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グジャラート新年
まだグジャラートの新年の行事が続いています。
今日は、いい声の男性の歌い手がバジャンとかを歌っていました。
なんかこう、ハートが開いてる~、という感じでした。
なんかすごくよかったです。

ババもナイスとか思ったかどうかはわかりませんが、家に帰るときも車に乗らず、車椅子で帰っていきました。
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【2008/10/31 00:44】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
老人ホームセバ
いまさっき、老人ホームから帰ってきたところです。
練習ではとまらずに唱えたことの無かったチャマカムでしたが、今日はだいじょうぶでした。
やれやれです。

一人でもなにか唱えるように言われたので、ドゥルガースークタムを唱えました。

今日はその老人ホームを作ったドイツ人が来てたのですが、その人の家かどこかでルッドラムの勉強会をするそうで、そのときに来て、一行ずつ唱えてくれといわれました。
で、だれかが一行ずつドイツ語で意味を言うそうです。

最近は、奉仕づいてて、変に多忙です。
芋づる式に奉仕が奉仕を呼んで、癖になってるのかもしれません。

今日のナマカムとチャマカムは録音しました。
そもそもボイスレコーダーは、以前、おばあちゃん先生の娘さんが、おばあちゃん先生が唱えられるヴェーダを全部録音しようとしてて、その時たまたま私が持ってたインド製のカセットテープのレコーダーを貸したのですが、壊れてたか何かでうまく録音できなかったことがあって、
だから、ここは技術大国(?)ジャパン出身の私が録音環境を整えようじゃないですか。と思って、そのために買ったのでした。

でも、なかなかそういう機会が無かったのですが、今日、ようやくおばあちゃん先生からボイスレコーダーで録音するようにとの指令が降りて、録音できました。

今日はアーユッシャスークタムやローガニワールナスークタムなども唱えたので、それも録音すればよかったのですが、自分がドゥルガースークタムを唱えた後で、うっかり録音し損ねました。ぼーっとしていました。

ま、しかし、ナマカムチャマカムの大物が録音できてやれやれです。
これを皮切りにどんどんコレクションしていきたいところです。

主名は今日はだれかにあめちゃんとか、4色ペンとかいつのまにかもらって、ニコニコでした。

しかし、今日はいきなりバジャンを歌うように言われたりとかもして、普段、主名に、いつでもどこでも誰の前ででもヴェーダを唱えられるようにしとかなアカン。とか言ってるんですけど、
私もいつ命じられても何でも出来るようにしておかないといけないなあ、とか思いました。
おばあちゃん先生に助けてもらって、カラティターヤ、とかいうバジャンを歌いました。
あとはおばあちゃん先生にバトンを渡しました。

そんなでした。

そういや、今日、老人ホームのおばあさんに「バグンナワ?」と聞かれて「バーグンナ」と答えたらうけてました。
「元気ですか?」「元気です」ということです。

しかし、老人ホームセバでヴェーダを唱えるとすごく喜ばれてべた褒めされるので、うれしいです。
最近、ババの外国人の学生が前に呼ばれてルッドラムを唱えされられることが続いてたのですが、
「何であなたはマンディールで唱えないんだ。ナマカムもチャマカムもできるのに。」
などと老人ホームの関係者に持ち上げてもらいました。
「誰も私のことは知りませんので」とか答えたら
「スワミノウズ」とか、関係者は言ってました。

いつも、老人ホームに行く前はだるい気もするのですが、行けば、かなりすごく喜んでもらえるので、私も唱えながら感謝の気持ちがわきます。
【2008/10/30 18:09】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鬱屈
ここ数日なんとなく鬱屈しています。

というのは、パソコンがとっても調子が悪くて、電源の接続が悪いのと、成田でガツンと落としたときにどうやらCドライブとやらが破損したかもしれないというのと、以前からなにやらおかしかったのが重なって、今、パソコンはぜんぜん言うことを聞かなくてなだめすかしながら扱っています。

以前インドで必要も無いのにインストールしたウイルス対策のソフトも、パソコンにあわなかったらしくて、多分、それが原因でパソコンの中の画像がある日突然全部消えたりとかしてたので、この際、それをいまさらですがはずしました。

で、日本で元から入れてたウイルス対策のソフトもインドで入れたソフトと合わなくてとまったままなので、なんか、むちゃくちゃです。

いつ、本格的にニッチもサッチも行かなくなるかわからないので、(今でも相当悲惨)リカバリーソフトで復活させた画像を救出するためにメモリースティックとか他のところにコピーしてるのですが、その途中でパソコンがしょっちゅう動かなくなるので、うー、最低!という気分で、その日は寝る、ということが続いています。

こんなことにかかずらわるのはあほみたいだなあと思いつつ。
ものを持つとほんとにものに縛られます。

ディワリーは昨日でした。
グジャラートの新年でもあるそうで、グジャラートの人たちがここ数日毎日出し物をしています。
【2008/10/30 00:42】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ババの夢
最近毎晩ダルシャンの夢をみてる記憶はあるのですが内容を覚えてませんでした。
今日は少し覚えていました。

ババが立ってて、私は車でそこに向かってて、運転手にあそこに行くようにと言ったら、運転手はババの1メートル前くらいに乗り付けたので、ちょっと「わー」と思いました。
で、ババの至近距離にいったんですけど、自分から降りていく気がしなかったので、そのときは車はオープンカーになってて、そのオープンカーのドアを少し開けたら、ババが子犬になってそのドアの隙間から車に乗り込んできて足の上に乗りました。
そんな夢でした。それ以降は覚えていません。

ここ数日、主名が犬を触りまくってるので、そういうイメージと混じったかもしれません。

今朝はダルシャンはなかったみたいですが、朝のヴェーダクラスのあとにメインロードに行ったら、ババがちょうどドライブから帰ってきたところに出くわしました。
ババが座ってる助手席側の歩道のほうに急いで道路を横切っていったのですが、ババは運転席側の歩道のほう(つまりあっち側)を向いていました。
ババの車が来る直前に横切って、ちょっと危なかったかなと思ったので、ごめんとか思いました。

明日はディワリーだか、ディーパワリーだかです。
待ちきれない人がもう、爆竹を鳴らしたり打ち上げ花火をあげたりしています。
【2008/10/28 01:10】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ルッドラム
マンディールのヴェーダ練習はダサラ前くらいに終わったみたいなのですが、その後もダルシャンのときはほぼ毎回ルッドラムが唱えられています。
昨日も今日も外国人の学生が前に立ってはじめのほうを唱えて、あとはいつものダルシャンのとなえる人たちとか学生たちが昨日も今日も最後まで唱えていました。
やっぱり、今はルッドラムなんですね?

わたしはというと、またもや老人ホームセバで、今度の木曜にナマカムチャマカムをもう一人のおばちゃんと一緒に唱えるように、おばあちゃん先生から命じられました。
おばあちゃん先生、最初は自分も唱えるといったくせに居間になって自分はやらないとか言って。。。。
自分が依頼を受けてるのになーあ。
チャマカムは人まえで唱えられる状態じゃないのでちょっと、練習しなくてはいけません。
【2008/10/27 01:19】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
練習
今日、追加で頼まれてたCDコピーを、部屋のパソコンでは今できないのでインターネットカフェでして、出たらおばあちゃん先生がいました。
「昨日なんで来なかった?」とかいわれたので、
「行きましたよ(老人ホームに!)」と言ったら、びっくりしていました。
「だって(待ち合わせ場所の部屋に)誰もいなかったから」と言ったら、
「ヴィーナの練習をしてたよ」とかいってましたけど、
きっとそれは10時半過ぎで、私らが行ったのは10時半前だったのでした。
(10時半前に来るようにいわれていたから)

で、月曜にるっドラムの練習をしに部屋に来るようにいわれました。
本番はおばあちゃん先生は唱えないそうです。。。おーい。
別の、ヴェーダ仲間のおばちゃんが一緒に唱えるそうです。
これは、ほんとに練習しておかないと。。。

今日は、バジャンの途中でババが学生にルッドラムを唱えさせたそうです。
で、なんかしらん、おばあちゃん先生は「誇りに思ってる」と、上機嫌でした。
【2008/10/26 00:42】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
延期
昨日、おばあちゃん先生の家に集合時間に行ったらだれもいなかったので、もうみんな咲きに言ったかと思ってオートで老人ホームに行きましたが、そこにもだれもおらず、プログラムは来週に延期になったそうです。
老人ホームの出資者のドイツ人が来るのが伸びたとかで。

なので、事務所でコーヒーを飲ませてもらって帰りました。

携帯番号をおばあちゃん先生に教えてなかったので、私だけ連絡が来なかったみたいです。
番号を教えるのって、何か失礼?とか思って教えてなかったのでした。
あくまでおばあちゃん先生のペースに合わせなきゃいけないのかと思って。
「変更があったら連絡をください」とか、なんか、言えなくて。
でも、この機会に教えておこうと思います。
多分まだ私の名前も知らないと思いますけど。

老人ホーム職員の話によると、おばあチャン先生と私がナマカムチャマカムをとなえることになってるそうで、
チャマカムはちょっと、練習しないと、人前で唱えられるレベルじゃないと思います。
おばあちゃん先生は全く気にしないでしょうけど。
【2008/10/25 22:24】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今日はヴェーダ教室に行きました。
そしたらはじめてきた人たちがルッドラムを習っていました。
インド人と、珍しく西洋人が来てました。

ヴィーナの練習を待つ親子もいて、子供のほうは途中で具合が悪くなりました。
(子供と言ってもおじさんで、なんかの発作)

でも、そのはじめてきた人向けのルッドラムの後はヴィーナの練習が始まりそうだったので、今日は私向けの練習は時間的にもなさそうだから帰ろうと支度をしたら、おばあちゃん先生が「もうちょっとだけ待ちなさい」というので、何で?と思いました。

「明日は来れるのか?」と聞かれたので、明日練習をしてくれるのかと思って、午前中だけあいています、と言ったら、あした、またもや老人ホームに行く事になりました。
NOと言えませんでした。。。
老人たちがルッドラムを唱えたいそうなので、おばあちゃん先生と私が唱えてみんなで唱えるそうです。
あと、その老人ホームを作った人(お金を出した人)が来るとか何とか。

午後からはいつもの音楽とヴェーダ練習を入れてて、ダルシャンの後は夜7時からのバジャン練習。
明日はえらくスケジュールが重なりました。

忙しさとは裏腹に、やる気と言うか、覇気が、いま、ないです。

誰かが言ってました。
11月のヴェーダのプログラムのときだか降誕祭のときだか知りませんが、ババが金色の2輪馬車に乗るとかナントカ。
ほんとに馬がひくかどうかはしりませんが、引くなら白馬でしょうか。それくらいやりかねないなと思いました。

昨日のバジャン練習でさらに10枚くらいCDの追加を頼まれたので作りました。
こういう忙しさは、どう疲れたらいいか分からない感じです。
昨日、練習の後に、新しくなったスーパーバザール(アシュラムの外にあるスーパー)に知人に連れて行ってもらいました。
3階建てになってて、嬉しくなりました。
通路が広いのが良かったです。
前の店の狭かった事!!

プッタパルティもどんどんどんどん変わっていくんですね。
【2008/10/24 00:41】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
パソコン~。
昨日、部屋においてるパソコンに変な画面が出て、強制ストップがかかってましたけど、無視して再起動して何度か続行してたら、とうとう初期画面にすらならなくなりました。
で、黒い画面に「オペレーションシステムが見つかりません」と出るだけです。

ほかの人に聞いたら「ウインドウズ自体がなくなってる」と、驚いていました。

なんかなあ、何もかも壊れます。
私の扱いが悪いんですけど。
時計も買っても買っても壊れるし、電気コンロも修理してもまた壊れたので捨てました。
(ほかの人が使ってないやつを代わりにくれました)
部屋の壁も最近徐々に落ちてきてて(表面だけです)、なんか、環境を変えたいようなきもしないでもないです。
今回日本からインドの部屋に戻ってきてはじめて、部屋が狭いと感じました。

実際小さい部屋ですけど、今まではそれで十分と思っていました。
最近は主名も大きくなってきて、物も増えてるし、ちょっと窮屈な気がしてきています。
【2008/10/24 00:25】 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) |
発熱
やけどのあとに引いた風邪が本格的になって、この2~3日は熱を出したので部屋でおとなしく寝ていました。
頭に来る風邪だったみたいで、頭ががんがんして、のどがはれて、のどに口内炎みたいな白いのが3つくらいできてすごい痛かったです。

今日は主名が外に出かけたいと泣くし、しょうがないから夕方からネットカフェだけ行こうと思って外出したら、まだバジャンをやってたのでアシュラムに行って外から久しぶりにババの姿を見ました。

最近、バジャンのサマータイム制が終了したのか、バジャン開始が5時半から以前どおりの5時に繰り上がってましたが、今日は6時を過ぎてもまだやっていました。
ケララの人たちが歌と踊りをやったみたいで遅くまでおわらなかったみたいです。

そのまま芝生に行って、ウエスタンでご飯を食べて帰りました。
主名は久しぶりに友達と遊べて嬉しかったみたいです。

しかし、風邪でダウンしてた今回は、知り合い3人がいろいろ助けてくれたので何不自由なく過ごせました。今までは病気のときなどにこんなに助けてもらうことはなかったので、やっぱり、主名が受ける事故と病気をもしかしてもらったからか?とか思いました。
おかゆを作って持ってきてくれたり、買い物や洗い物をしてもらったり、主名を遊びにと食事に連れて行ってもらったり。
おかげで、助かりました。速やかに回復しました。

インドに戻ってきてすぐに忙しくなっていきなり突っ走ってたので、この風邪を機会に、もうちょっとペースダウンしてのんびり家にいたいな、と思ったりもしましたが、そうもいかなさそうです。
生きてる限りは活動し続けるということで、踊り続けるのでしょう。。。
【2008/10/22 01:03】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
主名のバースデーダルシャン
昨日は主名の誕生日で、彼は5歳になりました。
誕生日にダルシャンを受けるとすごくいいと聞くので、昨日は朝ごはんをサウスで食べて、ダルシャンに行きました。
女性側の入り口の階段を上がるとババがちょうど車椅子で家から出て来る姿が見えました。
なので急いでホールの中に入りました。
人も少なかったのでばーっと前のほうに行って、しっかりダルシャンを受けることができました。
アルティの後も、最近はそのままババは車で外に行くことが多いのですが、この日はそのまま家に帰っていきました。
なので、また、よく見えました。
朝からしっかりいいダルシャンを受けれて、なんかもういいような気もしました。

その後、ケーキを頼んでたので、部屋に来てた人と一緒に食べたりしてのどかに時間をすごしました。

ところが、夕方から私の調子が悪くなって、普段なら絶対外出しないんですけど、でも、主名が遊びに行きたいと言うし、誕生日だし、と思って無理してアシュラムに行きました。
午後のダルシャンは早めに終わったらしくて間に合わなかったので、朝からいいダルシャンが受けれたのはこういうことかと思いました。
昨日は夕方に雨が降ったので、主名の友達も出てきてなかったのですが、子供らにケーキやキャンディーを配ったりしました。

その後キャンティーンにいって夕食をとろうとしました。
そしたら、二つ持ってるトレーのうちの一つをカウンターに置いたら誰かがぶつかったかなんかでひっくり返って、熱いスープとラザニアがおもいっきり私にかかりました。

周りの人たちや、食べ物をよそう人とかは「子供は大丈夫!?」と聞いたので、
「子供は大丈夫。でも、私は大丈夫じゃない!」と、何回か言いましたけど、
みんな、子供は大丈夫なの。それはよかった、よかった、と、それきり興味をなくして誰もかまってくれなかったので、
食堂内の洗面台で手や太ももを冷やして、痛いし、ほっとかれて悲しくなって、めそめそしてたら、そのうち誰かが食堂のスタッフを改めて呼んでくれて、奥に連れて行かれて、ズボンを脱いで、ホースの水を消火活動をするみたいに離れたところからぶっ掛けられました。
で、アロエベラを持ってきてくれて、それをやけどの部分に塗ったりしてもらいました。
で、食堂のスタッフが自分達のやけどの跡を見せてきて、そういう形で慰めてくれました。

で、布を借りて、巻きスカートみたいにして帰りました。
しかし、ホースの水で胸から下がずぶぬれになってたので風邪を引きました。
今は全身の関節が痛いです。

昨日、疲れ果てて部屋に帰って、さらに主名が私のめがねの上に座って壊すというおまけもつきました。泣きっ面に蜂にさらに蜂とはこのことです。

幸いめがねは今日、修理できました。
やけども、アロエが良く効いて水泡一つできず、まったく大丈夫になりました。

実は日本に帰る前に、主名の誕生日をインドで迎えるほうがいいか日本で迎えるほうがいいか占ってみたんですけど、日本で誕生日を迎えるとかなりやばい事故とかそんなんが起こるみたいに出て、インドだと、起こるかもしれないけど、何事も無いかもしれない、しいていえばインドで誕生日を迎えたほうかいくらかまし、という結果が出ました。

昨日は、主名の誕生日だしと思って主名に合わせて主名のやりたいようにさせてたので主名におこるはずのものが私に移ってきたのかなと思いました。
事故とかか、と思って、車とかには気をつけてたんですけど、こうきたか、と。

しかし、疲れました。
記憶に残る誕生日になりました。

話は変わりますが、聞いた話によると誰かがババにヘリコプターを寄付したそうです。
11月のヴェーダ関係のプログラムはスタジアムで行われるとかいう話なので、そのときにいよいよ空からダルシャン、といくのでしょうか?

スタジアムって、古いほうか新しいほうかは知りませんけど、多分、屋外のほうですよね?どうなんだろ?


【2008/10/19 01:11】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
多忙につき。。。?
プッタパルティに戻り、浮遊感が気持ちよかったので、しばらくは何もせずにのんびりしていようと思っていたのですが、帰ってきた翌日くらいにもう、バジャングループの練習と、ヴェーダ教室仲間に声をかけられていきなり日本帰国前の元のペースに戻りました。
しまった。みつかった。。。。。

でも、ありがたいことだとも思います。
外国人バジャングループの練習のほうは、私がいいボイスレコーダーをもってるから、録音してCDをつくって、という依頼だったんですけど。
早速録音して10枚ほど作って一枚あたり実費の10ルピーで欲しい人に配りました。
ボイスレコーダーはすごく便利です。
今はアカンダバジャン用の曲を練習しています。
12月かと思ってたら11月初めなんですね?
今日、それを聞いて驚きました。
こないだ練習始めたばっかりなのに、まにあうのかぁ?と。

昨日今日と雨がよく降っています。
【2008/10/17 00:43】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
インドへの帰路
スリランカの空港ではトランジットでホテルに行った人には「ナイトストップ」と書かれたカードをもらってて、それを持って14番カウンターに来るように言われていたので、行きました。

なかなか人が来なくて、そこら辺の職員に呼び出してもらったりしてやっとカウンターに職員が来ました。
もしかして、ここで、さらに荷物を預けられたらいいなあと思いましたが、成田で2つ預けてるからもうだめといわれました。
しょうがないので重たい荷物を抱えて先に進みました。

スリランカ到着時に1000円両替したのですが、ほとんどつかってなかったので何か買い物しようかと思いましたが特にほしいものもなかったので使いませんでした。
しかし、後から思うと、スリランカからバンガロールへの機内食はパンとジュースくらいで、おいしくなかったので、スリランカの空港で何かちゃんと食べていけばよかったなと思いました。

バンガロールの空港では予約していたタクシードライバーが待ってて、荷物を運んでくれました。
小ぶりのバナナの木を2本、角のようにとりつけているめでたいバンのほうにドライバーが行ったので、まさかあの車。。。?と一瞬不安になりましたが、私たちのタクシーはその裏にとめてあった車でした。

バンガロール空港は新しくて、きれいなので、いくら何度も来てるバンガロールといえども、今までは空港から出るときに多少身構えるような、緊張感がありましたが、今回はリラックスしたままタクシーに乗れて、よかったです。気分的にずいぶん楽でした。

主名は助手席に乗って景色を見ていましたが、そのうち熟睡しました。

わたしは何かちょっと、おいしいのをちゃんと食べたかったので、ドライブインでプーリー3枚のセットを食べました。

その後私もタクシー内の後部座席に横になって熟睡しました。

プッタパルティのアシュラム近くになると街灯がちゃんとついてるので、夜中でしたが、すごくすごく街が明るく感じました。

アパートには夜中の12時くらいに着いたと思います。
アパートの近所もちゃんと街灯がついてて、人のいない道はすごく明るく清潔に感じました。
ドライバーが私のスーツケースの重さに驚いて笑いながら運んでくれました。

今回は帰ってきたときにあまりそうじをしなくていいようにして出たので、帰って1分で掃除完了で、さっさと風呂に入りました。

主名はタクシーでずいぶん寝てたから、すぐには寝ないかと思いましたが、すぐに寝ました。

日本にいると、インドのことを忘れるくらいになってたのですが、インドに戻ると戻ったで、それも自然な感じだったので、それが妙な感じでした。

私は、横になるとなぜか非常な充実感というか、幸福感のような満ちた気持ちでした。
なにか、このままだと至高体験でもしちゃうんじゃないかというくらいでした。

そのうち眠りに入りましたが、すべての感覚が失われた中で意識は眠らず、起きていました。
なるほど、こうきたか、という感じでした。しばらくその状態でいました。

ある種、ほんとに満ちた状態だったんだろうと思います。
何度かこのような状態になったことはありました。
それはすべてが潜在的に内在している完全な状態なんだろうと思います。

【2008/10/16 01:06】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
インドへの帰路2
そういえば、書き忘れていましたが、インドへ帰るときのスリランカ航空は、コロンボに直行じゃなくて、マーレーだかマレーだかいうところに行ってからコロンボ(スリランカ)でした。
コロンボの上空を通り過ぎてしまったので、えー、と思いました。
なので、寄り道の分2~3時間は余分に飛行機に乗ってたと思います。

あと、スリランカ航空は到着直前に機内にスプレーをまくので、いいにおいなんでしょうけど?かなりくさいです。なんとなく害虫になった気分。

あと、スリランカのホテルでゆっくりトランジットするならバンガロールへ夕方発つ便になるので(朝の便だとゆっくりはむり)、プッタパルティ到着は夜中の12時くらいになっちゃったりします。
なので、アシュラムの外にホテルを予約していく人や、向こうにアパートがある人だといいですけど、アシュラムの中に泊まる予定でしたら到着日にアシュラムの中に入れないので面倒と思います。

プッタパルティに戻り、一週間くらいはゆっくりしようかと思っていましたが、いきなり忙しくなってフル活動になってしまってます。
日記は暇を見て書こうと思いますが、飛んじゃうかもしれません。

ババは朝は来ないときがちょくちょくあるみたいで、来たらアルティのあとにそのまま外にドライブに行っています。午後は普通にダルシャンがあります。
【2008/10/15 01:42】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
インドへの帰路
9日は結局本を読みながらだらだら朝まで徹夜で荷造りをしていました。

チェックインできる荷物は2人で40キロまでなので40キロちょっとオーバーくらいで荷造りし、あとは手荷物にしました。
手荷物だけでも20キロくらいはあったと思いますが、小さくて重いのをみんな手荷物にしたので、
軽く見えたのか、チェックインのとき、手荷物4つのうち2つだけ重さを量られただけだったので助かりました。一番重いのは量られずにすみました。

スリランカ航空の飛行機が2時間遅れたので2人で3000円分の食事券をくれました。
基本的に小市民なので、食事ただというのはかなり嬉しかったです。
とろろやおくらや納豆、しそなどが乗った、おいしいそばを食べました。
生わさびがおいしかったです。
主名はお子様ランチにしました。
主名と2人で栗白玉ぜんざいとかも食べちゃって、3160円分食べました。
スリランカ空港最高。とか思いました。

日本出発時にこんなにしてもらっちゃって、もう、日本に当分、帰ってこないのかもなあ、とか思いました。

ウエスタンベジの機内食もおいしかったです。(食は重要ですよね?豪華じゃなくてもおいしいものを食べたい。)

スーツケースと主名の乗って遊ぶ車のおもちゃはバンガロールまで直接運んでもらうことにしました。
トランジットの時間が長いので、スリランカの空港でいったん受け取らなきゃいけないかと思ってたので、これでいっきに気楽になりました。

スリランカに到着し、イミグレに行く手前のナイトストップカウンターでホテルの手続きの紙をもらってから空港の出口に行きました。
出る前のカウンターに「トランジット」とか書いてあったので、そこの空港職員らしき人にタクシーまで案内してもらいました。

乗り合いバンで、同じくトランジットの人たちと一緒にホテルに行きました。
10分か15分くらいでホテルに着きました。

着いたところは自費では決して泊まらないようなさすがにきれいで感じのいいホテルでした。
以前3泊したニゴンボの町です。
海のすぐそばで、以前来たときもすごく気に入りました。

ホテルの部屋もやっぱり自費で泊まる場合の部屋の2ランクくらい上の部屋で、嬉しかったです。
花がいくつかベッドの上に飾ってあったりしました。
すでに日付が変わって夜中だったのですが、ルームサービスで料金を払うつもりでミルクティを頼んだらサービスでもってきてくれました。
主名にも何か食べ物を、ということで、主名がボーイについていって、厨房で果物を選んでフルーツプレートを作って持ってきてくれました。

ちゃんとバスタブがあって、日本でも湯船はあるのですが、ホテルのはまっすぐ横になれるような長いやつなので(わたしが)喜んで、お湯を張って入りました。

翌日の朝食はビュッフェでした。(バイキング)
前に来たときも別のホテルで気に入って食べてた、ビーフンみたいな麺とたぶんココナツカレーがおいしくて、主名もわたしもおかわりして食べました。

その後海の波打ち際で少し遊び、芝生で遊んだりもして昼もたくさん食べました。
主名はパスタのコースをたのみ、私はスリランカのカレーのコースみたいなやつを頼みました。
主名はホテルのムードの影響もあると思うのですが、「すっごすっごいおいしい」とか言っていました。
スリランカのカレーのセットは、辛さを抑えてもらうと、すごくおいしいです。
口に合います。
スリランカは前回もそうでしたが、ほとんど楽しいばっかりなので、この国と私はどんな縁があったのだろうとかふと思ったりしました。
追加でミルクティーとアイスクリームも頼んだのですが、それもサービスになってたみたいで追加料金とかはなかったです。
1000円だけ両替したのですが、ほとんど使いませんでした。
今まで、なんでスリランカ航空を使わなかったんだろう、とか思いました。
エアーインディアでムンバイで乗り継ぎのときなど遠くの高くていまいちなホテルまで行って2時間だけ寝て空港に取って返したこともありました。

もうちょっと時間を過ごしたい感じで、出発の時間が来て、空港に行きました。

つづく?



【2008/10/12 01:43】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
日本最終日
今日は昼過ぎまで部屋でホットケーキやいて食べたりしてて、午後にでかけてコンビニで空港へ行く高速バスのチケットを受け取りました。

それからスーパーで昆布だしを買い込んだり、陶器やさんで小さいものをいくつか買ったりしました。
公園で少し休憩してからいったん部屋に帰り、また駅のほうへ出て歯医者に行って、主名を見てもらいました。
ジェネラルホスピタルの歯医者に、帰国中に日本でもいっぺん歯医者にかかるように言われてたので。

でもまあ、明日インドに帰るし、結局見てもらっただけでした。
しかし、日本の歯医者はすごいですね。
棒みたいなカメラで主名の口の中をぱしゃぱしゃ9枚ほど撮影して、その場でモニターで口の中の様子の画像をカラーで見せてもらいながら説明を受けました。
予想外の展開にどぎまぎしました。
いやあ、今はこういうのが普通なんでしょうか?
それともそこの歯医者は儲かってるのかな?

そこの歯医者はインプラントもするみたいで、インプラントの説明の本とかあったのでチラッと読んでみたりしました。
その本にはいろんなことがすごい詳しく書いてありました。当たり前だけど。
やっぱり、こういう説明なしでいきなりインドで怖い顔の先生にインプラントをしますとか言われても、怖いですよねー?
だって手術だし。
ババは医者を信じることが大事だとは言うけれど、信じる根拠が必要ですよ。だって医者は神様じゃないんだもの。(ある意味全部が神様だけどそれはそれとして)

しかし、一本30万ですかっ!最先端医療インプラントとやらは!
それを一方的にキャンセルしたあとジェネラルホスピタルの歯医者たちが「もう知らん」という態度になるのも無理からぬことですね。だって、サイババ病院はただだから。
こいつ、ばかか?と。
だって、すっごい怖かったんですもん。

でも、「ばかめ、もうくるなよ」というかんじでセメントでピッとくっつけてもらった歯は今のところ問題ないです。これがだめになるまではこれでいこう。

私の歯の状態でもしまた同じようにはずれたら、きっとまたバンガロールでインプラントコースでしょうから、それまでに情報を見ておこうと思います。

主名の前歯は今抜いても歯並びにはもう影響はないとのことで、今日の歯医者は、ただ、主名はアレルギーがあったり薬を飲んでたりするので、麻酔をするときにはあらかじめアレルギーチェックをしてからしたほうがいいと言っていました。
インドの歯医者は、しないだろうなあ。
だって忙しすぎる感じだし。
きっと、「サイラム」でぶすっと注射して「サイラムサイラム」でなだめておわり。

歯医者のあとは美容院に行って髪を少し切りました。
実に4年ぶりくらいだと思います。
なのでちょっと気分がいいです。

以前はばか高いとこで切ってもらってたこともありましたが(カット、パーマ、カラーで5万とか。アメリカ帰りのカリスマ?美容師)、今日はその店のキャンペーンとやらで1050円でした。

そんなこんなで、今から荷造りです。いつものパターン。
荷造り、荷物が増えてて困難が予想されるので、今日一日そのことを考えてどきどきしてて、まだ手をつけてません。

今から5時間後に、起きて出発する予定です。
【2008/10/09 00:37】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
西表
横浜にいてすでにものすごい閉塞感だったりするんですけど、今、テレビで巨大うなぎを捕まえる番組をやってて、舞台が西表島。
以前西表島で働いていたことがあったので、懐かしく見ました。
こわもての島のおじさんなんだけど、とぼけてて口調が妙にやさしいかんじとか、独特の言い方とか。「~はずよ。」とかいう。
民宿で働いていたのですが、宿の奥さんがよく「そうはずよ!そうはず」とか言っていました。

西表の空や風景、ジャングルの様子など、見てると体がさあっと楽になりました。
【2008/10/07 19:47】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(1) |
ちがうな・・・。
以前、インドに、NHKの子供向けの番組のDVDを何本か送ってもらって主名にみせてたのですが、DVDなので、もちろん内容は毎回同じ。

インドではテレビ番組を見せてなくて見せるとしてもDVDなので、彼はそういうもの(同じ内容のものを繰り返し見るもの)だと思っていると思います。

今回日本に帰ってきて夕方やってるNHKの子供番組の、インドで持ってるDVDと同じ番組をテレビで生で見せたらシンプルにびっくりしていました。

「ちがうな・・・!」
【2008/10/07 17:59】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
げつようび・ビザ受け取り
昨日はビザの受け取りに行ってきました。

受け取りは申請したのと同じところだろうとは思ったのですが、
受領書の紙やホームページをみると、なんか受け取り場所が大使館なのかどこなのか良くわからない感じで、わたしは大使館に面接に行ったので、もし面接にいった人が大使館で受け取りだといけないと思い、申請した場所に電話してみました。

そしたら3時以降にかけなおすように留守番機能の声に言われました。

なので、向かう途中のどこかでかけようと思い、家を出る準備をしていると電話がかかってきました。
申請場所からかと思ったら大使館からで、面接をしたとき通訳をしてくれた日本人女性の声がしました。

「面接をするように言われませんでしたか?」とかいわれたので、面接した人をチェックしてないのか?と思いつつ、
「すでに金曜にそちらにうかがって、終わりました。」と答えると、
「あ、それでパスしたんですね」みたいなことを、詳しい言葉は忘れましたがそういう内容のことを言われ、「では、ありがとうございました」と、向こうが切りそうになったので、
「あ、ちょっと、すみません」と言って、ビザの受け取り場所をその人に確認できました。

やはり申請場所で受け取りとのことで、5時から5時半の間が受け取りと聞いていたので、5時2~3分に申請場所に到着したら、まだドアが開いてなくて、受け取りに来た人たちがドアの前にずらっと列を作って並んでいました。

しばらく待ってもドアが開く気配がなかったので、
「日本の中でもインドはインドだなっ!」とか思って主名と並んでおにぎりを食べていると、
係りの人が現れて、
「受領書を出してください。一気に行きますからねー!」と言いました。
受領書に、申請したカウンターが書いてあって、そのカウンター番号で受け取りをするようになっていました。

ドアが開き、みんないっせいに中にだーっと入りました。
私はCカウンターで申請をしたのでCカウンターに行ったら並んでる人は少なくて、すぐに受け取れました。

5時10分くらいに中に入って、2~3分後にはもらえました。

その後その場所の近くの公園に行って主名が遊ぶのにしばらく付き合って、電車に乗って帰りました。
大手町から渋谷を経由する直通電車で帰るのですが、急行とかだと座れないかもしれないので各駅停車でゆっくり帰りました。
熟睡しました。
【2008/10/07 15:56】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
にちようび
今日はだんなが休みだったので午後から主名と3人で「こどもの国」というとこに一緒に行きました。
広い敷地内に子供が喜びそうなものが一杯あって、多分まる一日そこで遊ぶ家族連れも多いと思います。

主名はここのミニトレインに乗りたくって、ここに来ました。
こどもの国に着くと早速そのちっちゃい汽車に乗り、池(湖?)に行って、足こぎボートに乗り、たくさんある気のきいた遊具で遊ばせ、子供牧場みたいなところで、そこについたときはすでにもう時間切れだったので、牧場の外から見れる動物を見たりして、そこの牛の牛乳でできたソフトクリームの抹茶サンデーを食べました。

子供を遊ばせるにはすごくいいとこです。

しまるのは一応4時半だったのですが、5時過ぎくらいまでおもしろい滑り台とかで遊んでいました。
インドと違って誰も叱りに来なかったです。
正門は閉まってたので通用門から外に出ました。

今日は横浜センター関係の人が誘ってくれたので、時間があれば夕方からのバジャンに行きたいなーと思ってたのですが、まるで無理でした。

ま、これもある種セバだし、と思って、悔いのないように精一杯遊びました。
でも、2年前インドに行く前はだんなは絶対サイセンターには行かないとか言ってましたが、今日は行くなら行くといった感じだったので、時は流れているなあ、と思いました。
1年半前に帰ってきたときもこどもの国に行ったのですが、そのときと比べても色んな状況や自分の心境なんかはだいぶ違っています。

駅から家までのバスではみんな疲れて寝てました。

うっかり忘れていた、バンガロールからの予約してたタクシーの日時変更をメールで旅行会社に頼みました。

あしたはビザの受け取りに行きます。

もし来年主名がババの学校に入れたら、今度は当分(何年も何年も?)日本に帰ってこれない可能性もあります。
というのは、子供がババの学校に行ってる知人家族(外国人)は、出身国の関係で長いビザがもらえなかったのですが、子供がババの学校に入ったということで、警察が融通を利かせてくれて、滞在許可書の紙だけ出してくれたそうです。
なので、知人家族はその紙でこの4年インドにいます。
インド国外に出ると、その許可書は無効になってしまうらしいので、インド国外に遊びに行ったり、自国にちょっと帰ったりとかできないそうです。

わたしらは日本人なので、帰国すれば半年のビザはまず確実にもらえるし、この2年してきたように、数ヶ月だとインドでも滞在を伸ばしたりはできるのですが、なんせ私と主名の2人が日印を往復するとお金がかかってしょうがないので、もし知人家族のように帰らずにすむならばずっとインドにいます。
【2008/10/05 22:00】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
10月4日
今日明日とだんなが休みを取ってくれているので、主名の喘息の薬を出してくれてる病院に行ってから、昨日行きそびれた電車とバスの博物館に一緒に行きました。
電車の博物館は関東にいくつかあるのですが、割と近くの、地味めなところです。

しかし主名は乗り物は何でも好きなので走りまわっていました。
来たのは3回目なんですけど。
バスや電車、飛行機の運転シュミレーションができる博物館で、土曜ということもあり、ちっちゃい子供連れの家族や鉄道好きな大人でほのぼのとにぎわっていました。

その後そこからまた電車に乗っていくつか行ったところの大きい公園(用賀の砧公園)に行って(ここは私が行ってみたかった)、遅くまでそこで主名を遊ばせて、家の最寄の駅についてからも主名の要望を汲み、駅の横の公園でまた、暗い中、遊ばせました。

だんなは、家に帰ってから持病の胃痛が出てしばらくおなかを押さえていました。
ずっと症状は出てなかったそうなのですが、うちらの滞在でぶり返したみたいです。間違いなく。ははは。
多分、私たちの日本滞在が数日伸びたので、それで精神的にダメージを受けたのでしょう。
繊細な彼がまた血をはかないうちにとっとと日本を離れることにしましょう。
(2年前、私たちがインドに行く前、実家から横浜に移動して同居一ヵ月後にはストレスのあまり血をはいて倒れて入院していました。)

しかし、まあ、にこやかにつつがなく、貴重な一日は過ぎていきました。

そろそろ、ババ、夢に出て来てくれないものでしょうか。夢で、なんか神わざ的に面白いこととか言って楽しませて欲しい。

おーい、ババやーい。
【2008/10/05 02:16】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
インドビザ
インタビューのために午後2時から3時までの間に大使館に行ってください。連絡しておきますから。といわれ、ビザの建物を出ました。

まだ12時過ぎだったので、茗荷谷の近くの公園に行きました。
東京学芸大の跡地だか何かで、筑波大のキャンパスもあり、緑豊かでとってもいい公園でした。
持参のおにぎりやらおかししやらの食料で昼食を済ませ、子供の遊具のある広場で主名を遊ばせました。
何人かの子供やお母さんと言葉を交わし、、わたし、日本でもやっていけるかも?とかちょっと思いましたが、多分まだ無理です。
どっかの子供が、私がバリバリ食べてたお菓子を欲しがったので、その子のお母さんにあげていいか聞いてからあげました。
5回くらいお礼を言われました。
主名は配り好きなので、他の子らにもお菓子を自ら配ろうとしましたが制止しました。

十分遊んだ後、電車を乗り継いで麹町に行きました。
大使館はたどりつくまでがちょっとわかりにくかったです。
道を聞いた人はみんな親切に教えてくれました。
日本人て、どうしてこんなに感じがいいんでしょう?みんなやさしいです。
上智大の横の坂を下りていきました。
最初、何の建物かわからなくて、何だここは?とか思ったのですが、上智でした。
現役の大学生たちはまぶしかったです。
なるほど、こういう人たちがこの大学に通うのか、とか思ってちょっと観察しました。

大使館の建物の前で大使館の関係者の男の人に声をかけられて、「ビザは茗荷谷ですよ」とか教えてくれたのですが、「茗荷谷でインタビューを受けるように言われたのでこちらに来ました」とか言うと、中に案内してくれました。
その時間は営業時間外だったようで、窓口もシャッターが下りていましたが、シャッターが上がり、窓口越しにインド人のおじさんと日本人のおばちゃんに質問されました。

日本人のおばちゃんに「英語は大丈夫ですね?」と言われたので、「あまりできないです」と言ったら通訳をしてくれました。

「どうして何度もインドに行ってるんですか?」と単刀直入に言われたので、「私たちはアンデラプラデシュ州のプッタパルティに行って、サイババのアシュラムに滞在しています。」とか答え、それが通訳されておじさんに伝えられた後、
さらに、「サイババは私の霊性のグルであり、彼が後14年ほどで肉体を捨てることは公にされているので、彼が生きている間にできるだけ向こうに滞在しておきたいのです」とか言いました。

日本人のおばちゃんは、はぁ?とは言いませんでしたが、そんなかんじで、全部通訳する前に奥から呼ばれてさっさとその場を離れて奥に行きました。
インド人のおじさんはフムフム、と、感じ入っているかのような表情に見えました。
日本語でもなんか、ムードは伝わったのでしょうか?

で、おじさんが「インドへはどこから入るのですか?デリーですか?」とか言ったので「バンガロールです」とか答え、あとなんか、いくつかやりとりして、「どうしてスリランカに行ったのですか?」とか聞かれたとき、「航空運賃が安いからです」と英語で言おうとして「航空運賃て、どういうんだったっけ?」とか思ったり、「インドビザを取るためです」と、いうべき?とか思って、「ビコーズ、・・・えーっと、」となってるときに、日本人のおばちゃんが帰ってきて、さっき私が言った言葉の通訳してない部分を通訳してインド人のおじさんに伝えました。「サイババはあと13年しか生きないのでなんとかかんとか・・・」と。

そしたらインド人のおじさんは何度も、英語でなんと言ったかは忘れましたが、安心させるように「大丈夫ですよ」というようなことを言ってくれました。

いちおう、主名の学校の話とか出たときのために、村の学校に納めた授業料の領収証とか持参してて、サイババの学校のことも話す用意はあったんですけど、必要ありませんでした。
あっさり許可が出ました。

インド人のおじさんは、茗荷谷の施設からファックスされてきたわたしのビザ申請の用紙を見て、日本人のおばちゃんに、「ちょっと、彼女は6日出発になってるけど、だいじょうぶなのかね?受け取りは6日だったよね?」と、親身にこちらの心配してくれました。

あ、もしかしてこの場でビザ出してくれそうな雰囲気かも?と思いましたが、日本人のおばちゃんが、
「彼女は、承知してますから」と、ビジネスライクに言い切ったので、おじさんは「そうですか」、と心配顔を引っ込めました。
「ええ、わたしは航空券を変更しないといけません」と、おじさんに言ったら「あなたはチケットを変更しないといけない。。」と、独り言のように復唱していました。

なんか、ちょっと、融通利かせてもらえるかも?と思い、「今、私が取れるのは半年のビザだけですか?」とか聞いてみましたが、「ええ、半年だけです」と言われたので、ビザがもらえれば十分なので、これ以上長居してやぶへびにならないように、お礼を言ってその場を去りました。

おじさんは、とてもとてもやさしい印象でした。

ビザのところの受付のお姉さんもインタビューに関して「ビザが出ないということはないと思いますが」とか言ってたので、インタビューと言えども、ほとんど、形式上みたいなもので、犯罪の匂いとかがしないかぎりはまず、大丈夫なんだろう、という印象を、自分が受けてみて、思いました。

大使館からは地下鉄の永田町の駅まで歩きました。
道はきれいに整備されていて、歩いてて何故か開放的なすっきりした気分になり、気持ちが良かったです。まるで大きな神社の敷地内を歩いているような。

高級ホテル群の谷間を、一階に入ってる高級ブティックをちらちら眺めながら歩いていきました。
広告写真に載ってる人のようにきれいに決まってるブルガリの店のお姉さんが、100パーセント暇そうに、詩情までたたえて、店の中からガラス越しに表の通りを眺めていたのが印象的でした。

帰り、主名のために途中下車して電車とバスの博物館に寄ってやろうかと思ったのですが、既に4時前で、疲れたし、6日月曜日の飛行機のチケットの日付を変更しなくちゃいけなくて、翌日は週末だし、もしかして今日の5時までとかに変更しなくちゃいけないかも?と思って、博物館は止めにして、真直ぐ家に帰りました。

5時ちょっと前に家について、ネットで、変更、に関して調べてたら電話がかかってきて、会社で仕事中のだんなが変更してくれてました。帰りの電車に乗る前に彼の携帯の留守電に経緯を吹き込んでいたので。もし他の便が満席とかだったらどうしよう、と、あせって、急いで変更してくれたみたいです。(私たちが長居して余計な食費とかかると困るらしい)
ついでに機内食も2人とも来る時においしかったウエスタンベジに変更してくれたそうで、えらく気がきくんで驚きました。(来るときは私がウエスタンベジで主名がアジアンベジにしてました。アジアンベジもおいしかったです)

なので、無事に変更できました。
10月9日木曜日の午後の便で日本を発ちます。

変更後はプッタパルティのダサラの最後にも間に合わなくなったなあ、と思い、ま、それはそれで楽でよかったかも、とか思いました。
よく考えたら、出発日の9日はダサラの最終日ですね。
この日は物事を始めるのに非常に吉兆の日とされてるそうなので、なんか、今後のインド滞在に関してすごく縁起がいいのかもと思いました。

9日出発になると、9日の夜から翌日の夕方にかけての1日弱の時間をスリランカで過ごすことになります。
コロンボ(スリランカ)を10日の夜出る便に乗り継ぐので。

スリランカでは多分海辺の町ニゴンボに、航空会社がホテルを用意してくれるみたいです。
食事もついてるそうです。
じつは、変更前の6日発だと、スリランカに夜遅く着いて翌日の朝早く出発になるので、せっかくのホテルもほんの数時間、夜の間だけの滞在になるし、ちぇっ、と思ってたので、9日初になってほぼ丸一日スリランカでゆっくりできるようになってうれしいです。
前回3月にビザ取得のためにニゴンボに数日滞在してすごくよかったので、その旅行の最終日にニゴンボのいいめのホテルに最後に一泊してからインドに帰りたかったんですけど、スケジュールなどの都合でその計画は見送りました。

今回、だから、かなりうれしいです。

【2008/10/05 01:54】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
10月3日ビザ
この日はビザを取りに行きました。
去年までは九段下のインド大使館でその日のうちにもらえたのですが、今はビザを取るのは茗荷谷にある別の建物でやってました。

午前の受付は12時までで、わたしたちは11時半くらいに着きました。
そこで書類に記入してたら、横にいた案内の係りの日本人に、ビザを取りに来た人が次々と話しかけていて、その会話を何となく聞いていたら嫌な予感がしました。

なんと、知らないうちに、ビザ取得にかかる日数が延びていました。
その日のうちにもらえなくなってて、今日申請したら受け取りは6日の月曜の夕方だそうです。
軽くショックでした。
なぜなら私たちが持ってるインド行きの飛行機のチケットは6日の昼過ぎに出発のなので。

でも、すぐあきらめました。
チケットを変更することにしました。

おなじように、チケットの変更を余儀なくされた人や困る人がいっぱいいたみたいで、あちこちで「えー」とか言う声が聞こえました。
係りの日本人は、「私が決めたんじゃないです」とか言ってました。そりゃそうですね。

12時前にもう入り口の扉は鍵をかけられて閉められていました。
12時前に来て中に入れてもらえなかった人がやっぱり困ってましたが、みんな比較的素直に引き下がっていました。

私は2人分書くし、渡航歴とか余計に書かなきゃいけないとこもあって、最後に窓口に行きました。

窓口のお姉さんに「インタビューに行ってください」といわれました。
インドから帰ってきて半年以内にまたインドビザを取ると面接があることは聞いていましたが、大使館まで行かなきゃいけないとは知りませんでした。

おねえさんは、出発日時を見て、6日は不可能なのでどうしますかとか言ってきて、一応、早くビザをもらえる可能性を聞きましたがまあだめだったので、あっさり、「チケットを変更します」と言ったらにっこりしていました。
粘る人もいると思います。ビザの窓口って、きっと疲れる仕事と思います。

窓口から離れるとき、虫の知らせで、また窓口に戻り、「大使館は九段下ですか?」と聞いたら、大使館の場所も変わってて、麹町になっていました。
聞いておいて良かった。。。
おねえさんに大使館の行きかたを教わりました。
なんせ、東京の地理には明るくないので、地図をもらって、どの電車に乗ったらいいかとか全部教えてもらいました。

つづく。
【2008/10/04 01:15】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(2) |
10月2日ガンジー誕生日
10月2日はビザを取りに行く予定でしたが、夜中にネットを検索して大使館のhpを見てみると、なんと、10月2日はガンジーの誕生日なので休みとあるじゃあないですか。

しょうがないので明け方までネットで買い物しようといろいろ調べてて、寝て、家にいました。

起きてから、主名がバスで自宅に行く途中にいつも通り過ぎる公園に行きたいと言い張ったので、行きました。
何でそんなに行きたがるのかわかりませんでしたが、公園の入り口にサルの顔の絵が描いてある、ただそれに惹きつけられたようです。
小さな神社に併設されてる公園なので、神社におまいりしました。
サルの絵が描いてあるので、てっきり猿田彦?そんな神様いませんでしたっけ?そういう神様の神社かと思ったら関係ないみたいでした。
公園はブランコくらいしかない小さな公園なので主名も5分で「別の公園に行く」とか言っていました。

なので、もっと広くて素敵な駅の向こうの公園にいきました。

その公園の後はドラッグストアに行って、必要なものを買い込みました。
日焼け止めとか。

で、駅の横のオーガニックのスーパーで買い物して帰りました。
【2008/10/04 00:58】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
10月1日国内移動&パスポート受け取り
朝の8時か9時ごろに関西の実家を出て横浜に移動しようと思いましたが、いつもどおり遅れて、10時くらいに出ました。
11時30~40分くらい発ののぞみで新横浜に行きました。午後2時くらいにつきました。

実家に郵送してもらっとけば良かったなあと思いつつ、一度横浜の家にパスポート受領に必要なはがきを取りに行きました。
3時に横浜の家に着き、3時過ぎに受け取りに必要な書類とはがきを持ってパスポートセンターに向かいました。
4時45分にパスポートセンターに着きました。
この日は6時くらいまでやってました。

すぐに主名のパスポートをもらいました。
5年前にもらった古いパスポートとは随分違ってました。

この日はてっきり木曜と思ってて、パスポートを受け取った後にパスポートセンターの向かいの横浜センターのバジャンにちょうどいける時間と思ってたのですが、この日は水曜でした。

なので、また山下公園に行きました。
海で魚がずっとバチャバチャはねていました。
この日もカメラを持って来ればよかったなあと思いました。
学習能力ないな後か思いました。

山下公園のコンビニに入ると子供の大きな遊具が設置されていて親子の憩いの場になってたので、一時間以上憩いました。
すばらしいですね、こうゆうの。
少子化で、子供とその親に対する応援の雰囲気が社会にできてきてて、ありがたいです。
【2008/10/04 00:48】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
9月30日買い物
9月30日は早めに横浜に戻ってもいいかな?海遊館も行ったし。とか思ってたのですが、夕方までだらだらしてて、というか、プッタパルティの知り合いの外国人に頼まれてた子供用の甚平をネットで探してました。もう、夏が終わってるので、ネット上でも売り切れになってるのが多かったです。

一応店にも見に行こうと思って、夕方からまた弟に頼んで車で子供用品店に行きました。
じんべいは、一種類だけまだ置いてましたがサイズも2サイズしかなくて、でも主名サイズのが上下で199円と格安だったので買いました。

あと、主名のTシャツがよれよれのばっかりなので、そこで、主名のTシャツも買い込みました。
Tシャツも199円とかで、インドで買うのと大差ない、むしろ日本のほうが品質が良くて安いです。
あと、電車のパズルとかも買いました。

結局だらだらとその日も予定通り実家にいました。
【2008/10/04 00:32】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
9月29日海遊館
9月29日は、一番下の弟の運転で須磨の水族館に行って、ロープウェーに乗ろうとか言ってたんですが、大阪の海遊館に行きました。

自家用車で行くと、らくですねー。乗ってるだけだから。私も主名も母も寝てました。
海遊館はじんべいざめが目玉ですが、主名に後で聞いたところ、印象に残ったのはくらげとタツノオトシゴだったみたいです。
クリオネもいましたけど、あれ、ちっちゃいんですね。予想外の小ささでした。2ミリくらい?
平日で、すいててよかったです。
その後、観覧車にも乗りました。
日本に帰ったら京阪電車に乗る、というのが、主名の大きな目的だったのですが、京阪電車は観覧車にしておきました。
ほんとは28日に京阪電車に乗って京都センターに行こうかと思ってたのですがわたしがめんどくさくなったので。

帰りも運転してた弟以外は寝てました。あっという間に家に着きました。楽で、楽しかったです。
【2008/10/04 00:18】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
9月28日
9月28日は、尺八奏者の父の出る演奏会があってチケットがあったので新神戸に母と一番下の弟と主名とで行きました。
震災関係のコンサートだったみたいで、主に弦楽器と歌でした。
最初、真ん中の辺に座ったら狭いし、動けないし静かにしないといけないプレッシャーで主名がぐにゃぐにゃしたので、きりのいいところでいっぺん外に出て、でも、ロシア人の声楽家の歌が聞きたかったので、また主名と2人で中に入って、今度は後ろの広いところで聞きました。
よく肥えた人で、声量もすばらしかったです。

その後歩いて神戸センターに行きました。
会場に着いたらすでにバジャンは終わり、ビブーティを配るような時でした。
バジャン後にヴェーダ練習もあったので参加しました。
ナラヤナスークタムをしていました。

2~3年前に大阪センターで一緒にインド人青年からヴェーダを教わってた人が先生役をしていました。
私が他の人に先生役をするときはCDなどの音源は使わずに自分の声だけでやるのですが、それは操作が面倒だからです。
神戸センターでは先生役の人の声とCDを併用して練習していました。

神戸センターはインド人の奥さんたちが熱心と聞いていて、2年前渡印する前に1~2度練習に参加したときもそうでしたが、この時も奥さんたちは熱心で、いいなあとおもいました。
それに、インド人の人たちはヴェーダのチャンティングは初めてでも、ヒンズー語の発音ができるので、逆にインド人の人たちに単語の発音を教わったりできるのがすばらしいと思いました。
いいですよね。

奥さんたちは「次はルッドラムをしましょう」と言っていました。
「難しいですか?」と聞かれたので、「簡単じゃ、ないです」と答えました。
「長い?」とか聞かれたので「長いです」と答えました。
でも、今はきっとババが特にルッドラムを広めることを意思していて、みんなが唱えられるような上げ潮状態なので、できると思います。

今回日本に帰って来るためにインドを発つその日の午前中まで、一緒に練習してる人たちとルッドラムをやって、その日にむちゃくちゃ速いスピードでしたけど、ナマカムとチャマカムを終えました。
本とは、11月中にナマカムを終えれればいいな、すごく速いスピードだけど。とか思ってました。
始めたのは8月のはじめからです。
それが、ナマカムを2ヶ月弱で終え、チャマカムは2日。
普通ならありえないですけど、9月に入ってから、ダルシャン前にホールでルッドラム練習が行われるようになったので、それが追い風となりました。

わたしとしては、もちろん今後の練習は必要ですが、なんか、ルッドラムのバトンを人に渡したかんじで、妙に気が楽になりました。
ヴェーダは、受けたものを次に流して何ぼ、という気もします。
流れを、止めてはいけないのだと思います。
【2008/10/04 00:02】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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