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今日の日記
今朝、主名もわたしも寝坊しました。
(目覚ましは主名が止めたらしい)

主名の学校は9時からなのですが、わたしが「はっ!」と目覚めたらすでに9時半。

主名をベチベチッとたたき起こして、ビスケットとミルクティーだけ食べさせて、とっとと出て行かせようとしました。

そしたら主名、ビスケットを食べたあとに、口をゆすごうとしてるので、
「お茶のまへんの?」
と聞くと、

「ビスケット食べたあとにお茶を飲んだらお茶の味が分からんから。」
と。

「味わうな!!!」


お茶を飲んだのをみて、部屋のドアを開け放ち、
「さ、行って!」
と追い出そうとしたら、


「なんか、急にうOこしたなった。」

もう、その後は急がせるのをあきらめました。



10時前に主名が軽快に出て行ってしばらくして、学校の先生からでんわがかかってきました。
「すいません、すいません」
と、とりあえずあやまっとくわたし。


先生は
「そうじゃなくて、途中で寄り道してるのかと思って」というので、
「してないです。直接学校に行ってます。すいません。」
と答えると
「そう、じゃ。サイラム」
と、会話は終わりました。

ああ、ゆるい学校でよかった。(というか、期待されてないって感じ?)

私は毎日主名をせかしているものの、自分が小学生の頃にすでに「遅刻の女王」の称号を先生に与えられたくらいの、時間の観念がない(お金の観念も)人間なので、そんな人間が人に何かやらせるというのは無理があります。
一番やりたくないこと(人に何かをやらすこと)をやらされてるかんじ。

そんなわたしにせかされても成功するわけもなく、主名もかなりマイペース。
ただ、私が寝起きがものすごく悪かったのに比べると、主名はわりとすっと起きて動けるみたいなので、そこはまだ救いようがありそうな感じです。
きっと、いい環境に入ればいい風になると思います。
私という環境ではちょっと限界が。とかいってもしょうがないのですが。

学校から帰ってきた主名は、いつも一緒に学校から帰る男の子が、ズボンがゆるくて脱げた。と言って、ものすごいおかしそうに笑っていました。その子は今日は学校帰りにズボンが脱げただけじゃなくて、かばんもバラバラに壊れたそうで、その子は「直すの難しいから直さない」と、直すのをあきらめてたそうです。
そんな友達を主名は見捨てて先に帰ってきたそうです。

「かわいそ~~~~」
と私が言うと、
「だって暑すぎたから」
とか言っていました。

この男の子は道とかであったら満面の笑顔で「サイラム!」とかいって、すごくかわいい男の子なのですが、
主名はしょっちゅうこの子を見捨てて帰ってきてます。
学校を出てすぐに忘れ物をしたのに気がついたその子が「待っててね!」と、教室にとりに入ってる間にさっさと帰ってきちゃったり。

昼は、今日帰国する、この一ヶ月間ずっと一緒に遊んでた女の子の部屋に様子を見に行って(熱があった)元気になってたので一緒にウエスタンキャンティーンに行き、食後はまた遊ぶというのでしばらく遊ばせて、女の子がお母さんとの約束の時間だから部屋に帰るというので、主名は部屋のまえまで遊びながら送っていき、私はそこまで付き合ってられないので、先にアパートに戻りました。

主名が帰ってきて、漢字とか勉強してる間、わたしは寝てました。
やっぱり、炎天下に歩き回るとぐったり疲れます。

そしたら、寝ながら、なんか、覚醒しそうとかいう感覚になって、それを味わって楽しんでいました。

で、「はっ!」と思って時計を見ると、すでに5時25分。

今日帰国する女の子がアシュラムを出発するのが5時半。
主名は見送りに行くといってたし、わたしは貸してたものを見送りのときに返してもらうことになってたし、ひさびさにすばやく動きました。

主名はずっと起きてたので、すぐにひとりで先に行かせて、私が間に合わなかったら先に行っておいてと、先方に伝えてと主名に命令して、その場合、荷物ももらっておいて、と命じました。

主名もすぐに状況を理解して、(というか、起きてたんなら時間みといてよとか思いましたけど)1秒で部屋から飛び出していきました。

私も身支度を整えて、10分後くらいに部屋から出て、走るのはイヤだから、リキシャで行こうかな、と、リキシャスタンドに向かって歩いていき、道路をわたろうとしたら開いた窓から見慣れた女の子の顔がのぞいたタクシーが目の前を通り過ぎようとしました。

むこうもこっちも
「あ~~~!」と思って、ぶんぶんと手を振り、タクシーの後ろの窓には女の子のお母さんが手を振っているのが見えました。
タクシーはどんどん遠ざかり、すぐに見えなくなりましたが、よかったなー、と思いました。

もう、見送りも済んだので、リキシャに乗らずに普通に歩いて、女の子が泊まってた棟の前に主名を迎えに行きました。

荷物を受け取った主名は半泣きみたいな顔でベンチに座っていたので、別離の悲しみか?とか思って
「泣いた?」
と聞いたら、
「泣いてへん。さわこが遅いから困った。」
とか言うので、
「見送りしたで。メインロードで会ってん。」
「バジャンいこ」
と私が言うと、主名は
「ここでちょっと遊んでいい?」とかいいました。

「バジャンの後でまたここに来て遊んだらいいやん。行こうよ」
とか言ってるうちにアルティの音楽が聞こえてきました。
(アルティになったらもう入場できない)
主名と顔を見合わせて

「あ、、、」
と、しばし呆然としたら、
横にいた一部始終を見ていたインド人のおじさん(多分私服セキュリティか警官か)がその様子を見て笑いました。

しかし、外から見れるし、プラサードがあっても外まで配りに来るかも知れへんし、と思って、主名と早足で、サイクルワントホールのほうに行ったら、シータラーマの像のところから、正面に座ってるババをまだ見ることが出来ました。
よかったよかった。

学生が何かプログラムをしてたので、プラサードがあるかと思ったのですが、今日はありませんでした。
プラサード、食べ切れなくて冷蔵庫にたまっていってるのですが、配るならもらいたいという。

ババは両手ブレスを男性側にして、いったん手を下ろして、そして改めて女性側にも両手ブレスをしていました。
すべてが終わったあとにまた改めて学生たちは「サマスタローカ~」から「ジェイ!」までやっていました。

そのあと、ババの家のほうに回りこんで、家に入っていくババも見ました。
ババが車椅子で帰ってくれるときはよく見えます。

改めて、ババのオレンジ色のローブって、鮮やかだなあ、と思いました。
それ自体が光ってるみたいにババがいる場所がすぐに分かる。

そのあと、飲み物と豆のおやつを買って、(アイスやさんはもう商品を売り切って、多分6月くらいのババが移動して戻ってくるまで休みみたいです)主名が夕日をみたいとかいうので見に行きました。

なぜか、主名と私が並んで腰をおろすと主名の下からありがたくさん湧き出てきたので、場所を変え、そこでもまた主名のしたからありがうじゃうじゃ湧いて出てきました。
主名は今日はありの巣の上に座る日だったようです。
でも、かまれたのは私でした。

そのあと、主名が遊びたがっていた砂地のところにまた行きました。
さっきのおじさんは同じ場所にまだ座っていました。
(やはり私服セキュリティかなにかだと思います)

行って、帰ってきたわたしとおじさんはなんとなく、お互いに「にやり」と笑いあいました。

主名はロシア人の男の子と女の子と遊んでて、私は蚊が来るので別の明るいところに移動してお茶を飲んでいたのですが、主名が来て、
「頭に砂をいっぱいかけられて、口の中にも入れられた」
とかいうので、
「でも、男の子のお母さん見とったやろ?」
というと、
「すっごい怒って、腕をぎゅーっとつかんどった」
と言って、主名は笑っていました。

夕食はウエスタンに行きました。
少なめに食べようと思っていたのですが、ついつい食べ過ぎておなかがぱんぱんになりました。
主名はわたしよりもたくさん食べていました。

主名はわたしの体の3分の一の大きさなのに、どこにご飯が入っていくんだ?と感心して、
「すごいな」というと、
さすがに最後のほうは
「無理して食べてる」
といいながら、それでも全部食べきっていました。
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【2010/04/02 05:00】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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