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10月24日
10月24日

ラーマナヴァミ

今日はラーマナヴァミでした。(ラーマの誕生日?)
朝、主名も学校が休みだし、ということでトークンに行こうと思って、朝も7時前に起きて、まあ、余裕かな?と思われる時間に行ったのですが、「今、締め切った」と言われて、トークンに参加できず、レイトライン(遅く来た人が並ぶライン)に入りました。
「やっぱ、がんばるな?てこと?」

まあでも最近は来てる人自体が少なめなので、レイトラインでもキャンティーンスタッフの後ろの一般席の2列目に座布団を置いて、サウスに朝ごはんを食べに行きました。

ババはなかなか来なくて、「来ないんならさっさとアルティして終わって開放して」という感じだったのですが、10時半に来ました。

私らはババがダルシャンに来ないならそれはそれでさっぱりするような気持ちもあるのですが、でも、外国や遠くから来てる人たちは、この日の朝が最終のダルシャンで、自分の場所に帰ってからもこのときのババの姿を胸に、その後の生きる力にする人も少なくないと思うので、一回一回のダルシャンがそれぞれの人にとってすごく重い意味を持ってたりもすると思うので、やっぱ、ババが来たのでよかったとか思いました。

ババはバガヴァタムの出演者と記念撮影をしたりしていました。

繊維状になるお菓子のプラサードも配られて、(最近これが多いですが、好きなのでイヤじゃないです。腐りにくいし。)
全部終わったのは12時ごろでした。

9時から約3時間バジャンを歌い続けていたのでのどが少し痛くなりました。

ちなみに全部ラーマが出てくるバジャンでした。いっぱいあるもんですね。私はプンニャナーンパビットラナーム ラーマナーマサーイラーム♪とかいうのが、朗らかなムードなので好きです。

通常、わたしは声は出せば出すほど出るんですが、マンディールバジャンは男性のキーなので、低い野太い声で歌い続けることになるので、さすがにのどに負担がかかります。

最近、毎日音楽プログラムがあって、すばらしい歌声が披露されていますが、ぜーーーーーーんぶ男性の声なので、女性の声も聞きたいです。

ダルシャンに来てる人はたぶん女性のほうが多いのになあとか思いますが、ここはそういう世界なのでしょうがないです。
マハシヴァラトリやグローバルアカンダバジャンのときなんかは男女が交代でリードして歌うので、女性のリードだとやっぱりコーラスも歌いやすくて、やっぱり、女性のキーって、このくらいだよねえ??と、再確認します。
いつもいつも男性のキーに合わせてるからか、インターナショナルバジャングループの練習も男性並みのキーの低さで歌ってます。
教えてくれてる先生もしょっちゅうのどを痛めてるし。

よその地区から来たバジャングループの女性シンガーなんかだと普通に女性の声の高さだから、すごく楽です。

と、話がそれまくりましたが、そんなわけで、昼までわたしも主名も座り続けました。
4時間ほどですか。
これは時間の無駄なんじゃなかろうか?
とか思うときもありますが、そんだけ、何も気にせずにその場にいて座りつづけることが出来るというのはまあ、なんかいいこともあるんでしょう。

昔に比べるとバジャンが歌える曲が増えたということもあり、バジャンを歌いまくってる分にはわたしも主名も楽しく座っています。
これがスピーチとかになるとちょっとつらくなってきますが。

それよりか、何も音なしで、前にババが単に座ってて、サイクルワントホールの人たちも静かにババを見てる、というシチュエーションも数年前によくあったように思いますが、そういう時は逆に濃厚にババそのものを感じたものでした。

私らや周りの人たちはわりと行儀よく座ってたのですが、最後のほうに、キャンティーンスタッフの座るスペースの余分な空間と私たち一般人の座るスペースの間をめがけて、背後からアグレッシブな方々がなだれ込んできて、セバダルの静止が追いつかず、急遽人々が入り乱れる中、一般席の先頭辺りの人たちも前につめるように指示されました。

行儀よくしてたらバカを見る世界になっちゃったら、そりゃ、誰もルールなんか守りたくないよね、とか思いました。
私の周囲の一般人の先頭集団はすごく行儀がよかったのです。
そういう人たちの自制の姿はすごく心休まるものだったのですが、最後には後ろから来たケモノ化した人たちに前の席を割り込まれて取られてしまって、ちょっとバカを見た感じになりました。
表面的にはバカを見た感じでも、人格を失わないという点では得るものはあっても失うものはなかったのかもしれませんが、う~~~ん。

しかし、今日、その数人の行儀のよさはここプッタパルティで久しぶりに見た自制心のある集団意識だったので、少し心洗われました。

昼食をウエスタンで食べて、午後も行けたらトークンに行こうかと思ったのですが、部屋に帰ってほっとしたらわたしも主名もまんまと熟睡して、寝苦しい感じで目覚めたあと、夕方にまたダルシャンに行きました。

音楽プログラムをしてて、しばらくしたらアルティになりました。
ディスコースもなしで、さらっとしたものでした。
ここ1週間バガヴァタム漬けだったし、もういいってところでしょうか。

そういえば昨日くらいから正面に宇宙をバックにしたババの写真が装飾として飾られてて、その前には頭がいっぱいの神様の像も飾られていました。
ビシュワスワルーパかなにかなんでしょうか?
頭がいっぱい!

プラサードはオレンジ色のプチプチプチが団子になってるやつで、これも私は好物なのでうれしかったです。

帰るときはババは手紙もあまり取らずにさーっと帰って行きました。
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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