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主名の新しい学校(シルディサイスクール:通称3Sスクール)
今朝は簡単なお弁当を作って主名と一緒に新しい学校に行ってみました。

けっこう遠いと聞いてたのですが、予想以上に遠かったです。
オートだったらサイタワーの前から片道20ルピーでした。

ほんとは昨日、手続きのために行って、今日から通わせようと思ってたのですが、時間が取れなかったので、
今日いきなり行きました。

そしたら今日は小さい子達(小学校低学年とか)は休みで、大きい子達(小学校高学年や中学生くらい)が、ピクニックだそうで、バスにぎゅうぎゅう詰めに乗って楽しそうに出発していきました。
校長先生に、主名をこの学校に通わせたいことを言って、半年分の授業料や雑費を払い(3000ルピー)、登録してきました。

なので、実際通うのは月曜日からになりました。

学校はきちんとした感じで、もうちょっと大きい学年になるとコンピューターの授業もあるみたいでした。

比較的郊外になるので、広々した雰囲気でした。



ほんとは主名をさっと置いてきて、人が来る前に部屋に戻って掃除をしようと思っていたのですが、
登録に1時間半もかかったので、

部屋に戻ったら約束してた知人たち3人がもう待っていました。

なので、ウォッチマンに屋上の鍵を借りて、屋上でヴェーダの練習をしました。

主名はお弁当のサンドイッチをみんなに配って無理やり食べさせていました。



お昼まで練習して、昼はウエスタンキャンティーンで食べ、知人夫婦が泊まってるゲストハウスを見物しに行きました。

カナラバンクの向かいのチンマヤロッジというとこで、1泊300ルピーを250にしてもらったそうです。

すごくきれいというわけでもないですが、250ルピーでこれなら安いですよね、という部屋でした。
ベッドが4つもあって、知人はその上でハタヨガが出来ていいと言っていました。

今はヨーロッパやイギリスの大きいグループが来てるので、アシュラムの中の部屋もいっぱいで、外も、いいホテルの部屋は押さえられてるみたいです。

でもチンマヤロッジは、そんな状況とは無縁な雰囲気でした(笑)


その後、主名だけ音楽教室に行かせました。

私は、昨日今日と自主休校です。

前回、女の子先生に主名に毎日10分レッスンしてあげて、といわれたので、
「無理~」
と、行く気をなくしました。


歌の練習は自分の中で優先順位があまり高くないので、
ちょっとでもプレッシャーがかかると「そんなのいらない」となってしまいます。

何回も、
「楽しむためだけ、趣味のためだけに来てるから、一生懸命には出来ないしやりたくない」
「資格とか、取れたらそれはそれでかまわないけどそれは目的じゃない」
と言ってるのですが、

先生たちは音楽に命をかけてて、音楽こそが人生だみたいな生き方をしてるので、
私にも無意識的にそういう態度を求めるのですが、
もう、すれてるからいまさらそんな風にはなれないですよ。

でも、年齢的には先生は私の半分だし、私がそこら辺は大人の余裕でうまくかわせばいいんでしょうけど、
不登校になる私(笑)


そうしてしばらく部屋で至福の一人の時間をすごしました。

まもなく主名が帰ってきましたが、なぜか今日はさっさとダルシャンに行きました。
最近、たちのいい、毎年来てるロシア人の兄弟が来てるので、ダルシャンホールで会って遊べると思ったのかもしれません。


わたしはちょっと昼寝(すでに夕寝)します。
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【2010/08/06 19:51】 | 主名の学校 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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