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ババらしき夢
昨日はババっぽい夢を見ました。

ババの夢はずいぶん長い間見てませんでした。
正確にいうと、どうも見てたのは見てたようなのですが、具体的にまったく記憶に残ってませんでした。

昨日のは、ババが来ると言うので急いで道路に出たら、もう来てるといわれました。

見ると、おみこしみたいなのに乗ったババの様な姿の、大きなケーキがありました。
わたしはそのケーキのババにパダナマスカールみたいな事をしたりひたいをつけたりしました。
ケーキのババはそのたびに動いて、手を上げて祝福したりしました。

私は、これはケーキだけど、ババなんだなと納得しました。

主名にもやらそうとしたら主名はケーキとしか思ってないみたいで、ケーキの両端を持ってぐちゃっとつぶしてしまったので、わたしはあわてて形を整えたりしました。

そんな夢でした。

起きてからよく思うのですが、10年位前にすごくよくババの夢を見た時期があって、そのころは毎日どころか一日に数回とか、起きてるときも見たり感じたりしていて、見る夢も楽しく一緒に遊んだりとか、踊ったりとか、インタビュールームの中で足をマッサージしてもらいつつ印の組み方や呼吸法を教わったりなど、親密なものでした。
時には聴衆の前でババとともにいくつかの種類のデモンストレーションをやって見せたりとかそういうのもありました。

ところが、プッタパルティに来てからは生身のババを毎日見てるので、ダルシャンのときの基本的に遠い距離感や生身のババにできるだけ近づこうとする2元性の感覚がしみこんで、夢の中での関係性も遠慮がちになったりしてました。

それはそれでいいんですけど、私の場合、なにか危機的な状況にあるときにババが夢に出てくるときも多いです。

10数年前になぜ一日に2回も3回もババの夢が見れたかといえば、それだけ、寝てたりあっちの世界に行ってたことが多かったからに他ならなく、霊的に敏感すぎて日常生活を営むのが難しい、自分としては非常に厳しい時期でした。
長期にわたっての危機的な状況の中にあったと言えます。

プッタパルティに来てからはたとえば精神的に深く傷ついたりしたときにはよくババが夢に来ました。

で、昨日もけっこうきつい日だったのでした。

ここ数日主名が夜間に喘息の発作で咳き込んでわたしも何度も夜間に気管支拡張剤を吸入させたりしてたので、昼間は主名も元気だったのですが、私はなんとなく疲れてふらふらしてました。

それに加えて、知り合いのおばちゃんちにパソコンを教えにいってるときに主名が自分に注意を引こうとして何度もよじ登ってきたり、触るなといってるものを触りまくったりするのと、あと月の周期の関係で私がイラついてたこともあり、時々なるのですが、なんびとたりとも私に触れるな!という状態になりました。

そうなってしまうと私は自分ではどうしようもなくて、主名はあいかわらずべたべたべたべたしたがるのですが、わたしはちょっとでも触られたら吐きそうになるし凶暴化するので、「私は今は心も体も全部傷みたいなもんやから触ったら痛いから触るな。触られたくないの!!!」とかいって主名に距離を置かせてたのですが、そしたら主名は免疫が落ちたり心理的な動揺と体調不良が重なってと思いますが、げーーーと大量に吐いたりしてました。

なのでケーキのババが夢に出てきてパダナマスカールをさせたのだろうと思います。

主名はクリスマスの時期に前半はクワイヤーと呼ばれるコーラス隊に参加してて、後半はプロセッションと呼ばれる仮装行列に参加してました。
そういう主名をサポートする面倒はあるにしても、気分的にはわたしはすごくその時期楽で、子供が別の団体に所属して、自分から距離を置く事の幸福感とのびのびした感じを得ていました。
なんせ、うちらはず~~~~~~~~~~~~~~っと一緒なので。

でもそれも終わり、子供が戻ってくると、それまでは麻痺して分からなくなってたのびのびした感じを再び得た後なので苦痛が耐え難くて、翌日からでも知人が子供を通わせてるコーチングスクールに主名を午前中だけでも行かそうとか思いました。

で、土曜日に忘れない限りいつもやってる土曜日のマントラを唱え始めたら、ババに、「もうそんなのしなくていい」と何度も言われたように思ったので、たった54回唱えるだけなので5分とかからないのですが、途中で唱えるのを止めて、夢でババに教わったマントラを108回かわりに唱えました。

そのときに主名をそのコーチングスクールに通わす必要も無いと言われたのでがっくりきました。
ヴェーダだけ教えるようにと。

ほんとはクリスマスが終わったらわたしもまたヴェーダを習い始めようと思ってたのですが、習おうと思ってる先生はこれから半年間海外に行ってしまうそうで、自分が習うのも延期です。
私の命綱は外部には無いのでしょうか。。。

こないだアガスティアの葉だかシバの葉だかもまた半分遊びで見てみましたが、カルマ解消の処方箋が以外に安く気楽に出来そうだったので、やっといてもいいかなと思ったのですが、それも必要ないととめられました。

ちなみに内容は自分的には特に何てこと無かったのですが、(秘密にするわけじゃないのですがここに書くのが面倒と言うのと時間が無い)アガスティア関係の葉っぱが自分を引き上げてくれる時期は終わってるんだろうなという感じもします。
それこそ10年ほど前に自分で直接何度か見たときは葉っぱとその処方箋に非常に助けられた実感があります。

今回ので意外だった記述としては、祈りで国を守るという記述と、あとなんだっけ、、、わすれた。。。
あ、思い出しました。
サイババのアシュラムで奉仕活動に携わっているとかいう記述でした。

祈りで国を云々とか言うのは、それってどこの国の事?と思うくらい、私にとって日本にしろインドにしろどこにしろ国には興味が無いので、どうでもいいってかんじでした。

母は日本とか神道に縁があるようで、巫女舞をするので神道関係や邦楽関係の霊性を理解するもしくは霊性を生きる仲間達とともに直感に導かれた場所や神社に奉納して祈りを捧げ、日本やそのほかのエネルギーの調整をしてたようですが、わたしは遊びでついていくくらいでした。(時に神霊かなんかに運搬車として肉体を強制的に使われた事もありました)

究極的には自己満足の世界ですし。
そしてそのことをわきまえてないとおかしなことになると思いました。
その活動が実際に世界のために役に立ったとしても、世界と自分はひとつですから、自分のため以外の何ものでもないのです。

私はと言うと、自分にもうんざりだし、世界にもうんざりなので、基本的に根本的には何も興味ないです。
部屋でじっとしてるのが一番うれしいです。
でも主名は外出したがるし、用事もあったりで外に出てる感じです。
基本的にはなにもしたくないです。

アシュラムで奉仕活動をという記述に関しては、わたしはもちろん何の役職も立場も無い一般人ですが、ちょっとした頼まれごとが泥縄式に最近続いてるので、引き受けたり断ったりいろいろですが、奉仕活動といっても、たとえババの組織に属したりしていなくても、それをするときの状態が全てなんだろうという気がします。
私が引き受ける事と言うと、まず、自分に心理的な負担がかからないことを第一にしてるので、ほんの小さなことで頼む方と引き受ける方とどっちが得してるのか分からないようなことばかりなのですが、形ではなくてその状態や関係性に一体感があるときにはそこに神が表現されていて、奉仕の目的や意義というのはそれなんだろうと思います。

でも、今回の予言の葉っぱはたぶん葉っぱで表現された世界より自分がそのままでいる方が軽い世界なのかもなと思いました。

10数年前だと、自分のそのときの世界より、葉っぱで表現される世界の方が明るかったので、葉っぱの世界を取り込む事が自分にとってすごく助けになったのだと思います。

何との関係性も、そんかんじがします。人との関係性も。2つあったら、いいほうに合わせればいいのだろうと思います。
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【2009/12/29 15:05】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<30日だったんですね。 | ホーム | フランス人の。。。>>
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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