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3月26日 仏陀のインタビュー
今日、26日はたっぷり寝て目を覚ましました。
朝食後、たまってた洗濯物をホテルの洗濯機で洗って干しました。
これがランドリーサービス。セルフサービスの。
でも一気に洗えてよかったです。

その後知人に電話して、こっちのホテルでお茶を飲んだりご飯を食べて時間をすごし、
知人を途中まで送って行き、主名を公園で遊ばせて部屋に帰りました。
仏陀の歯のプージャ時のご開帳はダルシャンみたいなものだから、
髪や身体を洗ってから、今日はみんな洗濯して着るものが無かったのでサリーを着て仏歯寺に行きました。
知人はなんと、インドでキャンディスタイルのサリーを仕立てて、それを着てきていました。
キャンディスタイルって、サリーの腰の周りに大きなフリルがつくのです。
最初スリランカの町でそのキャンディスタイルのサリーを見たときはメイドのフリフリエプロンみたいと思いました。
スリランカエアラインのスチュワーデスの制服もそんなサリーなんですけど、
それを見たときはスチュワーデスだけの特殊なデザインなんだと思っていました。

6時くらいに行ったのですぐに太鼓の音が鳴り出して6時半のプージャが始まり、
昨日と違って今日は水曜日で、水曜日はここの日曜みたいなものらしく、人がたくさんいましたが、
昨日と同じようにプージャと御開帳が行われました。
(水曜日は結婚式も多いみたいで、今日は新郎新婦を2組目撃しました。)
今日も入り口で購入したピンクのハスの花を仏陀の歯にささげ、昨日写真は一通り取ったので、
今日は写真も取らずにのんびり床に座っていました。
一日数回のご開帳はまるでダルシャンだなあ、とか思いつつ。

そしたら一通り終わってから、係りの人に呼ばれました。
座ったらいけないところに座ってたか、寝かせたらいけないのに主名を寝かせてたかかと思い、
いわれるがままに主名を抱き上げて係りの人についていったら仏陀の歯の前の柵の中に入り、
さらに横から扉の中に入れられました。
特別に扉の中に入れるその日のデボーティたちの仲間と間違えられたのかと思いましたが、
その人たちが立って並んでいるさらに前に通され、仏陀の歯の金ぴかの
入れ物のすぐ前に行かされました。
金ぴかの入れ物の前には花の盆があって、横の坊さんが私に花をくれて奉げるように指示されたので、
ありがたいことよ、と思いつつ仏陀の歯に坊さんから渡された花をささげました。
そこではさすがに「ドネーション」とかは言われませんでした。
まさかここでこんなに高揚するような体験をするとは思いませんでした。
何事が起こったのかと思いました。

金ぴかの入れ物は遠くからだとほとんどただの金ぴかにしか見えないのですが、
近くで見ると色んな色の宝石がいっぱい飾られていてものすごいゴージャスでした。
金ぴかも、きっとほんとの金なんでしょうね?

私を呼んだ係の人は、わたしが柵から出る時に
「ユーアーベリーラッキー、トゥディ」とかいいました。
他にも何か話しかけられましたがよく理解できませんでした。

ぱあっとして、しびれたような頭で、これはまるでサイババのインタビューのようだと思いました。
ぱあっと頭も心も開いたようになったので、
その後寺のほかの場所のどの仏陀の像のところに行っても、目をつぶって少し気持ちをあわせるだけで
仏陀の像と、仏陀と一つに解け合うような感覚を味わいました。

なんとまあ。

知人は私と主名のあまりの俗っぽさにやばいと思ったのか、
今日は会っても言葉を交わさず、瞑想状態で先に帰ってしまっていましたが、一応ご飯を食べる約束をしていたので
彼女のホテルまで行ってロビーに呼んで、一緒に「シュリラム」とかいうインド料理屋に行きました。
知人は「私たちは今、ランカのラーマのところにいる。シータはどこ?探さなくちゃ」などと何回か言っていました。
あまり芳しいリアクションは返せず。

この、仏陀の歯のインタビューは、外国人が2回以上プージャに通えば呼ばれるものなんだろうと思いましたが、
知人いわく、めったにないそうです。
しかも外国人は。とのことでした。
知人は前回のスリランカ旅行の時にやっぱり呼ばれて中に入れてもらったそうです。
なるほど、スリランカから帰ってきた知人にインドであった時にすごいさっぱりしてさわやかにいい感じになってたのは
この祝福を受けたことから来るのもあったのかもしれません。
今回私がスリランカに来ることにしたのも、そのスリランカ帰りの知人の表情のかなりの好印象も影響しているはずです。
中に入ったことを知人が今日私がたずねるまで話さなかったのは、それが彼女にとって
非常に深い体験だったことを表しているに違いありません。
その体験は地上の楽園体験だったと言っていました。
私が「まるでサイババのインタビューみたいだった。」と言ったら
「仏陀のインタビューね!」と言っていました。

知人はドイツ人で、今までは仏教に興味が無かったそうですけど、今はずいぶん興味があるみたいでした。
で、今後の旅行のプランや泊まってるホテルはどうかとか色々しゃべってたら、
ブッダガヤの話になって、私は2回行ったことがあるので聞かれるままにしゃべっていたら、
10年くらい前にいったときにスリランカ寺院に宿泊していたことを思い出しました。
すっかり忘れていました。
今回のスリランカ旅行とその10年前のブッダガヤでのエピソードがなにか音も無くつながった瞬間でした。
そのことについてお互い多くはそれ以上話ませんでしたけど、
何もかもがつながっていることをここでも見たのでしょう。
それ以上話さなかったというか、それ以上話す必要がありませんでした。

今日はすばらしい日でした。
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【2008/03/28 02:17】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月25日 インドビザ申請
25日は朝のプージャの時間に仏陀の歯の寺に行く予定にしてて、いちおう早朝に起きて髪と体を洗って用意したのですが、
主名が起きなかったし、私も眠かったし、狼青年トゥクトゥクドライバーの導きで寺に行くのもいやだったので行くのをやめました。
狼青年はうちらとのつながりが切れるのであせって、うちらの今後の予定をその場で決めて把握しようと努めていました。
必要なら電話するからと言って、今後の約束はせずに一人でプージャに行ってもらいました。
(本人の話では、普段から毎朝プージャに参加しているそうです)

さらに数時間寝てから町に出て、証明写真を撮って、インドビザを申請しに行きました。
うちらは前回のインドのビザが切れたあとはレジデンシャルパーミットとかいうので滞在する方法をとっていて、
それはオッケーなのですが、普通じゃないので、
その、インディアンハイコミッションの出張所みたいなところでうちらの次のビザをどうするかの判断に手間取って、
なんか事務所みたいなところに通されて責任者と軽く面談みたいなことになったりして、
どこに住んでるのと聞かれて、プッタパルティと言ったら相手ははははと笑ってましたけど、
本来スリランカでは3ヶ月ビザがもらえるところを、うちらには2ヶ月しかあげれないと言われました。
しかもスリランカで取れるインドビザはマルチプルじゃなくてシングルビザなんですね。知らなかった。

しょうがないので2ヶ月で了承しましたが、
予定ではスリランカでもらったビザの期限の来た後はまたインド国内で延長しようと思っていましたが、
無理かもしれません。

その後町でご飯を食べて、仏歯寺に行きました。

ボディチェックを受け、
綺麗に整備された芝生の参道を抜けてくつを預け、寺に入ろうとしたらそこにいたおじさんにこっちこっちと言われて
説明を受けながらついていったらヒンドゥ寺院に着きました。
で、「ドネーション。2000ルピー」と言われ、ドネーションの記録ノートを見せられました。
ガイドブックにも載ってた、ヒンドゥー寺院でのドネーションの強要だなこれは、と思い、
なにそれ、これはティーステンプル(仏歯寺)の入場料?とか聞いたら、最初はおじさんたちは
「どっちもいける」などと言っていて、
違うのを知ってたから、もし完全にうそを言ってたらどこかに訴えようと思い、
さらにこれはティーステンプルの入場料なのか、私はこれを払わないといけないのかと何度か確認したら
「ティーステンプルの入場料とは違う」と認めたので、
大きな心で、普通のお賽銭レベルのそれでも少し奮発して100ルピーだけ渡して、ノートに記帳してそこを去りました。
ぼうさんやおじさんも、うるさそうな日本人だと思ったのかそれ以上は言わず、「サンキュー」とか言っていました。
ノートにはたくさんの日本人の署名とそれぞれ2000ルピー寄付したことが書いてありました。
間違いなく、従順な日本人が選ばれてカモにされています。
だって、毎日一人で通ってるドイツ人の知人はそんなの全然知りませんでしたもの。

心底なさけないヒンドゥーテンプルよ、と思い、さらにいろいろガイドしようとするおじさんを無視して、
来た道をまっすぐ帰って目的のティーステンプルに入ろうとしたら警官に止められました。
途中くぐったゲートは一度出たら逆行して入れないことになってるそうです。
ここで私はぶちぎれました。
おじさんはぐるっと回ったら入れるからさらに遠回りさせて案内しようとするけど、
主名は裸足で歩いて足が痛いのと疲れたのでもう歩かなくて、私が抱く羽目になるし、
私も裸足で足が痛いし、なんやねんこのおっさんは!と思って、
個人的に最近ヒンズー教に嫌気がさしていたこともあり、スリランカとスリランカ人がこの数日でいっきに嫌いになってたこともあり、
もうどうにも止まらなくなって
私が嫌いなヒンズー教とスリランカとスリランカ人の全部凝縮されてミックスした化身のようなこのおじさんに爆発し、
おじさんの案内で遠回りしてティーステンプルに行かずに、参道の入り口まで戻ってしばらく休んでから最初からやり直しました。
ボディチェックをする警官などがあちこちにいるので、そういう人らにこのおじさんは最低だ、なんだこのおっさんは、と
訴えながら行きましたけど、みんな承知してるので「まあまあ」となだめるだけ。
ここは聖地じゃないのか?何でこういうのを放置するんだと思って、心底いやになりました。

中に入って金色の仏陀のところで、柵の内側に来るように坊さんたちに言われて横から中に入ったら、
金色の仏陀の前に導かれて、花を渡されて、仏陀に奉げるようにいわれました。
自分で入ろうとして入れる場所じゃないのでおおっ、と思いましたが、
花を持って祈る前に「ドネーション」と言われました。がっくり。
目の前の盆の上には見せ金として500ルピー札がおいてありましたが、20ルピー置きました。イナフ。

ほんといやになって、
その後寺の中のミュージアムで会った初老の坊さんはまじめそうでいいと思ったのですが、
その坊さんにも「私に少しドネーションくれる?」とか言われて、「なんで?」と言ったら
「ほんのちょ~っとだけだよ。だめ?」とか言われて、ぼうさんの威厳も何もあったもんじゃないし、
私が情けなくなって、仏陀の歯も、たかが歯だし、べつにすごい見たいと思ってたわけじゃなくて、
逆に、たかが歯やん、と、多少あほくさく思ってたので、
その仏陀の歯のあるところの前の床で座って、嫌悪感で心身ともに疲れてぐちゃぐちゃになった自分自身を休めていました。
現実に嫌気がさしたので、しぜんに瞑想のような状態で目をつぶっていました。現実から自分を遠ざけて。
真実の中に自分を休めて。

そしたら主名が、私の知人、バンガロールで離れ離れになった知人を見つけて教えてくれました。
なんと、再会できました。この仏陀の歯の前で。
これは自分にとってはちょっとしたミラクルというか、明らかに恩寵が降りました。

近況を報告しあって、しばらくすると夕方のプージャが始まりました。
大きな音で太鼓などが演奏され、知人は以前も一週間キャンディにいて、
今回もすでに6日目で、一日3回あるプージャにみんな出てたので、勝手を知ってて、私たちを
仏陀の歯を間近で拝める柵の中に入る列にさっさと並ばせました。
扉がバーンと開いて、仏陀の歯が入ってる金色の入れ物が公開されました。
歯じたいは直接見れなくて、(知人のはなしによると、5年に1回見れて、たぶん来年がその年だそうです)
プージャの時にはその入れ物が見れるんですけど、
金ぴかで迫力があります。
ライトアップもされてピカピカに光って。

列が進んで、持参した花を歯にささげてその瞬間何秒か金ぴかの入れ物を拝んで、そして
柵の外に出るので、柵の外からも、扉が開いている間はその金ぴかの入れ物を拝めます。
写真をとってもいいみたいだったので撮りました。

しばらくして扉が閉まったので、終わりと思って床に座ってたのですが、
しばらくするとまた扉が開いておなじことが繰り返されたので、また列に並んで近くで拝みました。
一回のプージャで2回扉が開くことになってるんですかね。

その時間帯は普段開かないほかの部屋もいくつか開いていて、クリスタルの仏陀とか、
たぶん椰子の葉に書かれた、古代の聖典とかを見ることができました。

その後は知人と一緒にピザハットでピザなどを食べました。
ホテルについたのは10時半で、遅く帰ったのでホテルの人たちは心配していました。

朝からホテルに帰らず出っ放しだったので、すっごい疲れました。
【2008/03/28 02:16】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月24日 象いっぱい
3月24日 象いっぱい

24日と25日は日記を書く時間が取れませんでした。
24日は朝から象の孤児院にいって赤ちゃん象にミルクを飲ませたりし、その後は別の象の施設にいって大人の象に乗りました。
象の孤児院ではたくさんの象がそこらへんにいました。
でも、みんなちゃんと教育されてるから人間のすぐ近くにいても危険じゃないみたいです。
一頭だけ、森の中に隔離されてるのがいましたが、それは最近保護された野生の象で、
まだ教育されてなくて、象使いの象言語を理解していないのですごい危険だそうです。
なるほど、雰囲気が他のとは違って、表情も怖いし、近くに行こうものならすぐに踏み潰されそうな
危険なオーラを出してました。

象乗りは今回の旅行の一番重要な目的だったので(ビザよりも)、こなした、というかんじです。
象洗い体験もあって、主名が川に入りたがらなかったので、
なんでわたしが・・・と思いながらズボンをまくり上げ、川に横たわる象に水をかけてごしごし洗いました。
私の水のかけ方がまだるっこしかったみたいで、そのうち象は自分の鼻で身体に水をかけ出しました。

乗ってるときは、象の後頭部をまじまじと見ました。頭蓋骨の形がはっきり見えてて、
象の頭はニコちゃん大王みたいなお尻型にくびれていました。
象の肉の中には骨があるんだなあとしみじみ思いました。
そして頭にはごわごわの毛がいっぱい生えていました。
乗ってるうちに象に当たる脚の部分が暑くなって来ました。
象の体温?わたしら?人象双方の?
象使いは「ダハ!ダハ!」と言いながら象をあやつっていました。「なんとかかんとか、ダハ!」といって。
あとで主名が真似していました。

いちおう主名は大満足。

かえりにスパイスガーデンとかいうとこに行きましたが、スーパーで10ルピーで売ってるようなものを
ラベルを変えて100倍くらいの値段で売ってるそうです。
もし行かれるなら気をつけてください。
私はいくつか買ってしまいましたよ。

午後はボタニカルガーデンとかいう、広大な公園に行く予定でしたが
主名が寝たのでそのままホテルに帰りました。

途中で最初私が行こうと思ってたデボンレストというホテルがあったので、
あ、ここだ、と思い、「デボンレストがここにあった」とトゥクトゥクのドライバーに言ったら
「ここは結婚式だけで宿泊はできない」とか言っていました。
あとで今泊まってるホテルのオーナーに聞いたらデボンレストにもちゃんと宿泊できるそうで、
またドライバーのうそ発覚。
ドライバーはうちらをデボンレストに連れて行かずに同系列のホテルデボンという高級なところに連れて行って、
私が予算とあわなくてそこに泊まることをあきらめさせて、自分の紹介するホテルに連れて行ったんですよね。
紹介料のために。
他にもどうでもいいようなうそが発覚してます。

なんかスリランカとスリランカ人が嫌になりました。

ホテルについてしばらくしたら雨がザーザー降ってきたので、公園をキャンセルしてよかったと思いました。

【2008/03/28 02:15】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(1) |
3月23日 キャンディアン・ダンス
今朝7時半くらいのインターシティバスでニゴンボからキャンディに移動しました。
3時間半くらいかかったでしょうか。
少しゆれたりキャンディに近づくと山道に入ったりしましたが全然しんどく無かったです。
一人180ルピーで、荷物を含めた3座席分と、40ルピーはサービスで引いてくれたみたいで
500ルピー払っておつりなしでした。

途中でテロ対策らしき、警察の検問と荷物チェックがありました。
私服警官だったので最初何かと思いました。20人ぐらいでチームを組んで色々チェックしたりしてるみたいで、
私たちのバスがチェックを受けて出発した後に別のところで草むらに爆発物が無いかとか調べてたんでしょうけど、
また、別の私服警官のチームを見かけました。
男女混合チームなので、草むらを調べてる光景は町内会の掃除のようでした。

しかし、スリランカの町の光景は、わたしにとっては緊張感を起こさせるものが無いです。
文字は見慣れたテルグ語のようなグルグルの似たような字だし、
赤がわらの屋根は沖縄のようで、町に走ってる日本の中古車などに漢字や日本語がけっこう見られます。
なんとか幼稚園とか、何とか建設とか、そういうやつです。
バスの扉には漢字で「非常口」とか書いてあるし。
タイの雰囲気とかも少しあり、(実際、タイからの輸入のものも多そうです。)
現実で見た光景を全部混ぜて合成して夢の中で再現してみているみたいな気持ちになります。
頭も何かどこかぼんやりします。

しかし、ご飯はすごくおいしいです。
ホテルはガイドブックに書いてあったところに行ってみたらむちゃくちゃ高くなっていたのでやめて、
そのままそのトゥクトゥクのドライバーの知ってるホテルを3軒ほど回って決めました。
朝食込みで2000ルピー、ホットシャワー、バスタブつき、もし昼食か夕食をホテルで取ればインターネット無制限で使用できる
とかいう、そんなところです。きれいです。ランドリーサービスもあり、小さいけどプールもついています。
あんまり見ないけど大きいテレビもあって、世界の番組が見れると言ってたような気がします。
バスタブが決めてでした。バスタブの風呂に飢えてるので。

若いけどなかなかやり手のオーナーらしく、キャンディにホテルを3軒経営してるとのことで、
ドライバーいわく、おくさんが金持ちだとか何とか。
都会的な雰囲気のホテルです。男っぽいと言うか。一歩間違えたらやくざっぽいというか。
でもさっぱりしてるほうが今の気分に合うのでそこにしました。
外国人専門にしてるとか言っていました。ローカルは泊めないとかなんとか。(でも泊まってるみたいでしたけど)
オーナーはぶれてないかんじはいいと思います。
パソコンなど金目のものを外出時にフロントに預けたら、紙に品物をリストアップして書いてはんこを押してくれて、
しかし、部屋においておいても誰も入らないし誰も取らないから大丈夫、と、笑われました。
インドではホテル側が部屋にあるものに責任持てないからフロントに預けるようにとすすめますから。
プッタパルティのアパートにおいておいても泥棒にみんな持っていかれそうな気もしたので、
金目のものはみんな今回持って来たのでした。
オーナーは自分はクリスチャンで、スリランカでは少数派だといっていました。10パーセントくらいだそうです。

他に回ったホテルで、医者の奥さんが家庭的なもてなしをするようなハイソな家庭の雰囲気がうりみたいなところも
ありましたけど、私はそういうのはうっとおしいからいやです。
だいたい、自分は独身、既婚、子供のあるなしを問わず、おかあさんぽい人とは合わないのは分かってるので。

もう一つのホテルも景色などもなかなかよかったですが、ちょっと町から離れすぎてて徒歩で町までいけないので、
案内してくれたトゥクトゥクに動きを完全に把握されるのもうっとおしくていやだったし、パンフレットだけもらって去りました。

案内してくれたトゥクトゥクにはここらへんではめずらしく、サティアサイババのカードがフロントに飾ってありました。
ロシア人のおばあさんたちがくれたそうです。
ドライバーはフレンドリーすぎて今のところ私はかなり引いています。
握手も3回求められたけど、2回目にしょうがないから1回して、後はいやだし拒否。
地元の人とあまり必要以上にしゃべらないように、あなたは若いからとその年下のドライバーがいうんですけど、
そのドライバーとあまりしゃべり過ぎたくない感じです。
家に遊びに来てとかいわれましたけど迷い無くノーと言いました。そんなんで時間を使いたくないです。
色々野望を持ってるみたいです。あとで、外国人と結婚したいとかもらしていました。
最初は妻と子供がいるとかどうでもいいうそをついていたのですが。
勝手にどうでもいいうそをついて、数時間後に勝手に白状して、ソーリー、、、とか謝られても、どうでもいいんですけど。
近い将来の野望としては、キャンディ以外の観光地もわたしたちをトゥクトゥクに乗せて回ることを考えてるようです。
何時間もトゥクトゥクに乗ったらしんどいし、ずっと一緒に行動するつもりにもなれないです。うっとおしいし、高いし。バスがいい。

しかし、今日の夜はキャンディアンダンスをそのトゥクトゥクで見に行きました。
自分でもいけるけど、どうせ帰りには坂道なのでトゥクトゥクに乗らないといけないし、多少コントロールしてもらえると楽なので。
お互い持ちつ持たれつといったところで。
高台に行きと帰りに連れて行ってくれてキャンディの昼の景色と夜景をみせてくれました。
スーパーによってもらって、水とかちょっとした食べ物を買って帰りました。ホテルと町の単純往復は300ルピーなので、それにプラスして、
多くは無いですけど700ルピー渡しました。

ダンスは、最初女の人たちが踊ってるのを見たときには「シュールパナカ!」と思いました。
ラーヴァナの妹かなんかのことです。
スリランカではラーマーヤナの物語では悪の巣窟のランカですけど、日本でも西洋人を鬼畜扱いしていたし、
インド人がスリランカ人に対して悪扱いするのは、異質なものに対する排他的な精神構造の産物なんじゃないかと思っていましたが、
今日の踊りはなるほど妖気が漂っていました。「シュールパナカ!」
蛇使いの霊力に操られておとなしくなるコブラのダンスなんかもあって、なかなか興味深く、凄みを感じました。

デジカメの写真には白い丸いやつがけっこうたくさん写っていました。
この白い丸いやつはよく何かの霊だといいますけど、疑問を感じる時も多いです。
でも、やっぱり撮った状況や雰囲気と、その白い丸やつの出現は一致してるので、やっぱり、何かが来てるんだなあと思います。
スリランカでは平均よりもそういう霊魂の人口密度みたいなのが高いような気もします。
その後、高台から夜景を写したのにも白いのが写っていました。
ダンスのところから連れてきてたりして、

コブラのダンスにも白いのが写りまくっていたし、やっぱり、来てるんだなあ、と。
別の男性のダンスでも、上手に踊っていた人の頭のところに巨大な白いやつが来ていました。
やっぱり、霊的な存在なんでしょうね。
それに、こんな見世物みたいなダンスでも、やっぱり宗教儀礼のダンスとしての力は失われていないんだなあと思いました。

火渡りもありました。
最初に仏陀にお祈りしてからやっていましたけど、
仏陀は苦行は否定したはずなので、なんか奇妙な気もしました。

主名は面白かったみたいで、明日もまた見に来るとかいっていました。
3箇所くらいあるみたいだし、見比べてみてもいいかも。
どうせ主名はただだし。大人は300ルピーくらいです。100円くらい?
【2008/03/25 01:13】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月22日 ムトゥラジャワラビジターセンター
今日はやっぱり朝はゆっくり寝てて、(主名は咳き込んでましたけど)昼前に朝食を食べ、
ムトゥラジャワラビジターセンターというところに行くことにしました。
ガイドブックによると、マングローブの生えてるようなところをボートで2時間かけてバードウォッチングができるとのことで、
バードウォッチングはまあ、どうでもよかったんですけど、
主名はボートに乗ったら楽しいかなと思い、わたしはマングローブの生えてるような環境が好きなので、
行って見ました。

オートリキシャはここら辺ではみんなトゥクトゥクと言っていますが、
なんか感覚的にインドよりも割高な気がして、行きだけトゥクトゥで行って、帰りはバスで帰ってこようと思いました。
バスで帰ってきて、ニゴンボのホテル街ではない、一般の街中もちょっと見てみたかったこともあり。
しかし、ホテルの人が手配してくれるというやつも、道でたずねたトゥクトゥクもえらく高い気がして、
(ホテルの人は往復800ルピーと言っていました。ほんとだったら安いけどその時は高く感じました。。
それに片道と言ったら話しはなしになりました)
道で聞いたら片道800とかそんなんで、交渉しても600だったので、なんとなく考えてた片道400とは合わなかったし、
道で聞いたドライバーの感じもよくなかったので、いやになって、バスで行くことにしました。

ホテルの前からニゴンボタウンまでは905番のバスで11ルピーでした。
ニゴンボのバスターミナルからコロンボ行きの240番のバスに乗って、トゥデラというところまでは23ルピーでした。
ガイドブックにはそこから1,5キロの道のりと書いてあったので、たらたら歩いていたら雨が降ってきて、
雨宿りしてまた歩き始めたら273番のバスが来たのでそれに乗りました。
1,5キロどころかずいぶんありました。
私たちが降りたトゥデラの場所が、ガイドブックに書いてあるトゥデラとは同じトゥデラでも離れた場所だったのかもしれません。
1,5キロどころかあんまりバスが進むので、心配になって、
そこらへんで比較的開けた町で他の人たちが降りるのと一緒に降りました。
近くに座ってた人たちがものいいたげな顔をして見ていたので、降りるの、まだ早いのかなあ、と思いつつ。

で、近くの薬局で聞いたら、ビジターセンターはそんなに遠くは無いけど、どうも道が分かりにくそうだったので、
その薬局にいたおじさんがトゥクトゥクと交渉してくれて、60ルピーを50ルピーに軽く値切ってビジターセンターまで行きました。
なるほど、歩いてだったら絶対スムーズにはたどり着けませんでした。私たちでは。

ビジターセンターでは先発のボートが人々をたくさん乗せて出発した後だったので、
私たちは本来大人一人500ルピーのところ、800ルピーほどで、1時間半でどうだと言われました。
OKして、ガイドとボートを操縦する人と私と主名でいっぺん出発しましたが、
どこかの旅行会社から電話連絡が入ったかなんかで、出発地点に引き返して、
ガイド付きで来ていた年配の白人カップルを拾って、再度出発しました。
わたしとしても、その方がガイドと白人カップルのしゃべるのを聞けて気楽でよかったです。

バードウォッチングですが、まあ、色のきれいな鳥がいたり、鵜みたいなのやサギがいたり、ガイドが色々教えてくれていました。
時々は植物の説明をしたり。マングローブココナツとかいって、水中から生える椰子の木なんてのもありました。
スリランカのダンスの時に使う面の材料となるバルサの木とか、カシューナッツの木とか。

しかし印象的だったのはオオトカゲでした。水中から顔を出していて、舌をちょろちょろ出していました。
オオトカゲだから、大きいし。しょっぱなから、これはなかなかインパクトがありました。
そしてそのすぐ後に、オオトカゲの赤ちゃんも日向ぼっこをしていました。
こちらは大きめのトカゲサイズでした。
ガイドに日本語でなんと言うか聞かれたので「オオトカゲ。トカゲ。」と教えました。
ガイドの日本語の語彙は「サギ」と、「すずらん」でした。

ワニの赤ちゃんもいました。1歳くらいだそうです。
大きいのは捕獲して、どっかに移すとか言っていました。
でも往路で普通のでっかいワニも見ました。
1,5メートルくらいでしょうか。
ボートの音に驚いてあわてて水中にもぐってどこかに逃げていきました。
発見が遅れて、近づきすぎて逃がしてしまったので、ガイドは「シット!ソーリー。」とか言っていました。
主名は残念ながら寝てて、カップルの奥さんも見逃したので、私と、カップルのだんなのほうだけ見ました。
水蛇も見ました。毒が無いやつだそうです。
わたしはこういう、動物を発見するのとかけっこうめざといし、カップルのだんなのほうもだんだん乗り気になってきて
何かいないかと、一生懸命あたりを見ていました。

運河を抜けて広々としたラグーンに出てから、たくさんのくらげがいる場所を通りました。
くらげの群れがいるとは予想外だったので、ちょっと興奮しました。
海水と淡水と混じってるそうです。
毒はないそうです。

実際に1時間半だったのかは時計を見てなかったのでわかりませんが、充分案内してもらいました。
主名は途中で寝たし。
バードウォッチングというか、水辺のサファリだなー、と思いました。
こういうの好きです。

終わって、後で白人カップルが加わったし安くなるかと思いましたがやっぱり800ルピーでした。
でも、充分堪能したしもともと安いのでそのまま払いました。

白人カップルはガイドの車で去っていったので、うちらはトゥクトゥでもいいかな、と思ったけどバスで帰ることにして、
ビジターセンターのガイドにバス停を聞いて行きました。
ここかなと思って立ち止まってたら違ってたみたいで、
仕事が終わったそのガイドが来て、バス停まで一緒に行ってくれました。
で、来るバスの方向とか教えてくれて、
「もうすぐあなたたちのバスが来ると思う。音が聞こえたから」とかいうので、
さすがガイドだな、と思ったけど違ってたみたいでなかなか来ませんでした。

自分としては方向が逆な気がしたけど、ガイドが言うんだし、と思って、来た273番のバスに乗りました。
ガイドは逆方向のバスに乗って去っていきました。
直接ニゴンボまでいけるらしく、便利だなと思いましたが、道がぼこぼこでなかなかハードでした。
ニゴンボまでは25ルピーで、海岸沿いの道を走り、時々海が見えました。
きた時の240番は舗装された平坦な道を走ってきたので、行きと帰りでは違う道を通って帰りました。
主名は気持ち悪くなっちゃって、降りたいとかいいましたが降りたら次いつ来るか分からないし、なんとかこらえさせて、
ニゴンボのバスターミナルに着きました。
バスを降りて歩いてても気持ち悪いというので、バスターミナルの横の公園でしばらく休憩して
遊んでるうちに主名も回復しました。

行きに買ったパンがおいしかったので、帰りも買いました。
明日も移動なので。
ニゴンボタウンからホテル街までまたトゥクトゥクでいいかなと思ったのですが、
またもやなんとなくバスにしました。
トゥクトゥクだと200ルピーとか言われるけどバスだと11ルピーですもん。
バスターミナルで翌日のキャンディ行きのバスの時刻を確認しました。
直接キャンディに行く速いバスがあったのでよかったです。

うちらの今日の買い物は私と主名がそれぞれでっかい陶器のマグカップいっこずつ(まったく旅行に向かない買い物!)
と、主名はたこ。空に飛ばすやつです。
これも長くてかさばるけど、まあ、いいやと思って。
ほんとは早くホテルに帰ってきたら浜辺で凧揚げをしようと思ってたのですが、
帰ってきたらもう暗かったので、今日はできませんでした。

ホテルの道路を挟んだ斜め向かいのレストランで食事をしました。
こじゃれたオープンエアーというんでしょうか?そういうレストランで、トイレを借りに裏から建物の中にはいると、
なんだかやけにロビーもすばらしくて、トイレもちょっと説明が難しい、見たことが無い洗面所の水の出し方で、なんじゃこりゃ?と思い、
レストランの給仕に「ここは何?ホテル?」と聞いたら、ホテルじゃなくて、結婚パーティ用のレストランだそうです。
なるほど合点がいきました。
ザ、ホワイトローズ、とかいうレストランです。
ちなみにうちらが泊まったホテルはトパーズビーチホテルです。
老舗な感じのところです。
朝食込みでダブルのエアコンなしホットシャワーで3000ルピーでした。
通すつもりは無かったけど、空港の紹介を通しちゃったから少し高くなったと思います。250ルピーくらい。
タオルとかぼろかったけど、居心地は悪く無かったです。
なにより予想していなかった子供用のプールがあったので、充分泊まった価値はありました。

明日は朝7時にここを出て、7時34分とか言ってたと思いますが、そのバスにバスターミナルから乗って
古都キャンディに行こうと思います。
ホテルにトゥクトゥを手配してもらったらホテルからバスターミナルまで150ルピーでした。
やっぱりホテルに手配してもらったほうが適正価格で安いです。

主名は今日はいっぺん気持ち悪くなったけど、バスにいっぱい乗れて嬉しかったそうです。
5回も乗ってしまいましたから。
明日、またバスに乗って違う町に行くのも嬉しいそうです。
【2008/03/25 01:09】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月21日 ニゴンボ
3月21日 ニゴンボ

前日寝たのが2時くらいだったし、あさは1時半くらいまで寝ていました。
主名は咳き込んで起きて、水を飲んで寝たら少しおしっこを漏らして、ぎゃーっと泣いて起きました。
私も不機嫌に起きて、こんなに環境はいいのに私たちのレベルが低く、粗雑なことよ、と思いました。

ベランダからは昨日は見えなかった海が見えました。
想像してたより90度ずれた方向が海でした。
すばらしい。すぐそこに打ち寄せる波。

朝食もつけてもらっていたので、
ホテルのレストランで11時前でしたけど朝食を食べました。
フルーツの盛り合わせが来ました。
パンがおいしかったです。
インドの小さい薄い食パンじゃない!
普通の食パンだー。バターもジャムもみんなおいしい。
主名にはシリアルとミルクが来て、紅茶も来ました。
主名は「みんな好き」と言って食べていました。

給仕してくれたおじさんはタミルナドゥから来たインド人でした。
でも雰囲気はもうスリランカのそれ。

疲れがまだ抜けてなかったので時間をかけてゆっくり食べました。
レストランは中庭に面していて、プールでは白人のおばさんが泳いでいました。
アシュラムの肌を露出しない服装になれていたので、単なるワンピースの水着のおばさんなのに
すごいものを見てしまってるような気になりました。
私も水着を用意しておけばよかったなあ。
まさかプールで泳ぐとかそういうことは思わなかったので。

主名が落としたパイナップルをリスとカラスが奪い合っていました。

主名はインドでは、スリランカの海には行かないと言い張っていたのに、
(カニに挟まれるからとかなんとかいって)
いざ海を目の前にすると今すぐ行きたくなってうずうずしていました。
でもいっぺん部屋に帰って、ぬらしてもいい服に着替えて、
帽子もかぶって海に行きました。ホテルの中庭からそのまま出れるすぐ目の前です。

主名は喜んでましたけど、いざ海の水が押し寄せたら「つめたい~」と言って泣きました。
実際はぬるいし冷たくないんですけど、水は水だから彼には耐えられないらしく。
様子を見てた人らはみんな笑ってました。

軟弱者め!と思いましたがしょうがないので主名は砂地にあげて、私だけ海に入りました。
デジカメを持ってるので全部は入りませんけど、
久しぶりに海に入って感動しました。
プッタパルティのわずらわしい人間の思惑の渦よ、この打ち寄せる波で洗い流されてしまえとばかりにだいぶ長いこと、私だけ海に入っていました。
その間主名は、波が打ち寄せるたびに海に砂を投げていました。
やられたらやり返せ、やられる前に攻撃せよ、それが防御だ!のインド流人間関係のつくり方でしょ?それは。海には効かないよ~という目で私は彼を見ていました。

去年3月にインドを脱出した時もそうでしたけど、
いるときにはそうは思わないんですけど、インドを出てみるといかにインドに疲れていたか気がついて、もうインドに、というかプッタパルティに戻りたくなくなります。
あれはおかしいよ、ゆがんでるよ、という気がして。

自然のリズムを今日一日たっぷり感じてすごくリフレッシュしました。
波の音、その速さ、におい、大きなうねり。
人間のリズムの毒が中和されました。
バンガロールでたっぷり吸い込んだ排気ガスも。

海の水はきれいで、ごみもほとんどないし、いいところです。ここは。
ホテルのすぐ近くの浜にはアメリカ人が寄付した公園があって、主名はそこでも遊びました。
同じような遊具がババの小学校にもあって、前に少し主名を遊ばせたことがありましたけど、インドではそういう気の利いた遊具は希少価値が高すぎて、普段遊べない一般の子供たちはかなり殺気立ってて、けんかも勃発していました。
遊ぶスピードもむちゃくちゃ速いし、子供たちは早送りのようにすさまじいスピードで動き、遊んでいました。

今日の公園は子供たちの数もそんなに多くないし、穏やかに楽しく遊んでいました。
それがほんとだと思うんですけど、
インドだとなんでも過剰なので標準がおかしくなります。
主名もインドのリズムがまだ抜けないのでほかの子供たちの中にいると時にがつがつして見えました。押して押して押してさらに押す、という態度です。
他の子が遊び終わる前に予約の意味でその動いてる遊具をつかんだり。まだ遊んでるのに。
うっとおしい!やめろ主名!
インドは何かがおかしい。。。

散々海辺で遊んで満足したのでホテルに帰りました。
中庭のプールでこどもたちが遊んでるのを見て、主名も遊びたいというし、
大丈夫か?(咳してるし、海や公園で遊びまくった後だったので)と思いましたが、
短パンにさせてプールに行かせました。

そしたら遊んでた子供の保護者が気を利かせて浮き輪を一つ貸してくれたので
その子たちと一緒に主名もそれから2時間くらい水に浮かんで遊んでいました。
プールは3分の2が大人用で、3分の1が子供用に区切って浅くしてあったので、
足がつくしよかったです。
主名は初プール初浮き輪です。
日本に帰ったらプールに連れて行こうと思っていたのですが、思いがけずここでその願いが満たされました。
主名は2時間くらい遊んでいましたが、他の子は4時間くらい泳いでて、
主名があがったあとも飽きもせずまだ泳いでいました。

レセプションに預けていた貴重品を受け取り、
部屋に帰ってシャワーを浴びたらお腹がぺこぺこになってたので、
外のレストランに食べに行きました。

きれいなレストランで、こじゃれた盛り付けで料理が出てきました。
味もそこそこ。
満腹で、多かったので少し残しました。
800スリランカルピーくらいの料金でした。
おおざっぱに日本円だと900円くらい、インドだと300ルピーくらいですか?
責任者が何回も満足したかとか聞きに来ました。
これがスリランカ人のホスピタリティとか言うやつですか?

その後腹ごなしに散歩しました。
だいぶ歩いて、教会があって、そこからまた海に抜けて暗くなるまでまた海にいて、
主にカニを見ていました。
主名はカニの穴に砂を注ぎ込んでいました。
でもカニはめげずに砂を運び出すし動きも早いから主名ごときのいじめは効かないようすでした。

月は満月でした。
わたしたちは満月の日にスリランカにやってきました。
その日は航空運賃が高いからやめたんですけど、
結局飛行機が遅れて日付をまたいだので21日になりました。
今日はグッドフライデーとかいって祝日だそうですけど、なんですかそれ?
キリスト教ですか?
スリランカは仏教国らしいですけど、ここニゴンボの個人的な印象はキリスト教が強いです。
なんでも、めでたいならいいですね。
仏教の寺でもなんか行事だったはずです。
空港からタクシーを走らせていた時には白い仏陀の像がいくつかありました。
ヒンドゥーのごてごてぐちゃぐちゃの像と対照的に見えて、
心の中がスッとしました。

土産物屋を何軒がのぞきながら歩いて途中まで帰り、思った値段を言った3台目のリキシャで
ホテルまで帰りました。

ほんとは1泊、長くても2泊の予定だったんですけど、ニゴンボに3泊することにしました。
自分で思ってたよりも心身ともに疲れてたので、ちょっとここで充分ゆるめて
我に返ってから次の街にいこうと思います。
【2008/03/25 01:01】 | スリランカ2008 | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月20日バンガロールからスリランカへ
今はバンガロールのホテルのロビーにいます。
ほんとは今頃スリランカのキャンディにいるはずだったのですが、
昨日の朝に空港に行ったところ、イミグレを通過できなくて予定の便を見送りました。
私が持ってたのがビザと思っていたらビザじゃなくてレジデンシャルパーミットとかいうやつで、
期限内にインドを出国するならイグジットパーミットとかいうのを警察でもらわないといけないらしいです。
後で手元の書類を読んでみたらなるほどそういう風に書いていました。

うっそー、というかんじで、同行してたドイツ人の知人は先に行き、
私と主名はオートリキシャでバンガロール市内の警察に行きました。
タクシーだと300ルピーでリキシャだと150とかいうのでリキシャにしましたが
ドライバーが場所を知らなくてけっこう迷ったので、けちらずタクシーにすればよかったなとか思いました。

で、警察に行ったら「これはマルチプルだからイグジットパーミットは必要ないよ」とか言われました。
うそー、もう飛行機行っちゃったんだけど、と思い、
「でも、今朝、うちらはイミグレで止められて、空港職員に警察でイグジットパーミットをもらうように言われた」
と言ったら、警察に
「空港で何か言われたら職員にここに電話するように言いなさい」
と、警察のはんこが押された電話番号を書いた紙を渡されました。

(ここでパソコンのバッテリーが切れたので、続きはスリランカで書いています)

警察でイグジットパーミットは必要ないといわれたので、ほんとはその後、バンガロール市内の
スリランカエアラインのオフィスに行ってチケットの日付変更をするように
空港で言われてたのですが、
もしほんとにイグジットパーミットが必要なかったのだったら、この日飛行機に乗れなかったのは空港側のミスなので、
私がチケット変更の費用を出すのはおかしいので、話をしようと思ってまた空港に行きました。

飛行機が出た後の空港は閑散としていました。
入り口で、イミグレでうちらを通してくれなかった人に会ったので、警察が、必要ないからと言ってパーミットを私たちに出さなかったことをその人にいって、
電話するようにと警察の職員が書いてくれた電話番号を見せて
「電話して警察と話して」と言ったけど、その人は「あなたが自分で話して」と言って
たぶんお昼を食べに行ってしまったので、
空港の入り口のガードマンに言って中に入れてもらって、イミグレの責任者のところに行きました。

もうエスカレータも止まってたので前日にショッピングセンターで買ったばかりの小さいスーツケースを
階段で運んだりしてるうちに取っ手がもげました。あまりにもやわいじゃないですか。

イミグレの責任者が警察に電話したらやっぱりイグジットパーミットは必要なかったということで、
電話を置いた責任者は表情が一転してすごい同情的な目で見つめてきました。
そして、別の職員に言って、私たちを別室に連れて行ってチケットの変更を手配するように指示しました。

なんだやっぱり私たちの落ち度じゃなかったんじゃない、と思い、気が大きくなって、
「今日のホテルは?手配してくれるの?」とか責任者に言ってみたのですが、
とにかく別室でチケット変更を、ということで別のところに連れて行かれ、しかし、
チケットの変更も係の人らがもう帰ってしまっててできないとのことで、
翌日夕方6時に来て、9時15分のフライトの予約をするように言われました。

しかし、そんな直前の予約でもし席がなかったらいやだったので、
じゃあ今からバンガロール市内のオフィスに行ったらチケットの予約をできるのかとか
今日のホテルはどうなるのとか強気で責任者に指示を受けた職員に聞いていたら、
話をしてるうちにどうしたどうしたと割って入ってくれた全然関係ない私服のマレーシア航空の職員が
その場で私の携帯で市内のオフィスに電話して、事情を説明して翌日のフライトを予約してくれました。
イミグレはそういうサービスは管轄外のようで、ホテルも「しかし、私たちはそういうのは知らない・・・」
という風に小さな声でつぶやくぐらいしかしなくて、なにも動けない感じだったので、
全然関係ないその人がまったくの善意で助けてくれて助かりました。
それに、携帯持っててよかったー、と思いました。
携帯も、アンデラプラデシュ州で契約したものなので、空港のあるカルナータカ州ではそのままでは使えないのですが、
まだ切り替えられてなくて、まだ使えました。その1~2時間後にはもう使えなくなっていました。

しかし、イミグレの責任者はどうしても納得がいかなかったようで、
その後また警察にかけなおして私がチケットの変更をしてもらったりしている間にもさらにずうっと警察と話していました。

そしてしばらくしてまた私たちを呼ぶので責任者のところに行くと、話はまた一転して、
やっぱりイグジットパーミットは必要なので今日これから警察に行ってもらってきなさい、とのことでした。

最初事情がすぐに飲み込めなくて、「また警察に行くの?同じところに?」などと何度か確認して
これはホテルをわたしたちに与えなさい、などと言ってる場合じゃないと気がつき、
ただでチケットは変更してもらった後だったので、やぶへびにならないうちにさっさとその場を離れました。
責任者も、もう、チケット変更の費用を自分で払いなさいとか、そこまでは言わずでした。
実際、うちらも警察と空港を往復してそしてまた警察に行かなきゃいけなくて、体力的にも大変ですもん。
ケチってオートリキシャばかりを使ってるといえどもそれなりにお金もかかるし。

空港を出てタクシーやリキシャのドライバーと場所確認や値段交渉をしてると、
空港の入り口の同情的なガードマンが空港のお客さんに対応する職員(なんていうのか名称は知りません)が帰ってきたよとわざわざ教えてくれました。
イミグレの人たちと違ってお客さんへのサービス専門の人たちが帰ってきたのでやさしくって、
「もう話はついた」と言っても
「でももう一度私たちとイミグレのところに行きましょう」と言ってくれたのですが、
やぶへびになる可能性が高いので「もう明日のチケットへの変更も済みましたから。ありがとうございます」
みたいなかんじでさっさと空港をあとにしました。

警察に行ったら警察職員が待ってて、別室でさっさとイグジットパーミットを書いてくれました。
主名は疲れてリキシャの中で寝てました。

知人に教わったバンガロール市内?のホテルにその後リキシャで行って、やれやれ、でした。
ちなみにKAMATというホテルで、3チェーン店になってるうちのひとつで、
私たちが行ったのはコマーシャルストリートのところのホテルです。
ホットシャワーつきでダブルで920ルピーとかそんなかんじでした。
レストランの味もまあまあで、問題ないです。

しかしさすがにすっごい疲れて、その日はもうホテルから出ずに私も主名もぐったりして寝ていました。
主名はテレビをいっぱい見ていました。
日本のアニメのハットリくんやパーマンなどが吹き替えで放映されていました。

翌日はフライトはどうせ夜なので遅くまでゆっくり休んで、部屋で朝と昼の間に食事をした後、外に出て
ちょっと歩いて、(そこがどこなのかはまったく分からず)
インターネットカフェを見つけて、フライトのチケットはE-チケットなので、送られてきていたメール内容を
プリントアウトして、文字化けしてましたけど、まあ、必要なところは読めるからいいかと思いました。
さすがバンガロール、1時間20ルピーとえらく安かったので、
ついでにラーマクリシュナの本屋に行きたかったので検索してその地図も印刷しました。

そしてオートリキシャに乗ってラーマクリシュナのアシュラムの本屋に行きました。

アシュラムはチェンナイのよりもこじんまりしていました。
チェンナイでも思ったけど、トイレが清潔です。
坊さんたちがにこやかに話しかけてきてくれました。
その時になってはじめて、主名がサイババの似顔絵つきのTシャツを着てることに気がつきました。
主名の前の学校のスポーツウェアなので、洗ったらすぐに乾くし重宝してるんですけど、
その学校の名称やプッタパルティの住所なども書かれてあるやつです。
そんなあからさまな情報を振りまいているTシャツを着た子を連れてることに気がついて一瞬あせりましたけど、
まあいいや、と思いました。

寺の建物は子供は入ってはいけないことになっていたので外からのぞくだけでした。
アシュラムの庭にはでっかいヴィヴェーカーナンダの像とシヴァの像が設置してあって、
その非現実的な光景はこのバンガロールの街中に在ってなにかしら心を打つものがありました。

しかし、ヴィヴェーカーナンダが生きてたら、自分のこんなでっかい像をつくったのを見たら怒るだろうなと思いました。

本屋もこじんまりしてて、本屋の職員の一人は主名のTシャツの情報を見て、自分も10数年前にプッタパルティに行ったよ、とか言ってきました。
主名は本屋の外で複数の人たちにお菓子をもらって、両手をいっぱいにして本屋に帰ってきました。

本屋の外の水槽の魚を見て、昼ごろにホテルに帰りました。
ホテルに帰ってきてからしばらくしてスコールになりました。

部屋でご飯を食べて、白いご飯にゆかりを混ぜて空港用の食料を準備し、
ホテルは24時間制なので2時半にチェックアウトしないといけないので時間になったらロビーに出て、そこで夕方まで時間をつぶしました。
(そのときに冒頭の文章は書かれたのですが、すぐにバッテリーが切れたのでした)

主名はそのうちソファーで寝ました。
私は寝るわけに行かないので本を読んだり、レストランからチャイを持ってきてもらって飲んだりしていました。

6時過ぎくらいに主名も何とか起きて、オートリキシャで空港に向かいました。

途中けっこう渋滞していました。
それでも7時くらいに空港に着き、リキシャが混んでるロータリーに入るのをいやがって、
「リキシャは入れない。車だけだ」とかいうので、
リキシャ用の乗り場もあるのでは入れないわけないのも知ってましたが、(なんせ前日にうろうろしましたから)手前で降りてスーツケースを転がしていったら、4つある車輪のうちの一つがもげました。
確か、1年保障があったはずだけど、簡単に壊れすぎです。

前日のことがあるので、多少神経質になって、
人のよさそうな職員を選んでさっさとイミグレを通過しようと思いましたが、
前日と交代していたそのイミグレ職員は気の毒にもまたもや私の持ってる書類に悩んで、
これまた昨日とは交替して違う人になってたスーパーバイザーのところに書類を持っていって
しばらく話し合っていました。
というか、スーパーバイザーの説明と指示を受けていました。

わたしは、また飛行機に乗せてもらえなくても、、、と、開き直っていましたが、
今度はイミグレを通過しました。

かなり珍しいケースになるんでしょうか。私の持ってた書類は。
なんか疲れるし、あんまり珍しい方策で滞在しないほうがいいなあと思いました。

そのイミグレ職員は前日の人と違って親切で、
というか職務なんでしょうけど、今度インドに帰ってくるなら新しいビザをスリランカで取って、
私が持ってた23日で期限が切れるレジデンシャルパーミットは期限が切れるからこちらで預からないといけないから、
帰ってきたらまた新たなのを取りに行きなさい、とかいろいろ説明してくれました。
で、インドで何をしてるの?働いてるの?とか言うので、
そんなわけないし、そうだとか言ったら大変なので、
「サイババのところに、ただ、滞在してるだけ」と言ったんですけど納得がいかないみたいだったので
「ヴェーダを習ったりしてる」とか言ったら
「ああ、アーユルヴェーダ」と、個人的になんか納得がいってほっとしたみたいでした。
善良そうなイミグレ職員だったので、なんか不安を与えてしまったようで少し申し訳ないような気持ちになりました。

やれやれのやれやれ、で、出発ロビーのイスに座りました。
インドルピーは持ち出し禁止ということなので、
財布からお札をズボンのポケットに移すなど、きもち隠してセキュリティチェックを通ったのですが、
セキュリティチェック後の売店でインドルピーだし、持ち出せなかったらその売店で何も買えないよなあと思いました。

高い売店ですけど、飛行機は1時間以上遅れるとのことで、用意したごはんも全部食べて、
お腹がすいたのでべジハンバーガーとか買って食べまくりました。
主名は大をもよおしたので、荷物から離れたくなかったし一人でトイレに行かせました。

時間がかかったので、大丈夫かなあ、と思いましたが、
しばらくして帰ってきました。
手を洗うところに届かなかったけど、おじさんが抱っこして手に水をかけて洗ってくれた、というわけで、
男子トイレに行ったことが判明。
多分、主名、初男子トイレです。

結局9時15分のフライトが11時半くらいに実際は飛びました。
なんでも、荷物のコンテナの運び間違えだかなんかそんなトラブルがあったらしく。

もう眠くて眠くて。

主名は飛行機に乗れて嬉しがって質問しまくり話かけまくりでしたけど、わたしは昼寝もしてないし疲労していました。
「疲れてるからしゃべったら怒るよ」とかいって。

しかし、スリランカエアラインは座席にテレビがついていて、番組は見れませんでしたが(乗車時間が短いから?)なりゆきでインベーダーゲームをしてしまいました。疲れてたのに。
ちゃんとした機内食が出て、すでに待ってるときに食べまくって満腹だったのでほとんど食べれませんでした。お茶だけほしかったのですが、
食べたらすぐに着陸態勢で、お茶は出ませんでした。

飛行機に乗ってるときに気持ちはだれてるのに心臓がどきどきしてて、
よく考えたらまったく初めての国に行くのって10年ぶりくらいだし、身体が反応してるのかなと思いました。
主名をつれてまったく初めての国に行くのも初めてのことですし、
深く考えてなかったけど、今回のスリランカは自分にとって、意外と大きなことだなと思いました。

あっという間にスリランカについて、
(遅れて出発したからか、多分普通より飛行時間は短かったと思います)
到着した空港はタイ空港みたいにきれいでした。
電化製品の店が並ぶ通路を過ぎて、
みんなお腹のでてるスリランカのスチュワーデスを横目で見ながらイミグレを通過して、
銀行の並ぶ通路を過ぎ、タクシーやホテル予約のカウンターが並ぶあたりで誰かに話しかけられたので、
「キャッシングしたいからATMのとこに行きたい」と言ったら「外だ」と言われました。
スリランカの空港は最近新しくなったので、最新の「地球の歩き方」とも少し状況が変わってるみたいです。

ホテル予約の人だったので、自分の行きたいホテルを言うと、「そこは予約できる」とかいうし、
夜も遅くなって眠いし疲れてたのでその人のペースに乗せられることにしました。
外に出たらスリランカのリキシャも見当たらないし、タクシーでもいいや、と思い、
1300ルピーとかいうので、「900ルピーくらいと思うんだけど」というと、
ほんとかうそか、「それは3ヶ月前までの値段だ」とか言われました。
夜中なんだし、深夜料金ということで、うそでもまあ、いいや、と思い、歩いてもすぐだったけどそのタクシーでぐるっと回ってATMに行って
適当にスリランカルピーを引き出しました。

しかし、インドから来るとスリランカ人がすごい押しが弱く感じます。
インド人なら後2回は押すだろう、という提案をせずにあっさりこちらの意に沿うようにするスリランカ人。
それが普通なのかもしれないけど自分がインドに毒されていることに気がつくまでには少し時間がかかります。

タクシーは揺れなくて快適だし、道は広くてきれいだし、
涼しいタクシーの車内にいるとまるで北海道の道を走っているような爽快感を覚えました。
なんか、日本にいるみたいな気がしました。

インドからすぐ近くなのにこんなに違うとは。
以前、3メートルくらいの道幅の土の道に2メートルくらいの穴があきまくってて、よける事もできずその大穴の道を上下しながら進んだカンボジアからタイに入ったとき、いきなり広くて舗装された道路を快適に走れたショックに近いものを
今回感じました。

なんだか、深海から浅いところに上がってきて圧力の違いに適応できずにいる深海魚になったみたいな気分です。
もう外から押すものは無いのに、中から押し続けようとする自分の暑苦しさよ。
スリランカに来る直前に、
エントリービザ所持者なので基本的にインド国外に出れないプッタパルティの知人に冗談で、
「気をつけて、スリランカはラーヴァナの場所だから」
とかいわれましたが、たぶん、全ての悪魔は今はプッタパルティに来てるんじゃないでしょうか?
スリランカの気持ちのよいこと。

夜中で眠かったこともありますが、ついたホテルでも穏やかに迎えられ、まるでぼんやりした夢の中にいるようでした。
インドのように気を張る必要は無いんだからそんなに強く出なくてもいいんだと自分に言い聞かせないと
場違いに強気で下品な姿勢をとってしまいそうです。
今日は主名は色んな場所でたくさん遊びましたが、主名もインドでは他の子に混じるとうすらぼんやりして見えますが、
ここではむしろがつがつして攻撃的に見えました。
インドは何であんなにむちゃくちゃで過剰なのかと改めて不思議に思いました。
スリランカはインドと同じように思っていましたし、むしろインドより遅れてるくらいな印象でしたが、
実際に来て見るとインドよりこじゃれててきれいで、おっとりしてて、
インドのおしゃれな人たちのことを思い起こしても泥臭く思えます。

すさまじい圧力の深海には、インドにはもう戻りたくありません。
それが、スリランカ一日目の私の気持ちでした。

波の寄せる音を聞きながら眠りました。
【2008/03/25 01:00】 | スリランカ2008 | トラックバック(1) | コメント(1) |
ビザとりに。
19日からビザを取りによその国へ行ってきます。
4月の10日くらいに帰ってくる予定です。

プッタパルティはこの時期お店が引越しラッシュで、改装などで店が次々と閉店してます。
いつものネットカフェも今日行ったらドアが取り払われて中の配線とかはずされて椅子や机がぐちゃぐちゃになっていました。
その横の靴屋も写真屋も昨日部屋の中のものを全部運び出して廃墟のようになっていました。
スーパーも廃墟になっていました。
チベットのレストランも昨日から閉店しています。
涼しいところに行ったか、いま、チベットが大変なので店をあけるのをやめたのかそこらへんは知りませんが。

ダルシャンはしかし人が少なくっていいと思います。
でもうちらももうすぐインド脱出。
この時期プッタパルティはそういうリセットのパワーが強く働いてるのかもしれません。

荷造りしなきゃなと思いつつ、明日にならないと動かないと思います。
小さめの荷物で行こうと思うので、ちっちゃいスーツケースを買おうと思います。
主名が大きくなったので少しは楽に行けそうです。
ベビーカーとかも運ばなくていいし。

【2008/03/18 01:05】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(11) |
学校訪問
こないだの水曜日にまた、おばあちゃん先生に言われてついていった先は学校でした。
割と大きな学校で、ほかの人たちと一緒に朝礼台の上で数百人に紹介されました。
屋上で僧侶のもとでプージャをして、うちらの出し物はヴィーナ演奏がほとんどだったのですが、わたしはメーダスークタムとルッドラムの最初だけをおばあちゃん先生と一緒に唱えました。
多分、外人がヴェーダ、というだけで十分意味があるんだろうと思います。
しかし、へやにつめつめで疲れました。

一種の奉仕活動と思いますが、自分がインドの地元民の前でこういうのをするとは思いませんでした。
しかし、疲れました。

【2008/03/14 15:03】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月10日ババ遭遇
3月10日 ババ遭遇

昨日から主名が高熱を出してて、日本の薬では一時的にしか効かないので、
今朝はジェネラルホスピタルに行くことにしました。

主名は熱で歩けないのでずっと抱っこだったのですが、
部屋を出る時に主名を部屋の入り口に立たせて鍵を閉めようとしたら、
主名は急に体勢が変わったので、
その前にたくさん飲んでた水を入り口から部屋の中に向けて
広範囲に吐きました。

しょうがないのでその始末をして、
なんか疲れたしどうせ遅くなったし、すぐに出かけずに腹ごしらえをしてから出かけて、
アパートの前をちょうど通ったオートリキシャを捕まえることもできずに
主名を抱いてメインロードまで出ました。

そしたらちょうどババがアシュラムから出て来ました。
なんとタイミングのいいこと、と喜んでカーダルシャンを受けました。
ババは一瞬ちらっとこっちのほうを向きましたがすぐに前を向きました。

ジェネラルホスピタルで診察を受けて主名を抱いたまま
人でぎゅうぎゅうの列に立って並んで(これは苦行)薬を受け取って、
帰りもオートリキシャで帰ろうと、メインロードへ下る坂を下りていくと
今度もまたちょうどババが、今度は逆方向から帰ってきました。

すごいタイミングのよさ。
こうなると、ババ遭遇は偶然の産物ではないということをよく感じます。
今度はうちらを見たかどうかはしりませんが、ババはこちら側に顔を向けて
通り過ぎていきました。
復路のカーダルシャンは車を早く走らせて一瞬で通り過ぎることが多いのですが、
今日は往路と同様に歩くスピードくらいゆっくり通り過ぎました。

ババが車で通り過ぎるのと同時に私たちがそこに通りがかるには
そこに至るまでのさまざまな出来事(アクシデントも含めて)がどれも不可欠でした。
ババに遭遇するということは特別な色合いがあってそれに気がつきやすいけど、
最終的にわたしたちが神実現・自己実現したときには人生全体を俯瞰することが可能となり、
それまでの日常のどれもが
そこへ至る道を構成する不可欠な要素であったとそのからくりに気がつくのでしょう。
そう思うと、すべてがOKで、その事実を信頼して安心していればいいんだなという気がします。

そういうことを今日の2回の絶妙のタイミングでのババ遭遇、ある意味小さな自己実現、神実現体験を通して思いました。

いやしかし、この2日間ダルシャンも行けてなかったし、よかったです。
ほんとは神に会いに行く必要は無いんだな、私たちは神を待つ必要も無いんだな、
ともこういう体験から感じさせられます。

昨日の日曜は久びさにヴェーダ教室でしたが休まざるを得なかったのもまあ、
何かそうなるようになっててそうなってるんだろうと思います。

主名は病院の薬を飲んだら熱も下がって回復しました。
何か浄化されちゃったのか、
「主名、さわこがやさしくて嬉しいわあ。さわこ、じいちゃんに薬とかお香とかあげたし」
とか言ってます。
「主名、明日は行く時も学校一人で行くよ。お兄ちゃんになったから。4歳やし」
とか。
でもまだ熱が下がったばかりなので明日は休ませますけど。
昨日からほとんど食べてないくせに、いきなりサウスで晩御飯を食べたいとか言ってます。
人が多くてしんどくなるからやめといたほうがいいよと説得しました。

主名が病院に行くからババも一緒に来てくれたという事になっています。
2回もババ見れてすごいねえ、待たんかったねぇ、と、拍手していました。
病院も遅くにいったのですぐ診察でした。
主名は注射も無かったし、薬もおいしいし、しんどいのも無くなったしで、よかったみたいです。
で、さっき少し食べたり飲んだりして動き回り、急に血の巡りがよくなったのか少し鼻血を出していました。

明日もう一日くらいは二人とも部屋でだらだらしたりして過ごすと思います。
部屋の中のぐちゃぐちゃの部分を整理整頓したりしています。
【2008/03/10 23:01】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月7日マハシヴァ終了
昨日はマハシヴァラトリでした。
ババが車に乗らず車いすで来て、途中まで立って話をしました。
色んな名前の説明をしていました。
ババはイーシュワラで、そのお母さんはイーシュワラのアンマ(おかあさん)で、イーシュワランマだ、とか。
みんな、わーと喜んでいました。この日はシヴァラトリだから。
あとーバーラティのバは神で、ラティは法だ、インドは神の法の国だ、とか言ってたような。
定かではありません。
あと、みんなの祈りで、シヴァラトリにリンガムを出すのはなくなったとかいってたような。
(ババがいたそうで気の毒だから)
これも定かではありません。それも、わー、と拍手が起こっていました。
しかし、ババが咳き込んだりするたびに「出るかっ!?」と思ってた私はちょっと残念でした。
祈った人らはもう何度もリンガムが口から出るところを見た人らだろうしなー、とか。
ババは声もしっかりしてて元気そうでした。
バジャナビナースカのバジャンを歌っていました。

壇上には金のガネーシャが黒いリンガムに抱きついてる像がありました。
そういえば、去年日本がブッタ祭用に作った手まりの装飾もまた横のほうにぶら下げられていました。
時々飾られています。

ホールの中にも、トークンの並ぶところにも、ラーマの像のところにもモニターが設置されていました。
効果抜群。
というのはいつも、トークンのところで入れない人たちが凶暴化して実際ほんとに発狂したりすることが多いのですが、
この日は最初外が中に入れない人でわーわーとすごいうるさかったのですが、
多分モニターにババの姿が映し出されたとたん、わっと歓声が上がって静かになりました。

ホールの中でも、しゃべってるババの表情などがよく見えてよかったです。
いかに小さなサインで周りの人が動いてるかもわかりました。
ババが微妙にちょっとうなずいたり、そんなんで。

ガネーシャゲートのところには巨大なスクリーンが設置されました。
これは画期的です。
何十メートルも向こうからでもよく見えるはずです。
トラックの荷台に立てられていました。
今まで、ホールの中やトークンのところにモニターが設置されたことはあっても外にはなかったので、
いっそのこと常設したらいいのに。

わたしは夜8時の時点ですでに身体ががたがたで腰が痛くて、絶対徹夜は無理そうだったので、
クッションをホールに残してキャンティーンでご飯を食べてから部屋に帰って寝ました。
ただ座ってるだけでもきついのに、主名が何倍もの負荷をかけてくれるので。もたれてきたり、そっくりかえったり。
ホールへの階段を通過する時にずっと抱っこしてたのもこたえました。
主名はホールで朝までいるといったけど、身体がきつすぎて絶対嫌だったから帰りました。
あと、座った場所がロシア人に囲まれてて、彼女たちが周りでぎゃんぎゃん自己主張しまくりでけんかしまくりで
ともに夜をすごしたくなかったというのもあり。
暑い中長時間待つので、いつ列が動くか分からず、
トイレもなるべく行かないように水分も控えめにならざるを得ないし、みんな余計におかしくなるんだと思います。
みんなあちこちでけんかしていました。

私のも主名のもぞうりが見つからなかったから、盗られたかな、と思って、
手持ちがなかったからATMでお金をおろして店で買いました。思わぬ出費。
しかも翌日、ないと思ってたのを見つけました。

10時くらいに寝て5時過ぎに起きてまたアシュラムに行きました。
7時間ねたからすっきりしました。バジャンは12時間しかないのに。
腰の痛みも和らいで。

ホールの入り口で、セバダルに、遅すぎるしトークン(札)持ってないから中には入れないと言われました。
4時に来てたら入れたげてたけどもう6時だ、と。
「でもクッションが中にある」と言っても「中は完全に満員だ」と、セキュリティにもだめと言われ、
なおも何度か食い下がってたらべつのセキュリティが来て、
何時にホールを出たの?と聞かれ、昨日の夜。と言ったら、は?とあきれられましたが、
12時?と聞かれ、「う、うーん」と答え、(8時にホールを出た)
「どうやって(ホールの中にある)自分の持ち物を取ったらいいの?」
などと言ってたら、恩赦が降りて中に入れてくれました。
セバダルと違ってセキュリティの顔ぶれはいつもだいたい同じだから、
子連れで顔も知ってるということで時々大目に見てくれます。
ほんとはずっとホールにいて徹夜するのが基本なのは分かってますけど。

中に入ったら、席の周りの人たちが親切にも「ここだここだ」と呼んでくれました。
クッションは片付けられててもしょうがないなと思ってたんですが、
面積は4分の1か3分の1になってましたがちゃんとありました。
じつはもともと4人分の面積を確保するようにつとめてたので。
主名が横になって寝るに違いないと思ったので。
(案の定、ババがしゃべりだしたら寝ました)
タオルなどのこまごましたものもまとめられて。
多分いない間に人にもまれて散乱したのをだれかが全部袋に入れてしばってくれたみたいです。

ホールに行く前は、またがみがみロシア人の中に座るの嫌だなあと思ってたのですが、
一晩でみんな疲れて元気がなくなってたのでよかったです。
わたしも、ほんとはもうちょっと早くにホールに戻ってくるつもりだったのですが、
予定よりもたっぷり寝てのこのこ戻ってきた負い目もあり、
一晩中いなくてぎりぎりに戻ってきたうちらに文句も言わず場所を空けておいてくれた
周りの人たちに感謝の気持ちがわきました。
なので体力も回復してたし、一人分のスペースに主名とともに親子猿のように立てひざで座りました。

7時くらいだったでしょうか、ババはまた車いすで来ました。
夜を徹してバジャンを続けたみんなは感動の面持ちでした。
しばらくバジャンは続いて、
8時くらいだったか、アルティがおわり、ババはそこにそのまま残って、
学生たちがプラサードの食事を配るのを見ていました。
いつもの、葉っぱのお皿に辛目のまぜごはんとラドゥーでした。

そのうちババはかえっていって、うちらも外に出ました。

うちらは芝生のところで時間内に食べ切れなかったプラサードをたいらげました。
主名は辛いのが嫌いなくせにこれはよく食べます。

今回のマハシヴァラトリは体力温存方式で過ごしました。
そもそも、朝から並ぶつもりはなかったんですから。
夜、ババが帰った後にホールにちょっと入ってちょっとバジャンに参加して、
帰って寝て、よく朝早くにホールに行ってバジャンとプラサードという予定にしてたのがなぜかフル参加に。
しかし、ダルシャンは充分受けられました。

その日の午後のダルシャンでは、ババは何度も車いすでホール内を回り、
おいしいお菓子のプラサードも出て、どこぞのおじさんのスピーチ
(ナンバー1はババ、ナンバー2もババ、ナンバー3もババ、などと言って拍手喝采を浴びていました)に続いて
ババの講話もありました。
昨日ほど声に張りもなく咳き込んだりしていましたが、
しんみり、といってもいいような昨日とはうってかわって落ち着いたムードでした。
一晩中のバジャンで空気が浄化されたから、こんなにまったりとした雰囲気が出るのかな、とか思いました。

途中で主名がおしっこというので、
外に出て女子トイレの近くの草地にさせてたら通りすがりのインド人のおじさんにえらく怒られました。
おじさんは怒鳴りつけるだけ怒鳴りつけてどこかに行き、
その怒りのバイブレーションが浸透してしまった私はその後その怒りそのものになってしまいました。
それまで心身ともにいい状態だったのですがいっぺんにわやくちゃで泣きがはいりました。
そりゃ、たちしょんはしないほうがいいですけど、
多分、おじさんの暑さと疲労ゆえの増幅された怒りでぶたれた気がしました。

そういえば去年のこの時期、やっぱり別の人にすごい怒られたりけなされたりして、
それは主に私の英語力の不足にたいするその人の怒りだったんですけど、自分はよく泣いてたのを思い出しました。
あれも、今思えばかなり理不尽なところのある怒りだったと思います。
暑さとか色んな条件がその人をすでに怒らせてて、私の存在はそこをつついてたんだと思います。
その人はこないだ病気で死んでしまいましたけれど。西洋人です。
ちなみに彼女自身の英語も充分あやしかったのでした。
だいぶ具合が悪くなってから何度か用事で彼女に会いましたが、人は死ぬんだなあということを改めて思いました。
一ヶ月くらいで急に容体が悪くなったので、本人も周りも対応ができにくかったかと思います。
でも何人もの人が24時間体制で世話してて、ババも何度かビブーティを送ってきて、
亡くなった後は追善供養というんでしょうか、1000人にナラヤナセバで食事を振舞っていました。
私はその場には行きませんでしたが。
去年の後半からは仲良くなって、というか、向こうの私に対する怒りが変換して、愛のような表現になっていましたが、
わたしは個人的に仲がいいつもりはあまりなかったので、気持ち的には少しギャップがありました。

彼女はアシュラムの外に住んでたんですが、何年か前にいきなりババからの使いの人が来て、
アシュラムの中に引越しするように言われて、その場でセバダルだかがばーっと荷物をまとめて2時間くらいで引越ししたと
別の人に聞きました。
彼女はアシュラムの中にババの半強制の指示で移り住んだことに非常に誇りを感じていたようですが、
たぶん、だれも、本人も、こんなにすぐに死ぬとは思ってなかったと思います。まだそんなに年ではなかったです。
でも終わってみるともちろんババはそれを知っていたという。
自分にとっても、なんだか一つの時代が彼女とともに終わった気がします。

アシュラムの中って、外よりも激しく感情が噴出すようなので、危険だなあ、と思います。
自分は怒ってなくても、連鎖反応みたいに誰かの感情が入ってきて、自分がむちゃくちゃになったりしやすいように思います。
ババの庇護の下でのことなのでどこかで守りが入ってるとは思うんですけど、
ババだけプラシャンティで、他の人はみんな常にたいへんな気がします。
ま、ババの大変さはこれまた別格と思いますけど。
ババの領域に達するまではどの人もそれぞれの段階において常に不安定と思います。

別の、ここで重要な役についてる人のだんなさんもこないだ亡くなって、
そのことや、また別の、以前、知り合いのお父さんが急死した知らせを聞いたお母さんもその場で死んだとかいう話を聞くと、
インド人の女の人はなんかある種のことにショックを何倍も受けやすいのかなあ、と思ったり。
前、また別の貫禄のある知り合いの女の人がこけてちょっと血が出たのを自分で見て気絶しそうになってたこともあったし。
なんか、インド人が自分にとっては外国人の代表みたいになってますけど、
今更ながら、インドはあまりにも独特な国なきがします。
神が1番で、2番も3番も神だから、基本的に個人性が出ない分、逆に神話のように独特なものがそれぞれの
人間の中に生きていて、それによって人が強烈に動かされているような。
神が人間の形をとってうごめいているような。あまり、人と思わずに、神様と思っておいたほうが無難かもしれません。
いちいちこの、人のふりをしてだましにかかる神様のうごめきにひっかかって反応することのバカらしさを肝に命じて。
【2008/03/10 23:01】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マハシヴァラトリ
今はマハシヴァラトリの真っ最中です。
今年は朝から並ばないつもりだったけど、主名がマハシヴァに並ぶと言い張るので今年も朝から行ってしまいました。
今年は2回目なので気が楽です。
去年と同じく11時半くらいにトークンのところに入って、ホールに入ったのは1時くらいでしょうか。
今年は5番でした。
いい位置に座布団を置いて、ばっちりでしたが、今年もリンガムはなさそうです。
もうやめてという祈りに応えてなくなったのかもしれません。
疲れたので、帰って寝て、早朝にまた行こうかと思います。
主名はずっとホールで朝までいたいとかいうけど主名は寝れるけど私は寝たら怒られますもん。ホールで。
しかし行事があるとみんな人間性を失ってすさむように思えるのは私だけではないはず。
多少疲れます。
【2008/03/07 01:11】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マハシヴァ前夜
今日の午後はすでに人がいっぱいで、外から中を見てよしとしました。
ホールの中もいっぱいなはずなので、、入場制限の押し合いへしあいの階段を通過してまで、込み合ったホールの中に入る気力がわかず。
外からもババはよく見えました。
主名にも「見たしもういいやろ?」と聞き「うん」と。

バジャンの後に劇を始めていました。

うちらは早めにサウスで夕食を取ろうと思い、クーポンを買って、臨時の本屋さんで2冊ほど本を買ってサウスに行って夕食を食べました。

食べてるうちにプログラムが終わったみたいで人がいっぱいサウスにもなだれ込んできました。

今日は音楽教室はおばあちゃん先生も休みたかったみたいで、なし、といわれ、次は金曜か土曜に教える、とのことでした。
うーん、やはりヴェーダと違って音楽を教えるほうが楽しいんだろうなあ。。。
ヴェーダ教室がなしのときは次回のインフォメーションはほとんどないですもん。
専門ですしねぇ。音楽が。

ヴェーダ教室がなしならなしで、覚えてないのを覚えるとか、細かいところをもっと確認するとか、やることを探せばいくらでもあるんですけど。わたしも。

明日は夜のために朝から行く気はないんですけど、サボってるみたいで少し罪悪感を感じそうになるんで、いっそのこと、なにか行事に行けない用事があったほうがよかったりして。

【2008/03/05 23:37】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マハシヴァ前日
今日はマハシヴァラトリの前日で、インド人を満載した大型バスが続々と到着しています。

去年は午後のダルシャンのために朝から並んでみましたが、
今年はもういいです。
主名は並びたがってますが。

主名の学校はこの時期暑いので早朝から昼までに時間帯が変更になっています。一年中そんなのがいいなあ。
【2008/03/05 13:49】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
バースディダルシャン
昨日は私の誕生日でした。
朝、ダルシャンに出て、主名を歯医者に連れて行くためにアルティを待たずに外に出たら、ババも外に出てきてカーダルシャンとなりました。
歯医者の待ち時間に主名がおしっこがしたいというので病院の人に聞いたら、トイレは病院の中には無いとか言うので(そんなわけないんですけど)外に出たらババが出先から帰ってきたので、
ジェネラルホスピタルの坂の上から門の向こうを通り過ぎるババを見て、一秒間ですが、その日3度目のダルシャンでした。

タイミングがあってました。

夜は知り合いとレストランのご飯を持ち帰って部屋で食べてすごしました。
【2008/03/04 18:29】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
ああきょうも。
今日は日曜だったのでヴェーダ教室でしたがおばあちゃん先生は帰ってこずでした。
お手伝いさんいわく、なんか、知り合いのところに行ったとかで。
週一日だけなのではずしたくないんですが~。
月曜日から土曜日の音楽教室は欠けないのになあ。
(木曜はバジャンになりましたが)

ヴェーダはここでは音楽の刺身のつまみたいな扱いなんかなと。
ま、いいですけど。

今日は午後はアシュラムでは音楽プログラムがあって、すごくよかったです。なんかものすごい地に足が着いてる力強さを感じて。
ババの学生がそれらの演奏と歌をしたのかどうか良くわかりませんでしたが、ババはたぶんペンダントを物質化したりドーティーを配ったり立ち上がったり、両手ブレスしたりとフルサービスのご満悦でした。

主名は目をつぶったら何でも見えるらしいです。
宇宙とか、知り合いの人とか、乗り物とか。
【2008/03/03 00:15】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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