることができなくなって、私の危機は去りました。

わたしは砂浜に上がり、浜辺でやはり危険性のある大きな海洋性肉食獣(あざらしかなにか)を
岸に引き上げている人たちがいるのを見たので、
専門家に報告しようと思い、その中の信用できそうな一人の男性に話しました。

私が目をえぐったサメは若い個性の薄い男性の姿となって、
岸近くの海を腰まで半分海の中でしたが歩いてさまよっていました。
私は専門家の男性に「あれはサメなんですよ」と、
海を亡霊のようにさまよっている若い男性を指して言いました。

私が場所を移し、海辺の室内で専門家の男性に話した内容は、
自分がダンボールか木切れのようなものに捕まって海に浮かんでいたらサメが来た。
サメは一回目はそのうちどこかに行き、次にくじらが来た。
そして再びサメが来て、手に噛み付いてきたので目をえぐった。
というものでした。

専門家(キケンな大型海洋生物を扱う専門家)は、
「危害を加えてはだめなんですよ」と、少しいいにくそうに話しました。
私は、だって、子どもも一緒だったし、危険でした。子供は気にしてませんでしたけど。
と言いました。
それを聞いて専門家は、「危険だった」と、納得の様子でした。

私は終わったことだけども、自分の尋常でない体験を専門家に話し、
それを受け止めて聞いてもらえることに対して安堵感のようなものを感じていました。

そんな夢でした。

4つの目というのは、と思ったときに浮かんだのはエゴと3属性の4つでしたけど、
単に連想かもしれません。(3属性=(浄性・激性・鈍性)=プラクルティ、客観・現象世界)

今、そういうのを書いてた箇所を探そうとしたらこういう箇所がありました。

「鉄の棒は水に沈みます。しかし鉄を鍛えて空洞の船にするならば、鉄は楽しげに水に浮かび
 荷物をのせることもできます。それと同様に、感覚の海に簡単に沈む人のこころを、
 至高の神の御名によってハンマーで鍛ち空洞にしなさい。
 そうすれば、困難の海に安全に浮いていられます。」御名の響きp243~244

夢の中で感覚の海に体半分浸かって辛うじて浮かんでいた私は、
自分をどうこうするより海の恐ろしさのほうをなくそうとしたのでしょうか。
じたばたしている自分をよくあらわしていると言えば言えるかもしれません。
ほんとうは自分自身が空洞となって安全に浮かんでいられる状態にするのがベストなんでしょう。

時々こういう、夢で指導してくれたりアドバイスしてくれたりする人がいてますけど、
話せる人がいたらいいですね。

こんなのもありました。

「【連続してくりかえされる生と死】の洪水を無事に超えるには、
 【ニシュタ】<堅固な修行>という橋がなくてはなりません。
 さもないと、荒れ狂う波間に墜落し、情欲や怒りという鮫の横行する深海にひきこまれます。」
 御名の響きp262

海に入らないのが一番安全みたいですけど、夢ではすでに泳いでいる私でした。

「一日二十四時間のうち、六時間を個人的必要に、六時間を他の人への奉仕に、
 六時間を睡眠に、六時間を至高の神の憶念にあてなさい。
 このようにすれば、あなたは鉄鋼の強さを得ます。」
 御名の響きp269

主名が一日7時間学校に行き、早朝の時間に目が鮫・・・じゃない、目が覚め、
必然的に6時間睡眠くらいになってる今は、この時間配分に
近づいたのでしょうか。
この鉄鋼は船になれるのでしょうか?
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【2007/11/30 14:06】 | 夢(サイババ以外) | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月29日ブラフマムフルタムの時刻
11月29日ブラフマムフルタムの時刻

ブラフマムフルタムの時刻(ブラフマンの瞑想に当てるべき暁の吉祥の時刻)というそうですが、
今朝も早朝に目が覚めました。
今朝はナガラサンキルタンが前の道を通って、主名が見たがったので
外で見せて、今日はその後2度寝に成功しました。
・・・・って、ほんとはその時間に起きるのがいいそうなんですけど。

最近4時半とかそういう時間に目が覚めることが多いです。
寝るのはいくら早くてもせいぜい10時とかなんですけど。

以前やっぱりこれくらいの時間にばちっと目が覚めてしまう時期がありました。
その時はしょうがないので住んでたアパートの屋上に行って毎日日の出を見て、
散歩をしてから仕事に行ったりしていました。
多分、何か理由があって起こされてるんだろうと思ったので
日の出を見るのを一種の瞑想のように扱っていました。
寒かったんですけど。
周りに高い建物もなく、その屋上は好きな場所でした。

早く起きるといいらしいので、なるべく、早朝に目が覚めてもそのまま起きていようと思えるように
早く寝ようかと思います。

昨日も確か早くに目がさめて、昨日はそのまま起きていたんだったと思います。
主名が学校に行ってる間にすごした昼間の時間が気持ちのいいものだったので、
主名が学校から帰ってきてからのギャップが耐えがたく思いました。
今まではずっと一緒で感覚が麻痺してたから分からなくなってたけど、
一人の時間を過ごして自分自身でいる感覚がよみがえってくると、
子どもといることはどれほど干渉しあった関係であるかということが
おのずと明らかになって、苦痛を強く感じました。
昨日はかなりそれが耐え難くて、しかもうちらは2人なので関係性に逃げ場もなく、
この拒絶反応は厳しかったです。

ババが私の心の中に、主名を今の学校に行かせるようにと指示をし、
学校を変えてみると離れている時間が以前の2時間から7時間へと大幅に増えました。
以前の母娘でやってる学校に行かせている間は何の心配もせず、安楽にお互いの癒着関係に
それなりに満足して暮らしていたわけです。
今度の学校ではどちらかというと男性的な性質の学校なので、(先生も男が二人)
私たちの癒着関係にも変化が生じ、
勉強も急激に進みましたが、主名は学校でほとんどやってこないので
毎日1~2時間は私が家で見てやったりして、急に受験モードになりました。

お互いの時間をすごすようになって、
私は子どもの存在によって周りとの関係性もいかに違ったものになってるかも
改めて思いました。
一人でいる時のなんとシンプルなこと。
子どもが横にいるとよかれあしかれ周りから干渉される機会がすごい多いです。
子どもといないと、それらの干渉は蜃気楼のように消えてしまいます。
すごい違い。
子どもはよかれ悪しかれ、自分に大穴が開いていて、
そこから何でも入ってくるトンネルのようなものと感じます。
わたしと主名の場合の関係ですけど。
だから自分自身でいれるわけもなく。
そして、子どもといる時の自分は常に無理していて卑屈な感じもあり、
あんまり好きじゃないです。
そして、子どもといる時に自分自身でいると子どもはついて来れません。

うちらは基本的に相性は実はそんなによくないらしくって、
というのはつまり、お互い一緒にいて生かしあう関係ではなかったり、
いということと思いますけど。
なので母子癒着の3歳くらいまでの、自他の区別があいまいなころまではまだいいんですけど、
乳離れしちゃってそれぞれの個性を出すころになるともう相容れないんだろうと思います。

(29日ここまで)
【2007/11/30 14:01】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月28日読書「御名の響き」
「御名の響き」(N・カスツーリ著)p289より
「【サーダナ(霊性修行)】には4つの段階があります。
第一は人を【スローキア】にみちびきます。それは神の王国にいることであり、
王の命令に服従し、忠実であり、王のささいな望みをも尊敬し、誠実に王に仕え、
あますところなく王に尽くすことを意味します。
次の段階は【サミーピア】です。それは、廷臣、侍従、召使として宮殿にいることであり、
王の側近にいて神聖な属性をつちかいます。
第三の段階は【サルーピア】です。それは、修行者が王の姿を吸収すること、
すなわち王の兄弟か近親のように、王冠や王としての飾りを身につける権利をもちます。
最後の段階は【サユージャ】です。それは皇太子として王位を継承し王となることです。」

これは王、つまり唯一者を知っていることが大前提で、
これを思うとき、霊性修行が始まる、つまり神を知り、それとの合一への道を歩むなら
その人はその道にいるということである意味すでに解脱しているといえるような。

以前日本のセンターに来てみんなの前で話をしたインド人聖者に
解脱の段階について質問をしたときに、彼女はやっぱり4つの段階について話をしました。
この本のこの箇所を読んだときに、あの時彼女が話したのはこのことじゃないのかな、と思いました。
彼女が話したのは解脱の4つの段階についてでしたけど、
内容を見てみると同じような感じです。
何年も前だしうろ覚えですけど、彼女が話した段階とは、
最初が神と同じ場所にいること、(たとえて言うなら日本の中でだと同じ神奈川県に)
次が神と似たものになること
3番目が神と一緒にいること(たとえて言うなら神奈川県の中の同じ横浜にいる、というようにさらに範囲が限定される)
そして最後に神と一つになること、
と、そんな感じだったと思います。

しかし、色んな表現があるみたいだし、結局よくわかりません。
段階にしても、7段階あるという場合もあるみたいですし、
別の数字が出てくる場合もあるみたいですし。
グラデーションの、どこで切るかという問題かもしれませんし、そうじゃないかもしれません。
7段階だとチャクラの数に対応させて考える場合もあるみたいですし、
結局、自分の体験に照らし合わせてちょっと参考にする程度にしか
この手の知識は役立たないのかもしれません。

しかしこのインド人聖者にこの話を聞いたときに自分でじぶんにあてはめて解釈したのは、
最初の段階はニルビカルパサマーディ(この時点でなんかへんですか?)
次が現実世界の中に降りてきて、サマディー前の自分個人に付着した概念の除去の完了。
3段階目がサイセンターの定期的な活動に入ること、
4段階目はその時は予想もしなかった、インドに住むことでしょうか。
でも、それじゃあここにいることでおしまいですけど、まだ終わってないという。
(あくまで自分の場合で照らし合わせただけなので、4段階目イコールインドに住むことを意味するわけではありません。もちろんのこと)

詳しくは忘れましたけど、以前読んだバガバッドギータの本の中で、解説に、
神のヨガ、とかいう語句が出てきていて、
人間のヨガは神と一つになるのが目的の、より統合された状態に向かうヨガですが、
確かその本で言うところの神のヨガとは、神が個別のものへ分かれていく多となるヨガだったと思います。
自分のサマーディー前に付着した個人にまつわる概念の除去を行ったときに
自分はいわゆる神のヨガのようなことをしたなと思いました。
究極の分離状態を目指していったので。
そして全部なくなって完全に神から離れた自分個人というものを見据えようとした時に
そこに何もないことを発見したのでした。
ニルヴィカルパサマーディが光のサマディーならそれは闇のサマディーでした。

そしてそれからは何もないまま、その自分個人は何もないという認識とともに
衝けばすぐ壊れる仮の個人性をたずさえて、
実際ほとんど壊れたままで再び世界全体つまりサイババへと接近していく方向に転じたのでした。
つまり人間のヨガです。

女聖者がサイセンターの活動を熱心にしているようなアクティブワーカーの人たちは
解脱の先の段階にいると言ったことについて、
解脱の、進んだ段階にいるということだと思うので、
この4つの段階で言うなら少なくとも3段階目以降じゃないかと思います。
7つの段階で言うなら6段階目以降。最終局面ということで。
こっちに長期滞在してる人たちもそれにあたるんじゃないかと思ったりもします。
ただ、センターはバクタ的で、長期滞在者はニャーナ的なような。

霊性の段階を7つに分けるなら、3と4の間に大きなギャップがあり、
3までの進み方は遅いけど、4に行くと飛躍的に早くなると何かで読んだ覚えがあるので、
7つの段階の4が解脱じゃないかなと思います。
で、4,5,6,7の4つの段階が先に書いた解脱の4段階に当たるんじゃないかと思います。

インド人や沖縄県民は基本がこの7つで言うと4以上なんじゃないかと思うときがあります。
常に神とともに日常を生きているようなところがあり。
どちらも悠久の時間の中で生きていて少々の遅れは気にしない!?失礼。

7つでいうところの4はハートのチャクラに対応するんでしたっけ。
ハートが開いてその中に神が住むようになることが解脱というならば、
アシュラム内でババの許可の下で行われているバイブレーションメディスンで、
ハートのチャクラを開く効能の薬があったりすることにも思い当たってきて。

もう朝の8時を過ぎたので朝食を食べに行って、主名を学校に送り届けてこようかと思います。
今日は主名も早めに起きてブロックみたいなやつを組み立てて真剣に遊んでいます。
私のほうが用意に時間がかかるので。
【2007/11/28 17:11】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(1) |
11月28日早朝
11月28日早朝

早朝に目が覚めて、そのうち下の階のおじいさんたちのアルティの声と鐘を鳴らす音が聞こえ、
そうこうしてるうちに1~2時間が過ぎたので2度寝をあきらめて起きました。
もうじき6時です。

インターネットに部屋で接続できれば便利だと思うんですけど、
電話線を引くのが億劫とか、いつまでこの部屋にいるか分からないとかそういうのもあり、
また、今、常時接続できると余計なものを見て影響されちゃったり、
逆に余計なことを即時発信しちゃったりする可能性が高いので、
今はしないことになってるんだろうと思います。
ワンクッションおいて、そして時間制限を気にするネットカフェで
ネットにつながる程度がいいんだろうと思います。

寝床で考えるともなく考えていたのは、
コダイカナルでサハジャニルビカルパサマーディをババに承認してもらったようなものですけど、
で、サハジャニルビカルパサマーディは、ラマナマハリシの本では最終的なものと
書かれてありましたが、そうじゃないと思います。

私の念頭にいつもあるのはニルビカルパサマーディ(だと思うんですけど)の超絶状態で、
以前それのみであった時には肉体をそのまま維持して、しかもその状態であるということは
考えられなかったんですけど、
今はそういう概念が出てきてるので、ということは可能であるということなんだと
思ってるわけです。
で、今そういう状態か?というと、全然違うので、
もし今の状態がサハジャニルビカルパサマーディならばそれは最終的な状態では
全然ない、ということが言えると思いました。
今の状態は言うならば単に、2元性の中で自分自身に立脚した状態じゃないでしょうか。
ニルビカルパサマーディは2元性はもとより、自分自身とかいうのもぶっとんで、
あれこれ考える余地のない圧倒的な、隙のないものでしたから。
今のこの自分の状態が最終的なものだとするとあまりにもお粗末じゃあないですか?
今ここでこれを最終的なものだとするのは思考停止して眠りにつくようなもので、
自分にとって覚醒とは言いがたいです。

ニルビカルパサマーディの時にもしそれが解脱で、
そこから解脱の各段階が始まるスタート地点であったなら、
その後の自分の一見堕落や混乱であるような道程も段階が進んでいたといえるのでしょうか。
そうかもしれません。
段階とかいうのはこの世界でのことですから、この世界で自由に生き続けるならきっと、
世界を自分自身の中に含む作業が必要で、
きっとその作業の進み具合が段階と称されるのでしょう。

ラマナの本にありましたが、
解脱の各段階という区別はあっても解脱それそのものには差がないそうで、
多分、いっぺん解脱してしまえばその後どの段階にいても、
肉体を離れた時に神実現して、基本的にもう生まれてこないことになってるんだろうと思います。
そして、解脱後、この世界で解脱のどの段階にとどまるかというのは
当たり前ですけど、(解脱それ自体がが個人性からの脱却を意味しているので)
もう個人の意志や努力でどうこうなるものじゃなくて、
自動的に決まってるものだそうです。
どういう風に本に書いてあったかは忘れましたが、過去生からのものとか、そういうのだったでしょうか。

ところで、モクシャとニルヴァーナってどうちがうんですか?
以前読んだババの質疑応答の本に仏陀は直接ニルヴァーナに達したとあったんですけど、
どう違うのかなあ、と。
直接、というからには間を飛ばしたということで、モクシャ(解脱、ですよね?)
の最終段階の世界がニルヴァーナなんでしょうか??
【2007/11/28 17:00】 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) |
本屋
今朝はダルシャンはありませんでした。
SSOJのHPで新刊が出てると知ったので、アシュラムの本屋にも
降誕祭のときに誰かが持ってきたかもと思ってのぞいてみました。
希望の本はなかったですが、仏陀祭のときのことが載ってるサイラムニュースがあったので、それとか、ほかに薄いのを2冊買いました。

19日のレディースディのDVDが出てたので、早いなあと思ってみてたら、そのうち降誕祭のDVDも並べられたので一つ買いました。
降誕祭、私らは行けなかったけどどんなことしてたのか部屋で見れます。安楽。。。

仏陀祭の講話で、ヴェーダの言葉が少し話されて、意味も載ってました。
唱えるとき普段意味はほとんど気にしてないのですが、やっぱりあたりまえですけどそれぞれ味わい深い意味があるんだなあと再認識しました。

太鼓の人の体験談を読んで、ぞわっと鳥肌が立ちました。あの、いい意味で。

サイラムニュースで日本人の寄稿を読んで、日本のセンターのこととかを読んだ後に顔を上げると、自分がどこにいるのか良く分からないような奇妙な感覚がして面白かったです。
アシュラムのコーヒー屋さんでコーヒーかってそこらへんで飲みながら読んでたので。

ひさしぶりにウエスタンキャンティーンで昼食を食べました。
一人で食べると静かで楽で無駄な動きをしなくて良くて、ああ、
昔ひとりで来てたときはこんなんだったんだなあと思いました。
【2007/11/28 16:51】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
最新画像
SSOJのHPにプッタパルティの行事の最新画像が出てて、見ました。
画面で見るときれいですねぇ。。。色鮮やかで。
いっぱい飾りつけとかやってるから、それだけでも一冊の写真集になるだろうなあと思ったことを思い出しました。
【2007/11/27 18:25】 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) |
何ですか?シヴァ。
今日の午前中、部屋の掃除をしていた時に、
降誕祭のときに道端で配ってたバンガロールのショッピングモールのチラシの上に
知人がリシケシからわざわざ人を通じてくれたシヴァ系のヴェーダのカセットテープのラベルがたまたま並べて置いてありました。

チラシを捨ててラベルを片付けようとしたときに、そのチラシとラベルに印刷されてあるシヴァの像が似てるなあ、と思ってよく見たら、まったく同じ像でした。
よくよく見たら、一方にはない傷がもう一方にあるように見えたりして、
同じ型から作った別の像かもしれませんけど、大きな像のようですし、
2枚の印刷物に接点があるようにも思えなかったので何事かと思いました。

なのでめずらしく座って、ババの写真に向かって「なんですか?」
と聞こうとしてみたのですが特に意味もなさそうでもあり、
ありそうでもあり、意味を超えたところに意識が行ってシラッとしたところで、コダイカナルの日記の完結編の仕上げをしてネット屋に持ってきました。

しかし、シヴァみたいに天に向かってうず高い髪型で、頭から噴水が出てる(ガンガーですけど)人が町にまじめな顔をして存在していたらギャグかと思って楽しいだろうなと思いました。
【2007/11/27 18:13】 | 心の中の声 | トラックバック(0) | コメント(0) |
キャンティーン
主名を学校に行かせてる日はサウスインディアンキャンティーンで昼食を食べることが多くなりました。
外からだと近いし、安いし、味がいいし。
今日は遅めに行ったので食べ終わるころにはキャンティーンの全体掃除が始まっていました。
あの広い床をぬれ雑巾で手拭き。。。毎回こんなことやっていたのか。。

私らだったらふつうはモップを使うとか考えますけど(ウエスタンキャンティーンはモップや機械使ったりしてます)
なんか、セバダルの仕事って、寺の修行なんだなあと改めて思いました。

サウスのご飯を食べながら、今日は、サウスのご飯って、潜在意識に働きかけるなあ、と思っていました。
なんか、中身だけ。実質だけ。気を散らすものとしての感覚を働かせない、というきがして。
もちろんそれなりにいろどりとか考えてるかもしれないんですけど、
実質の化身、それがサウスのご飯。と思いました。

おいしいです。今日は全体に辛めでしたけど。
外で生活の糧を得るために食事を提供してる外食の店とは本質的に違うということを改めて感じました。

アシュラムにいて、毎日同じようなことをやってますけど毎日が違うし、同じものを見てても日々捉え直しがあったりするのが面白いなあと思います。
以前はいろんな場所に行っていろんなものを見たり体験したりすることが面白かったけど、ここにいると一箇所にいても中身が日々違って体験されるので、自分が日々旅行してたころと同じことを、違う角度で行っているんだなあと思います。
外側に焦点を当てて体験を追い求めていたものから内側を見てその変化を体験するように。
どちらも同じことをしていると思います。
そしてそれが楽しみなんだろうなあと思います。
【2007/11/27 17:57】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
コダイカナルで4通目と5通目、そして6通目の手紙を渡したこと。
コダイカナルで4通目と5通目、そして6通目の手紙を渡したこと。

コダイカナルで書いた4通目と5通目の手紙はそれぞれ次の内容だったと思います。
「今、主名に、プッタパルティのあなたの幼稚園か小学校への入学許可を与えてください」
「もし私の状態がサハジャニルヴィカルパサマーディなら、手紙を受け取ってください」

主名の学校に関しても、許可を求める手紙を受け取ってもらいはしたものの、
もっと突き詰めてみようと思って、「今」と「プッタパルティの」をつけてみました。
サマーディに関しては相変わらず自覚が持てないし実感もないので、確認してみようと思って。

その日は5月6日、イーシュラワンマデーでした。
マドゥライやチェンナイやその他各地からコダイカナルに帰依者が押し寄せました。
うちらは早めに行ったのですが、
アシュラムの中に入るのはあきらめたかやめたかして、
アシュラムの庭かなんか、広場みたいなところに座っていました。
そこには整理券を持った村人が大勢いて、プラサードが配られる予定になっていました。
最初中央通路の横に座っていたのですが係りの人らにどけと言われたので、
外国人の知人らとともに広場の端の道ばたに座りました。

そしたらダルシャンが始まってしばらくして、ババが建物に続く坂道を車いすで降りてきて、
そのまま広場に入ってきました。
隣の知人の「スワミ、プリーズカムヒアー・・・」とつぶやいて祈る声が聞こえました。
そして向こうの通路をぐるっと回り、一周して私たちの前まで来ました。

主名が手に持った2通の手紙を差し出すと、ババはやはり手紙を差し出しているほかの人や
私たちに、手で待て待て、というようなしぐさをしました。
ああ、やっぱりこの手紙はだめか、と思ってあきらめて引っ込めてババを見ていました。

ババは私たちのいる目の前で止まり、そのままそこにずいぶん長くとどまって(と、感じました)いました。
プラサードのこととかを指示してたんだと思いますが、
係りの人たちになんやかんや話していました。

うちらは超至近距離(1メートルくらい?)にババがいたので、うおー、ラッキー、と思いながらその姿を見ていました。
ババはあっちを向いたりこっちを向いたりしてずっとすぐ目の前にいました。
うちらはこの非現実的な貴重な光景を一瞬も逃すまいと、固唾を呑んでババを凝視していました。
もちろんこんなところに群集もいるわけもなく、一列しかないので最前列です。
そのうちこちらに後姿を見せてさらになにやら指示を出していました。
わたしは、ババの後頭部をこんなに凝視する機会はあんまりないよなー、と思っていました。
車いすなのでババの頭は目線より下になるのです。

ずいぶん長い時間が過ぎたように思いました。
実際は5分かそこらだったのかもしれません。
ババがこちらを向いて、付き人に指示を出し、その場所から折り返して移動しようとしました。
その時、さっき私たちと一緒に手紙を渡そうとした人がまた手紙を差し出して、それが
ババの手に渡りました。
わたしは反射的に主名の手にまだあった手紙をババに渡すように促しました。
付き人がそれをババに渡し、
こんどはあっさりババの手に渡りました。
「あ、受け取った」
と思いました。

前回までの3通の手紙を受け取ってもらった時は感動しましたが、
今回はまったく感動せず、びっくりするくらい何の感情もわきませんでした。
情動ゼロ。達成感もなし。受け取ってもらった実感や充実感もなし。ゼロ。無。。。虚空な感じ。。

前回や前々回のようにババがわたしたちの手紙を取るようにという指示を付き人にだすところを
見なかったというのもその理由かもしれませんし、別の理由もあるかもしれません。
なんかドサクサ紛れのような気もして、いいのかなあ、とか思いましたが、
でも、もしそれが受け取るべきでない手紙ならババは後でそれを選んで放り投げて返したりもするし、
受け取ったというのは事実なのでいいんだろうなあ、と思いました。

ババは係りの人に、私たちにサリーを配るように指示しました。
そしてその場にいた、
ババの至近距離のダルシャンを偶然のように享受した幸運な5人ほどの女性たちに
ピンクのサリーが配られました。
これは思いがけなかったことであり、ババの指示する姿を見たからということもあってか嬉しかったです。
情動あり。だったと思います。が、実は忘れました。

そしてババは広場へ入ってきたのと反対側の通路から
アシュラムの建物のある場所へと帰っていきました。

わたしは自分の感情のありようをうまくつかめなかったのですが、
同じように横にいた知人の奥さんを見ると
彼女は至近距離の、普段ないような長い時間のダルシャンを与えられたことに大・大・大感激して
すごく興奮していました。あと、サリーがババ自らの指示で私たちに与えられたことに対して。
その大感激の光輝く表情を見たことにより、私も感激しました。
別の、やはりその場にいた女性はやはり喜びで胸がいっぱいでくるしい、といったかんじで、
「今日はもう充分だわ」と胸を押さえながら帰っていきました。

広場に集まった村人やその他の人々に私たちに与えられたと同じピンクや、他のいろんな色のサリーが配られ、
男性にはおそらくドーティが配られ、みんなに食事が振舞われました。
主名とその場でもらって食べました。
人の流れが激しくなったので場所を変えたり、人の流れを避けたりしました。

そしてその後、建物のある場所もすいたみたいだったのでそちらに行きました。
そちらでもババの姿が見られました。
食事はこちらのほうがあとに配られていましたが、
私たちはもう食べたのでもう食べなかったと思います。
主名はだれかに甘いのだけもらってさらに食べたかもしれません。

この日それらの手紙を受け取ってもらい、主名の入学の時期はふつうは再来年なので
「今、入学許可を」と書いたので
「待て待て」といわれるのは当然で、でも受け取ってくれたなあ、と思いました。
自分に関してはやっぱり実感がないけど、そもそも
サハジャニルヴィカルパサマーディってなったらどういうものか知らないからよくわかりません。
「待て待て」つきだったから、まだもうしばらく後になるのか、
あれ?でも、前回の「今与えてください」の手紙ははっきりババ自らの意志で受け取ってくれたし。
今回のも一応受け取ってくれたのは事実だし。

はっきりいえることは、これ以上、このことに関しては手紙に書きようがなくなったということです。
よくわからないまま。
まるで蛇ににらまれたかえるのよう。
実感はないけどババがこれに関して3通の手紙を受け取ったのでその状態になっていないともいえなくなって。
そのことに関して考えようとすると思考が停止する状態にされてしまったかもしれません。

知人の奥さんは家族とタクシーでその日のうちにバンガロールへ向けて出発しました。
わたしと主名も8日に、飛行機でコインバトールからバンガロールに行きました。
ババはその後18日くらいまでいたと思いますが、
私は子連れで、ババが移動したあとの込み合う中で首尾よく移動する自信がなかったのと
予算も尽きたのと、
もう、満足したと思ったので他の人たちより早めに移動しました。
あ、あと、ホワイトフィールドでゴークラムと言われてる家族が泊まれる施設に泊まろうと思ってたこともあり、
早くに行って様子をみようと思ったりもしたんだと思います。
しかしここはババが来て人が多くなると4人以上の単位じゃないと泊められないといわれました。

6通目の手紙は、手紙を渡すことに味をしめた主名に「今日は手紙ないの?」とせがまれて、
「ホワイトフィールドとプッタパルティに子どものための公園を作ってください」
と書きました。
最後のダルシャン、8日の午前のダルシャンでババはそれを受け取ってくれました。
8日の前にすでにその手紙を書いていたのですけど、こんな内容、いいのかなあ、と
躊躇した時は前をババが通っても渡せませんでした。
やはり、心からの願いじゃないと渡せないものだなあ、と思いました。
でも、公園の件もそれなりに切実だったので、最終日にそれはババの手に渡りました。

コダイカナルはなかなか面白いところでした。
帰る前日にはこれが最後と思って、奮発して乗馬で長めのコースを行ってもらったりしました。
ボートもいっぱい乗ったし、ふうせんやシャボン玉やおもちゃもいっぱい売ってたし、
アイスもおいしかったし、ご飯もおいしかったし、かわいい雑貨もいっぱい売ってたし、
人も穏やかで友好的でとてもよかったです。

その後ホワイトフィールドに移動して10日間くらいいた時に、
主名の要望を受けてわざわざ列車でバンガロールに遊びに行ったことがあって、
その時バンガロールの町中に遊園地があるのを知りました。
一回しか行きませんでしたけど、遊具もいっぱいあって、かなり広くて、
主名もすごく楽しんでいて、おもちゃの汽車にも乗れたし、
言うことなしでした。
小さな水族館までありました。

プッタパルティでは、今主名が通ってる学校の道路を挟んだすぐ向かい側に
4つくらい遊具が設置してあって一応人が門の開閉時間を管理してる無料の小さな公園がありました。
砂が厚く敷き詰めてあって、こけても大丈夫だし、どこでも砂遊びができるという。
なので学校帰りにときどき寄って遊んだりしています。
ちょっと遊具があると、子どもたち同士でも遊びが広がっていいみたいです。
望みはこういう形で間もなくかなえられたようです。

コダイカナルでのダルシャンのこととかはなかなか書きづらかったので
放っておいたのですが、再三書くように促しを受けたので、
降誕祭の捧げ物としてババに受け取ってもらえれば、と思ってここに書きました。
誰が誰に捧げるのか?受け取るのは誰か?

そもそも誰が働いているのか?
この世界には誰がいるというのでしょう。

オームシュリサイラム
bara

(コダイカナルでの3箇所目の宿泊場所の女の子が撮ったバラ)
【2007/11/27 17:33】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイラムマー
さっき、道端で
「サイラムマー。ハッピーハッピー、なんちゃらかんちゃら、ハッピーハッピー」
と言われました。
あの人は若いけどお坊さんと思います。アシュラムの行事で前で坊さん業を遂行してるのを何度か見たので。
知り合いのような顔で話しかけてきて、ついついわたしも知り合いのように笑顔を返しましたけど、人違いでもしたのでしょうか。
それとも、子供を学校にやり、キャンティーンで昼ごはんを食べて、ミルクティーを持ってネット屋に向かう私の姿がそんなにうれしそうだったんでしょうか!?
【2007/11/27 17:29】 | 人間模様 | トラックバック(0) | コメント(0) |
降誕祭が終わり。
数日前に降誕祭もおわりました。
今朝はダルシャンはお休みでした。
降誕祭の前の日からしばらく、主名は家にいて、喘息治療と、少し良くなったらアシュラムに行って遊んだりしてて、
今日からまた学校に行きました。

昨日の午後のプログラムは南ヨーロッパの人たちだと思うんですけど、バジャンを軽快にコーラスで歌ってて、軽くてなかなか良かったです。

降誕祭前はすごい警官と警備でしたが、終わった翌日にはもう警備もとかれてすぐに通常の雰囲気になりました。
プログラムはしばらく、午後なんか7時くらいまですることが多いです。
人も減りました。
【2007/11/26 13:36】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
降誕祭前ですが。
明日は降誕祭ですが、今日主名のぜんそくがでてるし、あしたも部屋でおとなしくしてると思います。
ブログで様子を垣間見ようかと思った方がいたら、あしからず。
でも人は今日すでに町にもあふれています。
日本でも各地で降誕祭が行われるみたいですね。
去年はどうしてたっけ。。。
たしか大阪の降誕祭に行ったんだっけ。
【2007/11/22 23:38】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
コダイカナルで3通目の手紙を渡した時のこと。
コダイカナルで3通目の手紙を渡した時のこと。

今年のコダイカナルのことの続きです。
ババに1通目と2通目の手紙を受け取ってもらったその日の午後に
アシュラムから歩いて20分くらいのところに宿泊場所を変えました。
宿には主名より2歳くらい年上の姉弟と、12歳くらいだったか、
がたいのいいお姉ちゃんがいて、その子たちが常に遊ぼうと訪ねてきました。
泊めてもらったところが従業員用の部屋だったものですから余計に心理的な垣根がないようで。

年上のお姉ちゃんは宿で飼ってるはとを捕まえてきて、主名に持たせてくれたりしました。
主名もすごく嬉しそうでした。
あと、庭のテニスコートでみんなでボール遊びをしたり。
宿の横の斜面の木々を男の人たちがロープで引っ張って次々倒していました。
何か建設する予定でもあるのでしょうか。
迫力満点でしたけど、こんなに大きな木をあっさり倒しちゃっていいのかなあ、とか思ったり。
木を引っ張るときの掛け声は日本のそれと一緒でした。
どんなんだったかもう忘れましたけど、いやさっ、いやさっ、とかそんなんでした。
しばらくの間、主名も真似してました。
部屋は狭かったですけど、暖かいつくりになってて、
分厚い毛布も持参してたし、
気候も少しずつ暖かくなってきてて防寒に関して問題はありませんでした。
宿のお母さんや息子であるオーナーも問題なく。
コダイカナルの人たちはなんとなく穏やかで、みんな人がいいように思います。
ここにいるとなんだか自分まで愛にあふれるような気がしました。
ただしそれはダルシャンが始まるまでのこと(なぜ!?)

宿の不満は出るわけもなく、いえる立場でもなかったのですが、
ただ、初日に子どもたち3人がこの狭い部屋に遊びに来て、しょうがないから食べ物を出したり、
パソコンでDVDを見せたりして遊ばせたんですけど、
何時間もいて帰る様子がなかったので疲れたからもう寝るとか言って帰ってもらいました。
一応、朝毎日ダルシャンにいってるので休みたくて。
で、その日にだったかわたしが具合が悪くなって、下痢してたと思います。
なのでその日と次の日くらい外出を控えて休んでいたかもしれません。

日記はババがコダイカナルに来てダルシャンが始まってからというもの、
自分の内面と外面の変化や動きが激しすぎて、また、手紙を受け取ってもらったことも
非常に深く、存在全体で、しんから感動したので逆に書く気になれず、ずっと書いていませんでした。

2007年の本来のブッダプールニマは5月2日でした。
でも、ババがコダイカナルに来てるので行事としてのブッタプールニマは
ホワイトフィールドで行われることになっていて、
実際はプッタパルティで行われました。
で、本来のブッタプールニマ用にこの時期休みを取った人なんかは
そのまんまコダイカナルに来てたりしました。

この日の朝にアシュラムに行くと、ブッディストは優先権を与えられていたので
先に中に入れてもらい、確かなんとなく1列目に座らせてもらいました。あらふしぎ。
ほんまかいな、というような西洋人もブッディスト申請をして先に入れてもらっていたので
文句を言ってる日本人もいましたけど、まあ、いいやん、と思いました(自分が一列目に座ったし!?)
「あの人はカザフスタン人!違う違う!」というふうに言って
セバダルに、その人を優先席に座らせないようにしてる日本人に
「でもあの人日本語ぺらぺらですよ?」と言ってとりなしたり。
普段日本人同士の付き合いをしてない日本人や日系人もプッタパルティにけっこういて、
みんながみんなお互いに認識し合ってるわけでは決してないのでした。
それに私ら日本人でも寛大に中国正月の仲間に入れてもらったりしましたからね。
なんもプログラムの準備とかしてないのに。わきあいあいと。
その点、日本人の行事に長期滞在の日本人が拒絶され気味なのはなんともさびしいかぎりで。
どうせ拒絶されるし、自分から近づかない長期滞在者も多いかと思いますが。

前回受け取ってもらった手紙に「サハジャニルヴィカルパサマーディを与えてください」と
書いてて、受け取ってもらった時は非常に嬉しかったのですが、
しかししばらくすると何がどう変わったんだろう?実感がない。???と思い、
もっと突き詰めて書いたほうがいいのかも、と思いました。
なのでその日書いてきた手紙には
「今、私にサハジャニルヴィカルパサマーディを与えてください」
と書きました。
「Now」を付け足したわけです。

ダルシャンが始まって、うちらはババが下りてくる坂の横のひなたのスペースに座ってて、
最初ババはうちらの向かい側の屋根がある場所に座ってる人たちのほうを向いて、
そちらの手紙を受け取ったりしながら男性の方に行きました。
そして向こうで折り返して、今度はうちらが座ってる側を向いて向かってきました。
手紙を取ったり取らなかったりしてこちらへ近づいてきて、
私らが座ってる少し前のあたりでは手紙を受け取らなかったのですが、
目の前に来たときに主名がこれでもかと差し出している私の手紙を取るようババが付き人に指示して、
その手紙はババの手に渡りました。
「ああ、またもや感無量!」
「今、わたしはサハジャニルヴィカルパサマーディなのね!!Now!!!」
と思い、またもや涙があふれ出ました。(単純ですか?)
主名も「手紙渡しゲーム」で渡せて大喜びのにこにこ。

この日、吉兆のブッタプールニマの時にこの手紙を受け取ってもらったことは
かなりの喜びでした。
グル仏陀の恩寵もいまここに実を結んだのかもしれないという気もして。
この吉兆の日にこんな内容の手紙をババが受け取るよう神のシナリオが書かれていたことに
なにか特別の意味合いを感じずにはおられませんでした。

ちなみに前も書いたかと思いますが、
サハジャニルヴィカルパサマーディはラマナマハリシの本によると
解脱の最後の段階だそうです。神と一つになってるのが自然の状態になってるという。
サハジャ、というのは自然な、とかいう意味だそうです。

あとで、他の日本人に、他の誰も手紙を受け取ってもらえなかったけど
あなたのだけ受け取ってもらえたわね。みたいに言われて、そうだったの?そうだったかも?
と思いましたが、そんなことはどうでもいいのでした。

そしてその大きな感動がおさまったころに、
「でも、実感がない。」
と思い、さらに続編の手紙を書いたのでした。

(つづく)
【2007/11/22 23:34】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月21日
今朝、主名を送ってからアシュラムに行くとババが女性側の通路に行っていてどうせ女性側のゲートは閉められてて中に入れないので、
男性側の外から見てました。
ババは女性側の通路を行ったりきたりしてサリーを配りまくっていました。
ずいぶんたくさんのサリーを持ってこさせて配っていました。
たぶんあれ、サリーだと思うんですけど。

昨日もバルビカス教師らしき人らに紫と緑のコンビネーションのサリーを配っていて、彼女たちは今日、それを着てきていました。

男性側からだとあまり見えないところにババが行ったので、
もうそろそろ中に入れるかなあと思って女性側の入り口に行ったのですがまだぜんぜんでした。
セキュリティスタッフにもサリーが配られたりしてたので、人を中にいれるためにボディチェックする人の影もなく。
降誕祭を前にして、サリーを上げてセキュリティスタッフのパワーを上げたんでしょうか。
以前はもうちょっとこまめに人を中に入れてくれていたのですが、
いつからか方針を変えたみたいで、ゲートを閉めたら閉めっぱなしのときも多いです。
男性側もこんなんなのですか?
日向の階段に身を寄せて立ちっぱなしの人は泣いてる人もいました。
今日はほとんど一時間近くゲートがしまってて、
私は木陰に座って開くのを待ってました。
そしたらセバダルが「ダルシャンダルシャン!」と、開いたことを知らせたので
待ってた人が立ち上がって階段を上ろうとしたときにはアルティになって
また閉まってしまいました。

降誕祭期間はどうせ人も多いし、「引き気味」でいこう、と思っていたのですが、それでも周りの状況が安楽を許さない状況になるので
どうしてもいつもより大変になります。
【2007/11/21 14:38】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ヴェーダの人間関係。
ヴェーダの人間関係。

先々々週のヴェーダ教室は私しか来てなかったので、マンツーマンでのレッスンでした。
ルッドラムのラグニャーサの、今まで教わってたところの前段階の部分も少ししました。
で、その深い意味というのも珍しく教わりました。
今まで意味など教わったことなどなかったんですけど。
「すべてはクリシュナ、すべてはあなたです」
「ピュアな心のみを差し上げます」「アムリタをとってください」
「すべては心の中にあります」
そんなような感じでした。
ヴェーダのもっとも深い意味となると、「すべては神です」ということを
あれこれバリエーションをつけて表現してるということなのかもしれないです。

おばあちゃん先生は、「あんたはサンスクリットがよめるんか?」みたいに言ってきて、
「少しだけ」というと「私はサンスクリットはできないけど、深い意味はこうだ」
みたいに言いました。
西洋人にあれこれ言われたことをけっこう気にしてるのかなあと思いました。
彼女たちはもう来てませんけど。
彼女たちは独学でヴェーダを研究してて、サンスクリットができることを、非常に重要視して
誇りに思ってました。
といっても、アルファベット対応の一覧表を見ながら「え~っと、これがこれで、」
と読んでいく私と実際の読解レベルは変わらないんですけど。
で、ヴェーダをするならサンスクリットは絶対必要!と言ってて、
おばあちゃん先生はテルグなのでもちろんサンスクリット論議もできないし、
ヴェーダの数自体あんまり知ってないと彼女たちは思ってるようでした。
そういう西洋人の彼女たちにいざガナパティプラータナを唱えさせてみると
伸びたテープのようにへろへろで、
うーん、なんでこうなるのか、と不思議になる出来だったのですが、
おばあちゃん先生は「ちょっと直せば完璧になる」「ベリーグッド」とか言ってました。
その様子を見て「教育者だなあ」と思ったのですが、
その後その西洋人のうちの一人が別の権威ある人にヴェーダを聞いてもらったときに「根本から違う」というように、
ほんとのことに基づいてアドバイスされたときにはすごくショックを受けて泣いていました。
で、おばあちゃん先生は自分のヴェーダをすごくいいといっていたのに!なんだあれは、と、
憤まんの矛先がおばあちゃん先生に行っていました。
。。。。。

最初に来た西洋人は3年探し続けてやっと教師に出会えた、と、感激して
しばらくはまじめに通っていて、おばあちゃん先生もまんざらじゃないかんじだったのですが、
彼女はしだいにおばあちゃん先生のアバウトさが気になりだしたらしく、
「このサンスクリットの意味はこうだからこういう発音だ」というように
おばあちゃん先生の教え方を訂正して、
おばあちゃん先生は最初は軽く流してたのですが西洋人もゆずらず、
ついにおばあちゃん先生も切れて
「わたしはこういう風に教わって、何回も何回も何回もこういう風に唱えて覚えたんだ!」
と、両者譲らず、それ以降その西洋人の姿はめったに見なくなり、今は来てません。
「別の用事と重なっちゃって、どうしたらいいかわからないわ~」と。

もう一人の西洋人は、ヴェーダの練習の前に音楽の練習が行われて
長時間待たされることに我慢がならず、
ヴェーダの練習中にも携帯に電話があるとしばしば20分とか中断して、
おばあちゃん先生が楽しそうに話してるのをじっと聞いて待つのもいやになったみたいでした。
私はそれらは気にならなかったのですが、この西洋人がそれらのことに頭に来て話してるのを
見ると笑いながらも、そうかもなあ、という気もしたりしました。
この彼女はもう、なんもかんも嫌になったみたいで、
わたしは、「でも、習えるところだけ全部習い終えてみたら?」とか、
「自分は日本で習ってた時にセンター場所まで行くのにすごく時間もお金も労力もかけてたから、
今はむしろすごく楽。歩いていけるし。」
とか言ってみましたが、(日本で実家から大阪センターに通ってた時は片道2時間くらいで
電車賃と主名のおやつ代などで1回3000円くらいかかってたし、
せっかく行っても主名がぐずると主名と外に出ざるをえなくて練習できなかったりと、そんなだったので)
彼女ももう来ていません。

彼女は私が部屋でしてたヴェーダの練習に行く、と言って、来てたりしたのですが、
その後わたしも習いに来る人の調整をして、彼女の来てた曜日は練習なしにしたので、
ついでに断りました。

おばあちゃん先生はいわゆるグルの態度で他の人との人間関係を結んでるみたいで、
まあ、年もおばあちゃんですし、好きなようにやってるかんじです。
先々週などはわたしは一番先に行って部屋のイスを片付けたりござをひいたりして用意したのですが、
ヴィーナと初心者向けのヴェーダを先にして、
みんな帰って、ああやっと私の番が来た。主名も寝たし。と思ったのですが、
友達が来て、多分その人と時間をすごしたかったんだろうと思ったのですが、
私は結局練習つけてもらえず、ポールナマダとクシャマプラールタナを一人で唱えさせられて終わり。
また今度。と。
しょうがないので寝付いたばかりの主名を無理やり起こして泣かせながら帰りました。。。
2時間、主名をなだめたりしかったりしながらじっと自分の番が来るのを待っていたのですけど。
これはちょっときつかったです。
待ちぼうけでおばあちゃん先生が帰ってこないこともあるし、
(次に会った時に聞いたら「駅に行ってた」とか)
こんなだからか、新しい人は次々来るのですがあまり定着してないように思います。
来なくなった人に町であって聞いたら「今、彼女は忙しいみたいだから降誕祭の後に行く」とか。
「仕事でいけない」とか。

先週(前回)は、私ともう一人の女の人が来てて、先にその人が練習してもらって、
その後私の番で、その後はその女の人がサンギータを習うとかで
「サ~~~♪リ~~~♪」とやりだしたので、うちらは先に帰りました。

でも、主名に、おばあちゃん先生のところでノートにちゃんと全部勉強したら
ヴェーダの帰りにバイクのおもちゃを買ってあげると約束してたのですが
ふざけて半分しかしなくて、
だからもう買わないと言ったらギャーギャー言って泣いたので、
途中の道のマンションのロビーの明るいところで残りを書かせました。

そしたらサンギータを終えた女の人が教室から出てこっちに来て、
「ここに住んでるの?」と聞くので「違う」と言ったら、どこどこよね、と、知ってて、
おばあちゃん先生が娘が来るから来週から一ヶ月休みにすると言ってて、
その女の人に、私にヴェーダを習うようにと指令をだしたと伝えてきました。
「ええっ!?」と、わが耳を疑ったのですが、その人も「だって、先生がそう言った」
というので、とりあえず主名の勉強もちょうど終わったし、その人の部屋に行きました。

おばあちゃん先生のところでは練習が始まるまでに時間が多少かかるので、
その間私も自習してて、そしたら隣に座ってたその女の人が
「これ唱えられる?」とか聞いてきたので少し唱えてみせて、求められるままに一緒に唱えたり、
違うところを少し訂正したりしたのをおばあちゃん先生は聞いてて、それで
私のところに習いに行かせることを思いついたんだろうと思います。。。。。。
おばあちゃん先生が部屋に入ってきた時にはさしでがましいので、その人に唱えてみせたり
するのはやめてたのですが。
おばあちゃん先生は耳はいいのです。

以前おばあちゃん先生に面と向かって、
私がその場で他のおばちゃんたちに教えなさい、と言われたことは
何度かあったのですが、おばあちゃん先生だから習いに来てる人たちに教えるなんて
そんなおそろしい事できないので断りました。

今回は私のいないところで話がまとまってて、断る理由も特になかったのですることにしました。
その女の人は町の学校の先生で、おばあちゃん先生にヴェーダを習ったのはその日が始めて、
ということでした。
ガナパティプラールタナとかほぼ完璧に唱えてたので、初めてと聞いて驚きましたが、
ダルシャンで学生が唱えてるのを聞いて覚えたとの事でした。
だから他のも、耳は慣れてて、私が今習ってるルッドラムも少しついてきていました。

その人の部屋に行って、今後どうするかを話し合って、
私の部屋に来てもらうことになったのでその後、その人の部屋を出て一緒に私の部屋に行きました。
じゃあ、毎週日曜ということで・・・と私は思ったんですけど、その人は
「毎日がいい」というので、とりあえず毎日夕方6時から7時ということにしました。
毎日!?まあ、去年は毎日してましたから。

で、昨日からはじめました。
ガナパティプラールタナはまあいいとして、二グルシュワイとかいうやつを昨日はしました。
はたして一ヵ月後、彼女はおばあちゃん先生のところにまた行くんでしょうか?
また行くんでしょうね?
少し困ったことがあって、
おばあちゃん先生のヴェーダは独特すぎるところは、私が自分で人に教えるときには
修正して教えたりしてるので、彼女に教える時に、
おばあちゃん先生の癖のある唱え方を教えたほうが、
彼女がのちに、またおばあちゃん先生に教わるならいいんだろうか、
という点です。まあ、適当にしますけど。

日本人でもそうですけど、聞いて覚えてると、どうしても自分の頭の中で違う風に覚えてたりしてて、
それがなかなか修正できなかったりします。
音楽をしてる人なんかはヴェーダの音の高さの違いとかはすごく的確にとらえられるんですけど。

主名はすごく大人しくひとりで遊んでいました。
日本人の時はたいがいふざけたり邪魔してくるんですけど、やっぱり状況を見てわきまえたのか、
最近一人遊びの時間が少ないので単に遊びに没頭していたのかはわかりません。

ここしばらくは来てた人がそれぞれの国に帰国したり、
来てた人にこっちから練習するのをやめてもらったりしたこともあったりして、
あと、もらいものを受け取るのをやめて返したり。
そんなんで最近はだれも来ていませんでした。
私も最近思うところあって、おばあちゃん先生くらい好きなようにやったほうがいいのかもと
思ったり。来るなら来い、いやなら来るな、みたいな。
おばあちゃん先生のところで累計するとけっこうな時間を「待ち」に費やしたように思いますけど、
教える立場の自分としても時には待ちぼうけをくらって、でも気にとめないようにしてたんですけど
疲れるし、そういう人はやめてもらって、
誰も来ないなら来ないで楽でいいや、とか思ってました。

もし来るなら、私から誘ったり、友達に誘われてついてきたりとかそういうのよりも、
直感のようなものに導かれてくるような人が来てくれたらなあ、と思っていました。
それなら人間関係の束縛を超えたところで練習できそうなので。
それぞれの自己責任のもとに。
今回来た女の人はおばあちゃん先生に言われてきたので、
インドでは先生は神なので、神の声で来たということはある意味
わたしの願いが聞き遂げられたのかもしれないなと思ったりしました。

願いが聞き遂げられたなら、神よ、ちゃんと満足にヴェーダを伝えられるように
私にきちんともっと訓練をも与えてほしいです。

その女の人はおばあちゃん先生のところでわたしがおばあちゃん先生と一緒にシュリスークタム
を唱えてるのを聞いたので、「あなたはあれを唱えられるのね」と言いましたけど、
シュリスークタムはやっぱり決まりきらなくて、その場その場で違う唱え方をしてるので
「あれは完璧じゃない」と言ったら、
彼女は「完璧だった」と言ったので、あれで完璧なくらいでいいのか・・・。と思いました。
なんかでも、教える時はきちんとこれ、と決まったものを伝えたいんですけど、
それにはどうもグルの言葉を鵜呑みにして他を見ない強さと独善さが必要なようで。
だって、みんな違うんですもん。
おばあちゃん先生も、唱えるたびに違ったり、逆に私に合わせる時もあるし。

しかし、去年インドに来たときに、
おばあちゃん先生と、今住んでる部屋は私のために用意した、と心の中に言われたように思ったので、
とにかく無条件に続けています。とく不満もないと言えばないし。
部屋なんかはほかの人のより狭いので、
みんな、別の部屋を紹介してくれたりもするんですけど、引っ越すのも面倒なのでそのままいます。
便利で、特に不満もないです。
【2007/11/21 14:24】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月20日
11月20日

昨日の夕方は主名がその日学校でノートに落書きして、ふざけたふうに書いていたので
どうせ雨も激しくてダルシャンに行くのも大変だったし、消して、書き直させました。
それが終わったのが6時くらいで、まだダルシャンが続いてる様子で、
雨も小降りになったのでアシュラムに行きました。

ホールに行くとちょうどきれいな格好をした女の子たちの劇や踊りが終わったところみたいで、
音楽も終わろうとしていて、出演者が壇上のババの方に近づいていくところでした。
子どもが2人アフロヘアーのかつらにオレンジのローブを着てババの格好をしていて、
ババがその2人の間に立つとみんな拍手して歓声を上げていました。
3人のサティアサイババ。

で、いつもよりいっぱい記念撮影をして、またもや女の子たちのマーチングに続いて
ババは車いすで退場しました。
先頭の女の子はバトンみたいなのをくるくると回しながら放り投げて
またキャッチしたりもしていました。

今朝はババが壇上中央におさまってから、女性が美しくゆったりとヴェーダを唱えました。
ガナパティプラールタナとドゥルガースークタムでした。

そのあと、女性のスピーチが何人か続きました。
最初に話した人は話の前にサハナーヴァヴァトゥ、を貫禄いっぱいで唱えたのですが、
これがすごかったです。
完全オリジナルメロディでこぶしがききまくっていました。
聞きながら頭の中がねじれたように思いました。
いいんだろうか・・・。
男性がスピーチをする時も時々話の先や中や後でヴェーダを唱えて見せる人がいますけど、
男性の場合はほとんどきれいな、標準のヴェーダしか聞いたことがありません。
やっぱり、男性はあんまり違うとはずかしいとかそういう感覚が働くのでしょうか?
あんまりすごいのは聞いたことはありません。

話した人たちはバルビカスバルビカスと連発していたので、バルビカス教師の人たちだったのでしょうか。
興味のある内容みたいだったから聞こうとしてみたのですが力及ばず。
こういうスピーチはしょっちゅうアシュラムで行われてて、
時々はこの人が何をしゃべってるのか分かったらいいのになあ、と思うスピーカーもいます。
英語に不自由しなかったらきっと、いろんなひとと話したり聞いたり読んだりして、
情報量がまるで違ってくるし、
ここにいる感覚や心構えも違ってくるんだろうなと思います。
それがいいのか悪いのかは別として。

昨日配られた本を少し読んでみたら、女性によるババの体験談集でした。
分からない単語は飛ばしてサーッと読んでて気がついたのは、
語り手が自分の経歴とか学歴とかを述べてるところはさっぱり分からないのですが、
語り手がババと出会う時の描写とかは英語の単語も急に簡単なものになって私でも
情景がよく分かって、文章が明るく照らされたようになり、胸に迫り、クリアーに読めるということです。
そういうもんかもしれないなあ、と思いました。

今朝のプラサードはラドゥーでした。
ありふれたお菓子で数も見るからに充分あったので混乱はなし。
でも、お腹がすいてる時には妙においしい時があって、半分だけその場で食べました。
今朝紅茶を飲んだらハエが入っててそれも口に含んでしまったのでその消毒・・・。
半分は学校帰りの主名のおやつに残しておきました。

もうすぐ降誕祭なので警官の数も増えていて、
今朝ガネーシャゲートのところには制服を着た警官が30人くらいいました。
ライフルは4丁ほど。
ガネーシャゲートを入る時も金属探知機をくぐりました。
ホール入り口のところもいつもは1人ですけど今日は4人になっていました。
【2007/11/21 14:08】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月19日レディースディ午前
今日はレディースディだそうです。

主名を学校に送ってアシュラムに行ってみると、丁度ババが入場してくるところだったので、男性側のホールの外から見ました。
女性のブラスバンドのマーチングにつづいて車椅子のババが入場してきました。
ババはこっちまで来ずに、通路の中央で止まって、
男性と女性の間の外へ続く通路のところで、ホールの中につれてこられた牛の群れを祝福していました。
子牛やら牝牛やら牡牛やら?でしょうか?
何十頭もの飾られた牛が列を成して順番にババの前を通過していて、
結構時間がかかりました。
今日のヴェーダは女神のベーダが続いて、そのうちネタが尽きたのかルッドラムが唱えられました。(ああ、今日は月曜日でした)

その後ババは壇上に行って中央に落ち着いたので
もう女性側から中に入れるかと思って(ババが通路にいる間は女性は中に入れてもらえないので)
その場を離れて女性側の出入り口に行きました。

やはりというかなんというか、外へ続く道は牛の群れの落し物ですごいことになっていました。
セバダルが大急ぎでそうじしていました。

中に入ると女性リードシンガーによるバジャンが始まりました。
そしてプラサードのお菓子と同時に女性側では厚さ2センチほどの金色の表紙に赤いイラストがあしらわれたハードカバーの本が配られました。
中身はテルグごと英語で文章が書いてあって、ババの写真もいっぱい使われてあるものです。

見るからに普段よりも値が張るギフトなので、あっという間に人々が殺到しました。
すごいうばいあい。
配ってるセバダルやスタッフに黒山のようにたかり、もぎとって略奪する光景があちこちで見られました。
うう、醜い。。。
あまりの光景に胸が痛くなって悲しくなって涙が出てきました。
レディースディの女性の尊厳もあったもんじゃありません。

本はかさばるし、配る人も少しずつしか持って来れないので
待ってる人々の焦燥感も募り、
座って静観していた人たちもそのうち立ち上がって取りに行きました。
ホールの一方の端からもう一方の端へとぞくぞくと人が押し寄せていました。
確かに、「座れ座れ」といわれて座ってたら品切れになってもらえないこともよくあるので、
座ってる私はバカかなと思ったりもしましたが、
もういいやと思って座ってたらホールの外からセバダルに「もらったか」と聞かれて、持ってないと知るとホールの外から彼女はくれました。
配る人も本を持ってホールの中に入ったらむちゃくちゃにされるので、
外から一冊づつ配ったりしていました。

大方の人がもらい終わってみんな帰るなり座るなりしたら、
セキュリティスタッフが二人がかりで大箱に入った本を引きずってきて配っていました。
大箱を最初から持ってきたら人が殺到してけが人が出るという判断だったんでしょう。
結局、本はみんなにいきわたるに十分な数があったわけです。

この奪い合いのひどい光景を見て、悲しくなるのは何か私のものの見方に明晰でない部分があるからなのでしょう。
日本だったらここまでひどくはならないだろうなと思ったりもしました。

ババはずっと前に座っていたのですけれど、
本を配ってる間は「あ、いたの」と、時々気がつくくらいのもんで。
ババのギフトだということでこういう奪い合いが起きやすいという
要素もあるんですけど、
奪うくらいの激しさがあったほうがいいのだろうかと思うときもあり。
奪わなくてすむ立場におりたいです。

ささげ物をもったサリーの女性たちに女性のマーチングが続き、
それに続いてババが退場して家に帰っていきました。

【2007/11/19 14:59】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月18日
11月18日

今日は日曜で、アシュラムの外を派手な山車が練り歩いていました。
ババのダルシャンは9時くらいで、
あたらしい象。サッチャギータだかサイラクシュミーだかが先に入ってきて、
象に続いてババが車いすで入ってきました。
おしめをした赤ん坊をダルシャンに連れて入るのも爆弾を抱えてるようなものなのに、
こんな小象、排泄物をババの前でだしちゃう心配はないんだろうかと
余計な心配をしました。
そこらへんは象使いが調整してるんでしょうか。

たぶん学生や教師のヴェーダ隊もとなえながら外に出て行きました。
たいこや変わった形のラッパも歩いて外に出て行って、
ババもそのうち外に出て行きました。
もちろんみんなダッシュでホールのはしに見に押し寄せましたが
うちらは面倒なので座ってました。
なので見えないところで何が行われたのかは知りません。

今日は多分サウスヨーロッパの帰依者の手によるものだと思いますが、
ホールも薄いグリーンを基調とした、ちょうちょもいっぱいくっつけた飾り付けになっていました。
いよいよ降誕祭の祭り気分かなあ。
明日の19日はレディースディだそうです。

今朝は主名はウエスタンキャンティーンでポリッジを食べた後、(私はサウス)
日本人の男の子を誘って芝生で昼まで遊びました。

夕方はヴェーダ教室に行きましたが、そのことはまた別に書こうと思います。
【2007/11/19 14:31】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
主名が死ぬ夢
主名が死ぬ夢

今は早朝の5時半くらいです。
少し前に前の道をナガラサンキルタンの子どもたちがバジャンを歌いながら通ったので、
どぎまぎして目が覚めてしまいました。
何でどぎまぎするかというと、今まで、ナガラサンキルタンが通ると主名が目を覚まし、
「見たい!見たい!見たい!」
と叫びだすので、私はあわてて服を来て主名を抱いて
部屋の外に飛び出さなくてはいけないことが多かったからです。
ナガラサンキルタンが通り過ぎて向こうの角を曲がって行ってしまう前に。

でも最近は主名はナガラサンキルタンで目を覚ますことはめったになくなりました。
もう新鮮味がなくなったんだと思います。
このアパートに来た最初は表をオートリキシャやバイクが通る音が聞こえるたびにも
「見たい!見たい!見たい!」
でしたから。
で、見るのが間に合わなかったら
「見たかった~」
と泣くという。

それももう言わなって久しいです。
ただわたしが、ナガラサンキルタンが通るたびに目を覚まして、
主名が叫びだしやしないかと寝床の中でどぎまぎしています。

さっき見てたゆめは主名が死ぬ夢でした。
夢の中のわたしはあっさりしたもので、死んだことをすでに動揺もなく受け入れていました。
主名は実家にいる間に死んだので、
それは私にとってよかったのかもな、と思っていました。
母はそのことを少し気にやんでいて、何かあるたびに
「主名に会いに行って来る」
と、遺品のところに行くのでした。
母に、
「かぜひいたん?」
と、主名の死因を聞くと、
死ぬ少し前に主名は自分で胸をトン、トン、とこぶしで叩いてた、とのことで、
「息が詰まってたのかもね」
と私は言いました。
私は、彼がこの世から去ったことについて少し思いをめぐらしていました。
あっさりしたもんだな、と。
私の両親は、まさか孫が先に死ぬとは思ってなかっただろうな、とも思いました。
そういう夢でした。

起きてから思ったのは、ここ最近、現実に、主名の中の個人性が死んだのかもな、と思いました。
というのは勉強中心の学校に行きだして、
主名は行くのを嫌がってるけどわたしは主名を行かせ続け、
しかも家でも厳しく勉強させてて、主名の今までの赤ちゃんぽさを否定する形で
この一ヶ月ほどやってきました。

その結果、今まで保護され、歓迎されていた赤ちゃんぽい自己中心性は死に、
主名は生き残るためには環境に自分を適応させざるを得ないと判断したのでしょう。
この場合の環境とはわたしのことですけど、
私が主名の自己中心性を保護することをやめたので、
彼は徐々に抵抗をやめ、私という外部に新たな中心が現れたこの環境を受け入れ、
したがっていきました。
それが彼にとって生きるための方策なのでしょう。
ここ数日は学校でも以前よりきちんと勉強しています。
そう、彼は死んだのです。
彼自身の意志は死に、おそらく私の意志を生きることをはじめたのでしょう。

これはいわゆる将来のアダルトチャイルドが今生まれたということだと思います。
私自身がそのようなアダルトチャイルドの一人であったことに以前気づいたことがあったので、
子どもにはそのような道をたどらせないようにと思い、
主名の赤ちゃんとしての自己中心性にわたしはできるだけ意識の焦点を合わせるように心がけ、
その保護を心がけてきました。
(それが自分の小さなエゴの否定につながるとは知りませんでした)
出産を自宅で夫婦だけで行なおうとしたのも、
できるだけ新生児の自己中心性を損なわないようにとの思いもあってのことでした。
(実際は夫婦だけでは難しかったので、知り合いの女性が出産前後の30分間くらいだけ自宅に来て手伝ってくれました)

しかしここに来て、心の中の指示により主名を突き放し厳しくするよう求められ、
のちにヴェーダの道では4歳以降は奴隷のように扱われ、
教育されるべきと記されているらしきことを知りました。

アダルトチャイルド、ワンダーチャイルド、
そのような子どもの持つ自己中心性とそのパワーをあつかった書籍などは
つまりは西洋のものだと思います。
西洋人はこのような自己を非常に重要視し、大切に扱ってきたと思います。
そしてその結果、
私がここで目にしたものは凶暴で攻撃的で我の強い西洋人の大人や子供たちでした。

私は考え方を改めました。
保護されるべき赤ちゃんの自己中心性は4歳以降は昇華されるべき。

アダルトチャイルドが問題となるのは、
最初の4歳以前の保護されるべき自己中心性を体験する機会を奪われた場合や、
ネガティブなものにもとづく環境に子どもが適応させられた場合によるものだろうと思います。
子どもの環境とはつまりは親ですけど、
親が示す親自身の自己中心性がエゴにもとづくものなら、
子どもはアダルトチャイルドと称される病んだ精神(親が与えた親のエゴという病気)
を内に秘めた人物になるんだと思います。

日本人が非常に従順で何を考えてるか分からないとよく言われるのは、
日本人の場合は最初の4歳以前の自己中心性からして体験する機会が奪われがちな文化だから、
日本人のほとんどがアダルトチャイルドだといってしまえばそうなのかもしれないと思います。
でもその結果、自我の薄い日本人は中心なくして全体としてよくまとまり、
個人性をなくした全体として高い生産性をあげてきたのだろうと思います。
そういう文化、なんだろうと思います。

(と、ここで主名が起きて、立ち上がってニヤッと笑いました。今、7:30です)

わたしも強烈な自己中心性を今、有していますし、
そもそも主名が生まれた瞬間からそれは騒いでいました。
しかし主名がまだ赤ちゃんのころは主名の自己中心性のほうが
力が強くて、(つまり赤ちゃんはより神に近いですから)私は自分の自己中心性が
より強い赤ちゃんの自己中心性の力によって否定される
エゴの苦しみを味わい続けなければならなかったのだろうと思います。
そしてそのような日常的にエゴを殺す作業が私の日常におけるサーダナとなり、
わたしの未熟な自己中心性を昇華する作業となったんだろうと思います。

そして今その力関係が逆転したのでしょう。
今度は主名が死ぬ番です。主名のエゴが殺される段階がやってきたようです。
そしてそれは死んだようです。

アダルトチャイルドのネガティブなものとしての表現は、
大人の中の子供心が傷つき、泣いているようなイメージで表されます。
しかし、赤ちゃんの自己中心性が神を基盤とした自己中心性、
もしくは神そのものを中心としたために否定される時、
それはとても自然で健全なことなのではないかと思います。
そしてそれは子どもにとっても、社会にとっても益になる結果になるのだろうと思います。

西洋の自己中心性の尊重の結果、西洋人は自らも世界も傷つけてきたように思います。
日本人の自己否定もなにかここにきて自己否定を否定する風潮になっています。
インド人を手放しに褒め称える気は毛頭ありませんが、
真実はなるほど、ヴェーダにあり、ヴェーダは神の息吹だった、という再認識を最近しています。
答えはすでにヴェーダに書かれてあるのでした。
神に等しい質を持つ赤ちゃんの自己中心性の尊重と、その後子どもにエゴが出てくる時期になると
外部の神としての両親や師、客、年長者、もしくは神そのものへの従順によるエゴの否定。
そしてその教育期間が終わる16歳以降はそれらへの尊敬を払うことは続きますが
トレーニング期間は終わったとして子どもは友として扱われるのでした。
もちろん、この理想がインドにおいてでも実行されてるかは別の話です。
ただ、理想はヴェーダにすでにはるか昔から
いつの時代にも変わらぬ答えとして記されているにもかかわらず、
世界は、そして私たちはその答えをつまづきつつ苦労して探し続けてきたのでしょう。

(朝8:30。わたしがはらづつみを叩きながら踊ってみせると、主名が微妙な笑顔をよこしてきました)
                 ~~~
(・・・時間は過ぎて、夜のヴェーダ教室やその後の夕食も終わり、今は午後11時です)

クリスタルチルドレン、という言葉もありますけど、
それがヴィヴェーカーナンダのように輪廻の輪にはまったことがない、永遠に自由な魂の
持ち主を意味するなら、
そういう子どもたちへの教育は多少違ってくるのでしょうか。
そういう子どもたちなら、理想的なヴェーダ的環境の中にいても問題はなく、
むしろそういう子どもたちにとってヴェーダ的教育環境は余計な摩擦のない
快適なものなのかもしれません。

日本でそういう子どもたちのための学校があるとか聞きましたけど、どうなんでしょう。
そういう子の母親に、そういうことを聞いたんですけど、
主名はクリスタルチャイルドじゃないと言ったら「そうなの?」と言われました。
たぶん、違うと思うんですけど。
生まれてすぐにインド占星術で見てもらったら、彼は今生では解脱する計画ではないそうですし。
霊能系(今風に言うとリーディングしたりする人ら)の何人かのひとらに、
主名はやっぱりそういう子だとか、念力タイプだとか(なんでしょう?それ。)
だから他の子と交わらないかもしれないけどそういう子だから心配しなくていいとか、
そんなことを言われたりもしました。
念力タイプっていうからにはクリスタルじゃないでしょ~。濃そうだし。
で、主名にはヨガをさせることが絶対に必要といわれたりもしました。(インド占星術師に)
ヨガって神との合一のことで、つまりはそれに役立つことはみんなヨガでしょうから、
今ここにいて、バジャンに行ったりしてることもヨガと思うんですけど、
瞑想したりとかそういうことに限定したアドバイスなのかは不明です。
しかし、もしババの学校に入ってびしびししごいてもらえるなら
それに勝るヨガはないように思うので、いいんじゃないかと思うしだいです。
びしびし!しごいていただきたい!!
【2007/11/19 14:29】 | 夢(サイババ以外) | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月17日書きそびれたこと2
11月17日書きそびれたこと2

主名の学校がディワリー休みに入る前ですから10月後半のことですけど、
丸一日主名を学校に行かせるようになって1週間くらい過ぎて、
主名は学校で全然勉強してないし、学校に行くのが嫌だと毎日言うし、元気もなくして、
学校に送った時に「いやー」と思い切り泣いたこともありました。
で、帰らせてもらえなかったので主名とその場で話し合って、
別の学校だったら行くから探してきてというので、じゃあ、主名が今の学校に行ってるあいだに
別の学校探してくる、ということでその場を離れました。

でもその時はダサラ祭休みの学校もあって、見学できなかったり、
クリシュナムルティスクールが近くにあるはずだと思って聞き込みしたんですけど
そこらへんにいた人らは知らなくて、開いてた小さな学校の先生に聞いても知らなくて、
その日の収穫はありませんでした。
なので、主名には「今、他の学校は休みで開いてなかった」と言いました。

で、その後も相変わらずひどく嫌がるので
ほんとに学校を変えたほうがいいのかなあ・・・と思い、
別の日、主名を学校に送ってアパートの部屋に帰ったときに心の中で聞いてみたら
今の学校に行かせることをキープするように、でも、他の学校を探しにも行くように、
と言われたので、外に出て、
オートリキシャを拾って、ドライバーなら知ってるかと思って
クリシュナムルティースクールを知ってるかと聞きました。
そしたらそのドライバーはすごい遠くのクリシュナムルティスクールなら知ってると言いました。
それは探してる学校ではないので、とにかくどこかを見に行こうと思い、
そのドライバーが知ってる学校に連れて行ってもらいました。

最初に行ったのはハヌマーンテンプルをずっと先に行ったところの学校で、
ちゃんと学校として一つの大きな校舎がありました。
生徒は主名くらいのちっさい子から7年生と言ってたか、忘れましたけど、
お兄さんお姉さんまで幅広い学年の子どもたちが来ていて、
生徒数は130人とかいってましたっけ。うろ覚えですけど。
もっとだったかもしれません。
主名が最初に行ってた学校はマックス10人で、今行ってるところが35人くらいなので
生徒数が多くてびっくりしました。
教室を見せてもらうと机とイスがあって、(主名が今までいったところはないです)
生徒たちはちゃんと制服を着用していました。
ここは以前知り合いに聞いてた、ババの兄弟が作ったという学校かと思い、
対応してくれた職員の女性に聞いたら違うみたいでした。
4歳の子がどういうテキストを使ってるのか見せてもらったり、話を聞いたりしました。
学費を聞いたら校長に聞いてくれと言われ、(と言うことは人によって違うんでしょうか?)
電話で翌日会う約束をして帰りました。

次にババの学校への進学に力を入れてることで有名らしい、ヴィデヤニケタンという学校に行きました。
ステイトバンクロード沿いから右に少し入ったところです。
ここは以前見に行ったけどダサラ祭休みで見学できなかったところでした。
近所のドーピーの娘たちもここに通ってて
(後で彼女に「あなたが学校に来てたの見たよ」と言われて知りました)、この娘たちは利発だし、
学校で描いてきたらしい標語つきの絵をドーピーの小屋の柱に貼ってたのを見たことがあったので、
ちゃんとした学校に行ってるんだろうなと思ってました。
ここも生徒数は多かったと思います。
で、ババの学校に進学を希望する生徒のための特別進学コースが設けてありました。
毎年20人くらいがここからババの学校へ進学してるそうです。
ここは5歳からということで、主名は4歳になったばかりなので無理ですから、
あ、そうですか。ありがとうございました。じゃあ、というかんじで学校を出ました。
オートリキシャのドライバーは自ら(テルグ~イングリッシュの)通訳を買って出てくれたりして
けっこう乗り気で助けてくれました。

次に、ステイトバンクロードをさらに奥に行って左手にある学校に行きました。
女性の校長先生が怪訝な顔をして出てきました。
息子を行かせる学校を探してると言って、4~5歳児クラスをみせてもらって、
そのクラスの先生に話を聞きました。

そこには知り合いのインド系カナダ人の娘がほかの子供たちに混じって床に座っていました。
あら?この子はクリシュナムルティスクールに行ってたはずだけど、
ここに来てたのか、こんな庶民派の学校に。と思いました。
しっかり教えてくれそうなところでした。
あとで娘をそこに通わせてる知人に聞いたらここは先生も叩かない、とのことで。
クリシュナムルティスクールは何でやめたのか、何回か聞きましたが
悪くないけどそんなよくもない、と、よく分からない返事でした。
どうもヴィデヤニケタンにも娘を通わせて、そこの教育はすごくよかったそうでしたが、
娘がほこりアレルギーで喘息が出るので、ヴィデヤニケタンの衛生状態がよくないと
思って、今のところに変えたみたいでした。
クリシュナムルティスクールの床とかはきれいだったそうです。
クリシュナムルティスクールの場所を何回か彼女に聞いたのですか、
いつもなんとなく教わらないまま話が流れるので、
あんまりお勧めはしない気持ちなのかもしれないです。
彼女のお勧めはとにかくヴィデヤニケタンでした

ここの生徒数も多かったと思います。160人とかそんなでしたっけ。忘れましたけど。
黒板に花の名前とか書いてありましたが、先生は、「あれはただ書いてるだけ」と言いました。
最初はスレートといって、ちっちゃい個人用の黒板みたいなのに字などを練習させて、
慣れてきたらノートに書かせるそうです。
見に行った日の早朝にすごく雨が降ったので、
その日きてる生徒数はいつもより少ないとのことで、普段はもっと人数が多いそうです。
見たときに充分多いと思ったのですが、もっと増えるのか・・と思いました。
しらみとか持ってる子がいたらあっという間にうつりそうです。
そういうえばこの知人の娘や息子も最近ぼうずにしたし、
ここに通ってるらしい白人の娘たちも少し前に丸坊主になってたと思います。
しらみかなあ。
ここの月謝は月100ルピーくらいだったと思います。

その学校を出て、ステイトバンクロードをさらに奥にいった右手にある学校の責任者にも
話を聞きました。
そこの学校では4歳はやはりまだ入学の時期ではないとのことで中には入りませんでしたが、
学校の塀に子どもたちが描いたらしい壁画があって、子どもたちがこんな絵を描くような
学校だったらよさそうだなあと思いました。

その責任者の女の人にクリシュナムルティスクールがどこにあるかをしってるか聞いたら、
その人は以前クリシュナムルティスクールで働いてたと言いました。
ただし、プッタパルティのスクールではなくて、
プッタパルティから100キロはなれたところのスクールだそうです。
そこの学校の教育はすっごくいいと言っていました。
学費もすごくて、年間1ラックと数千ルピーとか言ってました。
日本円にしてたぶん大体30万円くらいです。
これにはびっくり仰天しました。
わたしのアパートのウォッチマンが早朝から深夜まで働いて休みまったくなしで
月1200ルピーくらいの給料、ATMのドアマンが月800ルピーの給料、
今主名が行ってる学校の先生の給料でさえ月1000ルピー(3000円強くらい?)
という相場ですから、
そのクリシュナムルティースクールには少なくともこういう一般庶民は入る可能性はないですよね。
いったいどんなところなんでしょう。
寄宿寮に入ってる生徒もいるそうで、家族も学校の近くに住んだりしてるそうです。
もしかしたらババの学校みたいに生徒全員がそうなのかもしれませんけど
詳しく話を聞くには私の英語力の限界が来て。

もう疲れたので、リキシャにスーパーバザール(スーパーマーケット)に連れて行ってもらって
ジュースとか買ってお金を崩して、アパートに帰りました。
大体2時間くらいドライバーにあちこち付き合ってもらったので
70ルピー渡して、さらに10ルピーおまけしたら
彼の予想金額より多かったのか、彼はにやり、と笑いました。

しかし目指すプッタパルティ内のクリシュナムルティスクールは見つからなかったし、
(その学校の場所を知ってる知人は何人かいるから聞けばいいんですけど)
ババの兄弟が設立した学校にも行き当たらず、
(以前、知人が連れて行ってくれようとしたのですが、心の中のババが行かないように言ったので断ったのでした)
疲れたし、主名は学校を嫌がりまくってるし、いいところは見つからないし、
八方ふさがりな気がしました。

で、午後の迎えの時間が来て、主名の学校に迎えに行くと、
主名はそれまでと打って変わって元気いっぱいで、学校で勉強もした様子でした。
な~んだ、と思って気が抜けました。
色んな学校を見に行ったといったら自分も見たかったとか、新しいとこに行きたいとか
言うに決まってるので、今の学校でいいならいいし、
色々見て回ったことは黙っておきました。

しかし色々見て回って、以前よりかは少しここらの学校事情にも通じれたかもしれません。
ヴィデヤニケタンとかは、主名が学校に通いだす
ずっと前にちょっとだけ見たことがあったのですが、
校舎の雰囲気とか見て、薄暗くて小汚い印象で、
ちょっとこういうのはパスだなあ・・・。と思って、その時は自分にとって問題外でした。

その後他の人の話を聞いたり、プッタパルティの教育事情を知るにつれて、
そこに主名を行かせる想像をするようになるとは思いませんでした。
現実を見てあきらめたというか、目をつぶる部分が出てきたというか、
見直した部分が出てきたのか。

ちなみに主名を最初に行かせた学校をやめるに当たって、
やはりそこに子どもを通わせていた外国人のリッチ系知人に、
主名を別の学校に行かせることにしたことを言った時、
「スワミは自分の子ども(ババの学校に行く子のこと?)を別の子どもと交わらせるのが好きじゃないのよ」
と言われ、そうかなあ、と思ったり、なんか変なことをいわれてるような気もしたり。
ババにとっての自分の子どもとか別の子どもとかってなんですか?と。
最初の学校に通ってた子どもたちはほとんどが兄か姉がすでにババの学校に通ってて、
そうじゃない子でも、少なくとも親がアシュラムのスタッフとかでした。

そのリッチ系知人にとってはインド式の一般の学校に子どもを通わせることは問題外みたいでした。
おそろしい、ひどい学校だ、みたいな。暗黒の学校群、ぐらいのイメージがありそうな。
最初に主名が通ってた学校の先生もインド人ですから、
インド式教育の常として、そのリッチ系知人の子どもも最初叩かれてたそうです。
それに気づいた時にお父さんが先生にきつく言ったみたいで、
その後その子は叩かれなくなったみたいです。(他の子は叩かれてました)

その後なにかとお父さんが教室に入って子どもたちに折り紙とか教えたり、
多分自分の子どもの誕生会に先生を招待したりもしてたんじゃないかと思います。
学校は父兄との連絡を密にすることは大事と思いますが、
先生も色々親に気を使って自由にやれなくて大変だろうなと思ったことを覚えています。
で、主名が学校を変わることを言ったら、自分たちは今の学校を動けないわ、と言っていました。
先生が、自分たちの子どもが好きで先生はうちの子にやめてほしくないのよとか。
そうかもしれないんですけど、主名はそこをやめて一般人の学校に入ったので、
多分、このリッチ系知人にとって主名はババの子供じゃない、別の子の範疇に入ったんだろうな
と思い、日常で顔を合わすことも減り、なんとなく疎遠になってました。

そしたら最近、その知人が「マイディアー」と話しかけてきて、
「マイディアー」ときたか、と思ったんですけど、
その知人の息子も学校をやめて、今後は両親が勉強を教えることにしたそうです。
彼女が言うには、息子(主名の1歳上)はこの学校に2年通ったけどまだ数字の5も書けない、と。
それにはわたしもびっくりしましたが、
先生はきっとその子にきつく言うのを避けてたんだろうと思いました。
たぶん、女の先生がその子の父親にすっごくきつく言われたことは想像できるので。
白人系とかの外国人は子どもがインド人先生に叩かれてるのを知るとすごく言うみたいです。
「うちの子に触るな!」と。

わたしも主名が「叩かれるのいや~」というので、
今の学校の先生に
「先生や友達が叩くから学校に行きたくないと言ってるんですけど・・・」
とは言ってみましたけど。
今の学校はけっこうほったらかしの学校なので、たいして効果があったとは思いません。
校長は優しいけど、まずいことには目をつぶる、みたいな。
以前今の学校に娘を通わせていたドイツ人の男性なんかはこの学校に
心底嫌気がさしていたみたいで、彼もやはり
「うちの子に触るな!!」と先生に言ったみたいですけど、
結局娘をこの学校に通わせるのをやめさせたみたいです。

しかし以前リッチ系の彼女は、
「勉強は家でも教えられるけれど、息子には友達が必要だから今のところに通わせてる」
と言ってたんですけど、家で教えてなかったんですね。
「わたしは英語教えられないもん」
と、やめる報告をしたときに彼女にそう言ったら黙ってましたけど。
だって彼女のだんなさんは英語ぺらぺらですもん。
彼女から子どもを学校に行かせるのをやめる報告を受けた時にはわたしは
「主名は今の学校は好きじゃないけどわたしはハッピー。だってフリーだも~ん」
と言いました。
【2007/11/19 14:28】 | 主名の学校 | トラックバック(0) | コメント(0) |
読書「ラーマクリシュナの福音」
読書「ラーマクリシュナの福音」

読み終わった本にしおりを挟んでいたところがあったので、
どの箇所をチェックしておきたかったのか見てみました。
これ、図書館から借りてますけど返却期間を5日過ぎてました。
たしか、一日延滞につき1ルピーだったような。

p874~p875
「『あの若者たちの心はまだ世俗性にいろどられていない。
  それだから心があんなに浄らかなのだ。
  その上に、彼らの中の多くの者が、永遠に完全な魂だ。
  生まれたときから神に引きつけられている。
  それは、掃除をしているあいだに突然、水道管が見つかる庭のようなものだ。
  こちらで何の努力もしないのに水がほとばしり出る』
     (~略~)
 『これらの若者たちが何に似ているか、お前知っているか。
  まず実を結んでそれから花を咲かせる、ある植物に似ているのだ。
  これらの信者たちは、まず最初に神の御姿を見る。
  つぎに、彼の栄光や属性について聞く。そして最後に、彼に合一するのだ』」

ここにいると、こういう日本人がアシュラムを訪れて自分と接する機会もありますし、
日本でもそういう人たちがよくいました。
別に、普通といえばごく普通の人たちです。
普通に楽しく暮らしてるような。(でもそうでもないような)
わたしも人に、あなたは過去生ですでに解脱してたとかそういうことを言われたりして、
え?そうなの?と、何事においても自覚に乏しい自分は
「そうなんだー?」と、霧が晴れるような気持ちになったり。
いままでそういうことが多いです。
「あなたはもう解脱してるよ」と言われ、「そうなんだー?」
「さわこさんはサマーディになったと〇〇さんに聞きました」と言われ、「そうなんですか?」

21歳の時にサマーディ
(それがサマーディという語句に当てはまるということものちに人に教わりました)
になる前に具体的な霊性の知識もなく、
これといった修行のようなものもせずに
母にくっついてサイババのところに来てみたらいきなりそんなんになって、
(サイババの存在による祝福・恩寵はあきらかにうけています)
なんでかなあ?と考えて、たぶん、過去生で「あがり」になる直前で死んだから、
今生では「あがり」になることしか残ってなかったんだろう。と、自分なりに納得していました。

しかしその「あがり」体験はどういうこと!?と、その後その具体的な説明を求めて
本を読んだり人に聞いたりと、そこからいわゆる霊性の道をたどっていった感じです。
これが上記の「まず最初に神の御姿を見る。つぎに、彼の栄光や属性について聞く」
ということに当たるんだろうと思います。

「彼に合一する」といいますけど、合一した時にその自覚ってあるんでしょうか?
それがちょっと疑問です。

21歳の時のはその自覚ってあるんでしょうか?どころか、
世界から突然退いて強烈な現実性、真実性の中のそれそのものとして存在したので
今までの世界がすべて虚構世界であったということも同時に体感しました。
だからまるで暴力的なまでに強烈なもので、
それまでの世界の中の個人としての自分からしてみれば非常にショッキングなものでもありました。
それと同時にアートマンとしての自分は「ああやっとたどりついた、」と安堵しました。

しかし、それがおそらく「神の御姿を見る」ということで、
その後「彼に合一する」ときにまたこのような衝撃があるかどうかは分からないと思います。
気がつかないんじゃないかと思いさえします。
【2007/11/19 14:27】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
主名適応!?
ここしばらくは主名は学校でも楽しそうで、
迎えにいったときに他の子とふざけて遊んでたり、送るときも悲壮感がなくなりました。
友達となじんできて楽しくなってきたんでしょうか。
学校の向かいに4つくらい遊具があるちょっとした公園があるので
学校帰りに1時間強くらい遊んでから夕方のバジャンに行ったりしています。
公園の中は子供たちが嵐のようにむちゃくちゃ激しく遊んでるときもありますが、
昨日は10歳くらいのやさしいお姉さんたちが主名と遊んでくれたのでよかったです。
やっぱり、こういうちょっとした遊具があると、たのしいですよね。
地面も砂が厚くしかれてあって、どこでも砂遊びができるし、
同じ学校の子も一緒に遊ぶし、主名もなかなか帰りたがらなくて。

昨日は主名は学校でちゃんとたくさん勉強してきたので、わたしも晴れ晴れした気分でした。
勉強させたりなにかをやらせるのって疲れるし好きじゃないから、主名が自分でなんでもやるようになることが目標なので。
なので昨日は楽しくいろいろ買い食いしながら帰りました。
てんぷらとか、グァバとか。

昨日の学校のおやつが、湯で小豆で、おいしいし、こういうおやつ、いいなあと思ったんですけど、小豆はけっこうきついし、だからか、主名のアトピーが少し出たようです。
それとは別にホメオパシーの方で主名の喘息に対する根本治療をはじめました。
といっても、いつもと同じように白い砂糖の丸薬をなめさせるだけですけど。

ブログ、一気にたくさん書いたので新しいやつも次のページに隠れちゃったかもしれません。すみません。

【2007/11/16 14:00】 | 主名の学校 | トラックバック(0) | コメント(0) |
とじこめられ。
今朝のバジャンが終わってアルティでババが家に帰るかと思いきや、
ババは家に向かわず直接ババ専用の門から外に出て行きました。
なのでホールの中にいた私たちはしばらく外に出してもらえませんでした。
こないだ、ババの車が押し寄せたバジャン帰りの群衆でもみくちゃになって危なかった教訓からでしょうか。。。
ババの車はスムーズに出て行って、どこからともなくあわられたジープのパトカーが後を追っかけていきました。
なかなかホールの戸を開けてもらえなかったので、
「うわー、とじこめられたー」
というかんじで、笑えました。
【2007/11/16 13:43】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月15日読書『バガヴァタ・バヒニ』
11月15日読書『バガヴァタ・バヒニ』

p256
「しかし事実は、どのように些細な成功であれ、神の恩寵なしには成就しないのです。
 それだからといってわれわれは、神が意志したまえば物事が成就すると信じ、
 手を束ねて座っていればよいわけではありません。
 人間の努力が肝要であり、人は自分の力でまずやってみなくてはなりません。
 自分に与えられた力と技とを使い、
 仕事を進めていくという覚悟を固め成るか成らぬかは神に委ねるのです。
 なぜならば神の恩寵なしには、いかなる努力も実を結びません。」

p251
「世界が見るものは、生と死の中間のみです。
 しかし神は全世界の唯一統率神であられ、過去、現在、未来を知っていられます。
 神は人間よりもはるかに思いやりがあります。
 神は、過去、現在、未来を知り、天・地・地下の三界を知り、
 激性・鈍性・浄性の三属性を知って、恩寵を与えられます。
 神はどの人よりもよく知っておられ、
 人間にとっての唯一のよりどころは一切のことは神の意志にもとづくことを信じ、
 平和に満ちて、自分自身を神の栄光と恩寵についての黙思にひたし切ることです。」

p197
「『神の不思議な奇蹟を知るのはひとり神のみである』と言われています。
 神を説明しうる者はだれひとりいないのですが、
 しかしただひとつ自信を持って言えることは、神の化身はほんの少しも御自分自身の利益のため、
 あるいは自分の好みのためになさることはありません。
 一切の行為は世界の善のためです。
 どの言葉、どの行為にも、全面的捨離の心が底流に流れています。
 御手の内に全世界を把握している化身に対し、
 世の中はなにを与え、なにを与えずに置くことができましょう。
 神の化身は御心のままに世の中を形成されます。」

「一切のことは神の意志にもとづく」という事実に対しての明け渡しが全託ということなのでしょうか。

神の化身の「どの言葉、どの行為にも、全面的捨離の心が底流に流れている」ということ。
すべてを愛を、善を与えるために行うという神の化身にはつまり不足はなく、
常に満ち溢れているということでしょうか。
全面的捨離、ということはつまりは何ものにもとらわれず全体として存在するということなので。

すべての成功は神の恩寵によるということ、だれが、なにに成功するのか。
そこのエゴの入る余地はなく。

すべては神の劇が行われているという自覚と、そこで劇を演じているあの人やこの人や自分は
役柄を降りれば何であるのか。
役柄を降りたときの個人としての自分に何か意味はあるのか?そこにはなにもない。
神の意志に忠実に役を演じることにより劇を成り立たせること。
そしてみながともに演じていることを忘れないこと。
これは劇であり神という演出家がいて劇はいつか終わること。
ほんとうは神だけがいて演出し、自分自身で演じていること。自作自演の劇であること。

前にこの本を読んだときは面白かったなあ、と思いましたけど、
今回はちょっと感動しました。
最後、パリクシット王がクリシュナ生誕の物語を聞きながら肉体を離れ、
クリシュナに融合して王自身が永遠の命のなかに誕生するところ。
話は王が死ぬところで終わりますが、
王の本当の永遠の命の話は今これから始まり、広がっていくのだなあというはるかな余韻が残りました。
【2007/11/16 13:32】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月15日書きそびれたこと
11月15日書きそびれたこと

主名の学校が休みの間はやっぱり時間が取れなくて日記も書かずでした。

その間にディワリーがありました。
去年は単に明かりをともす美しい祭りと思ってたので、
町を揺るがす花火の爆撃音に半泣きになりましたが、
今年は覚悟してたので思ったほど怖くありませんでした。
慣れるもんですね。

大きな打ち上げ花火も上がっていたので、夕食前にガネーシャテンプルの横に行って
主名と花火見物しました。
それなりにちゃんとした打ち上げ花火で、なんせ火の粉が落ちてくるくらい近いので
それなりに見ごたえがあり、主名もワーワー言って興奮して喜んでいました。

しかしアシュラムの中から見てても、チトラバティロードで行われていた花火は危険そうでした。
道いっぱいに地面に置いた花火からあがった火花が降り注いでて。
インドは石やコンクリートなどの家屋なのでできるんでしょうね。

夜も12時過ぎには爆音もやんで、ちゃんと眠れました。

その翌日はアカンダバジャンでした。
夕方6時から始まる24時間連続バジャンの。
うちらは夜に行って、
夜中にアパートに帰って、
翌日は夕方5時くらいに行けばいいやと思ってたら主名がやたら行きたがったので
昼食後、2時くらいから行きました。
さすがにだいぶ前のほうに座りました。
1時くらいに行ったらもっとがらがらで前のほうに座れると思います。

ババも車いすで登場して、よかったです。
主名はおとなしく座ってて、最後のほうにちょっと寝ました。
24時間のバジャンが終わった後は辛いご飯と甘いご飯のプラサードが葉っぱのお皿に配られました。
去年は配る手際が悪くてもらうのにずいぶん苦労してへとへとになった覚えがありますが、
今年は改善されて、女学生が座ってる人たちの間あいだに立って
手際よくちゃっちゃと配られたので、寝起きの主名にてこずったほかはそんなに苦労しませんでした。
おいしかったのでお代わりまでもらい、満足しました。
それでもずいぶんあまっていたようで、
あとでサウスインディアンキャンティーンの前でも遅くまで配っていました。
【2007/11/16 13:29】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月15日人がいっぱいは大変。
11月15日人がいっぱいは大変。

昨日はずいぶん夜が冷え込みました。
これから12月にかけてもうちょっと冷える時期が来るんだったと思います。

今朝は9時15分ごろにババが来ました。
朝のダルシャンは休みのときや、来ても今日みたいに遅い時が多いです。
今朝は「バ~バ~~~~アオメレーキリタナメ♪」の、わたしが歌える限られた
ヒンディバジャンのうちのひとつの曲とともに登場したので、
わたしもいい気分でババを迎えたのですが、
目の前にババが来た時には前の人らが迷いなく立ち上がりまくりで
よく見えませんでした。
降誕祭の短期決戦でやってきた人たちでしょうか。
がっくりです。

こういうとき、インド人は理性がぶっ飛びますね?
横に座ってた白人もため息をついていました。
神に酔うのは高い霊的な境地とかいいますけど、これってどうなんでしょうか。
周りの人やセバダルが何べん座らせてもぐんぐん伸び上がる若いインド人の女性などは、
インドの警察式に棍棒でごつんとするべきじゃないかと思いました。
前の人がちゃんと座ってて充分ババが見える人でもひざ立ちするので、
その後ろの人は見えなくなってもう雪崩式ににょきにょき立ち上がってしまって。

で、ババの姿が見えなくなって興奮が収まってみんな座りだしたら
セバダルがわたしのところに来て、「後ろの人が見えないから小さくなれ」とか言い出して。
あのー、ずっと床におしりつけて足崩して座ってるんですけど・・・。
「見てよこれ」と、自分がちゃんと座ってることをセバダルに言ったら
そのうちどこかに行きましたが、
今度はだれかしらん、わたしが邪魔で前が見えないとさっきセバダルに言った人が
別の白人を通して私に小さくなれと言ってきて。
これ以上どうせえっちゅうねん、と思って、
どこの誰だかしらないけど後ろを向いて、自分がちゃんと座ってることをアピールしたら、
そのだれかに伝言された白人が「わかってるわかってる。まあまあ。」と
表情で伝えてきました。
座高が高いのはしょうがないでしょ!

インド人はババが見えないと、前の人の頭を手でぐいっと横に押したりするんで
それを見て最初はほんとギョッとしました。

降誕祭が近づくにつれ短期集中型のインド人たちがどっと押し寄せて、
そういう人たちは理性が簡単に吹っ飛んで群集として暴徒化するのでほんと危険です。
子どもがいたりしてももう全然目に入ってませんし。

こないだ、朝のバジャンが終わって早めにホールの外に出たらババが家に帰らずに
そのままぐるっと回って外に出て行くところに出くわしたので、
あ、ラッキー、人もいないし。と思って、
道を横切ってババの座席側の側道で車が来るのを待ちました。
そしたらわたしが待ってたところにたどり着く前に
群衆の中で車が立ち往生しちゃって前に進まず、
その間にホールからも人が続々出てきてそれがそのまままた車に詰めかけて、
ババの車の周りの護衛や警官も、人を人として扱う限度を超えたとみて、
人々をむちゃくちゃ押していました。

そうしてなんとかババの車が動き出したら車と一緒に人々も動いて、
わたしがいた場所は最初はほとんど人がいなかったのですがババの車と一緒に来た暴徒たちで
ぐちゃぐちゃになって逃げ場もなくて、
護衛はそういう人の壁をこれまたむちゃくちゃに押しまくるし、
すごい危なかったです。
なのでババを見るのはあきらめて壁のほうに退避して波が去るのを待ちました。
半分肩車してた主名は「くつが落ちる落ちる!」とわーわー言ってましたが
ババを見たようで、わたしのサンダルはぬげました。
あとで人が散ってから拾いました。

これから23日の降誕祭にむけてさらに人が増えていくので、危ないし、
「引き気味」を心がけようと改めて思いました。

【2007/11/16 13:27】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
読書「バガヴァタ・バヒニ」
読書「バガヴァタ・バヒニ」

この本はババが「バガヴァタム」を自ら直接語ったものだそうで、
どこかで聞いたようなエピソードが出てきたりして、「おや?」と思ったりしました。
以前これを読んだことはあったのですが内容はほとんど忘れてました。
後半に聖者スッカが神々しく登場して語り始めますけど、
急に内容が高尚になったのでわたしはすぐ寝てしまいました。
ラーマクリシュナが言う、まるでサリガマパダニ♪の「ニ」の音をずっと出し続けているような。

p161
「神のなさることに限界はなく、神は無数の姿をとって化身として現れました。
 カラ(かけら)として、アムサ(部分)として、現れました。
 また、ある神聖な目的のために内在の霊感付与者として現れました。
 そしてまた一つのエポックを終わらせ他のエポックを開始させるために現れました。
 (ユガアヴァタール)
 これら神の化身についての物語こそ、『スリマッド・バガヴァタム』なのです。」

p162
「一切は、神のご意志にもとづいて起きるのです。
 ですから、聖人聖者苦行者善人悪人すべての人は、みなヴィシュヌーの化身です。
 神の化身の数は、人間の数と同じく無数であります。
 というのは一人一人は神聖意志にもとづいて生まれたのですから。
 しかし「ユガアヴァタール」の話のみが通読に値します。
 というのは、その出現はダルマ(正法)と道徳的生活を復活させるためなのですから。
 その他の物語は困苦と失望の物語です。」

サイババはこの「ユガアヴァタール」なんでしょうけど、
その価値をババが生きてる間に認識するのはなかなか簡単なことではないんだろうと思います。
というのは、自分と同じく肉体を持っている化身を見るとき、
人は自分が肉体に執着している分だけ知性が曇っていてその曇りを通して化身を見るので。
ババが肉体を捨てたら人の知性も曇りからある程度自由になって
この化身の意義を認識できるようになるのでしょう。
それにババ自身が群集が押し寄せないように力をコントロールしてるとかいいますし。
でももうババの今回の人生もあとわずかですね。
10数年なんてあっという間でしょうね。
【2007/11/16 13:26】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月5日 遊んで遊んで勉強して。
11月5日 遊んで遊んで勉強して。

主名の学校がディワリー(ディーパワリー)休みで10日間休みなので、
ちょうどプッタパルティに再びやってきた日本人の同年代の男の子と
毎日よく遊んでいます。

わたしは休みの始まった日の午前中ですでにエネルギーを使い果たしました!
1人の時間を持った後でまた子どもとべったりはなかなかきついです!
しかし主名は楽しく毎日を過ごしています。
勉強は毎日家庭での勉強を続けて、だれ過ぎないようにしようと心がけています。

今日はその子が遊びに来てくれました。
今日はひさしぶりにまったくノートへの勉強をしない日でした。

その子のお父さんが言うには、子どもは3歳までは神様のように、
4歳から16歳までは奴隷のように、16歳以降は友達のように扱うように、
と、アーユルヴェーダだかどこかのヴェーダに書いてあるそうです。
未確認ですけどババも4歳からは厳しくするように言ってるそうで。

最近主名の学校を変えて、何しろ時間が長いし学校におもちゃもないので
主名は嫌がってるし、他の人(子どものない知人や母)にも「長すぎる」と言われることもあり、
(逆に教育関係者に言うとたいてい肯定的な反応です。)
めげる時もあったのですが、それを聞いて、なんだ、よかったんだ、と嬉しかったです。

同時にスワミ・ヴィヴェーカーナンダの「カルマ・ヨーガ」の本を読んでて、
その中にも同じような記述がありました。(p44)
「息子は四歳まで、愛深く育てられ、十六歳まで、教育されるべきである。
二十歳になったら彼は何かの仕事につかなければならない。
それからは、父親は愛情深く、彼を自分と同等の人間として扱うべきである。・・・」
これはマハーニルヴァーナ・タントラからの言葉だそうです。

父親に向けての言葉となってますけど。
わたしは実際、父母どっちもしなきゃいけない状況ですし。

しかしほんとうに、自分が他人に
「勉強しろ」なんて言って強いるようになるとは思いませんでした・・・。
【2007/11/16 13:25】 | 主名の学校 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11月14日
さっき、主名を学校に送ってきました。
今朝はババは出てきてませんでした。
最近は朝、出てこられないことも多いです。

主名は10日以上よく遊んで、リフレッシュしたのか、
この月曜日からまた学校が始まってますけど、
「おじさんの学校、いや~」と言いながらも、門のところで別れるときは
「バイバ~イ」と、元気に手を振ってます。
だいたい一ヶ月くらい今の学校に行きましたけど、ずいぶんいろいろできるようになりました。
たどたどしいですけど、英語の大文字と小文字を書けて読めるるようになって、
ひらがなは今は「あ」から「ゆ」まで書けて読めるようになりました。
数字は1~100までの書き取りと言うのを繰り返して練習しています。
学校ではあんまり勉強してこないので、家でやらせてるんで、
もしかしたら主名は家にいるより学校に行ってる方が気楽だということに気がついたんじゃないでしょうか。
【2007/11/14 13:45】 | 主名の学校 | トラックバック(0) | コメント(1) |
ババの夢。11月13日
ババの夢。

昨日の夜にいきなり水状下痢になって、お腹が痛いとかは特になくて、
最初に少し気分が悪くなって、下痢が始まってからはむしろ楽で、
それと同時に眠くってやっと寝床についたはずなのに、想念が次々とわいてきて、
ほとんどが過去の回想でしたけど、
そんなわけでほとんど夜明けに眠りに着きました。
朝にはすっかりよくなっていました。
なにか浄化が行われた感じで。

朝はねぼうしたので11時くらいに主名を学校に送って行って、
部屋で洗濯をしてからおかゆをつくって食べてしばらくしたら眠くなったので昼寝しました。
そしたらババの夢を見ました。

今日のはダルシャンの夢で、ババは車いすか何かに乗ってて、
向こうの通路にダルシャンを受ける人々が座っていて、
わたしはその通路を直角に折れたこちら側の道のほうにいました。
ババがその曲がり道を曲がってこちらに向かってきたのでわたしは
「それっ!」とばかりに大きな動作でこちらの道の道ばたに座ってババが来るのを迎えました。

またババがあちらの道でダルシャンをしていて、また曲がり道をまがってこちらへ直進してきたので
「よしきたっ!」と、わたしはまたもや大きな動作で、
こっちには他に誰も人がいないのに腕を振り回してまるで群衆の中にいるように
我先にという感じで急いで道ばたに座りました。

ババはそれを見ていかにもおかしそうに笑いました。

そういう夢でした。

起きてから、ああ、ほんとうに、本当は他人なんかいないのになあ、と思いました。
【2007/11/14 13:36】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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