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クリスマス
今日はクリスマス当日で、主名は朝のダルシャンで白いローブのババをエスコートして歩く子供たちの仮装グループに参加したので、朝7時に仮装したシュナをつれてウエスタンキャンティーン前に集合して置いていって、わたしは保護者席に座ってダルシャンを受けました。

ちびっこはちょびっとのひげを描いて、と言われていたので、私の眉墨で鼻の下とあごひげともみ上げを上品に描きました。
主名はじぶんで鏡を見て、「ちっちゃいおじさんみたい」と、そのままのことを言っていました。

単にゆっくり歩くだけなので別に心配してませんでしたが、無事に終わって、ちょっとした「やりとげた感」があります。
挫折の連続のシュナの人生で、ようやくちょっとした成功体験と言ったところでしょうか。

箱を3つ用意してて、その中にはひとつはチョコレート類を、ひとつは子供からババへのメッセージを、ひとつは親からババへのメッセージを入れて、ブレスされるのを期待して差し出したそうですが、3つともブレスされたそうです。

チョコレート類はあとでみんなに配られました。

私たちからはよく見えませんでしたが、子供たちはババの家の前で待機してたので、ババが出てきてすごく近よったそうです。
シュナの言葉を鵜呑みにするなら、15センチくらいの当たりそうな距離まで近づいたそうです。
出てくるときにババはシュナを見てたらしくて、「そのとき何か思った?」とシュナに聞いたら「主名を見てるな」と思ったそうです。(そのまま)

まあなににしろ無事に終わってよかったです。

昨日もウエスタンでサンタさんが子供たちにちょっとしたプレゼントを配ったりして、主名はそういうのを知ってたので期待満々で向かったので、ウエスタンでの行動もすばやかったです。
子供たちはみんな大喜びでした。

クリスマスの喜びを味わえてよかったです。

午後は数人のスピーチのあとにババのディスコースがありました。
内容はどこかで聞いたり読んだりしたことが多かったですが、繰り返してもうちらは身についてないんでしょう。
(いえ、ババもお年だし、とチラッと思いましたけど。)

男性がわの西洋人に話しかけて何人か前に呼んで、しゃべったり、パダナマスカールを与えたりしていました。
女性側も期待満々だったのですが、女性には話しかけず。そりゃそうだー。女性側怖~いもの!!!

ロシア人に「何人がロシアから来てる?」とか話しかけたので、ロシア人が色めきたってざわざわして手を上げたりしてました。
そのあと「韓国人はいるのか?」みたいに聞いてて、前に座ってる人たちの中にはいなかったので変な空気になってました。
韓国人、を聞いたんだと思いますけど、韓国人はプッタパルティは少ないですね。
インドのほかの観光地にはたくさんいるのに。

韓国人はクリスチャンが多いんですよね。

いやー、一日いろいろあるなあと改めて思います。

今日の昼食はウエスタンはインドネシアメニューがたくさん出てて、どれも日本人の口にはあって(主名の口にはあわずいっぺん吐いてました。。。)おいしかったんですけど、高かったみたいで、2人で180ルピーと自分たちの最高値を更新しました。
でもおいしかったです。

今、インドネシアの430人くらいのグループが来てるそうです。
すごいですね。

ババは片手ブレスのあとに両手ブレスもしてました。
久しぶりに近くで見たババはお年だなぁと思いました。顔の肉の感じが。

でも私も人のことを言ってる場合じゃないです。
最近は毎日ウエスタンでおなかがポンポンになるまで食べてるので、おなかがすいてもポンポンのままです。
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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