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デリー到着
デリーに今日の昼ごろつきました。出たのは14日の夜で、ついたのは16日の昼前でした。

着いてすぐに用事で動き回ったので、さすがに疲れましたよねー。

用事が終わって2時すぎに昼ごはんを食べようとしたら、疲れてあまり食べれなかったので自分でもびっくりしました。

明日とあさっては何も用事がないのでのんびりしようと思います。



ほんとは暇だし、土日はマトゥラー(ブリンダバン)に1泊2日で足を伸ばそうかと思ったりもしたのですが、列車の中から主名が咳き込みだして、吐くわ下痢るわでにぎやかで、、、今は平気は平気で、晩ご飯も外でしっかり食べてきたのですが、喘息も少しでてるので、この土日はおとなしく養生させようと思います。

(本人は元気だから地下鉄に乗りたいとか言ってるけど、地下鉄はクーラー効いてるって話だし、喘息っ子はやめたほうが無難でしょう。。。あとマクドナルドも、行きたがってるけどやめといたほうがいいでしょ。。。)

くる途中、コパルガオンという、シルディ村の最寄の駅が2日目の午後2時くらいにあったので、
「ああ、ここかー」
と思いました。

コパルガオンからリキシャで30分くらいだそうです。

駅はきれいでいい感じでした。

帰りに、寄れたら寄ってこようと思います。



しっかし、子連れの旅行も楽になったものだなあと思いましたが、まだそうはいかなかったって感じですか。

まあ、あかんぼに比べると子供そのものを持ち運ばなくていいというのと、母乳を出さなくていいというのがあるから楽は楽ですけど。

母乳は母乳になる直前まで血液だそうですから、(なんかのところを通るとさーっと白くなって母乳になるとか本で読みました)
母乳育児中のお母さんはずっと出血中っていうのとおなじくらい体はへとへとなんだろうと思います。


元気なときは興奮してはしゃぎまくって列車の中を上ったり降りたり上ったり降りたり(3段ベッドの寝台車なので子供らにはアスレチック状態)時々ほかの人の頭をけってしまったり。

具合が悪くなったらおとなしくなるけど下痢ったりもどしたり、で、また元気になってくるとあれかっていい?これかっていい?とか質問の雨あられ。

そんな主名の様子に、思わず吐き気を催して列車酔いしそうになりました。



列車の中では知り合いのインド人の奥さんが隣の席だったので「アイムベリーハッピー!」と喜んでました(笑)
デリーまでずっと一緒でした。

しかし、知り合いがたまたま隣に来るのは初めてでした。

これも天の導きか!?
いろいろあったのですが、ブログでは割愛します。



そういえば、列車の中からたくさん野生の孔雀が見えました。
気をつけてみてると、たくさんいるもんなんですね。

走ってたり、群れでいたり、ちょっと高いところにとまってたり。

私は見ませんでしたが、主名は羽を広げてるのも見たそうです。

主名は見てないと思いますが、わたしはツルの仲間だと思いますが、
大きい、顔の辺りが赤い鳥の群れも見ました。


しかし、ニューデリーの駅について、メインバザール(安宿街)に行く出口はどっちだったかなー?と、しばらくたたずんだのですが、主名がどっちだったか覚えてました。
子供は見てるものは覚えてるもんですね。

で、駅から出るまで一度もホテルの客引きに呼び止められなかったのは、それでいいのか?と思わず自分に問いかけそうになりました。
(デリーの客引きはわりと強引なので、声をかけられないと楽なんですが、よっぽど所帯じみた?ムードだったんだろうなー、と。)


半年前に止まったのと同じホテルに来ました。
広めの部屋はまあまあだったので、まあまあでいいやと思って。
探すのも面倒だし、着いてすぐに動きたかったので。

でも、半年前は600ルピーをねぎって450ルピーになったんだったと思いますが、
同じ部屋が700スタートで600ルピー以下にはなりませんでした。

まあ、デリーの物価の急上昇振りは聞いてるのでそういうこともあるだろうとは思いますが、

ん?今はバックパッカーのシーズン(そんなものがあるなら)なのでしょうか?

隣の部屋の2人連れの西洋人女性の旅行者が
「暑いわね~~~!でも、私たちインドに来たのよね!そうよね!?」
みたいな会話をしているのが漏れ聞こえてきました。



でも、ホテルについてすぐに受付のところで受付と宿泊客がもめてました。

若い(10代の?)西洋系のバックパッカー数人で、見てて、対応するホテル側の人もうんざりしてる感じで大変だなーと思いました。

とりあえず気持ちで負けないようにみんな怒ってみせる人が多いですもんね?


そういう私も、部屋に入ってすぐに一風呂浴びてさっぱりして、
出かける準備をしてたら主名が部屋のドアの外側についてたらしいドア止めを折ったみたいで、

従業員が「これはすごく新しいやつなんだぞ!」みたいに怒ってきたので

「新しいなら何でそんなに弱いんだ。そんなのこっちの問題じゃなくてそっちの問題だ」
みたいに反射的に怒ってみせてしまいました。

(結局、もう一人の従業員が間に入ってうやむやになりました。一応軽く「ソーリーッ」と言っておきました。)



町を歩いていると「サイラム」と呼びかけられてる気がするんですけど、空耳でしょ(笑)




メインバザールの通りは、道路を拡張するみたいで、道路の両サイドの店先がず~~~~~っと切り取られています。

しかしインド政府はやることがすごいねって感じです。



そういえば、今回乗ったのはカルナータカエクスプレスだったのですが、やっぱり何人かのおかまが場所代(?)を徴収して回っていました。
何でか、男からだけお金を取るんですよね。
そして男性たちはみんなその間、うつむいて、すごい静かになるんです。

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【2010/07/17 01:58】 | デリー | トラックバック(0) | コメント(2) |
<<デリーの小児科の病院の緊急外来に行きました。 | ホーム | タイトルなし>>
コメント
デリーメトロ、主名君の喘息が治って、乗ってみたくなったら、乗ってみてください。
日本政府の円借款で作られた鉄道で、工事に日本の建設会社も入っています。
私は乗った事ありませんが、日本の車両に似ているらしいです。

【2010/07/17 23:41】 URL | ババの帰依者 #nLnvUwLc[ 編集]
> デリーメトロ、主名君の喘息が治って、乗ってみたくなったら、乗ってみてください。
> 日本政府の円借款で作られた鉄道で、工事に日本の建設会社も入っています。
> 私は乗った事ありませんが、日本の車両に似ているらしいです。

サイラム!

そうなんですかー。
なんか、高架を走ってる新しい感じの電車も見かけて、主名はスカイトレイン(タイで、ああゆうのをスカイトレインと言っていたので)に乗りたい乗りたいとやかましいのですが、
ガイドブックを見たら、鉄道博物館とか動物園やチルドレンズパークもあったので、明日はそういうところに行ってもいいかな~?と思っています。
シルディババのテンプルもこの近くにあるらしく、小さいみたいなんですが、近いなら行ってみてもいいかな?とか。
大きいのもどこかにあるんですよね?確か。
どこだったっけ。v-236
【2010/07/18 02:16】 URL | 古野SAWAKO #-[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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