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4月19日「手紙」

昨日の夜は、部屋の天井についてる大きな扇風機が動いたり、止まったりを繰り返し、壁に取り付けてある風力調節のつまみのついてる機械からもバチバチ火花が散ったりして、なんだいったい?
というかんじでした。

朝は、7時前に起きて、プールに行こうかダルシャンに行こうかちょっと考えて、プールに行こう!と思い、でも、あれ?水着はどこだっけ?
洗ったはずだけど、取り込む時にはなかったし、、、とられたのかな?

と思いつつ、いやな予感がして洗濯機の脱水槽(2槽式を使ってます。)を開けたら、2日前に脱水したままになっていました。

ま、着れないこともなかったのですが、あまり着る気もしなかったので、主名を起こしてダルシャンに行きました。

トークンは6番くらいまであったと思いますが、私が並んだ列は3番くじを引きました。

順番にサイクルワントホールの中に入り、私は通称中ノ島のエリアの一般人が座れるスペースの端っこに座りました。
前にセキュリティスタッフが座るので、前から2列目になる位置です。

席を確保してから主名を連れてサウスで朝食を食べ、8時くらいに席に戻り、ヴェーダ吟唱に合わせてわたしたちも唱えていました。

今日は、いつものガナパティプラールタナとルッドラムとプルシャスークタムの後はシークシャバリを唱えていました。

でも、今日はゆっくり唱えすぎてたのかいつもより10分くらい
プルシャスークタムが終わるのが遅くて、シークシャバリの途中で9時になったので、途中で切り上げてシャンティマントラになっていました。

主名はプルシャスークタムが終わった時点で学校に行きました。

ババも移動の翌日で疲れてるだろうし、今日は来ないだろう、と思っていたのですが、バジャンが9時40分を過ぎても終わらなくて、来る予定みたいでした。

私は、今日のバジャンはよくわからないのが多かったので歌うのをやめて、瞑想というか、雑念や想念が出てくるのを見ていました。

全然瞑想になってなくて、いろんな、他の人のことを考えたり思ったりしていたのですが、すると突然、意識がオクターブ上がって、自分とババとの関係においては???という発想になり、私が意識できていなくても、ババが母親としていつも愛をもってわたしに没頭し、いかに深く思っているかに思い当たりました。

ババはお母さんなのか?

おりしも流れてきたバジャンは
♪サッチャスワルーピニマ~ サイ プレーマスワルーピニマ~~~~
(真理の化身の母よ。サイ、愛の化身のお母さ~~~ん。)

ほとんど趣味のように涙を流す私ですがこのときももれなく滂沱の涙。

その時、ホール内の人々がざわついて、ババがホールに来る前兆があったようでした。

中ノ島エリアは今日はガラガラで、中央が空洞化していたので、私は、ババが家に帰るときに通るコースの前から2列目に座布団を置いてキープしたまま、自分は中ノ島エリアの中でも、ババが来るときに前を通る位置に移動しました。

自分の体が移動したら気分も動く感じで、まだ来ないババの姿に意識が引っ張られた気がしたので、
ババもまだしばらく来なさそうだったし、また、自分の中に沈みこんでいきました。

するとまたババが来そうな動きがありました。

それでもやっぱりまだしばらく来なさそうだったので、また、自分に集中しました。
するとババが現れました。

不思議と、自分に集中すると、ババがこちらに引き寄せられるというのはあると思います。
どっちがどっちなのかは分かりませんが、相関性はあると思います。

ババが10時ごろに来て、わたしはその時は4~5列目くらいでしたが近くでよく見えました。

まださっきの母親としてのババの思いの中にいたので、そうなんだろうか。。。というかんじでババを見ていました。

ババが前を通り過ぎて行き、わたしはずっと気持ちよく涙を流していたのですが、ババが男性側をまわった後にまた女性側に向かってくる時に正面に位置する場所にまた移動しました。(いずれも中ノ島エリア)

2列目か3列目くらいだったでしょうか。
この場所はババはそんなに近くを通らないのですが、正面からやってくるときに前にさえぎるものがないのですごくよく見える場所です。

ババが学生たちの手紙をとったり、パダナマスカールを受けたりしながら正面からやってきました。
正面でいつもババは左折してステージのほうに行くのですが、この日も左折しました。

全身を見せながら前を通っていくババを見ているときに、私の心の声は紛れもなく、ババはお母さんだと告げていました。

私は今までババの父性を垣間見たことはあったと思いますし、その至高の存在としての、ババの父性の側面しかあまり認識していませんでした。
もちろんババが歩み寄ってくれたことは数知れず、というか、いつもそうなのかもしれませんが、とにかく、私の中でババを母性の化身として認識したことはあまりなかったと思います。

ババの中にはそのどちらも含まれている、と、知識として聞いてはいても。

なので、今日、ババを母性の化身として認識し、ババの母親としての人々を慈しむ思いを垣間見た気がしたのは、自分でも不思議でした。

ババはいったいどれだけの人々の母親をしているんだろう、、、と思いました。

ババが正面からやってきて、左折し、通り過ぎていく姿を見て、こころが
「おかあさんだ~~!!おかあさん~!!」
とババに勝手に強く呼びかけていました。

そしてそういう思いが前を通るババの中に吸い込まれていくのを感じました。

ババは通常はさらに左折してバルコニーの上へ行くのですが、この朝はバルコニーの手前で右折して、そのままさらに右折して、中ノ島の周りをグルッと回りこんできました。

いつもならババが家に帰るときに通るコースなので、わたしは急いで自分が座布団でキープしていた前から2列目の席に戻り、手紙を渡そうと、ババが来るのを待ちました。

私の横にも何人か手紙を差し出している人がいましたが、ババはあまり注意を払っていないような雰囲気でそのまま通り過ぎていきました。
私の前に来たときも、そのまま通り過ぎそうでした。

私は声には出しませんでしたが、「おかあさんっ!」と心の中でまっすぐババに呼びかけ、手紙をぐいっと差し出しました。

すると通り過ぎるかと思われたババは
「うん」
とうなづき、手紙の方に手を差し出しました。

それを見て側近がわたしの手紙を取り、ババに手渡しました。

ぎゃーっ。とってくれた!

うっそーってかんじでした。

思えば、自分の手紙を自分でババに渡したのはこれが初めてです。

今までは、後ろの人の、内容も知らない手紙を自分が代わりに渡したり、
グループでまとめて渡す手紙の中に自分のも入れてもらったり、
3年前のコダイカナルで6通手紙を渡したときも、全部主名に渡させていましたから。

なんか、もう、これが最初で最後でもいいって感じ。。。

もう、今年はコダイも行かなくてもいいって感じだな~。とか思いました。
(もしあるなら行くと思いますけど)



あーーー、ババ帰還後の最初のダルシャンから飛ばしすぎですよね。



ちなみに手紙の内容は、最初は、
「今、すべての疑問がなくなって、すべてに満足しますように」
みたいに書いたのですが、お願い文としてはいいけれど、
自分の気持ちと文面が乖離してて、ババも取る気がなさそうだったので、

きっと、もっと直球がいいみたい、と思い、10日ほど前に
「あなたに全託させてください」
に書き直しました。直球。

これは、もらってもらうまで、渡さなきゃ、てかんじですよね。

しかし、この手紙を取ってもらったら、
「全託、しちゃっていいんだ~~~???」
とか思いました。


ババ、託されちゃってもいいんですね!?みたいな。

なんか、決まったな、という感じがしました。
何かが。
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【2010/04/20 14:28】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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