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クワイヤーくび。&プロセッション参加。
クリスマス用のクワイヤーの練習に、主名は毎日熱心に参加してて、毎晩夜中まで自主練もしてたのですが、くびになりました。
まー、もともと7歳以上が参加条件だったので、はいはいはいと言う感じだったのですが、スタッフ側ももうちょっとなんか配慮がないものかとは思いました。

主名だけではなくて、毎日1人とか2人の子供が泣いて出てきて、(親は中に入れてもらえないので何が起こってるのかは不明)やめさせられてるみたいでしたが、まあ、うちらは出来ることをするしかないしと思って、毎日みんなで練習する部屋の外で録音した音源で夜に帰ってから部屋で自主練してました。

で、主名と仲良くなった7歳の男の子とその親がある日かなりきつく言われて、このままだとあと2日でくびにするといわれて、その言われ方もなんかちょっとあまりにも一方的でひどかったのと突然だったのでお母さんはかんかんに怒ってたので、わたしは話を聞いたりしてたのですが、主名も首切り候補に入ってるとその親から聞いて、あ、そうなの?と思いました。

ま、しょうがないよねと思ってて、(かなり練習したので結構歌えるようになってました)翌日かなんかにやっぱりスタッフからもう来ないように言われても、OK,わかりましたというかんじでした。

同時に7人の男の子がくびになったのですが、どの親もかんかんでした。

主名が辞めさせられた理由は、ハッピーで、いつも笑ってて、ほかのこの邪魔をしてるので問題との事でした。
それを伝えてきたのが知り合いの男性だったので気を使ってそういう言い方をしたんだと思います。

で、その日の午後のダルシャンは最後にみんなと一緒に行っていいといわれました。
で、翌日からは来ないようにと。

ほかの子に対してはやめさせる理由としてスタッフはみんな厳しいことを言ってたので子供たちはみんな胸を痛めて泣いていました。

たとえばロシア人の子に対しては、いかにその子が英語が出来ないかというのをその子の落ち度として悪いこととして親にに認めさせるような感じで責め口調でした。
そりゃ、横で聞いてる当の子供本人は泣きますよ。

もしかして毎年こういう場面が繰り返されてるのかもしれないですけど、ちょっと酷いなあと思いました。

わたしはその時点では平静を保っていたのですが、午後のダルシャンにみんなと参加させてもらえるといっても、もう明日からは来るなといわれたので、その前にある歌の練習に参加させてもいいものだろうか?と疑問に思って、昼にキャンティーンで女の責任者がいたのでそのことを聞こうと思って話しかけました。

そしたらその人は話の内容を聞く前に激怒しました。
わーわーわーわー!!!と。
あっけにとられたので、「もういいです」といって、離れました。

参加させていいのか分からなかったのでとりあえず練習の時間に主名と共に行ったら、ほかの首になった子供たちも来てて、その時の練習には最後ということで参加させることになってるみたいでした。

で、いつものように部屋の外で座って本を読んでたら、よく練習したので主名もちゃんと歌えるようになった曲が聞こえてきたので私も聞いてたら、突然ドアが開いて主名が座ってたクッションを持たされて一人で部屋から追い出されてきました。

その時の歌は主名も好きになったはずなのでちゃんとみんなと一緒に歌ってたに違いなかったのでなんで?と思い、主名に「遊んでたん?」と聞くと「歌ってた」というし、私も絶対主名は歌ってたと思いました。

主名もなんで部屋から追い出されてドアを閉められたのかわからなくて、「なんでなんか誰かに聞いて」とか言ってました。

中から別の用事で出てきたスタッフになんで主名が追い出されたのか聞いたら、「この子はいつも遊んでほかの子の邪魔をしてる」というので、「でも、今の瞬間はちゃんと歌ってたはずなのでなんで出されたんですか?今、この子はなにか悪いことをしたんですか?」と聞いても「いつもは悪い」みたいなことばかり言ってらちがあかなくて、ボスの女性がしたんだ。彼女がボスだ。としか答えなかったので、なにか私やほかへの見せしめみたいな形で出されたんだろうなと思いました。

多分、わたしが子供をクワイヤーに参加させるようにさらにごり押しする決意を持ってるという妄想をボスは持ってて先制攻撃をかけたんじゃないかと思います。

私が毎日、ほかの子の邪魔したり、ちゃんと歌わなかったりしたら「もうこんといて」と言われるよ。もう行かんとけば?と、半分冗談で主名に言い聞かせてたのを想像もしてないでしょう。
でも主名は楽しくて仕方なかったらしくていつも「行く~!」と、半泣きになってたのです。
まさかほんとに来るなといわれるとは思いませんでしたけど。

何か非常に攻撃的な気がしたんですけど気のせいでしょうか?

しばらくして知り合いのスタッフが主名を連れ戻しに部屋から出てきました。
で、彼も「なんでこんなんなんだとババに言ってる(心で)」とか言っていました。
ま、そもそも彼がさらに上の男の責任者に言って、無理に主名を参加させてくれたのですが。というのはその夫婦が主名を好きなので。
それは明らかに女ボスの意向に反したんだろうと思います。
ま、いろいろありますね。

主名の友達になった子も、いろいろ言われたそうですが、まだ7歳なのに難しい音程のパートを受け持たされて、それで「この子はぜんぜん歌ってない」この子はホントに7歳か?6歳じゃないの?と責められたそうです。

その子もその後しばらく泣きじゃくってがっくりしてたそうです。
主名曰く、そのこはちゃんと歌ってたそうです。

色々変なことがあったように思ったクワイヤーの練習でした。

つづく。







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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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