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レディースデー
昨日の午後はババは来るのが遅くて、私らも遅くに行ったので、アルティに間に合えば、、、と思っていたのですが、まだ来てなかったのでびっくりしました。
6時過ぎとか?6時半とかでしょうか?ババが来たのは。

昨日の午後にアナウンスがあって、今日はレディースデーだった事を知ったので、
じゃあ、朝早く、6時くらいに行こうかな?とか思いましたが、
心の中で聞いてみると早く来なくてもいいとかいうことだったので、
昨日の夜はデリー行きの荷物をぼちぼち作り、遅くに寝て、朝も遅くに起きました。

で、10時くらいにアシュラムに行ったら南アフリカのどこか(フィジー?)のひとたちがダンスをしていました。
1秒で感動しました。

目新しいからというのもあると思いますが、すごく大きなもののうねりがその人たち(子供達も)という波頭ではじけて、目に見えるようになっているような気がしました。
すごく、大きなものを感じました。
みんなで同じのを踊るのっていいですね。
大きなうねりのハーモニーでみんなが揺れてるみたいでした。

音楽も感動的で、原始の深さや暖かさを感じました。

ババは出演者みんなにプレゼントとパダナマスカールを与えていました。
ほんと、ダンス良かったです。

ほかに、インドネシアかな?と思った女の子達のダンスもあったのですが、それは衣装が、金色のカニみたいなかぶりものをつけたりしていたのですが、その衣装を見るだけでなんか深く満足しました。
後で、芝生のところでみんなで記念撮影をしてたので、綺麗だなーと思って眺めていたのですが、
金色のカニというより、あれは天からのものをキャッチする、もしくは神様のエネルギーを降ろすアンテナだなと思いました。
沖縄で、なんて名前だったか忘れましたが、神様のよりしろになる木があって、その木の姿と同じだったのでそう思いました。

女の子達がかわいくて、衣装を着けたまま何枚でもギャラリーの要望に応じてダンスのかっこいいきめのポーズをつけてにっこり微笑んでいました。
インドネシアからの子供達かと思ったら微笑の国タイランドからの子供達でした。
なので一方的に懐かしさを覚えました。

南アフリカの祈りの歌やダンスが何種類かあったのですが、どれもすばらしかったです。
感動しっぱなしでした。
いろんな色のビーズで飾られた衣装をつけた子供達はお土産の人形が大きくなって動いてるみたいでした。

あとでみんな芝生で関係ない人もいっしょに写真を取りまくってたので、わー、私もカメラがあればよかったー。と思いました。

ずっと住んでる南米の家族の子供も衣装を着けてたので、ペルーかどこかの踊りもあったんだと思いますが、それは見逃しました。

タイの天女のような女の子達の微笑みにふわぁー、となって幸せな気分になりました。

いよいよ降誕祭前でどんどん人が各地から到着してきてて増えていく一方ですが、デリーに出発する前にいいもの見れて良かったなーと思いました。
今日の午後も各国の子供達の音楽プログラムがあるみたいです。

わたしらは今日の夜9時くらいにアパートの部屋を出て、プラシャンティニラヤムの駅から10時過ぎの列車にのります。

片道2泊3日で、帰りも列車の予定なのでほとんどを列車の中ですごす感じになりますが、乗って運ばれてるときには何を考えてもしょうがないので何も考えない状態になるのでそれが好きです。
いつも、降りて自分で動かないといけない時間がくると少し残念に思います。

まあでも食生活は列車の中では貧しくなるので、いつものようにりんごをいっぱい持って乗ります。
後ふりかけ類と。

デリーは今は夜が寒いらしいので、薄手の掛け布団も2枚持っていきます。
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【2009/11/19 18:01】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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