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朝のサイババロングインタビューと、特殊なトラヨダシの日のプージャ
今日は朝、アシュラムのパン屋に朝食を食べに行って、そこら辺で食べてたらアルティになりました。
ガネーシャゲートの方に行ったら、ババの家の前に人がいっぱいいたので、

「あ、ババ今日来てたんだ」
と思い、
私たちもババの家の前に行って、帰宅するババを見ました。
今朝はババは車に乗らず、車椅子で帰っていっていました。

後で聞くところによると、今朝はババは7時過ぎに来たらしいです。
で、UKの誰か数人をインタビューに呼んだとか?
なんかそんなようなことを知人は言っていました。

そのあと部屋に戻って大急ぎで掃除して、ヴェーダの練習の3人が来たので入ってもらって、
3人には部屋で待っていてもらって、わたしは50人分の食事配りに行きました。

そのあと、部屋で昼までヴェーダのチャンティングの練習をしました。

食事配りで歩き回った後で練習したのでよく声が出て、久しぶりに気持ちよく、いいバイブレーションで唱えられた気がします。

昼はサウスで食べて、主名は友達のところに遊びに行って、私は占星術の鑑定代行に行きました。

夕方4時くらいに部屋に戻り、風呂に入って、主名を呼び戻し、ハヌマーンテンプルでのプージャに行きました。

今日はトラヨダシというシヴァの礼拝にいい日と、土曜日(いつも土星のプージャをしてる)と、アールッドラと言う、ババの星宿の日で、その3つが同じ日になるのは1年に1回くらいで、この日を境に、たくさんの変化がおきるだろう、ということで、なんかちょっと特別な感じだったみたいです。

主名は昔クラスメイトだった、占星術師の子供とずっと遊んでて、プラサードが配られるときだけ走ってきました。

シバリンガムアビシェーカムと、ハヌマーンプージャと、惑星(土星)のプージャに参加したあと、ダルシャンに行きました。

ダルシャンはやはり人が多かったです。
ホールの半分くらいまでグループの人らが座ってました。

きな粉団子みたいなプラサードが配られました。

ババはアルティのあと、またバジャンホールかインタビュールームかに入っていったので、
私たちはババが家に帰るのを待たずにサイクルワントホールの外に出ました。


今日の夕方、台風の前のような強い風が吹いたので、豪雨になるかと思ったのですが、パラパラ、だけでした。

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【2010/08/08 02:55】 | ジョーティッシュ | トラックバック(0) | コメント(2) |
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【2010/08/08 23:05】 | #[ 編集]
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【2010/08/08 23:10】 | #[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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