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犬未満。
今日の夜は7時10分前くらいにアシュラムに行きました。

ババが来た直後だったみたいで、ホールの男性側の外の通路が通れてよかったです。

主名は友達と男性側に入ったので、わたしはホールの女性側に入りました。

ババは前に座っていて、学生たちが入れ替わり立ち代り何かをババに見せていました。


アルティが終わってババが帰っていこうと車椅子を横に向けたとき、拍手が起こりました。

ババ、来てくれてありがとう、みたいな拍手だったと思いますが、

たしかに、ババ相当お疲れっぽいので、みんなの前に姿を見せるだけでもありがとうって感じになってきてます。

最近気温が上がってきてるから

ババもくたびれてるのでしょうか。


わたしも薄手の毛布はもういらないので収納しました。

まだ薄い掛け布団は使ってますが、そろそろ掛け布団なしでも平気な季節になってきました。

昼間はもう結構暑いです。




わたしも今日はもう寝よう。

ネットの接続スピードもめちゃくちゃ遅いし。
時間の無駄だ。。。


今日聞いた話によると、今はBSNLのモバイルブロードバンドが速いということですが。

今使ってるタタフォトンはしかし何でこんなにいきなり遅くなったのか。
やっぱり新しいのタイプのを申し込ませる策略か?

BSNLは速いのかもしれないけれど、電話局の職員の態度が史上最悪なので接触したくないんですよね。
横柄か、理不尽に馬鹿にするか、責任転嫁か、離れた場所に逃げる。もしくは隠れる。

どうしてそこまでひどいのか不思議なくらいです。
よっぽど自分の状態がエネルギーと愛にと寛容性にあふれていないと、
5分でその日のエネルギーを全部使い果たします。

今日は他のとこでもインドの店の店員の対応に疲れました。
日本のデパートとかの接客研修に送り込みたいです。

インドは何でこんなにうかうかできない国なんだろう?
果物なんかを買ったらかならず腐ったのをこっそり混ぜるし。(量り売り)
必ずその場で袋から出していっこいっこチェックするんですけど、部屋に帰ってみるとやっぱりダメなのが混ざってることも多いです。

本能と直感は鍛えられるかも。

!?いやな予感!?

とかいうのがよく当たるようになるから。




今日の夕食後は主名がキャンティーンの前の芝生で遊びたいと言うので、
私もはだしになって歩いたり座ったりしてたのですが、

主名が相撲をしよう相撲をしようと言ってからんでくるので
「しんどいしイヤ。疲れてんねん。」
と言ってたら

「立派な女になれないよ」

とか言ってくるので

「もう女終わってるしいいねん」

と答えたら

「なんで?終わってるのはおばあさんやん」

とか言うので

「ああ、もう立派な女やからいいねん」

といい直して

「犬と相撲とってこい。ほら、あそこに犬いるやろ」

と、言ったら

「えー、でもいやがるやん」

とかいう子供。



私も嫌がってるんだけど気がつかないんだろうか。

犬程度には気をつかってほしい今日このごろ。
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【2011/01/31 03:14】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
山焼きの帰り道。
今日も夕方寝てて、6時過ぎだったかな?起きたのは。

7時少し前だったかにアシュラムに行ったらババが来る時でまたもや通行止めになってました。

ママ友達の知人が来て、ババがなんとかというドライバーの運転で来たから、アシュラムの外に出るわよ!とかいってました。

そうなの?

と思ったけど、
あんまりそんな空気もなかったのでぐるっと回ってホールの中に入りました。


ババが奥から出てきたらみんなうわっと歓声を上げました。

瞑想的なムードはゼロですよね。笑

スポーツ観戦か!?みたいな。



しばらくしてババはアルティを受けましたが、
その後も学生が一人ひとり前に出て、ババとしゃべったり頭に祝福してもらったり?していました。

進路相談でもしてるんでしょうか?



だいぶ長い間そうしてたあとで、ババは再びアルティを指示して受けたあと、奥に入っていきました。


なのでわたしたちもホールを後にしました。

午後8時くらいだったでしょうか。



ウエスタンでご飯を食べました。

主名はピザを食べて、わたしは白いご飯にダルと野菜をたべて、アイスも2つ食べました。

帰りにココナツも飲みました。



今日はよく主名ともめました。

私が疲れてイラつきやすいのと、主名が友達と遊べなくて(みんな受験モードで勉強してるはず)むしゃくしゃしてるので、主名が唐突な無理っぽいことを言って、私が拒絶、というようなパターンで、お互いに「ふん!」「ふん!」てかんじでした。


主名はむしゃくしゃしすぎたら泣くのですが、今日も何回か泣いてました。


しかしダルシャン後にピザとアイスを食べたら、多少意地悪ムードは残ってるものの、のどかな気分になったようでした。


多分遠くの山をだれかが焼いてるんだと思いますが、
ウエスタンからの帰り道に、遠くに赤い光が連なって見えました。

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【2011/01/30 01:27】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
わりと復活
昨日に比べたら体調もわりと復活しました。

ココナツをたくさん飲むようにしたので体も頭もちょっと冷やされたかな?

日本ではどちらかというと温めることが健康の秘訣、みたいな感覚があったのですが、
インドでは全粒粉を使ってるチャパティなんかも、体が熱くなりすぎるから食べ過ぎるとよくないとか言われることもあります。


昨日、チベッタンレストランから持ち帰ったポテトパニール(チーズ)モモ(チベット風餃子)があったので、
朝、たまねぎとわかめのスープに入れて、モモスープにしました。

しかし出来上がりに満足して子供を起こしたら「いらん」と言われたので、
ミルクティーを飲ませて学校に行かせました。


洗濯をして、食器を洗って(数日前にようやくキッチンの蛇口を修理してもらいました。2ヶ月ぶりに。)、
そうこうしてたら毎週土曜に路上の人達に配るご飯の用意ができたと電話があったので
洗濯を終えてから配りに行きました。

帰ってきて洗濯物を干して軽くバスルームの掃除をし、
パソコンの前に座って画面の時計を見るとすでに午前11時。


家事の負担を減らせる所は減らそう(頼める所は頼もう)と思って、
洗濯物も大き目のはみんな洗濯屋に出してるのですが、

掃除をする人も週に何度か来てもらおうかと思わなくもないです。

しかし下手に頼むと、掃除してもらって掃除婦が帰った後には部屋の中のものが色々消えてるということもざらなので、
そういうことのない人がうまく来てくれるといいなと思います


しかしとにかく物を減らさないことには掃除もできない!

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【2011/01/29 15:18】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
体調回復なるか?
今日は多分午後4時くらいから部屋で寝てました。

起きたらすでに7時過ぎ。
よく寝た。

疲労感も多少和らいだかもしれません。

最近気温があがってきてることも一因かもしれません。

なのでココナツを2こ飲んで、あと、マルチビタミン剤を飲んだりしました。


最近ほんとふらふらするときもあって、そういう時はビタミン(とくにB?)か水分が不足してることが多いので。

ベジタリアンはビタミンBが不足しがちということなので、
マルチビタミンはインドに来てから時々飲むようにしています。
子供にも時々飲ませています。

カルシウムも時々摂取してます。

時々じゃ足りないのかな?


大体毎年気温が上がる頃になると気をつけて水分をたくさん取っていないとめまいがしてくるので、
気をつけてます。

すごくたくさん水を飲んだらめまいは治まるので、
やっぱり日本とは体の水分の蒸発の仕方が違うんだろうなと思います。


ここ最近肝臓の特効薬のLiv.52は、飲んでなかったのですが、
またなんか疲労が濃くなってるのでここ最近また1日2粒くらいは飲むようにしてます。


だいぶ、インドでの疲れない過ごし方が分かってきてるとはいえ、
根本的に体のつくりがこういう気候向けではないということと、
滞在が長くなったこと自体からの疲労が蓄積してるということもあるんだろと思います。


今日は夜7時過ぎに目が覚めてからもうだうだしてたらダルシャンが終わってしまったみたいでした。

多分今日はババは来てたっぽいので、ちょっと反省しました。



人に、自分の中の熱でやられてる、みたいに指摘されたのですが、
たしかに熱はこもってて、うまく抜けてないかもしれません。

すぐカッと怒りっぽくなったり、我慢がきかない感じになってるのを感じるので。


うまいぐあいに自分をもっていかないといけないなあと思います。

バランスをとるということと、うまい落としどころのようなものを見つけるということをいつもしてる感じがします。

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【2011/01/29 01:43】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
清浄な朝バジャンの空間。
かなりの疲労感と虚脱感。

いつもそんなことを書いてますが、

ここ数日もなんかキテて、ひらがなを漢字に変換するのも億劫なくらいのエネルギーの低さでした。


これは、、、、子供の学校の願書を手に入れたからか!?笑

まあ、いろんな要素が薄く何十にも積み重なっててきがついたら「えらくぶあつくなったな~~~~」

といったところなんでしょう。



子供の願書はババの全寮制のエリート校なのですが、
インド系以外の外人は基本的に受験すらさせてくれないことになってるので、

たとえどうにかして願書を手に入れて出願しても、送り返されてくることになってます。



しかしまあ、出すだけ出そうと思ってます。


願書のブックレットには「ハイヤーセカンダリースクール」と書いてあったので、
日本で言う所の中学校の願書を間違えてもらっちゃったのかと思いましたが、
ジュニアーハイスクール(日本で言う所の小学校)と、ハイヤーセカンダリースクールの願書は共通とのことで、
これでよかったみたいです。


私自身、親に勉強をみてもらった覚えはなくて、(弟たちもみてもらってないと思う)
日本では学校に行ってればそれなりになって行くことが多いんじゃないかと思いますが、
(少なくとも読み書きと日常の計算は身につくとおもう)

インドではどうにもならなくなることも多そうです。

とくにうちら外人はなじみにくいしハンディキャップがあるので
(たとえば地元テルグ語の言葉がわからないのでみんなが知ってることを知らなかったり、その代替となるヒンディーの基礎もできてないかんじ)

普通にしてたら振り落とされちゃう感じがします。


しかしいる場所でベストを尽くすしかないし、
それなりに良くやってるとは思います。



たくさん考えがぐるぐるしそうなことがあって、きっとそういうのに疲れたこともあり、

今朝はアシュラムで朝食を食べた後にバジャンに行って座りました。


最近は朝食をアシュラムでとっても、そのあと子供を学校にやるために私もアシュラムの外に出て、そのまま部屋に戻ることが多かったのですが。


ちょっと頭をスッキリさせたかったので。



そしたら頭のなかでぐじゅぐじゅしてたものが毛穴からしゅーーーーーっとそとで湯気のように出て行く気がしました。


最近こういうのが多いから髪の毛がごっそり抜けたのかな?とも思います。

頭の髪の毛穴からなんかしゅーーーっと出て行ってる感じがするときが少なくないので。




朝のバジャンはやっぱりいいですね。

ババは朝はもう来ないものとみんな思ってるので欲もないしスカスカだし。

気持ちのよい空間です。




ババがいると強烈だけど、
ババが肉体を離れた後はアシュラムはもしかして常にこういう清浄さがかもし出されるのでしょうか?




しかし、ババが実際ここに肉体としている、ということをふまえたうえでの
「朝はババは来ないだろう」「でも自分のために座ろう」
というのと、

ババはもうすでに肉体を持っていない、というのとではやっぱり違うと思います。



ババが別の場所に行ってるときにわたしたちはアシュラムに居残ってたときもありましたが、
それは清浄さというよりも夢の中の薄い霧の中にいるみたいな感じもしました。



とにかく今朝はちょっとスッキリした後はその感じをしばらく持続させるために芝生に行ってお茶を飲んで、

でもなんかやっぱり体も疲労してるので、
帰りはリキシャにのって部屋まで帰ってきました。


いっぺんリキシャでアシュラムに入るのを止められましたが、その後は止められてないです。

やはりそのときのセバダルによって方針が変わってくるみたい。



最近アシュラムで変わったことというと、女性の手荷物預かり所がホールに入る階段の下に移動になり、

今まで女性の手荷物預かり所だった小屋が男性の手荷物預かり所になったことくらいですか。

女性には便利になったけど、男性はちょっと遠くなりましたよね。




子供が学校から帰ってくるまでにもうちょっと部屋を片付けようか。



【2011/01/28 15:18】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ドライブスルーダルシャン。
昨日は7時10分くらいにアシュラムに行ったのですがババはまだ来てませんでした。

でも、来そうだというので、あちこち通行止めになってて、しょうがないからババの家の周囲をぐるっと回って遠回りして女性側の入り口から入りました。

女性側の階段を上がったら
セキュリティースタッフはすでにホールの前方に行ってて、ボディチェックする人がいなかったので、私を含め10数人がその場で中途半端に立っていました。

そしたらまもなくババが車に乗ってきたのでそのトークンスペースからダルシャンを受けました。


ババはホールを来るまでぐるっと回って中央に行ったのかな?

わたしたちもホールの中に入り、座ってみてましたが、
ババはいつもなら車から降りる場所で降りずにアルティをするお坊さんを呼んで、
その場で車に乗ったままアルティを受けました。

お坊さんにアルティをさせておいて、アルティが終わらないうちにババは車を出して、男性側をぐるっと回っていきました。

なので、ババがアシュラムの外にドライブに行くと思った人達もたくさんいて、
ババが車で外に行くときに見やすい場所には知っていった人もいっぱいいましたが、

私と子供はその場でぼうっとしていました。

でもそのうち、いつもババが外に行くときに通る中央の通路に車が差し掛かったので、

いちおう私たちもそっちのほうに行ってみましたが、

男性側を回ってきたババの車は右折せず、
そのままババは家に帰って行きました。

というわけで、昨日の午後ののダルシャンはドライブスルーでした。


私も昨日は疲労感が濃くて虚脱だったのですが(なんかいつもそんなこと言ってますが)
ババもきっとお疲れなんだろうけど、待ってる人のためにちらっと姿を見せに来たんだろうなあと思いました。



ババと私もシンクロしてるわ。ふふふ。と、わたしが思ったかどうかは定かではありません。

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【2011/01/28 13:45】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ダルシャンはお休みな日。
今日は夜7時10分くらいにアシュラムに行きましたが、すでにホールの明かりは消えてました。

セバダルに聞いたところ、今日はババは来なかったみたいです。



しっかし、最近ネットの接続スピードがやたらめったら遅くてやになります。

モバイルブロードバンドは新しいのを買わせるためにしばらくの期間使ってたら自動的に遅くなるとかいう話がなんだか信憑性を帯びてきたりして。


遅いのはちょっとストレスですよね。



というわけで?
私の段取りの悪さも大いにあるのですが、今日のメール業務というか、いろいろまたほったらかしにしてます。
すみません。

たぶん忘れたころに返信メールとかが来るかもしれないですが驚かないでください。笑


こういうペースをお許しを。

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【2011/01/27 00:23】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
素朴なバジャン
今日は昼も部屋で食べてほとんど部屋にいました。

部屋の片づけをだらだらしてたのですが、おかげで部屋が明るくなったみたいに見えます。


夜は7時過ぎにアシュラムに行きました。

チェコ?かどっかの人らが歌を歌ってました。

シンプルでリラックスした暖かい感じでよかったです。

バジャンも何曲かその人らがリードしたのですが、みんながよく知ってる曲ばかりを素朴な感じでリードしてくれたのでとてもついて歌いやすかったです。

バジャンはこれくらい素朴なのがいいなあと思いました。

普段のマンディールバジャンは超・超絶技巧バジャンも少なくなくて、ついてけなくてみんな置いてけぼりなことも多いので。

でも、次々新曲をつくって滞らないというのもいいんでしょうね。
聞いてても「おっ!」とか思うし。


ババは両手ブレスを男性側と女性側にして、また男性側にしたようでした。

プログラムの責任者か出演者か知りませんが、何人かは前に行ってパダナマスカールをさせてもらってたんじゃないかな?


そのグループの人らにはプラサードか何かが配られていました。


終わったのは大体8時くらいでした。





今日は眠たいのでいろんなことをほうっておいて寝ようと思います。
(もう夜中の1時ですが)

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【2011/01/26 04:34】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
ブルグワリー(聖者ブリグーの物語ヴェーダ)
今朝、朝食を食べにアシュラムに行ったら、いつもの定番の朝のヴェーダチャンティング、ガナパティプラールタナ、ルッドラム、プルシャスークタムに続いてブルグワリーが唱えられました。

わたしはこのブルグワリーが好きなので、「あ、嬉しい。」と思いました。

でも、サウスインディアンキャンティーンでご飯を食べてなんやかんやしてたら最後の
次元が変化して時の流れがふと止まるような

「は~~~~~~~~~ぅ は~~~~~~~~~ぅ は~~~~~~~~~~う~~~~~」

という部分を聞き逃しました。
あるいは、時間がなくて唱える人が途中で終わったのか。


ちなみにブルグワリーは、聖者ブルグ(ブリグー)がブラフマン(神)とはいったいなんだ?
と探求していく物語が前半です。

森で瞑想して、「ブラフマンとは食べ物だ!」とひらめいて、ブリグーはお父さんのとこに

「わかりましたよ!ブラフマンは食べ物です!」
とか言いに行くんですが、

お父さんは、

「、、、、、、もう一度森に行って考え直してきなさい」

と、また息子を森にやるんです。



ブリグーは瞑想するたびに

「わかったー。ブラフマンはプラーナだー」とか

「ニャーナ(英知)だー」

とかひらめいてお父さんに自分の得た見解を報告に行くんですが、そのたびに

「もっぺん考えてきなさい」
と、森に返されてしまいます。



そしてついに、
「ああ、ブラフマンとは至福だ、、、、、。」

と気がつき、

至福そのものと化したブリグーはそれっきりもう森からは帰ってきませんでしたとさ。。。



というのがブルグワリーの前半になってます。(たぶん)

※日本で習ったときに聞いた説明の記憶で書いてますが、あとで手持ちの誰かが訳した日本語訳を見たらディテールなんかが多少違ってました。
なので私の説明はあんまし信じないでくださいねー。


後半はまた色々説明っぽい内容がつらつらと述べられているのですが、
最後には
このような至福に至ったものたちはこのように人生を歌い上げる、と前置きがあって、

そしてあの、



「は~~~~~~~~~ぅ は~~~~~~~~~ぅ は~~~~~~~~~~う~~~~~」

(「美しい、、、!、美しい、、、、、!美しい、、、、  !!!」)


という箇所になるのです。



これが私のベストヴェーダです。
ブルグワリー最高。

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【2011/01/25 13:20】 | ヴェーダ関連 | トラックバック(0) | コメント(1) |
毛が。。。
今日の午前にはババは車でアシュラムの外にでてきてました。

ゆっくり走ってくれてました。



昼はウエスタンで食べて、私と主名はそのままウエスタンの前のベンチでそれぞれの書き物をしていました。


夕方部屋に戻って主名はDVDを見て、(主名に勝手にリージョンコード?を変えられたかも。困る~)
私はまた外に出てました。


8時前にアシュラムに行ったのですが、今日は音楽プログラムをしてたみたいで、
プログラム後に出演者がババのところに近づいて何かしてる所でした。


主名は男のほうに入って、私は女のほうに入ってダルシャンを受けました。

アルティになって、ババは両手ブレスを男性側と女性側にしました。

今日ブレスを受けたときにはぬるいお湯をざぶんとかけられたような感じがしました。

なんかお疲れやしかな?わたしが。


さくさく繊維状に別れるような定番のプラサードが配られました。

私はほとんど一番後ろに座ってましたが、そこまでも配ってくれました。



ババは車椅子で帰って行きました。


外にでると主名が階段の下で私のチャッパルを持って待っててくれましたが、人の流れの中で邪魔なので、
少し離れた所に行って履きました。


主名もプラサードをもらっていて、ウエスタンキャンティーンに向かう道すがら食べてました。


ウエスタンキャンティーンで夕食を食べました。

最近はちょっとパスタに食傷気味なので(今日はほうれんそうのラザニアだったか?)
私も主名も米のご飯にダル(豆スープ)プラス何品かを取って食べました。


今日はよく活動したと自分で思います。


ああ、タイトルは「毛が。。。」ですか。

ここ2~3週間でなんかいきなり頭髪がごっそりぬけてちょっとびびってるんですよ。

4分の3くらいになった感じが自分でしてます。

毛根が疲弊してるのか?

ブラシで梳かすといくらでも抜けてくるという。

まあ、ふつう、出産後とかにごっそり抜けるとか聞きますが私は変わりなかったし、
もともと多めなので平気といえば平気なんですが、

なんか生え際も後退ではないのですが、密度が薄くなってまばら感を感じたのでちょっと力のかかり具合を分散したほうがいいかもと、前髪とおぼしきエリアをロクヨンにしてみました。

いっつもぎゅっとしばってるので、負荷はかかってると思うけど、
だからといってショートカットにするのも面倒ですからね。セットが。(多少くせ毛なので)


ムダ毛が全部ぬけりゃあ めでたいんですけど。



ババもアフロとはいえ、時期によっては毛がスカスカのときもありましたよね。
ババ、毛ぇないやん。。。!?という。

ああゆうときはやっぱお疲れだったんでしょうか?

それか、自分で切っててちょっと切りすぎたとか?

今はすごくスカスカのときよりかは復活してふわんふわんに見えます。

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【2011/01/25 05:47】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
サイババも遅く来て、私も遅くに寝る日。
あーもう夜中の3時過ぎになってしまいました。

わたしはどうも毎日同じ分量だけ同じペースで仕事を進めるとかいうことは苦手みたいです。

だーーーーーーーっとやって、ず~~~~~~っと休んでを繰り返してる気がします。


今日は比較的だーーーっとやった方です。



だいたいが、眠くて起きてられなくなるまで起きてて、これ以上寝られないくらいたくさん寝たら起きて、という自主性をを尊重してるのか意思が欠落してるのかよくわからない区切りのないような生活をけっこう長いことしてきたこともあり。


でも学生の頃から、おきたくないときにおきなくていい生活をしようと思ってきて、
だいたいかなってるような気もしますが。


それが人間としていいのか悪いのかはまあおいといて。


もうひとつ高校生のときに心に誓ったことは数学はもう2度としないということです。

基本的にネガティブなんです。
これはイヤだからやらない、というのが行動規範になってます。




今日の夜は7時前くらいにアシュラムに行ったらババは、まだ来てませんでした。

女性側はホールがいっぱいで中に入れてくれなかったのでわたしたちはトークンスペースに座ってバジャンを聞いてました。30分くらいしたら中に入れるようになったのかな。

待ちきれなくて帰る人が多かったので。

中に入って主名は寝て、私は歌いまくっていました。


なんか雰囲気もだるい感じでやるきないムードだったし、
今日はババ来ないのか~~~?
とか思いましたが、

8時過ぎに来ました。

ババは車椅子で来て、ホール内をぐるっと回って、前のステージの中央に座って手紙をずっと読んでました。

学生?にペンダントか何かを物質化して首にかけてあげたりもしたみたいで拍手が起こってました。


主名はお腹ペコペコ~とかいうので
「じゃあ食べに行けば?」
とか言ってみたけど一人はイヤだとかいって行きませんでした。

アルティが終わってババがインタビュールームに入っていった時点でわたしたちもホールを後にしました。

そのときすでに9時半でした。


ウエスタンキャンティーンに行って遅めの夕食を食べました。

アシュラムをでたのは夜10時過ぎでした。


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【2011/01/24 07:07】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
流れ去るという豊かさ。
昨日はババ来てました。
両手ブレスして、車椅子で帰っていっていました。

ババはここしばらく車で家に帰って行くことが多かったですが、また車椅子で帰って行くことにしたんでしょうか。

その方が距離感も近いしよく見えて、ダルシャンを受けるほうとしてはうれしいですよね。



今日は、ババが来てたのか来てなかったのか分かりませんが、わたしたちが7時ちょっとすぎにアシュラムに言ったときにはホールからすでに人はみんな出てきてました。

時間帯的には来てたのかな?


主名は今日はおもちゃをたくさんアシュラムに持っていってて、
夕食の前後にキャンティーンの前で他の子達と遊んでいました。

同じ年代のロシア人かドイツ人の男の子と、キャンティーン前の電気が消されてもずっと遊んでて気があったようでした。

なのでずっと遊ばせていました。

食後1時間くらい遊んで、さすがに向こうのお母さんも「帰るよ」と言いに来て、私たちも帰りました。

帰るとき、その男の子は
「明日スリランカに行くから、また来年にくるかも。バイバイ」
と言いました。

遊んでる様子を見ながらいい友達だなと思ってたのですが、もう行ってしまうのかー。


だれもがこの世界に来ては去っていって、その期間が長いか短いかの差があるだけでみんな同じなんですが、

でも、プッタパルティで出会う人はとくにそういう今この瞬間にここにともにいることの確率とか奇蹟とか、そういうものを感じさせられるときが多いです。



そしてだれもが遅かれ早かれ去っていくから、(外国人は特に入れ替わりが激しい)誰かが去っていくことに何も感じなくなっています。

むしろ開放感すらかんじることも少なくないです。
たとえ一緒にいたときがとてもよいものだったとしても。


ただ、元に戻っただけ、という感じになります。



しかしこういう感じはプッタパルティに来てからのものではなくて、
よく考えたら
沖縄にいたときからのものでした。




最初民宿で働いていたので、
いろんなお客さんが毎日来ては去っていくわけです。

そんなお客さんたちと一緒に食べたり飲んだりしゃべったり遊んだり、時には一緒に滝に行ったり泳ぎに行ったり、時には夜の道路にねっころがってみんなで流れ星を見たりもして、とても楽しいわけです。


で、お客さんたちは島を去るときにはすごく感動して胸いっぱいな人も多いのです。

が、働いてるわたしたち(大き目の民宿で、ペンションも併設されてたのでシーズンには10人くらい働いてたような)は、もちろんニコニコして見送るわけなのですが、

お客さんが去ってしまうと1秒で自分たちの日常や仕事に戻って、ほとんどの場合、何の心理的な痕跡も残らないのです。


民宿の仕事が終わって別の島で働いたり住んだりしてた時もそうでした。

離島だったので、知り合ったりして仲良くなった人を港まで見送りに行ったりして、
そしたら船がさいしょはゆっくり、そしてそのうちスピードを上げて去っていきます、

シラッとしてるというわけでは決してないのですが、
心に何も波立ちがない。

それは私が若かったからなんでしょうか?


でもどこかに住んで、その場所がとても好きとか、いるべき場所に自分がいるという状態だったら、
きっとそうなんじゃないかなと思います。


ここではないどこかへ行きたい気持ちがあるときには、去っていく人を非常に懐かしく思い、去る人とともに自分の心も少し連れて行かれてさびしかったり切なくなるんじゃないかと思います。


私が去るときはどうだっただろう?


私は去るときはいつもほとんどの時、そこでの体験はし終わったと感じ、去るので、
やはりあまり気持ちは残らないような気がします。


唯一非常に切ない気持ちになった覚えがあるのは、
最初にプッタパルティに来て1週間ほど過ごし、帰りのバスの中から過ぎ去っていくプッタパルティの風景を見ていたときでした。

そのときは胸がぎゅうっと締め付けられるようになり、少し涙が出ました。

そして絶対またここに戻ってこよう、戻ってくるだろう、と確信しました。



実際再びプッタパルティに来たのはそれから4年半後の1999年の暮れでしたが、
自分自身はその4年半で大きく変わっていて、
その後も来るたびに自分の気持ちとか状況とかは変化し続けていて、

でもプッタパルティではまるで永遠に変わらないものであるかのように毎日のダルシャンが続いていて、

ダルシャンでババの姿をみると、自分がどんなにめまぐるしく変化してきたかということをイヤでも気づかされました。



そんな自分に対しての定点観測のようなババのダルシャンでしたが、
ババの年齢からいうと、この先そんなにたくさんのダルシャンはないことは周知の事実なので、

ダルシャンがなくなったら自分はどうしてるのかなあ?どうなってるのかなあ?
と、思うことも時々あります。


プッタパルティコミュニティの中で暮らし続けているかもしれないし、
案外インドの別の場所や、別の国に住んでたりするかもしれないし、
それはわからないです。

日本に住むことはあまり想像できないので、それはないのかも?


なんか日本に対するカルマが尽きてしまったような気が、4年半前にここに移り住んできたときに感じたことでもありました。



ババが肉体を去るとき、
それはそう遠い未来のことでもないですが、
私はどう感じるのでしょう。

おじいちゃんが肉体を去ったときも、
おばあちゃんとおばあちゃんが肉体を去ったときも特にこれといった思いはなかったです。


おじいちゃん(母方の)は母方の親族の中に(子供として)再生してるみたいと親戚は言ってるそうです。

母方のおばあちゃんはなくなった翌日くらいにわたしの意識の中で?接触とやり取りがあったように思いました。

父方のおばあちゃんは、わたしとよく一緒の時間を過ごしたからか、
その後もちょくちょく夢に出てきました。
「さわこちゃんが心配だから見に来たー」とか言いつつ。


それらが事実かどうかはともかく、
人が去るときわたしはあまり変化を感じなくて、
実際、何も変わっていなくて、
みんなどこからも来ず、どこにもいかず、いつも一緒にいるのかな、と、
思わなくもないです。



表面的には何もかもがみんなものすごい速さで変わり続けていて、
あまりの速さに、みんな、何も変わらずに日常が続いているということにしているのだろうと思います。


でないと、その速さを追うことは不可能だから。


でも実際には何もかもがただただ贅沢に流れ去っていっています。


それがあるいはこの世界の豊かさなのかもしれないなと思います。

なにも再び繰り返すことのない、常に変化し続ける豊かさ。



その流れ去るという豊かさは、
変わらないものとしてわたしたちに与えられている唯一のものなのかもしれないですね。




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【2011/01/23 03:34】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
高虚脱度な日。
ここ数日、ネットの速度が異常に遅いです。

夜中になってようやく速度が回復するということは、私が使ってるモバイルブロードバンドのタタフォトンのユーザーが最近増えすぎたんでしょうか。。?

最近小さいパソコンを買ったので、持ち歩いて使ってたら色々聞かれることが多くて、
自分が使ってるタタフォトンのことも当然言ってたんですけど、
まあ、そんな程度でこんなに急に遅くなることもないか。。。。。って、田舎町だしわかんないですけど。

速度が回復することを祈ります。


今日もあんまり動く気がしなかったのですが主名を昼ごはんとかに連れて行かないといけないので(さすがに連続でレストランからのご飯を食べてたら飽きるし費用もかかる。部屋で作る気力もなかった。)
昼間は外出してサウスインディアンキャンティーンで食べました。

やっぱ安いなと思います。
2人で10ルピー。(20円くらい)

ハヌマーンヒルロックカフェだったらこないだは2人で900ルピーとか払ったんで、(1800円くらい)90倍ですか。まあ、なんというかメリハリのある生活ですよね。



今日は主名は感心なことに学校からかえってきたら昼ごはんを食べに行くまでにすぐに宿題を終えていました。

わたしはずっとぐったり寝てて、主名がかえってきてもまだしばらく寝てました。


夕方にもまた寝たっけ。


主名はどこか友達の家に遊びに行きたがってたのですが、
やはり最近はすでにみんな受験モードになってきてるし、真剣度が上がってきてるので今日はちょっと遠慮させときました。

私はすでに投げやりです。

5歳半くらいで入学と考えて、3~4歳くらいからかなり頑張ってやらせてたので、
5歳半で入学できなくて、ああだめだ~~~となって、燃え尽きました。私が。

今も主名の教育の方向性が定まってないのですが、
とりあえず毎日少しやらせてるといった所でしょうか。
午前コーチングスクール、午後は宿題と計算と日本語ですか。
あと、余力があればヴェーダ。

歌とタブラーも習わせてたのですが、こっちは私のそこまで気を回して管理する余力がなくなってカットになってしまいました。

くたくたです。


今日は実際くたくただったのでよく寝ました。

主名に足を踏んでもらいながら寝ましたが、私が寝込んだ後に主名はごそごそやってたらどんぶりとか割っていました。


夜になってアシュラムに行きましたが、ぼんやりしてめがねを持っていくのも忘れていました。

でもすでにダルシャンは終わっていて、今日はババは来てたっぽいけど逃しました。
しかし調子が悪いときは無理に行ってもあんまりいいことないから、そういうことになってたんだろうという感じもしました。


虚脱度の高い日でした。


主名はやけに元気で、夕食後もウエスタンキャンティーンの前の芝生でロシア人の子供たちの集団と、
混じってるのか混じってないのか分からないような微妙な感じで一緒に走り回っていました。

風呂では水鉄砲で壁一面に水をかけ、水滴が滴り落ちるさまを飽きずにずっと見ていました。

水鉄砲で自分の耳とか鼻の穴とか目の中や口の中にも水をかけて楽しんでいました。
体も水鉄砲の水をかけて洗っていました。


そんなに鉄砲がすきなのか?


一人で遊ぶのは飽きないみたいです。
一人でいることが多いですから。


もし全寮制の学校に入ったらこういう繊細な?感覚は吹っ飛ぶと思いますが、
まあ、どうなるにしてもそのときそのときに与えられるものでやっていくしかないですよね。

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【2011/01/21 04:31】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
日焼け止めを塗らなかった日。
今日は調子もいまいちだったので、夕方までずっと部屋にいて寝たりしてました。


今日は主名は上機嫌で学校から帰ってきました。

今日は日焼け止めを塗らなかった日でした。


インドに来た当初はインドにはいい日焼け止めはないはずと思っていたので、毎回日本から送ってもらっていましたが、
最近はアーユルヴェーダ系の日焼け止めでいいのをみつけて、(会社名ヒマラヤ のほうじゃなくて、ロータス の方です。)もっぱらそれを毎日使っています。

私はとにかくめんどくさがりなので、日焼け止めを塗って外出して部屋に戻ってきたときに、石鹸で顔を洗って終わり、というのがいいので、(その後の化粧水などもなし)
あんまり落ちにくすぎる、クレンジング用の洗顔料が別に必要なものはめんどくさくていやなのです。

だから日本から送ってもらってたものもニベアのボディ用のをどこでも塗ってて、(安くてたくさん入ってて付け心地が悪くなかった)

最近インドではその、ロータス社のSPF30のを使ってます。(120グラム220ルピー、、、400円ちょい)
現地でいいのが見つかってよかったです。送料もかからないし。
これも石鹸洗顔だけで問題ないです。

子供用のSPF25もあります。

有名なヒマラヤ社のも試してみたんですが、こっちはなんかわたしは皮膚呼吸がうまくできないみたいで、日焼け止めに覆われた下で皮膚が汗をかいてる感覚がいまいちで。

ロータス社のほうは、妙にみずみずしいです。

しかしインドはさすがにアーユルヴェーダ系のいい製品(少し高級感がある感じの)が充実しててうれしいです。

ホメオパシーなんかも安くでその場で作って処方してもらえるし。
(1週間分20ルピー、、、40円くらい。ビンに入った既製品もあって重宝してます。)


こうしてだんだん現地で何でも代用してまかなえるようになっていくという。


夕方というかすでに日が暮れた後に外出して、新しいめがねを取りに行きました。
前使ってたのよりも度がきついような気もしますが用が足せればそれでいいです。


アシュラムにいくと、ちょうどババが来たくらいだったみたいで、バジャンの音が小さくなっていました。

主名は男性側に行くというので行かせて、私は女性側に入りました。


新年の行事も終わって人もだいぶ減りました。

さっそく買ったばかりのめがねをかけて、裏から出てきたババを見ました。

まあでも目がよく見えると目で「見ちゃう」ので、それも良し悪しかなというかんじもとこもあります。


わりと長い時間ババは前に座って、手紙を読んでいました。

そのうちアルティになって、
ババは低い位置での両手ブレスを男性側と女性側にしていました。

ブレスのときはやっぱり見えたほうがうれしいです。
久しぶりにブレスをくっきり見ました。

今日はババは車を使わずに車椅子で家に帰っていっていました。

終わったのは7時半くらいだったでしょうか。


そのあとはウエスタンキャンティーンで夕食を食べ、
主名がもっと遊びたいというのでウエスタンキャンティーンの前で遊ばせていましたが、そのうち私が帰りたくなったので帰りました。


今日は宿題が「ある」だの「ない」だの言っていたのですが、
「まあいいや、明日しよう」とか言ってるので
「なによそれ」
と確認したらたくさんあったので、いまやらせてます。


宿題やれとか、私が人に言うはめになるとは思いませんでした。


今日は主名も2~3時間昼寝したから、寝るのがちょっとくらい遅くなってもいいでしょう。

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【2011/01/20 03:01】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
カンニング疑惑と甘甘ぜんざい。
今日は主名は本人いわく見てないのに、学校のテストでカンニングしたと思われて先生にたくさん腰の辺りをぶたれ、正解を書いた解答にも×をつけられ、友達みんなにもそれを笑われたそうで、
すごい鬱屈した表情で学校から帰ってきました。

まあ、実際の所はその場を見てないのでわかんないですが、
「先生いやあね」
と、一応肩を持っておきました。

で、部屋に帰ってきてからは今まで私がやったらだめと言ったことをことごとくやろうとして、
「やめろ!」とか「さわるな!」
とか言ってやめさせたら怒って横になったままあちこちけりまくって、

私はその様子を見ながらアパートの部屋の戸口に立ったまま電話で知人とプッタパルティーのダークサイドについて興奮気味にしゃべってたんですが。笑

主名はそのうち本格的に声を上げて泣き出しました。

気の毒に。
友達みんなが笑ったのが特に腹立たしくて傷ついたみたいでした。


「昼ごはんは食べない」と、横たわったまま暗い顔をしている主名。

というわけで、しょうがないので「それなら行く」という彼の希望を汲んで昼ごはんはハヌマーンヒルロックカフェへ、、、。

いちおう欲しいものをみんな食べさせたら2人でここで食事した場合の最高額900ルピーになりました。

アーモンドチョコレートのムースとか(おいしかった)も食べ、

別の、なんかやたらでっかいチョコレートのケーキだかお菓子だかも持ち帰りました。

主名はスープと、そぼろ豆腐の具のクレープみたいなのも食べたのですが、よく食べてました。
ぜったい多くて残すと思ったけど、完食してました。おなかすいてたのかな?

私はスープとサラダとかぼちゃのカレー。パンは主名と分けて食べました。


で、ねじくれた機嫌が直って「元気になった」と、主名はハヌマーンヒルロックカフェを評価してほめてました。

まあ、元気になったんだったらよかったさ。高いけど安いもんだ。


そのあと芝生に行って、主名は持ち帰りの大きなチョコのケーキをさらに食べてました。
(さすがに全部は食べずに残して部屋に持ち帰った)


で、そこらへんにいた他の子供たちと遊ばした後に芝生のベンチで宿題をさせてたのですが、
気分はよくなったみたいなんだけど、今度は甘えた気持ちが切り替わらなくて
さっさとやれば30分で済むものを1時間も2時間もかけてやったりやらなかったりしてたので、

わたしは
「今日は昼からずっとあんたのやりたいようにさせて一緒におって合わしてやったんやろ。
6時間や!もううんざりや!いつまであんたに合わせないかんねん!!」
とある時点でキレて(笑)

がーっと言ったら主名はひゃっ!と思ったのか、その後集中してやってました。

いちいちキレないと動かないのは疲れるんだけどどうすりゃいいんでしょう?


夕方になって巨大な蚊もいっぱい出てきて、
平安のアシュラムで10匹以上の巨大な(ほんとに巨大な)蚊を10匹以上昇天させました。
私の周囲には動かなくなった蚊が同心円状に広がっていました。

バジャンも聞こえてきて、
しかも音が小さくなってたので
「ババ来てるな」
と思って、さらに主名を急がせて宿題を終わらせて、ホールに行きました。

ちなみにバジャンの音が小さくなるのは音が大きいとババが他の人と会話しづらいからですよね。
婉曲に言うと。

だから音が小さくなると(ほとんど消える)ババ来てるな、、、と。


なんかもう終わりそうな雰囲気もあったので、主名のかばんをあずかって、「ねちゃう~~」という主名をホールの男性側に入らせました。

私は自分のと主名の荷物を持っていったんアパートへ戻り、荷物を置いてからまたアシュラムに行きました。

まだバジャンはやってたのですが、
女性側の階段を上がりかけたときにアルティになったのであわてて駆け上がってホールに入りました。

しかし今日もコンタクトレンズはしてなくてぼんやりしたババの姿だったのですが、
それを見たとたん間髪入れず、すぐにぐっと来るのは不思議ですがすでにパブロフの犬になってるのでしょうか?

とにかくアルティを見て、車に乗り込むババを見た後ホールの外に出ました。

階段を下りてるときに前を先に下りていたおばさん2人もなんか涙をぬぐってたので、
もしかしたら今日は特にぐっと来るようなムードのダルシャンだったんでしょうか?

昨日もババ来なかったし、
そういうあとだったらありがたみも倍増ですよね。

なんかほんと、来てくれただけでありがたや~~という感じにならざるを得ません。



時計を見ると夜7時10分でした。

まだキャンティーンが開く時間じゃなかったので、芝生に行ってマサラティーを買っていって、キャンティーンの前で主名と会いました。
(やはり寝たらしい。でも部屋で寝るよりダルシャン中に寝るほうがなんかいいような気がするんですけど気のせい?寝ながらもダルシャンを受けてるからいいんじゃない?と思うんですけど。)

そして晩御飯を食べました。
主名は
「先生、頭おかしくなってるんじゃない?」
などと言いながら食べてました。

「そうかもね。忙しくて疲れてるんかな。」
と適当に相槌を打っておきました。

そしたら主名は
「さわこみたいに頭がぐちゃぐちゃになって。。。」
と比較考察していました。

先生も大変ですよ。



それにしても食べるのがものすごく遅い子だ。
わたしも子供のときはめちゃくちゃ遅かったけど。


食後、今日は火曜日だしと思って、
ガネーシャテンプルとムルガンテンプルに念入りにお参りしときました。

主名は無駄に元気に、というかすっきり気が晴れたらしく、余分に走り回っていました。
すっかりスッキリしたらしい。


部屋に帰ってからは昼に約束してたぜんざい(缶入りのやつ)を作りました。
白玉粉もあったので団子もつくって入れました。

今日は甘やかしの甘い物づくしです。



ちなみにぜんざいは明日の朝食にも流用予定。

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【2011/01/19 06:26】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
ニューメガネ、スーパーナディリーダー、スーパー主名、ツイッター。ババ休養。
今日は一体何があったんでしたっけ。。。

ああそうだ、思い出してきました。

でもはしょろう。

何も全部書くことはない、ということをようやく学んで大人になってきた今日この頃のわたし。


今日は月曜&トラヨダシの日で、シヴァ度が高い感じだったので、縁起がよさそうと思って、このさい、今までやろうと思ってやらなかったことをいくつかやりました。

ひとつは新しくめがねを作ったこと。
そんなにすごくいい感じというわけでもなかったけど無難なやつを作りました。
いざ何か見たいときに見えればいいので。

フレームが700~800ルピー台(1600円くらいですか)で、レンズが2番目に高い2000ルピーくらい(4000円くらいですか)のにしました。
UVカットがついてるやつがよかったのですが、
これより安いのにはUVカットはついてなかったので。

ちなみに前使ってたメガネはサルに背後から奪われて折れました。
(フレームだけで3万以上したやつだけど、5年くらいは使ったような。
主名にも何度か曲げられてたし、レンズも何度か交換して、ある意味天寿全う)

新しいめがねはあさっての朝にもらえるそうです。

今日買いに行った眼鏡屋には3千円弱でアルマーニのわりにいいかんじのフレームもありました。
果たして本物かどうかは判断つきかねました。
(メルセデスベンツのTシャツとか売ってる国なので)


もうひとつはヴァシシュタ?バシシタ?ナディ(バシシタの葉)を依頼したこと。
プーシャムットゥという良質のナディリーダーがその館をしきってるらしいです。

アガスティアの葉みたいなやつは誰がなんと言おうと好きなんですよ。

相性がいいんでしょうね。

依頼したときにたまたま近くにいた坊さんも10回以上あちこちの葉を開けたとかいう話でした。
マニアだなーと思ったのですが、
私も数えてみたら今回で8回目でした。

つい数ヶ月前までは、葉っぱの束を肩に置くだけで読まずに内容を語れるスーパーナディリーダーがいたそうで、
(アガスティアが彼を通して直接話してたんだそうな。)
すごい人気だったそうなんですが、
そこに依頼してみようかと思って電話をしてもらってみたら、
残念ながら高齢で、最近亡くなったそうです。


ちなみに主名は髪の毛が長めの時が「スーパー主名」なんだそうです。
(すみません。)




もうひとつはツイッターをはじめてみたこと。

だれも読んでなくてもえんえん独りでつぶやいてしまいそうな自分が怖いです。




今日の夕方はハヌマーンテンプルでのシヴァリンガムアビシェーカムプージャに行き、
そのあとアシュラムに行きましたが、ホールの電気はすでに消えてて、もうダルシャン終わっちゃった!?と相当がっかりしたのですが、
今日はババは来なかったみたいでした。

ババも休養しないといけないですよね。確実に。




でも今日はハイな日かなと思ったんですけど、実際はなんか重くて怒りも多少混じったような鬱屈した気持ちのまま過ごした一日でした。

でもまあ何か新しいことをするのはいいですよね。
気持ちも外向きになって開かれる感じで。

内を見るのはもういいやってかんじです。

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【2011/01/18 05:50】 | アガスティアの葉 | トラックバック(0) | コメント(1) |
今日のぼんやりサイババ(ぼんやりは私の目なはず)
今日は日曜日だったので、午前中は主名がまたスピードレーサーのDVDの後半を見てて、

私はその間にアシュラムのパン屋に朝食のパンを買いに行ったのですがすごい行列だったので、
さっさとあきらめてウエスタンキャンティーンののパンとウォーターポリッジを買いに行きました。

アシュラムのパン屋だったら何個か買ってもせいぜい10ルピーするかしないかですが、
ウエスタンキャンティーンだと今朝は60ルピー払いました。


でもいろんなもののバリエーションがあってありがたいです。


部屋に帰ったらちょうどDVDが終わってたので買ってきたパンを食べ、

主名にこくごドリルとけいさんドリルをやらせてました。


ほんとはヴェーダの練習も少しさせてから遊びに行かせようと思ったのですが、

今日は部屋で昼ごはんをつくって食べたので、食後に気が緩むのを止められず私が眠くなったので練習できなくなりました。

なので、母親を敬うというのはヴェーダの実践だろうと自分の中で決めて、
主名にはヴェーダチャンティングじゃなくて私の足を踏ませました。あれ?笑


で、その後主名は友達の所に遊びに行きました。

私は少しうとうとしてから起きて、
パソコンしたり外出したりして、

6時に今日は約束どおり主名は帰ってきました。

この前は約束を破って遅くなってすごく怒ったので。


しかしヨーグルト食べたいといって主名は外に買いに行って、
白い砂糖で食べたい、と、また外に買いに行って、

ヨーグルトも食べ終わらないうちに今度は暖かいものが食べたいとかうだうだいうので、
帰ってきたらヴェーダの練習をちょっとするという約束だったので
ええかげんにせえや!とわたしは、軽くきれてから少しヴェーダの練習を始めました。

最近けっこう放置というか、好きにさせてる部分が多かったので、
たとえば鉄砲のおもちゃとかわたしはそんなん嫌いやし、と、
欲しがってもなかなか買ってやらなかったのですが、私の母がお年玉を主名にくれたので、
経済力を持った主名は自分のお金で鉄砲大小を買いました。

まあ、そんなにほしいんだったら買えば?
でも、私のいないとこで遊んでよね。
と、いったら「うん!」と答えるのですが、
全然。

四六時中鉄砲が
「ファイヤー!ファイヤー!ダダダダダダダ!!!」
と叫んでいます。
(声が出る鉄砲)

ヴェーダを一緒に唱えるとそういうごちゃごちゃしたもんが全部包まれてうまくまとまる感じがします。

もやがはれて明るくなる気がする。

やっぱり、ダメなときのヴェーダは強力だなあと思います。


しかしヴェーダの練習の最後のほうは今度は主名が眠くなってきてゆらゆらしてました。

でももうダルシャン始まってる感じだったので、
「行くよ!」
と言っても
「えぇ~~~」と、眠くて泣きを入れるので、
「いいよじゃあ寝とき。わたし行くから」
と言ってもまた
「いやだー」
と泣くので

「昼間ちょっと寝ろって言ったのに寝んと遊びに行ったのはあんたやろ!あんたが眠いのは私のせいちゃうわ!」
とまた軽くきれて、
主名は起きてからも
「靴下はいていく~~~」
と、うだうだぐにゃぐにゃ言ってました。

で、歩くのもものすごくゆっくりしか歩こうとしないのでわたしは先に行って、ガネーシャテンプルの前で待ってたらしばらくしたら来たので、
「あんたどっちに行くの、男のほう?女のほう?」
と聞いたら
「男のほうに行ったらぼくねちゃう~~~」
と悲しそうに言うので
「しるかっ!じゃあ女のほうにいくんやな?」
と言ったら
「うん」
とうなづくのでホールの女性側の入り口に向かいました。

男性側の外の通路の途中で止まってホールの中のババを見て、主名も持ち上げて見せたりしてたらちょうどアルティになりました。

主名は突然、昨日は大きなはしごの上からホールの中を見たことを思い出し、
「あそこから見よう!」
と、猛ダッシュして消え去りました。

なんだ走れるんやん、と思いつつ私もついていきました。

で、はしごの上に登って見ました。
よく見えました。


そしたらアルティは終わったのに音楽プログラムが始まりました。

インド人のおじいさんが
「ババはもう行った?」
と聞いてきたので、
「まだいます」
と言って、はしごの場所を譲り、


わたしたちは再び開かれた女性側の入り口からホールの中に入って座りました。

なんかプラサードを配ってましたが、全体に配るのに十分な数はなかったようで、後ろのほうには当たりませんでした。

まもなくその音楽プログラムも終わり、またアルティになりました。

私はコンタクトなしで目があんまり見えなかったのですが、
みんなの様子ではババはブレスかなんかしたみたいでした。

今日のババはわたしにはぼやぼやのオレンジ色の何かでした。

ぼやぼやオレンジババはぼやぼやとしたまま車で家に帰って行きました。


そろそろ、もらった使い捨てコンタクトも底を尽くし、
めがねをつくろうかなあ?


主名が
「あれになりたい、これになりたい」
という話題で一人で盛り上がってて、わたしにも
「なにになりたい?ガリバー?」
とかいうので、

「べつになにもならんでいいよ。わたしはわたしで」
と言ったら、

「お姫様かお嬢様になりたい?」
とか言ってきたので

「もうお嬢様やからいいよ。わたしは。」
と言ったら

「え~~~?お嬢様がこんなに小さい部屋に住んでるわけないやん」
と鋭いことを言ってきたので

「それもそうやな」
と同意しておきましたが、

主名はその後もどうわたしがお嬢様じゃないかをうれしそうにとうとうと語るので
途中で聞くのをやめました。

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【2011/01/17 05:36】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ハッピーポンガル!な、インドの路上絵


シヴァ寺院(サイババ生誕地あと)の前に描かれた路上絵。
これ、手に直接、色の粉を持って細く地面に落としていって描くんですよね。
その熟練した描き手の様子を見るのは楽しいものです。
サウスインディアンキャンティーンの前を夜遅くに通るとたまに、描いてるのに出くわしたりします。

この絵なんかは白い線が平行に2本ずつ並べて描かれてあるけど、
これも一回で2本の線を同時に描くんですよね。


P1010393_convert_20110116035853.jpg

絵の中央には聖なるブツがかわいく並べられて飾られてます。
ブツに線香をさしてるときもあります。


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冠のお花がイソギンチャクみたいでかわいいブツ。
絵を描く前にも、この聖なる(排泄)ブツを溶かした水を路上に広くまいて場を清めます。

ああインドかな。


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嫌がる主名に
「ちょっとそこに立って」
と立たせて写真を撮ったらこんな顔に。


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収穫祭の絵ってかんじですよね。
行事ごとに絵の内容もそれに合ったものが主にアシュラムの中の路上で描かれて、興味深いんですよ。
ガネーシャのお祭りのときは象さんの絵になるし。

でもこのポンガル&マカラサンクランティのときは、アシュラムの外でもそれぞれの家や商店がこのように意匠を凝らして素敵なマンダラを描きます。


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これが私のナンバーワン。


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かぼちゃ、さとうきび、ちょうちょ、太陽。


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お花。お花。お花。お花。お花。お花。


P1010404_convert_20110116045300.jpg

おしまい。

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【2011/01/16 05:33】 | インド文化 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ハッピーポンガル&ハッピーマカラサンクランティ
今日は土曜だったので乞食のご飯配りの代行をして、
(いいかげんだるくなってきたのですが、まあ、今日はやりました。)

そうだ、今日はババの生誕地に行く道に蛇使いの少年と人だかりがあって、
大きなコブラがうにょうにょと路上をうねっていました。

わたしが通りかかると人だかりは期待をこめて私のほうに何かジェスチャーをしてきてましたが、
邪魔なので蛇をよけて通り過ぎたらみんな笑ってました。

その後、マカラサンクランティだというので、太陽に向かってガヤトリーを11回唱えてみて、

いい日らしいのでアシュラムに寄付でもかまして、
そのあとまたアパートに帰ってカメラを持って路上の色粉の絵を撮りに行きました。

ほんとは早朝に撮れば誰にも踏まれてなくていいんですが、
昼ごろにまだあまり踏まれてない絵を選んで撮りました。


こういうのを集めた写真集があってもいいよねと思うくらいきれいで、いろんなのがあるんですよね。
路上の絵。


そして昼ごはんを食べに行きました。

男性のほうは12時前からすでに午後のダルシャンのために並んでる人がいました。


その後はずっと芝生にいました。

主名は計算問題を少しやった後、ケララの少年と遊んでました。


最近朝晩かなり冷えることが多かったのですが、
今日はどうだったかな。
布団を1枚から3枚にしたので寝るとき寒くはなくなりました。

で、昼間は今日は久々に暑~、と思いました。

涼しくていい時期よ、もうちょっと続いて。


ちょうどサイクルリキシャが来たので夕方にまた部屋に戻りました。

帰る途中、なんかババが来そうな雰囲気に見えましたが、帰りました。


結局部屋でだらだらしてて夜7時半くらいにアシュラムに行きました。

ガネーシャテンプルにちょうどプラサードのダンボールが運び込まれて配られ始めた所だったので、私も主名も一袋ずつもらいました。

これはホールの中で配られてるやつとは違って、
こないだのスポーツ大会でも配ってた(もしかして降誕祭のときの残り?)袋入りのスナック菓子で、
主名はこれが気に入って毎日一袋食べてるのですが
(そんなにたくさんもらってる)
また同じのをもらって、またしばらくは食べれます。


ホールではまだ音楽プログラムをやってました。
吹奏楽?みたいなのをやってました。

人がいっぱいだったのでわたしたちはホールの中に入らず、
シータラーマの像の向かいに、ホールの天井の掃除をするときに使うような
背の高い台形のはしごみたいなのがあったので、
そこに乗ったらホールの中がよく見えました。

正面にオレンジ色のローブを着たババが座ってて、その後ろの装飾もまたえらくめでたいかんじでした。

わたしたちが上ってた立体はしごからはよく見えたのですが、
道路に人はごった返しててもそこに登ろうとする人はあまりいなくて、

でもわたしたちを含め数人が登ってて、譲り合いのなんだか美しい世界が立体はしごの上で展開されていました。

ああ平和。

主名も私の頭よりも上にまで上れて「僕の方が年上」と気分よくしてました。
(年上だったら37歳以上にもなるのに)

そのあとまたシータラーマの前でも同じお菓子が配られ始めて、
今度こっちは肉片に群がるピラニアの群れ状態だったので、

そのお菓子をもっとゲットしたくてついふらふらと寄って行った主名も
「まあ、いいや~~~」
と、薄笑いして戻ってきました。

そのあとウエスタンで晩ご飯を食べました。

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【2011/01/16 04:51】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
Facebook (フェイスブック)をはじめてみました。
今日は、ハッピーポンガル!

ということで、何か始めてみようかなーと思って、
フェイスブックをはじめてみました。

何のためにあるものなのかもあんまりよくわかんないですが、

最初、やりはじめにメールのリストから友達候補が写真つきでズラズラ出てきたのを見たときにはぎょっとしました。
(ちょっと、というかけっこうこわかった)

しかしこういうのが普及するというのは多分平和な証拠なんでしょうね。


暇な人ははじめてみてください。
(私はひまじゃないですたぶん。。。)

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【2011/01/16 02:15】 | コミュニケーション | トラックバック(0) | コメント(0) |
寒い朝。ババがかじる夢。
昨日の晩はすでに冷え込んでました。

、、、といっても半そででいれるくらいですから、知れてますけど、
暑い時にはタンクトップとパンツ(下着の)みたいなかんじなんですが、最近は半そでと丈の長いズボンがないと寒いです。

寝る前に寒かったので、いつもは薄い掛け布団を1枚だけで寝てるのですがもう一枚出して寝ました。
主名に「寒いよねー?」と聞いても「ぜ~んぜん」とかいうので、
主名は放置して寝ました。

明け方寒くて起きたら布団か自分に全然かかってなかったのですが、
主名の様子を見たら主名も布団をかぶってなくて、
しかもおねしょしてて服がじっとり冷たくなってて手足も氷のようになってたので

「何で起きないんだろう?」
と不思議に思いながら起こして着替えさせました。

おねしょしても全然起きないから、気がつかずにそのまま朝になったら風邪を引いたり喘息になってることが多いです。

私も寒かったので主名の布団も合わせて3枚にして一緒に寝たら暖かかったけど朝起きたら変な格好でねてたのか、腰が痛くなってました。

まあ、前ふりが長かったですが、
そういえばババの夢を見ました。


大人のクリスマスの聖歌隊の女性たちが列に名って並んで一人ひとりババの前に行って、ババは一人ひとりのほっぺにチュッとキスしてました。

私は見てて、すごい人数がいるから大変だと思いました。

私も大人の聖歌隊に行きたかったなーとちょっと思いましたが、自分とはタイプが違うからしょうがないなみたいなことを思いました。

しかし見てると、ババは時々すごい大きな口をあけて、前に来た女性のほっぺをかじってるときもありました。

わー噛んでる、とその様子を見ながら私はそのババの表情を紙にスケッチして絵にしたりもしていました。


そんな夢でした。


明け方にごそごそしたので、今日は起きるのが遅くなって、主名は部屋で朝ごはんを食べて少し遅れて学校に行きました。

私もさっき食べたけど、食べたらまた眠くなってきました。

寒いしまた布団にもぐりこみたい誘惑が。。。

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【2011/01/12 13:41】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(1) |
スポーツ大会1日目
今日の午前は主名は学校に行って、私も外に出てて、午後2時に帰ってきたら主名と主名の友達がいました。笑?

4時から今日はスタジアムで学生によるスポーツ大会(という名のアクロバット大会)があるとのことだったので、
今日はなんか根性も入らなかったので、ハヌマーンヒルロックカフェに2人の子供を連れて行って、友達は「もう昼食べてきた。けどちょっとだけ。」というので、

3人がそれぞれコーンとほうれん草のスープを食べ(←おいしい)、トマトとモツァレラチーズのクレープを分けて食べ、ピザとケーキは持ち帰りにしてもらって、4時前にスタジアムに行きました。

ピサは例のでっかいピザ用のでっかい箱に水平に入れてくれてたので、出前みたいなちょっと目立つスタイルでスタジアムに行ったので、入るときに何か言われるかな?とか思いましたが、
今日はボディチェックすらありませんでした。なぜかな?


いつもは奥のほうの眺めのいい席に座るのですが、今日は行くのがちょっと遅かったみたいで、そこに行く道がセバダルに封鎖されてたので、しょうがないしがんばらずに木々の生えてる、広いけどスタジアムでやってることはあんまり見えないところに座りました。

でもまあ子供らはあちこち上ったり走り回ったりして楽しそうにやってました。
途中で別の知人の子供も加わって、実に楽しそうに永遠に走り回っていました。

ババは今日は白いローブでした。
ババが北のは結局5時過ぎくらいだったんじゃないかな。

白いローブのババが白い上下の服の側近たちに混じるとどこにいるんだかさっぱりわかんないんですよね。


今日は競技もあまり見えない、人も比較的少ない静かな場所に座ったので、ほとんどパソコンしてて、なんか盛り上がってるときだけ立ち上がって見ました。

しかし人がいるとこでパソコンしてると大人にはパソコンやモバイルブロードバンドのことをよく聞かれ、

(いくらで買ったとか、どこで買った?ええ?インド?バンガロールで買ったんだー。ええ?プッタパルティなの?ワオとか、モバイルブロードバンドはどこで買った、速さはどうだ、月いくらだとか、プッタパルティで問題ないのかとか)

見知らぬインド人の子供たちは画面を見るために寄り添ってくるしで(単に日本語でメールを書いてるのを見るだけでも面白いらしい)、パソコンをしながらそれらの情報提供もしてという感じもあります。


一方スタジアムでは女学生がバイクを乗り回す競技?をしていましたが、

う~~~ん、何回見てもなんともいえないスポーツ大会です。

今日は、一人の寝転がった女学生の上に斜めに板を乗せて、その上をバイクが走って通過するというのをやってました。
だれか
「こんなこと、やめませんか?もう。」
とかいわないんでしょうか。言わないんでしょうね。

前にもやってた、女学生が10人くらい並んで寝転がって、その上をバイクに乗った女学生がジャンプするとかいうのもやってました。

もちろんいつものように曲乗りあり、火の輪くぐりあり。。。。。。って、サーカスかこれは?

帆船にみたてたトラックの上に何本ものポールが立てられ、そこを女学生が相当高い位置まで上って組み合わさって帆を体現、というのもやってました。
相当高かったです。
10メートル以上あったんじゃないかな。

しかもトラックはババの前をゆっくり走ってて女学生でできた帆は揺れてるし。

ババの学生も大変だよ。。。


その後はブリンダバンキャンパスの男子学生が中国のお祭りに出てくるようなでかい龍を動かすパフォーマンスみたいなのをしていました。

そして7時前くらいにわりとあっさりババは帰って行きました。

ババの車を見送るために沿道で並んで見てたのですが、
なぜかババは向こう側の席に座ってるからどうせ見えないだろうと思いこんでいたら、
こっち側が助手席だったので、いきなり目の前に現れてよく見えたのでびびりました。

そのあと、子供2人を連れてもみくちゃになり過ぎないように、さっさと帰りました。

2人が芝生でジュース飲んで遊びたいというのでアシュラムの芝生に少しの間いて、
私もお茶を飲んで、
主名の友達の家の人にも了解を取ってあったので、
そのあと3人でウエスタンキャンティーンに行きました。

3人ともスパゲティを食べたのですが、
2人の子供は張り合うようにフォークでスパゲティをぐるぐるまいて、
皿の上にあるスパゲティのほとんど全部がフォークに巻きついて、りんご大になっててそれに2人とも無理やりかじりついていたので前の人は笑ってました。

時々しかりつける人がいるから、しかられないでよかったです。

スポーツ大会、見てるだけでしたけどなんか運動したような気分になりました。
ああ、スタジアムからちょっと歩いて帰ってきたからか。。。

明日の午後にもスポーツ大会はあるんですよね。

しかしスポーツ大会に白いローブのババはなんかめずらしいです。
(知人はなぜか異変を感じて怖がっていました。笑。)
クリスマスにはいつも白いローブなのに去年のクリスマスはそうじゃなかったし。

ババも色々自分のルールを改正してるんですかね。

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【2011/01/12 02:59】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
11日の日記
11日はたっぷり8時間寝て、起きて、サウスで朝食を食べた後に主名はコーチングスクールに行き、私は部屋に帰ったんですが、また猛烈に眠くなって、12時過ぎに主名がかえってくるまでまた寝てました。

主名が、友達が昼ごはんを食べたらすぐに来るって言ってるとかいうので、
狭い部屋で男の子二人と過ごすのもなんなので、

わたしらはウエスタンキャンティーンに昼食に行き、昼ごはんを家で食べた主名の友達もそっちに来てもらい、芝生に移動してそこで遊ばせました。

5時前くらいまでそうやって遊んで、ココナツを飲んで食べた後、
子供らは今度は友達の家に行って、私はもうしばらく芝生の所にいました。

電話で知人としゃべったりもしてたのですが、そしたらスピーカーから流れるバジャンの声が切れたので、
「あれ?停電かな?」
と思ったのですが気にせずにいたらしばらくしたら復活してました。

6時くらいにいったんアパートに戻って洗濯してからバジャンに行こうと思って芝生を後にして、サイクルワントホールのシータとラーマの像の前を通りがかったら、人々が固まって、ホールに向かって拝んでるじゃないですか。

まさか?

と思ってみたら、ババが来て前に座ってました。
最近7時くらいに来ることが多かったので、6時くらい(実際はバジャンが途切れたときに来てたので6時前と思います)に来ると、
「わー、今日は早いなーーー!」
という感じがします。

なので、主名の友達の所に電話して、ババがもう来てるからアパートに帰らずにアシュラムに来るようにいいました。(6時半にアパートに帰るように言ってあった)

しばらくホールの外で待ってたら主名と友達が一緒に来たので、わたしは主名のかばんと2人のチャッパルを預かって、2人はホールの男性側に入っていきました。

3人分のチャッパルをサウスの前において、クロークルームに荷物を預けてわたしもホールに入って座ろうと思ったのですが、
ノートも傘も預かってもらえないものリストの中に入ってたので、
荷物は預かってもらえず、
なのでシータラーマのところからダルシャンを受けました。


アルティが終わったのは7時前くらいでした。
ババはインタビュールームに行ったのかもしれませんでしたが、そこから先はもうよしとしてチャッパルを取りに行きました。

主名と友達が来たのでチャッパルを渡し、
友達はお父さんとガネーシャゲートで待ち合わせをしてるというのでそこで別れて、私たちはウエスタンキャンティーンのほうに行きました。

途中でスピーカーからしゃべる声が聞こえ、
私のヒアリングが正しければ、
明日11日の午後と、12日の午後にスポーツ大会が行われるとのことでした。

最近朝ダルシャンはほとんどなくなってるし、
去年までは朝と午後に1日でやってたスポーツ大会(正式名称は違いますが、面倒なのでスポーツ大会ということにしときます。)も、2日間に分けられるんでしょうか。

うわさによると、このスポーツ大会の後には今はほぼ毎日あるダルシャンも4~5日に1回になるとかならないとか
うわさなので実際はどうなるかそのときにならないといつも分からないのですが、
ババもどう見てもお年だし、ダルシャンの回数が減っていくのはきっと確実でしょうね。


しかしながらババは今日もけっこう長い間前に座ってバジャンを聞いてたし、なんかエネルギー放出!してる感じを受けました。

過剰なエネルギーを受けて出すもんを出してるからどうかは知りませんが、ウエスタンではご飯を配る人同士けんかというか言い合いしてて、並んでる人同士もそんな感じでした。

わたしもダルシャンの帰りにちょっといやな気分になることがあって、
なんかネガティブな、私に関してのイメージで接してくる想念を受け入れちゃった感じでけっこうずっといやな感じで残って、相手に対する憤りなんかも感じたりしてたんですが、
でもめずらしく、それをきっかけにそれが自分のあり方を見直す切り替えポイントになった、ような気もしますが。
よくわかりません。


うまくそういうのがある世界から抜けたんだろうか。

世界と自分との関係は謎解きのようだしゲームのようでもあるなと思います。

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【2011/01/11 06:00】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
3回サイババに遭遇した感じ。
今朝のサッティヤンマテンプルでのラーフプージャは、眠くていやいや行ったんですが、やっぱなんか効いてるのか、
今日はババとの遭遇率が高かったです。

路上でたぶん病院にお見舞いに行くババを見送ったあと、またネットカフェに行って必要なソフトを自分のパソコンにインストールしてもらい、

夜7時前くらいにアパートの部屋に帰ると誰もいなかったので、
シュナはまだ友達の家で遊んでるのかと思って

「すみません、主名、まだそっちですよね」
と電話したら、感心なことに今日はちゃんと6時半に自分で友達の家を出て帰ったそうです。


じゃあ、どこにいるんだろう?

ダルシャンに行ったのかな?

と思って、わたしもアシュラムに行ってサイクルワントホールの中で女性側に座りました。

しばらくしてババが外から帰って来ました。

ババはしばらく前に座ってバジャンが続けられました。
今日は普通に、ババが姿を見せてくれてありがたいことだなと思いました。

すぐにアルティになり、ババは車に乗って帰って行きました。


ウエスタンキャンティーンでシュナに会えるだろうと思って行ったけどいなかったしまだ開いてなかったので座って待ちました。

そしたらシュナがウエスタンキャンティーンの前を通り過ぎようとしてるのが見えました。
(近くの子犬が数匹いる場所に行こうとしたのか?)
なので呼んで合流しました。

シュナは男のほうでダルシャンを受けていたそうです。

おお、適切な行動。
ラーフっ子主名もプージャが効いたのだろうか。


晩御飯は、今日はすごくおいしいデザートがありました。
何層にもなったパイ生地にカスタードクリームみたいなのがたっぷり挟まってるやつ。
大きすぎたので主名と半分こして食べました。

明日からまた友達も主名がいま行ってるコーチングスクールにとりあえず通うことにしたらしく、
迎えに来てね、一緒に行こうね、と言われたからと、主名は明日の用意をして先に寝ました。

先のことは分からないけど、とりあえずこの今の瞬間はうれいのない幸福な日々です。

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【2011/01/10 03:45】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイババ体験談⑫
私は沖縄での暮らしの後、意識の降下とでもいうのでしょうか、本能的に実際の周囲のものや自意識を形成することがらとのつながりをどんどん切っていって、
余分なものをすべて取り払ったあとに残るであろう個人の私の核のようなものを見出そうとしていました。

それはいったんすべてを捨て去る作業でした。

手探りですから何も守らないように、保持しないようにという思いで、たとえ人に痛めつけられることでもそのプロセスを進めるものとして本能的に歓迎し、のちに自分で自分を痛めつけることすらしました。

完全に独立した個人である自分を頼りに今後この世界で生きていけるんじゃないかと思い、そういう、完全に個人になるプロセスを数年かけて徐々に進めていました。


しかし自分を支える全てを剥ぎ取り、全てを失った私自身を見つめたとき、
時間や空間や記憶にも拠らない個人としての私の実体や、個人の核となるような普遍のものは実は何もないことを確認しました。
(それは恐ろしい体験でした)

そのあまりにも何もなさに耐えられず、
恐怖を逃れるために私は底なしの闇に向けて自然とアメージンググレイスの最初のフレーズの一部を歌っていました。


「ア~~~メ~~~~~~~」


そこだけを何度も何度も繰り返し歌いました。


その声の振動を感じている瞬間にだけ、わたしはいまここにいると感じることができました。

虚無の恐ろしさの中でその響きは命そのもののように確かに思えました。

のちにそれはヒンズー教のオームの響きと多分同じ原初の響きが
うつろな自分の中から生まれ出てきたんだろうと気づきました。


自分個人というものは存在しないと確認した後、
では、個人がないけどこの世界で個人として生きなければいけないなら、自分のあり方は自分でプロデュースしていいんだろうと思いました。

そのように、そのときはひとつのターニングポイントとなり、この世界に生きる方便として自分の好む形の暫定的な個人性を提示して、それを生きていこうという方向性と能動性が生まれました。

生きるということは体現の連続となりました。

しかしそのような常に自分自身であり続けることは同時に常に虚構としての世界を否定することでもあり、それはそれできつい戦いで、いつも気もちは全身を刺されているようにひりひりしていました。

私がすべてであり、世界がその虚構の姿を私の前にさらけ出したあの21歳の超絶体験の瞬間、
虚構としての世界と私とのつながりは本質的に断ち切られ、
(いまだかつて交わったことはなかったのかもしれませんが)
もう、それらの虚構に身をゆだね、心を許すことはできなくなりました。


しかしすでにこの心を許すことのできない世界で生きる選択をしてしまった私にとって、この虚構の世界とすべてである私のどちらにも実体として等しく存在するように思えたのがババでした。

21歳のときの超絶体験のときに唯一対等に話をすることができた存在が私にとってはババでしたから。

私が超絶体験をする前も、そのときも、そしてこの世界に戻ってきて堕ちていった後も、ババは変わらない高みを示していました。

体験前も、そのときも、体験後も、ババとの交流で分離や乖離の痛みを感じることはありませんでした。
わたしたちはつながっていて、そのつながっている部分において私たちはひとつでした。

この世界に大喜びで戻ってきたものの、インドに行く前とは勝手が違ってすぐに途方にくれた私は、すべてであった私へとつながる通路のようなものとしてのババを改めて見出しました。

ババは道そのものでした。

ですからこの実体がないけれどとりあえずそれを生きるしかない、私という個人性をサイババへ溶け込ませてその個人としてのわくを広げる作業をこの10年ほど意識的に、また、否応なくしてきました。

それは外にあるように見えるものを内に見出して統合していく作業の繰り返しでもありました。


その作業の期間中には非常にバラエティ豊かな霊的混乱状態を通過しもしました。

それは妄想的な確信が現実化する世界で、そういう意味ではあらゆる妄想はすべてリアルな現実でした。

様々な体感やビジョンやインスピレーションなどが途切れなくやってきて、
様々な意識の階層に同時に瞬間ごとに存在するような感覚や、

何を見ても、それを現出させている情報やそのものが含んでいる情報に、そうはなりたくないのに意識が連れ去られて一体化してしまって苦しんだり、

時には悪魔的なエネルギーが行動を起こさせようと自分を駆り立てていることに気がつきました。

時にはどこかの神のようなエネルギーが入ってきてしばらく留まり、用事が済んだら出て行ったようなことも何度かありました。

そのように神々や悪魔や霊やエネルギーや聖者やお化けや妖怪や過去生の自分や様々なものが入り乱れて自由に出入りしていて、個人としてのわたしはぐちゃぐちゃでした。

なのでいつも非常につらかったです。


私の逃げ場は全てである神しかなかったのですが、そこに完全に溶け込むには私の中にはあまりにも多くの不協和音がありました。


これらの霊的な存在たちの世界もこの物質世界と同じく現実であり、物質世界と同じく虚ろなものでもありました。

それらは現れてそれぞれの印象を残して私に経験を与え、去っていきました。

当然、このころは日常生活を送るのが非常に困難で、この時期の最後のほうでは半年間家にこもって集中的に自分自身の浄化を行いました。



ババは私にバクタ的な帰依者であることを求めませんでした。

私は自分個人であることと全体としての真の自分としての記憶との間で常に引き裂かれるような痛みを感じ続けており、
それから逃れようと、1999年から2000年になるときの年末年始にプッタパルティを訪れた際、

「私をバクタ的な帰依者にしてください」
と数日のちょっとした断食とともにババに真剣に祈ったこともありました。
(バクタは仲間もたくさんいてなんだか楽しそうに思えたのです)


しかしババはある日のダルシャン中に
「帰依者にならなくていいよ、自分の好きなようにしなさい」
と、私の心を通じて言いました。

そうか、好きにしていいのか、と、その瞬間は気楽になり、
ぱぁぁっと展望が開けたような気がしました。

しかしその時すでに私は何をしても心のそこでは楽しくなくなっていて、何もしたくなく、
意識の極度の混乱も数年にわたって続いており、実際、毎日ただひたすら消滅したいとだけ思っていました。

それでも人は生きている限り何かをし続けないといけないので、そのときそのときの目の前にある何かをし続けました。
不思議と、今この瞬間に何をするのが求められているのかはわかるのでした。


きっと人はこの世界で生きているかぎり、いろんなことをできるだけうまくやり続ける必要があって、
私たちはより良い劇場空間を作り上げ、演技をして、楽しみ、やりきって、あとくされなく振り返らず、
最終的には舞台を降りて本来の状態へと還る必要があるのかもしれません。


劇は始まりと終わりがあってこその劇であり、いつかは終わります。

もし今、私がまた「舞台を降りていいよ」といわれたなら、今度はしくじらずに人生を終えるかもしれません。

実際、この世界に戻してもらう選択はしくじりだったような気もしてよく後悔しました。

私は多分あの時、最後の線を超えそこねたのではないか、失敗したのではないかとその後の苦痛の中でよく思いました。


インドに行く前は私はさまざまな殻に守られて透明な内面性を保っていました。

しかし体験後は外的な守りが破壊された状態でこの世界に再び戻ってきたので、世界は私に対してあらゆる角度において攻撃的な耐え難いものとして現れ続けました。

そこから逃れる唯一の活路として私は選択の余地なくババに向かい続けてきました。


私は自分がこの世界の中で生きることを選択したことが引き起こした世界の敵対化にぐちゃぐちゃに打ちのめされましたが、いまさら世界から逃れることはできませんでした。

しかしババはこの世界の中にも光として存在していて、彼の肉体はこの世界にその分だけのささやかな空間を占有して存在していて、そのことを私は非常にありがたく思いました。

彼は私にとってなぐさめ以外の何ものでもありませんでした。

ババがこの世界に生きているということは、わたしもこの世界で生きられるということでした。


ババとわたしの関係性それ自体も虚構かもしれませんが、
この世界にいるババと自分との関係性を見てその距離をおしはかる時、
私は自分がすべてであり、世界そのものであったときの自分を再び見出し実現するために何をすべきかの手がかりと地図が与えられているように感じます。

そのためには今の自分にはババが必要であり、彼を見失うと私はこの巨大な迷路のような世界を解きほぐす手がかりも見失うでしょう。



その後あるインド人聖者に自分のインドでの体験を話して、それは一体なんだったのかとたずねたことがありました。

彼女(女性の聖者でした)は

「それはあなたが過去生で積んだ徳の結果で、誰にでも起こるというものではない。そしてあなたはその時、私のようになるかもしれなかった。でもそうはならなかった。あなたは今はもう世俗の中にいるので、世俗の中で生きなさい」

と言いました。


それを聞いた私は、ええーーー、と思いました。
その体験の記憶を持ったまま世俗で生きることは私には不可能に思えました。

この世界がうそではないと、自分にうそをつくことはできませんでした。

あっさりと記憶を手放し、世界に対して素直に純粋に生きればよいのかもしれませんでしたが、私の記憶は暴力的なほど強烈で、自分が手放そうとして容易に手放せるようなものではありませんでした。

その記憶が私の全世界をすでにひっくり返し、私はすでにその記憶に基づいて、現象世界と絡み合い相互依存の状態にあった過去の自分を数年かけて虚構として捨て去り、

完全性を備えた生命体としての独特な自分と、その自分の意識の光の反映としての現象世界を、新たに瞬間ごとに見出して生きていたからです。


そんな私の「それは無理」という反応を見て、その聖者は

「でも、まだ可能性はある」と、ふと何かを見つけたように付け足しました。


その可能性が今もまだあるのか、そもそも、それがどういう可能性なのかどうかは分かりませんが、
私は今の世俗の生活から抜けることは無理そうなので、
私のこの世俗の生活を、あの記憶の状態が現れることができるくらいの純粋なものへと昇華させる必要があると思っています。

さもなくば私は死ぬまでそのギャップに苦しみ続けることになり、ババはそれを望みはしないと思うからです。



ババにダルシャン中に「帰依者にならなくてもいいよ」といわれたように思った同じころ、わたしは

「ババって、ロックスターみたいだなー、みんなにキャーキャー言われて。」

「プッタパルティーって、サイババ王国だなあ。どこもかしこもサイババやん。」

とか思ったこともありました。


そして、またダルシャン中にババを見ながら、

「わたしも、自分の王国を作ればいいのかなあ?」

と何を思うともなく、ふと思ったことがありました。


するとその瞬間、ババはだいぶ遠くにいましたが、まっすぐこちらを見て
(ババの目からのエネルギーにレーザーのようにするどくまっすぐ貫かれたので、そう感じました)、

大きく3度、すごくまじめな顔でうなづきました。


そのころから私は自分自身の中から独自の絵がいくらでもあふれ出るようになり、数年間ほど画家として活動しました。

それは自分を中心にした状態でなおかつ個人のレベルで閉じずに神へ自分を開き、神を招き入れ、神が自分を通して働く、
そのプロセスを体現するトレーニング期間であったとも思います。

また、世俗の中ではこのような何らかの役柄を演じて社会の中での居場所を作ることが周囲に安心感を与え、私を世界の中で生きやすくもさせてくれました。

役柄を演じることは、この世界で生きることの楽しさを感じさせてもくれました。


今思うことは、やはり、私たちはババのようにすべてに深く愛され、すべてを深く愛する、神がすべての中心で基盤である神の王国を作ればいいんだろうということです。

ひとりひとりが真の自分自身である神として自分の世界を統治し、その中心にいるのが本来の姿なのだろうと思います。

神としての自分自身であるとき、すべてとの一体感と、すべてに対する無執着があるんだろうと思います。


神であり、自分から展開する世界の統治者である王としての自分に再び気づくためには、
それ以外の卑小な自分との自己同一化とそれによって同時に起こる自己限定化をやめる必要があるのかもしれません。

「ババ=真の自分」に立脚するとき、世界のすべては虚構としての本性を現し、たとえ私が世俗の中にあろうとも、すべてが根本的に調和し、恩寵の光の中で神の輝きそのものとなるはずです。


それを可能とするためには、この世界にババと私として別々に現れているかのように思える両者をひとつに溶け合わせ、超越し、
見出されるのを永遠に待っている唯一の真実を顕現する必要があります。

ババはいつも真の自分自身と同じものです。

それを、言葉にするのではなく、生きて、体現していけますように。

その時、この現象世界は愛そのものであるのでしょう。



そうすると、私たちはすべてが神である事を知りながら、この美しい世界の劇に参加するために与えられたそれぞれの役柄を演じることを心から楽しみ、踊り続けることができるのでしょう。

ババはいつも私たちを深く愛していて、私たちからの深い愛を受け取る準備ができているのでしょう。


愛の中ですべてがひとつでありますように。
わたしたちが全身全霊でババを愛することができますように。

そしてそれを可能とするババの恩寵を私たちがババから受け取ることができますように。


ババの恩寵の中で私たちは生きていて、それ以外は何も存在しないことに私たちが気づくことができますように。


永遠に自らを与え続ける孤高の、
そして無数の姿で現れ続けるこの現象世界のあらゆるものであるあなたに今一度、感謝の祈りをささげます。



Jai Sai Ram

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【2011/01/10 02:40】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(4) |
ババお見舞い?
今日は早朝からサッティヤンマテンプルのプージャに行って来たので帰ってきてから眠くてちょっと寝て、
昼はウエスタンキャンティーンに行きました。

その後芝生のところでちょっとくつろいで、シュナは友達のとこに遊びに行き、
私はそのままそこにしばらくいてパソコンをいじっていました。

夕方になっていったん部屋に帰ろうとガネ-シャゲートのところまで行っておまいりしてたら学生たちが走ってきたので
「こんな早い時間にババ来るの?」
と、ホールの中をのぞきに行ったら来るみたいだったのでしばらく待ってみました。

そしたら車でババが来たので、
「あ、そのまま外に行くのかな?」
と思って、
外に行こうとしかけましたが、外に行くために曲がるのを見てからにしようと思ったら曲がらずにこっち(ホールの男性側の外)まで来たのでそのままダルシャンを受けました。

でもこんな早い時間(といっても4時過ぎとかですけど)に車で来たんだし、
きっと外に出て先日事故って骨折したらしい親族のお見舞いにでも行くんだろうと思って、ババが前を通り過ぎるのを見届けた後、アシュラムの外に出て、コーヒーを飲みながらババがメインロードを通るのを待ちました。

一時期警察が交通整理をして来そうになったのですが、
そのうち交通規制も解除されたので、
「う~~~ん、来ないのかな?」
と、用事でネットカフェに行って、外を見ながらさっき
「今ババが来ないかもしれないけど来るかもしれない」と電話で知らせた知人に再び電話して、
「やっぱこなかったですね。すみませーん」
といってるうちにアシュラムの中をまた学生たちが今度は逆方向に駆け上がっていくのが見えたので、

「あ、やっぱくるみたい!わ!見にいこ。」
と、電話を切って、チャッパルもはかずにはだしで表に飛び出しました。

今度は少し待ったら車に乗ったババが警察のジープとともにメインロードを走っていきました。


サイクルワントホールの中でダルシャンを受けたほうが落ち着いて見れるし見やすいのに、
でも、路上でババに遭遇するとなんだか得した気分になるんですよね。


変な心理ですよね。

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【2011/01/09 22:02】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
プッタパルティプチ情報
プッタパルティアシュラムプチ情報。

今日気がついたんですが、ウエスタンキャンティーンの朝食の時間が8時から10時になってました。

最近ババは朝はほとんど来ないし、午後は遅いしで、そういうババのダルシャンペースにあわせてショッピングセンターのあいてる時間とかそういうのもいろいろ変更されてきてるみたいですね。

ちなみにアシュラムのゲートがしまる時間は午後9時半になってます。


アシュラムのセキュリティは年々厳しくなってきてる感じで、
先日ウエスタンキャンティーンにご飯を食べに行くためにサイクルリキシャで行こうとしたら、
外に住んでる人はリキシャを乗り入れたらだめだ、とかいわれました。

せばダルによって厳しさが違うからそのときだけかもしれないけど、今までそんなことを言われたことはなかったのでちょっと驚きました。

アシュラムの中は広くて歩くのがしんどいときもあるし、ガネーシャゲートを入ったところでサイクルリキシャを待機させてくれとくとか、アシュラム内巡回バスでもあればいいんですけどね。。

一般人は自転車の乗り入れなんかもだめだし。

歩けってかんじですか。
いやいや。

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【2011/01/09 20:14】 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) |
夜遊びSAWAKO。
今日もシュナは友達の家に遊びに行く約束をしてて、
昼ごはんも食べずに行こうとするので「食べてから行け」と食べさせて行かせました。

昼過ぎにわたしも昨日シュナが遅くまでお邪魔してたのでその家にひとこと挨拶のつもりで久しぶりに行ったら、子供らが遊んでる傍らで主名の友達の両親とそのまま話し込んでしまって、結局晩御飯も出してもらって夜の9時過ぎまでいました。

シュナは「今日は明るいうちに帰るって言ってたやん」とか言ってきましたが
「しゃあないやん。しゃべってたんやもん」
と答えました。

今日は夕方6時過ぎにはアルティの鐘の音が聞こえてきてたので、ババはダルシャンには来なかったんじゃないかな。

ババに関わる人々はみんながそれぞれ独自の物語を持っています。

ある種の覚醒体験がある人もかなり多いんですよね。
というかむしろ標準装備?な勢いで。

強烈な場合もあれば、
比較的静かな感じでいつの間にかそういう風になってる場合もあるみたいに思います。

いろーんなパターンがあるんでしょうね。

サイセンターに行ってる人の中にもそういう体験がある人も少なくないと思います。

私はそういう話を聞くのが好きなので、時々水を向けるとたいてい何か話すネタはある感じです。
あ、やっぱりそういうことがあったんだー、へー、ほー、ふーん、なるほどなー、みたいな。

そういう話、面白いですよね。楽しいじゃないですか。
あえて自粛して話さない人も多いと思いますが。

でもそういう自分にとっては決定的な感じの経験だったとしても、そこから始まるものもあるみたいで、
この世界がゲームだとするならかなりいつまでも楽しめる感じですか。

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【2011/01/09 07:09】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイババ体験談⑪
ところが、いくつかのことはインドに行く前とは決定的に違ってしまっていました。

まず、自分の中に屈託が生まれました。


世界がすべて自分の中にある幻想であり、信用に値するものではなかったという体験の記憶を持ったままこの現象世界の中に戻ってきたので、
ではいったいこの世界の中で個人としてのわたしは何をよすがに生きていけばいいのかということが分からず、

虚無感と居心地の悪さと、それをこの世界の誰とも根本的なところで分かち合うことのできない哀しさがありました。


インドに行く前の個人としてのわたしは「宇宙意識」と私が呼んでいた、しかし実際には名前も形もない、しんとした静かなある何かにいつも自分をゆだね、波長を合わせていました。

そのわたしが自分自身をささげていた無相の宇宙意識はおそらくあの超絶的な体験の中で唯一不二の自己として明らかにされ、体現され、

戻ってきた後も消えない記憶として私の個人としての存在の核のように常にあるように感じられました。
つまり、自分をゆだねる対象としてのそれではなくなったようでした。



あの夜の体感は現象世界を超越した輝く実相として自分の中に深く刻み込まれていました。

しかし私は再び自分と世界が別個のものであるような状態に戻ってきたので、
世界の実相に対する絶対的な認識と、実際の生活で感じる自分と世界との分離感という2つの間のギャップは、耐えがたい分裂の痛みとしてすぐに私をさいなめ始めました。


インドに行く以前は、私は透明で、透明で空っぽであるがゆえに誰とでもすぐに溶け合って一体感を味わうことができました。

世界のすべては私の保護者のようで、私はその中で甘やかされていて、世界を愛し愛されていることを楽しんでいました。
わたしはそんな世界を信用していました。


しかしインドから帰ってからは、私の個人性の中に現象世界の奥の真の姿への認識とその記憶が生傷のようにいつまでも新鮮に保持されるようになったので、
私の透明感と世界への信頼による一体感は失われました。


私は世界が信頼できないものであることを知りつつ、自分の内にも安らげる場所を見出せずにいて、そのことは地獄でした。


私はいつどこにいても孤独を感じるようになりました。


しかし元の生活に戻ってしばらくは、インドに行く以前の生活の続きを生きました。


私は自分の体験によって世界を根底からひっくり返されてしまったので、元の生活を楽しめず、
ババの講話の本やらババに関する本を読み始め、自分が何を必要としているのか、そのこと自体を探しました。


インドから帰ってからはいくつか不思議なこともおきていました。

例えば、大学の授業でみんなと同時に種を植えて
(小学校教員養成課程だったので、小学生の授業内容を体験、研究することが多かったです。これもそのひとつでした。)
同じ場所で同じように育てていた朝顔が、インドからから戻って見てみると私の名札のついた2株だけ、他のものの3倍くらい余計に成長していました。

大学の友人知人、先輩後輩たちには私がインドにサイババに会いに行くツアーに参加することは言ってあったので、
その、私のだけあきらかに大きく成長したアサガオを見て後輩は「サイババパワーや」と、喜んで興奮していました。


私に、インドやサイババの体験談を聞きに来る人もいて、みんな興味しんしんでした。

しかし私は自分自身の決定的な体験についてはとても話せず、アシュラムで他の人におこった奇跡の話だとか、世界音楽祭がすごくレベルが高く、すばらしかっただとか、そういう話をしてごまかしていました。

そうこうしているうちに、私からサイババの話を聞いたら自分の身のまわりにも不思議なことが起こった、と、報告してくる人もちらほら出てきました。

願いがかなったとか、小さな奇跡が起こったとか、サイババの顔が目の前の空中に現れたと言っていた人もいました。


私自身、日本に戻っても意識が覚醒し続けているような状態がしばらく続いていて、睡眠をとっているのかとっていないのか自分でよく分かりませんでした。

動物性の食べ物は一切口にできなくなっていました。


開ききっている感覚がまだどこかに残っていたので、
時々友達がしゃべる前に内容を察知して、
すでにしゃべったものと勘違いして答えてしまって戸惑われたことも何度か起こりました。

何かの折にはどこからかババらしき、私だけに大きく響く声が聞こえて、その声によって探し物が見つかったり、
(それは「アジアンジャパニーズ」という旅人の記録のような本だったのですが、最後の写真はプッタパルティで撮られたものでした。)

寝過ごしそうなときに耳元で声がして起こされて重要な試験に間に合ったり、そういうこともありました。


インドでの奇蹟に満ちた日々の大気を日本に持ち込んでしまったような感じでした。

幸い私の周囲の人々、特に美術系の人々はそういうものを受け入れて歓迎して楽しんでいました。

学生時代にはクリスチャンの知り合いも多くて、キリスト教のムードや歌やそういう神を愛するまじめな人たちと一緒にいるのが好きだったのでよくそういう研究会や教会に遊びに行っていたので、

そういう知り合いには自分一人で抱えるのがこらえきれず、自分のインドでの体験の核心を話したりもしました。

そういう人たちの多くは大人になってから信仰の中に生まれなおした、本当に純粋に神を愛している若い人がほとんどだったので、みな真摯に耳を傾けてくれて理解を示してくれました。



インドから日本に戻ってから一ヵ月後に、私は前々から予定していた、膝のじん帯の再建手術を京都のスポーツ整形外科で受けました。

手術は全身麻酔で行われたのですが、手術が終わって個室に移され、
麻酔が切れてきてふと目を覚ますと私の寝ているベッドの足元のほうに明らかにババが普通に立っていました。

ババはスタンドにぶら下げられている点滴を触って調べている様子でした。

「あ、サイババや。」

とわたしも普通に思って見ていると、ババも私が目を覚ましたのに気づいてこちらを向き、
「もっと深く、息を吸いなさい」と言いました。

私は
「はーい。」
と心の中で言って、深々と息を吸いこみ、そのまままた眠りの中へ戻りました。


次に目が覚めた時には頭はもっとはっきりしていて、日本での現実感覚がすでに戻っていて、
ババはもういなくて、

「そういえば、サイババ来てたなあ!!」
と記憶がよみがえり、明らかに奇跡的な出来事に少し興奮しました。


入院していたのはスポーツ整形外科だったので患者は若くて元気のいいスポーツ選手ばかりで、
一般の病院で2ヶ月かかる入院期間もここでは1ヶ月で終わるのが常だったのですが、
わたしはそれよりさらに一週間早く退院しました。


私はそのとき大学の4回生で、卒業後の身の振り方も就職先もほとんど決めていたのですが、
(日本画を専攻していたので、その関係で文化財の修復を請け負う京都の会社で働きながら技術を磨いて、後に独立していずれは自分自身のオリジナルの細密仏画を描こうと思っていました)

インドから帰ってくると、自分の中の落ち着ける要素が全部壊れてしまっていて、とても会社に就職できるような安定した精神状態ではなくなってしまっていました。


インド後は自分が何を求めているのか、何をすべきなのかも分かりませんでした。

インド後は以前の自分とは存在形態がまったく違ってしまってもいたので、
とりあえず大学卒業を半期先送りにしておいて、友人たちが先に卒業して行った後にさらに数ヶ月余分に学生をしました。

その後は誰も以前の自分のことを知らないまったく新しい環境を本能的に求め、
日本の果てである沖縄の八重山の離島へ働きに行き、そこで民宿のヘルパーをしばらくしていました。


離島にいてもやはり苦しかったのですが、そんな暮らしの中、人気のほとんどない大自然の中で奇蹟のように輝く瞬間に何度か遭遇しました。

人のほとんど立ち入らないような場所では素晴らしい生命の輝きがなにも隠されずにすみからすみまで歓喜して満ちあふれてていました。
そのような時はただ打ち震えて感嘆するばかりでした。

そのころの私は自然との強い一体感があり、海や、風や、木々や空気の中の精霊のようなものと意思が通い合っていて、お互い愛の中で感応しあっていました。

歌を歌うと自然がそれに応えました。

日中にはよく、誰も来ない小さな浜辺や木立の中で横たわって身をゆだね、やすらかに昼寝しました。

沖縄の人々や自然に大きく助けられ、なぐさめを与えられ、はぐくまれた日々でした。



そこを手始めとしてその後も滞在場所は日本各地や南アジアなどを主に季節工などをしながら転々と変わり、
状況もそのつど変わり、10年以上がたち、これを書いている2009年の10月に至ります。

その間、ずっとババは別の体やビジョンで現れたり、夢に現れたりして私を導いてきました。

そのころ仕事の昼休みに昼寝していると誰もいないのに肩をトンと突かれ、
「目覚めろ」「思い出せ」と言われているように感じたことも何度かありました。

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

【2011/01/09 06:13】 | サイババ体験談 | トラックバック(0) | コメント(0) |
夜遊びシュナ。
今日は午前はシュナは学校に行っていて、昼間、友達をつれて帰ってきました。

なので部屋でみんなでご飯を食べて、遊んだ後は2人は友達の家に遊びに行きました。

その友達はしばらくプッタパルティを留守にしてて、シュナは待ちわびていたので、昨日その子が帰ってきたので今日早速遊んだみたいでした。

わたしは食後は昏倒するように寝て(どっかおかしいのか?)

夕方起き、しばらく何かしながら主名の帰りを待ちましたが、帰ってこないのでドアに書置きを貼ってダルシャンに行きました。

7時ごろに行ったらちょうどアルティでした。

男性側の外から見ました。
その後ババはインタビュールームに入ったみたいでした。

バジャンホールの裏で座って待ってて、
ババが車で家に帰るときにまた見ました。
7時半くらいでした。

ババの姿を見ると肉体意識に引っ張られるという面は確かにありますが、
でも見てる瞬間は何もかも忘れて集中する状態に自然となることが多いとも思います。

シュナが来るかと思って気にしてたのですが来ず、
書置きにウエスタンキャンティーンで待ち合わせと書いてきたので、
ウエスタンキャンティーンに行って、ご飯を取って、主名の分の持ち帰りもして
自分の分はその場で食べましたがやっぱりシュナはきませんでした。

多分、友達の家でウルトラマンのDVD見てるんだろうなー、とか、
久しぶりに会って嬉しいのは分かるけどちょっと遅いなとか思いつつ、
その子の家に行ってみましたが、
玄関に主名のくつがなかったのでそのままアパートの部屋に戻りました。

アパートの部屋にもいなかったので「行き違ったかな?」と思いつつ待ってたらまもなく帰ってきました。

時刻はすでに9時前。

私が友達の家に迎えに行く少し前にその家を出て、アパートに戻ったら書置きがあったのでウエスタンキャンティーンに行き、そこにも私がいなかったのでアパートに戻ってきたらしかったです。


やっぱり夕飯はすでに友達の家で食べたらしかったので、ウエスタンから持ち帰ったラザニアは路上の誰かにあげにいかせました。

コーンスープは好物なのでおなかいっぱいらしかったけど、食べてました。

ポテトとサラダは明日の朝食にでもしようと思います。

レーズンロール(シナモンロール?)のパンも持って帰ってきたのでそれも明日の朝食です。


シュナには夕方のダルシャンにいけるようにもっと早く家に帰ってくるように言いました。

しかしわたしも、もっと早くにその子の家に迎えに行けばいいようなものですが、
今日はなんとなくこういう感じになりました。

昨日はババはダルシャンにはきてなかったです。

今日は来てましたが、
日に日にダルシャンが少なくなっていくんだろうとは思います。

まだ、1日1回でもダルシャンがあるだけ素晴らしいと思います。

ババがいるといないとではプッタパルティの雰囲気も全然違うし、
滞在しているわたしたちの意識状態も全然違います。

それはわたしらが肉体意識にとらわれてて、
全てを等しく神と見ることができていないからというのもあるかもしれませんが、
やはりそれだけババの存在感は強烈な磁場のようなものを形成してるからだろうと思います。

テーマ:海外生活 - ジャンル:海外情報

【2011/01/08 04:54】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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