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伝言
sfmakotoさん、瞑想から出てきてください。弟さんが連絡を待っています。
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【2010/02/28 17:40】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ここ数日の日記
26日は、午前のダルシャンはありました。

バジャン後、知り合いのインド人のおばちゃんがパソコンの質問するついでに遊びに来ました。
「オー、スワミ、こんなこというべきじゃないわね」と、インド人が「ごめんなさい」を表現するときによくやる、自分のほっぺをちょいちょいとたたくしぐさをしながら、「これはトップシークレットだから他にいっちゃだめよ」と、ぎゃっ!うそっ!?という他人の暴露話をずっとしてました。爆笑。

午後はサウスのあと、主名を主名の友達の家に遊ばせに行きました。

いつも、主名だけおいて、お母さんは帰って用事したり仕事したりしてていいですよ、と、その子のお母さんは言ってくれるのですが、アシュラムの中以外で、他の人の家に預けてしまうのがなんとなく抵抗があるのでいつもわたしも一緒にいます。

(主名が他の場にはまりこんで、違う場のバイブレーションを拾って帰って来すぎると、私の意識が混乱してぐちゃぐちゃになったりするのです。それより、一緒にいればそのつど自分の中で調整できる感じがあるので。プッタパルティにいると、なんかokな場合、場面が多いので、それほど考えずに、わたしも普通に暮らせてるような気がするのですが、最近、やはり自分にそういう過敏さというか、エネルギー的な遊びのもてなさみたいなものが依然としてあることを再認識。やはりまだ自分は日本では生きていけないことが実感されて、結構ショックでした。なんか、もう、どこででもokなんじゃないか?と思ったりもしてたのですが。)

でもこの日はしんどかったので子供をほうっておいて帰ろうかなと思ったのですが、結局そこで痛み止めを飲んでずっと寝させてもらってました。
いろいろ軽食みたいなのを作って出してくれました。

夕方一度部屋に戻ってから、私も調子がましになってたのでアシュラムに行きました。
主名は友達と遊ぶ約束をしてたのでそのまま芝生に行き、わたしはダルシャンに行きました。
テルグーピ-プルのグループの劇をやってたと思います。
前日の外国のグループの出し物の雰囲気とあまりに違ってるように思ったので、グループごとのエネルギーはこんなにも違うんだなあ、と思いました。

ババはたしか低い位置で両手ブレスしてたように思います。

27日は主名が学校が休みなので、朝食にウエスタンキャンティーンのポリッジを食べに行きたいというので、だるかったので、歩きたくなくて、サイクルリキシャでウエスタンに乗り付けました。
そのあと芝生で遊ばせて、昼にまたウエスタンに行くと日本人の子供がいたのでまた2時過ぎくらいまでウエスタンの前で遊ばせました。

部屋に戻るともう動きたくないという感じでしたが、夕方ダルシャンに行きました。
もう終わってるかと思ったら、アルティは終わってたみたいなのですが、女学生のところにババは留まっていて、女学生たちはアカペラのマイクなしで何曲かバジャンをババに向かって歌っていました。
たまには女学生にもこういうときがないとねぇとか思いました。
アルティは終わっていたのでボディチェックをするセキュリティスタッフが入り口にいなくて、私たちは中には入れませんでしたが、予想外の展開に、セバダルの対応が不完全で、女性側のゲートは全開だったので私たちは階段を上がって、ホールの横の階段の上段から中を見てました。

そしたらセバダルが、同じように上段から中を見てる人たちを追い払いに来ました。
私たちのところにも若いセバダルが来ましたが、ちょうどババが帰っていくところを見てたので、「一分、一分。」とか「10秒」とか言って動かなかったら、そのセバダルは任務を遂行できずに困って、主名に「Please take your mother...」と頼んでいました。
なので思わず笑ってしまって、彼女の顔を見たらほんとに困ったように「Realy...」と言っていました。
彼女を困らせたわけなのですが、非常に好感を持ちました。

今日28日は、主名は昨日の日本人の子供と遊びたいのと、ポリッジを食べたいという2つのわけで、朝からウエスタンに行こう行こうとやかましかったです。

私は体調もいまいちでだるかったし、部屋にいたかったので「一人で行けば?」とか「しんどい」とか言ってましたが、主名は聞く耳持たず「行く?行く?」とうるさいのでしょうがなく100パーセントいやいや行きました。

ポリッジを食べさせて、もうしんどいし、昼食はウエスタンで買って帰ろうと思って、ピザを2つとって会計に持っていって(2つで70ルピー)、おつりの100ルピーもいっぱいあるようすだったので500ルピー札で払おうとしたら、「なんで最後の瞬間にくるんだ、もう(会計の箱の中身を)数えてしまったあとなのに!」と、えらい憎憎しげに言われて、それでもとりあえず気にせずにおつりを待ってても私の前に支払った人にかかずらわるのにかこつけて、私への対応(おつりを渡すのを)をわざとらしく放棄して私の非を思い知らせるために放置した様子でした。

ええかげんにせえよと思い、こんなくされピザなんかいるかっ!と、返却しに行こうとしたらあわてて「Wait,wait,Ma.」とかいうので思いとどまって待ってもまだちょっと意地悪っぽいボス的な態度だったので、さらにムカッとなってまた返却しに行こうとして呼び止められる事を3回くらい繰り返しました。

すでに私は100パーセントめらめら仁王状態。態度最悪。何を言われてもはぁ~~~?(憤怒)状態。
そうなると相手の存在形態の変化を察知したインド人て、場を収めようと、態度を一転して下手に出ることも多い。
今回もそんな感じで次第に静かになって、最後には存在感を消していました。

もちろん、100ルピー札でおつりを出すことは彼女にとってもまったく問題ないのです。
単に憎たらしく言って、おおげさにいうと私を萎縮させて心理的に従わせ、どっちがボスか上下関係をはっきりさせたかったんだと思います。階級社会インド。

でも体調が悪いので120パーセント憤怒になれなかったのは良かったのか悪かったのか。
そして結局そのピザ(高くてしかも昨日のピザ)を返しきる気力もなく、買ったのがなんだかすごく悲しかったです。こんなもの返せばよかった。。と。

なんか、キャンティーンで偉そうに言われるのが私はたまらないです。
ご飯を食べに行くわけじゃないですか。キャンティーンて。そこで一方的にえらそうに言われてまで飯なんか食いたくないよ!とすごい思ってしまうという。

でも今日の私の落ち度は、調子が悪くて出かけたくなかったのに出かけたことです。
自分のバイブレーションが落ちてるときに出かけてもろくなことがないし変なことが起こりやすいのは何度も経験しているのですが、そういう状況で子供の願望に引きずられることをよしとした、それが今日の私の落ち度です。

自分が調子がいいときだと、こどもの欲求を満たすために動いても主体性を失うことにはならないのですが、
調子が悪いときだと単に引きずられて、中心がずれて反動が来る感じです。
引きずられて動いてると、軽く被害者意識的なものも出てきて、怒りの種を内側に抱えてるような状態になるし。

しかしこういうブログとかで文章にすると、はまって一体化した状況から脱皮できることが多いのでたすかります。

主名は遊んだあと一人で帰れるというので、アシュラムにおいて、わたしだけ先に帰りました。
いつものごとく、しばらくめそめそしてて、ピザも私の分は帰り道で犬にやろうとかこじきに上げようとか思ったのですが、適当な犬もこじきもいなくて、部屋に持ち帰りました。
で、こんなもの、なんでもって帰っちゃったんだろう、とか思いましたが、途中経過はどうであれ、私の体調が良くないからババがもたせたんだろうという風に納得して、昼に部屋で食べました。お茶も入れて飲みました。

今日か明日あたり満月だと思います。
毎月毎月満月にはすごい影響されるので、一時期満月が来るのが怖いときがありました。うぎゃーっ!!と、すごい状態になることが多かったので。
満月は美しいのですが。
【2010/02/28 15:47】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
伝言
「sfmakotoさん、弟さんが連絡を待っています」
【2010/02/26 03:19】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
バチッ!
今日はアパートの前の高圧電流が流れてる電線がバチッ!といったので、なんだなんだ?と部屋の外に出て見てみたら電線が数メートルにわたってブワンブワンと大きく揺れていました。

サルでも電線に触って焦げたかな?と思って(以前そういうことがありました)道路やあたりを見ましたが何も落ちていませんでした。

主名も「みてくるっ!」と、さっさと階下に走り去っていきましたが収穫なしで帰ってきました。
【2010/02/26 03:18】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
お、、、おそい、、、
今日は昼にサウスで食べたあとに主名を芝生のところで遊ばせました。
ロシア人の子供はうじゃうじゃいるので、今日も2人のロシア人の子供がいて、一緒に遊んでいました。
しかし暑かったです。

部屋に戻り、少し前に話題になったようななってないような、瞑想の中でババの最後の7日間を見て、その様子を本にしたやつの最後の7日目をやっと読み終わりました。(アシュラムの外の本屋でだけ売ってる本です)

内容は、かなり、どっっひゃー、絶対アシュラムの本屋では発売不可。というものですが、読み物としてはなかなか面白かったです。

この本自体は日本語訳されてないですが、同じ著者の別の本は2冊ほど日本語訳されているみたいです。
(VASANTHA SAI・・・ヴァサンタサイさん)

最後にはババ自身が予告しているように本の中でもチトラバティ川のなかにババは消えるのですが、(本ではその時、数千人の帰依者も一緒に消えちゃうとか書いてます。)そうだなあ、ほんと、残された時間はあと少しだなあ、、、と思いました。

毎日が文字通りお祭り騒ぎで、振り返る暇もない毎日ですが、それも終わるときが確実にやってくるというのは今は想像がちょっとつきません。

そして終わってみればこの今のときは確実にすばらしい黄金の日々だったと思うに違いないと思います。
たとえ今は毎日群集やいろんなことに心底うんざりしていても。

なので、今日の午後、ババが来るのがとんでもなく遅くても「ああ、ババ、来てくれてありがとう!」と優しい心持でいました。(普段だと、「はーーーーっ!!おっそーーーーーー!!!!」)

実際今日はとんでもなく遅かったです。
ババが来たのが実に午後7時過ぎ、、、、、3時のトークンから来てる人(男性はもっと早くにですが)ご苦労様です。
わたしらは6時前にホールに入ったのですが、人も多くてつめつめで蒸し風呂状態の汗だらだらで、主名がおなかすいたとか言い出したので、しばらくしてからババが来る前にホールから脱出しました。
で、芝生のところで休憩していました。
主名は同じようにエスケープしてきた家族の子供と遊んでいました。

で、どこかのグループのドラマが始まったのをアシュラム内の放送で聞いて、それが終わるころを見計らって8時くらいホールに戻りました。
多分、どこか海外(UKあたり?)在住のインド人がほとんどのグループだった感じです。

アルティのあと、プラサードが配られ(油っこい甘くてやわらかいせんべい状のもの)ババはステージから降りて記念撮影をしてました。
そのグループの音楽プログラムもあって、わたしとしてはすごく心に響きました。しみじみというかんじではなかったのですが、ハートが無邪気に一生懸命ババに向かって開いてる感じがしました。

エレキギターだかベースだかとドラムセットの伴奏も、なんだか私の高校生くらいの時のバンドブームを彷彿とさせて自分にウケました。(おおっ?なんだか懐かしい感覚。。。どきどき。)

一曲一曲の歌の前に紹介がてら少し喋りがはさまったのですが、それも、ほんとになけなしの愛をささげてるという感じでなんだかとてもよかったです。

湿っぽさのない、真摯な祈りというのはとても私の心に響きます。

湿っぽいのと過剰なのは苦手。

私たちがホールに戻ったときにはもうだいぶ人が減ってて、つるつるつるっとかなり前にいけたのですが、そんなに前のほうなのにインド人グループよ!テルグピープルよ!頼むからもうちょっと落ち着いてくれという感じで、立ちまくりのプラサードに押し寄せまくりのてんやわんやでした。
こんなに前のほうなのに座ってても見えるのに!テルグピープルの巨大グループにはそういうダルシャン中のあり方に対する注意とかするのはないんでしょうかないんでしょうね。。。
どんなに前に座っててもそんなんなんですよ。。。
ぜーーーったいすぐにプラサードが配られるのに、いきわたるのは確実なのに、あっという間にわれ先に立って押し寄せてめちゃくちゃ。。。あぁ。。。

あきらめて達観の境地で座っている西洋人たち。。。

この暴動状態はきっと今後も年々ひどくなるに違いないと思います。アシュラムスラム化。
これが、ババが一般に広く認識されるということなんだろうと思います。
テルグピープルの子供たちの集団も道端に座ってて、前を通るとなんやかんや大声で話しかけてくるん(と言うかはやし立てる)ですが、反応を返さなかったら悪態ついてるしー。ここはどこ?メインバザールですかあ???

ババが帰って、私たちもホールを出て、ウエスタンキャンティーンに入ったのはなんと8時40分でした。
普段の日でこんなに遅くなったことは記憶にないです。至上最遅。

ご飯を食べてウエスタンを出てガネーシャゲートにたどり着いたのは9時40分でした。

そんな、さすがにぐったりな(休憩ばっかりしてますがでも疲れた)一日でしたが、でもでもババが毎日現れてくれてるというのはやはり奇跡だなあと思いました。
うちらはもちろん、たとえアシュラムスタッフでもそれぞれの休憩時間があるけど、80歳を越えたババがほんとに休みなしで毎日、みんなが用意してきてるプログラムとかを見て万人の(しかも強烈過ぎる)思いを受け止め続けるこのすごさというのは想像を絶します。

これはまさに神わざ以外のなにものでもないと思います。
【2010/02/26 03:05】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(4) |
シャンデリアが、、、
そういえば、別にたいしたことじゃないのですが、今日の夜のダルシャンで、女性側のでっかいシャンデリアのひとつが「バチッ!!」と音を立てて、火花が上がっていました。なんか破片も落ちてきてました。

なんですかね?
ちっちゃい動物でも感電したのでしょうか?
シャンデリア自体はつき続けてましたが、あれが落ちてきたら痛いだろうな、と、ふと思ってしまいました。

ダルシャンに支障はなし。
【2010/02/25 03:59】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
午後
午後は5時過ぎに行ったらバジャンもしてなくて、ホールは静かで、ババはまだ来ていませんでした。
最近来るのが遅い感じがします。
ババひとりでサマータイム制を導入してるんじゃないでしょうか。

しばらくしたらババは来ました。
もちろん、みんな立ち上がってしまって、見えやしない。
(わたし最近辛口?)

主名は熟睡でした。

5時過ぎてもバジャンをはじめずにババを待っているということはすなわち何かプログラムが行われるということなのですが、ババがあちこち車椅子でぐるぐるまわってステージの中央にきたら、一瞬プログラムが始まりかけたのですが、すぐにアルティになりました。

ババも、「だる。」とか思って、さっさと帰りたいときがあるのでしょうか?

アルティが全部終わり、ババが帰るだろうとみんな思ったので私も主名をたたき起こしたのですが、それからハイヤーセカンダリースクールの出し物が始まりました。
なんか、最近は支離滅裂です。

でも最初は、なんか、あー、こりゃババも帰りたいはずだよ、とか思ってしまいました。
ハイヤーセカンダリーって、ババの学校の高校生くらいの人たちなのでしょうか?
音楽プログラムと、ババの奇跡体験の発表を交互にやる感じでした。
うそ演劇っぽくて聞いてて疲れ気味になりました。
それぞれの体験発表のしめは「アイラブユー!」とババに言って終わることになってるみたいで、発表者みんなが最後にそういっていました。
熱っぽく言う人もいればぶっきらぼうに投げ捨てるように言う人もあり、なんだかなぁ、、、とか思ってしまうのですが、一方で感極まって涙声でそういうひともいて、それはそれで「うげっ」と思ってしまう私はやはりこの世界には向いてないのかも。。。

体験発表は病気がババのおかげで治ったりしたのや、試験でババに祈ったら奇跡的にいい点数を取れたとかいうのや、そんなのが多かったように思います。
ひとつ覚えてるのは、死んでか、生まれてから死んだかで死産の赤ちゃんが、親たちが「サイラムサイラム」と唱え続けたら息を吹き返した。それがまさにこの僕です!とかいうのです。

プログラムは途中で言語がなぜかヒンディーにきりかわったりもしていました。
なぜ?

最後には学生みんなが「アイラブユー!」と声を合わせて言っていました。
ババの学校は学生が余計なことを考えないようにスケジュールを細かく組まれているとのことですが、確かにこれは雑念があればいえません。私は無理。。。

おわってからはババはその学生たちと記念撮影をし、そのまま再アルティなしで帰っていきました。

プラサードは学生用でした。(来た来た、と思って、もらいやすいように通路側に移動したのですが。哀しき一般人かな。)

ホールの外に出ると8時10分前でした。
サウスで炭水化物メニューとホットミルクと甘いのを食べてからウエスタンでさらにサラダや野菜スープなどを食べました。
掛け持ちで食べると、ウエスタンだけで食べるときの半分か、3分の2くらいの値段ですむのでいいかも。
ウエスタンが続くと脂っこくてしつこいし、サウスで辛いのを食べてると夏ばてしにくくてしかも激安でいいんですけど、炭水化物ばかりなので。

3月にはいると、長期滞在の日本人たちもビザの期限切れで続々と帰っていく様子です。
日本人がすごく少なくなりそうです。

コダイカナルに今年はババ行くのかなぁ、めんどくさいなあ、とか思ったりしていましたが、今日の出し物を見てたら、なんだかふいにコダイカナルに行きたくなりました。(出し物を見て、疲労感で遠くへ行きたくなってしまったのか?)
コダイカナルの空気感がわりと好きです。

プッタパルティで人がいっぱいで気温も高いと脳も沸騰して煮詰まって狂ってくるような暑苦しさがありますが、コダイカナルでは脳が涼しくなって平常心ぽい、いい感じで好きです。
【2010/02/25 02:08】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今朝
今朝はシュナが先に起きて、「朝ごはん作ってよー。学校行かれへんやん」というので、それもそうだなと思って起きました。

りんごを食べさせておいて、スープスパゲティ(スパゲティをゆでて、昨日の残りのスープを暖めてかけただけ)をドン、と出したら「わーーー。」と、手をたたいて喜んでましたが、何口か食べたら「おなかいたい」と泣きべそをかいたので、「うんこちゃう?うんこ行ってき。」と言ったら「違う。ガス。」というので、「おならおならぶーぶーぶー」と言ったら、本格的に泣きべそになりました。

たぶん、学校に行く前にこのたくさんのスープスパゲティをすばやく全部食べなきゃいけないという強迫観念とプレッシャーで「おなかがいたい」とか言ってるんだろうと思い、
「朝ごはんはりんご食べたからそれでいいやろ?」と言って、スープスパゲティは昼に学校から帰ってきてから食べるように言うと、
「いってらっしゃーい。あ、まちがえた。いってきまーす。」とニコニコして登校しました。

わたしは二度寝しようかと思ったのですが目が覚めたので、風呂に入ってさっぱりして、バジャンはもう終わってそうでしたが、最近からだがなまりすぎてるのを感じるし、アシュラムの中のシュガーケイン(さとうきび)ジュースを目指して散歩に行きました。

芝生の辺りでしばらく座ったあと、サウスで昼ごはんをぱっと食べて部屋に戻りました。
シュナもまもなくして帰ってきました。
そして朝のスープスパゲティをまた暖めなおしたものや、ほかの食べ物(豆のゆがいたのとか、きゅうりの塩もみしたのとか、サポタというフルーツとか、サウスで買ってきたジュレビーというスイートとか)を3時間近くかけて食べました。
(しかし食べるの遅すぎ)
【2010/02/24 18:17】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ねすぎ
昨日はよく寝ました。
昨晩は11時くらいには寝たと思いますが、朝、シュナがちょっとしんどいから学校を休むというので先生に電話し、そのまま2人とも昼まで寝ていました。

昼ごはんを部屋で作って食べ、私はすぐまた寝て、次におきたのは夕方の5時半過ぎでした。
一日があっという間でした。
というか、消えた。というかんじ。

夕方のダルシャンにはまにあいました。

ババは両手ブレスしていました。
今日の両手ブレスは左右の手の高低差がいつもよりありました。
ババも暑いし、両手をしっかりあげるのがおっくうだったりして。
【2010/02/24 03:42】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
伝言
伝言です。「sfmakotoさん、兄弟の方が連絡を待っています」
【2010/02/23 17:29】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
女性ババの夢
今朝はババの夢をみました。

ババがダルシャンを与えに来たのですが、いつものオレンジ色のローブを遠山の金さんのように片一方脱いでいました。
そしてローブの下にはババはサリーの下に着るブラウスを着ていました。色はピンクか何かだったか。。。
そして、インド人のおばちゃんにありがちなように、その2の腕はむちゃくちゃ太かったです。

わたしは布団に寝転んでごろごろしていたのですが、ババも横に来てごろりと横になったので、ババのローブの下のブラウスを着た見慣れない腕を私は少し怪しみながらも、その2の腕に頭を乗せ、腕枕にして並んで寝ました。

そんな夢でした。
最近はババが女性化(女神化?)する夢が続いています。
【2010/02/23 17:26】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マザーミーラ
そうそういえば、こないだ、日帰りで「マザーミーラ(Mother Meera)」という女性の聖者というか、アバタ-らしいのですが、その人のダルシャンを受けてきました。
行く前にババに聞いてみると、「行け行け」とのことでした。

プッタパルティからタクシーで2時間半の、彼女の出身地の町に会場がありました。

彼女は現在50歳のインド人なのですが、ドイツに若いときに渡り、ドイツにずっと住んでる聖者ということです。

本人はドイツからは出ない、といっていたそうですが、何かが変わったのか、最近は世界ツアーをしているようです。
で、こないだはその、彼女の出身地である町でダルシャンを一週間ほどしていました。

西洋諸国でダルシャンをするときは子供は参加不可と、イギリスのホームページとかに書いてあったので、シュナはもし参加できないならタクシーのドライバーにあずけるということでシュナとは話をつけていたのですが、インドに限っては子供も参加していいとのことで、参加させてもらいました。

というわけで、会場に行ってみると、50人くらいだったでしょうか、外部から来てた人たちはほとんど西洋人でした。会場も明るくてきれい。
なので、もちろん押し合いへしあいもなく。各自にいすが用意されていました。ああ、なんて静かなダルシャン、、、だれもくっついてこないし、、、平安へいあ~~~ん。西洋文明万歳。というかんじでした。

最初に彼女が作った学校の先生と生徒たちらしきインド人たちがバジャンを歌ったりしたのですが、これも手拍子すらなし。なんとも不思議なバジャンでした。

そのあと、彼女が部屋に入ってきました。
わたしの心の声は「あ、おねえちゃんが来た」といいました。

彼女のダルシャンは静寂のうちに行われるもので、一人一人のこめかみに手を当ててなんかエネルギー調整みたいなのをしたあとに、彼女とじっと目を合わせる、というものでした。

先にシュナが受けたのですが、シュナはこめかみに手を当ててもらったあとにさっさと自分の席に戻ろうとしたので、あわてて私がシュナの腕をつかんで、彼女の目を見るように指示しました。

あとで、シュナにどんなだったか聞いたら、すっごいぼーっとしてた(彼女が)という感想でした。

たしかに、目をあわせて見詰め合うダルシャンと聞いて、どんな強烈な視線なんだろうとか思ったりもしたのですが、彼女はこちらを見ているような見ていないような、あえていうならあくまで神に没頭したままの状態で、外界を外界としては一切見ていませんでした。

私の番に、彼女がこめかみに手を当ててくれてるときはあっけないほど何も感じませんでした。
???なんだ?というかんじ。
エネルギーがじゃーっと流れてきたり視界がぱあっと明るくなるような分かりやすいヒーリングを受けたこともありますが、そういうのにくらべるとなにがなんだか。なにかあるのかな?と疑問に思うほど何も感じませんでした。
でも、ほんとにバイブレーションが細やかなときは強いエネルギーとしては感じられないから認識できないこともあると思うので、そういうのかもしれませんが、よく分かりません。

次に彼女の目をみると、最初は彼女の目とチューニングが会わない感じがして、しかし彼女は自分の中から出てきてこちらにあわせるわけでもないので、次の瞬間私の中のそれこそシャクティか何か分かりませんけどそういうのが活性化して、それによって彼女のそれと徐々にチューニングが合っていった感じがしました。
3段階くらいの変化を感じ、お、来た来た来た、と、盛り上がってきて楽しくなってきたところで彼女はすっと目を伏せ、私個人に対するダルシャンの終了がそれによって告げられました。
時間にすれば、目を合わせてる時間は10秒くらいのようです。

1時間くらいでダルシャンはさっさと終わり、横に置かれた花輪を彼女の首にかけるでもなく、アルティがささげられるでもなく、静寂を保ちつつ、敬意を表すためにいすから立ち上がった人々の前を実にあっさりと彼女は去っていきました。
そして集まった人たちもそれぞればらばらと帰っていきました。

見事なあっさりぶりでした。

そのあと、しばらく少し頭が痛い感じがしていました。
予想していたような激しさや強烈さこそありませんでしたが、なにか底のほうから上げられたようなじわっとしたかんじがありました。素朴で堅実な感じ。

その日のうちにプッタパルティに戻りましたが、翌日には「彼女はほんものだったな」という印象になりました。
いやあ、いろんなタイプの聖者がいるものです。
【2010/02/23 02:25】 | 聖者 | トラックバック(0) | コメント(0) |
くつがなーい。
結局今日は午後四時過ぎに主名をタブラーの先生の引越し先に連れて行きました。

きみたちは最初の外国人のお客さんだ、記念すべきことだなどとタブラーの先生は言い、最初のお客さんは神様だ。だから君はシャクティスワルーパだ、パールバティだ!そしてシュナはヴィナーヤカだ!などといっていました。
インド人は(というかこの先生は)ハイなときはえらくハイです。

主名が「ぼくはヴィナーヤカじゃない!!」と反論するので、「じゃあランボーダラだ」と言っておきました。

今度のアパートは前のところよりも明るい感じでよかったです。

もう夜は7時前にダルシャンに行ったのですが、まだやっていました。
おわったのは8時前でした。
ババはあっちとこっちに両手ブレスをしていました。

シュナがサウスで食べるというので並んで入ったらやっぱりウエスタン、やっぱりサウス、などとややこしいことを言うので、サウスで食べてからウエスタンにも行きました。
おかげで倒れそうにおなかいっぱいになりました。
といってもサウスに先に行ったから安くは上がるのですが。(主名4ルピー、わたし10ルピー。これですでにおなかいっぱい。)

ウエスタンではサラダとデザートとかを食べました。
あと、芋の煮たのとか飲み物を買って60数ルピー。今日はオレンジがひとり一個プラサードとして配られてたので嬉しかったです。

ところで、こないだ買ったばかりのいいサンダルが盗られました。厄落とし?
【2010/02/23 02:21】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
月曜日の朝
今朝、主名と一緒に朝食をとりにサウスインディアンキャンティーンに向かうと、ちょうど外からババが帰ってきたところでした。
今朝は家から出てきたんだなーと思いつつサウスでご飯を取ると、サンバルがちょうどなくなってて、追加のを待つ間に人がいっぱいになって朝から押されて少し消耗しました。

今日はなんとなく、ダルシャンに行こうと思ってたのですが、主名を学校にやってホールに入ってしばらくするとババが出てきて、結構長い時間前に座っていました。

ついついあいてたので前のほうに座ったこともあり、前のほうは人口密度が高くて、やはりなんかちょっと神経に障っていらいらっと、しかけました。
後ろの人が、私の頭でババが見えにくかったらしく、後ろから私の頭を横に押してきたりしたこともあり。
頭を触られたりするのは好きじゃないので、手で払いのけると、それ以上は手を出してきませんでしたが。

やっぱり、他の人たちとくっついて座るのって、なんかよくないんじゃないかと改めて思います。
ここではそういっていられないのが現実ですが。

朝から風呂に入ってさっぱりしてきても、横に座った人がインド人の、パーソナルスペースの感覚がマイナス、つまり、横の人のパーソナルスペースに侵入せずにおられない人で、べたついた肌をぐいぐいくっつけてこられたりすると非常に消耗する気分になるときがあります。

あまりにも感覚が違いすぎる人をぎゅうぎゅうづめに座らせるダルシャンホールはあまりといえばあんまりな場。
西洋人なんかは私よりももっとそういう個人を大事にするから、よく激怒してるのを見かけますが、ほんと、疲れるだろうなあと思います。
インド人はインド人でなんで怒られるのかさっぱり理解できずに、そういう激怒する西洋人の攻撃性だけをおどろきとともに受け取ってるかもしれませんが。

しかし、ぎゅうぎゅう体を押し付けてくるのはほんとやめてほしいです、、、
少しでも間が開いてると他人が割り込んでくる社会のようなのでインドではこれが普通の防衛方法なんでしょうけれど。
みんながみんなそうでもないですけれど。

それはそうとババは今日は受容的な雰囲気でした。
両手ブレスの後、家に帰るとき、最初に列の中の西洋人が前に出てババに話しかけ、パダナマスカールをさせてもらっていました。

次にその隣くらいに座ってた顔見知りのロシア人がババに手紙を渡そうとして、なんか断られたようにも見えましたが結局渡し(かなり強烈なひとなのです)、パダナマスカールというか、顔をババの両足にぐりぐりとこすりつけるようにしてぞんぶんに堪能していました。

次に、よく知ってる知人が前に出て、ババに手紙を渡しました。
それはババは完全にオッケーというかんじで受容的に受け取っていました。
わたしは、「ああっ、〇〇さん、パダナマスカールしてもいいかどうか聞けばいいのにっ!!」と思いましたが、やはり他国の人々に比べると控えめな日本人のさが?彼女は手紙を渡すとそのまま後ろに下がりました。
なんだかババはパダナマスカールを彼女に与えるような雰囲気に見えたのですが。

しかし今日はそんな風に知った顔が次々とババに祝福をもらっていたので、私も少し興奮して、バジャンの後はそのままアシュラムに残って飲み物を飲みながら考えるともなく何かを考えていました。

そして、そうだ、今日は月曜日だし、この勢いでプライマリースクールの願書を取りに行こう、と思い立ちました。

他のお母さんから今願書を配ってることを聞いてて、先週タブラーの先生にもとりに行くように勧められたのですが、まだとってなくて、外国人と分かるとくれないみたいなのですが、「友人に送るからといってもらって、全部書いて願書は韓国にでも送って、コピーを持って、だるしゃんを受けろ。何が起こるかは誰にもわからないんだから」と、よくわかるよなわからないようなアドバイスをタブラーの先生はしてくれました。

なのでオートに乗ってとりに行きました。

たぶんセカンダリースクールと思うんですけど、そこで願書を配ってると聞いたので敷地に入ると、顔見知りの、元セキュリティーの子連れのお母さんがいたので、願書を取りに来たというと、15日でもう終わったといわれました。
でも行ってみなさい、といわれたので、建物の中に入って聞いてみましたが、やはり15日で配布は終わったようでした。

外に出て、さっきのお母さんに「やっぱりもう終わってた」というと、「サナザナサラチ(情報誌)」に案内が載ってたのにどうして取りに来なかったの?ときかれたので、わたしはとってないから、と答え、彼女の子供は主名の前の学校に来てたので、私たちの動向もよく知ってて、誰から聞いたのか、「今は〇〇スクールにいるんでしょ?どうして〇〇(先生の名前)はあなたに教えなかったの?と聞かれたので、「私たちは外国人だからだと思う」と答えました。

実際、先生は他の子供たちの保護者にはババの学校の入試に子供をチャレンジさせてみなさい、と、みんなにその意思確認をしていたのですが、わたしたちには、来年度からイーシュワランマスクール(たぶん誰でも入れるような一般向けの学校。全寮制ではない。)がイングリッシュミディアムになるそうだから、主名をそこにいれるといいんじゃない?と、現実的な別対応でした。

まあ、それは現実的な対応であるので、先生のそういうやり方に異存はないですが、ほんと、外国人の子供はここでは行き場がないなあ、と思いました。

去年も願書を出そうと思ってて、3月にあった、奥さんがババの学校の教師をしているという人に、4月にまた連絡してきなさい。どうやったらいいか全部教えてあげるから、と言われたのですが、結局コダイカナルに行ったりして、プッタパルティに戻ってきたのは5月だったので(試験は6月)そのひとに「申し込みは4月で終わってしまったよ」といわれてがっかりしたことがありました。

なので、3月くらいまでに申し込めば余裕で間に合うだろうという感覚でいたのですが、たぶん去年も、願書配布自体はきっと今年と同じように2月半ばまでとかで、どっちみち無理だったんじゃないかなとか思いました。

どうせ、首尾よく願書をもらって学校に送ったとしても、外国人からのものはそのまま送り返されて来るそうなのですが、何もやらないよりかは何かやったほうがいいに違いないと思い、ことしはちゃんと願書を送ってみようと思ったのですが、あえなく撃沈。

なんとなく、もう一年、主名のプライマリースクール浪人が確定したような気もしました。

外国人は何年か遅れて入学する傾向があるし、それくらいでいいんだろうと思います。

しかし、シュカの葉では3度目の挑戦で入学するとあり、占星術でも来年まで入学のチャンスがあり、入学するだろう、とのことで、だんなの易でも去年か来年に入学すると出ていて、総合すると来年、入学するなら入学するし、しないんならしないんだろうと思います。
とりあえずババの学校への入学の可能性は来年まではある感じです。

そういえば、夢でも、ババは主名の入学のタイミングは来年度(2011年)の6月かという私の問いに「そうだ」と答えていました。

しかし、今年も願書、送れなかったなあ。。。
また、主名のヴェーダチャンティングCDでも作ってババに送りつけるか、、、
【2010/02/22 15:28】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
日曜日
今日は日曜日だったので、午前中は主名を友達の家に連れて行って遊ばせました。
主名の友達のお母さんがダル(豆スープ)とジャガイモのカレーとお菓子をお土産に持たせてくれたので、家に戻って雑炊を作って、それらと一緒に食べました。
インドの料理はレストランだとまずいのが多いですが、家庭料理だともれなくすごくおいしいです。
ジャガイモのカレーはとてもおいしかったので、主名と奪い合うようにして食べました。

食べたら、おなかいっぱいになって、3時間以上もタイルの床に直接寝た状態で昼寝しました。
ちょっと前までは結構涼しかったので直接床に寝ると冷たくて、タイルに体がくっつく面積を小さくするために横向けに寝てたものですが、(ちゃんと布団を敷けばいいだけの話なのですが)最近は急に暑くなったので、タイルの床の上に仰向けにべったり寝ても快適です。

おきたら主名に「よく寝たね」と言われました。
彼は絵を語り本を読んだりしていたようでした。

そういうわけで午後はダルシャンに間に合いませんでした。
今日は主名のタブラーレッスンの日だったので、今から行っていいかどうかと先生に電話すると、どっかでお茶を飲んで、30分位してからきてくれる?と言われたました。
それだとレッスンの後に夕食を食べると遅くなるので、さきにノースに夕食を食べに行きました。
(サウスは人がいっぱい並んでて、ウエスタンはまだ開いてなかったので)

久しぶりにノースで食べるとすごくおいしかったです。
初めてノースで食べたときにはとてもおいしいとは思えませんでしたが、いつしかそれらのメニューをおいしいと感じる感覚が開発されたようです。
今日は2人でちょうど50ルピーでした。

最近は、というかずっとかもしれませんが、ご飯がおいしいのでやばいです。
泳ぐか、ハタヨガでもしたほうがいいかもしれません。

タブラーは、行ってみると、先生の家は今日の夜10時半に引越しするとかで荷造りの最中でした。。。
なので、明日の午後に引越し先の家でのレッスンに変更することになりました。
明日行っても果たしてレッスンができるのでしょうか。。。
【2010/02/22 04:06】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
中国正月
今日は中国正月でした。
私たちは夕方は5時過ぎに行ったので、もう終わっちゃったかな?と思ったのですが、ババの方が遅くて、まだ来てませんでした。

ババは5時半くらいに来て、プログラムが始まりました。
ライオンダンスのライオンや子供たち?に導かれての入場でした。

スピーチとかマントラチャンティングとかあって、劇になりました。

中国正月の劇もなんかパターンができてきたような感じで、現代人の家庭をコメディタッチで描いて見せて、それと昔の中国の歴史が交錯するようなかんじでした。
日本で中国の文化に触れると、異国なかんじがしたものですが、完全に異国なインドで隣の国、中国の泣きのような民謡調のメロディーを聴くとやはり日本人というより、モンゴロイドとしての遺伝子がわぁっと反応します。

しかし中国の「大陸」的な広大なスケール感はいいですね。
銅鑼とか、胡弓のような楽器の音色に合わせて踊る子供たちを見ていると、中国大陸の風が肌に吹きつけているかのような感覚になります。

劇の中でだったか、忘れましたが、とにかくプログラムの中でルッドラムの第8アヌヴァーカが唱えられました。
私もマハシヴァまでにナマカムを暗記しようと思っていたのですが、まだ9までくらいです。
そうだ、やろうとかちょっと思いました。(ちょっと)

劇の中で、チベットのお姫様が中国に政略結婚で嫁ぐことになって、お姫様は国のためと思ってそれに従ったので、中国からいろんな技術や文化がチベットに導入され、チベットを大いに益したので、そのお姫様の名前は今でもたたえられている、というようなエピソードが紹介されていました。

今回の中国正月のテーマは「家族」だったので、そのエピソードは「これが家族の力というものです」と言う感じで紹介されていました。(私の英語理解が正しければ(^^;))

それを聞いて、え、そういう風に持っていくのか~、中国人よ。とか思いましたが、まあ、物事のいい面だけを見るということなんでしょうか。

いつからか、プッタパルティでの中国正月には亡命チベット人のお坊さんたちがたくさん参加するようになって、国と国との現在の関係を思うとなんか、勝手ながら、びみょ~な印象を受けます。
もちろんプッタパルティで一緒に中国正月のプログラムのために来た亡命チベットのお坊さんたちは、やはり中国からよその国に移り住んだ架橋の人たちに丁重な扱いを受けているのですが。
ここに来る中国人はほぼ100パーセント、中国以外に移り住んだ架橋の人たちや香港からと台湾からの人たちだと思います。
中国本土からは多分ほとんど来てないと思います。

もとソ連だったロシア系の人たちが今大挙してプッタパルティに来ているように、中国本土からの人たちもたくさん来るときがあるのでしょうか。
イランからの人たちもすごく多くなりましたもんね、、、多分いまだにそれはイランでは下手すると処罰の対象となるのかもしれないにもかかわらず。

中国には道教がありますからね!あれは一説によるとインド人聖者が中国に渡って老子を名乗るようになったとか言うはなしです。

今日のプラサードはやはり毎年恒例化している中国系の駄菓子の詰め合わせの小袋でした。
台湾や韓国、香港製のお菓子とともに、日本のお菓子も結構入っていました。ぷち大福とか。

以前は日本もプログラムを用意して中国正月に参加したようですが、(たしか、うちの母は巫女舞を数名とともに舞ったそうです。婆巫女。)最近はもう日本は外れてるみたいですね。
それでも去年まではグループのスカーフだけもらって現地滞在者は中国正月グループに参加してましたが、ことしはだれも責任者に言う人がいなかったみたいで、多分誰も日本人はグループとしては参加してないと思います。
少しさびしいような気もしますが。

ババは多分ドーティーやサリーをプログラムの出演者に上げていました。
アルティの後にまたバジャンが始まったりして、終わったのは夜8時を過ぎていました。

中国系の人たちが多いので、ウエスタンキャンティーンのメニューは今日は中華デーでした。
どれもこれもおいしそうで、たくさんとって食べ過ぎました。
一緒に食事をした長期滞在の日本人たちみんな「おいし~い、おいし~い」と言いながら食べていました。
インドの激辛でもなく、西洋の油ギトギトこてこてでもない中国系の味のなんとこころ安らぐこと。

チャイニーズキャンティーンがアシュラムに設置されないもんですかね。。。
【2010/02/21 03:32】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
きたっ!
誰がやっても私のパソコンではインターネットに接続できなかったので、ネットカフェの店主に「こんなだけどどうしたらいい?」と聞いてみました。
「パソコンにつなぐところがないの?」と聞かれたので「ないの」と答えると、
親切にも私のアパートの部屋に来て調べてくれようという決意と姿勢を見せてくれましたが、そこまでしてもらってもちょっと困るので、私のパソコンをネットカフェに持ってこれるから、というと、「もってきたら見てあげよう」ということになりました。

人格者だなあ、と思い、パソコンを取りにいったんアパートの部屋に戻りました。

そして中途半端につながってぐちゃぐちゃになってるコード類をパソコンから取り外しているときに、ひらめきました。
何年も前にパソコンの側面に小さな出っぱりを見つけ、触ると側面の大部分がガポッと開いて中に端末(ていうんですかね?)が並んでてびっくりしたことを。。。

も、、、もしや、、、、、、、、

探してみると、あ、あった。ここだ。。。がぽ。

、、、、、、、、、、、、、わ、あった!!!
モデムからのコードも難なく接続。

わわわわわ。

ためしにネット接続。
????できない。

接続状況を画面上で調べて問題なさそうだったけど、接続しなおしてみる。。。。。

再びネット接続。

、、、、、、、、、、、、、わー!できた!!!!!
わーわーわー!

わーわーわー!

わーわーわー!

まるで暗黒の洞窟に文明の光がともったよう。

ウェルカムインターネット。遠い道のりだったねぇ。。。。

、、、、、、というわけでようやく部屋でネットができるようになりました。
しかしだれもこの秘密の(でもなんでもないのですが)端末群の納まってる扉を見つけられなかったことが不思議です。

きっと電話局の人はモデムの配線をしにきたときに何が問題かわかってたんだろうと思います。
でもよくわかんなくて投げたので、私がその後何度行っても逃げたい隠れたり責任をよそに回したりしたんじゃないかと。

手ぶらでネットカフェに戻り、「できました!この一ヶ月誰もできなかったけど、今できた。」と言ったら店主は笑ってました。

でも、店主が本気で見てくれようとしたので、わたしもなんか意識が変わって端末のありかがひらめいたような気もするので、大感謝でした。ほんとは私がネット環境が整えばネットカフェの売り上げがその分減るのに、よし、商売抜きの人助けだ、と、店主は決意してくれたような感じだったのでした。

たまにそんなことってありますよね?

よし、じゃあ、本気でこの人の問題にかかわろう、と決意したとたん、その人の問題がなくなったりということが。
なんか、そういうのって、実際の動きはまだでもエネルギーの上ではすでにかかわって、相手の問題の起こってる箇所を救い上げてるんだと思います。

今日の私はそんな風にネットカフェの店主に力をもらったなあ、とおもいました。
ババの無私の愛が店主を通して働いた感じがしました。

なにはともあれ、ひとつ問題解決。
【2010/02/20 20:05】 | インド長期滞在情報 | トラックバック(0) | コメント(1) |
パそこ~ん
パソコンも修理できたし、部屋でインターネットが出来るようにブロードバンドに申し込んだのですが、私の持ってるパソコンの機種が古すぎるのか、ブロードバンドのモデムとパソコンをつなぐコードの端末が合いません。。。
ちゅうか、私のパソコンには電話回線をつなぐサイズの端末しかないんですけど、もしサイズが合えば、モデムからその電話回線の端末につないだら出来るんでしょうか?

モデムの側が大きくて、パソコンの側が小さいです。

電話局には何度も足を運び、いついつに見に行くからと何度かいわれましたが来ません。
多分、モデムを私にあげたからもうしごとは終わりと思ってるんじゃないかという感じもします。
私が行ったら、電話局の人は機械の後ろに隠れるし。

まあいいんですけど、私のパソコンでできるのかできないのか確認して、出来なかったらサービスをストップしてもらわないと。電話局にお賽銭を上げてもしょうがないし。
【2010/02/20 16:28】 | インド長期滞在情報 | トラックバック(0) | コメント(0) |
朝ダルシャン
昨日の朝はババは8時前に出てきたそうです。
チベット人のお坊さんが30人以上来てて、その人たちが何かマントラを唱えたりもしたそうです。

私は昨日の朝は9時半くらいにアシュラムに行ったらアルティが聞こえてきて、ババ、今日も来てなかったみたいだなとか思って、裏を通ってパン屋に行こうと思ったら、家に帰るババを見るために裏に人が待ってたので、「来てたの?」と驚いて、私も裏から裏ダルシャンを受けました。

今朝もババは来てて、お坊さん達には衣類かなんかが配られたりしていました。
その時思ったのは、ダルシャンに来てる一般人達もたとえば過去生で坊さんとかだった人たちが沢山いるだろうし、そうでなくても日常生活の中で地位は無くても立派に気高く霊性そのものを生きているような人たちも一杯いるだろうけど、ここ(プラシャンティニラヤム)では、僧侶という役柄に対して敬意が払われているんだろうなという事でした。
そういう役柄の人にはしかるべき敬意を払われる事が社会の秩序が保たれる上で必要な事なんだろう、と。

それらのチベットのお坊さん達が形だけで中身が無いというのではなくて、わたしはそれらの坊さん達が来ると嬉しいのですが、今日はそういうことを思いました。

今朝はババはバジャンホールの中に入ってる時間も長くて、終わったのは11時ごろでした。
でも今日は私はホールでボーっとしたかったので、ババが帰るまでホールにいました。
今朝はババは両手ブレスをあっちとこっちに一回ずつしてました。

しかしプラシャンティニラヤムはほんとに動物園のような所だなと思いました。
ここに来ると、周りの激しさの質を吸収して、人間性が低下する一方ではなかろうかと思う事すらあります。
でもサティアサイババはあらゆる人をひっかける、、、もとい、救うための役割を持った化身でしょうから、あらゆる種類の人間がやってくるんだろうと思います。
そのすさまじさを改めて思います。

今日の午後は多分中国正月のプログラムがあると思います。
今年は日本人はグループから外れているようですが、できれば早めに行こうと思います。

【2010/02/20 16:20】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
暑くなってきました。
最近暑くなってきました。
それでも主名を昼間に芝生(日陰でですけど)で遊ばせたら、夜にはしんどがって、夜中には鼻血を出しました。
昼間布団もずっと外に干してたし、熱い布団で寝る羽目になったのでよけいに熱がこもったみたいです。

翌日一日部屋で休んだら元気になりました。
私もだるさがあります。

ババは夜はダルシャンをしています。

マハシバラトリが終わって人が急に減るかと思いきや、巨大なインド人グループが来ててホールはいまだにいっぱいです。
それに加え、チャイニーズニューイヤー(来てる中国人はプログラムは20日だと言っていましたが)にむけてやってきた中国系の人たちのグループも終結してて、なんだか人口密度が高いです。

さわやかな気候と風景の、人口密度の少ない、ネット環境の整ったところで暮らしたい。。。
【2010/02/18 13:30】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ババもお休み。
今日の午後はサウスで昼ごはんを食べた後、芝生で主名を遊ばせようかと思ったのですが、日差しがきつかったので、行き先を知人の家に変更しました。

インド人の奥さんも2人子供連れで来てて知人を含め3人の奥様方は、みんな同じ体型でした。。。どんな体型かはあえて書きませんが、いや、書きましょうか。ぽっちゃりとグラマーのミックスというかんじ。やっぱりいつも一緒にいる人とか友達って似るんだなとか思いました。

知人は目の中に入れる黒いやつ(アイライナーみたいなペーストみたいなそんなやつ)を数年してたら、0,3くらいの視力が0.7くらいに上がったとか言ってて、それを聞いて私も挑戦しようと思って、今日、スーパーバザールで「目の中に入れるアイライナーみたいなやつ」とかいって買い求めたばかりでした。
なので、来てたインド人の奥さんにさっそくどうやってやるのか塗ってもらいました。
みんな「グッドグッド」とか「意志が強そうになった」とか言ってくれました。
これは主に目の下側にグイッと真っ黒な線を引くし、しかもぜんぜん定着せずに崩れまくるので、下手すると地獄からの使いみたいなとんでもないゾンビメイクになってしまいます。
迫力が出るのは確か。

知人はインド人社会でやっていくためには必需品と思ってるようでした。
戦闘体制になる感じ?

知人はアーモンドオイルとかいろいろ混ぜ合わせた手作りのやつを使ってるそうですが、目がよくなって、いいですね。
私もよくなるかな?
でも、見た目があまりにも現地人ぽくなりすぎるとネパール人かローカルピープルと思われて、実際、たとえばセバダルやそこらのちょっと高級目の外人相手の店で働いてるインド人(インド人にというところがミソ。ローカルピープルに対する態度がシビアなのはやはりインド人)なんかに軽く馬鹿にされることが多くなる気もします。
ネパール人には申し訳ないですが(そしてネパール人は実にいい人も多いのですが)わたしは外人ぽさも大事にしたいなと少し思います。(ネパール人はパスポートなしでインドに入国できるし、ババの学校も受験できるいわば属国扱いみたいに思います)
だって外人だもの。

すでに十分、しょっちゅうネパール人や北インド(ダージリンとかマニプリ?とか)からの人に間違われることが多くなってしまっているのですが。

夕方のダルシャンにはババは来てなかったみたいでした。(私たちは人ごみの外からホールの中をのぞいていたのではっきりわかりませんでしたがそうみたいでした。)
珍しいです。
以前、ババが午後に来なかったのはいつだったかもう思い出せません。
ババもマハシバでお疲れなのでしょうか?

私は昨日は一日遅れで座りっぱなしが原因の腰痛になってましたが、今日はもう回復しました。
これがもっと年をとったら2日遅れとか3日遅れとかになるんですか?

そして下痢は続行中。
変な下痢です。
日中はなんともないし、フルーツも自宅でのご飯も知人の家でのパスタもサウスの辛いやつもまったく平気で「調子いいな」というかんじなのに、夕食にウエスタンのものを食べると、たとえ白ご飯にダル(豆のスープ)だけでももうだめです。

主名に聞いたら「ウエスタンの油が強いからちがう?」とか言っていました。
あんたようしっとんな。

そういえばもうじき中国正月の行事があるのか、中国系の人が多くなってきました。
いつなんでしょうね?中国正月。
今度の満月あたりでしょうか?

昨日は日曜だったけど主名は学校に行ったので、曜日がわからなくなってしまい、毎週日曜に行かせてるタブラーのレッスンのことをころっと忘れていました。

なので今日に振り替えてもらいました。

ゴープラムロードのギリジャンマストアにはキッコーマンのしょうゆが置いてあって大変重宝なのですが、味噌もあればなおいいなと思い、仕入れてもらえないかなと思って、店の人に「あなたのとこにはしょうゆも豆腐も置いてあるけど、味噌は置かないんですか?みそは日本の有名な食品で~」とか言ってみましたが、「みそ?初めて聞いた」と、とりあえず、ぽかんとされただけでした。

だれかもっと「味噌を置いて」とか言ってみてください。
そしたら店の人も「これだけ問い合わせがあるなら売れるのかも?」と、仕入れるかもしれないんで。
たぶんギリジャンマストアはしょう油を、デリーの日本食材の店から仕入れてるんじゃないかという話です。
もしそうならついでに味噌を仕入れるのも難しくないはず~。
【2010/02/16 01:08】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マハシヴァラトリのあと。
今、マハシヴァのときの画像をネットで見ましたが、プールナチャンドラホールの中にもババは入ってたんですね。
しらなかったー。なんか歓声が上がってるなとは思ったけれど。

それと、プラサードのご飯に、ババはほうきみたいなのんで水をかけて祝福してたんですね。
いっつもサウスで食べてるご飯と同じようなやつだけど、やっぱりちょっと違ったんだー、と思って。

だれかがババはインタビュールームでリンガムを出したらしいよとか言ってたけどほんとですか?

私はというと、しんどいのはいやなのですが、今回はなんかタイミング的にも少し気合を入れた方がよさそうな気もあり、朝から列に並んでみたマハシバでしたが、やっぱり、なにか多少は突き抜けたような気もします。
ぐちゃぐちゃの中でいくらもがいても右のものを左にするだけみたいな状態が、マハシバ後は自然と整理されていくための意識のスペースが広がったような気がします。

夜中にホールに戻ってから、私がバジャンを歌っていた間、主名はいったい何をしていたんだろう?と改めて思い返してみると、彼はずっと折り紙でいろいろ作っていました。

マハシバ以降は主名は学校の行き帰りはひとりで行っています。
一人で行きたいんだそうです。
なぜかというと、私が迎えに行くと教室で見せてもらってるDVDのアニメをその時点で切り上げて帰らないといけないから。
一人だと、最後の一人が帰るまで一緒に見ていられるから。

自分でさっさと動くようにさせたいので、目覚ましとかも自分でかけさせて、寝るのも自分で用意して勝手に寝るようにさせています。
今の学校は主名は行きたがるので、そういうことが自然と出来るのでよかったです。
その日のベストスチューデントになると、ぺろぺろキャンディーがもらえるので、ぺろぺろキャンディー欲しさに熱心に通っています。

昨日は10人くらいの人たちと一緒にアマチの所に行く夢を見ました。
夢では目的地にたどり着く前までのシーンだったのですが、アマチ、キテルなー、とか思いました。

マハシバあたりから気温が上がってきて、夜も掛け布団無しで寝れるようになりました。

昨日はババは両手ブレスでした。
今朝はババは来ませんでした。

わたしはバジャン後は色々買い物をして用事を済ませました。
【2010/02/15 14:46】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マハシヴァ終了
今朝、マハシバラトリはつつがなく終了しました。

わたしらは昨日は10時くらいに部屋に戻って、2時半くらいまで寝て、サウスでお茶を飲んでから3時くらいにサイクルワントホールに戻りました。

しかし、主名はちびっこなのに、よくおきれるなと少し感心しました。
サウスで夜中に以前はドーナツとか出てたので、たぶんそれ食べたさというのもあって起きたみたいです。
残念ながら今回私たちがいったときにはもう夜食はありませんでしたが。

そのまま朝まで主名は寝ずにいてました。
彼がどんな様子だったかはよく知りません。
なぜかというと私はカラオケボックス状態でバジャンを大声で歌いまくっていたから。
やっぱり、4時間寝るとすっきりしますね。

バジャンをマハシバのときにがんがん歌いまくるといい効能もあって、それはなにかというと、周囲の干渉を受けにくいことです。
みんな「この人は、はいっちゃってるから」と、そっとしておいてくれる。

マハシバはホールに入ってからもなんか気が立ってる人が多くて、狭くて十分なスペースがないところも多いし、あちこちで小競り合いが起こりやすいです。
私の右横の人とその後ろの人もずっと意地悪バトルみたいなことになってて、私と隣の人との間には隙間がないのに、後ろの人がわざと間に足をねじ込んできたりして、その足を隣の人は後ろに押しやって、ということが何度か繰り返されて、しまいに隣の人は後ろの人の足の指を折りかねない感じで思い切り痛くしたので、後ろの人がとうとう金切り声を上げてわめきだして逆上してました。

一人で歌いまくってたら、そういうバトルからほっといてもらえる感じです。

しかしやはりシバラトリにババを見るのはいいなと思いました。
ババにはシバとパールバティのどちらも入ってるそうですが、シバラトリの夜にそんなババを見るのはシバと直接対面しているのとまさに同じことだなあと感じました。
今は12年に一度のマハクンブメーラだかなにかがハリドワールで今まさに行われているそうで、せっかくインドにいるんだし、その大きなお祭りに行きたいなあとか思いましたが、昨日は、シバがそこ(サイクルワントホール)にいると感じたので、非常に充実した思いがしました。

ババにバジャンをささげるというのはあまりぴんとこないのですが、シバにバジャンをささげていると思うと、なにかこみ上げるものがありました。

もちろん、たぶんババの中にはすべての神様が入ってるんでしょうが、そのすべてを明らかに出してるわけではないと思いますが、(だしたらみんな耐えられないし受け入れられないだろうから)質としては、そこにすべてがあるんだなあと感じたマハシバの夜でした。

そして外にそのように見受けられるものはすべて私たちの中にあるものであるから、そのように内と外が共鳴し、外にも認識できるのだろうとも思います。

夜寝ているときは何かいくつかの神様が出てきた夢のようなものを見ました。
ババがいろんな形をとっていたのかもしれませんがよくは覚えていません。
ひとつ覚えているのはたくさんの腕の強い女神の姿です。
名前はヴァイシュナビ?とかバイラビ?なんかよくわかりませんがそんなような印象の名前でした。

朝6時過ぎにババはオレンジのローブで登場し、7時過ぎにマハシバラトリは終了しました。

プラサードを食べて部屋に帰ったのは8時過ぎでした。

主名は学校に行きたがったので一人で行き帰りいけるならと送り出しました。
やっぱ、若いですね。楽しかったみたいです。
ほかの子供たちも楽しい楽しいといってたと、主名は言っていました。
わたしは朝の9時から夕方の6時まで爆睡でした。

浄化か何か知りませんが、昨日の夜中から下痢しています。
なのでなにでぐったりしてるのか理由がどれかはわかりませんが虚脱しています。
【2010/02/14 01:21】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マハシバラトリ
いまはマハシヴァラトリです。

本とはすいてる夜中の2時か3時に行って、朝までホールにいようと思ってたのですが、数日前から、当日の朝6時に並ぶようにとのインスピレーションが来てたので、えー、、、(いやだ、、、)と思って、気持ちが決まらないまま昨日朝5時半に目覚ましを書けたらやっぱり眠くて、2度寝して、それでも7時半くらいには並びに行きました。(午後のダルシャンのために)

さすがにマハシヴァも数回目なので、要領がわかってきて、どのタイミングで腹ごしらえをしたらいいかとかトイレに行っておくべきかとかがわかるので、楽でした。(て、まだ最中ですけど)

しかし私らの列の2メートルくらい後ろでは列が動いて入場し始めたときにはめちゃくちゃになっていました。
間一髪という感じでなんとは無事にトークンにいけました。

トークンは2番で、
珍しくいいなと思ったら、そのあとに1番を引いた列が思わず歓声を上げたからとおもうんですが、罰としてトークンなしになったのか、結局来たもの順で入場させられました。

まあ出も私たちもわりと早かったので、4番目くらいに入ったと思います。
でも、朝6時に行けという指令はこれだったか!と思いました。

ババは5時過ぎてから来ました。
赤いローブでした。

心なしか顔が青黒いような。気のせい?

たぶん音楽大の学生の歌に続いて、マハシバラトリのバジャン(アルナーチャラシヴァ)スタートしました。

バジャンの途中で一度バジャンが止められて、明日の朝はプラサードがありますよ、見たいなアナウンスがありました。
日本のセンターでこういう連続バジャンをしてたときは、中断することがすごいよくないみたいな感じで、途切れそうになったらみんなあせって続けてた記憶がありますが、本場インドではプラサードのおしらせのアナウンスでバジャン中断させてもいいんだー?とか思いました。

ババはしばらく前に座ってて、少しバジャンホールに入ってから8時前くらいに家に帰りました。

わたしたちはクッションをおいて、ウエスタンキャンティーンでご飯を食べてきたところです。
今は夜の10時前です。

風呂に入って何時間か寝て、3時ごろにホールに戻ろうかなとゆるく考えてます。
前、朝の6時に戻ったらさすがに中に入りにくかったことがあったので。(あたりまえか。)
バジャンはたぶん朝の6時とか7時くらいまでみたいです。

さっきのアナウンスで言っていたから。でも、朝6時に行けという指令はこれだったのかと思いました。
【2010/02/13 01:27】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ババが連れ去る夢
ひっさしぶりにババの夢を見ました。

私はなにか怒ってるみたいな感じで、なので近くにいた知人は逆に自分の世界のなかににいることができるような感じでした。
ババは遊園地の園内を回る巡回バスのような乗り物がいくつかつながった乗り物でやってきました。

知人はババの所に行って何かをするか、しゃべるか、固く決めてたようでしたが、周囲の人たちは「やめろやめろ」と軽くあしらっていました。

ババが来ると知人はあっという間にババの近くに行って、ひざまづいて、ババと話をしていました。
するとババは知人をつれて去っていきました。

残された私とほかの人たちは、ババが知人をつれて行ったから、戻ってくるころには知人は聖者として戻ってくるかもね。などとお互い話しました。

しばらくしたらまた同じ乗り物が戻ってきました。
知人は乗っていなくて、ババもいないのかな?と思ったら、ババは乗っていました。

ババは無言でしたが受容的なムードだったので、私もババに話しをしようと思って近づいていって、質問をしました。
するとババは言葉では何も言いませんでしたが、神々しく微笑んで、そして女性形になっていました。
そのように、女性形になったババのバイブレーションが無限のことを語っているようでした。

私は、ババがアマチになった、と思い、(顔はアマチ(アンマ)ではなかったのですが、そう思いました)
そのダルシャンのあと、ほかの人にそのようにいいました。

その後、別の場所の室内に私たちは戻りました。
すると知人をババが連れて行った先の場所からのプラサードが、側近のような人から3種類(みたことのない果物など)届けられました。

知人はまだ戻ってきていなかったので、私はその人に、知人は今どこにいるんですか?とたずねました。
その人は、知人はいまバルタにいます、といいました。
私はバルドのことだなと思い、それは天界と地上界の中間の場所のことですか?と、たずねました。
そのひとは「そうです」といいました。

知人は、まだそこにとどまり、いろんなことがよい方向へと反応し終わるまでそこに留まっているようでした。
そこは、そのような反応が滞りなく滑らかに起こることのできる場所である印象を、私は夢の中で受けました。

そんな夢でした。

いつも霊的な夢を見るときの多くがそうであるように、この夢も夜があけきる前のまだ外が暗いときにみて、そして、ぱ、と目が覚めました。

起きてから、なんか久しぶりにアマチに会いたくなりました。
【2010/02/11 01:20】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今日
最近のタイトルはワンパターンですか?
いやー、そうなんですよ。

脳のしわが日に日に伸びてってるのかもしれません。

インターネットを部屋で出来るように頼んでて、モデムも来てコードの接続もしたけどまだ接続できてません。
めんどくさいので放置しているという。
ほんとは1~2日で出来るはずがもう3週間。
でも、月ごとの使い放題の支払いなので早くしないともったいないです。

今日もババは両手ブレスでした。

主名の靴がやぶれすぎてて、運動靴なのにつま先が全部出てたので、ショッピングセンターで新しいのを買いました。
主名はおおいに気に入っていました。
108ルピーと安くて品物も良かったので、明日にでも又行って、サイズ違いでそろえとこうと思います。

やはり取り合えずすぐにやらなくちゃいけないこととか行かなくちゃ行けないところとか(特にビザ関係)の用事がなくなると、思考が非常にのどかになって、ぼけーっとします。

今日は猿が大喧嘩していました。
5匹くらいが牙をむき出してアパートの階段のところでけんかしていたので、上の階の人が部屋にいけなくて困ってました。
なので、うちのへやでお茶を飲んでもらいました。
主名はお客さんが好きなので喜んで、あらゆる物を見せまくっていました。

今週の土曜日はマハシバラトリです。
【2010/02/10 00:38】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
疲れた。
なんか今日は疲れました。

今日は月曜日だったので、ルッドラムのナマカムの8番目のアヌヴァーカを暗記しようと思って、夕方から少し芝生でやってました。(わたしが)

では。
【2010/02/09 00:41】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
日曜日
今日は日曜日でした。
今は主名をタブラーのレッスンに連れて行って置いてきて、私はお茶を飲んでるところです。
一時間後に迎えに行きます。

今日はほとんど部屋にいました。
昼も部屋で作って食べました。
食べた後、私は2時間くらい昼寝しました。
少し疲れがたまってると思います。

主名は今日はヴェーダの練習と、日本語の勉強の問題集をやっていました。
学校の勉強は丸投げです。
でも行ってるということでいいと思います。
行ってるだけで意思疎通の手段としての英語とヒンディーとテルグの感覚は身につくだろうし。
(集まってる子供たちの得意言語がそれぞれ違うのです)
コミュニケーションとしての言葉だという感覚が大事と思うんですけどどうなんでしょうか。

わたしは学生時代、英語を勉強する意味がまるで理解できませんでしたから。
人と人が話をするために使える道具ということを体感として知らなかったので。

今日の午後のダルシャンではサーヴィットリーの劇をしていました。
なんかたぶんヒンディー語だけで何を言ってるのかはさっぱりわかりませんでしたが、なんかよかったとおもいます。
ババは出演者それぞれに衣類をあげて、主役にはネックレスを物質化してあげてました。

人が多かったのでアルティになったら私たちはすぐに出てきました。
で、ちょうど6時半だったので、そのままサウスでご飯を食べました。

朝晩がいまだにけっこうすずしいです。
【2010/02/07 23:36】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今日という日
今日は朝、主名を学校に送っていったあとにバジャンに行って、(ババこず)部屋に戻ってたら学校から電話があったので主名を迎えに行きました。
なんかしんどがって吐いたとか。

先生は先生のサリーとか下にひいてる布とかに主名がはいたので、着替えなくちゃいけなくて大変で、ほかの子供たちみんなが邪魔されたみたいなことを3回くらい言っていました。
一応謝りましたけど。

たぶん独身の先生なので、ショックだったんだろうと思います。

迎えに行ったら主名はひどい顔色をしていましたが、帰り道には「おなかすいた」とかいってココナツを飲んで食べて部屋に戻って休んだら元気になり、夕方もボールで芝生で遊んでました。

学校は、先生はいいんですけど、なんか部屋が妙に寒いのです。
一度私も授業参観のつもりで3時間部屋に一緒にいたことがありますが、寒くて、寒くて。で、終わるころにはわたしも頭ががんがん痛くなってずっかり具合が悪くなっていました。

なので主名はいつも長袖長ズボンにさらにウインドブレーカーを来て勉強しに行ってるんですけど、なんか、気温だけじゃなくてバイブレーションの問題もあるような気もします。
でも人んちだし、どうしようもないのですが、主名があまり影響を受けないような何かてだてがあればいいのですが。
教室に坊さんを呼んでヤグニャをしたい感じです。

具合の悪い主名をつれて帰ると、私もそのバイブレーションを吸収して、気持ち悪くなりました。
ま、すぐに回復しますけど。

湯船の、日本式のゆったりしたお風呂があればいいなあと思います。
浄化手段としてもいいし、リラックスできるし。

温泉とかね。
人の少ない、ね。

週末ということもあり、アシュラムの中は人でいっぱいです。

アシュラムにいると霊的な話をたくさんできるし、そういう人ばっかりなのはいいのですが、人が多すぎて。
どっちものいいところがあればいいのにと思います。
ま、自分に適したところにいるんだからしょうがないとか思いますけど。
【2010/02/07 00:58】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今日
今日は、しばらく読んでた本が読み終わったので、主名を学校に送ってアシュラムでパン屋さんの前で朝食を食べた後に実務的な用事をいくつか外出して済ませました。

主名は先生に対して宿題拒否をしてるので、ほとんど宿題を持って帰ってきません。
先生が宿題をノートに書こうとするとノートを取り上げたり、ぎゃーっとないたりするそうです。
よっぽど私と宿題をするのが苦痛らしい。
私も苦痛だよっ。

ほかのお母さんはそのしゅなの態度を聞いて、「主名くんはえらいっ!!」と自分の意志を通すことに対してほめてくれてました。。。。?

なので、私ももう、主名の学校の勉強に関してはほとんどノータッチです。
おかげで生活が少し楽になりました。

日本語とヴェーダだけ教えています。
主名は日本語は教えなくてもほとんど自分で問題集みたいなのをやるし、ヴェーダは私自身も暗記しながらなので一緒に練習してるという感じです。

今日は5時半過ぎにアシュラムに行きましたが、ババはバジャンの流れる中、インタビュー中でした。
帰るときにはまた両手ブレスをしていました。

バジャンの後は芝生で知り合いのインド人のおばちゃんの山あり谷ありババありの人生を聞いていました。。。
1時間か2時間かけて聞き終わって、「さあ、次はあんたの番だよ。話してちょうだい。」とか言われたので、
どうしたもんだか?とか思いつつサウスインディアンキャンティーンに向かって一緒に歩きつつ適当に話し出したらサウスの入り口で「じゃあね」とあっさり分かれました。
いやぁ、せっかく乗ってきたとこだったんですけど?
【2010/02/06 01:06】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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