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雨で快適。
今日の午前中はだるかったので、部屋で用事をしたり主名に足を踏ませたりしてました。


主名は友達のところに遊びに行きたくてうずうずしていたので、一人でサウスにご飯を食べに行って、いったん部屋に戻ってきて昨日作ってたプレゼントを持って友達の家に行きました。

私は、用事で占星術師に電話したらカムカムとか言われたので、だるくて断る気合もなくて、30分後に行くことになりました。

で、風呂に入ったりしてさっぱりしていったら50分後くらいになったので、占星術師が文句を言いました。


「生理だから早く動けないんです」

と言ったら、不浄を嫌う占星術師はおののいてたので、ふふん、とか思いました。

bsan1

たぶんネット初登場?占星術師Bさん。

前世は日本の僧侶だったそうで、(アガスティアの葉に書いてたそうです)時間に厳しいんです。

わたしは過去生、インド人が続いてたのか!?
どうやったら時間通りに目的の場所にたどりつくのかわかりません。



聞くこと聞いて、サイスーリャレストラン(インド食堂)に行って、ベジタブルウッタパを包んでもらって持ち帰り、部屋で食べました。

洗濯とかしてたら主名が友達と一緒に戻ってきました。

白の上下に着替えてすぐにダルシャンに行くかと思いきや、

主名「お茶入れて。OOくんお茶飲む?」
OOくん「いいよ」

と、2人の6歳児はお茶を飲んで図鑑を見てしばらくくつろいでいました。


「バジャン終わるで。行きや」と、しばらくしてから2人を追い出して、

私も後から行きました。


ババは6時過ぎにはもう来て座っていました。

今日は政治家かなんかが来てたみたいで、本人が乗る車と護衛?の車が8台ほどカーゲート近くに停めてありました。


ババは今日も手紙を読みまくっていました。



アルティの後、その政治家とその家族らしい人たちが呼ばれてインタビュールームに入っていきました。

ホールの中はガラガラになり、がらがらのホールって好きなので、インタビューが終ってババが帰るまで座っていたかったのですが、
外の道を主名が歩いてやってくるのが見えたので私もホールの外に出ました。

サウスで夕食を食べ、今日はラドゥーも食べました。


主名が食べるのがすごく遅くて、
私は外で待ってたのですが雨が降り出したので、サウスの窓から、中でまだ食べてる主名に早くするように言って、急いで部屋に帰りました。

雨が降って、肌寒いくらいです。


こんなに涼しいなんて。。。。快適。
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【2010/06/15 04:12】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
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【2010/06/15 11:26】 | #[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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