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忙しかった1日
昨日は相当参っていたのですが、夜中ごろから調子が戻ってきて、

ぐっすり寝た後、

今日の午前は明日から1ヶ月だけ体験入学する主名の公立小学校で必要なものを買いそろえにまわっていました。

体操服、ぼうし、上履き、体操用の靴、かさ、クッション、お道具箱とその中身、ねんど、給食の用意、クレヨン、色鉛筆、折り紙、などなど。

ランドセルは3万数千円からと高額だったので、リーボックのパソコンを運ぶしきりもついてるリュックで代用させることにしました。

うっかり下敷きを買うのを忘れたのですが、他はみんなそろいました。


それらの荷物を実家に置いた後、
神戸センターのバジャンに行きました。

行ったら丁度ヴェーダの吟唱が終わるあたりでした。

で、バジャンが始まったので参加しました。



ババが生きてるときも生身のババは日本のセンターに来たことはなかったので、
ババが亡くなった後もセンターは変わらないだろうとなんとなく思っていたのですが、

やっぱり以前よりも覇気が亡くなっていたと言うか、何かは確実に変わった感じがしました。

まだみんな心は喪に服しているのでしょうか。。?



ババが生きてるということはそれだけで高揚することだったんでしょうね。
高揚しすぎて疲れなくもなかったですが、
ババが亡くなった今となってはああゆうのがこの世界で実現するというのがどれだけ膨大なエネルギーのなせるものだったかというのを実感することが出来ます。

うちの母も、まだサイババが亡くなったことが夢のように思ってるみたいです。

今日会った知人はわたしの母にプッタパルティで10数年前に「ええかげんにしいやー!あんた太りすぎやでー!」といわれて、(状況詳細省略)

「インドで関西弁やー」
と、思ったそうです。
そんな思い出話を聞きました。


ああ、うちの母のいいそうなことだ、と、状況が思い浮かびました。笑



こないだリシケシの上流でくんだガンジス川の水などをお土産というか、プラサード的にというか、頭にぴっぴっとかけたりしたらいいかなと思って持っていったのですが、
みなさん次々飲んだので、「川の水なんで---!!!」と、驚いて止めたのですが、

「絶対大丈夫!神の川の水だから」

と、みんなに配られていたので、
「あのーーー。自己責任でお願いします。。。。」

と、ひやひやドキドキものでした。

でもバジャン中に祭壇にささげられていたんだったらさらに大丈夫かな。


翌日みんな下痢してたらどうしようと思わなくもなかったんですが。

もっと下のほうのバラナシの茶色いガンガーの水でも日々ガンガーが受けている祈りによる殺菌作用があってコレラ菌が死ぬということらしいし。

今日もって行った、リシケシのさらに上流の水はかなりきれいから大丈夫でしょう。(と、思っときます)



なんせやはりセンターに行くと自分のバランスがとりやすくなるのでありがたいです。
日本での着地点が見えた気がしました。



雨の中兵庫の実家に戻り、
さっきまでさらに主名の学校の用意をしていました。
主に名前かき。
色鉛筆の一本一本まで全部書く必要があるとのことで。

で、漢字で名前を全部書いた後に学校のプリントに「かならずひらがなで」とか書いてあって驚いたけど、

もう2年生は読める漢字だしいいでしょうと思って終了しました。


あと、提出書類の記入とかも済ませました。



明日集団登校についていって、先生と顔合わせをしてきます。

そのあと、本とは順番が逆なのですが、
主名の住民票を地元の役所で入れます。

小学校側は楽しみに待ってくださってるみたいで、楽しい体験入学となりそうです。

その小学校は1年生も2年生も1クラスしかなく、
それぞれ10数名と20名だそうで、
少人数なのはむしろ良かったなと思いました。

通ってる間に音楽祭や遠足もあるそうです。



今日神戸には服が間に合わなくてインド服で行ったのですが、
案外大丈夫だったので、明日学校にもパンジャビで行く予定です。

あんまりぎょっとされて、日本の風紀を乱すのは望まなかったのですが、案外大丈夫っぽい。


どこか安いとこで日本の服を買おうと思っていたのですが、
気温もそんなに低くないし、インドの延長みたいな感じの服装でも問題なさそうなので良かったです。



さすがに寝ます。
おやすみなさい。
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【2011/10/31 03:19】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(1) |
日本到着。
今日の昼過ぎに関空につき、

少し前に兵庫の実家に到着しました。



3年ぶりくらいの日本。

日本はきれいだな(清潔&公共の建物の中が広々)
と思いました。

しかし、実家に電話して実家の人々の楽しげな様子を聞くと怖くなって空港からそのままインドに帰りたくなりました。笑


この5年で2回日本には帰ってて、どちらも横浜1週間兵庫1週間で、ああもう限界と思って、2ヶ月の予定のときも早めに切り上げてインドに戻ったりしたのですが、
今回は空港到着1時間で帰りたくなったという。

なにがそんなに怖いのか不思議なんですが、

なにか受け入れられていないというか、自分の受け皿がない感じがするからか。


日本の人はみんな優しくて、実家の人たちや他の人たちも楽しみに待っててくれてるんだと思いますが、
なにか普通にしてるだけで心が痛いというか。

自分と周囲との間に温度差があって誰ともつながれない感じがします。




不思議と言葉が出てこなくなるという。


他人とのパイプがつながっていない感じがします。



何度か書きましたが、わたしは他人とまったく接触できなくなった時期があって、
人間だけじゃなくて人間が作ったものとか見るだけできついときがあったので、
日常生活を送るのが困難で、

だから当時であった聖者?の情報をもとに、
情報を遮断して自分自身を浄化してエネルギーをまとまったものにしようと思って、

半年間実家に引きこもってずっと内面浄化をしていた時期がありました。



その後結婚したり子供が生まれたり、また、絵を描いて自分の場を社会の中で広げていったりすることで
自分を守る仮面というか役割を得て普通っぽく活動していたときもあったのですが、

なんだか今回日本に戻ってきて、
基本はあのころの無防備なものと変わらないんだなと思いました。

今は日本で自分を守るものがないし。


そうすると、日本の人々の空気感のまとまりに自分が眠らされて薄められてしまうようで恐ろしいんだろうと思います。

なので逃げたくなるんだろうと思います。

インドとか外国だったら日本人だとしてもその個人というりんかくが常に外から与えられるので私は楽です。


日本だったら溶け合う空気があって、
私はそれに抵抗するすべを持たないんだけど、
その調和に溶けることがわたしにはわたしという愛の死のように思えて、

空港から駅に向かう高速バスの中ですでに深く息が吸えなくなっている自分を発見しました。






まあ、2,3日で馴れるんでしょうけど。


日本では、ただいるだけというのがまだ難しいのかなと思います。

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【2011/10/29 18:39】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
デリーの空港で。
今はデリーの国際線の空港に来てます。

わたしの秘書、もとい、もとだんなが一足先に国内線の空港に午後3時に行ったので、
わたしと主名もそれに合わせて国内線の空港で見送って、
その後わたしたちは国際線の空港に来ました。

4時前くらいに空港に来たのですが、私たちのフライトは夜11時15分。笑

でも空港で時間を過ごすのは嫌いじゃないのでわたしはいいんですが、
主名は暇だ暇だと文句を言っています。


さっき、空港の一番端っこのコーヒーショップで何か飲もうと思って行ったら、
レジの前にプッタパルティの知り合い家族がいました。

なんという奇遇。笑

神のリーラ。



なので一緒にお茶を飲んで、しばらくしたらその家族は自分たちの飛行機のために去っていきました。



こんなのは神の意図や目に見えない導きを感じずにいられません。

すべては舞台裏で神が糸を引いているんだなと。笑



神は私に何を言いたいんだろうか何をさせようとしているんだろうかといつも思いますが、

つまりこのシナリオはどのように書かれているんだろう?と。



私自身のいろいろな思惑や希望や好みなどありますが、
それに反するようでも神の意思なら抵抗してもしょうがないと思って
それを感じたときにはだいたいいつもある程度抵抗した後それに従います。

そしていつもそれがベストなシナリオであったことが後になって分かるという。




以前いわゆる神の一瞥というんでしょうか、そんなのがあったときに、
すべてがその一瞬のためにあり、
すべてがその瞬間に収れんするための綿密なシナリオだったことに気がつき、
私は世界にだまされていたと思いました。


その後まんまとこのようにディセンションしてきたのですが。爆

しかも一瞥前よりもそうとう下品になりみんなに迷惑をかけまくり、全員を巻き込んでは人のせいにして人格を疑われ。。。

そうしてわたしはおそらくプッタパルティのババの足の下に踏みつけられて隔離されたのですが。笑



今は何もすることもするべきこともないということを肝に銘じつつ、
いろんなことを行いなさいといわれているような気がします。



いろいろな眺めが眼前に展開していき、
相当面白いといえなくもないなと思います。

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【2011/10/28 23:01】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
誰がかまうもんか?!(byラメッシ)
今まだ北インドでうだうだしてますが、いよいよ明日飛行機に乗って2~3年ぶりに日本に一時帰国です。

それはいいのですが、
外出するときはここ数ヶ月、ラメッシ・バルセカールの「誰がかまうもんか?!」という本を携えていって、
レストランでの食事の前後の空いた時間などにちょろちょろと読んでいます。

つまり、なかなか読み進められなくて同じ本を何ヶ月も持ち歩いてるということなんですが、

これはこれで役に立ちました。

特に日本のプージャなどでプッタパルティを離れたときなど、猛烈に頭にきて両目からレーザービームが出て耳から湯気が出そうなことがだいたい1回は起こるので。
そのような私の中の真っ黒くろのスーパーカーリーが出動しそうなときや、すでに出動して猛威を振るい始めたときにこの本を1~2ページ読むとだいぶ鎮静効果があります。

しかもこの本は便利なことに、どこを読んでも同じようなことが同じようにかいてあるという。笑


この本によるとつまりは物事は何かをするどんな個々の行為者もなく、全体としてただ自然発生的に「起こる」、ということらしいのですが、

そういうアイデアを「わたしに呪わせないでください」とババに必死で祈っているような激怒や憎しみを自分でももてあましているようなときに与えられると、個人個人に焦点があって膠着していた意識が解き放たれて全体に向けて開放されるので楽になります。

なんかわたし怒ってばかりの人みたいですけど、笑。そうでもないんですけど、いったんスイッチが入ると猛烈になってしまうという。

外出先や日本のプージャのような強烈な期間のときはそういうスイッチも入りやすくなってて。
カルマみたいなものもがんがん表出されてくるみたいで。

それらをつかんでしまわずにうまくやり過ごすためにはこの本はけっこう即効性ありました。


そうやって何ヶ月にもわたってちょろちょろ読み進めていったこのなかなか読み進めることができなかった本ですが、とうとう終盤に来ました。


で、今さっきこの終わりの数ページになってがぜん感動的になってきたので、
今度はすぐに読んでしまうのがもったいないので数行ずつ読んでます。

私の場合ラメッシに感動なんではなくて、この本の最後に出てきたジュニャネーシュヴァリの言葉がとてもよかったです。

この人の本とかって日本語で出てないのかなあ。
静寂のニャーナとみずみずしいバクティをどっちも充分に含んで味わっているニャーナ系のこれは好みです。


この人の次に出てくるバクティ系のトゥカーラムの言葉も、具体的に内容を読んで理解しなくても字面を眺めているだけで感動の波が襲ってきます。字がそういう感動を発しているんでしょうね。

ページを開くだけで読まなくてもページからの風で感動できるので、
あとほんの3~4ページでこの本は終わりなのですが、
安上がりなのでしばらくは読まずに時々ページを開くだけにします。笑

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【2011/10/27 16:55】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(1) |
リシケシのニーラカンタテンプル
今日は、2~3ヶ所出かける予定にしてたのですが、のろのろしてたら夕方になりました。

なので、めんどうくさいしもういっか~。と思わなくもなかったのですが、

夕方からニーラカンタテンプルに行きました。

勘違いして2~30分で着くところと思ってたら車で片道1時間くらいのところで、
しかも山をいくつも越えていくところだったので、
向かってる途中でとっぷり日がくれました。

とんでもない時間に出発しちゃったなーと思ったのですが、
しかも山道なので主名は車酔いして3回くらい吐くし。

しかし寺についてみると、ちょうどシヴァリンガムのアビシェーカムの時間で
あ、ちょうどいいタイミングで来ちゃったって感じでした。

なんかそれ見てると感動でぐっと来て涙が一粒くらい流れました。

朝晩の2回アビシェーカムしてるみたいです。
活発なお寺なんですね。。。

すごくこじんまりはしてたんですが。

しかし7月8月には人々が徒歩で登ってきて、車も2キロ手前にしか止められず、
シヴァリンガムを見るのも大変なんだそうです。

今はシーズンオフだし、
しかもわたしたちは夜についたので人もほとんどいなくて、売店もほとんど閉まってたし(笑)
すごくプライベートな雰囲気でよかったです。


ほんとはこのシヴァのお寺のニーラカンタ寺院の上にも山道を登っていくとパールバティのお寺があるそうで、
そこは眺めがいいそうです。
来る途中の景色も相当眺めがよかったと言うか、こっから車が転落したら確実に死ぬよね級の谷間のグネグネ道でしたが。

夜になって景色もあまり見れなかったので、
もし今度来ることがあったら早朝出発だなと思いました。

しかしまさかこんなに遠い大変なとことは思わなかったです。

山の上のお寺とか聞いてたので、
リシケシから見えてる山のてっぺんに寺があるんだろうくらいに思ってたんですがとんでもなかったです。

トラ出るよね絶対と思ったのですが、タクシードライバーに聞いたらトラは出ないそう。

ただ、象はやばいらしく、
でもこんな山道じゃなくてもっと平地っぽいところでときどき歩きの巡礼者とか踏まれちゃうみたいです。

ドライバーいわく、5~6頭とかの群れで居る象は大丈夫なんだけど、1頭でいるやつがクレイジーなので危ないそう。


ニーラカンタ寺院のアビシェーカムの後は軽くアルティとプラサード配布と、クムクムつけてくれるのがあって、
そのあとしばらくカーテンが閉まってて、
再びあいたときにはシバリンガムが生け花のようなかんじの花に飾られていました。

そんで大きいアルティがあって、みんなが歌ってて、ああいいタイミングでこれてよかったんだなと。
きてよかったなと思いました。

おでこにシヴァの三叉の矛のマークもビブーティーでつけてもらってうれしかったです。笑


ちなみに私たちが行ったのは夕方6時半くらいで、アビシェーカムをしてて、
その後いったんカーテンで目隠しした後、
7時半にまた開いて最後のプージャ&アルティという感じでした。
で、8時でお寺が閉まるみたいでした。

これは季節ごとにタイミングが違うらしく、
夏とかだったらまたもうちょっと遅い時間にアルティするみたいです。

ちなみにわたしたちが頼んだタクシーは往復で待ち時間入れて810ルピーと言われました。

ホテルで頼んだら1200ルピーと言われ、
リシケシ在住の知人がこの正月に行ったときは600ルピーくらいで行ったらしいです。


今日頼んだドライバーはなんかノリがアメリカ人ぽくて、その陽気さについていけなかった。。。


もし今度このお寺に来ることがあったら明るいうちに来ると思いますが、
今日は暗かったけどこれはこれでよかったなという感じでした。
今度来たら印象もだいぶ違うでしょうね。


来れてよかったです。



明日の早朝にはまたいどうです。
バイバイリシケシまたあう日まで。




これは昨日、ガンガーのとこで撮った動画。↓ 同じようなのばっかりですけど。












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【2011/10/21 03:20】 | 小旅行 | トラックバック(0) | コメント(1) |
リシケシ滞在中。
あんまり更新できてないのにたくさんの人が見に来てくださってるみたいでありがとうございます。

おととい、飛行機でコインバトールからデリーに戻り、その日の夜行列車でデリー→ハリドワール→(オートリキシャで)リシケシと移動しました。

デリーからハリドワールへの列車は短い時間を早く走って夜中に到着する便もあったのですが、
夜中に到着するより早朝に到着したほうが自分には都合がいいので、
夜9時半デリー内の駅発、ハリドワールに朝5時50分到着の遅い列車にあえて乗りました。

おかげでまとまった時間熟睡できたので疲れずに移動できました。



リシケシは2年位前に一度来て今回2回目ですが、
リシケシに向かう道ですでにオレンジ色のサドゥー服着てる人たちがやたら多いし、
やっぱ修行者の町だなあという印象です。

途中何百人ものオレンジ服の集団もいて、遠目にですけどみんな両手を挙げてて、なんだあれはとか思いました。


ハリドワールからリシケシへはオートリキシャで移動したのですが、
(小一時間くらいでしょうか)
早朝の風をまともに浴びるとちょっと寒いくらいでした。

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(移動するオートリキシャから見る朝日)


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(宿泊先ホテルベランダからの朝のガンガーの眺め。
ちなみにこのホテル、「ホテルガンガービュー」の評判は賛否両論で
口コミの中には「やめとけ、まじで。」みたいな辛口のもけっこうあった。
泊まる人の状況によって評価がいろいろ別れそうなホテル。
私はというと、今回は別にかまわないけど、次泊まるとすると別のとこにするかな。笑)


昨日の朝7時過ぎくらいにリシケシには着いたのですが、
さっそくネットでおいしいご飯やさんを調べて食べに行って、(オーガニックアーユルヴェーダレストランに行きました。おいしかった。)

そのレストランのサイト(名前は「サンスクリティ」というのかな?)↓

http://www.sanskritivedicretreat.com/

予算は一人300ルピーくらいかな~。
料理は結構ボリュームがあって、スープは特に普通のインドレストランのスープの軽く2倍の量がでてきて
それだけで主名は満腹になってしまった。
持ち帰りは基本なしらしいのですが、そういうわけで主名が注文したスパゲティ丸々食べれなかったのでお願いして持ち帰らせてもらいました。
フレッシュジュースやサラダもおいしかった。
ラムジュラ(という名のつり橋)の近くです。道から降りていって橋を渡る手前。

その後、ラクシュマンジュラ(という名前のつり橋)まで乗り合いオートでいき、

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(ラクシュマンジュラ渡り中。「キャーサルだー!」と逃げ戻ってきた少年。)


さらに上流に歩いてガンガーに浸かりに行きました。

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(道から川辺に降りていった)


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(ポーズ決め過ぎてて笑える。)


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(「キーッ!!つべたい。。。!!!」つめたずぎてひたいが割れそうになっている)


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(もうなれた)


雪解け水並みに冷たかったので体を慣らすためにすごいゆっくりじわじわ入ったのですが、
入ってしまうともう麻痺して冷たくないという。

キーンと冷たい水だったのでさっぱりしました。


主名も17日の誕生日のときに浸かったらしいのですが、
撮った写真を見ると「甘いな」というかんじだったので、
「頭の先までつからな~」
と言ったら本人もそうするとホテルでは言っていたのですが、
いざ水辺に来ると冷たくて怖い、みたいなかんじでなっかなか頭の先までは入ろうとせず、

しまいにわたしに小猿のようにしがみついてきたのでこれ幸いとばかりに自分と一緒に沈めときました。


満足してわたしも主名も乾いた服に着替えて川辺で遊んでいたら、
主名が遠くの枝を取ろうとして岩の上からまさかの転落で再び川の中へ。笑

怪我しなかったのはよかったですが乾いた服に着替えたばかりの主名はそれには超ショックだったみたいで、
しかももう着替えがないので
適当なものを羽織らせて町まで戻って、
町でドーティーとオームマーク入りのシャツを買って身につけさせたので(主名サイズのズボンがどこにも売っていなかった)
なんか一気に主名がインドに慣れきった人みたいな風貌になって面白かったです。

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夕食は道をあるいてて見つけたチベッタンレストランで食べましたが、
そこのチベット人の感じがやけによくて、
チベット人に限らずリシケシのインド人はみんながつがつしてない感じですごく印象がいいのですが、
リシケシって外人にとっては居やすい場所だなあと改めて思いました。

わたしにとっても居心地がいいですが、
楽しい中にも悲しみのようなものを感じつつ寝たら久しぶりにサイババの夢を見て早朝に目が覚めました。


やたらたくさんサイババがいろんなシーンで登場した印象があるのですが、
具体的にはほとんど覚えていません。
最後は黄色いローブでババは歩いていましたが、

その後夢の中で目が覚めたのか、
昨日たくさんサイババの夢を見たと夢の中の知り合いに話したら、
その知り合いも自分もたくさん見たと言ってて、
夢の中ではその前の日にプージャをしたからそういう効果があったらしく、普通じゃないよね、みたいな話をして、
その場に居たタクシードライバーも自分の家族からサイババの写ったテレビニュースのビデオを使うように(なににかは不明)と渡されたとか言う話をして、

そんなほかの人の話を聞いてるうちに私は自分が見たサイババの夢はどんなだったかほとんど忘れました。


でも起きてから、悲しみを感じるときにはよくサイババが夢にでてくるので、だからだなと思い、
おかげでサイババにマンツーマンで雑音なく向かってつながる感覚を思い出したような気もしました。

人生すべて雑音のようなものですが、
まったく何の雑音もなく神につながることもあると言うか、
そのような静寂とともに神につながっているときには雑音が実体と重みを失って遠のき、
なめらかな静寂が支配する世界に居ることに気がつきます。



そういえば今日10月20日って、サイババが「私はサイババです」と、アバター宣言した日でしたっけ?ちがったっけ。

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【2011/10/20 11:04】 | 小旅行 | トラックバック(0) | コメント(1) |
ババーニでのプージャ
昨日つい遅くまで起きてて、
今朝は6時からプージャだったので5時にホテルを出ました。

ババーニというとこの、トリベニサンガマムと呼ばれる場所でのプージャです。
トリベニサンガマムは3つの水の流れが合流する聖地で、インドにはいくつかあり、ババーニもそのひとつのようです。

ババーニはカーベリー川とババーニ川と、寺の中のシヴァの足元から流れ出ているといわれるアムリタナディと呼ばれる流れの合流地点でした。

予想外に水が澄んできれいで、魚もいっぱいいました。

夜遅くまでプージャがかかるのを覚悟してましたが、予想外に早く終わりました。3時半くらい?

休憩なしでぶっ続けでやったからなのですが、
選挙の投票があるとかいってたような。
だからぶっ続けでやったみたいです。

写真とったんですけど今ブログに写真のせる気力はないのでそのうちかなー。

おわんの船みたいなボートに乗って河の中央にあるガネーシャテンプルも見物しました。


プージャは始めてみるタイプのプージャだったのでなかなか興味深かったです。

牛へのプージャや象へのプージャもしました。

なかなか面白かったから
予算が許せば半年に一度くらいでもやってもいいかなレベルでした。

17日の今日が誕生日だった主名は指令どおり、リシケシのガンガーで沐浴したらしいです。

眠さ限界なので寝ます。

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【2011/10/18 02:32】 | インド文化 | トラックバック(0) | コメント(0) |
イロード(ERODE)に来てます。
ここしばらくずっと旅の空なのですが、その長期旅行の中の小旅行というかんじで、今日はデリーからわたし一人飛行機でコインバトールに来て、そこからタクシー(エアコンなしで1450ルピー)で3時間半かけてイロードというところにきました。

子供はもうじき誕生日なのでガンガーにでも浸かってくるようにと命じてリシケシに送り込みました。


コインバトールからイロードは車で2時間半と聞いてましたが今日は渋滞してたり、豪雨があったりして3時間半かかりました。

思ったより移動に疲れました。


今泊まってるところはネットで調べて、電話で予約して来ました。
ネットで予約できるケースが多いのですが、イロードはそんな観光地でもないからかネット予約ができなくて。

でも、行き当たりばったりでホテルを飛び込みで探すより、
先に予約してたほうがやっぱ絶対心身ともに楽ですよね。

最近年とともにある程度整ったホテルでないときつくなってきてるので、
まあだからホテルもネット予約とか可能なそこそこレベルなんですけど。

もうあれですよね、きつい旅行はしたくないな。若くないし。笑


冒険とかそんなかんじの、もう全然したくない。


でもこの街に足を踏み入れるのは初めてなので、
初めての場所に来るというのはやはり何か不思議な感じもするし、
来るべくして来てるんだろうなという感じもします。


この前の日本のプージャの3回目が終わってクムバコーナムから帰る列車のチケットはバラティさんに任せてたんですけど、
ウエイティングリストで席が確定しないまま勢いで1泊してバンガロールに行く列車に乗せられて、
空いてる席に座ってたんだけど夜中になっていよいよ席がなくなったので、子供連れでこの状況無理だし、もう、次の大きい町で降りて2~3日リラックス&観光でもして怒りをおさめようと思って、
そして列車の中でネットにつないでホテルを探したのがこのイロードの街だったんでした。

結局その後イロードの駅で荷物を持っていったんホームに降りたんですけどまた色々ごちゃごちゃあって
また列車に乗ることになって、
まあ詳細は割愛しますけど、すでに半怒りだったわたしはものすごくカンカンになって深夜の列車の中から電話で静かに怒鳴りまくったんですけど、

それが、そのすぐ後にこうやってイロードに滞在することになるとは。

すでにホテル情報や街の情報調べ済みだし。笑


こないだ列車の中で調べて予約入れたときのホテルは、プールやジムやバトミントンコートなどがついたホテルで滞在して、プージャから日常への切り替えをしようと思ったんですけど、

今日は必要なものが整ってるビジネスホテルにいます。

しかし、調べなおしてみるとプールつきのホテルはなかなかユニークでした。
といってもそれらの施設使い放題で日本円にして1泊1部屋1600円くらいですか。

やっぱインドは高沸中とはいってもまだまだ物価、安いですよね。


今いるホテルもシングルで1泊1600円くらいですけど、設備は充分整ってます。
清潔だし。


もう、1泊200円くらいの小汚いゲストハウスには戻れないかもしれないな。
まあ、いいわ、年だし。


年だし。と、最近よく言うんですけど、
主名はよく「ぼくわかんない。だって、ぼく子供だから」と、都合のいいときに子供であるときを主張します。

わたしは「あんた若いんやし」と、子供に用事をさせたり動かしたりする。笑


すみません、取り留めなくて。


タクシーでホテルに向かうときはすごい豪雨と雷でした。

ホテルにつくころにはやんだんですけど、
今また振り出しました。

毎日こっちは今こんな風なのかなあ?



デリーは昼間の日差しは結構きつかったです。
でも普通に過ごしやすかったです。


デリーで泊まったホテルのスタッフはものすごく機敏で気を配ってて、
そこまですると疲れるだろうなあと思ったんですけど、宿泊客としてはありがたかったです。

ちなみにグランドパークインというホテルに泊まりました。

ここのトラベルデスクのおにいちゃんがやけに有能でした。
自分が有能なことに自分でも満足してそうな感じでした。

こおおにいちゃん、列車のチケットもタッカルチケット(出発2日前に発売されるチケット)で取ってくれるのでわたしらの旅行の予定も立てやすくてよかったです。
パハールガンジの旅行代理店でもタッカルチケットとってもらえないとこ多いから。


ああ、すごく眠くなってきたので歯を磨いて寝ます。

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【2011/10/16 03:32】 | 小旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ダサラ最終日の日記
インドに、というか、プッタパルティに住むのは本当に面白い。

と、言えるようになるとは。



たぶん年々人間関係が友好的で気の置けないものになってきて、リラックスできるものになってきているからだと思います。

数年前は「生き馬の目を抜く」という言葉が自然に思い浮かんだものでしたが。


今日はダサラの最終日でした。
10時半くらいにアシュラムに主名を連れて行ったらちょうどアルティになったので
ホールの外から見ようと思ったらサイクルワントホールでは何もしてませんでした。

今からプールナチャンドラホールに行ってもなーと思ったので、
サイクルワントホールの外で一緒にシャンティシャンティを唱えて、外に遅い朝食を食べに行きました。

ちなみに今主名の学校はダサラ休みです。

昨日はやはりダサラ休みの、バンガロールの主名の友達家族が遊びに来てくれたので楽しい一日を過ごしました。



朝食後にまたアシュラムに戻ってサイクルワントホールにはいってサマディーダルシャン(墓参り)に行きました。

後で聞くところによると、アルティ後しばらくしてからプールナチャンドラホールでヤグニャの聖水をみんなにふりかけてくれてたそうで、
そうなんだ~、行けばよかったな~と思いましたが、ま、いいか、と思いました。

自分のイメージの中でわたしたちにも盛大に振りかけてもらっておきました。


この日も辛い混ぜご飯とラドゥーがガネーシャゲートのあたりで配られてたので一食もらって帰りました。


それからなにがあったんだったっけ。



なんか、いろいろせわしなく動き回っていたような気がする。



用事がたくさんあって考えることもたくさんありすぎて、
わたしの情報処理能力をとっくの昔に超えてるという。



不思議ですよねー。

むかし、昔の話ばかりで恐縮ですが、
何もしないと決めてホントに何もしなかった時期があったんですが、
そういう時は時間がしっかり手元にあってそれを撫で回して好きなだけ遊べる感じでしたが

今は時間はわたしのはるか上空で突風のように吹き去っていくばかりです。


いつもサイババの墓参りをするとそのときそのときで勝手に祈りの言葉が自分の中から出てきて、
わたしがあなたのよい道具になれますように、とか、ありがとうございます、とか、
(感謝するシチュエーションではないときにそういう言葉が出てくるのが不思議というか、
そういう言葉をわたしの中から出してくるその源に対して感心します)

そういうのが多いのですが、

今日は

「サイババ サイババ」

でした。笑



なにこれ?マントラ?笑



とか思ったんですけど、そうなのかも。





毎日怒涛のように過ぎていって、でももう2度と戻らない一回きりのその瞬間で、
さまざまな生命の網目が折り重ないからみあってできたつかの間の模様の輝きををその瞬間味わって、

なんか、愛だよなーってかんじですよね。

完全オーダーメイドのこの瞬間。




いろんな人がいろんな場所で自分自身を感じながら生きている。



わたしは昨日遊びでやったカバラ数秘術でも出たんですけど、(笑)
ちなみにこれ
http://homepage2.nifty.com/ssry/u/uranai.html

誕生数9で、人の心に同化しやすいらしく、
だから自分も失いやすいし影響されやすいんですけど、

いろんな人がまとってる世界観とか、そういうのにいちいち同化してしまう自分は感じます。

でもだからよい関係のときは2倍嬉しいですよね。
自分と相手と2倍感じるというか。


今日は道で久しぶりに知り合いのインド人のおばちゃんと出会って、
一緒に多少苦労しながらヴェーダを習ってた戦友みたいな関係なので、
会うとなんかそれだけで嬉しい感じになるんですよね。
向こうもすごく嬉しそうというか、いつも「再会」という雰囲気。しょっちゅう会ってても。

これもヴェーダを教えてくれてたおばあちゃん先生の徳のなせる業なのかもしれないけれど。


なんか、そのおばちゃんと道端で立ち話をするといつも愛をかんじます。爆



今日の夜もいつもより長く音楽プログラムやババのビデオ上映やバジャンがサイクルワントホールで行われていて、

ホールのほぼ後ろのほうまで人が入ってるのを久しぶりに見て、なんか懐かしい感じ。


でもものすごい眠くて昏倒級にうとうとしました。


プラサードは小さい箱に入った、まるで固めた黄な粉みたいな素朴な味のおかしでした。
じゃりじゃりした素朴な感じがおいしかった。



この人生はサイババが人生に入ってきたことで、すでに成功と言えるのかもしれないと思いました。


サイババが人生に入ってくるということは決定的に人生が壊れて生きなおすということです。わたしには。



ダサラ最終日の吉祥の日、あわただしく過ぎて行ったけれど悪くない、甘い一日でした。



Jai Durga!

テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2011/10/07 03:30】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
雑考
今はダサラ中なので、かくネタはたくさんあるのですが、いろいろあわただしく忙しいので落ち着いて記事にする暇がないという。

でもダサラに合わせて日本人も結構来てますね。

サマディーのお参りの後に、
プールナチャンドラホールでのヤグニャに10時半とかに行ったらせいぜい女性の参加者は100人くらいとかだったので驚きました。
まあ、行く時間が遅いのですが。

そのうちどんどん減って30人くらいになりました。


10人くらいのお坊さんがステージの上でプージャをしていました。
4人が護摩壇のとこについて、
3人が右に座ってチャンティング援護、
もう3人が左に座ってやはりチャンティングしてて?
で、離れたとこにもう一人が何か独自のプージャをやってる風に見えました。


人口密度が少ないというのはわたしとしては快適なので、
座ってボーっと見てましたが、

なんでだったかババは宇宙の神だ、みたいなことを思って、
なんでそう思ったのかは忘れましたが、
なんかしらんそう思いました。

すべては神、ということですが、
まあそれはそうなんだけど、
それと同時に物事のそれぞれの有様、あり方を認識したときに、
やっぱサイババはずばぬけてるというかステージが違うというのか、
ダントツだし、

サイババに帰依するというのは裏技みたいなもんで、
なんもかんもすっとばす最強モードでビカビカ光るみたいなもんなんで、
(なんのゲームが脳裏に浮かんでるか分かったあなたは同年代?)

ありえないカードをだされてるみたいなもので~~~。。。


みたいなことが思考として上がってくるのを、
ヤグニャの火を見ながら眺めていました。


サイババがなくなってもいろいろ考えることは尽きないというか、
考えてはいないのかもしれないんだけど、
考察がやってくるというか。

面白いもんですよね。


サイババには一生飽きないと思う。ポップだし。笑

サイババは最強のあげキャラだといっていた知人もいたっけ。
彼はボブマーリーの次にサイババにはまったんだったっけ。

そういうノリで軽いんだけども、がーーーん、ときちゃうタイプの人も少なくないですよね。
でもそういうファン心理っぽいノリで「惚れた!」みたいな関わり方、
自分もそれに近いかなと思います。

ちくしょー、かなわない!!みたいな。


私にとってサイババは、
いろんな切り口があって永遠につかみきれないようなところや
サイババをネタにすごいいろんな思考が湧き出てきてやまないとことか、
本当に面白いと思います。



サイババの帰依者どうしがぶつかったりしたときに(日常茶飯事的にある風景)
サイババのエネルギーが両者を通してどのように働くのかとかも面白いというか、興味深いですよね。
本当に考えさせられる。



昔わたしと犬猿の仲だったきょ~~れつなロシア人女性(←誰に聞いても強烈と認めると思う)が、
わたしを見かけると天を仰いでババに助けを求めていたのを思い出します。

(別にわたし何もしてないんだけど、気持ちに引っかかって動揺したり、投影されたりしやすいみたいで)

彼女も何年か前に自分に満足して幸福にいなくなった。

いろんな才能があった彼女のことだから、今はどっかのヨーロッパの国あたりで快適な人生を楽しんでいるのだろうか。


常に強烈なさまざまな人間関係の網の中にいたけれど、
仲がよかった人もそうではなかった人も、強烈な人々はなんだかんだとプッタを去っていって、
プッタは私にとって穏やかな場所になりました。


いろいろなことがほぐれていって、
人口密度も少なくなり、

生存というかさまざまな面での淘汰に脅かされることが少なくなって、
安心して他人をいたわれるようなやさしい空気になってきたような。


思うにみんな、いつも自分の生存に自信がなくて誰かに生存を脅かされると畏れていて、
それがまた強烈に攻撃性に転じていたように思います。

だれも「安心していていいよ」とは言えなかったし、
実際誰もがいつこの暮らしがひっくり返るか分からないという怖さを持ちながら暮らしていたように思います。

特に外人。
身分不安定だし基本的に身寄りないし。

それでもみんな居たいと思ってここにいた。


私も実際その日の内に突然荷物をまとめてインド国外に出ないといけなくなったことが2度ありました。
すべてが根底から崩れるかもしれないといつも予感しながら暮らす心もとなさ。

だからこそその日その日が貴重に思え、実際貴重な日々でしたが。



自分の場合も、ほかの人の場合を見てても、
ここに暮らすということはホントに死ぬ覚悟というか、
生活すべてをいったんゼロにしないとここには住めない何かがあると思います。

まるごとここに居てないと、居られないような。


そういうバイブレーションは、ここはあると思う。


テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2011/10/06 05:21】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ダサラ突入中
いろいろ忙しかったこともあり、しばらくブログ離れしてました。
またしばらく忙しく落ち着かない予定ですが、
ああ、なんか永久に落ち着かない予感が。。。笑?

今はダサラ期間に入っています。

毎日ヤグニャが行われ、プラサードが配られ、音楽プログラムが行われたりしています。

村にはすでにサリーとかご飯とか配られてました。

わたしも辛いまぜご飯とラドゥーをもらいました。


アシュラムでは音楽プログラムの後に、サイババのサマーディーの前で出演者がサマーディを背に並んで記念撮影とかしてたのを見て、
ああ、そういう形になるんだなと思いました。

女学生?のバジャンプログラムみたいなのもあって、
女性の声はあたりまえだけど、男性の声とは違うなと思いました。
少し前から普段のバジャンでも女性もリードするようになってて、
前から、女性もリードしてくれたら歌いやすいのになとおもってたのですが(キーが合うから)
ババがなくなった後にはそういう変化がありました。

単に歌い手が減ったからだろうか??

今になって女性リードシンガーが普段も参加するようになったのはちょっとした驚きでした。

この前の女学生?の音楽プログラムではアルティも、最後の「ジェイボロ~」も女性が歌ったり唱えたりしていました。

今までなんで女性がそうしてなかったのかが逆に不思議ですけど、いろいろあるんでしょうね。


今は外のサマーディではアニールクマールさんがなにかみんなにしゃべってるみたいです。


最近は少し蒸し暑い感じです。

でも全体的にはすごしやすいです。



そういえば、先日「何かが起こる!」といわれていた日にはいったいなにが起こったのかはわかりませんでしたが、
夜に大雨が降りました。

まさかこれがミラクルですか?
とか思ったりもしたけど、
目に見えない何かが変わったのかも。笑

テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2011/10/03 14:19】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(2) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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