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4月30日の日記(コダイカナル)
今朝はわたしも主名も浄化?
私は生理でふらふらだわ、主名は泊まってるところを出てから下痢うん、をもらして引き返さざるをえないわで、朝のダルシャンにはいつもより遅くに行きました。

しかし日本人グループに合流できたので屋根なしのところに座りました。

ブロックの真ん中あたりでしたが、今日は2人ともなんか虚脱してるし、手紙を書く暇もなかったのでリラックスしてダルシャンを受けました。
今日はそんな日かも。

ババが外出するというのでしばらく文庫本を読みながら道端で待ちましたがこないし、待つのはやめ、昼はチベッタンで食べてその後よこのエコナッツで買い物をしました。
ハーブティーとか岩塩とかナッツ類とかそういうのを買いました。

午後は手紙は持たずに2列目に座りました。
後ろの人が手紙を渡したがってたので代わりに差し出しましたがババには「まてまて」のジェスチャーをされました。

ここしばらく吐き気がしてたのですが、この日の夜はさらに私はかなり具合が悪くて、呼吸も荒く、歩くのも厳しい状況でした。
幸い午後のダルシャンは早めに終わったので、いったん部屋に帰って少し休憩してから主名を食べに連れて行きました。
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【2009/04/30 17:29】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月29日の日記
日本人グループが7時半に集合というのでそれくらいに行きました。
トークンラインに敷物だけ置いて外でパンとか食べました。

中に入ってからは屋根のないところに座りました。

ババは10時くらいに出てきたでしょうか。
ババはベランダの上から主名の手紙を見たように思いました。
その後ババが下に下りてきたときに主名は昨日書いた手紙を渡しました。

ババはベランダ上の正面にしばらくいてくれたのでとてもよく表情が見えました。
日本人グループの中のひとは泣き崩れてる人もいました。

今日の午後はディスコースがあるそうです。

私は今日はほかの人が主名を見といてくれるそうなので、バジャンホールの中に入っていいよといわれてるのですが、ババは今日は外に出っ放しかもしれませんね。

でも入ってみようかな、と思ってます。

もうじきまた午後のダルシャンの集合時間です。
朝も午後もちゃんと出ようと思うとほんと時間がないですね。
でも今回はコダイは短いと思うので、できるだけ全部出ようと思います。

5日の朝、コインバトール発、プラシャンティニラヤムに夕方着の列車を旅行会社に頼みました。
列車が体力的に楽なので。安くもあるし。

ババが動いても動かなくても、わたしたちはその日にいっぺんプッタパルティに戻ると思います。

その後、午後は結局中に入るチャンスはなかったみたいで外に座りましたが、横に来たインド人家族が猛烈で、しばらくは抗戦してたのですが、そのうちホルモンバランスの関係もあり、極度に悲しくなって、あらゆるネガティブなものがでてきて、座ったままさめざめと泣き通しでした。

ババのディスコースは、肉体的なつながりによる関係と神との関係との違いについての話だったと思います。
誰もが神といえるけど、だれでもを自分の妻とはいえますか?いいえ、言えません。とかいうことをいってて、みんな笑ってました。

私は心身ともに極度に疲れて、飲んでないけど酔ってるみたいでした。

星がきれいな夜でした。
流れ星は見ませんでした。
【2009/04/29 17:31】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月28日(コダイ)
コインバトールまで飛行機で飛び、コダイカナルには28日の夕方につきました。

シャワーを浴びた後、バジャンだけ行こうと思って5時過ぎにアシュラム行きましたがまだ静かで、6時半くらいでしょうか、ババが出てきて下まで来てぐるっと回ってバジャンが始まったのは。

私たちは後から行ったので5列目くらいでしたが、それでもさすがに近くでした。

日本人がいっぱいきてて、30人以上でグループを作ってます。

私たちは幸い保井部屋があったので00ルピーのとこに泊まってます。
(この時期のコダイでは最安値くらい)

ババは4日の朝までコダイでダルシャンをするというちまたのうわさです。
【2009/04/29 17:18】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月27日
【2009/04/29 17:14】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月26日
【2009/04/29 17:14】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月25日の日記(リシケシ)
昨日、ババがコダイに移動したとのことだったので、
私たちも後を追う予定なのですが、とりあえず列車のチケットが27日ハリドワール発デリーに夜中着と、28日の朝デリー発29日夜にバンガロールに到着のものだけ持ってるので、コダイまでどうやっていくかいろいろ考えました。

しかし、まあ当然、今の時期はどこも列車はいっぱいで、まともに取ろうとしても無理です。

外国人枠のある駅でならチケットが取れるときもあるのですが、ここリシケシでは無理だそうなので、デリーで取るしかないのですが、それも取れるかどうかあやふやなので、(デリーからマドゥライかコインバトールに直接いける列車が取れれば一番いいんですけど。バンガロールまでのチケットを買うときに、マドゥライ行きの列車も取りあえず確保しておけばよかったなあと。キャンセルは簡単なので。)
あー、ひこうきがいいなー。

バンガロールから夜行バスという手もあるかもしれませんが、これもいっぱいかもしれません。それに体力の消耗がはげしそうです。

まあ、今日はそんなで旅行会社にいったりもして、昼に知人宅に遊びに行きました。
彼らは長く住んでたりするので時々取材が来るそうですが、この日もあとから某ガイドブックの関係者が取材だか遊びにだか来ました。

だらだらして、そのうち暗くなったのでいいかげん帰りました。

リシケシはわたしは別にハタヨガをやるわけじゃないので、知人に誘われるままに単に物見遊山に来ました。

ここからもうヒマラヤだそうで、ヒマラヤで修行して10数年!とかいう宣伝文句があるグルでもじつはリシケシでごろごろ寝て暮らしてたりもするとかいう話です。

観光地といっても差し支えないようなここ、ヨガの里リシケシですが、人は、ごく普通に信用できる感じで、さすがに雰囲気は決して悪くないです。比較的人もあっさりしてるし。いい意味で外人なれしてるというのもあるみたいです。

ガンガーがとうとうと流れてて、、、私自身、川や海がわりに近くにある環境で生まれ育ったせいか、やっぱり水辺はいいなと思います。
【2009/04/26 01:27】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
BABA
baba ga kyou,kodai ni idou sareta you desune.
utira wa 29niti ni Bangalore ni tuku yotei nanode sorekara kodai ni ikuto 5gatu1niti toutyaku kurai desu.
baba ga sono toki kodai ni iru no kanaa? to omoi masuga, toriaezu,souiu ugoki kata ni naru to omoimasu.
【2009/04/25 00:37】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4gatu24niti(India.Rishkesi)
【2009/04/25 00:34】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4gatu23niti
【2009/04/25 00:33】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4gatu22niti
【2009/04/25 00:32】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4gatu21niti
【2009/04/25 00:31】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4gatu20niti
【2009/04/25 00:30】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月18日の日記(ポカラ)
この日は朝起きて外を見るとヒマラヤがくっきり見えていました。

前日たくさん雨が降ったから、空気がきれいになったみたいです。

ホテルの屋上で記念写真を撮りました。

その後昼くらいまでゆっくりしてました。
同じようにゆっくりしてる人としゃべりました。
ハワイの人で白人系でしたが若いときにハワイでヒンズー教の入門の(?)儀式を受けてヒンズー教になったという人でした。
親族がどういう職業かとか聞かれて、カーストを見極めて、そのカーストにふさわしい入門式をしたそうです。
だから、インドとかネパールの、ヒンズー教徒しか入れない寺でも、そこの坊さんのいくつかの質問に答えた後に入らせてもらえるとのことでした。
そういうふうに「ヒンズー教徒になる」ことってできるんですね。知らなかった。
名前とかもその儀式のときにもらうらしいですけど、そしたらアマチがいろんな人にヒンディーの名前を授けてるのって、ヒンズー教徒の儀式みたいなものなんでしょうか?

その後、その人に勧められて、湖の中にある島の寺に行きました。
主名がボートボートと催促してたので、渡し舟の往復25ルピーのボートで満足したみたいで安くつきました。
ビシュヌの寺と聞いていましたが、中の神様は女神でした。
いのしし?みたいな姿だったので主名が「ぶたやーん」「ぶたやーん」とうるさかったです。
なかなか島の居心地もよかったので、日暮れまでそこにいました。
【2009/04/19 22:15】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月19日(ポカラ)
今日はヒマラヤはまったく見えませんでした。
やっぱり、前日にはっきり見えたのはラッキーだったみたいです。

今日は夕方までそこらへんでのんびりしてて、夕方、すずしくなってから一時間250ルピー(300円くらい?)でこぎ手つきのボートに乗りました。

昨日行った湖の寺にまた行ったら、なんかへん?なんで?と思ったら、ご本尊の女神像が昨日の金属製のイノブタ風ではなく、石のおじぞうさんみたいなのになってました。

おでこに赤いのをつけてくれる人に「神様が昨日と違う!!!なんで?」と聞いたら、昨日は土曜で、(ネパールは土曜が休みらしい)人がいっぱい来るからカバーをかけてた、とのことでした。

以外にちゃっかりしてるというか、使い分けるんだなあと思いました。
笑いました。
【2009/04/19 22:06】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月17日の日記
ポカラに泊まった最初の晩はババの夢を見ました。
なかなか恩寵に満ちた後味の甘い夢でした。
しかし、ポイントポイントできっちり出てきてくれると思いました。

前日、泊まったホテルでポカラの一日観光をすすめられ、いくらか聞いたらたしか4500ルピーとかそういうふうにいわれたので、そんなバカ高いのは無理だし、ガイドブックにはサランコットの丘とほか数箇所の半日観光で1000ルピーとかいてる言うと、ほかの宿泊客と一緒でいいなら一日で1500ルピーといわれ、サランコットにはどっち道行こうと思っていたので、ほかの客はうちらが加わってもいいのかとゲストハウスの人に聞いたら大丈夫だと言ったので、ツアー参加を了承しました。


なのでこの日は朝5時に起こしてもらい、日の出を見に行きました。
しかしほかの客は3人のロシア人で、私たちの事は聞いてなさそうで、なんか感じがよくなかったのですが、一緒に行動してるうちになじむだろうと思って、あえて気にせず車に乗りました。

サランコットに登って日の出を見ました。
本来はヒマラヤをパノラマで見れる展望台なのですが、この日ももやがかかってて、三角にとがったマチャプチャレが見えたくらいでした。

でも、山とわかるのをはっきり見たということで、一応私と主名は満足しました。

その後ビンドゥバシニテンプルに行きました。ドゥルガーが主の寺だそうです。
お参りして額に赤い色つきの米をくっつけてもらいました。

ロシア人たちは2人は英語を話さないみたいで、若い男性が通訳していましたが、サランコットの後にすぐにホテルに戻って朝食と聞いてたらしく、予定と違うと少し怒っていました。

その後は白い水の流れる川に行きました。
ロシア人たちはみんな大人なので先に岩だらけの川原を歩いていきましたが、私たちは主名がいるので、ドライバーに手伝ってもらいながら行きました。

若いロシア人男性が向こうまで行って戻ってきたときにはこけて頬と額の横のところを怪我していました。
たぶん、私たちの存在とかネパール人のやり方とかに頭にきてたので足元が見えなくなってたんだと思います。

いちどホテルに戻り、朝食を食べました。

その後、もうひとつの展望のきく、日本の寺がある山の上に行く予定だったみたいですが、ロシア人たちがゴルカミュージアムに最初に行くといったので、そっちを先にしました。
ゴルカとは優秀なネパール兵の代名詞として知られる町の名前です。

ホテルの責任者はゴルカミュージアムは今日は休みだとかうそをついたり反対の方向だとか理由をいろいろ言って行くのを思いとどまらせようとしていたようですが、ロシア人が出発後にドライバーにゴルカミュージアムに行くように要求して出発後に行き先を変えて行ったのですが、開いてました。
ロシア人たちはニコニコでした。

彼らは何か思い入れがあったのかもしれませんが、私らはそういう軍の歴史みたいなのに興味がなかったので、ロシア人たちがミュージアムに行ってる間にドライバーはすぐ近くの発電施設のある川とか、チベット寺とかに連れて行ってくれました。

チベット寺では坊さんたちが何か唱えていて、それが今まで聞いたことがないバイブレーションのもので、これを書きながらもよみがえって寒気がしてるのですが、すばらしかったです。
女の坊さんたちとおじさんの坊さんたちが向かい合って座って並んで唱えていましたが、声の音そのものが独立した生き物のように自在に踊り、共鳴し、ふと止まったかと思うとまた天から湧いてくるようなとても不思議なものでした。

お参りしたらあめちゃんをくれました。

その後そこらへんの茶店でお茶を飲みながらロシア人たちが出てくるのを待ちました。
こういう時間が観光の時間よりも本当はとても楽しいというか、ほぐれて幸せ感があります。
おばさんがまっくろな中華なべみたいなので野菜炒めを作っていて、ドライバーは、ホテルのご飯よりこういうのが一番おいしいんだよ、とか言っていました。
ほんと、おいしそうでした。

その後は国際山岳博物館に行きました。
私は山登りにも特に興味がないのですが、でもここは観光スポットらしく、広い敷地に立派な建物が建っていました。

ロシア人たちはこの日の夕方からトレッキングに行くらしく、ここに来て、敷地内に山のモニュメントがあるのを見て歓声を上げて、よじ登っていました。

ドライバーが先に建物の中を見ようといったので、わたしらはロシア人と別行動をして先に建物の中を見学しました。

特に深い興味もないのですが適当に見て回りました。
登山家の装備とか、イエティ(雪男)の人形とか、動植物や山の写真などありました。
最後の方で、野口さんという登山家がヒマラヤに残された登山で出たごみ(酸素ボンベなど)を回収する活動をしてる紹介のコーナーがあって、野口さんて確かハーフだったんじゃなかったかと思いますが、それまで山頂を征服した記録などが続いてた後のこの展示だったこともあり、こりゃ、日本人がネパールですごく好かれるわけだよなあ、と思い、なんとなく感動しました。

外に出て、山のモニュメントにうちらも登ってみました。(横についてる階段で)
ロシア人ほどはのぼれないのぼれない。

その後別の、ロッククライミングの練習用みたいなモニュメント?のところにも行きましたがそこは見るだけにして、座って休みました。(もちろん、ロシア人たちは登っていました)

その後入り口に帰って車の中で待とうかと思いましたが暑すぎたので、チケット売り場の前の日陰で休みました。

そしたらチケット売り場のお姉さんが暇だったこともあってか出てきて、楽しくいろいろしゃべりました。
日本に行きたいそうで、もし呼べるなら呼んで(日本に)とか言ってました。
うちらはいつ日本に行くかわからないこともしゃべったので半分冗談ですけど半分本気でした。
何をしゃべったかは忘れましたけどいっぱい笑いました。

その後、デビズフォールという奇観の滝を見に行き、近くの洞窟の中からその滝をうらから見ました。
ドライバーがずっと主名を助けてくれたので助かりました。
洞窟の中には芝のお寺もありましたが、「牛小屋」と称するトンネルの中の牛の人形はちょっと意味不明でした。

その後、日本山妙法寺のある山に登りました。
車が途中までしかいけなかったので途中からは歩いて登りました。汗だくになりました。
よくまあこんなとこに寺を建てるなあ、と。
山の上からの湖の眺めはいいものでした。

また車まで歩いて降りました。

帰り道、悪路を走った車はタイヤがパンクしたので10分ほど泊まりましたが、ドライバーは手際よくタイヤ交換したので、あわててお茶を飲み干しました。
そこの茶店の人たちもすごく友好的で、日本人て、ほんと好かれてるんだなあと思いました。
お茶を飲むまで5分待ってとドライバーに言えばいいのにといわれましたが、あのロシア人たちが一時間後にトレッキングに出発するから時間がないことを茶店のほかの客に言うと、ロシア人は英語をぜんぜん話さないだろ?みたいに言われました。
2人は話さないけど1人が話すので通訳してると答えました。
英語に関してはわたしもよく「通訳つれて来い」といわれたので、人のことはぜんぜん言えません。。。

しかし、結局ロシア人たちとはなんとなく険悪なままでした。
ホテルのやり方というか、ネパール人のやり方も問題があったと思います。
わたしもそんなに友好的なほうじゃないのであえてした手に出なかったのですが。
こっちを見もしませんでした。もしかしたら最初のうちは、彼らはネパール人のドライバーが自分の家族を無断で乗せてるくらいに思ってたかもしれません。

多分ホテルに苦情を言って、多少ツアー料金を負けてもらってたように思います。
3人で2500ルピーだけ払ってましたから。
わたしなんか普通の席があいてるのにずっと補助席に座らされ(ロシア人が一人で長いすひとつとかに座ってたので)、乗りごごちが悪かったのですが、あ、これは、ルンビニからカトマンズに行くときの車でわたしがネパール人の子供がうちらの席に侵入してきた状況の逆パターンの体験が来てると思ったので、なにも苦情は言いませんでした。
あの時、近いうちに逆の立場に置かされると思ってたので。
ロシア人のいやーな気持ちはわかりましたけど、うちらもホテルにそれでほんとにいいのか確認した上でその車に乗ったので、あとはホテルの人の問題。

その一日ツアーの後、ロシア人たちはフロントに預けてあった荷造り済みのバックパックを受け取って、すぐに歩いてトレッキングに出発しました。
まもなく、すごい風と豪雨になりました。。。

若い男性がほかの二人を案内してたみたいで、責任者みたいにしてたので、気の毒。と思いました。

スコールが収まってから散歩に出かけました。
湖の平らかな水面はそれを目にするだけで同じ静かな気持ちにさせてくれます。
胸が「シーン。。。。。」となります。

ポカラにくるのも面倒だったけど、きてよかったなあ、と思いました。

湖に張り出した展望台のような場所で夕日が沈みきるまで微妙なグラデーションの景色を眺めていました。
【2009/04/19 16:35】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月16日の日記(カトマンズ~ポカラ)
朝7時発のツーリストバスでポカラに移動しました。

チケットは泊まってたゲストハウスで買いましたが、そこの旅行関係の手配するひとがゲストハウスのマネージャーで、せかせかしてて疲れそうとか思って多少敬遠してたのですが、めんどうなのでゲストハウスでバスのチケットを手配しました。

一人500(600~700円くらい?)ルピーの、最低クラスではないけどその上のクラスが18ドルなので、高くもないバスです。

そしたらそのマネージャーは私の財布のババのキーホルダーに目をとめ、奥さんと一緒にプッタパルティにダルシャンを受けに行ったことがあるとかいう話しをしました。シルディサイのカードのカレンダーも飾ってありました。

もらったバスチケットには「ババアドベンチャー」とありました。
できすぎちゃう?と思いました。

12日ほどこのゲストハウスには泊まりましたけど、そういうこと、最後まで、知らんかったなあと思いました。

そこで紹介されたポカラの宿は日本人になんか評判がよくないところだったしガイドブックに書いてある料金よりだいぶ高かったので、ポカラの宿は自分で探すことにしました。

ゲストハウスからバスの発着所に行くとき拾ったタクシーに乗ったときには「マーナサバジャレーグルチャラナム」のバジャン(ババがサイババ宣言後にはじめて人に教えたバジャン、でしたっけ)がかかってて、その後アルティとともにバス発着所に行きました。
できすぎ。

バスの発着所で封のあいたチョコバーを安くで買ってしまい、私があきらめるまでしばらく隠れてた後で姿を現した売った人に文句を言っても「自分は売ってない」というので、そんなの食べるのもしゃくなので、それはその人の前に捨てました。
ちょっと気分を害しての出発でした。

主名が自分のウエハースをあげるとかいって慰めてくれようとしましたけどそんなの食べたくないので断りました。

結婚式帰りみたいな飾った車が通ったので主名と結婚の話になり、主名に結婚したいか聞いたら
「したい」というので「なんで?」と聞いたら、「だって、おとうさんになりたいの。。。」とか言っていました。
いろんな子供がいるもんです。

私も主名も道中はよく寝てたので車酔いはしませんでした。

おなかがすいたので最初のお茶休憩のところでダルバートを食べ、本来の昼食休憩のところではアイスクリームとか食べました。

ポカラに着いてバスを降りると客引きがたくさんむらがってきました。
こういうのは久しぶりだったので「あ、ひさしぶり」と思いました。
10数年前はレイクサイドエリアに泊まったので、今回はダムサイドエリアに泊まろうと思ってて、泊まるところも決めてて歩いていこうと思ってたのですが、雲行きが怪しくなってきて一雨きそうだったので、雨の中を歩くのはいやなので、客引きの車でとりあえずレイクサイドのホテルに行きました。

そこはカトマンズのゲストハウスで紹介されて断ったホテルのオーナーの兄弟がやってるホテルでした。。。建て方がまるで同じ。
まあでもきれいで問題は特になかったので泊まりました。
案の定、ついてお茶を飲んで休憩してるうちに強風とスコールになりました。

そのホテル、レイクサイドの南のほうに今は泊まってます。

今日(18日)は部屋の窓からでもヒマラヤがよく見えました。
【2009/04/18 18:31】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月15日の日記(カトマンズ)
今日は朝10時くらいにインド大使館に行きました。
9時半から受付開始なのですが、みんな早くからきてて、わたしらは最後って感じでした。

ここでは一週間前にテレックスとかいうのを送ってて、今日はようやく申請できる日でした。
昨日も大使館は休みだったみたいで今日もずいぶん混んでました。
そこらへんをうろうろしてる大使館の人らしき男性に整理券番号を見せて、私らはどれくらい待つことになりそうかと聞いたら
「ローーーングタイム」
とだけいわれました。

結局申請の順番が来るまで4時間待ちました。

大使館を出たのが2時過ぎだったのでタメルにご飯を食べに行って、5時前にまた大使館に、受け取りに行きました。

また1~2時間は待ちました。

でも大使館の人も今回は前みたいに打ち切らず、全員分を発行してくれました。
実際ビザのくっついたパスポートを手にするまで、ほんとに今日もらえるのかなあ?とか思ってました。

私のパスポートにはすでに過去のインドビザが6枚張ってあることもあり、よくて3ヶ月しかもらえないと思ってたのですが、思いがけず6ヶ月ビザをもらえました。
スリランカのときと違って個人面接もありませんでした。

本を読みながら待ってたのですが、受け取るときに大使館の人は「たくさん読んだね」とか言ったので「はい」と答えました。3日間で3冊くらいは読んだんじゃないかな。

申請のときは待ってる人たちもみんなぴりぴりしてて切れて泣いてる西洋人とかいましたけど、受け取りのときはみんな妙な連帯感でぴゅーぴゅー口笛吹いたり拍手が出たり、もらってガッツポーズしたりと盛り上がってました。
大使館の人もお年玉をあげるみたいににこにこしてました。

無事ビザがもらえたので、明日はポカラに移動します。
【2009/04/18 18:11】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月14日の日記(ナガルコット~バクタプル)
ヒマラヤを見るには朝がいいらしく、泊まった宿の部屋のロケーションは最高だったので、窓のカーテンを開けて、明るくなっていく空を眺めていました。

日の出のころに主名も起こして、外のテラスに出て日の出を待ちました。
雲というかガスのようなのがかかってたので、主名に「ヒマラヤがみえるようにババにお願いし。」
と、祈らせた後、ちらちら朝日にピンクに染まった鋭い山らしきものが見えました。
いちおう主名は初ヒマラヤなので、「あれ、ヒマラヤやとおもうでー」と教えて、主名も認識したみたいですけど、雲に見え隠れして微妙なので「見た見た」くらいで感動とかそんなのはおこらず。

しかしネパール新年の初日の出も拝み、満足しました。

思ったより寒くなかったです。

その後朝食を食べに下に下りると前日の年配の日本人も食べにきてて
「いやー、今日はぜんぜんだめですなー」みたいに言ってました。
うちらは一応ヒマラヤを見たけど、その人にとっては微妙すぎるだろうと思い、黙ってました。

その後その人はまた数時間かけて別の町によって歩いて山を下るということで先にチェックアウトしましたが、わたしらは昼までそのホテルで景色を見たり、ちょっとまた寝たりしてのんびりしてました。

ホテルの主人は日本で7年働いたとかいう話をしていました。

そのホテルを後にし、またバス停まで歩いて、バクタプル行きのバスに乗りました。
バクタプル行きのバスは来たときのバス同様屋根に人が満載でしたが、バスの中はすいてました。
ネパール新年ということでみんな休みなのか、下からネパール人が続々と山に上がってきてて、山の道路は混雑していました。

バクタプルについて、休憩したあとにバクタプルの中心地に歩いていきました。
バクタプルは映画のリトルブッダでブッダの幼少期の舞台になったりしたそうです。
カトマンズやパタンよりも人が少なく静か、なはずでしたが、この日は元旦なのでけっこうな人出でした。
でも楽しいお祭りムードでなかなかよかったです。
ほんとはここの中心部に入るには外国人は750ルピーものお金を払わないといけないのですが、うちらはナガルコットからおりて来たので裏から町に入る格好になり、払う場所がありませんでした。
よかった。
外国人料金て、しょうがないか、、、と思いますけど、腑に落ちないので、払わなくていいならそれにこしたことはないので。

この町はヨーグルトが名物なので、見つけて早速買ってそこらに座って食べました。
直径25センチくらいの素焼きの入れ物に入ったのを丸ごと買って食べたので、主名と分けて食べたにしても食べ応えがありました。
濃厚な味を想像してましたが、じゅるじゅるしてやわらかくて上品な甘さでした。

その後ダルバール広場でうろうろしてたら女神か何かの像がおみこしに乗せられて、寺の外に出てきていました。
正月に来て、得したなーというかんじでした。

その寺もヒンズー教徒しか入れないのですが、ネパール人のヒンズー教徒がいっぱい入っていってたし、私らもその流れに入って中に入りました。
で、ネパール人と一緒にあちこち見て回ったりおまいりして回ったりしました。
ネパールのこういう古い建物は中に入ると複雑だったりぱっと広い空間があったりと意外性があります。

バクタプル、堪能しました。

日本に長く住んでたという子連れのネパール人の夫婦が話しかけてきて、主名と、すでに日本語しか話せないという幼稚園児の子供を仲良くさせようとしましたけど、お互い見てるだけでした。

帰りのバスは、もう夕方だったこともあり、席の争奪戦でした。

来たバスに主名と荷物を窓から放り込んだら行き先が違ってたので主名と荷物をバスの入り口から取り出しにいったりしました。

しかし目的地に行くバスの運転席の横の席にちゃんと座れたのでバスに乗った後は楽に帰ることができました。

バスを降りてからはサイクルリキシャに乗ったのですが、だいぶおじいさんで、すごく威勢はよかったのですが汗だくになっていました。
多分若い人の1.5倍の時間がかかったと思います。。。
途中、スクーターと接触して、スクーターがかなり壊れてました。
サイクルリキシャは以外にも無傷。
どっちの過失か知りませんが、気の毒にスクーターに乗った若い女性はサイクルリキシャのおじいさんに怒鳴られて、何もいわずに走り去っていきました。
おじいさんは私らのゲストハウスは知ってるしってる、といって自信たっぷりで私にみなまで道を言わせませんでしたが知らなかったみたいで迷ってました。
タメルはゲストハウスやホテルだらけですからねぇ。。。

サイクルリキシャのこぎ手も若い人や年をとった人などいろいろですが、人のいい人とそうでない人の差が激しく思います。
このおじいさんはかなり味があって、このサイクルリキシャに乗ることそのことで、いい経験したなとか思いました。
【2009/04/18 18:10】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月13日の日記(ナガルコット)
この日は山に登ろうと思い、普通に街歩きの用意でバスに乗りました。
バクタプルで乗り換え、ナガルコットという展望のきく場所に行きました。

山道なのでバス酔いするかと思いましたが、すごいゆっくりゆっくり登ってたのでぜんぜん大丈夫でした。
屋根の上には20~30人のネパール人が乗ってて、多分屋根の上が気持ちいいから乗ってたんだと思いますけど、対向車線におなじように屋根に人を乗せたバスが来るたび歓声を上げてて盛り上がってました。

山に登っていき、空気も景色も気持ちよくなってくると自然に気分もさわやかになっていきました。

ナガルコットのバス停に着いたときにはすでに夕方で、というのはカトマンズを出たのも昼だったし、バクタプルで主名が少し車酔いしてたので休んだりしてて、遅くなったので。

なので、ナガルコットに泊まろうと思いましたが、バス停に来てた客引きが言う宿の値段が3000ルピー。一桁間違えてるんじゃないかという高さでしたが、この日はネパールの大晦日で、ネパール人がたくさん来てるからホテルはどこもフル、といわれました。

うすうすそうじゃないかと思ってたけど、やっぱりそうだったか、と思い、ガイドブックに載ってるホテル(雲海リゾート)にとりあえず行ってみて、そこはわりと遠くなので、そこに部屋がなければバス停のほうに戻りながらほかの宿を探そうと思い、とりあえず歩き始めました。

景色も空気もいいのでそれだけで楽しい気分でした。

途中で日本人には有名らしい、日本の有名人のそっくりさんのネパール人がやってる茶店があったので寄って、情報収集&お茶にしました。

なるほど店主は某芸能人によく似てました。
そこらへんは店主もこころえてて、そのように見られ慣れてる感じでした。

店主が私たちが向かってるホテルに電話して部屋があるか聞いてあげると言ったので、電話してもらいましたけどほんとかどうかわかりませんけど電話がつながらないとのことでした。

なのでとにかくいってみようと思い、また歩きました。

しばらくして到着したので部屋があるか聞いてみたら、これもほんとかどうか知りませんが、安い部屋はもういっぱいなので少し高い部屋しかないと言われました。

3千数百ルピーの部屋と2千ルピーほどの部屋があるとのことで、私らはここにドミ(大部屋でベッドひとつ分のスペースが250ルピー)があるとガイドブックに書いてたから来たんだけど、、、、というと、2000ルピーの部屋が1500ルピーになったのでその部屋に泊まりました。

窓も広々してて前は大きなテラスでベッドもダブルベッドとシングルベッドがあるファミリータイプの部屋で、上等でした。

いい部屋だなーと思いつつ、少ない荷物を下ろし(日帰りで帰れるなら帰ろうと思ってたので、着替えも持ってきてなかったので)下の食堂というかレストランに行くと、年配の日本人が私のことをここのホテルのオーナーの奥さんと勘違いして挨拶してきました。
ネパール人と結婚してホテルなどやってる日本人女性はたくさんいるみたいですね。
ここもそうみたいです。

他に人もいなかったのでその年配の日本人男性と私と主名とでそこで夕食を食べました。
ごはんは日本人好みのやさしい味でした。
その人は30年くらい毎年ネパールに仕事を兼ねて来てるとかいう人で、ポカラからトレッキングをしてきたけどぜんぜんヒマラヤが見えないし道は近年バス道になってるしで歩いてもしょうがないから途中でやめて切り上げたとかいっていました。

日本語の本もいくつかあったので借りて部屋で読んだりしました。
日本語の本に飢えてたのですが、ネパールに来てだいぶ読んだので、だいぶ満たされました。

わたしは日焼け止めや眉毛を描く鉛筆も持ってきてなかったので、高地で翌日日焼け止めなしは厳しいのでこの日は顔を洗わずにおくことに決めました。

主名はすぐに熟睡でしたが、私は夜遅くまで本を読んでて、その後も日焼け止めが布団にこすれて落ちないようにとか思いながら寝てたら寝たかねてないかわからない感じで、そのうち夜が明けました。

【2009/04/18 17:45】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月12日の日記(カトマンズ、パシュパティナート)
ビシュヌの寺に行き、その後パシュパティナート(シバの寺)に行きました。
充実した一日でした。
【2009/04/13 15:18】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月11日の日記(カトマンズ)
昨日は私も主名も早く寝たので(主名9時くらい、私10時半くらい)朝は7時半くらいにおきました。
ぜんぜん早くないかもしれませんけど、私としては早起きしたかんじです。

ゲストハウスのレストランで朝食を食べました。
ここの朝食は1日であきましたが、宿泊費に含まれてるので、なんか適当に食べました。
わたしは朝はがっちり食べるほうなのですが、ここの朝食はトーストとかコーンフレークとかパンケーキとかなので甘くて、なんか力が出ない感じです。

スリランカのホテルも朝食つきだったけど、あそこはスリランカ式ココナツカレーをビーフンみたいな麺にかけて食べるような朝食もあって、それがすごくおいしかったので毎朝そのセットを食べて、飽きることがありませんでした。
ここのゲストハウスもネパール式の朝食も選択肢にあればいいのになあ、と思いました。
白いご飯と、漬物や青菜の炒め物くらいでも十分嬉しいんですけど。

一応レストランのメニューに日本食の朝食もあったので、別料金になってもいいからと頼もうとしたのですが、それは基本的に日本からのツアー客が来たときに用意するみたいで、私が個人でも頼めrけど、今からご飯を炊くので1時間くらいかかりますといわれたのでやめました。

ここのゲストハウス(インターナショナルゲストハウス)は、けっこう団体客も扱ってるようです。
スタッフもあっさりしてて親切できびきびしてます。(ご飯がくるのは遅いけど、注文が来てからつくってるんだろうということで)建物も西洋人好みなネパール風の建物で凝ってます。
毎日部屋の掃除やシーツの交換もあり、うちらはこのゲストハウスのなかでたぶん最安値のバスルーム共同の部屋に泊まってますけど、気持ちよく滞在できています。

ほんとは昨日、インドの列車のチケットを受け取りに行かないといけなかったのですが、昨日はもう疲れてたし、行かなくて、今日、フリークストリートの旅行会社に受け取りに来ました。
そしたら休みでした。
ネパールは日曜じゃなくて土曜が休みらしく、今日は土曜なのでか、通りのほかの店もシャッターが下りているところが多いです。

なんとなく、フリークストリートのほうがインターネットも安いので、今はフリークストリートのインターネットカフェからです。
タメルのきれいで使いやすいネットカフェだと一時間100ルピー!ですけど、ここだと20ルピーです。

旅行会社もタメルに売るほどありますが、わたしらはフリークストリートまで来てます。
信用できるところじゃないとなにかとしんどいので。

今からどこかにご飯を食べに行って、夕方に寺(スワヤンブワナート、でしたっけ)に行こうかと思ってます。

。。。。。。その後。

ダルバールスクエアからタメルチョークまでサイクルリキシャに乗ってきました。
最初、こじゃれた格好をした若いリキシャワーラーに聞いたら150ルピーとかいったので、あほな、と思い、40か50ルピーと思うんだけど?と言ったら、向こうがこんどは「あほな、、、」という風に首を振ったので、他のリキシャの人と交渉したら「50」と言われたので40で行きました。
で、感じが良かったので地味に増やして45渡しました。

ロータス(レストラン)に行ったら土曜は休みだったのですぐ横の路地を入ったところのちゃちゃかふぇに行きました。
同じオーナー?

私は大根おろしスパゲティを食べて、主名はべジトマトスパかなんかそんなようなのを注文しました。

ちょっと大人向きの味だったようで、主名は結構残したのでわたしはまた1,5人前食べました。

その後適当に歩いて、スワヤンブナートに行こうと思って地図を見たら、さっきご飯を食べた店のある路地を通ったほうが近かったので引き返しました。

そしたらその店の前を通ったときに主名が店に帽子を忘れてたみたいで、店の人が返してくれました。

タクシーで行っても良かったのですが、歩いて行ってみました。
そこら辺の人に聞いた道を行くと家の裏の変な道でしたけどたぶん近道だったんだと思います。

寺の入り口があって階段を上り、ついたのかな?と思ったら向こうの山の上に目指す寺があったのでぎゃー、と思いました。

なんかの寺の横を通るときにまた何か撮影をしていました。
カトマンズではあちこちで撮影してるんですね?
カメラの前で音楽にあわせて男女が寄り添っていました。
それを見物するひとたち。(私や主名も含む)

しかし踊ったりしないのですぐに飽きて私たちは先へ行きました。

橋を渡りましたが川はめっちゃくちゃ汚かったです。

割とすぐに山の下について、階段を上り始めました。
モンキーテンプルの名に恥じずサルだらけでした。

箕面のサルもこんなだったけなあ?とか思いながら上りました。
箕面のサルはもっと怖かったように思います。
わたしがサル慣れしてなかったからかもしれませんが。

実は主名は今日はまた昨日の動物園に行きたいといっていたのですが、
「今日いく寺にもサルがいっぱいいるんやでー。」
と、だまくらかしてつれてきました。
サルも犬もいっぱいいて、生まれてすぐくらいの子猫もいたので主名は喜んで満足していました。

ガイドブックなどにはスワヤンブナートへはタメルから徒歩30分ほど、とありましたが、うちらの足ではたっぷり1時間半くらいかかりました。
でもゆっくりだったのでそんなにしんどくもなかったです。
主名が腕にぶら下がるのはやめて欲しかったです。

山を登る階段は最後のところがかなり急でした。
もう一息、というところで横からネパール語で声をかけられたので無視してあがろうとしたら英語でチケットを買うように言われました。
100ルピー。
外国人に対するこのチケット、いつもなんか腑に落ちないんですけど、決まってるものはしょうがないので素直に払いました。
寄付するのと強制的に徴収されるのとではだいぶ気分が違うんですけど、まあ、これくらい取ってもいいのかもしれません。ヒンディー寺院みたいに外国人は入っちゃだめ、とかは言わないし。

山の上は眺めが良かったです。

仏陀の目の描いてあるストゥーパのところで記念写真を撮ったりしました。
しかし、ネパールの仏教はけっこう適当な感じがします。
ネパール人、仏陀の台座に座って記念写真撮ったり、小さいストゥーパに子供を登らせて記念撮影したり。いいのかなあ?と思いましたがネパールではOKなのかもしれません。

プッタパルティで、おでこにつけてる赤い粉がやけにぼこぼこと立体感があってちょっとこわい人たちがいてますけど、あれはネパールの人たちなんですね?
赤い米を額にくっつけてるんですよね?あれって。

山の上はストゥーパだけかと思ったら他の寺やみやげ物や茶店なんかもありました。
仏像を展示してる小さな博物館もありました。
適当に回って適当に山を降りました。

降りるのは早かったです。

降りるころには観光客から料金を徴収する人たちももういませんでした。

来た道を帰りましたが、来たときの抜け道への入り口は分からなかったので大きい道から帰りました。

帰りはどこにいくにしてもいつも早く感じます。
初めての道と、2回目の道との感じ方の差でしょうか。

やはり川はむちゃくちゃ汚くて、道は交通量が多くてほこりやガスでくもり、家は平行四辺形に傾いているものもあり、ほっとするような風景ではないのですが、やはり何度も同じような道を通っているうちに「知っている場所」という感覚になってきて、ゲストハウスの近くまで来ると知己に再会したような少しうれしい気持ちになるから不思議です。

この日行ったスワヤンブー(と、町の人は言ってて、標識にもそう書いてありました)はむかしむかし、カトマンズの町ができた事にかかわる、歴史の深い大事な場所だそうです。
【2009/04/11 16:57】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月10日の日記(カトマンズ)
昨日の夜はネパールに来て初めて土砂降りの雨になり、雷まで鳴っていました。
なので朝は少し空気が澄んでいるように思いました。

今日は午前中にネパールビザの延長に行きました。

窓口の男性は一昔前の日本のまじめなサラリーマンみたいな青年でした。
「ジャパニーズ?」と聞いておきながらネパールの言葉でしゃべってきて、ネパール語はなせる?というので。話せないと言うと、今度は私の名前を見て「フルノ」「私の発音正しい?」と、英語で聞いてきたので「ベリーコレクト」と言ったら笑ってました。

申請して、受け取りは午後2時といわれたので、2時間くらい時間がありました。

地図を見るとすぐ近くにカトマンズ随一とかいう日本料理屋があって、ランチだと安かったので行こうと思いましたがそこに入る道がわかりにくくて主名は疲れたというしおんぶしたりしながら結局1時間くらいうろうろしたので、そこらへんの食堂でサンドイッチとモモをテイクアウトしました。

大学かなんかの道の前に警官が何十人もいて車が通行止めになってて自転車とか焼けてました。
大学紛争みたいなのがあったようです。

2時5分前にイミグレにいったら申請したときの男性が来て、すぐにビザをくれました。

地図を見たらパタンが近かったので、パタンの動物園に行こうと思ってタクシーに乗ろうとしましたが最初のタクシーは例の通行止めの道がパタンに行く道だから、今行くとすごく遠回りになるといって断られました。

次のタクシーは遠回りだけどメーターで行くというので乗りました。
200ルピーでいい?とかいうのでちゃんとメーターで行ってと言って、メーターでいってもらいましたが300ルピーくらいかかりました。。。

主名は動物園の前でげーっとはいて、朝食べたものを全部戻しました。
かえろっか?と聞くと、でも動物園には行きたいらしかったので帰りませんでした。
空気が、やっぱり毒、というのはいえると思います。
わたしもタクシーで街中を走ったりしてると頭が痛くなったりおえっと吐き気が(車酔いではない吐き気が)してきたりします。

そしていつもなんか腑に落ちない外国人料金150ルピーで動物園に入園して、外国人料金で(ネパール人の4倍)象に乗りました。200ルピー。

でも象に乗るのはかなり面白かったです。
園内を象でさんぽ、といったかんじでした。歩いてる人と至近距離ですれ違うので、よく踏み潰さないもんだと思いました。
象の肌はごわごわなのに暖かかったのでぎょっとしました。

遊具もあったので主名は遊んだりして、動物も見て、カトマンズに来てなんか久しぶりにほっとしました。

汽車型の子供向けジェットコースターにも主名は乗りました。
(吐いたばっかりだったのに)
でも、テイクアウトしたサンドイッチはおいしかったので主名は自分の分を食べた後もっと食べたがっていました。
ベジタブルモモはネパールのモモ、まだ、カレー味しか食べてないんですけど、この時のもそうでした。
私もおなかがすいてたので歩き食べしてました。

動物園では主名は気分がさっと変わって元気になってました。

ネパールの動物園では動物よりもそれを見るネパール人が見もの、と、なにかの本に書いてあったのですが、なるほど、おばちゃんがサルを威嚇して怒らせてげらげら笑ってました。
サルはむちゃくちゃ怒って、金網に飛びついて牙をむいてシャッ!とか言っていました。
毎日こんなおばちゃんばっかり来るならサルの神経もつんだろうか、とサルがちょっと心配になりました。
そのあとはおばちゃんはサルにピーナツを投げつけてました。

おじさんも、別のサルの注意を引こうとして変な声を出してて、主名は「あのおじさん何で怒ってるの?」とか言ってました。

羽を広げてメスに求愛中のクジャクも「こっち向け!」と、人間たちに怒られていました。

その後パタンのダルバール広場に行って、クリシュナテンプルに入ったりしました。
一応ヒンディのみ入れるそうですが、ヒンディかと聞かれてなんとなくヒンディだと言ったら入れました。
出口でお金頂戴と言ってきた母親と子供二人を無視して出て、近くで休憩して、どこかでタクシーを拾って帰ろうとしたときにはもう真っ暗でした。

パタンも停電で、路地はすっごい暗かったです。

暗いのは好きじゃないです。
ネパール、観光が大きな産業なんだったら、観光地の周りくらい街灯つけてほしい、、とか思いました。だったらムードないですか?

歩いてたらクマリが輿に乗って前を通りがかりました。
クマリはネパールの生き神で、初潮前の少女が選ばれて教育され、代々続いてるそうです。

真っ暗な道端でクマリに会ったのは意外でした。
本物かなあ?一般人の仮装行列?とか思いましたが、(だって、もう暗かったということもありますが人だかりとかもなく、普通にその一行が通ったので)
道端の店のおじいさんとかもまじめな感じでクマリたちが通り過ぎるのを見てました。

その後、やっぱりタクシーを拾えなかったので、もっと交通量の多い道に行こうと思ってさらに歩いてたらクマリたちに追いつきました。

クマリは輿からおりて、おつきの人たちと一緒に館の中に入っていっていました。
館には「リビングゴッデス」と書いてました。生きてる女神、ということで、あ、ここがクマリのおうちか、と思いました。

クマリは館の出入り口の中から外を見てて、立ち止まって館の中のクマリを見てるうちらも見てたように思いました。
クマリは少女らしくはにかむように笑っていました。

生き神ということで、無表情な神々しさを想像していたので、あ、普通の女の子ってかんじ。と思いました。

主名は「クマリ、子供じゃなかった」と、あとで言っていました。
クマリはみんなが神様と思ってる女の子、と主名には教えてたのですが、パタンで見たクマリは11歳とか12歳くらいに見えました。
なのでだいぶ大きかったです。

その後大通りに向かって歩いていると、クリシュナテンプルの出入り口にいた母子たちが追いついてきて、母と子供の3人がかりでタクシーを止めるのを手伝ってくれました。
野生の動物を捕まえるかのような迫力でした。。
「だぐじー!!!!おいっっっ!タクシィィィッ!!!」3人が道路に飛び出しながら停めてくれました。
(それでもなかなか停まらなかったです)

その母親は日本人の家で12年間働いてたそうです。
そこで良くしてもらってたのでしょうか、それともそういうの関係ない親切だったのでしょうか。
大通りで無事にタクシーが停まり、行き先まで指示してくれました。
クリシュナテンプルでお金を請求されたときには何も渡しませんでしたが、タクシーを止めてもらったときに渡すのもおかしな気がしたので結局お礼だけ言ってその母子とは別れました。

タクシーの中で、なんかクマリに会ったことがわたしは腑に落ちなくて、なんで?という気がしてたので主名に「うちらなんでクマリに会ったんやろ」とか聞いたら主名は何か言ったけど忘れました。

しかしクマリは地域ごとにいるそうなので、私たちが会ったのはパタンのクマリ、でした。
普段はクマリはクマリの館にいるようです。
たぶんもうじきネパールの新年だと思うので、クマリも出かける用事があったのでしょうか。

帰り道は道路の封鎖も解けて近い道で帰れました。パタンからタメルの中まで入って140ルピーほどでした。
きっと、ネパールのイミグレからパタンまで普通に行ったら50~60ルピーくらいだったんじゃないかと思います。

主名がインターネットに行きたいというので(ネットカフェという空間が好きみたいです)行きましたが、主名はいすに座ってほとんど寝かけてたので早めに切り上げてゲストハウスに戻りました。

主名は眠さ限界のようだったので、部屋でりんごだけ食べさせて
風呂に入れて歯を磨かせてさっさと寝かせました。

その後私はレストランで夕食を食べました。
久しぶりにゆっくり自分のペースで食べれると思いました。
【2009/04/10 23:43】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月9日の日記(カトマンズ)
今朝はまたヴェーダの練習を少ししました。
主名はすっかり元気で、バナナパンケーキを朝からぺろりでした。

ネパールビザの延長に行ったのですが、最近場所が変わったのか、少し違うところにいってしまって、すぐにタクシーにでも乗って本来のイミグレオフィスに行けばよかったのですが、なんか行く気をなくして、そこらへんの公園でぶらぶらしたりご飯を食べたりしました。

10ルピー払って入る公園があって、入ったのですが、なんか撮影をしてて、タレントみたいな女性と男性と、バックダンサーの男女がそれぞれ10人ずつくらいが踊っていました。

主役級の女性は大きくてがっちりしてたので、色っぽい格好だったのですが、最初男かと思いました。
しばらく見物してましたが延々やってるのでそのうち私たちは別のところに行きました。
撮影って大変ですね。
インドの歌って踊って、というやつの、もう少し学芸会っぽいものでした。

その後フリークストリートの旅行会社に行って、ネパールの後インドに行ってからの列車のチケットを手配しました。
もう結構満席で、選択の余地が少なかったので迷う余地もなくてある意味よかったです。

その後また日本食レストランに行きました。

先に食べてた人のがおいしそうだったので、「それなんですか?」と聞いたら、
「わー、日本語ぺらぺらだねー!」といわれました。
(すぐに誤解は解けましたが)

主名は星に住んでるということをこの日は認識したようです。
【2009/04/10 00:59】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月8日の日記(カトマンズ)
この日はインド大使館にビザの手続きに行かないといけなくて、主名は自分も行くーと言っていたのですが、夜中は熱を出してて、朝も吐きそうにしてたので留守番させました。

なんか、ムードが、元気になりそうにないようなムードだったので、最近練習してへんし、唱え。と、ヴェーダをいくつか唱えさせてから私一人で出かけました。

インド大使館はまた休み明けなのでか、いつもなのかわかりませんが、9時ごろについたらもういっぱいでした。
9時半から業務開始なので、いちおう2日前にも並んだ私は優先権があるので列の先に行って必要事項に記入しておいたテレックス用紙とかいうのを提出して、横の窓口で一人当たりのテレックス代とかいう300ネパールルピーを払いました。(主名の分はかかりませんでした)

受け取りの日付を見ると15日でした。
。。。軽くショックでした。
13日はだめでも、14日には受け取れるかなーと思ってたのですが、甘かった。
窓口の人に「13日にもらえませんか?ネパールビザが15日までなので。」
と、かるーく言ってみましたが、
「ネパールビザを延長しないとね」と、にっこり言われました。

しょうがないや、と思って、ネパールビザを延長することにしました。

ゲストハウスに戻ると、主名は元気になってました。
健康増進、疲労回復にヴェーダチャンティング。

お腹がすいたお腹がすいたと言うので、ゲストハウスのレストランでおかゆと味噌汁を食べさせて、まだ早いかと思いましたがその後、連れてちょっと外出しました。

ほんとはサイクルリキシャに乗せようと思ってたのですが値段交渉しても高いので頭にきて歩きました。

日本の古本の再買取してもらいにいって、その後日本食レストランに行きました。(ロータス)

前日まったく食べてない主名はまだ固形物は危険なので、またもやおかゆと味噌汁。
でも全部食べて、私のサラダやご飯にまで手を出してました。
わたしは野菜カレーにしました。
給食のカレーみたいでおいしかったです。

帰りはさすがにサイクルリキシャに乗りました。
でも変なとこにいってしまって(私が道案内したら間違えた)降りてからもちょっと歩きました。

ゲストハウスのレストランで私はお茶と、主名はホットミルクを飲もうとしたら、隣のテーブルのフランス人のおじいさんと何人だかの2人連れがたくさんしゃべってきました。

自分の英語力の限界を感じました。

なに人だかの男性は尺八をもってて、2曲ほど演奏してくれました。
ネパールでしみじみ桜を聞くとは思いませんでした。
3年ほど日本人の「センセイ」について習ったそうですが、上手でした。

キンコ流と言ってました。
私の父も尺八吹きなので、それ、聞いたことあると思って「あ、父もそれ」と、話をあわせましたが、後から思うと違う流派だったような。

持ってる尺八は日本で買ったのか聞いたら、どこかの国で中古をインターネットで買ったそうです。
インターネットかー、と思いました。

尺八の曲は悲しいムードがあるので、好きじゃないと言う人もいるけど、ぼくは大丈夫。とか言ってました。

楽器を持って旅行してる人も多いですよね。
尺八なんか小さくなるからいいですね。
お琴だったら無理ですもん。
【2009/04/10 00:57】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月7日の日記(カトマンズ)
今朝は主名は調子が悪くてぐにゃぐにゃいってたのですが、それでもりんごを食べたり、下品な絵葉書を書いたりしてました。

でもその後昼におかゆなど食べたら全部吐いたので、今日は休憩です。
今は主名は寝たので、私は用事を済ませに外出しました。

吐いたシーツを換えてくれたゲストハウスで働いてる女の人たちは、カトマンズは毒があるから病気になったんだよ、とかいってました。
うーん、それもあるかもなぁ、と思いました。

毒って、大気汚染のことと思うんですけど、実際、10数年前に比べて交通量が激増してることに驚きました。
街を行く人もマスクをしてる人が多いし。

会うネパール人の多くが、この交通量は問題だと言ってます。
細い路地でもたくさんの車やバイクが凄いスピードで走り回ってます。
それに比例して、大気汚染はとても深刻なようです。
カトマンズは盆地なだけに汚れた空気がたまるそうです。

さっきアップルパイを買った店の店員は2週間だけ東京に行ったことがあるらしくて、東京は皆が仕事してて忙しくしてるのがすばらしい、と感心したように言っていました。
ええ?そう?というと、ネパールは働きたくても仕事がない人が多いかららしいです。

東京の人々の忙しさがすばらしいという意見ははじめて聞いたような気がします。
【2009/04/07 19:28】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月6日の日記(カトマンズ)
【2009/04/07 19:17】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月5日の日記(カトマンズ)
今朝はさすがにちょっと寒かったです。
ここは2000メートルくらい高度があるんでしたっけ?

部屋代に含まれてる朝食をホテルの中庭の席で食べました。
西洋人が多いからか味は西洋のもので、最初おいしいと思いましたが、じつは食べ終わるころには飽きました。私はトースト、主名はバナナパンケーキにしたのですが、ネパールの朝食は無いのか明日聞いてみようと思います。

その後街に出て、古本屋で久しぶりにたっくさんの日本の本を見たのでおおっと思い、何冊か買いました。

その後ネパールの乗り合いの車のテンプーとかいうやつでボダナートのストゥーパを見に来ました。
今はそこのネットカフェです。

ストゥーパは靴で近くを歩けるし、写真も撮れるしで、なんかあんまり聖地な気がしませんでした。
アジア一だか世界一高の大きなストゥーパで、仏陀の目が描いてあります。
チベット人とその店がたくさんあります。

昼はここのストゥーパの見えるレストランで食べました。(ダルバート400ルピー弱。日本円でえーと、600円くらいですか?)
ドイツ人が味の指導をしてるオーガニックレストランとのことで、高めでしたがおいしかったです。
値段も高かったけど、眺めもよかったので長居しました。

あたりまえですけど坊さんがやたら多いです。
西洋人の坊さんも多いです。
【2009/04/05 20:46】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
4月4日の日記(ルンビニ~カトマンズ)
早朝からまだあどけなさの残る若い尼僧たちの読経の声が聞こえてきました。

5時ごろおき、荷物を用意し、身支度を整えて主名を起こしました。

蚊取り線香と、一晩だけ使った蚊帳2つをベットの上に置き、外に出ました。

5時半にちゃんとサイクルリキシャは来ていました。
茶店のおやじがうろうろしていました。
おやじが「ドネーションをしたいですか?」と言うので「はい」と言うと、本堂でお経を読んでる尼僧を指し示しました。

一人のまだ10歳くらいのかわいい尼僧が出てきたので、2泊分として300ルピーと考えていたのですが、300ルピー渡すとサイクルリキシャへの細かいお金がなくなるので500ルピー札を渡しました。

尼僧は居心地悪そうなはにかんだ様子で、それでも訪問者への対応をきちんと行う形で、
「また来てくださいね」とか言いました。
お礼を言って、寺の門の外に出ました。

茶店の親父もさわやかに、「よい旅を」なんて言っていました。
親父は門の中から最後まで私たちを見送っていました。

朝の気持ちのいい空気の中、サイクルリキシャは軽快に走り、主名は「ほたるどこ?」なんて言っていましたが朝に見えるわけも無く、サイクルリキシャは聖園地区から出てパス乗り場に着きました。

カトマンズ行きのバスは朝6時半とのことでしたが、乗客は誰もいませんでした。

いくつか停まってるバスのうち、どれがカトマンズ行きか、そこら辺の売店の人などに聞くとこれだ、と、教えてもらいました。
これか、と思ってると、誰かがバスチケット売り場に案内したので、チケットを前もって購入する必要があるのかと思ってカウンターで聞いてみると、そこで売ってるのは7時半に出発のワゴンタイプの車のチケットでした。

しかし聞いてみると、バスだと12~3時間かかるがワゴン車なら休憩を入れて8時間ほどだというので、その車で行くことにしました。
運転席の横の2つの席を取りました。
1席550ルピーでした。

まだ6時半くらいだったので、出発までそこでお茶を飲んでチケットカウンターの女性としゃべったりして出発時間まで待ちました。

私と主名の顔がネパール人とそっくりだという話になって、その場にいた女の人たちがひとしきりそういう話をしていました。
日本人、中国人、韓国人、タイ人の顔がネパール人と同じだ、と。

あと、学校の話とかをしました。
ネパールもインドと同じく3歳半から就学前のクラスに就学させて、書き取りとかの練習をするそうです。

そのうち時間になったので出発しましたが、スノウリなどあちこちで予約済みのお客さんを拾いながら行きました。
最初のうちは若いちょっといきり立ったようなドライバーがドライビングテクを試したいのか何なのか、すごい急ハンドルでGをかけてきたりしてたので、みんな早くも気持ち悪くなってました。
西洋人の女性とか相当気持ち悪そうでした。

スノウリだかバイラヴだかで路上の朝食(プーリー、ダル、など)をみんな食べましたがおかしみたいで妙においしかったです。

トイレに行ったら半分野に戻った部屋でした。
一応個室だけど天井が抜けてて中に草とかいろんなものが生えてました。

また出発して、本格的に走り出すとドライバーも普通に運転してました。
かなり早かったです。
車もよくて、段差を通ってもほとんど揺れなくて快適と言ってもいい感じでした。
これだと、バスと数時間の差がつくはずだ、と思いました。

ネパール女性が8歳くらいの女の子と10歳くらいの男の子をつれてて、席をひとつしか取ってなくて、定員いっぱいの乗客が乗ったようで、お母さんの上に女の子と男の子が座れるわけも無く、理不尽にも快適に座っていた私と主名のところに男の子が座らされました。
いちおう、運転席と主名の席の間にその男の子が座る形になったのですが、席と席の間には席はないし、主名は小さくてゆったり座ってたので、自動的に主名の席の3分の2くらいにその男の子が座り、主名の席の3分の1と私の席の3分の一(主名と私の席の間)に主名が座り、私は私の席の3分の2に座りました。

最初からその子があぶれるのは目に見えてるのに3人で席をひとつしか取らなかったネパール人のお母さん、どういうことこれは!?と思い、3分の2とまではいかなくてもその子の分、いくらか座席代を払ってほしいと思って、しばらくもんもんとしてて、車のスタッフの2枚目な青年に「うちら、2つ分の席の代金払ってるんだけど」とか言ってみましたが、その青年は少し表情が暗くなっただけでした。
(もう一組親子がいて、そこは夫婦と女の子で、お母さんが女の子を抱っこしていました)

一シート550ルピーは安くないし、買えるものならネパール人のお母さんは2つか3つ、席を確保していただろう、買えない事情があるのかも、と、人情的に考えても見ましたが、もっと安いバスという手もあるし、お母さん、身なりもよくて携帯でどこぞに電話したりしてて貧乏人には見えないし、私にしても550ルピーは安くないけど、心身の余裕を自分たちに持たせるためにあえて2席取ってるんだよ!何でキチキチになるわけ?重たい主名を抱いたりしたら私が吐くし。車のスタッフも商売でやってるならもうちょっときちんと管理してくれ。とか、自問自答が続きました。

主名の横に追いやられてきた欽ちゃんみたいな顔の少年に文句を言うわけにもいかないのがくやしいところで。

しかし、昼休憩でご飯を食べたらどうでもよくなりました。
ルンビニで食べたご飯はほんとにまずかったのですが、休憩で寄った食堂のダルバート(ターリーやミールスみたいな定食)はとてもおいしかったです。

再出発したあとだったか、どこかの検問所で前のバスから降りた男性が急に痙攣してバスの車体に沿って倒れ込みました。
最初、たちの悪いギャグかと思ったのですが、ほんとに発作をおこしてて、動き出したバスに危うくひかれそうでした。
うちらは運転席の横の見晴らしのいい席だったので一部始終を見てました。
周りの人が急いでまだ痙攣してるその人を路肩に引っ張っていっていました。
うちらの車のドライバーは痙攣してる男性を路肩に引っ張っていってる人たちに「早くどかせろ」と、非情な感じで身振りで指示してたので、引っ張ってってた年配の男性がうちらのドライバーに対して激怒していました。
そりゃそうだよなと思いました。

この若いドライバー、サングラスをかけて、ハードボイルドな態度をずっと取っていました。顔は思い切りぶちゃっとしたモンゴロイドだったのですが。
むしろ精悍な2枚目のもう一人のスタッフのほうがにこっとしてやさしかったです。
(だから私に苦情を言われて暗くなってしまった)

路肩か何かにぶつかって壊れたダンプカーも2台見ました。
うちらの乗った車もかなり飛ばしてて時々怖かったです。
村落を抜けるときもすっごいスピードだったりして。

途中、やはり事故でしばらく渋滞してました。
なので午後2時か3時に着く予定だったようですが4時にカトマンズに着きました。
着いてすぐ、夫婦で子供をつれてたお母さんは地面に吐いてました。
やっぱ、ずっと子供を抱いてたらしんどいですよ。。。

着いたのがカトマンズのどこかわからなかったので、とりあえずお茶を飲んで休憩しました。

だれかがタクシーを呼んできてくれましたが、そのタクシー、200ルピーということで、それが高いのか安いのかわからなかったのでガイドブックを読んでみたら、着いたニューバスパークからホテルがたくさんあるタメルチョークまで50~60ルピーとのことで、ガソリン代の値上げがあったにしても高いので、メーターでいってくれるか聞いたらいったん値段を聞いたあとにそれは問題だとかいわれ、私のガイドブックにタクシー料金が詳しく書いてあるのを見た人たちが、「書かれちゃってるよ」という感じで苦笑いになったので、じゃあ100なら乗るというと、ドライバーは150と言いました。
120と私が言うと、そのドライバーは怒ってどこかにいって、別のタクシードライバーが「125」と来ました。
なので荷物もあるし疲れてもしてるので、それに乗りました。

しかし最初に行こうと思ってたゲストハウスの場所をドライバーに言うと、それはタメルじゃない、すごい距離だとか言い出して、タメルチョークからほんの数百メートルなのは地図を見りゃわかるのですが、走り出してから行き先を言って、少し遠回りになったのもわかってたので軽く謝って、そのゲストハウスに行ってもらいました。

部屋を見せてもらってる間主名と荷物を車に残して、車に戻って、次に行ってほしいゲストハウスを言おうとすると「どれだけ待たせるんだ」とか、すごい態度が悪くなって脅しが入ってきたので、わたしも頭にきて、「じゃあもう私たちここで降りて歩くから行っていいです。(行ってしまえ!)」と言って、荷物を降ろして遠回りや待たせた分、もともと払うつもりだった100インドルピーを渡しました。
100インドルピーは今は160ネパールルピーです。(インドルピーはネパールで普通に流通してます)
するとドライバーは意外だったようで、え?いいの?というかんじで態度が丸くなりました。
多分、125ルピーのままで遠回りさせてホテルめぐりさせられて待たされると思ってたようです。
(それでも125ルピーで十分と思いますが)

次のゲストハウスまで歩いてもすぐでした。
でも最初のゲストハウスにしました。

というのは、なるべくクレジットカードのショッピング枠で出費の支払いをしたかったのですが、2番目のところはクレジットカードは扱ってなかったので。
前情報ではできるはずだったのですが、ネパールの最近の政情不安をうけて、今までクレジットカードを扱ってたホテルなんかも、確実なキャッシュのみに方針を変えてるところが多いみたいです。

泊まるのに決めたところはけっこういいところで、そこの、トイレとシャワーが部屋の外にある、一番安い部屋にしました。それでも税込みで1000ルピーちょっとしました。
でもきれいな中庭もあり、朝食もついてるし、ご飯もおいしかったのでよかった、と思いました。
主名はまた、ここにずっといたいと思ったようです。
高級感のある、ちょっと凝ったインテリアのゲストハウスです。
夕食にここのレストランで食べたダルバートは200ルピーくらいでしたがすごくおいしかったです。
宿泊客は西洋人がほとんどで、一人、日本人がいました。

タメル地区は思ったよりがちゃがちゃしてて疲れる感じだったので、ほんの少し離れただけですがそれだけで喧騒が収まって雰囲気の変わるところにあるここのゲストハウスはよかったです。

夜は停電でした。町全体の計画的な停電かもしれません。
【2009/04/05 20:33】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月28日の日記
【2009/04/05 19:06】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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