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カナ カーリヤ?(ごはん食べた?)
今朝はババは来ず。



今朝は2回目の、身障者へ食事を配るのをしました。

昨日けっこう雨が降って、今日も朝から小雨が降ったりやんだりで、かなり涼しくて快適でした。


その後、今日帰国の母娘を見送り、サウスで昼ご飯を食べました。

週に一度くらいは教室に行こうと思い、部屋で歌の練習をしてたらお兄ちゃん先生から電話がかかってきて、
今日の練習は一時間遅れで始まるとのこと。

なので一時間遅れの3時に行きました。


昨日の雨で、ハヌマーンテンプルの近くの道は大人の首まで雨がたまってたと昨日一人で行かせた主名は行っていましたけど、、(じゃ、ちびっこのあんたはどうやってそこを通ったんや!?)

そんなわけはなくて、
今日もぬかるんではいましたが道に水はたまってませんでした。

主名は大げさに言うのはインド人並みになりました。



今やってるシバの歌は難しいです。

こないだまでやってたクリシュナの歌はやっぱり甘くて優しくてまろやかな感じでしたが、シバのになるとやっぱりなんかとがった感じで、音の高さもキンキンと跳ね上がります。


みんなが歌ってるときに「SAWAKOも歌ってね」と女の子先生に言われましたが、
歌いたくなかったので、先のレッスンの分をノートに書き写していました。

(テキストがテルグ語なので、お兄ちゃん先生が英語で習う人用のテキストに翻訳してくれてて、
それを各自ノートに写してます。)


教室が終わったあと、土日に開かれる市場を抜けて、ハヌマーンテンプルからゴープラムロードを上り、
途中のビシュワンホテルだったかな?
つまり食堂(食堂のことをホテルといったりするみたいです。泊まれないホテル。)でお茶を飲んで休憩しました。


お茶を飲んだらマサラドーサも食べずにおれなくなって、注文して食べました。

至福のひと時でした。

マサラドーサは、カレー味のポテトをパリッと薄く焼いたドーサでくるんだ食べ物です。

チャツネとサンバル?もついてきました。

主名もプレーンドーサ(何もついてないところ)は大好きなので、分けて食べました。


いつもはさっさと部屋に帰るところですが、なんか今日は、旅行者気分というか、なんか時間のポケットに入りたい気分だったのです。

小雨が降っていて、なんとなくしみじみした感じだったからでしょうか。




日本だったらお茶とケーキとなるところが、ここではお茶とマサラドーサ。


慣れるとやっぱりこういう味は癖になります。

しばらく日本に帰ってて、最近こっちに戻ってきた長期滞在組の女性も、日本でサンバルかけご飯を食べたくなって、
ご飯に味噌汁をぶっ掛けて七味をふりかけて食べたと今日言っていました。

わかる、その気持ち。

わたしも日本でウプマが脳裏に焼きついて消えなかったことがありました。



部屋への帰り道に用事で占星術師のところに寄ったら、昨日来た日本人の鑑定がBさんは不本意だったらしく、

「彼女は遅くに来て、アシュラムの門限の9時に戻らないといけなかったから時間がなくて半分しかいえなかった。
まだ言うことがあるからあした11時半に来て。お金は要らないから。と伝えて。」

と伝言されました。


部屋に戻ってしばらく主名の頭のしらみ取りをし、(インドに来てたしか3回目のしらみ発生)
6時過ぎに夕方のバジャンに行きました。

ババは来た後で、中とか裏とか回ってました。

ホールに座ってたらババは中央に出てきて、しばらくバジャンを楽しんでいました。


アルティになってもババはしばらく帰らず、前のほうに座ってる学生に何か投げたり、話しかけたりしていました。

今日は久しぶりに両手ブレスが出てました。



ババが女性側の校長先生や親族がいるエリアに差し掛かったときに、急に右折したのでホール内女性側は総立ち状態になり、みんな前に詰め掛けました(このワンパターンいい加減やめてほしい。私もやったけど)

ババは正面のVIPエリアでまた右折するという珍しい動きをしました。

VIPエリアの誰かのところに急遽行かなくちゃいけなかったのでそういう動きになったのか、
VIPエリアのだれかとしばらく話をしていました。

そしてそのままUターンをして、家に直進で帰っていきました。

今日はお見送りエリアに座った人の前はババは通らなかったので、残念なことでした。

わたしは立ち上がって前に詰め掛けた人たちの中にいて、どさくさまぎれに横のほうからずんずん前に行ったので、
ババがよく見えてしまいました。



主名が芝生で遊ぶというので、芝生で遊ばせていたら、伝言を頼まれた日本人が来て、
しゃべりついでにBさんからの伝言も伝えました。

そしたら
「え、でも、わたし英語できない、、、。」
といことで、明日のその指定された時間にわたしも通訳としてついていくことになりました。
まあ、こうなることは予想がつきましたが。

でも、お互い満足のいく、追加鑑定になるといいなと思います。


彼女いわく、
半分冗談ですけど、昨日はBさんが途中でバジャンを歌いだして止まらなくなったので時間がなくなったとか言ってたので、
じゃ~、それってBさんのせいや~ん!
とか言ってるうちに
話題に触発されて主名も歌いだして止まらなくなりました。


かなりインド人化が進んでいるような気がしますけどそうは思いたくないかんじ?



サウスで久々にミールスを食べて、部屋に戻りました。


帰り道で「カナ、カナ、(ごはんごはん)」とふらつきながら寄ってきた老婆の乞食がいたのですが、もう夜遅くて店も閉まってるし、いつものように知らん顔をしてさっさと通り過ぎました。


でも主名が
「あの乞食泣いとった、ほっぺに涙がいっぱいうわーっとなっとった。」
とか言いました。


プッタパルティでそんな深刻そうな乞食はめったにお目にかかれないので、
(だいたい能天気な雰囲気)
現金は渡さない主義なのですが、もう通り過ぎた後だったし戻るのもだるかったので、主名に10ルピーだけもたせて渡しに走らせました。

10ルピーは安いですけど、
とりあえず道端で売ってるココナツのジュースとその実を食べれる金額なので。



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【2010/06/13 03:27】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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