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まだ熱。
主名はまだ38度5分とかの熱があります。
昨日はダルシャンを受けれなかったので、なんとなくいらいらしてきて、「あしたの朝はあんたが寝てる間にトークンに行くからねっ!おきて私がおらんかっても泣かんとってね!」と宣言してねたのですが、
なんか一週間くらいひそかに出てる喘息の発作と、鼻水と咳まで出だして、熱も高そうだったので朝はダルシャンに行きませんでした。
ほんとは、様子を見て、最後だけ行こうと思っていたのですが、私が留守の間主名が食べるご飯の用意とかしてたら終わってしまいました。

まあ、それはそれで、郵便局に荷物をとりに行く用事があったので、ついでに1時間くらい散歩してくるから泣かんとってね。と主名にいうと、主名は荷物が楽しみなので「泣かへん」と、にこにこしていました。

まず、アシュラムの中のパン屋に行こうと思って、アシュラムに入ってガネーシャテンプルのところに行ったら、ゲートの外から何人かの人たちがダッシュで駆け込んできて、そのままショッピングセンターのほうに走っていきました。

ババはアシュラムの外に行っていたようで、ショッピングセンターの方の門から帰ってくるようでした。
しかし、みんな、ババの動向がよくわかるよなー、と、感心しました。

私はこの暑さだし走る気力もなかったので、そのまま歩いてパン屋のほうに行きました。
そしたらババの家の門の前に人々が集まりつつあったので、わたしもそっちに行ってみました。

道路沿いに張られたロープの後ろで5分くらい待ちました。
日傘を持ってきててよかったなー、と思いました。
じきに、警察の車と警官隊に先導されたババの乗った車がやってきたので傘をたたみました。
しかし、警官の数が多かったです。
ババの車の前を10人くらいの警官が走って人払いをしていたんじゃないでしょうか。
そしてそのあとに続く走る男子学生たち。

あんまり護衛が多くて、間近に来るまでババの姿は見えませんでした。

しかし、今日、ダルシャンにいけなかったなーと思ってたら思いがけずカーダルシャンを受けれたので、世界はうまく回ってるなあとか思いました。

ババは笑ったりとかじゃなくて普通の顔をしていて、眼がいつもより大きくてぎょろぎょろして見えました。
ギョロメだなー、と思いました。

臨時にダルシャンをを受けれてよかったなあ、ラッキー。と思いましたが、私のほうにも感動とかはありませんでした。感動しないなあ、と思いました。

そのあとパン屋に行きました。
顔見知りのインド人のおばちゃんが「この道をババが通ったの?」とか聞いてきたので、「この道をこうやって、家に帰っていった」というと、「はーー」という反応をしました。おばちゃんは一足遅くてカーダルシャンはのがしたようでした。

パン屋でパンを買い、主名のおねしょ対策のおしっこパットを切らしていたことを思い出したので、ショッピングセンターにも行きました。


おしっこパットはなかったのですが、スープのもととか、ジュースとか米とか洗剤とかそういうのを買いました。
ショッピングセンターを出てからは八百屋でりんごを2個買いました。
今日はあんまりろくな果物がなかったです。


そういえば、ショッピングセンターの入り口で知り合いの外国人の奥さんと息子に会いました。
息子は去年ババの学校に入ったのですが、高熱が出て、寮から自宅に戻されたとのことでした。
最初の数日はすごく高熱が出て、抗生物質とか熱さましとかいろいろ飲ませたけど効かなくて、3時間祈ったら熱が下がった。祈りは一番の薬だとかいっていました。でも、咳がでてきたとのことでした。

ま、多少大げさに言う傾向のある奥さんなのですが、主名も高熱の時期は過ぎたものの、いまだに熱があるので、そろそろ病院で何か西洋医学の薬を処方してもらったほうが体力を消耗し過ぎなくていいのかな、とか思っていたところだったので、聞いたところによるとその子の症状も主名と同じみたいだったし、病院は行かなくていいな、と思いました。(ホメオパシーの熱さましと風邪薬は飲ませています)

彼女が言うには、ババの学校でも70人が高熱を出して、自宅静養のためにそれぞれの家へ帰されてるとのことでした。
70人?なんでそんなにたくさん。

ショッピングセンターの帰り道では、主名の学校に一緒に通ってる男の子とそのお母さんと一緒になりました。
その子のお父さんはジェネラルホスピタルの医師かなんかだったはずなので、
「ババの学校で70人くらいが熱を出してるって聞いたけど」というと、何とかとか言う病気がはやってて、レバーがやられて黄疸が出るのよ、とか言っていました。

え?それは大変そう、、、と思って、でも、主名は熱は出てるけど黄疸は出てないなあというと、、あ、じゃ、それはぜんぜん大丈夫。とのことでした。

あとはババの学校の受験の話になったりしました。
この男の子はこの年が試験本番なので、お母さんもすごく気を張っています。
主名は願書を出したかと聞かれたので、出さなかった、と答えました。
じゃ、来年度はどうするの?と聞かれたので、今行ってる「〇〇〇スクールかなあ」と答えました。

この子も試験に合格するといいなあと思います。
どこのお母さんもすごいプレッシャーというかんじです。

ここプッタパルティは価値観がほぼ単一なので、ババの学校の受験というのは子供とその親にとっては命がけというかんじです。

ガネーシャゲートを出てオートリキシャを拾って郵便局に荷物をとりに行きました。
荷物の受けとりはすぐにできました。

待たせてあったオートに乗ってサマディーロードに戻りました。
郵便局の近くでオートはさらに2人の女性を乗せました。
「ちゃんと料金払ってるんだから、余計に乗せて余計に稼ごうとするな」と追加の乗客をわたしは拒絶するときもあるのですが、今回は、まあいいわと思って黙ってました。

そしたらサマディロードだといってるのにガネーシャゲートにとまってここまでが40ルピーでサマディーロードだと50ルピーだというので、気持ちよく大声でドライバーをののしって、最初に言ってた30ルピーを渡し、荷物を持って降りて、そこからは歩いて部屋まで戻りました。
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【2010/03/11 20:15】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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