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決めるときは決めるババ。
最近、一日の時間配分がめちゃくちゃになってて、なんだかよくわかりません。

昨日の午後はババは来てました。
たぶん、カシューナッツペーストだと思うのですが、濃厚でおいしいひし形のプラサードが出ました。

なんだか、プラサードをもらったのは久しぶりな気がします。


今日の朝は私たちは部屋にいましたが、ババはダルシャンに来てなかったみたいです。


今日の午後も来ないかな~?と思いましたが、

今日の午後は遅くに来ました。

ホールをぐるりと回って、中央に来るとわりとすぐにアルティになりました。

ババはイスのところに来たおじさんにビブーティーを物質化してあげて、額にもつけてあげていました。


ババが家に帰るとき、わたしは見てなかったのですが、

ロシア人家族の母子の手紙もババは取って行ったそうで、

明日日本に帰る日本人母子の手紙もロシア人に渡してあったそうで、一緒にもっていってもらったそうです。

ババは前に来た時に右手を上げてブレスもしたそうで、

やっぱ、決めるときは決めるなー、ババ。と、話を聞いて思いました。


明日日本に帰る母子のお母さんは今日ババに手紙を渡すまでに何度も書き直したそうで、

とってもらって、よかったなあ、と思いました。

というか、彼女たちが手紙を渡そうとしていたこともわたしは忘れていました(笑)


同じころに書いた私の手紙はどこに行ったかなあ?

また、主名に持たせて男性側に送り込もうかな?


男性側は、見てたら手紙を渡し放題ですよね!!!

ババが見てなくても側近の?人が茶摘みでもするかのように、素早くどんどん取っていっていますもん。


女性側だと、ババがジ~~~~~~ッと見てても、ババが手を動かして合図するか、あごをしゃくるかしないと、
側近?の人は固まってて取ってくれないんですよ。



サウスで夕食を食べてから、主名と友達は芝生の近くで遊んでいました。

かえるがいたので、主名はかえるの近くの地面を踏みながらかえるを飛ばそうとしてました。

わたしが
「うっかり踏みそうやからやめとき」

といい、

主名の友だちが
「カルマが返ってくるよ。自分がやったことをやられるんだよ」

とか言うのを聞いて主名は

「ぼく、でっかいかえるに踏まれるの?」
とか言っていました。

それを聞いて、5メートルくらいのかえるに踏まれる主名をありありと想像してしまいました。
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【2010/06/12 07:41】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
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【2010/06/12 15:21】 | #[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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