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金曜日
今日は朝に主名の学校に行き、先生に、資格がないことを理由に願書を受け付けてもらえなかったことを言ったら、
「なんで?みんな(LKG と UKG の)資格なんて持ってないのに。」
とかいわれました。

やっぱそうですよね。
あやしげな外人の女が一人で願書を出しに来たし(他はみんな父親がそういうことはするみたい)、校長の防衛本能が自然に働いたんじゃないかと思うんですが、

でも聞くところによると、どこの学校ででもお金を出せばそんな資格はどうにでもなるそうです。

軽やか~にそういわれました。
出たよ。インド。


そのあと、電話局に行きました。

先日、日印ハーフの女の子のお母さんとしゃべってたら、やっぱり、修理を頼んでも一ヶ月くらい放置されるのはざららしく、ひとしきりお互い愚痴ったのですが、
(彼女は、「こんなだったら基本料金を払わないからね!」と電話局に言ったら、だんなさんに「そんなことをいうもんじゃない」とたしなめられたそうです。)
「あの人たち、暑くなるとますます働かなくなるからね~~~」
ということでした。
やっぱり、すごくいやだけど(行くと必ず頭にくるからなるべく行きたくない)直接電話局に行かないとらちがあかなさそうと思い、また電話局に行きました。

この電話局のデスクに座ってるインド人が史上最悪に働かなくて、文句を言いに行ったら
「モデムの種類は何?4種類あるんだけど」と言うので、
「そんなの知らない。そっちが控えてるはずじゃないんですか?」
とか言ったら、
「モデムは君のところにあるんじゃないか。おいみんな、モデムの種類を知らないんだって。しょうがないな~。ははははは」
みたいにとりあえず笑いものにされました。
知るか!

で、
「上の階に行け。」
とかいうんで、上のどこ部屋ののなんていう人のところにいくのか聞きなおして上の階に行きました。

行ったら部屋の奥に2人社員らしきインド人がいたのですが、
自分の状況を言ったら
「向こうの部屋に行け」
というので、向こうの部屋???
と思って、多分あれはサーバーだと思うんですけど、暗い中に機械が並んでる部屋に入って、呼んでみるけど誰もいず。

しょうがないので部屋の外に出たら別のインド人が2人(紳士風と労働者風)いました。
社員かと思って、状況を説明して
「もう3週間くらいもネットに接続できないままだ」
と言ったら
「自分もおなじだ」
とかいうんで、その紳士風男性も私と同じく修理?を言いに来た人と判明。
私がサーバー室に入ったけど誰もいなかったと言ったら
「あそこは入ったらだめだよ。危ないよ」
とか言われました。

担当のインド人がいなかったので、しばらくその2人のインド人男性と待つことになりました。
お互いしゃべってて、そのインド人が
「君の場合、モニターが問題なんじゃないかな?メーカーは何?」
とかいうんで、
「モニター?ソニーです」
と言ったら
「ソニー?じゃあ、もんだいないよね」
みたいな話をしました。

その男性は私と同じような立場なのに物静かで、私もすぐに頭に来て噛み付くのはやめようと反省しました。

しばらく待っても担当者が戻ってこないので、
先にいた社員らしき2人が出てきて、私の電話番号を聞いて、コンピューターで状況をチェックし始めました。
そう、たぶん、やればなんでもないことなんでしょうよ!

で、その社員風の2人はまともな感じだったので、私も頭に来ることなく話ができました。
で、あとでその社員風の男性の若い方が部屋に見に来てくれることになって、連絡してから行くから、部屋にいてね。
と言われました。
部屋にいてといわれてもいつ来るかわかんないし来ないかもしれないなあと思いましたが、
親切だったので従いました。

その部屋に私の部屋にあるのと同じタイプのモデムが転がっていたので、
「このモデムはなんていうタイプなんですか?下の部屋の人がモデムのタイプを言えとか言ってたので」
と聞くと、若い人は
「タイプ4だよ」
と、少し気の毒そうに教えてくれました。

今日は思い切って来てよかったかも。とか思ってたら、さっきの紳士が突然激昂して、2人の社員風の男性の年長の方にどなりつけました。

やっぱりこの人も頭にきてたんだ、、、、。
しばらく激しいやり取りが続いて、紳士は言いたいことを洗いざらいぶつけると、爆発したままかえって行きました。

労務者風の男性は、年長風の社員に何かひとつ質問されたら答えられなかったのかうろたえて、そのままいつの間にか消えてました。


若い社員が来るかもしれないので、部屋に昼までいましたがやっぱり来ないので、連絡用の携帯をもって帰ってきた主名とサウスに食べに行きました。

サウスでは今日は「スワミズプラサード」とかいって、ごはんみたいなやつとサンバルをもらいました。
昨日、プラサードもらい損ねたから今もらったのかな?と、おかしかったです。

でも今日のサウスのご飯はなんか久しぶりにけっこう辛かったです。
主名なんか、
「辛すぎて心臓が痛い」
と言っていました。

部屋に戻って音楽教室に行きました。

そこから主名は日印ハーフの女の子の家に直接遊びに行き、私は部屋に帰りました。

今日は主名は友達の家で、英語版のげげげの鬼太郎を見たそうです。

部屋でなんか作業をしようかと思ってパソコンをつけたら、ネットがつながっていました。
お、つながってる。

と思ったけど、すぐにまたつながらなくなったり、すご~~~~~~~~く動きが遅いので、
今はまたネットカフェからです。

あんなに遅いとは、ウイルスか?
まあとにかく、つながりました。

主名の友達のお母さんが野菜のてんぷらを主名に持たせて送り出してくれたので、おやつにおいしくいただきました。(主名にはちょっと辛かったみたいで、食べなかった)

いいなあ。料理上手なお母さんっ!てんぷらに愛が入ってるって感じでした。




夕方6時ごろにアシュラムに行ったら丁度ババが来たところでした。

三角の、ちょっと高級感のあるおいしいプラサードが配られました。

ババは、両手ブレスを正面にして、右にして、左にして、そしてまた正面にしていました。
ノリノリですね。


帰りは手紙をいくつか受け取って帰っていました。


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【2010/05/08 01:30】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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