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シッキムの子供たち。
最近、北インドのシッキムからのグループが来てて、
シッキムの5~7才くらいの女の子たちの集団もノースインディアンキャンティーンとかで見かけて、
かわいいな~と、心が洗われるようでした。

昭和初期の日本人の子供みたいな素朴ななんともいえないかわいさがありました。

北のほうなので、顔立ちもネパールとか中国とかっぽい、つまり、日本人ぽい顔立ちの子供も多いのです。

みんな、昭和初期の日本人の子供がタイムマシンで現代につれて来られちゃったみたいな、まとっている空気の根本的な違いを感じました。

きっと、ヒマラヤのほうの(シッキムって、実際どこにあるのかはっきりはしらないんですけど)自然の豊かな高地から来たんだろうなという感じでした。


その子供たちが今日はプログラムをしていました。
語り(劇?)と、色んなダンスをしていました。

東洋の森の素朴な妖精たちという感じでした。

久しぶりに静かに号泣してしまいました。

中にはほとんどそのまんま中国の歌と衣装の踊りのようなのもあって、たぶん中国と文化圏がダブってるんでしょうね。
すさまじく郷愁を誘いました。

私は比較的都会っ子として育ったようにも思うんですが、生命の根源に近いところの記憶に対する郷愁がキタかんじでした。


出し物が終わったあと、そのシッキムの子供が、前に座ってるババに
「ぜひシッキムに来てください」
とか愛情たっぷりに言っちゃってて、

ああ、そんなこといって、やばいよ。ババはご老体なんだから、、、
とか思いました。

なんか、その場でババも
「自分はシッキムに行くことに決めた!」と宣言しそうな気もしたので。

実際、ババも泣いてたし。


ババは出演者の一人一人に衣類(サリーとかドーティ?)をあげて、ビブーティの包みも配らせて、
降りて行って一緒に記念撮影をしてました。

プログラムの責任者を前に呼んで、指輪を物質化して出して、指にはめてあげたりもしていました。

少し前から、そういう記念的な瞬間の写真はその場ですぐに大きくプリントして、10分後くらいにババがその人(今日はプログラムの責任者)にその場で直接あげる仕組みになったみたいですよね。

観光地でデジカメで記念撮影して、その後すぐにプリントした写真をくれるやつとおんなじですね。



今日のサイクルワントホールは暖かい拍手が何度も起こり、いつも以上に暖かな雰囲気に包まれていました。

ババは両手ブレスを男性側と女性側にし、
サマスタローカーのときに、「おさえておさえて」のしぐさなのかブレスなのかよくわからないけど、
たぶん低い位置の両手ブレスでしょ、というのをたくさんして、

その後、両手の位置をガバッとはなして、右手で男性側、左手で女性側に向けたダイナミックな両手ブレスをしていました。

そ~~んなブレス、今まで見たことがなかったので驚きました。

ブレスも進化系でしょうか。
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【2010/07/31 04:20】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
一人一人を見てるババ。
こないだ、シータラーマのところの門が開けられて、女性がだれでもババの前に歩み寄り、(数メートルは距離がありましたが)ババがその一人一人を食い入るようにすごく凝視して、サイババ眼力シャワーの祝福を浴びせたことがありました。

その時、ほんとに、ババは一人一人を見てる、、、姿だけでなくその一人一人の存在の過去現在未来の全てを視て、知っていて、それぞれの人の今の状態、あり方を個別に気にしてくれているんだなあと感じました。

その数日後、午後のバジャンに主名は先に行かせていたのですが、
私は遅くに行ったのでアルティに間に合わず、辛うじてホールの外から帰っていくババを見ました。

その時、プラサードが配られているのが外から見えて、
「今日はもらえなかったなー」
と思ったのですが、

ババが帰った後、ホールから出てきた主名と合流すると、
主名はその日は2つのプラサードをもらっていました。

配る人が勝手に2つくれたらしいのですが、
どこまでも細かいところまでババは面倒を見てくれているんだなあと思いました。

その日のプラサードはアーモンドとカシューナッツとレーズンが混ざって入った小袋でした。

おいしくいただきました。
【2010/07/31 03:56】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ハヌマーンテンプルでのプージャ
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昨日はハヌマーンテンプルでガネーシャアビシェーカムのプージャがありました。

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だれでもお参りに来た人にプラサードが配られます。

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過去生でグルを怒らせた影響を今生でも受けているとされた人の状況を改善する、グルプージャもその後行われました。(私が代わりに代行しました)
僧侶階級の人7人を招待して捧げものをして祝福をもらい、過去生のグルの怒りを間接的に解くのです。
しかし直接効果があるのがこういうプージャの不思議なところです。

くわしくは右下のリンク集にあるプレマサイジョ~ティ~ショップブログにも書きました。
興味のある方は見てください。
【2010/07/30 21:26】 | ジョーティッシュ | トラックバック(0) | コメント(0) |
久々にみた両手ブレス。
昨日の夕方は7時前にダルシャンに行きました。

主名は昨日は間違ってデジカメの写真(シルディ村の写真)を全部消してしまったので、部屋に私と一緒にいてもろくなことないと思ったようで、4時半にさっさとダルシャンに行きました。

私がホールに入ってまもなくアルティになりました。
ん?というか、ババが来たのが7時前だったんだったと思います。
アシュラムにいったらちょうどババが来たところだったような。だったかな?

ババは帰る前に男性側と女性側にそれぞれ両手ブレスをしていました。

久しぶりに両手ブレスをみた気がします。



今朝は10時半くらいにアシュラムに行ったのですが、やはりちょうどババが来たときで、
ホールの中に入って正面にババがまわってきてから5分くらい私たちも座ってたのですが、ババがインタビュールームに入ったので、
私たちも出て、ウエスタンに行って朝ごはんを食べました。

食べ終わってアシュラムから出ようと思ってガネーシャゲートにいったらアルティになったので、ホールの外からアルティをみました。
なんだか妙に効率がいいなと思いました。


さっき結構雨が降りました。

今日も主名は4時半くらいにダルシャンに行きました。
今は6時前ですが、私ももうそろそろ行こうと思います。

涼しいです。
【2010/07/28 21:18】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
デリーの動物園とインド門
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デリーの動物園にやってきました。
「キリンだよ、キリン!写真撮ったげるからそこに立ってよ!」と、わたし。
しかし心配性の主名は園内を巡回する車が行ってしまうんじゃないかと思って心配顔をしています。


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園内を巡回する車。
主名は手に持ったおもちゃの鉄砲で動物を撃ちまくっていました。。。
(自分のほうを向かせたかったらしい)


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向こうのほうに、ノミのように写っていますがホワイトタイガーです。


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なにしろ園内は広かったし暑かったので、車で回って正解でした。


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さすがインドの動物園は象が豊富です。
サドゥーも動物園に遊びに?きていました。


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動物園のゲートの前で。
ネパール系?インド人親子ここにあり。。。
これじゃあ、地方からのインド人に名所の説明を求められるのも無理ないです。


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泊まったホテルのあったメインバザール(パハールガンジ)の町並みは道路拡張工事中のため、廃墟のようになっていました。
実際、この写真はまだいいほうです。
建物から1,5メートルくらい道に入ったところに電線が垂れ下がっていますが、ほんとはそこまで建物があったのですが、ずーーーーっと、建物の顔を切り取っていって後ろに下がらせたみたいです。
シャッターとか、新しい、引っ込んだ入り口に付け替えてるからもともとそこが建物の顔だったみたいに見えますけど。
8月の終わりくらいにもなるとだいぶ工事も終ってきれいになってるんじゃないでしょうか。


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インド門のある広場で。
40ルピーだかで、写真を撮ってその場でくれるやつをたのんだのですが、その人に私のデジカメででも撮ってもらいました。

プロ?の腕を感じますか?


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こちらはインド門です。やっぱり補修中。
今回デリーはどこもかしこも工事中の印象でした。
10月に何かあるみたいで、それに向けての準備みたいです。


デリーのあと、1泊2日でシルディ村に行って、写真も結構撮ってきたのですが、
昨日主名がカメラをいじってたら全部消してしまいました。
「ごめんね、ごめんね」と平謝りする主名。

結構ナイスショットもあったしちょっと苦労して撮ったのもあったんですけど~。

というわけで、シルデイの写真はなくなっちゃいました。ざんね~~~ん。

シルディの日記はまた時間がある時に思い出しながら書こうと思います。覚えてるうちに!
【2010/07/28 20:53】 | 写真 | トラックバック(0) | コメント(0) |
グルプールニマのような、グルプールニマ翌日。
昨日はちょっと珍しいことがありました。

朝、バジャンに行って、ホールの後ろのほうに座ってたら、前にいたババがシータラーマのところの扉を開けて男性側と女性側の間の空間に、ホールの外にいた人たちを入らせました。

ん?何が起こってるのかな?と見てたら、その中央の空間に外から人が入ってきて、その中には普段ダルシャンホールに立ち入り禁止になってると聞いた外人もいたので、あ、だれでも入れるんだ!?
と思い、

ホールの中から中央の空間をのぞいて、シータラーマの像の横の扉がまだ開いてるのを確認し、急いでホールの外に出て行って、開いてた扉からその中央の空間に私たちも入りました。

だいたい1年前にも同様のことがあって、
その時私たちはその中央の空間で初めてパダナマスカールをさせてもらえたので、
同じようなことがまた起こってると思ったのでした。

男性たちはその中央の空間に詰めて座らされていましたが、女性たちは女性寄りに前に座ってたババの前に進み出て、坂を上りきったところで折り返した直接ホールの中に導かれました。

「なんだ、またホールの中に入っちゃった」
と思いましたが、

一番左の列、つまり女性側の空間の左端なのでホールのほぼ中央の前のほうに座らされ、ババは女性寄りに座ってたのでほぼ正面にババを見る形になりました。

中央の空間に誰でも入れると気がついた人はその時点ではまだそんなに多くなかったので一人一人がババの前に歩いていくような形になり、ババはその一人一人をすごく凝視していました。

周りみんなが座ってるのに、そんな中を立って、ババのほうに歩いていくのは不思議な感覚でした。

実際、私と主名がババのほうに近づいて行ったときも凝視してたと思いますが、
それに気がついたのは、Uターンして、座らされて、ほかの人たちが一人一人同じようにババの前に歩み寄っていくのを眺めてからでした。

ババは近づいてくる一人一人をすごい凝視していました。

いや~そんなに見られてたとは。というかんじでした。

ババの視線が注がれていたということはもちろん伊達に注いでたんじゃないはずですけど、なんだったんでしょうね。
ホール内に立ち入り禁止になってるらしい外人の念がババを動かして、扉を開けさせたのかもしれないですよね。
だって、ボディーチェックも何もなしでしばらくの間はそこから入り放題でしたから。

それでもそこからわざわざ入ってこようと思った人は限られていたのが不思議と言うか、必然性を感じさせもしました。

しかし嬉しいハプニングでした。

スペイン人の知人なんか、嬉しがって、いっぺん外からホールの中にそうやって入ってきて、またホールの外に出て、もういっぺん入ってきてました。
笑ってしまいました。ババの凝視シャワーを浴びてすっごい嬉しそうでした。

ホールに入って私の前に座らされた若い白人の女性もずっと泣いていました。

同時に音楽プログラムも行われていたのですが、その音楽に乗せて、女性が次々とババの視線を浴びていく様子はなんだかアマチのダルシャンの次々とハグされていく様子を思い起こさせました。

そういえば今ごろアマチは確か日本でしたっけ。

三角のサンドイッチ状の高級目のプラサードが配られ、ババはアルティで普通に帰って行きました。


あと昨日は、占星術鑑定に行って、その後は部屋の電気系統の壊れてたのを修理に来てもらいました。

無事に治ったのでよかったです。



夕方6時半くらいに午後のダルシャンに行きました。

また、シータラーマの横の扉が開放されていましたが、午後は男性だけが中に入らされていたので、主名をそこに入らせて、私は女性側に入りました。

また音楽プログラムが行われていて、座って見てたら少し前の人たちが動いて空間が出来たので前につめました。

そしたら横のインド人のおばさんがどけとかつめろとか言うので、放っておいたら頭にきたみたいで肘鉄を食らわしてきたので、痛くはなかったのですが、あっきれた、と思って、
横に座ってるそのおばさんの顔を30秒くらいずーーーーーーっと朝のババ並みに凝視して見てやったら、
3回くらいちらちら横目でこっちを見て動きが止まったので、
わたしも気が済んでダルシャンに集中しました。

グルプールニマがあったりしてこの日だけに集中して来る人も多いし、満月だし、押さえがききにくくなってるんですよね。


金色の6角柱の箱に入ったプラサードが配られました。
白い花のシールも貼ってあって、特別な感じのプラサードだったので、
なんだか今日がほんとはグルプールニマみたいだな、と思いました。

中身は飴で固めて板状にしたナッツが2枚入っていました。
主名は朝のプラサードと同じのをもらってたので、板状のやつを一枚ずつ分けて食べました。
おいしかったです。


そんな、私たちにとっては実質、グルプールニマそのもののような印象があった、グルプールニマ翌日でした。
【2010/07/27 21:18】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
グルプールニマ(象の尻たたき)
24日の夜の11時にシルディ村からプッタパルティに戻ってきました。

昨日の25日はグルプールニマでした。

1年の中でも重要な行事で、世界やインド各地から帰依者がプッタパルティに押し寄せていました。

その日の朝は久しぶりにババのダルシャンの夢を見ました。

ダルシャンがあるというので、会場の、他の人とはなれた場所でババが来るのを待ちました。
ババはステージの下には降りてきませんでしたが、
ステージの上できらびやかに輝いていました。

そういう夢でした。

続けて別の夢も見ました。

私の親しい人たちや幼なじみが、なにかすこし後ろ暗いようなかんじで、沖縄にみんな行ってしまおうとしてました。
私も一緒に行きたいな~と思ったのですが、ついて行くのをやめたという夢でした。

その後何人かの自己実現の様子が説明されたりしていました。


起きてから、グルプルニマの日にババの夢を見て、よかったな、と思いました。

というのは、ほんとは朝6時くらいにアシュラムに行こうと思って目覚ましをかけていたのですが、
さすがに疲労が抜けきってなくて、(列車が12時間遅れたので駅で列車が来るのを12時間待ったので)
目覚ましを止めてそのまま寝続けて、結局起きたのは8時前とかだったので、
ホールにはもう入れないかなという状況でしたので。

疲れて起きれなくてダルシャンに行くのをやめたときによくババは夢でダルシャンを与えてくれます。

なので、むしろ現実のダルシャンに行かないほうがいいんじゃあ、、、?
と思うこともありますが
(夢のダルシャンの方が素晴らしいことも多いので)

そういうわけにもいかないみたいです。

やっぱり、プッタパルティにいるからにはダルシャンはきちんと行くべきと感じます。


その夢を見た後、アシュラムに行ってサウスで朝食を食べてホールに行ったらプールナチャンドラホールの方に誘導されました。

プールナチャンドラホールでもいいな、と思いました。
前にスクリーンが設置されていてダルシャンの様子が分かるし、ババもサイクルワントホールに行く前にプールナチャンドラホールのほうにも寄って行くかもしれないし。

でも結局、この日の朝はババは来ませんでした。


バジャンの後はあちこちあいさつ回りをしました。


というのは、嬉しがって列車の中やシルディでお土産をたくさん買ったので、配り歩いたのでした。


あいさつ回りの行き先のひとつに主名のタブラーの先生の家もあったのですが、
グルプールニマの日にグルに捧げ物をもって挨拶に来るとはインド文化を実行していてとても嬉しいと、そういうつもりでもなかったのですが、喜ばれました。

主名はそのままついでだから1時間タブラーの練習をさせて、
もう夕方近くて、でもまだ早い時間だったのですがババは早くに来たみたいで音楽プログラムが始まっていたので私だけアシュラムに様子を見に行きました。

しかしあまりの人ごみで、ホールの外のババの姿が見える場所まで進むことすらできなかったのであきらめました。

今朝、夢でダルシャンが与えられたのは、実際には見れないからかな~とか思いつつ。


ネットカフェでパソコンをしてたら練習が終った主名が来たので、もう一度アシュラムに行ってみました。

そしたらさっきよりかは人が少なくなってて、ババが見える場所までいけました。
かろうじて、深紅のローブを着て前に座っているババが見えました。

見てたらこっちに顔を向けてくれたときもあり、あーよかったよかったという感じで、
グルプールニマダルシャンOKとしました。

いっぺん部屋に戻って、シャワーを浴びてさっぱりしてからまたアシュラムに行きましたが、そのときはもうダルシャンは終っていました。


もう一箇所、歌の先生のところにもお土産を持って行きたかったので、アシュラムを後にして先生の自宅に行きました。

郵便局の近くに引っ越して、結構遠いのでオートに乗っていこうと思ったのですが
「ミニマム20ルピー」
などとふざけたことをみんな言うので、頭にきて歩いていきました。

10ルピーの違いで(15ルピーと言う人もいたけどもうイヤになったので聞く耳を持たなかった)こんなに距離を歩くなんて馬鹿だなあと思いつつ。でも、金額じゃないんですよね。意地?
主名も文句をたれまくりでした。


郵便局の近くで、向こうから歩いてきたババのペットの小象とすれ違いました。

小象といってももうだいぶ大きいのですが、すれ違ってから後ろから追いかけて太もも?をたたいてやったら見てた西洋人の男の人が驚いて笑ってました。


無事に歌の先生のうちにもお土産を配って、帰りは歩きつかれたのでオートに乗りましたが普通に10ルピーでした。主名には「ほら見てみろ」と言いました。

夜はウエスタンで食べましたが、りんごパイみたいなのがやけにおいしかったです。
一切れ24ルピーもしてましたけど。

【2010/07/26 21:29】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
デリーへ行こう!
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デリーへ向かう列車の中。外を見る主名。


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流れ行く車窓。
プッタパルティを14日の夜に出て、ニューデリーに16日の昼前に到着の2泊3日の列車の旅でした。


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ニューデリーの駅で降り、サイクルリキシャにのってメインバザール(パハールガンジ)へ。
右の道へ入っていきます。


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半年ぶりのメインバザールは、なんだか広くなったような、、、、
と思ったら、道路が無理やり両端それぞれ1,5メートルくらい拡張されていました。
何でも10月くらいに国際会議かなんかでもデリーで開かれるのか、たくさん人が来るからという話。

2ヶ月前くらいからやってるそうで、ちょっとずつちょっとずつ削り取った「もと」建物が
道の端にあちこち瓦礫の山を作っていました。
まるで廃墟のよう、、、。

ほんと、インド政府ってすごいことしますよね。

前回来たときは違法建築(すごくたくさんある)の、
規定より高く建ててしまったビルの上のほうをスッパリ切り取ってました。


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デリーは広くてきれいですねー。一般人の姿は見えないけど。


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オートリキシャに乗ってビザのインタビューの所から帰る途中。
けっこう緑が多いよねー。


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翌日の午前中。
この日の夜に主名とわたしはデリーの小児科の緊急外来に行くのでした。


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あ~、疲れたね~、、、ってかんじ。


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小児科の夜から一夜明けてまた夜になった。
ピザ食べてます。
夜風対策にショールをまとっているので、ちびっこサドゥーのよう。


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写真はぼけてるくらいがちょうどいいよね。
とまってるゲストハウスのルーフトップレストラン。
風向きによっては異臭がしました。
でも夜風は気持ちいいです。

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ウルトラマンポーズらしい。
なぜ写真がひしゃげたかは不明(笑)ひしゃげてますよね?


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主名が撮影したニューデリー、メインバザールのゲストハウス(ANOOP HOTEL)屋上からの夜景。
【2010/07/21 03:11】 | 写真 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ビザインタビュー再び!
今日の朝起きたら、せっかくだからもういっぺんビザのところに行ってみようかな、という気分になりました。
面倒なのでそういう気分を打ち消してたのですが、もういいわ、と思って、行きました。

今日の午前から激しい雨が降っていて、ああ、そういえば今は雨季だったなと思い出したのですが、
そういうわけで、ほんとは今日は遊具のある公園に行くことにしてたのですが、主名も遊ぶ予定をキャンセルされてもあまり文句をたれませんでした。

昨日はそれなりに気合を入れて、緊張感を持って早めに行ったのですが、
今日は遅く、昼前くらいに行きました。

昨日と同じ、受付をして、別の建物に行き、書類に記入して提出し、自分のインタビューの順番が来るのを待ちました。

昨日と同じ係員と話をしました。

昨日は主名の学校方面から私のエックスビザを取る可能性を探ったのですがだめだったので、

今日はもう、サイババとかスピリチュアリティとか、インド文化とか、霊性修行がどうのとか、
そういう話をかましてやろうと思って行ったのですが、

いざ係員を目の前にすると、そんな話をされたらうっとおしいだろうなとか思ったらそんなところで熱弁を振るう気もうせて、事務的なこととか事実確認とかの質問に終始しました。

でも、今日は遅く、もう終わりかけだったこともあってか係員も昨日より親切な感じで、
なんだかリラックスして話ができました。

結局ビザの種類の変更はできないということを確認しただけに終わったのですが、
今私が持ってるビザにどういう制約があるかとか私自身あまり知らなかったので、直接いろいろ聞けてよかったです。

で、思ったより、というか、全然制約がないビザを自分が持ってることが判明。
ま、ぜんぜんというわけじゃないですが、

たとえばエントリービザだったらインドから出るときには警察かどっかに出国許可の書類をもらいに行かないと行けなかったり、戻ってくるときも住民登録をしてる州の近くの空港に戻らないといけないと聞いたこともあり、
ずっと同じ場所にいるならいいけど、
動くならいろいろ手続きがあるみたいです。
インド国外へも基本的には1年に2ヶ月以上は滞在できないとか。

でも私が持ってるやつはそういう制約がないことが判明。

すっかり明るい気分になり、今日、行ってよかったな~と思いました。

気分が違うと乗るオートリキシャのドライバーの質まで変わってくるから不思議ですよね。

昨日の帰りのオートドライバーは人はよかったけど2人とも要領が悪かったりして困り者でしたが、

今日の帰りは適正価格のみを要求するしぶいまじめなおじさんでした。
なので最初に決めたより10ルピー多く払いました。


列車のチケットは取りに行ったら担当がいなかったのですが、あとで私たちの泊まってるホテルまで届けてくれました。
座席もほぼ希望どうり。
(いつも私たちはサイドアッパーとサイドロウアー(通路沿いの上下)の席を取るのです。他のインド人ともみくちゃになりにくいから)

これでほぼデリーを去る準備ができました。

後は、明日晴れれば朝のうちに遊具のある公園へ行くことですか。


私たちの乗る列車は、明日21日の午後1時くらい発の2716、ASR NED EXPRESS で、コパルガオンじゃなくてMANMAD JN (MMR)に翌日(22日)9時だか10時だかくらいについてそこで降りますが、そこからシルディ村まで車で1時間くらいだそうです。

で、シルディで1泊して、翌夕23日の5時前くらいにコパルガオンから乗って、24日の朝10時くらいにプッタパルティ(SSPN)着です。

これらのチケットはメインバザール(パハールガンジ)の中ほどにあるモスクの道を挟んだ向かいにある
HOTEL HARI PIORKO というホテルに入ってるツアーデスクに頼みました。

列車のチケットを取るのにかんして、ここはメインバザールで一番優秀と思います。
(ただし、私みたいに乗る直前で取るなどすると、割高になるのは仕方ないですが、でも、取れるんだからありがたい)

主名はまた日本人のお姉さんとドラえもんの話題でおしゃべりしてます。

【2010/07/20 22:52】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
Ministry of Home Affairsに行ってきました。
あ~、今日は疲れました。

今日は内務省関係のとこだと思うんですけど、Ministry of Home Affairs というとこに行ってきました。

これが今回のデリーに来た目的でした。


去年、タイでビザを取った後、
「ホームミニスターに会うように」と、ほかの人に言われてて、
自分の中のインスピレーションみたいなやつも、
「2010年の7月にデリーのホームミニスターのところに行くように」
というものだったので、そのつもりではいたのですが、

ホームミニスターって何?って感じでよく知らなくて、

ほかの人に聞いたら内務大臣だということでした。

そんな人のところに単純に行って、会えるのか!?
と思いましたが、

まあいつも、詳細は考えずに行動することがほとんどなのでそのようになんとなく準備してました。

そしたらだんだん情報が入ってきて、
このホームミニスターは次期大統領で、大統領になる訓練期間として今、内務大臣をやってるとか、
テロリストが彼を狙う犯行声明を出したりしてるのでセキュリティがすごく厳重とか。

すごくクリーンな人物で、インドを愛していて、賄賂は一切受け取らないとか。

タミルナドゥ出身なので、時々タミルナドゥにいるとか。

彼なら君のビザを変更できるが、いったい誰が君にホームミニスターに会えと言ったんだ!?
みたいな。

で、私はどこに会いに行けばいいわけ?
デリー?タミルナドゥ?

と、ネット検索しても当然ながらそんな人の現在の居場所や自宅は公表されてるわけもなく。


今私が持ってるビザを、エントリービザに変更するのが私の目的だったのですが、
現状を知るにつれて、その無理っぽさとどこに行けばいいかもわからない不安定さでかなりストレスを感じました。

むりでしょ~、、、てかんじで。


でもネット検索してるうちにMinistry of Home Affairsのサイトに行き当たって、ネットを通して、
担当者によるビザ関係のインタビューの予約ができることを知りました。

この5月の終わりくらいからそういう、ネットで予約するシステムにしたみたいです。


内務大臣に会わずにすんで、すごく気が楽になりました(笑)


で、16日と19日の今日の2日間どっちも予約を入れておきました。

16日は私たちの乗る列車がニューデリーに到着するのが昼くらいなので予約しても無理と思いましたが、
とりあえずやるだけやってみようと思って。

17,18日は役所関係は休みになっちゃうし。

14日にプッタパルティを出発するようにというインスピレーションだったので、
そんな形になりました。

16日はその場所まで行ったけどやっぱり終わってたので、今日の19日にまた出直しました。

受付で順番待ちして受付を済ませ、
別の建物に行って必要書類に書き込んでほかの書類と一緒に提出してからまた待って、

順番が来たので自分の希望とその理由を担当に行ったのですが、そういう変更は認められないということで、あっさり却下って感じでした。

それでも一応粘って何やかんや言ってみたのですが、
自分の中で「あ、そうですか」というあっさりした気持ちもあっていまいち粘りきれず、
粘ってもだめなもんはだめなんじゃないかなという気持ちもあって、
ある程度粘って、切り上げました。

だめならいいです、と思ってしまうやる気のなさ。詰めの甘さ?

背水の陣みたいなせっぱ詰まったものもないし、、、
今もってるビザの期限は11月までと、まだしばらくあるので。

でも、今回は私の今もってるビザもすでにいいビザだし、主名の学校の手紙とかも持参して、自分の中でいけるんじゃないかという気持ちもあったので、
多少脱力というか気は抜けましたよね。

なんか私の人生ってそんなのばっかりみたいな気もしますけど。

やっぱりだめだったか~~~。とかいう。

でも、自分の気持ちとか熱意とかでインドに滞在してる感じでもない気がするので、
そこら辺はどうしても弱いかな。

ほかの人にはどんなにインド文化を愛してるかとか、そんなのやサイババへの思いを語りまくれとか
アドバイスを受けてたのですが、
そんなに気持ちを入れ込まないともらえないビザだったら私には無理なような気がして。

何らかの形でもらえる資格がちゃんとあって、私の思いとかそんなのとは別のところで話がすすんでほしい感じです。

でも、結婚前なんかはそういう熱意でごり押しみたいなのというか、人の気持ちの隙間からしゅっと懐に入るみたいなのは結構得意だったんじゃないかと思うんですが、ここ数年はどうやってあきらめるかということばっかりしてる気がするので、やっぱり無理っぽいです。

でも、ほんと、すべてはいいことのために起こってると思うので、、、たまには日本に帰って湯船につかりたいし(笑)もう1年半帰ってないし。

今回、ビザの変更のための書類を集めるのにアドバイスしてもらった人のところで
「日本に帰りたい~」と言ったら
「あほかっ!」
と言われましたけど(笑)

でも、今回まともに行ってだめでしたけど、
どうにかしたらどうにかなりそうな気もするので、また、どうにかしてみると思います。
弁護士を通してみるとか、
マイナーな国のインド大使館に行って直訴してみるとか。

動くのはそんなに苦じゃないんですけど、陳情するというのは苦痛でストレスですよねなんか。

ここしばらく、カンボジアのインド大使館でエントリービザがけっこう発行されてたそうなのですが、その情報を聞いてプッタパルティからたくさん行ったらしく、
「プッタパルティの人たちにもう来るなといってくれ」と、カナダ経由のイラン人は言われたと言っていました。

別の知人はやはりマイナーな国のインド大使館で断られても断られても毎日通って係員を捕まえて「私はビザをもらうまで帰らない!」と言いつつ8日間泣き続けてついにエントリービザをもらっていました。
私にはできないですよ、そんなこと。熱意ないし。

この彼女には「もらう以外のことは考えるな!」とか言われましたけど。


そもそも何で私がインドにいるかと言うと、ほかの自分に選択肢がないみたいな気がするからいるだけで、
積極的で自主的に思えるかもしれないですけど、「だめだ~」ってかんじで、無力ゆえにここにいるんですよ。


子供の出産のときも自宅で医療関係者なしで夫婦だけで挑んだので(結局最後の30分間にサイババ関係の知り合いのナースのおばちゃんが駆けつけてくれました)
「武勇伝」みたいに言われたこともありましたが、

それも、最初は助産院に行ったんですけど、検査のために紹介された病院に行って、
「だめだ~~~」「私には無理だ、、、」と思って、ああ、、、選択の余地がない、、、と、やむをえず自宅出産になったかんじで、
消極的でした。

だめだめな選択の余地のない人生って感じです。

なので、積極的に私のインドやサイババへの思いを語るとか、無理!
ないですもん。。。


まあ、これで正真正銘わたしのやるべきことはやったので、肩の荷はおりました。
おわったおわった、みたいな。

行ったのは9時半くらいで、終わってその建物を出たのは午後2時ごろでした。


私も主名もあまりおなかがすいてなかったのですが、軽く何かを食べようと思って、オートドライバーにどこか適当に連れて行ってもらったら一人も客が入ってなくて高いとこだったので食べるのはやめました。

朝のうちは主名にはずっと動かずしゃべらず言いつけてたので、鉄道博物館に行こうかと思いましたが月曜は休みで、どこかで遊ばそうと思い、
インド門の近くのチルドレンズパークに行きましたがやっぱり月曜は休みだったので記念写真だけとって
ゲストハウスに戻りました。

戻る途中で半年前に列車のチケットを頼んだところに行ってチケットを頼みました。
やはりここは優秀で、明日のチケットは無理でしたが明後日のニューデリーからシルディ村の近くの駅までのチケットは取れて、その翌日のプッタパルティ(シュリサッティアサイプラシャンティニラヤム)へのチケットも取れると言うことでした。

日本人によく知られた、ニューデリーの他の旅行会社でも取れないチケットをこのツアーデスクでは取れるので、
またあとで紹介します。今は手元になんて名前かとかの紙がないので。

しかし、昨日の動物園とは違った疲れ方ですよね、今日は。
脳が疲れたって感じです。

ニューデリー出発はあさっての午後1時くらいになりそうなので、
明日は主名の念願のチルドレンズパークに行くことになるでしょう。。。

わたしもメインバザールの中ほどにある古本屋で(奥にある古本屋はもう懲りたので行かない)日本語の本を何冊か買ったので、今日と明日はようやく休暇気分が味わえそうです。


主名は今はだれか相手してくれる日本人旅行者がいるらしく、大声でしゃべりまくってる声が聞こえます。
たぶんまた私たちの個人情報をぶちまけまくってるんでしょう。

【2010/07/20 01:44】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
外出の日は出費の日。
今日も主名は文句ばかりでからんできてうるさかったですが、(最近、なんだかすごく主名は不注意です。以前にもまして。がちゃがちゃしてます。そういう年齢!?)

ひまひま言うので、動物園に行きました。

最初、ゲストハウスの人に、動物園までオートでいくらくらいかなー、30ルピーか40ルピーくらいと思うんですけど?と言ったら
「うーん、それくらいかな」
みたいな返事だったんですけど、いざオートドライバーに値段を聞いたら150とかとんでもないことをいうので、あほらしくなって、地下鉄の駅まで歩いていって地下鉄に乗りました。

途中、オートドライバーが追いかけてきたので「50くらいでしょ。近いし。」と言ったら
「冗談を言ってるの?」とか言われたので
あほかっ!ってかんじでした。

でもツーリストだまし価格の相場なんだと思いますが。

主名は地下鉄に乗りたがっていたので「すっごいいい」と好意的な反応。
地下鉄と言っても、宿の近くのラーマクリシュナアシュラムマルガ?なんか忘れましたけど、そういう駅では地下鉄は高架を走ってて、次の駅に行くと地下にもぐるので、
主名のいう「スカイトレイン」と地下鉄とどっちも乗れて満足したかんじでした。

動物園の最寄の駅、名前は忘れましたがそこへは一人10ルピーで、主名と2人で20ルピーでした。
駅も電車もきれいでよかったです。
一人一人、駅に入るときにボディチェックと空港みたいな荷物検査があったので、
日本みたいなラッシュになると、このチェックは大変だろうなーと思いました。

切符も、丸い札で、係員が直接売ってました。

駅を降りてからは419番のバスに乗って動物園前まで行きました。
主名はただでわたしは5ルピーでした。
デリーの人は都会的な親切さがあって、バスに乗るのも心安らぎました。
バス自体も新しいきれいなバスでした。
(別路線にはボロいバスも走ってましたけど)

動物園の周囲にはなんですかね、あれ、昔の砦跡みたいな立派な遺跡?がありました。

今のデリーは気候もよくて、わりと過ごしやすいなーと思っていたのですが、
やっぱり2時とかの一番暑い時間帯はさすがに暑かったです。
日差しはさほどでもなかったのですが、湿度が高いのか?
滝の汗でした。

私たちだけかと思ったらインド人たちもみんなもれなく全員が滝の汗をかいていました。

主名は最初の動物を見る前にもう
「おなかすいたー」「なんかたべたいー」「のどかわいたー」
とか言ってたので、「早すぎるわ!!」とか思いましたが、
体調がいまいちだったのを思い出し、
本人の希望通り、最初っから園内循環バスみたいなやつに乗りました。

でもこれは正解でした。
園内はだだっ広くって、歩いてたら私も園から出れなくなってたかも。

そのバス?は、人気のある動物のところで数分ずつとまって、乗客が動物を見る時間をとってくれたので、
すごい駆け足でしたがちゃんと見た、ってかんじになりました。

最後がホワイトタイガーのところで、私はてっきり園の向こうの端が終点で、そこから折り返して出口に行くにはもう一度巡回バスに乗る必要があるんだと思ったので、
終点の周辺の動物を見て飲み物を飲んだりして休憩した後にまた巡回バスに乗ったのですが、

どうやらすでに出口近くに来てたみたいで、
またまったく同じルートを回りました。

でもまあそれはそれで、1回目と2回目だと隠れてた動物が出てきてたりと楽しめました。


主名が動物を自分のほうに向かそうと、おもちゃの銃でバシバシ動物に向かって撃つのを何度言ってもやめないのには閉口しましたが、

動物園も堪能し、外に出ました。

またバスに乗ろうと思って道路の向こう側に渡り、そこにも立派な遺跡みたいなのがあったので、
「これはいったいなんなんだろうな~?」
と思って立ち止まって眺めてたら、地元の親子と思ったのか、
若いとがった感じのモード系のインド人のお姉ちゃんがその遺跡を指して、
「これはなんていう名前なのか教えてもらえます?」
みたいにとがった感じで英語で聞いてきたので、
「私は知らないです。すみません。」
と言ったら、英語がわからないと思ったのかヒンディーに切り替えてまた聞いてきました。

「わたしはヒンディーわからないです。日本人なんで。」
と言ったらとまどって固まってました。
すみません、紛らわしくて、、、。って感じでした。

「日本?この子は?」
とか主名を指して言うので
「息子です」
とか答えましたが、私に関する情報処理をするのをやめて、他の誰かインド人に聞いてました。

あとで、バス停でまたその彼女と一緒になって、
聞き違えたと思ったのかまたそれとなく確認してきたので
「私たちは日本人で、ここに住んでないんで何も知らないんです」
と言ったら、
「え、でも、その格好、、、」とサリーをさして言うので、
デリーに用事で来てることとか4年くらい南インドにいることとか言ったら
やっと腑に落ちたみたいで、
「だから私はさっき、あなたに聞いちゃったのよね」みたいに笑って、
デリーよりさらに北インドから来たらしいその彼女は打ち解けてさらにいろいろ聞いてきて、
主名にテルグ語をしゃべらそうとしたり、一緒に携帯のカメラで記念撮影をしたりしてました。

今思えばわたしもその、モードなおねえちゃんと記念写真とっとけばよかったかな。
かっこいい服着てました。

デリーの若い人はジーンズとかはいてて、サリー着てない人も多いですもんね。
おばちゃんは結構着てるけど。

サリー着てるのは田舎ものというようなムードすら感じます。

まー、わたしはサリー着用の時はマニプール出身の人というような気分で町を歩いていますけど。
動物園も最初から外国人の10分の1の値段のインド人料金を出してしまったし。(意識的にですけど。笑)

バスで地下鉄の駅に戻ったときには私も主名もゆだってたので、駅に入る前にフレッシュマンゴーミルクシェイクを飲み、すこし段階的にクールダウンしてから地下鉄に乗りました。

こんどはコンノートプレイスだったけ?
ブランドもんの店とかが集まってるような高級な地区の駅で降りて、中華料理をどこかで食べようと思いました。

でもクーラーが聞いた店で食べると、汗だくの服の主名が冷えてまた喘息が出るかと思って、
しょうがないのでアディダスだったか?
そこらへんの、ニセモノじゃない店に入って、着替えのために子供服の上下を買いました。

セールをしてたので3割引でしたが、それでも上下で1000ルピーを越えましたが、
ま、たまにはいいかと思って。

で、めんどうだからオートのドライバーにつれてってもらおうと思って、
オートのドライバーにどこかここらへんにある中華料理のレストランにつれてって。
と言って、つれてってもらいました。

オートを降りて、教えられた店のほうに歩いていきましたが、
消防車が10台くらい止まってて焦げ臭いし、

とにかく教えられた店に行ったらまさにその店から出火して消火作業が終了したところだったらしく、そこらへん一帯が真っ黒焦げになっていました。

うそ~。これじゃあご飯食べれないよ~。

ということで、
しょうがないので「歩き方」を取り出し、そこに載ってた中華料理屋にオートで行きました。
5年前くらいの情報なので、その店、まだあるのかなー?と思いましたがありました。

店に入ったらやっぱり冷房が効いてたので、主名に買ったばかりの服をその場で着せましたが、
ズボンはみんなが食べてるところで着替えさせるのがはばかられたので、
主名に新しいズボンを持たせて2階のトイレで着替えてくるように指示しました。

着替えてきた主名は席について、店内のテレビに魂を奪われて見ていたのですが、
「脱いだズボンはどこ?」
と聞くと、
「あ、忘れてきた」
と言うのでトイレに取りに行かせたら、
ぬれた床で滑って転んだと、新しいはいたばかりのズボンをぐしょぐしょにして帰ってきました。

なんやねんそれー、と思って、しょうがないからまた古いズボンを持たせてはきかえに行かせたら
また
「ぼく、滑ってこけて服がぬれた」
と、今度は上の服を濡らして帰ってきたので、それより汗でぬれた服のほうがまだましだったので
結局上下ともに元の服になりました。

なんか、なんでわざわ高い服を買ったのか、さっぱり意味がわからない、というかんじでした。

ご飯は普通においしくて、よかったです。
べジモモと、ベジトゥクパと、ベジワンタンスープとジャスミンティーの夕食でした。

隣の席で一人でご飯を食べてたインド人のおじさんがしきりにこっちを気にしてたので、
もしかしたら日本に赴任してたかなんかで日本語を理解して、
私らの会話が気になってしょうがなかったのかな~?と思いました。


宿に戻るのに、主名も眠いとか言うし、オートを拾って帰りました。
80とか言われて、高いんですけど、50くらいは?と提案してみても、
ぐるっと回らないといけないからとドライバーが言うし、
一方通行とかそんなのがあるのかも?
と思ってOK、OKと乗ったのですが、

走り出してすぐにニューデリーの駅の前を通りがかって、
私たちの泊まってるゲストハウスはニューデリーの駅前から延びる道沿いにあるので、むちゃくちゃ近いやん!!
と思ったのですが、
ドライバーがどういう道を走るのか見届けました。

7割くらいは回り道でした。

まあ、走ったことない道を見るのは興味深いのでいいんですが、
一応言うこといっとこうと思って、
降りてお金を払ったあとに、
「この道通ったらすっごい近いのに何でこっちから来なかったの!?」
と、ねちっこく3回くらい言ってみましたが
ドライバーはオートを手押しで方向転換させて余計なことは言わず、無言で去っていきました。

ゲストハウスに戻ってから、汗だくのあせが引いてべたべただったのでシャワーを浴びてからまた外に行きました。

帰りの列車の外人用チケットを頼めそうな旅行会社に行くためだったんですが、
今日はもう遅くて担当が帰ってしまっていたので、
じゃあ、自分で明日の朝にタッカルチケットを取るかな?と思い、
ニューデリーの駅に歩いていきました。

でもよく考えたら明日タッカルチケットをとってもその2日後のチケットになるから、
21日出発になるなーと思い、
できたら20日出発がいいので、
やっぱり旅行会社に外人用チケットを頼もうかなーとか考えつつ、
駅で少し発売場所とか聞いたあと、サイクルリキシャで宿まで戻りました。

ちなみに、駅の外人窓口に外人用チケットを直接自分で取りに行くのが普通なのですが、
私たちのビザがツーリストビザじゃないので外人用窓口では扱ってもらえないのです。

でも、旅行会社を通したらビザの種類まで確認されないみたいなので、取れるみたいなのです。
半年前はそうやって外人用のチケットを取ってプッタに戻りました。

じゃないと、列車のチケット(指定席)はこんなに直前にはまず取れないのです。

タッカルチケットというのは乗車日の2日前の朝8時に発売されるチケットで、割高で払い戻しの制限があったりするやつなのですが、
窓口に並べば確実に席が取れるので、私はよくこのチケットを利用しています。

旅行会社でもタッカルチケットを発売時間の8時に取ってくれるところも時々あるのですが、
ニューデリーで信用できそうなところで取ってくれそうなところは見つけられてないです。

でも、ネットでも取れるので、
わたしはインドの口座でVISA(デビットカード?)つきのカードもあるし、自分でも窓口に並ばなくてもネットで簡単に取れるんだろうと思いますが、
今回そこまで考えてなかったので、そのカードの口座には今、口座維持費がかからない限界の1000ルピーくらいしか入ってないし、

やっぱ、あした、旅行会社で外人用のチケットを頼んでみます。

もし、戻るのが遅くてシルディ村に寄れなさそうだったらそれならそれでいいし。


そういえば、今日、宿に戻ってシャワーを浴びて、あとで主名が浴びてたのですが
「うーん、うーん」とか言う声が聞こえた気がしたのでバスルームのドアを開けて覗いたら、
主名がシャワーの蛇口を何度もたたいていました。

シャワーが止められないのかと思ったら、
蛇口に頭をぶつけたので腹いせに蛇口を叩いていたようです。

ばかかな?と思って、
「あほ?」
と聞いてみたら主名は怒ってバスルームのドアをばたんと閉めました。
【2010/07/19 03:54】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
デリーの小児科の病院の緊急外来に行きました。
昨日の夜、泊まってるゲストハウスのパソコンでメールチェックなどをして、その間主名はゲストハウスの前で白い石を拾ったりして遊んでいました。

12時くらいに、ああもう限界。寝よう。という感じで寝ようと思って(主名は昼寝してたので元気だった)、インターネット代を払ったりして、ゲストハウスの人としゃべってるうちに、

主名が喘息の発作が出てて、今回薬を持参してなくて、一応アーユルヴェーダの薬をそこらへんの薬局で買って飲ませてみたけど、明日病院に連れて行ってみようかと思う、とか話しました。

そしたらゲストハウスの人が、ドクターに電話したらここに来てくれるよ。明日の9時くらいでいい?
とかいうので、じゃあ、それくらいに、とかいう話をなごやかにしたのですが、

その場でとりあえずドクターに電話してくれて、
受話器を渡されたので状況を説明しました。

そしたドクターはまず、「心配しないで」と言ってくれたので、心配してなかったのですが安心しました。



で、なりゆきで、ドクターのすすめで、近くの24時間緊急外来が開いてる小児科の病院に行くことになりました

主名は遊んでるくらいなんで、明日でもいいんだけど、、、ドクターは30分くらいで終わるといってるし、
主名も息苦しさがないほうがよく眠れるだろうからと思い、ゲストハウスが呼んでくれたタクシーに乗って行きました。


診療所とか小さい病院かと思ったら大きな病院で、救急車も何台か停まっていました。

病院の中にも外にも待ってる人なのか?ごろごろみんな地面や床に寝てて、
タクシーのドライバーと別れて緊急外来の部屋に入ったものの、どこに行ったらいいんだ?
てかんじで、少しの間ようすを見てて、施術室の中に入ってみたらだれかに受付をしてくるように言われたので、

その部屋から結構離れた外の場所にある窓口で受付の紙を書いてもらいました。

それを持って施術室に行ったら、今度はカルテを作ってくるように言われたのでまた外の窓口に行ったんだっけ?とにかく2往復しました。


その紙を持ってまた施術室に入って、警備員みたいなおじさんが主名の体重を体重計で量ろうとして失敗したので適当に体重の書かれた?その紙を持って当直の若い男のドクターに見せて、状況説明をしました。

飲ませたアーユルヴェーダの薬を見せたり、いつからか、とか聞かれたので1歳くらいからとかいうと、疲労したドクターにいらっとされました(笑)

だって、症状が出始めた年齢を聞かれることもあるんで。

ああ、今回のことですね、2日前からです、と、すぐに言い直しましたけど。


で、処方箋を書いてもらったので、それにしたがって看護婦さんが薬の吸入を始めました。

といっても、はいっと機械を渡されて、私が主名の口元で吸入させるんですけど、
15分くらいかけて吸入させて、終わったら自分で機械のバルブを閉めて外で20分待って、20分たったらまた看護婦さんに薬を用意してもらって吸入させるということを3回繰り返しました。

30分で帰れるかと思って来たんですけど、結局終わったのは夜中の3時でした。


しかし、緊急外来の施術室はつぎつぎと子供が運び込まれてきて、わたしたちは主名をベッドの上に座らせて私が吸入の機械を主名の口元で支えるだけだったので、ヒマだし、部屋のようすをあれこれ見ていました。
主名なんかくいいるように見てました。


事故かなんかでショック症状みたいになってるらしい10歳くらいの女の子とか、風邪の男の子とか、むちゃくちゃちっちゃい赤ちゃんとか、みんなそれぞれ大変な様子でした。

赤ちゃんが連れてこられてるのがやっぱり多かったです。

施術は痛かったり怖かったりするものもあって、赤ちゃんとかマミーマミーとかいってこの世の終わりみたいに泣いたりおしっこをもらしたり、いろいろ大人への施術とは違った凄惨さがありました。


正直、変な病気がこっちに移らなければいいけどと思わずにいられませんでしたが、

というのは、汚物の処理も一応ゴミ箱の分類はされてましたけど、日本の感覚からしたら投げちらかしって感じだったし、主名を座らせてるベッドにも血か何かよくわからない赤黒いのがこびりついてたり、ベッドの上に使用済みの注射針みたいなもの?が転がってて、主名が
「なにこれ?」
とかいってつまみあげるので、
「ぎゃーっ、触るなっ!」
とおののきました。

ま、大丈夫みたいです。

病院のスタッフの人たちもぶっきらぼうでしたが、悪い感じではなかったし、怖くはなかったです。
(時々、サイババの病院の看護婦さんとか、すごい怖くて泣いた。私が。)

私はサリーを着てたので
看護婦さんに最後のほうで
「マニプールから?」
とか言われました。

マニプールという場所は中国に近いので、中国人や日本人と同じような顔立ちのインド人が多いのです。

吸入の合間に病院の外で20分間待ってるときに、インド人の若い母親が来て、ヒンディーでなにやら話しかけてきました。
「ヒンディーわからないんで」
とか言ったのですが、
とにかくしゃべりたかったみたいで、
自分の子供はこんなんになんてこんなんになって、こんなんになっちゃったんだよ、、、。
みたいなことをショックで呆然としたような表情で、身振り手振りでかまわず話してきました。

ヒンディーは全然わからなかったけど、うんとかああとかおおとか答えときました。

その奥さんが主名はどうしたんだというので、私も身振りで、喘息で息が苦しくて、みたいなことを伝えたら、病院の中に入ってドクターに診せろといわれたので、
吸入が終わって、20分外で待たなければいけないことを言いました。(どこまで通じてたかは謎ですが)

で、そうしてるうちに20分たったので、その奥さんにそう言って病院に入ったら奥さんもついて一緒に入りました。

見ると、一番重症っぽい状態の子供のところにその奥さんは行きました。
ちょっと外に出て気分転換したかったのでしょうか。

私たちは何かあったときだけ病院に行けばいいですが、病院のスタッフは仕事とはいえ、毎日大変ですよね。

吸入が全部終わり、飲み薬の説明をドクターに受けて終わったのですが、
薬、どこでもらえばいいんだろう?
と思い、看護婦さんに聞いたら、
「どこでも外の薬局で買え」
みたいな事で、
それって、明日になってからってこと?
と聞いたらそうだというので、

そうか、と思い、
「ありがとうございました」
と言って去ろうとしました。

が、支払いは?
と思って、
「支払いなし?」
と看護婦さんに聞いたら
「支払いなし」
と看護婦さんは答え、
それまでぶっきらぼうだった彼女は最後にそこで初めてにやりと微笑み、
わたしもそうか、と思って微笑んで、改めてお礼を言って去りました。



ゲストハウスに電話してタクシーを回してもらい、来たタクシーに乗って宿に戻り、
往復で400ルピー払いました。

昼間ならオートで片道せいぜい20ルピーくらいの距離ですが、
夜中に病院にいって、予想外に時間がかかって私も主名も眠かったけど、よかったなと思いました。

昼間だったらもっと込み合ってて疲れきってたかもしれないと思うので。

主名もその後よく眠れたし。

朝になって、というか、昼近くに起きましたけど、

ゲストハウスのルーフトップレストランでご飯を食べて、
外の薬局で病院で処方された薬を買ってきたのでそれを飲ませたら、

さすが西洋医学の薬。
即効いて、症状も治まり、ひとしきり暴れまわってはしゃいだ後、今も主名は食後に熟睡しています。



今、隣のスイス人女性がインド人にデリーはどうだった?聞かれ
「う~ん、わたしの場所ではないわね、汚いし、うるさいし、混雑してるし」
みたいにすごく正直に答えていました(笑)

ここにきて、自分がどういう場所が好きかわかった、とか。

スイスはいいとこなんでしょうねー。
いや、皮肉じゃなく。


前回半年前にデリーに来たときにも、日本食レストランで日本人旅行者がインド人の旅行会社の人に

「デリーは泊まりたくなかった(けど、日程の関係で泊まらざるを得なかったのでしょうがないから泊まった)」
と、本気でいやそうに言ってて、
デリー在住のインド人は

「そんなこと言わないでよ~」
と笑ってて、聞いてた私も思わず笑いましたが、

どこでも住んでる人はいるから、
デリー、たしかに、主名も昨日の時点ですでにプッタパルティに帰りたいとか言ってましたが、
(車が多すぎて空気がわるいとかもっともなことを言っていた)

住んでみてわかるよさというのもあるでしょうね。

プッタパルティの、昔デリーに住んでたインド人のおばちゃんも、

デリーは物が何でも集まってきてなんでも安いし好きだと言っていました。

私も半年前に来たときはデリー、いやだなー、みんなだまそうとするし。と思ったりもしたのですが、今回はなんだか落ち着く感じすらあります。
前回と同じゲストハウスに泊まってるということもあるかもしれないですが。

ちなみに今泊まってるところはメインバザールの奥のほうのアヌープゲストハウスです。(ANOOPもしくはANOUP)
【2010/07/17 22:21】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
デリー到着
デリーに今日の昼ごろつきました。出たのは14日の夜で、ついたのは16日の昼前でした。

着いてすぐに用事で動き回ったので、さすがに疲れましたよねー。

用事が終わって2時すぎに昼ごはんを食べようとしたら、疲れてあまり食べれなかったので自分でもびっくりしました。

明日とあさっては何も用事がないのでのんびりしようと思います。



ほんとは暇だし、土日はマトゥラー(ブリンダバン)に1泊2日で足を伸ばそうかと思ったりもしたのですが、列車の中から主名が咳き込みだして、吐くわ下痢るわでにぎやかで、、、今は平気は平気で、晩ご飯も外でしっかり食べてきたのですが、喘息も少しでてるので、この土日はおとなしく養生させようと思います。

(本人は元気だから地下鉄に乗りたいとか言ってるけど、地下鉄はクーラー効いてるって話だし、喘息っ子はやめたほうが無難でしょう。。。あとマクドナルドも、行きたがってるけどやめといたほうがいいでしょ。。。)

くる途中、コパルガオンという、シルディ村の最寄の駅が2日目の午後2時くらいにあったので、
「ああ、ここかー」
と思いました。

コパルガオンからリキシャで30分くらいだそうです。

駅はきれいでいい感じでした。

帰りに、寄れたら寄ってこようと思います。



しっかし、子連れの旅行も楽になったものだなあと思いましたが、まだそうはいかなかったって感じですか。

まあ、あかんぼに比べると子供そのものを持ち運ばなくていいというのと、母乳を出さなくていいというのがあるから楽は楽ですけど。

母乳は母乳になる直前まで血液だそうですから、(なんかのところを通るとさーっと白くなって母乳になるとか本で読みました)
母乳育児中のお母さんはずっと出血中っていうのとおなじくらい体はへとへとなんだろうと思います。


元気なときは興奮してはしゃぎまくって列車の中を上ったり降りたり上ったり降りたり(3段ベッドの寝台車なので子供らにはアスレチック状態)時々ほかの人の頭をけってしまったり。

具合が悪くなったらおとなしくなるけど下痢ったりもどしたり、で、また元気になってくるとあれかっていい?これかっていい?とか質問の雨あられ。

そんな主名の様子に、思わず吐き気を催して列車酔いしそうになりました。



列車の中では知り合いのインド人の奥さんが隣の席だったので「アイムベリーハッピー!」と喜んでました(笑)
デリーまでずっと一緒でした。

しかし、知り合いがたまたま隣に来るのは初めてでした。

これも天の導きか!?
いろいろあったのですが、ブログでは割愛します。



そういえば、列車の中からたくさん野生の孔雀が見えました。
気をつけてみてると、たくさんいるもんなんですね。

走ってたり、群れでいたり、ちょっと高いところにとまってたり。

私は見ませんでしたが、主名は羽を広げてるのも見たそうです。

主名は見てないと思いますが、わたしはツルの仲間だと思いますが、
大きい、顔の辺りが赤い鳥の群れも見ました。


しかし、ニューデリーの駅について、メインバザール(安宿街)に行く出口はどっちだったかなー?と、しばらくたたずんだのですが、主名がどっちだったか覚えてました。
子供は見てるものは覚えてるもんですね。

で、駅から出るまで一度もホテルの客引きに呼び止められなかったのは、それでいいのか?と思わず自分に問いかけそうになりました。
(デリーの客引きはわりと強引なので、声をかけられないと楽なんですが、よっぽど所帯じみた?ムードだったんだろうなー、と。)


半年前に止まったのと同じホテルに来ました。
広めの部屋はまあまあだったので、まあまあでいいやと思って。
探すのも面倒だし、着いてすぐに動きたかったので。

でも、半年前は600ルピーをねぎって450ルピーになったんだったと思いますが、
同じ部屋が700スタートで600ルピー以下にはなりませんでした。

まあ、デリーの物価の急上昇振りは聞いてるのでそういうこともあるだろうとは思いますが、

ん?今はバックパッカーのシーズン(そんなものがあるなら)なのでしょうか?

隣の部屋の2人連れの西洋人女性の旅行者が
「暑いわね~~~!でも、私たちインドに来たのよね!そうよね!?」
みたいな会話をしているのが漏れ聞こえてきました。



でも、ホテルについてすぐに受付のところで受付と宿泊客がもめてました。

若い(10代の?)西洋系のバックパッカー数人で、見てて、対応するホテル側の人もうんざりしてる感じで大変だなーと思いました。

とりあえず気持ちで負けないようにみんな怒ってみせる人が多いですもんね?


そういう私も、部屋に入ってすぐに一風呂浴びてさっぱりして、
出かける準備をしてたら主名が部屋のドアの外側についてたらしいドア止めを折ったみたいで、

従業員が「これはすごく新しいやつなんだぞ!」みたいに怒ってきたので

「新しいなら何でそんなに弱いんだ。そんなのこっちの問題じゃなくてそっちの問題だ」
みたいに反射的に怒ってみせてしまいました。

(結局、もう一人の従業員が間に入ってうやむやになりました。一応軽く「ソーリーッ」と言っておきました。)



町を歩いていると「サイラム」と呼びかけられてる気がするんですけど、空耳でしょ(笑)




メインバザールの通りは、道路を拡張するみたいで、道路の両サイドの店先がず~~~~~っと切り取られています。

しかしインド政府はやることがすごいねって感じです。



そういえば、今回乗ったのはカルナータカエクスプレスだったのですが、やっぱり何人かのおかまが場所代(?)を徴収して回っていました。
何でか、男からだけお金を取るんですよね。
そして男性たちはみんなその間、うつむいて、すごい静かになるんです。

【2010/07/17 01:58】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(2) |
今日はあちこち行ったりきたりしていました。

やっぱり出発前は、色んなことがうわーっと押し寄せますね~。

明日(14日)の夜から出発です。

片道2泊3日列車の旅です。

列車に乗ってしまえば特にすることもないから、追われなくていいかんじなんですよね。
なので、インドでの列車の旅は結構好きです。特に長距離。

1泊2日の乗車時間だったら短く感じるから、慣れってすごいですよね。


日本だったら大阪から横浜まで新幹線で3時間くらいで行くのも遠いなーってかんじですけど。
(ま、じっさい、新幹線は早いので、移動距離は大きいですけど)


いつものごとく、りんごとか買いこんで、ナイフ持参で列車に乗り込もうかと思います。
ご飯は売りに来るけど、新鮮な野菜とか果物とかはあまり売りに来ないんで。

列車の中で売りに来たものを買い食いしやすいように、昨日今日と細かいお金をためてます。


主名は昨日のうちにもう荷物を作って「早く用意しろよ」とか言ってくるんですけど、
たぶん余計なものばかりかばんに入ってると思うので、明日チェックして減らさせようと思います。


旅行は出るまでがめんどくさいけど、出てしまえばいつまでも旅行していられるような気分になって、どこかに戻るのを忘れそうになります。


今日の午後もロシア系の人たちがなんかやってました。
ババは今日もその人たちにバジャンを歌うようにリクエストしていました。

なんか、はぐくんでるな~、ババ。ってかんじがしました。

やっぱり今日もすごく初々しい感じがしました。ロシア系グループが。

日本人も、1995年あたりはみんな純粋で、初々しかったんですよね、たぶん(笑)


今も、初めてインドやババのとこに来る人からはそういうフレッシュさを感じます。


私はとんと、そういうことがなくなったかんじ?


今日もある学校に行ったんですけど、校長が私のパスポートのコピーの写真を見て、
「すごく若いときのだね」
とかいったんですけど、それはほんの6年前。

あ~、この6年で私にいったい何が起こったんだ!?笑。



そういえば、インド人て、すごく老けやすかったっけ、、、、、。


日本人て、きっと世界でも有数の若く見える人々の国ですもんね!


最近、同じくらいの年齢かと思ってた人がわたしより10歳以上上だったんで驚きました。

でも最近そんなのばっかりですよー。

ほんと。



こまりますよね~(?)



ああでもそういえば、
18歳のときに27歳くらいにみられたこともあったっけ?
今に始まったことじゃなかったか。


そういえば、明日からしばらく、アシュラムでビシュヌ系のヤグニャかなんかが開催されるみたいですよね。

いっつもこの時期になにか何日間かのプージャが行われますよね。

プージャ好きとしては参加したかったような気もありますけど、

ま、みんなが私の旅の祈願をしてくれてる、ということにしとこう。



夕方にはスコールかなあれは?、が、ありました。
雨が降るとほんと過ごしやすいです。涼しい。
【2010/07/14 05:42】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ちらりと見るババのありがたさよー。
14日から10日間くらい留守にしようかと思ってて、気持ちだけ多少ばたばたしています。
(実際は気持ちだけ急いて、あんまり動いてない)

なので、外からチラッとだけババを見るときも何度かあって、少しだけ見るババのありがたさよ、ってかんじです。ダルシャンて、ほんとにババが自分を与える場、という感じがします。


昨日はUSAのグループが劇をしていました。
わたしたちは遅くに行ったので見てないですが、評判良かったみたいです。
ラドゥーのプラサードが配られました。

今日の午後は今度はロシア語圏の国々によるプログラムでした。
12カ国ぐらいが一緒にやってたのでしょうか。

ソ連がばらばらになってたくさん国が出来ましたけど、
それらの国がまたプッタパルティで集って一緒にプログラムをするというのは素晴らしいなと思いました。

USAグループはインド系アメリカ人が多かったですが、ロシア語圏の人たちはモンゴロイド系の顔立ちの人も多いですが、多くが白人系で、そしてそういうグループの雰囲気がなんだか少し昔懐かしい感じ(レトロな感じ)なので逆に新鮮でした。

ホールの柱にもマトリョーシカみたいなイラストの人型が貼ってあったり。

今日もゆっくり行ったので、最初のほうに何をやったのかは知りませんが、
行ったときにはロシア人がバジャンを歌ってました。

大体が初々しい感じでした。

中にはプロの歌手かもしれないけど、すごくいい声で上手な人もいました。

ババは一曲終るたびに続けるようにリクエストして、そのたびに笑いが起こっていました。



プラサードは出演者とかまえの方の人だけに配られていました。

最近はホールの中の人たちの行儀がいいというか、心なしかましなんですけど、
今いるケララ州の人たちによるセバダルが優秀なのかもしれません。


最近ババは朝も来るのも帰るのも遅いです。
でも毎朝来てるんで、調子がいいんでしょうね。

毎日結構涼しいし。

いつの間にか7月も半ば。
あ~、もうすぐ夏休みなんだなー。


小旅行前に、さっき、3か月分の家賃を払っておきました。
しかし物静かなオーナーです。インド人がみんなあんなんだったらインドも静寂な国になるだろうなー。
【2010/07/13 01:09】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
スーフィー風ダンス、プムッ♪
ここ数日、毎月の浄化の時期、ということであまり活動してませんでした。

今日も夕方5時まで主名に足を踏ませながら寝てました。


ほんとは今日も毎月2回あるトラヨダシの日のシバリンガムプージャだったのですが、今日はパス。

でも、用事で外出して、ついでにちょっとだけアシュラムを覗こう、、、と思ったら
ちょうどババが来たので、主名は男性側に入らせて(その方が見えやすいから)
私は男性側の外からババのダルシャンを受けました。

昨日も丸一日ダルシャンなしだったこともあり、

ホールの外からのダルシャンでもありがたみ満点で落涙。

なんか、やっぱババのダルシャンて、時々有無を言わさない感じでぐっときますよね。


さっさと部屋に帰って休もうと思ってたのですが、その勢いで、ついつい主名と女性側に入って最後までいてしまいました。

ババはしばらく座ってヴェーダチャンティングを聞いていました。
またぐっときて、2度目の落涙。
年かな。。。

今日は、なんかモスリムの衣装をつけた人たちが劇をしていました。

ヒンズー語だったので内容はさっぱり分からなかったですが、
ムスリムの衣装ってかっこいいなーと思いながらみてました。


最近ほんの少しヒンディーが分かってきてる主名に
「なんていってるか分かる?」
と聞いてみたら、しばらく聞いた後、

「OOOOOって、助けて~って意味。」
とか言ったので、
わかってるんや~?と思いました。



なんでも、ヒンディー版ドラえもんで、
ジャイアンになぐられたのび太がいつもドラえもんのところに行ってこの言葉を言うそうです。



劇の最後に、出演者たちみんなが手を斜め上と斜め下に出してくるくると回って踊っていました。

なんか、スーフィーみたいだなー、と思ったらまたぐっときて3度目の落涙。


ババは今日は力強く右と左に両手ブレスをしていました。



ダルシャンの後はサウスで食べてさっさと部屋に帰ろうと思っていたのですが、
主名が友達を見つけたので、
ついつい一緒にウエスタンで夕食を食べ、結局部屋に戻ったのはいつもどおり9時ごろでした。



どうでもいいことなんですが、
ネットカフェでパソコンの画面を覗き込んでいた主名が右下の
「12:35PM」とかいう表示をみて、
「PM」ってどういう意味?
「12時35、、、、プムッ♪(上がり調子に)ってこと?」
とかいうので、ネットカフェで爆笑してしまいました。

【2010/07/10 03:35】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
朝ダルシャン、夕方の雨。
昨日も今日も、7時くらいに目が覚めたので、朝のダルシャンに行きました。


昨日はトークンにいくつもりなかったのですが間に合って、今日はいくつもりだったけど間に合いませんでした。

今朝は朝からババは両手ブレスしていました。

来たのはけっこう早くて、8時過ぎでした。


朝はさわやかでいいですけど、トークンとか行くと、他の人とけっこうつめつめで座ることになるので、
なんだか皮膚感覚に集中してしまいます。


むしろ、後ろのほうでゆったり座ってるほうが、集中できるようなきもしますが、


目が覚めたということは行けということか、と思って、昨日今日と7時半くらいに行きました。


近くで朝に見るババはなんだか存在感もくっきりして見えました。




最近いつも夕方にざーざー雨が降るので、

朝にダルシャンに行ったら、一日のダルシャン量、十分、という気分になって外出が億劫になりますが、
まあ、これからまた夕方のダルシャンに行ってこようと思います。

もう、雨も小ぶりになったと思います。


USAのグループ、2つに分かれてきてるそうですが、ビッググループですね。

千何百人とかって聞きましたけど。
【2010/07/06 21:54】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サルの遊び場
今日の午後は6時半過ぎにアシュラムに行きました。


テルグ語圏の人々のグループによる、ちょうしっぱずれなバジャンが聞こえてきました。

曲が終わるごとにふた呼吸くらいあいて、ホールの人々の拍手が起こっていました。
拍手、、、していいのかな、、、?みたいな。

でも、ババはこういう人々が大好きみたいで、いつもご機嫌な風に見えます。

もしかしたら今日ババがいきなりバジャンを歌うように彼らにリクエストしたのかも。
たまにそういうときがあったので。

ダンスとかもやったんでしょうね?

きれいに着飾った女の子たちも中央にいました。

バジャンの後、ババは下に降りて、みんなと記念写真を撮ったりしていました。

いったん壇上に上がったのですが、ババはまた降りてきてました。


いろんなスパイスがふんだんに入った団子状のプラサードが配られました。

おいしかったんですけど、甘くて、主名と二人で一個の半分だけ食べました。


今日はババはアルティの後、すーーーっと帰って行きました。


終わったのは7時過ぎくらいでしたが、

今日は朝も昼もウエスタンだったし、甘いのを食べた後は辛いのが食べたくなった私と主名は、
珍しく意見が一致して、夕食はサウスで食べました。

ゴープラムゲートのゴープラム(仏塔?と言うんでしょうか)も、ペンキの塗り直しがされていて、
塔の周りに足場が組まれているので、サルたちが喜んで、足場の上で自由自在に戯れています。

日中の日差しは暑いものの、全体的にずっと涼しくて過ごしやすいです。
【2010/07/05 00:09】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
雑記的写真
ごはん1

サイスーリャレストランでオニオンドーサと主名。
パリパリのドーサが香ばしく、半生の玉ねぎとの相性抜群です。


ごはん2

私が注文したプーリー。ふわふわ。中は空気。
チャツネやカレーと一緒に食べます。


ペンキ

ペンキ塗り。命綱なんてものはインドには存在しないのかも。


サマディーロードより

アパートに帰る途中に振り返るとそこにもババ。サイババ王国プッタパルティ。
バスステーションには「早く出発し、注意深く運転し、安全に到着しなさい」とババが諭す?大きな看板があったりします。


卓上ババ

アパートの散らかった卓上。
サイババ度高し!と、思わず撮った一枚。
【2010/07/04 20:20】 | 写真 | トラックバック(0) | コメント(0) |
コブラ?
今朝は空港で、荷物を置いて離れてくださいといわれた夢を見ました。

私のだけじゃなく、たくさんの荷物がそこに並べておかれてチェックされていました。

そのうちチェックされた荷物のうち3つが爆発しましたが、みんな離れていたので被害はなさそうでした。

それからどうしたんだっけ、、、?

その後は、実家に帰ったけど、母が中国に行ってて留守だった、という夢でした。


その後、半円形ですり鉢状のホールの、一番低いところにあるステージにババと、ほかの若い人たちが座ってて、私もそこに行って仲間に加わろうかな?と思ったけど、
とりあえず様子見で、
座席の中央一列目に座った、という夢でした。


最近いろんなことに追われる日々で、今日は日曜日だし(ですよね?)
ちょっとゆっくりしようと思って、朝食をウエスタンで食べて、そのあとは芝生で過ごしていました。


そしたら建物のかげからねずみが走って出てきて止まりました。

一緒にいた人と「あ~~ねずみだ~~~~!」
とかいって、またしゃべってたのですが、しばらくしたら蛇が出てきてて、影に入っていくところでした。


コブラかな???
ラッキーかも?とか思いつつまたしゃべってたら、
その蛇が折り返し出てきて別の穴に入っていきました。

蛇はしばらく穴から首を出して外を見ていました。


さっき走り出してきたねずみを見ると、なぜか死んでて、すでにアリがたかっていました。

さっき元気だったのに。なぞでした。

どこか見えないところで蛇にちょびっとかまれたりしてたのでしょうか?


しかしあれはコブラかな~?
一目見ただけでは私にはわかりませんが、首の下に模様がありそうだったのでもしかしたらコブラかも?


コブラ?


その後はまたウエスタンで昼食を食べ、今来てる日本人が神様系の本を数冊くれたので、
また芝生に行って、薄いやつを一冊読みました。


今朝はババは来たみたいです。
9時10分くらいにアルティになって早くに帰ったみたいです。
【2010/07/04 18:41】 | 動物 | トラックバック(0) | コメント(0) |
いろんな乞食、負荷という形の恩寵。
今朝はアガスティアの葉のカルマの解消、わたしともう一人の、身障者(出来れば身体障害児)へのご飯配りをしました。

先週はご飯を頼んでるレストランの作る人に欠員があって、35食しか用意できなかったので、今日は65食でした。

なので、いつもは行かない願望成就の木のところにも行きました。

ここには意外に物乞いの人たちがたくさんいて、いっきに10数食配れました。


さすがに今週で4回目なので、定位置にいる物乞いの人はだんだん把握できて来ました。

プッタパルティには何人くらいいるんでしょう?100人くらいは軽くいそうです。



しかし、乞食にもいろんなタイプがいますよね。

全盲の人、足とか手とかのない人、あってもうまく機能してない人、何年もずっと生傷を負って怪我してる人、怪我の後遺症の人、頭がイカレテル人、老若男女元気いっぱいの乞食、底抜けに明るく挨拶してくる重度の身体障害を持つ乞食(乞食の世界ではエリート!?)赤ちゃん連れの母親タイプ、静かにただ座ってる人、
いつまでもついてくる人、修行者風、パリッとしてババから支給されたっぽい車椅子を乗り回してぶいぶいいわしてる?紳士(でも、ご飯ちょうだいとかいう)、触ってきたりつかんでくる人(これはイヤ)などなど。

乞食より、細々と商売してる人のほうが大変そうに思えるときがよくあるのですが、
乞食の世界も奥が深いというか、、、

どの世界もそれぞれ、その世界なりのいいことや大変なことがあるんでしょうね。



そのあと、私と主名もサイスーリャレストランで朝昼兼用のご飯を食べました。
(配ったご飯もサイスーリャのご飯)


2時からは音楽教室に行きました。

主名は自分の番が終ると友達の家に遊びに行き、
わたしはプラサードのバナナをもらって部屋に帰りました。


日本から持ってきてもらった本はすぐに読んでしまったので、こんど送ってもらったりするとしたらどんなのがいいかな~~~と思ってアマゾンで見てたらあっというまに時間が過ぎました。


夕方はハヌマーンテンプルで土星のプージャでした。


今日は風が強くて、オイルランプに火をともすのが難しかったです。


その後、来てた日本人の人たちと一緒にラッシーやさんでラッシーを飲んでからダルシャンに行きました。


今日は、テルグ語圏のグループが出し物をしていました。
アシュラムの中も色々飾りつけがされていて、夏祭りのようです。


ラドゥーのプラサードが配られました。


ババは正面に一回両手ブレスをしていました。



最近プージャばかりに参加してて、自分のや、そうでないのもあるのですが、いろいろな人に接することも多く、
人と接するということは気持ちと接するということで、
自分の中にある種の負荷が常にかかってるような感じもします。

ダルシャンにのみ集中、という状況ではなく、いろいろなブレをあえて与えられている感じもあり、
そのせいと思いますが、気持ち的にババにすごく向かいやすくなってるようなきもします。


大変だったのは独身の頃のほうが自分の精神的にはものすごく大変だったのですが、それは他人との関係性の中でのゆらぎ、というのではなく、完全に自分自身との戦いでした。世界のことは全く見ていませんでした。

そんなでしたから、日本では日本の世界から常に離脱しているような心理状態で、
必然的にババのことをいつも考えていましたが、
インドに来てババの姿を見るとすぐにバランスが取れて満足して、どこか別の場所に行きたくなったものでした。(実際、1週間くらいでプッタパルティ滞在を切り上げて他の場所に行ったりもしてました。)


今はあちこち子連れで行くのが面倒ということもありますが、ずっとプッタパルティに滞在して、ここでのさまざまな移り変わりを眺めたり体験したりする面白さは感じます。

そして、ここにいて、世界と関わっていく上でのいろんな負荷?が常にあるような感じなので、ババのダルシャンのありがたみも感じます。


自然と祈りたくなる心境になることもしばしばで、そういう時は自然と深く気持ちが入っていきます。


負荷のようなものを含め、あらゆるものがいいことのためにのみ与えられているんだろうなという感じはします。



【2010/07/04 03:34】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
主名の願望成就の日
今朝は、「バジャン終わったかな~?終わってたらどっかで朝食にプーリーでも買って部屋に帰ろう」と思い、
アシュラムにいったら、
アルティは終っていましたが、ババはインタビュー中でした。

なので、バジャンホールの裏からババが家に帰るのを見送ろうと思って待ってみましたが、けっこう待ちました。

ババが家に帰ったのは11時を過ぎていました。

しかしほんと、最近は朝のダルシャンがよくありますね。
涼しいからババも調子がいいのでしょうか。


もう昼前だったので、そのままサウスに行って昼食にしました。

すぐに一日がこうやって過ぎていきますよね、、、



昼食後は知人の占星術鑑定についていきました。

2時からは音楽教室に行きました。


今日は占星術で額に色々べたべた塗られたままの異様な?姿で教室に行ったので、女の子先生に
「どこかの寺にいってきたの?」
と聞かれ、

「寺じゃないんですけど、プージャを受けてきました」
と、答えました。


この前は疲れているようだったけど、今日はスッキリして見える、と、女の子先生に言われました。

実は、今日は10時間くらい寝たにもかかわらず、おきたら目の下にクマができてて、腰とかも痛くて(それは寝すぎだから)それって、主名のひいた風邪がうつってて、でも、症状としては出てないけど、体の中では風邪菌とのバトルがおこってる感じだと思うんですけど、

と言うわけで体調は実はいまいちだったんですが、
一緒に行った人がなんやかんやしてもらうついでに私もやってもらったプージャ効果か?
さわやかに!?見えたようです。

今習ってるシヴァの歌の続きと、それとは別の新しい歌も女の子先生が出してきて、少し習いました。


先週の金曜日は練習のことを完全に忘れてサボってしまったのですが、
土曜日に、女の子先生が、わたしが練習を逃したことをすごくくやしそうにしてたので、

もし覚えててもきっと金曜日はサボったと思うのですが、
先週はそんな女の子先生の様子にちょっと感じるところもあり、
今週はちょっとがんばって金曜も土曜も行ってみようかと思ってます。

たぶん私をステージに上げる夢想とかしてるようなきもしますが、まあ、あまり深くは考えずに、無理はせず、楽しい範囲で出来るだけちゃんといこうと思います。

今こうして練習できるのもいつまで続くか誰にもわからないですもんね。

出来るときに出来ることをやっておこう、と。

先生もやる気あるし。



主名がお腹すいたとうるさかったので、帰り道でラッシーを飲ませましたがまだ何か食べたいとかいうので、
サイスーリャでベジタブルフライドライスを買って持ち帰りしました。

野菜のヨーグルト和えみたいなのもついて45ルピーって、やっぱり流行ってる店には理由があるなと思います。

しかもかなり量があったので、
すごく中途半端な時間だったんですけど、主名と半分こして、おやつに食べました。

でもこしょうがけっこう利いてたので、主名はあまり食べず、結局私がガッツリ食べてしまいました。。。



そのあとは6時くらいに外に出て、外での用事をいくつか済ましてからバジャンに行きました

6時半くらいに行きましたが、
すでにババは前に座っていつものごとく、手紙を読みまくっていました。
(ほんとに読んでるのかな?読んでるふりだったりして。笑)

アルティの後は男性側と女性側にそれぞれふわりふわりと両手ブレスをしてくれました。



終ったのはほぼ8時でした。


ウエスタンで夕食を食べて、ドミトリーに泊まっている知人としゃべってから部屋に戻りました。



そういえば、ブログを読んでる人に、
「SAWAKOさんて、胃腸丈夫ですよね~~~!!!」
と言われました。笑。

食べ物のことばっかりブログに書いてますもんねー。
ババのことは1~2行、みたいな(笑?)



ここ数日、主名がチョコレートが食べたいらしく、チョコレートを買わそう買わそうとするのを
「あほか!」
と、突っぱねていたのですが、
今日会った知人がもらいもんのチョコレートを主名にくれて、主名の願望は成就しました。
【2010/07/03 03:40】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
プージャ漬け、主名復活、ストリーキング。
昨日はガネーシャアビシェーカムに行って、今日の夕方はグルへのプージャとやらを代行でしてきました。

グルというか、僧侶階級の人たちに来てもらって、
ドーティー、タオル、葉っぱ、赤い実、バナナ、マンゴー、米、101ルピーをお盆に載せて一人づつに捧げ、
代行を申し込んだ人の名前を読み上げてもらい、黄色く着色した米で祝福してもらいました。

何人かはどこかで顔をあわせてて顔見知りでしたが、ほとんど知らない人たちだったので、
こういう人たちが僧侶階級の人たちとしてプッタパルティに住んでいたのかーと、ちょっと新鮮でした。


その後ダルシャンに行ったのですが、今日はブラーカタ(ブッラカタ:3人漫才みたいな郷土芸能)をやってたみたいで、
ババは出演者とともに記念撮影をしていました。
ペンダントとかビブーティーとか色々物質化したみたいです。

今日もあれは学生じゃないかと思うのですが、最近学生にちょくちょくペンダントを物質化してます。


少し前はババの近くに座り込んだ?学生にババが「後ろに下がりなさい」と指示し、
その学生はいったん下がったもののまた前に出てきて、
「後ろに下がりなさい」
とババが指示していったんは下がるけどまた出てくるということを10回くらい繰り返し、
最後にはババはペンダントを物質化して与えていました。

これはどう解釈するかはその人によると思いますが、、、、ノーコメントにしとこう(笑)



主名は今日の昼までおかゆ生活でしたが、夕方には元気になり、
晩はいきなりウエスタンで普通に食べてました。

しかもさっきはケーキを買いに行こうとしていました。

病み上がりの2時間くらいは静かで、浄化後の?透明感があっていい感じだったのですが、
2時間しか持ちませんでした。


聞いたところによると、昨日の夜は一糸まとわぬ白人女性が手にきちんとたたんだ衣服を持ってメインロードを歩いていたそうです。

ついにここまできたかプッタパルティ。。。

雨が降ってて、服がぬれるのがいやだったから単に脱いだのかもしれません。
【2010/07/02 00:52】 | ジョーティッシュ | トラックバック(0) | コメント(0) |
振り返るババの夢
朝は9時40分くらいにババは来てました。

私はなんだか、「どうやったらババになれるんだろう?」とかう質問が自分の中にわいてきていました。

その答えもきたみたいでしたが、まあいですよね。


主名は昨日の晩から少し熱や頭痛があって、昼はおかゆもお茶も全部はいていましたが、夜ははかずに食べれていました。



夕方、部屋で寝てるときにダルシャンの夢を見ました。

ババは車椅子で前を通り、そのときはまったくこっちをみなかったのですが
横の階段を上っていくときに振り返って、興味深そうと言うか、
意味ありげな笑いを秘めたような目でじっとこっちを見てて、私もじっとみてました。

そんな夢でした。

午後のダルシャンは行かなかったのですが、7時半くらいに終ったみたいでした。

夜はざあっとけっこう強く雨が降り、そして上がりました。
【2010/07/01 05:19】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(2) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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