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華僑のお祈りとサリー。
最近手際が悪すぎて、やることが終わらず寝るのが12時とか1時とかになってるので、
さすがに朝4時半に起きるのはつらくて、6時に目覚ましかけて、30分~1時間くらいだけ朝のウエスタンキャンティーンのフルーツとか野菜を切るのに行ってます。

こないだ28日だったかの中国正月当日はたくさんの中国人が手伝いに来てて、
みんながみんな、パイナップルをすごく美しく切っていた!さすが~~~。

その後のコースはいつもの通り、8時前にサウスで朝食→8時からサイクルワントホールでヴェーダチャンティング→9時からバジャン→9時半からサイババサマディーダルシャンです。

で、大体朝10時くらいから地上の日常が始まる感じ。

今朝は、10時までN7の裏でなんか中国人たちがお祈りをすると張り紙があったので、
サマディーダルシャンの後にちょっと行ってみました。

青空の下、広々したとこに中国風の祭壇が作ってあって、
いろんな装束をした中国人たちが踊ってステップを踏みながら一人ひとり祭壇におまいりしてました。

一種のショーみたいなかんじで面白かった。

西洋人たちは写真とかビデオとかとりまくりで。

私もカメラあればよかったなーと思いました。

皇帝みたいなのとか、中国のお姫様とか、仙人とか、野菜売りとか、薬売り、あとむかしあった幽玄導師?なんだっけ、キョンシーの世界の人みたいな黒いお坊さんみたいな装束したおばちゃんたちとか。
みんなにこにこで。

中国の音楽や歌も流れてて、やっぱアジアの血は争えないと言う感じで?魂の奥底にぐっと懐かしいものがこみ上げてきますよね。やばい。
中国大陸~~~~、敦煌~~~~~みたいな。


とにかく、踊ってる人たちも見てる人たちもみんなニコニコで、楽しい雰囲気で、これはなんだというくらい祝祭で楽しい&きらきら空中が光っているかのような異常に1分のすきもないような平安と幸福感と生命に満ちていた。

うーーーん、これはすごいと少し圧倒されてしまった。

なんだここに出現してるこの場は、みたいな。



謎に感じるくらいでした。



中国人といっても、中国から来てる人はいないんじゃないかと思います。
マレーシアとか、シンガポールとかからの華僑の人たちがほとんどだと思う。

いいね、華僑の中国人明るくて、パワフルで。

記念写真に私も入っちゃった。笑


みんなに長ーーーい、線香が配られて、火がついたそれで一人ひとり祭壇におまいりして、
米の線香立てにさした。

中国語のバジャン(ヒンディーバジャンの替え歌)がノリノリで歌われ、
アルティになり、
その後オレンジと、カードと、寒天ゼリーのプラサードが配られました。

楽しかった。

カードは中国語で書かれててわからなかったので
(わたし中国語3年勉強したはずなんだけど)
近くの人に意味を聞いたら、
「英知のある人はモノを上げて、幸せを得る」みたいな事が書いてあるとのことでした。なるほど。

朝っぱらから充実しすぎの1日の始まりでした。


P1290370_convert_20120131015909.jpg

昨日、ウエスタンキャンティーンでほめられたサリー。
自分ではヨーロピアン風と思っている。


P1300374_convert_20120131020127.jpg

今朝N7の裏でのお祈りで配られたプラサードを手に。


今日、アパートに、前のアパートの部屋の隣人のおばあちゃんが2回来たと聞いたので彼女の部屋に行ったら
彼女の娘が手描きで絵を描いたというサリーを2つ並べられて、

どっちがほしい。どっちも欲しかったら2つでもいいよ。
と言われたので、

大木とシカの絵の描かれたサリーにしました。

もういっこは白地にもやもやした悩み深いみたいな模様と乱れ飛ぶ小学生手書き風ちょうちょ。ごめんこれはむり!


インドの手描きサリーって、ネタにしてどこかに投稿したくなるようなすごいのが多くて、
たとえばヘタウマ風のミッキーマウスっぽいのとミニーマウスっぽいがテニスしてる絵とか。

手描きサリーをあんたに上げると言われて「ぎょえー」と思ったんですが、

シカのサリーは微妙ながらもかわいいかんじがして、OKな気もしないでもなかったので(かなり微妙だけど)
ありがたくいただきました。色も地味だし。
これなら気合でイケてるサリーの幻想のベールをかぶせられそう。



もう引っ越してるのにわざわざ4階の部屋まで階段上って訪ねてきて、サリーくれようとして、ありがたいですよね。
おばあちゃんが。


そのうち、ブログでお見せします。笑 おたのしみに。。。
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【2012/01/31 02:15】 | サリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
なおみさんのブログ
国際結婚してプッタパルティに在住7~8年のなおみさんのブログが久しぶりに更新されてました。

。。。と思ったら、ここのブログの紹介もしてくれてました。ありがとうございます。

なおみのブログ

わたしは本人と直接ちょくちょく会ってるから、彼女のブログの文章を読むとなおみさんの口調や身振り手振りが映像で迫ってくるのですごい面白いです。笑



最近はのどかな暮らしをしながらも、やることいっぱい過ぎてこっちのブログを書く余裕がありませんでした。

ちなみに、もういっこのブログで、世界のカルマ解消のためのプージャを準備中です。
2月20日から3月2日くらいまで、4箇所のお寺で行います。

今年以降さらに世界的に自然災害が予想されるらしいので、
その影響緩和のためになればと思って計画してるプージャです。

世界を形作っている5大元素があって、南インドにはそれぞれの元素に対応するお寺があります。

地、、、カンチプラム

風、、、ティルパティのカーラハスティテンプル

水、、、トリチラパッリ

空、、、チダムバラムのナタラージャテンプル

火、、、アルナーチャラのアルナーチャレーシュワラテンプル


この5つのお寺でマハルッドラホーマム?だったっけ?を行うことで、
自然界の5大元素のバランスも保たれ、自然災害の脅威も緩和されるということです。

このうちナタラージャテンプルとアルナーチャレーシュワラテンプルでのマハルッドラホーマムは
去年、日本のカルマ解消のためのプージャですでに充分行ったので、

今回は残り3つの元素のお寺でマハルッドラホーマムを行い、


それに加えて、傷つけられ干渉されまくって怒り爆発寸前の母なる地球に対するプージャとして、
サハッスラチャンディホーマムを計画中です。

これは女神へのプージャです。

108人のお坊さんをすでに数日間予約してます。

実行できるかどうかは神のみぞ知るですが。笑

これはクムバコーナムのカーリーテンプルで行われる計画です。


さらに詳しい情報を知りたい人はこちらまで↓

プレマサイジョ~ティ~ショップブログ



ここしばらくは、先日の世界平和のためのチベッタンマントラのプログラムの実行責任者の華僑?のとこにけっこう入り浸り状態でした。

とても居心地がよくて面白かった。


中国のお菓子もいろいろ食べさせてもらった。笑


チベッタンマントラを唱えるプログラムはとてもよくて、たくさんの人が感動して泣きながら唱えていました。

わたしも毎回だだ泣きで、プログラムが終わった後はずいぶん元気と勇気を与えられたような気がしました。


前も書きましたが、
いつもはこのチベッタンマントラのプログラムは中国正月のプログラムと一緒に行われるのですが、
今年は世界の状況はスムーズではないと思われるということで、USAにいるチベット人の高僧が、
今年の世界平和のマントラを唱えるプログラムは、中国正月にあわせるのではなく、より効果的にするために新月のときに唱えるように指示を出したそうで、
だから今年に限って、このプログラムは1月23日、太陰暦の元日に行われました。

ちょうどそのころ巨大太陽フレアが発生したと思ったんだけど、
この日にみんな(200人くらい?)で唱えられた世界平和のためのチベッタンマントラはきっとよい影響を与えたと思います。

そして、このマントラプログラムは今年で終わりにするそうです。

今年が最後らしい。

責任者のおばちゃんは11回このプログラムを行ってきて、お坊さんたちもネパールから連れてきていたんですが、
もうしないらしい。

もしかしたら来年、違う人が責任者になって行われるかもしれないけど、このおばちゃんがやるのは今回が最後といっていました。

なんでもうやめるんですか?と聞いたら、
別の仲間の華僑のおばちゃんは「わたしたちはいつまでも同じところには居れないから。」
超えていかなければいけない、とか言っていました。

最後の最後に声かけてもらって参加できてよかったです。

すごくよかったから。



なおみさんに、今年が最後らしいですよと言ったら、えー、来年は参加しようと思ってたのに!と、残念がっていました。
みんなに、いいよいいよと聞いていたらしいので、来年、下の子がフルタイムで学校に行くようになったら練習に参加しようと思っていたらしい。

去年も、このチベッタンマントラは練習中にテキストからビブーティーが噴出したり、風邪がはやりかけたけど練習してるうちにみんな治ったりと、いろいろ奇跡的なことが起こってみんな興奮状態(高揚というのか?)だったらしいです。

ちなみにもとだんなは最初の1回だけ練習に参加したのですが、
その後体調がいまいちだったりして間が開いたあとはもう行かないといってたので「あ、そう」と思って、ほうっていました。

そしたらプログラムが終わった後でわたしが楽しそうにしてたら「行けばよかった」とか言い出しました。

なんでも全部暗誦しないといけないと思ってたらしく、口パクで参加するのは嫌だと思っていくのをやめたらしいです。
「みんな紙見てたよ」
というと、なんや、行けばよかった、と、残念がっていました。
わたしもまさかそんなのが行かない理由だとは思ってなかった。


責任者のおばちゃんにチベッタンマントラのうちのひとつが、津波などの災害予防にいいから、(USAで昔津波が起こりそうとみんなが恐れてた時期があって、そのときにチベット人の高僧がこのマントラを唱えるように指示したらしいです)
あなたは日本人みんなにこのマントラを教えなさいとか任命されて、
え~、、、と思っていたのですが、

そのマントラというのが菩薩のマントラなんですが、
いわゆるお地蔵さんのマントラなんです。

チムボーチムボーチムチムボー、、、、ってやつ。

ふざけた感じだけど、なごむ。笑
けっこう長いんですけど。

そしたら、なおみさんがやる気を見せたので、なおみさんにおじぞうさんマントラ初伝授。笑

なんでも、なおみさんは小さいころ毎日犬の散歩してたんだけど、途中にお地蔵さんがあって、
でもそのお地蔵さんはなぜかいつも倒れてたので、
そのお地蔵さんを起こして、川から水を汲んできてそこらに生えてる花とともにお供えしてお祈りするのが
幼少期の日課だったそうです。

散歩させてた犬が死んだときもそのお地蔵さんのとこに埋めたといっていました。

だから、お地蔵さんのマントラと聞いて、これはやらなくちゃと思ったらしいです。


そうだったのかー、なおみさんて、そんなにお地蔵さんと縁が深かったんだーと爆笑して(←失礼?笑。なんか、なおみさんのキャラとあいまって面白かったので)

なおみさんと一緒に唱えてたら2人の娘も一緒に唱えて、
チムボーチムボーチムチムボー♪

けっこう何回も繰り返し練習しました。

なごみまくり。


チベッタンマントラって、すごく女性的な感じだなーーーーと思いました。
やさしいし、ゆるいよね。情感あって。

インドのヴェーダはめちゃくちゃ男性的と私は思うのですが、
カーン!キーン!と立ち上がって突き抜ける感じで。

チベッタンマントラはゆるいわ~。


華僑のおばちゃんいわく、マイトレーヤが来るまで世界の面倒はお地蔵さんがみる事になってるから、
(最初、おばちゃんは「ジンゾーマントラ」「ジンゾー!」と言っていたので、腎臓?と思ってたら書いてくれたらJIZOだった)

だから、世界の安寧を祈るにはこのお地蔵さんマントラが最強だそうです。
ちなみにこれはパーリー語のマントラです。

でもこれ、すごいなごむから、日本中で唱えたらいいかも!お地蔵さんも日本中にあるし!とか思いました。
やけに鎮静効果あるし。

そしてわたしも近所のダイエーに行く途中にあったお地蔵さんにいつもお参りしてたくちです実は。


↓華僑のおばちゃんのさわやか過ぎる息子2人が管理してるサイト
ずっとババにこのサイト開設の許可申請をしてたんだけど、去年ようやく許可をもらって始めたらしいです。

http://buddhasai.com/

お地蔵さんマントラ(クシティガルヴァボーディサットヴァ)マントラは、「Audio」をクリックして飛んだページの「MP3」クリックで聞けます。
このAudioページの下のほうにもあるイラストは責任者の華僑のおばちゃんのいとこ(USA在住)が描いてるらしいです。

チムボーチムボー♪


もとだんなは「フルフルフール」だけ覚えたとか言ってました。「古野だ」とかいって。。
それ聞いてなおみさん爆笑。

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【2012/01/29 15:49】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ヴェーダナラヤナンさんによるサイガヤトリー解説
しんじさんのブログを見たら、ヴェーダナラヤナンさんによるサイガヤトリーの解説のユーチューブが紹介されていました。



以下、しんじさんのブログより転載

http://ameblo.jp/ganapathi/entry-11145481036.html

このビデオの3分17秒から、9回にわたって、サイガーヤトゥリー マントラが唱えられていますが、この音源は、プラシャーンティ ニラヤムのマハーサマーディ ダルシャンの時に会場に流れているサイガーヤトゥリー マントラと同じ音源(少なくとも同じ人が唱えている)だと思います。




前半はヴェーダナラヤナン先生による、サイガーヤトゥリー マントラの解説です。




1977年の12月24日に、ホワイトフィールドで、当時のインド第一のヴェーダ学者と言われていたガンディコータ スッブラマンニャム シャーストゥリが、スワミのいらっしゃるところで学生たちにスピーチをしている最中に、スワミが玉座に座っていらっしゃる御姿を見たときに、サイ ガーヤトゥリー マントラの啓示を受けられて、その場にいた学生たちに公表されたのですが、ヴェーダナラヤナン先生は、その場にいらっしゃったのだそうです!




サイ ガーヤトゥリー マントラを唱えると、スワミの恩寵を直接受けることができます。その意味で、これはサイの帰依者たちにとって、最強のマントラです。



(↑ここまで転載させていただきました。)

しんじさんとKC2さんとShinさんのブログもリンク集に加えさせていただきました。

ありがとうございます。

テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2012/01/25 18:11】 | マントラ | トラックバック(0) | コメント(0) |
サイセンター雑考
そういえば今日、白人系のロシア人の親子としゃべりました。

昔から知ってる親子なんだけど、しゃべったことはなくて、
というのは向こうは男親だけだし、私は女親だけなのでなんとな~くお互い距離を置いてて。

その息子は一時期主名と同じ学校に通ってたこともあって、
芝生でもよく2人でフリスビーをしてるのを見てました。

だから真似して私もフリスビーを買って主名と遊んだりしてた。笑
向こうは2人ともすごくうまくてミスなしでやってたんだけど私らは基本がミスで、たまにできたら喜ぶレベルだったけど。

しばらく彼らを見なかったんだけど最近また見るようになって、
向こうがこっちを気にしてるのを感じてたんだけど放っておいたら今日も視線を感じて、
ちょうどお茶を買って近くに座ったのではじめて話しかけてみた。

そしたらなんと今は中国に住んでるという。

これはすごく意外でした。
でも考えてみるとロシアと中国って距離的にも近いし、気分的にも近いものがあるのかな?

子供は中国の学校に通ってて、今は中国語の読み書きもできるようになったと言ってました。
だから日本語もいくらか読めるようになったよ、と。

そっかーー。


初めてしゃべったけど、感じのいい人でした。
息子も賢そうな。


主名はどうしてるの?ときかれたので、
日本の学校に行ってるというとなるほどという表情でした。

おたがい、インドの学校には苦労してますから、多くを語らなくてもわかるという。笑

君はここに永住するの?ときかれたので、
かもしれない、今は日本に帰るアイデアはない、、、、、(将来的には)わからないけど。
と答えました。



部屋に帰って用事で実家に電話して、ついでに主名に電話に出るように言うと、
「宿題してるから」と、会話拒否。

それならそれでいいんだけど、
ヨガとか神様ごとから離れると主名はやばいことになるとよく言われるので、それが気になるところです。

主名という名前も、アイデアが浮かんだのを(というか、魂を感じたときに名前も同時に来る感じ)
いちおう姓名判断でもチェックしてみたら問題なかったので考えることなくそのままつけたのですが、

姓名判断によると、この名前の、各年齢ごとの運勢みたいなのもあって、
どれもいいんだけど、「ただし」と、但し書きがあって、

だいたいが、ただし、他の人のために働けば吉、とかいうかんじで奉仕の必要性を常に言われてて、

だから、たぶんいろんな能力があるんだろうけど、
それを自分のためだけに使うとやばいことになるし運も開けないんだろうと思います。
彼の場合は特に。

じゃないと、正しいことを絶対認めないようになる、とかすごいアドバイスをもらったことも。

他の人には主名は念力タイプだとか言われた。どういうことかいまいちわからないけど。
つまり、全体性を保持して自己完結してるのかな。

だから、「彼にはヨガが絶対必要」と言われてるんだろうと思います。
ヨガって、神との合一のことですから、

単に自己完結してたらある意味悪魔的ですから。
包括的な全体とのギャップがある場合は。
神の意思から分断されている。

常に神の干渉を受け入れる余地が必要。

すべてを包括する全体としての神に個人性を溶け込ませた後は、もしそのまま肉体を離れて逝っちゃわなければ、その人は何らかの形で社会全体の安寧のために働かされるようになると思います。

昔サイセンターに来てたインド人の女性聖者が、サイセンターで責任を請け負って働いているような人は解脱の進んだ段階にいると言っていました。

彼女の分類では解脱の段階は4段階あるそうで、
これはサイババの分類とも矛盾しません。
たぶん昔からインドにある分類方法のひとつなんだろうと思います。

その、サイセンターのハードワーカーは解脱の進んだ段階にあると女聖者がいうのを聞いて、そのとき私は納得がいかなかったのですが。笑

今はなんとなくわかるような気もします。

つまり、彼らは解脱した後に起こる状態を体現してるので。
神の直接の意思を体現して実行するという。

で、そのときそれは解脱してるのと差がないし、
単に解脱というか、覚醒しただけの人だったら他から切り離された状態で自我が肥大しておかしなことになる場合もすごく多いと思うのですが、

センターの場合はシビアなとこがあるのですごいたたかれますし。爆
まあ、たたくのはどうかと思うので、たたかれないにしても、サイババという超自我をみんな自分の基盤にしてるので、
それ以外の自己完結した自我の小ささが相対化されやすいし、滞りとみなされてあっというまに解消され(質が同じなら、ババの超自我に溶け込んで)、無力化・無害化されやすい。

覚醒後の肥大した、もしくは一体性のないこの世界とのギャップに苦しむ自我がなだめられて全体の中で安らげます。

聖者がサイババのもとで安らぎを得るのはそういうことだと思います。
すべてのものにとっての安らぎを得ることのできる避難所であるアバター。

ただし、帰依者の自我という無敵レベルの強烈なえげつないものもあるかもしれないけど、この場合それは置いといて。笑


アバターに帰依するときついけど超特急というのは、そういうジャンプが起こるからかなと思います。

言ってしまえばアバターに帰依した時点である種覚醒みたいな。裏技というか。

プッタパルティという場所もそういう性質を帯びてると思います。
ここに滞在することによって、自動的にある種の覚醒の状態がもたらされる。

それぞれの場所に戻れば元通りかもしれないけど、
一時期でも滞在すればその間にものすごく多くの滞りが解消され、それぞれの場所に戻ったときにそれに気がつく人も多いと思います。

滞在中に自動的にクリーンナップ、チューンナップされる。

それぞれの場所に戻った後も、魂が真実の状態を記憶したので、ここで見た魂の可能性がその後の人生でも魂自身を導くと思います。


話はそれましたが、もどすと、

わたしは、はっきりとした解脱の覚醒体験を基盤としてなかったら風通しの悪いおかしなことになりやすいと感じてて、
だからそれがすでに解脱を求めていない、サイセンターを通して奉仕生活を楽しむ?彼らに対する女聖者の高評価に納得がいかなかった理由のひとつだったのですが、

というのは、サイセンターはサイセンターでなにか閉じた感じがあるような気がしたりもしたので。

排他的なとこもあっただろうし。


でも、サイセンターに来てる人で強烈な覚醒体験を持つ人も少なくないと思いますが、
そういう人どうしでもやっぱし、いがみあいとか、つぶしあいじゃないけど、あるのが不思議だった。

お互いを否定しあうのは今の時代どこでも見られることで、表面的な付き合いなんだったらそういうことも起きないかもしれないけど、

サイセンターなんかは一番深いところでの付き合いだから、そういうのも苛烈。
それぞれが自分の全存在意義をかけてるから。

つらいこともいっぱいあって、そんな変な世界にいるくらいならと、去っていた人も少なくないと思います。

それはそれでなにかその人の道だったと思うし、
センターに関わらない人からババが離れることも不可能だと思います。

ババは、神は、いつもあらゆるものとともにあって、そもそも神以外は存在しないので。


私も、サイババ以外のかかわりは社会の中でするのが自分で難しいかんじで、
しかしセンターにも自分がいることでそれ以上のいい反応が自他に起きなさそうな閉塞感を感じ、
センターに関わらずに社会に関わるというのは自分にとっては自殺行為だったので、

どうなったかというとプッタパルティに行ったのかな。
ジャンプしたかんじ?

そうしてみると、外から見るとやはりサイセンターの存在意義というか、それが維持されてることのすばらしさや奇跡を改めて発見した気がします。



やはり、サイセンターはサイババの直接の手足となってる機関で、サイババのエネルギーが直接流れてる場所だと思います。

個人が寄り集まってるから、個人個人の思惑でいろんなブロックができあがったりとか、そういうこともあるかもしれないけど、
サイババのエネルギーが常に流れているので、
いつまでもなくならない滞りはないと思います。

みんなが自分の個人性を外からの力でではなく、自発的な内面の促しによって手放していき、
真の一体性、永遠の一体性がいつもそこに表れていますように。切に願います。



なんだかんだいって、サイセンターは神そのものが直接この世界に現れてる場所だと思うのです。



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↑↑↑
こないだつかまえて元きたところに返したネズミ。

ネズミは深夜の11時から1時をカバーする動物らしく、(子の刻)
日付が変わるときで、陰陽を兼ね備えた動物なんだそうです。

それが体のつくりにも表れていて、
前足の指が4本(陰)で、後ろ足が5本(陽)指。

ね。
(ギャグじゃないです)

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【2012/01/24 18:34】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
アティルッドラマハヤグニャは好き?
今朝は一応4時半に目覚ましをかけていたのだけれど、
さすがに昨日の疲れもあって寝坊して7時に起き、キャンティーンセバはパスして、風呂にはいってからサウスに朝ごはんを食べに行きました。

その後8時からのヴェーダチャンティングに行き、バジャンに参加してサイババサマディにおまいりして、
ショッピングセンターで買うものかって、芝生でお茶しました。

昨日久しぶりにサリーを来て、眉毛もかいて。笑
元気が出たので今日もサリーを着ました。

サリーは私は着るのに少し気合がいるので、元気がないとパンジャビスーツに流れます。簡単に着れてらくだから。


芝生のところで、たぶん20年とかずっとアシュラムにすんでるアジアの国出身のの知り合いがいたのでいつもは別にしゃべることもないからせいぜい「ハイ」とか言うくらいで、ほとんどしゃべらないのですが、
今日はヤグニャについてちょっと聞きたかったのでしゃべりかけました。

彼女の国ではアティルッドラマハヤグニャやったんだっけ?と思って。

そしたら、彼女の国はインドネシアなんですが、
インドネシアではやってなくて、普通のルッドラホーマムだけ、やったと言っていました。

普通のルッドラホーマムって、11人のお坊さんで1つの護摩壇で行うそうです。
インドからお坊さんを呼んだのか聞いたら、
インドネシアにはヒンズー教のお坊さんがたくさんいるから、現地調達したそうです。

シンガポールはやったんだっけ?と聞いたら、シンガポールも普通のルッドラホーマムだけやったと言ってたと思います。
それは、インドからお坊さんを呼んだらしいです。

なんでシンガポールでそれをやろうという気分が盛り上がったかというと、
ある時、マーライオンの電気が消えて、みんな不吉な気分になって怖がったからだそうです。笑

なので、サイセンターの人たちがルッドラホーマムを企画して実行したそうです。


タイは、たしかやったんですよね、アティルッドラマハヤグニャ。

あそこはいろいろ強力な基盤が有りそうだし。


ちなみに知らない人のために言いますと、
アティルッドラマハヤグニャはたしか121人プラスαのお坊さんで、
11個の護摩壇で同時に行うヤグニャです。
各護摩壇に1人のお坊さん+こまごました用事をするお坊さん、みたいな。


私たちは去年3回大規模な日本のためのホーマムをインドで行って、
来月も5大元素のホーマムを自然災害の悪影響緩和のためにインドで行う予定にしてるんだけど、
今年、日本でアティルッドラハマヤグニャをやったほうがいいと思って、
そのアイデアはあるんだけど、
インドでだったらたくさんのインド人が助けてくれるけど、
日本で行うとなるとわたし一人ではできなくて、
日本側の日本人みんなの参加がないとできない、ということを話しました。

彼女はやはり日本でやるのがベストだとは言って、
アティルッドラハマヤグニャのためのお坊さんのアレンジができる人を紹介してあげるということでしたが、
わたしも知人を通してプッタでヤグニャを行ったお坊さんたちへのコネクションはあるので、
お坊さんたちを呼ぶことに関しては問題ないんだけど、
問題は、日本人が興味がないこと。いくらかの人たちは興味があるけど、
全体としては興味がないのがこの件に関しての問題だと言ったら

じゃあそれはしょうがないねという感じでした。

で、この話は終わり。笑


彼女はアシュラムで他の人ともほとんどかかわらずにひたすらババの本を翻訳する作業に従事してるっぽいのですが、なので、必要以上のおせっかいはしない。さすが。


わたしはというと、いろいろブレブレなのでした。


しかし、私の脳裏に8月に日本でアティルッドラマハヤグニャというアイデアが来てるので、
現実世界でできるできないはともかくとして、
そのアイデアは脳裏に保持しておこうと思います。

そしたら私がかかわらないプロジェクトになったとしても、
もしそういう動きが出たときに脳裏のイメージがそれをサポートして現実化しやすいだろうから。


アティルッドラマハヤグニャは好きですか?

私は好きです。
面白いから。

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【2012/01/24 16:05】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
中国正月プログラム
なんか、今日の中国正月プログラムの写真、もうネットで見れるんですね。
はや~~~。

↓ザ プラシャンティレポーター より

http://theprasanthireporter.org/2012/01/buddhist-chants-marking-the-commencement-of-lunar-chinese-new-year/

わたし、プログラム終わって、ご飯食べて部屋に帰ってきたとこですよ?


やっぱ、出来は練習のほうがよかったと思うけど(笑)でも、すごく楽しかったです。
なんか若返った気分。笑

大学の文化祭に参加してるみたいな気分になった。


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中国正月のプログラムに行こうとしてるとこ。いちおう、グリーンターラーのイメージで。


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終わって帰ってきた。
楽しかった。
プラサードのみかん?と、サイラムストラップとカードと、それが入ってた袋を手に。


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チトラバティロードにあるチベッタンレストランの店(2階にある店)の中にある写真や絵からビブーティーでまくり。
去年の降誕祭の後から出だしたらしいです。
写真には撮らなかったけど、ダライラマの写真からもビブーティーでまくりでした。
以下はその店のほかの写真や絵。

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シルディサイババ


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マンダラ


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観音?菩薩?ターラー?


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食事中のババからも。

テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2012/01/24 01:32】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(1) |
メディスンブッダマントラ
メディスンブッダマントラも発見。
これもだだ泣きマントラ。




このメディスンブッダはマントラ練習の進行のおばちゃんによるとヴィシュヌと同じとみなすらしい。

すべてのネガティビティを浄化。

おばちゃんはサイババに言われたからか、常に世界の痛みや困難を取り除くためにこのマントラをみんなで唱えるプログラムをやってる意識があるみたいで、
すごくビジョンがはっきりしてる感じで全然ぶれないです。

しかし、世界を変える必要はないと言っている。

私たちは自分自身を変える必要があると。


たしかに、これらのマントラを世界の平安のために、他人や他の存在の利益になるようにという気持ちで唱えていたらなによりも唱えている本人が一番浄化されてからっぽになり、平安になります。

そのように私たちは自分自身を空っぽにして、いろんなものを超えていき、生まれも死にもしない永遠のババにふたたび繋がりなおすのかもしれません。

テーマ:ありがとう - ジャンル:心と身体

【2012/01/23 04:45】 | マントラ | トラックバック(0) | コメント(0) |
The Long Dharani of Chenrezig のマントラ
明日のプログラム用に練習してるチベッタンマントラの、最後のほうに大団円的に唱えるやつをユーチューブで発見。



ユーチューブではちゃかちゃかした感じですが、練習ではたいこの「ドーン」「ドーン」という太い音が入って、すごくいいです。

これはチベットのだけど、サンスクリット語で唱えられてるものだそうです。

沖縄っぽいですよね。
わたしこういうのに弱くてなんか、「ここに来るまでいろいろあったけど、ほんとうによかったーー」って感じでグランドフィナーレ大団円な雰囲気に感動して胸いっぱいになるという。

なんか、自分の原風景か、深いとこにこういうのが刻み込まれてるのかもしれないと思います。

やはり、昔はよく、普段の生活してる中でそういう精神回路になることがよくありました。

いろいろあったけど、もういよいよ終わりだ、、、ああ、よかった、、、感無量、、、ありがとう地球よみたいな。

そんで、すべてが自分の夢であったことを思い出しそうになって、懐かしいような、悲しいような、ああ、もうちょっと待って。。。まだ夢を見させておいて。。。まだ終わりたくない、と胸が締め付けられるような感情に襲われたり、

ババのダルシャンを見てるとき、特に音楽プログラムを見てるときなんかも、
よく、すべては終わってしまったこととして感じられて、
自分の意識の中で回想シーンを懐かしんでいる気持ちによくなり、変な気持ちがしました。


このマントラはアワローケテーシュワラのマントラと言っていたかな?

聞いたのを書いてるので聞き違いとかで間違ってるかもしれませんがすみません。
これは千手観音の姿をしていて、
頭も千個あるそうです。

なぜそうなったかというと、この存在はやはり地獄が空っぽになるまで自分はブッダにはならないと誓ったらしいのですが、
ある時、もうみんなが救われたと思ってブッダになったかなろうとしたのかな?
そしたら別の仏陀が来て、「地獄はまだいっぱいだよ」と教えたそうです。

そしたらそれに気がついたその存在はものすごいフラストレーションを感じて爆発して千もの部分に飛び散ったそうです。

バラバラになったその存在を仏陀は集めてまたひとつにしたそうです。

だからこのアワローケテシュワラ?は、千の手と千の頭を持つそうです。


なんとも激しい物語ですが、粉々に爆発するほどのフラストレーションはいかほどのものだっただろうかとか思います。


しかしこれは幸福をもたらすものすごく強力なマントラだそうです。
個人的にはこのマントラは幸福をもたらすというより、なんかもう、すべてが運ばれてきて得られた後みたいな感じもします。
今日の練習ではこのマントラの1回目はバラバラでうまく合わなくてすぐに止められたのですが、

練習の進行をしてる責任者は「みてごらん。これが障害だ。彼らは救われたくないんだよ。」と、軽いノリで笑って言った後「ソーリースワミ」と、写真に向って言っていました。笑


でも、プッタパルティは聖地でバイブレーションが高いことは言ってもいいと思いますが、そういうところって、
そこで起こったことや祈ったことは何万倍にもなって世界に影響するし、
逆に世界の状態がこのように示されることもありうるかなとは思います。

昔北インドのパタールブヴァネシュワルでプージャをしてもらったときも、それはものすごく効果があるということを聞きました。

強烈に濃いバイブレーションの中で行われたプージャだからだと思います。


だから、プッタパルティでの祈りもまっすぐに実現しやすいのだろうと思います。

こういう場所でみんなで世界やほかの人の幸せを願う祈りに参加させてもらえることは本当に幸運なことだと思います。

責任者のおばちゃんはずっと半泣きで練習の進行をしていました。
ずっと感動していたらしい。

「わたしはまだ人間だから、自分の感情を抑えられない」
と言っていました。

練習してる人たちも泣きながらしてる人たちが多かったです。
私も練習できるように冷静になろうとするのに苦労しながら唱えていました。
(胸いっぱいで声が出なくなるから)

それくらい、大勢で唱えるマントラの肯定的な力はすごかった。


このマントラ、2回目では素晴らしくぴったり心を合わせて唱えることができました。




こっちのほうが練習の雰囲気に近いのかな?




ああ、これはほとんどそのまんまだ。
しかしこれは画像が渋いですね。

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【2012/01/23 04:01】 | マントラ | トラックバック(0) | コメント(1) |
グリーンターラのマントラ
今練習してる8つくらいのチベットのマントラの中で一番好きなマントラ、グリーンターラのマントラをユーチューブで見つけました。

オム タレ トゥタレ トゥーレー ソーハ





これは大勢で声を合わせてみんなで唱えると1回目からどわっとこみあげるものが。

異常に泣ける。
みんなで唱えるとこれはすごいです。

もらったプリントの説明によると、

Chanting of the Green Tara Mantra reduces the forces of delusion in the forms of negative karma,
sickness,afflictions of kleshas,and other obstacles and obscurations.

This mantra also helps to generate Bodhicitta within the heart of the practitioner
and purifies the psychic channels within the body,
allowing a more natural expression of generosity and compassion to flow from the heart center.


つまりは障害を取り除くマントラらしいです。

プログラムの責任者がババに、1~2年前にどうやったら世界に平和がもたらせられるのでしょう、と聞いたところ、
マントラを唱え、マントラを捧げなさい、と、答えたそうです。

プログラムではサイババにマントラを捧げようとしていたのですが、
サイババはサイババのためでなく、世界の平安のために祈れと指示したそうです。


世界にはきっと私に見えている以上の困難がたくさんあるのが現状じゃないかと思いますが、
それらの障害を取り除くためのマントラがこんなに軽やかでやさしくて明るいことに涙が止まりません。


これを唱えているときはグリーンターラになって世界中を飛び回ってあらゆる障害を取り除いて回れと言われました。
練習では最後の1回はスローダウンして終わるのですが、
そのときはグリーンターラは自分の働きに満足してわたしたちの胸の中に静かに帰ってくる。

そして私たちは私たち自身に戻る、とのことでした。

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【2012/01/23 02:38】 | マントラ | トラックバック(0) | コメント(0) |
チベッタンマントラの練習
明日の午後に行われるプログラムのために1日2~3回チベットのマントラ練習に参加しています。

こういうサイトもあるみたい。

http://buddhasai.com/

ここの「オーディオ」のとこでもひとつ音源があって「チムボーチムボー」が聞けるけど、

私は8種類くらい練習してるマントラの中で好きな3つはここにはない。残念。

メディスンブッダマントラとグリーンターラマントラは毎回号泣ものです。
さがせばどこかにあるのかな?

この2つは短いマントラなんだけど、短いマントラのパワフルさを思います。





これは2010年の中国正月のプログラムのダルシャン。





これは有名なオムマニパドメ(ペメ)フム。

これも練習の最初に唱えてます。





これはカルマパ17世が作曲したと言っていたと思います。

最初、サイババの長生きを祈願するマントラだったそうですが、
サイババは「ロングライフ」ではなく「エターナル」マントラに変更させたそうです。

エターナル。。。永遠の。

プログラムの代表のおばちゃんはその変更の意味が今ならわかると言っていました。

ちなみにそのおばちゃんて、上のダルシャンの動画の真ん中らへんに出てくるサイババとしゃべってチャクラバティさんに指示出してる(笑)おばちゃんです。

こないだチベッタンレストランで今回のマントラ練習に誘ってくれたおばちゃん。

ババは生まれることも死ぬこともない、ババの肉体はもうないから、わたしたちは永遠のババに繋がりなおす必要がある、みたいなことをおばちゃんは言っていました。



このマントラはわたしたちに生まれることも死ぬこともない、永遠のサイババとの再接続をさせてくれると言っていました。


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【2012/01/22 18:14】 | マントラ | トラックバック(0) | コメント(0) |
オンマニペメフン
昨日、昼前に1時間、私のカルマ解消のグルマントラとしてババの写真の前でオイルランプをともして
「サーイーシュワラーヤヴィドゥマヘー」
のマントラを唱えたのですが、
「グル」という言葉が入ってるほうがいいみたい、ということで、
よる部屋に帰ってからまた
「ルシャヴァッドヮジャーヤヴィドゥマヘー」
のマントラを1時間唱えました。

終わったの12時で、最近朝4時半に目覚ましかけてるので(起きるのは5時だけど)唱えてる途中で眠くて少し夢見てて、
ずっとマントラを繰り返し唱えてるはずがいつのまにか「姪御さんもなんとかかんとか」と、声に出して夢の中の誰かにしゃべりかけてて、
「あ、夢見てた」
と、気がついた。

今朝も一応4時半に目覚ましかけたのですが、今日は無理しないで8時前まで寝てました。

でも、1時間グルマントラ唱えてなんかよかった感じ。


朝は今日はウエスタンで食べて、朝バジャンの最後にホールに入ってアルティと墓参りに参加した後、
10時からのチベッタンマントラの練習場所に行きましたが、まだ会場が開いてなかったのでショッピングセンターやアシュラムの八百屋で買い物をしました。

それでもまだ開いてなくてしばらく待ちました。

もし今アシュラムにいる人でプログラムの練習に参加したい人は
まだ今からでも参加間に合うと思います。
朝は10時から、夜は7時半から各2時間ずつくらい、カンファレンスホールでやってます。
別名ダブルデッカービルディング。
ショッピングセンターの道はさんで斜め向かいの2階建てのビルです。
よく、レクチャーやってる。

本屋の手前。


しかしこの司会進行してるたぶんシンガポールの?中国系の家族はなかなか独特で。

昨日もお母さん(私にチベッタンレストランで声かけてきたボス)は、
2番目の息子が小さいときは舌が短くて言葉が全然うまくしゃべれなくて、しかも多動症?だったので
目を離したらベランダから飛び降りるような子供だったから何も出来なかったけど、
スワミが不可能を可能にした、とかいってボロボロないてて、

その後それまで黙ってたその息子がプログラムの説明をみんなに対してしたんですけど、
あの前振りはネタか!?
というくらい、彼ははっきりとさわやかに語りまくるのでした。


この青年、今までもよくプログラムの主催側としてなんやかんややってたのは見てたので、
この青年かー、と思った。


マントラをみんなで唱えて練習してたらあんまり心を開いてやってたら感動して声が出せなくなるので
適度に心を閉じながらやってました。

昼にウエスタンでご飯を食べたあといったん部屋に帰って、
1時過ぎだったんですがもとだんなはマントラの朝練はもちろん最初から行く気なくて
まだ寝てました。

何でも、私がいない間に一度、ねずみががさがさする音で嫌な気分で起きたらしい。

そんでいろいろ工夫してわなを仕掛けたけど失敗してまた寝たらしい。



で、私が帰ってきて起きてきて、
「あ!全部食べとる!」

とか言うので何かと思ったら、アリ用の毒をプラサードとまぜて置いておいたらねずみが?全部食べてたそうです。

「なんでそんなことするんよ!最低!!」
とか
「カルマの解消してもなんもならんやん、もういややっ!最低!」
とか私は彼を頭ごなしにボロかすに罵ったけど、

だって、なにもプラサードと毒を混ぜることないと思って。


彼は自分のことは100パーセント最高と思っているので反応なし。



でも、そのうちねずみを発見して、生きて走り回っていたので「あ!いた!いた!動いとる!」と、少し嬉しそうでした。
そしてバリケードを作ってねずみを追い詰めてとうとう捕まえた。


そのねずみはもとの占星術師のオフィスに持って行って返しました。

占星術師は「だから今日は自分はなんとなく少し元気がなかったんだ!彼がいなかったからだ!」と言いつつ、
すぐにねずみを入れ物から解放しました。


その後、2時からのN6でのチベッタンマントラの臨時練習にまた行きました。

すごく楽しい。。。

オープンハートで、オープンマインドで、と、主催の人はいうんだけど、そんなことしたらもう胸いっぱいで唱えられなくなるのでだめ。


練習に来てた10数人はほとんど西洋人でしたが、きっとチベットや仏教に縁のある人たちなんだろうなと思いました。


マントラを唱えるにあたっても、主催者は「みんなは過去生のコネクションがあるからすぐに覚えて目をつぶって唱えられるようになる」とか言っていました。


短いのから長いのまで7つのマントラを練習しましたが、
やばいですね、みんなで唱えると。
どうしても落涙してしまう。

またチベットのとかってまったりしてるし、やさしい雰囲気なので。
サンスクリットのヴェーダのようなカーンと突き抜ける感じはないにしても、
やっぱり過去生の記憶とかそういうのが呼び起こされるのでしょうか?
リ・コネクト というかんじです。

今日始めて習ったのもありましたが、
チベッタンレストランやウエスタンでよくかかってるマントラというか曲だったので、
これか~~、と思って、なにを言ってるのか単語を確認したらすぐにもう歌える感じでした。

5年くらい聞き続けてたから。

昔はチベットとかダライラマとか好きで、北インドのダラムサラにダライラマに会いに行ったりしました。
(大勢が順番にダライラマに握手してもらって、祝福された赤い紐をもらった)
ダライラマは私のアイドルだった。


京都にダライラマが来たときには講演会の抽選に外れたので姿を見れませんでしたが、
その時3日間連続でダライラマの夢を見ました。

初日は彼は大勢の人がいる会場にいて、こちらを見つけたのかどうか忘れましたが、

次の日はダライラマはチベットからヒマラヤを越えてインドに来るときの自分の民がどんなかんじで素晴らしく、自分はどういう気持ちだったかとか、
自分が青年のときの節目の気持ちとか、そういうことを話していました。

最後の日にはいくつかそれぞれの状況のバーチャルリアリティーな事例つきでこういうときはこうなんだ、というようなことを教えてくれていました。


別のときにも、ヒマラヤの、どこかの僧院の奥の奥でダライラマに会った夢をみたこともありました。

何らかの縁はあるんだろうなと思います。

前にも書いたと思いますが、
最初にインドに来たときにわたしといつも一緒に行動してた女性は、私よりももっと謙虚で凛としているのですが、彼女が何回目かの渡印の帰りの飛行機ではダライラマと一緒だったらしく、
声をかけられてインドではどこに行ってたの?とかの質問に答えながら飛行機から降りて一緒に歩いてたらしいですが、
彼女はそれがダライラマだとはそのときは気がつかなかったらしいです。


昔私が工場で働いてたときにストレスが強くなりすぎてスイッチが切り替わって声が出なくなったことがありましたが、
そうなったら多幸感に襲われるので、にこにこしてたらほかの人に「もりちゃん(旧姓森田)がお坊さんみたいになっちゃった。。。」とかいわれた。

そのころは実際精神錯乱状態がきついときだったので、毎日違う人格が現れて、虫や動物になっていたときもあったんだけど、その中にチベットの?お坊さんもいました。

あるいはそれは過去生といわれるものなのかもしれないけどよくわからないです。


インドに来てからも、インド人とのやり取りに気持ちがボロボロになったときは(特にヴェーダ教室で。笑)よく、チベッタンレストランに行ってやさしいチベット人の雰囲気の中で心の傷を癒しました。

たぶん、チベット人も祖国を追われてひどく傷ついているからだろうか、と、そのときの私は思いました。


今日、チベットのマントラを唱えながら、
なぜ平和な仏教徒がひどい目にあうのだろう、と思いました。

チベットはみんなも知ってる通り中国の自治区となって、そこから逃れたチベット人たちは山を越えるときにも多くの人が命を落とし、

先日世界のアガスティアの葉をいくつか開けたのですが、
そこにも、仏教国に特に自然災害が起こりうるようなことが書いてあって、

これは、国教が仏教のスリランカで内戦を続けてたタミルの(ヒンズー教の)リーダーが殺されたりしたことへの個人的な感情とか入ってないか?とか思ったんですが、
(アガスティアの葉のナディリーダーはたいがいタミルの人なので)

でも、
ダライラマ自身が言っていたのだったかどうかは忘れましたが、
チベット人は自分たちの高い霊性を自分たちだけにとどめて、ほかの国とかに分け与えることを怠っていた、
だから神が中国人を使ってチベット人を世界中に散らばしたとかなんとか。

チベット人が世界中に散らばってくれてるおかげで、
わたしも南インドのプッタパルティで彼らの優しい雰囲気に癒され、中華っぽい食事にありつけているわけです。

祖国を失うことはたぶん想像をはるかに超えて悲しいことなんだろうと思います。
チベットをチベット人の手に戻そうという運動はずっとあるし、
それはそうなるといいなと私も思います。

そういう、いわば物理的次元での人道的正義?と、神の法則はまた別物なんでしょうね。
物理的次元に生きているわたしたちは人道的正義を追うべきだろうけど、
その2つのバランスはいつも微妙です。


(この先、書いたけど消えた。ヒドイッ!力作ほど消えるのはなぜ?)



おやすみなさい。

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【2012/01/20 22:20】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
今朝もキャンティーンセバは6~7人の西洋人が野菜のカットのとこに来てて、人員がだぶつき気味でした。
ロシア人、多いなーやっぱり。

私は今日はゆっくり目、朝から髪の毛洗ったりしてたので6時半くらいにキャンティーンに行きましたが、
朝やる仕事はすぐに終わって、昼以降のおかずになる野菜をきざんだりする仕事をみんなやりました。

そのうち、インド人の男性が遊びに来たのかな?
その人歌うまいらしく、誰かがリクエストして、彼は5~6曲スタンダードナンバーのバジャンをリードして歌い、
みんなは野菜を刻みながらそれに続いて歌いました。

楽しかった。

毎日こんなんだといいなと思いました。
歌いながらやるとなぜか手がするすると早く動く。

歌った彼はうたい終わった後、
「このような美しい機会をぼくに与えてくれて、みなさんありがとう。」
と、輝いた顔で言って、帰って行きました。

また来て~。


毎日フルーツや野菜のカットをしてると知らないうちに手に細かい傷がいっぱい出来てたらしく、
今日の最後はビートルーツの、ヘタとか固いところを取り除く作業をしてたのですが、
ビートルーツって赤いかぶらですが、強烈な赤紫で、
手の細かい傷に全部その赤紫の色素がしみこんで、なんかたくさん内出血してるみたいな手になりました。


単に色が染み付いただけなんだけど。

前、ずっとキャンティーンの野菜のカットのセバしてた日本人女性の手がこんなで、
その手を見て、ひそかに彼女の体調を心配してたのですが、こういうことだったんですね!納得。

7時半を過ぎたので、サウスに朝ごはんを食べに行こうと思って前に座ってる、同じ作業をしてたちょっと気難しそうなドイツ人ぽい女性に「行きますね」と言ったら、
「あなたの声はとても美しかった。私はすごく楽しみました」
と言われて素直に嬉しかった。

西洋人はほめるときにすごくほめてくれるので嬉しいです。



サウスでは今日はポンガルとイドリーをチャツネで食べました。

ミルクティーを注いでくれたセバダルの女性はにっこりしてお茶の入ったカップを両手で差し出して渡してくれました。
にこやかで丁寧だったので驚いて、嬉しくなりました。(インドではまれ)


VIPゲートのほうからサイクルワントホールに入り、
最前列の席がまだ空いてたので座りました。


ヴェーダはいつもの、ガナパティプラールタナ、ルッドラム、プルシャスークタムの後は今日はガナパティアタルヴァシールシャムやヴィシュヌスークタム、あと、サルバダルマの短縮形やイーシャーワサルバビッデャーナム、てやつと、ナカルマナも唱えてました。

ナカルマナはなんか久しぶりな気が。

今日は全部唱えられたのでよかったけど、サルバダルマの完全版だったら唱えられなかった。

今覚えたいのは、サルバダルマのんと、ドゥルワースークタムと、ガネーシャスークタムと、
アーナンダヴァリも。イーシャーワーショパニシャッドも忘れてしまったのでやり直しです。


ちょっとずつでいいから進んでいきたいものです。




その後部屋に帰りました。

最近またアガスティアの葉を見ました。
状況を動かしたかったり、好転させたいときやなんかやばい感じがするときには見て、これまで何度もカルマの解消をしてきました。

今まで何回この手のを見ただろう。8回くらいはみてるような。

今回は今までのとはちょっと違って独特な印象でした。

カルマの解消もなんか独特な印象です。


今回、カルマの解消を始める前にグルに1時間祈りをささげるように言われました。
それをしてからカルマの解消を始めるようにと。

なので、オイルランプをともして線香もつけて、1時間ババの写真の前でマントラを唱えました。

でも、唱え始める前に異常な不安感に教われました。

この前アシュラムに泊まり始めたときに異常な孤独感と悲しみに襲われたのと似たような感じなんだろうか?
と思いつつ、唱えてました。

1時間終わってもあんまりその不安感は弱まらなかったので、
あ、そうだ、と思い、

以前夢でババがくれたマントラを108回唱えたらすぐに少しましになりました。

その後、やはり夢で教えてもらった印と呼吸法をしてみたけど、その後はあまり変わらなかった。


ものすごく根深い不安感があるなと思いました。


その後、グルへの祈りの一環として、(今日は木曜なので木曜にするように言われてたのです。)
9人の人にご飯をあげるというのも、
近所の食堂から9人分のバターマサラドーサを買ってきて配りました。

自分の昼ごはんが間に合わなくなったのでチベッタンレストランに入りました。

結構混んでて、注文の品がなかなか来なかったので、実家に電話して、
前、わたしの声が怖かったらしく、泣かしてしまったのでもうしゃべりたくなかったんだけど、主名としゃべったらやっぱり自然とヴェーダを唱えさせはじめて。笑

店の中が騒がしかったので店の外に出て、店の前で電話で主名にレッスンしてました。

前回はガナパティプラールタナも忘れてたので愕然としたのですが、
その後言いつけどおり毎朝唱えてるらしく、
今回は唱えれてました。

なので今日はドゥルガースークタムを唱えさせました。
これも忘れていた。。。


わたしはスパルタだったので、主名が2歳のときからガヤトリーマントラを唱えさせて、
5歳の時にはルッドラムのナマカムは主名は見ないでも全部唱えてて、チャマカムは練習中で、
マントラプシュパムもナラヤナウパニシャッドもナカルマナも、メーダスークタムも、プルシャスークタムも、ほかの細かいヴェーダもいろいろ主名は見ないで唱えていたのに(というか、ずっとテキストなしで覚えさせていたので)

ガナパティプラールタナもこんなにすぐに忘れてしまうとは。

わたしもだんだん主名にかまっていられなくなってきて、
(前もあんまりかまってなかったかもしれないけど)
しょうがないとはいえ、残念な気持ちもあり、でもむしろこれでいいのかなと思ったり。

人生に正解とか不正解はないんでしょうけど、
自分のいいと思うようにやるしかないですね。

とくに母親は周りの言うことをある程度ブロックしてでも自分のいいと思うようにやったほうがいいと思います。

一般的にいいと言われていることを不安いっぱいにやるよりも、
一般受けしないかもしれないけど母親が自信を持ってものごとにあたっているほうが子供は安心するような気がします。
その内容がどうとかよりも、母親の姿勢で。


今日は、主名がガナパティプラールタナを思い出して一人でまた唱えられるようになっていたので私も少し気持ちが和んで、
泣かさずに、ドゥルガースークタムを電話で練習できました。

主名は日本の生活にはまりきっていたので、もう、私とも話したがらないくらいだったのですが、
ちょっと私と子供との間のエネルギーが再循環しだした感じがしました。


わたしの母はいわば小さなグルみたいな感じで結構強烈なので、
主名をものすごく一生懸命世話してくれるのですが、
主名がいかに日本で素晴らしくなってるかといつも自慢をする感じで、
それはインドでの主名の生活への対抗意識に基づいてる感じで。
競争心強いんですよね、負けず嫌いで。笑

私は一応3月に迎えに行く予定を言っていたのですが、
知らない間に母は周囲にも主名は中学卒業まで日本にいると言っていて、主名にもそう洗脳してて、

まあ、それもいいかなと私も思うのですが、

でも主名が日本にいることがどんなにいいかと必要以上に主張しすぎなのが気になって。
プチグルは、自分の世界に取り込んで、依存させるのが何だかんだいって大好きなのですたぶん。囲い込む。

主名も私の母が好きというか、やっぱよく世話してくれるし赤ちゃんのようにいたれりつくせりで甘やかしてくれるのでべったりで。

そういう、甘やかしてくれる存在というのも人間には必要とは思います。


でも反動で、心なしか母の私に対する攻撃姿勢が垣間見えるような。。。笑
まあ、いつもいやみはよく言われるけど、

前回電話で怖がって主名泣いたし。

わたし→主名びびって泣く、かわいそう。
おかーはんの世界→主名は満ち足りて幸福な子供

という図式を私に自覚させようとしてる感じ?
主名は私といるよりもおかーはんといるほうが幸せよ、みたいな。
たしかに、主名は日本にいるのはむちゃくちゃ楽しいみたいです。笑


おかーはんは主名がおかーはんの世界に完全に満足するのを見たいんだろうな?

でも、おおいばりでさらなる必要経費を請求してくるという。
私が日本を発つ時にすでに渡してあるから、あれはもうないのか聞いたらまだあった。なんだかよくわからん。

まあ、子供の世話で大変だろうけど、自己重要感で元気いっぱいなのかも。

プチグルかーさん。。。
家庭の主婦って大体こんな感じですよね。

家族のために尽くして、居心地のよい家庭を維持する。
しかしその完全性が身の丈に合わなくなってくると子供は新天地を求めて独立するんですけど。

でも子供の世話してもらってるので私は自由に出来てありがたいです。


もとだんなが易をするので、主名の状態をみてみたら、
やっぱり日本にいるとエネルギー不足になってるらしいです。
これはよく言われることで、私もそう感じた。


しかし主名自身は超ハッピーですごく喜んでるらしい。
おかーはんも元気いっぱいで動き回ってるらしいが、実は主名を損なうエネルギーになっている。
でも日本にいると主名は勉強面はやたらいいらしいです。

思案のしどころです。

こういうことを言ったらだいたいいつもおかーはんは怒るんだけど。恩知らず、みたいな感じで。
いや、大変ありがたく思ってるんですが、
なにが子供にとって一番いいのかを私は私の視点で見極める必要があるので。


基本、子供とかどうでもいいと思っているのが私の素敵なとこでもあり(笑)
子供を好きにさせるのが、おおらかな対応なのか、単に楽に流れてるのか、
自分で見極めが必要なとこでもあるという。

子供、どうでもいい、という自分の性質がわかってたので、執着じゃない部分でしっかりつながる必要があると思って、必要以上に他人の分離的なバイブレーションを入れないように自宅出産したという面もあります。

じゃないと、ホントどうでもいいと思ってしまうから。
私が子供に執着できにくい分、本質的な部分で子供にしっかり私にくっついていて欲しかった。



母には「子供が離れる時期が早く来たとおもわないかん(思わないといけない)」とかいわれましたが、
つまり、子離れしろと。子供の自由にさせろと。
それならそれで楽でいいんですけど、ホントにそうかといえばどうも違うみたい。

まだ今しばらくはきちんとつながって、交流してる必要があるっぽいです。


とりあえず、電話に出させて、会話させて、ヴェーダを唱えさせようか。
おかーはんの世界は強力に居心地よく、物質的にも満たされてて、みんなからの関心も与えてもらえるし、
主名は冗談抜きで私やインドは必要ない状態になって、こちらに意識が合わず、しばらくずっと隔絶してました。

電話にも出ない。

それくらいプチグルおかーはんは強力で。

わたしは昔、おかーはんのことをインドラ神の化身と内心呼んでいました。
物質世界の王。笑

運命を観たりする人たちの話を総合すると、主名は神様ごとから離れると将来の運がよくなくなるので、
(今は日本の物質世界に満たされてウハウハでほぼ離れてる状態)
神様とのつながりは切れないようにしてたほうがいいらしい。

おかーはんも主名を山に連れて行って一緒にガヤトリーマントラとなえたりしてるらしいんだけど、
とにかく、おかーはんは「おかーはん」なので、物質的に豊かなものを与えたい!!!という、
母親的な気持ちがきっとかなりあるんだと思います。

私との交流が神様とのつながりと等しいのかというと、どうなん?てかんじですが、
たぶん私自身というより、「プッタパルティにいるわたし」というのはそういう機能を果たしているのかも。

おかーはんと娘は永遠の命題。


ある人に言わせるとおかーはんと私はすごくよく似てるらしいんだけど、
生まれた時代が違うので、おかーはんに出来なくて私が出来ることがあるらしい。

逆に、わたしはおかーはんのようにしっかりと家庭をキープしてというのは出来てないよね。

家事も全部人任せ。

でも、キープしようとしなくてもそこにあるもので暮らせたら自然なような気がするんだけど、
根本的に何か間違ってるんだろうかわたし。笑


ちなみにおかーはんは嫁姑ばりばりでしたけど、
わたしの場合は私の態度が悪かったのでお姑さんは私に近づくのをやめました。


おかーはんはおとーはんの世話をこまごま見てますが、
わたしは私は家事を一切しない条件で結婚した。
(したいときはする)

もとだんなは私と子供から解放されてしばらく人生を謳歌して、やっぱし人生に行き詰って今こっちに来ましたけど、
またそのうち、というか、体勢を立て直したら今すぐにでもどこかに行きたいらしい。笑


話は戻って、主名との電話を終えてチベッタンレストランに戻ったら、奥のテーブルに座ってた5人のうちのボスみたいなおばちゃんが「今アシュラムは人が少なくなったのか」とか話しかけてきたので、

「あーでもクリスマスなんかはすごい人でした。今は少ないけど。」
「でも私はこういうの好きです。人が少ないとシャンティだから」

とか答えてたら、

なんか中国正月かな?の、プログラムをやるから練習に来ないかといわれ、
なんでかといえば私はあなたのことよく見て知ってるからとかいわれ、
プログラムではチベットのマントラとなえるらしかったので、
わ、嬉しい、とおもって、行きますと言いました。



で、夜に行ってきました。
もとだんなを無理やり誘って行った。
一回くらいこういうのに参加してみれば?と思って。

最初、カンファレンスホールで待ってたけど、ほかの人たちも。
場所が変わったみたいでN6の部屋に行きました。

そしたら声をかけてきたおばちゃんが司会進行しはじめました。

「初めての人」と、みんなに呼びかけたので手を上げたら
「え?あなたはじめて!?」
と、驚かれた。

どうやら経験者で、役に立つと思われてたのかも?
あてがはずれてごめんー。


いくつかマントラの練習して、楽しかった。

グルマントラ1時間唱えてご飯配った効果かな?

世界平和のための祈りのマントラで、ババはこれらを自分のためや子供のためじゃなくて、
ほかの人のために祈りなさい、と言ったらしいです。

5大元素が乱れていて天災が起こっているので、もうこれ以上津波などが起こらないようにするためにはどうするか、
それには祈りをして5大元素のバランスをとることです、
今、この祈りをすることが必要なんです、みたいなことを責任者のおばちゃんは言っていました。

なんか、私が別ブログ(→プレマサイジョ~ティ~ブログ)でやろうとしてることと完全にシンクロする話だなとか思いました。

後は、おばちゃんの家族に起こった奇跡の話とか、ババとの会話の様子とかをしゃべってました。

最後は壁に映写機で映したダルシャンのアルティの様子を見ながらわたしらもアルティを歌って終わりました。
おだやかな恩寵のときだなあと思いました。



ちなみに23日が本番らしい。チベット僧が36人来るらしいです。うはー。
【2012/01/20 02:28】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ねずみと共存
今朝はフルーツカッティングはすぐに終わってしまったので、にんじんや長い豆を切ったりしました。

手伝いに来てる人、ロシア人が多いなあと思いました。
ロシア人は英語がすごくできない人が多いです。
(わたしもあんまりだけど)

なんでかな?

今朝のヴェーダはいつものやつのほかに、
ガナパティスークタムや、イーシャーワーショーパニシャッドもやってました。
これらはほとんどついていけなかったです。

またヴェーダを覚えるのを集中してできるときがくるのかなあ?

ヴェーダを勉強しようと思ったらほかのことをしてたらなかなか集中できないです。
生活がヴェーダだけ、くらいに集中してないと、わたしは他の活動してたら
ヴェーダの練習のできる状態に自分を持っていくのが難しくなります。

他にすることがない、くらいの状態にしないと取り組みづらいような大きなエネルギーをヴェーダは持っていると思います。


今日、出先でいつのまにかかばんの中にねずみが入っていたらしく、
アパートの部屋に戻ってかばんをごそごそしたらねずみが飛び出してきて物陰に隠れました。

ちっちゃいかわいいねずみですが、
そういうのが一匹部屋のどこかにいると思うともう気になっちゃって、
完全に気持ちを持っていかれています。笑

大胆に出てきて走り回って、時々立ち上がって周りの様子を見たりしています。

うんことかしなかったら、そしてモノをかじらなければいてもいいんだけど、
共存は問題が起きてきそうなので、そのうちつかまえて元いたところに送り返そうと思います。

お手伝いさんは毒のビスケットを食べさせろといってますが。

彼女の家には30匹くらいいるらしい。
服をかじるんだって。

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【2012/01/19 01:19】 | 動物 | トラックバック(0) | コメント(3) |
海外への送金方法
知人に海外への送金方法を聞かれたのでここにも情報として書いときます。

以下メールより。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

海外からインドへの送金はウエスタンユニオンを使うという手があります。

http://www.westernunion.co.jp/jp/

プッタパルティのガネーシャゲートの向かいのお店ですぐに受け取れます。送って数分後とかに受け取れたような。

送り先の記入は India の Puttaparthi Saibaba ashram とかでいいと思います。

以前ウエスタンユニオンで送金してもらったときは、受取人の名前とパスポートナンバーを記入する必要もあったと思います。
送金者の身分証明書も必要みたいです。

でも今は変わってるかもしれないのでサイトで確認してください。

送金したら管理番号をもらうので、送金者は受取人にその番号を教えます。

そしたら、受取人はプッタパルティのウエスタンユニオンに行ってその番号を告げてパスポートを見せたら
すぐに現金を受け取れます。

プッタパルティで現金を受け取るときには1日何回までとか1回いくらまでとか、限度額があったと思うので、
受け取る人が直接プッタパルティのお店に行って聞いてみられたらいいと思います。

サイラム
古野SAWAKO

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


ウエスタンユニオンは郵便局や銀行を通して送金するよりも手軽だし、早くて安いと思います(送金金額にもよると思いますが)

今はセブン銀行でもできるようになってるみたいですね?



旅先で所持金がなくなったときの送金にはこのウエスタンユニオンが手軽で強いですが、

もっと落ち着いて長期滞在ということであれば、
海外で使えるビザカードやマスターカードを持っておいて、現地でキャッシングして支払いを日本でしてもらうという手や、(送金者に自分の銀行口座に振り込んでもらって、そこから引き落とされるようにしててもいいし)

私は新生銀行を使ってます。
新生銀行だったら日本のカードがそのままSBIのATMで使えるので。

新生銀行だと日本の口座に入ってるお金がインドのATMから現地通貨(ルピー)で引き出せます。
現地通貨での引き出しの手数料も4パーセントくらいだったと思います。

便利です。

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【2012/01/19 01:02】 | インド長期滞在情報 | トラックバック(0) | コメント(0) |
スピリチュアルな人々
昨日からかな?
ウエスタンキャンティーンで一緒に朝のキッチンセバをする人たちがアンデラプラデシュの人たちからケララの人たちに交代しました。

ケララの人たちはおだやかだなーーー。

アンデラのおばちゃんたちの強烈さのあとでは物足りなく感じてしまうくらい。

やっぱ、アンデラのワイルド系のおなちゃんたちは、きょーれつだわ。


アンデラのおばちゃんたちも素朴でおとなしいんですけど、そこに静かに座ってるおばちゃんの隣にいるだけでなぜか荒々しい大自然の隣に座ってるかのような気分になるという。

いってしまえばバイブレーション??





この動画をみて、アンデラのワイルドかつ素朴すぎるおばちゃんたちはまぎれもなく超スピリチュアルだと思いました。
だって自分に超正直、というか、自分と自分がいまだかつて分離したことが無いという感じ。


彼女たちがそこにいるだけで周囲に大自然を感じさせるゆえんでもあります。


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【2012/01/17 22:46】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
マカラサンクランティの午後。
楽しかったアシュラム滞在も今日で終わりにして、部屋を返して外のアパートに戻りました。

たぶん1ヶ月まで居れるんだけど、まあ、いいや、と思って。

いい気分転換になりました。

吉祥の日にアパートで再出発。



しかしアシュラムの中の部屋、売りに出されないかな。笑


一生アシュラムでいいわ。


売りに、といっても、所有権というより生きてる間の賃貸権が得られるというだけなんでしょうけど。

知り合いのオーストラリア人のおばあさん、数年前の誕生日にババから部屋もらったんだけど、
年金の都合でいつも年に半年だけ滞在してました。


アシュラムに移る前はサマディーロードの超豪華で広いアパートに住んでて快適だったけど、
アシュラムにもらった部屋はものすごくちっさい。
でも幸せ。

と、言っていました。


最近見ないけど、もう来ないのかな?



今日の午後はなんかゴータマシッダールタの劇してたみたいですけど、
私がいったときはもう終わっててバジャンしてました。

久しぶりに午前も午後もサマディーにお参りしました。
マカラサンクランティ?だからね。

午後は、午前に出すのを忘れてた手紙をサマディーにおいてきました。


もーちょっと考えて書けよって感じなんですが、
今日の内容は

「私を愛してください。
 私をあなたから愛される者にしてください。
 みんなを愛してください。
 みんなをあなたから愛される存在にしてください。
 そして私たちにそれ(あなたからの愛)に気づかせてください。」


今日のウエスタンキャンティーンの料理を給仕するお姉さん方はきれいな人が多かった。
目の保養。

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【2012/01/16 00:48】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
マカラサンクランティ
昨日がマカラサンクランティということらしいんですが、アガスティア暦では今日らしく、よくわかりません。

アシュラムでは今朝はブラスバンドのマーチングがあったり、
学生たちへのトロフィーの授与とかありました。

揚げた柔らかいせんべいみたいなプラサードも出た。
黒糖みたいな味がして、味わい深かったです。

プログラムの最後のほうにはババが講話してる様子のビデオが流れて、
バイブレーションが高すぎて。笑。うとうと居眠りしました。

そしたら居眠り中にひさしぶりにババの夢を見た。
夢と現実の間みたいな感覚ですが、
ババは、失くした何かを探していました。


ババは生きてるときにどれほどの失望を味わったのかなと思います。

私に関しても、一応一生懸命ババに集中してたんだけど、
ダルシャンでババの姿を見たらそれでOKな感じがして、実際、ダルシャンてすべてをリセットしてオッケーにするようなそれくらいのパワーがありますけど、

それ以上には私はなかなかあんまり動いてなかったなとか思います。

まあ、ババの姿があるときにはできるだけ見たり聞いたりして体験することは大事と思いますが、
ダルシャンとかでババに集中できた感じになって、それでよかったよかったとなっていたけど、
それでいいんだけど(しつこい?)

そこから先には動けなかったなあ。

ババがやろうと思うことに気持ちを合わせて、その手足となれるようなことがどれだけあっただろうか。
いや、ほとんどない。笑。笑うとこじゃないけど。

辛うじて、ヴェーダには携わらせてもらえたけど、
あれも手足となるというより、
引っ掛けてもらったおかげでむちゃくちゃ引っ張りあげてもらった感じです。

今もヴェーダにはものすごく助けられています。
そんななので、手足となるとかそういうことはちょっと言えない。

実際、私たちはババに対して何か出来ることってないんだろうと思います。
でも、彼の意思に関わるのを許してもらえたとき、彼はその接点を通して強力に私たちを浄化することが出来ると思う。

彼の手伝いって、彼の方便なんだろうな。

手伝わせるように見えるのはすべて私たちの利益のため、彼がその接点を通して私たちに与えたいものを与えられるようにするため、なんだろうと思います。

彼は彼の所有するすべてを分かち合いたいと思っているけど、私たちのキャパはあまりにも狭すぎて。

彼はすべてを持っていて、それをみんなにあげたいのに、欲しがる人もいないし受け取れる人もいない。



だから、なんとかみんなの気持ちをを自分に向けようとしてるんだと思います。
みんなのために。


ババはいったい私たちに何をくれたいんでしょう?


なぞ~~~。


今日はお参りのときにババの言葉を理解できるようにしてくださいと祈りました。

深すぎてわからんので。




言葉って、ホント、きっかけというかキーワードみたいなもので、
その言葉を支える膨大な世界観が人それぞれ違うので、同じ言葉を使ってても全然違う世界をそれぞれが見ていたりするので、

ババが使う言葉の意味するババの世界を少しでも体感できたらいいと思ったのです。



昨日の早朝キッチンセバでは5人くらい外国人が手伝いに来てました。
セバダルの交代のタイミングだからウエスタンキャンティーンが募集をかけたのかも。

中国系、イタリア、オーストラリアなどの国から来てました。

イタリアの女性はニコニコ柔和でしたが、中華系の男性が爆発したようなパパイヤについて、

「これはパパイヤのトレインアクシデントか?カーアクシデントか?」

などと笑えないギャグを言っていたのにはさすがに彼女の笑いも曇ってました。



今朝はさらに増えて、10人くらいの外国人がフルーツカッティングに手伝いに来ていました。

外国人が増えるとゴミとかがあまり床に落ちないので作業の後もきれい。

みんな楽しそうにセバをやってるので私も楽しかった。

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【2012/01/15 17:53】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ビブーティー
そういえば、ちょっと前に知人が、ババが埋葬されたときに穴の上にかけられたビブーティーをくれたので、夕食前にちょっとなめてみました。

これで私のじんせいもあがなわれただろうか!?

いい香りがしました。

実はなめたの2回目だけど。
葬式の日くらいにも少しもらったのでなめた記憶がある。

ばば~~~。笑


もとだんなは、昨日変な夢を見たといっていました。
行方不明になった自分を自分が探すたびに出る夢だったらしい。

なんだ?その、青春小説みたいな内容は。


そんで、みつけるためのアイデアとして、「サイババの木」のところに行ったらいい、ということで、
サイババの木のとこに行こうとしたら途中で目が覚めたらしいです。



彼は主名が生まれてしばらくしてから夢でプレマサイに「もっとしっかりしろ!」怒られたらしいです。

今はますますしっかりしてないというか、問題外な感じだけど。



主名と今日電話でしゃべってたらどうも泣かせてしまったかも?
私と会えんでさびしいとかじゃ全然なくて、声がすごく怖かったらしい。

いや、怒ってたわけじゃないんですが、
なんかぶれた空気が伝わってくると思わず拒絶反応というか、妙に腹が据わった重鎮みたいな感じになってしまって、声がどすが利いて堅くなるのです。

それって、怒ってるということなんだろうか。


主名は日本にどっぷりはまってて、もう私ともしゃべりたがらないほどです。
日本とインドじゃ、空気感が違いすぎるからしだいに交わらなくなるのかも。

それならそれでいいと思う私もいるし、
らくだから。

でも、立場的に、私が彼をしっかり引っ張らないといけないんだろうか?と、
そういうのがいつもいつも悩ましいです。どこで線引きをしたらいいんだろう?


日本にはまって、むしろインドにいるよりも神聖な生活が出来るならそれは最高なんだけど、
やっぱそうではないので、
自分自身のこととして気にしだすと怒りにも似たものや、落ち込みが来たりします。

彼は特に神様ごとから離れると普通以上に将来やばいと複数方向から言われているので。

だから、プッタパルティにいさせてたというのもあります。


どうしてみんなそうなんでしょう???
なんでそんなにはまっちゃうの?

それとも私もほかの人にそう思われてても気がついてないだけなんでしょうか。


わたし、人に何かやらせるとか勧めるとか、本当に好きじゃなかったんだけど、
子供を持つとやっぱなんやかんやかかわるようになって、他人と自分との間の心地よい自由な距離感みたいなものが保てなくなってきてます。

本当に不思議。


今は人との距離感とらなさすぎで、だから引っ張ったり引っ張られたりして常にぐらぐらしてるかんじ。


さてこの距離感はあったほうがいいのか、ないほうがいいのか微妙ですよね。
その時の状況によるって感じでしょうか。


インド人て距離感ないですよね!



「わたしって馬鹿だよね」と、同居人に聞いたら
「う~ん、打算とか、ないからなあ」と言われました。
「でも、人間社会はそうじゃないからなあ」と。

わたしはつくづく自分で馬鹿と思うことが良くあるのですが、
自分はいつから人間社会に適応できなくなったんだろう。
適応する必要もないのかもしれないけど。

人と人って、うまく気持ちをなだめたりすかしたりして相手の気持ちに沿いつつ最終的には自分の望むように物事を動かしたりするみたいですが、
私はそういうのがいつの日からか出来なくなってしまって、
どかーん、と、まともに自分をぶつけて終わり、みたいなのが良くあります。

壊れるもんなら壊れてしまえ、というのが根本にあるのかもしれない。


そんで、だいたいぶち壊しになる。



どうも、人と接するようには出来てないのかも。



それと、うすうす思ってたんだけど、私のメンタリティってどうもおっさんのそれのような気がする。
「俺は男だ」と試しに思ってみたら、なんかすごくすっきりしてつじつまが合って、世界が明るく見える気がする。笑

でも日本人男性は人によく合わせる人が多いけど。


わたしはダメなときは1秒もしゃべったり反応したりできないという。
よく、完全無視や完全拒否して空気を凍らせているらしい。

自分ではそれが日常なので記憶にないんだけど、
その場に居合わせると印象が強烈らしいです。


いつからこうなったのかな?



今日は吉祥のマカラサンクランティでした。
が、アガスティア暦では15日の朝7時かららしいです。
アガスティア暦では15日はずっと吉祥らしい。
特に明日15日は11時から12時あたりや、

午後2時から4時とか、いいらしい。

マカラサンクランティのときは家の出入り口の前などに色の粉でかわいい絵があちこちにかかれてて、素敵。
ほんとかわいい。
私はああゆう感じの絵が好きなので、デザインを記録して自分でどこかに描こうかなとかよく思いますが、面倒なので決してやらないです。



今日はどうも自分を振り返る日だったらしく私は。
普通なかんじの人になりたいと小さいころから思って努力していたのに、なんでこんなに極端になってしまってるんだろうと思って人生に疲れました。(←つじつま合ってますね)

一方で、自分てすごく無個性で普通、という自己認識もいつもあります。

自分て無個性、という気持ちはいつもある。
つまんない人だといつも思っていました。

今も似たようなもんですが、
つまんなくないと思って不思議な憧れをもっていた周囲の人たち(なぜみんな、独特のことをしゃべったり、動いたりできるのだろうと思っていた)を不思議に思う気持ちは、消えて、

人生に疲れた私だけがここにいます。笑



人生のすべてが夢なら、もうちょっとうまく夢を見て楽しみたいものだ。




私があこがれた普通って、たぶん、人とうまく交流することじゃないかなと思う。

私が自分で思っていた普通でつまらない自分て、自己完結してて他人と比較しないゆえに自分自身の個人性を認識することも出来ない状態なんじゃないかなと思います。



子供と電話して、いかに自分が「普通に」人と交流してないかが自覚されました。
子供も怖がってるし。笑

私も困惑。

でも、相手に合わせることもできないんですよね。



いつからこんなだろうと思うと、
程度の違いこそあれ、昔からな気もします。


昔はそれでよかったので「無口な人」としてスッキリしてましたが、
今は交流したいという欲があるのでおかしな感じになっている。


スッキリしておいても、いいような気はする。

たとえ、子供と交流できなくても。笑




人との交流がうまくいかなくても、神とはいつでも交流できるからそれでいいのかも。

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【2012/01/15 02:12】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
潜在意識に入ってた?
早く寝ようと思いつつ、もう11時半。あれ~~~?

今朝のキャンティーンセバで西洋人スタッフとしゃべってて、パイナップルのポチポチを取り除くことに関して話してて。また。笑

わたしが「でも今はたくさんの人が出来るようになりました」と言ったら、

「あなたから学んだのね」
と言われたので「さあ、知らないけど」と答えつつ、

確かに、セバダルの任期の2週間ほどの、1週間以上過ぎたときに私が参加しだして、あの壊滅的な状況だったけど、(パイナップルの黒いポチポチを取ることに関して)


私が参加してから数日で、私が遅れて行っても結構問題なく作業が進められてるということは、
私がやってるのをみんな見て、
「私にも出来る」
と思ったんじゃないかな、と思いました。

だって、それくらい悲惨な状況だったから。任期の1週間以上もすぎたタイミングだったのに。


私はもしかしたら、私がやってることを見てる人に「あの人がやってることは私にも出来そう」と思わす才能があるのかもしれない、、、と、思った。笑

可能性のバリアフリー。爆


昔絵を描いてたときも、私が描いたイラストを見て、「これなら私にも出来そう」と思って、自分でも何かやってみたくなった人、多かったと思います。

実際、「私にも描けそう」と言われた。笑

単純で、子供が描いたみたいな絵だったから。


「なんであんなつまらん人ができるわけ?キーーー!」
と思われるパターンもあるんだけど。

力ないのに妙にいい立ち位置にいたりとかで。


でも、そんなふうに、彼女が出来るなら私にも出来るんだろうと知らない間に思われてることも多そう。
私を見て、自分のほうが出来そう、と、やる気が出る。

そんで、たぶんそれ正解。笑


なんか、わたしって、伝わりやすいもの、人の潜在意識に入りやすいものがあるのかもな、と思った今朝でした。



今日もだいたい幸せでした。
ここのアシュラムにだったら死ぬまで一生住んでもいいわーと思います。

アシュラムって、危険。笑 完全に満足しちゃう。


前、ラマナのアシュラムに泊まったときも、
ちっちゃーい個室にいたんですが、やっぱり、「ここに死ぬまで住んでもいい」という感じがしました。


なんもないから、逆に充実した気持ちになるんでしょうかね?



↓記事とはあんまり関係ないけどSSOJメルマガより、シュリ、D.キラン氏の体験談。

http://www.sathyasai.or.jp/mmg_cnt/201108/experience1.html

神に無関心でいないで。待ってま~す。 By 神

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【2012/01/14 03:29】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
眠くてちょっと眠った。
ここしばらくなぜか2~4時間睡眠で、昼寝もせずにずっといたのですがさすがに今日は眠くなって昼間1時間くらい寝ました。

朝のキャンティーンセバ、、、フルーツのカッティングセバ(ボランティア)はまだ続いています。

今来てるセバダルはアンデラプラデシュ州の各地から来てる人たちらしく、
つまり地元民ぽい人たち。15日までするらしい。

アシュラムにはインドの各州から半月づつ交代でセバグループがやってくるのですが、
一年のうちにいつの時期に来るかは固定らしいです。

他の州のセバダルは1年に1回、半月の任期だけど、アンデラプラデシュの人たちは1年に3回来るらしいです。

ババの誕生日を含む、11月15日からの半月も自分たちの期間だと、一緒にフルーツカッティングをしてるセバダルは誇らしげに言っていました。

そうなのかー。知らなかったよ。


キャンティーンの朝セバに参加してみて、
最初は自分の能力の高さに驚いた。爆

というか、日本人の?

セバダルのワイルド系のおばちゃんたちは畏敬の念を覚えるほど、ウエスタンキャンティーンで望まれるフルーツの切り方ができなかった。

教える西洋人が何度も何度もやって見せてもダメだった。

フルーツはおばちゃんたちの手の中でもまれてぐずぐずに崩れてどんどん小さくなっていった。

時間ばかりがいたずらに過ぎていき、多少不穏な空気が西洋人スタッフとインド人セバダルたちの間に流れていました。


たぶん、根本的な何かがぜんぜん違うんだと思います。

そのダメさは繰り返しになるけど私に畏敬の念を覚えさせるレベルでした。

人知の及ばない大自然を見るような?笑


何度も西洋人にダメだしされて、そのうち横のおばちゃん(おばあちゃん)は小さくバジャンを歌いだして、

「あ、別の世界に行った」

と思っておばちゃんを見たらこっちを見てにやりと笑いました。


そして私は悲しき日本人。

相手の求めることを察知して、わたしはまたこれが自分で言うのもなんだけど手先が器用なもんだから、
そして完ぺき主義なもんだから、

必要以上に美しくパイナップルを切り上げるのでした。


なんか、パイナップルの皮をむいたあとに、とげとげのポチポチが残るので、それは斜線上に点在するので、
ナイフで斜めの平行線の溝を掘ってポチポチを取り除いたら美しい斜線の模様つきのパイナップルが出来上がるのです。

それは、そうやるように言われてやったんですけど、エッジも立ってて美しい。。。笑

他にパパイヤやバナナ、レモンのカットもして、


西洋人スタッフは「日本人はいつもすごくきちーーんと仕事をして、ハードワーカーで、、、」とつぶやいていました。



かなり満足してすがすがしい気分で初日を終えて、

翌日行ってみると、ポチポチを取り除かれるのを待ってる状態のパイナップルが山盛り。

「みんなあなたを待ってたよ!」

とかインド人たちに言われ、これはまずい。。。と思いつつせっせとパイナップルのぽちぽちを取り除きました。



前日にもまして効率よくせっせと(あくせくと)作業をしていたのですが、

これって、なんか雰囲気逆に良くなくしてない?とか思って、
無駄な動きを抑えてゆったり動きながらも効率よく作業するように心がけました。


共鳴効果か?
インド人セバダルたちも壊滅的ではなくなってきて、Okなかんじにカットできるようになった人が増えた気がしました。


思ったのが、わたしは上手にできると思って自負心がちょっと出てたけど、
それもこっけいだな、と。

だって、ウエスタンキャンティーンなんか、たぶん20年くらい前からずっと続いてるわけでしょう?

そんで、そのつどそのつどいろんな人が入れ替わり立ち代り食事を作る作業に当たってきたわけだから、
もちろん、今までは私は手伝ってなかったし、これからも私がいなくてもまったく問題なくキャンティーンは続いていくわけ。

なのに1日やっただけで他の人はダメだから自分がやらなきゃみたいな自負を持ったのはおかしいな、と。

常に役割は入れ替え可能だということを心に留めようと思いました。
私がやらなかったら違う誰かがその役割をしにくる。私じゃなきゃダメということは全然ないということを。

でも自分がその役割になったときにはある意味チャンスだから、
楽しんでベストを尽くすわけだけど、
私じゃなくてもいいというのをいつも覚えていないといけないな、と、そのときなぜか思いました。


その次の日は少し遅めに行ったら、私が来るか来ないかわからなかったので
パイナップルのポチポチ取りはみんながやってて半分くらい終わってました。

でもわりと手際よく進められていました。

それがなんか、いいことだと思いました。


これが私ががんばってみんなの分までやっちゃってたら私しかできなくなるし。
でも、私がそれなりにやってたらそれなりに他の人も助かるみたいだし、
(根本的なコンセプトがわからないまま作業して、何度も注意され続けるのはやっぱイヤでしょう)

なんとなく他の人も自分たちのやってる作業の意味がわかってきて出来るようになって来て。

そういうのが、いいな、良かった、と思いました。


そんでこの日はとてもゆったりとリラックスしたかんじで作業が行われ、
途中みんなでバジャンを歌いながらやってました。
だからとても楽しかった。

バジャンを歌いながらやると不思議とさらに効率が上がっていました。


朝のフルーツカッティングは結構楽しいです。
基本5時からだけど、途中プラサードの水をみんなに飲ませに回ってきたり、お茶やコーヒーも出るし、
7時半とか8時前にフルーツサラダが作り終わって、
私はそれでもう帰ることにしてるんですけど、

そんで、サウスインディアンキャンティーンに朝食を食べに行って、
(朝ごはんはサウスのウプマが好き)

8時からのサイクルワントホールのヴェーダチャンティングとバジャンに参加し、
サマディーにお参りしてくるという。

なんか、一日が成功から始まる感じ。



昼過ぎとかに起きたらすぐに夜になって、なんか残念な失われたかんじだけど、


朝からこれだけ充実してたらさすがに楽しい。



昨日はスポーツデーで、ウエスタンの朝食はなかったのでセバも休みました。

今朝はまた行った。


今日は大丈夫だったけど、
睡眠時間2時間とかで行くと、さすがに朝食後のヴェーダチャンティングでは眠たくなって、

ルッドラムのナマカムは大体覚えてるので見ないで唱えてたら猛烈に眠くなり、
意識は寝てるけど口は唱え続けてる状態で、

でも完璧に覚えてるわけじゃないので結構違うことを唱えてる自覚はあるんだけど、眠くて口を止められない状態。

あれ、録音して聞きなおしたりすることがあったら恐ろしいかも。



アシュラム生活はやっぱ素敵。

ババが亡くなったあとに日本に行ったら、会う人ごとによく、ババが亡くなった後はやっぱり来る人が少なくなって良くない感じになったかと心配そうに聞かれることが多かったのですが、

人が少なくなって毎日の時間割も決まってて、
(ババが存命の頃は毎日何が起こるかわからない感じでいつも臨戦態勢で、時間もフレキシブルだった)

ババが存命の頃ははっきり言ってババだけがプラシャンティ(至高の平安)で、周りの人々はババを中心にかき回されまくってカルマ大放出のてんやわんや状態だったけど、

今はアシュラムはほんとに名前のとおりのプラシャンティになった気がします。

滞在したらほんとに平安な気持ちになる。



心のざわめきが静かにおさまっていく感じで、最高です。



住んでる人もあちこちに出て行って空き部屋も多くなったので、ほんとかどうかは知らないけど部屋が売りに出されるとかいう話を小耳に挟んだりするけど、たぶん審査とかあるんで無理だろうけど、
買えるもんなら買って、ずっとアシュラムの中に滞在できたらいいだろうなーとは思います。

買うとかいってもたぶん自分のものになるわけではないんですよねたぶん。
住む権利を得るという感じなんだろうと思います。


いやしかし、アシュラム暮らしはいいですね。

最初の一回だけバケツの水を沸かして使ったけど、
2回目からは面倒になったので水を浴びてます。



最初アシュラムの今の部屋に入ったときは、まだ0歳児だった子供を一人でつれて来て2ヶ月間、アシュラムに滞在したときの空気感がよみがえり、なんとも懐かしいかんじがしました。

子供は喘息、アトピー、下痢、じんましん、高熱など、病気の連続でものすごく大変な地獄のような滞在だったんだけど、(入院もした)
懐かしい感じでしか思い出されないのはどういうマジックだ?


そしてアコモデーションで適当に与えられたこの部屋は結婚直前9~10年前にもとだんなと滞在したまさにその同じ部屋だったのも奇遇すぎです。(アガスティアの葉の指示で、チェンナイのあたりの寺で超簡単な結婚の儀式はすでにしていた)
見覚えのある中庭の木の角度。
ドアに貼ってある色あせたいくつかのシールが記憶の底をゆすります。

人生って不思議。

アシュラムの外人向けのこういう部屋って何百かあるんだろうに。

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【2012/01/12 22:53】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
なおみさんのブログ紹介
インド人の方と結婚され、7~8年前からプッタパルティに住みながら2人の娘さんの育児に奮闘中のなおみさんのブログです。

なおみのブログ

はじめに書かれたおばあちゃんの亡くなった時の記事に感動。

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【2012/01/12 14:19】 | 他ブログ紹介 | トラックバック(0) | コメント(0) |
早朝キャンティーンセバ2回目
昨日に引き続いて、今日も早朝5時からの、ウエスタンキャンティーンのキッチンセバに行ってきました。

昨日と同じく、フルーツサラダのための大量のフルーツをカットしたりする仕事で、2回目なので要領もわかり、
一緒にやってるインド人のセバダルたちも要領がわかって分担できて、昨日よりも15分くらい早く終わりました。

8時15分前くらいに終わったので、
サウスに朝食を食べに行き、そのあとサイクルワントホールのチャンティングに加わりました。

昨日、最前列に座ったら前の人に遠慮せずに気兼ねなくチャンティングできるということがわかったので、
今日も最前列に座って唱えていました。

今日はガネーシャ・ルッドラム・プルシャスークタムのあとはシクシャヴァリーでした。
久しぶりにテキスト見ながら唱えたら後半は結構怪しいとこが連発でした。
いったん唱えられるようになっても、人に教えずにいたら確実に忘れます。

人に教えるというか、伝えて始めて自分に定着するんだなとつくづく思います。

シクシャヴァリー、長いなと思いながら唱えてたんですが、
時間内に終わらずに途中で終えられてました。

たぶん午後は続きから唱え始めるんだろうと思います。



そのあとのバジャンは、あんまり有名じゃないけど私の好きなガネーシャバジャンで始まったのでおっ、と思いました。
途中、マンガラムルティモ~~~リヤ と、なるやつ。

最後のほうにも難しいけど好きなバジャンが出てきました。

ワナマ~~リ ヴァ~~~スデ~ヴァ ジャガモーハナ ラーダーラマナ~~~~
みたいなやつ。

これを歌いこなせるにはあと2段階くらいステージが上がらないと無理そう。

ジャガンモーハナーーーラーダーラマナ~~~~




バジャンが聞けるサイト。

http://prasanthi-mandir-bhajan.net/00Index.htm#H392

今日のバジャンあるかなと思って、
上のほうの「here」からいける裏サイトで探してみてますけどいまだ見つけられず。

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【2012/01/09 16:18】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
バルビカスのなんかプログラム
今日の午後はバルビカスのなんかプログラムがありました。


スピーチ?と音楽プログラムと、みたいな。

音楽は、あれってタブラーかな。太鼓をてこてこ叩きつつ、口でもなんか言ってて、
アカンダジョーティがなんとか、サッティヤサイババ、アカンダジョーティー、繰り返し太鼓の口で表現して言うやつにまぜて言っていました。
アカンダジョーティー、消えない光、みたいな?

まー、サイババは美しいものをたくさん残していったなと思い、感動しました。

ババが亡くなったあともこんなに多くの人が心からババを思って祈りをささげている。

ババの肉体はもうないけど、
今日も人がホールの後ろのほうまでいっぱいで、音楽プログラムもなんかしらんいいかんじで、
なんかしらんよかったです。

ラドゥーがプラサードとして配られました。


これは、不滅だな、と思いました。
みんなの心の中にすでにババが息づいてるので。

死はババの新しいミッションの始まりですみたいなことをマイクで言っていたような。

わるいけど、(別にわるくないけど)私もそんな感じがします。


ババの美しさが、ババの死後にもいろいろ思い知らされるかんじがありますが、
というのはもう追っかける必要もないし(笑)ちょっと冷静になって客観視できるから?

わたしももっと彼の美しさが見えて、感じられるといいなと思います。


別に死後に美化してるわけではないと思うけど、
ババは本当に美しい存在だったような気がします。

そしていままた人々の心を微調整したあと、ひとつにつなげようとしてるようにも思えます。


私たちはあまりにもババを理解してなかったし、見えてなかったんだろうなと思います。
いまもそう(見えてない)なんですが。


たぶん永遠に見えないしわからないんだろうと思いますが、
ホールに満ちた人々の様子を見ると、ああ、美しいなと思います。
みんなの様子を見て、彼がどんなに多くの人々から愛されていて、
きっとそれはそれ以上の深い愛を彼があらゆる人に放っていたからなんだろうなと思います。

彼を思う人たちを見るとき、彼をそこに見るような気がします。

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【2012/01/09 01:59】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
うっそー。
うっそー、3時間くらいかけて書いた記事消えた。バックアップ機能も働かず。

今朝は5時に起きれたのでウエスタンキャンティーンのキッチンセバに行きました。以上。
【2012/01/08 20:04】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ややこしい話の効用
今日の夜はバルビカスのプログラムがあったみたいで、いつもより30分くらい遅く終わりました。
きな粉を四角く固めたみたいなプラサードが配られました。

終わってから、今日は久しぶりにサウスで夕食を食べました。
チャパティと、カードライス。

と、ホットミルク。

サウスのご飯はあっさりしてるのでその点、体が楽です。

チャパティなんかものすごく素朴だけど、食べてるうちになんか幸せエッセンスみたいなものがじんわりと体に広がって元気になる感じがします。

食べてたらヴェーダ関係の知り合いのインド人のおばちゃんが来て、横に座って一緒に食べながらしゃべりました。


しゃべったあと、なんだかずいぶん元気をもらったような気がして、
何しゃべってたかというと、そのおばちゃんがインド人なのにインド人にだまされて数百ルピーをとられたとか、そういう話をちょっと聞いてよ!みたいにしてきたので

ややこしい話ってみんなすっごい熱心に話すので。笑 だから3割くらいの集中力で聞いてたんですが、
わたしには今そういう話が必要だったのかもと思いました。

神聖なものに集中しすぎると結構簡単に現実から遊離して離人症?みたいになるのでわたし。
一人でいるといくらでも自分の中に入っていけてしまうので。

そしたら生きてるのが心底いやになって、現実に反応できなくなってくる。


子供の世話とかしてたら常に雑音があって集中できないし、気をそらされるので、そういう意味ではここで子供といるのはバランスが取れていいんですよね。



今日はおばちゃんのややこしい話をきいて、地に足が着いた感じ。笑

ああ、みんながわたしを地上に結び付けてくれる。爆



プッタパルティの様子や最新動画がチェックできます。↓

ザ・プラシャンティレポーター

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【2012/01/07 23:51】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
2009年、アイザック・タイグレット氏による講演 in ダラス
アシュラムに泊まるのは素敵なことです。
インドにいるとそのままでいていい感じがするのですが、
アシュラムの中ではそのままの自分がさらにふわりと優しく守られて包まれているかのようです。

今朝のサマディーダルシャンでは、あなたの意思を表現できますようにという祈りが出てきました。

その後また頼まれもの購入のためにショッピングセンターへと行きました。


アシュラムの部屋に戻ろうと階段を上がっていると、
やはりあのすべてを一瞬で一変させてしまうサイババのダルシャンはサイババ以外によっては不可能だという思いが湧きました。

ダルシャンのその場にいるとその場の全体が一気に変容するので、圧倒的に強烈でありながらもあまりにも自然でしたが、
そしてそれが毎日毎回延々と繰り返されていたので
ものすごいことが毎回起こっている、これはものすごく貴重な機会で、一瞬も無駄にしてはいけないと知ってはいたものの、
それにもなれて当たり前のようになっていたことは否めません。

失ってしまってから初めて気がつく、あの、ありえなさ。


ありえない、サイババの超絶的な存在感。



アイザック タィグレット氏(もと、ハードロックカフェのオーナー)による講演

http://www.sathyasai.or.jp/mmg_cnt/201201/topic.html


帰依者とアイザック タィグレット氏による質疑応答

http://www.sathyasai.or.jp/mmg_cnt/20121/topic3.html


SSOJ メルマガより

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【2012/01/07 16:08】 | 記事紹介 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ちょい?情緒不安定。
今朝はサマディーダルシャンのあとに、ショッピングセンターに行って、頼まれ物やら自分のものやらいろいろ買い込みました。

昼はアパートで用事をしてたらキャンティーンに行きそこなったので、サイスーリャでバターオニオンドーサを食べました。

とてもおいしゅうございました。笑

今まではドーサをちぎってチャツネやサンバルにつけて食べてたんですが、
今日は最後のほうはドーサにサンバルをドバドバかけてぐちゃぐちゃ状態でたべました。

これ、くせになりそう。
おいしかった。


12月にインドに戻ってからずっと、アシュラムの中にしばらく泊まりたいなと思っていたのですが、機会を逃していて、
今日はもう、このタイミングしかないだろうという感じで今日から9日間アシュラムの中に滞在することにしました。


やっぱり、アシュラムの中は最高です。
プッタパルティはなんか、行き詰ったときに帰る実家みたいなものになってるんですが、
アシュラムの中はさらに実家の中の実家みたいなかんじで、さらに切羽詰ったときとか、笑
あと、単に気分転換したいときとかにわざわざ泊まるんですが、
(前回はババが亡くなった時に、外がざわつきすぎてたのと、自分の気分も静寂の中にバランスをとろうと思って、しばらく泊まってました。)

なんともいえない安心感があります。


やっぱ、外に滞在するのとは気分が全然違う。


こうやってアシュラムの中の人になると、昔のような新鮮な楽しい気持ちもよみがえってくるし、
プッタパルティに着いて浮き浮きとしっぱなしの開きっぱなしの
ミラクルな日々。


今到着した人たちやこれからそれぞれの場所に帰る人たちの様子が自分のこととして感じられて、
たまにプッタパルティにくることのどんなに楽しく、奇跡的な気分だったかというのがよく思い出されました。

なんでわたし、住んじゃってるんだろう?とか思いますけど。

間違いなく楽しい高揚した場所だと思いますここは。
常にプージャを100個くらい自分に対してし続けているかのような。
そんな高揚感。


最近どうも感じ易すぎる状態になってるのかもしれないなと思うんですけど、

しかしキャンティーンに入るまでに、あることをきっかけにものすごい孤独と寂しさを感じ、
夕食を食べつつウエスタンキャンティーンで涙をぬぐっていました。(ここではそういう人よくいます。笑)

最近いつも呆然とした感じではあるんですけど、(昔からかもしれないけど)
食べ終わってなんとも形容しがたい、解放と集中が同時に行われているような状態で、
キッチンを通って外に出ようとしたら、

洗った食器を拭く仕事がまだまだ終わらなさそうだったので、
ふらふらと誘い込まれるかのように、その拭く人たちに混じってしばらく洗いあがった食器を拭いてました。

拭きながら、人生があまりにもむなしいみたいな気分になって、
(プッタパルティで好きなことしててこれなので、日本にいたら常に自分という存在が消滅するのを希望の心理状態かも??というか実際そうだったかも)

確かにこうやってセバしてたら悪いことはしてない感じだけど、誰とも交わっていないかのような猛烈な孤独感に襲われるときがあります。
たぶん、それが人間本来の自由で解放された状態の一形態なのかもしれないんですけど、微妙。



しばらくして拭く作業が終わったので帰ろうとしたら、
横で拭いてた、ほかの人たちにあれこれ指図して怖い感じの黒いサリーの老年のインド人の女性が思いがけず、

サンキュー、ディアーー、、、、、(ありがとう、親愛なる人よ、みたいな?)
といい、感謝のまなざしでまるで感謝の祈りの表情でわたしに対してまっすぐに入ってきて、、

チュッ、と、投げキッスをされました。笑


この人、以前から見てていつも、すごく険しい顔をしてる、実際口調とかきついし、
見るからに自分に対してもきつそうで、あんまり近寄りたくない感じだったんで、

今日の優しい言葉と投げキッスはかなりのインパクトがありました。

そんでまた、それはわたしよりも孤独な人がわたしに対して働きかけてくれたみたいな感じがして、
正直すごく感動したのですが、胸の中を揺さぶられてかき回された感じになっちゃって、
動揺してどうしようもないかんじでめそめそしつつ部屋に歩いて戻る途中に、

あ、しまった、水がないや、と思って、
でも食後にセバしてたのでお店ももうみんな閉まってて、
まあいいや、コップに外の浄水装置の水を汲んできて使おう、と思いつつ帰りました。

そしたら閉まってた売店のひとつのドアの隙間から明かりが漏れていたので、
ドアを開けて、

すみません、お水買ってもいいですか?

と聞いたら中にいたおじさんがペットボトルの水を出してくれました。


実はこのおじさんはパパ友で。爆

主名がイーシュワランマスクールの受験で書類を取りに行ったりなんやかんやで通ってたときに
このおじさんも息子のことで来てて、それからよく教育の状況についてなど、顔を合わせるたびにしゃべるようになりました。

そのおじさんとひとしきり主名のことをしゃべって、
その場を去り、

ああ、私は孤独だと思っていたけど、アシュラムのスタッフこそ孤独な人たちばかりで、
そういうような人たちとばかりバイブレーションがつながってしまうのは、
わたしも孤独なアシュラム永遠ボランティア組か!?

などと思いました。

孤独というか、なにか孤高のものをみんな携えているような気はします。

問題や喪失があったりする人も多いと思う。



ちなみに売店のおじさんは知的障害というんでしょうか?言葉がおかしかったらすみませんが、
イーシュワランマスクールを受験した息子のほかに、いつもウオーとかすごい大声で叫んでる息子もいます。

ウエスタンでいつもセバしてる、今日わたしに衝撃の投げキッスをしてきた
いかにも厳しい精神状態にありそうな自分を罰しているかのような年配の女性も
普通に楽しく暮らしてて、ああはならないだろうと、勝手ながら思います。

ほかにもウエスタンの主要スタッフでは、やはり障害を持つ娘がいて、プッタパルティに娘とともに居たんだけど、その娘が亡くなった後に、ずっと献身的にスタッフの仕事をしてるらしいよと聞いた年配の西洋人もあります。
その人もツンツンして結構きつめな感じですが。

しかし、ずっとこんなとこでスタッフをするくらいだから、特に外国人はまあ、普通じゃないし、
こんなとこのスタッフというなんともいえない立場に自分をなじませることができるくらい、
何もかも失ったような気分になったことがある人が多いのかもしれません。

わたしが前住んでたアパートの部屋の隣の部屋のおばあちゃんも、
サウスのスタッフで、充分おばあさんなのにすごい長時間働いてましたが、
だんなさんは別の聖者のアシュラムにいるとか言っていたかな。
彼女とはなんだかんだとよく立ち話をしまくったものでした。

インド人女性で、しかも年配で、だんなさんとすすむ方向を別にするというのはほとんど死を意味するくらいのものなのかも。

インド人の奥さんは、だんなさんからの独立を、このようにアシュラムの生活に支えられつつ実現していっている人が意外にもたくさんいる印象です。

どんなに不安定で孤独で、でも自由にあふれて冒険気分なことだろう、と思います。

ヴェーダを一緒に習ってたおばちゃんたちの中にもそういう人が数名いました。
その代償は小さくはないし、ものすごくきつい思いをしたり、恐ろしい孤独感や不安定な気持ちを感じたこともあっただろうと思います。

でも、そうして手に入れる、自分が自分である感じというのは孤独や不安定さを痛みとともにではあるかもしれないけど、
優しく抱き取れる強さを彼女たちに与えてくれていると思います。


自分が自分である感じというのはババを愛するときに同時にもたらされる喜びで、
一度それを味わってしまうと、どんなに女性としてのルールだとか世間の枠組みだとか、

そういうものに身動きが取れなくなって有無を言わさず服従させられている場合も多いインドの女性たちにも
なにが自分にとっての真実かを疑いの余地なく示してしまうのでしょう。

その光の歓喜を知ってしまった後では残念ながらもう自分をだますことができません。


だまされて、自分をだましていたほうがよっぽど幸せだったと弱音をいいたくなるときもあるかもしれません。


守るものが何もなくなってしまうのだから。自分からその共同想像の幻想を後にしてきてしまったのだから。

なにが彼女たちをそうさせたのか、と考えると、やはりババに会い、彼を見たときに感じた比類のない愛のすさまじさのリアリティ。
そしてそれを胸に保持する彼女たちの純粋さという強さ。信頼するという強さ。


男性たちもそうなんでしょうけど、
女性たちも数々のドラマをくぐり抜けて、この真実の場所に来ました。


彼女たちを守るものは何もなく、純粋な孤独がそこにあるとき、ババが直接彼女たちを守ります。

そういう、研ぎ澄まされた剣の先のようなきらりと、あるいは不気味にぬらりと光る個人個人の至高の孤独が、
この場所では基礎となってもいます。

あまりにもそれが美しくも怖いので、
ときどきつらいです。


でもそれらの恐ろしい孤独をババとの結びつきに変えて、
ババにずぶずぶと馴染みつつ入り込んでいき、

いつかは彼自身の至高の孤独を共有するときが来るのでしょう。



わたしはその孤独がほんとにいやで。笑



でも今日はそのような恐ろしくも美しい孤独ばかりを感じる夜だったので、
その孤独は孤高の性質だと知りながらも泣くしかできない感じでした。


ウエスタンキャンティーンに行く前はああ、やっぱりアシュラムの中って最高に素敵、みんなが楽しそうで幸せの中にいる。と思って、
ついうっかり、いろんなものを解除してリラックスしたらとんでもないものに切り替わった感じ。困惑するくらいによく泣けた。

なんかほんとにいろんなことが一気に来すぎて、私自身まだ混乱の中にいるのかもしれないなと思います。


この混乱の地平線から朝日は昇るのだろうか?



全託の祈り FROM SSOJメルマガ

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【2012/01/07 04:26】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ア・コース・イン・ミラクルズの追加情報
ア・コース・イン・ミラクルズを20年以上前に原書で購入したという方から邦訳の追加情報をいただいたのでここにご紹介します。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


SAWAKOさんのブログではワークブックは紹介されていませんでしたが、

米国在住で時々日本に来てアコースインミラクルズのワークショップを開いている香咲弥須子によるワークブック翻訳・解説の本があります。

また、http://www.jacim.com/acim/の加藤三代子さんによる翻訳で「奇跡講座・ワークブック編」も昨年(2011年)12月15日に出版されました。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


ありがとうございます。



Celebration in the Temple of Healing from Sairamark on Vimeo.





ちなみに、『ア コース イン ミラクルズ』は、ババが口述したのだと、ババ自身が、テッドさんという人に、色んな機会に、数回にわたって仰ったそうです。

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【2012/01/05 04:49】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) |
朝の2回サマディー参り
今朝はやること(→占星術ブログの記事を今朝の7時までの吉祥の時間にアップしたかった)
があったので朝5時半におきて用事をして、
サウスインディアンキャンティーンに朝ごはんを食べに行きました。

今日はおたまに1ぱいだけのウプマにしました。
やっぱ、1ぱいがちょうどいい量でした。
食後も動きやすい。笑

と、ミルクティーと。


で、食後はすでにバジャンが始まってたのでホールに座りに行きました。

最後から2番目の曲、バーラカローーーーウダーーラカローーーーー
でしたっけ?

大阪センターでよく歌われてたなーと思って懐かしく思いました。


最後の曲はなんだったっけーーーーー。
メジャーな曲で、あ、そうそう、こんな曲あった、と思って、歌えるようになりたいなと思ったんだけど、
どんな曲だったか忘れちゃったな。

最初がRで始まったような気がする。。。



サマディーダルシャンを、端っこでお参りするための人気薄の、でもさっさと列がすすむとこに並んで、さっさと済ませました。

サマディーダルシャンのときは感謝の言葉しか出てこなかったけど、

その後のマンディール内では「私を使えるようにしてください」という祈り?が出てきました。

けっこう使えないからなー、わたし。


で、外に行こうとしたら、今日書いた手紙をサマディーにおいてくるのを忘れてて、
逆行しようとしたら止められて、午後にしなさいとか言われたので、
いったん外に出たんですけど、

そうだ、もう一度ホールに入って並べばいいんじゃん、とか思ったので、

またサウス側の入り口にはだしで行って、
またホールに入りなおしました。


列に並ぶのもだるいので、ホールの広々したとこに座ってました。


そしたら上から花がぼとっと落ちてきました。

何事かと思って上を見たら、シャンデリアに鳩が巣を作ろうとしてるとこでした。

ガーベラの花。

装飾の花を鳩が巣作りのために持ってったんでしょうね。


もらっとこうかと思ったけど、すでにしおれてたのでそのままにしてたらそのうちセバダルが片付けました。



そのうち並んでる人も少なくなって、
ホールに点々と座ってる人たちに列に並ぶようにセバダルが順番に声をかけ始めたので、
わたしも立ち上がって列に並びました。


せっかくだから一番中央でお参りできる人気の列に並びました。



どこでお参りしても一緒だとは思うんですが、
時々は中央でお参りするのもいいかも。



中央よりの人気の列はみんな長いことサマディーを占領するのでぜんぜん列がすすみません。

それで、長いこと待ったしとか思って後の人も自分の時にますます占領時間が長くなるのかな。笑



わたしも適度に占領した後に後ろの人に場所を譲りました。



手紙も今度は忘れずに置いてきました。


今日は、
なんて書いたっけ。



ああ、

すべての人がすべてのレベルで神に対して開かれますように、とか書きました。
いちおう英語で。笑


すべてのレベルでって、顕在意識とかでも、ということです。

根本的にみんな神から離れてないし、すべて神に許されてるし、あらゆるものは神に動かされてるけど、

人間は顕在意識とか、潜在意識もそれに当たるのかもしれないけど、
神の意思を無視した動きとかしてて、
でもそれも神は許してるから、神の意思からなにも逃れることはできないんだけど、

でも許されている、というレベルではなくて、神の意思を直接そのまま実行できたらなおいいわけで。

そのためには、顕在意識でも神に向けて充分開かれていることが欠かせないと思ったわけです。
顕在意識で向かおうとしても潜在意識が反発したり障害を作るときがあるから、
潜在意識とか、

とにかく、
あらゆるレベルで神に向けて全開モードに、好きにして状態にみんなが、なりゃあいいな、と、今朝、思ったわけ。笑



あけっぴろげであからさまで。



2回目のサマーディダルシャンはもう最後の最後だったから、
記念のバラの花びら(たぶんサマーディーに捧げられたやつ)、、、いつもお参り後に数枚ずつくれるやつ、、、、も、
残してもしょうがない、ということでしょうね。

両手からこぼれるくらい山盛りどっさりくれました。




Unforgetable darshans from Sairamark on Vimeo.







毎日のようにいろんな人に主名は?
と聞かれるので、

日本の学校に行ってる。今回私はひとりで来た。というと、さまざまな反応が返ってきます。


今日の昼過ぎもプッタ在住のママ友(どこの人だろう。アルゼンチン?メキシコ?)としゃべってて、
プッタパルティは学齢期の外国人の子供にはあまりいい学習環境ではないので、
その彼女もいつもいつも自分の3歳の息子の教育のことをすっっっっっごく心配してて、

あまりにも心配してるので、
いつも、大丈夫ですよと私は彼女に言って、自分の持ってる情報を提供したりしてるのですが、

悩みが深いみたい。


私の認識としては、プッタで外国人の子供に教育を受けさせるのは不可能ではないけど、難しい。
でも不可能ではない、といったところ。

特に最近は名前だけにしてもほかに比べたらずいぶん程度のいいインターナショナルスクールができたので、
主名もそこは喜んで行っていたし、
何も問題ない状態にやっとなって、安心感が出てきた矢先に日本においてこないといけない状況になったので、

果たして私はどういう風にするのを求められてるのだろう?
と判断に苦しむとこではあります。

しばらくしてから主名に新しいビザを取らせてまたプッタに呼び戻すこともできると思うんですが、

さーーーー、この場合、どうなん?とかは思います。

日本の学校も楽しいみたいだし。

なんか実家で山のように両親やわたしの弟たちからプレゼントとかもらってるっぽいし。



今までわたしはお年玉あげたことなかったんですけど、
去年わたしの母からもらったお年玉の千円を主名は自分でほかの日本人に頼んで両替屋でルピーに両替してもらい、
千円てインドでは数百ルピー。これは大金ですから!

それをほくほくとしょっちゅう数えて(ぼくってすっごいお金持ち!)、小遣い帳も自分で紙をホッチキスで止めてノートにして、イラスト入りで製作して超楽しんでました。

自分で両替表も作っていたという。。。

(一度、自分の父親が取ったと思って激怒していたことも。信用なさすぎ。爆)


ことしはきっと主名は子供だからという理由でもらえるお年玉の額に驚愕してることでしょうし。

わたしが日本にいるときにもすでにしらんまに親戚のおばちゃんに小遣いとして1万円もらってたし。



。。。。。日本楽しすぎだろうな~。




インドに私が今回戻ってきたとき、その開放的な軽やかな空気感に自分のいのちが開かれるのを感じて、
ああ、主名もやっぱりインドにいさせたほうがいいなあと思ったりもしたのですが、

というのは、手厚い教育も大事だけど魂が萎縮していろんなブロックを自分に課すようになったら意味ないので。

インドにいるときと比べて日本にいるときでは、そういうのが見えるわけではないわたしにもはっきりと、
主名のオーラみたいなものが収縮したのを感じて。


インドでは主名の意識が世界全体に広がってた感じだったのが、日本では肉体の中にきっちりその大きさにおさまった感じがしました。




どこまで親の意向で動かすか、どこからが子供の意思で動くか、
そこらへんの兼ね合いも見極めていかないといけないなと思います。

今主名はまだ親の意向に従う状態なので。

まだ8歳だし。


本人も自分でも微妙な状態と思います。




しかし自分の場合で言えば、中学生のころに親がニュージーランドに移住しようとしたときに、
友達とか、今まで慣れ親しんではまっていたコースから外れるのが嫌で、
親が新天地でやっていけるかどうかイマイチ子供ながらに信頼できなかったし。笑 たぶん嫌がって、


移住はナシになったんですけど、


あ~~~、あのとき私の意見なんか聞かずにさっさと連れて行ってくれてたら、
今頃英語ばりばりだったのに、残念。。。。。

と、インドに来てからよく思います。笑



あーいまも、この件で真理を見極める判断力を培われてるのね。とか思いますけど、


子供にかかずらわなくていいのは正直、楽すぎてヤバイです。


主名が、というより、私がもう元には戻れないかも。




たぶんその線濃厚。 




Dasami - The Divine Feeding from Sairamark on Vimeo.





人から人へ動画が回ってきたのでとりあえず貼り付けてみました。ありがとうございます。

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【2012/01/05 02:18】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ア・コース・イン・ミラクル
今日の夕ご飯をキャンティーンに食べに行ったら、誰も彼もがやたらにこやかで親切だったので不思議でした。

玄米ご飯をよそってくれたお兄ちゃんも、おかずをよそってくれた女性も、すごくニコニコして親切で、やたら愛にあふれていました。

スープのとこのおばちゃんもニコニコ親切にそのスープについて説明してくれました。

台に置かれたコーヒーを取ろうとしたら、
そのこ係りのおばちゃんは、「あ、これは熱くない。ちょっと待ってね!」と言って、
別の熱いのを後ろのタンクから注いで、にこにこ手渡してくれました。

サラダを取ろうとして、それを入れるボウルを私が取ろうとするよりも前に、その場にいた係りのインド人のおばあちゃんが、さっと一つとって、手渡してくれました。

普段そんなことってめったにないと思うけど。


なにかが。。。?
ちょっと違う感じ。

みんなが親切でニコニコ助けてくれる。



???



ご飯を食べ終わって、
アシュラムの外に出て、

両替屋に両替に行ったら、そこの店員がやっぱりニコニコしてプラサードをくれました。

両替屋でプラサード!?

ちょっと怪訝に思って、その1片のココナツの実をもらうべきかどうしようか一瞬逡巡したら、
店員は、
「スワミのサマーディーのプラサードだよ。坊さんが僕にくれた」
と、ちょっと得意げに笑顔。

横を見ると顔見知りのネットカフェの店員も「そうそう」という感じで穏やかで晴れやかな顔。


そうか、と思ってありがたくその場で割って半分食べ、

残った半分の半分を知り合いの占星術師にあげたら
「スワミがわたしにくれた!」と喜んで食べ、30分後くらいに「スワミのプラサードがベリーグッドエナジーを運んできた!」と、ご満悦。

残った1片を同居人にあげようとしたら後ずさり。爆

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとどこかに置いといて」
と言うので、

「自分で置いて」
と渡そうとしたら左手で受けようとしたので「右手」と言って右手で受けさせて、

その小さな1片は数時間後の今もテーブルの上に置かれたまま。笑



同じものでも物事でも人によって別のものに見えるらしく、
いろんな反応が巻き起こる不思議。



日本の本屋で結構たくさん本を買ってきたのですが、
そのうちの1冊、ア・コース・イン・ミラクルズはえらく分厚い本です。

900ページ以上ある。


ニサルガダッタ・マハラジのアイアムザットと同じく、
前から順番はなかなか読み進められないので、

気が向いたところを開いては1~2ページをランダムに読んでいます。



最初はなんか抽象的でちょっとわけわからんとか思って、とっつきにくい印象を受けたのですが、
途中からどうもはまりだした感じ。

けっこう面白いですね!



分厚い読み応えがある本が面白いと、なかなか読み終わらないから嬉しいです。


今日開いて読んだ箇所の一部を下に書くとこんな感じ。




P865~


「神」があなたについて抱いておられる「思い」は、あなたが忘れてもまったく変わることはありません。

それはあなたが忘れる前の状態とまったく同じであり、

あなたがそれを思い出すときもまったく同じです。

そして、あなたがそれを忘れていた間もまったく同じです。


「神の思い」はあらゆる変化を遥かに超越しており、永遠に輝き続けます。

「神の思い」は誕生を待つことはありません。

歓迎され、思い出されることを待っています。


「神」があなたについて抱いておられる「思い」は、星のように永遠の空にあって変わることがありません。


それは「天国」の非常に高い所に置かれているために、

「天国」の外にいる人々にはそれがそこにあることが分かりません。


しかしながら、じっと動かずに、白く、美しく、永遠にそれは輝き続けます。


そこに存在しなかった時は一度もなく、その光が一瞬の間も暗くなったことはなく、

完全性が少しでも損なわれたことはありません。




てなかんじ。

本の帯には「世紀の名著、邦訳なる!!」というキャッチコピーが。



30年以上前に書かれて出版された(英語?で。日本語のはつい先日出たみたいです。去年の11月末に。)
本みたいですが、
結構イメージが喚起されたり、内容が鋭く中に入ってくるかんじがあります。

微妙にとっつきにくい感じがあるんだけど、
(時代性の雰囲気のギャップとか?)

でも、どこか一部分が自分の中と呼応してつながると、そのあとはラジオのチューナーが合ったみたいに
意味がそのまま意味を持ってずるずると入りこんできます。



。。。しかし分厚い本だな!

ラーマクリシュナの福音の完全版並みだよ!!

テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2012/01/04 03:02】 | 読書 | トラックバック(0) | コメント(3) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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