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純粋に今日の日記。
今朝は6時半くらいに目が覚めたので、洗濯したりいろいろ部屋の用事を片付けました。

主名もつられていっぺん起きて外に遊びに行ったりしてたのですが、帰ってきてまた寝てました。

朝はサウスで食べて食べさせて、主名をオートに乗せて学校に送り出しました。

今日は昼くらいまでずっと少し雨が降っていました。

ここ数日、学校での様子を見てないので、今日はウエスタンで昼食を買って、昼、学校にもって行きました。

戻ってきて、私も部屋で昼食を食べたら眠くなってしばらく寝ました。

起きてから5時くらいまでネットカフェで占星術鑑定代行の清書(文章化)をしていました。

主名が学校からバスで帰ってきたので、鍵を渡して部屋で着替えてこさせ、ダルシャンに行かせました。

私も6時前くらいに行きました。

アシュラムに行ったらしばらくしてババが家から出てきたので、男性側の外側から見ました。

その後女性側から中に入りました。

女性側の入り口も改装工事がされていて、そこに生えていた細長い木が何本も切り倒されていました。
なのでちょっと残念な気がしました。

始めてインドに来たとき、この種類の木の葉が風に揺れてたなびくのを見ているだけで、
いろいろなにか深遠な知恵のようなものがおのずとわいてきたものでした。

ホールの中に入ってダルシャンを受け、バジャンに参加しました。

最近忙しくて虚脱しがちというか、疲弊してるのですが、
主名も、学校にお昼を持っていくときは「もう帰っていいよ」とかいってあっちを向くのですが、
学校から帰ってくると
「今日はいたずらっ子に頭突きされてたんこぶ2つできた」とか
「ボールをとられた」
とかいうので、ふーん、ときいてたらそのうち熟睡するので、
子供は子供なりにいろいろ疲弊してるんだろうと思います。

今日は、前も配られた豪華版ナッツの詰め合わせでした。
最近毎日プラサードがでてます。

すでにババの85歳の降誕祭が始まってるみたいな感じです。(本とは11月23日)

くるみ、アーモンド、カシューナッツ、レーズン、ピスタチオ、そういうナッツ類の、結構量のある詰め合わせでした。

今日もババは受け取った手紙を読みまくっていました。

両手ブレスを男性側と女性側、そして中央に向けてしていました。


おくさまーという感じの日本人のグループを見かけたので、何のグループかな?と思ってたのですが、
どうやらカナダグループのなかのカナダ在住日本人のひとたちみたいでした。

アシュラムの前の道路工事は順調に進んでいっていますが、出来上がった道路の上にはわざとかわざとじゃないのかはわかりませんが、砂がいっぱいかぶってます。

でもバスステーションもまた機能するようになり、主名のスクールバスもメインロードを走っていたので、そろそろ行くときもバスで行かせてもいいかもしれません。

しかしどこで乗るのか?まだ把握できてません。
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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2010/08/19 00:37】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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