スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
名古屋センターでの降誕祭
ばたばたした中で日記を書く時間をうまく取れないでいましたが、降誕祭は縁あって名古屋にお邪魔しました。
実は降誕祭のプログラムのヴェーダチャンティングの助っ人ということで声がかかったので行こうかなと思って行ったのですが、
当日は私は風邪も治りきってなくて助っ人どころか足を引っ張ったような気がしないでもなく、申し訳なかったです。

名古屋センターに集まった方たちは静かで抑制が効いてるような印象を受けました。
そういう嫌味なく謙虚な雰囲気の中で、わたしといえば手ぶらでいってあまり役にも立たず、というか、むしろ好意に甘えつつ調和を崩してはいないだろうか!?
となんとなく反省モードで岐路につきました。

名古屋センターでの降誕祭プログラムでは全員参加の5分間スピーチというのがあって、
それがあるためにみんな恐れをなしてあまり来なかったという説もあるみたいですが。笑

そのときその場にいた20名弱?が、くじで引いた順番に沿ってそれぞれスピーチをしました。

みなさん「何も考えてないです」といいつつも大変印象深いスピーチをされていました。
「私にとってサイババとは」みたいな題だったと思います。

最初にスピーチをした人はババの夢のことを話されていて、
たぶん覚え違いがあると思うのですみませんが、
その人は夢でババにご飯を作ってあげようとしてて、でもできなくってシュンとしてたそうで、
そしたらふと見ると布がかぶさったお皿があって、
布を取るとババがその人のために用意された料理が布の下にあって、
その人はそれをおいしいおいしいと食べたそうです。
そんでそのスピーチがどういう風に終わったのか忘れましたが、
なんかそれを聞いて、いかにもババが夢でやりそうなことだなあと思って、
まじめでおとなしそうなその人が顔を輝かせながらその夢の話をしている様子と、
ババからのその人への愛情みたいなものが鮮やかに伝わってきて
やばい、1人目から、、、泣けて来そうになりました。
というか泣けました。

みんなそれぞれにその人だけのババとの珠玉の深いつながりがあるんだなあとすごく感じさせられた全員参加の5分間スピーチでした。

そういうのが自分にはないと思ってる人でも、やっぱりあると思いました。
ババはその人自身なので、
自覚のあるなしに関わらず、全員が自分の一番深くて大事な部分にババを抱いていると思いました。
ババとのかかわりの中でそれを見出してこのようなかたちで自覚できたことはわたしたちの大きな喜びだし、
そうでない人も真我は見出されるのを辛抱強く待っているんだと思います。

それはババの形をとっている場合もあればそうでない場合もあるでしょうけれど、
すべての人の中にこのようなババ的なものが内在しているのは誰も疑うことができないものだと思います。

わたしたちには幸い真我にババという美しい姿が与えられてそれをこの世界でも楽しむことができて、本当に幸運だったと思います。
それがわたしたちの真我をこのように分かち合うことも可能にさせてくれているわけですし。

私はというと、しゃべるのホントに苦手で。
でもしょうがないからとにかくしゃべってたら逆にしゃべりすぎてたみたいで「あの、、、そろそろ、、」と止められました。笑

自分のババの思い出で人前でしゃべっても害がなさそうなことで印象的だった、
子供がらみのエピソードを2つしゃべったのですが、
1つは、子供がまだ1歳未満のときにプッタパルティを必死の思いで単独で訪れて、
でもダルシャンで赤ちゃん連れはどんなにがんばっても後ろにしか座れなくて、
フラストレーションがたまりまくって、
ババに、前に行かせてくれないんだったらあなたが来て下さい、みたいに祈ったというかむかつき混じりの思念を送ったら、
翌日の午後のダルシャンのときに、私は知人と一緒にダルシャンに行かずにアシュラムの中の公衆電話のとこでしゃべってたら、
ババがホールからゴルフカートで抜け出して走ってきて、いったん向こうのほうを速いスピードでぐるっとまわって、走ってババを追いかけてた人たちを振り切ったあとに
完全に単独で私と知人のほうに遠くから回りこんでやってきて、
1~2メートルの至近距離の目の前を通り過ぎていったことがあって、
私と知人は単独でババがゴルフカートで(笑)走って近づいてきたのでうっわ~~~、と思いつつ直立不動で合掌して
沿道で迎え、見送ったのですが、
二人とも特別な祝福を受けたと感じて、大喜びでほくほくでした。
わたしは、前日にババに対して自分がなんと祈ったか忘れるわけもないので、
叶うと思って祈ったわけではなかったけどすぐにわかりやすい形で実際にかなえられたので、とても印象的でした。

2つ目は、その翌年、1歳になった子供をつれてまた渡印して、
というのはやっぱり日本での育児が個人的な状況的にもきつかったし、子供もアトピーとか喘息とかでしょっちゅう大変で、わたしもどうにもこうにもじっと我慢していられる限界を越えてたので魂の解放感が得られるインドに行かずにはおれなかったのですが、
でもやっぱり子供はダルシャンで前のほうにはいけず、
それはもうわかってたのでOKだったのですが、
ぐずりだした子供に授乳しようとしたらセバダルに嫌そうに端に行けといわれ、
(乳丸出しにしたわけじゃなくてちゃんと隠しながらだったのですが不浄扱い)
言われたように端に行ったらそこにいたセバダルにも後ろに行けといわれ、
いわれたように後ろやホールの外に行ってもどこにいってもそこにいるセバダルにあっちでやれといわれて、あちこちうろうろたらいまわしに小突きまわされる感じで、
しまいにわたしもキレて、
ババは私が呼ばなければ誰も私のもとには来れないというけれど、
自分が呼んでおいてこの仕打ちはなんだ!!いいかげんにしろーー!!
と、この猛烈な怒りをババに向けました。笑
自分でも猛烈でした。

そしたらやっぱりその次の日、
ダルシャンが終わってバジャンになったときにホールの中がざわざわして動きがあって、
なんだなんだ?と、最初はなにが起こっているのはわからなかったのですが、
どうもババが、子供は全員前に来て座るようにという指示を出したらしく、
それで、ホール中の子供たちが立ち上がって前に移動しようとしている状況でした。

わたしも1歳の子供を抱っこしてたので、
一人で座ってられない小さい子は親も一緒に前に行って座っていいとのことだったので、
状況がうまく飲み込めないまま急いで立ち上がって前に行って座りました。

座ってみるとそこはババから5~10メートルくらいの真正面の位置で、
それまでずっと子供連れで一番後ろくらいにしか座ってなくて、芥子粒サイズだったババが
いきなりでっかいサイズで視界の中にあったので
もう歓喜歓喜で、わけがわからない状態になってました。
どこにいてもババのエネルギーはレーザーのように貫いてきたり、中から感じられたりして距離は関係ないといえども、
やっぱり近くでババが意図的に感じさせる神の様相というのはすさまじいものがあるので、
一瞬で意識が飛んでどこかにいっちゃうようなものがありますよね。
意識はあるんだけど、ここにいるんだけど、ここではないどこかにいってしまっているような。
そんな状態で、子供もババの近くに座らせてもらえて自分としてもそういう嬉しさもあり、
というのは日本でもいろいろ常に厳しい状態でもあったから、子供が恩寵を得ていると感じられる状況というのは単純にうれしいわけです。
実際はそう単純なものではないんでしょうけど、やっぱり子供にはできるだけ理想的な環境であらゆる豊かさを享受させたいと思うのは自然なことなのではないでしょうか。
それぞれの子供はいろんな育てられ方をしてるけど、親は時には理想と現実のギャップのなかで苦しみつつも、それぞれが自分がいいと思う精一杯のことをしてると私は断言できます。
はたからみて、うまいやり方であったり、まずいやり方であったりはしても。

できるなら、そういう理想と現実のギャップが少しずつでも埋まりますように。

すべての存在が神の光に満たされて安らいでいられますように。


話はそれましたが、
そういうふうに子供と親が前に呼ばれて座らされたときも前日の自分の怒りの祈りとの関連性は自分とっては明らかだったので、
ババはまっすぐな思いに対して、こんなにも直接すぐに反応してくれるんだというのが自分にとってすごく深く感じられたわけです。

そしてそのとき子供たちに配られたプラサードとカード。
カードは故ラタンさんが撮った写真で、ババが戸外で物質化したクリシュナ像を持って微笑んでる写真でした。
ラタンさんは神実現した人として、アシュラムの中でババの指示のもと、サットサンを定期的に行っていましたが、
そのサットサンに参加したとき、わたしはやはり子供連れだったので子供が少し声を上げるとやわらかく「遠慮してくれ」と手振りでされたので、
まあ、すぐにその場を去ったのですが、
別の場所でラタンさんのサットサンが文章になったものを読むと、
ラタンさんがそのクリシュナ像をもったババの写真を参加者に配ってたけど、子供には「これは子供におもちゃとして与えるものではない」とかいって、あげなかったという記述があって、
それが、ぐちゃぐちゃにするんだったら良くないかもしれないけど、むしろなんでも受容する子供にこそそういう神聖なものを与えたいと思う私の気分にはちょっとひっかかってました。

その、まさにその写真が、そのとき前に集まって座った子供たちにババ自らの指示で配られたのも、私にとってはだからとても愛情深い細やかな印象を与えて、すみずみまで感動でした。

と、こういうことを自分でなにしゃべってるのかわからないままに降誕祭でしゃべってたのですが、ここで時間切れというかオーバーだったみたいなのでしゃべるのをやめました。

それに加えてもうひとつ話したいことがあるとしたら、ほかの人にとっては何てことないことなのかもしれないけど、
ずっとわたしにとってはババは一段高いところで高みの見物をしてるにくいやつみたいな偏った認識のときがあったんですけど、プルシャ、男性原理そのものみたいな。

去年、やっぱり人生がいつもいつも、ある面ではきつい私としては、
ゆだねきれない自分の中途半端さもあるのは事実だと思ったので、
ババに「あなたに全託させてください」みたいな内容の手紙を書いていつもダルシャンにもって行っていたのですが
なかなかババに渡せるチャンスがなくて
でもあるとき、
ダルシャンに現れたババがすごくお母さんだという印象が強いときがあって、
うまいことに流れるバジャンも

サッティアスワルーピニマ~
サイ プレマスワル~ピニマ~~、、、みたいな。
でもう、最初っからやたら感動してたんですけど手紙は受け取ってもらえず、
しかしホールを回るババにずっと「ああ、お母さんだ」「お母さん」と呼びかける自分を抑えることができず
そしてホールを回ったババがそのまま中央の壇上に行くかと思いきや、
突然もう一周して前を通りがかってくれたので、
腕を伸ばして手紙を差し出して、
でもやっぱり取ってもらえなさそうだったのですが、
思わず、ちょっと待ってよ!みたいな意味もこめつつ「お母さん!」と心の中で強く呼びかけたら
ババが「うん」とはっきりうなづいて、手紙をとってくれたことがありました。

で、全託を自分の努力で完成させるのは無理だということはわかってたので、
「全託させてください」という依頼の文面になってたのですが、
それを受け取ってもらって私が全託できるように私を調整することも含めて、全部の責任をババが請け負ってくれたという思いで安堵と感謝の感動に襲われました。

そしてその手紙がわたしがババのことを「お母さん」と呼んだときに受け入れられたということは、自分にとって少なくない意味がありました。

孤高の神が、高みの見物で自分の地位を保ったまま私たちが苦しむのを見ているといった感覚に、
あらゆるニーズを満たすためにいつでもどこでもわたしたちを抱きかかえる準備がある、常に忙しい、常に自分を与え続けているお母さんのイメージが加わったことで
神は誰も触れることができない高所に鎮座し、まつりあげられていて到達すべき目標であるイメージから、
いつもすべてをあらゆる角度から支えていて、それでいてめったにそのことには気づかれず、感謝もされない無私の愛と奉仕の働き続けの報われない苦労人のイメージが加わり、

私がババを思うとき、そこにはいつもどうしようもない孤高ゆえの寂しさがあったのですが、
ババの中に母のイメージを見たとき、その境界が消失してわたしたちすべての中に神が浸透して支えてくれている深い安堵感を感じました。
離れることはありえない、というような。

ここ数年というもの、立場として私自身が子供に対して母親役に置かれ、まあそれははっきりいって向いてないようにも思うんですが。笑
でもそういう子供との関わり、子供をつれてのダルシャン参加、そしてそれらの状況で起こってくるババの持つ母性への感受性、
そういうものがここ数年のじぶんの課題といえば課題、体験すべきこと、もしくは体験したいとどこかで自分が望んでいたことだったのかな~?と、思います。

神の父性の側面、神の母性の側面、
その両方の一見対立するような2面性は
この2元世界においてそれぞれの役割を演じ、機能し、
補い合ってついにはこの世界を巻き上げて、
統合された神そのものを見せてくれるのだろうと思います。


名古屋センターの方々、ありがとうございました。
スポンサーサイト

テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2011/11/28 15:10】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
適当に見つけたサイババ動画いくつか。


ヴェーダの重要性。



パワフルな話しぶり。



なんか面白かった。

テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2011/11/24 22:31】 | 動画 | トラックバック(0) | コメント(1) |
サティアサイババ降誕祭情報
明日(すでに今日ですが)11月23日は全国各地でサティアサイババの降誕祭が祝われます。

私は明日は関西に移動する途中で名古屋の降誕祭に行くつもりにしています。
名古屋は朝10時半かららしいです。午後4時半とか5時?くらいまでしてると思います。

東京や横浜でも降誕祭でルッドラム唱えられるみたいですね。
神戸では知人が1995年にプッタパルティを訪れたときの話をするといっていました。
私もそのときが初めてのインド&プッタパルティでした!

わたしが渡印前にお世話になってた横浜センターでの降誕祭のスケジュールを下に書いときます。
興味のある方は気軽にどうぞ。
参加は全国どのセンターでも無料です。

横浜センターは2~3のほかの地域のグループと合同で行われるらしいので、
インド人満載で(笑)きっと盛り上がると思います。

場所は、右のリンク集のSSOJのサイトでご確認ください。



11月23日(水祝)
於:横浜サイセンター
At Yokohama Sai Center

朝プログラム Morning Programme7:00~8:30
ヴェーダ Veda
オームカーラム Omkaram
スップラバータム(日本語)Suprabhatam(Japanese)
108の御名(ヒンディ) 108Divine Names of Bahagawan Sri Sathya Sai Baba(Hindi)
バジャン Bhajan

ナーラーヤナセヴァ Narayana Seva
お弁当・配布物品詰め Packing 9:00~12:00
配布 Distribution 2:00~3:30

ヴェーダ吟唱 Veda chanting12:00~12:30

夕プログラム Evening Programme3:30~7:00
ヴェーダ Veda
オームカーラム Omkaram
108の御名(日本語)108Divine Names of Bahagawan Sri Sathya Sai Baba(Japanese)
バジャン Bhajan
文化祭Cultural Programme
ケーキ贈呈Birthday Cake presentaion


あ、ちなみに当ブログは勝手にやってる個人のブログです。よろしくどうぞ。

テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2011/11/23 01:33】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
大島バジャン会
土曜日は東京メトロの大島駅近くで毎月第3土曜だけやってるらしい、バジャン会に参加してきました。

アナンタプールのもと女学生(1期生らしいです)の方が主催されてるようです。

この日は大雨、ということでしたが、3時くらいに知人と待ち合わせして会場に向かったときにはそれほどでもなかったです。


会場はバジャン用に常設されたものではなかったので、そのつど祭壇などをセッティングする必要があるらしく、そこから始められました。

さすがもと女学生というか。
セッティングも凝ったものではなかったですが、なるほどなーと思ったことがいくつかありました。
もし自分がどこかでやるとしたら写真に残しておけばセッティングの参考になりそうと思いました。

ちゃんと祭壇の前と部屋の中央縦にはババの通路用?の、赤い布も敷かれてありました。

部屋の入り口にはジャスミンを模したかわいい造花も飾られて。

準備ができたころには外は暴風雨になっていて、
コンビニに買い物に行ったら足元がずぶぬれになりました。


主催のインド人女性が最初、ガネーシャのスローカを教えてくれました。
ヴェーダは基本3つの音の高さに決まってますが、スローカは歌みたいにやわらかいメロディがあります。

丁寧に意味の一つ一つまで教えてくれて、彼女に続いて声も出して、
久しぶりに、安心して学べる場にいれて、楽しいなーと思いました。

こういう風に習うのすごく楽しいです。


その後バジャンで、バジャンの前に全員でルッドラムのナマカムを最後まで唱えました。

まさかセンター(ここはまだセンターではないですが)で、みんなでナマカム全部が唱えられるようになるとはなあと思いました。
すごいことですよね。日本で。

最近日本の人たち、ルッドラムすごくがんばってると聞いてたけど、実感しました。
チャマカム全部を唱えられる人も増えてるみたいですね。

その後は練習省略のぶっつけでバジャンが歌われました。
インドの方主催で、来てるのも半分くらい?インド人で、歌われたバジャンもすべてヒンディーバジャンでした。

アルティなども全部ヒンディーでした。

月に1回しかないらしいこのバジャン会ですが、とてもアットホームなかんじで素晴らしいバイブレーションでした。
なんなんでしょうこの安定感。笑。ババがいて当然な雰囲気に思えました。

平凡なようで、なかなか出現させるのが難しい、日本人にはきっと出現させるのが苦手なこのリラックス感。
やっぱ、インド人が多かったからでしょうか。

終わった後には辛いご飯とカードライスのプラサードもいただきました。
生のカレーリーフも持ってこられてて、欲しい人はもらえたので、私もひとつかみもらいました。
ナマのカレーリーフに日本でお目にかかるとはなあと思いました。

なんでも、だれかが種を植えたら木になったので、剪定した、という枝だそうです。


バジャン後の片付けもみんなで行って、雨の中それぞれの岐路につきました。

その後知人夫婦とともにべジインドレストランに行きました。
ビュッフェだったので適当にとって食べてたら揚げたプーリーも運ばれてきました。


とにかく大島(おおじま)のバジャン会は優しいアットホームな感じで、しかもきちんとスローカーが学べて最高でした。

こういうのが定期的に習えるんだった、日本に住んでもいいな~と思ってしまった。
日本にいるほうが実はきちんと習えることってたくさんあると思います。

教えてくれるインド人も、ほぼ外人(日本人)相手なので丁寧だし、それに熱意を持って教えてくれます。
実際、教えてくれてるインド人女性は今後の教えるメニューのラインアップに自分でもわくわくしてるように見えました。

いいな~、私も習いに来たい。笑


ちなみに12月は彼女はいないそうで、年明け1月にはいるみたいです。

もっと書きたいけど、眠いので寝ます。

テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2011/11/21 03:15】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
バジャン参加
今日はまた横浜センターの夜7時からのバジャンに出没しました。

ここ数日咳が出るのでバジャンもフォローだけということで。


なのでガナパティプラールタナとドゥルガースークタムのヴェーダチャンティングの後に始まったバジャンを気楽にフォロー(コーラス)してましたが、

インド人のおじさんの歌うバジャンでうっと涙がこみ上げてきてしまった。

「ありが~とう~スワミ~、、、、心のな~かにおわす神~~~、私を守り導く神~~~」
みたいな日本語バジャンだったと思いますが、
インド人のおじさんが歌うとやけに素朴で伝わってきて、私の心の琴線に触れてしまいました。

。。。。。まさか〇〇さんのバジャンに泣かされるとは。。。と思いましたが、
もうそうなるとだめで、

後半はダダ泣きでした。

若いインド人の女性が歌うバジャンはそれはそれでのびのびしてて、
おお、ええの~~~、、、

みたいな感動が。
これはそんな泣くようなバジャンじゃないと思うんだけど。
サルバダルマプリヤデ~~ヴァ~~~ってやつでした。ノリのいいやつ。


小学生が単に運動会のダンスの練習をしてるそばを通りがかっただけで感動してしまうことがあるので、もうだめです。


プッタパルティでババのご遺体ダルシャンを受けて、お葬式とか、その後のプラシャンティニラヤムとか、を
経てきて、そりゃ、たまにはまたダルシャン受けたいなーと思うことはあっても、なんだか自分はそんなに変わらないなーと思っていたのですが、

自分ではわからないところで結構こたえていたのでしょうか。

それとも日本に来て、以前と変わらず真摯な礼拝を続ける人たちの姿に触れて、逆にババの肉体の不在を強く感じたのでしょうか。


帰りに前からほしかった本や、また読んでみたいサイババの本を何冊か買って、
サイセンターの機関紙?のサイラムニュースがあったので、
それは販売用ではないのか聞いたら、古いのだったら持っていってもいいですよと言われたので
(たくさん買ったし?もし言ったらいけなかったらごめんなさい)

適当にもらって帰ってさっき読んだら
ババの最後のときとその後の葬儀の様子などの、追悼特集号みたいな号でした。

そのババへの親愛と感謝に満ちた特集号に
ううう、またこれは。。。と、こみあげまくるものが。
また、使われてる写真もよかったり。

おかしなものですよね。
その場では興奮してて麻痺してたのでしょうか。




しかしサイババの存在感の美しさはもう直接見れなくなって、少し距離を置いてみれるようになると逆によくわかる気がします。


こないだの浜松でのアカンダバジャンのときに、ふいに、それぞれの人に一番近いのは別の誰かではなく神なんだなあという気がして、

人と神の近さと言うか、
意識してなくてもひとりひとりに影のようにオーダーメイドな感じでいつも寄り添っている神の様子が周りで歌ってる人たちを通して軽快に明らかにされたような気がしました。


一人ひとりが一人であるとき、神はいつもなによりも近く密着して寄り添っているという感じがしました。

テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2011/11/18 01:03】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
グローバルアカンダバジャン
このまえの土日はグローバルアカンダバジャンでした。

わたしは渡印前に日本にいたときはだいたい横浜か大阪か神戸のに参加してたのですが、
今回はなぜか静岡の浜松でのアカンダバジャンに行きました。

ちなみにアカンダバジャンて、途切れないバジャンて意味でしょうか。

それぞれの場所で夕方6時から翌日の夕方の6時までぶっつづけで24時間バジャンが行われます。

バジャン好きの方にはたまらないイベントですよね。



それが、世界中で行われるので、時差によって、ウエーブのようにバジャンが地球を包み込むというわけです。


バジャンて大気を浄化したりもするらしいです。
地球も喜んだでしょうか?


浜松はたぶんわたしは初めてだったのですが、
駅からさらにローカル線に乗って会場近くの駅まで行ったのですが、
この路線はいまどき、切符にきちんとはさみを入れてたのでなんかそういうアトラクションの電車に乗ってるみたいな気分がしました。

2両編成で、降りるときも車掌に切符を渡しました。

会場は古民家?で、見たとき思わず「わーすてき」と、声に出して言ってしまった。

この日だけ借りた場所だったようなのですが、
中も広々してて実にいい感じでした。


バジャンは、私は1週間くらい前から歌えるバジャンをリストアップして、繰り返しの回数や音の上がり下がりなどのカンニングペーパーを作ろうと思っていたのですが、
結局何もしないまま手ぶらで望んでしまいました。

まあ、しょうがないかというかんじで。


少し遅れて会場に入ったのですが、私が現れるのを知らなかった知人は驚いていました。
インドにいると思ってたのかな?

浜松の合同アカンダバジャンは人数が少ないと聞いてたのですが、少な目かもしれなかったけど、みんな上手で予想外にレベルが高かったです。

横浜センターでやろうとして、聞き覚えないからと却下された「シヴァシヴァシヴァシヴァシルディプリーシュワラ」のバジャンも、練習なしでいきなり歌ってもみんな普通にちゃんとフォローしてくれたので驚きました。

聞いたところによると、普段からこのバジャンを好んで歌う方がいるとか。なるほど。


皆さん、歌うの好きなんですね。


あんまり眠くなかったんだけど、
2時か3時くらいから、3時間くらい寝ようかなと思って休憩室で寝たら起きたら10時とかだったのでびっくりしました。笑

どうりですっきり目覚めたはずだ、みたいな。

まあ、今までアカンだばジャンで24時間寝た。。。じゃないや。24時間ずっと起きてたことは私はないのですが、
ほかの人たちはほとんどのまず食わずな感じの人も多かったし、ほとんど寝てなかったので、
ああこの人たちはさすがに過去生でヨギだとか思いました。


途中にスップラマンニャンのバジャンを歌ったら、
普通はそれは最後に歌うやつらしく、
最後のときにも前に来てほかの人と一緒にリードするように言われたのでそのようにしました。

わたしはじめてのパターンだったんですけど、
アカンダバジャンの最後の終わり方は、アンジャネーヤ(ハヌマーン)の歌を1回ずつくらい歌って、
その終わりの音と同じ音でスップラマンニャンへと連続して続けるパターンがあるんだそうです。

スップラマンニャンの歌は途中早口言葉みたいになるところがあって、
口が回らなかったので自分で噴出しながら歌ってしまった。

でも楽しかったです。
いつも浜松などのセンター活動に参加してないのに今回参加させてくださってありがとうございます。



すべて終わって掃除とかしてたら、
長机を重ねて作った祭壇の向こうのカーテンの裏にすごく立派な仏壇があることを教えてもらって、
見せてもらって、その意外性にうわーと思いました。

ほかの方が言うには、
バジャン中に、そのカーテンがゆれてたので、カーテンの向こうに窓があるのかしらと思っていたそうです。

実際は風でカーテンが揺れるようなところではないのですが、
わたしは、カーテンの向こうの阿弥陀さん(だったかな?)が、バジャンを聞いてて「カーテンを開けて自分も出して」と言いたかったんじゃないかなと思えました。

テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2011/11/17 02:33】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ビザ。。。
ビザ、やたらめったら増えた必要書類からは、インドには来ないでくれという感じですが、
まあ、最悪、子供は観光ビザで連れて行って、インドで必要書類を整えて出直しますが、

できるだけのことはしようと思います。

いろいろ声かけてリラックスさせようとしてくださってありがとうございます。笑

そうですよね~、みんなそれぞれいろいろありますよね。

皆さんそれぞれいろんなものを通り抜けてきて今があるんだから、わたしもこれしきのことでめげずに気持ちを集中しようと思います。



早速昨日、インドへ英文で必要書類の数々を送ってくれと依頼して、やることやったし後は待つだけだとほっとしたんですけど、
今日すでに先方にそんなに書類無理とかいって拒否られたという。


たしかにわたしもそんな馬鹿みたいにいやらしくいろんな書類がいるとは今まで聞いてませんでした。
いくらインドが形式好きというにもほどがあるだろうという。

たぶんここ1~2ヶ月くらいですっごくすっごく厳しくなったみたいです。


少し前にはいきなり、観光ビザでも預金残高が60万円以上ないと観光ビザを出さなくなって、
みんなパニックだったようです。

そんなばかな、でしょう。
どんだけ急に国力つけたんだインドってかんじですが、


その少し前までは6ヶ月の観光ビザは期間中何度でも出入国自由だったのですが、
急に、一度インドから出たら2ヶ月あけないと再入国できないということになり、

それで相当数の長期滞在者が滞在を続けるのが難しい状況になり、

そして今回の、預金残高が60万円以上ないと観光ビザを発給しない、ということになって、
まあ、インドにどろどろの一文無しの片道切符で入国する人も少なくないかもしれないんで、
ちょっとそういうの勘弁願いたいという気持ちは分からないでもないですが、

さすがにこれは大ブーイングだったんで、
この、観光ビザ発給時の60万円の預金残高制限は2週間で取りやめになったそうです。

この件だけしてみてもインド政府の性質が垣間見えるような気もしないでもないですが。。。


まあこれははたから見てる分にはギャグのような一件でしたが、
実際そのころに観光ビザを取ろうとしてた人たちにしてみればたまったもんじゃないですよね。



わたしと子供は実はすでにビザに関しては今後もずっと何も問題ないはずだったんですが、
少なくともそう思ってああようやくこれで落ち着けると思ってほっとしていたんですが、


今回もとだんなが9月に来たので、そのからみで主名のビザがはねつけられてしまったという。
まあいろいろエネルギーが動いたということでしょうか。

そういう場合、普通は元だんなのビザがはねられるんじゃないかと思って変な感じがしたんですが、
そんで、もちろんわたしらも自分たちの滞在が安泰なのが大前提で彼のビザの取得の手伝いをしたわけだし。

しかしそのころ元だんなは女神だか女聖者だかにキスされる夢を見たらしく、
そっちのほうが優先されちゃったんだな、と。


まあたぶん、
わたしがそういう状況をまた引き受けて対応するキャパがあるから、わたしがそういうことをやらされてるような気もしないでもないし、

そういう意味ではわたしはエネルギーとしては一生安泰で、現実的には一生安泰ではないんかもしれんなという気がします。


もとだんなも子供もビザのことあんまり気にせずにリラックスしてる気もしないでもないんですけど。。。苦笑

どうなんだろう。



明日はとりあえずアカンダバジャンにいって歌ってこようかな。

テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2011/11/11 23:41】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
パニック
さっき実はプレッシャーが高まってパニックになってたんですけど、
何とか落ち着きました。

子供のビザを新しくとるために今日、大阪の領事館に行ったんですが、

用意した書類のほかにも10種類くらいの書類をそろえるように言われて、
1つくらい追加で言われるかなとは思っていたんですが、
そんなに変態みたいにたくさん言われると思っていなかったので、

まあ、集めないとしょうがないので集めますが、時限爆弾のようにそのプレッシャーが高まってさっき爆発して。

そんなに物事を大変にしなくてもいいのに。。。と思いますが、
最近インドは超強気になってるので、しょうがないです。そういう時勢なんでしょう。


ビザはほら、精神衛生上よくないんですよね。
すごい最悪のケースとか色々考えてしまうし。

今まで散々ビザのことでは苦労したから、大変な思いもしたから、もう経験しなくていいですそんなのは。


世界からビザが徐々になくなって、地球が一つになりますようにー。

そうじゃなかったら神様どこでも好きなだけ行けて滞在できるパスポートをわたしに頂戴。笑


なんで人間がよその国に行くのがそんなにハードルがあるのかわたしには理解できない。
鳥は国境を超えてどこにでも飛んでいくのにー。



でもおかげでバラバラになってた頭が落ち着いて、
一つ一つ必要書類を集めようという元気が出てきました。

なんかたくさんの書類を追加で提出するように言われたときはいじわるな拒絶の言葉のように感じましたが、
書類を集めたら文句ないんでしょう。たぶん。


あちこち連絡入れて地味に書類集めやっていきます。。。

テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2011/11/09 23:19】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(1) |
インドのリアリティ、日本のリアリティ。
今は子供の学校の友達が何人か遊びに来て走り回って遊んでいます。

プッタパルティでは友達と遊ぶのもあんまり簡単ではないから、楽しいでしょうね。

主名はすでに関西弁度がアップしています。


インドからこっちに来て、寒いのもあると思いますが、なんか主名がしぼんだように見えなくもないですが、
本人はこのファンタスティックな生活が楽しいようです。

インドではリアリティありすぎですもんね。


日本で暮らすのは安楽だなあと思いますが、
そしてそっちの可能性に従いたくならないこともないですが、


何か自分自身の中のカキーンとしたゆるぎない部分を信じなおすと、日本の暮らしのリアリティがたちまち失われてしまいます。




でもやっぱ、インドと日本ではどうしても存在形態が違ってくるので、
その揺らぎの部分で疲れます。

ちょっと寝ようかな。


テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2011/11/09 16:51】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
自分てなんなんだろうとか考えてみた。
日本にいたら文字通りファンタスティックな世界なので、ここで落ち着けたらいいだろうなーと思うのですが、
何でここで落ち着けないのかなーと思うのですが、

うーん、なんか生育状況とかも関係あるのだろうか。

何か埋もれると居心地が悪いような。


インドでだったら落ち着いて、それこそ埋もれて暮らせたらいいなと思うのですが、
根本的に異邦人なんだけど埋もれる、というところに何か面白みを感じられるのかもしれません。

日本で埋もれると自分を見失ってしまうんだろうと思います。


日本においてなにか自分自身で感じられる面白みみたいなものを以前はいろいろ持っていたように思うのですが、
そしてそういう自分に満足してもいたのですが、

いつしかそこにアイデンティティを感じられなくなってしまったんだろうと思います。



では自分のアイデンティティとか、居心地のいいあり方ってなんなんだろうなと自分で思うと、
なんでしょう。軽やかでいることでしょうか。


子供つれてあちこち移動して、軽やかかどうか怪しいですが、

たぶん、何か興味を持ったものがあったときに自分の形をなくしてそちらに溶け込むような自由さがいつもあればいいなと思います。


日本では溶け込みたくなるような対象が見当たらないのかもしれない。


わたしは負荷とか負担を負うのは好きじゃなくて、
まあ誰でもそうでしょうけど、

落ち着いた平安な暮らしをしたいと思うことも多いですが、
根本的にはいつも変化していることで自分自身も新鮮でいられるんだろうとおもいます。

逆説的だけど、それ以外に自分が落ち着く方法があまり考えられない。


じっとしてるのも好きなんですけど、
それをするとほんとに動かないから、それにどこも行かなくてもぜんぜん平気なので、
あんまり生きてる意味がないかも。笑




自分が生きてる意味って何かなとかふと思いますけど、
やっぱ楽しむことかなと思います。

自分がどういうときに楽しいのかを見失いがちなので、
柔軟でいないといけないなと思います。


プッタパルティにいると、なんか「終わった」感があって、
それはそれで最高で、このままここで年をとって死んでもぜんぜんOKと思います。

いうか、めんどくさいしもう終わりでもいいんだけどと思わないこともない。


プッタパルティでも溶け込む対象がない。

自分はきっと何かに溶け込みたいんだと思うんだけど。



サイババは強烈な存在で、
やっぱ存在そのものが超絶的です。

それはそれはある意味異常な体験。
あれは比べるものがないという意味で絶対的なものでした。

今思えばほんとうに特別だったと思う。暴力的なくらい。



それは特殊な体験だったんだけど、
今もそれは続いていて、
呼べばそばに来てくれているような気もします。

そしてたぶんいつもいてくれているんだと思います。


その特殊な異常な絶対的なものの中で、日常を送るとき、
ふとうっかりすると、
何か他のものの価値観で自分が分けられているのに気がつくときがあります。


ああ、いけないいけないと、
自分をまとめて、
その絶対の中で小さな完全性として生きなおす。


いつもその絶対性と響きあいながら。

テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2011/11/09 16:36】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
散策
今日は主名は海遊館に遠足にいってました。

2時半に戻ってくるのでバスから降りる場所に迎えに行きました。

楽しかったみたいで、エイとかサメとか触ったといっていました。

主名はよく車酔いするのでビニール袋を持たせたのですが、日本のバスは一番後ろの席に座ったにもかかわらず大丈夫だったみたいで、他の、気持ち悪くなった女の子にあげたようです。


夕方は家の周りを少し散策しました。
少し肌寒いながらも美しい景観の中を歩き、ベンチに座って少し本を読んだりしていました。


夜は主名をつれて証明写真を取りに行きました。
今回主名は新しいビザを取る予定なので、そのための準備です。

実家暮らしは快適で安楽ですが、27日には日本を出発する予定です。

今私がいるべき場所はここではないので。




テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2011/11/08 18:46】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
月曜日のヴェーダ自己錬
今日は、町に銀行口座を開設したりしに行きました。

あとは、なんだろう。

なんか適当にしてました。


インドからラップトップを持ってきたのですが、インドで購入したものなのでプラグの形状が日本のと違ってて使えないので、実家のパソコンを使わせてもらっているので

父が使ってるときは使えないので、
今日もずっと使えなかったからヴェーダを唱えていました。

今日は月曜だし、と思って。
ルッドラムとか。

日本の空気の中で唱えると、のどのあたりで止まってしまってなかなか抜けないかんじがあるのですが、
まあ、しばらく唱えてるうちにやわらかくなって通ってきました。


パソコンを終えた父に呼ばれて交代したんだけど、
「おおきいこえやなーーー」と言われた。


実家の周囲は雑木林や普段人がいない別荘がほとんどなので、
どんなに大きい声を出しても平気です。



ヴェーダ、習えていた時期はそれほど長くなかったけど、また機会があれば新しいのを習いたいです。

それに、他の人たちとするのがやっぱり楽しいですよね。


なかなか習うところまで自分を持っていくのは簡単ではないんですよね。

なかなかそこまで集中できない。



やっぱヴェーダはエネルギーが大きいから、
いろんなことをやりながら習うというのはちょっと難しいんですよね。たぶん。


わたしも環境に左右されるほうだからこそ、
自然にヴェーダとかやりたくなるような環境に自分を置くのって大事だなと思います。




あしたは主名は遠足で海遊館(大阪の水族館)に行くみたいです。


いいですね。

テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2011/11/07 17:48】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
良く寝た。
今日もやたらめったら良く寝ました。

今日は子供の小学校も休みなので、主名はわたしの母と一緒に、どこかに借りてる畑に野菜を取りに行きました。


母はねずみ年だからと自分で言うのですが、やたら災害への供えが良く、
16年くらい前に辛くも阪神大震災の物理的な被害を逃れてこの兵庫の田舎に引っ越してきたわけです。

なので畑は必須で、庭の物置の中にはなにかのときに炊き出しをして配れるような大きな釜とかが備えてあります。

電気が止まったときの助けになるようにと家には煮炊きも可能な暖炉が備えられ、
その他の備えも常にしてあるようです。


そもそも、原発が事故ったときのためにと20数年前に南半球に移住しようとしていたので、
今思えばずいぶん先見の明があった。

現実世界にちゃんと生きて知恵を蓄えているシャーマンやメディスンマンのような趣すらありますが、


おもしろいもので、
わたしはそこらへんちょっと弱い。


母はなんかしらんヒーリングとか、温灸とかマッサージとかそういうのが得意で、
私もよくやってもらったもので、
また、料理も調理師免許あるようだし、また好きみたいで良く研究してて、
野山の中から食べれるものを摘んできたりとかもよくしてて、
和裁洋裁も好きでよくしてるし、
とにかく生きる為の方法のバリエーションをたくさん身につけてる感じがします。

また、体のメンテナンスへの気の使い方も人並み以上で、
主に食事を通してバランスを整えたり
整体や踊り等を通して整えたり、常に何かをやっていてその熱意が尽きることはないようです。

周囲の人とのコミュニケーションも実にまめにとります。


そういう生活面を網羅している母のもとで育ったものだからか、
私は逆にそういうのにぜんぜん興味ないんですよね。

いろいろできない事はないんですけど、
必要最低限以上の興味が持てないというか。

だからインドで暮らして、食事はすべてアシュラムの食事(おいしい)、掃除洗濯など家のことはお手伝いさんにやってもらって、気の向く人とだけ楽しめる分だけ接して、
というのは自分に合ってると思います。


あの、やってできない事はないんですけど。くどい?笑

だからってわたしが霊性修行にまい進してるかといえばそうでもなくて、
まあなんというか、自分に向いてるとこに、自分に向いた形で住んでるんでしょうね。

自分はそんなふうだから、と思えば、環境もそれに合わせてくれるというか。


たぶんみんな好きなように暮らしたらいいんだと思います。

おうおう、気楽でよろしいなーとか言われそうですけど、
気楽に暮らすのもある程度気合がいるんですよね。

あるいみ、いろいろ制限があったほうが気楽な人もたくさんいるわけだし。


結局みんな自分が一番安定する心地よい環境に身を置いてるんだと思います。

ストレスが強い環境にいたとしても、
そのストレスがあることで何らかのバランスが取れてるということも多いんじゃないかと思います。


わたしもいってみればインドではストレスが多いといえなくもない。
やっぱインドでは外人なので、
食や文化の違い、衛生的とはいえない町の様子、滞在にはビザが必要で、ルール改正などでいつインドを追われてもおかしくない危うさ、

それらの少なくない、日本では味わえないストレスがインドでは味わえるわけですが。笑

でもやっぱり自分にはインドは非常に安定します。
インドは、というかプッタパルティは、ですが。


人と人とのつながり方があっさりさっぱりしてて心地いいし、一方で非常に愛情深い根本的なつながりを感じることも多いです。

やはりプッタパルティは神の土地なので、
人と人とのつながりは基本的に執着で幻想であり、神によって断ち切られる可能性が常にあるものという認識がみんなにあるように思います。


そういう基本的に手放す用意ができている覚悟が、
人と人との間のさっぱり感を支えているんだと思います。

一方の愛情深さはやはりいろいろな障害を乗り越えて、世界各地から神のもとに集っているという、自分への尊敬と他人への尊敬と共感みたいなものがあるんじゃないかな。



聖地に住んだからどうというわけではないんですが、
実際問題住む為には様々なものを神への思いを胸に手放していかないとできないわけですから、
神への愛、もしくは信頼だけを身に着けて、自分は丸腰になる必要があるわけです。


そんな裸になった人々が集まるのだから、
プッタパルティではすべてがあからさまです。

だからものすごいいがみ合いもあるし、深い共感がたちどころに起こったりもするわけです。

でも基本、
プッタパルティでの人間関係はそれが一時的なもので常に移り変わるということを体感させてくれます。

本当は、他人がいる、ということが幻想なんだ、といったところです。



そうして自分自身に集中し、
神との対話を深めていき、

気がつけばよい人々との良い関係だけに囲まれていることに気がつくのかもしれません。


インドでの暮らしはスムーズでないことだらけですし、常に様々な問題に囲まれていますが、
どこか笑えて、暮らしの一つ一つが愛すべきものだと実感させてくれるものでもあります。



テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2011/11/07 02:37】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
小旅行&音楽会
ここ数日関東方面に出没していました。

横浜サイセンターの定例バジャンにも5年半ぶりくらいに行ってきました。
実は前日にもレディースバジャンに行ってみたんですが、こっちは自分が思っていたのと日程が違っててありませんでした。

その日は八王子でヴェーダセミナーがあって、そっちにも行こうかなと思わないこともなかったのですが、結局その日は横浜の夜の定例バジャンだけに行きました。

八王子のほうに人が流れて、その日の横浜の人数は少ないかもときいていたので、そのつもりで期待せずに行ったのですが、思ったより人がたくさん来てて、思った以上によかったです。


久しぶりの横浜センターは改装されてて祭壇のあたりがちょっと変わっていました。

うわさには聞いていた「ジュレラールサイ」とかいう神様の像も鎮座していました。
主に北インドのシンディーの人たちに礼拝される、海の神様らしいです。


私も一つバジャンのリードをさせてもらいましたが、この日のバジャンはすべてヒンディーバジャンでした。
木曜日は横浜はとくにインドの人がたくさん来るのかな。

アルティもヒンディーでしたが、
ずっとプッタパルティでヒンディーのアルティだったのでむしろ歌いやすかったです。


翌日は知人の瞑想の先生のとこに遊びに行ってみました。

その人もインドに長期でいたあとに日本に戻って、適応が多少大変だったみたいで、
わたしにも「きついでしょ」とか、そんなようなことを言ってきたので「まあもう馴れました」みたいに言ったら
慣れたら慣れたで問題だからね、みたいなかんじでした。笑

わたしは今後もずっとインドでしょ、日本は無理でしょ、とかいわれて、えーーーってかんじでした。笑


思いがけずネットを通じてしか知らなかったいろんな人たち(以前占星術鑑定やプージャの代行依頼をうけた人とか)にも会えて楽しかったです。


昨日新幹線&最終電車&タクシーで夜中の1時過ぎに兵庫の実家に戻り、
今朝は早くから主名の体験入学先の小学校の音楽会に行きました。

みんなはずっと練習してきてて、主名はほんの数日で本番を迎えたのですが、
歌も多少歌ってて、
合奏のときはタンバリンをたたかせてもらっていました。

全員鍵盤ハーモニカの中で一人タンバリンは逆に目立っていました。
少しはタブラーをやらせていた甲斐があったんでしょうか。


しかし子供たちの友達がどうのとかいう歌は心にしみて、思わずほろりとしました。

単に先生に歌わされてることを歌ってるとはいえ、その無垢な様子に、やっぱ子供はみんなの宝だなと思えました。
演奏もそのてらいやあこぎなところのない素朴な音色に、心あらわれるというか。
久しく見てないこういう素朴さ。
ああ、私達がすでに失ってしまったものだなとしみじみ思います。笑

人生って不思議なもんですね。


自分の人生にも子供がやって来て、
その子供とつながっていることで、こういう素朴な世界にまた呼んでもらうことができたという感じで、
わざわざ高いチケット買って見るミュージカルとかよりもよっぽど深くて素朴な感動を与えてもらって
よかったなと思いました。


音楽会の前半の終わりごろに教員による水戸黄門をテーマにした寸劇と演奏があったんですけど、
いやーーー、体張ってるなーというかんじでした。
先生ら、すごいよね。芸達者。

10秒に1回くらい笑いを織り込んで。
というか、笑いの合間に劇をする?

会場からアンコールが出て、アンコールでは演奏しながら歌を歌っていました。


いやしかし、日本の子供たちは大事に扱われてるなあと思いました。
日本人の、ぽやーとした基本的な育ちの良さみたいなものの源泉にふれた気がしました。

主名も、ものすごくきめ細かくいろいろしてもらっています。



逆に、先生って大変だなーとも思いますが、
まさに聖職だなとも思いました。

音楽会を見てると、1学年ごとの子供たちがそれぞれ成長段階が違うのが良くわかります。

そういう、どんどん変化していく旬の子供たちの今しかないこの瞬間が職場なので、
教師という仕事が祈りや悟りの状態にも似た行為になっていくんだろうなと思います。


こんな田舎の学校の音楽会でほろりとしてしまうのは涙腺弱すぎでちょっと恥ずかしい気もしましたが、
学校が終わるときの集会で校長先生も涙が出そうになったとか言ってたので、
あ、やっぱそうかと思いました。

先生と私じゃその涙の意味も違うと思いますが、
校長先生は素晴らしい演奏に感動したと同時に、この音楽会も終わってしまうと思うと、さびしいような気持ちがしたらしいです。

子供たちへの愛を持ってこの行事に力を注いできたんだなあと感じられて、
このときのこの愛に満ちた場が出現していることの素晴らしさ、愛に満ちた場の奇跡を感じました。

愛されるべき子供たちと、仕事や役割を通して子供たちにエネルギーをそそぐ先生方や保護者の人たちや近所のひとたち?

そのような素敵な場がこんなに近くに誰の世間の注目を引くこともなく自立してすでにあったんだなあ、と。

そして素朴なりに真剣に生真面目に歌ったり演奏したりしてる子供らを見てると、
この子供たちが大きくなった先の将来の地球みたいなものをきちっと確保しておかないといけないと自然に思います。


音楽会のあと、お昼をみんなで食べに行って、
そのあと実家に帰ったら眠くなって6時間も昼寝したので、起きたら夜9時でした。
驚いた。

テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2011/11/06 03:49】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
主名の日本の学校への短期留学スタート。
ここ数日、怒涛の忙しさでした。

昨日は朝、小学生の集団登校についていってわたしと母も学校に行き、主名の担任の先生と校長先生と教頭先生と今回の短期就学に関しての必要事項の確認や書類の受け渡しなどを行いました。

主名の今回の短期就学に対して学校側は準備万端にしてくれてて感嘆ものでした。
ノートも、学校が手作りノートを用意してくれてて、表紙にはそれぞれイラストが貼ってあったり、
先生もよくそんな細やかなこころづかいができるものだと思います。

わたしらはいちおう肉魚卵えび貝などもふくめた動物性のものはダシでも極力とらないようにしてるベジタリアンなので、しかし給食はどうするか、、、と思っていたのですが、
なんとまったく問題なし。

もらった献立の中の、除去したい食材を指定すれば、それを抜いた給食を個別に作ってくれるそうです。
なんとまあ、すばらしい。

で、その分量が足りなさそうだったら適当に家庭からおかずを持参してもよいとのこと。
このように、給食がまったく問題なかったのには驚きでした。


また、クラスの子供たち全員があらかじめ授業で主名に手紙を書いていてくれてたみたいで、
その、イラスト入りの歓迎の手紙を書いた画用紙の束をプレゼントされました。


その後、クラスに行って、教室の後ろでしばらく見学してたんですけど、
主名は教室の前の壇上に立たされて、質疑応答となりました。笑

子供らは先に自己紹介してから主名に質問したのですが、

なんか、机をまたぎながらしゃべってる子とか。。。

「ぼくは太ってるのでみんなからブタとかいわれます」
とある子がいうと、

「いってへん、いってへん。」
「自分を落とすギャクをするな」

みたいなつっこみが先生からも生徒たちからも一斉に入り、

その子はそれを無視して「ぼくが好きなスポーツは○○で、きらいなのは~」
と延々と自己紹介し、

「そして主名くんに質問ですが、主名くんは何歳ですか?」

には参りました。(質問それだけかい!みたいな)

主名が「8歳です」と答えるとその子は

「え~~~!」といって座り、
先生は「君らみんな同じ学年や!!」とビシッと指摘してましたが
わたしは思わず笑わされてしまった。

これは狙って言ってるのかなあと思ったけど、
弟の意見では自然にというか、無意識やろ、とのこと。

ああ関西DNA。



兵庫の実家の近くのこの学校はそんなに大きくはないものの、(私が行ってた小学校は規模も大きく、グランドも広くて2つあったりした)
学校の裏が山で、
その山も学校の一部らしく、主名いわく山の上には遊具みたいなのが備え付けてあるそうで、
初日のこの日は授業で「主名に山を紹介する」ということをやったらしく、
つまりは授業中にみんなで山に行って遊んだそうです。

えらく自由な学校やなーと思いました。
少人数なのでゆとりがあるんでしょうね。

横浜の小学校に行かせるよりもむしろよかったなと思いました。


午後の集会では全校生徒の前で挨拶させられたらしいです。
いやあ、本人にとっても新しいことづくめで疲れたでしょうね。


バンガロールの日本語補習校に通ってる子は、年に毎年1ヶ月くらい日本の学校に行かせてるケースもあり、
私らの場合も、状況が許せば1年に1ヶ月毎年主名を日本の学校に通わせるのもいいなあと思いました。



この日主名は先生からのわたしへの手紙も持って帰ってきました。
主名の学校での様子や、「分からないことがあればなんでもお聞きくださいね」みたいなことが書いてありました。
いや~、きめ細かい。。。


今朝はまた提出しないといけない書類がいくつかあったので、集団登校にまたついていこうと思ったんだけど、
お母さんがついてきたらみんなにベイビーと思われるから別々に行ってと主名がいうのでひとりで行かせ、
わたしは後で父の車に乗って提出しに行きました。

わたしもいろいろ新鮮な経験です。

まあ、こんなふうに1年に1ヶ月くらいがわたしらにはちょうどよかったりして。

テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2011/11/02 01:40】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(2) |
| ホーム |
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。