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残された時間。
今日は知人の髪の毛を切り、たまってた家事をして、主名をアシュラムで遊ばせるという、のどかだけど忙しい日でした。

主名はアシュラムの赤い実を今では木から直接もいで食べまくりです。

今日は芝生のところで知り合いにも会ったので、背の高い彼女も木からとってくれて、その、名前も知らない実をみんな食べまくりでした。


(Oきさんへ、ムルガンのブロマイド!?笑!伝えましたよ~)


部屋に帰ってから、主名は先に男性側にダルシャンに送り出し、
わたしは昼寝したいな~と思いつつ、6時くらいに女性側に行ったんだっけ?




ところが今日はババは来るのがすごく遅かったですよ。

来たのはなんと7時45分でした。


最近、午後のダルシャンがお休みのときも時々あるので、今日も来ないのかな~?てかんじでしたが、
バジャンは延々と続けられていたので、あ~~、ババ、来る気はあるんだなー、と。


みんなもよく待っていました。

早い人は1時や2時くらいから座って待ってたりするので、待ちに、待った後でババが来ると、さすがに来たらありがたさがひとしおという感じではありました。

わたしも、待ちきれずに帰っていった人々のあいたスペースを縫って前に行き、けっこう前のほうでダルシャンを受けることが出来ました。


壇上のババを見ると、なんだかもうダルシャンのなくなった未来から、過去の今の瞬間をみているような気がしました。

この貴重な輝ける奇蹟の瞬間、という感じがしたのです。


実際、一般へのダルシャンはもう、間もなくなくなるだろうと言われ続け、でもまだ今のようにババはダルシャンを与え続けている状況で、明日から突然ダルシャンがなくなることもありえないわけではないです。


もしかしたらほんとはもうその一般へのダルシャン終了の期限は来てるのかも知れないけど、わたしたちの必要や要望を満たすためにババは老体に鞭打って??期限後もダルシャンを与え続けているのかもしれないし、
それはだれにもわかりません。

でも、残された時間がもうあまりないということは確実に言えるわけで、
(ババは12年後に肉体を離れるらしいです。その時期が早まるとかいうデマ?もちょくちょく流れてます)

今日みたいに、くるのか来ないのかわからないまま長く待たされた後にダルシャンを与えられると、
いやでもそういう一回一回のダルシャンの貴重さが思い起こされます。




。。。。。しかし今日は遅かった~。
お腹もぺこぺこ。

しかしババはゆったりと1時間、前に座り続けてくれていました。

8時半に一度アルティになりかけて、アルティの歌も途中まで歌われて火もついてたのですが、
ちがうちがう、まだだよということで?
(たぶん、みんな、そろそろ終るんじゃないかな~とある意味期待してたんだと思います。笑)
みんななごんで拍手も少し起こり、

またバジャンが再開され、3曲くらい歌われた5分後に、ほんとにアルティになりました。

アルティの後もババはしばらく前にゆったりと座っていました。



結局全部終ってババが家に帰った時には8時45分を過ぎていました。



私たちはその後ウエスタンキャンティーンに夕食を食べに行ったのですが、
食べ終わってアシュラムを出たのはもうほとんど10時でした。


私も主名もたくさん食べて、お腹がまん丸になりました。(やばい)

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【2010/06/28 03:43】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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