スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
週末
なんだか書き表しにくいかんじです。
何がどうということもないのですが、なんか色んなことがシフトチェンジしていってるような感じです。

最近は、結婚前に、一時期すごく集中したサーダナが強制的に起こったことがあって、そのころのことを思い出すことが多いです。
たぶん、そういうサーダナの体験談の本やシッダの体験談の本を読むことがここしばらく多いからだと思います。

プッタパルティに来てからはここは聖地なんですけど、すごく日常の実際の動きにあくせくすることが多かったし、内面を見つめるというよりは外的世界に次々起こることをひたすらどたばたと体験していくような(それは内面の表れなのですが)日々だったので、プッタパルティに来てからは、自分て、普通にちゃんと生活できる人だというような錯覚を持っていました。

でも最近はそのように以前のなんというか研ぎ澄まされたような感覚がよみがえってきたり気づかされることが多くて、あ、やっぱりだめだ、と。(笑)

たぶん、長めのビザが取れたことと、今まで毎月の生活費をATMからキャッシングして引き出して日本で払ってもらってたのを、こっちの銀行にまとめて預けてそれを引き出していく方法に変えたので、インドという土地と自分がこれまでの3年間よりも純粋に重なってブレがなくなったからだと思います。

先日はアショクさんでしたっけ?
ハヌマーンの生まれ変わりとババが言ったという有名人が来てたそうですが、あっというまに帰ったそうです。
インドにとっても重要人物なようなので、最近のアシュラム内のセキュリティの締め付けの激化はこの人が来るからだったのかな?とか思ったりもしましたが、今日はさらに厳しくなっていました。
芝生だけではなくてその沿道のコンクリートの段差に座るのもだめになってました。

友達を呼びに行った主名とそこで待ち合わせをしていたので、子供が帰ってくるまで5分待ってと頼みましたが、棒を持った3人の男性のセバダルに取り囲まれました。

アシュラムの中の状況は今後ますます悪くなる、と、ババから直接そう言われた人に以前聞きましたが、なんか、ほんと厳しいですね。
まあ、テロリストにアシュラムの中を爆破されたりしないようになんやかんや警戒してるんでしょうけれど。

午後のダルシャンは毎日あります。
しかしババは高齢にもかかわらず、毎日ダルシャンを与え続けているなと思いました。
わたしらが受け取る受け取らないにかかわらず。(かかわるのかもしれませんけれど)
その事実をつい、忘れそうになるのですが。

昨日の夜とかはけっこう涼しかったです。
寝てるときは寒かったくらい。
関連記事
スポンサーサイト
【2010/01/25 00:59】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<スキップ | ホーム | ここ数日>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://furunosawako.blog59.fc2.com/tb.php/1071-4fd3dc82
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。