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シッキムの子供たち。
最近、北インドのシッキムからのグループが来てて、
シッキムの5~7才くらいの女の子たちの集団もノースインディアンキャンティーンとかで見かけて、
かわいいな~と、心が洗われるようでした。

昭和初期の日本人の子供みたいな素朴ななんともいえないかわいさがありました。

北のほうなので、顔立ちもネパールとか中国とかっぽい、つまり、日本人ぽい顔立ちの子供も多いのです。

みんな、昭和初期の日本人の子供がタイムマシンで現代につれて来られちゃったみたいな、まとっている空気の根本的な違いを感じました。

きっと、ヒマラヤのほうの(シッキムって、実際どこにあるのかはっきりはしらないんですけど)自然の豊かな高地から来たんだろうなという感じでした。


その子供たちが今日はプログラムをしていました。
語り(劇?)と、色んなダンスをしていました。

東洋の森の素朴な妖精たちという感じでした。

久しぶりに静かに号泣してしまいました。

中にはほとんどそのまんま中国の歌と衣装の踊りのようなのもあって、たぶん中国と文化圏がダブってるんでしょうね。
すさまじく郷愁を誘いました。

私は比較的都会っ子として育ったようにも思うんですが、生命の根源に近いところの記憶に対する郷愁がキタかんじでした。


出し物が終わったあと、そのシッキムの子供が、前に座ってるババに
「ぜひシッキムに来てください」
とか愛情たっぷりに言っちゃってて、

ああ、そんなこといって、やばいよ。ババはご老体なんだから、、、
とか思いました。

なんか、その場でババも
「自分はシッキムに行くことに決めた!」と宣言しそうな気もしたので。

実際、ババも泣いてたし。


ババは出演者の一人一人に衣類(サリーとかドーティ?)をあげて、ビブーティの包みも配らせて、
降りて行って一緒に記念撮影をしてました。

プログラムの責任者を前に呼んで、指輪を物質化して出して、指にはめてあげたりもしていました。

少し前から、そういう記念的な瞬間の写真はその場ですぐに大きくプリントして、10分後くらいにババがその人(今日はプログラムの責任者)にその場で直接あげる仕組みになったみたいですよね。

観光地でデジカメで記念撮影して、その後すぐにプリントした写真をくれるやつとおんなじですね。



今日のサイクルワントホールは暖かい拍手が何度も起こり、いつも以上に暖かな雰囲気に包まれていました。

ババは両手ブレスを男性側と女性側にし、
サマスタローカーのときに、「おさえておさえて」のしぐさなのかブレスなのかよくわからないけど、
たぶん低い位置の両手ブレスでしょ、というのをたくさんして、

その後、両手の位置をガバッとはなして、右手で男性側、左手で女性側に向けたダイナミックな両手ブレスをしていました。

そ~~んなブレス、今まで見たことがなかったので驚きました。

ブレスも進化系でしょうか。
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【2010/07/31 04:20】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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