スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
ダルシャンか~~~。
今日は何したんでしたっけ、、、

そうだ、ほとんどずっと作業をしていたような。

主名が友達の家に行ってて、その人らは今日の晩に日本にいったん帰るらしかったので、
私も7時ごろにちょっと顔を出しました。

「もう体のほうは大丈夫~?」と夫婦して心配してくれました。

うちらももう2年以上日本に足を踏み入れてないなー。

主名は、自分がおじさんになるまで日本に帰れないのかと思ってちょっと心配してるみたいです。


見送りをしたいという主名を残して、わたしはダルシャンに行きました。

7時過ぎくらいだったけどババはまだいて、前に座ってました。


わたしは今日は脱力気味で、ババが神々しく見えました。

ホール内もアシュラム内も、まだ降誕祭仕様ですが、徐々にそれらのものは撤去されていっています。

しばらくしたらアルティになったので、そのあとババはバジャンホールに入っていきましたが、
いつでてくるか分からないし私はウエスタンキャンティーンに行きました。

主名とウエスタンで待ち合わせをしていたのですが、主名がこなさそうだったので、袋を買って主名の分を持ち帰りました。

部屋に戻る途中、ババが家に帰るところだったので、バジャンホールの裏からまたババを見ました。

こんなに何べんも見る必要あるのかなとか思いつつ。
でももうなんかパブロフの犬みたいなものなので。

虚脱時に見るババはなぜか心にしみるのでした。

そのためにババはいろいろ揺さぶりをかけて、むきだしに、フレッシュにするのでしょうか、人間を。


まあとにかく部屋に戻りましたが主名は荷物だけ置いてウエスタンに私を探しに行ったらしく、
いなかったので、「あーかわいそ。」

と思いつつ私は先に部屋に入りました。

しばらくしたら主名が帰ってきて
「3回ウエスタンに行った」
と、半泣きでしたが、
「自分がそれがいいと思ってやったんやろ」
と、突き放し(自分が友達を見送りたいと言って友達の家に残ったので)
ご飯を食べさせました。

しかし話を聞くと、友達が意地悪したので怒って帰ってきたとかいうので、
「なにそれ。ダルシャンもいかんで見送りもせんで、なんもならんやん」
と言ったら
「じゃあ今から電話してバイバイって言う」
とかいうので、
「もういいやん」
とめんどくさがって聞き流しました。


今日は、うちらって、なんか守りが無い気がするー、とか思ったりもしてて、
というのは主名にしても、子供って、もうちょっとみんなに(率直に言って特に父親に)大事にしてもらうもんじゃないか?大事にしてもらわないにしてもやっぱ、その存在がいろんな意味で守りになるじゃないですか。

とか思うんですが、わたしはどっちかというと突き放すし、主名のインドに居る保護者って私だけなので、
はい、主名の守り、そんで終わり。よわ~~~。
しかも一応学校に行ってるとはいえ、十分な教育とはいえない状況だし、先の展望が今の延長線上だともてない感じ。

私は子供の世話はしないといけないけど、私はここではわたしだけなので、
シンプルですけど、なんもないなーとか思ったわけです。
貯金も無いし。笑。家もレンタルだし。

まあそれは自分がいろんな人の助けを認識してないだけで、見方によればなんかうちらって野良犬同然!?と思うときもあるのですが、見方によれば相当恵まれてるといえなくもないのは分かってます。

実際いろんな人が優しくしてくれてるし、助けてくれてるし、気にかけてくれてるし。
日本の横浜にいるときよりもそれは、よっぽど孤独感は少ないです。
というか、孤独感はほとんど感じないです。
他の家族連れの人たちとか、同じいろんな問題がある状況の中でそれぞれががんばってる、同士、みたいな共通性もあるし。
(しかしそういう人たちの状況も刻々と変わっていくので、いつも関係性は一時的ですが、
今の瞬間はとにかくそういうつながりがあります。)

頭がおかしくなったりする人も多いここプッタパルティでは外国人であるにもかかわらず、それなりに楽しく穏やかにずっと滞在できてるだけである意味奇跡的なことなんだろうと思います。

次の瞬間、何が起きてもおかしくないようなところがここにはあるので。
実際、数時間後にインド国外に出ないといけなくなったことがこの4年間の中で2回ありましたし。

だから今の状況は4年前に比べたらずいぶん色々改善されて、穏やかないい暮らしになったといえます。
半年ごととか、下手したらインドに入国して3ヵ月後とかにすぐにインド国外に出ないといけなかったりしたこともありましたし。
あちこち他の国に子連れで行くのは行ってしまえば楽しいですけど、行くまでは相当めんどくさいし、不安やストレスも感じてきました。

もちろん、ババの強力な守りがあるのがこの場所なので、
もちろん、この場所だけにババの守りがあるわけではなくて時空を越えてるわけですが、
それにしてもこの場所はやはり濃度が濃いというか、やはり特殊な場所ではあると思います。
いいことに見えることも、そうは見えないことも、すべてババのコントロール下にあるというのがとてもわかり安い場所でもありますし。

たぶん、いろいろ状況がマシになったので、一時的に気が抜けて緩んでるのが今の虚脱感なのかもしれません。

何もないということは一番いいことなんですが、
そのシンプルさを楽しめる強さと認識がまだ不足してるんでしょうか?

しかし、そのうち、今のシンプルさよりもさらにシンプルにそぎ落とされて、完全に神と私だけ、みたいな時が来るのでしょうか?
私はそういうの、あんまり好きじゃないんですけど。。。

小さいときから「普通になりたい」と強く思ってたんですが(笑)
大学生くらいの時にはそれが結構成功してたように思うんですが、
ああーーー、その楽しくこの世の春を謳歌してるときにインドに来ちゃったもんですから、もう、その後はわやくちゃでした。笑。

結婚してよしこれで私にもようやく普通の生活と、理想的な家庭が営めるはず、、、とか思って喜んでたんですが、
なんかまたいつのまにかインドに居るし。

虚脱もしますよねー。

ああなぜこんなことに!?

なぜゆえ2匹の野良犬親子に!?

私にも理想があったんですけどー。

そしてそうなると信じて疑わなかった日々はもう遠く。
スポンサーサイト

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/29 02:43】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サティアサイババ85歳の降誕祭の様子②
PB220085_convert_20101127051712.jpg
ヘリコプターが2回3回と飛んできて、上からバラの花びらをばら撒きました。

PB220086_convert_20101127051945.jpg
記念にするために?それを一生懸命拾い集める人々。

PB220083_convert_20101127051418.jpg
スタジアム入り口で支給された、「つばだけキャップ」をつけてごきげんな主名。

PB230091_convert_20101127052748.jpg
スタジアムの女性側の横のほうから、勢いよく紙ふぶき?が発射されました。

PB230092_convert_20101127052912.jpg
青空に上っていく風船と紙ふぶき。

PB230087_convert_20101127052141.jpg
前のステージの上に座ったババ。

PB230089_convert_20101127052338.jpg
スピーチなどが続くと、人がぞろぞろかえっていきます。
ババを一目見たので気が済んだらしい。。。?

PB230090_convert_20101127052612.jpg
前ではスピーチなどのプログラムが進行中。

PB230093_convert_20101127053021.jpg
ようやく人の流れが落ち着いて、またみんな座りだしました。
人が減ったのでスペースが広くなりました。

PB230097_convert_20101127053636.jpg
日差しが強くなってきています。

PB230098_convert_20101127054047.jpg
ズームなしで写真を撮ったらこんな感じ。
前ではまだプログラムが進行中、なのかな?
昼の12時に来ても間に合ったし入れたなーとか思いました。

PB230100_convert_20101127054227.jpg
ババが帰るというので、中央通路から帰るのか女性側通路側からか混乱して、男性たちがあちこち走りまわっていました。
これは、「女性側だ!!」と思ったらしく、男性側から人々が走り寄ってきている所。
一応セバダルは制止していましたがあまり効果なし。

PB230101_convert_20101127054541.jpg
アシュラムに帰っていくババ。
左のフェンス越しに、帰っていくババの車、トヨタ車でしたっけ?の後姿が見えます。(介護用の車みたいなやつです)

PB230102_convert_20101127054726.jpg
スタジアムからの帰り道に見かけたモニュメント。
夜には光ってたのかな?

写真を掲載したこれらは午前のプログラムです。
午後もスタジアムでプログラムをしていましたが、それは私たちは行きませんでした。
音楽プログラムなどすごくよかったそうです。

花火が夜空に打ちあがるのがアシュラムの近くからもよく見えました。

(おしまい)

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/28 21:33】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サティアサイババ85歳の降誕祭のときの写真①
降誕祭85-1
サマディロードを抜けると、そこにはすでにスタジアムからの行列が、、、
わが目を疑った瞬間。
ちなみに時刻は朝5時半ごろです。

降誕祭85-2
サマディロード出口からサイタワー方面へ行列をたどっていきました。
この行列、どこまで続いているのか。。。

降誕祭85-3
スーパーバザールのあたりが最後尾だったので、私たちも行列の末尾に加わり、
ようやくスタジアムに向けて進んでいくことが出来ました。
(こんなに行列だったのは朝のうちだけだったと思います。後の時間はむしろラクに来れたみたい)

降誕祭85-4
ババの登場を期待して待つ人々でスタジアムは埋まっていきます。
しかしババが登場するのはまだだいぶ後。

降誕祭85-5
続々とやってくる人々と、人の流れを整理するセバダルたち。

降誕祭85-6
横に座ったカナダ人の彼女がシャッターを押してくれました。

PB220066_convert_20101127045631.jpg
午前11時過ぎとかだったでしょうか。
ババに先駆けて、楽器演奏隊が行進。

PB220067_convert_20101127045846.jpg
続いて女学生のブラスバンド。

PB220068_convert_20101127045958.jpg
続いて、男子学生のブラスバンド、かな?
ババの乗ってるすごい乗り物もゆっくり近づいてきます。
スタジアム内は大興奮。
私たちの後ろのインド人のおばちゃんたちは「ろろろろろろ!」と奇声を上げていました。
場内を盛り上げてるつもりなんでしょうか。。。わかりません。

PB220069_convert_20101127050114.jpg
続いてヴェーダの吟唱だったかな?

PB220070_convert_20101127050230.jpg
プッタパルティのヴェーダチャンティング隊、ですね。

PB220071_convert_20101127050339.jpg
でた~~~。ゴールデンシャリオット(黄金の馬車、かな?)。
まさに「でた~~~!」という感じでインパクト十分でした。
(自分が?ババが?)生きてるうちにこれに乗ってるババを見れてよかったよ。。。

ワタシノベストショット
しかしこのゴールデンシャリオットを誰かが寄贈したとき、ババは
「私はいらない。こんなのにお金をかけるより、もっといいことに使いなさい」
みたいに言った(ババの言葉の内容は確実じゃないです)と聞いた気がしますが、
(まあ、それはごもっとも)

少なくとも何万人もが(スピーチでは降誕祭のために世界中から数百万人が終結してると言ってましたがほんとかな?)これに乗ってるババを見て喜んでるんだからよかったですよね。
しかも今回だけじゃなくて大きなイベントのときは時々登場してるし。

PB220073_convert_20101127050601.jpg
みんなババに手を振ったり、合唱したり。
外でのイベントは開放的で楽しいですよね。
日差しはきついけど。

PB220077_convert_20101127050941.jpg
ステージ中央へと向かうババを見送るおばちゃん、向こうに見えるハヌマーン像、空に浮かぶサイバババルーン。


たぶんつづく。。。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/27 11:58】 | 写真 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ワタシノベストショット(サイババの降誕祭の写真)
今回の降誕祭の私のおんぼろコンパクトカメラによるベストショットです。

ワタシノベストショット

すごいのに乗って登場してきたババ。(祭りの山車のようにゆっくり進みます。)
その名も「ゴールデンシャリオット」(だったと思います。)

実は長年、これをナマで見てみたかったんです。
ああもう思い残すことはない。。。
(しかしやることはいっぱいある)

他の写真もそのうち追加していく、、、かも。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/25 05:24】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
シュリサティアサイババの85歳の大規模降誕祭当日。
昨日、11月23日はサティアサイババの85歳の降誕祭でした。

朝5時に目覚ましをかけて、5時半過ぎくらいに部屋をでて行ってきました。

ほんとはしばらく前まで、降誕祭の人の多さを恐れて、降誕祭期間中はどこか別の場所に遊びに行っていようかなとか(マイソールとかハンピとかの比較的近場に)思ってたんですが、
参加しなくても、そのときにここにいることが大事だとか、スタジアムだったら朝5時か6時に行ったら入れたよとかいう話を聴いたので、
じゃあ~~~~~、と逃げ腰での参加でした。

でも降誕祭期間中ずっと逃げ腰で、余力があまってたので、当日くらいは、と思って早起きして行ってみたわけです。

毎年スポーツフェスティバルもスタジアムで行われるのですが、朝早くに行けばまだオートリキシャが通行止めになってなくてスタジアムの前に乗り付けられるので、昨日もそのつもりで部屋をでたのですが、

サマディーロードからメインロードにでたとこで、長い行列に迎えられました。
ま、、、まさか。。。

まさかのスタジアムからの行列で、
なのでまず、列をたどって最後尾まで行くために、スタジアムとは逆方向に歩いていきました。

最後尾はハヌマーンテンプル近くの3階建てのスーパーバザールの辺りでした。
はははははと、笑いがでてきました。

これは、夜中の3時くらいから並んでも遅くなかったかもな~とか思いましたが、
とにかく列に加わって、じりじりとスタジアムのほうに進んでいきました。

でもまあ、止まることもなく、30分後くらいにはスタジアムの入り口に到着しました。

入り口で簡単なボディーチェックと持ち物検査を受け、
スタジアムのグランドの区切られた区画のひとつに座りました。

行列に並んでたときに前に並んでたいいかんじの西洋人の女性がスタジアムでも隣に来て座りました。
なので楽しくなんやかんやとしゃべりました。

しゃべってたら共通の知人がいることも分かりました。

しかし、彼女はカナダから来てるそうなのですが、カナダとインドじゃあ大違いだろうなと思って、
カナダだったら、人と人との間にいい距離を保ってそうだけど、インドではそうじゃないから難しいでしょう?と聞いたら、トロント出身の彼女は、大都会トロントでもこんなに混雑したことがないとか言ってました。

日本もそうでしょう?日本はすごく組織化されてるから。カナダもそうだけど。と言われたので同意しました。

彼女はドクターだったのですが、同僚の誰も、私が今こんなとこでこうしてるとは想像できないでしょうね!と、笑ってました。
単に、インドに行ってくる、くらいに言って来てるそうです。

おかげで時間がたつのが早くてよかったです。
待ってる途中で私も彼女も主名もちょっと寝てました。
主名はもちろん床に横になって寝てました。(うらやましい)

しばらくして主名がおしっこがしたいというので、一人で行かせたら、人がいっぱいで行けなかった、と、出来ずに戻ってきました。

なので今度は私もついていきました。

そしたら女性用のトイレはいつババが来るか分からないからか、ババの通り道に近いので封鎖されてて、なんと男性用のトイレで女性たちは用を足していました。

しかも、男性用トイレの唯一の個室の水を出す蛇口が壊れて噴水になって外に吹き出しでいたので、個室として使用することが出来ず、トイレの床は足首くらいまで水がたまってました。

残るは男性の小用便器のみ。

で、どうなってたかというと、すごいことになってました。
以後省略。

主名はその便器が高すぎて届かないというので
持ち上げてやってそこで用を足させました。

他の女性たちはそんな意味のない便器なんか使えなくてもまったく苦にしてませんでした。
オープンスペースでオープンに好きなとこで、、、ある人は座り、ある人は仁王立ちで、、、
中国でそういう戸のないトイレがあると聞いたことはあるけど、、、溝すらないんですけど。

ちなみにわたしもその、外の道から丸見えのオープントイレを使用させてもらいました。
知人が外を通らないことを祈りもせず。

いくらでも他の人の様子の詳細は書けますけど自粛しときます。

しかしおかげですっきりして自分たちの場所に戻りました。
(すいません、こんな降誕祭レポートで)

戻って、そのカナダ人女性に「信じられない状態だった」と報告したら、
彼女は怖がって結局最後までいっぺんもトイレに行きませんでした。

ババがきたのが11時くらいだったと思うので、結構待ったと思うのですが、(5時間は待ってますよね)
スタジアムは食べ物とか飲み物も持ち込めるし、
途中であれはプラサードなのか?スナック菓子が配られたりしていろいろしてるうちにすぐ時間がたちました。

スタジアムのスペースは広いので、トイレに行ったときに見たのですが、
後ろのほうのスペースなんか広々して居心地よさそうでしたが、
でも、後から聞いた話によると、場所によるとババが来たときに抑制を失って押し寄せた群衆に押しつぶされそうになって恐ろしい目にあった人たちもいたみたいで、
朝早くから行くと、やっぱり気分的に余裕があるからか、私の周りの人たちはババが来たときも
立ってる人にお互い注意したりして、座ったまま穏やかに心地よくババを迎えることが出来ました。
そういうよさはあるのかなという感じです。

ババは黄金のシャリオットというんですか?
太陽神スーリャが乗ってるような乗り物に乗って(乗せられて?)登場しました。

わたしはこれに乗ってるババは今まで直に見たことがなかったので、見れてそれだけでうれしかったです。
いつか見たいと思ってたので。
ババはあれは白っぽい金色のローブを着てたんですかね?

ババが来て前に行って、ヘリコプターも来ました。

ヘリコプターからは大量のバラの花びらなんかがばらまかれました。

前回、ババが生まれてから1000回目の満月の行事のときはやはりスタジアムで行われて、
ヘリコプターから星型の大きな紙がばらまかれたのですが、
そのときは地面に落ちたそれを奪いあう人たちで地上はすごいことになってたと聞きました。

花びらだったら奪い合うほどの大きさがないので平和でいいですよね。
もちろんみんな争って拾い集めていましたが。
主名がそれに参加して、私たちのとこにも持って来てくれました。
子供なんかはそういうのってゲームみたいで楽しいみたいです。
大人は凄惨なかんじですが。

昼間っから花火が打ち上げられたり、横のほうから紙ふぶきみたいなのが発射されたり、なんかいろいろやってました。

前のババのところでは、なんか音楽プログラムをやったりスピーチをやったりだったので、
待って待ってババを一目見た人たちはみんなぞろぞろと帰って行き、
いつもちょっと不思議なのですが、これから始まるのにスタジアムはがらがらになりました。

カナダ人の彼女も暑いしトイレにも行きたいしでか、先に帰りました。

わたしらは先にも書きましたが、この降誕祭期間中はゆるゆる参加で余力があったし、トイレも行きたくないのでそのまま最後までいました。

日差しがきつくなってきたので用意してた日傘もさして座ってました。
主名は人が帰ってスペースがあいたので暑いのに走り込みをしてました。

そのうちわりとあっさりとアルティになり、私らも帰り支度をしました。
ババが男女の間の中央の道から帰るか女性側から帰るかで男性たちが判断つきかねて右往左往してました。
結局女性側の道を通ってババは車で帰ったのですが、女性サイドにまで男たち(そうとう汗臭い)が境目を越えて押しかけて詰め寄せてきたので、「こっちに来ないでよ」と思わず文句を言ってしまいました。
(一応男女は分けられてるはずなのに、、、)

主名が最近ダルシャンのときに男性サイドに行くこともあるのですが、
「男はだいたいすごくくさい。女は少しだけくさい」
といっているのを実感したくもないけど実感するはめになりました。

しかし、ババの誕生日なんですよね。
なんか神聖さとかそういうのはそういうわけで私はなかったのですが、
でも、5年に一度の大規模降誕祭はずっととんでもないイメージがあったので(人が群集に押しつぶされて7人死んだ年があるとか、、、そんなたぐいの)
実際に参加してみるとぜんぜんOKでした。

むしろ例年の普段の降誕祭よりラクと思います。
スタジアムは広くて誰でも入れるから。
昼の12時に来てもよかったんじゃあ?とか思いました。

でも朝早くから参加してみて、満喫できてよかったです。


ところが、スタジアムをでて、部屋へ戻るときに主名とはぐれてしまいました。
学校の中を通る道も解放されてたので私たちもそこを通って帰ったのですが、
遊具があるとこで、どさくさまぎれに主名がちょっと遊びたいかと思って、
じゃあ、「少しだけあそんどいで」と言って滑り台のほうにやったと思って、
わたしはその場で主名が戻るのをまってたのですが、

主名は私が消えたと思って、先に行ってしまったようでした。
しばらくして、どうも主名の姿がないなと思って、しょうがないから私も帰りましたが、
7歳のちびっ子なので、一人では群集(ぎゅうぎゅう)の中では相当危険な状況にもなりかねないので、
う~~ん、と思いつつ、私も結構危ない感じになりつつ
(ガネーシャゲートの前がむちゃくちゃでした)
部屋に戻ったら主名は無事に戻ってました。
ひ~~~ん、とちょっと泣きましたが、
逆に「何で先にいったんや」と責めてみたら「今帰ってきたん?」と正気に戻った感じ。

私がガネーシャゲートの前を通ったときはひどいことになってたのですが、
(車椅子の人も群集の中で大変なことになってたみたいで警察数人があわてて何か連絡しに、人を掻き分けて行ったりしてました。そこに車も2方向から乗り入れてどうしようもないことに私は対面ですれ違う車にはさまれそうなめに。。しかもバカなインド人の若い男たちがうれしげに集団で体当たりで進んでいく)


主名は一足先にそこを通過したので、そのときはまだそんなに混んでなくて大丈夫だったみたいです。
ただ、警察官が主名が迷子だと思ってか、「ここにいなさい」と引き止めたらしく、
それが怖くて逃げて帰ったそうです。

で、私も主名も汗だくだったので風呂に入ってさっぱりし、
主名にチベッタンレストランから遅い昼ご飯を買ってこさせて食べました。

食べ終わってほっとしたのが4時過ぎとかだったでしょうか?

そんなかんじの、ああ、参加したよー!というかんじの降誕祭でした。


その後はわたしはやることがいろいろあって、ババがスタジアムに向かったとは小耳に挟んだのですが、またスタジアムで行事をやってるとは想像が及ばず、(午前で燃え尽きた)
9時前に主名といったん部屋に戻ってからまたチベッタンかどっかで夕食を食べようと歩いていたら
空に花火が次々と打ちあがりました。

道端に立って、最後の花火が終わるまで見てました。
主名は「時々は日本に帰りたい」とよく文句を言ってるのですが、
「やっぱりここにずっと住みたい。やっぱりここ好き。」
と、現金なことを言っていました。

ああ、スタジアムでなんかまたやってたんだーと思いつつ、主名が「行く」というので
「多分もうプログラム終わりやで」
といいつつも、チベッタンでチベッタンブレッドサンドイッチ(チーズ入り)をテイクアウトして、
乗り気じゃない感じでスタジアムに行こうとしましたが、
スタジアム方面から戻ってくる人に聞いたら、
プログラムは終わって、今ババがアシュラムに戻ってくるから、アシュラムで待てばババが見れるわよ、見たいに言われたので
アシュラムの中に入ってジェネラルホスピタルのほうの道からアシュラム内に乗り入れてくるババの車を迎えました。

行ったときはまだ人も多くなかったのですが、待ってるうちにやはり若いインド人の男たちが走って集まってきて、どんどん前に立ったので前が見にくくなりましたが、
ババの車は坂を下ってきたのでわたしも見えました。
主名も持ち上げて見せてやりました。

私はババは午後は黄色いローブだと思ったのですが、主名は白だと思ったようです。

そのあとまたチベッタンレストランに行って、持ち帰りのチベッタンサンドイッチ(チーズ入りのはずがあけたら入ってなかったので入れてもらいました)と、ワンタンスープを分けて食べました。

そーんな、わたしらの降誕祭当日でした。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/24 14:02】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今日はサイババを見なかった日。
さいら~~む

今日の夜は7時半くらいだったか、アシュラムに行ってみましたが、う~~~ん、アシュラムの入り口前の道路にすでに人があふれてて近づけない、、、。

なのでいさぎよく0,1秒で引き返してチベッタンレストランで晩御飯を食べました。

今日は主名とわたしはそれぞれベジタブルワンタンスープを食べて、あと、2人で春巻きを分けて食べました。
主名はスイートラッシーを、私はパパイヤラッシーを飲みました。

明日は一応早く起きてスタジアムに行こうかなーと思って、ジュースとかおやつのビスケットとか買いました。
長丁場になりそうだし。

なので今日は早めに寝ることにします。

明日、ババを見れるのでしょうか?

だめそうだったら丘に登って丘の上から見よう、、、。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/23 01:34】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
プライムミニスターが来たらしい。
今日は、なんちゃらシンという、インドのプライムミニスターが来てスピーチをしてたそうです。
ババもスピーチをしたそうです。

午前11時くらいからそういうプログラム?があったみたいですが、
私らが午後1時くらいにアシュラムの中に入ったときも誰かがしゃべってました。

少しホールの中を外からでも覗いて、そのあとウエスタンキャンティーンに行こうと思ったのですが、
ガネーシャテンプルからアシュラムの内部に入る小道はどこも人でぎゅうぎゅうで、人々の壁に押し入って進入してまでご飯を食べに行くガッツも起きなかったので、アシュラムから出てまたもやハヌマーンヒルロックカフェにご飯を食べに行きました。

今日はほうれん草とココナツのスープと、グリーンサラダ、それとラビオリにしました。

ラビオリは洋風蒸し餃子みたいなやつですが、
小さいのがたくさんかと思ったら、でっかいのが2つ出てきました。
中は豆腐?とほうれんそうで、上にトマトソースみたいなのがかかってておいしかったです。

今日は量は丁度よかったです。

ああ、何もしてないけど街の雰囲気がテンパッてるので非常に疲れます。

明日はヒルビュースタジアムで降誕祭本番です。。。(すでにぐったり)

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/22 20:11】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイババ降誕祭2日前は満月でした。
夕方また寝て、6時半くらいにアシュラムに行きました。

今日は降誕祭2日前でしたが、例年の降誕祭当日の微妙に少ないくらいの混みようでした。

ガネーシャゲート付近はすでにロープが張られて人の動きを誘導する措置がとられていて、
男性側の通路を見るとぎちぎちにすし詰め状態ですでに通行できない感じだったので、
そこには行かずババの家をぐるっと回って反対側からサイクルワントホールの一般入り口へと向かってみました。

プールナチャンドラホールにも人が入れられていて、みんな前のモニターでサイクルワントホールの様子を見てるみたいでした。

どうせだったら、見れるなら生で見たいので、ホールの中に入るのは無理にしても、シーターラーマの像の前から見れるかもと思って行ってみました。

そしたらロープが張られてて、そのあたりから出ることは出来ても入ることは出来ないようにしてありました。

なので、どうしようか?と思ってると、女性側のホールに入るラインが動いて、トークンスペースに入れるみたいだったので、私たちも並んで入りました。

トークンスペースからババの姿を見ることが出来ました。
しかし、こんなにしてまで見なきゃいけないもんかなという気も起こってきますが、
やっぱり見ると何かいいみたいです。
ババも言ってますが、ババのローブのすそがチラリと見えただけでも見た人は浄化されるとか何とか。

肉眼で見て(しかし、肉眼でもモニターを通してでも、そこに何の違いがあるんだろうかという気も起こってきますが)後は座ってモニターに写るのを見てました。

今日は学生が劇をしてたみたいです。
あれは男子学生だと思うんですが、女性役もみんな男がするわけなので、
やっぱりあんまりごつくないような、サリーが似合うような男の子をみんなで選ぶんだろうか?と思いました。

劇の内容は途中から見たのであれですが、わりと無難な感じでした。
「神の奇跡に感動」もの、というかんじで。
フィナーレのダンスシーンは豪華でした。

モニターで見ると、正面から劇が見れるので、「ああ、正面から見るとこういう風なのか」と思います。
肉眼だと劇の大道具のセットの背後から演じてる人たちを覗き見する程度にしか見えないことが多いので。

劇はババに向けて行われるので、ホールの群衆に見せることはまったく考えられてないのです。
なんせここはサイババを中心にまわっているサイババ王国ですから。

モニターで見るとババの表情とか、肉眼で見るよりもむしろ細かいところがばっちり見えてしまうのですが、
私の目から見るとババはちょっとお疲れに見えました。
降誕祭へ向けての連日のプログラムやたくさんの訪問者への対応で疲れてるのでしょうか?

今年は5年に一度の大規模な降誕祭(ババは85歳になります)ですが、ババも年だし、
5年後の90歳の時の大規模降誕祭は、もうないかもなーとか思いました。

しかしババは何度も両手ブレスをしていました。低い位置ででしたが。

劇の出演者と写真撮影などをしたあと、アルティになったんだっけ?
アルティの後もババは学生にバジャンや「ハムコトゥムセー ピャーレキトゥナー」の歌を歌わせたりしていました。

ババは手拍子らしきものをしていましたが、音は出てなかったと思います。
体の自由も、ずいぶん利かなくなってるんだなーと思いました。

アナウンスがあって、明日の午前は11時から何かやるみたいでした。


そのあと、ババはインタビュールームというか、バジャンホールの建物の中に引っ込んだので、私たちも群集より一足先にホールから出てウエスタンキャンティーンに行きました。

今日はわたしも主名も玄米とダルと野菜のトマト煮みたいなやつにしました。
主名はアイスを、私はサラダをさらに食べました。

最近ウエスタンキャンティーンの玄米はふわふわしてておいしいです。

先日病気して一時的にかなりやせましたが、いつの間にかほとんど元に戻った気がします。


そういえば先日知人の家に遊びに行ったときに、知人の親戚のインド人の家族とその友達親子も来たのですが、
その友達親子、子供が1歳未満のときに大人と同じ辛さのカレーを食べさせたら、その赤ちゃんは顔を真っ赤にして泣いたので、1歳を越えてから食べさせるようにしたそうです。

で、確か今1歳3ヶ月だったと思いますが、今はその赤ちゃんは大人とまったく同じ辛いご飯を食べてるそうです。
子供用の特別食などないそうです。

こうして、インド人の肝臓は幼少のころからやられていくんだなあという、生きた実例を見た気がしました。
幼少のころに辛いものがおいしいご飯、という刷り込みが行われるのですね。

少し大きくなってからじゃあ、子供なんてもう、なかなか辛いものは食べないですもんね。

しかしいまだに、そもそもインド人が何でみんなそんなに辛いものばかり食べてるのか不思議です。


そういえば、タイトルは満月でした。

今日の満月は、低い位置にあるときはやわらかい光輪に厚く包まれて幻想的な美しさでした。
空高く上がったときには取り囲んでいた光輪はとれて、スッキリとした輝きを放っていました。

主名が
「ちきゅうが早く動いてるんだったら、1分とかで昼になったり夜になったりしないの?」
などと聞くので
「わからん」
と答えました。

あと、むかしの恐竜と鳥の大きさの変遷についてとか。
多分ドラえもんの影響だと思います。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/22 03:50】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイババ降誕祭2日前
サイババの降誕祭をあさってに控えて、みんな熱が入っています。

私らは、昨日見たし、もういいかとか思ったりもするのですが、今日は満月で重要な日だからダルシャンに行きなさいとか人に言われました。

う~~ん、努力します、というかんじです。

朝は主名は2回おねしょしました。
寝る前にもそんなに水分を取ってないと思うのですが、いったいどこに入ってるのか?
寝てる間は完全にゆるむのでしょうか?

しかも、おねしょしても全然起きないので、私が「はっ!」と目を覚まして起こすことばかりです。

それでもまあ、6時前におきて7時からのコーチングスクールに行きました。

主名が帰ってきてからウエスタンキャンティーンに行きました。
予想に反してがらがらで、列も全然出来ていませんでした。なぜでしょう。
もしやみんなもう午後のダルシャンラインに並んでるとか!?

いや、そこまではないと思いますが、
多分12時くらいにはもう並び始めてる人がいるみたいで、
1時半くらいには女性側のラインはもうババの車を洗ったりするようなところの横の公衆トイレのあたりまで伸びてるのが見えました。
気合はいってますね。
まだ降誕祭2日前なんですけど、、、。

当日は爆発的に群集がふくれあがるんでしょうね?
例年の感じからいって。

VIPの宿泊の建物のところにも大勢の警官がいて、アシュラムのあちこちにもうじゃうじゃ警官がいます。
アシュラムの外にもライフルみたいなのを持って警官がほろ付トラックに乗って道を走っています。

群衆整理のためにあちこちでロープが張られて規制されて、

ああ、こんなに人がいっぱいのアシュラムは疲れます。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/21 18:41】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
なんか久しぶりにババ(サイババ)を見ました。
今朝は主名は朝7時からコーチングスクールに行き、私は10時くらいに路上の人らへのご飯配りをしました。
10時に学校が終わった主名と道で会ったので、オートリキシャで一緒にハヌマーンテンプルの方へ行き、あとは主名に配らせました。

降誕祭で人もポリスも集まってきてうじゃうじゃですが、こじきも各地から集まってきてて、配る相手には不自由しませんでした。

バジャンも10時前に終わってたみたいなので、今朝はババは来なかったのでしょうか?

昼ごはんは勇気を出してアシュラムに行こうとしたのですが、
(人が多くなってきてるので、アシュラムに近づきたくない気分です)

サイクルリキシャでウエスタンに行こうとしたら、単に出払っててサイクルリキシャがいなかったのか、きっと、今は人が多いので入るのを止められてるんだろうと思いますが、とにかくいなくて、歩いてウエスタンに行かないといけなくて、今日は結構日差しが強かったのでもう気分がくじけて、ウエスタンには行かずにサマディーロードのチベッタンレストランで昼食にしました。

主名はベジチョーミン(野菜焼きそば)とパパイヤミルクシェイクにして、私はチョウチョウライス(ご飯の上に野菜のあんかけみたいなのが乗ってるもの)と、ホットレモンジンジャーにしました。

そのあと主名は友達の家に行きましたが、留守だったので戻ってきて昼寝してました。

私は部屋で用事をしてて、途中で聞くことがあったので占星術師のところに10分だけ行って、あとまた部屋でパソコンをしてましたが、夕方には主名に足を踏ませてたら眠くなって寝ました。

6時半くらいにおきて、また用事をして、7時半くらいにアシュラムに行きました。

ババは見えないだろうと思ったのですが、見えました。
ホールの男性側の外側から人ごみに押され、歩きながら見たりしてるうちにアルティになりました。
ババはブレスしたみたいでした。

すごく久しぶりにババを見た気がしました。
シータとラーマの像のあるところまで行ったら正面から座ってるババがちゃんと見えました。

今日は知人にもらった使い捨てのコンタクトレンズもしてたのでよく見えました。

そのあとウエスタンキャンティーンに行きました。
主名は玄米とダル(豆のスープというかおかゆみたいなの)とジャガイモのおかずと野菜スープとタイ風ココナツゼリーみたいなのを食べました。
私は白米とダルとジャガイモのおかず(主名とは違う種類)と中華風スープとアイスクリームを食べました。

明日の朝ごはん用にチョコレートパイみたいなのとりんごパイみたいなのを買って帰りました。
主名はタイ風ココナツゼリーが好きみたいで、2つ持ち帰りました。

そして部屋に帰ってきました。
今は停電です。

明日も主名のコーチングスクールは朝7時からあるそうなので、早く寝ようと思います。
主名はまだ宿題を全然してないのですが、停電なので、明日朝早くに起こしてやらせるしかないですが、そんなに早く起きれるかな。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/21 01:08】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
人がいっぱいです。
インドのプレジデントは今日の昼間に来てたみたいです。
だからと思いますが、ダルシャンが終わりのしるしのアルティが聞こえてきたのは午後1時過ぎでした。

今日の情報ではプライムミニスターはあさってに来るとか?よくわかりません。

熱心な人たちはその後昼ごはんを食べてすぐにまた午後のダルシャンのために並びに行ったみたいです。

わたしはありの大群のような群集のアシュラムに近づく気が起きなくて、思わず昼はハヌマーンヒルロックカフェになごみに行ってしまいました。

ここはスープとサラダがおいしいですね。

昼はコースだったのですが、前もそうだったけど、なんていうんですか?メインディッシュはいつもいまいちな気分になります。

今日はスープはココナツ(ココナツミルク?)とほうれん草のスープにして、サラダは、サラダじゃないんですが、トマトとモツァレラチーズとたまねぎのクレープにして、メインは野菜のバーベキューとマッシュポテトにしました。
スープとクレープ、おいしかったです。
野菜のバーベキューは私にはちょっと味が濃かったです。

主名は「やっぱりここ好き」とか言っていました。

主名はりんごジュース、私はバナナミルクも飲みました。

全部で500ルピーほどでした。
1000円くらいでしょうか。

500ルピーは乞食に毎週配ってるご飯50食分です。
主名と2人で50食分食べたなーと思いましたが、わたしはひ弱な現代人なので(たぶん)
自分自身への甘やかしがぜひ必要です。

自分を甘やかしたおかげで気持ちに余裕ができて、街の強烈さがしばらく気にならなくなりました。

用事と言うか、プッタ在住の他の家にお宅訪問したい希望があった知人を伴ってあちこち回って、部屋に戻ったのは5時半くらいだったでしょうか。
ハヌマーンテンプルのトラヨダシのプージャへの誘いの電話がかかってきましたが
部屋に着いたばかりですぐに動きたくなかったので
「今日はわたしは行きません」
と言ったのですが、
しばらく休憩してからやっぱり行きました。

そのあとダルシャンに行きましたが、
ああ、人が多くて、ババもまだ来てなくて、女性側の階段を上がったところでしばらく待ちましたが疲れたので部屋に帰りました。

今日の午後にババが来たかどうかはだから知りません。

今は部屋で夕食を作ってます。
キャンティーンも混雑してるかと思うと行く気が起きなくて。

さっきはしばらく停電でした。
今は復活しました。

そういえばカメラのメモリーチップは、3000ルピーで買おうとしてたのですが(私の持ってるオリンポスのは高いみたいです)同じものを1800ルピーくらいで売ってると教えてもらったので、
とりあえず3000ルピーのところはキャンセルしました。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/20 01:03】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
モバイルブロードバンドのリチャージ、デジカメ用のメモリーチップの購入。
そういえば、モバイルブロードバンドとかいう、ネット接続のためのスティックの期限が切れてたのでリチャージしに(プリペイド式)ネットカフェに行きました。

アシュラムの前はさすがに警官がうじゃうじゃいました。
チベッタンレストランも警官の調査を受けていて、店内を覗き込まれたりしていました。

連れ立って歩いたりしてるので、なんだか警官がいる分じゃまで街が狭くなった気もしますが、大統領かなんかが来るんだったらしょうがないか。

ネットカフェでリチャージをしました。
ちなみにメーカー?は、タタフォトンです。

2倍の金額を払えばその分速くなるのかと思ったら、そうじゃなくて、使い放題になるだけでした。
最初の月は使用料としては700ルピー払ったのですが(スティックを買うのに3000ルピーくらい払いました)、最初の月は6GBとかいってたかな。で、2ヶ月目以降は1GBだけになって、その分使い切ったらそれ以上ネットにつながらなくなるそうです。
面倒なので無制限という1450ルピーを払ってリチャージしましたが、
実際は10GBで、どうせそんなに使いきらないから使い放題といってるのかもしれません。

そもそもGBとか何かよくわかってないですが。

あと、デジカメのメモリーチップを買いました。
私が使ってるのは64MBで、30枚くらいしか撮れないので、いまどきといって先日笑われましたが、
(それでも、追加のメモリーチップとしてカメラとは別に4,5年前に購入したときは高かった記憶がありますが)
たしかになー、と思って、2GB?のチップを購入することにしました。
夕方受け取りですが、これで一気に800枚撮れるようになるそうです。

そんなに記録できたらぐちゃぐちゃになって、なにがなんだか分からなくなりそうですが、まあいいやと思って購入しました。
いくらだったかな。3000ルピー弱でした。
これで、残りの撮影可能枚数を気にする必要もなくなるはずです。

朝ごはんにするためにパンときゅうりとヨーグルトを買って部屋に戻りました。

さっそくネットにつないでみたらつながらないので、もーーー、と思ってまたネットカフェに行きました。
そしたら「30分後から使えるよ」と言って笑われました。

そうならそうといってくれー。
さっき、「これで今もう使えるよ」といったくせにと思ったのでそう言いました。

部屋に帰ってまた試してみたら今度はつながりました。

昨日の晩の残りのスープも温めて、朝食にしました。

主名は今朝は2度寝したので2回おねしょしました。

私は2度寝しなかったので今ちょっと眠気が来てます。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/19 15:07】 | インド長期滞在情報 | トラックバック(0) | コメント(0) |
来客の日、警官チェック、インドプレジデント&プライムミニスターのプッタ訪問。
今日も主名の学校(コーチングスクール)がババの降誕祭用に朝7時から10時までだったので、朝6時半くらいに部屋を出て、サウスで朝ごはんを食べて学校に行かせようとしたのですが、
サウスは学生とかスタッフとかだけになってるみたいで、しょうがないから遠いけどN棟の裏の無料でご飯を配るところに食べに行きました。
今朝のご飯は少しからい混ぜご飯て感じでした。

そのあとココナツを飲ませて食べさせて主名を学校にやりました。

その後わたしは部屋で用事をしてたのですが、10時ごろに主名が戻ってきて、お客さんも来て、
その後主名の友達も来て、みんな夜の7時くらいまで遊んだりしゃべったりしていました。

その後主名は今日は人がいっぱいでいやだからダルシャンに行かないというので、わたしだけアシュラムを覗いてこようかな?
と思って、夕食にする野菜を買うついでにアシュラムの前まで行きましたが、時間はすでに8時半過ぎで、そのころダルシャンが終わったらしく、アシュラムのガネーシャゲートから人がぞろぞろ出てきてたので、もう、アシュラムの中には入らずに部屋に戻りました。

まあ、時々はこんな日もあってもいいかなと思います。
昨日は朝も夜もダルシャンがあったし、十分です。

聞いたところによると、今日はインドのプレジデントが来たかなんかですか?
ほんとかどうか知りませんが、警官が37000人プッタに集結してたそうです。
アンデラプラデシュ州(ここの州)中のポリスが来てるんでしょうか?

そんで、明日だかあさってだかにはインドのプライムミニスターだっけ?大統領?が来るそうです。
厳戒態勢はまだ続くということですね。
そうなると物々しくなるのはもちろん、アシュラムに入る時の持ち物なんかのチェックなんかも厳しくなったりするのでしょうか。

今日はうちの部屋にもポリスが3人、パスポートとビザチェックに来ました。
毎年降誕祭前にはテロ対策の一環かなんか知りませんけど、一軒一軒そういうチェックをしにくるんですけど、
いつもは1人か2人だけど、今年は3人で、ちょっと上司っぽい人も来てました。

しっかし、日本の警察だったらもうちょっと態度が丁寧だろうなとか思いました。
だんだん日本を美化しにかかってますかね?

部屋で晩ご飯をつくって食べました。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/19 02:25】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
午前も午後もロングダルシャンでした。
午前、主名が学校から帰ってきてちょっと休憩してから11時くらいにアシュラムに行きました。
午前なのにすごい人でした。

女性側の階段を上ると、やっぱりもうトークンスペースにしか入れないようになってたのでそこにいました。

しばらくしてババが来ました。
男女の間の中央あたりから直接壇上に向かったっぽかったです。

ババが壇上に上がってしばらくしてから坊さんかなあ?あれは。だれかがしゃべったりマントラを唱えたりし始めました。

もういいだろうという感じで、私たちはホールの外からババに挨拶して部屋に戻り、チベッタンレストランに昼食を食べに行きました。

わたしは無料のご飯かウエスタンがよかったのですが、主名がワンタンスープが食べたいというので。
わたしはベジタブルギャトゥクだったか?ラーメンみたいなのを食べました。

主名はパパイヤミルクシェイクを飲み、わたしはホットレモンジンジャーを飲みました。

食べ終わったのは午後1時過ぎでしたが、そのころになってやっと午前のプログラムが終了したようでした。

私が知る限り、午前のプログラムが終わった時間としては最遅です。

聞いた話によると、今日は85組の結婚式がババの前で無料で行われたとのことでした。
そうだったのかー。

ババはその一人ひとりを祝福したとのことでした。

午後は7時過ぎくらいにアシュラムに行きましたが、ババはまだいて、バジャンが行われていたので一緒に歌いました。
しかしそのうちバジャンが止まり、また誰かがスピーチしだして、そのあと音楽プログラムが行われていたのかな?

私たちはまたもや我慢できずにウエスタンキャンティーンに食べに行きました。
ダルシャン参加所要時間20分くらいでしょうか。。。

しかしホールのいろんな角度からババの姿がよく見えました。
知人に使わないからと、使い捨てコンタクトをもらってつけてたので余計に。

今日のウエスタンキャンティーンではわたしは玄米にダル(豆スープ)、中国風しいたけスープ、かぼちゃのココナツ煮、サラダ、タイ風寒天ゼリーを食べました。
主名はねじねじ型パスタ、豆腐とトマトの煮物、さいころ型のポテト炒め、私からの生野菜少し、タイ風寒天ゼリーを食べました。

主名はパスタがきのこが入ってたのか?口に合わないみたいでしたが(きのこ嫌い)、ゼリーがおいしかったらしく、もう一個食べたいので(パスタ食べないと追加のゼリーは買わないと私がいったので)、パスタも無理してというかがんばって食べて、ゼリーをさらに2個持ち帰りました。

もう夜の8時40分とかそんなだったので、私たちが晩御飯を食べてる間にダルシャンは終わったでしょう。と思ってたら、帰る途中でアルティが聞こえてきたので、
「まだやってたのか!」
と、驚きました。

なので、バジャンホールの裏から、帰って行くババを見ようと思って、所定の場所に待機しました。

そしたらそれからも長かったです。
ババはなかなか家に帰りませんでした。

その間に、わたしの横の西洋人女性と周りのインド人女性たちがケンカを始めました。
「私に触るな」とか、
「あなたは私の後ろにいたはずでしょ?何でわたしの前に来るわけ?彼女(私のことか?)がそのことは知ってるんだから!」みたいな。

まあ、インド人は体を押し付けてくるし、それってかなり不快なので西洋人女性がぶちぎれるのも分かりますが。
まわりの他のインド人女性もその西洋人にけんか腰になって、言い争いになりました。
大体プッタパルティにいる西洋人女性は言い争いになるとかなり怖い感じで、わかいセバダルなんか泣いちゃったりするときもあるのですが、今日の彼女はちょっと迫力不足で、
単にカリカリしてる感じになっちゃって、そのうち自爆して怒りすぎてその場に入れなくなってどこかに去りました。
相手のインド人女性たちも、ちょっと柄が悪いといったら言い過ぎかもしれませんが、売られたけんかは倍にして返すような根性だったので、そうなると、やっぱりインドはインド人の縄張りですから、ものの言い方も腰が入ってるわけです。

しかし西洋人の気持ちも分かるので、彼女が去った後に、そこらじゅうのインド人女性がすでにそこにいない彼女を長いこと笑いものにしていたので、気の毒に思いました。

これがインド人同士だったら、カーストの感覚があるので、お互いの位置を認識して、上下関係を自ら認識するので、そこまで言い合ったりはしないのかもしれませんが。

先日知人に聞いた話によると、あるインド人がババに、どうして外国人にはアシュラムの宿泊施設なんかいいものを与えるんですか?と、不平?かなんかを言ったそうで、そしたらババは、
「外国人にとってはインドにいるだけで大変なサーダナ(修行)なんだよ。インドで息をするだけで彼らにとってはものすごいサーダナなんだから、そんなことを言うもんじゃない。」
みたいなことを言ってたしなめたそうで、
ほんとにねえ、と思います。
日本人はまだ引いて我慢できる感覚があるけど、
西洋人にはほんと、日本人とはまた違ったタイプですが、インド人の個人性のなさは時には生理的に耐えがたく、限界を感じるときが多いと思います。

なんか周りがみんなそんなふうに去った西洋人をいつまでも笑いものにしてて、ババが姿を現すのを私たちは待ってたわけなのですが、こんな雰囲気の中でいても意味ないかなとか思って、私も帰ろうかなとか思いました。

でも、この雰囲気がババが来ることで変わるところも見たかったので、「その先をみよう」という感じで、もうしばらくババを待ちました。

そしたらそのうちババが来たのですが、インド人たちはみんな親切で、主名を前にやってババが見えるようにしてくれて、主名は彼女たちに触られたくないというのでぐにゃぐにゃしてたのですが、彼女たちは主名に「チャンスを逃すな」とかいいつつみんなして前にやってくれました。

なのでババが去った後、彼女たちにお礼を言いました。
うーん、どうしてこんなに状況が変わるのかなとか思いました。

ババはいつもにも増して神々しく見えました。
なので感動して胸がいっぱいという風で、いい気持ちで帰ろうとしたら、
主名がパソコンでウルトラマンを見ることに関していろいろ私の譲歩以上にしつこく要求してきてうるさかったので、
頭にきて、感涙のいい気分が吹っ飛んでしまいました。

で、「お前なんか日本にかえれっ!」とかいって私も狂ったようにぎゃーぎゃー怒ったので、主名も「怒られた」と言ってめそめそ泣きました。

ああ、瞬間ごとがサーダナです。

しかし午前も午後もダルシャンがあったのはずいぶん久しぶりだと思います。
しかし、待ち時間は長いですね。
わたしらはちょろっと参加するだけですが、トークンから最後まで座ってる人たちは腰が痛くなったりするでしょうね?

今日なんか10時間以上座ってることになるんじゃないでしょうか。
それだけ集中できる状況にいる、ということはすばらしいことなんでしょうね?多分。

わたしらなんかもう、頑張りがぜんぜん利いてないです。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/18 03:45】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
コーチングスクール、マニプリのクリシュナ。ラクシュミー、ガヤトリー、バジャン&プージャ。
せっかく主名が学校に行く気になってて、私も行かせたいんだけど、昨日1ヶ月ぶりに登校させたら通わせてる学校が昨日から10日間休み、ということでした。

そしたら前に通わせてたコーチングスクールがしばらく休みだったのですが、また再開してるとの情報を得たので、じゃ、明日から突然だけど連れて行ってみよう、10日間くらいだけでも。と思ってたら、
昨日の夜にアシュラムでそのコーチングスクールの先生に出会ったので、翌日から10日間だけでも通わせたいことをいったら、翌日は用事があるかもしれないから朝6時くらいに電話してといわれました。

朝6時に起きてる自信がなかったので、そのスクールに通ってる知人に電話して聞きます。と言って別れました。

そしたら今日7時過ぎに知人から電話がかかってきて、今日は学校は7時から10時だというので、ひぇ~と思って、主名を起こして部屋でホットミルクとチョコレートケーキを朝ごはんにして、8時過ぎにそのスクールに連れて行きました。

でも、やっぱりこっちのスクールは温和でしっかり教えてくれるし来てる子供たちもなんというか、親の注意がしっかり届いてる子供たちなので、行かせるのも明るい気分になっていいです。
行って、子供が良くなるところに行かせてると思えるので。

ここ最近行かせてる学校は子供たちがむちゃくちゃで、物をお互いに奪ったりとかで勉強にならない感じみたいで、先生そこは先生ばかりなのですが、一人ひとりの子供に注意が行き届かないので、結果、なにも身につかないまま、本やノートや服なんかが汚れてぐちゃぐちゃになって帰ってくるだけの変化が見られるだけで、
行かせ続けてもどうにもならない感じなのですが、そこが今まで行かせた学校の中で一番妥協できるマシな、政府公認の学校なのでした。

主名も、制服を来てその学校に行く段階になると、しょんぼりして明らかにエネルギーレベル下降!というかんじなのですが、(帰ってくるときは友達にひどいことをされたと大体怒って帰ってきます。そんなの友達じゃないと思うのですが。)

インドでは学年ごとに資格をとらないといけないらしく、そうなると、政府系の学校に行かせないと先が続かないという面があります。
政府系の学校でのみそういう政府発行の?資格が取れるので。
しかしそれもお金を出せば非公式ですが半ば公然の秘密で資格は買えるという状況です。

今日行かせたコーチングスクールはとてもいいのですが、プライベートスクールなのでそういう資格は取れなくて(幼稚園からそういう資格を毎年とっていく仕組みみたいです)
対象の生徒もババの学校に入学前の年齢(3歳半から5~6歳まで)の子供たちで、そこのスクールに通ってる子はみんなだいたいババの学校に入学していくので、
すでに7歳の主名はすでにそこで受け入れてもらうのは難しい年齢になってます。

まあ、とにかく今日はそこのコーチングスクールに行かせて、私はN棟の裏の無料のキャンティーンに食べに行きました。
今日は押米の料理で、わたしはこれがあんまり好きじゃないのでちょっとだけもらって、もそもそといった感じで食べました。

そのあとココナツを飲んで食べて朝ごはんは終わり。

コーヒーショップと売店の間を抜けて帰ろうと思ったら、ラクシュミーテンプルの近くになにか展示物があったので回ってみて帰りました。コーヒーショップの隣にも最近デリーの近代的な寺の模型が設置されていたのですが、ラクシュミーテンプルの近くにも、インド各地の重要な寺の模型が設置されていました。

説明を読みながら興味深く見ました。

マニプリ地方の、クリシュナテンプルの展示もあって、それを見たときになぜかこみ上げてくるものがあって涙がでました。

マニプリは中国に近いので、中国人、つまり日本人みたいな顔立ちの人が多く住んでいて、私も時々「マニプリ出身か?」と聞かれる時があります。

クリシュナは、こないだクリシュナの生誕地に行ったりして、なんだか前よりももっとシンパシーを感じるようになったのかもしれません。
こうやって、特定の姿に対する執着が形成されていくんだなとか思いました。

マニプリ&クリシュナのダブルの情報で、なんだかわたしの心の扉が開いた感じでした。

いっぺんくらいマニプリに行ってみたいような気もしますが、あんまり外人の観光客とかいかなさそうな気もするので、難しいと思います。

そのあと、ついでにラクシュミーテンプルの周りを回ってお参りをしました。
丁度アルティがささげられていました。
熱心なインド人女性に足をちょっとふまれました。
アルティの火に押し寄せて、足元をぜんぜん見てないという。
しかしみんな熱心だ。

そのあと、よこのガヤトリーテンプルにもおまいりしました。

こちらはすいてました。

寺の周りをくるくると歩いて回ってお参りしていたら、
なんだか、ここのガヤトリー女神はインドでも一番幸福な女神な気がしました。
こういう言い方はおかしいかもしれないですが。

というのは、みんなが真剣に毎日祈りをささげてて、ガヤトリー女神はその気持ちを受けて幸福に輝いているような気がしたからです。

そして、そういう、毎日の質の高いプージャや祈りがここの女神にささげられている、そのとぎれない祈りのバイブレーションの美しさに触れた感じがして、またこみ上げるものがあって、泣けました。

そのあと、すでにバジャンは始まっていて、どうせババは来ないだろうから部屋に帰って用事をしようかな?と思ったのですが、

そういえば、今朝、朝のダルシャンに行ったらババが来てて少し意外だったという夢を見たように思ったので、
バジャンに行ってみました。

そしたらすでにホールは後ろまでいっぱい、、、と思ったら、前の中央のスペースがごっそり空けてあって、なにかプージャをするみたいでした。


久しぶりにホールの中に入ったような気がして、しばらく座ってバジャンを歌ってましたが、
10時に主名が帰ってくるので、9時半くらいに部屋に戻りました。

主名はもう帰ってきたし、またアシュラムを覗きに行ってこようかと思います。

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2010/11/17 14:15】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ああ、学校は。。。?
今日は、主名はきちんと時間に間に合うように用意して学校に行きました。
マトゥラーから戻ってきてから初めてなので、実に一ヶ月ぶりくらいでしょうか。

わたしはその後自分のご飯をアシュラムのパン屋で食べました。

今、N棟の裏で無料で食事を3食配ってるので、
朝ごはんは食べたけど、様子を見に行きました。

そこにいたセバダルに聞いたところ、食事の時間はサウスインディアンキャンティーンとほとんど一緒なかんじでした。

あしたは朝、ここに食べに行こうかな?

今月25日くらいまで配るそうです。
聞いたところによると北インドの帰依者が大金を寄付したとか何とか?


部屋に帰ったら主名が漫画を読んでいました。。。

今日から10日間学校は休みだそうです。。。久々の登校だったのに。



昼はチベッタンレストランで食べて、主名は友達の家に遊びに行き、わたしは知人のお店に写真を撮りに行きました。

夕方雨が降ってきました。
いつのまにか主名も友達の家からこっちに来ました。

そのあと荷物を部屋に置きに行って、ダルシャンに行きました。
6時半ごろだったでしょうか?

ババはもう来ててバジャンになってて、、あ、じゃないや。
ババはアシュラムの外に車で出かけてたんでした。

なので女性側に行こうとしたら通行止めで通れなかったので、引き返し、主名は男性側に入り、私はぐるっと回って女性側に入りました。

今日もトークンスペースまでしか入れなかったので、適当なとこに座ってみてました。

私が女性側に入ったときにはババはもう戻ってきてて、ホールの中をサリーやドーティーを関係者に配ったりしながらうろうろしていました。

うろうろして、ババはそのまま家に帰ったような気がします。
なんか、何が起こったかよく分からなくて、ホールの中の人もみんなわーっと帰っていったのですが、バジャンは続いてて、あれ?どうなってんの?てかんじでした。

しばらくして、待つのがいやになったので、主名と待ち合わせをしてたウエスタンキャンティーンに行きました。

主名はまだ来てなかったのでしばらくそこらへんに座ってましたが、アルティになったので、ババの家が見えるほうから家に入っていくババを見ようと思って行ったのですが、
ババの姿はなかったので、やっぱりそのままさっき家に帰っちゃったのかもしれないなと思いました。

よくわからんかんじでした。

その後主名と会ってウエスタンで夕食を食べました。
主名はフライドライスとかスープとか食べてましたが、私はスパゲティにしました。
実は病気してたときにおいしいスパゲティが食べたいと思ってて、今日のはおいしそうだったので
食べました。

欲望が満たされて満足しました。
パスタはサイババアシュラムのウエスタンキャンティーンのパスタがインドで一番おいしいんじゃないかと思います。
ラザニアとかも、その日によりますが、おいしいときはホントすごくおいしいです。
ちゃんとイタリア人の手とチェックが入ってるので。
食べる外国人たちの舌も肥えてるし。


インドの高級なホテルとかでもパスタはいつも思い切りがっかりなのが多いですから。
なんというか、根本的に違うものが出てくるというか。
根本的にコンセプトが違う感じ。

いやしかし、食べることになると書くのにも熱が入りますね。
続きを読む

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2010/11/17 01:56】 | 主名の学校 | トラックバック(0) | コメント(0) |
無料の食事、は楽しい。
今日はわたしたちは夜の7時過ぎにアシュラムに行ったのですが、まだ音楽プログラムをしていました。
めずらしく、静かな感じの、びよ~~ん、ぴよ~~~ん、といったシンプルな演奏でした。

女性側の階段を上がったらまたもやホールの中へはもう入れてくれない状況で、みんなトークンスペースに座って前のモニターを鑑賞していました。

アカンダバジャンを境に人が増えた感じでしょうか?

わたしたちもしばらくそこに座って演奏を聴きましたが、たいくつしてきたし、主名もプラサード(お菓子の)は、もういっぱいもらったからいらない。行こうよ。というので、ホールの外からババの姿を確認して、ご飯を食べに行きました。

N棟の向こうにテントが張られていて、今日くらいからそこで無料の食事が配られてるみたいで、主名がそれを食べたいと言い張るので行きました。

まだダルシャン中の変なタイミングで行ったので、わりとすいていました。

お皿に主名はカードライスとチャツネを、わたしは辛いのはやめとこうと思ってても、見たら欲深で食べたくなって、カードライスと辛いチャーハン、ダル(豆のスープ状のもの)と、サブジ(野菜のカレー味の煮物)とチャツネをもらいました。

チャパティもあったのですが、チャパティはやめときました。

味はサウスとほとんど一緒でしたが、微妙に違う感じで、でもほとんど一緒でした。

私は昨日も辛いご飯のプラサードを食べて、おいしくて、今日も全部からかったのですが、完食してしまいました。
大丈夫か?と思いましたが、
だめだったら体が拒否するから、大丈夫なんだろうと思います。

戸外でご飯を食べるのって楽しいです。

音楽プログラムは「サリサリサニサニガパマダサニサニ」みたいなインド音楽の歌になってました。

でもそのあと、わたしらはウエスタンキャンティーンに行って、わたしはスープを、主名はじゃがいものおかずをさらに食べました。

食べ終わって外にでたらダルシャンも終わったみたいでホールから出てきた人がたくさんやってきたので、わたしたちはその流れに逆らってガネーシャゲートに行き、部屋に帰りました。

やっぱり辛いのを食べて多少ラジャスになると、なんとなく気合が入って活動しようという気になるからその点は自分にはいいのかもしれません。

それにしてもサウスのご飯てなんか癖になります。
辛いのって中毒になったりするんでしょうか?
辛いだけじゃあいやだけど、やっぱり力があるというか、エネルギーが高いんだろうと思います。

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2010/11/16 03:49】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ありめ!
ありのばか~。
夕方パソコン(ラップトップ)をパカッとあけると、パソコンの中からありが行列を作って続々と出てきました。

あー、インドはいやだ、、、。

とりあえず出て行くやつは出て行かせて、しつこく中にいるやつはパソコンをバンバンたたいて追い出しました。

それでもまだけっこう中にいるみたいで、すきまからチラッと頭を出して外をうかがっては中に戻っていくやつらがたくさんいます。

まだ、卵やさなぎをパソコンの中に運び込んではいないようなのでよかったです。(たぶん。。)

夜にダルシャンに行くときに、パソコンの置き場を変えて出て行ったのですが、やはり帰ってきてみるとそこにまたありが集まっていました。

なんでパソコンに入りたがるのでしょう?

端末の差込口みたいなところからぞろぞろ出てくるのを見ると力が抜けます。

と、そうだ、と思っていまさっき、DVDとかを入れるところを引き出してみたら、
ぎゃーーーっ!

ありも一緒に中からどっさり引き出されて下に落ちました。

対処しきれないのでいったんまた閉めて、落ちたありを処分して
(アヒムサなんて言ってられません。残念ながら。)

また開けて処分して→閉めて→開けて処分して
を何回も繰り返して、やっとDVDのところからはありがあまり出てこなくなりました。

いったい中はどうなってるのか、考えるのも恐ろしいです。

パソコンを買ったネットカフェで分解掃除をしてもらったほうがいいのかも。
すきまに挟まって死んでるやつもいるし。(とれない)

ちなみに前使ってたパソコンは、キーボードの下のふわふわしたやつ(シリコンみたいなやつ)をありにみんな食べられてしまってキーボードが使用不能になりました。

ここのありは、硬いプラスチックケースなんかも食い破るガッツがあるのです。。。凶暴。

何ヶ所かかまれました。毒アリです。

しっかし、後から後からいくらでも出てきます。あり。
今この文章を書いてるパソコンですが。

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2010/11/16 02:27】 | 動物 | トラックバック(0) | コメント(0) |
アカンダバジャン終了。
今日は朝ちょっと出かけて、部屋に戻ってきてだれかのインド旅行ブログを見てました。
そのバックパッカーの人はプッタパルティにもしばらくいたみたいですが、
どこかインドの別の場所で3日で2回も犬にかまれたらしく、
先日サルに引っかかれた私は思わず同情。

しかし犬にかまれた場合は速攻狂犬病の注射をしなければならないので、やることがはっきりしてていいといえばいいですね。

サルに引っかかれるって、なんかちょっと微妙な感じなので。

肝炎もいろいろその後調べてみてたんですが、調べてるときりがないけど、経過とか症状の出かたからすると、やっぱり薬物性の肝炎だったっぽいです。
しかしその場合、多分アレルギーも出たんだと思いますが、同じ薬を2度と飲まないように、そのときの薬は覚えておかないといけないようで、でも、「もうこんなの見たくないよっ!」というかんじで捨てちゃって、薬の名前とかは書き留めてませんでした。

まあもう、薬はやっぱりなるべく飲まないにこしたことはないなと思います。

主名は昼からまた友達の家に遊びに行って、
夕方その友達と一緒に帰ってきたのですが、彼らはネットでユーチューブのウルトラマンを見たかったらしく、
でも今日は結構長いこと停電だったので、部屋には入れず、
「2人で男のほうのバジャンに行ってプラサード食べといで」
と送り出そうとしたら、友達は逃げて?消えてしまいました。

なので主名と一緒にアシュラムの女性側からアカンダバジャンにはいろうと思って行きましたが、
6時前だともういっぱいで入れない感じでした。

そのころになってようやくババが来てたので、ホールの外から眺めました。
そのうちアルティになって、アカンダバジャンは結構あっさりほぼ定刻に終わりました。

そのあと、明日からの降誕祭に向けてのプログラムがアナウンスされて、プラサードのご飯が配られました。

わたしらはホールの外で主名の友達とその家族と世間話をしてたのですが、
そのうち女性側に入れる感じだったので行ってみました。

そしたらトークンスペースにみんなたまっててぎゅうぎゅう詰めでした。
わー、大変。と思いましたが、座って待ってたらそのうち前のほうからプラサードのご飯が配られて、
もらった人からどんどん帰っていったので少しスペースが広くなりました。

もらえないかと思いましたが、そのうちもらいました。
辛い混ぜご飯と、甘く煮たご飯でした。

辛いのは肝臓にやばいかなと思いましたが、
プラサードだしと思って、おいしかったこともあり、完食してしまいました。
おいしかったです。

そのあとちょっとやっぱりううっという感じもあったかもしれませんが。
甘いのも主名はおかわりまでもらって食べてました。

もうそれでおなかいっぱいになったのでそれが晩御飯になりました。
米ばかりの晩御飯ですが。

そのあと主名は部屋でネットでウルトラマンの歌を聞きながら歌詞を紙に書き写していました。

わたしは用事で占星術師のところに行きました。

最近は暑くも寒くもない感じでとてもすごしやすいです。

そういえば、昨日主名の友達のお父さんとしゃべってて、水質検査をしたら水道水に含まれる水銀は規定の数百倍だかだったとかいう話を聞きました。
毒だよ。飲んでたら死ぬよ。

ということで、
水道水はもともと恐ろしくて飲まないですけど、料理をするときに野菜を水道水で洗って、どうせ火を通すしこれくらいいいかと思ってそのままなべに放り込んでましたが、それを聞いて、なべに入れる前にも最後に飲料用の水で洗ったほうがいいかもと思いました。

ネパールのカトマンドゥの川もひどかったですが、こういうかんじの国は環境に配慮、というところまでまだ意識をまわす余裕がないんでしょうね。
ネパールとかインドなんかは動物とかうろうろしてて自然と人が共存、みたいなイメージがありますが、
空気汚染も都市部ではすさまじいみたいです。
排気ガス真っ黒な車がたくさん走ってるし。。。

以前八重山の西表島にいたときも、すごく自然は濃くて豊かだったのですが、やはりごみ処理なんかは集めて火をつけて燃やすか(有毒ガスでまくり)、鍾乳洞に投げ捨てる、というかんじでした。
壊れたバイクなんかも鍾乳洞に投げ入れてました。

でも個人の力では限界があるんですよね。

やっぱり全体の意識が向上しないことには。

私が育った西宮なんかも子供のころ、川や海はヘドロみたいなのばかりですごく汚かったのですが、大人になって震災後何年もたってから行ってみたことがあって、そしたら川なんかものすごくきれいになってて、大きな魚がうじゃうじゃ泳いでいたのですごく驚きました。

震災でみんなの意識が向上したのか、やっぱきれいな川や海がいいとみんなが思って行政が動いたのかしりませんけど、その明らかな水質の改善の様子を見て、わぁーーーと思いました。

きれいな環境じゃないと自分らも病気になるし、きれいな環境だとそれだけで気持ちいいし、
環境のよさと便利さと気持ちの充実感と、ぜんぶあってほしいです。

と、ごみだらけのプッタパルティの道を部屋に歩いて帰りながら、よく思います。

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2010/11/15 02:38】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
アカンダバジャンが始まったんだけれども。
今朝は7時くらいに目が覚めて、横を見ると主名が大しょんべん、、、おねしょをしてて、でも熟睡してたので(いつも)急いで起こしてトイレにやりました。

主名は今朝は学校に行く気満々で、パンツを履き替えたあと、制服を着て学校に行く用意をしてたのですが、
今日は第2土曜だし、学校があったとしても私服でいい日なのでまた私服に着替えさせました。
第2土曜日は保護者会みたいなので、学校、あるのかなあ?と思いましたが、
とりあえずサウスに朝食を食べに行きました。

行く途中で主名の学校の女の子が話しかけてきたので聞くと、今日も明日も学校はあるとのことでした。

しかし主名は朝に大おねしょして冷えたらしく、咳やくしゃみをしてしんどそうだったので(これもいつも)
無理せず休ませることにしました。

バジャンにでてから部屋に戻り、私だけ少し買い物に出たり、路上の人らに食事を配ったりして、ちょっと疲れました。

部屋に戻って昼ごはんを作り、
(主名はマギーマギーというので、主名の昼食は今日はマギー。(袋ラーメン)でも野菜いっぱいでうまいと言っていた。)
食べたら私はおきてられなくなるので今日も食後に寝ました。
血が足りんのだろうか?

夢うつつの中で主名が友達のところに遊びに行くのを送り出しました。

夕方おきて、パソコンをして、そうだ、と思い、
主名が遊びに行った先の子のお父さんに聞きたいことがあったので、私もその家に行きました。

そしたら丁度道で帰ってくる主名に会ったので、また一緒にその家に行きました。

ちょっと聞くだけのつもりが、どうぞといすを勧められて座ったらしゃべりだして(わたしが?)
夕食もご馳走になりつつ4時間くらいしゃべってました。

久しぶりに日本米と日本のカレーを食べました。
でもまだ辛いのはなるべくやめてるので子供用のほうの辛くないカレーをもらいました。

肝臓をやられて、10日間くらい主食がりんごとバナナだったという話をしたら気を利かせてくれたのか、
りんごとバナナも出してくれました(笑)

ブラックティーを出してくれて、
病気以降、初めて紅茶を飲むな~と思いつつ飲んだのですが、
(紅茶とコーヒーは肝臓に負担かと思ってやめてました)
やっぱまだ体が拒否して、少ししか飲めませんでした。

そんなわけで、今日は夕方6時からアカンダバジャン(24時間連続バジャン)が始まっていたのですが、他人の家で居座って、まったりとすごさせてもらってました。

子供らは飽きもせずにずっと、汗だくになりつつチャンバラごっこみたいなことをしてました。

夜9時過ぎにその家をでて、少しアカンダバジャンに行きました。
といっても、サウスインディアンキャンティーンの夜のお茶とドーナツが目当てだったのですが、
9時過ぎにはまだ夜食は始まってなかったので、
サイクルワントホールに入ってアカンダバジャンに参加して、10数曲歌い、(30~40分くらい?)
10時過ぎにまたサウスに行ったら、今度は夜食が始まってました。

なので、主名は目当ての紅茶とドーナツをゲットして(2つも買ってました。1つは朝ごはんにするんだといって。)
食べて、部屋に帰りました。
(なんてゆるい参加だ。ゆるすぎる。。。)

主名は、せっかくアカンダバジャンやってるんだから、もうちょっといようよ、と言ってましたが、
私はもう眠くなったし一応まだ1ヶ月くらいは安静気分なので帰ってきました。

まあ、24時間やってるんだし、明日の朝もまたちょっと行こうと思います。

でも、アカンダバジャンのような、アシュラム全部が夜更かししてるような雰囲気は楽しくて好きです。
みんなで夜更かしって楽しくないですか?

学生のころ、夜中じゅう飲んで歌って騒いで、朝まで生き残った面子で夜明けにラーメンを食べたような感じを思い出すんですけど、
なんか間違ってますかね。

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2010/11/14 03:23】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
電飾のガネーシャテンプル
今日は6時半くらいに夕方のダルシャンに行きました。

しばらくしてババが来ました。

ゆっくり時間をかけてサイクルワントホール内やバジャンホールをまわり、正面にババが姿を現したときはやはりなぜか感動的でした。

なんでかなあ?とか思うんですけど。

知ってる歌が多かったので、ひさしぶりにバジャンを私も歌いました。

しばらくずっとバジャンで、アルティで、終わりました。

終わったのは7時半くらいでした。

まだ人は少なめで、みんなおとなしめです。

明日の午後6時からアカンダバジャンが始まります。
24時間バジャンなのであさっての午後6時まで続きます。

たくさんのバジャングループがリレーのようにバジャンを24時間つないで歌います。

インターナショナルバジャングループ、今年は参加人数が少ないのか、参加しないかと声がかかりましたが、
病気してまだ休養が必要だからといって断りました。

のんびり参加させてもらいます。

主名はアカンダバジャンのときにサウスインディアンキャンティーンで食べる、夜中のドーナツが好きらしく、
楽しみにしています。

聞いた話によると15日あたりから降誕祭のプログラムが始まるとのこと。
ちなみにババの85歳の降誕祭は23日です。

ということはそれくらいから人が世界各地から集結してくるのでしょうか。
いよいよか?

日本からのツアーももうすぐ来ると聞きました。
どのくらいの人数が来るのでしょう。

ガネーシャテンプルも今晩は突然、降誕祭仕様になっていました。
突然ど派手で電飾ぎらぎらで、一夜にして盆踊りのやぐらかパチンコ店かというめでたさです。
びびりますよ。ほんとに。

この電飾がそのうちアシュラム中に広がって、ババの家も電飾ですごいことになるんでしょう。
この電飾でババ、寝れるのか?とか思います。

主名は昨日、
「もう学校やめた」
などと宣言してましたが、

今日は
「明日学校に行く」
と、宣言を自らくつがえしていました。

しかし、明日は学校あるのかなあ?

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2010/11/13 02:01】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
お尻が見えそうなババの夢
今朝はババの夢を見ました。

ダルシャンに登場したババは、側近数人に付き添われてましたが、ズボンかドーティーかなにかそういうはくものがずれて、お尻が見えそうでした。

なので、側近はあせってて、わたしも、「あー、お尻見えそう」とか思いましたがババはあまり気にしてないようでした。

そのうちババはわたしと主名のところに来て、主名に「祐介」「祐介」としきりに話しかけました。
ゆうすけじゃなくて、主名なんだけどなー、と思いましたが、私は何も言いませんでした。
私の4人の弟のうち、真ん中の2人が双子で、ゆうじとだいすけなので、その2人とババは間違えてるんだろう、と思いました。

ババが主名に何を話しかけていたのかは忘れました。

そのあとババは私を連れて別の場所に歩いていきました。

ババは
「今日はトラヨダシだ」
と言ったので
「え、トラヨダシですか」
と、私は聞き返しました。

その後、わたしは自分がしゃべるときに突然英語でしゃべって、
「私はあなたに近づくよう、努力し続けます」
みたいなことを言ったのですが、ちょっとしどろもどろでした。

そのあと、まだ一緒にいたので、なにか質問しようかなとか思ったのですが、
何を質問しようか考えてるうちに目が覚めました。

そんな夢でした。

起きてから思ったのは、ババは主名のことを双子の弟の合わさった名前で呼んだことで、もう一人の子供を示唆してたんじゃないかと言うことです。

というのは、今まで何度か2人目の子供のことについてババと夢で話をしたのですが、
最後にその2人目の子供の話しをしたときには、ババは、
2人目の子供は主名と同じひとつの魂が2人に分かれて順番に来る、なぜなら一度に来ると私が受けきれないから、みたいなことを言ってて、
はー、そうなのかー?と思ったのですが、

別の話題として、主名という名前は生まれる前から生まれる魂の感覚と一緒に来てて、私は自分で考えたという意識はあまりないのですが、
別の、サイババ帰依者の女性も子供が生まれたら主名とつけようと思ってたそうで、でも彼女はまだ結婚してなくて、あるときすでに主名という名前の子が生まれててプッタパルティで対面したので、そのときに驚いたそうで、
彼女は占いとかでは双子を生むと言われてるそうで、
もし私の条件が整わず、彼女のところに主名が行ったんだったら、きっといっぺんに双子として生まれたんじゃないかなとか思ったりもしたことがありました。

そんなことを思い出しました。

そんなわけで、私はもう一人の子供が生まれるタイミングを待ってるとは自分でも感じてて、いろんな人にももうその子が来てると言われて早数年なのですが、

が、しかし、
主名ひとりでさえろくな教育を受けさせれてないようないびつな状況なので、
こんなのでもう一人というのはあまりにも無責任じゃないかとか、
一人で2人を育てるなんて無理しすぎじゃあ?体力も衰えてるし。とか、
きっとまたみんなからのバッシングの種になってしまうんだー。とか思って、積極的な気持ちにはあまりなれなくて、
そんなことを思いつつ昨日は寝たかもしれません。

しかし、夢から覚めて、ババは2人目の子供のことを示唆してるんだなーと思ったのですが、そのうち、
双子の名前がひとつになって主名の名前になってたということは、もう主名の中に2人ともあわさって、これ以上産む必要ないってことか?
と逆の意味にもちょっと思えたりしました。

もしこれが神の計画の一環なら私は余計なことを考えずに自分の責務を果たすだけなのですが、(産むってこと)それがどうかよくわからないという。

というわけで、次の夢ででもババにもっと明らかにしてもらいたいところです。
普通は、最初に思ったのが正しいと思いますが。

しかし2人目となるといろいろ、主名のときよりも逆風な気がするのですが
主名は以前調べてみたところ、私にエネルギー的に干渉して大変な感じらしいのですが、
2人目の子供は私に共鳴して助ける存在になるそうなので、
出て来たら出てきたでいろいろ状況が良い風に変わるんだろうとは思います。

それにしても、夢の中でババと一緒にいて、それまでテレパシックに会話できてたのに、
私がしゃべるときに突然英語でしゃべろうとしてしどろもどろになるとは、
これは現地にいて毎日ダルシャンを受けてる弊害のほうだなと思います。
必要ない現実感覚にとらわれてるので。

夢の内容も、ダルシャンの会場での夢が圧倒的に多くなってしまったし。

ああしかし、ババの夢を見た後はなんとなく一日ほくほくしたかんじになります。

テーマ:夢日記 - ジャンル:心と身体

【2010/11/12 15:56】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
寝た日
今日は午前にショッピングセンターで日用品を買って帰りました。

昼、部屋で食べた後に寝たら1時から6時まで寝てました。

実によく寝ました。

やっぱりまだ疲れ方が激しいと言うか、ちょっとがんばったらふらっとして変な汗が出そうになる感じです。

アシュラムではあちこち徒歩で移動するので歩くことが多くなっていいのですが、それだけで一日が終わる感じです。


今日の午後はババはダルシャンはお休みだったみたいです。
6時半ごろにかかってきた知人からの電話で知りました。

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2010/11/12 01:25】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
薬物による肝炎
今日は、肝炎について調べていました。

こないだ私がなったのは、薬物による肝炎で、ウイルスによるものとは違うと思ったのですが、多分その予想は正しそうです。

薬物が強すぎてか何かで肝臓が処理し切れなかったというのと、薬物アレルギーで肝臓にきたというののどっちもかなと思います。

多分、風邪を引いて熱が出て頭痛や関節痛がしたので、その熱と痛みに対して医者から出された抗生物質か何かがその原因じゃないかと思うのですが、医者に処方されて2日間はまじめにその薬を飲んだのですが、たしか2日目の夜に全身じんましんみたいにかゆく赤くなって、その翌日の朝に肝臓がおかしくなった自覚症状が出て、(どーんとして内臓が腫れてる感じ、濃い茶色い尿、ご飯がぱたりと食べれなくなった、心身ともにだるくなって動けなくなった)
薬をやめたのですが、それらのことを考え合わせると、薬物アレルギーによる肝炎になったんだろうと思います。

その後しばらくご飯が食べれなくて、フルーツばっかり食べてたことは前にも書きましたが、
その後もういっぺんくらい全身がかゆく赤くなって、肌が毛細血管が開いてしまったみたいな変な感じになりました。なので赤黒くなって、表面に血が滲み出してるような色合いになって、まだらにもなりました。

今はその表面に出てきたみたいな血の色も吸収されてほぼ普通の肌の色に戻りました。

肝臓なので、黄疸が出るかと思って注意してみてたのですが、マトゥラーにいたときに1日くらい出たような気もするけどそんなにすぐに黄疸てきえるものなのかよく分からないので気のせいかもしれません。

治療というのは劇症化しなさそうな場合は単に「安静に」というかんじらしいので、
症状としてはもうほとんどなくなりましたが、動けるようになったからといって、あんまり飛ばさないように安静にさせてもらおうかと思います。

Liv.52は毒物を排出する働きとかもあるみたいなので、
飲んだ翌日にもう調子がよくなって、フルーツ以外のものが食べれるようになったのは、まだたまってた薬物を排出してくれたからかもしれないなあとか思いました。



今日は7時前にダルシャンに行ったのですが、ババはまだ来てなくて、来たのは7時ごろでしょうか?
30分くらいババは前でバジャンを聞いてて、そのうち学生を前に呼んでネックレスか何かを物質化して首にかけてあげたみたいで、拍手が起こっていました。

帰りはババは車で帰っていきました。
ダルシャンが終わったのは8時前くらいだったでしょうか。

しかし今のこの時期に人が少ないのが不気味です。
少し前まで毎日がんがん出てたプラサードもなしで、なんとなく湿っぽい感じのバジャン&ダルシャンなふうに感じますが、人が少ないのは楽なのでなによりです。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/11 02:40】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
身辺整理
数日間は完全休養しようと思ったのですが、なんやかんや動きまくっていて、気がつけばほとんどフル活動状態です。

もうちょっとちゃんと休まないと。。

しかしこっちに戻ってきたらとたんに、いろんな人がいろんな情報を流してくるので、なんだろうとか思います。
情報を吸い込みそうな顔をしてるんでしょうか?


プッタパルティは曇りや雨がちと言うこともあると思いますが、すごく静かな感じです。
ダルシャンも、朝なんかがらがらです。

ババの85歳の降誕祭のわずか2週間前とは思えません。
この静けさがちょっと怖いです。

今日の夕方はサイクルワントホールの中に入りましたが、主名はもう7歳なので隔離席に座りました。
さらに、セキュリティに、主名はもう男性側に行くようにといわれました。

わたしもそのほうが気楽なのですが、主名は女性側に来たがります。

ブリンダバンでサルにメガネを壊されて、新しいのを作ってないので、ババの姿もにじんだオレンジの色にしか見えません。

でももうしばらくは世界をはっきり見たくない感じ。
眉毛もかいてないし、世界も見ず、自分も気合が入ってなくて、まだ世界に巻き込まれたくないです。


しかし留守の間、プッタパルティは雨続きだったからでしょうけど、帰ってきてみると部屋に結構カビが生えてたり、虫がわいてたり!
そして今日はキッチンの蛇口のひねるところが壊れました。

いらないものはどんどん捨てて、余計なもののない生活に近づけるように、掃除中です。

ものがあると、何かのたびにそれについて考えてるので、ものがいっぱいだと物のことにかかずらわってあっという間に一生が終わる感じがしていやなのです。

いつもバックひとつでどこにでもいけるような身軽さが私にはあると思っていたのですが、
気のせいだったか?
【2010/11/10 02:00】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
久しぶりの味噌汁。
今朝は主名はまだ寝てたので部屋において、バジャンに行きました。

先にサウスで朝食を食べました。
ウプマ、私の好きなサンバルかけだったけど、まだ辛いものはやめといて、サンバルなしのウプマと、ホットミルクにしときました。

ババは今朝はこなかったけど、予想外にうきうきした気分になりました。
そしてババの臨在みたいなものを感じた気がしました。

その後ウエスタンに行って主名のご飯を買って帰りました。

やはりたまにプッタを離れると、視点が新鮮になっていいものです。


さっきはすごい久しぶりに味噌汁を作って食べました。
1年以上は軽く作ってないと思います。

麩とわかめもあったので、野菜と一緒に入れましたが、
久しぶりすぎるくらい久しぶりに味噌汁を飲んだらやけに充実感を感じました。

主名もすでにわかめを認識できなくて、「なにこれ?なすび?」とか言ってました。

主名はいまさっき、ドラえもんの映画のDVDを見終わって、こっちはこっちで充実してるみたいです。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/09 17:44】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
プッタパルティに到着しました。
6日にマトゥラーから列車に乗りました。

いつも、すかさずクーリー(荷物を運ぶ人)を確保して、座席まで案内してもらうのですが、(探すのとか大変だから)なかなかクーリーがいなくてあせりました。

しょうがないから、売店の人とかに自分の席の乗り場はどこか聞いてもみんな

「アゲ」

とか言うばっかりで。

「あっち」とか「向こう」とかいうことらしいんですけど。

でも途中でクーリーを確保できてほっとしました。

帰りも2Aとかいうエアコンの席をとったのですが、ACの車両って、すっごいはじっこにあるので、
ここ2日間、少し歩く練習しててよかったとか思いました。
乗る場所までけっこう歩きました。

乗ったら、乗客のラップトップ(ノートパソコン)所有率がすごく多くて、時代の流れを感じました。

私の区画は定員6人でしたが、
よそからも集まってきたのか、一時私のを含めて5台のラップトップが同じコンパートメント内に集結していました。

わたしは暇なときに少ししたらすぐに酔いそうになったのでやめましたが、若いお兄ちゃんなんか、寝るまでやってて、お腹の上に乗せたまま寝てしまい、
早朝に起きたらすぐにまた始めていました。

みんなDVDを見たり、音楽を聞いたりしてる人が多かったです。

開いたまま、やりかけのラップトップをおいたままみんなどこかに行ったり、
エアコンなしの車両と、エアコン車だとだいぶ雰囲気が違いますね。

それでも、行きはたまたま1Aの席に行かされたので、そのあとに2Aの席に乗ったら、
「あれ?2Aってこんなに狭かったっけ?」
とか思いました。

ずっと2Aに乗ってなくてエアコンなしのローカル席ばかりだったので、2Aがいつのまにか美化されてたみたいです。



そして今日の昼前くらいにほぼ定刻どおりプッタパルティに着きました。

やれやれのやれやれです。

列車に乗ってる時は少し雨模様みたいでしたが、降りるころにはやんでたのでよかったです。

プラシャンティニラヤムの駅はババの降誕祭の準備が少し行われていて、なんか布で中途半端な感じに飾られていました。

アパートの部屋に戻って洗濯の洗い物をドーピーに出したり、自分たちも風呂に入ったりしてから
ハヌマーンヒルロックカフェに昼食を食べに行きました。

普段は行かないですが、今回の旅行は食事がなんか大変だったので、ちょっとおいしいもの食べてバランスをとりたくなって。

ああ、何も言わなくても辛くない食事がでてくる、、、と、それだけでうれしかったです。
2人でコースを頼みましたが、
スープとサラダがすごくおいしくて、メインはわたしはリゾット、主名はラザニアを頼んだのですが、私のリゾットを2人でつつくだけでお腹いっぱいになって、
ラザニアは持ち帰りました。

デザートは主名はバニラアイス、わたしはミントシャーベットを食べました。

堪能しました。

その後、主名の友達んちに行って、しばらくダラダラごろごろさせてもらいました。

そこのお母さんにも子供にも「顔が変わった!」とか言われました。
まあ、多少やせたのと、めがねがなくなったのと、眉毛をかく気力もなかったのですっぴんで行ったからでしょう、と思いましたが、やっぱそれだけじゃなくて、フルタリアン生活で浄化されちゃったのかもしれません。
ほんと大変でしたよー。

そのあと、いったん部屋に戻って荷物を置いてからアシュラムに行って、ホールの外からダルシャンを受けました。

その後、ウエスタンキャンティーンで夕食にしました。

あんまり急に食べ過ぎないようにしようと思いましたがお腹いっぱい食べてしまいました。

でもまだ胃が小さくなってるままみたいなので量はさほどでもないのですが。

しかし、プッタパルティはやっぱり楽です。

主名も「なんか元気がでる」とか言っていました。

今回ほんとくたびれたので、もう数日休養します。

hanu

プッタパルティで一番洗練されてるっぽい食べ物やさん。
ハヌマーンヒルロックカフェ。
いやされる~。

窓の外を見るときは目にかすみをかけて、しばしインドから逃避。

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2010/11/09 03:25】 | マトゥラー&ブリンダバン | トラックバック(0) | コメント(0) |
昼過ぎに、りんごを買いに出ました。

ホテルの人に教えてもらったように近くを歩いたけどなくて、(休日明けでみんな店やすみとか?)
オレンジジュースやさんでオレンジ(モサンビ)ジュースを飲んだついでに、どこで果物を買えるか聞いたらホーリーゲートまで行かないとないという話だったので、サイクルリキシャに乗ってホーリーゲートに行きました。

途中で露天のりんごやを発見したので2キロ買いました。

その後、主名のズボンも2着買いました。

で、いったんホテルに戻って公園に行きました。

きれいな広い公園で、遊具があると思って行ったのですが、なかったです。
それでも主名は土をほじくったり、リスを追いかけたりしてなんとなく遊んでいました。

今日、やっとマトゥラーがちょっと好きになった感じでした。
わりに住みやすい街かもしれません。

サイクルリキシャがすごく多いあたりが。

来た日に働くらくだを2頭見ましたが、そういえばあれ以来見ていません。

今日の夜11時くらいの列車に乗る予定なので(いつも「予定」としかいえない不確実さ)
これから風呂に入って、荷造りをしようかと思います。

今は夕方の5時半です。
自分で帰れるとは、よかったなという感じです。

ほんと一時は、誰かに迎えに来てもらわないといけないかなと思いましたから。
【2010/11/06 21:04】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) |
帰プッタ。
今日の夜の列車のチケットが取れたみたいなので、今日の夜11時くらいのカルナータカエクスプレスでプッタパルティに戻ります。

列車が遅れませんように~。
(前回は12時間遅れました)

昨日はお祭りで、ホテルの人たちもみんな額に赤いのをべっとりつけて、抱き合って「ハッピーディーパワリー」とかやってました。
いつもご飯を持ってきてくれるレストランの初老のおじさんの額にも赤い米つきのペーストが塗られていたので

「ネパール出身ですか?」
と聞いたら、自分はポカラ(ネパールの地方都市)からだよ、と言ってました。

このホテルの従業員は、インド人ではありえない感じの柔和な微笑みを見せる人が半分くらいいるのですが、
顔立ちからして、デリーよりさらに北の地方の人たちなんだろうと思ってましたが、
そうかー、ネパールの人たちだったかー、と思いました。

このおじさんもすごく誠実な感じで、気を配ったり心配してくれたりして心が安らぎました。
顔立ちが似てるというだけで、なんとなく安心するところもありますよね。

昨日はホテルの表の軽食コーナーみたいなところで夕食にしたのですが、
そこに「モモ(餃子みたいなやつ、ネパール人もよく食べる)」があったので、
注文してみたけど辛くて食べれなかったので残しました。

おじさんは「これでもだめだったかー、、」と言う顔をしてました。
皮も薄くてほかほかでやわらかくて、普段なら少々辛くても食べてたはずですが、
さすがにまだ病み上がりなのでやめときました。


今からなんか食べて、
昨日探しきれなかったりんごを探すたびにでも出ようかな。
いつも列車の中ではりんごが半分主食なので。

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2010/11/06 12:46】 | マトゥラー&ブリンダバン | トラックバック(0) | コメント(0) |
ディーパワリー
今日は、主名があまりにうるさいので、ホテルの人に聞いて、数百メートルはなれた露地に花火を買いに行きました。

光のお祭り、ディーパワリーなので。

目的の花火を買って、ホテルに戻って休憩してからホテルの横で花火をしました。

そのあと夕食を食べて部屋にいたのですが、
打ち上げ花火の音がエスカレートしていくので、ホテルの屋上に上がって見ました。を

街の四方八方からやたらめったら打ち上げてました。

しばらく見てたら、ホテルの前の道路を挟んだ向かいの建物の前で数人が打ち上げ始めました。

普通にでっかい丸く広がる花火を素人が簡単に打ち上げていいもんなんですね。。。

おかげで暇と体力をもてあまして室内のサルと化している主名は興奮して大喜びでした。
(昨日は頭突きされて目の上にたんこぶできました)

私も目の前で大きい花火を打ち上げるのを見たのは初めてで、びっくりしました。
でも、すごく簡単に打ち上げてましたけど。

いろんな種類の花火を目の前で打ち上げてて、時々は失敗して横に飛んで行ったりと、なかなかヒヤヒヤものでした。

噴水型のもいくつかやってましたが、
7メートルくらい吹き上がってたと思います。
ちょっとすごいですよね。

街路樹とか電線とか燃えるんじゃないかと思いました。

しかし、プッタパルティでのディーパワリーは狭いところでみんな集中してやるからか、爆音とか火の粉とかまさに市街戦なかんじですごく怖いんですけど、
ここでのディーパワリーはあちこちでいっぱいやってるけど全体的に静かな感じです。
なのでよかったです。

目の前で数人の男たちが打ち上げ花火を次々あげるのを見学したあとは、主名は打ち上げ花火がしたいとか言い出しました。こわいからいいと言っていたのに「あんなん、逃げるだけやん」とかいって。

まあ、そんなのは聞き流しますが、今は夜の11時過ぎですが、まだまだ打ち上げ音は盛り上がっています。
しかし、これ、みんな、それぞれが勝手にあちこちでやってるんですよね?
それがすごいなとか思います。
de1
今日の昼ごはんは、全部うまく注文できたので、なんとなく勝利を感じました。
しかしここに至るまで、かなりの紆余曲折がありました。
主名もお子様ランチ気分でうきうきで食べてます。

de2
右斜め上は「キジュリー」だか「キジョリー」だかいうおじやみたいなやつで、知人に教えてもらったので注文してみました。スパイス抜き、ギー(油)抜き、コショウ抜き(スパイス抜きと言ってもコショウが入ってくるときがあるので)で作ってもらったら、おいしく食べられました。米と黄色い豆が半々みたいなおじや状のものです。

右下は苦労して作ってもらえるようになった「湯で野菜、、、ボイルドベジタブル」です。
色味はよくないけど、カリフラワー、ジャガイモ、グリーンピース、キャベツなんかがまざってます。
これを作ってもらえるようになってとりあえず助かりました。

左下はパニールパコラ(チーズのてんぷら)です。これも辛くないように作ってもらいました。
左上はきゅうりのサラダ、、、というか単に輪切りですが。

これがわれわれの努力の結果でございます!
写真になると地味だけど、わたしも主名もこのときは完璧にどれも辛くないものがそろったので、
「やったー」と、奇跡を見るような気持ちでした。
ホットレモンウォーターも塩味じゃなくてちゃんと甘かったです。

de3

露地の花火やさんの品揃え。

de4

品物を選んでいたら、奥から親族みんなが顔を出しました。
露地のあちこちからも小さい子が集まってきました。

de5

えらくローカルな場所にきちゃったかんじ。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

【2010/11/06 03:07】 | マトゥラー&ブリンダバン | トラックバック(0) | コメント(0) |
| ホーム | 次のページ
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。