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主名が渡した手紙
今朝は主名の学校は休みだったので、一緒にバジャンに行って、その後ウエスタンキャンティーンで朝食にしました。

その後、主名が芝生のところに15分だけ行きたいというので行きましたが、
「30分」
となって、砂遊びに熱中しだしたので、飲み物代と、帰りのサイクルリキシャ代を主名に渡して、私は先にサイクルリキシャで部屋に帰りました。

部屋で洗濯をしたりしてるうちに昼になったので、帰ってきた主名と部屋で昼食にしました。


音楽教室は、私は元気だったのですが、だるかったので自主休校することにしました。
主名に「お母さんはどうしたの?て聞かれたらなんて答える?」と問うと

「ベリータイヤード」
と答えたので
「OK]
と、送り出しました。


あ~、と、伸びてゴロゴロしてたらじきに主名が帰ってきました。
1時間て早いです。

今日はいつもの音程とリズムの練習のほかに、バジャンも1曲教わったそうで、帰ってきたら唸って歌っていました。



主名にそのまま部屋にいられてもからんできてうっとおしいので、

「〇〇ちゃんも手紙渡してたし、主名も今日は男のほうに早くに行って、ババに手紙渡せば?」

といったらやる気を出して、何度か書き直した末に書きあがった手紙を持って、白の上下を着て主名はダルシャンに行きました。


あ~~やれやれ。私の時間。




部屋でゆっくりして、ゆっくりダルシャンに行きました。

ちょうどババがきたところで、ホールに入ると、男性側をぐるっと回ってきたババが女性側を回りこんで中央に行こうとしました。

ん?
オレンジ色の封筒を持ってるような気がする?



最近ババはホールを回って受け取ってきた手紙を中央に行ってからその場であけて読んでることが多いです。


バジャンが終わってホールの外に出ると、主名がすでに待っていました。


「手紙は?」
と聞くと、
「ババがとっていった」
とのことでした。
はや~。



やっぱ、あのオレンジ色の封筒は主名のだったか。

よく聞くと、ババが直接じゃなくて、横にいてババの指示で手紙を取る側近が取って行ったそうですが、
主名は4列目だったけど、合唱ポーズの両手の間に手紙を挟んで、すっごい体を伸ばして差し出してたら、ババも側近もニコニコして笑ってた。で、持って行ってもらったそうです。

身長120センチくらいの主名が4列目から手紙を渡すとは、相当伸びたんでしょう。
目に浮かぶようです。


しかも、なんか、周りは学生みたいな人ばっかりで、いつもと違う、すっごい近いところところに座った、とか言ってたので、どさくさにまぎれて学生席かなんかに座っていた模様。


これからず~~~っと、男のほう(男性席)に座ったほうがいいんちゃうん?
とか思って、そう言いました。

男性席に座るたび、
ババが前を通るときにブレスしていっただの、
ビブーティーの袋にババが指を突っ込んでかき回したやつをもらっただの、
主名の妄想が入ってそうな感じもしますが、(空想というべき?)
いいことばっかりあるみたいなので。
(実際、ビブーティーの小袋はその時もらってきました)


たぶん、私の影響下から離れたほうがお互い幸せなんだろうと思います。

占星術かなんかでも、10代で主名は私から完全に離れてその後の人生を楽しむ、みたいなこといわれたような気もするし。
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【2010/05/16 01:36】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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